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歴史と現在 : E.A.コスミンスキーの場合

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(1)説. " ノト. 持合 よ の. 歴コ A. E. 口. 均は. @" 椅. 「. I. [1 一 1]. ,じ Ⅰ"@. ロ. 現 "ff. W 関心を「 ヤ " にして打ち十でられたも 」. のだったのではなかろうか. コスミンスキー ';、 悦の核心はほぼ ネ,ブ ( 新. 近代化の歴史的 起 :..; とりわけ ‥. イギリスにおける 近代的な企菜緒 " の担 い手の. 経済政策. 生成と市場形成の 基本的な道筋を 明らかにする. として 19 兆 一 1929 年- に発火Ⅰ 1928 一 1935 年- に. うえで, ソ ヴェトの歴史家コスミンスキ. 英 拙論文によって 国際的に発 佃 されている・. 一によ. ). の 叫期 に形成され. ( ロシア榊の論文. そ. る「農民的 -市場経済」に 関する問題提起が 石附先. れはまさに, ネッ プ 期の. ;,f ""市場・農民市場. 史上重要な位 問を ㍉めていることは. これまで. を前 提 とし国家もこの 市場を媒介として 段物を. もしばしば指摘されてきた. , , ・コスミンスキー. Ⅱ. 調達するという 関係が, 1928/29 年以降, 第 1 ケ年 ;iド両と農莱集 Ⅲ化の過程で ,. は, 1928 年-から 1935 年にかけて。 イギリスの ギ: 公認『ホモ清史評論』に 3 編の論文を次々 ど、稿. 次. うした「農民的市場経済」をクスターリ. (「 農. しているが」 , ,そのなかで, 13 世紀イギリス 農. 村山Ⅰ 業 」, もろとも 宋力 的に解体して ,. ㌍唯. 村における賦役と 貨幣地代についでの - 次 史料-. 物は国家が付もしくはコルホーズに. にもとづく繊密な 実証研究の締 倫 として, い わ. 出てて徴発するという. ゆる「領主的貨幣経済」と「農民的貨幣経済」. に 細み替えられでいった 時期にあ だっている・ 」にとっての 逆命的な旋回の 「農民的貨幣 ぉ,を済. という対抗的な 二つの市場経済展開の 流れが存. 5. ,. 「. 田家がそ. 供出を剖. り. ホモ済覚 強制」の関係. 在したことを 指摘した・そして ,荘園領主が交 換経済に人 @) 込む場合, - 般に賦役が増大し 封. 時 :;;であ るⅠ. 建的 支配が強化されたが ,農民経済が℡接に 交. っ たのではなかろうか. 13 世紀イギリス 農村に. 換経済に ソ、り 込む場合には , 貨幣地代が成立し. ついて コ スミンスキーが 芙乱 的に描き出した. 農民が白山して「封建的生産の. 「歴史」像は「 ォ、 ッブ からスターリン 時代へ」. られたと論じて、、. る.. キー・テーゼとしてわが. Ⅰ 文. 解体」傾向がみ. ところで, コスミンス 国での比較経済史 研 ,究 ,. このような農村の 激動は, コス. ミンスキ一にとって 大きな「 現竹 」的明上Ⅱ 自だ. と転換するロシアの 現状に付する 歴史家の「現 在 - 的 関心と, はたして, またどのように 関連. とくに市場構造の 視 " からの近代化研究にも 形. していたのだろうか. 山桜の印池をあ げて歴史. 饗することの 大きかったこの「農民的市場 廿, そ. 家の内面に「 、 ち入 ることは難しい. そうした 曳. /l. 」. 袷冊. 「領 -十-的 貨幣経済」とⅠ 農 上巳的貨幣. 経済,との対抗的把握という 観ぷ. は,祖国. ロシアの農村と 農凡に対する コ スミンスキ一の. 付け 挫グた をともなう本格的な 謎解きは川のこと としで, オ,"l:の 卍; 況 証拠にもとづく 仮説的な心 乱 を捉 ボ することが不倫の 課題であ る.

(2) 12 (12). 第 1 号 (1996). 第Ⅷ 巻. 横浜経営研究. [1 一 2] 歴史は「過去と 現在の対話」 (E, H. カー『歴史とは 何 %) であ り, 過去 の出来事そのものなのではない・ 無限に存在す る過去の諸事象 (「存在としての 歴史」 ) のなか から,「現在」 0 間 題 関心からみて 重要な ,知 るに値すると 思われる事件や 関係を歴史家が 主 体的に選択し 歴史叙述として 再構成するとこ. 的舌。 を験に学ぶ」という「知恵の. ろに,はじめて 歴史的な認識. い. 自. が成立する. の歴史」 ). (三木清. ( 「ロゴスとして. 怪史 苦学』 ).. (relevance: 問題意識 ) で ポスタン『史実と 問題意識』 ). 「史実とは問題関連 あ る」. (M. M.. というのもその 意味であ ろう. この意味で「現 在」は,姉木清の表現を借りれば ,歴史の「後 のもの」ではなく , むしろ「歴史の 端緒」であ る. . 「現代」が古代・ 中世・近代・ 現代という. ( そうした形での「過去と. 歴史」への迂回. 現在の対話」. ). が試み. られるのは, ごく 平 通めことであ ろう. この, いわば経験則に 照らして, コスミンスキ 一の場 合ははたしてどのように 考えられるのか. 「もとより. 学 其は,政治の,経済の,社会の. 主であ るのでもなければ , 従僕であ るのでもな ・. しかしながら ,. という よ りは, さればこそ. 学生は,政治とともに,経済とともに,社会と ともに,迷い,. ,しみ,嘆き , またそれととも. に悟り,楽しみ,悦ぶことをあえて嫌うべきこ ととなさず, いわんや 恥 ずべきこととはなさな いのであ る. 役立たんことを 求めてみだりに 世 に出入りするは , むしろ世の負担であ ろう.. し. かしながら…迷悟と。 慶 とを世と共にせんとす. 発展の秩序における 最新の時代であ るのに対比. る学芸が ,新なる命運の下に ,. して,「現在」とは 歴史を作る行為や 認識その. 新なる作法如何につきて 熟慮を凝らし 新に究. もの. (「事実. (Tat-Sache) としての歴史」. ). な. のであ り,だからまた,未来への関係を含む ,. 未来がそのうちに 食い入っている 現在にほかな らない. このことは「現在」が 本来「現代」に 対する否定的な 契機を含むものであ ることを意 味している. 「現在がまだ 現在であ るうちに, そしてわれわれがまだその 形と結果とを 動かし うる力をもっているうちに ,それを今日の歴史 として把握しようと. 努めること」. 『歴史としての. ウィージー. 現ィ刊 ). (P. M.. ス. こそ,「歴史. 静かに ザ るべき. むべきところは 何ものなるやにつきて 大いに 考. うるところあ ろうとするのは ,生の現実に足場 を育 たんとする 学 共にとっては 極めて自然の 成 行きであ ろう」 し 「かようの心情より 出でた 助吉 と示唆とは,世に少なからぬ利益をもたら. すことになるであ ろう.」一一これは, ドイツ 中世経済史の 卵門家であ った上原薄禄 が ・敗戦 後最初に上梓した『歴史的省察の. 新村 剣 の一. 節であ る. 1991 年 10 月,社会経済学会は,. ソ連. の解体を頂 " とする時代の 激動を背景に ,. 「経. の端緒」としての「現在」的な 関心というべき. 済史と現代」を 大会の共通論題としたが ,その. であ ろう. 問題提起で, 岡田泰男はこの 一節を引用し 次. う. .. こうして,「過去と現在の対話」にさいして ,. のように共通論題の 趣旨を説明した.「印判ては. 「現在」的な 問題関心は歴史家の 目を常に必ず しも 「現代」へと 向けさせるものではない・ (「現代史」をやれば「現在」がわかるというも のではない.) むしろ「現在」的関心が 強烈な. 常に動いているが ,. ほど「現代」に 対してよそよそしさを 覚え , 逆. 個々の研究者や 領域のなかで ,. にあ のルネサンスのように 遥かな「過去」. いったかを確かめたい.」。 コスミンスキ 一の場. 一. それも,遥かな「異国」の遥かな「過去」一一 に 新たな意味を 賦与してこれを 蘇らせる場合も 少なくない.後進性の歴史意識 ( そうした「刺 の歴史」の意識 ) の深みから,先進国の「歴史. ときとして大きく 動く. そ. うしたとき,偉大な歴史家がとった 学問的方寸 を 振り返ってみることも. 几む. ・. 無意味ではあ るまい.」. 「時代の大きな 動きの中で, " 驚きや戸惑いが ,. 合も, 1917 年の革命,. ネ ,. ど う 内在化して. プ と「 ネソプ から ス. ターリン時代へ」の 旋回など,時代の動きは稀 有な大きさであ った. この強烈なインパクトが どのように内在化し. 研究業績として 結 " 。 して.

(3) 歴史と現在「関口 いったのか・. その「迷い,苦しみ ,. 嘆き」. (そ. 尚志 ). 派. [原文はロシア. 」. ". 「. 1945 年Ⅰ, 禰宙 正夫 訳. して「,悟り ,楽しみ,悦び」 ) までは, いま 立-. 『イギリス農業史とロシア. ち 入って窺い知るだけの 材料を持たないが ,. 内. 年,所収]. 在化を推量する 状況証拠は存在するのではあ. る. ⑥. ⑦. Ⅱ. Ⅱ一 1]. 題. 牛刀 引. ( 未来社 ). 1969. 「イギリスの 農民 史 と農 業 史の研究」. [ 原文ロシア語Ⅱ. ま いか. 13. (13). 「. 947 年 ). r。℡ :, 所り期. 15 世紀におけるイギリス 農業史のま む HH. 洞 上 (1948 年 ). 旧訳,所収. 」. は ヮ ルシャ ヮ で生まれ, 1910 年に モスクワ大学文学部歴史哲学科を 卒業, 1915 年. Evolution of Feudal Rent in Eng. land from lhe XIth to the XVlh Centuries, in: Raastandprresent, N0. 7, April 1955 項 文 ロシ ア語 (1955 年 ). 邦訳「イギリスにおける 封建. から同大学の 教壇に立ち, 1934 年, 歴史学部の. 地代の展開. [. エヴゲ ニー・. Ⅰ. 創設から 1949 年までその中世史主任教授として ⑨. ま. 一に新設された. 年には科学アカデミ 一の正会員、に選ばれた. コスミンスキ 一の学問的関心の 中心は ィギリ. (1955 年 9 月・ローマ ) における 報ヂ ; [原 文ロシア語 (1945 年 ). 岡本哲男・福富正実 訳 」. のような著書・ 論文があ る.. HistorV,. in:. Work rhe. on. Econo,. 用,た. EconomiC. History3, Rev.ie,,・ て. Source. ぬHR,. The for. Hundred. Agrarian. m /l, Jan. 1931. eU. 「. OPeenne. a. as. H 兎tory,. in:. ln, S ナはガ. :. Ⅰ. 田. の 抑 。Ⅰ グガ ?. れ. [ ローンア 語. 脱文. lll岡 亮一・ 袖冨 正実 [>川編. 『資本主義への 移行論争』. (三. - 吉傍. Ⅰ. 1963 年,. 所収 ]. (1926. [ ロ、 ンア語 ;論文. Ⅰ,. A4 グ朋びパガ 。 3 り戸 。Ⅰ f, , Milano, 1957. (1957) の邦訳. RollS of 1279-80. EngIish. l,epoque de la decadence de leco-. comme. nomle. [EcHR と略 ], 1/2,Jan. 1928. ②. Peut-on considerer le Xn, et le Xve sie-. ⑪ cles. EngliSh. (有 斐閣 ). 1960 年,所収]. り, この分野についての 主要な業績としては 次 RusSian. 第 10 回国際歴史家会ま 義. 編 『ゲルマン共同体の 基本構造」. ス 社会経済史, とくに 13 一 15 世紀の農業史であ. ①. 「ソビエト歴史学における 西ヨーロッパ. 封建制度の基本問題. 1946. 歴史研究所で 中世史部門の 主宰老となり ,. 11 世紀より 15 世紀にいたる. 」, 秦訳 ,前掲書 ,所収 ]. 在職した㈹.その間, 1936 年に歴史学博士, た 同年からソ連邦科学アカデミ. The. ⑧. (E. A. KOCMHHCKHH,. チ・コスミンスキー 1886 一 1959. アレクセーエヴィ. [D 一 2]. コ スミンスキーはマルクス 圭- 勇魑. 年 7 を 増補改訂版から 英訳.邦訳「イギリス 農. に 立つ歴史家であ ったが, ドバマ的・超越的な. 業史の 一 資料としての 1297 年のハンドレッド・. 教 條 主義とは無縁だった. かれは, 中世荘園に. ロールズ」,奏文 龍訳 『イギリス封建地代の 展 開』 (未来 社 ) 1956 年,所収]. 関する「古典的学説形成 期 」を代表するヴィ. S 。,、 , ices and Money. Renls ;n the Thir-. teenth Century, in: EcHR, 文は ロ、ンア 諸口 929 年 ),. V /2, Apr. 1935 [原. ③. る賦役と貨幣地代」, ④. チは百. H、. 前ヰ窩訳書,. 「. 13 世紀におけ. 所 りえ ]. St ぴ祐俗肋 A ど田Ⅰ加れ Misto0 , 0Ⅰ E ng 肋材 れ. グ ラドフ あ たり, ト. 甲 aul G;. Vinoe. 「. ado. ノ. Ⅲの孫弟子に. また「古典学説崩壊 期 」の名著『ワッ. ・タイラ一の 一 % 』の老者ペトルシェフス. キー. (℡ mit ㎡. PetruShet,Sk りの弟子であ った. そして たしかにポスタン (Ⅵ chael M Postan) とならぶ「新学説建設 期 " の 旗手と 」. 肋 fh, T 肋 rf,," 研 C,"z" り , ed. by R. H. H Ⅲ on,. して先学にあ たるこれら自由主義的・. OXfo,d, 1956 [原文はロシア 語 (1935年 ). 改 "訂 増補版 (1947 年 ) による英訳 ] ⑤ 「イギリス農業史と 歴史学のロシア 学. 的学派の業績を 厳しく批判したが 一一一そうした. 「ロシア学派」の 伝統を誇りとし. 実証主義. その「半円. 的成果を汲みとれるだけ 汲みづくしていこうと.

(4) 14 (14). 横浜経営研究. 第 ⅥⅡ 巻. 第 1 号 (1996). する」姿勢を 堅持しつづけた. ペトルシェフス. 1947 年版 ) は「進化論的バイアス」の 外皮で分. キーはリッケルト や ヴェーバ一のほか ,. かり難くなっているが ,. 「. とくに. ド 一プシュ博士の 興味あ る経済発展理論の 影 ( コスミンスキⅠ上記論文① p.. 響を受けて」. 217) 封建社会における「貨幣経済」の 役割を さかのぼらせ. 14 世紀イギリスにおける 貨幣. 経済の農村蚕食が「 ホ ブルジョ ワ的 農村クラー. ク階級の成長」Ⅷワット・タイラ. 一の一校』第. 2 版, 1914 年 ) を促したことにくわえて. 最. 「. 骨 だけにしてみれば. 説得的」で, 「史料の裏 付けも確りしている」 と評している ,ポスタンによれば,. キーは「市場構造」や「人口変動」など. ,新し い 成長論的接近に 消極的で,その 意味で「コス ミンスキー,テーゼは 誤りというよりも 未完. 成」だというのであ る・ そして, この「未完 成」は,「進化論的バイアス」とともに ,「ロシ. 盛期マナーそのものが「領主の. 商業企業」であ. アの現 局面」 叩 戦争と政治」. ることを強調して. 版, 1927 年,な. が少なくないと ,. ( 同上,第3. ). に起因すること. ポスタン. コスミンスキー. ど ) 正統派マルクス 史学の批判を 浴びていた.. 論文の西側への 最初の紹介. しかし コ スミンスキーは ,. の批判者でもあ った「ロシア. ド一プ シュ白 9 「荘園. コスミンス. (翻訳 ). 老であ りそ. ( ベッサラビア ). 資本主義」説の 概念や用語に 反対する一方で ,. 生まれ」のボスタン. ペ トルシェフスキ 一の事実認識は「マルクスか. めに弁明する 鯛 .. ら遠く離れ去ってはいなかった」ことを 強調し その「著書はマルクス 主義の言葉に 容易に翻訳、. 来の「伝統に 対する攻撃」が科学アカデミ 一で. することができる」という 立場をとっていたと. 再燃したがⅢ. し、ラ. sl.. Ⅱ 一 3]. 中世経済史に. コ. スミンスキ一のた. 第 2 次大戦後ヴィ ノバ ラドフ以 コ. 国際歴史家会議. コスミンスキーは「ヨーロッパ. は. スミンスキーはその. 後も ,. (1955 年 ) などで,「西ヨーロ. ッパ中世史にかんするソビエトの. 学者の研究は ,. ついての現代の 研究家」の課題として「封建経. ロシア史学のもっともよい 伝統をうけついでい. 済の正確な理論的分析と 正確な用語法」を 一一. る」と発言して「ロシア 学派」の伝統を 誇って. 『資本論』第. いる. 3. 巻における 前 資本主義的地代 諸. 形態の規定を 出発点として. 身につける必要. を強調した・それとともに「しかし 理論的諸 問題の考究と 解決は,いずれにせよ ,歴史の具 体的研究にとってかわれるものではない.」 「個々に多様な 封建経済についての 経験的研究. (⑨邦訳. p.l).. それはこの「スラヴ 的伝. 統 」がロシアの 現実に根ざした 問題意識をもち , それゆえに国際的にも 独白な水準の 高いアカデ ミズムを形成したという 衿特 にほかならない. コスミンスキーは「イギリス 経済史に関する. を整理し体系,化する」こと,そして「個別史料. ロシア人の業績」 を紹介した 1928 年の論文 (①Ⅰや「イギリス 農業史と歴史学のロシア 学. の批判的価値評価によって ,一方的史料選択に. 派」など戦後の 諸論文. もとづく定式化を 排除する」ことこそ ,かれが 重視し実践した 歴史家のアカデミズムなのであ. ぜ多くのロシアの 学者がイギリス 経済史, とレ1. った. (②. p.19). だから,西側の代表的なマル. クス主義の歴史家ヒルトンは. の著書の英語版編者序文で ,. ,. コスミンスキ 一. (⑤⑥⑨ ) のなかで,な. わけても中世農村史を 研究してきたのかと 設問 して,あのヴィ ノバ ラドフ以来の 伝統に触れ,. それが「純粋,抽象的な学問的関心」というよ. 「マルキストでな. りは「ロシアの 歴史的発展によって 削 りだされ. くても, またマルクス 史学の方法を 深く知らな いでも, コスミンスキ 一の仕事の真価を 認める ことができる」と 害いている (④ p. xvj).. p. 208) 研究であ り,「生活のもっとも 緊急な諸課. 「. ド一. プーン ュ. 主義・ 新 マルサス正義」といわれ. るポスタンでさえ ,. コスミンスキ 一の新著. (④. た ;状況. [への現実的関心 ]. に 根,ざした」. 題と切り離しがたくむすび」ついた ,. という酵母」. (⑤邦訳. を強調している・. (①. 「緊急性. p.7) の所産であ ること. 周知のように ,. ヴィ ノバ ラド.

(5) 歴史と現在. 油 土-.. (関口. 後者が. フは 「われわれロシア 人が村会 史 吐くにイギ リス中世農民村会則. に 8。 @ をもつのは・ せ. われ. (15). りヴ ,-. ト. 15. ] 農十 す社会の現実に 対する. 鋭い問題関心を「ロシア ,派」の伝統とともに. われ自身 が [1861 年の ] 農奴 角 ¥放という村会, Y.:. 継承したであ ろうことは, むしろ当然というべ. 命によって生み 出された環境のながで 什括 して いるから」だと 述べ, 西 l 穴においては 全くな j-. 「農民 史 の 諸 Ⅵ題は, 史 -- 肢 初の労働者と 呉民. 古家の研究に 委ねられている 諸問題が, われわ. の国家において 糊しい 緊 、要 , l" モ をおびてきた」と. れにとっては 現代的関心をひく 論題であ る,こ. 甘 き, イギリス史についての「新しい. とを, 19 世紀の末葉に 力説した.帝政ロシアの. 史家たち」は「新しい. 歴史家たちは ,. 史料 -」「新しい組織的な 研 ヅE"ノゴ @dJ: ( とくに「 自。お. 「. そ. こうしで, 農奴制度とその 村ミホ 色 ,. 農民共Ⅱ 体 ( そのロシア 的 特質, :1,, 余力, その. きであ ろう. じっ さい, コスミンスキーは ,. 世代の歴. "力"法論的Ⅱ 場 」「新しい 」. 変質と解体 ), 資本主義的関係の 成長との関連. 討巾、y 方法」 ) を せ、i宏 とすると論じて、 、 る @⑤ 邦 訳 p. 34). この場合, 7行政木 肌 の 帖照 昭代 に. における農民居の 運命と農村発展の 迫について. - 反政府リベラル ズ の主な白 己 表現の手段とな. 先進諸国とくにイギリスの. 過去をふりかえり ,. ったのは。 円山な諸国の 民主-的 諸制度に対する. 「比較のポイントを 捉ボ. して「歴史の 光のな. ㍉. かでⅢ題を解決」. 」. しようと試みた. 「西洋の歴. ;:者やジャー ナ リズムの 賛 円だった - (①, p. 210) という. コ スミンスキ一の 指摘と似て, か. 史から,何がとくに避けるべきであ り何が目指 「どこまで されるべきなのかを ,ぶ 」こと. 在 - 的 問題 お 識を外国史研究, それも 13 世紀イ. が普遍的,性格のものであ り。 どこまでが異なっ. ギリスについての 地味な実証研究に 託して燃焼. た m;況で生きている 何 % にとって避けたり 修正. させ, -J;: Ⅲ的に引,億 させようとしたことはなか. したり出水るものなのか」 ". ということ. ったのか. ヒルトンは, ロシアの輿付 が 「驚く. Ⅱ. が,. れ白身, ソ ヴェト農村の 現実に対する 強い「現. 「ロシア学派」の「 鍵 となる @.S] 胆 」。 , ・だったと. ほど中川 : 的」だったから「 ソ ヴェトの歴史家が. いつでよい 肋 .. 中世イギリス 農村史に取り 組むとき. 後進国ロシアの 歴史家は, 先進国にはない 鋭. の 歴史を想い描いていたのも. 目. 国の農民. 当然であ る」 とし. い現実的な問題 観と 強烈な実践的な 欲をもって. たうえで, 「コスミンスキーがどのような :;;で. いただけではない. これもまた コスミ シスキー. ロシアとイギリスの. が指摘しているように. ,伝統的諸制 田の特徴小. ぬ n 引 。 )gles) が成り立つと 考えていたかについ. ;-大な農業国で 生活し. ては,読者各自の見 ・方に委ねようと 思う」と 述. を未だ多数保持している た 歴史家たちは ,. @. そうした「例覚的な 経験一の. べている。 ④ p.. x. ⅤⅡ. 農民也のあ いだに類推. f.). どのような - 類推」. おかげで伝統的な 農業社会についての 毛上地. が旧されていたのか ,. 勘 きに " み ,. こで コ スミンスキ一の 学説の,i,j. 糾 .みをもう少し. 「特別の繊密性,明確性,透登性」. をもって西欧中世社会史の 複雑多岐な迷路の 探 索に取りかかることができた. は. 。. 西洋の研究者の「弟子や. たのであ った. (⑤邦訳. そして, ロシア人の研究業績の 国際的 イ ンバク ト. Ⅲ. 模倣者」ではなく. p]. 8: cf.① P.226f.).. がもっとも 顕 若だったこの 中世イギリス 農民. こ. ,ち入って 研認 しておこう.. こうしてかれら. 「独創的・自主的な 研究者」となることができ. 考えを進めるために ,. [m 一 l ]. 前述したように. ,. コス. ミ. シス. キーは, イギリス封建別の 最盛期といわれる 13 世紀のマナー 制度についで ,. 精密な実証研究の. 結倫 として, - 般に「農民経済における 交換の. 村会研究の分野で ,研究史の中心舞台を 占めた. 発達は。 貨幣地代の発展へと 導 いた. 領主経済. のが, ほかならぬ両雄,帝政明の ヴィ ノバ ラド. ・における交換の 発達は, これに反して ,賦役の. フ と 革命後の コ スミンスキ一であ るⅡ・.. 増 大 へと 博 し、 た. 」. (③. p.43[ 邦訳 p.54]). と指.

(6) 16@ (16). 横浜経営研究. 第 ⅥⅡ 巻. 第 1 号 (1996). 摘し ,前者では農奴制は弱まり,一般に封建経. で,. 済が崩れて い くが,後者の場合は , 逆に封建的. の学説の「画期日 り 」意義に い ちはやく注目し. とか「大規模な 資本主義的または 擬似資本主義 的企業」 (la,ge scale "capitalist"or "quasicapitalist" ente,p,j,e) などと称している 19,.. た 1" 大塚久雄は,いわゆる「農民的貨幣経済」. コスミンスキーは「当時の 修道院は非能率で 立. ( 「農民的市場経済」 ). に関するこの コ スミンス. ち 後れた経営者だったのでなく」,「市場での 需. キー・ テーゼを発展させて ,近代化の歴史的起. 要が増加すれば 賦役制度をこれに 適応させる. 点における構造変動の 独自な理論を 構築した. 近代的企業経営形成の 担い手とその 市場構造に 関する「農村工業と 局地白 9 市場 圏 」論がそれで. [賦役を増強する ] 」だけの打算に. で最も進歩的な. あ. 働」にもとづく 弱点をもち,やがて. る・. ここでは, コスミンスキ 一の「農民的市. 農業企業」. conce,n. ㊥. 長けた「最良. だ っ たが,反面, ・. 支配が強固になる 傾向があ ると論じている. こ. (capitalist. 「資本主義的企業」. 「生産性が低くて 旧習墨守的な 強制的な賦役労 「貨幣. 場経済」論について ,その意味するところを,. 地代を支払う 農民に. 本稿のテーマと 関連するかぎりで ,. 衰微すると論じて、 、 る (③ p.42[ チ ト訳 p 5If.];の p.2). (2) こうして コ スミンスキ一にとって「農 民による市場生産」が研究の焦点になり ,それ. もう少し具. 体的に説明してみよう. (1) それまでの古典学説は 領主直宮地と 賦 役. (労働地代 ). を特徴とする 典型的荘園が 全国. 一様に遍在していたとしてきたが ,. コスミンス. キーはそうした 古典的荘園は 主として東南部の 巨大な宗教 領 に多く,北部の中小規模の世俗的 な所領では貨幣地代が 支配的で,いわゆる非荘 園的所領の姿をとっていたことを 実証した. そ して, 「大所領が封建的生産の 牙城であ るのに 対して,小所有地は通常封建的生産の 解消を連 恕 させる形態,6,であ る」から,「残された 記録 は少ないが」, この小所領 支払い農民の 経営 ) の動向. (小領主や貨幣地代. 「封建制の境界. よ. る市場生産」に 破れて. はやがて「農民的商品生産者の. 小ブルジョ ヮ的. 経済 (thepettybourgeoiseconomyofpeasant commodityproducers) は資本主義経済への 掛 け橋であ った」と総括されることになる (⑧ pp.26,30[ 邦訳 pp.158,167]). そうとはい え, 問題は完全に 解決されたわけではない.上 記のように,貨幣経済そのものの発展が 賦 7支と. 農奴制の強化に 導いたという 歴史的事実の 存在 は,市場の拡大一般が,いわんや荘園組織の外 側で発達した 商業の衝撃が ,封建制崩壊の少な. 外 」の新しい発展Ⅲ一一がもっ 決定的な意味. くとも十分な ,. に 注目しなければならないと 説いている. (③. いことを示していた・そして. p.40f. [邦訳 p.49])18,. 非荘園的セクタⅠ. と. また決定的な 要因とはなりえな ,. コスミンスキー. スキーが「領主的」と「農民的」という. ,貨幣. @)わけそこでの 中小農民の「市場と 営業」につ いて「パンドラの 蓋 」が開けられたのであ る. なお, この場合, 「封建的生産の 牙城」であ. 経済・市場経済の 対照的二類型を 構想し実証し. る 大規模な古典荘園, したがって「労働地代は , 最も人口が調 密で, 最も工業化され ,交換とタト. キ 一に対しては ,. 国貿易に最も 巻き込まれていた 地域で , 最も強. くみうけられた 口 (③ p.40[ チ陣尺 p.47]). 東南 部の修道院に 代表される大所領は ,直営地の賦 役労働で生産した 穀物や羊毛をロンドンや 海外 に販売する「企業的マナー」であ り,ポスタン などは,利潤目当ての市場向け生産という 意味. たのは,問題への「市場」的接近を前進させる 画期的な業績であ った・. しかし. コ スミンス. 「市場構造」的なアプローチ. の視点が不十分で 暖昧 であ り,具体的な「市場. 形態」や「市場の 性格」が描かれていないとい う批判があ り, かれ自身も主著の 英訳 版 (1956 年 ) でそのことを 認めている,01. このような限界はあ ったが, コスミンスキー がすでに初期の 論文以来,わが 国における比較 経済史の研究が 仝 日 ほぼ共有している「農村工.

(7) 歴史と現在 欄口. (17@ 17. 尚志 ). 業 とその市場構造」 什 局地的市場 圏 - の形成と 拡大 ) の問題 を ,未熟なかたちではあ るがテー. を示しているにすぎない. マ化し始めていたことは ,注目されてよい.す. (②. 点で ,. 「きわめて不完全で 部分的な村落経済 像 ,. 」. とまでいっている. p.36 例 訳 pp.106-108]).. この問題について ,かれは,その 後,適切な. なわち, まず, 1920 年代後半に ロ 、ジァ語で公表. された諸論文で ,かれは「農民経済における交. 史料にもとづく. 換の発達」が ,現実には「局地内市場」での販 売であ ることも「より 遠隔の市場」への 商人を. viii) を書くことはなかったが , 問題の理論的. 仲介とする販売であ ることもあ ったが, 「一般. 市場の発達に 関するグラース. には局地内市場のための 生産が貨幣地代に 有利. の研究を批判的に 援用して, イギリス農村は ギ-. に 働いた」と述べ ,. くから 櫛 密な. 「イギリス村落における 交. 換経済の広がり」に 着目した (③ pp).43,45[チ @; 鰍そ pp.54,57)). そして,局地内市場の 背後に あ る社会的分業について , それを検出するには 不適当な史料であ るにもかかわらず -. いられたハンドレッド・ロールズは. 主に用. 耕地保有者. を対象とした 地籍調査の記録であ る -. -, たと. えば「農業以覚の 職業を示す名前の 多彩 どからみて, かな 村 に混住し. ) れ. さ 」な. 多数の手Ⅰ業者や 職人が農. また副業的な 農民工業が存在 - した. 言ゑ. 「完全に新しい. 著作」. (④. p.. 識をひくつかの " で 深めている, まず,穀物 。 N.S.B. Gras). 最も遠方の農民でもⅠ. 日. 以内. 「小市場町」で 覆われてお。), 領主が主として「遠隔地取引」に 関係したのに 対して,農民は主としてこの「直近の」「局地 内市場」に供給したことを 確認した (④ pp. 323-326). また, 「社会的分業の 展開,非農業 人口の増加, したがって国内市場の 発達と食糧 需要の拡大」が「農民に よ る市場 生-% 」を促進 で 往復できる. し 「農民. ( および労働者 ). 国内市場の成長を. の購買力の増大は. [ いっそう ]. 助長した」ので. ものと推定する. そうした村民の「名双やニッ. あ り, 15 世紀にみられた「生産と 市場における. クネーム」として 例示されているのは ,以下の. 全 ,性格の根底的な 変化」は, こうした 12 一 13 世 紀以来の発達の 帰結にほかならない ( ⑧ pp.. とおりであ る.. 18,26f. [邦訳 pp. 142, 159]). こうして コスミ ンスキーは, 15 世紀における「 [特例都市の. く 織物業関係 茅 Draper, Comber, FulIer, Napper, Cissor, Parmentarius, Tailur, Tinetor, Textor, Textrix;く 金属 業 関係 茅 Faber, Ironmonger, le Ferrour; く 皮革 業 関係 茅 Tannur, Sutor, Corduanarius; く 木工・建築. 衰退」と「農村Ⅰ 菜 横本主義的マニュファク. 関係 茅 Carpentarjus,Couper, Ce,mentarlus,. とと, 「一国の経済発展の 水準は輸出の 規模に. Masun,. Piclo,; く食Ⅱ口生 ・産声. Carn Ⅲ c 、 ],,. Cocus,. チャ一の基礎 コの 発展」に 吉 反し 「イギリス の工業は都市の 枠内にはおさまらなかった」 よって規定されるとはかぎらな (の. Braciator, Baker, Hstor, Lspicer; < 商業 茅 Chapman, Monger, MerCer, M 。ト cator,M ercatrix,W ollemoneer,C ornmoneer; く 専門職 茅 Barbedor, Medicus, (:apeIlanus,. するのであ. Oericu 銭く 園芸・畜産等 茅 Bercarjus 、 Ga,-. nomic struggle). diner, Grazier, Porker, Vaccarius,. 的闘争」. P Scator,. る. い 」ことを強調. p.80).. (3 ) 13 一 15 世紀のイギリスでは , 「農民に よ. る市場生産」と「直宮地における. とのあ い だで, 市場競争. 市場生産」. ( 「経済的闘争」 eco-. と ,その前提をなす「経済覚. ( 「農民の営業. (peasanltrad めに対す. Venator.. る封建的制約の 廃棄」をめぐる 抗争Ⅰが高揚. コ スミンスキーはこれらの 事実から,ハンド. た.. するく窮迫 -%). イギリス農村に 関する新学説も ,. 産し始めた」民出の. 非農業的職業人口や 日雇層を描き 切れていない. し. 農民の反抗は 領主の「圧迫の 増大」に起因. レッド・ロールズに 依拠して彼が 提出した中世 農村における. こ. ではなく, 「市場のために 生( 営業の自由,. を求める運 動であ り, ワット・タイラ 一の 乱 (1381 年 ) は.

(8) 18 (18. 横浜経営研究. Ⅰ. そのことを示している. 154-159]). (⑧. 第泊 巻. 第. Ⅱ. pp.24-26[ 邦訳 pp.. 乙 ,.. 1. け 996). 号. 資本家的農業経 " に 成長するが, その一部は騎. 士のタイトルを 手に入れて「新貴族」の 一翼を. ところで, この時代の「 生茂と 市場における. 全性格の根底的な 変化」は,不自由労働と経済 外 強制に依拠する 大規模な「企業的マナー」の 崩壊と「農民による 市場生産」の 興隆として展. 構成する.封建領主階級も , 「. 旧 貴族」. (バロン. 層). と,. を 特徴づける「新貴族」. 大荘園領主- であ る. その後のイギリス 史 ( ナイト. 荘園領主・騎士・ジェントリー」. 層). 一. 「. 小. へと階層. んで, いわば全面的なセクタ 一間抗争の結果だ. 分化して同質性を 喪失し後者が絶対王政を支 えることになる (③ p.44f. [邦訳 p.55-58]; ⑤ p.21; ⑥ p.39f.;の pp.94-99; ⑧ p.30f. [邦訳、 p.. った .. 167]).. 開したと同時に , 先に引用した「 [特権. コ. 都市. の衰退」と「農村工業の 発展」という 局面も含 コスミンスキーは ,一見「市場の縮小」. を示す「封建的大経済. (市場のための. 領主直. 営 ) の衰退,支配階級の収人の減少, " 特権 都. 市の衰微…. しかし他方, 農民層の収入の 増大, 農村工業の発展,封建地代の貨幣形態への 移行, 国家の貨幣租税の 増大, これらのことはすべて 内部市場の拡延を 物語る」と ォ甜尚 し この変化 の原動力を「自由な 小生産者の経済」に 求めて いる (⑳ pp.565-568). (4) 最後の引用文 (そこでの地代の 減少と 租税の増大という 指摘 ) に関連して,国家構造. ところで, イギリスの封建王政について. ,. コ. スミンスキーは「中央集権 化された地代」 (centralisedrent) という歴史的概俳を 提唱す る.貨幣地代が一般化し地代水準が 同定され. 低落して封建領主の 収入が減少すると ,かれら は「国王によって 創出された [財政・裁判,行 政の国家 ] 機関に寄生的にくいついて」, 中央 といわず地方といわず , 各種の役職を 利権 の源. として活用した. 国税をはじめ「あ らゆる種類 の合法的. ( また非合法的りな. 収奪」が , 失われ. ギリスでは「農民経営の 市場関係に対する 領主. た地代 牧 人を埋め合わせる 手段とされたという のであ る (の p. l00; ⑧ pp. 30, 33 [邦訳 pp. 166, 171f.]). [封建 ] 地代から [集権 抑 租税 へ 「国家 [権 力 ] と農民 [経営 ] 」の関係,. の干渉が排除された 結果,農村のブルジョ 7 曲. が正面に登場して ,. 変質への道が 切りひらかれ」「富農. テーマではないが ,布皮革命期の 反独占運動や. とその基礎にあ る社会層編成についての ンスキ一の立論から ,. コ スミ. さしあ たり注目すべき 二 ,. 三の点に触れておこう.. まず, 14 一 15 世紀の イ. けぅ 一ク. が 小経営 主 をしだいに駆逐して」いった. ). (の. 内国消費税の 問題が展望されてくるのであ. p.82f.). コスミンスキーはここで ,定期借地 を追加し隣人を 雇用して経営を 拡大する比較的 富裕な篤農 屠る 「クラーク」 (kulaks) という 「いまやイギリスの 農業文献で専門用語となっ た」ロシア語で 説明しているが ,. それは, この. 時期のイギリスの 富農が「 19 世紀ロシアの 農村. 史上の対応物 (counterpart) [ スターリン政治. もはや コ スミンスキ一の. [f. 一. 2]. 「農民白 9 市場経済」を キ. る.. 一概念. とした コ スミンスキー 学説の基本白りな 骨格が形 成されたのは , 1920 年代後半を中心とした 時期 で. (論文②③ロシア. 語版 1926.,29年, 英語版. 1931.,35年 ), それはネップ (新経済政策 ) と その崩壊の時期にあ たっている.学説形成の時 代的背景を簡単に 振り返ってみよう 23). 1 ) ネップ期のロシアは ,戦時共産主義と. 体制のもとで「清算」 されたロシアの 富農 ] と「多くの共通点をもっ」 " と 考えて,両者の. 30 年代スターリン 体制の狭間にあ って権 力の箱. 比較を俳頭にしたからのことであ. ( たが ). 」. ろう.. (. が緩み , 「パンドラの 蓋. (ふた ) 」が開. ともあ れ,農民居 分解のなかから 形成された この「富農」 層 ( 自由保有 農 上層 ) は, 「比較. 営的な意欲と 志向,その「市場と営業」が垣間. 的小さなジェントリー」の. 見られた一時期であ った.革命後の ソ ヴェトに. 手作り農場とともに ,. いて,素顔の民衆の営み, とくに中小農民の 経.

(9) 歴史と現石. (関口. (19)@ 19. 尚志 ). おける社会主義Ⅰ 業 化の路線は, 大局的には,. 菜製 Ⅲ・に対する " 要は国営の大規模なⅠ茉が」. 「農村」を犠牲にしたⅡ 大. 満たすにしても ,. 「都市」. 国 " 工業の. 「農村はその 内部のⅠ楽生産. 一挙 的 建設という, その意味で,産業構造の面. 力によってⅠ葉梨,,を得る」という 構図が成 ,/". では「ガーシェンクロン・モデル」に. していたのであ る. この場合, 農 此は「都市か. 描かれた. ら離反した白絵 的商 Ⅰ 業圏. ( 「都市から分離し. ツァーリ工業化の 後進国型「大躍進」を 踏襲す るものであ った. とくに 1929 年に始まる全面的. た 独白の理 付 商業 圏 」 ) を形成するとⅡ時に. 集団化の過程では ,農村においても「小規模な. 穀物に対する 地域内販路を 拡充することができ. 個人経常を大規模な 集団へと統合し 改造す. Ⅰ. る 上 4.政策が強行され ,初期にはh-:大 コルホー. スキ一の研究。 1927 年 ) は ,. ズ 建設の「ギガント・マニア」. ( け. (f"WW.) 毛 の嵐 ノ. ,2. 穀物市場に関する. お. 」. エ. ヌ・. べ. ・. ,. オガノブ. 「,村内市場」を. 犠牲にした帝政則 の ,村外搬出 (「海覚市場」 [飢餓輸Ⅲ. と「祁山・Ⅰ. 莱 市場」の優位 ). 対比して, いまや「 農 施物 商 ,。流通半径のり X. >".. 縮 - すなわち「海覚市場の 縮Ⅱ、とそれを犠牲に. ・. さえ吹き荒れた ,, 綿 Ⅱ 集 @-Ⅱ農場は「伝統的 な村落単位での 建設」に 収 叙する 汎 いずれに せ よ, 。 「農奴 制 」の復活についての うわさ. した農民六曲Ⅱ流通の 坤 大 」という方向で 大き. さえつきまとったこの「不日出な」集団的労働 組織から,国家・ 国常に業は食糧や 原料を強 Ril. な「市場関係の 構造変化」がみられることを. 的に調達した. けれども. ;;沖りに 検制. 」. 巾 シアにおける 資本. ラ. がボす よ うに,帝政ロシアの農村には 経 " 的な 巳"i"斤モ ヰ月 Ⅰ. ・(. ク. Ⅰ 茉 ) が 軸物. ク ) や農民的山Ⅰ 業 に. 存続し ". ( クスターリ. そのなかには 戦時. 共産主義の風雪に 耐えたものも 少なくない.. ネ. ップは, この農民的・ 小生産者的発展の 強靭な 生命力に信頼して ,. 「農民的市場経済」の 内発. している "... 流通」. ( およびこれを 補完するバザール 柑圧の. 「地区間農民山流Ⅰ 剛 ). を 足場として「十 - 地利用. の規制から逃れでⅠ 業 的な /]、 商品生産者として 不断に成長をとげる 吋能性 」を有していた・. 」. @L織. し. 材料, 設備を白山 に 購入し. み. 化をはかろうとするもので , 1928/29 年に第 1. 什,施物を自由市場に 向けて売却」する 権 利 --. 、大 5. 「. 決定されるまで. 農. 此は「国有化も 公有化も家ることなく 白山に ク スターリ 的 副業に従 申 し 「小規模な企業を. 的発展を基盤とした 漸次的なⅠ深化・ 社会主義 ケ 年計画と全面的集団比が. 。お. 舌. ともあ れ, ネ、 ップ 期に 農 火は「地域的農村内. 主義の発達』についての「レーニン・モデル」. Ⅰ. と. 」. 「原料・. 回嫁こ さ. 農ドの Ⅰ茶梅 - 。 " 業の山 1]@ を 認められ @ と だ堅 上地の関ィ系も 市場. 短期間ではあ ったが党中央の 路線として実施さ. ていた ".. れていた.. ・によって 結 はれていた. 「国家やそれに 準じる. ネッ 7 期のロシアの 農村にはクスター T 菜 (農民的 山 Ⅰ 業 ) が広範に根づ い ていて (. リ. 2. Ⅰ. 。. ガ司. ]圭機. 閃は, 農民が九典する 農村の市場に 入り. こみ。 国家に必要なほの 穀物を lW 付けてい. 搾油,製粉,パン 焼きなど食品川Ⅰを 営んでい. た Ⅱのであ る ( 3 ) クスターリ @ 業の族生,・ 繁栄は, しか. た. そして。 およそ 10 キロを「引力 -Tf 、 径 」とす. し 都 "両国,. るバザール村に 週に --,. 権 ブ ] のⅠ,渉をよびおこす.国 , ;"%L織 と農民的山. 農具や調度品,衣服,織物,靴などを 生 施し. ニ 度とか年に. --. 回から. 数回の定期 市 がたって, 農 施物や手Ⅰ 業製 Ⅱが. れ午. Ⅱ粟. との 軋 礫を増幅し. ソ. ヴェト. ド. 下. 柴 との「セクター 問対抗」は, とりわけ 束姐力. 取引されていた. 農村定期 市は 「本来大出消費. や原料,の「調達危機」をめぐって 先鋭化し. 材 ,特に農民用商品の実現の場」であ り, また. ノ」. 「特にクスターリー T 菜にとって 重 要 - な市場だ. 荘ま 済の深部に. った. つまり. 「都市型の製 ,,を生 . 産 する 国 "" l.. 業 」は農村には 不必要だったから , 「都市のⅡ. 権. 村 農 村 の対抗 閂係 としてあ らわれた・ 農莱. 竹原料の独。 の 加 1. し「 商 ,流通の小さな 圏 深化した結果,. 国. ". l. 」. 「農村 が」進展. 什農 上曲 」流通」 ) が ノ. 業を軸とする「 商 ,流通.

(10) 20@ (20). 第Ⅷ 巻. 横浜経営研究. 第 1 号 (1996). の 大きな 圏 」を商品が「素通りして」 い るとい う時人 ( イェ・エス・カラトゥ ィギン ) の分析. 製品を買取らされておりまた 低価格で穀物を 売. が示す よ うに, 「調達危機」は ,農村内市場の 深化,バザール取引の活発化によって ,公的機. ととなった 3,). 関がバザ 一ル市場に入りこんで 穀物や原料を 買. ル では多様な「農工結合論」をめぐる. 付けることが 困難になるという , 民白9. 市場経済」の 発達 単 に よ る そ 「体制的危 機」茅を意味していたのであ る・ちなみに ,国. とくに, 「精農」を「クスターリ」と 結合して 「地方から,下から,小さな全一体 (ueAoe) を創設し「小型」で「分散」的な 農村電化,. 家が農民から 市場を通して 穀物を取得すると か. 協同組合による 流通機構の近代化. う. 「調達」方式は ,ネップになって穀物の徴発 制度に代えて 食糧 税 が導入され, 1924 年以降そ の納税が貨幣形態に 一本化された 結果本格化し. パ. 」. たもので, この貨幣 税と 穀物調達とが 一対とな. ニ. プレオブラジェンスキ 一路線の対立,. まさにく「農. って, ネップ期における 国家と農民の 基本的関 係 が形成されていたのであ る,. 穀物や原料のほか ,労働力の「調達危機」も あ り, また「販売危機」も 問題になっていた. クスターリ工業は「都市の 大工業から労働力の 最も重要な源泉を 奪い」, また「農村でのクス ターリ製品の 消費の増加は 大・ 中 工業にとって の市場の狭俗化をもたらす」ものと 批判されて. らされている」ことは ,. 当局も認める 周知のこ. なお, このセクタ一間対抗は 政策理念のレベ 論争. (「. ョ一 ロッ. 化 ), そして「文化革命」を 遂行すべきだ と 主張するレーニン = バザー ロフ構想と,都市 国営工業中心の 経済建設をかかげるスターリン に表. 現されている 38). (4) 1928 年に始まった 第 1 次 5 ケ 年計画と 1929 年末から強行された 全面的集団化は ,重工 業中心の急速な 工業化と,そのために必要な農 産物の農村外搬出を 強化するため , コルホーズ (集団農場 ) の建設を課題とした. その過程で. 農村工業と農民的市場経済は 繊滅され,工業は 都市 (国営大工業 ), 農業は農村 ( コルホーズ ). いる 32'. この事実は,クスターリが「農村市. という排他的農工分離が 権 力的に強制されて ,. 場への活発な 適応力」 33,を有したのに 対して,. スターリン政治体制が 確立した・全面的集団化 にさいしては「クラークの 階級としての 絶滅」. 国営工業の側は 概して「市場適合的」でな 34,,混合経済体制となっても 市場の変化に く. 適合した構造と 行動を示さなかった 証拠であ る.. ネップが「都市の 降伏」 (U ban sU,,ende )3" 「. 「. といわれるのは , 「農村工業の 勝利」を意味し ている.. をスローガンに 110 万の農民経営が「清算」さ れ 39'. 同時に「クスターリを. 一 また「クラーク た 40). の公的機関への 納付の強制, バザー ルの. (土地緊縛 ). 包. など,市場に対する国家の 「直接的な行政的介入」がいまや「国営工業の ために農民の 経済的な志向を 踏みにじる企 て」 36)として日常的なものとなり ,こうした経 囲」. (行政的抑圧 ). 済 外的な「貢租」. 一 スターリンはこの. く 中 「. [ 「私的資本家セクター」. 「副業的な営業」者また「投機業者」 ] として」 「絶滅せよ」という 合言葉も一般的になっ. このため,村の製粉 所 ,搾油所,皮革加工所 等々への「攻撃」,加工料の現物での徴収とそ 「. 階級として」. 「農民の工業権 」の剥奪,「農民の身分化」. とともに,農村の市場は「しばし ば 閉鎖され」, 1930 年代初頭には「事実上禁止 的な措置をうけた.」市場の閉鎖は農民の 騒乱. を封じ込める 手段としても 使われた.当時,農 民はコルホーズ 労働の拒否,脱退,暴動などで 抵抗していたが ,「バザール 0 日」には, 「自由. 央 集権 化された地代」茅のことをプレオブラジ ェンスキ一にならって「 ダ 一二」 (貢租 ) と表. な商業」を支配者に 認めさせようと 広場の群衆. 現した. 一一ネップへの 挽歌のように 一一聞こえていた. の 力 により「農民居が 高価格の工業. に呼び掛ける 農民の声が, 1930 年の頃 にはまだ.

(11) 歴史と現在 という .;l... (関口. 尚志 ). (21) 21. 「ロシア学派」の 伝統を強調し. ともあ れ, こうしてネッ プ 期の,農民Ⅰ茉と 農村市場の展開を 基盤とし国家もこの 農村市. その継承者で. あ ることを白質していた. また,かれが捉 示した 13 一 15 世紀イギリス 農. 場で穀物や原料を 調達するという 関係は,国家. 村 経済の歴史 像 ([f 一 1]). がそうした「農民的市場経済」を. ロシア社会の 現実Ⅱ m 一引 ) とを対照してみ. ろとも 暴力 的に解体. 農村山 :1:業も. ( もしくは規制 ). して,農. 産物供出義務を 権 力的に強制するという 関係に 屈服した・. 「体制的危機」. (調達危機. 村内市場の縮小」と 国家権 "力. ) は, 「農. ( したがってまた. 都市の国営大工業 ) による「農村覚流通の 掌 握」. (穀物を農村から. 都市へ切り離すこと ) け. によって「克服」されたわけであ [f 一 3]. ると, 時代と国を興にしながら. 「共通点をもつ」「 ドツフ 。 @@:. ズす. 」. こ物. ソ ヴェト・. (counterparl) (M. 」. 一一酷似した 歴史の構成的要素・ 要. ぅ. 因とその構造連関. があ り。 たとえば「農民. 的山 堺径済 」のような共通した 歴史的概俳や 「クラーク」とか「クスターリ」などの. 用語が. (analogies). が 国営大工業を 中心とした経済秩序との 緊張関. ルト Ⅰ 44t,としても不思議はない.. 係を醸成しつつ 歴史の表舞台でクルーシャル. な. 世紀イ. ぅ. るのであ って, コスミンスキーがそこに「類推. ロシアで, 1920 一 30 年代, 「農民的市場経済」. 役割を演じた 短い一時期に , 13 @15). いくつもの. あ る程度までは 有効な問題発見の 手段となり. る,. コ スミンスキーは ,. と ,かれが生きた. が成り。つと考えていた」. @. ヒ. ・. コス. ス キ ーが イギリス経済史に 取り細む. とき, 自国の「現在」と 対話していたことは ,. ギリス農村経済を 対象として, 「農民的市場経. おそらく間違いない. むしろこの推定を 否定す. 済 」の発展. るほうが,不自然でⅢ難 だというべきであ ろう. ( その「領主的市場経済」との. 対抗. 的性格 ) に焦点をあ てた新しい学説を 提唱した. そして, かれの「独創的」. 中世イギリス 農村社会についてのこの 新しい. 構想が一一たとえばテーゼの 核心をなす「農民. 「歴史」像の 形成は ,. 的市場経済と 領主的市場経済との 対抗的性格」. ネ、 ップ とそのスターリン. な 歴史分析の方法や. 体制への転換という 激動する祖国の 現状のなか. という構図をふくめて. で,. よ, 少なくともいくらかは ,. この「対話」の 恩、. 忠を受けて形成されたという. 興味あ る仮説を立-. はたして, またどのように 歴史家の「現. 在」的関心とかかわりをもったのか. 題はその謎解きをすることであ. 小 稿の課. った, 目 頭で述. べたように, この問題について 歴史家の内面で. 直接にせよ間接にせ. ててみることも 許されないことではない. し. より確かなのは ,. しか. かれの新しい 学説が研究. どのような「過去と 現在の対話」があ ったのか,. 史の凝視と史料との 対 時に多くを負っていた 事. 実証的に窺い 知ることは難しい.. 実であ る.. コスミンス. キ一にとっての「現在」は 何であ ったのか.上 述したネップ 期 前後の状況は 今日の研究成果を われわれが整理して 描いた歴史 像 であ って , コ スミンスキーがその 同時代史をどのように " ゑ識. い. これ以上の推測はひかえ , 述べて 終 @) た. @. ニの 蛇足を. い. ,管. W. しどのような 立場をとったのかについては. いずれにせよ , いまは, この程度の ;大沢 百だ ヰゆ にもとづく心証の 提示で結論に 代えるほかはな. 見するかぎり ,かれ自身は徹底して禁欲的で 発 言せず, また立ち入った 研究もみあ たらむ い .. しかし前述. ([ Ⅱ 一 3). のとおり, コスミ. ンスキーはロシア 社会の現実, とりわけ農民生 -. [N. 一. l1. 「現在」的関心が 発酵土壌とな. って「過去」についての 新しい歴史 像 が育まれ. 活の「緊急、な 諸課題」への 鋭い問題関心を 研究. るという場合,歴史家がその現状認識を図式的 に過去の時代に 投射した @), 認識の背後にあ る. の「酵母」とするイギリス 農業史についての. 正 場や観点で一万的に. 歴史を裁断することを 意.

(12) 22 (22). 第Ⅷ 巻. 横浜経営研究. 抹 するものではない ,. 時代の大きな 動きのなか. で,歴史家がその経験や問題意識を ,厳密なア カデミズムの 約束にしたがって 歴史叙述に昇推. し内在させる 過程や手続きが 重要なことはい. う. までもない. コスミンスキーはマルク. ス主義に立つ 歴史家であ り, またソ連邦 科 ,仔; ア. 一の正会員にもなっている.. しかし. か. れは 1928 年から 32 年ないし 34 年にかけての「 -文. 化 革命」. と. (brigadesofyoungcadlre ㈲ を紬織して,文@ の検閲などは 想 統制の尖兵として 活動した 491. このいわば 文 五派 の 「若者知識人」とは って。 革命双. 「知的正統派の 確立」. を先導した. 「若者知識人」 4 ㍉とは異質だった・. 異な. (1915 年Ⅰにモスクワ 大学を卒業. した コ スミンスキーは ,. さきにみたように ,. カデミ. 第 1 号 (1996). アカデミズムの 伝統を. 尊重し国内,国覚の 研究史を批判的に 継承し っ っ ,一次史料にもとづく実証研究の手法を 駆. 使する心構えを 身につけていた. かれは「イギ リス経済史に 関するロシア 人の業績」を 紹介し た 前述のサ一ヴェイ 論文. (. 1928 年 ) のなかで,. 「私は原資料にもとづく 学問的研究で ,歴史, デ;. 1920 年代未から 1930 年代初頭の ソ ヴェトは,. の文献の生唾に 新しいなにものかを 付け加えた. 学問の世界でも 政治・経済におとらぬ 急激で広. ものだけを取り 上げようと心掛けた. 多数の編. 範な変化を経験した. 31 年 10 月のスターリン 苦 筒 を「決定的な 転換 " 冊 として,正統的教義. そして政治的 袋物や手引 吉 ,教科苦 ,翻訳詩, パンフレットの 類は, ロシア文化の 歴史をみる. への強制的同意の 体制が確立し 政治的立場が. うえではおそらくきわめて % 安なものではあ ろ. 知的業績の価値基準となる 原則が支配したので. うが, ここでは扱わない」と 述べている. また,. 」. あ る. その御先棒を 担いだのが「若者知識人」. 「現在も継続するロシアの 長期的な. にほかならない. それは, あ たかも農業集団化. 孤立」を嘆いて ,. の 過程で ,. クな協力を「 炊 ぎ荒ぶ逆風の 強さにもかかわら. 「その精神世界を 排他的に革命後に ,. [国際的 ]. 芙露 両国歴史家のアカデミッ. すなわちマルクス 主義の古巣とともに 形成し. ず」構築する 必要を強調しているのであ った. た」「村の若者」の「激烈で ,狭々しく粗野な ,. (①. しかし単調な 言辞」と「暴力」が ,. コルホーズ. への加入強制やクラークの 清算を先導したⅢ. pp.231f.。 233).. コスミンスキ 一の時制 は, 瑞々しい. し 多くのばあ い 静かに秘匿された 「現在」 的な歴史意識が ,研究史の凝視と地道な実証に. のと同一であ った. 当時のロシアでは 農村同様学界全般の 若老化. 裏 付けられるならば ,. が著しく, 1928 年の調査では「. にした研究でも ,. 矢U. 報労働者」の. どの地域どの 時代を対象. 「現代」的な 意義をもっ学問. 4 割は革命後に 教育を受けた 年齢層で, この 比. 的 業績へと結晶し. 率は 4 年後には 8 剤へと % 増する. かれらのす. 促しうることを jJ-している.. べてがマルキストだったわけではないが が 教 倹約マルクスニスターリン. ,多く. 主義の洗礼を 受. け, また出身 層の 「プロレタリア 化」, 進 ,デ :率; の 向上,修了年限の短縮,教育力法の変化など. もあ って「相対的に 低い知的訓練の 水準」にあ. ったといわれている⑧. 当時ほぼ 30 才以下の このような「若者知識人」が『学覚のクラー ("kulaksof science") 狩りに狂奔 し 旧 世代のマルクス 主義知識 層 」を含めて多くの 知 ク』. 「. 名な研究者を 自己批判や辞職においやった , -大 学院生, や 右手研究者が「若者幹部部隊」. しか. Ⅲ. ときにパラダイムの 転換を. 2] 「現在」的関心はつねに ノ、ず 「現代」にのみ 向けられるのではなく ,かえっ て「存在としての 歴史」における 任意の「 過 去 」に結びっく・ そして, こうして成立する 「過去と現在の 対話」のなかで ,「現在」の問題 一. 意識を酵母とした 歴史叙述が誕生し. また「過. 去」の歴史的経験に 学ぶという人類の 知恵が育 まれる. コスミンスキ 一の場合, ネップとその 暗転という,かれの「/1,きた舞台」への 関心が, 中世イギリス 農村についての 歴史認識. ( したが. って「農民的市場経済」と「領主的市場経済」.

(13) 歴史と現在 を対コ軸 とする認識モデル ) の発酵にとって 此. 接か 間接か,強弱はともあれなんらかの 酵 けと して働いたであ ろうことは,おそらく,上述の ように, まちがいない・. ところで, 逆に, こう. @. よびその認識の 枠組の開発. ). 関口. 間目. Z. は 3) 23. l.. 」. この場合, 奥田は「 7t-会主我とは何か」とか. その「国際的環境はど う だつたか」といつた 大 土 -段のパ紙流で 歴史を裁断するのでなく , ク 「. した中世イギリスについての 新しい歴史像の 彫 琢. ぐ. .が。 今度は. ラークを, クスターリを 絶滅せよ」とし、 う卸 l@@ で現実に何が 起こったか,その実態を ,次 史料. ソ ヴェト 1920/30 年代の現実に 対するコス、 ミン. により, " り耶 として蘇らせることによ , て 。. スキ一の認識や 実践を, はたして, またどのよ. 「社会主義 - とは民衆とりわけ 勤勉な ,此にと. うに深めたり 変化させたりしたろうか.. この :@ ょ. コ スミンスキ一の 手を離れて,かれ. の ,説はネップ別についての「ロシア. 問題」. ィ. lff. 究の前進に.少なくとも間接的な行 ト なしてい. るのではあ るまいか・. 「仲介仁義」. 概念の枠組・を ---@l,は 1はり 担、ぅ ことで, 兄 えなか. になると 手,掛かりは - 璃 つかめない.. しかし. って何だったかを 克明に記録する・. ったものが 比 えてくるというのであ ろう. かつ て私は「レーニンの 公式に沿って 他行後の ロ、 ン ア. このことは, 国際的な WJ.. 史が進行 ( ないし 伯 ;,滞 ・後退. 組む. ,度は協に℡いて , 、. 、. 、. 、. ). するとみる枠. ヴェルトフライに. ロ、 ン. 、. 野 で研究の流れを 烏恩 すれば明らかなように 思. ア Yi命を歴史として 児 るべきこと. われる. の社会主義と 現 尖 としての社会ヤ 義 とを明瞭に. 人筋を述べてみよう.. コスミンスキ 一の 論 文に最初に右目したのは ,. ・. 区別すべきこと ) 」を強調し. (埋 . 想 として その j田 @ィ; で ウ. 後年イギリスを 代表する経済史研究の 泰斗とな. エーバ 一のロシア・ Y;命 論に依拠する 林道義の 莱. る ボスタンで, ロシアに パ まれ, オデ,サ.ペ. 紙 に注目すべきことを 指摘した.林は1970 年i に 「スターリニズムの 歴史的根源」を 解剖し市. トロバラド, キエフの 大 ど戸で学んだポスタンは コ. スミンスキ一の 論文を笑訳して. 。 論」に 掲戟 した. @. 「経済史. ぶィ. ;. ③ ). この ウ i.-rll 汎 論・ よ をいち ミ. ・. はやく紹介してその「画期的」忠義を. 上せ的変甲と 市場経済への 移行が小町 避 な課題と. なることを 石 破していたのであ る.奥田川l肝 先. 指摘した. スタイルはまさにこのロシア 史を「歴山として. のが大塚穴雄であ り, かれは コ スミンスキーと. みる」ことを ,林ができなかった原資料の発掘. ボスタン Ⅱ 5 世紀三転換期 論 ) を 併 " しで " 西洋近代化過程にみられた「農村Ⅰ 菜 」と「Ⅱ. をとおして実践したものと 位置づけ評価するこ とができる.. 地的 市場 圏 」形成 (逆にまたそれによってな 起. ともあ れ, 1920/30 年代の ソ ヴェトを背景に スミンスキーが 外国史の研究に 託して発表し. された特権 部面的「市場の 収縮」と「穀物・ 原. コ. 料 飢鱒. た「農民的市場経済と 領主的市場経済の. 」. ). の比較史的な 音義を本格的に 究明し. 対抗」. のシェーマは ,大塚久雄の上 ヒ較経済史研究によ. た. ところで, 1920/30 年代 ソ ヴェト農村の 歴史. る深化・発展に 仲立ちされて ,奥田夫の ロシア. について。 本 楠は奥田 央 の一連の研 "だ。 とくに. 史 研究を支える. クスターリ その「 "市場と " 莱 -に Ⅳげ を合わせたりヴェト 経済政策 川 に多くを負 っている・ この 老苦は 「・大塚史 -/;: の形 、 を 受. って, コスミンスキーが 生きた ソ ヴェトの舞台. 」. け」. て 伝統的農村付会 を. 「. 打破 ・克服すべき 松. 史的契機」を 農民的 水 Ⅱ業のなか。,探り,その. 隅の首 石 となり,そのことによ. を「歴史として」みることを. ながら,「過去と 現在との対話」は ,. l""J 題. 発見の一つの 手掛りとしていることは 確かであ. - つの国. 際的 ネットワークとして 完結したのであ る.. 挫折の意味を 問おうとしたものと 評されている 少なくとも,大塚の業績を隅の目石とし ,. 吋能 にした.因縁. めいた話であ るが, このような迂回路をたどり. あ し. ). ヨ三. た。@,. 尺 家ク、邸 Ⅰ.

(14) 24 (24). 横浜経営研究. 第 1 号 (1996). 第 ⅥⅡ 巻. ( とくに「 二 研究史の回顧」 ) (初出 1968 年 ), 『大塚久雄著作集 J @岩波書店 @ V 。 参照. 2) E. A. Kosminsky, Russian Work on Engli,h Economic History, in: ℡。 E 、ron,omic Hisz 。り 火,, iew [以 T EcHR と略 ], 1/2.Jan. 1928; do.,. 7。, rd,,. 9)@. ・. The. Hundred. Ro. Ⅱ. s of 1279-80. a Sourcoe. as. English Agrarian History, in: EcHR, 1931 [邦訳,奏文龍訳 捌 (未来社 ) 1956, Money Rents in the E 。HR, Ⅳ72,Ap,. 1935. for. DI/l, Jan.. 『イギリス封建地代の 展 所収 do,, Services and Thirteenth CenluIy, in: 例 訳 ,前掲,所収 ].. 3) 前掲 1931 年論文は 1926 年発表のロシア 語論文を. の巨匠 ポスタンもまた ,. きたい. 後述. 4) とくに,奥田虫03 ト経済政策定. 12@ 13@. l4. ナ. l5) 16). 部作を挙げておく. ソヴェ 市場と営業 (東京大学出. 」. the. Ceen,riury ノ , ed. by. Thirteen,th. ford, 1956, コ. pp.. xv-xxii. sfo. りヴ. E,. ぽ 7%,d. i,,. R. H. H lton, Ox-. (Edilor.s Introduction);. スミンスキⅠ前掲『イギリス 農業史とロシ. ア 学セ用. 「解説」. @. アー・コスミンスキ. 高正実 ); 大塚久雄「 一博士を悼む」. イエ. ・. (初出 1960. 年 ), 『著作集』Ⅱ人文 好脩 「いわゆる『コスミ. Ⅰ. 「. 托Ⅰ. むじ. Ⅰ. 『資本論』. 第. キーは,封建経済の研究はこの章におけるマル クスの 前 資本主義的地代諸形態についての 分析 を万法的基礎に 据えなければならないと 述べて いるが (③ p.l9 例 訳 , p.681 Ⅰ,その場合かれ が「事実」に 即して歴史を 把握する姿勢を 重視. 問題提起一一 げ社会経済史学』 58 ハ , 1992 年 5 月 ) pp. 1-6. なお,拙稿「コメント」 (同誌 ) pp.96-108, お よび 同 「経済史学と 現代」,宇沢腔文ほか 編 『経 済学と現ィ 矧 (東京大学出版会 ) 1974, 所収, pp.305-362, 参照・ 6) 以下, 経歴と業績については , E. A. Kos ㎞ n, ,Ag,u,,iぱ " H. メゐ. 3 巻第 47 章の表現を想起させる. コスミンス. 』. sky, 及ばdies ". ・. (AufIosunesform)」であ るという. 』. 5) 岡田泰男「経済史と 現代. En, ど. 「. 『. 』. 版会 ) 1979; 『コルホーズの 成立過程 ロシア における共同体の 終焉 @ 波 書店 ) 1990; 『ヴォルガの 革命 スターリン統治下の 農村 (東京大学出版会 ) ]996. 一. in MWediev.a7. Ⅰ. ロシア生まれでロシア. の大学で教育を 受けていたことにも 注目してお. Pol;tics. Ⅱ. 10@ ll). 増補改訂版から 英訳したもの , また 1935 年論文 の 原形は 1929 年発表のロシア 語論文であ り, 両 者とも英訳者は M. M. ポスタンであ る. コス ミンスキー 著 ・福富正実記『イギリス 農業史と. ロシア学派』 @ 来社 ) 1969, 「解説」 p.135f. 参 照. コスミンスキー 論文の英訳者であ りその理 解者でも批判者でもあ ったイギリス 経済史学界. Rease,f,f,, dfid. lan,d¥Cambridge, 1987, pp. 407-409. M Postan , The@ Manor@in@ the@ Hundred@ Rolls , in E,cHR, 2nd Ser., fmm/l, 1950 , pp. l19-125 [佐藤 伊久男 訳 『イギリス封建社会の 展開』 (未来社 ) 1959, 所 刀 . Cf. 己, p. 120 [同言尺, p.76]. Tenure in the A. Savine, Eng Ⅱ sh Customary Tudor Period, in: Q は a れⅠⅠ ゆノ の ば Ⅰ 用 u 戸 R れひ ガmirs,XIX, I904, pp. 33-80. Gatre@ ,の 尹 ・Ⅰァム, p. 395. P. Vinoe adoff, Ⅰ仰 / び血はおピ肋 K 月 ガム 臼 れみ, ()xford, 1892, pp. v-x. かれの晩年のロシア 社会論とし て, do., The Ru/ssian pr7oblem/m,London, l914; do., The Situation in Russia, in: do., ed., ア万 e Rem 、。,,@,fr-uctio,n@ザ Russ ぬ, O)xford U.P., 1919, と くに前者が興味深い. Gatre Ⅱ,乃村. 大塚久雄「イギリス 荘園の研究に 関する最近の @ 傾向」 (初出 1939 年 ), 『著作集』 m , 所収. この一句 (forms we usually associale wjth its dissolhution@は, 貨幣地代は「概俳的には mdem Bee iffnach) 封建地代の最終形態」だが「事実 -1-は (der Sache nach) その解消して い く形態. していたことが , ここには物語られている. ソ ヴェト中世史 ギ:のなかには, この占でかれへの 批判が存在した・ 福富, "前掲「解説」 p.lf64f. 参 照. 17@ EcHR, 2nd selr., n /3, 1950 , p. 229. 小松方 喬 『イギリス封建制の 成立と崩壊』 (弘文 " 書房 ) 1971,p. 133. 参照・ 18% この点, 「あたかも小規模生産が 依然広範囲に 残 存していてもなおⅠ場が 近代Ⅰ 葉 組織の典型で あ るように,小規模な非荘園的土地所有の 残存 にも 杓 わらず。 荘園は中世農業組織の 典型なの. ンスキー学説』の 確立とその日本の 経済史学会 への影響」 げ 早稲田商学㍉ 第 147 号, 1960 年 7 ス. であ る」という リ プソンの コ スミンスキー 批判 (E. Lips0n, T ル Efo 用。 用たけ ん r07 ソ, 0/ E/ は /d/fd. I, rev. ed., p.62) と 大塚の反批判 (前掲「 -. ミンスキ一の 地位」, 本位田 祥男 博士古稀記俳論 文集刊行会編『西洋経済史・ 思想史研究』 (創立 社 ) 1962, 参照. 7) 小松方 喬 『封建英国とその 崩壊過程 J (弘文重書 房 ) 1944, 一 マナ研究 史 概要」. 8) 福富, 前掲「解説」 pp. l50-157. Cf. Ko, ㎞ nsky ① p. 217f.; P. Gatre Ⅱ, 川 sto,ians and Peasants: Studies of Med たVa@ Eng ト h Society. 脚 0I p.341-344) が興味深い 19) M. Postan, The F"iifteenth Centur), . , n: EcHR, K/2, May l939, p. 162; Kosmlnsky ⑧ p. 13 脚 訳 p.131]り p.81 20) Postan, Od>. c/t. (The Manor), p. 123; 大塚久雄 「資本主義社会の 形成」 (初出 1951 年 ), 『著作集』 V, p.14;Kosminsky ④ p." Ⅲ・ 21 コスミンスキ 一の主著のイギリス 版の編集者で. 月). ;. 同 「イギリス経済史研究史上における. コ. 「. in a Russian. C0nteXt. 。 in: T. H. A,ton,. edr. La,,d.. 」. Ⅰ. あ り, その影響を自認しているヒルトンは ,.

(15) 1381 年の農民 - 挨を論じて, 「個人主義」の 赳肪;. ジ一にではなく. 手 Ⅱ業者や職人 とこの -- 捺をたたかった「封建時代の 農 此 の 来. はブルジョ. ワ. たした」貢献に 帰すべきだと 主張している・ R. Hilton, The Eneliish RLSrng of1381, in: Mf佑,f.i,,,z T" メ ay, June l981, p.l9;, H, J. ケ イ堵 ,桜井清器 訳、 「イギリスのマルクス. @. 主義歴史家たち』. 桃. 苦房 ) 1989,pp.92, 102, 108 。 参照・ この「受動 的な [封建的搾取で 疲弊した ] 農民という神話」 の批判. 「商品生産者に 転嫁しっ. っ. あ る農民. たちの抵抗力」 (⑦ p.89) の積極的評価 につ いては。 前注 16) をも参照されたい. 22) M. D0bb, SzMd7,5 ぬ tA 。 D 。,・。 fopm 荻 f 。ゾ、 C は 血ぬ zね m 。 London, 1946, p.61[ 東大近代史研究会釈 『資本主義発展の 研究Ⅲ (岩波書店 ) 1954, p.87]. 23) ここでは,主として 奥田央の研究 り前注 4), と くにレヴェト 経済政策定. 24). 25) 26@ 27). 市場と営業. 1. によるが, その理由は行論で 明らかになるはず であ る. 批 評 け 日本経済研究センタ 一会報』 355 号,1979 年 11 Ⅲ参照. R. W. デイヴィ ス著 , 荒田澤・奥田矢 訳 『社会 主義的攻勢 @ Ⅱ (御茶の水書房Ⅰ 1981,p.50 , 参照. 奥田夫, 前掲『コルホーズの 成立過程』 pp. 499-537. 回書, p.503. R. Po,tal, The IndustriaⅡ zation of Russia, in: T 億 Cb ガ, &ridg Eco 刀 om た H ㎏ o ぺ V 0/ E は ro 化, Ⅵ, 1965. 奥田 T政策 史 」, とくに序章, 第 1 章, のほか, 十は )l@- 23 年危機工の農本 す舌。 ま @馴 , 渓内謙 荒 円 汗編レ、ップ からスターリン 時代へ j (木鐸 社 ) 1982 。 pp.6-24,30-32. 奥田「政策 史 pp.137-146, 参照・ コスミンス キーが自説の 形成に援用したバラ - スのイギリ. 34) 木村雅則『 ネ、 ッブ 胡国営Ⅰ莱の 構造と行動』 。 m6@l 茶の水 苦勇 @ 1995, 第 1 一 3 編. 35) Sov.iet Ru,ssia, i@ the ぶ ec.oiid Deca,d (A j lnt su,v,ev bv, Ihr technical sIaff of lhe fLrst AAmerlcan TradeU 。 nion delegatio)n),1928, p.104. 36) デイヴィ ス , 前掲邦訳, p.39. 3,) 以 -1:, 奥田「政策 四 第 2 一 3 章,参照. 38) 同音。 第 5 % l。] 「ソビエ ド20 年, 代 l % 比論にお けるレーニン = バ ザロフ 的 構想」 。 PI: 公経済史 学』 3 ㍗ 6, 1972 年 3 月 ); 拙柏 「ヴァイマル = ナ チス期の 「地域開発」構想」。 大野英二ほか 編 " ドイツ資本主義の 史的構 う川 (有斐卸 1972. ダ. 参こ. 「. 29@. 39@. 奥田「桂介」. p.684.. 同. 第岡章. 41). Ⅱ.前掲論丈 ,. ス穀物市場 史 研究 @ . S.B. Gras, T わ且 (,lu,tionl げ訪 , En は月㎞ (orn My,,,rk。,, 1915) が, まさに ・. 「穀物市場の 収縮」の 原囚を 「同地内市場」の 展 開に求めたことが 興味深く想起される. 上述 [f 一 l ] (2 ) 参照. 30) 奥田「正文 策史 pp.3,6,62. 3ll 奥田 央 「ソ連の農業集団化について」 叩 社会 。 羊 清史学」 58 ハ , 1992 年 5 月 ) p. 仰 3% 同上, p.54- 梶川,前掲論文.p.23 」. 斉. 「政策 史. 」. 同胃 ,第2 屯 . Ⅱ% ,. ・. 参 !;; 「. 叩 337-339. ・. pp.51-54.. 42) 同 l.. 。 p,54f.; 同 な策史 p.330f 43) 前 注 22. 44@ H Ⅲ on,E 田 Ⅳ )r., Introduction Ⅰ (): ④, p. Ⅲ田f. 45@ J. Ba 曲 er, The E,tab は shment of Int 甜 ectual 「正. ()rthod[)xv, ,,,, d. in the. P,-",,,,r, N0.. 』. US. ぶ R. ・. 83, Ma),. 1928-1934.. 1979,. in:. 几 ,・ Yf. 膵 141-]64. ・. 46)@. Ibid , , p 161. 軒). 奥田, 前掲「ソ連の 農業 集 @. 田 化について」 p.49 同 T革 # け p.681f.etpa,,@ ・テクノクラートの 分野でも,集目Ⅱ 化 前夜, 1928/9 年前後から「々,; い 世代の技師やブラクチ キ を中心に」Ⅱ 旧 専門. ・. 」. 家」に対する 抑圧」が展開されたという. 中 ㍑ 毅 「ロシア,テクノクラートとボリシェヴィキ 権 ゾ J 」, ソビエト 史 研究会編 F ロシア輿付の 革 # け ] Ⅱぶ睾ゃ卜 @ 1993,@ 穏 9, 252.. ・. 」. B:;. 40). ど. 28@. (25@ 25. 尚志 ). ・. 歴史と現在 (関口. ・. 48). Barber,. o,々・。 ゎ ・,. pp.. 146-150.. 49) Ibid,, Pp.l51-153,161f.,. 50) 前 注 15. 大塚 ク、 雄 「ポスタン 『十五世紀』」 @ 出 1940 年-), 若作矧 m , 所収. 51) 奥田「 成 .㏄過税」に対する松井憲明の 丼 評 ( ソ ビエト 史 研究会編,前掲苦 , @' げ 婬 p.216, およ び. Ⅱ「政策 史 に対する前掲批評 (前 注 23) 「. Ⅱ. 』. 参 H:i. 52). 拙稿「近代化の. 諸問題」,社会経済史 ;;、 会編『 什. 会所。毛 清史,の探題と展¥:]f (有 斐閣 ) 1976, p. 46f Ⅱ林道義『ウェーバ 一社会学の方法と 構想」 。 石渡 ;引 @i). 1970 ,. 牛. 第二. l。 ,l 「スターリニズム. ・. の 歴史的付 さ iJ が」. (お茶の K;田ノ;) 1971 ノ. 33) 奥田「政策 四 p.106. [せきぐち. よしゆき. 横浜国立大学経営学部教授 ].

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歴史的にはニュージーランドの災害対応は自然災害から軍事目的のための Civil Defence 要素を含めたものに転換され、さらに自然災害対策に再度転換がなされるといった背景が

場会社の従業員持株制度の場合︑会社から奨励金等が支出されている場合は少ないように思われ︑このような場合に

となってしまうが故に︑

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

これに対し,わが国における会社法規部の歴史は,社内弁護士抜きの歴史