文学教材的研究
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国際化社会への参入と情報化社会への適応から、昨今の国語科 教育においては、﹁話すこと﹂﹁聞くこと﹂﹁書くこと﹂が優先さ れ て い る a しかし、国際化社会および情報化社会においてさまざ まな伝達の基本となる言語を習得するには﹁読むとと﹂が大切で あり、ここに文学教材のカが必要とされる理由がある@ 本論では、小学校・中学校・高等学校の文学教材として取り上 げられることが多い宮沢賢治の作品について考察する。賢治は、 多種多様な仕事を還したが、時間の経過とともにそのひとつひと つが輝君を増し、多彩な魅力を放っている。賢治が書いた詩や唾 献に限って言えば、賢治の造語である﹁心象スケッチ﹂は作品を 読んだ人々の心のなかに新たな風景を描き出していく。河合隼雄 は、空にある星座を意味する﹁コンステーション﹂という言葉を 提示して京都大学での最終講義を行った 1 6 日本語のしこりという言葉はまさにコンプレックスですね a 荻 原 綾 子 九州女子大学人間科学部人開発達学科人間基礎学専攻 北 九 州 市 八 幡 西 区 自 由 ヶ 丘 一 l ( 〒 八O
七 l 八 五 八 六 ) ( 一O
一 四 年 一 一 月 一 三 日 受 付 、 二O
一 四 年 二 一 月 一 八 日 受 理 ) ととろが、そのしこりのもっと深くに一つのもととなるよう なタイプを考えていいんじゃないか。︿中略)人間の心の深 い と と ろ に は 、 そういう元型のようなものがあって、そのあ らわれがいろんなところに出てきているという見方で、ユ
ン グは人間の心の現象を見ょうとしました@ 河 合 隼 雄 は 、 ユング研究所で C ・ A ・ マ イ ヤ ー の ﹁ 自 己 実 現 の 過程をコンストレートする﹂という言葉に衝撃をうけ、心理療法 としてコンストレ1
ションについて考えるようになったという。 賢治は自分の作品を﹁心象スケッチ﹂とよぴ、自分の心の現象を 言葉で表現した e 河 合 隼 雄 が ﹁ 人 聞 の 、 む と い う も の は 、 乙 の コ ン ス ト レi
ションを表現するときに物語ろうとする傾向を持ってい る ﹂ 2 というように、賢治が物語るコンストレi
シヨンとしての 宇宙空簡を描いた﹃銀河鉄道の夜﹄を文学教材として取り上げる e 賢治の作品は、戦後の臼本のすぐれた文学教材として現在も生﹁ ︿ 読 み ﹀ と は 対 象 を ︿ わ た し の な かの他者﹀にしていく過程であるが、同時に、それは︿ととばの き 続 け て い る , 須 貝 千 里 氏 は 、 小文字在使用していないので発音は﹁オツベル﹂なのか﹁オッベ ル ﹂ な の か は 依 然 不 明 で あ る 。 現 在 は ﹁ オ ツ ベ ル と 象 ﹂ と し て 収 載 ) 仕 組 み ﹀ を 掘 哲 起 こ し て い く こ と に よ っ て ︿ わ た し の な か の 他 者 ﹀ ﹁ 祭 り の 晩 ﹂ ﹁ け ん じ ゅ う 公 開 幽 林 ﹂ ﹁ セ ロ ひ き の ゴ
1
シ ュ ﹂ ﹁ 風 の 又 としての作品像を悶い直し、倒壊させていく動的課程でもあ る ﹂ 3 と指摘し、文学教材における﹁読むとと﹂の重要性を提起 し て い る 。 賢 治 の ﹃ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄ を 文 学 教 材 と し て 取 り あ げ 、 ﹁ 読 む こ と ﹂ を 中 心 と し た 表 現 分 析 を 実 施 す る 。 三 郎 ﹂ ﹁ や ま な し ﹂ ﹁ グ ス コ ー プ ド リ の 伝 記 ﹂ ﹁ 雪 わ た り 一 ﹂ ﹁ お い の 森とざる森、ぬすと森﹂﹁注文の多い料理庖﹂が収載された,平 成時代には、ほぽ賢治作品の文、学教材は定番化し、小学校五年で は ﹁ 注 文 の 多 い 料 理 路 ﹂ ﹁ 雪 わ た り ﹂ ﹁ お い の 森 と ざ る 森 、 ぬ す と 森﹂が収載され、六年では﹁やまなし﹂が収載された。賢治作品 一、宮沢賢治と国語教科書 が国語教科書の文学教材として定番化されてきたととについて、 牛山藤氏は﹁少なくとも賢治童話には、子どもにとって文学の読 宮沢賢治の童話がはじめて国語教科書に収載されたのは、 九 みのおもしろさを体験させ、言語力としての文学的な基礎素養を 四 六 年 一 一 月 か ら 一 九 四 七 年 一 二 月 ま で 使 用 さ れ た ﹃ 初 等 科 国 語 ﹄ 四年の﹁どんぐりと山ねこ﹂であるt
﹃ 注 文 の 多 い 料 理 応 ﹄ 刊 行 高めていく上で教材価値が見出されてきたことは間違いのないと とだろう﹂と指摘しているt
本識では、﹃銀河鉄道の夜﹄の言語表現について論究する。﹃銀 か ら ニ ヨ 一 年 、 賢 治 の 死 後 一 三 年 た っ た 戦 後 す ぐ の 収 載 で あ る a そ の後﹁どんぐりと山ねこ﹂は繰り返し国語教科書に登場するよう 河鉄道の夜﹄は賢治の作品のなかでは、童話というよりも少年小 に な っ た . 昭 和 時 代 に は 、 ﹁ ど ん ぐ0
と 山 ね こ ﹂ の ほ か に 、 ﹁ 気 の 説として読まれでいる。村瀬学氏が﹁﹃銀河鉄道の夜﹄という作 い い 火 山 弾 ﹂ ﹁ よ だ か の 昼 ﹂ ﹁ オ ッ ベ ル と 象 ﹂ ( 大 正 一 五 年 一 月 ﹃ 月 曜 ﹄ 品は、まさに﹁信じる﹂ととと﹁知る﹂ことが分かればじめる少 発行時は﹁オツベルと象﹂だったものが昭和九年最初の文圃堂版 全集では﹁オッベルと象﹂で掲載され、その後四0
年間教科書掲 載持も﹁オツベルと象一として収載、初出誌﹃月曜﹄一月号が発 見され、昭和四九年刊行された﹃校本全集第十ゐ巻﹄には﹁オツ ベルと象﹂と題して掲載されるが、ただ﹃月曜﹄本文は翰促音に 年たちが体験してゆく、特異な時期の世界体験を作品化しようと し て い る も の に な っ て い た ﹂ 6 と述べるように、子どもたちの成長 を描いた文学作品である。言語表現の難しさは賢治作品にはっき ものではあるが、この作品のもつ宇宙感覚が、教室での言語理解 を超えたもので生成されていることが、教材として取り扱ううえでの困難さを匂わせている。さらに、授業者に教材としての不安 をもたらすのはテクストの不安定きであり、そとを克服すれば文 学教材としての魅力を掻き立てるものになる。まずは、賢治自身 の﹃銀河鉄道の夜﹄に施したおびただしい推磁のあとをたどり、 作 品 推 移 に つ い て 考 察 す る 。 改 訂 版 、 第 二 次 筑 摩 書 房 版 ﹃ 宮 沢 賢 治 全 集 ﹄ 全 ゴ 一 巻 が 刊 行 さ れ る 。 そして、没後四
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年たった昭和国八年(一九七三)五月、作品の 推蔽状況を復元、新編集によって大きな変更を加えた筑摩書房版 ﹃校本営海賢治全集﹄全♂凶巻が刊行開始される︿昭和五三年一O
月完結)。これによって宮沢賢治の文学の全貌が姿を現したと 二、﹃銀河鉄道の夜﹄の推移 とになる。校本金集以前のテクストには初期形︿第一次稿・第二 次世帽圃第三次稿﹀と最終形(第四次稿)の混同がみられ、最終形 にも推敵の際の消し忘れと見られる箇所などがあり、﹁永久の未 ﹃銀河鉄道の夜﹄の現存稿は八三枚である。原稿執筆は大きく 四段階に分けられ、執筆時期は大庄一三年︿一九二四﹀から死の 完成これ完成である﹂(﹁農民芸術織論綱要﹂)という賢治の言葉 どおり、賢治の遺した原稿に定稿はなく、初期形・最終形はとも 直前までにおよぶという。その問、何度か部分的に紙が差しかえ に同名の別の作品として考えることができ、﹃銀将鉄道の夜﹄は 賢治が亡くなったととで﹁未定稿﹂であるといえる。 られたり破棄されたり、新しい紙が加えられたりした。第占、第 二次稿は一部残るのみで、第三次稿は大正末年には成立していた ﹃銀河鉄道の夜﹄校訂についての複雑さは、森荘巳池、宮沢仲 六とともに﹃銀河鉄道の夜﹄本文に再検討を加えようとする堀尾 とみられる司第四次稿は昭和六年︿一九三二項黒インタで手を 入れられたものである。賢治が亡くなった翌年、昭和九年︿一九 ﹁﹃銀河鉄道の夜﹄の新校訂﹂と題された文によく表され 青 史 の 一 二 回 ごO
月 、 文 顕 堂 版 ﹃ 宮 沢 賢 治 全 集 ﹄ 第 ニ 巻 童 話 編 ︿ 高 村 光 太 郎 ・ 宮沢清六・草野心平・横光利ゐ編集﹀が刊行され、昭和島四年会 九 三 九 ) 今 一 月 、 十 字 屋 書 市 出 版 ﹁ 宮 沢 賢 治 全 集 ﹄ 全 六 巻 別 巻 一 ( 高 村 光 太 郎 ・ 中 島 健 蔵 ・ 宮 沢 清 六 a 森 荘 己 池 圃 藤 原 嘉 藤 治 ・ 草 野 心 平 ・ 谷川徹 T 了 横 光 利 一 編 集 ) が 刊 行 開 始 さ れ る 。 昭 和 一 ニ s 年(一九 五 六 ﹀ 四 月 、 第 苧 J次筑摩書房版﹃宮沢賢治全集﹄全一一巻が刊行 開始される。昭和四一年︿一九六七)八月、書簡集を加えた増補 て い る L さてわたしたちは、丸善蝶閥百字原稿用紙、かきつぶし原 稿紙のうら、西洋半紙 1 生ずき半紙などに、きちょうめんな ベン字、何種類かのえんぴつの字、ブルi
ブラックインクで 閥遼に善かれた字などでうずめられた、実にめんどうな原稿 と対決した.それは混乱がおこらないのがふしぎと思えるほ ど、たいへんな原稿である。原稿用紙のマスの中にきちんと入っているのは、最初に番かれたものらしく、えんぴつ議き のものはかまわず書きちちされた上、消され、横に番宮たさ れ 、 ' E に下にあき地があればこそ幸いとばかりとまかく書き の 心 象 の 内 奥 の ス ケ ッ チ と し て の ︿ ウ ル ﹁ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹂ ﹀ か ら 、 少年小説としての﹁銀河鉄道の夜﹂への変貌は、単なる推般の域 を越え、同名の別の作品の成立をもたらしつつあった﹂ 9 と指摘 するが、初期形第一次稿・初期形第二次稿・初期形第三次稿に最 終形を加えた四つの﹁銀河鉄道の夜﹂があると考えるのが適切で ある。研究者にとっては不安定なテタストではあるが、賢治の言 葉に耳を傾けながち作品を読み解くととが大切であると考える。 ﹃銀荷鉄道の夜﹄の草稿と刊本が複雑であるのは、一九三四年(大 の ﹃ 注 文 の 多 い 料 理 由 但 刊 行 後 か ら 骨 置 き 始 め ら れ 、 一 九 の死の間際まで九年聞にわたって書き続けられ た さ れ 、 そ れ が 無 農 に と ん で い る 。 そ れ を 一 ニ 人 は 全 集 本 ( 筑 摩一三年版)岩波文庫相手に声をあげて一字一句たしかめて い っ た 。 ( ﹁ 図 書 新 聞 ﹂ 一 九 六 四 年 ( 昭 和 三 九 ) 一
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月 三 日 号 ) ここからは、賢治の死後、実弟宮沢清六や友人森荘巴池や沢山 の 研 究 者 が 加 わ っ て ﹃ 銀 、 利 鉄 道 の 夜 ﹄ 草 稿 の 校 訂 に 取 。 相 臨 ん だ 現 場の混乱と熱意が伝わってくる。それほど、﹁銀洞鉄道の夜﹄の テクストには厄介さと複雑さが付きまとうのである。 正 〉 三ニ年︿昭和八) 初 期 形 第 三 次 稿 か ら 最 終 形 へ の 変 史 で も っ と も 重 要 な の は 、 ﹁ セ た と い う 時 間 の 長 さ に 起 用 問 す る 。 書 き 上 げ て は 、 何 度 も 手 入 れ さ ロ の 声 ﹂ ﹁ 盟 問 い 大 き な 帽 子 の 大 人 ﹂ ﹁ ブ ル カ ニ ロ 博 士 ﹂ の 科 白 が 最 れ、部分的消毒が繰り返されるという﹃銀河鉄道の夜﹄に鰭めた 賢治の祈りの主題が、その原稿の複雑さと相まって読む者の心を 打つ。初期形第‘次稿・初期形第 A 一 次 稿 ・ 初 期 形 第 三 次 稿 お よ び 最終形の校訂にともなって全集収録に際しても、賢治の死後すぐ に刊行された一九三四年︿昭和九)一O
月文顕堂版全集第三巻か らゐ丸三九年(昭和 A 四 ) 一 一 月 十 字 屋 書 庖 版 全 集 一 二 巻 、 六年︿昭和三一)四月筑摩書房版全集第一O
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筑摩書房版全集一O
巻 、 終 形 で 削 削 除 さ れ た こ と と 、 冒 頭 の ﹁ 午 后 の 授 業 ﹂ ﹁ 活 版 所 ﹂ ﹁ 家 ﹂ が最終形で書き加えもれたことである。千葉幹一氏は﹁超人的な カを使い、ジヨパンニをたびたび窮地かち救うブルカニロ博士が ジョパンニについているというととは、彼はそうした超越的存在 の庇穫をつねに受けられる特別な子どもということにもなりま 九 五 す ﹂ 8 と述べ、賢治は最終形でジヨパンニを普通の子どもにする ために超越者ブルカニロ博土を消去したのだと考察している。 一 九 六 七 年 ( 昭 和 四 二 ) 九七四年︿昭和凶九) ジヨパンニが自分のカで現実の悲しみを乗り越えていく資を描く ために観念的なものを捨てたのが最終形第四次稿での賢治の選択 であったといえる。上回哲氏は、﹁肉じ材料を使いながら、賢治 三 月 筑 摩 書 官 房 版 校 本 全 集 第 一O
巻まで﹁銀洞鉄道の夜回のテクス トは変化し続けた。現在の筑摩書房版会集では、初期形一、初期 形二、初期形一二は﹃新校本宮蒋賢治全集第一O
巻 ﹄ 一 九 九 五 年九月に、最新の研究成果である吋銀河鉄道の夜﹄を﹃新校本 宮 に、作品の言語表現から主人公であるジョパンニのなかで何が変 薄 賢 治 全 集 第 十 一 巻 ﹄ 康夫氏は﹁﹃銀何鉄道の害現存稿紙面のあちとちに残っていて、 おそらく文岡堂版全集の本文作りの際のものと考えられる、赤イ ンクや色鉛筆を使って記入された文字や丸番号や繋ぎ具合を示す 線 や 記 号 ( い ず れ も 非 自 祭 ) 。 ﹂ ま で も 視 野 に 入 れ た テ ク ス ト 作 成 一九九六年一月として刊行している。入沢 化 し て い く か を 考 察 す る 。 初 期 形 第 三 次 稿 は 、 ﹁ ケ ン タ ウ ル 祭 の 俊 ﹂ と 題 し て ﹁ ( そ ら 、 ぽ くの影ぼうしは、だんだんみぢかくなって、ぼくへ追いついて来 る 。 ぢ き に す っ か り ち ぢ ま っ ち ま ふ ぞ 。 ど と い う 独 り 言 で 始 ま る 。 ジ ョ パ ン ニ は 、 口 笛 を 吹 い て ゐ る や う な さ び し い 口 付 曹 で 、 協 お 繁 うしろをふりかへって、こんなととを考へながら、檎のまっ が現在進行中であることを述べている九皮肉にも、賢治の死去 によ坦未定稿になったことが、このテクストの諮り尽くせぬ魅力 国 間 に な ら ん だ 町 の 坂 を 下 り て 来 た の で し た 。 坂の下に大きなゐつの衡燈が、青白︿立派に光って立って ゐ ま し た α ほんたうにジョパンニが、どんどん電鍍の方へ下 り て 行 き ま す と 、 い ま ま で ば け も の の や う に 、 長 く ぼ ん や 哲 、 を 増 幅 さ せ て い る の で あ る 。 文 学 教 材 の 研 究 と し て 、 ﹃ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄ の 言 語 表 現 に つ い て 、 初 期 形 第 一 二 次 稿 で は 冒 頭 で あ っ た ﹁ ケ ン タ ウ ル 祭 ﹂ ﹁ 天 気 輸 の 柱 ﹂ ﹁ 銀 河 ス テ ー シ ョ ン ﹂ と 最 終 形 で 書 き 加 え ら れ た 回 目 頭 の ﹁ 午 后 の うしろへ引いてゐたジヨパンニの影ぽふしは、だんだん濃く 授 業 ﹂ ﹁ 活 版 所 ﹂ ﹁ 家 ﹂ 黒くはっきりなって‘足をあげたり手を振ったり、ジョパン の 部 分 と に 分 け て 考 察 す る 。 ニの機の方へまはって来るのでした@ E 宮 そして、﹁怠くはまるで軽便鉄道の機関率だ。ととは勾観だか 一 一 一 、 初 期 形 第 三 次 稿 ﹃ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄ ち と ん な に 速 い 。 ぼ く は い ま そ の 電 蝿 現 在 還 り 越 す . し ゆ っ し ゆ っ 。 そら、とんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとま の言語表現 賢治の言語表現を明らかにするととは、作品の教材化と授業に は っ て 、 前 の 方 へ 来 た 。 ) と い う 独 り 言 が 続 く e おいて重要である。文学教材の研究では、学習者の印象と作品構 造との関係が重要であるが、学習者に作品そのものの構造を理解 させるには言語表現の分析が重要な課題となる a 本 論 で は 、 ﹃ 銀 河鉄道の夜﹄のテクスト推移にみる賢治の制作意図をみるととも とジョパンニが思ひながら、大股にその街鐙の下を適切過 ぎたとき、い宮なり一人の顔の赤い、新らしいえりの尖った E 9 ぢ シャツを着た小さな子が、電燈の向ふ側の暗い小路から出て 来 て 、 ひ ち っ と ジ ョ パ ン ニ と す れ ち が ひ ま し た 。
﹁ ザ ネ リ 、 ど こ へ 行 っ た の J ジョパンニがまださう云って し ま は な い う ち に 、 ら で が 、
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ヤ し ず ツ ¥ tJ1 め 入 い り め 乱 い れ 烏 て 瓜 、 の 六 燈f七 火Z入車
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つ 徒 ﹁ジヨパンニ、お父さんから、らっこの 上着が来るよ。﹂その子が投げつけるやうにうしろから叫ぴ て や っ て 来 る の を 見 ま し た 。 そ の 笑 ひ 声 も 口 笛 も 、 み ん な 闘 聞 き ま し た 。 おぼえのあるものでした。ジヨパンニの同級の子供らだったの ジョパンニは、ぱっと胸がつめたくなり、 と 鳴 る や う に 思 ひ ま し た 。 そこら中きいん です。ジョパンニは恩はずどきっとして戻ろうとしましたが、 思 ひ 置 し て 、 A そ う 勢 よ く そ っ ち へ 歩 い て 行 き ま し た 。 なぜならジヨパンニのお父さんは、 そんならっこや海豹を ﹁川へ行くのよジヨパンニが云はうとして、少しのどがつまっ と る 、 そ れ も 密 漁 船 に 乗 っ て ゐ て 、 それになにかひとを怪我 た や う に 怒 っ た と 昔 、 させたために、遠くのきびしい海峡の町の監獄に入ってゐる ﹁ジョパンニ、らっ乙の上着が来るよ。﹂さっきのザネリがま と い ふ の で し た 。 で す か ら 今 売 た っ て 、 た 叫 び ま し た 。 みんなが町の広場に あ つ ま っ て 、 一緒に墨めぐ哲の歌をうたった号、川へ背い烏 ﹁ ジ ョ パ ン ニ 、 ら っ と のk
着が来るよ。﹂すぐみんなが、続い 瓜のあかしを流したりする、たのしいケンタウル祭の娩なの に、ジョパンニはぼろぼろのふだん着のまま、病気のおっか さんの牛乳の配られて来ないのをとりに、下の町はづれまで て叫びました。ジヨパンニはまっ赤になって、もう歩いてゐ るかもわからず、急いで行きすぎようとしましたら、そのな かにカムパネルラが居たのです。カムパネルラは気の毒さう 行 く の で し た 。 に、だまって少しわらって、怒らないだらうかといふやうに さらに﹁門ザネリは、どうしてぼくがなんにもしないのに、あ ジョパンニの方を見てゐました。 ザネリに意地惑を言われて んなことを云ふのだらう, ﹁ジョパンニは、遁げるやうに (中略)けれどもあんなことをいふの はばかなからだ。どと独り言を繰り返すのである。初期形第三次 その限を避け、そしてカムパネルラのせいの高いかたちが過 穏では、ジョパンニの独り言が多く、友達への関われ υ 方に暗い影 ぎ て 行 っ て 間 も な く 、 みんなはてんでに口笛を吹きました。 町かどを曲ると昔、ふりかへって見ましたら、ザネリがやは が 潜 ん で い る 。 ジ ョ パ ン ニ は 、 せわしくこんなことを考へながら、さっき りふりかへって見てゐました号そしてカムパネルラもまた、 きた町かどを、まがらうとしましたら、向ふのの雑貨屈の前 高く口笛を吹いて行ってしまったのでした。ジョパンニは、なんとも云へずさびしくなって、 いきなり走り出しました﹂とい いふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションとき うのである。初期形第三次稿では、ジョパンニの境遇の悲惨さが とえました。そしていよいよをかしいととは、 その誘が、少 強調されていて、ジョパンニのきびしさは家﹃阪環境からくる学校 しもジョパンニの知らない語なのに、 その意味はちゃんとわ での疎外感にあるように捕かれている。そして、祭にもかかわら ず、ジョパンニの心は暗く、 か る の で し た 。 ﹁ 内 ぼ く は ど と へ も あ そ び に 行 く と こ ﹁ 知 ら な い 語 な の に ‘ そ の 意 味 は ち ゃ ん と わ か る ﹂ と い う こ と は 、 がない.ぼくはみんなから、まるで狐のやうに見えるん。たごと との作品においては重要である。言葉の二重性というととが提起 されているのだ。乙こから、読者は知ることと信じるととの三重 いう独り言となってきびしさは極まるのである。 の 天 つ 気 づ 輸 く
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ず か た 押 ら ,.. の だ J底 存 在
の 、 ぞ お っ 口 宮 め 与 の た こ け い 一は し 草 「 き に 頂 性に引き裂かれていくのである.そもそも﹁銀河﹂とは何かとい う問題が浮上する e ジ ョ パ ン ニ が 知 識 と し て 知 っ て い る ﹁ 銀 河 ﹂ と 、 投 げ ﹂ る と 、 乙れからジョパンニの視界に現前する ﹁ 銀 河 ﹂ は あ ま り に も か け のやうにとも号、子供らの歌ふ声や口笛、 きれぎれの叫ぴ芦もか 離れているからである@ す か に 聞 え て 来 る ﹂ いきなり眼の曲闘が、ぱっと明るくなって、まるで億万の ほたる h n か 蛍烏賊の火をぺんに化石させて、そら中に沈めたといふ工 の で あ る 。 野原から汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の怒 りんご は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、事果 む を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしてゐると考へま 合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないため と に、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、 ま 誰かがいきなりひっく哲かへして、ばら撒いたといふ風に、 すと、ジョパンニは、もう何とも一五へずかなしくなって、ま た 眼 を そ ら に 挙 げ ま し た 。 般の前がさあっと明るくなって、ジョパンニは、思はず何ぺ と す んも限を擦ってしまひました。 ぞ と で ﹁怠くはもう、遠くへ行ってしまひたい。どという狼 哲 言 を 吐 い て し ま す の で あ る 。 そ し て 、 ﹁ふと気がついてみると、さっ苦から、ごとごとごと そ し て 、 ﹁ セ ロ の や う な ご う ど う し ごと、ジヨパンニの乗ってゐる小さな列車が走りつづけてゐたの で し た e ほんたうにジョパンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄い ろの電鍍のならんだ車室に、窓から外を見ながら座ってゐた﹂の ﹁ 銀 河 ス テ ー シ ョ ン 一 で は 、 た声がきこえて﹂くるのである. するとこんどは、前からでもうしろかちでもどとからでもなで あ る 。 そ し て 、 ﹁ す ぐ 前 の 席 に 、 ぬれたやうにまつ鶏な上着を ました。ジョパンニも手をあげやうとして、急いでそのま込 着 た 、 せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見てゐるのに気 が 付 き ま し た 。 そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たこ いつか雑誌で読 んだのでしたが、このごろはジョパンニはまるで毎日教室で や め ま し た 。 た し か に あ れ が み ん な 塁 だ と 、 とのあるやうな気がして、さう思ふと、もうどうしても議だかわ 本 を 読 む ひ ま も 読 む 本 も な い の で 、 なんだかどん も ね む く 、 かりたくて、たまらなくなりました e な こ と も よ く わ か ら な い と い ふ 気 持 ち が す る の で し た 。 いきなり乙っちも窓から顔 を出さうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、乙っち と こ ろ が 先 生 は 早 く も そ れ を 見 附 け た の で し た 。 を 見 ﹂ た の が 、 稿 で ﹁ カ ム パ ネ ル ラ だ っ た ﹂ の で あ る e 初期形第三次 ﹁ ジ ヨ パ ン ニ さ ん 。 あ な た は わ か っ て ゐ る の で せ う よ ﹁ 銀 蹄 鉄 道 ﹂ に ジ ョ パ ン ニ が 乗 り 込 む ま で の 言 語 表 現 に は 、 ジョパンニは勢よく立ちあがりましたが、立って見るとも 言語の二重性という問題が提起されていたのである。そして、最 うはっきりとそれを答へるととができないのでした。ザネリ 終 形 で は 、 ﹁ 知 る こ と ﹂ ﹁ 信 じ る と と ﹂ の言語表現の二重性が が前の席からふりかへって、ジヨパンニを見でくすっとわら と 出 明 ら か に な る 。 ひました@ジョパンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってし ま ひ ま し た 。 先 生 が ま た 云 ひ ま し た 。 四 、 最 終 形 明 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄ の 一 五 一 一 一 一 回 語 表 現 ﹁大きな望遠鏡で銀河をょっく調べると銀河は大体何でせ う a ﹂ に
雪
量
加 形 え で ら は れ 「 た ー ま 午 ど ず 后 ど の 授 業 ﹁ 二 、 活 版 所 ﹂ ﹁ ニ 一 、 家 ﹂ が 新 た やっぱり星だとジヨパンニは思ひましたがこんどもすぐに ﹁ 午 后 の 授 業 ﹂ か ら 考 察 す る 。 答 へ る こ と が で き ま せ ん で し た 。 ﹁ではみなさんは、さういうふうに川だと云はれたり、乳の 先生はしばらく困ったゃうすでしたが、限をカムパネルラ 流れたあとだと云はれたりしてゐたとのぼんやりと白いもの の 方 へ 向 け て 、 ﹁ で は カ ム パ ネ ル ラ さ ん J と 名 指 し ま し た 。 がほんたうは何かご承知ですか。﹂先生は、黒板に吊した大 す る と あ ん な に 元 気 に 手 を あ げ た カ ム パ ネ ル ラ が 、 や は む も きな黒い星座の図の、上からドへ白くけぶった銀荊帯のやう ぢ も ぢ 立 ち 上 っ た ま 与 や は り 答 へ が で き ま せ ん で し た 。 な と こ ろ を 指 し な が ら ‘ み ん な に 問 を か け ま し た 。 との冒頭の場面は重要である。初期形第三次稿で提示された言 カムパネルラが手をあげました勾それから四五人手をあげ 葉の二重性の問題が具体的に描宮だされているからである。初期形 で は 、 ﹁ 銀 河 ス テ ー シ ョ ン ﹂ と い う 不 思 議 な 声 に 対 し て 、 ﹁ そ の 先 生 は ま た 一 五 ひ ま し た 。 語が、少しもジョパンニの知らない穏なのに、その意味はちゃん ﹁ で す か ら も し も と の 天 の 川 が ほ ん た う に 川 だ と 考 へ る な ら 、 その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の 粒にもあたるわけです.またこれを巨きな乳の流れと考へる と わ か る ﹂ と 書 か れ て い た が 、 最 終 形 で は 学 校 の 教 室 で 先 生 が ﹁ 銀 相 判 ﹂ と い う 言 葉 に つ い て 質 問 す る と い う 設 定 が 用 意 さ れ た 。 ジ ヨ パンこもカンパネルラも﹁銀河﹂という言葉の意味は知っている が 、 ﹁ 銀 河 ﹂ そ の も の の 実 体 は わ か ら な い と い う の だ 。 ならもっと天の川とよく似てゐます. つ ま り そ の 星 は み な 、 乳のなかにまるで細かにうかんでゐる脂拙の球にもあたるの 先生は意外なやうにしばらくぢっとカムパネルラを見てゐま で す 。 そ ん な ら 何 が そ の 川 の 水 に あ た る か と 一 五 ひ ま す と 、 そ したが、急いで ﹁ で は 。 よ し 。 ﹂ と 一 再 ひ な が ら 、 自 分 で 星 図 れは真空といふ光をある速さで伝へるもので、太陽や地球も を 指 し ま し た , ﹁乙のぼんやりと白い銀河を大きない﹀望遠鏡で見ますと、 やっぱりそのなかに浮んでゐるのです. の川の水のなかに棲んでゐるわけです。そしてその天の川の つ ま り は 私 ど も も 天 もうたくさんの小さな昼に見えるのです。ジョパンニさんさ 水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど背く見え う で せ う 。 ﹂ るやうに、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん 集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです e 乙 の 模 型 ジョパンニはまっ赤になってうなづきました.けれどもい っかジョバンこの限のなかには涙がいっぱいになりました。 を ご ら ん な 古 い 。 ﹂ さ う だ 僕 は 知 っ て ゐ た の だ 、 勿 論 カ ム パ ネ ル ラ も 知 っ て ゐ る 、 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸 それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカンパ レ ン ズ を 指 し ま し た 。 ネ ル ラ と い っ し ょ に 読 ん だ 雑 誌 の -泣 か に あ っ た の だ , ﹁天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光 るつぷがみんな私どもの太陽と同じゃうにじぶん守光ってゐ こ乙で問われているのは、知っているというととの内実の問題 である。知識で知っているということと自分の体験として知って る墨だと考へます。私どもの太陽がとのほ y 中ごろにあって いるということには大きな違いがある e とれから﹁銀河一を体験 する二人にとっては‘簡単に知識として答える乙とができないの 地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にとのま ん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさ で あ る . い。こっちの方はレンズが薄いのでわづかの光る粒即ち星し
か見えないのでせう。こっちゃこっちの方はガラスが厚いの で、光る粒即ち患がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く を出て来ました。すると町︹の︺家々でほとんやの銀河の祭 りにいちゐの薬の支をつるしたりひのきの枝にあかりをつけ 見えるといふこれがつまり今日の銀河の説なのです。そんな たりいろいろ仕度をしてゐるのでした e 学校の友達は星祭だといって遊びにいくのに、ジヨパンニは労 働しなければ生活が成り立たないという大人の世界に足を踏み入 らこのレンズの大きさがどれ位あるか︹︺その中のさまざま の星についてはもう時間ですからこの次の理科の時間にお話 し ま す @ では今日はその銀河のお祭なのですからみなさんは いつまでも子どもではいられないジョパンは﹁自販を れ て い る 。 外 へ で て よ く そ ら を ご ら ん な さ い 。 着た人﹂から﹁小さな銀貨を一つ﹂もらって、 それでも子どもら で は 乙 h までです。本や ノ ー ト を お し ま ひ な さ い 。 ﹂ し さ も ま だ 残 っ て い て 、 と の ﹁ 銀 洞 ﹂ ﹃銀河鉄道の夜﹄という作品を p 堂 話 ﹁俄かに顔いろがよくなって威勢よくお じぎをすると台の下に霞いた鞄をもっておもてへ飛びだし﹂﹁そ へ の 導 入 が 、 から少年小説というジャンルに変貌させたといえる e 初 期 形 第 一 ニ れから元気よく口笛を吹きながらパン屋へ寄ってパンの塊を一つ 次稿の入口と出口吾作り直すことによって、賢治はよりリアルな と角砂糖を袋買ひますと一目散に走りだし﹂たのである。とと 宇宙空間を創造することに成功している。初期形第三次稿が重点 をおいていたジョパンニの悲劇性が薄くなったぶんだけ、 には、ジヨパンニのたくましい生命力が描宮だされている e ﹁ 銀 河 ﹂ さ ら に 、 ﹁ 一 ニ 、 家 ﹂ で は 、 ジ ョ バ ン ニ の 家 庭 で の 役 割 が 描 か れ 、 という宇宙空間の幻想性が濃厚になったということができる。 作品の心臓部を撒くための重要な鍵となる語が伏線として表現さ さ ち に 、 ﹁ 二 、 活 版 所 ﹂ と き ど き で、ジヨパンニの労働争日常生活が生 れている@カムパネルラの母とも比較される病気の母、 費生きと描きだされるととで、少年から青年へと成長するジョパ 手伝いにくる姉、そして監獄に入っていると噂される父が描かれ ンニのたくましさが強調されている a る ジヨパンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ ジョバンニが勢よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家 帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のとこ でした。その三つならんだ入口の一番左側には空絡に紫いろ ろに集まってゐました。それはこんやの星祭に青いあかりを 診 る す も つ り こしらへて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです e の ケ
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ルやアスパラガスが植えであって小さな A 一 つ の 滋 に は 日 覆 ひ が 下 り た ま 与 に な っ て ゐ ま し た 。 けれどもジョパンニは手を大宮く振ってどしどし学校の門 ﹁ お 母 さ ん 。 い ま 帰 っ た よ 。 仁合惑くなかったの J ジョパンニは靴をぬぎながら云ひました. さらに、ジョパンニの母としての注意が放たれる。後半でカム ﹁ あ 与 ジヨパン二、お仕事がひどかったろう。今日は涼し パネルラがザネリを助けようとして川にはいり、水死してしまう く て ね 。 わ た し は ず う っ と 工 合 が い ﹀ よ 。 ﹂ と と の 伏 線 が 張 ら れ て い る 。 ジヨパンニは玄関を上って行きますとジヨパンニのお母さ ﹁ あ ﹀ 行 っ て お い で 。 [ ] 川 へ は は ひ ら な い で ね J ﹁ あ ﹀ ぼ く 岸 か ら 見 る だ け な ん 出 尽 一 時 間 で 行 っ て く る よ J 街 路 ) んがすぐ入口の室に白い巾を被って寝んでゐたのでした。 ジ ョ パ ン ニ は 窓 を あ け ま し た 。 ジョパンニは立って窓をしめお血やパンの袋を片附けると また、その父とカムパネルラの父が自分たちのように友達で 勢よく靴をはいて あったことが描かれる@ ﹁ で は 町 時 間 半 で 帰 っ て く る よ J と 一 耳 ひ な が ら 暗 い 一 戸 口 を 出 ﹁あ﹀だからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうち ま し た 。 へもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校 から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパ 島時間半にも不気味な伏線が張られてい て、カムパネルうが川に入ることで死んで銀河鉄道に乗車してい 最後に、との昼時間-ネルラのうちにはアルコールラムプで定る汽車があったん た の は 父 親 が 時 計 で 測 っ た 四 五 分 で あ り 、 ジ ヨ パ ン ニ が 家 を 出 て 、 だ.レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号 擦もついてゐて信号擦のあかりは汽車が遜るときだけ背くな 銀河鉄道に乗車して、牛乳をもらって家に帰るまでの時間は一時 間から一時間半というととになるのである a る や う に な っ て ゐ た ん だ 。 とのように、最終形で加えられた冒頭部﹁午后の授業﹂ ﹁ 活 版 宮 石 油 を
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~. il! な く な っ た と 所﹂﹁家﹂は、初期形第三次稿にはなかった﹁銀河﹂の宇宙空簡 を際立たせる伏穏を綿密に描きわけていることがわかる。最終稿 における加筆修正について、村瀬学氏は﹁単なるストーリーの手 商しといったレベルのものではなく、銀抑制鉄道に乗るという設定 ここには、後半でカムパネルラと銀河の汽車に乗り合わせると ﹁ 銀 河 ﹂ がd M
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い う 伏 線 が は ら れ て い る 。 そ し て 、 と呼ばれることから﹁牛乳﹂は重要な言葉として捧尾でも登場す る そのものの意味づけを修正するものを含んでいた立と指摘する。 のテクストの推移を言語表現を中心に分析す ﹁ さ う だ 。 今 晩 は 銀 河 の お 祭 だ ね え 。 ﹂ ﹁ う ん @ ぼ く 牛 乳 を と り な が ら 見 て く る よ J ﹃ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹂ るととは、作品の避けられない主題を浮かび上がらせるととにも繋がり、延いては賢治のかかえこんでいた問題意識の変調理や宇宙 意志の深速についても考察を深めるととができる。闘語科の文学 教材として、賢治の宇宙空間を表象する言語表現に集中して読み ださなければならない/とし予はみんなが死ぬとなづける/ そのやりかたを通って行者/それからさきどとへ行ったかわ からない/それはおれたちの空間の方向ではかられない/感 込 ん で い く こ と が 重 要 で あ る 。 ぜられない方向を感じゃうとするときは/たれだってみんな ぐるぐるする ︿ ﹁ 青 森 挽 歌 ﹂ ﹀ おわりに ﹁ 無 声 働 契 ﹂ ﹁ わ た く し は そ れ を い ま 言 で死んでいく妹トシに ﹃ 銀 蹄 鉄 道 の 夜 ﹄ で ジ ョ パ ン ニ が 乗 り 越 え な け れ ば な ら な い 悲 し へないのだ﹂と死後の世界について語れなかった賢治は、小沢俊 郎氏が﹁妹が行く世界が肯定で曹なくては賢治自身が納まらない e 賢治自身、納得のゆく世界を描ければ愛する人を失った多くの人 みとは、親友カムパネルラとの死別である。﹁銀河﹂は古代の伝説 でも死んだ人の亡魂があの世に行く道と見たものが多いというえ たちの心をも納得させることができる﹂ u と述べるように肯定的 賢治は﹁銀河﹂に死の世界を重ねることで、 ﹁ 科 学 ﹂ と ﹁ 宗 教 ﹂ 死 後 の 世 界 と し て ﹃ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄ を 何 度 も 番 苦 続 け る の で あ る 。 また、河合隼雄氏が﹁人聞の生を裏打ちする死、というととにつ の融合を描宮だしている.大混一一年一一月三七日最愛の妹トシ を喪った賢治は、翌大正一二年七月=二日から八月一一一日まで育 森 ・ 北 海 道 ・ 樺 太 を 旅 し て い る 。 ト シ の 死 の 直 後 の 日 付 の あ る 永 しっかりと日が見すえられているのを感じさせる。死の側 から生を見ることによって、正の輝君が全所に美しく感じられ い て 、 訣 の 朝 ﹂ ﹁ 松 の 針 ﹂ ﹁ 無 声 働 笑 ﹂ の 生 々 し い 悲 痛 な 叫 び は 、 翌 年 の ﹁ 青 森 挽 歌 ﹂ ﹁ オ ホ ー ツ ク 挽 歌 ﹂ る ﹂ M と述べるように賢治は愛するトシの死、そして E 自 ら の 死 を 見据えることで生の輝きを描宮だそうとするのである。死者との 交信を採し求めて棒太まで旅した賢治は、そこでひとつの認識に ﹁ 噴 火 湾 ︿ ノ ク タ ー ン } ﹂ の痛切な絶 唱 と な っ て 昇 華 す る , あいつはこんなさびしい停車場を/たったひとりで通ってい い た る 。 ったらうか/どこへ行くともわからないその方向を/ ︽みんなむかしからの吉ゃうだいなのだからけっしてひと哲 どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを/たったひ を い の っ て は い け な い ︾ ( ﹁ 青 森 挽 歌 乙 と り で さ び し く あ る い て 行 っ た ら う か ( 中 略 ﹀ 初 期 形 第 三 次 稿 で は 、 ﹁ セ ロ の や う な 声 ﹂ が ジ ョ パ ン ニ に 向 か っ かんがへださなければなちないととは/どうしてもかんがへ て ﹁けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほ
んたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへき まればもう信仰も化学と同じゃうになる﹂と語る部分があるが、 の銀河鉄道﹂を描いた畠賢治は﹁ほうたうのさいはひ﹂ が﹃銀河鉄道の夜﹄を読む人々の心に痛くことを信じて書き続け たに違いない e ﹁銀河鉄道﹂は昼と夜をわける﹁格梗色﹂の空を かけめぐるのである。賢治の﹃銀街鉄道の夜﹄は、生と死のコン へ の 祈 り 死 者 と の 交 信 を 科 、 学 的 に 証 明 で き な い 賢 治 は 、 ﹁ ほ ん た う の さ い は ひ ﹂ を 求 め 、 ﹁ ま こ と の 道 ﹂ に た ど り つ く 最 善 の 方 法 を 必 死 に な っ て模索するのである.大正一五年記された﹁農民芸術概論﹂︿﹁農 民 芸 術 概 論 ﹂ ﹁ 農 民 芸 術 概 論 掴 概 要 ﹂ ﹁ 農 民 芸 術 の 興 隆 ﹂ ) で 賢 治 は トラストを見事に描き出した作品である. 高橋敏夫氏は、﹁宮沢賢治のテクストに直面すると、テタスト 以外のものが消失してしまう。ひとつひとつの言葉とその関係が 自 ら の 進 む べ き 道 に つ い て 述 べ て い る 。 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得 出現させる奇異な世界に、すっかり心を奪われてしまう﹂品と指 摘するが、賢治の命の根源に遡って働く宇宙意志に圧倒されて、 な し ミ 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する この方向は宵い聖者の踏みまた教へた道ではないか 作 品 の 一 言 語 表 現 を 考 察 す る こ と に 脱 力 し て し ま う 。 賢 治 の 言 葉 に 酔って、諮りの問題とか、プロットとメタプロットの関係とか、 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに 言葉の仕組みとか、細々としたことを論うのは無粋のようにも思 えてくる。しかし、だからこそも賢治の言葉の魔力に酔わされる ととなく、文学教材として取り上げるには、授業者としての高い 応じて行くことである われらは世界のまことの幸揺を索ねよう 求道すでに道で 技 術 が 必 要 と さ れ る 。 あ る ( ﹁ 農 民 芸 術 観 論 綱 要 ﹂ ﹀ 田中実氏は、読みの ︿ 動 的 課 程 ﹀ と は ﹁ 読 み 手 が 自 身 に 現 象 し 賢治は、﹁世界がぜんたい幸福﹂になることで生死をめぐる﹁修 た ︿ こ と ば の 仕 組 み ﹀ を 辿 る こ と で あ り 、 そ れ に よ っ て 読 み 手 の ︿ い の ち ﹀ が 蘇 生 さ れ る ﹂
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﹂とであると指摘する a 生命の蘇生とは 羅﹂の世界を超えていこうとする。梅原猛氏は﹁人聞は物理的化 学的な物質でもなく、人格でもない。人間は、自然の大生命のあ 賢治が自身の作品で繰り返し播いできたととである。賢治は﹁銀 河鉄道の夜﹄のなかでも生命の蘇生を宇宙意志として描いた@文 学教材として﹃銀河鉄道の夜﹄を取りあげる意味は、賢治の宇宙 意志がどう強かれているかを学習者が言語表現からたどり、自己 らわれのひとつにすぎない@人闘の意識といえども、自然の大生 命の自己意識にすぎない﹂凶と述べ、賢治の宇宙的生命の流れを 指摘する。賢治は﹁ほんたうのさいはひ﹂を求めて﹁幻想第四次発見に繋げることであり、授業者は学習者とともに、読みの 的課程﹀を持続させることが重要である a 動 註 1 河合隼雄﹁コンストレ
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ション﹂﹃物語と人間の科学﹄岩波 書 信 、 一 九 九 三 年 七 月 を 改 闘 再 編 集 し た ﹃ こ こ ろ の 最 終 講 義 ﹄ 2 新 潮 文 庫 所 収 、 二 一O
一 二 年 六 月 、 河合隼雄、同掲書、五O
頁 。 須 貝 千 里 ﹁ ︿ ﹁ 乙 と ば ﹂ は 伝 わ ら な い ﹀ 問 題 を 超 え ら れ る かi
﹃ オ a 七 頁 @ 3 ツ ベ ル と 品 購 ﹄ の 謎 ﹂ 問 中 開 業 ' 一 線 貝 千 里 編 ﹁ 文 学 の カ × 教 材 の カ 中学校編 1 年﹄教育出版、コ00
一 年 六 月 、 三 九 頁 @ 須 貝 氏 は 、 ﹁ 作 品 と は 読 み 手 に と っ て ︿ わ た し の な か の 他 者 ﹀ で あ れ り 、 そ れ が ま す 告 の 成 立 と い う こ と で あ る @ し か し 、 作品は︿主文﹀を超えていると言わざるをえない。だからと い っ て 、 読 み 手 の 闘 の 前 に あ る 印 刷 刷 物 と し て の ︿ 元 の 文 章 ﹀ が 作 品 そ の も の で は な い @ 読 ま な け れ ば 作 品 は 現 れ な い か ら ﹂ と 述 べ 、 ﹁ 国 語 教 育 の 分 野 に お け る ︿ 読 み ﹀ の正解到達主義 いくととに文学教 と そ の 批 判 と い う 二 元 的 な 構 図 を 超 え て ﹂ 材 の カ が あ る と 指 摘 す る 。 阿 古 一O
頁 。 4 牛山恵﹁宮沢賢治童話の教材史i
文 学 作 品 と 小 学 校 ﹁ 園 語 ﹂ 教科書との関連﹂﹃国語教科書研究の方法﹄全国国語教脊 5 学会・公開講座ブックレット③三O
一 二 年 二 月 、 四 七 質 。 牛山藤氏は﹁賢治童話が初めて国語教材として取り上げられ たのは、戦後教育の出発点においてのことだった@すなわち 石 森 廷 闘 掃 の リiF
によって成立した暫定教科書において、賢 治童話は、国家主義的な徳目あるいは教訓から解放された純 粋の児童文学として、さらに言うなら民主主義の時代の新し い教材として国語教科書の上に整場した﹂と述べ、小学校、 中学校、高等学校の国語教科書に登場する賢治童話の価値に つ い て 問 題 提 起 し て い る 。 同 掲 番 、 一hO
五 一 一 良 。 自 村瀬学コ知る﹂ことと﹁信じること﹂﹃﹃銀河鉄道の夜﹄と は 何 か ﹄ 新 装 版 大 和 書 房 、 一 九 九 四 年 一 月 、 二O
再
7 入沢康夫氏は、この草稿の再検討について堀尾氏が別な報告 文で﹁九月二二日の午後 a 一 時 か ら 夜 十 二 時 ま で 、 つ ま り 十 時 間をかけておこなわれた。そして、その結果、三十箇所近い ぞれまでの誤読箇所が発見され、訂正されるとともに、ぞれ までは五番目の﹁天気輸の柱﹂の章に挿入して本文化してき た 一 色 枚 の 原 稿 が そ と か ら 取 り 除 け ら れ て 巻 末 に 移 さ れ 、 一 克 あった箇所には﹁(この間原稿五枚なしごという注記が入れ ら れ る と と に な っ た ﹂ と 指 摘 し て い る 。 ﹁ ﹃ 銀 荷 鉄 道 の 夜 ﹄ の ︽ 草 稿 山 中 と ︿ ︿ 刊 本 ︾ ﹂ ﹃ 国 文 学 解 釈 と 教 材 の 研 究 ﹄ 学 燈 社 、 九 九 六 年 六 月 、E
電 呂 千葉一幹﹃﹃銀河鉄道の夜﹄しあわせさがし﹄みすず書房ニ
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五 年 七 月 、 四 八 貰 . 九 六 七 年 六 月 、 一 九 九 再 9 と 田 哲 ﹁ ﹁ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄i
賢治の異空間体験l
﹂ 世 間 回 務 ・ 宮 沢 賢 治 ﹄ 双 文 社 出 版 、 中学校編 1 年﹄教育出版、コO
16 高橋敏夫﹁浮遊感と文学のカはつながるか﹂田中実・須員千 里編﹁文学のカ×教材のカ 伊藤虞郎編﹃作品論 一 九 八 四 年 七 月 、 二 六O
頁 。 。 一 年 六 月 、 問 。 頁 . 10 入沢康夫﹁﹁銀河鉄道の夜﹂の︽草稿ザと︽何本︾﹂﹃国文学 解釈と教材の研究﹄学燈社、一九九六年六月、一八ゐ奥入沢 氏は﹁諸刊本(特に全集)における﹁銀河鉄道の夜﹂におけ る本文の詳細な比較検討は、これまで議も正面切って取り組 んでいる様子がないが、この作品の ※宮沢賢治の本文は、﹃新校本営禅賢治全集﹄第二巻・第十巻・ 第 十 一 巻 、 筑 摩 書 房 、 問 中 実 ﹁ ︿ い の ち ﹀ 17 の扉﹂問中実・須貝千里編﹃文学のカ X 中学校編 1 年﹄教育出版、二00
一 年 六 月 、 一 三 一 教 材 の カ 九 頁 。 ﹁ 享 受 ﹂ の歴史という意 味で、時代時代の評価や批判と絡めながら、ていねいに跡づ けていくならば、相当に興味深い結果がもたらされるのでは 一九九五年七月・一九九五年九月・一九九 六 年 一 月 に 拠 っ た 。 ないかと思う。そして、これは﹁ひやっとしたら﹂というの で書くのだげれども、作品草稿に関していまだに残っている いくつかの間題の解決のためのヒントがそこから出てきはし ま い か 、 と い う 気 さ え す る ﹂ と 述 べ て い る 。 日 間 頁 。 11 村 瀬 学 ﹃ ﹃ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹄ と は 何 か ﹄ 前 掲 響 、 一 一 六 頁 。 12 議下英明﹃宮穆賢治研究叢書 七五年七月、六O
頁 。 宮謬賢治と星﹄撃義書林一九 13 小 沢 俊 郎 ﹁ 宮 沢 賢 治 論 集 ﹄ 有 精 堂 一 九 八 七 年 三 月 、 二 二 一 一 良 。 14 河合隼雄﹁過透明なかなしみ﹂﹃銀河鉄道の夜﹄角川文庫 一 九 九 六 年 五 月 、 二 回 一 二 頁 . 梅原猛﹁修羅の世界を超えて﹂﹃地獄の思想﹄中央公論社 A 15-A
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