はじめに
報告者が担当している「心理学Ⅰ・Ⅱ」は副専攻科目であり、教育職員免許法施行規則第 5 条にて、免許科目「公民」の教科に関する項目で挙げられている科目の 1 つである。文科 省作成の学習指導要領では公民の教科に関して、「広い視野に立って、現代社会について主 体的に考察させ、理解を含めさせるとともに、人間としての在り方・生き方についての自覚 を育て、平和で民主的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う」 という目標を掲げている。この目標の「人間としての在り方・生き方についての自覚を育て」 という箇所について、学習指導要領では「現代の社会についての理解を踏まえ、生徒が人間 としての望ましい在り方について学び、自己の生き方を主体的に選び取り、意義のある人生 を送れるようになることを目指すものであることを意味する」としている。それでは、大学 にて学ぶ心理学のどのような内容が、公民の教科にて人生の在り方・生き方についての自覚 を育てることに役立つのであろうか。本論文では、報告者が本学の教職:教科に関する科目 にて担当している「心理学Ⅰ・Ⅱ」について、まず講義の構成と内容について紹介する。次 に、講義内容の理解と知識の定着を促進するため報告者が実践している心理学的手法を用い た講義運営方法について紹介する。そして、最後にその取り組みの成果を報告し、今後のさ らなる内容理解と知識の定着に向けた総括を行う。教職・副専攻科目「心理学Ⅰ・Ⅱ」における
心理学的手法を用いた講義運営の実践報告
木 戸 盛 年
はじめに 1.心理学Ⅰ・Ⅱの講義内容について 1−1.心理学Ⅰ・Ⅱの到達目標と成績評価基準 1−2.心理学Ⅰの内容と構成 1−3.心理学Ⅱの内容と構成 2.心理学的手法を用いた講義運営 2−1.講義時間内での学びの促進 2−2.講義時間外での学びの促進 3.取り組みの成果 3−1.受講生の成績結果 3−2.授業評価アンケート結果 4.総括 公民教科の目標と心理学との接点1.心理学Ⅰ・Ⅱの講義内容について
心理学(psychology)は、人間の心と行動の関連とメカニズムについて探求する学問であ り、ギリシャ語で心を意味する“psyche”と学を意味する“logos”がその語源である。現 在日本の中学校や高校では心理学を体系的に学ぶ機会はなく、学生は大学にて初めて学問と しての心理学を学ぶことができる。そのような学習機会の現状において、多くの学生は心理 学に関して人の心を読めることができるようになるかもしれないという、ある種の超能力の ようなものが得られること期待し受講する。しかし、大学で学ぶ心理学は、実験法や調査法、 観察法などの研究手法を用い、客観的なエビデンスを積み重ねることにより発展してきた科 学であり、その結果証明された人間の心と行動の関連とメカニズムについて学ぶことで、学 生は科学的な心理学の視点から人間の様々な行動を捉え、社会生活の様々な場面に応用し役 立てることができるようになる。本学ではこのような科学的な心理学の科目として、前期に 心理学Ⅰ、後期に心理学Ⅱを経済学科、経営学科、商学科、公共学科の学生を対象に開講し ている。 1−1.心理学Ⅰ・Ⅱの到達目標と成績評価基準 大部分の学生は、心理学については初学者である。よって、学生が心理学を学ぶ上で重要 であるのは、心理学が科学的な研究手法を用いて客観的なエビデンスを重ねてきた学問であ ることを知ること、そして、心理学が科学であると理解したうえで、科学的な視点から人間 の行動を捉え理解できるようになることである。そこで、心理学ⅠとⅡでは「心理学の領域 で得られた基礎的な知見・考え方を理解する」ことと、「心理学の領域で得られた基礎的な 知見・考え方を自分の言葉で説明できるようになる」ことを講義の到達目標として設定して いる。そして、これら到達目標を達成するため「この科目で説明された心理学の基礎的な知 見を理解し、自分の言葉で説明できるか」、「その知見を自分の日常生活に当てはめ、応用し 考察できるか」という知識の理解と応用を成績評価基準として設けている。次に心理学Ⅰ・ Ⅱそれぞれの講義の構成と内容について説明する。 1−2.心理学Ⅰの内容と構成 心理学では初学者である学生に対し、まず心理学が科学であることを理解させることから 始めることが重要である。そのため、心理学Ⅰの前半の講義では様々な領域の心理学につい ての概説、研究方法についての説明、研究の歴史についてギリシャ哲学から科学として成り 立った心理学までの心理学史の説明を行った。そして、次に科学的な心理学についての知見 を深めるため、脳科学、動物心理学、認知心理学、人格心理学の領域における学説や実験の 説明を行った。後半にかけては、人間の心と行動との関連を科学的な視点からとらえられる ようになるため、学習心理学、実験心理学、行動分析学について理論や学説、研究の説明を 行った。このように心理学Ⅰでは、まず前半の講義にて心理学についての誤った理解を矯正 し、そして次に科学であることの理解を深め、後半では人間の行動について客観的に分析す る重要性を知るという構成になっている。1−3.心理学Ⅱの内容と構成 心理学Ⅱは、心理学Ⅰを受講し心理学が科学であることを学んだ学生を対象として講義を 行っている。そこで心理学Ⅱでは、心理学の知見を生活に当てはめ応用しやすいように、前 半の講義では、行動の動機づけ、心と体の発達・成長について学ぶため、学習心理学と発達 心理学についての講義を行った。そして、次に社会の文脈における人間の様々な行動の原因 や原理について学ぶため、社会心理学領域の学説や研究についての講義を行った。最後に心 理学を役立てて健康に幸せに生きられるようになるよう、健康心理学と臨床心理学について 理論や学説、研究の説明を行った。このように心理学Ⅱでは、心理学Ⅰで学んだ心理学が科 学であるという考え方が土台となり、より発展した応用分野の心理学について学び自らの生 活に役立てていくという構成になっている。
2.心理学的手法を用いた講義運営
心理学Ⅰ・Ⅱの講義内容の理解と知識の定着を促進するため、報告者は学習心理学や行動 分析学の研究で得られた理論を応用し、心理学的手法を用いた講義運営を行っている。学習 心理学で得られた「学習理論」とは、人を含む動物の行動は環境に存在する刺激によって生 起するというものである。つまり、心理学への理解と知識の定着を促進するためには、心理 学の講義時間内と講義時間外での学習行動を生起させる必要があり、「学習行動を生起させ るための刺激」が必要である。また、生起した行動を獲得させ維持させるために役立つのが、 行動分析学の「行動随伴性の理論」である。人の行動の獲得と維持もしくは消去には行動後 の結果が関連しており、学習行動を獲得、維持させるには「学習行動の後に、良い結果(報酬) が与えられること」が必要である。そこで、報告者は心理学Ⅰ・Ⅱの講義時間内と講義時間 外において「学習行動を生起させるための刺激」を準備し、「学習行動の後に、良い結果(報 酬)が与えられる」環境設定を行った。 2−1.講義時間内での学びの促進 ・講義資料 報告者は心理学Ⅰ・Ⅱの講義時間内における学習行動として「教室前方(黒板、スクリー ン、モニター)を見る」、「教員の説明を聞く」、「メモを取る」の 3 つを設定し、この行動を 生起させる刺激を作成した。図 1 は、心理学Ⅰ・Ⅱの講義内で教室前方に呈示される講義ス ライドの一例である。図 2 は図 1 に対応する配布資料の一部であり、実際の配布資料はA3 サイズの用紙両面に合計16スライドが印刷されたものになっている。図 2 を見てわかるよう に、重要な箇所は空欄になっている。この配布資料を配布されることにより、学生は前方の スクリーンもしくはモニターに呈示された講義スライドを見て、空欄に対応する箇所を確認 し、空欄に書き込むという行動をするようになる。つまり、重要な箇所が空欄になった配布 資料という刺激により、講義時間内において「教室前方(黒板、スクリーン、モニター)を 見る」と「メモを取る」という行動が生起するのである。また、配布資料には講義スライド 全てが配布資料に印刷されているわけではなく、印刷されていない講義スライドが呈示された場合、そのスライドの説明を 聞き配布資料の余白にメモをし なければならない。つまり、「教 員の説明を聞く」という行動が 生起するのである。もし、重要 な箇所が空欄ではなく講義スラ イドが全て印刷された配布資料 を配布したとすれば、3 つの学 習行動は生起せず、「寝る」、「ス マートフォンを操作する」、「話 す」といった学習を阻害する行 動が生起するであろう。ここで 重要なのは、学習行動が生起す るか学習を阻害する行動が生起 するかの違いは、学生が真面目 なのかどうかなどの学生本人の 能力や態度といった内的な要因 によるものではなく、呈示され た刺激の種類の違いという外的 な要因によるものであるという 学習心理学的な視点である。つ まり、学習理論を応用すること で、講義時間内での学びを促進 することができるのである。 また、報告者は講義時間内に 教室の前方に立ち説明をするだけでなく机間巡視を行い、学生がスクリーンやモニターを見 て空欄を書き込んでいたら褒めるようにしている。つまり、「教室前方(黒板、スクリーン、 モニター)を見る」、「メモを取る」という学習行動に対し報酬(褒める)を与えることで、 生起した学習行動の獲得と維持を促進しているのである。ここで、講義中にノートをとるメ モをすることが当たり前だと考え教員が何もしないことは、行動に対し良い結果も悪い結果 もないことになり学習行動が消去されてしまう。だから、学習行動が生起した場合は褒める ことがまず重要であるし、教員が学生の学習行動に気づく機会を増やすために、教室の前方 や教壇にいるだけではなく机間巡視を行うことが必要であろう。 ・ディスカッションタイム 配布資料や講義スライド、教員の机間巡視という刺激呈示によって学習行動は促進される が、「教室前方(黒板、スクリーン、モニター)を見る」、「教員の説明を聞く」、「メモを取る」 という学習行動は受動的な側面が強い。そこで、講義時間内に積極的な学習行動を生起させ るために、報告者は講義時間内に「ディスカッションタイム」を設けた。ディスカッション 図1 講義スライドの例 図2 配布資料内のスライド例
タイムとは、図 3 に示すような 講義内容の重要なテーマを示し、 5 分程度そのテーマについて周 りの学生同士で自由に議論をす る時間である。そして、考えた 自分の意見を配布資料にある同 じスライドに記入する。このディ スカッションタイムという刺激 を用いることで、「講義内容につ いて考え、自分の意見を述べる」 という積極的な学習行動が講義 時間内に生起するようになる。 また、この時間は自由に議論す るという「話す」ことが学習行動として重要になる。つまり、講義時間内に学習行動を阻害 する行動であった「話す」が、ディスカッションタイム中には積極的な学習行動になること で、ディスカッションタイム以外の講義時間内に学習を阻害する行動である私語の抑制に繋 がるのである。 2−2.講義時間外での学びの促進 ・復習・予習レポート 報告者は、心理学Ⅰ・Ⅱの講義時間外における学習行動として「講義資料を見直す」、「講 義内容を自分の手で調べる」の 2 つを設定し、この行動を生起させる刺激として復習・予習 レポートを作成した。復習レポートのテーマは、受講した講義内容の重要な語句を説明し、 学生自身の普段の生活の中に当てはめてみるとどのような事例になるか説明する内容となっ ている。復習レポートを課すことにより、学生の「講義資料を見直す」という講義時間外で の学習行動が生起し、学んだ心理学の知識の理解と定着が促進される。次に予習レポートの テーマは、受講する予定の講義内容に関する重要な語句を説明する内容となっている。毎回 の講義の前に予習レポートを課すことで、「講義内容を自分の手で調べる」という講義時間 外での学習行動が生起し、講義への学びの動機づけが高まる。 復習・予習レポートの作成と提出及び採点は、本学のe-learningシステムであるmanabaシ ステム上で行っている。e-learningシステムを活用することで、学生はPCもしくはスマート フォンでのレポート作成と提出が可能になり、講義時間外における学習行動が促進される。 また、報告者は提出された復習・予習レポートの採点とコメントをe-learningシステム上で 行っている。つまり、「講義資料を見直す」、「講義内容を自分の手で調べる」という学習行 動に対し報酬(点数とコメント)を与えることで、生起した学習行動の獲得と維持を促進し ているのである。 ・配布資料のアップロード 欠席をした講義内容に関して、知識の理解と定着が促進されるよう、報告者はe-learning 図3 ディスカッションタイムのスライド例
システム上に重要な箇所が空欄になった配布資料を講義後すぐにアップロードしている。こ のように環境を設定することで、学生は欠席した講義の配布資料を即座に入手することがで きる。そして、講義担当の教員に直接会わなくても次回の講義までに配布資料を入手できる ことは、復習・予習レポートの作成の動機づけを高めることができる。
3.取り組みの成果
報告者は、心理学Ⅰ・Ⅱの到達目標を「心理学の領域で得られた基礎的な知見・考え方を 理解する」と、「心理学の領域で得られた基礎的な知見・考え方を自分の言葉で説明できる ようになる」の 2 つに設定した。そして、到達目標の達成のための成績評価基準を「この科 目で説明された心理学の基礎的な知見を理解し、自分の言葉で説明できるか」、「その知見を 自分の日常生活に当てはめ、応用し考察できるか」とした。この到達目標の達成を目指し、 心理学の理解と知識の定着を促進させるため、報告者は「学習理論」と「行動随伴性の理論」 を講義運営に応用し、講義時間内と講義時間外での学習行動の獲得と維持に努めた。この取 り組みの成果の検討を、学生の成績結果と授業評価アンケートの結果から行う。 3−1.受講生の成績結果 表 1 には、前期開講科目である心理学Ⅰの成績結果として、各総合評価における人数と割 合、出席率、レポート提出回数と学期末テストの平均得点が示されている。心理学Ⅰでは、 15回の復習予習レポートの提出と内容評価(各 4 点満点)を平常点(合計60点)とした。そ して、記号問題40問(各 1 点)からなる学期末試験(40点満点)を実施し、平常点と学期末 試験得点の合計得点から総合評価を行った。受講生の合計人数は414名であった。この中に は旧カリキュラムで通年科目になっている学生も含まれているが、前期の結果から同様に評 価を行っている。 表 1 を見てみると、単位認定された学生の割合は全体の74.9%であり、A+とAの学生は全 体の47.1%で約半数であったことから、報告者が行った講義運営は概ね満足できる成果があっ たといえよう。次に出席率の結果を見てみると、出席率の高さは総合評価の良さと関連して いる傾向があり、本講義に出席することで講義時間内での学習行動が獲得され維持されてい ることがわかる。レポート提出の結果については、出席率が上がるにつれて提出回数が多く なる傾向があり、本講義に出席す ることと講義時間外での学習行動 の獲得と維持とが関連しているこ とがかる。学期末テストの結果に ついては、総合評価が良くなるに つれ平均得点が高くなっている傾 向があり、講義時間内と講義時間 外の学習行動の違いが学期末テス トの平均得点の違いに現れたので 表1 学生の成績結果 総合評価 A+ A B C D E 人数 出席率 レポート提出 学期末テスト 134(32.4%) 61(14.7%) 58(14.0%) 57(13.8%) 60(14.5%) 44(10.6%) 93.6% 84.3% 79.3% 72.1% 59.3% 19.3% 14.8 13.9 12.8 10.8 6.2 1.2 35.2 31.5 29.3 26.8 22.2 -あろうと推察される。 各総合評価における人数と割合、出席率、レポート提出回数と学期末テストの平均得点の 結果から、講義時間内と講義時間外での学習行動の獲得と維持に報告者が行った講義運営が 効果的であったことが、客観的に示されたといえよう。報告者が行った講義運営では、まず 学生の講義への出席を増やすことが重要であり、講義への出席が増加すれば講義時間内と講 義時間外での学習行動が獲得・維持され、より高い総合評価、つまりは心理学の理解と知識 の定着につながるのである。 3−2.授業評価アンケート結果 表 2 には、前期開講科目である心理学Ⅰの講義内にて実施された授業評価アンケートの結 果が示されている。「テキスト・板書・資料等が内容の理解に役立っている(4.2)」と「私 語や居眠りなどせずに授業に集中している(4.2)」の項目評価が高いことから、報告者が行っ た講義時間内での学びを促進させる講義運営に効果があったことがわかる。また、「授業時 表2 授業評価アンケート結果(2019年7月18日実施)
間外でも、この授業のための学習をした(3.7)」の項目評価も高く、報告者が行った講義時 間外での学びを促進させる講義運営に効果があったといえよう。そして、「教員の授業内容 の説明はわかりやすい(4.2)」、「授業の内容が理解できている(3.8)」の項目評価が高いこ とから心理学の理解と知識の定着がなされていることがわかり、さらに「この授業を受けて、 自分が何を学ぶべきか明確になった(3.7)」、「この授業を受けて、いろいろな視点から物事 を見ることができるようになった(4.0)」の項目評価が高いことから、心理学の知識を自分 の日常生活に当てはめ、応用し考察できていることがわかる。 授業評価アンケートの結果から、講義時間内と講義時間外での学習行動の獲得と維持に、 報告者が行った講義運営が効果的であったことが、学生の主観報告からも支援されたといえ よう。