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武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ(一) : 『違法だが正当』という言説を手がかりに

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(1)武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 論 説. 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ(一) ―『違法だが正当』という言説を手がかりに―. 掛江 朋子 序章 第1節 問題の所在 第2節 構成 第1章 武力不行使原則の妥当基盤の変容―人道目的との関係において― 第1節 人道目的の武力行使を巡る国際関係の変化 第 1 項 主権概念の変容-文明の基準から消極的主権へ 第 2 項 人権・人道法の発展-消極的主権の主張から積極的主権の要請 第 3 項 小括 第2節 人道目的の武力行使に対する評価の変遷 第 1 項 冷戦期以前 第 2 項 冷戦終結後の実行と評価(1)-安保理決議による授権の事例 第 3 項 冷戦終結後の実行と評価(2)-国連の外で行われた事例 第3節 各機関,国家の主張-コソボ紛争の場合 第 1 項 NATO の側からの正当化 第 2 項 国連機関その他の反応 第 3 項 分析 第 4 項 小括 59.

(2) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 第4節 まとめ . (以上本稿). 第2章 国連集団安全保障制度の現状と武力不行使原則(2 条 4 項)の解釈 第3章 人道目的の武力行使の合法性判断に関する学説状況 第4章 正当性の検討 第 5 章 2005 年国連総会首脳会合(世界サミット)における 「保護する責任」 概念の意義 第 6 章 結語. 序章 第 1 節 問題の所在 現代国際法の通説において、武力行使は、国連憲章第 7 章下の強制措置また は 51 条の自衛権行使として認められないかぎり、武力不行使原則(国連憲章 2 条 4 項)違反であり、禁止されていると考えられている。今日において同原 則が問題となるのは、その本来の規制の目的が伝統的な国家間紛争であり、植 民地解放運動や国家統治に関わる内戦、そして対テロ戦争といった近年の多様 な武力行使を必ずしも前提としていないという点である。これらの武力行使に ついては、それぞれに 2 条 4 項の解釈の在り方が議論されるところであるが、 そのようななかで、人道目的の武力行使についても、安保理決議による授権の ない北大西洋条約機構(以下、NATO)のコソボ紛争への介入をきっかけと して、場合によっては「違法だが正当である」という評価が散見されるように なった 1)。 ここで問題となるのは、「違法だが正当」 という場合の正当性にどのような 意義を見出すかという点である。つまり、法学者であるにもかかわらず「違法 である」という結論に留まることなく、 「しかし正当である」という主張をす るのはなぜだろうか。このことは、国際法学者が「コソボを契機に無味乾燥な 60.

(3) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. プロフェッショナリズムを捨て去り、文明の使命を担う道徳的主体としてみず からをとらえるようになった」2)ことを反映しているのであろうか。 「違法だが正当」という主張に関しては、NATO によるコソボ紛争への介入 についても、また、人道目的の武力行使一般についても、実に多くの国家や学 者がさまざまな異なる根拠に依拠している。例えば、ジンマは、コソボの事例 について、NATO の行動を「圧倒的な人道的必要性」に基づいた「唯一の例外」 とみなし、既存法を変えるべきではないと述べる 3)のに対して、カッセーゼは、 同行動が、道義的観点からは正当化できるが現行法に違反すると述べつつ、特 別な国際法違反の事例が、次第に、大規模な残虐行為を終わらせるという限定 的な目的のための軍事的対抗措置を容認する国際法の一般規則の結晶化をもた らすと述べる 4)。このように異なる立場からの「違法だが正当」においては、 正当性の含意は当然に異なる 5)。では、この違いは、何が原因でもたらされて いるのだろうか。 この点、本稿は、多様な正当性の根拠を、武力不行使原則との関係性におい て検討し、 「違法だが正当」という主張が同原則に対して有する法的意義につ いて分析を加えるものである。実際、論者によってさまざまに提起される正当 性は、多様な武力不行使原則の捉え方を直接反映している。すなわち、そこで 焦点となるのは、武力不行使原則が、憲章 51 条に基づく自衛権と同第 7 章下 の強制措置のみを例外として許容し、それ以外のすべての武力行使を禁止して いるのか、あるいは、武力不行使原則はそのように厳格ではなく、例えば人道 目的の武力行使が新たな規範として生じる余地を認めるのかという点である。 上記のカッセーゼの主張は、後者の立場を前提としなければ成立しえないと考 えられるように、 「違法だが正当」という場合の正当性の根拠は、武力不行使 原則に関する解釈または認識によって規定されている。したがって、現在さま ざまに提起される「違法だが正当」という主張の法的意義は、その背景に存在 する武力不行使原則との関係において捉えられなければならない。しかし、従 来の研究においては、各主張の多様性が捨象され、また武力不行使原則との関 61.

(4) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 係について体系的な分析がなされているとはいいがたい。また、冒頭で述べた ように、これまでの通説においては、自衛権と第 7 章の強制措置という例外を 除いて、一切の武力行使が禁止されていると考えられてきたが、今日では、武 力不行使原則の内容について、その不明確さを指摘するものが散見される 6)。 よって、 「違法だが正当」という言説の体系的な分析、とりわけ武力不行使原 則との関係性については、人道目的の武力行使が同原則の例外として許容され る余地があるのかという観点から、改めて検討することが必要であり、かつ、 現在の武力不行使原則の妥当範囲を再検討する契機としての意義を有するもの である。 本稿が着目するのは、 「違法だが正当」という場合の正当性と、武力不行使 原則との関係性であるが、そこにおける正当性の主張は、その由来から、二つ に大別することができるように思われる。一つは、道徳的・政治的な価値を由 来とするものである。これは、ある行為が違法であっても、道徳的・政治的に 正当性をもつ場合があるというように、合法性と正当性との関係を法と法外の 価値の対立としてみなす場合であり、上記の「プロフェッショナリズムを捨て 去り…」という主張はこのような議論に向けられている。これに対してもう一 つは、法外的な諸価値ではなく、むしろ法の実体的な内容をその由来とするも のである。すなわち、安保理決議がないという点で手続上違法であるが、法の 実体内容として人道目的の武力行使を認める余地があるかを問うアプローチが それに該当する 7)。一方で、 「20 世紀国際法の金字塔」8)とさえいわれる武力 不行使原則は、国連法上もっとも重要な原則の一つであり、この原則に違反す る武力行使が正当であると判断する場合、そこでの正当性は、武力不行使原則 に対してどのような影響を与えるのかという点について慎重な判断が求められ る。他方で、仮に、法の実体に変容が生じており、それがゆえに正当性が主張 されていると考えるならば、正当性を、法とは区別された道徳的・政治的基準 による法外の判断として切り捨てることでは、法に内在する問題あるいは法の 変容を見逃すことになるのではないかという疑問も生じる。 62.

(5) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 以上のような問題意識に基づき、人道目的の武力行使に関する「違法だが正 当」論について、国家実行および学説を詳細に検討することでその構造を明ら かにし、さらに同分析を通じて、現代国際法秩序における武力不行使原則の意 義について考察を加える 9)。. 第 2 節 構成 以上の問題意識を端的にまとめるならば、人道目的の武力行使を 「違法だが 正当」 という場合、一方で違法としつつなお正当性を論じようとするその正当 性の認識はどこからきていて、法はそれをどう受け止めるべきなのかという点 が主たるテーマである。このような問題意識のもと、以下のような構成で論じ る。すなわち、第 1 章では、武力不行使原則の妥当基盤の変容について論じる。 その結果、人権法と人道法の発展が、主権概念に関し、国家による消極的主権 の主張、すなわち外部の干渉から自由であることの主張 10)から、国家に対す る積極的主権の要請、すなわち政府の統治能力を前提とする実質的な条件の要 請 11)へとその力点を移行させてきた傾向を見て取ることができ、同傾向が人 道目的の武力行使についての「違法だが正当」という主張の背景に存在するこ とを指摘する。さらに、国連の慣行や国家実行および各国の意見表明の検討を 通じて、実際に、主権概念の変容によって、安保理決議による授権がなされた 人道目的の武力行使は合法であるとみなされるように変化が生じていること、 また、安保理決議のない場合でも、武力行使が正当性をもつと考えられる事例 が出てきたことを指摘し、その結果、人道目的の武力行使に関して、武力不行 使原則の妥当基盤に一定の変化が生じつつある現状を説明する。 第 2 章では、違法性の根拠である 2 条 4 項の武力不行使原則の国連集団安全 保障制度のなかでの位置づけ、および 2 条 4 項の解釈の在り方を探る。そのた めに、まず、国連集団安全保障制度を、その理念と実際との比較のなかで検討 し、安保理が武力行使に関する排他的統制権を有することの制度上の問題を指 摘する。次に、このような問題意識を受けて、また、第 1 章で論じた妥当基盤 63.

(6) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). の変容に関する議論を前提として、武力不行使原則の解釈を、3 つの視点から 検討し、議論枠組を整理する。3 つの視点とは、すなわち第一に、2 条 4 項の 規定の包括性についてである。これは武力不行使原則の妥当範囲に関する憲 章制定当初からの議論として、国連憲章 2 条 4 項の例外として許される武力行 使は、明文規定のある第 7 章強制措置と自衛権行使で網羅されているのか 12)、 あるいは、これら以外の武力行使が認められる余地があるのか 13)という点に 関する検討である。第二に、武力不行使原則の絶対性についてである。同原則 と集団安全保障制度との関係性に関して、一方で集団安全保障制度の実効性が 武力行使を禁止するための絶対条件とみなす立場と、他方で、武力不行使原則 は、集団安全保障制度に条件付けられず、同原則は無条件に妥当するという立 場との対立があることから、それぞれの根拠を検討する。そして、第三に、武 力不行使原則の不変性についてである。そこでの焦点は、事後の慣行に基づく 武力不行使原則の解釈の変容であり、その問題意識は、1945 年の国連憲章制 定から現在に至るまでに国際社会の現実は変容しているところ、このような変 容が武力不行使原則の妥当範囲に変化をもたらしているのかという点にある。 第 3 章では、第 2 章での検討によって示される 2 条 4 項の解釈をめぐる議論 構造に照らしながら、 「違法だが正当」という見解においての 「違法」に関して、 つまり人道目的の武力行使の法的位置づけについて検討する。まず、この点に 関する先行研究を整理し、第 2 章で示した理論枠組との関連性を分析し、さら に、厳格解釈によっても文脈的解釈によっても、現状では、安保理決議の授権 がない人道目的の武力行使を合法ということはできないと結論する。 第 4 章では、以上の検討のうえに、 「違法だが正当」という言説のなかで論 じられてきた正当性の概念を考察し、人道目的の武力行使に関する合法性と正 当性の乖離がもつ、武力不行使原則の解釈上の意味を明らかにする。第 2 章で 扱った 2 条 4 項の解釈において、厳格解釈に立つ場合、 「違法だが正当」とい う際の正当性は法的な意味をもちえず、よって法の外にある道徳的・政治的な 価値判断とされる。したがって、コソボにおける「違法だが正当」という正当 64.

(7) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 化は、一般に、先例性をもたない、その事態一度かぎりの例外と捉えられる。 他方で、2 条 4 項を動的および文脈的に解釈する立場によれば、それぞれの根 拠は異なるにせよ、正当性は、法的意味をもつ余地がある。 、これらの議論に ついて、現状においては、前者の立場は理論上維持しえないのであり、よって 武力不行使原則の妥当範囲を起草過程当時と同様に厳格に捉えることは、もは や実際的ではないこと、しかし、第 3 章でみたように、後者に従って慣習法が 発現したというほどに一般化した権利は存在しないことを示す。 第 5 章では、 「保護する責任」概念を検討する。同概念は、人道目的の武力 行使の必要性に対して、 「違法だが正当」という議論が有効な回答をもたらさ ないために、 「合法で正当」な人道目的の武力行使を追求すべく、主権と介入 に関する独立国際委員会(ICISS)が提唱し、2005 年国連総会首脳会合成果文 書に取り入れられたものである。成果文書は、 「保護する責任」の対象を 4 つ の犯罪に限定しており、人道目的の武力行使概念がより明確化することに寄与 している。しかし、同概念を成果文書に盛り込んだ 2005 年国連総会首脳会合 における各国の議論をみる限り、いまだ賛否は分かれ、内容も未確定であると いう認識が強いため、法概念として一般化しているとは言い難いことを指摘し、 同概念が人道目的の武力行使の延長上にある概念として、今後どのような発展 が期待され、どのような課題を有するのかという点に考察を加える。 検討に進む前に、定義および本稿の議論の射程を明確にしておきたい。ま ず、本稿でしばしば用いるいくつかの用語の定義につき、 「人道目的の武力行 使」は、 「一国又は国家グループによる国境を越えた武力による威嚇又は武力 の行使であって、自国民以外の個人の基本的人権の広範で重大な侵害を防ぐ もしくはやめさせる目的で、領域国の許可なしになされるもの」14)として扱 うものとする。安保理決議の授権がないこのような行為は従来 humanitarian intervention として議論されてきたものであり、日本語で「人道的干渉」も し く は「人 道 的介入」と 訳 さ れ る。国際法 で は intervention に 「干 渉」、 interference に 「介入」 という訳語が使われることが通例であるとされる 15)。 65.

(8) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 大沼は、1990 年代の日本において「人道的介入」という訳が急速に広まった 要因を挙げつつ、国際法の歴史上においては intervention を「干渉」と訳す伝 統があることから、「人道的干渉」 と訳するべきであるという 16)。他方、最近 では 2004 年日本国際法学会のテーマで「人道的介入」という言葉が使われて おり 17)、二つの訳を比較すると、国連憲章成立以前の人道的干渉との連続性 に関する認識の違いが反映されているように思われる。本稿においては、これ らの用語を使うことなく、 「人道目的の武力行使」という言葉を使う。これは the use of force for human protection purpose の訳語であり、今日英語の文献 において一般的にみられる用語である。引用箇所については著者に従い「人道 的干渉」 「人道的介入」を使うが、両者の意味を区別せず、それらが上記のよ うな含意をもつことを意図しない。 また、人道目的の武力行使の対象となる「基本的人権の広範で大規模な侵害」 や「人道危機」とは、ジェノサイド等の人道に対する罪の状態が発生している 状態であると考える。人道に対する罪とは、国際刑事裁判所規程 7 条によると、 「文民たる住民に対して行われる広汎な又は組織的な攻撃の一部として、攻撃 であることを了知して行われる」 、 「 (a)殺人、 (b)殲滅、 (c)奴隷の状態に置 くこと、 (d)住民の国外追放又は強制移送、 (e)国際法の基本的な規則に違反 する拘禁その他の身体的自由の重大な剥奪、 (f)拷問、 (g)強姦、性的奴隷、 強制売春、強制妊娠、強制不妊、またはそれらと同等に重大なその他のあらゆ る形態の性的暴力、 (h)政治的、人種的、国民的、民族的、文化的、宗教的、 (中 略)性的又は国際法上許容されないと普遍的に認められるその他の根拠に基づ く、特定の集団又は団体に対する迫害(略) 、 (i)強制失踪、 (j)アパルトヘイ ト罪、 (k)重大な苦痛又は身体もしくは精神的もしくは肉体的な健康に対し て重大な傷害を故意にもたらす類似の性格のその他の非人道的な行為」である。 ここでは「攻撃であることを了知して」という意図が、また、ジェノサイド罪 を定義するジェノサイド条約 2 条においても破壊の意図の存在が要件となって いるが、本稿における人道危機の定義は、事態の説明であることから、裁判適 66.

(9) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 用の際に問題となる犯行の意図は問題としない。 また、ここで用いた「正当性」について、論者によっては「正統性」が用い られる場合がある。両者は意味と用法において共通する部分をもつと考えられ るが、 「正統性」は、例えば「正統政府」という言葉が示すように、系統的な 正しさを第一義とする 18)ものであり、orthodox、authority と結びつくものと して、ある種の立場に立脚して論じられると考えられる。それに対して、 「正 当性」は、 内容的な正しさを示す傾向があるものである 19)。本論文においては、 内容的な正しさに基づく justification を議論の中心としているため、 「正当性」 を使う。 次に、議論の射程について、本論文の目的が、人道目的の武力行使の合法性 および正当性を武力不行使原則との関係において検討することであるために、 国連憲章成立以降の人道目的の武力行使を議論の対象としており、それ以前の 事例や学説は検討対象としない。確かに、他国へ武力によって介入した国が、 その正当化根拠として「人道的干渉」を主張する歴史は古く、実定法上の制度 としての「人道的干渉」は、国家の主権・独立に基礎をおく伝統的国際法が明 確にその姿を現し法実証主義が勝利する 19 世紀の半ば頃に形成されたものと 考えられている 20)。しかし、当時における人道的干渉論は、もっぱら不干渉 原則違反の例外として議論されていた 21)のであり、また 19 世紀半ば頃には、 武力不行使原則はいうまでもなく、戦争も禁止されない伝統的戦時法制度が適 用された時代であった。さらに、当時のヨーロッパ国際法は、軍事干渉を東方 経営の手段とみなしており、いわゆる人道的干渉の先例は、主権的平等性を承 認されていなかった異端(infidel)ないし非文明国(uncivilized states)に対 する西欧諸国のヘゲモニー確立の手段として、合法性基盤が存在したと考え られる 22)。すなわち、西欧諸国による軍事干渉は、ヨーロッパ国際法社会の 外にある人民に対しては、異人種(蕃族) 、異教徒に対する十字軍的意味での 差別的人道干渉として肯定された 23)。19 世紀に主張された「人道的干渉」と、 現代の人道目的の武力行使は、両者ともに、ある国家の国内統治能力が基準に 67.

(10) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 達していないということを根拠に介入を正当化しているという点においては共 通するが、ただし、その基準が決定的に異なる。前者は、文明の基準を満たさ ない国に対して行われた介入であり、介入目的である人道的懸念の対象は、キ リスト教徒の白人に限定された。これに対して、現代では、介入の対象となる のは、人権法・人道法違反が「平和に対する脅威」とみなされるに至った国家 であり、介入目的である人道的懸念の対象は、宗教も人種もさまざまである 24)。 よって、19 世紀 の「人道的干渉」は、 「非植民地化」と「主権国家平等」の 理 念を基盤とした現代国際法秩序における干渉問題の先例とはとうていなし得な い 25)と考えられ、仮に「人道的干渉」が慣習国際法として第二次大戦以前の どこかの時点で結晶化していたとしても、国連憲章の成立以降の人道目的の武 力行使の問題は、改めて問われなければならない 26)。. 第 1 章 武力不行使原則の妥当基盤の変容―人道目的との関係において―27) ここでは、武力不行使原則の妥当基盤の変容について検討していく。人道目 的の武力行使に対しては、以下で説明するように、冷戦期以前と冷戦終結後で は、諸国の評価に明らかな変化がみられる。では、このような評価の変化は、 どこから生じているのだろうか、さらには、このような評価の変化と武力不行 使原則の妥当との関連をどのようにみなすかという点が問題となる。つまり、 武力不行使原則を現代の国際法秩序のなかでどう位置付けるか、また他分野の 法の発展とどのような相互作用をしているのかという検討が求められる。仮に 武力不行使原則の妥当基盤の変容を認めないとすれば、ある違反行為が法的に 正当化されることはないのであり、よって「違法だが正当」という評価におけ る正当性は、法外の道徳的・政治的価値判断に基づくこととなる。他方で、同 原則の妥当基盤の変容を認めるとすれば、正当性と合法性との乖離は、法の変 容に内在する問題となると考えられる。序章で示したように、本稿は、①武力 不行使原則の妥当範囲に関する憲章制定以来の解釈のあり方、②同原則と集団 68.

(11) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 安全保障制度との関係性、③同原則の妥当範囲の変容に関する認識という 3 つ の視点をもとに議論枠組を整理し、人道目的の武力行使の合法性および正当性 を検討することをねらいとするものであるが、本章は、第 3 番目の妥当範囲の 変容を論じるにあたっての、基礎的考察として位置づけられる。 合法性と正当性との乖離について、社会関係の変化は重要な要因となりうる。 奥脇によれば、社会関係の変化によって既存のルールが社会を安定化する機能 をもはや果たしえない段階に達したと判断される場合には、ルール自体の変更 が模索される。国際社会において、このような変更は、国家が国際紛争の解決 を模索する過程で生じるのであり、 「その成熟の過程においては、合法性は正 当性のもはや唯一の基準でもなければ、優越した基準でもない」28)。すなわち、 ある違法な行為の正当性が問題となるとき、行為の合法性を判断する法規則そ のものの正当性が問題となる場合があるのである。法規則の正当性は、合法性 の背後にあってその妥当を支える妥当基盤によって判断されるものである。そ れ故、法そのものの正当性が問題になるということは、法の妥当基盤となる基 本理念が変化したのではないかと考えられる 29)。 「違法だが正当」と評価する 場合にも、人道目的の武力行使を合法とする説と同様に「法に実際の変化が生 じているかどうか証明する必要がある」30)のである。 本章での分析は、以上の問題意識から、武力不行使原則に関して、他分野の 法の発展とどのような相互作用をしているのかという外在的要因を検討するも のである。それは、フィネモアが指摘するように、諸規範を「国際関係の社会 的空間にばらばらに浮かぶ 「もの」 としての規範ではなく、高度な構造をもつ 社会的文脈の一部として」31)みなすこと、すなわち、特定事項に関する別々の 規範ではなく、編み込まれ織り交ぜられた諸規範から成る一つの織物としてみ なすほうが道理にかなう 32)という前提に立つ。とりわけ、人道目的の武力行 使を検討する際には、 「一連の諸規範が変化することによって、他の規範や実 行にも変化をもたらす可能性があり、論理的および倫理的に変化が求められる 場合もある」33)という視点は重要である。というのも、人道目的の武力行使の 69.

(12) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 問題は、主権と人権の対立 34)であるとか、安全保障の人道主義化 35)の問題と して評されるように、さまざまな法概念の発展が重なり合うことによって生じ ているからである。集団安全保障制度それ自体のみを検討することでは、人道 目的の武力行使に対する評価の変化を説明することはできない。したがって本 章は、人道目的の武力行使の正当性について、人権・人道法の発展、主権概念 の変容を含めた「条約を含む国際実行と規範意識をもとに構成された解釈の妥 当」36)の問題として捉え分析することをねらいとするものである。 以下ではまず、主権概念の変容を概観し 37)、冷戦後に顕在化した主権概念 の変容が、人権法・人道法分野の発展を反映するものであることを論じる。続 いて、安全保障分野においても、脅威概念の変化を通じて、人道目的の武力行 使に対する評価が冷戦以前と冷戦終結後では変化しており、それが主権概念の 変容と関連していること、さらに、人道目的の武力行使の正当性の根拠となっ ていることを明らかにする。. 第 1 節 人道目的の武力行使を巡る国際関係の変化 人道危機は、国家が十分な統治能力をもって治安を維持し国民の人権を保障 していれば、本来生じないはずである。したがって、ここで問題となるのは国 家の国内統治であり、国際法の観点からは、主権国家の国内統治について国際 法がどのように関与してきたかをみていく必要がある。伝統的国際法は、主権 概念によって国家が自国民の権利義務を自由に決定することを認めてきており 38)、 今日においても他国が自国内の人権および人道問題に干渉することに反対す る国家は、それが主権侵害であるとして非難する 39)。その一方で、国際法は、 人権法や人道法によって個人の権利義務を規定し、国家の裁量を制限してきた。 第 1 項 主権概念の変容-文明の基準から消極的主権へ 今日、人道目的の武力行使の対象となる典型的な国は、ソマリアのような破 綻国家である。破綻国家とは、国民の最低限の市民的条件、すなわち国内的平 70.

(13) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 和、法と秩序、グッドガバナンスを保護できないまたは保護しない国家である と定義される 40)。つまり、国家としての自律性の確保あるいは主権国家とし ての生存・安全保障を維持するために、民主主義や人権の尊重などは二の次と され、暴力手段の開発が優先された結果、政府が人権の侵害者となるような場 合である 41)。 このような破綻国家が生まれた要因としてジャクソンが挙げるのは、脱植民 地化した諸国が独立する際に、従来国家性の要件と考えられてきた実効的支配 が要求されなくなったという点であり 42)、したがってこのような破綻状態は、 冷戦後に生じたというよりは、冷戦という国際環境が隠蔽し存続させたものが 表面化したと考えられる 43)。 歴史的には 19 世紀後半に、国際社会がヨーロッパからアメリカ大陸まで拡 大し、さらにトルコや東洋諸国までも含むようになり、国際法的意味の国家と いう概念が、特定の人種や宗教とは独立の抽象的・一般的概念として分化して くる過程で、国際社会の均質性を保つための国家の属性は、キリスト教的ヨー ロッパ国家から文明国へ変化したといわれる 44)。その当時、国家性は「文明 の基準」によって判断され、 基準を満たさない場合には国家とみなされず、 未開、 野蛮であり植民地支配の対象であった。文明の基準自体が形成された時代は古 く、産業革命による近代資本主義のめざましい発達、交通・通信技術の飛躍的 な進歩の時代であり、さらには、フランス革命を転機として次第に市民階級が 政治権力に近づき、近代市民国家が形成された時代であると考えられており、 国家の国際的実践の上にも市民階級のこのような利害が強く反映され、市民階 級の対外的な活動、ことに、経済活動の自由を保障するための合理的な国際体 制が強く求められるようになったものである 45)。このような背景をもつ文明 国の基準は、ゴングによれば以下 5 つの要請を含む。第一に、特に外国人の生 命、尊厳、財産といった基本権と、旅行、商業および信教の自由を保障すること、 第二に、国家機構を実効的に運営し自衛能力を備えた政治的官僚制を有するこ と、第三に、戦争法を含む一般に受け入れられた国際法の遵守と、自国民と外 71.

(14) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 国人とを公正に扱う国内裁判システムと公表された法を備えること、第四に、 継続的な外交交流と対話の維持を通じた国際システムの義務を履行すること、 第五に、例えば重婚、奴隷の禁止といった「文明の国際社会」で受容された規 範と実行に従うことである 46)。ここにおいて、内政不干渉原理、主権独立原理、 相互不可侵原理は、文明国たる国家の均質性の擬制の上にたってその「合理的」 国内統治能力を前提とする、相互に主権平等である国家間での内政事項の国際 紛争化を回避するための原理であった 47)。 ところが、第二次世界大戦後に国際社会が飛躍的に拡大するに伴い、その 基準は緩和されるようになり、1945 年以降は、国連加盟の資格として、憲章 に掲げる義務を受諾しこの義務を履行する能力および意思があると認められ る「平和愛好国」48)かどうかが問われるのみとなった。20 世紀後半に植民地 から独立した新国家については、多くの国が特段の条件もなく承認され、国家 性を備えるものとしてみなされた 49)。1960 年に採択された植民地独立付与宣 言の第 3 段落は、 「政治的、経済的、社会的または教育的な準備が不充分なこ とをもって独立を遅延する口実としてはならない」と明記する。しかし、これ は国連憲章第 12 章国際信託統治制度の基本原則の一つである「信託統治地域 の住民の政治的、経済的、社会的及び教育的進歩を促進すること」かつ「自治 または独立に向かっての住民の漸進的発展を促進すること」50)という規定とは 矛盾する内容である 51)。つまり、国連憲章採択時において文明の基準が問わ れなくなったのみならず、さらに 1960 年代脱植民地化の時代においては、西 欧の植民地主義と強い一体感をもつ信託統治は否定的に受け止められ、上記植 民地独立付与宣言のように実質的支配よりも独立が重視されるようになった のである 52)。これは、外部の干渉から自由であることを意味する形式的・法 的な状態としての「消極的主権(negative sovereignty) 」. 53). が重視される一方. で、政府の統治能力を前提とする実質的な条件としての「積極的主権(positive sovereignty) 」54)が問われなくなったということを意味している。このような 変化の原因としては、以下で述べるように、第一に自決権を価値とする思想背 72.

(15) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 景と、第二に冷戦の国際関係を指摘することができる。 第一に、自決権と脱植民地化、主権平等という主張において、主権は、国家 アイデンティティを形成し、後進性の要因であった従属の鎖を断ち、社会的経 済的発展を推し進めるための強力な道具であるのみならず、旧宗主国からのさ らなる支配や介入に対して、新国家に法的な盾を提供し、伝統的に国民国家が 有する国際関係上のすべての特権や免除を主張することを可能にした 55)。ま た、脱植民地化と人権の拡大は、非白人、非ヨーロッパ人に対するヨーロッパ の白人の理解を変容させた 56)。19 世紀にはヨーロッパの白人にとって非白人、 非ヨーロッパ人はかろうじて人間として認められるという状態であったが、新 たな社会構造によって、一世紀前にはなかった方法でそれらの人々に対し発言 権と地位とが与えられ、西洋の人々が彼らを自己同一化し、共感するような基 礎を作った 57)。このようにして、 脱植民地化と、 包括的国際制度や法構造によっ てもたらされた人権拡大は、植民地主義をタブーにしたのである 58)。 第二に、脱植民地化の時代とは、冷戦の国際関係のなかで東西両陣営が新独 立国を奪い合う時代でもあった 59)。西側諸国は、反植民地主義が共産主義擁 護に変わるのを恐れたため、植民地がまだ自己統治にはそぐわないと議論する ことは政治的に不適当であると判断した 60)。東西両陣営は、第三世界諸国が 自らの側につくことを重視し、アメリカは「自由主義的な」体制よりも共産主 義が浸透しにくい権限のある「硬い」体制であることのほうを重視したため 61)、 「この憲章に掲げる義務を受諾し、且つ、この機構によってこの義務を履行す る能力及び意思があると認められる他のすべての平和愛好国」62)という国連加 盟の資格基準さえも、東西冷戦により戦略的かつ日和見的に利用され、実質的 な内容や意義はないものとなった 63)。 このように、ある国家が国際社会の構成員として認められるための条件とし て、国内統治能力を問われることはなくなったが、しかし実際には、独立後の 多くのアフリカ諸国において、統治能力を備えるための資源が権力争いによっ て消耗された。これら新独立国のなかで、国家を統治するための国内的競争が 73.

(16) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 発生し、競争に敗れた者は、反政府的な裏切り者とみなされ、訴追を逃れるた めに隣国へと亡命した 64)。多くの民族グループが 19 世紀アフリカ分割の際に 描かれた政治的国境を跨いで存在していることから、隣国の政治的支援団体と 協力して、亡命政治家出身国の政府に対し圧力をかけるなど、各国のあいだで 反対派政治家の「輸出-輸入」取引がなされた 65)。そしてそのことによって、 広汎な政治的不安定が生じ、政府が外部で企図された転覆に対し脆弱であると いう環境がつくられてきた 66)。 以上のような背景から、新独立国のなかには、外部の干渉を受けないという 意味での消極的主権は有するものの、政府の統治能力を前提とする積極的主権 の条件は満たさないような破綻国家が存在することとなった。アフリカにおい ては特に、非民主的で抑圧的な体制が、競合する超大国によりその大局的目標 の名のもと支援され維持されていたが、冷戦の終結とともに突然見放されるこ ととなった 67)。このような見放された国家の存在が、冷戦終結によって国際 安全保障の問題として露呈してきたのである。 第 2 項 人権・人道法の発展-消極的主権の主張から積極的主権の要請へ 上記ジャクソンによる破綻国家の定義をみると、そこで統治能力を欠くとい う場合に挙げられた各要素は、ゴングの文明国基準で求められている要素とか なり対応しており 68)、したがって文明国基準の多くは、まさに積極的主権の 条件であるといえる。この点、統一的文明に代わる複数の文明を国際法の基礎 におく現代においても、 「文明が一貫して世界の統一的価値基準として果たし た役割は、その役割の内容に則した批判や、それをそのまま当てはめる場合の 現代的諸理念の積極的な反発を慮外視すれば、役割自身としての意味を失った ものではな」69)いという指摘は依然として的確である。むしろ、その価値基準 の実質的内容は、後述の人権法・人道法の発展を通じて、人道・人権にかたち を変えて強まっているように思われる。すなわち、現代国際法においては、主 権は権利の根拠であるのみならず責任の根拠でもあり、国際法はますます国家 74.

(17) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. の国際的責任と同様に、国内的な責任の実質をも規定しているとみなしうるの である 70)。実際、今日では「保護する責任(responsibility to protect)」概念 が提唱されており、2005 年の世界サミット成果文書においては、 「それぞれの 国家は自国民を、ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化、人道に対する罪から保 護する責任がある」71)という文言が組み込まれるに至った。このことからも、 人権、人道を保護するようなかたちで、積極的主権の重要性が強調されるよう になってきたことは明らかである。以下では、人権法と人道法の発展を通じて、 このような主権の消極的主権の主張から積極的主権の要請へと力点の移動が生 じていることを説明する。 i. 人権法の発展 人権は、国家と国民との関係において保障されるものとして、国内法でまず 認められたものであり、第二次世界大戦以前には、人権問題は国内問題である とみなされていた。それ以前の 19 世紀においても、市民的、社会的権利に重 点をおいた形式の条約が次第に出てきたが、そうした条約の多くは、西欧諸国 に比べて近代化が著しく遅れ、封建的な社会構造がそのまま残り、宗教による 差別がなおきびしく行われていた国に対して、西欧諸国が進出するうえで、そ の活動の自由を保障するために西欧の近代的な法原則の適用を求めるという内 容であったため、保障の趣旨は現代の人権法とは本質的に異なる 72)。第一次 大戦後の少数民族保護条約といった一部例外はあるものの 73)、かつてはその ような限定的な保障しかなされず、連盟規約でも人権に言及されていない 74)。 国際法による人権の保障が実定法化されるに至ったのは、第二次世界大戦後に なってからである 75)。第二次世界大戦では、ドイツ、イタリア、日本という 国内において人権を抑圧してきた全体主義国家が、国際社会においてもルール を尊重せず、侵略や破壊行動に出たことから、国際社会の安定を保ち平和を維 持するためには、国内における人々の人権が十分に守られる体制を確保する ことが必要であると認識されるようになり 76)、これを受けて連合国は戦争目 的に民主主義の擁護と人権の尊重を掲げている 77)。ナチスによるホロコース 75.

(18) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). トに対する憤激 78)も加わり、その結果として、国連憲章は目的の一つとして、 人権および基本的自由を尊重するように助長奨励するための国際協力の達成を 挙げている 79)。 その後、国際人権法が発展する出発点は、一般に 1948 年採択の世界人権宣 言(総会決議 217(Ⅲ) )であるとされる 80)。宣言採択を棄権したソヴィエトは、 人権の国際的保障そのものに反対したわけではなかったが 81)、宣言の抽象性、 形式性を批判し、とくに憲章 2 条 7 項との関係において国家の機能をもっと明 確に規定する必要があると主張しており 82)、人権保障と国内問題不干渉原則 との衝突可能性が意識されていたことがうかがえる。その後、 「経済的、社会 的及び文化的権利に関する国際規約」と、 「市民的及び政治的権利に関する国 際規約」 (1966 年)が採択されたほか、難民条約(1951 年) 、人種差別撤廃条 約(1965 年) 、女子差別撤廃条約(1979 年) 、拷問禁止条約(1984 年) 、児童 の権利に関する条約(1989 年)等が採択されていくなかで、これら人権条約 の多くは、政府による自国民の取り扱いが正当な国際関心事項であるという見 解を強化し、一連の人権問題に取り組むようなメカニズムを提供するように なってきた 83)。 さらに、各種の人権条約は、個人の権利保護を国家に義務付けるのみならず、 個人の申し立てを認めるように変化してきた 84)。例えば、人種差別撤廃条約 14 条は、 人種差別撤廃委員会への個人と集団の申し立てを規定している。また、 拷問禁止条約 22 条は「被害者のために通報する者」という規定をもっており、 人権 NGO を想定して挿入された規定が増えつつある 85)。 地域的条約も締結されており、例えば欧州人権条約(1950 年) 、米州人権条 約(1969 年) 、人権と人民の権利に関するアフリカ憲章(バンジュール憲章、 1981 年)がその代表的なものである。前者は、欧州人権裁判所への人権侵害 の申し立て主体として、 非政府団体または個人を認めている 86)。それによって、 従来は、国際法の客体として国家の権利義務の反射的効果を受けるのみであっ た個人が、直接国際法主体性をもつようになった。それに対して、バンジュー 76.

(19) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. ル憲章は、不干渉原則を強調するアフリカ統一機構(OAU)憲章を再確認す る内容であり、人権保障を規定しているものの、政府の裁量は制限されておら ず、依然として消極的主権の主張にとどまっているとされる 87)。しかし、後 述するように、2000 年には OAU 憲章がアフリカ連合(AU)憲章へと移行し、 アフリカ諸国は、不干渉原則を超えて積極的主権の重要性と相互協力を明確に 認めるようになったのである。 このように広範囲に及ぶ国際人権法の発展について、ドネリーは、 「国際社 会の正規構成員となる資格要件としての、共有された正義の基準の遵守という 思考の復活」88)であり、古典的な文明の基準との対比において「人権は、すべ ての人が共有し享受することを強調する新たな包括的基準を提供する」89)と述 べている。つまり、人権法の発展によって、少なくとも各種人権条約の締約国 においては、その条約が課す義務の範囲において、消極的あるいは「対外的な」 主権の適用範囲が変化 90)し、国家の国内統治のあり方が問われており、また、 国際法によって積極的主権の要請がなされるようになっているといえよう。 ii. 人道法の発展 国際人道法も、19 世紀後半から現在に至るまでに、国際法が国内統治に積 極的に関与するようになってきており、国家間の相互主義的な権利義務を定め るものから、個人を保護または訴追するものへと変容してきた。 人道法は、その定義や範囲について様々な見解があるが、広義には、かつ て戦争法といわれたハーグ法とジュネーブ法からなるといわれ 91)、狭義には、 後者のみを含むと考えられる 92)。ハーグ法とは、作戦行動に関する交戦者の 権利義務や害敵手段の規制に関する規則をいい 93)、ジュネーブ法とは、戦争 犠牲者の保護尊重、人道的待遇を確保する規則であるとされる 94)。国際人道 法という名称が用いられるようになったのは、とくに第二次世界大戦後の非植 民地化の波と多数の新興諸国の登場という段階になってのことである 95)。 ハーグ法は、主に 1899 年と 1907 年の第一回・第二回ハーグ平和会議で採択 された「陸戦の法規慣例に関する条約」とその付属規則等をさす。同条約にお 77.

(20) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). いては、毒または毒を施した兵器や不必要な苦痛を与える兵器の使用が明示的 に禁止されているなど、兵器の制限が規定されているが、1868 年サンクトペ テルブルグ宣言に続き、総加入条項が付されており、法典化条約であるものの、 形式的には、非締約国が戦争に参加している場合には適用されないという点 で、相互主義的な性格を持っていた 96)。加えて、同条約および当時の戦争法は、 近代国家、文明国家間の戦争への適用を予定しており、文明国以外の諸国間の 戦争に当然必要であるとみられていたわけではないとされる 97)。 同平和会議では、戦争法のみならず、 「国際紛争平和処理条約」や「契約上 の債権回収を目的とする兵力使用の制限に関する条約」が採択されている。こ れは、ちょうどヨーロッパから新大陸へと国際法の主体が拡大した時期である とともに、文明国基準によって国家性を判断するようになった時期と重なる 98)。 また、軍事力の帰属が君主個人から国家へと移り、一般徴兵制システムが確立 されたことで 99)、国家が相手国との関係において自国兵士の権利義務を定め ることにメリットをもつようになった時期である。 これに対して、 ジュネーブ法は、 第二次世界大戦後の 1949 年に採択されたジュ ネーブ四条約を中心に構成され、主に戦闘能力のない兵隊を保護の対象とする ものである。第一条約は、戦地にある軍隊の傷病者および病者に関して、第二 条約は、海上にある同様の者について、第三条約は、捕虜の待遇に関して、第 四条約は、戦時における文民の保護に関して規定する。さらに 1977 年に採択さ れた追加議定書は、国際的武力紛争の犠牲者の保護(第一議定書)と非国際的 武力紛争の犠牲者の保護(第二追加議定書)を規定しており、 ハーグ法に比して、 ジュネーブ法は、相互主義ではなく普遍的な人道原則に基づいている 100)。 ジュネーブ法において従来の人道法からの大きな発展といわれるのは、1949 年ジュネーブ四条約と第一追加議定書に定められた、戦争犯罪に関する普遍的 管轄権と呼ばれる共通規定 101)である。これは、個人の戦争犯罪について、条 約の重大な違反行為を行った個人に関する国内法上の刑罰の立法、捜査義務、 国籍を問わず訴追する義務および関係締約国への引渡しを規定するものであ 78.

(21) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. る。ただし、この普遍的管轄権にも、全面的に個別国家の立法措置と国内裁 判所の処罰に依存していたという点で限界があった 102)。そこで国際法委員会 (ILC)は 1951 年、国際的な刑事裁判所設置のための具体的な提案をし、1953 年にはその改正案も提出されたが、冷戦構造のなかにおいては、国際的な司法 機関を設けることが国家主権の侵害だという考え方が強く、実現には至らな かった 103)。また、非国際的武力紛争については、合法的敵対行為のない状況 であることから、戦争犯罪は存在せず、相手方紛争当事者に属さない者に対す る行為である以上、戦争犯罪ではありえないという従来の戦争犯罪概念の前提 も維持されていた 104)。 これに対して冷戦後は、その克服が実現されることになる。第一に、それぞ れ 1993 年と 1994 年に設置された旧ユーゴスラビア国際裁判所(ICTY)とル ワンダ国際裁判所(ICTR)は、民族浄化という緊急事態に対応する最後の手 段として設置されたもので 105)、特別の事態に対する国際裁判所による処罰確 保の要請があったといえ、普遍的管轄権に基づく個別国家による処罰の不十分 さを補うものであった 106)。さらに、1998 年採択の国際刑事裁判所(ICC)は、 補完性の原則により、国内裁判所の管轄を尊重しつつ、その管轄権の限界を克 服しようとしている。 第二に、ICTY 規程は、戦争犯罪について 2 条および 3 条で重大な違反行為 と戦争の法規慣例違反を並列的に置いた。前者については、タジッチ事件上 訴裁判部管轄権判決で非国際的武力紛争に適用されることが明らかにされ 107)、 後者についても、チェレビチ事件第一審裁判部は、慎重ながらその処罰が非国 際的武力紛争でも今後なされうることを示唆したと評価される 108)。 第三に、ICTY、ICTR および ICC による人道に対する罪の適用により、保 護と訴追の対象者が拡大されている。ジュネーブ諸条約は、保護対象者を限っ ており、例えば、被害者が、無国籍だったり、犯人と同じ国籍だったりすれば、 保護の枠外におかれてしまうという限界があった。人道に対する罪は、この難 点に対応するためにニュルンベルグ条例において創設されたものであるが 109)、 79.

(22) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 同罪が常設国際刑事裁判所の適用犯罪となった意義は大きい。人道に反する罪 のうちとくに極悪な罪であるジェノサイド罪 110)は、1948 年ジェノサイド条約 に規定されたものである。同条約は、1 条で平時か戦時かを問わず、集団殺害 が国際法上の犯罪であることを確認しその処罰義務を規定しており、ここから ジェノサイドは発生地によらず安全に対する脅威であり許容されるべきではな いと理解され、不干渉原則による抗弁はできないと考えられる 111)。人道に対 する罪とジェノサイド罪は、ICTY 規程、ICTR 規程によって管轄の対象犯罪 とされ、実際 ICTR では、アカイエス事件において、ツチ族の市民殺害や女性 へのレイプ等に関して、ジェノサイド罪が認定されている .112)これら犯罪は、 ICC 規程に引き継がれたことによってはじめて、一般的に訴追可能となった。 また、国内裁判所において他国の国家機関である国家元首等を訴追すること は、主権免除によって阻止されていたが、ICC 規程 27 条は、1 項において「こ の規程は、公的地位に基づくいかなる区別もなく、すべての者に平等に適用す る」とし、同 2 項では、 「人の公的地位に付随しうる免除または特別の手続規 則は、国内法上のものであるか国際法上のものであるかを問わず、裁判所がそ の者に対して管轄権を行使することを妨げない」と規定している。この限りに おいて主権免除原則は変更されたと考えられよう 113)。 第 3 項 小 括 以上みてきたように、主権概念は時代とともに変容している。その時代は、 1945 年の国連憲章採択以前、それ以降の冷戦期まで、そして冷戦終結後と、 大きく 3 つに分けられる。国連憲章以前においては、国家が国際法主体となる ためには、文明国基準をみたすこと、すなわち積極的主権が要請された。しか し、国連憲章においては、国家性の要件が事実上失われ、脱植民地化を通じて 消極的主権が前面に押し出されるようになった。そして現在、冷戦終結後、再 び積極的主権の要請が高まっている。その背後には、国連憲章成立以来の人権 法の発展を指摘することできる。また人道法も、とりわけ冷戦後に飛躍的な発 80.

(23) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 展を遂げており、例えば主権免除が制限されるなど、国内統治においても人権 侵害は許されないということが、これら法規範の発展によって具体化されてい る。このような変遷は、以下でみるように、人道目的の武力行使に対する各国 の評価にも表れている。. 第 2 節 人道目的の武力行使に対する評価の変遷 人道目的の武力行使に対する評価の変遷には、前節で述べてきた主権概念の 変容が大きく影響していると考えられる。以下では、冷戦期における実行と評 価、冷戦後における安保理の授権のもとでの人道目的の武力行使とそのような 授権のない実行とを検討し、冷戦期と冷戦終結後での評価の変遷を辿る。そし て、この変遷と、消極的主権の主張から積極的主権の要請への移り変わりとの 関係をみていく。 第 1 項 冷戦期以前 冷戦期に国家が行った他国への武力介入のうち、人道目的を主張したものは 非常に少ないが、人道危機がなかったわけではない。例えば、推定 170 万人が 犠牲となったビアフラ紛争(ナミビア、1967-1970 年) 、1,000 万人の難民流出 を引き起こした東パキスタン軍によるベンガル人の虐殺(1971 年) 、10-30 万 人の犠牲者を出したブルンジのツチ族によるフツ族の組織的虐殺(1972 年) 、 パラグアイにおけるアチェ・インディアンの事実上の殲滅(1960-70 年代) 、イ ンドネシア侵攻による東ティモール人 65 万人中 20 万人の殺害(1975-1990 年 代) 、ポルポト政権によるカンボジア人 600 万人中 100 万人の殺害が挙げられ 114)、 1946 年から 89 年の間に 100 以上の紛争で 2000 万人が救助されることなく殺 され、安保理における拒否権の行使は実に 279 回を数えたとされる 115)。これ らのうち、武力介入の結果として人道的役割を果たしたものの例として挙げら れる事例が、1971 年インドによる東パキスタン介入、1978 年タンザニアによ るウガンダ介入、1979 年ベトナムによるカンボジア介入である。 81.

(24) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). i. インドによる東パキスタン介入(1971 年) 第一に、インドによる東パキスタン介入(1971 年)であるが、その発端は、 1971 年 3 月 25 日にパキスタン軍事政権が東パキスタン(現バングラデシュ) のダッカに軍隊を派遣、9 ヶ月間で少なくとも 100 万人が死亡、1000 万人がイ ンドへ逃亡するという事態を受けて、インドとパキスタンの関係が悪化し、国 境での衝突が増加したことに始まる。同年 12 月 3 日、パキスタンがインドに 対する先制的空爆を実施し、インド首相インディラ・ガンジーは、これをイン ドに対する全面戦争であると宣言、インドはパキスタン軍を制圧し、3 日後に 東パキスタンがバングラデシュとして独立することを承認した 116)。 当初、インドはこの介入の目的について、 「われわれは、東ベンガルの人々 を苦しみから救うという純粋な動機と目的以外何もない」と主張したが 117)、 後に、パキスタンからの大量難民により自国の社会生活が危機的状況に陥った こと、パキスタン軍の侵略へのやむをえない対応であることを理由に挙げ、よ り伝統的な自衛として正当化しようとした。 しかし、インドの介入は、国際法上自衛権行使の要件を充たさず、人道目的 という正当化も国際社会から受け入れられなかった。実際、インドの行為は、 安保理、総会において、かなりの数の国から非難を浴び 118)、安保理はインド 軍の迅速な撤退を求める決議のために召集されたが、ソヴィエトとポーランド の反対により否決された 119)。他方、総会においては、本質的に同内容の非難 決議案が提出され、こちらは 104 対 1、棄権 10 で採択された 120)。 ii. タンザニアによるウガンダ介入(1978 年) タンザニアによるウガンダ介入(1978 年)は、ウガンダの攻撃に対するタ ンザニアの自衛として、またアミン政権の転覆を求めるウガンダの反体制派の 戦いへの援助として正当化された。当時ウガンダのイディ ・ アミン独裁政権は、 ウガンダのアジア人コミュニティ追放やウガンダ人反対勢力の残忍な処罰等で 30 万人の死者を出したとされている 121)。このイディ ・ アミン政権がタンザニ アに侵攻したため、タンザニアは同政権を倒すためにウガンダに介入し、政権 82.

(25) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. 打倒の後は民選政府を要請し 2 日で撤退した 122)。 ウガンダは、タンザニアの介入について国連事務総長に訴え、安保理に行動 を要請したが、安保理では議題にものぼらなかった。広く尊敬されるタンザニ アのニエレレ大統領による悪名高いイディ ・ アミン独裁政権への介入として、 西欧諸国は黙示的に受け入れたものと評価される 123)。他方で、当時のアフリ カ諸国は、理由いかんに拘わらずアフリカの独立国への軍事介入に激烈に反対 であり、タンザニアも、アフリカ諸国と OAU から広く批判された 124)。その 背景には、アフリカ諸国が安保理に要請したポルトガル植民地、ローデシア (ジンバブエ) 、ナミビア、南アでの白人少数者統治の打倒のための武力介入が、 西側大国の拒否権行使により実行されなかったという事実から生じた不信感が あるといわれる 125)。 iii. ベトナムによるカンボジア介入(1978-9 年) ベトナムによるカンボジア介入(1978-9 年)は、少なくとも 100 万人の死を もたらしたとされるカンボジアのクメール・ルージュ政権のジェノサイドに対 して、ベトナムが武力介入したものである。ベトナムは当初国境侵犯に対する 自衛を主張したが、後にカンボジアを「生き地獄」にした政権に対する民衆蜂 起への人道的支援であると説明した 126)。 これに対し安保理では、中国が非難決議を提案したが、ソヴィエトの拒否権 行使により否決されている 127)。フランスは、政府が憎悪すべきものであるか ら外国の介入が正当化され、武力による打倒が妥当であるという考えは極めて 危険であり、ベトナムの介入は正当化できないと主張した 128)。 iv. 評価 冷戦期の人道目的の武力行使として一般に紹介される事例は、以上の 3 件で ある。冷戦期には、1990 年代に比べ人道目的の武力行使と考えられる事例は 少なく、また国際社会からの反応は極めて否定的であった。また、いずれの事 例も比較的強い途上国が他の途上国に介入した事例であり、人道目的も主張さ れてはいるものの介入の主要な正当化根拠ではない。 83.

(26) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). 各国が人道目的の武力行使に批判的であった理由の一つとして、冷戦期にお ける不干渉原則の重要性が考えられる。まず、冷戦において、米ソはそれぞれ の勢力圏内の国家に対しては介入したが、勢力圏の外では不干渉原則は守ら れていた。さらに、脱植民地化により多くの弱い国が登場したために、法的 な盾としての消極的主権のあらわれとして、不干渉原則の規範が非常に強調 されたことも指摘することができる 129)。不干渉原則と合意原則は、防衛力を もつ大国と違って、自国の独立を守る手段が国際法と世論しかないという弱い 国によって支持された。弱小国の指導者は、合意のない介入に反対であった し、なによりも彼らを犠牲に遂行される冷戦を嫌がった 130)。この否定的姿勢 は、1965 年 に 採択 さ れ た 国連総会決議 2131(A/RES/2131(XX) )の「国内 問題への介入の不容認と独立と主権の保護に関する宣言」における「いかなる 国家も、直接的か間接的かを問わず、どのような理由によっても、他国の国内 的又は国際的事項に介入する権利をもたない。結果として、武力介入とその他 のすべての形態の干渉または国家の公人若しくは政治的、経済的又は社会的制 度に対する計画的脅迫は非難される」という記述、また、1970 年の総会決議 (A/RES/2625(XXV) )である友好関係原則宣言における「いかなる形態の干 渉も、憲章の精神および文言に違反する」という記述にみられる。 冷戦期には人道目的の武力行使が少なく、また国連の権威のもとの介入がな かったが、これは国際社会、とくに国連安保理に武力人道主義行動計画を検討 し実行するような政治的機会がなかったからである 131)。途上国や第三世界の 国々を含む国際社会の多くの国にとっては、いかに人道的であっても介入は許 容しえないものであり、人道的要素よりも武力不行使義務や他国に対する不干 渉義務の遵守の方を重視していたと考えられる 132)。 第 2 項 冷戦終結後の実行と評価(1)-安保理決議による授権の事例 冷戦終結によって、人道目的の武力行使は政治的に実行可能になった。冷戦 期には、アメリカとロシアの政治的 ・ 軍事的対立によって絶えず行動が阻まれ 84.

(27) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. ていたが、一般的関係を協力的なもの、少なくとも多くの事項で非対立的な関 係に変えた。中国も協力的または少なくとも非障害的になった。特定の重要 な問題について、大国間の統一的な国際的意思を生み出すことが可能となり、 そのことは安保理常任理事国の協力と共同行動で明らかとなった 133)。冷戦期 と比較すると、1946 年から 1989 年までの 43 年間に安保理は 2903 回会合を開 き、646 の決議を採択、内 24 回憲章第 7 章を引用したのに対して、1990 年か ら 1999 年までの 9 年間で、安保理は 1183 回会合を開き、638 の決議を採択、 憲章第 7 章は 1993 年までに毎年約 24 回ずつ引用している 134)。 安保理の機能回復が認識されたのは、1990 年 8 月 2 日、安保理がイラクの クウェート侵攻を非難し、イラクに迅速かつ無条件の全軍撤退を要求した決議 660 が採択された時である 135)。これは、のちの国際紛争における数々の決議 のきっかけとなり、安保理をかつてない積極主義へと向かわせた。決議の多く は安保理の国際の平和と安全の促進という従来の役割を明らかにするものだっ たが、そのいくつかは人道主義と人権に関する国際的政策決定機関としての安 保理の発展を示していた 136)。ソマリアの事例では「平和に対する脅威」と認 定されつつも、脅威は必ずしも国際性を帯びておらず、決議の目的も人道主義 の傾向にある。以下では、イラクにおけるクルド人保護、ソマリアの事例を中 心に検討していく。 i. ソマリア ソマリアは、 「紛争によって生じた人間の悲劇」と 「平和に対する脅威」 と の結びつきが表明された事例である 137)。ソマリアは、1960 年にイギリスの保 護領であった北部とイタリアの信託領であった南部がそれぞれ独立し統合した 国であり、1969 年クーデターによりモハメド・シアド・バレが最高革命評議 会議長に、その後大統領に就任した。その後 1991 年 1 月まで 21 年間バレ政権 が続いたが、バレが追放されてから氏族争いをもととする内戦が発生し、同年 11 月首都モガディシオで戦闘が開始された。国連は、1992 年 1 月 23 日安保理 決議 733 により第 7 章下に武器禁輸措置、1992 年 3 月 17 日安保理決議 746 に 85.

(28) 横浜国際経済法学第 19 巻第2号(2010 年 12 月). より人道支援の供給に対する戦争の影響懸念を表明、1992 年 4 月安保理決議 751 により被災民救援のため PKO 国連ソマリア活動(UNISOM)派遣、1992 年 12 月 3 日安保理決議 794 により、第 7 章に基づきアメリカ主導の多国籍軍 である統一タスクフォース(UNITAF)を派遣することを全会一致で決定し、 ソマリアの人道救助活動のためにできるだけ安全な環境を確立するためにすべ ての必要な措置を容認した。アメリカは「希望回復作戦」 (Operation Restore Hope)としてソマリアに 28,000 名を派兵した。安保理決議 794 は、 「ソマリア での紛争に起因し、人道的支援供給に対する障害によってさらに悪化した人間 の悲劇の規模は、国際の平和と安全に対する脅威を構成する」と述べている。 「人間の悲劇の規模」が国際の平和に対する脅威とされた初めての事例である 138) とともに、人道支援目的で国内紛争に武力行使が許可された初めての事例であ る。さらに、1993 年 3 月安保理決議 814 により、ブトロス ・ ブトロス - ガリ事 務総長の「平和への課題」に基づく拡大 PKO である第二次国連ソマリア活動 (UNISOM Ⅱ)を設置し、UNITAF の任務は UNISOM Ⅱへ移行された。その 後、1993 年 6 月 UNISOM Ⅱ参加のパキスタン兵が殺害され、アイディード派 民兵に対する宣戦布告に近いものとチェスターマンが評価する安保理決議 837 により 139)、憲章第 7 章に基づきすべての措置が授権され、UNISOM Ⅱは紛争 の当事者と化した。 「オリンピックホテルの戦い」では、 少なくとも兵士 500 名、 住民 1,000 名が死亡し、1994 年 3 月にアメリカが撤退、1995 年 3 月には最後の パキスタン兵が撤退した。 以上が事実の概要であるが、ソマリアへの介入は、従来の「平和に対する脅 威」の枠に合致しているとはいいがたい。実際、どの国も自国が外的な脅威の 下にあるとはみなしておらず、また介入を要請する政府は存在せず、危機はソ マリアの実効的な国家権威が存在しないことに根付いていた 140)。ガリ国連事 務総長と安保理は、ソマリアの事態を地域全体の安全に影響を与える「平和に 対する脅威」と認定して、介入を国際的対応として正当化した。しかし、ソマ リアの中からであれ地域の他国からであれ、国際的な脅威を特定することは難 86.

(29) 武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置づけ. しく、この危機は国内的であって国際的ではなかった。つまり、ソマリアに対 する介入は、憲章第 7 章の国際の平和と安全についての文言に依拠しつつ、国 際安全保障の従来の規範を拡張するものとして評価することができる。 このようなソマリアへの介入について、特に米国は、ソマリアへの介入を人 道目的と関連づけて正当化した。ジョージ ・ ブッシュ大統領(当時)は希望回 復作戦を、人々への食料輸送のための兵隊による安全提供という人道機関から の要請に対する、アメリカとその他の国による積極的な反応であると特徴づけ、 ソマリアの人々に対して、 「我らはあなたがたの主権と独立を尊重する」と述 べている 141)。またアメリカ国防長官(当時)ディック ・ チェイニーは、 介入を 「人 道的任務」と描写した 142)。安保理、ブッシュ大統領その他によって引き合い に出された人道的正当化は説得的で、少なくとも西欧と北米においては好意的 に受け止められた 143)。 ii. ルワンダ ルワンダでは、1994 年 4 月 6 日、ルワンダ・ブルンジ両国大統領が搭乗機 の墜落事故で死亡したのをきっかけに内戦が発生し、ルワンダ政府軍とフツ族 民兵によるツチ族およびフツ族穏健派に対する大量虐殺が遂行された 144)。そ の背景として、ルワンダでは、隣接するブルンジとともに、ドイツとベルギー による植民地支配をつうじて、民族区分が固定化、政治化され、人口の 8 割を 占めるフツに対して、人口 1 割強のツチを優遇する政策が実施されたこと 145)、 他方で独立直前の 1960 年頃にベルギーと支配層であるツチとの関係が悪化し、 1960 年ベルギーはツチ族支配者の権限を剥奪した結果 146)、1962 年フツ族を支 配層とする共和国として独立したということが挙げられる。多数派フツ族の 権力掌握により、両部族間の対立は激化し、ツチ族がウガンダ等近隣諸国へ脱 出し、ウガンダでは亡命ツチ族によるルワンダへの復帰および政府改革を目的 とするルワンダ愛国戦線(Rwandese Patriotic Front: RPF)が結成された 147)。 1990 年 RPF がウガンダからルワンダ北部に侵攻し、同国は内戦状態に陥った 後、1992 年 7 月アルーシャ停戦協定を締結し、OAU とタンザニアの支援の 87.

参照

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