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米軍と基地と文化 ― なにが「アメリカ的」なのか

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Academic year: 2021

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全文

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著者

青木 深

雑誌名

関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review

of the institute for advanced social research

12

ページ

110-114

発行年

2015-03-31

(2)

い。ひとたび受け入れてしまえば「(おれが別のにんげんになってしまう。おれはそれだけはいや だ!)」というのだ。施しを受けるとは惨めさを甘受することでもある。それでも腹が減っていれ ば、甘受するだろう。ただ「文化」は「食料」に比べれば遙かに不要のものでもある。基地文化を めぐる「好奇心」や「魅力」といった変数と、そうした交流の文脈として働く大きな構図のなか で、異文化接触をめぐる焦点を探せなかったのか。 本書でいえば、「米軍基地における文化流出」と「その起源の忘却」という構図で説明できる論 考が前半に数多くある。一方、本書の 4 章のいわば比較史的な考察以降の現代的論点を語る章と前 半の論考があまりよく結びつかない。トータルで、「戦争が生み出す社会」という議論が像を結ば ない。 前節までで簡単に述べたのは、基地が「生命」を宿すのと相まって「基地文化」が新しい交換過 程のなかに基礎づけられることをめぐる条件である。ミクロからマクロまでを含めたいわば「基地 文化」の下部構造。本書前半の起源の発掘作業と後半の現代における新たな交換に対する考察を統 一的に結びつけるためには、「米軍基地文化はどのような意味で文化と呼べるのか」という辺りま で検討してみなければ分からないのではないかとも思う。本書評では、考えられる補助線のいくつ かを示したつもりである。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ◆『米軍基地文化』書評Ⅱ

◎米軍と基地と文化──

─なにが「アメリカ的」なのか

青木 深(一橋大学) はじめに 叢書「戦争が生み出す社会」3 巻目にあたる本書は、おもには旧日本軍と関係する事象を扱った 他の 2 巻と比べ、(1)在日米軍基地に焦点をあてた点、(2)米軍基地を文化面から捉える点に特徴 がある。米軍基地と戦後日本の社会・文化との関わりについては、これまで、基地公害や性暴力に 関する研究、占領期の文化政策の研究が蓄積されてきた。近年ではまた、米軍基地から周辺社会に 流出する人や文化を対象としながら、政治的観点だけでは捉えきれない現実にも眼を向ける研究が 現れている(青木 2013;宮西 2012 ; Gillen 2007)。本書もこの流れに位置づけられる意欲的な論集 であり、米軍基地文化を対象とした研究の可能性と困難の双方を再認識させる内容になっている。 本書を通読することで読者は、米軍基地と戦後日本文化との関わりについて、探求のまたれる多 様なテーマの存在に気づかされる。とりわけ前半に点在する短いコラムは効果的で、そこから研究 のアイディアを抽出することも可能である。しかしその一方、読み進める過程では〈日本−アメリ カ〉〈本土−沖縄〉等の対立軸が強力にはたらき、米軍基地文化の入り組んだ様相が具体的には浮 かび上がりにくい。フィリピンのジャズ・ミュージシャンの活動を論じた岩佐将志の論文(第 4 章)が示すように、本書では単純な対立軸の相対化を試みている。しかし、それでも二元的な対立

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軸が支配的に機能してしまうことの背景には、既成観念から逃れがたい読者としての限界に加え、 本書の構成上の問題もあると思われる。以下では、本書から発展しうる今後の研究の可能性と基地 文化を論じることの難しさという両面を意識しながら、(1)米軍基地文化の多面性、(2)〈本土= 文化消費〉−〈沖縄=基地問題〉という論点の両極化、(3)戦前・戦中との連続性、(4)米軍基地と 人の移動、という 4 点に大別して評したい。 1.米軍基地文化の多面性 いうまでもなく、米軍基地には大規模な破壊力をもった兵器が配備されているが、同時にそこに は、それらを操作すべく訓練された軍人、軍属、彼/彼女らの家族も暮らしている。つまり、人間 や自然を破壊する暴力装置の集積地たる米軍基地はまた人間の生活空間でもあり、そうである以 上、米軍基地にもなんらかの生活や思考の様式、すなわち文化──アメリカという国家に特徴的な 文化、民族的・地域的な多様性を反映した文化、軍隊に特有な文化、など──が存在することを想 定せざるをえない。だが本書が対象とする米軍基地文化はそうした「米軍基地の!文化」ではなく、 基地とのあいだになんらかの関係を結んだローカル社会の文化を指している。すなわち、本書でい うところの米軍基地文化とは、「基地を描いた[日本の]小説・マンガ・楽曲」や「基地をめぐる [ローカル社会の]人々の生のあり方」(4 頁)であり、基地に居住する米軍将兵やその家族の文化 ではない。この点を確認したうえで本書の前半(1∼5 章)に眼を向けると、文化資源としての基 地活用を論じた木本玲一の論文(5 章)をのぞき、扱われる文化の多くがポピュラー音楽であるこ とに気がつく。難波功士の論文(1 章)は小説、マンガ、ファッションなども取り上げているが、 2∼4 章の主対象は日本やフィリピンのポピュラー音楽である。しかし、米軍基地と関係する戦後 文化が音楽以外にも広がっていることは 1 章や前半のコラム群からもうかがえ、ここに、米軍基地 文化研究の多方向的な展開可能性を見出すことができる。 たとえば岩佐のコラムでは、女性向け肌着やストッキングのメーカー、アツギが米軍放出品を活 用して起業したことが述べられている(172−174 頁)。この例に限らず各地の米軍基地近辺では、 米軍放出品や闇物資の入手、あるいは米軍からの発注を契機に復興や起業をしていった産業・企業 は珍しくない。これまで、建設業界・家具業界の復興や近代化における基地関係事業の役割(小泉 ほか 1999 : 204−212)、米軍接収ホテルにおける衛生や災害予防に関する影響(村岡 1981 : 200− 201)などは指摘されてきた。こうした既存の研究と相関させながら、特需経済として位置づけら れる戦後日本の産業と米軍基地との関係を、文化的な側面から総合的に捉えなおす研究がまずあり えるだろう。 また本書では、「スカジャン」や「コンポラ」など、1960−70 年代に米軍基地から派生して現れ たファッションへの言及もみられる(1 章 14−16 頁、3 章 88−89 頁)。ファッションに加え、野球 をはじめ米国で盛んなスポーツの戦後日本での復興や、洋酒とバーあるいはパンとピザなど洋食文 化の受容を事例として、大衆文化における米軍将兵や米軍物資との接触の諸相を探求する作業も興 味深い。叢書 2 巻で明らかになった引揚者の食文化(島村編 2013 : 70−85)とそれとを照らし合わ すことができれば、衣服や飲食をめぐる日常的な消費経験に、従来は意識されてこなかった歴史性 を付与することができるかもしれない。

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そのほか、第 1 章や複数のコラムでは、小説・マンガ・映画・演劇と米軍基地(の街)経験との 関係も取り上げられている。そこでは、村上龍や山田詠美のように知名度の高い事例だけでなく、 弘兼憲史のマンガや寺山修司の幼少期など(14 頁、19 頁、38−44 頁、175−177 頁)、基地との関連 が前面には出てきにくい作家も着目されている。マイク・モラスキーは『戦後日本のジャズ文化』 (モラスキー 2005)において、ジャズを切り口にしながら異ジャンルの表象文化──評論、レコー ド、映画、小説──について論じた。この仕事をスライドさせ、米軍基地を接点として異なる表象 文化を横断的に論じることができれば、戦後日本の小説・マンガ・映画・演劇の様相がさらに異化 される予感もする。 2.〈本土−沖縄〉という論点の両極化 以上、米軍基地文化の多面性を点描する本書の前半(1∼5 章)にまず着眼したが、4 章をのぞく 前半の各章では、日本本土の米軍基地と関連のあるポピュラー音楽、文学、観光資源などが論じら れている。これに対して後半(6∼8 章)はいずれも沖縄を対象とし、各章はそれぞれ、基地建設 や戦時の基地利用という現実のなかで生じた本土復帰運動と戦争体験論の変容(6 章)、米兵と交 際する日本人女性の生活実践とその表象(7 章)、辺野古の米軍基地をめぐる住民の意識や論理(8 章)をテーマとする。つまり、後半における「文化」は人びとの生活・思考様式の総体という意味 に近く、とりわけ、「基地問題」と結び付けられやすい政治文化や恋愛・性の文化を扱っている。 すなわち本書では、前半は本土の米軍基地から派生した消費文化、後半は沖縄の基地問題というか たちで、地理的区分と内容上の差異が組み合わさって論点が両極化している。 このような二極化は、「暴力装置としての基地の本質を看過しているとの批判」(1 頁)を想定 し、米軍基地の文化論が「ペダンティックに過ぎる」(1 頁)状態に陥ることを警戒するゆえの結 果であろうか。たしかに、この構成は沖縄本島に米軍基地が集中し続ける現状に即しており、その 意味では「アクチュアル」(2 頁)である。しかし一方で、本土の基地問題──岩国や三沢を題材 にしたコラム(38−39 頁、175−177 頁)から垣間見えるが──や、基地と深く関わった沖縄の消費 文化を視界の外におきかねない。「一枚岩でも一筋縄でもありえない」(4 頁)米軍基地文化の諸相 に迫るためにはむしろ、より確信犯的な「ペダンティック」さをもって表象文化論に徹する選択 も、「米軍基地文化」という問題設定の挑戦的性格とユニークさを浮き彫りにする方法になりえた と思われる。 3.米軍基地文化は「戦後」だけの問題なのか こうした構成上の問題から内容面にふたたび視線を戻すと、本書における「戦後の突出」にも検 討の余地が見えてくる。もちろん日本における米軍基地は戦後の現実だが、米軍基地の多くは旧日 本軍の軍用地を接収して設置され、また、戦後初期に米軍基地と関わった人々は戦前・戦中の「日 本」で生まれ育っている。この地政学的・人口学的な事実において、戦後日本にはじめて「出現」 した米軍基地が戦前・戦中からの連続線上にあることは明白である。したがって、ここで叢書の 1 巻と 2 巻に眼を向けて以下 3 点に言及することも、本書の評として意味のある作業になるだろう。 (1)叢書 1 巻の 2 章(荻野編 2013 : 63−93)と 3 章(荻野編 2013 : 95−124)は、戦後の地方都

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市の形成を軍用地の跡地利用という観点から論じている。とくに 3 章の事例は戦後の米軍接収地を 含んだものであり、米軍基地と周辺地域の産業との関わりという前述の論点は、「軍事基地と産業 との関わり」というより一般的な視点から照射されうることがわかる。(2)1 巻の 4 章では日本に おけるアニメーション誕生の軍事的基盤が明らかにされるが、戦後は、アニメ製作者が占領軍の民 間情報教育局(CIE)で映画を受注したことも指摘されている(荻野編 2013 : 125−156)。文化産 業と軍隊との結びつきに関しては、「パトロン」が旧日本軍から占領軍(米軍)へ変化したとはい え、いずれも軍隊であるという意味での連続性を看過することはできない。(3)戦前・戦中に「外 地」経験のある「日本人」──引揚者や「帰米」二世など──のなかには、戦後に米軍基地と関係 をもちながら暮らした人々がいた。この点に関する叢書での指摘は、「終戦後 GHQ 関連の仕事を 経て帰米した」在米被爆者や(荻野編 2013 : 174)、満州引揚者であるベスト電器の創業者が「進 駐軍の雑役夫など」をしたことへの言及など、断片的記述にかぎられる(島村編 2013 : 87)。しか し、語学など特殊な技能をもった人々をはじめ、「外地」経験のある「日本人」が戦後の一時期に 米軍基地で仕事をしたケースは少なくない。そうした事例のうち本書と関連するものとして、たと えば、戦後に米軍基地のクラブ等で演奏活動を開始し、のちに戦後日本のジャズを象徴する人物に なった穐吉敏子も満州引揚者だったことが挙げられる(穐吉 1996)。 以上をふまえ叢書第 3 巻にあたる本書に立ち戻ると、旧日本軍が関与して生成された文化・産業 との歴史的連続性、また、引揚者が戦後に生み出した文化・産業との同時代性を考慮に入れ、「戦 争が生みだす文化」というより広い視野から米軍基地文化を位置づけていくことも可能であろう。 4.米軍基地と人の移動 「外地」経験者の戦後という上述の論点とも関連するが、最後に、本叢書のキーワードの一つと もいえる「移動」に着目して本書を眺めてみたい。米軍基地に関わる社会や文化は人の移動と切り 離せず、これに関してまず指摘すべきは、米軍基地文化をもたらす米軍将兵が「移動する人びと」 だという点である。彼らは青年から壮年の一定期間に「米軍将兵」となり、「国際移動」を続ける 過程で一時的に日本の米軍基地に滞在する。滞日の期間は、地上軍将兵の場合は数ヶ月間∼数年間 の駐留、艦船乗組員や航空部隊員なら数日・数週間・数ヶ月おきの上陸または離着陸、朝鮮戦争や ベトナム戦争中の帰休兵や傷病兵の場合は数日間∼数ヶ月間の滞在など、所属する軍や時代状況に 応じてさまざまだ。しかしいずれにせよ、米軍基地文化という問題設定を単なるアメリカ文化のグ ローバル化と区別するものは、軍事基地とそこに滞在する具体的な人間の介在という局面である。 彼ら米軍将兵の移動性は、本書では、沖縄で日本人女性と交際する米兵にふれた圓田浩二の論文 (7 章)から間接的にうかがえる。もちろん、本書の対象は「米軍基地の!文化」ではないため将兵 の移動という側面は目立たないが、一方、米軍基地をとおして誘発されるローカル社会の人の移動 も散発的に取り上げられている。それを前面化させた論考が、フィリピン人ミュージシャンの環シ ナ海的・環太平洋的な活動を可視化させた 4 章の岩佐論文である。これ以外にも、部隊の移動にと もなう歓楽街や「寄留民」社会の盛衰、あるいは、政治的にはその対極に位置する基地反対運動グ ループの移動性が、辺野古の住民と政治文化を分析した熊本博之の論文にみることができる(8 章)。

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このように多様な人の移動を積極的に視界に入れれば、米軍基地文化という問題設定がよりダイ ナミックな様相をもって立ち現れるのではないだろうか。 おわりに ところで、この書評では「アメリカ」という語の使用を抑制してきた。本書でも参考文献に挙げ られる『親米と反米』(吉見 2007)をはじめ、米軍基地の文化的影響に関連する論考では「アメリ カ」という用語が多用されるが、どのような意味での「アメリカ」を論じているのかが曖昧なまま で終わりがちである。本書でも、たとえば「アメリカ(軍基地)的なもの」(2 頁)、「日本社会と アメリカ(軍基地)とのアンビバレントな関係性の反映」(4 頁)といった表現にこの傾向を指摘 できる。米軍基地やその周囲あるいは跡地で人やモノが接触する諸局面において、ローカル社会の 人びとになんらかの文化が受容されてきたことは確実であろう。それはもちろん「アメリカ軍」の 現前がもたらした文化ではあるのだが、どのような意味で「アメリカ文化」だといえるのだろう か。米軍基地文化の研究には、アメリカ文化の受容と米軍基地をめぐる文化的接触とをなめらかに 結び付ける認識枠組みの自明性を問い、日米の「アンビバレントな関係性」だけでなく、「アメリ カと!アメリカ軍基地とのアンビバレントな関係性」をもときほぐす努力が必要である。評者を含め この種の研究に携わる者は、「戦後日本」につきまとって離れない「アメリカ」をカッコに入れな がら、軍!事!基!地!た!る!米!軍!基!地!を!め!ぐ!る!人!間!の!文!化!とはいったいどのようなものなのか、粘り強く考 えていかなければならない。 参考文献 青木深,2013,『めぐりあうものたちの群像──戦後日本の米軍基地と音楽 1945−1958』,大月書店. 穐吉敏子,1996,『ジャズと生きる』,岩波書店.

Gillem, Mark L., 2007, America Town : Building the Outposts of Empire, Minneapolis, University of Minnesota Press. 小泉和子・高薮昭・内田青蔵,1999,『占領軍住宅の記録(下)──デペンデントハウスが残した建築・家具・ 什器』,住まいの図書館出版局. 宮西香穂里,2012,『沖縄軍人妻の研究』,京都大学学術出版会. モラスキー,マイク,2005,『戦後日本のジャズ文化──映画・文学・アングラ』,青土社. 村岡實,1981,『日本のホテル小史』,中央公論社. 荻野昌弘編,2013,『叢書 戦争が生み出す社会Ⅰ 戦後社会の変動と記憶』,新曜社. 島村恭則編,2013,『叢書 戦争が生み出す社会Ⅱ 引揚者の戦後』,新曜社. 吉見俊哉,2007,『親米と反米──戦後日本の政治的無意識』,岩波書店. ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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