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源義経の末路 : 画題義経蝦夷渡錦絵を読む

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(1)

源義経の末路 : 画題義経蝦夷渡錦絵を読む

著者

信太 周

雑誌名

文林

41

ページ

33-55

発行年

2007-03-20

URL

http://doi.org/10.14946/00001572

(2)

源義経の末路               一   ﹃ 平 安 和 歌 歌 枕 地 名 索 引 ﹄ ( ひ め ま つ の 会 編 、 大 学 堂 書 店 刊 ) に 十 余 首 登 載 さ れ る な ど 歌 枕 と し て 知 ら れ た 陸 奥 の 衣 川 を 、 西 行 法 師 (文 治 六 年 没 、 享 年 七 十 三 ) は 青 年 期 と 晩 年 の 二 度 に わ た り 訪 れ た と さ れ る 。 十 月 十 二 日 、 平 泉 に ま か り 着 き た り け る に 、 雪 降 り 嵐 激 し く 、 殊 の 外 に 荒 れ た り け り 、 い つ し か 衣 川 見 ま ほ し く て ま か り 向 か ひ て 見 け り 、 川 の 岸 に 着 き て 、 衣 川 の 城 し ま は し た る 事 柄 、 様 変 は り て 物 を 見 る 心 地 し け り 、 汀 凍 り て 取 分 寂 び け れ ば   取 り 分 て 心 も 凍 み て 冴 え ぞ 渡 る 衣 川 見 に 来 た る 今 日 し も                                             ( 西 澤 美 仁 校 注 ﹃ 山 家 集 ﹄ 、 和 歌 文 学 大 系 所 収 、 明 治 書 院 刊 )

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文林  四十一号   こ の ︿ 十 月 十 二 日 ﹀ と は 何 れ の 旅 を 示 す 日 時 か ー 目 崎 徳 衛 氏 は 、 ︿ か つ て こ の 一 首 は 、 晩 年 に 東 大 寺 再 建 勧 進 の た め 陸 奥 に 旅 し た 時 の 作 と さ れ 、 し た が っ て 頼 朝 に 抵 抗 し て 孤 立 し た 同 族 や 源 義 経 を 思 っ て ﹁ 忘 れ 果 て た と 信 じ た 北 面 武 士 時 代 の 血 ﹂ が 騒 い だ の か も 知 れ ぬ な ど と 解 釈 さ れ て い た が (小 林 秀 雄 ﹃ 無 常 と い ふ 事 ﹄ ) 、 窪 田 章 一 郎 氏 (﹃ 西 行 の 研 究 ﹄ ) に よ っ て 、 青 年 期 の 旅 の 所 産 で あ る こ と が ほ ぼ 確 実 と な っ た 。 と す れ ば 、 ﹁ 様 変 り て 物 を 見 る 心 地 し け り ﹂ と い う の は 、 陸 奥 の 名 所 衣 河 を 眼 の あ た り 見 た こ と へ の 感 動 で あ ろ う ﹀ (人 物 叢 書 ﹃ 西 行 ﹄ 、 吉 川 弘 文 館 刊 ) と 割 り 切 っ て い る 。 た だ し 、 再 度 陸 奥 の 旅 が 文 治 二 年 で あ る こ と は ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ ( 文 治 二 年 八 月 十 六 日 条 ) で 確 認 で き る と し て 、 初 度 陸 奥 の 旅 に つ い て 年 月 を 明 示 し た 史 料 は 報 告 さ れ て い な い 。 窪 田 章 一 郎 ﹁ 西 行 年 譜 ﹂ (﹃ 西 行 の 研 究 ﹄ 、 東 京 堂 刊 ) ︿ 久 安 三 年 V の 項 に 、 ︿ 陸 奥 の 旅 に た つ と 推 定 さ れ る 。 晩 春 の こ ろ 菩 提 院 前 斎 院 に 長 途 の 旅 の 別 れ の 挨 拶 を す る の は 、 こ の 際 の こ と か ﹀ と 記 さ れ て い る が 、 初 度 の 旅 に し て も ︿ 久 安 三 年 頃 と い う が 、 確 定 は で き な い ﹀ ( 西 澤 美 仁 校 注 ﹃ 山 家 集 ﹄ 脚 注 ) と い う こ と で あ ろ う 。   ち な み に 、 目 崎 氏 が 言 及 し て い る 、 小 林 秀 雄 の 著 名 な 評 論 ﹁ 西 行 ﹂ ( ﹃ 無 常 と い ふ 事 ﹄ 所 収 ) の 一 節 、 ︿ 取 り 分 て 心 も 凍 み て 冴 え ぞ 渡 る 云 々 ﹀ の 和 歌 を 特 筆 し て の 感 懐 は 次 の 通 り 。 (文 治 二 年 ) 十 月 平 泉 に 着 い て 詠 ん だ 歌 で あ る 。 頼 朝 に 抗 し て 嵐 の 中 に 立 つ 同 族 の 孤 塁 を 眺 め て 彼 の 胸 に 感 慨 の 涌 か ぬ 筈 は な か っ た ろ う 。 た だ 、 心 の 中 の 戦 を 、 と 決 意 し て よ り 四 十 余 年 、 自 分 は ど の 様 な 安 心 を 得 た の で あ ろ う か 。 い や 、 若 し 世 に 叛 か な か っ た な ら 、 ど ん な 動 乱 の 渦 中 に 投 じ て 、 ど ん な 人 間 を 相 手 に 血 を 流 し て い た か 。

(4)

同 じ 秀 衡 を 頼 っ て 旅 を 続 け て い た 義 経 は 、 当 時 既 に 平 泉 に 着 い て い た か も 知 れ ぬ 。 若 し そ う だ っ た な ら 彼 は つ い 鼻 の 先 き の 館 か ら 同 じ 吹 雪 を 見 て い た 筈 で あ る 。 こ の 鋭 敏 な 詩 人 に 果 し て 秘 密 は 全 く 覆 れ て い た ろ う か 云 々 。                                                         (小 林 秀 雄 全 作 品 14 ﹃ 無 常 と い う 事 ﹄ 、 新 潮 社 刊 )   評 論 ﹁ 西 行 ﹂ 発 表 当 時 (﹃ 文 学 界 ﹄ 昭 和 17 年 11 月 ・ 12 月 ) 、 西 行 研 究 に あ っ て こ の ︿ 十 月 十 二 日 ﹀ を 再 度 の 旅 文 治 二 年 該 当 で 自 明 の こ と と し て い た 事 情 は あ る に せ よ 、 肝 心 の 前 提 文 治 二 年 説 に 疑 義 が 提 出 さ れ て い る 以 上 、 小 林 秀 雄 ﹁ 西 行 ﹂ の 独 り 歩 き は 許 さ れ ま い 。 と も か く 、 西 行 は 同 時 代 の 武 将 義 経 に つ い て 顕 わ に は 何 も 語 っ て い な い 。

西

西

西 行 に つ い て 言 及 す る 源義経 の末路 三 代 の 栄 耀 一 睡 の 中 に し て 、 大 門 の 跡 は 一 里 こ な た に 有 。 秀 衡 が 跡 は 田 野 に 成 て 、 金 鶏 山 の み 形 を 残 す 。 先 高 館 に の ぼ れ ば 、 北 上 川 、 南 部 よ り 流 る \ 大 河 也 。 衣 川 は 和 泉 が 城 を め ぐ り て 、 高 館 の 下 に て 大 河 に 落 入 。 康 衡 等 が 旧 跡 は 、 衣 が 関 を 隔 て 南 部 口 を さ し 堅 め 、 夷 を ふ せ ぐ と み え た り 。 借 も 義 臣 す ぐ つ て 此 城 に こ も り 、 功 名 一 時 の 叢 と な る 。 ﹁ 国 破 れ て 山 河 あ り 、 城 春 に し て 草 青 み た り ﹂ と 、 笠 打 敷 て 、 時 の う つ る ま で 泪 を 落 し 侍 り ぬ 。

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文林 四十一号

(尾 形 仇 ﹃ お く の ほ そ 道 評 釈 ﹄ 、 角 川 書 店 刊 )   芭 蕉 が 平 泉 を 訪 れ た の は 元 禄 二 年 五 月 の こ と 、 義 経 が こ の 地 で 自 害 し た 文 治 五 年 閏 四 月 か ら 数 え て 五 百 年 、 ま た こ れ に 先 立 つ 天 和 三 年 、 高 館 の 丘 陵 の 上 に 伊 達 綱 村 に よ り 義 経 堂 が 立 て ら れ そ こ が 源 氏 義 経 の 故 城 と 信 ぜ ら れ て い た ( 尾 形 仇 ﹃ お く の ほ そ 道 評 釈 ﹄ ) と あ れ ば 、 こ の 故 地 に 足 止 め て の 義 経 追 憶 の 情 の 高 ま り も む べ な る か な と い う も の で あ ろ う 。   義 経 が 藤 原 泰 衡 等 に 襲 わ れ 衣 川 の 館 で 自 害 し た 云 々 は ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ (文 治 五 年 閏 四 月 三 十 日 条 ) に 記 さ れ 、 そ の 折 の 義 経 主 従 の 悲 壮 な 最 期 の さ ま は ﹃ 義 経 記 ﹄ や 幸 若 舞 曲 ﹃ 高 館 ﹂ 等 の 恰 好 な 題 材 と な り 、 世 に 喧 伝 さ れ て い る と こ ろ で あ る 。 今 日 陸 奥 国 に お い て 、 泰 衡 、 源 豫 州 を 襲 ふ 。 こ れ か つ は 勅 定 に 任 せ 、 か つ は 二 品 の 仰 せ に よ つ て な り 。 與 州 、 民 部 少 輔 基 成 朝 臣 の 衣 河 の 館 に あ り 。 泰 衡 兵 数 百 騎 を 従 へ 、 そ の 所 に 馳 せ 至 り て 合 戦 す 。 與 州 の 家 人 等 相 防 ぐ と い へ ど も 、 こ と ご と く も つ て 敗 績 す 。 豫 州 持 仏 堂 に 入 り 、 ま つ 妻 離 一子 欧 断 を 害 し 、 次 に 自 殺 す と 云 々 。 (貴 志 正 造 訳 注 ﹃ 全 繹 吾 妻 鏡 ﹄ 、 新 人 物 往 来 社 刊 )

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源義経の末路   鎌 倉 幕 府 の 公 式 記 録 と し て 事 実 を 事 実 と し て 淡 々 と 書 き 記 す の は 当 然 と し て 、 一 か 月 半 後 の 腰 越 の 浦 で の 義 経 の 首 実 検 を 記 し て 、 ︿ 件 の 首 は 黒 漆 の 櫃 に 納 れ 、 美 酒 に 浸 し 、 高 平 が 僕 従 二 人 こ れ を 荷 捲 す 。 昔 蘇 公 は み つ か ら そ の 喉 を 捨 ふ 。 今 高 平 は 人 を し て か の 首 を 荷 は し む 。 観 る 者 皆 双 涙 を 拭 ひ 、 両 杉 を 湿 す と 云 々 ﹀ (文 治 五 年 六 月 十 三 日 条 ) と 判 官 び い き に わ た る 言 辞 が 見 ら れ る の は 興 味 深 い 。 ち な み に 、 義 経 の 死 を 聞 き 知 っ た 藤 原 兼 実 は ︿ 今 日 能 保 朝 臣 告 げ 送 り て 云 く 、 九 郎 泰 衡 の た め に 諜 滅 せ ら れ 了 ん ぬ と 云 々 。 天 下 の 悦 び 何 事 か こ れ に 如 か ん や 。 実 に 仏 事 の 助 け な り ﹀ ( ﹃ 玉 葉 ﹂ 文 治 五 年 五 月 二 十 九 日 条 。 高 橋 貞 一 ﹃ 訓 読 玉 葉 ﹄ 、 高 科 書 店 刊 ) と 冷 酷 な 朝 敵 批 判 を も ら し て い る 。 同 じ く 朝 敵 木 曽 義 仲 臭 首 の 報 告 を 受 け て の 言 ︿ 天 の 逆 賊 を 罰 す る 、 宜 な る か な 宜 な る か な ﹀ (﹃ 玉 葉 ﹄ 寿 永 三 年 一 月 二 十 日 条 ) と 同 質 で あ る こ と が 思 い 合 わ さ れ る 。   な お 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ の 一 節 、 ︿ 義 経 等 の 所 行 、 実 に 以 て 義 士 と 謂 ふ べ き か ﹀ (文 治 元 年 十 一 月 三 日 条 ) や ︿ 義 経 大 功 を 成 し 、 そ の 詮 無 し と 錐 も 、 武 勇 と 仁 義 と に 於 て は 、 後 代 の 佳 名 を 胎 す 者 か 。 歎 美 す べ し 歎 美 す べ し ﹀ (同 七 日 条 ) を 取 り 上 げ て 、 ︿ 兼 実 に し て 、 こ の ﹁ 判 官 び い き ﹂ の 声 で あ る 。 判 官 び い き が 世 に 行 な わ れ た の は 当 然 で あ ろ う ﹀ (角 川 源 義 ﹁ 西 国 落 ち ﹂ 、 角 川 源 義 ・ 高 田 実 ﹃ 源 義 経 ﹄ 所 収 、 角 川 書 店 刊 ) と の 指 摘 が あ る 。 た だ し 、 こ の 間 の 事 情 頼 朝 に よ る 追 討 を 恐 れ て の 義 経 の 西 国 下 向 、 し か も 法 皇 を 奉 じ て 鎮 西 下 向 せ ん と す る も 許 容 な し 云 々 を 承 け て の 記 事 、 ︿ 弥 人 望 に 乖 き 、 そ の 勢 日 を 逐 う て 減 少 し 、 敢 へ て 与 力 の 者 無 し 。 例 つ て 京 都 に 於 て 関 東 の 武 士 を 支 へ 難 く 、 こ こ を 以 て 下 向 す と 云 々 。 院 中 已 下 諸 家 、 京 中 悉 く 以 て 安 穏 。 義 経 等 の 所 行 、 実 に 以 て 義 士 と 謂 ふ べ き か 。 洛 中 の 尊 卑 随 喜 せ ざ る 無 し 。 若 し 以 前 の 風 聞 の 如 く ば 、 王 侯 卿 相 一 人 と し て 身 を 全 か ら し む べ か ら ず 云 々 ﹀ (文 治 元 年 十 一 月 三 日 条 )

(7)

文林  四十一号 で あ る こ と を 思 え ば 、 あ げ て ︿ 判 官 び い き ﹀ と 決 め 付 け る わ け に は い く ま い 。   義 経 高 館 に て の 自 害 と 信 じ て 疑 わ ぬ 芭 蕉 で あ る が 、 ﹃ お く の ほ そ 道 ﹄ の 旅 に 先 立 つ こ と 約 二 十 年 、 史 書 ﹃ 本 朝 通 鑑 ﹄ (寛 文 十 年 成 立 ) は 、 義 経 自 害 の 記 事 に か か わ り 、 義 経 平 泉 を 脱 出 云 々 の 俗 伝 を 載 せ て い る 。 芭 蕉 の 耳 に は こ の 俗 伝 の 類 伝 わ る こ と は な か っ た の で あ ろ う か 。 俗 伝 又 日 。 会 刊 ) 衣 河 之 役 義 経 不 レ 死 、 逃 到 二 蝦 夷 島 ﹁存 二 其 遺 種 一。 (﹃ 続 本 朝 通 鑑 ﹄ 文 治 五 年 閏 四 月 三 十 日 条 、 国 書 刊 行   徳 川 光 囲 の 命 に よ り 編 纂 を 開 始 し た ﹃ 大 日 本 史 ﹄ に も ︿ 然 則 義 経 偽 死 而 遁 去 乎 、 至 レ 今 夷 人 崇 二 奉 義 経 一、 祀 而 神 レ 之 、 蓋 或 有 二 其 故 一也 ﹀ (列 伝 四 ﹁ 源 義 経 ﹂ 項 、 大 日 本 雄 弁 会 刊 ) と 記 す な ど 義 経 平 泉 に 死 せ ず 云 々 の 席 巻 し た こ と は 、 岩 崎 克 己 ﹃ 義 経 入 夷 渡 満 説 書 誌 ﹄ ( 私 家 版 ) や 白 山 友 正 ﹃ 松 前 蝦 夷 地 義 経 伝 説 考 ﹄ (北 海 道 経 済 史 研 究 所 研 究 叢 書 ) に 詳 し い 。 な か で 、 芭 蕉 の 義 経 追 懐 に か か わ っ て 異 議 申 し 立 て る か の よ う に 、 義 経 の 平 泉 脱 出 、 蝦 夷 渡 り を 説 く ﹃ お く の ほ そ 道 ﹂ の 注 釈 書 が 目 に つ く 。

﹃奥

(安

)

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(萩

)

あ り 、 そ の 全 文 が 翻 刻 収 載 さ れ て い る が 、 ﹁ 義 経 追 討 ノ 事 ﹂ を 立 項 、 或 る 説 と し て 義 経 の 蝦 夷 渡 り 、 更 に は 中 華 に 渡 る 云 々 の 説 の あ る こ と を あ げ 、 以 下 、 新 井 白 石 ﹃ 蝦 夷 志 ﹄ (享 保 五 年 自 序 ) を 引 用 し て こ の 説 の 信 ず る に 足 る 所 以 を

(8)

熱 意 込 あ て 説 明 し て い る 。 按 ル ニ 、 鍛 夷 志 二 云 、 鍛 夷 俗 、 尤 敬 レ 神 、 而 不 レ 設 二 祠 壇 一、 其 飲 食 所 レ 祭 者 、 源 廷 尉 義 経 也 。 東 部 有 二 廷 尉 居 止 之 嘘 一。 土 人 最 好 レ 勇 。 夷 中 皆 畏 レ 之 。 夷 俗 凡 飲 食 、 乃 祝 レ之 日 ニ オ キ ク ル ミ 一。 問 レ之 則 日 二 判 官 一。 判 官 蓋 所 謂 オ キ グ ル ミ 、 夷 中 所 レ 称 二 廷 尉 }之 言 也 。 又 云 、 西 部 地 名 、 亦 有 二 弁 慶 崎 者 一。 或 伝 二 、 廷 尉 去 レ 此 而 鍮 二 北 海 一云 。 又 東 都 ノ 俳 士 玄 武 房 、 予 二 語 テ 云 、 今 ノ 中 華 ハ 、   鞘 人 ノ 治 ニ テ 、 世 ヲ 清 ト 云 。 其 ノ 先 ハ 義 経 ヲ 祖 ト ス 。 故 二 世 号 モ 亦 清 和 源 氏 ノ 清 ヲ 取 ト 。 乃 チ 清 朝 ニ テ 撰 述 セ シ 図 書 大 成 ト 云 書 二 載 ス ト 聞 ヌ ト 。 按 ズ ル ニ 、 今 清 朝 王 城 下 ノ 戸 戸 、 義 経 ノ 画 像 ヲ 門 柱 二 粘 事 、 蝦 夷 志 二 見 ヱ テ 、 玄 武 房 ノ 談 ト 符 合 ス 。 義 経 高 館 二 死 セ ズ 、 鍛 夷 ヲ 経 テ 、 中 華 二 渡 ル 事 ハ 、 実 ニ シ テ 明 カ ナ リ 。 ( ﹃ 奥 細 道 菅 菰 抄 ﹄ 、 岩 波 文 庫 本 ﹃ 芭 蕉 お く の ほ そ 道 ﹄ 所 収 ) 源義経の末路   義 経 の 蝦 夷 渡 り に は 信 愚 す る に 足 る 何 の 史 料 の 裏 付 け も な い こ と は 金 田 一 京 助 ﹁ 義 経 入 夷 伝 説 考 ﹂ ( ﹃ 金 田 一 京 助 全 集 ﹄ 所 収 、 三 省 堂 刊 ) 等 で 論 破 し 尽 く さ れ て い る こ と で あ る が 、 時 は 江 戸 後 期 、 儒 学 者 ・史 学 者 と し て 著 名 な 新 井 白 石 ま で 加 わ っ て の 義 経 蝦 夷 渡 説 と あ れ ば 、 俳 人 玄 武 房 (寛 政 十 年 没 ) の 直 話 と も 相 侯 っ て 、 蓑 笠 庵 梨 一 が こ の 説 に の め り 込 む の も 無 理 か ら ぬ こ と で あ ろ う 。 芭 蕉 の あ の 高 館 に て の 絶 唱 を さ え あ げ つ ら い か ね な い ︿ 義 経 高 館 二 死 セ ズ 云 々 ﹀     ﹃ お く の ほ そ 道 ﹂ 古 注 釈 の な か で 、 ︿ 注 解 は 詳 細 で 、 後 世 の 注 解 に 多 大 の 影 響 を 与 え 、 参 考 資 料 と し て の 価 値 は 高 い V (西 村 真 砂 子 ・ 久 富 哲 雄 編 ﹃ 奥 の 細 道 古 註 集 成 ﹄ ﹁ 諸 本 解 説 ﹂ 、 笠 間 書 院 刊 ) と 評 さ れ る ﹃ 奥 細 道 菅 菰 抄 ﹄ の 所

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文林 四十一号 説 に し て こ れ を 受 け 継 ぐ の は 、 こ の 注 の ほ か 二 十 一 種 の 古 注 を 収 め た ﹃ 奥 の 細 道 古 註 釈 集 成 ﹄ に よ れ ば 、 ﹃ 奥 の ほ そ 道 解 ﹄ (後 素 堂 著 、 天 明 七 年 稿 ) の み で あ る 。 芭 蕉 翁 の 感 懐 に 対 す る は ば か り も 作 用 し て い る の で あ ろ う か 。

(岩

18

5

)

(正

)

に よ れ ば 、 新 井 白 石 は ﹃ 蝦 夷 志 ﹄ の ほ か 按 ず る に 此 と し (文 治 五 年 ) 二 月 、 忠 衡 う た れ し と い ふ 。 東 鑑 に み え し 所 は 六 月 廿 六 日 の 事 也 。 お も ふ に 、 東 鑑 の 説 し か る べ き 敦 。 世 に 伝 ふ 。 此 時 義 経 死 な ず と 。 思 ふ に 忠 衡 が も と に の が れ し な る べ し 。 か つ 義 経 已 に 自 殺 し て 館 に 火 を は な ち し と も い ふ 軟 。 泰 衡 が 献 ぜ し 首 真 な る に は あ ら じ 。 ( 略 ) 世 に 伝 ふ る 事 の ご と く な ら ん に は 、 忠 衡 が 討 れ し も 、 義 経 の 討 れ し よ り さ き 百 日 に 近 し 。 忠 衡 す で に 討 れ し 上 は 義 経 の 死 ち か き に あ る 事 、 智 者 を 待 ず し て 明 ら か 也 。 義 経 手 を 束 ね て 死 に 就 べ き 人 に あ ら ず 。 不 審 の 事 な り 。 今 も 蝦 夷 の 地 に 義 経 の 家 の 跡 あ り 。 又 夷 人 飲 食 に 必 ま つ る 。 そ の い は ゆ る ヲ キ ク ル ミ と い ふ は 即 義 経 の 事 に て 、 義 経 の ち に は 奥 へ ゆ き し な ど い ひ 伝 へ し と も い ふ 也 。 (村 岡 典 嗣 校 訂 ﹃ 読 史 余 論 ﹄ 巻 一 、 岩 波 文 庫 ) 読 ん で の 通 り 、 歴 史 家 白 石 の 論 と て 今 と な っ て は 、 何 の 史 料 の 裏 付 け も な い 憶 測 の 域 を 出 な い も の と し か 評 し よ う

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源義経 の末路 が な い 態 の も の で あ る 。 し か し 、 ﹃ 義 経 入 夷 渡 満 説 書 誌 ﹄ に は ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ に 始 ま っ て 義 経 の 末 路     賛 否 こ も ご も ︿ 義 経 平 泉 二 死 セ ズ ﹀ に 言 及 し た 著 作 、 官 撰 修 史 ﹃ 本 朝 通 鑑 ﹄ や ﹃ 大 日 本 史 ﹂ 等 を 含 あ て 昭 和 17 年 10 月 発 行 の 論 を 限 り と し て 計 六 一 八 種 に 及 ぶ 書 誌 を 収 め て い る 。 以 て 、 英 雄 不 死 願 望 の 一 環 と し て 義 経 蝦 夷 渡 海 説 の も て は や さ れ て い た さ ま が 見 て 取 れ る 。   確 か に 歴 史 研 究 に あ っ て は 、 ﹃ 大 日 本 史 料 ﹄ 文 治 五 年 閏 四 月 三 十 日 条 、 ﹁義 経 妻 子 を 殺 し て 自 殺 ﹂ の 見 出 し の も と に 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ ﹃ 玉 葉 ﹄ ﹃ 百 練 抄 ﹄ ﹃ 北 条 九 代 記 ﹄ ﹃ 鎌 倉 大 日 記 ﹄ ﹃ 保 暦 間 記 ﹄ ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹂ ﹃ 左 記 ﹄ ﹃ 参 考 源 平 盛 衰 記 ﹄ の 当 該 記 事 を 摘 記 し た そ の 末 尾 の 注 、     義 経 ノ 衣 川 館 二 自 殺 セ シ コ ト ハ 、 前 掲 の 諸 書 二 徴 シ テ 明 カ ナ リ 、 後 世 、 或 ハ 其 遁 レ テ 蝦 夷 二 至 シ ヲ 云 フ 者 ア リ 、     遂 二 支 那 二 赴 キ テ 、 金 国 二 事 ヘ シ ト シ 、 又 、 清 国 の 肇 祖 ト ナ リ シ ト ス ル ノ 説 ヲ 生 ズ ル ニ 至 レ リ 、 然 リ ト 錐 ド モ 、     其 信 ヲ 取 ル ニ 足 ラ ザ ル ハ 、 前 人 既 二 弁 明 シ テ 、 復 、 余 緬 ナ シ 、 今 一 切 之 ヲ 採 ラ ズ 、 ( ﹃大 日 本 史 料 ﹄ 第 四 編 之 二 、     東 京 大 学 出 版 会 刊 ) で 決 着 の つ い て い る こ と で あ る 。 し か し 、 ︿ 史 実 的 成 分 は 殆 ど 認 め 難 い が 、 併 し 説 話 と し て は 史 謳 的 な 形 で 語 ら れ て い る 武 勇 伝 説 ﹀ と し て 、 島 津 久 基 ﹃ 義 経 伝 説 と 文 学 ﹂ (明 治 書 院 刊 、 初 版 昭 和 10 年 ) は ﹁ 義 経 の 末 路 に 関 す る 伝 説 ﹂ の 一 節 ﹁ 蝦 夷 渡 伝 説 ﹂ の 項 を 設 け 、 ︿ ﹃ 続 本 朝 通 鑑 ﹄ (巻 七 九 ) 、 ﹃ 新 安 手 簡 ﹄ 、 ﹃ 源 義 経 将 棊 経 ﹄ ( 五 段 目 ) 等 。 そ の 他 江 戸 時 代 の 義 経 物 及 び 蝦 夷 に 関 す る 地 誌 ・ 紀 行 等 殆 ど 皆 こ れ を 伝 へ な い も の は な い く ら ゐ で あ る 。 現 時 に 至 る ま で 彼 地 に 於 て も 亦 信 ぜ ら れ て い る ﹀ と 論 じ て い る 。 こ こ に 網 羅 詳 述 さ れ て い る 義 経 蝦 夷 渡 伝 説 を 題 材 と す る 霧 し い 江 戸 時

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文林 四十一号 代 の 文 芸 ・ 戯 曲 の 数 々     錦 絵 ま た そ の 坪 外 で は な い 。   平 教 経 が 安 田 遠 江 守 と そ の 甥 一 条 次 郎 忠 頼 に 追 い 詰 め ら れ て の 討 死 云 々 を 画 題 と す る 錦 絵 は 、 岩 切 友 里 子 氏 の ご 教 示 に よ れ ば ﹃ 義 経 勲 功 記 ﹄ (馬 場 信 意 著 、 正 徳 二 年 刊 ) を 承 け た 、 ﹃ 絵 本 義 経 記 ﹄ ( 北 尾 重 政 画 、 安 永 二 年 刊 ) 、 黒 本 ﹃ 義 経 一 代 記 ﹄ (鳥 居 清 長 画 、 推 定 安 永 末 刊 ) 、 ﹃ 絵 本 義 経 一 代 実 記 ﹄ (勝 川 春 章 画 、 天 明 七 年 刊 ) 等 が 典 拠 と な っ て い る 由 (拙 稿 ﹁ ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 異 文 の 効 用 ﹂ 、 ﹃ 文 林 ﹄ 40 号 ) 、 義 経 の 蝦 夷 渡 り 云 々 も ま た こ れ 等 諸 書 等 し く そ の 末 尾 を 締 め 括 っ て い る 挿 話 で あ る 。 ち な み に 、 ﹃ 絵 本 義 経 一 代 実 記 ﹄ 巻 五 の 末 尾 (図 版 A ) は 次 の 通 り 。 城 内 た ち ま ち 炎 と 成 に け る 。 掬 、 衣 川 の 一 の 橋 に は 弁 慶 立 な が ら さ い ご と 見 へ し が 、 近 よ り み れ ば わ ら 人 形 な り 。 ま た 城 中 火 し づ ま り て か け 入 見 れ ば 、 よ し 経 な ら び に 北 の か た 、 若 君 ま で 自 害 し 給 ふ 躰 は 何 人 に て か あ り け ん 、 み な く 御 首 を 打 て 、 か ま く ら へ お く り て 後 、 や す ひ ら も 高 館 の 城 中 に 入 て ぬ け 穴 に い た れ ば 、 よ し つ ね 朝 臣 、 良 等 に い た る ま で こ と ゐ \ く 夷 の 舟 ま ち し て お は し ま し た り 。 や す ひ ら 兄 弟 よ ろ こ び て い そ ぎ 舟 に と り の り け る 。 秀 衡 が ゆ い 状 は ゑ ぞ 渡 海 の 案 内 を し る せ り 。 そ れ よ り 義 経 は や す く と ゑ ぞ 国 へ お し わ た り て 国 王 と な り 、 百 余                                     ぎ く る み 歳 の 長 寿 を た も ち 給 ふ 。 今 も 尚 其 神 霊 を 義 経 大 明 神 と あ が め 奉 り て あ る ぞ め で た け れ 。 と こ ろ で 錦 絵 ﹁ 本 朝 武 優 鏡   源 義 経 ﹂ (朝 桜 楼 国 芳 画 、 天 保 ・ 弘 化 期 ) (図 版 B ) は 画 中 詞 書 で 義 経 の 一 代 記 を 綴 っ て 、 そ の 末 尾 を ︿ 秀 衡 の 館 に 暫 ら く 止 り て 後 に 蝦 夷 の 国 へ 渡 る と い ふ ﹀ と 結 ん で い る 。

(12)

義 朝 の 第 九 の 子 に て 頼 朝 の 末 弟 な り 。 平 治 元 年 に 誕 生 し て 二 歳 に て 父 に は な れ 、 幼 名 牛 若 丸 と 云 。 又 舎 那 王 と い へ り 。 幼 少 の 時 鞍 馬 に て 劔 術 を 習 ひ 、 成 長 し て 奥 州 へ 下 り 、 路 次 に て 熊 坂 を 討 と り 、 又 元 服 し て 源 九 郎 冠 者 と 名 の つ て 、 後 頼 朝 義 兵 の 時 義 経 の は た ら き に て 平 家 の 一 ぞ く を 討 ほ ろ ぼ せ り 。 義 経 武 勇 す ぐ れ 軍 略 に 達 し 、 諜 言 の 為 に よ つ て 頼 朝 の 勘 気 を 蒙 り て 二 た び 奥 州 へ 下 り 、 秀 衡 の 館 に 暫 ら く 止 り て 後 に 蝦 夷 の 国 へ 渡 る と い ふ 。 ( 国 芳 画 ﹁ 本 朝 武 優 鏡 源 義 経 ﹂ ) 源義経 の末路   同 じ く 義 経 の 一 代 を 略 述 し て 、 そ の 図 様 は 相 違 す る も の の ﹁ 英 雄 一 百 伝   伊 豫 守 源 義 経 ﹂ ( 一 勇 斎 国 芳 画 、 弘 化 ・ 嘉 永 期 ) も ︿ 義 経 敵 を 計 り て 蝦 夷 国 に 渡 る と か や ﹀ と 結 ん で い る 。 こ れ 等 詞 書 記 者 は 何 人 か 示 さ れ て い な い が 、 ﹁ 本 朝 稚 水 濤 伝   牛 若 丸 ﹂ ( 一 英 斎 芳 艶 画 、 弘 化 ・ 嘉 永 期 ) (図 版 C ) の よ う に 、 そ の 詞 書 末 尾 ︿ 梶 原 が 識 言 に 因 て 流 浪 し て 再 び 奥 州 へ 下 り 、 そ の 後 蝦 夷 が 嶋 へ 渡 る と い ひ 伝 ふ 。 松 亭 金 水 伝 記 ﹀ と 記 者 を 明 記 す る 錦 絵 も あ る 。 松 亭 金 水 (文 久 二 年 没 ) に は ﹃ 日 本 百 将 伝 一 夕 話 ﹂ (嘉 永 七 年 刊 ) の 著 が あ り 、 そ の 巻 七 ﹁ 源 義 経 ﹂ に ︿ 衣 川 に て 戦 ひ 破 れ 、 世 に 討 死 と 披 露 し 、 弁 慶 以 下 四 天 王 の う ち 亀 井 片 岡 等 、 又 季 三 太 経 春 の 所 従 を 倶 し て 蝦 夷 へ 遁 る 。 夷 人 尊 崇 し て 是 を 保 護 す 。 後   靱 に 到 り 、 国 王 の 婿 と な れ り と い ふ 説 あ り 。 今 奥 蝦 夷 に 義 経 大 明 神 と 崇 む と い ふ ﹀ (﹃ 日 本 百 将 伝 一 夕 話 ﹄ 、 絵 入 文 庫 刊 行 会 刊 ) と 記 し て 確 か に 符 合 す る 。   錦 絵 の 画 題 と し て 義 経 の 蝦 夷 渡 り が も て は や さ れ 、 ﹁ 義 経 蝦 夷 渡 之 図 ﹂ ( 一 猛 斎 芳 虎 画 、 弘 化 期 ) (図 版 D ) 等 多 く の 作 品 が 紹 介 さ れ て い る が (越 崎 宗 一 ﹃ 開 拓 使 前 後 ﹄ 、 北 海 道 出 版 企 画 セ ン タ ー 刊 ) 、 な か で 、 絵 双 六 の 類 ﹁ 義 経 出 世

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文林 四十一号 双 六 ﹂ ( 一 陽 斎 豊 国 画 、 弘 化 頃 ) 、 ﹁ 新 版 源 氏 栄 義 経 双 六 ﹂ ( 一 猛 斎 芳 虎 画 、 弘 化 頃 ) 、 ﹁ 義 経 一 代 勲 功 双 六 ﹂ ( 一 寿 斎 芳 員 画 、 安 政 三 年 ) ( 図 版 E ) の 図 様 は 興 味 深 い (加 藤 康 子 ・ 松 村 倫 子 編 著 ﹃ 幕 末 ・ 明 治 の 絵 双 六 ﹂ 、 国 書 刊 行 会 刊 ) 。 悲 運 義 経 の 生 涯 に 栄 光 の ︿ 上 が り ﹀ は あ る の か ー こ れ 等 絵 双 六 は 何 の た め ら い も な く 平 泉 高 館 の 戦 の 次 を 義 経 蝦 夷 渡 海 や 蝦 夷 人 の 表 敬 場 面 で 結 ん で お り 、 非 業 の 最 期 な ど ど こ 吹 く 風 と い っ た 態 で あ る 。   な お 、 錦 絵 ﹁ 義 経 十 九 臣 ﹂ ( 一 勇 斎 国 芳 画 、 安 政 二 年 、 和 泉 屋 市 兵 衛 版 ) の 類 も 義 経 蝦 夷 渡 伝 説 の 一 環 で 捉 え ら れ て い る (﹃ 蝦 夷 風 俗 画 展 ﹄ 、 リ ッ カ ー 美 術 館 ) 。 例 え ば ほ ぼ 同 じ 図 様 の ﹁ 義 経 拾 九 臣 之 図 ﹂ (国 綱 画 、 安 政 六 年 ) ( 図 版 F )    船 中 義 経 を 囲 ん で 既 に 討 死 し た は ず の 佐 藤 次 信 ・ 忠 信 兄 弟 ま で 描 く の は 理 に 当 ら な い が 、 小 手 を か ざ し て 舳 先 に 立 つ 弁 慶 の 姿 な ど 、 絵 双 六 ﹁ 義 経 一 代 勲 功 双 六 ﹂ (芳 員 画 ) の ︿ 上 が り ﹀ の 図 様 そ の ま ま と 言 っ て よ い 。   史 実 に 即 し て 確 認 で き る 義 経 股 肱 の 武 士 -高 田 実 氏 は 、 ︿ 疑 い も な く 、 義 経 の 家 臣 と し て 、 堅 い 主 従 関 係 の も と に 活 躍 し た も の は 佐 藤 兄 弟 、 伊 勢 義 盛 、 亀 井 重 清 、 堀 弥 太 郎 景 光 、 片 岡 弘 経 ぐ ら い し か い な い の で あ る 。 源 平 争 乱 に 終 止 符 を 打 つ 歴 史 の 立 て 役 者 義 経 に し て は 、 あ ま り に さ び し い 直 属 の 家 臣 団 で あ っ た と い ま さ ら な が ら 驚 く の で あ る ﹀ (﹁ 源 平 争 乱 の 舞 台 裏 ﹂ 、 角 川 源 義 ・ 高 田 実 ﹃ 源 義 経 ﹂ 所 収 ) と 指 摘 し て い る 。 ﹃ 義 経 勲 功 記 ﹂ か ら 総 凌 え し た の で あ ろ う 、 ﹃ 絵 本 義 経 一 代 実 記 ﹄ 巻 五 巻 末 に 、 義 経 股 肱 の 武 士 列 挙 を 企 て 、 ﹁義 経 之 家 人 一 騎 当 千 廿 一 騎 之 図 ﹂ が 載 る 。 義 経 を 中 心 に 家 臣 団 が 控 え る の 図 、 ︿ 廿 一 騎 ﹀ と ︿ 十 九 臣 ﹀ 、 あ る い は 人 名 表 記 の 相 違 や 家 臣 の 出 入 り は あ る も の の 、 こ の ﹃ 絵 本 義 経 一 代 実 記 ﹂ が 種 本 の 一 つ で あ っ た と さ れ る 国 芳 画 錦 絵 (鈴 木 重 三 編 著 ﹃ 国 芳 ﹂ 、 平 凡 社 刊 ) に 、 こ れ と 図 様 の 通 う ﹁義 経 十 九 臣 ﹂ ( 一 勇 斎 国 芳 画 、 天 保 ・ 弘 化 期 、 布 吉 版 ) が あ る 。 そ れ が 、 国 芳 は 同 名 画 題 ﹁ 義 経 十 九

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臣 ﹂ (安 政 二 年 、 和 泉 屋 市 兵 衛 版 ) 描 き 変 え に あ た っ て 、 こ れ 等 家 臣 団 を 丸 ご と 蝦 夷 を 目 指 す 屋 形 船 乗 船 の 態 に し た と い う こ と で あ ろ う 。 義 経 蝦 夷 渡 海 伝 説 の 根 強 い 支 持 を う か が わ せ る 図 様 -布 吉 版 、 和 泉 屋 市 兵 衛 版 の 何 れ が 当 り を 取 っ た の か 知 り た い と こ ろ で あ る 。 源義経の末路               四   巷 に 氾 濫 す る 義 経 蝦 夷 渡 海 伝 説     ︿ 江 戸 時 代 の 文 学 で 義 経 を 高 館 に 死 な せ た も の は 、 僅 に ﹃ 金 平 本 義 経 記 ﹂ ﹃ 義 経 興 廃 記 ﹄ の 二 三 種 に 過 ぎ な い 。 そ し て そ れ ら は い つ れ も ﹃ 義 経 記 ﹄ の 系 統 を 引 い て 、 忠 実 に こ れ を 祖 述 し た 類 の も の で あ る ﹀ ( 島 津 久 基 ﹃ 義 経 伝 説 と 文 学 ﹄ ) と 説 明 さ れ て い る 。 確 か に 整 版 流 布 本 ﹃ 義 経 記 ﹂ (元 禄 二 年 刊 ) の 最 終 巻 巻 第 八 末 尾 は ﹁ こ ろ も 川 合 戦 の 事 ﹂ ﹁ 判 官 殿 御 自 害 の 事 ﹂ ﹁ か ね ふ さ が 最 期 の 事 ﹂ ﹁ 秀 平 が 子 ど も 御 つ い た う の 事 ﹂ の 構 成 で あ り 、 ﹃ 義 経 記 ﹄ 諸 異 本 と も に 義 経 の 平 泉 高 館 で の 自 害 を 記 し て そ れ 以 後 に わ た る も の は な い 。 義 経 蝦 夷 渡 海 伝 説 を 摺 り 込 ま れ た 人 々 に と っ て 、 ﹃ 義 経 記 ﹄ の 読 後 感 い か よ う な も の で あ っ た ろ う か 。   と こ ろ で 、 ︿ 此 平 家 物 語 一 方 検 校 衆 以 吟 味 令 開 板 之 者 也 ﹀ 等 の 刊 記 を 持 つ 整 版 流 布 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ に あ っ て 、 壇 浦 合 戦 等 で の は な ぱ な し い 戦 功 も つ か の 間 、 頼 朝 に よ る 迫 害 の 果 て 都 脱 出 に ま で 追 い 詰 め ら れ た 義 経 の そ の 後 の 消 息 に つ い て は 誠 に 素 っ 気 な い 。 明 く る 四 日 の 日 、 大 物 の 浦 よ り 船 に て 下 ら れ け る が 、 折 節 西 の 風 烈 し う 吹 き け れ ば 、 判 官 の 乗 り 給 へ る 船 は 、 住

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文林 四十一号 吉 の 浦 へ 打 上 げ ら れ て 、 そ れ よ り 吉 野 山 へ そ 籠 ら れ け る 。 吉 野 法 師 に 攻 め ら れ て 、 奈 良 へ 落 つ 。 奈 良 法 師 に 攻 め ら れ て 、 又 都 へ 帰 り 上 り 、 北 国 に 懸 つ て 、 終 に 奥 へ そ 下 ら れ け る 。 (巻 十 二 ﹁ 判 官 都 落 ﹂ 。 高 橋 貞 一 校 注 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 、 講 談 社 文 庫 。 底 本 は 元 和 九 年 刊 本 )   こ の 構 成 は 流 布 本 に 至 る 一 方 流 諸 本 の 系 譜 の 源 た る 覚 一 本 も 変 わ り は な い が 、 諸 注 指 摘 す る 通 り 、 八 坂 流 後 出 本 に は 、 ﹁吉 野 軍 ﹂ と し て 義 経 の 身 代 り と な り 奮 戦 す る 佐 藤 忠 信 を 描 く 別 立 て 章 段 が あ る 。 確 か に 、 八 坂 流 一 類 本 (文 禄 本 ・ 中 院 本 ) や 四 類 本 (両 足 院 本 ・ 大 前 神 社 本 ) は 吉 野 で の 忠 信 奮 戦 の 個 所 は な く そ の 構 成 は 一 方 流 本 に 通 じ る が 、 二 類 本 (城 方 本 ・ 奥 村 家 本 ) 、 四 類 本 (南 部 本 ・ 米 沢 本 ) 、 五 類 本 (城 一 本 ) 等 に は ﹁ 吉 野 軍 ﹂ が 存 し 、 ま た 、 城 方 本 ・ 奥 村 家 本 は ﹁ 法 住 寺 合 戦 ﹂ ( 巻 十 二 ) で 、 両 足 院 本 ・ 大 前 神 社 本 は ﹁ 判 官 於 奥 州 衣 川 討 死 事 ﹂ (巻 十 二 ) 、 南 部 本 ・ 米 沢 本 は ﹁ 判 官 最 後 ﹂ (巻 十 二 ) 等 の も と 、 簡 略 で は あ る が 義 経 の 高 館 で の 最 期 ま で 記 し て い る (池 田 敬 子 ﹁ 断 絶 平 家 型 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 諸 本 の 本 文 形 成 ﹂ 、 ﹃ 軍 記 と 室 町 時 代 物 語 ﹂ 、 清 文 堂 刊 。 鈴 木 彰 ﹁ 八 坂 系 諸 本 の 位 相 ﹂ 、 ﹃ 平 家 物 語 の 展 開 と 中 世 社 会 ﹄ 、 汲 古 書 院 刊 ) 。   八 坂 流 諸 本 の 分 類 は 最 新 の 成 果 ﹁ 八 坂 系 平 家 物 語 伝 本 一 覧 ﹂ (山 下 宏 明 編 ﹃ 平 家 物 語 八 坂 系 諸 本 の 研 究 ﹄ 所 収 、 三 弥 井 書 店 刊 ) に 従 っ た が 、 八 坂 流 後 出 本 に は 一 方 流 本 文 と の 混 態 が 認 め ら れ る な ど そ の 系 譜 究 明 は 一 筋 縄 で は い か な い (山 下 宏 明 ﹁ 八 坂 系 諸 本 研 究 史 ﹂ 、 山 下 宏 明 編 ﹃ 平 家 物 語 八 坂 系 諸 本 の 研 究 ﹂ 所 収 ) 。 確 か に 、 義 経 の 末 路 に 限 っ て も 、 城 一 本 は 巻 十 二 ﹁ 判 官 都 落 ﹂ を く か く て も あ ら れ ね ば 、 ひ で ひ ら 入 道 を た の ま ん と て 主 従 十 余 人 山 ぶ し の す が た

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に て 出 立 て 、 物 語 城 ↓ 本 見 当 ら な い 。 北 国 へ か か り つ \ わ う し う へ 下 ら れ け る と そ 聞 え し ﹀ (新 潟 大 学 人 文 学 部 中 世 文 学 研 究 室 ﹁ 翻 刻 ・ 平 家 巻 第 十 二 ﹂ 、 ﹃ 新 潟 大 学 国 語 国 文 学 会 誌 ﹂ 37 号 ) と 結 ん で 以 後 、 高 館 で 自 害 等 義 経 の 消 息 に 触 れ る 個 所 は ち な み に 、 大 前 神 社 本 に は 義 経 の 最 期 が 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 去 程 二 九 郎 大 夫 判 官 ハ 奥 州 平 泉 二 下 着 シ テ 秀 平 入 道 二 合 テ 此 由 日 ケ レ バ 、 甲 斐 々 々 敷 モ 被 愚 奉 テ 衣 川 ガ 城 二 入 奉 テ 、 其 二 暫 ク 休 メ 奉 ル 。 秀 衡 入 道 申 ケ ル ハ 、 ﹁ イ サ ヤ 、 鎌 倉 殿 二 御 中 直 シ 奉 ラ ン 。 縦 又 奥 ヲ 被 責 ト 云 共 、 殿 ヲ 大 将 軍 二 師 奉 テ 、 羽 州 奥 州 両 国 廿 八 万 騎 ノ 勢 ヲ 以 テ 防 ン ニ ナ ド カ 支 ヘ ザ ル ベ キ ﹂ ト 世 二 愚 シ 気 ニ コ ソ 申 ケ レ 。 而 二 判 官 ノ 運 ヤ 尽 ニ ケ ン 、 文 治 四 年 十 一 月 廿 日 、 秀 衡 入 道 ハ 年 六 十 六 ニ テ 失 ヌ 。 懸 シ カ バ 、 西 城 戸 ノ 太 郎 頼 衡 、 泉 小 次 郎 泰 衡 イ ツ シ カ 父 ガ 命 ヲ 背 テ 、 明 ル 文 治 五 年 四 月 十 五 日 、 五 百 余 騎 ノ 勢 ニ テ 柳 ガ 城 へ 押 寄 テ 終 二 判 官 殿 ヲ 討 奉 ル 。 (﹃ 大 前 神 社 本 平 家 物 語 ﹄ 、 お う ふ う 刊 ) 源義経 の末路   文 覚 流 罪 に か か わ っ て 頼 朝 の 死 を 記 し な が ら 、 大 方 の ﹃ 平 家 物 語 ﹄ が 義 経 の 最 期 に 触 れ な い こ と     水 原 一 氏 は 、     平 家 物 語 の 本 流 は 義 経 の 末 路 を 中 断 し て い る た め 、 い わ ゆ る "判 官 び い き " の 立 場 か ら は 不 満 が 寄 せ ら れ て い る 。     (略 ) だ が そ れ は 、 平 家 物 語 が 文 字 通 り 平 家 の 物 語 と し て 受 け 取 ら れ る べ き こ と を き っ ぱ り 告 げ る 姿 勢 な の だ と     い え る で あ ろ う 。 (新 潮 古 典 集 成 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 巻 十 二 ﹁義 経 都 落 ち ﹂ 頭 注 ) と 論 じ て い る 。 古 態 本 と さ れ る 延 慶 本 に あ っ て 第 六 末 ﹁ 九 郎 判 官 都 ヲ 落 事 ﹂ の 末 尾 は あ い に く 、 ︿ サ テ 判 官 ヲ バ 吉 野

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文林 四十一号 法 師 押 寄 テ 打 ム ト シ ケ ル ヲ 、 左 藤 四 郎 兵 衛 忠 信 ト 申 者 戦 ヒ テ 、 判 官 ヲ バ ﹀ (北 原 保 雄 ・ 小 川 栄 一 編 ﹃ 延 慶 本 平 家 物 語 ﹄ 、 勉 誠 社 刊 ) 以 下 欠 脱 し て ﹁ 吉 野 軍 ﹂ に わ た る 展 開 は 推 測 さ れ る も の の 、 以 後 、 義 経 最 期 を 伝 え る 個 所 は 見 当 た ら ず 、 確 か に こ の よ う な 構 成 が ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の ﹃ 平 家 物 語 ﹂ た る 所 以 な の で あ ろ う 。 義 経 の は な ば な し い 戦 果 を 通 し て 平 家 衰 滅 が 語 ら れ て い る こ と は 事 実 と し て 、 ︿ 九 郎 判 官 の 事 は く は し く 知 て 書 き の せ た り 云 々 ﹀ (﹃ 徒 然 草 ﹄ 第 二 二 六 段 ) だ け で は 全 て 割 り 切 れ な い 創 作 意 図 の あ る こ と は 確 か で あ る 。   義 経 の 死 は 周 知 の 事 実 と し て も あ え て そ の 最 期 に 言 及 す る こ と の な い 整 版 流 布 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹂ 、 こ れ に 対 し て 整 版 流 布 本 ﹃ 源 平 盛 衰 記 ﹄ は 頼 朝 の 死 を 伝 え る 記 事 は 見 当 た ら な い に も か か わ ら ず 、 ﹃ 義 経 記 ﹄ に 通 う 高 館 で の 義 経 の 自 害 を 記 し て い る 。 陸 奥 国 権 館 秀 衡 入 道 が も と に た つ ね つ き た り け れ ば 、 造 作 し て す へ 待 つ て 過 る ほ ど に 、 ひ で ひ ら 老 死 し ぬ 。 其 男 や す ひ ら を た の ん で 有 け る が 、 か ま く ら に 心 を か よ は し て 義 経 を 謙 す 。 其 時 妻 女 申 け る は 、 コ 人 の 子 な れ ば 思 ひ を く 事 な し 。 残 り ゐ て う き め を み ん も 心 う し 。 我 を さ き だ て \ し で の 山 を と も に こ え た ま へ ﹂ と い ひ け れ ば 、 よ し つ ね 、 ﹁南 無 あ み だ 仏 ﹂ と と な へ て 、 女 ば う を ひ だ り の わ き に は さ む か と す れ ば く び を か き を と し て 、 右 に も ち た る か た な に て 我 は ら を か き \ つ て う ち 臥 に け り 。 (延 宝 八 年 刊 ﹃ 源 平 盛 衰 記 ﹄ 巻 四 十 六 ﹁ 義 経 行 家 み や こ を 出 る 事 井 よ し つ ね 始 終 の 有 様 の 事 ﹂ )

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  水 戸 藩 の 修 史 事 業 た る ﹃ 参 考 源 平 盛 衰 記 ﹄ ( 元 禄 二 年 成 立 ) は こ の 個 所 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ (文 治 三 年 十 月 二 十 九 日 条 及 び 同 五 年 閏 四 月 三 十 日 条 ) を 史 料 裏 付 け と し て 摘 記 す る の み 、 ﹃ 続 本 朝 通 鑑 ﹄ に 載 る よ う な 俗 伝 に 言 及 す る こ と は な い 。 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ や ﹃ 源 平 盛 衰 記 ﹄ の 異 本 化 に あ た っ て 義 経 蝦 夷 渡 説 は 日 の 目 を 見 る こ と は な か っ た 。   た だ し 、 分 野 か え て 江 戸 時 代 読 本 の 世 界 、 ﹃ 平 家 物 語 図 会 ﹄ (高 井 蘭 山 、 文 政 九 年 自 序 ) は 別 と し て 、 ﹃ 源 平 盛 衰 記 図 会 ﹂ (秋 里 籠 島 、 寛 政 十 二 年 自 序 ) は 最 終 巻 巻 六 を ﹁忠 信 謀 吉 野 衆 徒 ﹂ ﹁忠 信 戦 死 ﹂ ﹁ 判 官 義 経 北 国 落 ﹂ ﹁ 義 経 入 高 館 城 ﹂ ﹁ 源 義 経 渡 海 蝦 夷 ﹂ ﹁ 法 皇 大 原 御 幸 ﹂ で 結 ん で い る 。 こ の 時 期 、 義 経 蝦 夷 渡 海 説 の 席 巻 し た さ ま は ﹃ 義 経 入 夷 渡 満 説 書 誌 ﹄ (岩 崎 克 己 編 ) に 詳 し い が 、 義 経 の 末 路 に つ い て 人 々 は ど の よ う な 感 慨 こ め な が ら 、 刊 行 さ れ た ﹃ 平 家 物 語 ﹂ や ﹃ 源 平 盛 衰 記 ﹄ 、 さ ら に は ﹃ 義 経 記 ﹄ に 対 処 し た の で あ ろ う か 。 歴 史 そ の ま ま 、 歴 史 ば な れ を 離 れ て 、 判 官 び い き の 行 く 手 の 一 つ が 義 経 蝦 夷 渡 海 説 で あ っ た こ と は 確 か で あ る 。 貴 重 な 資 料 の 調 査 及 び 図 版 掲 載 を お 許 し い た だ い た 、 る 。 国 立 国 会 図 書 館 及 び 東 京 都 立 中 央 図 書 館 に は 記 し て 厚 く お 礼 を 申 し 述 べ 源義経の末路

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文林

四十  号 ,        冒 5 ε 臨曜 f 菩 ` 2 5   -      `             ⋮

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(20)

源義経 の末路

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(図版B)国 芳画 「本朝武優鏡 源義経」

(21)

四十 一号

文林

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(22)

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(23)

文林  四十一号

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1 縮 (図版F)国 綱画 「義経 拾九 臣之図 」 潔 桜 Q 騨 鰹 聴

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