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外国為替を高校生に教える

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Academic year: 2021

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要旨  本稿は「外国為替」を高校生や一般市民に生き生きと教えようとする教案である。「経済」を暗記科目 に堕さないように改造する一助になれば,と願う。  まず①外国為替取引の仕組みを図解する。両替など身近な例から導入し,対顧客取引,銀行間取引,為 替介入を位置づける。②円高・円安の意味,③なぜ為替レートが変動するのか,そして為替レートが変動 すると,何がどう変わるか,④ 1949 年に,なぜ 1㌦= 360 円が設定されたのか,⑤なぜ固定相場制が放棄 されたのか,そして,その後の円相場の推移と背景を扱う。  一部,為替相場変動の状況・経緯・背景を,当時の新聞記事や統計によってリアル・追体験的に示す。 キーワード:対顧客取引,銀行間取引,為替介入,円高・円安  私は新聞記事を,コピーしたり,パワーポイントに して,よく使う。新聞記事は①教科書の裏づけになる, ②リアルである,③授業の準備をしながら教員の知識 を補正してくれることも多い。2015 年の本学会全国 大会(於:日本体育大学)での報告にも,縮刷版から のスライドを何枚も映した。本稿では残念ながら新聞 の紙面は載せず,日付,見出しと,記事の一部を引用 するにとどめる。特記が無い限り朝日新聞である。

Ⅰ.外国為替取引の仕組み

1.対顧客取引…売りと買い  説明は,図 1 の右下半分から,生徒と対話しながら 始める。読者も,図と照らし合わせながら読んで下さ るとありがたい。まず銀行の対顧客売り。日本の輸入 商がドルを買って(①),送金する(②)。  米国の輸出商に送金する日本の輸入商は,町の銀行 や空港の銀行で円をドル札に両替する旅行客と同じ立 場である。図の 92 円は,銀行がドルを売る相場であ り,対顧客売り相場という。銀行から見た用語であり, 輸入商から見れば逆に,ドルを買う相場である。なお 私は,実際に買った旅行者小切手・送金小切手の実物 やコピーを教材に使った。  実際は米国輸出商の銀行口座に電信送金されること が多く,②,③は,あまり行われない。ホテル代,土 産物代などをカードで支払う人が多いが,これも結局 は,日本の銀行の自分の口座から,米国のホテルや土 産物店の口座に支払っているのである(④)。  なお,我々が外貨預金をする場合は,我々が預ける 外貨を,まず銀行から買わなければならない(①)。 銀行から見れば,まず外貨を預金者に売って,それを 預かるわけである。  次いで対顧客買い。上記の図(①〜③)の上に,同 じ趣旨の図を逆立ちさせて載せると,日本の輸出商が 代金を受け取る手続きが示される(❶〜❸)。手続き は,やはり輸入商側の米国で始まる(❶)。小切手の ドルでも,電信送金されてきたドルでも,日本の銀行 は,そのドルを買う(❸)。買う相場は,図では 90 円 である。日本の銀行間の「協定」で,対顧客売り相場 より 2 円(ユーロは 3 円)安い。たとえば 2015 年 7 月 30 日は,下の表 1 の網掛け箇所(対顧客電信買い)で

外国為替を高校生に教える

Economic EducationThe Journal of

No.35, September, 2016

Teaching Foreign Exchange to High School Students

Minowa, Kyoshiro 箕輪 京四郎(元横浜商業高校)

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ある。電信売りとの差が銀行の粗利益になる。対顧客 電信売り相場は毎日午前 10 時に決められ,その日の うちは変わらない。  ここで 1 つ,意識しておきたいことがある。日本で は,輸出でも輸入でも,円とドルの交換レートの問題 がある(①と❸)のに,米国では,輸出も輸入も,為 替相場の問題が起こらない(③と❶)。つまり米国で は外国為替も,内国為替と同じである。ドルが世界の 基軸通貨だからである。  なお現金(お札)相場は,電信相場より,売りは 2 円高く,買いは2円安い(ドルの場合)。表1では,旅 行に行く時には 127.08 円で買い,帰国して余ったドル 札を円に戻すと,現金売り相場より 6 円も安い 121.08 円にしかならない。銀行のもうけ過ぎという声もある が,外国では,どうなっているのであろうか。 2.銀行間取引  銀行にドルを売りに来る客もいるし,ドルを買いに 来る客もいる。前者は輸出商であり,後者は輸入商で ある(図解で確認)。輸出商が多い銀行はドルが余る し,輸入商が多い銀行はドルが足りなくなる。そこで 古本屋と同じように仲間市がある。図解の左部分であ る。そこで建つ相場が,銀行間相場であり,図では 90 円と 92 円のまん真ん中,91 円としたが,実際は 時々刻々に銭単位で変わり,随時報道される。上記の 2015 年 7 月 30 日の相場は表 1 のとおりであった。表 では省略したが,証券と同じく,始値・終値もある。  銀行間取引は①銀行間で直接電話,②外為ブロー カー(トウキョウフォレックス上田ハーローなど 3 社。 かつては短資会社)を介す,③パソコンの画面に入力 する電子ブローキング・システム(主に EBS 社が運 営)のいずれかで契約する。今は 9 割以上が③による。 図 1 外国為替の仕組み 表 1 対顧客相場と銀行間相場(円 / $)   2 円 127.08  現金 対顧客売り相場 125.08  電信 124.25   安値   2 円 124.16   中心 銀行間相場 123.88   高値   2 円 123.08  電信121.08  現金 対顧客買い相場 資料:「日本経済新聞」2015.7.31 外為市場欄

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3.政府・日銀の介入  日本は長い間,輸出超過である。図 1 の上部真ん中 のドル流入(❸)が,下部真ん中のドル流出(①)よ り多い。つまり,どの銀行もドルが過剰である。ミカ ンでも,豊作で生産が過剰だと値が下がる。ドルの値 下がりは円高である。円高だと輸出が減り,景気が停 滞する(理屈は表 6 の説明)ので,円高を抑えるため に日銀や外国為替資金特別会計(図 1 の左上部)が介 入し,過剰ドルを買い取る。逆に,円安が過ぎると物 価が上がるなど弊害もある(理屈は表 6 の説明)。そ ういうとき,この特別会計はドルを売る。 表 2 外為会計 賃借対照表 2015.3.31 兆円 円貨預け金 8.285 外国為替資金証券 115.528 円貨貸付金 1.106 IMF 通貨代用証券 2.423 外貨預け金 6.807 円貨預り金 0.045 外貨貸付金 5.923 SDR 純累積配分額 2.030 金地金 0.165 本年度利益 3.413 外貨証券 124.418 その他資産負債差額 27.010 特別引き出し権 2.155 IMF へ出資 2.627 その他とも計 151.511 その他とも計 151.511 資料:財務省『特別会計決算参照書』  表 2 は,外為会計の貸借対照表である。私が理解で きない個所もあるが,基本的なことは生徒に理解させ たい。まず貸借対照表の左側(借方という)は資産の 運用形態を示し,右側(貸方という)は,その資金の 調達形態を示している。調達した資金は何らかの形で 運用されているから,借方の合計は貸方の合計と一致 する。英語では Balance Sheet。直訳は均衡表。貸借 対照表と訳したのは,なるほどと思う。  2014 年度末現在,借方で金額が最大なのは外貨証券 である。買ったドルで,主に米国の国債(EU 債もあ る)を買う。それが年ごとに累積された金額が124兆円 である。金やドル・ユーロ・ポンド・元などの外貨預 金もある。外国の民間銀行や中央銀行への預金である。  貸方で金額が最大なのは外国為替資金証券という短 期国債である。これを発行して得た資金でドルの買い 介入をするわけである。  外為会計は,霞が関の財務省国際局為替市場課の資 金管理室(職員約 20 名)が管理し,介入は日銀が, どこかの市中銀行に委託して行う。  ところで外貨準備は,この外為会計の借方と,日銀 所有の金地金,外国為替の合計である。外貨の買い介 入によって増え,売り介入によって減るが,米国債な どの利子収入によっても増える。外貨準備高が少ない と,その国へ輸出しても支払ってもらえないかもしれ ないという不安を持たれる。かといって外貨準備高が 多過ぎても問題がある。外貨を買うための資金を調達 する短期国債の利払いが嵩むし,その資金で米国の財 政赤字をカバーしてやっているうえに,ドル不信・ド ル安による評価損が大きくなっている(07.5.2 日本 の外貨準備は「爆弾」か)(08.3.8 1 兆㌦ 持て余す政 府 含み損 無視できぬ水準)。  現在,アジア諸国の外貨準備高が増え,特に中国は, 今まで世界一だった日本を抜き,日本の 3 倍にもなっ た。日本は 1.23 兆㌦であるが,米国は 9 位で 0.12 兆㌦, ドイツは 0.06 兆㌦である(2014 年末)。なお米国の準 備金の中身は,固定相場制の時代には,ほとんどが金 であったが,今はユーロ・英ポンド・円などである。 米ドルは米国にとって外貨ではない。

Ⅱ.円高・円安の意味と購買力平価

 1㌦ =360 円と 1㌦ =120 円とでは,どちらがドル髙 か。これは,素直に考えればよい。数字の大きい前者 がドル高である。1 個 =360 円のリンゴと,120 円のリ ンゴでは,前者がリンゴ高なのと同じである。  ところがどちらが円高かとなると,戸惑う生徒もい る。私は,席の近い者どうし 10 秒,20 秒,話し合わ せてから,どちらかに挙手させるということを,よく やった。生徒はこのスタイルに慣れて,リラックスし ながらも,かなり真剣に話し合った。  話を戻すと,1㌦ =120 円の方が円高である。より少 ない円で,同じ 1㌦が買える。円の値打ちが上がった わけだ。数値で示せば,表 3 のとおりである。 表 3 ドル安・円高の概念  1㌦= 360 円   1 円= 0.274セント(1 ドル÷ 360)         ドル安             円高  1㌦= 120 円   1 円= 0.834セント(1 ドル÷ 120)  ではなぜ 1㌦ =360 円が 120 円になるのか,まず表 4 の仮説例を見よう。 表 4 日米での,A 商品の価格変動と為替相場(仮説例) 米国で 日本で 為替相場 昔 1㌦ 360 円 1㌦= 360 円 今 3㌦ 360 円 1㌦= 120 円  むかし A 商品が,米国では 1㌦,日本では 360 円で

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あったとする(表4の1行目)。ところが今は,米国で は物価が上がって A 商品は 3㌦になったとする。日本 では物価が上がらず,今でも 360 円であったとする (表 4 の 2 行目)。さて為替相場は,昔はいくらで,今 はいくらか,表の網掛け部分を空白にしておいて,生 徒に答えさせる。昔は 1㌦= 360 円,今は,3㌦= 360 円,つまり1㌦=120円。いま米国で1㌦が物を買う力 と,日本で 120 円が物を買う力が等しいのである。  実際はどうか。変動相場制になった 1973 年の年平 均レート,1㌦ =280 円が適正であったとして,それを 基準に購買力平価を描くと,図 2 のとおりである。 図 2 購買力平価と実際の円相場

資料:IMF,International Financial Statistics など。

 消費者物価指数は,石油危機のころ(1970 年代後 半)日本の上がり方が大きく,それ以後は米国の上が り方が大きかった。そして 2014 年には米国が 5.33 倍, 日本は 2.53 倍になった。よって次の計算から,2014 年には 1㌦ =133 円が適正だといえる。    280 円× 2.53(倍)/5.33(倍)= 132.9 円  購買力平価説(theory of purchasing power parity) を唱えたのはスウェーデンの経済学者 Gustav Cassel (第 1 次世界大戦後,金本位制度への復帰や世界経済 の在り方を話し合う国際会議に出席)であるが,これ は難しい話ではなく,高校生でも理解できる。  実際の為替相場も,長期的には,購買力平価と同じ 傾向に動いている。プラザ合意の 1985 年以後かなり 離れたが,2000 年ごろから近づいてきた(図 2)。

Ⅲ.為替相場変動の原因と影響

1.為替相場変動の原因…なぜ円高になるのか  為替相場はなぜ動くのか。長期的には,上記の購買 力平価説で説明できるが,時々刻々に変わるのは,ド ルの需要・供給の関係で説明できる。  輸出すれば,海外からドルが入ってきて,日本の外 為市場に供給される(図 1 の❸)。輸入するには,海 外へ支払うドルを日本の外為市場で買う=需要する (図 1 の①)。  つまり輸出超過なら,ドルの供給>需要→ドル過剰 →ドル安(円高)になる。逆に,輸入超過なら,ドル の供給<需要→ドル不足→ドル高(円安)になる。  以上の関係は,次の表 5 の網掛け部分に相当する。 ただし貿易収支のほかに,サービスの収支,所得 (利 子や配当)の 収支を含めた経常収支で示されている。 表 5 円高・円安の原因 円高の原因 円安の原因 長期 ・ 日本の物価安定(円の購買力安定) ・ 日本の物価上昇(円の購買力低下) 短期 ・ 経常収支の黒字 ・ 経常収支の赤字   or 黒字増加   or 黒字減少 ・日本の金利高 ・日本の金利安   or 米国の金利安  or 米国の金利高  では実際に,経常収支と為替相場は,どのように推 移してきたか,図 3(次ぺーじ)のグラフを見よう。 影をつけた時期は不況期である。  1973-74 年や 79-80 年は原油価格が高騰して経常収 支が赤字(棒グラフが基線以下)になり,つれて為替 相場はドル高 (折れ線が下降) になった。その後,経 常収支は赤字にならないが,経常黒字増加が何年か続 き,反転して黒字減少が何年か続く,ということを繰 り返している。増え続けたり,減り続けることはない。 円相場も,少しずれながら,かなり同調して動いてい る。ここに,為替相場の価格メカニズムの一部(図 4 の因果関係 A と因果関係 C)が働いている姿が見える。 と同時に,因果関係 B と因果関係 D(説明は次項)が 働いているのも見えるのではないか。  なお経常収支は,不況のとき(影の年)は黒字が増 え(86,91-93,97-98 年),好況のときは黒字が減る (87-90,94-96,10-11 年)傾向がある。不況だと特 に輸出に励み,輸入は控えられ,好況のときは原材 料・燃料や消費財の輸入が増えるからである。 図 4 為替相場の自動調節機能 輸出超過 (経常黒字増) ドル安(=円高) ドル高(=円安) (経常黒字減)輸入超過 A B C D

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 表 5 の波下線部分は,為替相場の変動の,もう 1 つ の要因を示している。例えば図 3 で,1981-84 年は, 経常収支の黒字が増えたから,円高,つまり折れ線が 上向くはずである。ところが逆に下降している。それ は米国が日本より大幅に金利高だったからである(表 7 の公定歩合の欄を参照)。当時米国は物価も高く, レーガン政権は強いドル・強い軍事力を目指した。高 金利の国の通貨は利息が稼げるので魅力があり,需要 が大きく,ドル高(円安)になったのである。 2.為替相場変動の影響(円高・円安になると, 何がどう変わるか)  為替相場変動の影響は次表のとおりである。 表 6 円高・円安の影響 円高の影響 円安の影響 企業 ・ 輸出が減る ( 下請・労働者へしわ 寄せ) ・ 輸出が増える ( 下請・労働者へ trickle down ?) ・ 海外へ企業移転  (国内空洞化) ・ 輸入が増える (安く輸入できる) ・ 輸入が減る(輸入品が高くなる) 家計 ・輸入品が安くなる ・輸入品が高くなる 景気 ・不況・デフレ ・好況・インフレ  円高の影響 まず輸入への影響。たとえば 1㌦ =120 円から 100 円へと円高になると,海外で 1 万㌦してい た B 商品は,いままで 120 万円で輸入していたのに, いまや 100 万円で輸入できる。円建てでは安く輸入で きるから,輸入は進むし,物価は下がる。海外旅行も 安く行ける。ただし,この 20 万円という円高差益を, 輸入業者や旅行会社が消費者に,どのくらい還元する か,どのくらい自分のフトコロへ入れてしまうか,と いう問題がある。  輸出への影響。輸出者には 120 万円の手取りが必要 な C 商品は,1㌦ =120 円のときは 1 万㌦で輸出してい た。ところが 1㌦ =100 円になると,同じ 1 万㌦で輸出 したのでは,円での手取りは 100 万円に減る。そこで ドル建て価格を 1.2 万㌦に値上げして海外から注文を 取る。中を取って 1.1 万㌦にしろと言ってくるかもし れない。当然,注文は減る。つまり輸出は減る。苦し いから,労働者や下請けの中小企業へしわ寄せする メーカーも多い。  あまり円髙が進むと,メーカーは販売先の国,ある いは賃金の低い国に工場を移し,国内の産業が空洞化 する。これが 1985 年ごろから進み,海外に進出した 法人企業(製造業)の売上高は 1995 年度に 8.3%(う ち中国へは 8.7%)であったのが,2012 年度は 20.3% (同 33.0%)に増えた(経産省『我が国企業の海外事 業活動』)。新聞記事も「円高で海外生産シフト加速  産業空洞化強まる製造業」(1993.6.24 経済ナビゲー ター 産業空洞化①〜④)(2011.11.8. 夕〜)などがあ る。  円安の影響 まず輸出への影響。120 万円の手取り が必要な C 商品は,1㌦ =120 円のときは 1 万㌦で輸出 していた。為替相場が 1㌦ =140 円と円安になると, 20万円の追加利益が入る(140万円-120万円)。これ をチャンスにドル建てで 0.857 万㌦(140 円× 0.857 万 ㌦ =120 万円)まで安売りができる。それでも円建て では必要な手取りになり,輸出は進む。  輸入への影響,同じ 1 万㌦の商品を,今までの 120 万円でなく,140 万円で買わなければならない。円で は値上げであるから,輸入意欲は落ちる。それでも必 要な原油や食料は輸入するから,物価は上がる。 図 3 円相場と経常収支 資料:『日本銀行統計』など

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3.為替相場と価格機構  為替相場は,商品価格・金利・賃金などと同じく, 「価格」の一種であるから,price mechanism(神の見 えざる手)が働いて均衡をもたらす。経常収支→為替 相場→経常収支の関係には次のように…  ①日本が輸出超過だと,ドル安・円高になる(表 5)。この因果関係が図 4 の A である。②円高になると 輸出が減り,輸入が増える (表 6)。つまり①で多かっ た輸出が,時を経て②で減り,①で少なかった輸入が ②で増える。その結果,均衡に至り,ときに輸入超過 になる。この因果関係が図 4 の B である。  逆に,輸入超過のときは円安になり(C),円安は 輸出増・輸入減を経て,輸出入の均衡,ときに輸出超 過をもたらす(D)。  ところが実際には,金利差の問題もあるし,投機筋 が入るなどして,不均衡を拡大あるいは長期化させる ことも多く,その過程で生じる問題(表 6 を見よ)に 耐えられずに,政府・日銀が介入する。  なお投機筋とは,資産家から資金を集めて運用する ファンドや,生命保険会社,銀行,年金基金などの機 関投資家などである。

Ⅳ.360 円相場の設定と,その後の推移

 なぜ 1㌦ =360 円というレートが決まったのか。   第 2 次 世 界 大 戦 の 前 の 比 較 的 正 常 な 年 で あ る 1934-36 年における 100 円 =28.57㌦を基準にして, 1949 年への物価の上昇が,日本は 208 倍,米国は 2 倍 なので,100 円× 208=28.57㌦× 2,つまり 20,800 円= 57.14㌦という計算から,1㌦ =364 円になる。  新聞(1949.4.24)には「1 ドル三百六十圓 総司令 部指令 あすから実施 予期した以上に円安」などの 見出しで,「伝えられていたような 330 円よりも 30 円 方円安であること…輸出振興とレート維持のためとみ られ…」などと書かれている。  そして同じページに「中共軍,南京へ突入,けさ入 城」という生々しい記事が地図入りで並んでいる。こ の記事は,「予期した以上に円安に」レートが設定さ れた背景として,米国が日本の軍事力・工業力を削ぐ 方針から,日本を共産勢力に対する防壁に育てる方針 に転換したことを,生徒に説明するのに役立つ。  第 2 次世界大戦後の米国は生産力も高く,貿易収支 は黒字続きであったが,戦争で疲弊した西欧や日本な どに経済援助をしてドルを貸し,工業製品や農産物を 売り込んだ。ところが西欧や日本が生産力をつけて輸 出を伸ばすと,米国の貿易収支は 1971 年から赤字に なる(図 5)。対外経済援助や軍事援助などのドル流 出も大きく,世界はドル不足からドル過剰に転じた。 図 5 米国の金準備と各国の貿易収支 資料:日銀『国際比較統計』  そうなると,35㌦を持参した国・中央銀行には米国 が金 1㌉と交換するという IMF 体制(国際通貨基金: International Monetary Fund)が怪しくなってきた。 「米の金流出激化 金準備 170㌦割る」(1961.11.26) 「米の準備金 143 億㌦に」(65.5.30)などの新聞記事 に「1-3 月の金引出しはフランス 4.25 億㌦,スペイン 0.9 億㌦,ベルギー 0.396 億㌦,スイス 0.375 億㌦,… 英国 0.757 億㌦…。フランスの金攻勢をきっかけにし た金兌換の波が米国の保有金に異例の打撃を与えてい る…」と書かれるようになった。  日本は,これに加わらなかった。「金保有ふやさぬ  政府・日銀方針 ドル体制支持に全力」(67.11.27)と いう見出しで,「わが国の金保有は現在約 3.3 億㌦で, フランスの 52 億㌦,西独 42 億㌦,イタリア 24 億㌦な どに比べ極端に少なく…。しかし政府・日銀としては ①ドルの威信がぐらつき出したいま,各国があわてて 手持ちドルを金に換えれば“ドル不安”は一層強まる ②この結果,万一米国がドル切下げに追い込まれる事 態にでもなれば…はかり知れない混乱を招く…」と報 じられた。今に続く対米協力・従属の姿勢である。  米国の金保有は1949年末の245億㌦をピークに減り 続け,100 億㌦を切ろうとした 71 年,ニクソン大統領 の,金・ドル交換停止声明が出た(再び図 5)。

Ⅴ.固定相場制の放棄 

 ニクソン声明は 1971 年 8 月 15 日午後 9 時,ラジオ

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とテレビを通じて発表された。日本が第 2 次大戦で降 伏した日である。米国は日曜の宵。欧州は 16 日,週 明けの真夜中である。日本は欧州と同じ 16 日である が,すでに午前 10 時,営業は始まっていた。株式市 場は史上最大の暴落をした。  日本は困った。「欧米の様子を見て…」というわけ にはいかない。米国には,もともと為替レートの問題 はないし,欧州はまだ眠っている。  水田大蔵大臣は「欧州なんかの様子もみて…。あし たは,どうなるか,だれにも,わからないよ」。「“音 無し”の各省庁 ショックでぼう然,対策の手なし」 (71.8.17)などと,新聞は報じた。  予兆はあった。図 5 のような背景があり,西独は 61 年 3 月,69 年 10 月とマルクを切り上げ,71 年 5 月に は市場を閉鎖後,変動相場制に移っていた。71 年 8 月 7 日には米国議会の経済分科委員会の勧告が発表され, ドルと金の交換停止についても触れていた (71.8.9  平価体系再編を 円切上げ圧力増す)。  ニクソン声明は,日本にとってタイミングが悪かっ たとはいえ,政府の備えにも甘さがあった。欧州は直 ちに軒並み市場を閉鎖し,翌週 23 日(月曜)に市場 を再開,西独は 5 月からの変動相場制をそのまま続け, 他の国も部分的に変動相場制を取り入れるなどした。 日本だけはニクソン声明から 2 週間も,市場を開き続 け,固定相場制と米国を守ろうとした。  その前後の経過を図 6 のグラフで見ておこう。なお 「固定」とはいうが,± 1%までの変動は認められ, 日本は± 0.75%の変動幅でやっていた。つまり 360 円 の 0.75%は 2.70 円であり,上限 357.30 円と下限 362.70 円の間に収めるべく介入していたのである。  経常収支が赤字ぎみな 1967 年までは下限に近かっ た円相場が,経常黒字が定着した 1968 年からは逆に, 上限に張り付き,超えんばかりである。その,過剰で, 安くなろうとするドルを,日銀が買い支え続けた。つ まり外貨準備高が 68 年から,年ごとに増え,71 年に なると月ごとに増えた。8 月の増加は凄い。とくにニ クソン声明後の買い取り額が多かったのだが,すぐ後 述するとおり,国会でも問題になる。そして,やっと 8 月 28 日にギブアップした。このグラフを生徒によく 味わってもらいたい。  ここで「通産省 不正防止で商社に要請 輸出代金 の前受け」(71.8.24)という記事を併用するのもよい。 図 1 の復習・確認も兼ねると効果的である。記事は, こうである――「通産省は,外国為替市場で続いてい るドル売りの一因が輸出代金請求水増しや架空輸出に よる代金前受けなどの不正行為による可能性も大きい とみて 23 日,17 商社の代表を同省に呼び,輸出代金 の前受けに関しては実際に輸出貨物があることを証明 する契約書などを提示するよう要請し…」。商社は必 死で,海外支店などからドルを掻き集め,水増しし, ドルが 300 円,250 円などに下がらないうちに円に換 えようとした。縮刷版 8 月号の記事索引のページには 「日銀 3 億㌦余買い」「また 5 億㌦買支え」などが続き 「日銀 12 億㌦買支え」,そして 28 日に「変動為替相場 制に移行」となる。  この点については「野党,『円』対策追及へ 日 銀・ 外 為 会 計 に 大 穴 『 国 民 無 視 の 対 米 追 随 』」 (1971.8.29)という記事に「“ドル・ショック”の 8 月 16 日以来,2 週間のうちに外為市場から買い上げ… 『もともと為銀や商社が負担すべき為替上の損出を国 民全体にばらまいたことになる』との批判が出始めて いる」と報じた。このように,教科書的な話に終わら せず,リアルな話を加えるとホンモノになり,生徒も 興味を持つ。

Ⅵ.変動相場制下の円相場と為替介入

1.プラザ合意とバブルへの助走  ニューヨーク中心部の 5 番街,風格あるたたずまい を見せるプラザホテルで,1985 年 9 月 22 日(日),G5 (Group of 5 Nations。米・日・旧西独・英・仏の蔵 相・中央銀行総裁の秘密会議)が開かれた。高いドル を安くするために協調介入の強化が合意された。記者 会見は華やかで,市場にショックを与えた(85.9.24夕  ドル高修正へ協調強化 日本は内需拡大)。  米レーガン政権(81 年 1 月発足)は,前述のとおり 図 6 360 円を死守,そして放棄

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ドル高・金利高の政策を進めた結果,米国は経常赤字 が増え,日本や西独は経常黒字が増えていた(表 7 の 経常収支欄。西独は省略)。これを失敗とか政策変更 とか言わず,大統領の顔をつぶさずに転換を図るため の舞台回しが,プラザ合意だったのである(13.4.1 〜 6.3 まで 10 回 証言そのとき「円 歴史と未来」元財 務官行天豊雄)。 表 7 日米の経常収支と公定歩合(1980-89) 年 経常収支 公定歩合(年末 %) 米国 (億㌦) (兆円)日本 米国 日本 1980 23 -2.58 13.00 7.25 1981 50 1.15 12.00 5.50 1982 -55 1.78 8.50 5.50 1983 -387 4.96 8.50 5.00 1984 -943 8.35 8.00 5.00 1985 -1,182 11.97 7.50 5.00 1986 -1,472 14.24 5.50 3.00 1987 -1,607 12.19 6.00 2.50 1988 -1,212 10.15 6.50 2.50 1989 -995 8.71 7.00 4.25 資料:日銀『国際比較統計』,『経済財政白書』,毎日新聞社 『週刊エコノミスト臨時増刊米国経済白書 2013』  政策転換の手始めは,レーガン政権第 2 期が発足し た85年1月に,ドル安を目指すベーカー財務長官が任 命されたことである。すぐ準備が進められ,合意 1 週 間前のロンドン蔵相代理会議で大筋が決まった。  図 7 を見ると,73-75 年,79 年,82 年に比べて,プ ラザ合意による 85 年のドル売り介入(棒グラフのブ ラ下がり)は,それほど大きな額ではない。にもかか わらず合意前の 242 円が,9 月末には 216 円,85 年末 には 201 円へと急騰した(85 年の点線の折れ線の上 昇)。それは①介入が単独介入でなく,日米欧の協調 介入であった,②もともと経常収支が,米国の大幅赤 字,日本の大幅黒字であった(表 7)からであろう。  あまりにも激しい円高なので,政府・日銀は,プラ ザ合意に反するが,86 年からドル買い介入に転じた (ブラ下がっていた棒グラフが基線から立ち上がる)。 そして米国に協調介入を要請したが,米国は拒否した。 日本はドル高是正に協力したのに,米国は,その効き 過ぎ抑制に協力しない。86 年も円高が進んだ(点線 の折れ線)。  景気は円高不況になっており,日本は公定歩合を 86 年 1 月,3 月,4 月,11 月と,0.5%ずつ矢継ぎ早に 下げた(表 7)。すんなり下げたわけではない。たと えば日銀の三重野副総裁は10月3日,国会で「通貨供 給量が増え,土地のほかにゴルフ会員権,貴金属,絵 画まで値上がりしています。…公定歩合は下げるべき ではない」と述べていた。「日本経済は乾いたマキの 上に座っているようなもの。はずみでインフレの火が ついたら,取り返しのつかないことになる」というの が同副総裁の持論でもあった。それが 1 か月も経たな い11月1日,日銀は公定歩合を下げた。その背景には, 米国の中央銀行(連邦準備制度理事会)ボルカー議長 から澄田日銀総裁への強い要請があり,また大蔵省や ベーカー財務長官から再三の申し入れがあったのであ 図 7 円相場の変動と為替介入 資料:平島真一編『現代外国為替論』,財務省「外国為替平衝操作の実施状況」など。

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る(86.11.2 インフレの芽 カネ余り,広がる投機)。 景気が鈍化していた米国は,86 年 11 月に中間選挙が あり,景気を好くするために金利を下げたかった。し かし,そうすると日本が米国債を買ってくれなくなる。 そこで,日本にも金利を下げさせようとしたのである。 85 年 12 月,当時の中曽根首相が各国の「協調利下げ」 をぶちあげ,「金利をどうするかは政治が決めること だ」と発言した。それに屈して日銀は86年1月末,円 高対策を兼ねて,公定歩合を下げ,その後も前述のよ うに下げ続けたのである。  以上のような対策にもかかわらず 86 年末のレート は 160 円,プラザ合意前の 242 円に比べ 82 円の円高で ある。87 年に入っても円高は進み,日本は 2 月,これ 以上の円高を抑えるための G5 を開いてもらう見返り に,2.5%への,第 5 次公定歩合引き下げを行った (87.2.20 公定歩合 5 次下げ G5 開催と取引)(87.2.21  対米配慮を優先 財テク・投機には追い風)。それま での最低金利であり,以後,バブルへの歩みが早まる。  そして G5 が 87 年 2 月 21 日,そして加(伊はボイ コット)を加えた7か国蔵相会議が翌22日,ともにパ リのフランス大蔵省(当時はルーブル美術館の建物の 中にあった)で開かれ,「為替レートを最近の水準の 周辺に安定させる」ことで合意した(87.2.23 為替 「今の水準維持」合意 主要国蔵相会議)。このルーブ ル合意は,まとまったような,まとまらないような, いい加減なもので,その後のドル買い介入にもかかわ らず,円高は進み(点線の折れ線),87 年末は 122 円。 プラザ合意直前の 242 円に比べて 2 倍の円高である。  ところが米国は,ドル安を推進する政策を変えなけ ればならなくなった。ルーブル合意後も進んだドル安 で,物価が高くなり,また日本などからの米国債への 投資先細りを恐れたのである。そこで87年9月,公定 歩合を上げた(表 7 の公定歩合欄)(87.9.5 米公定歩 合 0.5%上げ インフレの芽つむ)。  西独でも通貨供給量が増え,インフレの芽を早めに 摘む狙いで10月6日,短期の市場金利(公定歩合とは 別)を引き上げ始めた(日経87.10.7 西独連銀「緩や かな金利上昇」誘導)。すると資金が米国から流出し, NY 株は 14 日(水)から下がり始め,米ベーカー財務 長官が 15 日の記者会見や 17 日(土)の TV インタ ビューで,西独の金利引き上げを批判した (日経  87.10.16 夕 米,金利上昇阻止へ全力)(87.10.19 米 財務長官 西独金利上げ批判)。その週明けの 19 日 (月),ニューヨーク・ダウ工業株 30 種平均が大暴落 したのである。いわゆる「暗ブ ラ ッ ク マ ン デ ー黒の月曜日」である。下 げ率は 22.6%で,1929 年 10 月 28 日の 12.8%低落を大 幅 に 上 回 り, 世 界 の 株 式 市 場 は 連 鎖 暴 落 し た (87.10.20 NY 株大暴落 米経済の行方に不安)。  日本も 86 年末には「円高不況」が終わって,「平成 バブル」に入っていた。公定歩合引き上げの準備をし ているところにブラックマンデーである。公定歩合を 上 げ る わ け に は い か ず, 西 独 も 同 調 し た( 日 経 87.10.21 西独,金利上昇望まず)。  その後,日本は,上述の,史上最低の公定歩合 2.5%を 2 年 3 か月も続けた後,89 年 5 月に 3.25%に上 げた(89.5.31 やっと引き締め① 対外配慮 我慢の 2 年 89.6.1 ② 米に気がねの大蔵省)。  それまでに公定歩合を米国は 0.5%ずつ 2 回上げた。 西独は 87 年末に 0.5%下げたが,88 〜 89 年に 4 回, 0.5%ずつ上げた。結局,日本は,何回も米国の圧力 で公定歩合を下げ,89 年 5 月の公定歩合引き上げも遅 かった。こうしてバブルが進んだのである。 2.バブル破裂後の円相場と為替介入  以下,やや面倒ではあるが,図 7 を見ながら読んで いただきたい。  93-94 年,経常黒字を背景にドル安・円高(点線の 折れ線)になると,ドル買い介入(基線に立つ棒グラ フ)により,95-97 年は円安に向かった(実線の折れ 線)。  97-98 年は不況期であり,経常黒字が増えているに もかかわらず,98 年夏まで円安が進んだ(98.4.4 ト リプル安日本 トリプル高米国)(98.6.15 夕 円安加 速,145 円台)。97 年に山一證券が破綻し,98 年に日 本長期信用銀行が破綻するなど金融システム不安が強 く,ドル売り介入(棒グラフのブラ下がり)をしても, かえって足元を見透かされ,円も株も債券も売られた のである。  98 年秋から 99 年へと円高になると,99 年にドル買 い介入に転ずる。00-01 年は,介入の効果か,経常黒 字が減ったためか,円安になる。01 年は日米ともに, IT バブルが破裂して,米国は金利を大幅に下げ,日 本も,一度解除したゼロ金利を復活,量的金融緩和を 始めた。  2002-04 年の円高は,経常黒字増にもよるが,02 年 からの「いざなぎ超え景気」の日本株に向かって,世 界 の 過 剰 マ ネ ー が 投 資 を 増 や し た こ と に も よ る (03.3.23 「留め金」外れ円急騰)。これに対する03-04 年のドル買い介入は巨額であった(04.2.7 為替介入 「中毒」状態 財務省 円高を恐れ手引けず)。

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 ドル買い介入の効果か,米国の金利引き上げ(住宅 投資の過熱への対策)の影響か,大幅経常黒字が続く にもかかわらず,07 年央まで円安になった。ヘッジ ファンドや個人投資家が円を低金利で借り,それをド ルに換えて,高金利の欧米の株式や債券に投資する, いわゆる「円キャリー・トレード」が行われたのであ る(07.1.13 「円安バブル」の気配 低利で円調達→ 外貨に換え運用)。それはサブプライムのバブルを促 進した。  07 年,米国の低所得者向け住宅ローン問題に始ま る 08 年のリーマン・ショックは,ギリシャ危機に始 まる欧州危機に連鎖し,米欧が金利を大幅に下げると, 100 円を超し,90 円台,80 円台,そして 70 円台へと 円高が進んだ。10 年 9 月には,6 年半ぶりにドル買い 介入をした(12.2.8 覆面介入 苦肉の策)。  2011 年,こともあろうに東日本大震災の 3 月,常識 とは逆に,海外のファンドや金融機関が円を買い,一 時 76 円台になった(11.3.18 投機主導 円急伸)。3 月,8 月,11 月に大規模な介入があったが,12 年に 入っても効果はなかった。円が評価されての円高では なく,米国経済・欧州経済の先行きを懸念しての円高 なのである(11.8.20 夕 「消去法」の円買い加速)。  安倍政権になると 80 円台に乗せ,黒田日銀新総裁 が 2012 年末のマネタリーベース 138 兆円を,15 年末 には 356 兆円に増やすという異常な緩和政策をとると, 15年には120円を超す円安になるが,16年に入ると中 国 経 済 の 減 速 な ど 世 界 経 済 の 先 行 き 不 安 も あ り (16.2.13 株安・円高 不安の連鎖 アベノミクス試 練),麻薬の効果が切れたのか,購買力平価の水準に 戻ったのか,110 円(5 月末現在)になった。  改めて図 7 を見ると,ドル売り介入よりドル買い介 入が断然多く,とくに 1999 年以降は,ドル買い介入 のみで,その額も非常に多いことに気づく。日銀の量 的緩和の上に,ドル買い介入によって円資金を供給し ていることになる。「先進国の中で自国通貨の評価が 高まることにこれほど神経質に,かつ危機感を持って 介入を繰り返す国も珍しい。日本の通貨当局には過剰 なまでの円高恐怖症があるようにみられる」(2000.4.7 夕 経済気象台 円高恐怖症の幻影)。

参照

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