統一論題
経営史学の試練と未来
方法論と研究言語の壁を超えて
黒澤 隆文 【司会】黒澤隆文(京都大学)・渡邊純子(京都大学) 【報告】 1. ピエール=イヴ・ドンゼ(大阪大学)「経営史ジャーナルの国際比較分析」2. Teresa da Silva Lopes(University of York)「経営史 その遺産・意義・学際的対話 」 3. Matthias Kipping(York University)「経営史の生存戦略としての経営学」
4. Andrea Lluch(CONICET/ Los Andes University)「ラテンアメリカにおける経営史 国 際化の中での課題とチャンス 」 【問題提起】「危機を機会にどう転じるか 日本と世界の経営史研究」 黒澤隆文(京都大学) 過去10年ほどの間,経営史学のアイデンティティ,手法,今後の方向性に関する再検討の試 みが世界的に盛んとなり,ブームの観を呈している。その詳細は『経営史学』掲載の論考に譲 るが(黒澤・久野,2018a;同,2018b),関連の論文や書籍は近年のものに限っても150点を 超える。また各国の学会等でも,毎年のようにこうした主題を掲げたパネル等が企画されてい る。これは,方法論の議論が近年極めて低調で,その内容も A.D. チャンドラーの体系など 「古典的」な主題に止まりがちな日本の状況とは,著しい対照をしている。 注目されるのは,こうした動きが,経営学や組織論における歴史論的転回(“historic turn”)や,他方での歴史研究全般での文化論的・言語論的転回(“cultural turn”;“linguistic turn”),さらには近年米国で大きな潮流となっている「資本主義の歴史」(“History of Capitalism”)から直接の刺激を受ける中で,あるいは経済学や経営学の主流派がますます勢 力を増す中で,これら隣接分野からの学問的挑戦に応える形で登場してきていることである (Bucheli and Wadhwani, 2014)。よって論争の最大の焦点は,隣接の学問とどう切り結び,経 営史の境界(およびその中核)をどのように捉えるかという点であった。前提となるのは,経 営史が方法論の多様化と関心の拡散に直面しているという自己像である(Kipping, Kurosawa & Wadhwani, 2017)。この拡散の中で,どのような問題に,いかなる方法で取り組むのか,経 営史の存在意義とは何かが,問われてきたのである。浮かび上がるのは,多くの経営史家が, またとりわけ大学組織の中で少数派の立場にある経営史家が,経営史の現状や経営史家の置か 全国大会報告
れた状況に危機感を持ち,あるべき方向を模索しているという事実である。 本統一論題では,学問分野のアイデンティティや境界というこの問題を,各国・各言語の間 に存在する地理的・文化的・制度的な境界と密接に結びつけて検討する。各国の経営史は,著 しく多様な歴史的文脈の下で,異なる時期に異なる形で誕生し制度化されてきた。そのため, 経営史(business history)の語で意味される研究やその方法・枠組みも,実は各国で大きく 異なる。経営史(家)の制度的基盤にしても,経済学部・経営学部(日本やスペイン),ビジ ネススクール(イギリス,北欧の一部,米国の一部の経営史家),歴史学部(ドイツ,フラン ス,オランダ,米国の経営史家の大半,北欧の一部)と多様である(黒澤,2014)。そうした 状況では,経営史の方法・課題・存在意義(disciplinary and methodological boundary)に関 する議論は,国際的な場においては,各国間(・各言語間)に横たわる「経営史」の違い (national boundary)とともに論じられることなしには,すれ違いに終わるだけである。そこ で本統一論題では,この二つの境界の連関を明確に意識しつつ,両者を関連づけて議論した い。 議論にあたっては,経営史の世界的多様性を念頭に置きつつも,まずは日本の経営史学が今 日直面する課題から出発する。日本は多くの面で極端な事例であるが,それゆえに普遍的な問 題に関して論点を立てやすく,国際的な比較や相互学習に役立てることができる。日本での問 題も多様であるが,本論題では次の 3 点に焦点を当てたい。 第一は,かつての「成功」に起因するジレンマである。経営史は日本では早い時期に急速な 市場拡大と制度化を達成し,世界最大の雇用市場を生み出した。しかし数十年後の今日,この 歴史的遺産は陥穽に転じている。市場拡大下で出現した高度な分業は市場縮小下でも残り,制 度化の成功もあいまって,研究の細分化と分業意識,研究主題の矮小化をもたらしている。 「経営史家は社会の大問題に取り組まず,大きな論争とも無縁で,研究者は個別事例の解釈に 防御的に引き込もっている」との自己批判は今日世界中で聞かれるが,これは日本では特に深 刻であるように思われる。 第二の焦点は,社会科学系学部における経営史の位置である。経営史の導入は,社会科学に おける歴史研究の全盛期に行われ,大学教育の量的拡大という好機を捉えて経済学部・経営学 部に足場を築いた。しかし社会科学全体の没歴史化と社会環境の変化によって,その足場は揺 らいでいる。歴史家の方法を解しない同僚に評価や人事を委ね,方法を説明しようにもその語 彙も欠くという事態は,すでに現実となりつつある。 第三は,「外国経営史」の衰退,「内外分業」の制度疲労と言語的孤立である。国際的に異例 なのは,その発展の前半期に膨大な数の外国史研究がなされ,かつ日本語で著されたことであ る。世界有数の出版市場の恩恵の下,当時の日本の経営史研究者は,日本語の文献を読むだけ
境が消失し,海外では遅れて実現した制度化や国際化の下で世界的に英語化が進展したにもか かわらず,内外分業の意識は残り,世界的な研究動向から孤立するに至った。研究国際化のか つての課題は「輸出」の弱さであったが,今日では輸出・輸入の両面の機能不全である。これ は制度的ロックインの帰結であり,組織的な対応が必要である。 このように日本での状況は深刻であり,楽観を許さないが,しかしこれらは,克服不可能な 問題ではない。危機は同時に,チャンスでもある。言語的・研究史的な孤立は,見方を変えれ ば,日本の研究者が国外の研究者とは異質な競争資源を持つことも意味する。意識と行動を変 え,言語的なハンディを克服し,過度の分業を打破すれば,危機を機会に転ずることも不可能 ではなかろう。歴史への風当たりが強いとはいえ,若手の就職機会という点でも,未来への希 望は十分残っている。 危機をチャンスに転ずる一つの道は,日本の状況を,国際的な比較と相互学習の視点で見直 すことであろう。存在意義と制度化の形を異にする各国・各地域で,経営史家は,経営史にど のような存在意義を見出し,いかなる研究戦略を描き,経営史の方向性についてどのような議 論をしてきたのだろうか。また言語や各国固有の文脈に起因する障害を,どのように乗り越え てきたのだろうか。あるいは,困難を克服することができず,また戦略が失敗に終わった例が あるならば,そこから何が学べるだろうか。これらを検討することで,日本にとっての示唆の みならず,各国の経営史にとっての教訓も得られるであろう。そこで本統一論題では,日本の 他,欧州,北米,南米からそれぞれ 1 名ずつ報告者を得て,この問題を検討した。 文献一覧 黒澤隆文(2014)「世界の経営史関連学会の創設・発展史と国際化 課題と戦略」,『経営史学』第49巻第 1 号, pp. 23⊖50。 黒澤隆文・久野愛(2018a)「経営史研究の方法・課題・存在意義 英語文献における研究動向と論争 (上)」 『経営史学』第53巻第 2 号,pp. 27⊖49。 黒澤隆文・久野愛(2018b)「経営史研究の方法・課題・存在意義 英語文献における研究動向と論争 (下)」 『経営史学』第53巻第 3 号,pp. 29⊖45。
Bucheli, Marcelo and R. Daniel Wadhwani (eds.) (2014) Organization in Time: History, Theory, Methods, Oxford: Oxford University Press.
Kipping, Matthias, Takafumi Kurosawa and R. Daniel Wadhwani (2017) “A Revisionist Historiography of Business History: A Richer Past for a Richer Future”, in Wilson, et al., The Routledge Companion to Business History, pp. 19⊖36.
(くろさわ・たかふみ) ※編集委員会より
富士コンファレンス
Toward Global Business History:
A Focus on the Electrical and Electronic Equipment Industry
谷口 明丈
本コンファレンスは上記のタイトルのもと,電機産業に焦点を当てた 3 つのセッションから 構成されていた。以下,その内容について簡単に報告する。
セッション I:Human Capital: Japanese Experiences from Comparative Perspective 本セッションは,日立製作所の事例を中心に,日米独 3 カ国の電機産業における人的資本あ るいは人的資源の開発・蓄積のあり方について,基幹労働者,技術者,マネジャーに焦点を当 てて比較史的に検討することを目的として組織された。Free University of Berlin の名誉教 授,Jürgen Kocka 氏が司会と討論者を務めた。
東 北 学 院 大 学 の 菅 山 真 次 氏 に よ る 第 1 報 告“The Salaried Employee’s World and the Worker’s World:A Case of Hitachi Ltd., 1910⊖1936”は,日本の独特の雇用慣行とされる新 卒採用・長期雇用がどのような形で発生し定着してきたのかという問題を,戦前の日立の人的 資源管理の事例を中心に,ホワイトカラーの世界とブルーカラーの世界のコントラストに焦点 を当てて解明しようとした。
獨協大学の市原博氏による第 2 報告“Job Behavior, Technological Capability Development and Job Carriers of Researchers and Engineers in Hitachi, Ltd. after the Second World War” は,1950年代から60年代にかけての日立の重電機部門における技術者の職務行動の特徴をその キャリア展開との関連の中で明らかにしようとしたもので,日本製造業に特徴的とされる職能 を超えた技術情報の共有化と協働関係の形成が日立においてどのようになされたのかを描こう とした。
杏林大学の長谷部弘道氏による第 3 報告“From Works Manager Development to Global Leader Development: Historical Analysis of Hitachi’s Executive Education and Its Overhaul from the 1960s through the 2000s”は,日立のエグゼクティブ教育システムに焦点を当て,その 性格を明らかにするとともに,1960年代から2000年代にかけての改革の背景について分析した。 セッション II:Organizational Capabilities: Beyond Three-Pronged Investment
本セッションは,セッション I の議論を前提に,日米独の企業における組織能力の形成をよ り広い視野から比較史的に明らかにすることを目的に組織された。そこでは,各国あるいは各 企業の組織能力の中核いわゆるコア・コンピタンスがどこに在り,それらはどのような違いと
Uppsala University の Fredrik Tell 氏による第 1 報告“Organizational Capabilities in the Heavy Electrical Manufacturing Industry: A Comparative Study of European and American Firms, 1878⊖1990”は,電機産業が科学依存型産業(science-based industry)であることに着 目してチャンドラーの三つ叉投資論を修正し,その視点から米欧の企業の組織能力の形成過程 を比較検討したものであった。
National Air & Space Museum の Thomas Lassman 氏による第 2 報告 “Building New Core Competencies in R&D: Academic Science and the Transformation of Industrial Research at the Westinghouse Electric and Manufacturing Company, 1935⊖1955”は,アメリカのウェス ティングハウス社が,アカデミズムで研究が開始された原子力を自社のコア・コンピタンスと すべく,どのような戦略によって研究開発を進めていったのかを,解明しようとした。 法政大学の金容度氏による第 3 報告“The Career Paths of Directors and Organizational Capability in Hitachi, Ltd., 1950⊖1999” は,日立製作所の取締役のキャリアパスを分析するこ とによって,その特徴が日立における組織能力の形成と蓄積の有り様とどのように連関してい るのかを明らかにしようとしたものである。
セッション III: International Competition and Cooperation: Toward Global Business History 本セッションは,セッションⅠ,Ⅱの議論を踏まえて,国を越えたリージョナルあるいはグ ローバルな産業の場において,各国の企業がどのような競争と協調の関係を取り結んだのか, その結果としてどのような産業の構造と競争の秩序が生み出されてきたのかを検討し,さらに その作業を通じて,グローバル経営史への展望を開くことを意図したものであった。関西大学 の西村成弘氏が司会と討論者を務めた。
Royal Holloway University of London の Robert Fitzgerald 氏 に よ る 第 1 報 告“Global Rivalry, Inter-Firm Networks and Capability Building in the Inter-War Electrical Industry” は,両大戦間期におけるグローバルな競争関係と企業間ネットワークによる協調関係が組織能 力の構築と再構築にどのような影響を与えたのかを,イギリスの企業を中心に米欧の企業との 比較を含めて明らかにしようとした。
日本大学の宇田理氏と千葉経済大学の近藤光氏による第 2 報告“Myth of “Becoming General”: The History of Computer Business in the U.S. and Japan Electrical Industries, 1950⊖1980” は,日米の総合電機企業(GE,日立,東芝)のコンピュータ産業への進出過程と その成功と失敗を比較検討することによって,「総合化」が抱える問題を解明しようとした。 University of Göttingen の Hartmut Berghoff 氏による第 3 報告“The Troublesome 1990s: Electrical Engineering in the Age of Deregulation and Globalization” は,規制緩和とグロー バリゼーションの下で困難な状況に陥ったドイツ電機産業において,ジーメンスがリストラク チャリングを通じてその事業構造を大きく変化させていく過程を明らかにした。
台風の影響で討論の時間をとれなかったのは残念であった。また紙幅の関係で討論者のコメ ントは割愛させていただいた。
(たにぐち・あきたけ)
国際セッション・パネル
Status Quo and Prospect of Business History Research in Japan and China
橘川 武郎英語を使って行われた本パネルは,日中両国の経営史研究・経済史研究の現状と展望につい て意見交換を行うことを目的として実施された。パネルの概要は,以下のとおりであった。 Chair: Steven Ivings (Kyoto University)
Discussant: Takashi Shimizu (The University of Tokyo) 第 1 報告:Takeo Kikkawa (Tokyo University of Science)
“Status Quo and Prospect of Japan’s Business History Research”
第 2 報告: Liqiang Lin (Fujian Normal University) and Huang Lei (Fujian Normal University)
“Status Quo and Prospect of China’s Business History Research in the 21st Century”
第 3 報告: Chaoqun Gao (Chinese Academy of Social Science)
“Status Quo and Prospect of China’s Economic History Research in the 21st Century”
第 4 報告: Masato Kimura (Kanda University of International Studies)
“Comparative Studies on the History of Entrepreneurship and Philanthropy between China and Japan”
第 1 報告は,1990年代以降の日本経済・日本企業の低迷に焦点を合わせ,その原因と打開策 を応用経営史の観点から解明することが重要だと強調した。第 2 報告は,中国の経営史研究の 最近の特徴として,学際的研究の活性化,海外経営史研究者との交流,実社会・実生活との関 連の強化,などの諸点をあげた。第 3 報告は,今世紀にはいってからの中国における経済史研 究の活発化を指摘したうえで,世界史的視点と一国史的視点をいかに統合するかなどの課題が 存在するとした。第 4 報告は,長くつとめた渋沢栄一記念財団の研究部門責任者としての経験を ふまえ,日中間の研究交流の近年における深化と今後のポテンシャルの高さについて論及した。
きなかった木村昌人に代わって,パネル・オルガナイザーの橘川武郎が,第 4 報告の概要を紹 介した。
(きっかわ・たけお)
国際セッション・パネル
The Practice of Business History Writing in India
野村 親義 1980年代の経済自由化以降,インド経済は高い経済成長率を維持している。このインド経済 の高い成長率は,民間企業の活発な活動に主導されている。独立以降長く続いた計画経済体制 下大きな制約を受けながら不自由な活動を強いられていた民間企業が自由化とともに息を吹き 返し,現在のインド経済の高い成長率維持に大きく貢献しているのである。 本パネルでは,現代インド経済の高成長を支える民間企業の歴史的起源,およびこれら歴史 的起源のヒストリオグラフィーを, 4 名の国内外の研究者を中心に協議した。パネルでは, ターター鉄鋼所を軸に植民地期インドの工業化受容の有様を検討してきた野村に加え,ビル ラー財閥研究・インド計画経済体制形成史研究で知られかつインド経営史の教科書も執筆して いるシンガポール国立大学の Medha Kudaisya 氏,ならびに自身も拝火教徒であり長く拝火教 徒の経済活動への関与の有様を検討してきた在野研究者 R. Wadia 氏が報告者として登壇し た。司会兼コメンテーターは,自身も長く財閥運営に関与しかつ内部者の視点を重視しつつ数 多くのインド財閥関連書籍を執筆しているオックスフォード大学の Gita Piramal 氏にお引き 受けいただいた。 パネルでは,まず野村が,植民地期のインド経済の特徴を同時期の日本との比較を念頭に置 きつつ概観した。そのうえで,Kudaisya 氏が植民地期インドの民間企業の発展史を扱う既存 の研究のサーヴェイを行い,Wadia 氏はワディア家,ターター家を中心に拝火教徒が植民地 期いかに経済活動に関与していったのかを明らかにした。 協議を通じ,インドの民間企業史研究は豊かな研究成果を有するものの,従来の研究は歴史 学の分析手法に依拠するものが多く,時として物語に終始し分析が少ない傾向がある点,認識 が共有された。そのうえで,経済学・経営学など近接他分野のディシプリンを積極的に取り込 み,より複眼的にインドの企業史分析を行うことの必要性が確認された。 最後に,この度世界有数の会員数を誇る日本経営史学会の一端に触れる機会をいただいたこ とで, 4 名のパネル報告者・司会者はインド経営史の今後を考える良い刺激をいただきまし た。記して感謝申し上げます。 (のむら・ちかよし)