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アメリカ先住民の自決と保留水利権 : 1952年マッカラン修正の検討

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アメリカ先住民の自決と保留水利権

―1952 年マッカラン修正の検討

Indian Reserved Water Rights and Self-Determination of Native Nations:

An Examination of the McCarran Amendment of 1952

川浦佐知子

Sachiko K

AWAURA

Abstract

  This paper examines Indian water rights claims in relation to self-determination of native nations. The examination focuses on the McCarran Amendment of 1952 which waives federal sovereign immunity for the joinder of the United States as a defendant in general stream adjudications in state courts. The original purpose of the Amendment was to settle water disputes between Western states and the United States. However, the series of rulings based on the amendment, mainly U.S. v. Dist. Court for Eagle

County (1971), Colo. River Water Cons. Dist. v. U.S. (1976), and Arizona v. San Carlos Apache Tribe (1983),

threatened Indian reserved water rights by placing them under state jurisdiction.

  Arguing against the application of the McCarran Amendment to Indian reserved water rights, native tribes has come out of federal termination policy embedded in the Amendment. In doing so, tribes redefined trust relationship with federal government, making their way into water agreements with Western states.

  Defending tribal sovereignty in contemporary resource war, native nations not only reclaimed long-forgotten Indian reserved water rights, established by the U.S. Supreme Court Winters decision in 1908, but also established equal standing required to achieve water agreements in the tribe―the U.S.―state relation.

はじめに

 アメリカ先住民には,連邦が先住民のために保留する保留水利権(Indian reserved water rights) が約束されている。しかし,長期にわたりその権利が部族に実利をもたらすことはなかった。20 世紀初頭から連邦政府によって推進された西部の土地改良計画は先住民の水利権を損ない,20 世 紀半ばには合衆国と州が保留水利権の司法管轄を争った。先住民部族が水利権請求を経て,紙

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の上の水利権を実際に部族の土地を潤す権利としたのは 1980 年代に入ってからである。本稿で は,水利権に係る州の司法管轄を増大させることになった 1952 年マッカラン修正(McCarran Amendment)を軸に,先住民が自ら保留水利権を請求するようになった経緯を明らかにする。 連邦の部族解体政策期に成立したマッカラン修正は,水利権訴訟において合衆国が主権免除 (sovereign immunity)の原則を用いることを否定し,州裁判所に水利権の司法判断の優先権を与 えた。このことは,合衆国によって保留される先住民の水利権を危ういものにした。  先住民の水利権請求は先住民運動が台頭し,連邦政府の先住民政策が「部族解体」(termination) から「自決」(self-determination)へと変容した 1970 年代に端を発する。これまで先住民運動の文 脈で,連邦政策への「抵抗」として紹介されることが多かった先住民の水利権請求を,本稿では先 住民部族―合衆国―州のダイナミクスを視野に入れて検討する。  本稿では,1)先住民の保留水利権が初めて司法で認められた 1908 年 Winters 判決(Winters v.

United States)を概説するとともに,Arizona 事件(Arizona v. California)の検証を通して,西部の

土地改良計画が先住民の保留水利権に与えた影響を検討する。次に 2)水利権管轄をめぐる合衆国 と州の係争に転機をもたらし,先住民の保留水利権に多大な影響を与えた 1952 年マッカラン修正 を検討する。本稿では 1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決(Colorado River Water Conservation

District v. United States)を中心に,マッカラン修正がどのような解釈の展開を遂げたのかを検討す

る。マッカラン修正によって州における「包括的水利権管轄」が重視される様になり,このことは 連邦を受託者として水利権の保持を図る先住民にとって痛手となった。本稿後半では,3)マッカ ラン修正が部族主権(tribal sovereignty)に及ぼした影響を分析した上で,4)先住民部族として初 めて水利権訴訟を提起したノーザン・シャイアン部族(Northern Cheyenne Tribe)の事案を題材 に検討する。上述の検討を受けて最後に,5)部族―合衆国―州のダイナミクスのなかで展開され た先住民の水利権請求を検証することで,先住民の自決について考察する。

1.先住民の保留水利権と西部水利計画

1)先住民の「保留水利権」の起源:1908 年 Winters 判決1)

 先住民の保留水利権は,合衆国最高裁判所 1908 年 Winters 判決によってその基本的理念が確立 された。モンタナ州フォートベルナップ保留地(Fort Belknap Reservation)の北境界を流れるミ ルク川(Milk River)の水利権をめぐって争われた Winters 事件は,合衆国最高裁判所が先占権を 主張する保留地近隣の水利用者の訴えを退け,保留地の水利用の優先権を認めたことで結審した。  Winters 判決は先住民の水利権を,保留地設立を定めた合衆国と先住民との条約締結にもとづ いて規定している。フォートベルナップ保留地は先住民がスィートグラスヒル合意(Sweetgrass Hills Agreement)と呼ぶ合意によって,1888 年にグロス・ベントレ(Gros Ventre)とアシニボイ ン(Assiniboine)のために保留された土地である。1905 年合衆国巡回裁判所(Circuit Court of the United States for District of Montana)2)

において,判事ハント(William H. Hunt)は保留地設立を定 めた 1888 年の合意は水利権に言及していないものの,保留地で先住民が生活するためにはミルク 川からの引水が不可欠であることは明白であるとし,水利権は先住民の信託責任を負う合衆国に保 留されると判示した3)。先住民保留地の設立は,域内での生活を可能にするための水源抜きにはあ り得ないという判断の下,「先住民のために連邦が保留する水利権」を認めるこの法理は,ウィンター

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ズ法(Winters Doctrine)として知られている4)。  Winters 判決のポイントは,以下の三点に集約される。第一に,保留地において先住民が農業や 牧畜業を営むための灌漑は,保留地設立の目的である「先住民の文明化」のために必要不可欠であ る。第二に,保留地設立を規定する 1888 年の合意に水利権についての言及はないものの,保留地 北境界をなすミルク川からの引水は想定されて然るべきである。第三のポイントとして,保留地に おける水利権は合意が議会承認された 1888 年 5 月 1 日に発生しており,連邦政府が先住民のため に保留する水利権は州法から免除される,という点が挙げられる。モンタナは 1889 年に準州から 州に昇格したが,Winters 判決ではモンタナが州として合衆国(Union)の一部となった後も,保 留地水利権の管轄権は引き続き連邦に委ねられると判断された。  西部諸州は水利権の範囲と優先権を決定する州法を有しており,その多くは「先占用の法理」 (prior appropriation doctrine)にもとづいている。西部開拓期,採鉱従事者が採用した先占用の法

理では,他に先んじて水利用を始めた者に,同一の水源から同一の水量を継続的に利用する権利 が認められる。一方,東部諸州が採用する「沿岸権の法理」(riparian rights doctrine)では,水路 に隣接する土地所有者のみが水利権を有し,水利用は隣接する土地区画のみに限定される。消費 水量が制限される沿岸権と異なり,最初の引水日を基準に水利権を定める先占用の法理では,最も 古い優先日(priority date)を有する先占者は後に続く利用者に配慮することなく,水資源を先占 することになる5)。先住民保留地はほぼ例外なく州成立以前に設立されており,このことは先住民 の保留水利権が州法を根拠に水利権を主張する水利用者に勝る優先日をもつことを意味する。実 際,1905 年の合衆国巡回裁判所判決は,保留地での灌漑のためにミルク川の水量のほぼ全てが必 要であるとして,保留地上流の入植者が所有地にミルク川から引水することを禁じる中間命令を発 出している。これを不服として被告側は控訴したが,続く 1906 年第九巡回区控訴裁判所(Circuit Court of Appeals, Ninth Circuit)6)

において,引水禁止命令は正式に認められている7)。  こうした司法判断にもかかわらず,連邦政府は先住民の保留水利権を守るための積極的方策を取 らなかった。20 世紀初頭に確認されたウィンターズ法は,20 世紀半ばまで忘れられた法理となり, 結果,乾燥地である西部において貴重な水資源は,本来その権利を有する先住民から奪われていっ た。ウィンターズ法が再び議論される様になったのは,州間の水利権が争われた 1963 年 Arizona 判決においてであった。 2)西部水利計画と保留水利権:1963 年 Arizona 判決8)  Arizona 事件は,アリゾナ州とカルフォルニア州がコロラド川とその支流の水利権を争ったケー スである。1952 年,アリゾナ州はカリフォルニア州とその公共機関に対して訴訟を起こし,その後, ネバダ州,ニューメキシコ州,ユタ州,合衆国が訴訟に加わった。アリゾナはカリフォルニアによ るコロラド川からの引水について,1930 年代から訴訟を起こしており,1963 年の判決は長期にわ たる州間の水利権係争に決着をつけるものだった9)。  1963 年 Arizona 判決はウィンターズ法を再生したのみならず,その後の先住民の水利権請求に 大きな影響を与えた。当該流域にはコロラドリバー保留地(Colorado River Reservation)を含む五 つの保留地が存在しており10),合衆国がこれらの保留地の水利権を主張して州間の水利権係争に加 わったことで,先住民の保留水利権が司法の場で検討されることになった。Arizona 判決の重要性は, 先住民に保留されるべき水量の具体的な算出方法が議論された点にある。先住民の保留水利権が紙 の上の権利から実質的な効力をもつ権利となるためには,水利権を主張する他の水利用者とどのよ

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うに水を分かち合うのか,具体的な水量を定める必要があった。Arizona 事件の争点は当初からコ ロラド川からの引水量であったため,州間の水利権係争において先住民保留地の水利権を主張した 合衆国に対しても,具体的な水量が示される必要があった。

 Arizona 事件の起源は,1922 年のコロラドリバー合意(Colorado River Compact)に遡る。1,300 マイルに及ぶコロラド川の水系はワイオミング,コロラド,ユタ,ニューメキシコ,ネバダ,アリ ゾナ,カルフォルニアの七州に及ぶ。コロラド川の水量は季節変動が激しく,春には雪解けによっ て水量が増し,洪水となることもある一方,下流域では著しい水量減少による旱魃も起きていた。 この問題を解消し,年間を通して安定した水量を流域にもたらすための対策は,内務省全アメリカ 運河委員会(All-American Canal Board)による 1919 年の報告書において提案され,1920 年の合衆 国議会の承認を経て連邦政府によるダム建設と引水計画が決定した11)。  この計画に対しては,急激な成長を遂げるカリフォルニア州が,貯水によって生まれる水量を 奪うのではないかという懸念が他州から表明された12)。1922 年,合衆国最高裁判所 Wyoming 判決 (Wyoming v. Colorado)13)は,州の水利権についても,先んじて水利用を始めた州に優先権を認める 先占用の法理が適応されることを判示しており,このことはカリフォルニア州の水利用に対する他 州の懸念を煽った。合衆国議会はコロラド川の治水計画の実施に向けて,流域の七州が水利権合 意を締結するよう呼びかけ,1922 年 11 月にコロラドリバー合意が成立14)。この合意を受けて 1928 年ボルダー渓谷計画法(Boulder Canyon Project Act)が制定され,連邦政府がニューディール基金 を注ぎ込んで 1935 年ボルダーダム(Boulder Dam)を完成させた15)。  コロラドリバー合意は上流域(ワイオミング,コロラド,ユタ)と下流域(ネバダ,カリフォル ニア,アリゾナ,ニューメキシコ)に,それぞれ年間 7,500,000 エーカーフィート(acre-feet)16)の 引水を認めている。下流域の各州の具体的な水量の算出は,1928 年のボルダー渓谷計画法の制定 に際して決定され,カルフォルニア州 4,400,000 エーカーフィート(58.7%),アリゾナ州 2,800,000 エーカーフィート(37.3%), ネバダ州 300,000 エーカーフィート(4%)と定められた17)。この配 分に当初から不服であったアリゾナ州が訴訟を起こし係争が長引いていたが,これに最終的な決着 をつけたのが 1963 年合衆国最高裁判所 Arizona 判決だった。 3)保留水利権の水量算定  Arizona 事件において合衆国は先住民保留地だけでなく,国有林,リクリエーション及び野生動 物地区など,その他の政府所有地のための水利権についても判断を求めたが,最高裁は先住民保留 地における水利権とその水量を司法判断の対象とした。判決では,五つの保留地は 135,000 エーカー の灌漑可能面積(practicably irrigable acreage, PIA)を有すると算出した補助裁判官(master)の 推薦を受け,合衆国にコロラド川から年間 1,000,000 エーカーフィートの水量を保留地に引水する 権利が認められた18)。  アリゾナ州は合衆国が主張する保留水利権に対し異議を申し立てたが,合衆国最高裁はこれを 退けた。アリゾナ州の主張は以下の四点にまとめられる。第一に,アリゾナ州の成立以降,合衆 国は州域内の航行可能な河川の水を保留することはできず,また行政命令によって航行河川の水 を保留することはできない。第二に,合衆国は保留地設立に際し,先住民のために水を保留する 意向はなかった。第三に,灌漑可能な面積をもとに算出された水量は過剰であり,保留地に居住 する先住民の人口に合わせて算出されるべきである。最後に,エクイティに従った分配(equitable apportionment)の法理に従って,水の分配は先住民とアリゾナ州民の間で行われるべきである19) 。

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 合衆国最高裁では以下のように判断されている。第一に,航行可能河川に対する合衆国の権限を 減ずる州際通商条項(Commerce Clause)に訴えたアリゾナ州の主張は,今回の係争には当てはま らない。大統領の行政命令によって水利権が保留されることはないとアリゾナ州は主張するが,条 約,行政命令,合衆国議会承認のいずれによって設立された保留地であっても保留水利権は発生す る。コロラドリバー保留地は 1865 年に合衆国議会で設立が認められ,その後,1873 年,1874 年, 1876 年の行政命令で領域が拡大されたが,保留地設立後に追加された領域についても保留水利権 は認められる。  第二に,アリゾナ州は保留地のために水が保留された証拠の不在を述べるが,先住民の生存・生 活にとってコロラド川の水が不可欠であることは明白であり,1908 年 Winters 判決が示すとおり, 連邦による保留地の水源確保は保留地設立を定めた連邦の「行為」によって黙示的に認められる。 併せて,先住民の保留水利権は合衆国が保留地を設立した日をもって保留されるが故に,アリゾナ 州への水量分配が決定された 1929 年に優先する。  第三に,先住民のために保留された水量は現在の需要を満たすだけでなく,将来のニーズを満た すものであることが意図されていたと考えるべきである。この解釈にもとづけば,灌漑可能な面積 を十分潤すための水量を算出することは妥当である。最後に,アリゾナ州は州間の紛争解決と同様 に,州と保留地の水利権問題も当事者である州と部族との間で解決されるべきだと主張するが,先 住民保留地は州ではない。保留地管理において先住民は相当の権限を有するものの,保留水利権に ついては連邦の管轄を免れない。先住民の保留水利権は保留地設立を承認した合衆国議会,及び大 統領行政命令によって支配されるが故に,連邦によって保留される20)。  1963 年 Arizona 判決はアリゾナ州の異議申し立てに応えることで,先住民の保留水利権をより 詳細に定義した。一方で当該判決ではフォートモハベ保留地(Fort Mohave Reservation)とコロ ラドリバー保留地(Colorado River Reservation)の境界をめぐる係争は解決されず,これによって 新たな訴訟が発生した。1983 年合衆国最高裁 Arizona 判決21)では,1963 年判決時点には含まれなかっ た保留地の灌漑可能な土地面積について議論され22),補助裁判官がそれらの土地にも保留水利権が 認められると意見したものの,最終判断では追加の水利権は否定された。最高裁は 1963 年の判決 を受けて発出された 1964 年水利権命令を最終決定とし,その修正を拒んだ。1963 年の訴訟は合衆 国と州との間で争われたが,1983 年 Arizona 事件には先住民自身が関わった。しかし最高裁は先 の裁判での先住民部族の不在は再訴訟を必要としないと判断している。  一連の Arizona 事件に関わる先住民の保留水利権が,最終確定したのは 2005 年だった。カリフォ ルニア州とアリゾナ州に跨がるフォートユマ保留地(Fort Yuma Indian Reservation)を有する,ケ チャン部族(Quechan Tribe)の保留水利権をめぐり,Arizona 事件訴訟は継続していたが,2000 年に至って部族の訴えが合衆国最高裁に認められた。これを受け,2005 年に部族とカリフォルニ ア州,アリゾナ州,コロラド給水管区(Colorado Water Districts)との水利権合意が成立し,部族 は年間 26,000 エーカーフィートの水量を得ることになった23)。

4)ウィンターズ法と連邦の責任

 先住民の保留水利権が関わる 20 世紀初頭の事案を検討した Shurt は,ウィンターズ法は 1908 年

Winters 判決当初の 30 年と現在とでは大きく異なると述べる24)

。ウィンターズ法の発展において,

Arizona 判決が果たした役割は大きい。1908 年 Winters 判決及び,1963 年 Arizona 判決によって明

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連邦法にもとづく。2)条約,行政命令,合衆国議会による法制定のいずれのケースであっても, 先住民保留地の設立は保留地境界もしくは境界内の水源の保留を含意する。3)保留水利権の発生 日は保留地設立が認められた期日となる。4)水量の算出は,保留地における灌漑可能な面積を潤 すために必要な水量とされる。5)保留水利権は先占用の法理と異なり,不使用によって失われる ことはない25)。先住民の保留水利権は西部諸州の成立に先立って発生しており,これが不使用によっ て失われることなく優先日を維持しうるということは,域内における水利用の実態管理を放置して きた州にとって脅威となった。このことは,連邦と連邦の介入に反発する州との水利権係争におい て,先住民の水利権が置き去りにされた一因であったと考えられる。  合衆国にとっても西部諸州にとっても,先住民の保留水利権は開ければ混沌が吹き出す「パン ドラの箱」だった。1963 年 Arizona 判決によって先住民の保留水利権は再確認されたものの,行 政による先住民の水利権への配慮は皆無だった。1973 年,国家水資源委員会(National Water Commission)は報告書「未来の水政策」において,Winters 判決以降,50 年以上にわたって先住 民の水利権を守るべき連邦政府がその信託責任を果たしてこなかった事実を糾弾している26)。1902 年土地改良法(Reclamation Act)以降,連邦政府は莫大な資金を西部の灌漑計画に費やした。1939 年に土地改良事業法(Reclamation Project Act)が制定されると,灌漑だけでなく自治体や産業の ための水供給,水力発電,洪水防止や水路建設にも基金が拠出されるようになり,開拓局(Bureau of Reclamation)が預かる水開拓事業の規模はますます拡大した27) 。一方で,先住民保留地が必要 とする灌漑計画には十分な資金が与えられず,事態は改善されないままだった。Winters 事件の 舞台となったフォートベルナップ保留地では,1903 年に内務省インディアン局(Bureau of Indian Affairs)が灌漑に着手したものの,1985 年に至っても完成を見ていない28) 。  連邦の西部水利計画によって大きな痛手を被った保留水利権の再生を,先住民部族は 1970 年代 からの水利権請求によって目指すことになる。次章では先住民の保留水利権を脅かすことになった 1952 年マッカラン修正を,1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決における解釈を中心に検討する。

2.1952 年マッカラン修正と先住民の保留水利権 1)合衆国の主権免除と 1952 年マッカラン修正29)  1952 年マッカラン修正は主権免除の原則を超えて,州裁判所で扱われる水利権訴訟に合衆国を 参加させることを可能にした。基本的に,国家はその同意なくして国内の裁判所で訴えられること はない。マッカラン修正はこの原則を改め,水利権係争については合衆国が州の司法手続きに参加 することを定めた。マッカラン修正はもともと先住民の保留水利権に関わる法ではなかったが,制 定以降,合衆国と州の水利権訴訟において,先住民の保留水利権を巻き込む司法解釈が展開される ことになった。  マッカラン修正の背景には,水利権をめぐる西部諸州と合衆国の対立があった。1950 年代初頭, 主権免除の原則を振りかざして州法を無視し,州の資源を搾取しようとする合衆国のやり方に対 し,西部諸州の議員の間で政治的反発が高まっていた。具体的には,ネバダ州クィン川(Quinn River),コロラド州の複数の給水区,カルフォルニア州サンタマルガリタ川(Santa Margarita River)が関わる係争がマッカラン修正の引き金となった30) 。いずれのケースにおいても,合衆国 は州法にもとづいた水利権を購入,もしくは収用した後,主権免除の原則に訴えて州裁判所の判決

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や管理の適用を免れようとした。

 ネバダ州クィン川の水利権係争は,1910 年代に内務省インディアン局がノーザン・パイユート (Northern Paiute)とウエスタン・ショショーニ(Western Shoshone)のために土地を購入したこ とに端を発する。合衆国はこの際,州法にもとづく水利権を購入したものの,州裁判所の管轄を拒 否した。クィン川流域の州による水利権管理は 1907 年に始まっており,州の水利権管理を否定す る合衆国の対応を訴える訴訟が州裁判所で起こされた。合衆国はこの訴訟を連邦裁判所に移して戦 い,主権免除の原則を用いて州裁判所での訴訟を免れた。訴訟は州裁判所へ差し戻されたが,事態 が進展することはなかった31)。  コロラド州におけるケースでは,合衆国が土地改良法の下で購入した州の水利権が問題となった。 土地改良法は合衆国が灌漑計画を実施する際,州の水利権を購入することを条件としている。1940 年代,土地改良法にもとづいた灌漑計画を進めるため,合衆国はデンバー区域の主な水源となって いたブルー川(Blue River)の水利権を求める訴訟を州裁判所で起こした。しかし合衆国は後にこ れを取り下げ,合衆国地区地方裁判所で新しい訴訟を起こした。コロラド―ビックトンプソン灌漑 計画(Colorado-Big Thompson Irrigation Project)が関わる給水地区における別のケースでは,合 衆国は灌漑計画のために国が購入した水利権は州の権限に優先すると主張。これによって,州裁判 所が判断・管理してきたデンバー地区の水利権は,合衆国地区地方裁判所で再審議される必要に晒 された32)。  カルフォルニア州サンタマルガリタ川のケースは,西海岸最大の海軍訓練基地ペンダルトンの 水利権が関わる。1940 年代に合衆国はサンタマルガリタ農園を購入。沿岸権の法理にもとづいて, カルフォルニア州はサンタマルガリタ川の 66%の水量を農園に裁量していたが,土地とともに合 衆国はこの水利権も購入した。ペンダルトン基地が完成すると,合衆国はサンタマルガリタ川の総 水量を超える水量を要求し,これが地域住民の反発を生んだ。基地自体が必要とする水は地下水の 汲み上げで賄われており,水量を必要としたのは合衆国がリースした土地で運営されていたゴルフ コースだった。合衆国による不適切な水請求の内実が明らかになったこの事案は,大きな議論を呼 んだ33)。  マッカラン修正の立法史を検討した Hedden-Nicely は,上述三件の係争において,合衆国は主権 免除の原則を以下のように乱用したと分析する。1)先に裁量されていた州裁判所による水利権管 理を妨害。2)購入した州法にもとづく水利権が,州裁判所の管理の下に置かれることを拒否。3) 水利権判断や既存の水利権の再判断を,連邦裁判所で行うことを州に強要34)。合衆国が振りかざし た「主権免除の原則」によって,州の水利権管轄は不確定な状態に置かれた。  サンタマルガリタ川の水利権係争は,合衆国が州の財産を脅かす事案としてメディアも問題視し た。Hedden-Nicely は,この事案は司法省に相当な政治的圧力を掛けたと見ている35)。サンタマル ガリタ川の事案は合衆国議会で議論され,公聴会では合衆国が主権免除の原則を振りかざして州の 水利権を脅かす事態が詳らかにされた。結果的に公聴会での法改正を望む声が,合衆国の主権免除 の原則を制限するマッカラン修正の制定につながった36)。 2)マッカラン修正とその解釈:1971 年 Eagle 判決37)  上述のネバダ州,コロラド州,カリフォルニア州のいずれのケースも,合衆国が州法にもとづく 水利権を購入したケースであり,先住民の保留水利権は関係していない。マッカラン修正が先住民 の保留水利権を意図していないことは,その文言からも明らかである。マッカラン修正(合衆国法

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律集第 43 編第 666 条)は,以下のような条文となる。  (a)被告としての合衆国の受け入れ;費用  合衆国が被告として,以下のいかなる訴訟にも参加することを承諾する。(1) 河川もしくはその 他の水源の水利権に係る司法判断のための訴訟,又は (2) 購入,交換,もしくはその他の方法で合 衆国が所有,もしくは所有の過程にある州によって管轄される水利権の管理が関わり,合衆国が審 議に欠くことのできない当事者である訴訟。このような訴訟において合衆国が当事者となった場合, (1) 合衆国は州法の不適用,もしくはその主権を理由に州法への不服従を主張する権利を放棄した ものと見なす,そして(2) 合衆国は管轄権を有する裁判所の判断,命令,法令に従わなくてはならず, また,同様の状況下にある私人と同様の方法,同様の程度で再審理に望むことができる。:付帯条件, 当該ケースにおけるいかなる場合にも,合衆国に対する訴訟費用に関する判決は生じない。  (b)召喚状の通達  当該訴訟における召喚状,又はその他の手続き上の書類は,司法長官,もしくは司法長官が定め る代表に送付されなくてはならない。  (c)州が提訴した州際河川の水利用に関する訴訟への受け入れ  本項のいかなる条文も,合衆国が州際河川の水利権に関わる合衆国最高裁判所での訴訟や議論に 加わることを承認するものであると理解されてはならない38)。

 合衆国最高裁判所によるマッカラン修正の拡大解釈は,1971 年 Eagle 判決(United States v.

District Court for Eagle County)から始まった。Eagle 事件は合衆国がコロラド川支流イーグル川

(Eagle River)の水利権を求めた事案であった。合衆国は公有地を転じてホワイトリバー国有林 (White River National Forest)とした際に発生した水利権は保留水利権であり,州裁判所の判断を 仰ぐ必要はないと主張した。これに対する最高裁判断は,マッカラン修正は包括的な制定法であり, 合衆国がどのような手法で水利権を取得したとしても,州の司法権が及ぶ域内の水利権は州裁判所 の裁量下に置かれるというものだった。  Eagle 判決において最高裁は,マッカラン修正の条文「(a)(1) 河川もしくはその他の水源の水 利権に係る司法判断のための訴訟」を,該当条件を説明する(2)「購入,交換,もしくはその他の 方法で合衆国が所有,もしくは所有の過程にある」と切り離して解釈した。最高裁は(a)(1) の 条文によって,取得方法のいかんに関わらず,合衆国が州域内で保留する水利権全てにマッカラン 修正は関わるという解釈を展開した39)。しかし一方で,Eagle 判決においては連邦の保留水利権と 先住民の保留水利権は明確に区別されており,この時点で先住民の保留水利権がマッカラン修正の 影響を受けることはなかった。 3)マッカラン修正と連邦の水利権請求  1971 年 Eagle 判決は州による州域内の「包括的な水利権管轄」を重視し,保留水利権に係る合 衆国の主張をその障壁として退けた。合衆国最高裁は Eagle 事件における合衆国の主張は「極め て技巧的である」と述べ40),1963 年 Arizona 判決,及び 1963 年 Dugan v. Rank 判決に言及しつつ, 両件との違いを明示している。

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 合衆国がコロラド川流域の保留地の水利権を求めた Arizona 判決では,先住民に保留されるべき 水量が灌漑可能な土地面積をもとに算出された。Eagle 判決において最高裁は保留水利権の適応, 及びその水量の算定は,連邦政府がどのような意図で土地を保有したかに依拠するとして Arizona 判決の適用を退けた41)。

 1963 年 Dugan v. Rank 判決42)は,カルフォルニア州セントラルバレー土地改良計画(Central Valley Reclamation Project)に関わる事案である。土地改良計画によって建設されたフライアント ダム(Friant Dam)に堰き止められたサンワキーン川(San Joaquin River)下流の水利権を有する 個人が,土地改良局の地域担当者を訴えたこの事案は,マッカラン修正の適用に当たらないと判断 され,合衆国最高裁判所は原告の訴えを棄却した。Dugan v. Rank 事件はダム建設によって水量を 減じられた「個人」の訴訟であり,流域住民全体が関わる既存の水利権管轄を脅かすものではない と判断された。また,合衆国は州の水利権を収用,もしくは購入したわけでもなかった。合衆国は

Dugan v. Rank 判決を根拠として,Eagle 事件におけるマッカラン修正の適応を阻止しようとしたが,

両事案の違いは明白であり,合衆国の主張を裏づける根拠とはならなかった43)。  1963 年 Arizona 事件における合衆国による先住民の保留水利権請求は,部族のためというよりは, ウィンターズ法を用いて連邦の資源を死守しようする意図にもとづく訴訟であったと見受けられ る。合衆国は西部諸州に偏在する連邦保有地の水利権を保持すべくいくつか訴訟を起こしたが,一 連の判決において本来,狭義に解釈されるべきマッカラン修正は次第に拡大解釈されていった。判 決において表明された司法の懸念は,合衆国が主張する保留水利権によって,州法にもとづく包括 的な水利権管理が脅かされることだった。こうした司法での一連の流れを決定的にしたのが,1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決だった。この判決によって先住民の保留水利権の司法判断は連 邦裁判所ではなく,州裁判所の管轄となった。

4)連邦裁判所の「裁判権行使回避」:1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決44)

 Colo. River Water Cons. Dist. 事件は,1972 年,合衆国がコロラド州第七給水区に所在する先住 民保留地,国立公園,国有林に裁量されるべき水利権を請求し,併せてその水を管理する独自の 配水人の任命を合衆国コロラド地区地方裁判所に求めたことに端を発する。合衆国はこの件に先 駆け,同様の訴訟を第四,五,六給水区でも起こしていた。コロラド州は合衆国の提訴に先駆けて, 州域内の包括的な水利権管轄のための法「水利権の決定及び管理に関する法律」(Water Rights Determination and Administration Act)を 1969 年に制定していた。1969 年の水利権管理法は 7 つ の給水区それぞれに給水調停人(water referee)や給水担当裁判官(water judge)を置き,水利権 判断の決定に従って州や各区の技師が水を管理することを定めていた。この法によって構築された 州の水利権管理のシステムを無視した合衆国の訴えは,第七給水区に水利権を有する約 1000 人に 影響を与えるものだった。被告側はマッカラン修正に則って,合衆国を訴訟当事者とするための召 喚状の送達を州裁判所に求め,合衆国の訴えを棄却するよう求めた45)。被告らは,連邦裁判所は州 管轄の水利権を司法判断する権利をもたないと主張した。  合衆国地区地方裁判所での第一審は被告の棄却請求を認めたが,合衆国が上訴して争われた第十 区巡回区控訴裁判所はこれを覆し,合衆国地区地方裁判所は連邦水利権の司法権を有すると判示し た。続く合衆国最高裁判所での審議の焦点は,マッカラン修正は連邦の水利権を司法判断する連邦 裁判所の管轄権を終結させたかどうかにあった。最高裁判決は第一審を支持し,州裁判所に連邦の 水利権の司法判断を認めた46)。

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 マッカラン修正は水利権紛争において合衆国が提訴された場合,主権免除の原則を放棄して合衆 国を州裁判所に訴訟当事者として参加させることを定めている。これを州の側から見るならば,マッ カラン修正によって州裁判所には,連邦の水利権を競合管轄する権利が与えられたということにな る。最高裁 Colo. River Water Cons. Dist. 判決は,この州―合衆国間の水利権管轄の競合を是とせず, 連邦裁判所に「裁判権行使回避」(Abstention)を求めた。

 裁判権行使回避の法理は,連邦裁判所が裁判権を行使できる場合であっても,然るべき理由の下 ではその行使を控え,州裁判所に審理を委ねることを指す。これが適応されるケースは極めて例外 的であり,Colo. River Water Cons. Dist. 事件はそれまで定例として裁判権行使回避が適用されたケー スには当てはまらない47)。藤田は次の二つの理由で,合衆国最高裁は連邦裁判所の裁判権行使の回 避を判断したと分析する。一点目は「賢明な司法行政」(wise judiciary administration)のため,連 邦と州の二つの司法システムで重複的訴訟が起きる事態を回避するという理由であり,もう一点は 最初に財産の管理を判断した州裁判所に,管轄権が委ねられるべきであるという準則である。最高 裁 Colo. River Water Cons. Dist. 判決によって,連邦裁判所には連邦の水利権を判断することを控え, 先に管轄権を行使していた州裁判所にその審理を委ねることが求められた48)。

 1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決を経て,マッカラン修正の解釈は以下のようなものと なった。連邦裁判所と州裁判所の二重システムによる司法行政の混乱を避けることで,連邦政府は 州による包括的水利権管轄を支持する。州による州域内の包括的な水利権判断が達成されるために, 合衆国の主権免除の原則は放棄される。この解釈は,合衆国との信託関係のもとで保留される先住 民の水利権を危うくし,先住民の保留水利権の司法判断の在り方を変容させるものとなった。以降, 先住民の水利権は,歴史的に先住民にとって不利な司法判断を展開してきた州裁判所が管轄するこ とになり,部族は州法下でいかに保留地の水利権を守るかに腐心することになった。 3.マッカラン修正と部族主権 1)マッカラン修正と連邦管理終結政策

 1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決は,州裁判所が先住民の水利権を判断する裁判権を有す ることを示したが,この解釈は先住民にとって到底納得できるものではなかった。そもそもマッ カラン修正の立法史は網羅的とはいえず,先住民の保留水利権については全く触れられていない。 Wallace はこの事実自体,マッカラン修正が本来,狭義に解釈されるべき法であることを意味する と分析する49)。1908 年 Winters 判決では,条約条文の解釈において生じる曖昧さは先住民の立場か ら解釈・解決されるべきであると判示されたが50),合衆国最高裁判所によるマッカラン修正の解釈 ではこうした解釈上のスタンスは踏襲されていない。  合衆国最高裁での水利権訴訟において,断続的にマッカラン修正は拡大解釈されていったが,先 住民部族にとって 1976 年の判決が致命的だったのは「部族主権」が蔑ろにされた点だった。部族 自治が展開される保留地は,国定公園や国有林などの他の連邦保有地とは明らかに性質が異なる。 しかしこの点について,最高裁は何ら配慮を示していない。実際,最高裁判所判事ブレナン(William J. Brennan Jr.)は意見陳述において,先住民の保留水利権について「(連邦)政府による先住民の 権利の受託を(連邦による)所有と見なす」51)と述べている。  マッカラン修正の解釈においては何よりもまず,先住民の保留水利権は「条約権利」であること

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に言及される必要があった。Hedden-Nicely は,先住民の部族主権は連邦法にもとづいており,部 族が有する「主権免除の原則」に則って,先住民の水利権は州裁判所の司法管轄から外されるべき であると主張する。部族の条約権利や資源の保持に欠かせない「主権免除」は,部族評議会による 放棄,もしくは合衆国議会の撤回によってのみ無効化されるべきものであり,いずれの場合も明確 な表明が必要とされる52)。にもかかわらず,水利権の司法判断において合衆国の主権免除の原則が 放棄されたことを受けて,曖昧なかたちで部族の主権免除まで無効とされるのは不当といえよう。  マッカラン修正法案53)は 1951 年,ネバダ州マッカラン上院議員(Pat McCarran)とユタ州ワト キンズ上院議員(Arthur V. Watkins)によって提出された。法案の目的は,西部諸州の水利権管轄 を麻痺状態に陥らせた合衆国の主権免除の乱用を阻止することだった。マッカラン修正法案を議論 した上院の報告書によると,司法省と内務省は先住民の権利に係る訴訟を提訴しないよう提言して いた。しかし,この提言は拒否されている54)。部族主権及び部族自治を州の干渉から守る盾となる 部族の主権免除が,マッカラン修正法案採決に際して十分に議論されないまま侵害された背景に, Hedden-Nicely は「連邦管理終結政策」を見ている55) 。

 1953 年決議 108 号(House Concurrent Resolution 108)は,合衆国と先住民部族との信託関係の 終結を宣言。これによって部族のための連邦補助金や公益事業が打ち切られ,先住民の生活は困窮 の度を深めた。クラマス族(Klamath)など,決議 108 号によって即時解体が宣言された部族もあ り56),多くの先住民土地が奪われ,部族解体も進んだ。この連邦管理終結政策期に,マッカラン修 正法案は西部諸州の強い要望によって議会可決された。修正法案を提出したワトキンズ上院議員は, 上院内務委員会におけるインディアン問題小委員会の委員長でもあった。ワトキンズは連邦管理終 結政策の主発案者の一人であり,出身州であるユタのパイユート族(Piute)をはじめ,数々の部 族を終結に追い込んでいる57)。マッカラン修正は先住民の水利権に言及していないが,法案提出を したワトキンズは管理終結宣言によって,先住民部族が合衆国という後ろ盾を失い,部族主権を支 える土台が脆弱なものとなることを十分把握していたと思われる。 2)先住民の自決と水利権請求  1950 年代は先住民にとって部族自治の黎明期だった。合衆国先住民は,1934 年インディアン再 組織法(Indian Reorganization Act)58)を経て部族議会を設立し,近代政体として保留地における部 族自治を開始した。1940 年代,汎インディアン運動が台頭するなか,全米アメリカ・インディア ン議会(National Congress of America Indian)が設立されると,先住民部族は合衆国が条約を反 故にして収用した土地権原をインディアン請求委員会(Indian Claim Commission)において争っ た59)。同化政策から抜け出し,保留地自治を始めた先住民部族が 1950 年代から 60 年代にかけて対 応を迫られたのが連邦管理終結政策だった。合衆国内における「部族主権」は連邦の後ろ盾を必要 とするが,連邦管理終結宣言によって合衆国はその責務を放棄した。1953 年に発令された一般法 律第 280 号60)はその最たる例である。同法は部族の同意なしに先住民が関わる事案の民事管轄権, 及び刑事管轄権を望む州に与え,それまで州法の干渉を受けることのなかった保留地における部族 自治を損なった61)。  1960 年代に入るとレッドパワー・ムーヴメントと呼ばれる先住民の権利運動が興隆を見せ,連 邦政府の対先住民政策にも転換が見られる様になった。1968 年にジョンソン大統領が先住民の「自 決」に言及62)。1970 年にはニクソン大統領が議会特別教書において正式に連邦管理終結政策に終 止符を打ち,先住民と連邦政府の信託関係の回復を宣言した63)。1970 年代には,1975 年インディ

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アン自決・教育援助法(Indian Self-Determination and Education Assistance Act),1978 年インディ アン児童福祉法(Indian Child Welfare Act),1978 年インディアン宗教自由法(Indian Religious Freedom Act)といった,先住民の権利に関わる法制定が進んだ。こうした背景もあって,1970 年 代に入ると先住民自身による水利権請求が連邦裁判所に持ち込まれるようになった。先住民活動家 は州禁猟区でフィッシュイン(fish in)と呼ばれる抵抗運動としての漁業活動を展開して,条約が 約束する先住民の権利を訴えた。政治,司法の場ではアメリカ先住民権利基金(Native American Rights Fund)が,先住民の水利権請求を後押しした64) 。  1970 年代,先住民の「自決」は連邦との信託関係の再生を必要としていたが,連邦裁判所に裁 判権行使回避を指示した 1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決によって,先住民の水利権請求 は梯子を外されたかたちとなった。1976 年の判決により実質上,州域内での水利権判断は専ら州 裁判所が預かることになった。先住民部族は保留水利権の管轄について州を相手に折衝することに なったが,合衆国によって保留される先住民の水利権管轄において連邦の関与は不可欠であり,先 住民の水利権請求には依然として課題が残った。  「自決」が連邦の先住民政策の軸となった時代,部族は温情的権威主義(paternalism)を超えて, 以前とは異なるかたちで連邦との信託関係を構築する必要があった。1970 年代,先住民事案を一 手に管理していたインディアン局は混乱状態にあり,インディアン局を介しての合衆国との信託関 係には限界があった。内田は,連邦の想定する自決と先住民が求めた自決には齟齬があったと分析 する65)。政府が考える先住民の自決は「経済開発」を軸とするものであり,自決が意味するのはイ ンディアン局を介さない「政府プログラムの部族運営」だった。一方,部族側は連邦との信託関係 を再生し,主権発揮のための基盤を確かにした上で,部族が何を軸として保留地自治を行うのか, その方向性を自ら選ぶことを想定していた。こうした状況を鑑みるならば,1970 年代の州を相手 取っての先住民の水利権請求は,先住民の自決の試金石であったといえる。 4.先住民の水利権請求 1)ノーザン・シャイアンの水利権宣言  1974 年,ノーザン・シャイアン部族評議会は以下のような決議文において,保留水利権ではな く部族固有の権原としての水利権(aboriginal water rights)を主張している。

 ノーザン・シャイアンは先住民の権利を宣言,請求し,全ての人々,会社,企業,州,合衆国, 州及び合衆国の全ての部局と下級行政機関に対して,モンタナ州ノーザン・シャイアン・インディ アン保留地及び保留地境界外に水源を有する保留地の流水や河川,保留地内の地下水,現時点も しくは将来において議論される人工的に創出される水,気候変動,淡水化,地熱発電によって生 じる水,あるいはその他の科学的もしくはそれ以外の方法で生じた水を含め,部族がこれら全て の水を使用する,最も優先的で原初的な権利を有することをここに公示し,生活,灌漑,製造, 自然資源の開発,リクリエーション計画や他の設備に限定しない水利用のために,上述の水を専 有,使用,貯蔵する固有の権利を宣言,請求する66)。  ノーザン・シャイアンが権原としての水利権を主張した背景には,1972 年モンタナ州憲法改正,

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及び 1973 年モンタナ水利用法(Montana Water User Act)制定があった。1972 年改正州憲法において, モンタナ州は州内の水は州の財産であると宣言67)。1973 年水利用法は,モンタナ州における全て の地下水,河川流域を明らかにし,それらの水源を使用する全て者の権利を州が判定することを目 的としていた。モンタナ水利用法は 1 年以内に既存の水利権を届け出ることを求め,連邦の保留水 利権のみならず先住民の保留水利権についても,他の水利権保持者と同様に州の司法判断の対象と なることを明言していた68)。これに危機感を募らせたノーザン・シャイアンは,1974 年に部族評 議会として上述の決議文を表明することで州の水利用法に反駁したと考えられる。  1973 年の法制定以前のモンタナ州における「既存水利権」は,水量も優先権も不明な状態だった。 1889 年モンタナ州法は州が全ての水を分配することを宣言しているものの,その後 90 年にわたり, 総合的な水利権管理システムは構築されなかった。この間,何度か水利権管轄に関する法案提出が あったが,既得権益が脅かされることを懸念した州議会はことごとく法案を否決した。モンタナ州 における水利権の獲得方法には,1)水を引く地点に標識を立て,地区の職員や記録係に水を取得 した届け出を出す,2)適切な灌漑施設の完成と有益な水利用によって使用権(use right)を確立する, 3)以前に司法判断された水利権を取得する,という三種が存在した。このうち書類提出を必要と しない 2)が,1974 年の時点で全体の 6 割から 7 割を占めていた。正確な記録が残っていない上に 残された記録も集中管理されておらず,果たして「既存水利権」が認定,承認されうるのか,判然 としない状態がモンタナ州では続いていた69)。 2)マッカラン修正と州の水利権管轄:1976 年 Northern Cheyenne 事件70)  モンタナ州がこうしたずさんな水利権管理を改正するきっかけとなったのが,マッカラン修正 だった。マッカラン修正によって,合衆国と州との間で水利権係争が起きた場合,合衆国は主権免 除の原則を放棄し,州裁判所における水利権判断に参加することになったが,これが適用されるた めには,州が全ての水利権保有者が関わる包括的な水利権認定の手続きを有している必要があった。 モンタナ州は 1972 年の州憲法改正において,州域内の水は州の財産であるとしたが,州議会は州 裁判所が水利権の司法判断を下すための包括的な法制定を行わなかった71)。1973 年になってモン タナ水利用法が制定されたものの,既存水利権の具体的な認定方法は定まっておらず,モンタナ州 自然資源保護省(Montana Department of Natural Resources and Conservation)は州内の水源の特 定から始めなくてはならなかった。  マッカラン修正は,水利権管轄を蔑ろにしてきた州に危機感をもたらした。1970 年代後半,モ ンタナ州は先住民部族が提訴する水利権訴訟を戦いつつ,包括的水利権管轄のシステムの構築に追 われることになった。1975 年 1 月,ノーザン・シャイアンは部族保留地東境界となるタン川(Tongue River)と,保留地内を流れるローズバットクリーク(Rosebud Creek)について,部族が有する水 利権の司法判断を合衆国モンタナ地区地方裁判所に申し立てた。同年 3 月,合衆国はノーザン・シャ イアンを含むいくつかの部族の受託者として,水利権の総合的司法判断を連邦裁判所に求め,4 月 にはノーザン・シャイアン保留地に隣接するクロウ保留地(Crow Reservation)のための水利権判 断も求めた。以降,部族と合衆国の水利権請求と,包括的水利権管理を目指す州の法改正とが,同 時並行で進むことになった。  1975 年春,モンタナ州議会はモンタナ水利用法を改正し,モンタナ州地方裁判所が水利用者に 既存権利の申請を命令することとした72)。これを受けてモンタナ州は 1975 年 7 月,ノーザン・シャ イアン保留地,及びクロウ保留地を含む水域の,水利権の包括的司法判断を州裁判所に求めた73)。

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1976 年 2 月,合衆国地区地方裁判所において,ノーザン・シャイアンが提起した訴訟は合衆国によっ て提訴された他の訴訟と併合され,Northern Cheyenne Tribe v. Tongue River Water Users 事件とされ た。州裁判所にはノーザン・シャイアンの水利権が関わる流域についての包括的水利権判断が州か ら求められており,連邦裁判所と州裁判所が同一の事案について競合する状況に陥った。このため

Northern Cheyenne 事件は,同様の状況にあった Colo. River Water Cons. Dist. 事件の判決が出るま

で判断保留とされた。Colo. River Water Cons. Dist. 事件の判決は 1976 年 3 月に判示されたが,ノー ザン・シャイアンの事案は判断されないまま 1979 年まで留め置かれた。 3)水利権係争への対応:モンタナ州と合衆国  Northern Cheyenne 事件の判断が滞っていた間,モンタナ州,合衆国ともに紛争解決の在り方を 模索していた。改正モンタナ州憲法は第 3 条 3 項で,有効な水利用のための既存権利を認定,承認 することを謳っているが,具体的にどのような手順を踏んでそれを成し遂げるかについては何も決 まっていなかった。モンタナ州議会は水利権管轄システムの構築に後ろ向きだったが,1977 年に は水利権判断の具体的な手続きを検討するための委員会を発足させた。委員会は弁護士,判事,連 邦及びモンタナ州内の先住民部族の代表,農業従事者,牧畜業者,州政府の代表らと会見を重ねる とともに,モンタナ州各地で公聴会を開いた。1978 年 11 月,委員会は報告書74)を州議会に提出。 委員会は早急に州の水利権管轄システムを構築することで,水利権をめぐる混乱や高額な訴訟を避 け,かつ正確な情報を集中管理することが可能になると進言した。併せて委員会は,州地方裁判所 と同等のレベルに給水担当裁判官を置く司法システムの構築を提言したが,モンタナ州自然資源保 護省は水利権の司法判断のために特別判事を置くことには懐疑的だった75)。いずれの手法を採用す るにしても,マッカラン修正の該当条件である「全ての水利権者が関わる包括的裁定手続き」を確 立することが州にとって最重要課題であることに変わりはなかった。  同時期,合衆国の側では会計検査院長による保留水利権に関する報告書76)が合衆国議会に提出さ れている。報告書は西部諸州において水需要が高まるにつれて,連邦と先住民の保留水利権が侵害 される状況が悪化していると述べ,早急な対策を訴えている。保留水利権の水量算定が未決である ことを問題視する報告書に対し,全国アメリカ・インディアン議会は,真の問題は経済開発と人口 増を理由とする非先住民の節度のない水利用であると意見している77)。会計検査院の報告書は具体 的な対策を提示していないが,限りある水資源をどのように保全するのか,また水の管理,管轄を めぐって合衆国と州がどのように連携を築くのかは,カーター大統領が主導する水政策における課 題でもあった78)。  1979 年 4 月 4 日,モンタナ州議会は水利用法の改正案(Senate Bill 76)を承認し,先住民部族 と連邦の保留水利権を州の水利権管轄手続きに含めることを決議した。翌日 4 月 5 日,連邦は合 衆国地区地方裁判所においてフラットヘッド保留地(Flathead Reservation),ロッキーボーイズ保 留地(Rocky Boy’s Reservation),フォートベルナップ保留地,フォートペック保留地(Fort Peck Reservation)を有する部族の受託者として,部族の保留水利権の司法判断を求めて追加訴訟を起 こした。合衆国の訴訟提起にもかかわらず,州議会は 1979 年 5 月,「モンタナ州における既存水 利権請求の司法判断に係る法」(Act to Adjudicate Claims of Existing Water Rights in Montana)79)を 制定し,水裁判所(water court)の創設,給水担当裁判官の任命,給水地区内既存訴訟の併合に 関わる規定など,水利権に係る広範な事項を含む法改正を行った。併せて 1979 年の改正によっ て,先住民部族及び連邦の保留水利権に対応するためのモンタナ保留水利権協定委員会(Montana

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Reserved Water Rights Compact Commission)が設立された。6 月に入るとモンタナ州最高裁判所は, 改正法に従って全ての水利権請求を州裁判所で裁決するよう命令を発出し,合衆国に正式な通知を 送達した。  モンタナ州は 1979 年法改正によって,マッカラン修正の適用基準となる包括的水利権管轄シス テムを構築したことになる。一方,合衆国の側もモンタナ州の水利権係争を収拾する方策を探って いた。1979 年 7 月から 8 月にかけて,インディアン問題特別委員会はモンタナ州の水利権に係る 公聴会80)をワシントン D.C.,及びモンタナ州各所で開催し,先住民部族代表,部族土地計画担当, 部族弁護士,農業関係者,水利権協会,灌漑地区担当,副知事,州議員,市関係者,弁護士,地区 委員,商工会議所,州選出上院議員など,多様な関係者からの証言の聞き取りを行った。ノーザン・ シャイアン部族もビリングスで開催された公聴会に水文学者を同行して参加し,クロウ,アシニボ イン,グロス・ベントレ,チペワクリー(Chippewa-Cree)とともに意見陳述を行った。  インディアン問題特別委員会委員長のモンタナ州上院議員メルチャー(John Melcher)は,ワシ ントン D.C. での公聴会冒頭,1979 年 4 月 5 日に合衆国が先住民の受託者として四件の追加訴訟を 提起した経緯を司法省に確認している。これに対し司法省土地・天然資源部門,法務次官補サガル キン(Stanford Sagalkin)は,追加訴訟は部族からの申請を受けての提訴であると回答している。 しかし次官補は同時に,先住民訴訟が関わる水域にある国立公園,国有林,国立野生生物保護区, 国立漁業孵化場,土地改良局の治水計画,ダムや貯水池など,合衆国が連邦保有地の保留水利権を 請求した訴訟四件81)について具体的に言及している。このことから先住民部族の「受託者」として の 4 月 5 日の追加訴訟は,連邦の保留水利権が侵害されることを懸念しての提訴であったと考えら れる。先住民からの訴えは 2 月と 3 月に司法省に届いていたが,実際に司法省が動いたのは 4 月に 入ってからだった82)。4 月 3 日,先住民訴訟を速やかに提起するよう,内務省からの督促状が司法 省に届いた背景には,包括的水利権管轄のための法制定を急速に進捗させたモンタナ州が,連邦の 保留水利権を脅すことへの懸念があったと考えられる。 4)州の包括的水利権管轄と部族の水利権  モンタナ州の水利権係争を扱った 1979 年のインディアン問題特別委員会公聴会の目的は,州の 水利用全体に影響する合衆国の水利権訴訟が妥当なものかどうかを推し量ることにあった。メル チャー委員長は訴訟による紛争解決には時間と経費が掛かり,結論に至ることが確証されない長期 的な訴訟の応酬は,西部諸州に甚大な影響を与え,連邦裁判所においても混乱が継続することに なると述べている。内務長官も先住民の水利権訴訟の受託については懐疑的で,訴訟提起は交渉を 妨げるものではないと述べ,長期にわたる高額な裁判を避け,交渉による解決を望む意向を示して いる83)。一方で,連邦保有地やその資源を預かる部局は,先住民の保留水利権を介して連邦の保留 水利権を担保しようとしていた。こうしたなか,1979 年 11 月,合衆国モンタナ地区地方裁判所は Northern Cheyenne 事件の訴訟却下を決めた。主な理由は,モンタナ州が包括的水利権管轄システ ムを有すると判断されたことだった。モンタナ州は 1979 年 5 月に「既存水利権請求の司法判断に 係る法」を制定しており,連邦裁判所はこれをもとにノーザン・シャイアンの事案を同裁判所で判 断することを避け,その判断を州裁判所に委ねることとした。  1979 年,合衆国地区地方裁判所の判決は,以下のような手順を踏む改正モンタナ州法における 水利権判定の手続きを評価している。1)州最高裁判所の命令によって,州内の全ての水利用者に 対して,水利権請求の提出が要求される。2)提出された水利権請求は,水の分配がされる地区の

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給水担当裁判官へ振り分けられる。3)特別委員(special master)を登用し,給水担当裁判官は提 出された水利権請求をもとに準備段階の判定を言い渡す。4)この初期段階の判定に対して期限内 に異議申し立てがない場合,関係する全ての水利権者の最終司法判断が登録される。5)期限内に 初期判定に対して異議申し立てがあった場合,関係する排水域の全ての水利用者を参加させること なく,申し立てのあった案件の司法判断を行う。  1979 年 5 月制定「既存水利権請求の司法判断に係る法」は,未だ州法典において成文化されて いなかったが,合衆国地区地方裁判所は改正法を十分包括的かつ効果的であると判断。バッティン 首席判事(James F. Battin)とハットフィールド判事(Paul G. Hatfield)は,モンタナ州の法整備 の進展に鑑みると連邦裁判所での審議過程は未だ初期段階であると意見している。州が水利権判断 に特化した司法制度を設けることで紛争解決に当たろうとする一方,モンタナ州における連邦の司 法リソースには限りがあった。判決では,連邦と州が競合して訴訟を扱うことを止めることで,二 つの法廷で矛盾した判断が生じることを避け,9000 に登る本件の被告が混乱に陥ることを未然に 防ぐことができると判断された84)。  1979 年 11 月の合衆国地区地方裁判所の判断において,ノーザン・シャイアン部族が提訴した水 利権請求の連邦裁判所での判断は却下されたが,州裁判所で審議される先住民の保留水利権を十全 に擁護する「連邦の責任」は無くなるわけではないと明言された85)。先住民の利益は州法の下でも 連邦の信託責任によって保護されうるという,裁判所判事の見解は先住民にとって安易に過ぎるが, 以降,部族は合衆国の信託責任を射程に入れて,州法の下で部族の水利権を主張していくことになっ た。 5.水利権請求にみる先住民の自決

1)州授権法と部族主権:1982 年 Northern Cheyenne, Etc. 判決86)

 1979 年の合衆国地区地方裁判所での訴訟却下を受け,ノーザン・シャイアンはクロウ,アシニ ボインとスー(Sioux),サリシュ・クーテナイ連合(Confederated Salish Kootenai)とともに上訴。 先住民部族は 1889 年にモンタナが州昇格を果たした際の授権法(Enabling Act)87),及びモンタナ 州憲法88)における免責条項(disclaimer)を理由に,モンタナ州は先住民保留地において司法権を 行使できないと主張した。モンタナ州の授権法及び憲法は,州が「先住民個人及び先住民部族によっ て保有される土地の権利,権原を放棄すること」,併せて「それら先住民の土地が連邦,もしくは 合衆国議会の絶対的管理下にあること」に同意することを明記している。第九巡回区控訴裁判所は 1982 年 Northern Cheyenne, Etc. 判決(Northern Cheyenne, Etc. v. Adsit)において部族の主張を認め, 先の訴訟却下を破棄した。

 第九巡回区控訴裁判所は先の 1979 年 Northern Cheyenne 判決において,合衆国地区地方裁判所 が州憲法の免責事項を検討していないことに言及し,授権法によらぬ州昇格を果たしたコロラド州 における事例―1976 年 Colo. River Water Cons. Dist. 判決―をモンタナ州での本件に当てはめるべき ではないと判断している。1976 年の判決は,州と合衆国の間で水利権判断が競合する場合,連邦 裁判所に裁判権行使回避を求めた。これに対し 1982 年 Northern Cheyenne, Etc. 判決は,先住民保 留地が連邦法の下にあることを尊重し,州による先住民の水利権管轄は州の授権法の内容に鑑みて 判断されるべきであると判示した。これによってノーザン・シャイアンの上訴は認められ,部族と

(17)

合衆国の州に対する訴訟は却下されず,合衆国地区地方裁判所に再度判断が委ねられることになっ た。  1982 年の判決において問題となったのは,先住民の保留水利権を含む,州全ての水利用者の権 利判断を定めるモンタナ水利用法の州議会での可決によって,州議会が州憲法に記載される免責 事項を破棄したと見なされるかどうかだった。モンタナ州は水利用法の制定に関わる憲法改正を 1972 年に行っているが,改正憲法は先住民保留地の水利権を管轄する権利を州が保有・行使する とは述べていない。  先住民に対する州の管轄権行使については,一般法律第 280 号の先例がある。1952 年一般法律 第 280 号により,一部の州で先住民の関わる事案の民事管轄権,及び刑事管轄権を州が行使するこ とが可能となったが,1968 年,影響を受ける先住民部族が州の権限行使に同意することが条件と して課せられた。これに従うならば,州による保留地水利権の管轄についても,部族の同意が求め られて然るべきである89)。最も重要な点として一般法律第 280 号は,「先住民個人,及び先住民部族, 集団,共同体に属する合衆国から信託された,水利権を含む財産や不動産について,譲渡,妨害, 課税することを許可するものでない」90)と述べ,先住民の水利権に州の権限が及ばないことを明言 している。控訴裁判所は一般法律第 280 号の検討を通して,州の権限が黙示的に先住民,及び先住 民保留地に行使されることに異を唱えた91)。  控訴裁判所は,モンタナ州が先住民の保留水利権を司法判断することは妥当ではないと判断し た。しかしこの判断は,合衆国最高裁判所 1983 年 San Carlos Apache 判決(Arizona v. San Carlos

Apache Tribe)92)

によって覆された。

 1983 年 San Carlos Apache 判決は,連邦によって提起される水利権訴訟については州の授権法 の内容に関わらず,全ての州においてマッカラン修正が適用されるとした。1876 年にコロラドが 授権法によらぬ州昇格を果たしたのは歴史的タイミングの問題であり,このことを理由に 1976 年

Colo. River Water Cons. Dist. 判決で示された判断を,授権法によって州昇格を果たした州へ不適用

とするのは,マッカラン修正の趣旨に反するというのが主な理由だった。合衆国最高裁は,マッカ ラン修正の目的は合衆国が主権免除を行使して,州裁判所における水利権の包括的司法判断を妨害 することの阻止であり,先住民の水利権をマッカラン修正の適用外とすることはその目的の達成を 阻害すると判断した。

2)部族主権と信託関係:1983 年 San Carlos Apache 判決

 1975 年にノーザン・シャイアンが部族の名の下で提起した水利権請求は,1983 年 San Carlos

Apache 判決で一つの決着を見た。判決の内容は部族にとって芳しいものではなかったが,当該事

件は水利権係争における部族と合衆国の信託関係が吟味される機会となった。

 授権法における州の免責事項を問うたノーザン・シャイアンの事案は,アリゾナ州で同様の争 点を争うナバホの事案とともに 1983 年 San Carlos Apache 判決において判断された。合同審議にお ける争点は,1)授権法において州が先住民保留地の司法権を放棄していることは,マッカラン修 正の適用の妨げとなるのか,2)合衆国を受託者として介さず,先住民が直接提起して部族の水利 権の司法判断を求める場合,部族は連邦裁判所での判断を仰ぐことができるのか,という二点だっ た93)。  合衆国最高裁は 1)について,州が授権法によって州昇格を果たしたかどうかのいかんに関わら ず,州はマッカラン修正に従って先住民の保留水利権を司法判断できるとした。2)について,最

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