第71回公開シンポジウム報告
太田 佳光・杉田 浩崇 中国四国教育学会 教育学研究ジャーナル 第25号 2020 85-88
はじめに
小学校・中学校ともに「特別の教科 道徳」(以下, 「道徳科」)がはじまり,道徳教育は新しい時代に突入 したかに見える。しかし,教科化に伴う教科書や記述 式の評価の導入によって,学校教員には少なからず混 乱が見受けられる。問題解決的な授業をはじめとして 「考え,議論する道徳」への転換に向けて様々な方法が 試みられたものの,その原理的な考察を欠いては有意 義な授業改善や評価は望めないだろう。 そこで中国四国教育学会第71回大会を松山大学でお 引き受けするにあたり,道徳授業では何を教えること ができるのか,その際の授業評価の規準はどうあるべ きなのか,その規準からいかに授業が改善可能なのか を問うべく,「道徳授業の改善と評価」と題した公開シ ンポジウムを設定した。その際,研究者だけで議論す るのではなく,学校において日々道徳授業に取り組ん でおられる学校教員の方々にも広く参加してもらうよ う心がけた。実際,シンポジウム当日は,会員だけで なく,当日参加された学校教員からも多く意見が出さ れ,理論と実践が切り結ばれる場が生成されたように 思われる。 この生成された場を再現するべく,以下では,当日 の各登壇者からの提案の概要と質疑応答の様子をまと めたうえで,そこで焦点となった道徳授業における 「深い学び」について論点を整理してみたい。もちろん これらは司会者として理解した限りのものであり,詳 しくは続いて集録されている各提案者の論考から,各 自で引き取ってもらいたい。1 .何が提案されたか―各提案者の
提案内容の概要
上地完治氏からは,ハーバーマスの哲学に基づいて,道徳授業において「深い学び」とは何か
太 田 佳 光
(愛媛大学)杉 田 浩 崇
(広島大学) What is “Deep Learning” in Moral Educational Lessons? Yoshimitsu OTA Hirotaka SUGITA 話し合いを中心とした授業で何を目指すことができる のかについて提案があった。氏によれば,道徳的価値 は客観的に存在するものではなく,それを見出すもの が解釈することで成り立つ。それゆえ,見え方に応じ て具体的な状況や行為の価値づけの仕方は異なりうる。 解釈が独善的になることを避けるためには多面的・多 角的に考える必要があるが,解釈が個人内で行われる 場合には,想定される異なる解釈の幅に限界がある。 それゆえ,自分のものの見方を超えていくために,話 し合いによって他者の意見に耳を傾けることが肝要で ある。氏によれば,これが道徳授業において話し合い が必要な第一の理由である。 だが,話し合いを深い学びに繋げるためには,多様 な意見が羅列されるだけに終わってはならない。相対 主義や独断主義を回避するためには,「正しさ」をめ ぐって合意形成が目指されなければならない。ただし, それは結果としてひとつの考えに合意させることを意 味しない。氏によれば,重要なのは深い学びをもたら すような「吟味」の過程を保障することである。そこ で氏は,多様な意見を単に受容することを児童生徒に 求めるのではなく,話し合いが否定的な部分を認識す る契機となる必要があると主張する。児童生徒は互い に意見を比べ合い,理由をつけて賛成・反対を表明し 合うことで,自分に足りないものを否定的に認識し, より納得できるものをともにつくりだそうとする。そ うすることで,互いに納得できた意見は「客観的な正 しさ」を帯びることになる。氏によれば,これが道徳 授業において話し合いが必要な第二の理由であり,目 指すべき方向性である。 坂井親治氏からは,道徳授業を誘導型から追究型へ と転換するための具体的な手立てとして,「テーマ学 習」とそれに即した発問のマトリックスが提案された。 氏は,決まりきった答えだけを言うだけに終始してい たという感想をもたれがちな道徳授業を改善するべく,道徳授業において「深い学び」とは何か 児童生徒が教材を読んで話しあってみたいことを提案 し,教師とともに,学習するテーマを設定していく授 業づくりに努めた。その際,児童生徒が選ぶテーマが 拡散的にならないように,教師自身がねらいとする価 値,教材に示された価値,児童生徒の価値観を念頭に おいて中心発問を問う必要があるという。また,氏は 発問のマトリックスを用いて様々な発問のかたちを整 理した。そのうち,場面を取り上げて人物に共感的に 寄り添う発問をすることで自我関与の場を,資料を分 析的に取り上げ,補助発問をすることでテーマを掘り 下げる場を児童生徒に提供できるという。 氏の提案を敷衍すれば,「テーマ学習」によって「深 い学び」を実現するためには,児童生徒の話し合いが 論拠に基づくものとなるだけでなく,教師がねらいと する価値について理解を深め,児童生徒が提案する テーマに沿って適切にファシリテートできるのでなけ ればならない。上地氏の提案とは異なって,坂井氏の いう深い学びの実現には,教師の深い価値理解とそれ に基づいた発問の整理・選定が大きな役割を果たして いるのだと考えられる。 谷田増幸氏からは,道徳の教科化以降を振り返り, 現実に生じている理念と現実の乖離がアイロニカルな かたちで列挙された。氏は,認識されていた「道徳の 時間」の課題が教科書および評価の導入によって克服 されるよりも,強化されてしまうのではないかという 懸念を示す。例えば,教科書に附随する教師向けの指 導書は,その通りに授業を進めることを(図らずも) 促進することで,教師の自律的な授業づくりを阻害す るかもしれない。また,「問題解決的な学習」が注目さ れるも,教科書で採用された資料の多くが自我関与を 中心とした授業に適したものになっている。一層問題 なのは,問題解決的な学習の原理がそもそも道徳性の 育成に整合的とは言い難い点である(問題解決的な学 習の型といじめ問題の予防の間には距離がある)。 理念と実践の乖離は評価においても当てはまると氏 は指摘する。道徳科の場合,道徳科の目標が「人間と してよりよく生きていこうとする人格特性」であるか ぎり,評価はおよそ困難であり,実際に学習指導要領 では,この困難を反映して観点別評価は退けられ,見 取りの視点が示されている。しかし,教育実践で教師 が児童生徒の発展や深まりを見取ろうとする場合,結 果として顕れた到達点を参照せざるを得ない。さらに, 教師は一定のねらいのもとで授業を構想するため,評 価において,ねらいの方向性と見取りにかかる多様性 を同時に勘案しなければならない。その中で,個々の 児童生徒の学習状況を横に並べたとき,ある種の順序 付けとして見えてしまうかもしれないと氏は指摘する。
2 .何が議論されたか―質疑応答の
概要
各提案の後,フロアを交えた質疑応答がなされた。 以下,そこで出された論点をまとめるかたちで,内容 を紹介しておこう。 まず,学習指導要領およびその解説に書かれた内容 項目とねらいの関係について質問があった。「考え,議 論する」道徳授業への転換をふまえて,教師がねらい とする価値を押し付けたり,児童生徒がそれを類推し たりするような授業からの転換が求められている一方 で,「深い学び」を模索する限り,高まりや深まりの規 準が想定されよう。その中で,学習指導要領およびそ の解説に示された内容項目をどのように位置づけるか が問われたのである。提案者からは,あくまで学習指 導要領にある内容項目は手掛かりであって,授業の目 標にしてはならないという回答がなされた。内容項目 の向こう側,より深い学びへと児童生徒を連れていく ことが大切なのだという。また,ときには学習指導要 領解説に書かれてあることを批判的に捉えて授業を構 想する必要があるという意見も提示された。 次に,上地氏から提案された吟味のための話し合い が,すべての内容項目に適用できるかという問いが投 げかけられた。例えば,D の視点に含まれる感動・畏 敬の念などを扱う際に,多面的・多角的な意見が出に くく,また理由を出し合って話し合いをすることは難 しいだろう。また,川で溺れている人を助ける行為 (自己犠牲)には確かに人間の気高さが示されている が,その行為をなすべきだという合意の形成を目指す べきものかと言えば,そうではないだろう。提案者か らは,児童生徒の多様な資料解釈を許容することで, 対話は生じうるという回答がなされた。例えば,自然 保護に疑義を差し挟む児童生徒がいることで,あらた めてその価値を問いなおす契機が生まれる。その場合, 結果的に自然愛護へと収束したとしても,自明な価値 理解を問い直し,自分なりの価値観が形成されるだろ うというのである。他方で,ひとつの授業スタイル (例えば,吟味のための話し合いや自我関与を中心とし た授業,問題解決的な学習)をすべての内容項目に当 てはめることの限界も見えてこよう。例えば,倫理学 では,相手の権利侵害が伴うことを避ける完全義務と 権利侵害は伴わないがある行為を遂行することが推奨 される不完全義務を分けることができる。後者の場合, 行為をしなかったとしても責任を問われるわけではな い。例えば,川で溺れている人を助けるなどの勇気に 関わる行為が当てはまろう。この区分をふまえたとき, 主に完全義務に関わる内容項目を扱う場合は合意形成太田 佳光・杉田 浩崇 を目指す道徳授業スタイルを採用するが,主に不完全 義務に関わる内容項目を扱う場合では採用しない,と いう選択がありうる。また,感動・畏敬の念など,超 越性や崇高さに関わる内容項目を扱う場合,普遍妥当 な理由に基づいて論証するといったスタイルは馴染ま ないかもしれない。その他,礼儀やマナーには美的な 観点も関わってくるだろう。価値内容は横並びではな く,様々な区分けが可能で,一概に論じられるべきも のではないのだろう。道徳的価値の多様性を念頭にお いておかないと,ひとつの授業スタイルや型に固執し かねないという点が,質疑応答を通して見えてきたの ではないだろうか。 さらに,質疑応答では「深い学び」をどう実現・保 証するかが論点のひとつになった(ただし,「深い」が 到達点と概念的に結びつきやすいために,「広い」学び という視点も考慮すべきだという意見もあったことは 記しておくべきだろう)。吟味のための話し合いでは, 他者の意見に触れて,自分の意見の否定的な部分を省 みることによって,より「正しい」ものの見方へと学 びが深まっていくことが想定されていたように思われ る。この「深さ」を保障するのが,互いに理由をつけ て賛成・反対を表明し,納得できた意見については合 意していくという,話し合いの形式である。ハーバー マスの討議倫理学における理想的な対話状況や手続き 論的倫理に鑑みれば,話し合いの形式(手続き)が吟 味を生み出す前提条件となり,深さを保障していくと いうのは首肯できる。 他方で,フロアからは A という行為と B という行為 のどちらがより正しいかと問うだけでは,ある内容項 目についての価値理解の深まりが生まれないのではな いかという指摘があった。例えば,「うばわれた自由」 という教材において,主人公ジェラールの変容を共感 的に考えることで,「自由」をめぐる様々な解釈が交わ され,児童生徒の自由に関する価値理解が変容してい くような授業を構想することができる。この場合,自 由という概念について,表面的な理解からより深い理 解へという理解のレベルの違いを認めることができよ う。価値理解の深化は,吟味の話し合いで言われてい る「深さ」とは異なるのではないか。そう指摘された わけである。おそらく,上地氏と坂井氏の提案の違い はここにあると思われる。 しかし,価値理解の深まりを「深い学び」の規準と する場合,その規準を支えるものは何だろうか。フロ アからは,価値内容に対する深い理解と,教師自身の 価値観や価値内容への距離感とをどう切り分けるか, という問いが投げかけられた。つまり,教師自身が深 いと思っている価値理解は,結局のところ,教師自身 の価値観に親和的なものに過ぎないのではないか。そ うだとすれば,価値観の押し付けになってしまうので はないか。こうした懐疑的な眼差しにどう応えうるの かという問いである。それらの問いは,さしあたり吟 味のための話し合いには当てはまらない。話し合いの 形式が深い学びを駆動し,保障するからである(ただ し,みんなで話し合って合意した内容がどうして「正 しい」と言えるのかという懐疑はつきまとう。その 「正しさ」(深さ)を支える根拠は,みんなが納得した ということ以外にないからである)。 この問題はフロアの学校教員が語った実体験によっ て,より切実なものとなった。その方によれば,ハン セン病を題材に生命尊重に関わる自作資料を作ろうと した際,当初は患者を主に書こうとしたのだが,結果 として患者を支える側の視点で書いてしまったのだと いう。患者を支える側に共感的な経験があり,その経 験を背景としてかたちづくられた価値観が,資料作り に投影されてしまうというのである。授業の中での発 問や説話も同様であろう。 では,どうすればよいのか。提案者からは,以下の ような回答が寄せられた。自分の価値理解の仕方が授 業に反映されるのは避け難いが,多様な立場を理解す る機会を保障しなければならない。自分の価値観に合 わない意見が出てきたときに,それを受容する態度が 求められる。また,学習指導要領の解説,あるいは哲 学事典や倫理学事典など,教師自身の経験に頼るので はなく,扱う価値内容についてどのような議論がなさ れているのかを知ることも重要である。自分の価値観 がある一定の価値理解を「深い」と見做す傾向がある ことを自覚した上で,それを捉え直していく姿勢が必 要である。そうして教師自身が価値理解を広く,深く していかなければ,児童生徒の思考をゆさぶることも できないし,教材に含まれている価値の読み取りも浅 くなるだろう。
3 .今後の課題
本シンポジウムでは,教科化に伴う「祭り」のあと の静けさにあって,あらためて道徳授業の改善と評価 を問うた。「考え,議論する」道徳教育への転換が叫ば れる中で,話し合いを取り入れる動きが広がる一方で, 単なる意見の羅列に終わらない話し合いの原理とは何 か。教師が深めてほしいとねらう価値理解からぶれず に,いかに児童生徒が主体的に取り組める授業を構想 するか。掲げられた理念と様々な制約のもとでなされ る実践との乖離を目の前にして何ができるか。それぞ れの提案者が描いた像は三者三様であった。それでも,道徳授業において「深い学び」とは何か 「話し合いなどできないと諦めるのではなく,できるよ うに練習することから始める」,「ローテーション道徳 などを通じて組織的に授業の量的質的改善を図ってい く」,「手軽なソフトなどで評価を行おうとするのでは なく,丁寧に週に一回の授業をつくっていく」といっ た提案者の言葉に示されているように,道徳の教科化 を過ぎ去ったブームのように風化することなく,地に 足をつけて見定めていこうとする姿勢は共通していた ように思われる。 その中で今後の課題として浮かび上がってきたのは, 道徳授業の改善と評価を方向づけると思われる学びの 「深さ」をどう考えるかであった。吟味のための話し合 いが「正しさ」を焦点として学びを「深める」という 考えがある一方で,教師の「深い」価値理解に基づく 教材解釈や発問が児童生徒の学びの「深さ」を保障す るという考えもあった。教科書の定着と評価の記入例 の広がりによって一時の混乱は収まりつつあるが,道 徳授業で引き起こす学びとはどのようなものであるべ きなのかを考える手掛かりのひとつが示されたのでは なかろうか。 しかし,フロアから最後に提起されたように,グ ローバル化が進む中で道徳教育(授業)における「深 さ」とは何なのかを問う視角を広げる必要も出てきて いる。例えば,吟味のための話し合いといっても,そ れぞれの児童生徒が背負っている社会的文化的な背景 は多様になってきている(「沖縄」に言及があったよう に,決して新しい動向ではないのだが)。話し合いは真 空でなされるのではなく,負荷なき自己など存在しな い。また,「深い」価値理解という場合にも,その「深 さ」を支える社会的文化的な背景を考慮しなければな るまい。ローカルな視点から見た価値理解の深まりと グローバルな視点から見た価値理解の深まりが同じと は限らない。「深さ」が垂直軸を示唆し,レベルの高低 や優劣を惹起するのであれば,そこには一定の価値判 断が附随しよう。道徳授業における「深い学び」とは 何かという問いは,そうした価値判断を支えている私 たちの依って立つ地平へと私たちの思考を誘ってくれ る。本シンポジウムが参加してくださった方それぞれ の地平を見つめ直すきっかけとなっていれば幸いであ る。
上地 完治 中国四国教育学会 教育学研究ジャーナル 第25号 2020 89-93
はじめに
『学校の「当たり前」をやめた。』という本をご存じ だろうか。東京都千代田区立麹町中学校での学校改革 の取り組みを紹介した本なのだが,そのなかで,「宿題 を出さない」「中間・期末テストの廃止」等と驚くよう な提案が述べられている。麹町中学校の校長で同書の 著者である工藤勇一は,そのような改革の理由を,宿 題はただ「こなす」だけの作業となっているから,定 期考査では悪癖とも言える一夜漬けの学習形態が横行 しているからと説明する。そして,工藤はこうした改 革が求められる学校教育の課題を,「手段が目的化して しまっていること」だと指摘している1)。 麹町中学校の取り組みに対する個別の評価は脇に措 くとして,工藤が指摘する「手段の目的化」という問 題は,道徳教育の分野においても散見される。「考え, 議論する道徳」という道徳の教科化のキャッチフレー ズによって,学校現場でも話し合いの充実に向けた取 り組みが数多くなされるようになってきた。だが,こ の充実のための取り組みは,多くの場合,「どうすれば 効果的に話し合いをおこなえるか」という方法論的な 関心に向けられたものとなってはいないだろうか。 道徳授業における話し合いは,授業の目的(ねらい) を達成するために授業者が選択した手段の 1 つだった はずである。しかし,なぜ,あるいは何のために話し 合いを道徳授業でおこなうのか,という目的意識が置 き去りにされたまま,「話し合いは大切だ」「話し合い をすることが教科化時代の道徳授業だ」という安易な 理解が広まってはいないだろうか。もちろん,「話し合 いをどのようにおこなうか」という方法論的な関心に 基づく取り組みも大切なのだが,「効果的な話し合いを すること」が道徳授業の目的ではないのである。 本論では,道徳授業における話し合いの目的を明ら かにするとともに,現在進行中の「多面的・多角的に 考える授業」が直面する課題を指摘した上で,「吟味の道徳授業の改善と話し合いの意義
上 地 完 治
(琉球大学) Improving Moral Lessons and the Significance of a Dialogue Kanji UECHI ための話し合い」が道徳授業のさらなる改善に不可欠 な方策であることを提言する。1 .多面的・多角的に考えることと話
し合いの意義
(1)多面的・多角的に考えることが重要な理由 「特別の教科 道徳」となった道徳授業の特質を表現 するとき,「物事を(広い視野から)多面的・多角的に 考える」というキーワードが強調されている。この キーワードの意図するところは,道徳授業においてめ ざすべき学習の方向性が,子どもたちに「正解と目さ れる」考え方や価値の捉え方を伝達して内面化するイ ンカルケーションではなく,子どもたち自身が道徳的 な問題について考え,「善さ」や「正しさ」を探究する ことなのだということである。『小学校学習指導要領 解説 特別の教科道徳編』には,「よりよく生きるため の基盤となる道徳性を養うためには,児童が多様な感 じ方や考え方に接することが大切であり,児童が多様 な価値観の存在を前提にして,他者と対話したり協働 したりしながら,物事を多面的・多角的に考えること が求められる」2)と記されている。 そもそも,道徳的価値とは客観的に存在するもので はなく,それを見出す人の解釈によって成り立つもの である。たとえば,いつも宿題をしてこない友だちが 「宿題を見せて」と頼んできた時に,先生に叱られたら かわいそうだからと宿題を見せてあげる態度も友情だ と言えるし,いつまでも自分で宿題をしないのは本人 のためにならないと考えて敢えて宿題を見せないとい う態度もまた,友情だと言えるだろう。どちらが本当 の友情かという問いに対する正解は存在しない。ただ, 前者を友情だと解釈している人は,後者の行為を薄情だ と思うかもしれないし,後者こそが友情だと思っている 人にとっては前者の行為は甘やかしと映るだろう。 道徳的価値とは,具体的な行為や状況や関係性など道徳授業の改善と話し合いの意義 の中に価値あるものが含まれていると考える人が,そ う解釈することによって成立するものである。それゆ え,道徳的価値はすべての人が同じように理解する客 観的なものではなく,その具体的な行為や状況や関係 性を解釈する人によって異なるものとなる。そして, 自分と他者がある同一の行為や状況や関係性を見てい ても,他者は私とは異なる価値をそこに見出す。 一人の人間が物事を多面的・多角的に考えることに は限界がある。人は自分の物の見方・考え方を持って おり,それを越えて思考することは容易ではない。だ が,自分では考えつきそうにない意見を他者はいとも 簡単に提供してくれる。だから,話し合いは物事を多 面的・多角的に考えるのに適しているのである。話し 合いの中で,自分とは異なる意見に出会える。道徳授 業において話し合いが必要な第一の理由は,自分とは 異なる他者(の意見)に出会うためである。 (2)多面的・多角的に考える授業の課題 正しい価値の伝達とその内面化をめざしていた従来 のインカルケーションの授業に比べれば,「物事を(広 い視野から)多面的・多角的に考える」学習を推進す る道徳授業改善は奨励されるべきである。しかし,筆 者が懸念するのは,「物事を(広い視野から)多面的・ 多角的に考える」学習の結果として,異なる意見が様々 に羅列されたまま終わりを迎える道徳授業のありかた を,授業者がどう評価するかということである。 最初は,子どもたちの発言を面白がり,「この子がこ んなことを考えるんだ」と感心していても,やがてま とめることができない(まとまらない)授業に対して, 「子どもたちはこの授業で何を学んでいるのだろうか」 という疑いを抱かないだろうか。もちろん,教師の発 問の工夫によって子どもたちの考えを深めることはで きる。それも授業での立派な学びである。しかし,学 校現場からモラルジレンマ授業に向けられた根強い不安 の 1 つが,「結論の出ないオープンエンドで授業を終わっ てもよいのだろうか」というものだったことを考える と,「物事を(広い視野から)多面的・多角的に考える」 学習に対する不満が高まることも懸念されるのである。 同様の懸念を広田照幸も指摘している3)。広田によ れば,「正答のない問い」に直面したとき,自分の選択 をどのようにおこなうかが問題となるのだが,正しさ が保証されていない複数の選択肢が目の前にある場合, 人はその選択においてしばしば相対主義か独断主義に 陥ってしまいがちであり,「正答のない問い」を掲げる 道徳教育もその危険性を孕んでいるのだという。異な る意見に対して「どっちでもいい」という態度をとる のは,成り行きに任せて自分では何も決められず何で も認めてしまう相対主義であり,「俺的にはAだな」と いう決め方は根拠も考えずに決めつけで物事を判断す る独断主義なので,昨今の「正解のない道徳」の流行 は下手をすれば相対主義や独断主義に陥ってしまうこ とになるのだ。もっとも,だからといって,授業の終 末に教師が説話を通してねらいとする価値を再確認す るインカルケーションの授業に,再び後戻りすること があってはならない。
2 .道徳の授業における正しさという
問題
(1)オープンエンドの授業の問題点 道徳授業の終末がオープンエンドとなることは, いったいなぜ問題となるのだろうか。もし,道徳授業 の終末で,子どもたちの意見が様々で,教師が設定し た 1 つのねらいへと意見がまとまらないことが批判さ れるのだとすれば,その批判は間違っている。なぜな ら,授業の中で子どもたちが多面的・多角的に考えた 結果として彼らの意見がバラバラであることは,多面 的・多角的に考える学習の成果だと言えるからである。 しかし,子どもたちの発表した意見が黒板に羅列さ れたままで深められることなく終わっていることが批 判されているのだとすれば,その批判は正しいと言え るだろう。それは,子どもたちの意見が深まらず,た だ発表された意見が羅列されたまま授業が終わること を意味するからである。 授業における学びのプロセスを具体的にイメージし てみると,子どもたちは教材を読んで,まず教師の問 いに答える(あるいはワークシートに記入する)。この 最初に抱いた意見が少しも変わることなく授業の終末 でワークシートに記入されたならば,その子の学びは 教材を読んで答えた時点で止まってしまっていること になる。最初に考えたことを授業の中でさらに深める こと,それが深い学びとなるのである。 深い学びの欠落という問題は,アクティブ・ラーニ ングに対する批判においても指摘されていた。能動 的・協働的な学びと訳されたアクティブ・ラーニング に対しては,その重要性が認められつつも,他方では 学習活動につながらない「活動あって学びなし」と批 判される授業となる危険性も指摘されていた。そのた め,アクティブ・ラーニングでは見えにくい「深い学 び」を加えて,「主体的・対話的で深い学び」という方 針が新学習指導要領において採用されたのであった4)。 道徳の授業改善を進めるためには,「物事を(広い視 野から)多面的・多角的に考える」学習によって子ど もたちが多様な意見を提出するだけでなく,深い学び上地 完治 を実現するための方策が必要となる。その鍵を握る方 策こそが,吟味のための話し合いなのである。 (2)道徳授業における正しさという問題 道徳授業において異なる意見が多く提出された後に, 「自分とは異なる意見を受容しよう」と呼びかけられた としよう。初めからすべての意見を肯定するという前 提があるのなら,お互いの意見を吟味することなく, たんに「君の意見は僕の意見とは違うね」と表面的に 違いを認めるだけで終わってしまう。この場合,「みん なちがって,みんないい」ということが思考停止を引 き起こしてしまうのである。 この問題の根源は,道徳に正しさやより善さを求め ることの欠如にあるのだ。道徳には正しい答えなどな いという意見が広まっているが,正確に言えば,「唯一 の正解」は存在しないが,「どうすべきか」という意味 での正しさを道徳の問題は回避することができない。 たとえば,友人の顔を殴った A 君が,「私はその友人 の顔を見たらムカついた,そして私は自分の感情に正 直に生きることを大切にしている,だからその友人の 顔を殴ったのだ」と主張したとき,あなたはその考え を「正しい考え」と認めることができるだろうか。 道徳では確かに「唯一の正解」は存在しない。しか し,道徳は正しさを抜きにして考えることもできない。 いわば,正しさは複数存在し,その中からよりよい考え を見いだすことが求められているのではないだろうか。
3 .吟味としての話し合い
(1)吟味に必要な否定という契機 道徳では,唯一の正解と呼べる普遍的な価値は存在 しないが,このことは道徳に正しさが不要であること を決して意味しない。自由に考えるからこそ,どの意 見がよりよいか,より正しいと思えるかを吟味するた めに,話し合う必要があるのである。 では,吟味とは何か。このことを考えるために,学 校現場でしばしば耳にする「他の人の意見を聞いて自 分の意見を練り上げる」ということを事例に取り上げ てみたい。ある道徳的問題 X に対して A 君が意見 a を,B 君が意見 b をそれぞれ述べたとする。A 君が B 君の意見を聞いて自分の意見を練り上げるというとき, もちろん,A 君が自分とは異なる b という意見を物理 的に耳から聞いて認識するだけで,自動的に自らの意 見が練り上がるわけではない。A 君は B 君の b という 意見を肯定的に評価するだけでなく,自らの意見 a に 足りない部分を認識する―すなわち自らの意見の足り ない部分を否定的に認識する―ことによって,自らの 意見をよりよいものへと練り上げることができる。つ まり,自らの意見をよりよいものへと練り上げるため には,よい意見を肯定するだけでなく,よくない部分 を否定的に認識することが不可欠となる。 異なる意見を比較検討し,肯定的な評価だけでなく 否定的な部分をもきちんと認識すること,これが吟味 である。そして,逆に,A 君が a の方が b よりもよい と評価したときには,b の否定的な部分についてきち んと認識し,話し合いにおいて明確に指摘することと なる。つまり,吟味のための話し合いとは,ある意見 に対して賛成(肯定)または反対(否定)を明らかに することなのである。このとき,なぜ賛成(肯定)ま たは反対(否定)なのかという理由を示すことが不可 欠である。提示された理由に納得すれば自分に対する 否定的な意見も受け入れることができるが,理由もな く否定されれば到底納得いくものではない。したがっ て,吟味とは理由を示してある意見に賛成(肯定)ま たは反対(否定)することであり,吟味のための話し 合いとは,他者の意見に対して根拠を示しながら賛成 または反対の意思表示をおこなうことだといえる。 渡邉満は,こうした話し合いのための 6 つのルール を提示している5)。 ①誰も自分の意見を言うことをじゃまされてはなら ない。 ②自分の意見は必ず理由を付けて発言する。 ③他の人の意見にははっきり賛成か反対の態度表明 をする。その際,理由をはっきり言う。 ④理由が納得できたらその意見は正しいと認める。 ⑤意見を変えることができる。ただし,その理由を 言わなければならない。 ⑥みんなが納得できる理由を持つ意見は,みんなそ れに従わなければならない。 (2)合意による正当性の付与 提示された理由に納得すれば自分に対する否定的な 意見も受け入れることができる。道徳的問題 X に対し て a だと考えていた A 君は,B 君が示した a に対する 反対意見とその根拠に納得すれば,b へと意見を変え る。このとき,A 君は b という意見に納得して合意し たと言える。 道徳授業であれば,話し合いの場には A 君と B 君以 外にも話し合いの当事者がいるはずである。当初は A 君の意見に賛成していた C 君も,B 君の示した根拠に 納得して b へと意見を変え,b がよりよい意見だと合 意する。また,意見が変わった C 君の話を聞いて D 君 も b に合意したとする。そうすると,A・B・C・D の 4 名が b をよりよい意見として認め,合意したことに道徳授業の改善と話し合いの意義 なる。このとき当初は単に B 君の主観的な意見であっ た b が,この 4 名の合意を得てある種の客観性(この 4 名の中だけの客観性)を帯びることになる。納得の 上で合意することで,合意した考えに正しさ(正当性) が付与される。これが,道徳の授業方法論の中で合意 形成と呼ばれる考え方である。 ここでいう道徳的正しさとは,あらかじめ正解とし て用意されているものではなく,問題となる文脈にお いて参加者がそれぞれ自らの根拠を伴った見解を提示 し,その根拠にどれだけ納得できるかということを吟 味することで創りだされる正しさである。そのとき, 正しさとは参加者がある意見に納得して合意すること によって付与されるものであり,こうした吟味によっ て話し合いはある意見に正当性を付与することができ る。これが,道徳授業における話し合いのもう 1 つの 重要な意義なのである6)。
4 .吟味のための話し合いの留意点
(1)吟味のための話し合いはすべての道徳授業に必要か 吟味のための話し合いは,すべての道徳授業に活用 できる汎用的な方法ではない。なぜなら,道徳そのも のが多様性あるいは複数性を有しているため(単純に 言えば道徳にはいくつかの種類があると考えられてい るため),吟味を通して正しさを追求することが適して いる道徳と,そうした正しさの追求が適していない道 徳があると考えられるからである。 松下良平は,道徳には原理的に互いに相容れないも のが複数存在していると言い,民主主義社会における 公教育において考慮すべきものとして次の 3 つの道徳 を指摘している7)。 ①リベラリズム道徳 自由・権利をあらゆる人に平等に保障しようと する正義重視の立場や,自由がもたらす混乱を 阻止しようとする安全重視の立場 ②共同体道徳 善悪正邪をめぐる相互の行為期待・役割期待に ついて共同体内で暗黙のうちに合意された道徳 ③ケア(責任)の倫理 他者への思いやりや配慮の倫理や,他者の声や 物語に耳を傾けようとする応答責任の倫理 松下によれば,これらの道徳・倫理は,善さや正し さをどのような視点から捉えるかという視点の違いを 反映しており,①は個人に定位して歴史や社会を俯瞰 する視点,②は集団(共同体)に定位して過去の経験 から伝承された集合的知恵を拠り所とする視点,③は 関係性に定位して個々異なる人間や事象にできるだけ 接近しようとする視点だという8)。そして,それぞれ の視点は原理的に相容れず一致することはないので, それゆえ道徳的問題を一挙に解決してくれる究極的な 原理や万能の方法はないと松下は述べている9)。 松下による道徳の分類に照らすと,吟味による話し 合いが適しているのは①のリベラリズム道徳である10)。 もちろん,リベラリズム道徳は個々人の価値観が異な ることを肯定する立場だが,そのために必要となる基 盤としての社会正義や平等,自由といった点では正し さが要求されるからである。それに対して,②の共同 体主義では,正しさは共同体内の伝統の中で揺らぐこ とのないものとして規定されており,その正しさは批 判や吟味を受け付けず,伝達という手段で伝承されて いるために,吟味のための話し合いとは折り合わない。 ③のケア(責任)の倫理は,その理論的出発点となっ ているギリガンによるコールバーグの道徳性発達段階 批判からもわかるように,そもそも正しさを問うこと をせずに,正しさとは異なる視点からの道徳(倫理) を求めるものである。 吟味のための話し合いは,他者との関係において 「どうすべきか」という正しさが求められる道徳的問題 において有効なのであり,逆に言えば,そのような正 しさが問われない問題については導入することができ ない。たとえば,野球選手のイチローや松井秀喜の生 き方から学ぶことはあっても,すべての人がイチロー や松井のように生きるべきだとは言えないし,彼らの 生き方が正しいかどうか吟味するというのは問いの設 定として間違っているのだ。 (2)合意をめざすことについて 最後に,合意形成をめざした道徳授業に対する批判 に応えて論を閉じることとしたい。吟味によって合意 形成をめざすことは,最終的に子どもたちの意見を 1 つに集約することであるという理解から,合意形成は せっかく授業の中で提出された多様な考えを否定する ようなものであるという批判や,多様である意見を最 終的には 1 つにすることの難しさを指摘する批判や, 異なる意見を最終的に 1 つにすることの暴力性を指摘 する批判などが想定される。 まず,多様な意見を吟味することで最終的には 1 つ の合意に到達する確実な方法など存在しない。このよ うな確実な方法があると考えることは,もともと異な る意見の持ち主である子どもたちを,教師の思い通り にコントロールして 1 つの考え(合意)に確実に導く ことができるとする誤った考え方に基づく発想である。 吟味のための話し合いにおいて,合意を押しつけるこ とは子どもたちに対する暴力である。上地 完治 そもそも,合意と言っても,30名や40名の異なる意 見が45分ないし50分の授業の終末には 1 つの意見に集 約して全員が納得して合意することなど,ほとんど不 可能である。ここで求めていることは,吟味すること で納得する意見を作り出そうとする対話のプロセスな のであり,対話の帰結を重視しているわけではない。 その証拠に,30名の子どもたちから提出された30個の 意見が,話し合いによる吟味を通して 2 個の意見は否 定されるか他の意見に吸収されることで,終末には28 個になったとしたら,この授業は合意をめざした授業 であったということができる。なぜなら,こうした状 況は授業の終末に28個もの異なる意見が羅列された状 態だと解釈されるべきではなく,吟味を通して28個の 意見に収斂したのであり,もしこの話し合いを続けて いけば理論的には 1 つの合意へと達するようなプロセ スの途上にあると捉えることができるからである。 さらにいえば,多面的・多角的に考える授業をおこ ない,子どもたちが主体的に自分の意見を述べ,異な る意見が多数提出された後に,合意に依拠せずにどの ように道徳的な正しさを確保することができるのだろ うか。もちろん,いまさらインカルケーションによって 道徳的な正しさを伝達する授業へと後戻りするわけに はいかない。また,道徳授業を,とにかく自分の意見 を述べれば良くて,内容的には「何でもアリ」の時間 とすることを否定するとすれば,合意形成の考え方以外 に道徳的な正しさを確保する道はないように思われる。
【註】
1 )工藤勇一『学校の「当たり前」をやめた。―生徒 も教師も変わる!公立名門中学校長の改革―』時事 通信出版局,2018年,7-32頁。 2 )文部科学省『小学校学習指導要領解説 特別の教 科 道徳編』廣済堂あかつき,2018年,18頁。 3 )広田照幸「多元化した社会における道徳教育に必 要なこと」『九州教育学会研究紀要』第46巻,2019 年,18頁。 4 )深い学びも視野に入れたアクティブ・ラーニング として,「ディープ・アクティブラーニング」という 概念も提唱されている。松下佳代・京都大学高等教 育研究開発推進センター『ディープ・アクティブ ラーニング―大学授業を深化させるために―』勁草 書房,2015年。 5 )渡邉満「学校教育の基盤に位置づく道徳教育の課題 ―グローバル化する現代社会において教育と道徳教育 をどのように考えるか―」渡邉満・押谷由夫・渡邊隆 信・小川哲哉編『「特別の教科 道徳」が担うグロー バル化時代の道徳教育』北大路書房,2016年,12頁。 6 )合意によって正当性が付与されるとする考え方は, ドイツの哲学者・社会学者 J・ハーバーマスの討議 倫理学に依拠している。ハーバーマスの討議倫理学 については,以下のように要約することができる。 ハーバーマスの合意とは,話している内容が真実で あるかどうかという真理性要求,その内容が社会的 な規範として正しいかどうかという正当性要求,そ の内容が話し手の本心であるかどうかという誠実性 要求という 3 つの妥当性要求が,当事者の間で間主 観的に了解されることによってなされる。こうした 討議が実効性をもつのは,必要な場合には話し手が, 話の内容の根拠を明示することでその話の妥当性を 確証するように努力するという保障を与えてくれる からである。そして,聞き手が話し手によって提示 された保証を信頼すると,合意した者の間にその合 意を守るように義務づける力が生じるのである。上 地完治「教育哲学を道徳教育につなぐ―ハーバーマ スの討議倫理学にもとづく道徳授業づくり―」小笠 原道雄編『教育哲学の課題 「教育の知とは何か」― 啓蒙・革新・実践』(教育的思考の作法 5)福村出版, 2015年,317-318頁。 また,ハーバーマスの著作としては以下を参照。 ユルゲン・ハーバーマス(清水多吉・朝倉輝一訳) 『討議倫理』法政大学出版会,2005年。ユルゲン・ ハーバーマス(三島憲一他訳)『道徳意識とコミュニ ケーション行為』岩波書店,2000年。 7 )松下良平「道徳を再発見する教科へ―アンラーン (unlearn)という課題―」『九州教育学会紀要』第46 巻,2019年,25頁。 8 )同上。 9 )同上。 松下は別のところで次のようにも述べている。「今 日たとえば,自由や安全を偏重する類のリベラリズ ムの道徳が,それにふさわしい領域や場面以外のと ころでも過信されることによって,暴力性をあらわ にすることはめずらしくない。けれども,多様な道 徳がうまく組み合わされて,適所で用いられれば, それぞれの弱みが後景に退き,強みや利点が前面に 立ち現れてくる。道徳の真理はいわば多様な道徳の あいだに存在するのであり,道徳の複数性こそが道 徳をより道徳的なものにするのだ」。松下良平「道徳 科構成原理論 Ver.1.0」教育哲学会編『教育哲学研 究』第112号,2015年,26頁。 10)松下自身も,合意形成による理性的討議の尊重を リベラリズム道徳の一派に含めている。同上,26頁。坂井 親治 中国四国教育学会 教育学研究ジャーナル 第25号 2020 95-100
1 .はじめに
現代では,あらゆることが急速に変化している。価 値観も揺れ動き変化しており,社会全体が拠って立つ 確固たる理念を確立することが困難な状況も見受けら れる。あらかじめ決まった答えのない予測困難な時代 を生きる子どもたちが,生きる基盤となる道徳性の育 成を身に付けるためには「学びがいのある,主体的で 楽しい道徳授業」の創造を目指す必要があると考える。 そこで,「主体的で対話的な深い学び」を道徳科の中 で実現するために,追求型の「テーマ学習」を提案す る。この学習は,「学習者が自ら学びたい考えたい課題 を明確にもつこと」,「他者と繋がり対話によって様々 な考えに出合うこと」,「議論する中から多様な価値に 出合い深い学びをすること」を可能にする学習である。 そのうち,本稿では,指導と評価の一体化をめざし, 筆者が実践したテーマ学習について紹介する。2 .めざす道徳科授業
(1)今までの道徳授業を振り返って 教員をめざす大学生に小中学校時代の道徳授業の記 憶を聞いたところ,以下のような意見が寄せられた (大学で行った講義における授業評価より)。 〇分かりきったことを聞いたり書いたりしていた。 〇道徳の授業はきれいごとだった。 〇形式的になっていて,先生の顔色を伺うような授 業を受けていた。 〇先生は,授業が行き詰まると私の顔を見て,「何か 言って」と目で合図をしているようだった。私は,道徳授業における指導と評価の一体化
「テーマ学習による課題追求型授業の創造」
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発問のマトリックスの活用―
坂 井 親 治
(元愛媛県西条市立河北中学校) Integration of Guidance and Evaluation for Moral Education: Creating Task-oriented Classes According to Lesson Topics Practical Application of a Question-based Teaching Matrix Chikaharu SAKAI 「息が詰まりそうでした。」次第に道徳の授業中は, ひたすら資料を読んでいるか下を向くようにして いた。 このような大学生の意見から,彼らが受けていた道徳 授業は,多様な価値観に出合うことなく,読み取りに 終始し,価値理解をするレベルにすらも達していない 授業が多かったのではないかと推察される。おそらく 教師自身も授業に戸惑い,自信をもって授業に臨めて いなかったのではないか。 では,こうした現状に対して,どのような道徳授業 を構想すべきだろうか。 (2)評価導入の目的とめざす授業 ここで,道徳科に評価を導入した目的を確認してお こう。その目的は,「授業の質的転換」と「子ども理解 を深める」の 2 点である。とりわけ「授業の質的転換」 のためには,①「評価をするためには子どもが主体的に 参加し,成長する姿が見える授業を実施すること」,② 「授業が変われば評価も変わること」を原則とする必要 がある。評価は授業の改革と一体となって行われるべ きであり,いわゆる「指導と評価の一体化」を実現す るような授業改善が必要なのである。 以上の評価の目的をふまえた「指導と評価の一体化」 のために,筆者は「主体的で対話的な深い学びがある 授業」の創造をめざすことが有効だと考えた。そうし た授業を実現するために次に示す 5 点を目標とし,実 践研究を行った。 ○質的転換を図る授業(評価の目的) ○子ども理解を深める授業(評価の目的) ○主体的な授業(自ら求める)道徳授業における指導と評価の一体化「テーマ学習による課題追求型授業の創造」 ―発問のマトリックスの活用― ○対話的な授業(考え議論し多様な価値との出合い) ○深い学びの授業(道徳的価値レベルの学び) (3)誘導型から追求型の道徳授業 「主体的で対話的な深い学び」のある道徳授業を実現 するためには,学習者が自ら学びたい,考えたいと思 えるような課題をもつことが大切である。そこで,自 我関与型の「テーマ学習」を検討した。これは児童生 徒が教材を読んだうえで,他の児童生徒と共に考えて みたい内容を提案し,それを受けて教師が児童生徒と もともに鳥瞰的な,全体を踏襲できるテーマを設定し 議論するという授業スタイルである。教材の理解にお いて鍵となる場面について共感的発問を行ったうえで, それをテーマの中心発問に繋げることで,価値理解を 深めることを目指している。 学習は以下の過程を経てなされる。まず児童生徒が 教材を事前に読み,話し合いたいこと(テーマ)を書 く。個々の児童生徒から出されたテーマを教師が集約 し,「授業の全体テーマ」を設定する。有効にテーマを 設定するためには,「発問のマトリックス」を参考とす るとよい。その際,教材で語られる話がどのような話 なのかを中心に児童生徒の意見を集約していくと中心 発問に繋がりやすい。授業実践を重ねる中で,発問の マトリックスを参考にしたとき,「資料や価値における 分析的な発問」をテーマとし,「場面における共感的な 発問」を補助発問とすると授業がスムーズに展開され ることがわかった。もちろん,テーマについて話し合 う時間を十分に確保することが肝要である。
3 .実践事例
以上で述べた「自我関与型テーマ学習」を「栄冠は 君に輝く」と「うばわれた自由」の 2 教材で実施した 事例をもとに詳述しよう。 教材「栄冠は君に輝く」(「ふるさとがはぐくむ道徳 いしかわ」所収)を用いた実践(主に中学校)では, 生徒との話し合いに時間をかけて授業の流れを模索し, 改善を加えながら, 6 中学校の約700名の生徒, 5 会場 約₈00名の小中学校教員を対象とした授業を行った。そ して「テーマ学習」の授業に対する意見を聞き,多く の賛同を得ることができた。 また,教材「うばわれた自由」でも教材研究や授業 実践,研修会などを通して「自我関与型テーマ学習」 の是非や改善策について検討した。その実施概要は以 下のとおりである。 (1)「うばわれた自由」を用いた授業の概要 ①ねらい:ジェラールの気持ちや本当の自由を考え る話合いを通して,自由な行動には責任が伴うことに 気付き,責任をもって行動をしようとする心情を高め る(図 1 )。 ②展開:ねらいとする価値(A 善悪の判断,自律, 自由と責任)を伝え,考えてみたい,みんなで話合い たい「テーマ」を考える。 こうして進めた授業の中で,児童生徒が考えたテー マは以下のとおりである。 【児童生徒が考えたテーマ】 〇ジェラールとガリューは牢で向き合ってどんなこ とを考えたのか 〇ジェラールが支配した国はなぜ乱れたのか 〇ジェラールが考えた本当の自由とは 〇ガリューが考えている自由とは何か 〇本当の自由とは何だろうか また,ねらいに繋がりやすくするために,児童生徒 に「一言でいうとどんな話だったか」と問うた。以下 が,その回答例である。 【一言でいうとどんな話か】 わがままだった王子ジェラールが,忠告したガ リューの言うことを聞かず牢に入れるが,わがまま な行いで国は荒れ,ジェラールも囚われの身となり, (牢の中でガリューと再会し,)自身の行動を振り返 り,本当の自由について気付いた話。 これらをふまえて,本授業では次のようなテーマを 設定することができた。 【テーマ設定】 ジェラールは,本当の自由をどのようなことだと考 えたのだろう 設定されたテーマ(中心発問)に対して,児童生徒 図 1 ねらいを外さない中心発問設定の構図授業展開と価値理解
2子ども の実態 3 資 料 1ねらいとする 価 値 (解説書記載) 子どもの実態・既存の価値観 資料の中にある価値 ねらいとする価値 中心発問 ○考えたくなる発問 ○価値にせまれる発問 ○読みを突き抜ける発問 ○自分を見つめられる発問 終末 ○ねらいとする価値の理解 ○道徳的価値の自覚 ○価値を自分なりに発展 子どもの実態・既存の価値観坂井 親治 からは以下のような意見が挙がった。 ・決まりを守ったうえでの自由である。 ・自分勝手では本当の自由ではない。 ・ルールの意味を考え行動する。 ・みんなが困らず全員が楽しく過ごせる。 ・他人に迷惑をかけず自分の好きなようにする。 ・まわりの人のことを考えて自分の行動に責任をもつ。 (なお,大学生を対象とした模擬授業では,「自由と責 任」の価値に関する話合いから,「自主・自律」の価値 に関する話し合いへと進んでいった。自主的に自分で 自律的判断を行い行動する。その行為は,自己責任を 負う。言動は,誠実かつ謙虚でなければならない等の 議論がなされた。) 最後に,道徳的価値の自覚に向けて,筆者は次のよ うに発言した。「みんなの中にも「ジェラールが改めて 感じた『本当の自由』」を大切にする心があるよね。」 この発言に続けて,日常の行動の中に,「責任をもって 本当の自由を行っているよさがある」ことを話し,そ のよさをふくらませていくことを児童生徒に伝えた。 (2)発問のマトリックス(発問発想シート)の提案 (図 2・3 ) 発問は授業の成否を決める。そこで筆者は,様々な 先行研究・事例から「発問のマトリックス」を考案し た。先述したように,授業実践を重ねる中で,発問の マトリックスを参考にしたとき,「資料や価値における 図 2 発問のマトリックスに発問を記載
うばわれた自由(自由と責任)(発問のマトリックス)
ア 共感的 イ 分析的 ウ 投 影 エ 批 判 ○○はどんな気持ち か オ-プンエンド ○○がそうしたの はなぜか クローズドエンド もし自分が ○○ならどう するか ○○したことを どう思うか A 場面 どんな気持 ち ジェラールはガリューと 向き合ってどんなこと を考えたのだろう ジェラールがガリュー と向き合い、心が変 わったのはなぜか もし自分がガ リューなら注 意できたか ジェラールが牢 屋で考えたこと をどう思うか B 人物 どう思うか ジェラールとガリュー はどんな人物と思う か ガリューはジェラー ルの何を戒めたの か もし自分が ジェラールだ と考えが変わ るか 自分たちの生活 でわがままにし たことをどう思う か C 資料 どう思うか 命をはって守った森 の仕事の意義は何 か ジェラールは本当の 自由をどのようなこと だと考えたのだろう この話の中で 自分だったら こうする所は あるか この話を読ん でどんなことを 思ったか D 価値 (自由)とは 本当の自由とはど のようなものか わがままと人間と して大切な自由と の違いは何か 自分たちの 生活の中で 自由にした ことは うばわれた自 由とはどんな ことかテーマ設定の手立て②
図 3 発問のマトリックスに子どもの反応を記載うばわれた自由(自由と責任)
ア 共感的 イ 分析的 ウ 投 影 エ 批 判 ○○はどんな気持 ちか オ-プンエンド ○○がそうしたの はなぜか クローズドエンド もし自分が ○○ならど うするか ○○したこと をどう思うか A 場面 どんな気 持ち 牢屋に入れられた ジェラールはどん なことを考えたの ジェラールの心が 変わったのはな ぜか もし自分がガ リューなら注 意できたか ジェラールが牢 屋で考えたこと をどう思うか B 人物 どう思うか ジェラールとガ リューはどんな人 物と思うか ガリューはジェ ラールの何を戒 めたのか もし自分が ジェラールだ と考えが変 わるか 自分たちの生活 でわがままにした ことをどう思うか C 資料 どう思うか 命をはって守った 森の仕事の意義は 何か ジェラールは本当 の自由をどのような ことだと考えたのだ ろう この話の中 で自分だっ たらこうする 所はあるか この話を読ん でどんなこと を思ったか D 価値 (自由)と は 本当の自由とはど んなものか わがままと人間と して大切な自由と の違いは何か 自分たちの 生活の中で 自由にした ことは うばわれた自 由とはどんな ことか 自分勝手はだめだ。 決まりを守ってこそ の自由。 ガリューは、決まりを守 ろうと正しいことを相手 にしっかり伝えている。 勇気ある人。 後悔 ガリューの言うこと は正しかった。や はりわがままはい けない。 (価値理解) 牢屋に入れられ、 今までのことを振り 返り後悔したから。 (他者理解) そこまで強く言えない。 罰せられるのは怖い。 (人間理解) しっかりと反省 してほしい。 (価値理解) ジェラールの我儘さ。 自分勝手さ。きまりを 守る大切さ。 牢屋に入るまで気付き たくない。自分勝手は 自分には心地いいかも。 (人間理解) 直したらいいと思う。 きまりを守る大 切さを突き通す こと。 誰もが納得。気持 ちよい行動。(価値 理解) 周りの人の生活が あること。 限られた条件の中 で、自分が楽しく過 ごせた。 叱られない。 よい感じの「自由」 がなくなり自分勝 手が残る。 ガリューのように注意 できない。けれど王子 は捕まるから、それは いい。 悪いことをしたら、そ れなりに自分に悪い ことが返ってくる。 (教材の理解)道徳授業における指導と評価の一体化「テーマ学習による課題追求型授業の創造」 ―発問のマトリックスの活用― 分析的な発問」をテーマとし,「場面における共感的な 発問」を補助発問とすると授業がスムーズに展開され ることがわかった。以下では,この「発問のマトリッ クス」の具体像を紹介しよう。マトリックスにするこ とは,教師が発問を考案するときの道しるべにもなる という意味において,「発問発想シート」と呼ぶことも できるだろう。 「発問のマトリックス」を考案する際, 2 つの視点を 軸とした。一つ目は「問いかける対象による相違」に 着眼する視点。二つ目は,教材を読む際の「立ち位置 の相違」に着眼する視点である(この視点は,永田繁 雄氏の提起に応じて発問を分類した)。具体的には次の ようにまとめることができる。 【問いかける対象による相違】 1 .場面を問う 2 .人物を問う 3 .資料を問う 4 .価値を問う 【立ち位置の相違】 1 .共感的な発問 2 .分析的な発問 3 .投影的な発問 4 .批判的な発問 (3)話合い(対話) 対話は目的ではない。深い学びの手段である。自己 内対話に限界を感じたとき,他者とともに対話し,答 えを探求することが重要となってくる。他者との対話 が成立する要件は,対話者同士に対等な立場が保障さ れていることである。子どもと子どもだけでなく,子 どもと教師が対等である必要がある。対等で開かれた 関係が築かれるためには,対話者のあいだで聴く姿勢, 発言が尊重された温かい人間関係が醸成されることが 大切である。 注意すべきなのは,議論は根拠だけでは深まらない ということである。根拠に対する議論の拠り所である 論拠が必要である。論拠を確認するための図を表示す ると次のようになる(図 4 )。 (4)解説書の活用について 普段の道徳科の授業にもあてはまることだが,テー マ学習の授業を実施する場合,ねらいとする道徳的価 値について教師自身が十分に把握し,子どもの論点が ぶれないようにファシリテートすることが肝要である。 ねらいとする道徳的価値からぶれずに「指導と評価の 一体化を目指す」ためにも解説書の活用は不可欠であ る。 では,ぶれない授業に不可欠な解説書の活用はどれ ほどなされているだろうか。そこで,研修会に参加し た愛媛県小中学校教員に,解説書の活用状況について, ふだんの授業の場合とテーマ学習を行った場合に分け て調査することにした(図 5 )。その結果,ふだんの授 業の場合に解説書を読む教員は22%,あまり読まない 教員は62%であった。他方で,テーマ学習を行った場 合に解説書を読む教員71%,あまり読まない教員 3 % であった。教員は解説書をふだんはあまり活用してい ないが,テーマ学習を取り入れると活用する傾向にあ るのだ。このことから,テーマ学習を取り入れること によって,教師の解説書を活用する機会が増え,道徳 的価値に対する理解が深まり,ねらいとする価値から ぶれない話し合いが実施される可能性が高まると推察 される。 図 4 論拠確認 論拠 データ ジェラールは、本 当の自由をどのよ うなことだと考え たのだろう クレーム 主張・議論 ワラント 1 教材の内容を「ひと言で言うと どんな話」を凝縮したテーマ 2 発問のマトリックス:資料・価値 についての分析的発問 バッキング 1 教材のねらい・意図が集約され、 筆者の伝えたい価値を理解できる 2 自由と責任について考える手立て である D論理 データ ・・・論理の根拠となる状態・事実 ⇒説明情報 W論理 ワラント・・・データが利用可能であることの正当化 C論理 クレーム・・・ワラントが正しいことを証拠等 B論理 バッキング・・・ワラントが正しいことを証拠等 根拠:ものごとが存在す る理由 論拠:議論のよりどころ 渡邉満先生講演参照(於:愛媛大学H30年) 田邊重任先生講演参照(於:香川大学)
坂井 親治 (5)テーマ学習の感想 以上の観点をふまえながら,模擬授業を実施した結 果,どのような感想が大学生や教員から寄せられたか を列挙しておこう。 〇これまで,教材から何を子どもたちに問うべきか考 えることが重要な準備と思っていました。その通り であっても指導者の考える道筋を概ねなぞって意見 出させるだけでなく,子どもたちの発想や動機を信 じて授業を創っていく方法もあるのだと気付かされ た。このような授業づくり取り組んでみます。 〇子どもたちの本音の出ないまま終わってしまう道徳 の授業を脱却したい。「テーマ学習」は,それを解決 できる方法であると思った。 〇模擬授業を受けてこんなに「言いたい」「聞きたい」 と気持ちがこみ上げてきた道徳授業は初めてです。 とにかく面白い,楽しい。 〇子どもたちと話し合って授業のテーマを決める発想 がなく「目からウロコ」でした。子どもの学ぶ意欲 を高め,主体的に授業に参加したいと思える素敵な 授業方法です。 〇「テーマ学習」は,自分の言葉で語ることができる。 〇資料の読み取りで,価値を深めることができなかっ たが,「テーマ学習」だとねらいとする価値について より深く考えられると思う。