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坂口安吾「狂人遺書」論

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 はじめに   「 狂 人 遺 書 」 は『 中 央 公 論 』 の 一 九 五 五( 昭 和 三 〇 ) 年 一 月 号 に 掲 載 さ れ、 そ の 後、 遺 作 集『 狂 人 遺 書 』( 中 央 公 論 社、 一 九 五 五 年 三月)に初めて収録された。安吾の作品群の中でも歴史小説に分類 される作品であり、豊臣秀吉を語り手とした一人称小説である。   そ の 安 吾 の 歴 史 小 説 に 対 し て 檀 一 雄 は「 解 説 」( 『 坂 口 安 吾 選 集 』 第六巻   創元社、一九五六年七月)で次のように述べる。 安吾は歴史を叙述しようなどと思っていやしない。単刀直入、 信長、秀吉、家康の内フトコロに飛び入って、己をたしかめ、 己にうなずくだけのことである。   だから、安吾の歴史小説は、例外なしに、精神の形成と、拡 大の物語だ。   同 時 代 評 (1) も 影 響 し て い る だ ろ う が、 『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 別 冊   坂 口 安 吾 事 典〔 作 品 編 〕』 ( 至 文 堂、 二 〇 〇 一 年 九 月 ) の「 狂 人 遺 書 」 の項では壇と理解を同じくする解説がされている。 昭和三十年二月十七日の突然の死から逆算すると、 「狂人遺書」 は、事実上の安吾自身の遺書と言える。自身を「狂人」と自覚 する秀吉、泣いてばかりいる秀吉。そこに、最晩年の安吾の姿 がなに ほ どか投影されていよう 。 (2)   以上のような見方と同じく、 「狂人遺書」に関する先行研究には、 安吾と秀吉を重ね合わせ考えるものが多い。その中では、秀吉晩年 に生まれた秀頼を安吾の晩年に生まれた一人息子に重ねた り (3) 、朝鮮 征伐と太平洋戦争を重ね合わせそこに安吾の太平洋戦争への解釈が 描かれていると考えられたりしてい る (4) 。また、このような先行研究 以 外 に は 語 り の 問 題 に も 着 目 が さ れ て い る。 『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 別 冊   坂口安吾事典〔事項編〕 』(至文堂、二〇〇一年九月)の「狂人 遺書」の項で高和政は「書く現在における秀吉の自己分析のありよ うも含めて、 「書く―書かれる」の関係性に敏感になる必要がある」 と 述 べ て い る。 ま た 原 卓 史 は『 別 冊 文 藝   坂 口 安 吾 』( 河 出 書 房 新 社、二〇一三年九月)において「一人称による〈狂気〉の創造が見 事。 」と述べている。   本論では、安吾と秀吉を重ねることは基本的にはせず、高和政や 原卓史が指摘する語りの問題を出発点とし、本作における語り手で

坂口安吾「狂人遺書」論

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ある「オレ」=秀吉がどのように語られ、その結果としてどのよう な造形がされているかを改めて考察していきたい。さらに、本作冒 頭で語り手である「オレ」は次のように語る。 オレにはオレのことが何より分らなくなってしまった。だがた だ一ツ、何よりも分りすぎて苦しんでいることがある。この一 ツ の た め に 疲 れ き っ て し ま っ た の か も 知 れ ぬ。 ( …) そ こ で そ れを書きのこしてオレがミセシメになる日の恥をいまわの恃み にしたいと思う気持になった。   遺書を書く動機、目的が「ただ一ツ、何よりも分りすぎて苦しん でいること」を曝すためであるということが引用部から読み取れる。 そこで、 「オレ」=秀吉がどのような造形がされているかを踏まえ、 この冒頭で秀吉自身が語る「一ツ、何よりも分かりすぎて苦しんで いること」が何であるかをも明らかにしたい。そして、最終的には 本作のタイトルが「狂人遺書」とつけられたのはなぜかを考えたい。   ャラクター設定   典拠とその比較に関して表立って論じることはしないが、以下、 安 吾 に よ る 言 及 (5) も あ る 徳 富 猪 一 郎『 近 世 日 本 国 民 史 』 や 山 路 愛 山 『豊太閤』なども参照しながら論を進めていきた い (6) 。   では、本作における秀吉がどのように語られているかを、本文を 引用しながらまとめていく。   水 を 得 た 魚 と い う 言 葉 が あ る。 オ レ が 信 長 公 に 仕 え て 後 は ずッとそういう感じで進退に不自由を覚えることがなかったも のだ。だが近年はまるで水のない魚だ。   こ の 引 用 か ら 秀 吉 に は「 水 を 得 た 魚 」 = 全 盛 期 と「 水 の な い 魚 」 =衰退期があるということがわかる。衰退が始まるのがいつからか ということは様々な見解があろうが、少なくとも秀吉の内面に変化 が訪れるのは鶴松の死後、有馬温泉での療養であ る (7) 。   では全盛期から衰退期へ、秀吉のキャラクターはどのように変化 し て い く の か。 ま ず は 全 盛 期、 「 水 を 得 た 魚 」 状 態 の 秀 吉 に つ い て 考えていきたい。少し長いが、次に引用をする。 オレは堺の街の繁栄をオレの領地、日本全体のものにしたいと 思った。日本全土を平定の後はそれがオレの仕事で、さすがは 秀吉よ太閤よ天下者よとうたいはやされたいと思った。 オ レ は 唐 が 話 の ほ か の 大 国 で あ る こ と を 知 っ て い た。 ( …) そ の歴史をオレだけがくつがえしてみることができれば小気味よ いに相違ないが、オレはそのような無理が通らぬことは百も承 知であった。 オレの気持が次第に海外へ出兵しなければならない非常の場合 を想定しがちになっていたからで、オレの名にかけて過去の歴 史をくつがえしたい、対等の貿易へ持ってゆきたい、オレなら ば、そしてオレの武力ならばそれができる、というようにオレ の夢想が発展していたからであったに相違ない。しかし夢想が 発展すれば、それに対する反発が不安となって生じるのは当然

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 で、まして夢想に根拠がなければ尚更のこと、オレはオレのこ の夢想を実は敵のように怖れていた。   以 上 の よ う に、 「 水 を 得 た 魚 」 状 態 の 秀 吉 は「 う た い は や さ れ た い 」、 「 過 去 の 歴 史 を く つ が え し た い、 対 等 の 貿 易 へ 持 っ て ゆ き た い」という願望を口にする。しかし、このような願望を持つ反面、 「 そ の よ う な 無 理 が 通 ら ぬ 」 こ と を も 自 覚 し て お り、 自 分 が 口 に 出 したことが現実味を帯びてくると不安を感じる。人前では大きなこ とを言い、理想も夢も大きく持つ。しかし、現実が正確に見えてし まっているために不安を感じる。そんな秀吉の二面性がここからう かがえよう。   では、現実が正確に把握できているのならばなぜ無理な願望を口 にするのか。あるいは嘘だったはずのそれらになぜ現実味が出てき てしまうのか。それは偏に、その時の秀吉の状態が原因だと考えら れる。 こうして大明征伐を酔余の大言壮語としているうちに、事の次 第によっては海外へ兵をうごかしてもようではないかというよ うな気持が日に日に安易に形づくられてしまっていた。   オレはその晩、群臣を前にこの上もなくよい気持に酒に酔っ た。あげくに、 「 次 の 征 伐 は 大 明 国 と き ま っ た ぞ。 一 同 そ の 用 意 を い た し て お け。 路 銀 の な い も の に は オ レ が 用 立 て て や る。 そ れ 持 っ て 行 け」   と景気よく三百枚の黄金を バ ラまいたりした。 (…)まさか、 それ〔海外征伐―引用者註〕が事実になろうとはオレが信じて いなかったはずだ。 酒宴がはじまると、もうダメだ。例の気分がニョロニョロと大 鎌首をもたげる始末になって、 (…)   このように秀吉が現実には実現することのない「大言壮語」を言 う場面には、 ほ ぼ〝酔〟という現象が関わってくる。また大明征伐 や対等の貿易に関して、実現が不可能だと思っているそれらを「ウ ヌ ボ レ と 空 想 」 だ と 断 ず る 場 面 が あ る が (8) 、「 ウ ヌ ボ レ 」 は〝 自 惚 れ〟すなわち自分自身に惚れる行為だ。これもまた自分自身に酔う という〝酔〟の形であろう。そして「ウヌ ボ レ」ているからこそ大 明征服という「大言壮語」を言い放つ。つまり〝酔〟が秀吉の「大 言壮語」の引き金になっているのだ。   そ し て、 〝 酔 〟 は「 大 言 壮 語 」 の 引 き 金 に な る だ け で は な い。 秀 吉の中での「大言壮語」と現実の境界を曖昧にしてしまう役割をも 担っていると考えられる。秀吉にとって大明征服や朝鮮征伐は到底 叶うことのない「大言壮語」であり、空想であり、現実味など一切 ないものであった。しかし、それを「大言壮語」として口にしてい く内に、徐々にそれらが現実味を帯びてくる。先に引用した「オレ の気持が次第に海外へ出兵しなければならない非常の場合を想定し がちになっていた」という語りがそれを物語っていよう。   では、なぜ「非常の場合を想定しがち」になるのか。それは、秀

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吉が他者からどう見られるかということを異様に気にする性格が災 いしていよう。例えば、無理とわかっていながら小西に対し「日本 が明の属国とあってはオレの顔もたつまいの」と問いかけるが、実 現 性 は 棚 に 上 げ、 「 オ レ の 顔 」 = 他 者 か ら の 自 身 の 評 価 を 気 に し て いることがここからはうかがえる。 むろん小西が群臣の前ではオレの顔を立ててくれることを承知 の上でのオレの言葉であったが、だまされたのは群臣ではなく てむしろオレ自身であったかも知れない。オレはオレ自身がつ くりだしたニセの現実にだまされて実は誰よりも酔っていた。   ここからは、群臣=他者の前では良い恰好を見せ、格好の悪いと ころを一切見せたくはないという秀吉の人物像がうかがえる。そし て、このような他者の目に晒される自己を現実にしようとする秀吉 の性格こそが、秀吉をして「非常の場合を想定しがち」にさせてい るのだろう。そして、この時に起こっているのはやはり〝酔〟の現 象だ。他者を騙すために口から放たれた「大言壮語」=「ニセの現 実」を自身の性格ゆえに撤回したくとも出来ず、口に出し続ける内 に、自身が構築した「ニセの現実」に自分で〝酔〟ってしまう。こ のようにして〝酔〟は秀吉の空想と現実の境界を急速に曖昧にして いく。   しかし〝酔〟は有馬温泉での療養を最後にぱったりと姿を消す。 一子鶴松の死後、秀吉は有馬温泉に療養に向かう。そこで酒に酔い、 「 す べ て の 音 が 人 語 に き こ え 」 た り、 空 耳 で あ る こ と を 知 っ て い な がら「日本中の人々がそれと同じことを云っているに相違ない」と 確信したりする。現実と空想の類との区別を〝酔〟が曖昧にしてい る。だが、これ以後

つまり「水のない魚」状態の秀吉が酔う場 面は登場しない。これは有馬温泉療養後、秀吉の現実と空想が一致 し て し ま っ た こ と が 原 因 で は な い だ ろ う か。 つ ま り「 ニ セ の 現 実 」 であったはずの朝鮮征伐が現実へと変貌してしまったことにより、 「 ニ セ の 現 実 」 に だ ま さ れ 続 け て い る = 酔 い 続 け て い る 状 態 が 秀 吉 の内部で継続していると考えられよう。   以上で秀吉のキャラクターについて述べてきたが、はたしてそれ は安吾独自のものなのだろうか。ここで一度典拠について簡単に触 れておきたい。   例 え ば『 近 世 日 本 国 民 史 』 で は 秀 吉 に つ い て、 「 彼 が 成 功 の 惰 力 は、 彼 を し て な ん と な く 浮 き 足 た ら し め た 」 や、 「 八 箇 年 に 日 本 を 統一し、天下の事は、何を為しても、殆んど意の如くならざるはな きを見て、当人自から頗る乗気」 、「成功中毒者になった」などと述 べられている。このように、同書における朝鮮征伐前後の秀吉は本 作の秀吉同様に自身の成功と栄光に酔っている、という描かれ方が されている。しかし、同書では、本作の秀吉のように成功と栄光に 酔いつつも、その成功と栄光がもたらす輝きの裏に不安を感じ、同 時に現実の有様をしっかりと見つめている様は描かれない。また、 本作後半の「水のない魚」状態の秀吉が、自身の朝鮮征伐に関わる 事柄を「見栄と虚勢」で総括するが、その総括も同書では描かれて はいない。   『 近 世 日 本 国 民 史 』 で は 浮 足 た ち 放 慢 (9) だ っ た 秀 吉 が、 本 作 で は 浮

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 足たち放慢でもあるが、その向こうに現実という暗い影を常に見続 けている。だが他者の目を気にする余り、その現実が現実ではない ことを認めることが出来ずに〝酔〟っぱらい、最後には見栄や虚勢 を張るにいたる。そんなキャラクターとして秀吉は描かれている。   要 す る に、 「 水 を 得 た 魚 」 = 全 盛 期 の 秀 吉 は『 近 世 日 本 国 民 史 』 か ら 得 た で あ ろ う「 成 功 中 毒 者 」 と い う 側 面 を、 〝 酔 〟 に よ り「 大 言壮語」 、空想、 「ニセの現実」を口にさせることで表現している。 しかしその一方で、それらが現実にならないことを自覚させ続ける という設定を加えることで、同書の示す秀吉像とは差異のある秀吉 を描いている。このようにある程度の区別のついていた全盛期に対 し、 「 水 の な い 魚 」 = 衰 退 期 の 秀 吉 は 常 に 自 分 の 構 築 し た「 ニ セ の 現 実 」 に〝 酔 〟 っ ぱ ら い 続 け、 自 身 の 空 想 に 現 実 を 浸 食 さ れ て し まっている、そんな人物として描かれる。   このように考えていくと、本作の秀吉は現実と空想の全く相容れ ないはずのものを同時に内包していることになろう。そして本作の 秀吉の場合、現実と空想以外にも対立する二つのものを抱え込んで いることが本文からうかがえる。   二項対立   〝 二 項 対 立 〟

存 在 す る 二 つ の 概 念 が、 矛 盾 あ る い は 対 立 の 関 係にあること。現実と空想はまさにこの関係にあろう。そして一人 称小説である本作の語り手であろう秀吉は、他の登場人物に対して も相対する認識を同時に有していることが読み取れる。   例えば小西行長。秀吉は彼に対して次のような認識を有している。   小西は律儀で着実な男であるが、神信心の一ツもしようとい う心ガケの男だけに、主に対して従順すぎるところがあった。 忠実にすぎるところがあった。   この結果、小西ははじめから対等な貿易など不可能と知りながら、 有利な名目で貿易ができるよう努力すると無理な約束を結んでしま う。知らないならまだしも、知っているのならば頼りにするにはい ささか問題のある部下である。それは秀吉とて重々承知していたで あろう。 しかし夢想が発展すれば、それに対する反発が不安となって生 じるのは当然で、まして夢想に根拠がなければ尚更のこと、オ レはオレのこの夢想を実は敵のように怖れていた。とにかく小 西がよろしきようにしてくれるだろうと、それをタノミにして いたのだ。   秀 吉 は 自 身 の 夢 想 =「 ニ セ の 現 実 」、 空 想 を 怖 れ る が、 小 西 が そ れをどうにかしてくれるだろうと「タノミ」にする。しかし、自身 に忠実過ぎるところがある部下が、本当に秀吉の空想を止めること ができるのだろうか。むしろこの役割は石田三成に期待すべき役割 ではないか。まして、小西の性格を秀吉が把握しているのならば。 秀吉は小西に対して一方ではタノミにしながら、一方ではタノミに ならないと感じるという、相対する認識を有していることがうかが える。   また、江戸大納言に対しても同様に相対する認識を秀吉は抱いて

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いる。 あの男は不思議な人だ。離れておれば敵であるが、会えばこの 人 ほ ど友と思われる人はない。律儀である。忠実である。その たのもしさがヒシヒシと感じれる人だ。   秀 吉 は、 江 戸 大 納 言 と 離 れ て い る 時 は「 ひ ど い 目 に あ わ せ て や る」 、敵だ、と言い、江戸大納言と会った時には律儀で忠実で、 「末 代までの盟友にすべきだ」と言う。江戸大納言に対する正反対の認 識

敵である江戸大納言と友である江戸大納言

を秀吉は同時 に有してしまっている。   あるいは、認識というにはズレが生じるかもしれないが、秀次に ついても言及をしておきたい。秀吉にとって秀次は秀頼が生まれる 前も後も「好きな方ではな」い人物であり、秀頼の誕生後はその思 い が さ ら に 加 速 す る。 ま た、 「 石 」 や「 風 」 と い う 形 で 秀 吉 の 心 中 をかき乱す ほ どの人物でもあった。しかし秀吉が徹頭徹尾、秀次を 嫌っているかといえばそうではない。 「殺してやるぞ。八ツ裂きにしてやるぞ!」   と叫ぶ。けれどもようやくそれを抑えることができると、奴 の本心は素直でオレに甘えたくて祈るような心をもっているは ずだと考え、オレはどッと涙を流したまりかねてタタミに顔を ふせてしまうのが例であった。   一方では秀次のことを殺す ほ ど憎みながら、一方では「オレに甘 えた」い心の持ち主だ、と涙を流す。これも秀吉の中に秀頼の関白 位を邪魔する秀次と、自分を慕う秀次の二人が認識されている結果 ではないだろう か )(( ( 。   以上のように、秀吉の内面に二面性

現実と空想、不安と「大 言壮語」

が垣間見えるとともに、秀吉が有する登場人物たちへ の認識にも二面性が垣間見えてくる。この登場人物たちへの認識に みえる二面性は、秀吉の内面の二面性に起因しよう。秀吉自身が内 面に相対するものを抱えているということは、秀吉自身のものを見 る視点、観点が二つあることを示しているとも考えられる。自身の 口走る「大言壮語」を一方では空想だと断じながら、一方ではまる で現実であるかのように感じるように。それと同様に、秀吉が見る 小西や江戸大納言、秀次は、秀吉により二つの方向から解釈され、 語られる。本作におけるキャラクター達の認識には、二面性がつき まとっている。   しかし、ここで一つの疑問が生まれる。今までに述べてきた秀吉 のキャラクターしかり、登場人物の認識しかり、何か特別な意味を そこに見出せるものであっただろうか。酒でなくとも何かに酔っぱ ら っ て し て し ま う 空 想 や 妄 想、 「 大 言 壮 語 」 に 対 し、 ふ と 我 に 返 っ て現実はそんなに甘くはないと気づき不安になることは当然あろう。 あるいは、本当は見なくてはならないが、不安や恐怖に押しつぶさ れそうで見て見ぬふりをすることもあろう。一人の人間に対する認 識が一つしかないことがあるだろうか。この人のこの部分は好き、 けれどこの部分は嫌い。それは普通にあってしかるべき認識ではな いか。つまり、やることなすことはその地位ゆえに派手で大規模で はあるが、本作における秀吉はごく普通の人間と読むこともできる

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 のではないだろうか。だが、もしそうだとするならば、そのことに より本作はどのような解釈が可能になるのか。   そこで、本作における〝狂人〟とはどのようなもので、冒頭で秀 吉が語る「ただ一ツ」とは何かを考察することで、どのような解釈 が可能になるかを探っていきたい。   「ただ一ツ」   本 作 の タ イ ト ル に つ い て 原 卓 史 は「 作 品 の タ イ ト ル は「 狂 人 遺 書 」 と さ れ て い る。 ま さ し く「 狂 人 」 が 書 い た「 遺 書 」 な の で あ る )(( ( 」と述べる。そしてそのタイトルが示すように、作品冒頭では次 のように語られる。 朝鮮へ兵を送る前後から、巷ではオレを狂人と噂していること も知っている。子が死んだので発狂して出兵したと大名どもま で心に思うていることも察している。それも事実かも知れぬ。 オレにはオレのことが何より分らなくなってしまった。   秀吉に対する「狂人」という認識を、作中における「巷」や「大 名」が有していることがうかがえる。それに対して、遺書執筆時の 秀 吉 自 身 は「 オ レ に は オ レ の こ と が 何 よ り 分 ら な く な っ て し ま っ た」と語るように、自分自身に対して、噂や「察している」レベル の認識しかできていない。よって自分自身が「狂人」かどうかは判 別 で き な い で い る。 そ う で あ る か ら こ そ、 と い う べ き か、 「 巷 」 や 「 大 名 」 と い う 他 者 か ら 与 え ら れ る 認 識 を「 事 実 か も し れ ぬ 」 と、 そのまま受け入れようとしてしまう。だが、この自分自身に対する 混乱した認識は秀吉の死の間際に発揮されるものであり、それ以外 の部分では見られない。全盛期では自身の空想と現実を見極め、衰 退期でも自身の空想へ向かって邁進する。双方ともに「オレのこと が何より分らな」いという態度とは受け取れない。死の間際に見ら れる混乱した認識はどこから発生しているものなのか。このことを 考えるためにも、ここで本作における〝狂人〟がどのようなものか 考えたい。   安 吾 の エ ッ セ イ に は〝 狂 人 〟 に つ い て、 「 だ い た い に お い て 一 代 にして名をなした独裁者のような偉大な成り上り者は概ね天才的な 人 物 で あ る か ら 狂 人 と 紙 一 重 の 危 険 人 物 と 考 え て よ ろ し い か と 思 う )(( ( 」という言葉がある。また、同エッセイで安吾は日本の狂気とし て秀吉の朝鮮征伐を挙げている。つまり、安吾にとって狂人と天才 は表裏一体、表面に見えてくるものは相対するものであっても、そ れを同一人物が同時に有することができると考えてきたことがうか がえる。   このことを踏まえて考えると、秀吉が求めた〝太閤〟にふさわし い偉業と、他者からの〝狂人〟という評価は皮肉なことに一致して いることになりはしないだろうか。そして、そうであるならば、本 作の秀吉はある意味では〝天才=狂人〟になりたがっていたと言う ことはできないだろうか。秀吉は先に指摘したように、他者からの 目を気にする人物として設定されている。その時に、秀吉が気にし ていたのは〝太閤〟として、つまり安吾のいう「偉大な成り上がり 者」として世間にもてはやされたい、あるいは誰にも成し得ないこ

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とを成し得たいということであった。その願望の果てにあり、本作 でクローズアップされたのが朝鮮征伐であり、大明遠征であった。 確かにこれが成功しさえすれば秀吉は他者から〝狂人〟などとは言 わ れ ず、 〝 天 才 〟 と も て は や さ れ て い た こ と だ ろ う。 結 果 と し て 朝 鮮征伐は常人には理解し難い行いとなってしまった上に、多くの兵 を失い、人民の生活を逼迫させるものとなった。そして、そのこと に よ り 秀 吉 は 他 者 か ら〝 狂 人 〟 で あ る と 見 な さ れ る。 だ が、 〝 天 才 =狂人〟であるという前提に立つと、秀吉は皮肉にも、そうなろう としてそうなった、ということになる。   とはいえ、本作における秀吉が常に〝天才=狂人〟になろうと思 い続けていたわけではない。全盛期の秀吉は〝天才=狂人〟となろ うとする自己を、不安に思い、自分が口に出す「大言壮語」を不可 能だと断ずる自己をも同時に有している。また、先に述べた通り、 遺書執筆当時には自分自身のことがわからなくなっており、混乱す る認識を抱えた状態であることがうかがえる。もちろんこの時の秀 吉は〝天才=狂人〟になりたい、なろうとは思ってなかっただろう。 さらに、作品の最後、死の間際の叫びもまた秀吉の混乱する認識の 表れだと考えられる。 オ レ は お ろ か に も 気 が ふ れ て バ カ な 戦 争 を 起 し て し ま っ た。 ( …) 鶴 松 の 死 で ヤ ケ ク ソ を 起 し 朝 鮮 へ 攻 め こ ん で、 た め に 秀 頼の関白位もやがてはダメにしてしまうのだろう。虚勢、見栄。 オレの至らぬためである。むやみに威勢をみせたがるようなオ レの虚勢と見栄が知らず知らずオレをかりたててこの破滅を生 んだのだ。   死の間際になって秀吉は、当初自分自身ではそう思っていなかっ た〝 狂 人 で あ る 〟 と い う 認 識 を 他 者 か ら 受 容 し て し ま う。 し か し 「 何 よ り 分 ら な く な っ て し ま っ た 」 秀 吉 は、 次 の 瞬 間 に は 朝 鮮 征 伐 は「 気 が ふ れ 」 た 結 果 で は な く、 「 ヤ ケ ク ソ 」 の 結 果 だ と 述 べ る。 冒頭における事実〝かも〟という言葉が表すように、秀吉の自身に 対する認識は揺れに揺れている。さらに今際の際になっても秀吉の 揺れは続く。 その代りいまわの時にはクワッと目をひらいて必ず云うぞ。朝 鮮の兵隊たちをたのむぞと。一兵も殺すことなく日本へ帰るよ うにしてやってくれと。そして神々も照覧あれ秀頼の名は決し て云わぬぞ。   本作における秀吉の秀頼への盲愛ぶりを見ていると、本当にそん なことができるのかと疑ってしまうような言葉だ。そして何よりも 秀吉の揺れを強く表しているのは、結局最後まで「朝鮮の兵隊」と 「秀頼」の名前を出していることだ。 「云わぬ」と言われたところで、 結局は名前を出すことで最後までどちらともを意識していることが うかがえ る )(( ( 。   この秀吉の混乱は、自己認識と他者からの認識の差異に起因して いると考えられる。一方では〝天才=狂人〟というレッテルを自分 自身に貼り、また他者から貼られてもいた。つまり自他の認識が一 致している状態であった。しかしその一方で、自他の認識が一致し なくなった

自分では自分のことは〝狂人〟でも〝天才〟でもな

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 いと認識する反面、他者は自分を〝狂人〟だと認識する

時に、 他者の目を気にする秀吉は他者からの〝狂人〟という認識と、自己 認識

自分は〝狂人〟でも〝天才〟でもなく、極々普通の人間で あるという

の差異に混乱をする。その混乱が、秀吉に本作冒頭 において自分のことが「何より分らなくなってしまった」と語らせ たのではないだろうか。   そして、本作を論じる上で、引用されないことはない ほ どではあ るが、やはり引用をしておきたいと思う。 「 秀 吉 だ。 秀 吉 を 書 く よ。 誰 れ に も 解 っ て 貰 え な か っ た 秀 吉 の 哀しさと、 バ カ バ カしい ほ どの野心とを書くんだよ」

それ が『狂人遺書』であっ た )(( ( 。   「 誰 れ に も 解 っ て 貰 え な か っ た 」「 哀 し さ 」 と は、 〝 天 才 = 狂 人 〟 で あ る と 見 せ て い た し 見 ら れ て い た 秀 吉 が、 実 際 に は〝 天 才 = 狂 人〟ではなかったことを解って貰えなかった哀しさだったのかもし れ な い。 あ る い は、 こ の よ う に 言 っ た 方 が い い の か も し れ な い。 〝 天 才 = 狂 人 〟 と い う 認 識 か ら 零 れ 落 ち た、 そ れ 以 外 の 自 分 の 存 在 があることを解って貰えなかった哀しさだったのかもしれない、と。 そして、このことが、冒頭で秀吉が語る「ただ一ツ、何よりも分り すぎて苦しんでいること」でもあるのではないだろうか。一方では 自他共に認める〝天才=狂人〟であり、そうあるための振る舞いを してきた。しかし、一方ではそう振る舞ってきた自分を見つめるも う 一 人 の 自 分

〝 狂 人 〟 で も〝 天 才 〟 で も な い ご く 普 通 の 自 分

が同時に存在していた。だが、その自分は結局他者から認識さ れ る こ と は な く、 〝 天 才 = 狂 人 〟 を 見 栄 と 虚 勢 で 演 じ る 自 己 に 殺 さ れ た ま ま 肉 体 ご と 死 ん で い く。 つ ま り「 た だ 一 ツ 」 と は、 〝 天 才 = 狂人〟であるとレッテルを貼った自他によって、恐らくは本来の自 己であったであろうごく普通の

それこそ子どもを愛しているだ けのごく普通の父親である

自分が存在しないものとされたこと、 ではないだろうか。そして殺され存在しないとされた自己が存在し ていたことが、分りすぎることによって、苦しんでいる。その苦し みを吐き出すための遺書である。そう読むことも可能ではないだろ うか。   〝狂人〟遺書   本作は秀吉が小田原征伐を終えた直後から秀吉が死ぬ直前までを 描いているが、安吾にはそれに先んじて朝鮮征伐後から秀吉が死ぬ までを描いた短編がある。一九四六年九月『社会』創刊号(鎌倉文 庫)に発表された「我鬼」である。本作と「我鬼」は書かれた時代 や ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ て い る 人 物 は 違 え ど、 『 近 世 日 本 国 民 史 』 な どを共通の典拠としているため、同じ描かれ方をしている場面も多 い。例を挙げれば、秀次が秀吉を宴に招く場 面 )(( ( や、秀次が斎戒沐浴 する場 面 )(( ( などである。   しかし、当然ながら決定的に違う描かれ方をしている事柄もある。 それは秀頼に対する扱いだ。原卓史は「坂口綱男」 (『国文学解釈と 鑑 賞 別 冊   坂 口 安 吾 事 典〔 事 項 編 〕』 至 文 堂、 二 〇 〇 一 年 九 月 ) の 項で次のように述べている。

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綱男の誕生は、家や家庭を否定してきた安吾にとって一つの転 機となり、親と子との葛藤を描いた「真書太閤記」や「狂人遺 書」などを著した。   本論において注目したいことは、秀頼=綱男ということではない。 親が子へ向ける感情を実感として得たため、小説の内容として反映 できるようになった、ということである。かつて、子どもが生まれ る 前 に は 遺 書 で「 お 家 断 絶 )(( ( 」 と ま で 書 い た 安 吾 で あ る。 事 実、 「 我 鬼」では「能の嫉妬は憎悪の陰から秀頼の姿を消した」とあり、一 瞬でも秀頼のことが秀吉の頭から消えたという記述がみられる。し かし「狂人遺書」ではそんな描写は見られない。秀頼が生まれてか らは最初から最後まで秀頼のことが秀吉の頭の中の大部分を占める。 そ し て「 秀 頼、 秀 頼、 秀 頼。 豊 臣、 豊 臣、 豊 臣。 」 と い う 語 り か ら 知ることができるように、秀頼のことだけではなく「豊臣」という 家の繁栄にまで思いを馳せることになる。安吾が家の存続や繁栄を 願っていたのかどうかはわからないが、少なくともそういう感覚が 小説内で徹底されたのは安吾自身の実生活に「転機」が起こったか らに違いない。   また、原卓史は「作品の生成過程については、同じモチーフが繰 り返されていくけれども、意味づけは作品ごとに異なってい る )(( ( 」と も 述 べ て い る。 確 か に、 「 我 鬼 」 と 本 作 と は、 似 て は い る が、 単 純 に三人称小説である「我鬼」を一人称小説「狂人遺書」にしたとい うわけではない。既に示したように、少なくとも秀頼に対する扱い に変化がみられることがその証明になろう。では、本作の「意味づ け」はどのようになるのか。この「意味づけ」をするためにも、本 作のタイトル「狂人遺書」に立ち返りたい。   本作のタイトルについて原卓史は次のようにも述べる。 これ〔 「狂人遺書」というタイトル―引用者註〕を付けたのは、 タイトルの下に署名されている「坂口安吾」であることは言う までもない。秀吉自身は正気か狂気か判断できずにいるのに対 して、 「坂口安吾」は秀吉を「狂人」とみなしているのである。 秀吉の自分評と「坂口安吾」の秀吉評との違いこそが、本来な らば知り得ない情報を語る秀吉の人物像を解く鍵なのであ る )(( ( 。   「狂人遺書」において〝狂人〟という認識を語り手である「オレ」 =秀吉はしない。それに対し、三人称小説である「我鬼」は作中に おいて「耳もきこえず、目も見えず、たつた一つのものだけが残つ ていた。秀頼。秀頼。秀頼。彼は気違ひだつた」と語り、はっきり と秀吉は〝狂人である〟と断言される。ここで注目しなくてはなら ないのは秀吉を〝狂人〟と認識するか否かの差であろう。原卓史が 述 べ る よ う に、 「 狂 人 遺 書 」 に お い て「 「 坂 口 安 吾 」」 は 秀 吉 を〝 狂 人〟と認識する。しかし実際、描かれる秀吉はごく普通の人間とし て 読 む こ と も で き る。 〝 狂 人 〟 で あ る と 見 な し た 者 達 に よ っ て 存 在 しないものとされた、もう一人の秀吉の苦しみと、叫びが描かれた 作品であると読むことも可能である。本作と「我鬼」との間に横た わっているのは、作家安吾自身の視線の相対化ではないだろうか。 以 前、 「 我 鬼 」 に お い て〝 狂 人 〟 と 断 言 し た 秀 吉 を、 本 作 で は 狂 人 として描かない。しかしタイトルにおいて〝狂人〟であると宣言す

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 る。そこには明らかな隔たりが生じる。そしてこのように実際の描 写 と、 作 家 安 吾 自 身 が〝 狂 人 〟 と 断 じ て し ま う こ と と の 隔 た り に よって、以前秀吉を〝狂人〟として見た自分の視線を批判している とはとれないだろうか。自分は以前彼を〝狂人である〟と判断した。 しかし実際のところ、彼は〝狂人〟ではなかった。以前の自分は、 秀吉を〝狂人である〟と断ずることによって〝狂人ではない〟秀吉 を殺していた。以前の自分の視線は、今の時点から見ると批判され るべきものである、と。 おわりに   安吾作品にジャンルや時代を超えて通底するものがあるのだろう か

安吾作品を読みながら、論じながら、それを考える。そのこ とを考えた時に、本作は処女作である「木枯の酒倉から」やそこに つけられた「附記」とつながるものがあるのではないか、と考える ことができる。以前、拙論において「木枯の酒倉から」で描かれて い た の は、 サ テ ィ が「 明 日 の 音 楽 」 を 求 め 続 け た よ う に、 自 分 も 「 明 日 の 」 小 説 を 求 め 続 け る。 し か し、 そ の 時 に「 自 分 の 事 を 監 視 する、もう一人の自己」が必要になる。つまり「永遠に創作し続け ながら疑い続ける」という創作態度ではないかと論じ た )(( ( 。   そ し て 本 作 も、 「 木 枯 の 酒 倉 か ら 」 と 同 様 の 創 作 態 度 を 表 し た 作 品として読むことができるのではないだろうか。秀吉という以前と 「 同 じ モ チ ー フ 」 を 扱 う が、 そ れ に 対 す る「 意 味 づ け 」 は 異 な る。 その中で以前扱ったモチーフに対して、新たな批判を加える。決し て昨日と同じ音楽を作ろうとしなかったサティのように、今日の作 品 は 違 う だ ろ う か。 「 明 日 の 」 作 品 は 違 う だ ろ う か、 と。 タ イ ト ル の「狂人遺書」に込められていた以前秀吉を〝狂人〟として見た自 分の視線への批判は、このような処女作から続く安吾の自分自身を 見つめる視線の表れだったのではないだろうか。処女作で安吾が、 こ の 小 説 は「 永 遠 に 續 く べ き も の の 一 節 」 と 言 っ た よ う に、 「 狂 人 遺書」も安吾が最初から持ち続けた創作態度を貫いた「一節」だっ たと読むこともできよう。   また、本作には「木枯の酒倉から」との共通点がもう一点あるよ う に も 思 え る。 そ れ は 区 別 の 無 さ だ。 「 木 枯 の 酒 倉 か ら 」 で は ヨ ー ギンと狂人の論は、一見すると違うことを言いながら根底は同じで あっ た )(( ( 。本作では秀吉が抱える〝天才=狂人〟という紙一重が区別 の無さに通じるものになろう。あるいは、狂人でも天才でもない普 通の人間であるという秀吉の側面や、秀吉の他者に対する認識の二 面性もまた、区別の無さに通じる。正反対に見えて実は同じ、相対 するように見えて実は同じ。安吾は双方の作品で、登場人物たちに そのような二面性を背負わせている。この共通点は一体、何を意味 しているのだろうか。ただ、徹頭徹尾人間に興味を持ち、人間を描 きたくて人間を描き続けてきた安吾の目に映る人間の興味深さは、 そこに集約されているのかもしれない。正反対を同一の肉体に宿す 人間をどのように描くか。それは「永遠に續く」中での安吾の一つ の大きなモチーフだったのかもしれない。

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注 1   神 西 清、 中 村 眞 一 郎「 小 説 診 断 書 」( 『 文 芸 時 評 体 系   昭 和 篇 Ⅱ   第 十 巻  昭 和 三 十 年 』 ゆ ま に 書 房、 二 〇 〇 八 年 一 〇 月。 初 出 は『 文 学 界 』 一 九 五 五 年 二 月 ) に お い て、 神 西 は「 と こ ろ が 秀 吉 に 作 者 が 轉 化 し た ん な ら い い け れ ど も、 逆 に 秀 吉 を 作 者 の ほ う へ 轉 化 さ せ て い る と い う 妙 な 結 果 になつていると思う。 」と、安吾と秀吉の一致を見ている。   2   菊田均   3   例 え ば 奥 野 健 男「 解 説 」( 『 定 本 坂 口 安 吾 全 集 』 第 六 巻   冬 樹 社、 一 九 七 〇 年 二 月 ) に は「 こ の「 狂 人 遺 書 」 と い う 作 品 は、 安 吾 に 子 供 が で き た と い う 体 験 に よ っ て は じ め て 書 く こ と が で き た 傑 作 」 と 評 し、 続 け て 「「 ソ レ! 小 便 だ!」 の 大 音 声、 こ れ を 書 い て い る と き、 安 吾 は 二 歳 の 我 が子綱男が小便をたれたことを思っていただろう」と述べている。   4   例 え ば 平 野 謙 は「 文 芸 時 評( 上 )」 ( 河 出 書 房 新 社、 一 九 六 九 年 八 月。 た だ し 発 表 は 一 九 三 〇 年 一 月 ) で「 太 平 洋 戦 争 勃 発 当 時 の こ と を 思 い う か べ な が ら、 読 ん だ 」 と、 当 時 の 人 間 と し て 太 平 洋 戦 争 が 想 起 さ れ る こ と を 指 摘 し て い る。 他 に も 菊 田 均 は『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 別 冊   坂 口 安 吾 事 典〔 作 品 編 〕』 ( 前 掲 ) で「 こ の 作 品 に 安 吾 の 戦 争 体 験 が 繁 栄 さ れ て い る と い う 意 見 は 平 野 以 外 に も 多 い。 安 吾 の 歴 史 小 説 は、 な に ほ ど か 自 身 を反映している、という見方は ほ ぼ定着している」と述べている。   5   安 吾 自 身 も「 処 女 作 前 後 の 思 ひ 出 」( 『 早 稲 田 文 学 』 一 九 四 六 年 三 月 ) で「 山 路 愛 山 の 徳 川 家 康 に 感 心 し た が、 愛 山 と か 徳 富 蘇 峰 と か、 か う い ふ 独 創 的 な 歴 史 家 の 歴 史 を 読 む と、 私 は そ れ に 限 定 さ れ、 そ れ 以 上 に ハ ミ 出 す こ と が で き な く な つ て、 歴 史 小 説 が 書 け な く な つ て し ま う 」 と 述 べている。   6   典拠やその比較に関しては、原卓史『坂口安吾   歴史を探偵すること』 (双文社出版、二〇一三年五月)を主に参考にした。   7   「しかるに、その鶴松が三ツの正月に病気になって死んだ。掌中の珠を 失ったオレは同時に生涯の上昇を終えて下降をはじめたのであった」と、 鶴松の死が契機であったことは本作中で述べられている。   8   「威勢がよすぎたせいで、オレはそのころから、日本平定の次は朝鮮、 朝 鮮 の 次 は 大 明 征 服 な ど と 思 わ ぬ こ と を 口 走 る よ う に な っ て し ま っ た。 (…)けれども対等の貿易が不可能な場合、オレの武力に物を云わせて有 利 な 條 件 に み ち び い て や っ て も よ い と い う ぐ ら い の ウ ヌ ボ レ と 空 想 を 次 第にハッキリ持つようになっていたのは事実であった。 」( 「狂人遺書」 )   9   『近世日本国民史』には「其の初期、中期の周到なる注意が、幾許か放 慢となって来た。此れが其の一大病根であった。 」とある。   10  秀 次 と い う 人 物 に 対 す る 安 吾 の 興 味 と い う も の も い さ さ か 気 に な る 部 分がある。 「我鬼」における秀次の描かれ方はある意味、本作の秀吉より も わ か り や す く〝 狂 人 〟 だ。 人 体 の 解 剖 に 興 味 を 持 ち、 妊 婦 の 腹 を 裂 い た り、 盲 人 が 切 ら れ う ろ た え る 様

こ れ に は 典 拠 が 存 在 し て い る が

を見て陰鬱な心を慰める。本作でも秀次は秀吉に「石」となり「風」 と な り 影 響 を 与 え て い く。 安 吾 に と っ て「 我 鬼 」 か ら 続 く 秀 次 の 描 き 方 には何かがあるようにも思われる。   11  原卓史『坂口安吾   歴史を探偵すること』 (双文社出版、二〇一三年五 月)   12  「 エ ラ イ 狂 人 の 話 」( 「 明 日 は 天 気 に な れ 」『 西 日 本 新 聞 』 一 九 五 三 年 一 月二三日)   13  ちなみに、 「我鬼」での秀吉は「朝鮮の兵隊」のことを頼みながら死ん で い く。 文 献 で も 秀 吉 の 最 期 は 子 の こ と を 頼 ん で い る も の と、 朝 鮮 の 兵 を頼んでいるものとに分かれ、実際にどちらだったのかは判然としない。 そして本作において安吾は〝どちらでもない〟ことを選んだのだろう。   14  笹 原 金 次 郎「 桐 生 の 一 夜 」( 『 坂 口 安 吾 選 集 第 二 巻 』 創 元 社、 一 九 五 六 年八月)   15  一例として、 「我鬼」 「狂人遺書」 『近世日本国民史』における同一場面 を引用しておく。    「「殺さなければ、殺されますよ」    (…)    「殺さなければ、殺されない」      こ れ が 奴 め の 言 葉 だ。 祈 り だ。 こ う 祈 り た い の が 奴 め の オ レ に 対 す る 本心、本性というものなのだ。      奴めが関白になって公式にオレを招待する宴がのびのびになっていた。

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岸本梨沙 坂口安吾「狂人遺書」論 さ て こ の 宴 を や る こ と に な っ た か ら、 世 上 で は 奴 が オ レ を 殺 す 宴 だ と い う よ う に 噂 し て い た。 オ レ が 當 日 に な る た び 二 度 三 度 今 日 は 行 け な い と 断 り を 云 わ せ て 宴 を す ッ ぽ か し て や つ た か ら、 世 間 は オ レ が 奴 め の 裏 を か い た と 解 し た が、 ま、 そ う い う 意 味 も あ っ た こ と は 事 実 だ。 二 度 三 度 と す っ ぽ か し た あ げ く 宴 に よ ば れ て や つ た が、 部 屋 々 々 に は オ レ の 軍 兵 が ギ ッ シ リ つ め て る と い う 変 っ た 宴 で、 オ レ は 數 日 滞 在 し た が、 奴 め は 異 心 な き ア カ シ を た て て み せ る た め、 自 身 台 所 に 立 つ て 食 物 の 指 図 ま で し て 寝 不 足 で 目 を あ か く し て い る よ う な 奮 闘 ぶ り で あ っ た。 」( 「 狂 人 遺 書」 )      「彼が関白の格式で公式に太閤を招待する饗宴がまだ延び延びになつて ゐ た。 そ し て や う や く 定 め ら れ た 饗 宴 の 当 日 に 使 者 が き て、 訪 問 中 止 を 伝 へ た。 世 上 で は 秀 次 が 秀 吉 を 殺 さ な け れ ば、 秀 吉 が 秀 次 を 殺 す で あ ら う と 噂 さ れ、 秀 次 の 計 画 が 裏 を か ゝ れ た の だ と 取 沙 汰 し た。 然 し 世 上 の 流 説 は 秀 次 の 身 辺 で は さ ら に 激 烈 な 事 実 で あ つ た。 彼 の 侍 臣 は 常 に 彼 に さゝやいた。殺さなければ、殺される。 (…)彼は侍臣のささやきに、ま た 世 上 の 流 説 に と り ま か れ、 然 し、 ひ そ か に、 殺 さ な け れ ば 殺 さ れ な い と必死に希つてくゐるのであつた。      ( …) 秀 吉 の 数 日 の 滞 在 を 慰 め る た め の 催 し も、 饗 宴 の 食 物 も、 彼 は 一々指図した。彼は心をこめていた。熱中した。 (…)      秀 吉 は 饗 宴 に 応 じ、 連 日 の も て な し に 満 足 し た が、 異 変 に そ な へ て 部 屋々々には武器をかくした秀吉の軍兵たちがつめていた。 」( 「我鬼」 )      「一五九五年―文禄四年―秀吉は、秀次の心を安ず可く、所謂る譲国の 大 典 と も 云 ふ 可 き 儀 式 行 ふ 可 く、 秀 次 の 聚 楽 の 第 に 臨 む 旨 を 申 し 送 り、 その為め秀次は、一万三千の膳を用意したが、秀吉は寵臣の諌によりて、 之 を 中 止 し、 秀 次 も、 其 の 侮 辱 の 為 め に 憤 懣 し た が、 其 の 原 因 秀 吉 の 疑 惑 に 在 る を 確 め、 百 方 異 心 な き を 示 し た か ら、 秀 吉 は 北 政 所 と 與 に、 之 に赴いた。 (…)而して秀吉は三日間聚楽第に在つたが、然も恒に快心す る 所 あ り て、 中 心 毫 も 愉 快 の 情 が な か つ た と は、 フ ロ エ ー の 記 す 所 で あ つ た。 而 し て 世 間 で も、 頗 る 物 騒 に 感 じ、 秀 吉 の 身 上 を 氣 遣 ふ 者 も 少 か らずあつたと云ふことだ。 」( 『近世日本国民史』 )   16  「皆の者、これを讀め。秀次は斎戒沐浴白衣をまとうて怖ろしい神下し を し て こ の 誓 紙 を 書 い た げ な。 笑 う べ き は 世 上 の 浮 説 だ。 血 は 水 よ り も 濃 し。 口 さ が な い 百 萬 人 が ど う 云 お う と も、 こ の 秀 吉 は 秀 次 の 心 底 見 と ど け た。 そ の 方 ら も こ れ を 鑑 に 世 の 浮 説 を 信 じ て は な ら ぬ ぞ 」( 「 狂 人 遺 書」 )      「彼は誓紙を侍臣に示して、関白の忠義のまごゝろは見とゞけた。これ を 見 よ、 世 上 の 浮 説 は 笑 ふ べ き か な。 血 は 水 よ り も 濃 し。 ま し て 誠 意 誠 実 の 関 白 に 異 心 の あ ら う 筈 は な い。 口 さ が な い 百 万 人 の 人 の 言 葉 は ど う あ ら う と も、 一 人 の 肉 身 の 心 の 中 は 信 じ な け れ ば な ら ぬ も の よ。 そ な た らもこれを今後の鑑にせよ」 (「我鬼」 )   17  『 東 京 人   8 月 号 』( 教 育 出 版 株 式 会 社、 一 九 九 五 年 七 月 ) に 掲 載 さ れ た「遺言状」には「尚、養子は貰うな。家名断絶せよ。 」とある。   18  ( 11)に同じ   19  ( 11)に同じ   20  拙 論「 坂 口 安 吾「 木 枯 の 酒 倉 か ら 」 論 

サ テ ィ、 ド ビ ュ ッ シ ー と の 関係を中心に」 (『成蹊国文』第四十九号   二〇一六年三月)   21  ( 20)に同じ 参考文献   徳  富 蘇 峰『 近 世 日 本 国 民 史   朝 鮮 役( 上 ~ 下 )』 ( 丙 ~ 己 篇 ) 民 友 社、 一 九 二二年   三浦理編『太閤記』下   有朋堂書店、一九二二年一一月   中  村 孝 也 校 訂『 帝 国 文 庫( 第 十 四 巻 ) 眞 書 太 閤 記 』 下 巻   博 文 館、 一 九 三 〇年一月   徳  富蘇峰『近世日本国民史   豊臣秀吉(一~四) 』講談社、一九八一年八月 ~一一月(底本:時事通信社刊行本、一九六〇年─一九七一年)   山  路愛山『徳川家康(下) 』岩波書店、一九八八年四月(底本: 『徳川家康』 独立評論社、一九一五年)   山  路 愛 山『 豊 臣 秀 吉( 上 )』 岩 波 書 店、 一 九 九 六 年 二 月( 底 本: 『 豊 太 閤 』 前 編   文 泉 堂 書 房・ 服 部 書 店 刊、 一 九 〇 九 年 二 月 第 六 版。 一 版 は 一 九 〇

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八年一一月)   山  路 愛 山『 豊 臣 秀 吉( 下 )』 岩 波 書 店、 一 九 九 六 年 三 月( 底 本: 『 豊 太 閤 』 後編   文泉堂書房・服部書店刊、一九〇九年四月) 坂口安吾作品の引用は全て『決定版   坂口安吾全集』 (筑摩書房、一九九五年 五月~二〇一二年一二月)に拠った。 (きしもと・りさ   大学院博士後期課程在学)

参照

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