1 デジタルトランスフォーメーション(DX)の 推進には様々な課題がある。 1995 年は世界的に見ても「インターネット元 年」と呼ぶことがふさわしい。その理由は,同年 11 月, 世 界 同 時 発 売 さ れ た Windows95 に WWW のブラウザとインターネット接続のプロ トコルが初めて無料で組み込まれ,それが社会現 象として受け入れられたことにある。それに先駆 けること約 1 年,1 月 17 日に我が国では,阪神 淡路大震災が発生した。つまりその時点では,イ ンターネットユーザーは,大学や IT 関連企業な ど限定的なコミュニティの人であり,一般ユーザ ーは含まれていなかった。報道などを通じた「イ ンターネット」の認知はこの震災を期に拡がった 印象がある。正確なデータは今手元に無いが, 1980 年代の終盤から,当時朝日新聞で科学技術 を担当されていた服部桂さんが朝日新聞紙面に 「インターネットという言葉が何回登場したか」 という数字を私に報告してくださっていた。0 や 1 であったとき,頻度が上がってきたとき,そし て,もはや数える意味がなくなるまでこの対話を 続けていた。そして,阪神淡路大震災は,そのフ ァーストウェーブであり,Windows95 の発売が セカンドウェーブとなり,その新聞誌上での登場 回数は同年中に全く意味がなくなった。なんとい っても同年の流行語大賞 10 選のひとつが「イン ターネット」だったからだ。 年頭の阪神淡路大震災のときには,インターネ ットを知らない人が多かったのに,大学や企業を 通じて,報道と異なる情報が流通し,その結果が マスメディアで取り上げられるという逆転現象が 初めて起こったのがこの時だった。マスメディア では,亡くなった方の報告をすることが精一杯の なか,インターネットでは,友人や家族の安否を 問うメッセージが大半で,世界からの善意が神戸 に届けられたのもインターネットを通じたコミュ ニケーションから発したものが多かったからであ る。災害時のコミュニケーションに既存のコミュ ニケーション技術でなく,既存の報道でもない新 しいメディアとしての役割のインターネットの扉 が開いた。この年の展開により,社会の中でのイ ンターネットの意味を議論しはじめた。我が国の IT 化にとっての象徴的な出発であったと考えて いる。 1990 年代は米国のインターネット開発のパイ オニアがシリコンバレーのスタートアップにほぼ 専念していた時期でもあり,技術研究開発の主流 がアメリカから,日本や欧州にシフトしていた時 期である。この時期の課題が将来の IP アドレス の枯渇で,ISO や CCITT(現在の ITU-T)の国際 規格が十分なアドレスを提案する OSI 規格であ るということで,各国の政府が採用を決定してい た。そこで,インターネットの IP プロトコルも OSI の同等の役割を果たす CLNP プロトコルを 採用するという提案が IETF の上部組織 IAB(In-ternet Activity Board)によって決定された(そ の時の新しいアドレスに基づいた,かつ,OSI を 「採用」した名称はなんと IPversion7 という名称だっ た)。 この IETF に対する政策判断が,エンジニアの 猛反発を誘引し,インターネットコミュニティに はいわば,革命が起こった。1992 年のことであ る。直接の原因は運用中の IPv4 ベースのインタ ーネットを動作実績が皆無の国際標準に政治的に 決定されたことに対するエンジニアの使命にあっ た。グローバルに運用されているインターネット に対して,国と国の調整で決まる技術標準への変 更に技術合理性は全く無かった。IETF は国際政 治の圧力がグローバル空間のインターネット運用 巻 頭 言
我が国のデジタルトランスフォーメーションの道
慶應義塾大学教授村 井 純
MURAI Jun2
情報法制研究 第 8 号(2020. 11)
に及んだことを危惧し,IAB を,Internet Archi-tecture Board と改名して政策議論を技術に持ち 込まない体制に改組した。筆者はその際に新生 IAB に招待されたアジア初のメンバーであった。 一方,国の政策として,国際デジュール標準に こだわらない展開は,まず米国で起こった。 GOSIP(Government OSI Panel)はコンピュータ ネットワークの政府調達を議論する会議体であり, 米国連邦政府の OSI 規格を政府調達規格に入れ た後にそれを推進する会議だったが,IETF での 方向転換を機に,「国際標準」の表記の次に「又 は IETF などの民間で利用されているプロトコ ル」が書き加えられた。我が国も OSI 準拠は 2 度閣議決定をしていた。数年後,今から 20 年前, デジタル技術のインパクトをどのように社会基盤 として取り組むかを具体的な使命とした我が国の IT 戦略の実行の体制が整った。小渕総理の元に 設置された「IT 戦略会議」での議論は,森内閣 の元での議論に引き継がれた。そして内閣に IT 戦略本部をつくり,世界最先端の IT 国家を創出 するという IT 基本法が制定された。結果として, 2000 年 9 月 21 日の総理の所信表明演説には次の 文言が含まれていた。 「『日本新生』の最も重要な柱は『IT 戦略』,い わば e- ジャパンの構想であります。(中略)また, 先端インターネット技術の開発などの研究開発, IP バージョン 6 などによるグローバルインター ネットの課題解決への積極参加など,インターネ ットの発展に対する大きな国際的貢献を目指しま す。(後略)」 この IT 政策で決定した当初 5 年計画のブロー ドバンド化は 3 年に前倒しで実現された。 高速インターネットへのインフラ政策に成功し た我が国の次の責務は,社会全体が基盤を「利活 用」して発展することであった。世界中の「イン ターネット先進国」への競争が始まっていた。と ころが我が国はここで全く進まなくなってしまっ た。法制度,通貨,税制度,医療,行政,教育, 放送,安全保障,エネルギーそして,政治。利活 用を阻む規制と慣習と既得権益の壁で,IT 戦略 本部での議論や提案は,利活用に向けられた途端 に頓挫し続けた。IT 政策空白の 10 年である。こ の間,民間企業は上記の規制分野に触れないとこ ろでのみ発達した。 努力はしていた。対面,書面,印鑑,を要求す るすべての分野の法律は,書面一括法で「または 同等の電子的な方法」と改められた。優しいこの 我が国の方法は,強制力を持ってすすめたヨーロ ッパや韓国,シンガポールなどの諸外国の IT 経 済の後塵を配した原因となる。IT 化で困る人が いるので躊躇するのはいわば日本の誇る文化でも ある。政策は人を思い,産業はリスクを回避する 故のスロー DX の 10 年だったとも言える。 2011 年はこうした,いわば停滞した我が国の IT 戦略にとっての転機でもあったと思う。 まずは,2011 年 7 月 24 日に計画されていた地 上放送のアナログ停波。私が本件の調整役を依頼 されたのには驚いた。歴史的にはインターネット は電話と放送には脅威となる技術であったはずだ。 放送のデジタル化にどれだけインターネットは貢 献できるのかは私自身の課題だったが,なんとか プロセスをこなしているうちに,最後の最後,3 月 11 日に東日本大震災が発生した。 通信のデジタル化とインターネット化,光ファ イバー,2007 年の iPhone からのモバイルデバイ ス革命の世界を先導する普及など,相変わらずイ ンフラ面では先頭ランナーだった我が国のインタ ーネット環境が,放送のデジタル化を通じたすべ ての人に行き渡る使命を持っている放送の補完環 境としての使命を果たし始め,災害時の人の命を 守り,救い,そして復興に至ることを目的とする 利活用へと理解が深まり,それまでの経済競争と してのインターネットに加えて,人と社会のため の「利活用」に我が国が再び抜け出したときでは ないかと考えている。 サイバーセキュリティの対応がインターネット 上で本格化したきっかけは 2000 年の Y2K 問題。 そして,2001 年の 9・11 同時多発テロであった。 テロ対策や安全保障とインターネットコミュニテ ィの対話はそこから継続している。先のグローバ ルエンジニアの視点と,各国政府の関係は 92 年 の IAB 事件から 90 年代はぎくしゃくしていたと ころがある。 インターネットが社会基盤となり,政府の役割 とインターネットのグローバルガバナンスの関係 の議論も活発になり明確になってきた。
我が国のデジタルトランスフォーメーションの道(村井純) 3 我が国はそうした中,サイバーセキュリティ基 本法を 2014 年に制定し,内閣にサイバーセキュ リティ本部を設置してその権限と役割を拡大しは じめた。AI や IoT のデータの利活用も,苦手な 「利活用」を推進するために,官民データ利活用 推進基本法を 2016 年に制定し,本部を設置して いる。その中で,なかなか進まなかった,行政分 野のオープンデータ政策も急速に進展し,OECD のランキングでも最下位からトップ 3 の評価を得 られる所まで来た。そして,2020 年,世界が等 しく痛めつけられているグローバルパンデミック の歴史的な経験の中で,デジタル環境が整備され ていた我が国が,これからどのようにニューノー マルの世界を創造していくのかは,これまでの DX がよかれ悪しかれ,災害と人と人の命に向か って展開してきた日本の正念場である。 準 備 さ れ て い た 新 し い IT 基 本 戦 略 は COVID-19 の経験を取り入れ,大きく修正され決 定された。それにしたがって,IT 基本法の改定 もすすめることになった。 COVID-19 を機にして,健康と生命のために, デジタル技術とインターネットがすべての人や社 会機能で利用されることが,いわば強制された状 態となった。これは,優しい日本のこれまでの IT 政策だけでは実現できなかったことが結果と して実現されたとも言える。マイクロソフト CEO のサディアナデラ氏も,「2 年かかると考え ていた DX が 2 ヶ月で起こった」と述べている。 半年以上を経た今,過去の 10 年の遅れを含めて, 20 年分の DX を目指すための経験を国民全体で 共有したと,私は考えている。 経済軸で進んできた我が国のデジタル政策が, 健康や医療を含む,人や生命のための利活用を含 め,社会のあらゆる分野での検討を進めて,日本 の優しさと気配りが今度は優位性となり「周回遅 れの先頭ランナー」として,世界を先導できるこ とを期待したい。