く も じ
vol.
21
2016.9
生存が不安定な世紀末を迎えないために
希望のたいまつ”
を高々と
歴史は時に、“粋なはからいをするものだ”、と思 い知らされた。 今年の 5 月 3 日、東京湾有明防災公園で憲法集 会が開催された。メインスピーカーとして登場した のは、101 歳のジャーナリスト・むのたけじさんだっ た。それを最前列で熱心に聴く、 「シールズ」の若い奥田愛基さ んらの姿があった。むのさんは 3 カ月後、多くの人に惜しまれ て亡くなった。 むのさんはメディア関係者な ら、その名前を聞いただけで、 背筋がシャンとする、といわれ た存在だった。戦前は朝日新聞 で従軍記者として戦況を報じ る立場だったが、1945 年 8 月 15 日、終戦の日に新聞社を去っ た。「間違った戦争を止められ なかっただけでなく、本当のこ とを書けなかった」という自責 の念からだった。 その後、むのさんは郷里の秋 田県横手市に帰り、たった一人 で新聞「たいまつ」を発刊、「反 戦・平和」を訴えてきた。それ は孤独で苦難の連続の生活でも あった。「メディアはいずれまた戦争遂行に加担す る日が来るだろう」と危惧し、メディア、ジャーナ リズムへの「反戦・平和」への決意と覚悟を問い続 けるものでもあった。 むのさんのような生き方を選択しなくても、戦前 を知る先輩記者たちは、異口同音に「権力は必ず腐 敗し、時に暴走する。絶対的権力は絶対的に腐敗し、 暴走する。これを常に監視し、腐敗、暴走を止める のがメディアの役割であり、ジャーナリズムの使命 だ」、と後輩記者たちを指導してきた。それがいつ しか、自問自答する日々が続いている。 私は、安倍内閣が進めている 一連の安保・防衛、外交政策は 明らかに“戦時体制を想定し、 極めて国家主義的で統制・監視 社会づくり”のように思えてな らない。 そこで「特定秘密保護法」、 武器輸出解禁や集団的自衛権の 行使容認の閣議決定に、そして 「安保法制」の採決強行の際、 いずれも「権力の暴走」と断 じ、「特定秘密法」と「安保法 制」については、「メディアは 廃止に向けて声を上げ続けるべ きだ」と、テレビ番組で強調し た。これが“偏向報道”だ、放 送法違反だとしてヤリ玉にあげ られた。 このキナ臭く、息苦しいとき に、戦争を知る最も古い世代の むのさんと、戦争を知らない最も若い「シールズ」 の世代の“橋渡し”が希望の“たいまつ”であって ほしいと願う。そして、この希望の“たいまつ”を もって、気候変動による「生存が不安定」な時代を 迎えない進路を照らしていきたい。理事長 岸井成格
■風雲の杜:“希望のたいまつ”・・・・・・P.1 ■ルソン島ルボ村にふるさとの森が育つ・P.2~4 ■足尾発!・・・・・・・・・・・・・・・P.5 ■高校生からの森と生きるメッセージ・ P.6~7 ■語り合って一歩前に進んだ市民フォーラム・ P.8~10 ■こちら!みちのく事務所・・・・・・・ P.11 ■森と生きる暮らし・・・・・・・ P.12~14 ■編集長のページ・・・・・・・・・・・ P.15 ■「塩那道路」の植生調査・・・・ P.16~17 ■こちら南相馬市・・・・・・・・・・・ P.18 ■投稿・ライフワークの生みの宿・・・・ P.19 ■心の森便り・編集後記・・・・・・・・ P.20“木は根、根は土がいのちを”実感
ルボ村は、農作物を市場に運ぶのに4時間もかか る。子供たちは往復4時間もかけて通学している。 勿論、自家用車などは無い。文字通り、森に寄り 添って暮らしている村である。 研修2日目の昼食時、デザートにメロンを出した ところ、アリスさんは、そのメロンの種を大事そう に紙に包みこんでいた。また、宿泊所の国民宿舎 「かじか荘」での夕食時、食べた後の枝豆の種がほ しい、という声が出た。「持ち込みは止めよう」、と なったが、アリスさんの村人への思いが伝わってき て、私たちは胸が詰まった。 森と生きる術は村人たちの身体に沁みこんでいる。 しかし、残された露天掘りの跡地は、斜面がきつく 植栽が困難だった。台風や雨季には土砂が流れ出す ところも多い。足尾のはげ山(岩山)もそんな経験 があり、草木が生えるまで先人たちは岩に土を張り 付けてきた。そこで森づくりに欠かせない土砂流出 を防ぐ竹の土留め柵造りを提案した。そのアドバイ スは、足尾のはげ山に土を運び揚げ、草木を植えて きた㈱山田組会長(足尾丸ごと井戸端会議代表)・ 山田功さんにお願いした。 そして、“木は根、根は土がいのち”ということ が実感できる植栽現場を見てもらった。土を開墾し た植栽地での木々の生長と、そうでない地での生長 の差を実感してもらった。 3日目の研修は室内でのワークショップ。国際生 態学センター研究員・矢ケ崎朋樹氏(農学博士)の リードで、意見を出し合いながらフィリピンでの森 づくりプランを描くことができた。一番役に立った研修だった
彼らは4日目の報告会に参加、観光もせずに帰国 した。報告会で、森林官のコリン氏は、「ルボ村で の植生回復は無理だと思っていたが、足尾での成功 例を見て本当に勇気づけられた。森びとの髙橋さん を見て感動した。足尾での精神を引き継ぎたいと思 う。そのためにはパートナーシップが必要だ。帰国 したら足尾の成功例を州知事に報告し、サポート・ 支援するよう強く提案する」、と述べた。エステバ ン村長は、「足尾で学んだことをルボ村で活かすた めに来た。沢山のことを実践的に学べ、ルボ村環境 修復に活かせるものばかりだった。日本で学ぶこと ができ、感謝でいっぱい。これからも長く継続して いきたい。そのことによってルボ村の環境修復を実 現させたい」と。タボンさんは、「足尾の研修はと てもよかった。特に竹柵工の技術を学べてよかった。 ルボではどういう木を植えたらいいか考え方を学び、 とても役に立った。シカを見られたのがとてもうれ しかった」、と感想を述べた。 最後に、アリスさんは、「鉱山跡地の環境回復事 業のビジョン・ミッション・ゴールを参加者と再確 認し合い、足尾研修をルボに活かし、ルボ村での成 しを聞きながら、未来の村人の命と暮らしを育む森 づくりのヒントを伝え、フィリピンと足尾での“ふる さとの木による命の森”に挑戦しようと考えた。どうして足尾なのか、アリスさんとの出会い
認定WE21ジャパンはこの活動を7年前に始めた。 WE21の皆さんはその年にアリスさんを足尾に招 待した。当時は、私たちが森づくりを始めて5年目、 試行錯誤で荒廃地を緑に回復している現実をアリス さんに伝えてきた。記念にコナラを松木の杜に植え た。その後、アリスさんは、荒廃地となったルボ村 人に「ふるさとの木による命の森づくり」を提案し てきた。村人たちもアリスさんの地道な活動に共鳴 し、村に環境修復団体「LPRO」という住民組織を 立ち上げた。アリスさんは住民と共に、ふるさとの 木を植えるための先駆性樹種の実生や苗木を育て始 めた。また、重金属が含まれた地に炭を撒くための 炭や木酢液作りにも取り組み、少しでも荒廃地に木 が生える努力を積み重ねてきた。さらに、彼女はこ の経過をまとめ、ロビー活動も積極的に行い、州当 局の関係者たちに荒廃地での「ふるさとの木による 命の森づくり」を訴えてきた。しかし、荒廃した地 での植樹は苗木の定着が難しい。そうした時に、足 尾の成功例をアリスさんから聞いた、村人たちは 「足尾の現地で学びたい」と声を上げ、ついにその 代表が足尾を訪れたのである。村人の生きる環境を壊す企業犯罪
研修は足尾現地で3日間行われ、当委員会はその サポートをした。フィリピン・ルボ村は、ルソン島北 部・標高1,800mの高地にあるが、30年前、海外鉱山 会社によって2つの山が消滅してしまった。露天掘り により消滅した跡は、大きな穴が空き、今では湖と なっている。この会社は倒産したため、鉱山をそのま ま放棄し現地から引き揚げてしまった。 豊かな自然の恵みを奪われた村人は、生活に困窮 し、多くの村人はこの地を離れざるを得なくなった。 当委員会が森づくりを進めている地も、以前は松木 村という村であった。しかし、銅の製錬過程に排出 された亜硫酸ガスによって農作物などが枯れ、村を 追いだされた地(1902年に廃村)である。同じ境遇 にあるルボ村の村民を迎える私たちは、村人の暮らルソン島ルボ村にふるさとの森が育つ
ルソン島ルボ村にふるさとの森が育つ
土砂流出防止の竹柵作り 日本料理をご馳走しました 心を込めて植えた4人と共に 当委員会の合言葉は“山と心に木を植える”であ る。12年間、この言葉を頭に描いて森づくりを進 めてきたが、何時もどんな木(気)が心に植えられ たのか、不安の日々が続いている。でも、時には嬉 しくなる場面があり、私たちの元気の源になってい る。その一部を紹介する。 7月12日、フィリピン・ルボ村の村人2名、ベン ゲット州森林管理官1名、そして7年振りのアリス (現地NGOスタッフ)さんが足尾松木沢を訪れた。 目的は、海外企業の鉱山開発によって村の2つの山 が削られ、残された荒廃地に森を育てるプランを村 人が学ぶためである。村人たちをサポートしている のは、認定NPO法人WE21ジャパンの皆さん。フィリピン・ルソン島ルボ村にも ふるさとの木による森が育つ
①露天掘り後の雨水が 溜まった荒地 ②種から育てている苗木 ③石ころだらけの地に植栽 森林官のコリンさん アリスさん エステバンさん タボンさん ① ② ③ ① ② ③森づくりの深い愛情、喜び
そして忍耐強さに感謝します
3日間にわたる研修に、一方ならぬお心遣いをい ただきまして誠にありがとうございました。 4日目の報告会(「足尾研修フォーラム」)でのフィ リピンメンバーからの発言は、研修内容と皆様の熱 い思いを着実に理解していると感じさせてくれました。 また、ワークショップでは現状と課題、今後の事業 計画について共通認識をもつ研修となり、協働によ るこの事業推進の大きな原動力となりました。 皆様にとっては、何がルボ村にとって有効なのか、 研修内容に関してもお心を砕かれたかと推察いたし ますが、参加者にとってすべてが実となりました。 WEメンバーにとっても、植林に対する深い愛情と その技術、活動に関する忍耐強さ、森が生長する喜 びなど、すべてが学びとなりました。 重ねてお礼申し上げるとともに、今後ともご協力 のほど、どうぞよろしくお願いいたします。遅くな りましたが、お礼を申し上げます。 認定WE21ジャパンBGA事業ワーキングチーム (座長・園田久美子)足尾発!
参加者の願いが宿る
木々を植える
植樹祭は、昨年、一 昨年に植えた場所を見 ながら参加者を植樹会 場に案内した。参加者 は350名、 約1,200㎡ に14種類・約4,200本 の苗木を植えることが で き た。 植 林 ボ ラ ン ティアの皆さん、お疲 れ様でした。植栽して から4カ月経つが、苗木たちは参加者の情熱に応え て元気に育っている。 ところで、植樹祭には参加した方々は色々な想い を込めて木を植えていた。 千葉県から参加した女性は、「足尾の地に初めて 伺い、過去の負の遺産が長い月日を経てもなお、地 に沁みついていることを知りました。植樹は思い描 いていた植樹と違い、本格的な肉体労働で、非常に 達成感と共に、このような地道な活動の大切さを実 感させていただき、とても感動致しました」、と丁 寧に植えてくれた。 植樹会場の手前では、元電車の運転士同期生の皆 さんが、3㍍程の苗木を植えていた。運転士から50 年が過ぎた皆さんは、未来を生きる若者達の命を育 む森に育ってほしい、と願っている様であった。 また、栃木 県 の 野 木 町 「煉瓦の窯を 愛する会」の 皆さんは、足 尾鉱毒によっ て廃村に追い 込まれた谷中 村民の心を忘れまい、と谷中村村民の心が宿ってい るクワノキを植えてくれた。 この植樹祭の準備を進めてきた森びとスタッフは、 森に生かされていることを忘れないでほしいと、主 役の高木が育つ舞台を作っているヤシャブシの実を 色染めした記念品、竹細工などを用意した。植樹を してくれた多くの“森とも”の皆さんが、苗木に込 めた色々な願いや思いを忘れずに、今後、育樹活動 にも取組んでいきたい。 (事務局・福澤 猛)すいとん食べて地球温暖化にブレーキ?
少し汗ばむ夏日の 5月21日、12年目 と なる足尾ふるさとの 森づくりが行われた。 私の任務は昼食に提 供する「すいとん」 づくりだった。今回 のテーマは「地球温 暖化をなくすために自分たちにできることを考えよ う」である。このテーマを考えるきっかけとして、 すいとんの具材である大根・人参・小麦粉などを地 産地消にこだわってみようと思った。 私たちの合言葉は「山と心に木を植える」。そん な訳ですいとんを食べながら、心にも木を植えても らおうと、その願いを込めて作ったすいとん。出汁 は、魚、肉、野菜の3種。評判は良かった。本番前 には、自宅で3度、妻に試食したもらった結果だが、 参加者の皆さんから「美味しい!」という声をいた だき、すいとん作りにチャレンジして良かったと 思った。アドバイスをしてくれたスタッフの皆さん、 一緒にすいとんを作った皆さん、ありがとうござい ました。 昼食後の「森ともの集い」では、そのテーマに 沿ったクイズを出して、みんなで考えてみた。 すいとんの食材は栃木県産、群馬県産にした。こ の食材を中国産にした場合、二酸化炭素の排出量の 差をクイズに出してもらった。日本の食糧自給率は 50%以上が海外に依存しているが、このことはそ の排出量を増やしていることになっている。普段考 えてもみないことだが、参加者の皆さんに考えても らった。ルソン島ルボ村にふるさとの森が育つ
功例を州の中に拡げる事など、フィリピンでの成功 例としたい」、と決意を述べてくれた。 (理事・髙橋佳夫)森づくりの原動力をいただいた
初めての海外研修サポートを経験して、村民から、 私の心に“森びとスタッフの責務”という木が植 えられた。また、「一番に役立った研修」と聞いて、 学ぶ側の暮らしや学ぶ姿勢に添ったサポートの大切 さを考えさせられた。私たちの熱意がフィリピンに 根づくと考えると、気恥ずかしさを感じるが、12 年間の“森びと”の地道な努力と情熱の大切さを改 めて実感した。 (スタッフ・橋倉喜一) 認定NPO法人WE21ジャパンと一緒に記念写真 嬉しかった“すいとん”作り 第35回足尾・ふるさとの森をつくった“森とも”の皆さん 元電車運転士の願いを木に宿した皆さん 植栽前のアドバイス 山田功さんからアドバイス 森づくりプランを描いた記念に一枚高校生からの森と生きるメッセージ
高校生からの森と生きるメッセージ
高2 女性
私は植樹を通して木の生命力の強さを感じました。 日光の中、風の中、彼らは何千年もの時間を自らの 力で生きています。自分自身だけで生きることが出 来ない人間はどうすれば良いのか、そう考えると人 間にとって難しい課題であり、答えは私には分かり ません。しかし、植樹前のオリエンテーションの中 で髙橋さんから言われた「人間は森に生かされてい る」という、この言葉に少しでも近づけるように知 識を増やしていきたいです。 今回、このボランティアに参加し、植樹やオリエ ンテーションを通じて自然の偉大さ、そして美しい 緑に染まる森を絶やさないように、日々の生活を改 めて見直すきっかけになりました。高2 女性
このボランティアに参加すると決めた時、私は 「ただ木を植えればいいのでしょう?」という浅は かな考えでした。しかし、髙橋さんの話を聞いて考 え方が180度変わりました。「森に生かされている 私たち」、正直こんなふうに考えたのは初めてでし た。でも確かにそうでした。私たちは1人では生き る事はできません。そんな大事なことを普段忘れて 生きています。「このままの暮らしを継続していく ならば2100年には生存が不安定になる」という話 を聞いて、これから生きていく未来は、私たち自身 が変えていかなくてはならない、「誰かがやってく れるのではなく、自分がやる」という精神をもちま した。そして、こういった活動に積極的に参加して いけたらいいなと思いました。 「ただ木を植えればいいのでしょう?」といって 植える苗木と、「私たちは森に生かされているんだ」 と分かって植える苗木は、森に生かされている私た ちの心を入れると、その苗木は全く違ってくると 思います。10年後の苗木に会えるのが楽しみです。 素敵な1日をありがとうございました。高2 女性
私は初めての参加でした。どうして昨年、参加し なかったのだろうと後悔しました。到着した時の空 気が美味しいことは、植樹前に髙橋さんから教えて いただきました。それから、ミミズは人間にとって 必要なものだと教えていただきました。大嫌いなミ ミズでしたが、森はミミズ等の土壌分解動物がいて 成り立つものだと気づきました。植樹場所にミミズ がいましたが、いつもだったら逃げていたと思いま すが、“こんな小さいのにすごいな”と観察できま した。 植えている木の種類も元々生えていた木にこだわ るというのも納得でした。自然は元々あったものだ から人間が勝手に破壊していくのは間違いで、自然 と人間が共存していくことが大事なのだなと感じま した。学校の補習を休んで参加して本当に良かった と思いました。今の地球が悲鳴を上げていること、 自然は人間にとってなくてはならないものだという こと。だから、それを守らなくてはならないという ことも分かりました。普段生活していてなかなか体 験できなかったことなので緑の自然を五感で感じて、 とても癒やされました。 (感想文は短くしました) 7月16日、当委員会は、昨年に続き、樹徳高校生 (桐生市)の体験植樹研修をサポートした。体験者 は、高1と高2女学生各3名、そして連続参加の高3 男子1名の計7名と教諭6名。植樹前の森の話と植樹 という短時間の体験ボランティアだったが、全生徒 から感想文が届いた。 多くの若者は、“仮想社会に毒されて”五感が 鈍っているのではないか、と思っていたが、感想文 を読んで、感受性豊かな若者達にシニアスタッフは 大いに刺激を受け、森づくり活動の栄養源をいただ くことができた。その一部を紹介する。 (理事・髙橋佳夫)高校生の森と生きるメッセージ はシニアの栄養源
未来の暮らしを見つめてくれた樹徳高校の皆さん 心が弾んだ森と生きる話し 笑顔が素敵だった1年生 植え方にも耳を澄まして 足尾の負の歴史も忘れないように昨年11月のフォーラムで誓い合った「ストッ プ!地球温暖化 “いのち”を未来へつなげる森と 生きる暮らし宣言」を絵に描いた餅にしないために、 今年は、栃木、神奈川、千葉、南相馬市の4か所で 市民フォーラムを開催してきた。気候変動による異 常気象の猛威が各国民の暮らしを脅かし、日本では フクシマ原発の悲惨な事故が忘れられようとしてい る中で、司法と政府等は原発再稼推進と原発輸出を 進め、原発に頼らない暮らしが脅かされている昨今。 この社会の中で、“できることをやろう”、と森びと 県ファンクラブが地域でフォーラムを開催した。そ れを振り返ってみた。 (事務局・小林 敬)
暮らしを振り返るきっかけを
見い出せた?
栃木県と神奈川県の参加者60数名からは、アン ケートの中で意見が寄せられた。その一部を紹介 すると、原発に頼らない暮らしを求めていくため に「もう一度自分自身の環境を考え直してみたい」、 「いのちを守るためにはまず食べ物を変えたり、地 域のものを地域で食べたり、出来ることから実践す ること」だ、と身の回りの暮らし方を見直すきっか けをつくった。 また、他人任せ的な傾向が多い日本社会です が、知っているつもり、やっているつもり、という 「“つもり人び と”から(新しい暮らしを)“つくり人び と” へ!子供や孫のために!」と、大人たちはアクショ ンを創り出そう、と呼びかけてくれた。反面、一人 では「原発事故の事は話題にし難い。真正面から語 れる場がほしい。とても希望を感じました」と、市 民が語り合える場と支え合い、助け合いの共有が求 められた。 さらに、「福島の原発も辺野古新基地建設もTPP も根っこはすべて同じと思います。つまり、“命よ り金”ということです。命を大切にする、自然を大 切にする、精神的自由を大切にする、そんな社会を 実現するために頑張りましょう」と、今の自分から 一歩前に踏み出そう、と呼びかけてくれた。 その他、「政治色があってはならない」と、批判 もあったが、多くの方々が原発に頼らない暮らしを 求めていることが明らかになったフォーラムだった。参加者から
勇気とヤル気をいただいた
4県で市民フォーラムを作った“森とも”は初め の経験だった。フォーラム本番までの過程は、皆さ ん不安や心配を抱えながらのスタートだった。しか し、嘆いていてばかりでは原発に頼らない暮らしは つくれない、行動しながら不安を乗り越えていこう と、議論と懇親を深めてきた。その結果が、参加し た方々の声になった。また、新たに“森とも”の仲 間になった方もいた。 昨年11月のフォーラムで、作家の落合恵子さん は「市民運動は暮らしのなかの大切なひとつ」と述 べていた。環境問題はきわめて政治の問題ですが、 フォーラムで出合った方々と語り合える場を継続し、 原発に頼らない森と生きる暮らしを実現していきた い。 (フォーラム開催にあたって、東日本旅客鉄道労 働組合からご支援をいただきましたことに御礼申し 上げます。)語り合って一歩前に進んだ市民フォーラム
語り合って一歩前に進んだ市民フォーラム
㈱北洋舎クリーニング 代表取締役・髙橋美加子さん 一般社団法人エネルギーから 経済を考える経営者ネットワーク会議 代表理事・鈴木悌介さん 会津電力㈱代表取締役社長・ 佐藤彌右衛門さん 一般社団法人大磯エネシフト 理事長・岡部幸江さん 南相馬市長・桜井勝延さん ツギセン県西共同代表・ つなしまあさみさん 理事長・岸井成格 城南信用金庫相談役・ 吉原 毅さん 那須が原土地改良連合参事・星野恵美子さん ジャーナリスト・倉澤治雄さん 小田原市で開かれた市民フォーラム 宇都宮市のフォーラム会場語り合って、今よりも一歩前に 進む場になった市民フォーラム
−スピーチをしてくれた皆さん−
語り合って一歩前に進んだ市民フォーラム
原発に頼らない暮らしと
“新しいふるさと”創りを始めよう!
東日本大震災、原発事故から5年が過ぎました。 しかし、被災者の多くは家族がバラバラにされ、 先祖から受け継いだ土地で暮らすこともできず、 作物もつくることができません。遠いチェルノブ イリの原発事故被災者は、30年経っても30㌔圏内 で暮らすことができません。 福島第一原発の廃炉作業の展望は見えません。 溜まる一方のプルトニウムのことを考えると原発 の恐怖と不安が大きくなるばかりです。 私たちの暮らしには電力が欠かせません。未来 を生きる子供たちや若者たちの暮らしを考えると、 原発に代わる再生可能エネルギーの恵みを暮らし に取り入れることが賢明です。 いまこそ、未来を見据えて、豊かな自然の宝物 を子や孫に手渡していくために、 “新しいふるさ と” を創りだしていきましょう。 その出発点として、損得だけではなく、原子力 に頼らない電気事業者を選定する。二つ目は、気 候変動をもたらす二酸化炭素CO2を排出しない電 源を選び、地球温暖化にブレーキをかける。三つ 目は、必要な電力は地域の事業者を応援し、衣・ 食・住も地産地消をすすめ、地域の活性化を応援 していきましょう。 先人が育んできた福島の文化と自然の宝物に感 謝し、再び「生存が不安定」な時代を迎えないた めに、私たち大人がその進路を切り開いていきた いものです。 人の命と暮らしを奪わない、笑顔あふれる平和 な地球と、原発が必要でなくなる日が来ることを 願って、南相馬市の誇りある “新しいふるさと” を日本全土に、世界へ広げていきましょう。 自然の力と市民の力を信じて、市民の輪を広げ て、原発に頼らない暮らしを創りだしましょう。 以上、宣言する。 2016年4月16日 原発に頼らない暮らしを考えるフォーラムin 南相馬 生長は遅いが八幡平に森が育つ広大な松尾鉱山跡地で生き抜くふるさとの木々たち
こちら!みちのく事務所
管理している県と八幡 平市、強酸性水を中和 している社団法人ジョ グメック、多くの皆さ んからアドバイスや協 力を頂きました。 私 た ち よ り 先 に 植 樹 を 実 施 し て い る 団 体がありましたので、 2008年に松尾鉱山跡 地で植樹を実施している4団体(現在は5団体)で、 「松尾鉱山跡地、再生の森協議会」を結成しました。 情報交換など積み重ねて、少しでもこの地に森が育 つように交流を重ねています。 元山堆積場のミズナラは、植樹した9本中7本が 生長しています。樹高は、170㎝を超え、幹の径は 5㎝を越える木もありました。元山堆積場では2008 年5月31日から植樹活動を実施しています。かつ ては、何も無かった松尾鉱山跡地の元山堆積場で す。でも今では生長が遅いですが、小さな森が育っ ています。皆様方のご協力でここまで育ちました。 2018年の植樹祭では、厳寒地で生き抜く木々たち に皆様の情熱を吹きこんでください。木を植えないと何も生まれない
2006年9月24日に宮脇昭最高顧問から指導を頂 き、岩手県八幡平市松尾鉱山跡地に初めての試験植 樹を行ってから、早いもので10年が経ちました。 当時を振り返ると、強酸性の土地と言われている 難しい場所へ、さらに、私たちよりも早くこの地に 森づくりを始めている方々の失敗と苦労話を聞くと、 頭から不安が消えることがありませんでした。それ でも私たちは、初代所長の故・角岸幸三さんの「た とえ植えた木が枯れても無駄ではない。その枯れた 木は土に還り次の木々の生長を助ける。木を植えな いと何も生まれない」という言葉を胸に刻み、試験 植樹から始めました。 土を調べてみると、強酸性土壌というものでなく、 地下の坑道にたまり続けている強酸水を防ぐために 表土50cmを粘土で固めた、栄養分が極度に不足し た土壌であり、粘土の下には、鉱山跡の廃棄物や鉱 物が堆積していることが分かりました。 松尾鉱山跡地は広大です。植樹予定地は標高約 1,000mの笹原下のA堆積場、露天掘り跡のB堆積 場、元山堆積場の3箇所としました。その一部に、 50cm×50cm四方、深さ50cmのわずかな場所に、 腐葉土と黒土、炭を入れて、青森で育てた3年物の ミズナラ9本を植え試験植樹がスタートしました。10周年記念植樹祭で
“森とも”の情熱を木々に宿してください
植樹を本格的にスタートさせるにはいろいろな準 備が必要でした。約半年間は、地主の森林管理署、 ★南相馬市 日時:4月16日(土) 場所:南相馬市 主催:南相馬市鎮魂復興市民植樹祭応援隊と 森びとの実行委員会 名称:原発に頼らない暮らしを考える市民フォーラムin南相馬 内容:120名が集い、問題提起:「南相馬市の“新た なふるさと”を市民の力でつくろう」。その後は、 シンポジウムで、パネラーとして会津電力㈱代 表取締役社長・佐藤彌右衛門さん、㈱北洋舎ク リーニング代表取締役・高橋美加子さん、南 相馬市・桜井勝延市長、当会理事長・岸井成格 が登壇。進行は、森びと副理事長・高橋佳夫。 フォーラム宣言では、①損得だけで電気事業者 を選ぶのではなく、原発に頼らない事業者を選 ぶ②二酸化炭素を排出しない電源を選び、地球 温暖化にブレーキをかける③地域の電気事業者 を選ぶなどを、参加者全員で誓い合った。 ★栃木県 日時:5月29日(日) 場所:宇都宮市 主催:森びと栃木県ファンクラブ 名称:森づくりでエコな暮らし 〜原発に頼らない暮らしを考える市民フォーラム〜 内容:51名が集い、森びとから「森びと10年の歩み」の DVDを上映、その後、那須野ヶ原土地改良連合参事・ 星野恵美子さんより活動報告。その後は、当会副理事 長・高橋佳夫と星野さんとの「トーク&トーク」。 ★千葉県 日時:6月18日(日) 場所:千葉市 主催:暮らしを考える市民フォーラム実行委員会 名称:原発に頼らない暮らしを考える市民フォーラム 内容:40名が集い、元日本テレビ解説主幹で科学 ジャーナリスト・倉澤治雄氏より講演。 東日本大震災時に何が起きていたのか、実際 の映像を観て、改めてフクシマ原発事故を考え、 決して風化させてはならないことを誓い合った。 また、このようなフォーラム継続の声が多く出た。 ★神奈川県 日時:6月26日(土) 場所:小田原市 主催:エネルギーから経済を考える 経営者ネットワーク会議と森びとの共催 名称:原発に頼らない暮らしを考える 市民フォーラムin神奈川 内容:250名が集い、当会理事長・岸井成格より基調講 演。その後はパネルディスカッション。パネラー は、消費者の立場から「ツギセン♡@県西」共同 代表のつなしまあさみさん、事業者の立場から大 磯エネシフト理事長の岡部幸恵さん、森づくり の実践者として当会副理事長・高橋佳夫。進行は、 当会顧問・山崎誠が行い、会場参加型で討論した。 クロージングスピーチでは、城南信用金庫相談 役・吉原毅さんが、再生可能エネルギーへのシフ ト、原発依存からの脱却実現に向けたビジョンを 語ってくれた。 3mを超えたミズナラ 一生懸命に生きている木に 触れると笑顔になる 千葉市で開かれた市民フォーラム人と自然が寄り添う“新しいふる さと”を描ける只見町布沢集落
森と生きる暮らし
森と生きる暮らし
森と暮らす知恵と掟 布沢集落には村民が森と生きていく“掟”(ガマ ン)があった。 只見町役場を退職後、布沢地区に住む“刈屋晃吉 さん”に集落の文化などを伺うと、この集落一帯が 「ユネスコパーク」に登録された村人の森と暮らす 知恵と技がその源であることが分かった。 豊かな自然の恵みが今でも村人に与えているが、 そこには村人の“掟”があり、村人はその掟を守っ ていた。誰しもが豊かな自然の恵みを独り占めにし たくなるが、集落民の公平を期すために「山に入る 日」を設定し、それ以外は山に入らないことを集落 の“掟”としていた。例えば、「萱の山ノ口」、「杉 の山ノ口」、「クルミの山ノ口」などというのである。 屋根用の萱、焚き木や木材としての杉そして厳冬を 乗りきる食材のクルミ等を、山に入る「日」と採取 する「時間」を決めて、一斉に山に入るという。 また、年寄りたちは子供たちに必ず教えていた ことがある。それは、山に入って用便をする時は、 「小の場合は沢から5間離れる、大は沢から10間離 れて用をたす」、ということ。水(湧水)が無けれ ば生きていけないことを、その水を汚してはいけな い、ということを子供たちに躾けてきた。 勿論、畦道の草刈りや湧水の管理なども集落の協働 として行われ、支え合う、助け合う心を育んでいる。 自然(森)に対する畏敬の念の表れとして、集落 民が支え合って、助け合って生きていく、持続可能 な暮らしを守っていくこととして、“掟”がごく自 然な形で残り、受け継がれている。 「只見ユネスコエコパーク」に登録されたが・・ ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の提唱す る「人と自然との共生する自然的なモデル地域」と して、只見町布沢周辺は、2014年に「只見ユネス コエコパーク」に登録された。集落民(日本人)の 森と暮らす文化がユネスコパークに登録された、と 言ってよいと思う。 ところが、集落は毎年、人口減少数と高齢化率が 高くなっている。それは、休耕地と空き家が増える ことであり、棚田と森と集落の美しい景観も失われ るということである。2011年夏の豪雨による只見 線被害は甚大であり、5年過ぎた今でも全線開通の 私は月に数日、福島県只見町布沢集落を訪れてい る。目的は、現職から支援している只見線全線開通 を実現するためだ。それには集落の活性化が欠かせ ないので、布沢の景観と棚田を守ろうとしている。 その作業で布沢に入っている。 只見町は、福島県の南西に位置し、隣の新潟県 との県境で豪雪地帯、人口4,500人の町。その東に “布沢”集落がある。ピークの昭和30年には、94世 帯500人超が暮らしてきたが、現在では51世帯123 人と人口減少が続き、65歳以上の人も52.8%と高 齢化率が年々高まっている。まさに、布沢集落は日 本の少子高齢化社会の縮図とも言え、年々過疎化が 進み集落の維持が困難な状況に直面している。 自然の素晴らしさ 集落には、春から秋にかけて山菜とキノコそして 木の実、沢には川魚、米生産に欠かせない豊富な湧 水、村人の心を癒す新緑と紅葉、昆虫の舞や鳥たち 囀り等々、自然の恵みが豊かだ。 冬は豪雪になるが、集落民の暖は豊かな森から得 られる薪や炭がとれることで賄える。人工林もあ るが、何といっても250年から300年も生きている ブナの原生林が集落民の暮らしを支えている。特 に、布沢集落の奥山にある「恵みの森」は、集落の 中心を流れる布沢川の支流、ブナの森に囲まれ一枚 岩の川底が続く大滝沢を長靴で歩くことができる。 「癒しの森」や「恵みの森」が人気のコース。年間、 8,000人も訪れている。 回復させている棚田と分校の宿舎 ハッチョウトンボ キイトトンボ 集落の想い出を灯篭で演出してみた村民編集長のページ
地球からの警告は“暮らしの見直し”ではないか
台風9号は本州に上陸せずに23年ぶりに北海道に 上陸した。と思ったら、台風10号が沖縄方面からU ターンして、東北から北海道に上陸した。この台風 は岩手県、北海道に大雨を降らせ、川の氾濫・土砂 流出などを起こして、犠牲者と被害を残していった。 謹んでご冥福をお祈りし、心よりお見舞い申し上げ ます。 昨年9月、鬼怒川の上流に600㍉以上の大雨が降っ て、鬼怒川下流の堤防が決壊して大災害が起きた。 今年も、日本各地では集中的局地的な豪雨が降って いる。洪水や氾濫の備え、対策はしっかりやるべきだ。 同時に、「記録的な豪雨」、「史上初めての経験」、「歴 史的な豪雨」の要因にも着目し、その対策も必要だ。 「首都圏外郭放水路」の排水システムがあるから大丈 夫だ、と人間の技術で自然の脅威を支配できるなど と安心していると、しっぺ返しに遭う。5年前の東日 本大震災とフクシマ原発事故の教訓を暮らしに活か さなければ、多くの犠牲者に申し訳ない。異常気象の主要因は海水温度の上昇?
世界に目を向けると、お隣の中国では7月、史上 3番目の大洪水が起きた。気象庁によると、この時 季、偏西風が南に蛇行し、中国上空5,700m付近の 寒気が南下しやすくなり、インド洋熱帯域で温めら れた大気とぶつかりあったらしい。エルニーニョ現 象で海水温の上昇が継続したことも考えられるらし いが、要するに、海水が温められていることが主要 因らしい。 その他にも海水温の変動が要因となって各国で 異常気象が大災害をまき起こしている。7月、ロシ アでは夏に雪が降り、インドでは気温が50度にな り死者がでた。6月、アメリカは熱波に襲われ、気 温が50度に上がった。干ばつや洪水も起きている。 同月、南極では観測史上最低の−80度となり、ブ ラジルでは凍死者がでるほどの寒さとなった。身近な変化を考えて、暮らしに工夫を
海水温度の変化は暮らしに直結する。2013年か ら釧路港ではサンマよりもイワシの水揚げが増えた。 暖かい海水を好むとされるマンボウ、ブリも姿を見 せている。目黒の「さんま祭り」のサンマも宮城産 から岩手県産となった。宮城沖の海水温度の下がり が遅いので、水揚げが少ないと言う。サンマは冷た い海水を好むらしい。今年、北海道近海の海水温は 平均で7℃以上も高かったという。 9月になっても海水温度が下がらない太平洋。こ の海水温度の上昇が台風の行方と豪雨を引き起こし ているらしい。 ところで、風呂の温度を調整する時は上下の湯を かき回せる。湯船に溜まった夏の湯は翌日になって も生温い。これを地球規模で考えてみると、地球の 70%を占める海水の温度を調整するには、相当な 時間とエネルギーがかかることが分かる。海洋と森に生かされている私たちの責務?
海洋は冷たい海水と塩分の濃い海水が海中を1千 年位の時間をかけて動きまわり、温度調整をしてい るらしい。冷たく重い海水は海中に沈みこんだり、 上昇したりする。これが駆動となって、さらに海風 などの力を伴って、冷たく重い海水が混ざり合って いる、この循環が変動しているのではと言われてい る。北極や南極での氷の溶解も影響している。冷た く重い海水は動植物のプランクトンも運んでいるの で、当然、食物連鎖にも影響する。 私たちの暮らしを考える際、海洋の存在と森の存 在を無視することはできない。何故なら、海洋と森 は地球温暖化をやわらげる役割を担っているからだ。 人間活動によって排出された二酸化炭素の約3割を 海洋が吸収し、大気中のCO2濃度上昇を抑えている という。反面、海洋と森は人間が排出しているCO2 の44%を吸収できなくなっている。 このような問題は行政や政治の問題だ、総論賛成 だが各論は他人任せ、となってしまう傾向になりが ちな私たち。でも私たちは生物社会の一員にすぎな い。この冷厳な事実と具体的実践的に向きあう時だ。 (理事・髙橋佳夫)自然の脅威に向き合う覚悟はできていますか
一枚岩の沢に育つブナの森 2011年に壊された只見線の橋梁 川原ではキセキレイが子に餌をあげている 見通しが不透明だ。 どんなにこころ休まる地であっても、日本人の文 化を学べる地であっても、このままではその文化は 失われてしまう気がする。 前出の刈屋さんはこの集落の未来を嘆き、集落民 の森と生きる文化を後世に残すために、布沢集落再 生計画案を描いていた。その手助けにと布沢集落の 活性化に向けて、東日本旅客鉄道労働組合(JREU) の東京地方の皆さんが、集落民と共に、棚田の復元 と集落の景観を失わないようにと、エゴマと米を 作っている。 夏には、灯篭を道端に並べ、集落の自然の素晴らし さ、有難さを感じ取ってみた集落の皆さん。星の輝 きやホタルが乱舞する田んぼの夜景の心やすらぐふ るさとの再発見である。 “新しいふるさと” づくりを描いてみたい この豊かな自然環境と集落の文化は私たちの宝だ と思う。少子高齢化社会の縮図ともいえる只見・布 沢集落ですが、「自然環境と人間の命を大切にする 心を育む」には絶好の場所である。求められている のは、どこにでもある“都会の物まねごと”ではな く、“原発に頼らない森と生きる暮らし”を考える 集落として、自然の恵みが持続可能な暮らしを考え る集落としての、“新しいふるさと”として応援し たいと思っている。来年春には、ブナの原生林へつ づく森の道づくりを応援したいと思っている。 (理事・大野昭彦)森と生きる暮らし
命を育む森のダムの底力に感謝しました
宮脇昭氏指導の下で33年前に植栽した国有 林を観察する機会がありました。 今、私たちが経験している気候変動による異常 気象が世界を駆け巡っている現代。昨年9月の 鬼怒川堤防の決壊は記憶に新しい。上流である この地には想像できない大量の雨が降ったと言 われています。森に入ってみると土留めを施し た場所はほぼ無傷であり、土砂の流出はなかっ た現実を目の当たりにしました。 人間が壊した自然は何年経っても樹勢の復元 回復は気の遠くなる時間と労力がかかります。 その前提は土砂流出を防ぐ土留め柵などの設置、 そして植栽、下草刈りが欠かせません。足尾・ 臼沢の森は栃木県が土砂流出防備林に指定し、 土留めを行った場所です。 足尾で森を育てている私は、森という自然の ダムは土砂崩壊などを防ぐ秘めた保水能力を持 ち、その大切さ偉大さ重要さ、底力らに改めて 感心しました。森は地球の生命維持装置なのだ、 森がなければ人間が生きていけないということ は、地球上の生き物の生命維持装置でもありま す。今でも人間は森を壊し続けているが、その 愚かな行為に気が付いた人が、未来を生きてい くために欠かせない自然環境の保全に挑戦する しかないと思います。森づくりには、土留めの 重要さ、森という自然のダムの底力を改めて知 る一日になりました。関係者の皆様、ありがと うございました。 (スタッフ・松村宗雄) にも自信を持てた調査であった。 林野庁関東森林管理局並びに塩那森林管理署、大 田原土木事務所職員の皆さん、そして国際生態学セ ンター研究員・矢ケ崎朋樹(農学博士)さんのご協 力に感謝申し上げます。 (東京事務所・清水 卓)ふるさとの森は大雨時でも土砂流出を抑えていた
植栽から33年経過した森には、樹高がそれぞれ ミズナラ18m、アベマキ15m、ケヤキ16mと生長 し、その下にエゴノキ、イロハモミジ、ナツツバキ と高木・亜高木・低木、そして林床にはエンコカエ デ、エゴノキの実生が生えていた。植栽された樹種 以外のウリハダカエデが16mにも成長し、これら の木々は土砂流出を抑えていた。この地の調査は、 栃木県が植栽10年後に行い、その後は毎年観察が 行われ、植生回復委員会からは「育成は良好、天然 の植生回復が進んでいる」と評価を受けている。 調査しながら、現に取組んでいる足尾の森にも思 いをめぐらせた。足尾・臼沢の森は植樹から11年、 1年目に植えたミズナラは10mほどに成長している。 20年後はいのちを育む森に育つかと不安であった が、全国の“森とも”が育てている臼沢の森の生長森の機能が発揮されている
「塩那道路」の植生調査
「塩那道路」の植生調査
33年前に植栽したふるさとの木による命の森に入る
8月8日(月)、栃木県塩原市・塩那道路法の り め ん面の植 生調査を行った。この場所は1962年(昭和37年)、 日光⇔鬼怒川⇔那須塩原の円周観光道路として開発 されたが、オイルショックによる県の財政悪化、環 境問題等から、1982年(昭和57年)、中間部分の 36kmを凍結、工事が中止となったところである。 その後、山腹から出る流水の浸食作用によって道路 が崩壊し始めた。 栃木県から依頼された宮脇昭横浜国大名誉教授 (当委員会名誉顧問)の皆さんは、現地の植生調査、 植生学を基礎とした法面施工等を栃木県に提案、県 は、土木工学的な保護工を用いて土壌環境を安定さ せ、森林を構成する苗木を植栽した。 私たちが調査した十日沢2号は1983年(昭和58 年)に植栽が行われ、標高が海抜800m〜900m、 潜在自然植生は「クリ-コナラ群集」と「ブナ-イヌ ブナ群集」が移行する領域。ここに、エゴノキ、ク ヌギ、アベマキ、イロハモミジ、ナツツバキ、アカ シデ等の樹種がポット苗で植栽され、その後、コナ ラ、ミズナラが追加補植された。足尾・臼沢の森、20年後の姿を描いて
調査の目的は、宮脇昭方式による落葉広葉樹の森 づくりの全体像を把握すること。1983年(昭和58 年)に植栽した沿道土砂崩壊地での木々の生長を測 定し、植栽を始めた33年前と比較することである。 具体的には、昨年(2015年)9月の大雨では近くの 森が土砂崩壊をしたが、この地は土砂崩壊を防ぐこ とが出来たのか確かめることであった。 調査は、10時頃からスタートし、道路から10m ほど下った地点の10m×9mの90㎡のエリア内の植 生調査を行った。矢ケ崎朋樹研究員の指導の下、宮 原事務局員が樹木一本一本にナンバーを付け、松村 スタッフは幹回り、鎌田スタッフは樹高を測定し、 橋倉スタッフが記録を行ってくれた。調査の途中、 低気圧の影響を受け雨が降り出し、びしょ濡れにな りながらも、エリア内すべての樹木の調査ができた。 午後は、十日沢1号の調査予定であったが、悪天候 のため中止。私たちは場所を移動し、昼食後、調査 した内容のまとめを行った。(調査結果は整理中)栃木県・「塩那道路」法
の り め ん面の木々
小雨の中での木々の測量 大田原土木事務所の皆さんから説明を聞く “木は根 根は土”・土砂流出防止工法に支えられて育つ木々も隣近所が居ないという状況では、コミュニティー の形成も難しくなります。小学校も4校を1校に集 約せざるを得ません。 小高区の保育園を再開するに当ってアンケートを 採ったところ、預ける子どもはゼロでした。小高区は、 日本の少子高齢化社会の縮図でもあるといえます。 課題は山ほどありますが、知恵と力を合わせてたと え時間が掛かっても解決していくしかありません。そ れでもここに住む人が少しでも幸福を感じることので きる新しい南相馬市を、市民と行政が一緒になって築 き上げることが再興に繋がるものと信じます。 全国の皆さんには、これからも暖かく見守って頂き、 機会があれば様々な形でご支援頂ければ幸いです。 10月23日(日)には、「第4回鎮魂復興市民植樹 祭」が開催されます。是非ともご参加いただき、自 分の目で小高区と南相馬市の復興の様子を御覧くだ さい。 鎮魂復興市民植樹祭応援隊事務局・小川 尚一 (南相馬市議会議員)
小高区の復興が南相馬市の復興
こちら南相馬市
これまで全国の多くの皆様にご支援を頂き5年の 歳月が過ぎて、ここまで復旧と復興が進みましたこ とに、改めて感謝と御礼を申し上げます。東日本大 震災と原子力災害によって、当時71,000人の人口 が、一時は9,000人とになり、漸く6万人にまで戻 りました。しかし、高齢化率は震災時に24%だっ たものが34%となり、平成36年には40%が見込ま れています。子供の数も40%が70%にまで回復し ていますが、何れにしても100%を見込むのは難し い状況にあります。一方で、9,000人の除染や廃炉 に向けた作業員が住む宿舎も、市内に50 ヶ所以上 あるのも現実です。 先の7月12日には、小高区と原町区の一部を含 む20㎞圏内が避難区域解除されました。解除にあ たっては、「戻って大丈夫なのか」「除染は完了した のか」「病院は、学校は、商店街は開いているのか」 との意見が市民説明会で飛び交いました。しかし高 齢者を中心にこれ以上待てない、早く戻りたいとの 声があったのも事実です。そして市長の「解除」決 断は、私も同じですが、解除が遅れればそれだけ復 興が遅くなるという思いからです。 原町区も震災後6 ヶ月で、緊急時避難準備区域が 解除となり、5年掛けてここまでになったことを考 えれば、まず解除して戻れる人は戻って、更に支援 の方が入られて復興していくことが望ましいと思い ます。少なくとも自由な経済活動や市民活動ができ る環境になったことで、自立した生活が始まります。 残念ながら農業には厳しいものがありますし、元の 人口(小高区約12,000人)の3割程度では、戻って 森の防潮堤を守り育てる応援隊の皆さん 2016年第3回植樹祭をサポートした応援隊と仲間たち 10年間、12Fから見下ろしてきた美しい浜離宮恩賜庭園 見慣れたホテルのレストラン お世話になった 菊地支配人 (左) と萩原さん私のライフワークを育ててくれたホテルにお別れ
~「シーサイドホテル芝弥生」従業員の皆様、10年間、お世話になりました ~
投稿・ライフワークの生みの宿
貴重な講演やコメントをいただきました。私にとっ て、この時間が、ライフワークを確固たるものにで きたところです。 志を同じくする“森とも”が地酒の自慢、新しい “森とも”が誕生した話し、そして懇談会では各地 の抱負を語りあって、ふるさとの木による森を育て よう、と誓い合ってきました。10年間もの「森び らき」を受け入れてくれたホテルの従業員の皆さん、 改めて感謝申し上げます。閉館前にお世話になった 菊地支配人と萩原さんをお招きしてこころばかりの 「感謝のつどい」を開かせていただきました。その 日は、特別に屋上にのぼらせていただき、そこから の夜景と星空がとても印象的でした。 私は、身体が動く限りは“山と心に木を植える” ライフワークを続けたいと思っています。ホテルの 皆さんに支えられてきたように、今度は、少しでも “森とも”を支えながら、先輩方の姿に追いついて いきたいと思っています。時間をつくって足尾の森 を見に来てください。 (スタッフ・仁平範義) 私は7年前から足尾の森づくりを手伝っています。 現在では、他のスタッフと共に、年間120日ほど、 足尾松木沢で森作業をしています。このようなライ フワークのきっかけをつくってくれた場所が、東京 都港区にある「シーサイドホテル芝弥生」です。 2009年の1月、NPO設立以来続けてきた森びと プロジェクト委員会の「森びらき」で、木村秋則さ んから講演を聴いて、自然と向き合い、自然の力で 奇跡のリンゴを育てた木村さんの生き方に感銘を受 け、正会員になりました。この気持にさせてくれた 会場が「シーサイドホテル芝弥生」でした。そして、 木村さんの講演を盛り上げてくれたのが、ホテルの スタッフ達と森ともの皆さんでした。 その後、岸井理事長、青木淳一元顧問、その奥様 達との昼食会や花見、そしてその後の「森びらき」 や通常総会などで会場として使わせていただくとと もに、私たち森びとの絆を太く、強めてくれた場で もありました。その都度、支配人や従業員の皆さん には、大変お世話になりました。このホテルが7月 31日付で閉館となりました。 毎年1月に開催される「森びらき」は、森びとプ ロジェクト委員会会員たちが新年の抱負を語る場で した。全国各地から集った“森とも”たちは地元の 美味しい日本酒やワイン、また、房総の早春の香り がする花を持ち込みましたが、それを快く受け入れ てくれた従業員の皆さん。雰囲気が盛り上がった所 で、毎年、森と生きていく考えや心構えなどを学ぶ森びと通信 Vol.21(2016年9月23日) 発 行 NPO 法人 森びとプロジェクト委員会 発行人 岸 井 成 格 編集人 髙 橋 佳 夫 〒 114-0013 東京都北区東田端 1-12-24 二美ビル 201 号室 TEL&FAX 03-5692-4900 E-mail [email protected] http://www.moribito.info/ (みちのく事務所)〒 020-0045 岩手県盛岡市盛岡駅西通 2-16-31
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