教会の聖人たちにみられる食行動
16
0
0
全文
(2) 教会の聖人たちにみ られる食行動 表 1 聖人の食行動 とその理由 年代別 西暦年 出生國・市 パウロ (エ ジ プト)1参 道者. 230. エ ジプ ト. 食 行 動. 理. ペー ジ. 由. 43歳 まで洞窟のそばに立 っ 洞窟を住居 とした。. 203. ている 1本 のイチジクの本の 実だけを食べていた。 しかし,そ の後は不思議にも 毎日 1羽 のカラスがくわえて きてくれる半分のパンを,死 ぬまで常食とするようになっ た。 のどが渇けば泉に行って清水 をすくって飲んだ。. 工院 < 道 オ 修 二>. ン プ ア ジ 三区. 251. エ ジプ ト 断 食 ヘ ラクレア. 神 との一致c 自我を捨てる。. 96. 252. ニコラオ. 小アジア (現 在 の ト ルコ パ ラタ. ある年, ミラー地方を飢饉が おそった。たまたま港に来た 船に積み荷の麦を無心して貧 しい人に分け与えた。. 困っている人をみるとすぐ 助けてやり泣く人がいると慰 めて励ました。 近所の貧しい靴屋の三人娘の 家に嫁入りの支度金を布切れ に包んで投げ込んで (身 売り の直前の困窮)を 助けた。サ ンタクロースの名で知 られ るc. イタリア. 貧しい食べ物を食べる. 貧しい人に食べ物を与えた. ). パ ウラ. 347. ,. 現在イスタ 厳 しい断食をする (修 道院に 熱心に苦行した ンプール 入るときの院長の言葉 コンス タン チノープル. フラシア修道女. 532∼ 538. 274. ). シメオン (柱 の)修 業者. オ テ 土拍. ドシオ修道. レオナル ド. 390. シリア シサン. 譲遜 と隣人愛の実行。 断食 四旬節になると主キリス トに い 40日 なら 毎年 間断食 を し た。. 422. カパ ドキア パ ンな ど 1度 も食 べ なか っ ルコ た。草や野菜を食べ ていた。 現在のト マ リスス. 340∼ 342. 559死 フランス 食べ物は山の中の雑草や果実 周囲の人々に愛徳の花を撒い 439∼ ノビリアク であった (リ モージュでの隠 た。 440 ーム 遁生活 ). 640. ス 司. イ教. トベル ト 713死. ツ. エ ジデイオ修 道院長. ス. 590. フ サ. 。エ リジオ司教. ギリシヤ アテネ. ドイツ ノーサンプリア. 貧者を集めてかれらのために 互いに愛し貧者を憐れむ。 食卓の給仕をした。. 517∼ 518. 飲食物はおもに水と草の根 と 孤独が好 きで泉の近 くの洞窟 木の皮 とであった。そのほか に住みついたため。 毎日1頭 の鹿が現れて乳を与 えてくえた。 頑固な国民に回心の恵みを求 244 めるため。.
(3) 奥 アンスガリオ. 801. ∼865. 201. ピカルデ ィ 毎日自分が食事をする前に必 貧者を哀れむ。. ず 3,4名 の不幸な人 に食べ 物を与えていた。. 司. 一 ラ. マ 欠不. ドイツ. ∼968. ブルーノ司祭. 子. スイス 7年 間断食 しなが ら祈 りの 修業のため。 スルゲン村 日々を送った。. マルチルダ皇后 890頃 ・ウダリ レリコ司 教. 田 和. 断食に励んだ。 貧しい食事で満足した。. 993. ときどき断食をした ドイツ アウグスブ ルグ. 1032. ドイツ ケルン. 祈りと苦行の生活をした. 362. 277∼ 278. 率先して苦行。 自分の財産を使って戦火 (ハ ンガリア人の攻撃)に よる被 災者を救った。. 大祝日に2度 の食事を共同で 7人 で山野の頂きに祈祷所 を とるだけであった。 設けて隠遁生活をした。 1年 中断食修業を続け,ぬ か でつ くったバンを食べ,病 人 でも肉に手をつけず魚も買わ ない。もの乞いで得た卵 とチ ーズは日曜と木曜日に食し 火曜日と土曜日には豆類と雑 草を,水 曜日と金曜日は水と パンだけである。降誕祭,復 活祭,聖 霊降誕祭,ご 公現な どの 8日 間とその他い くつか の祝日以外は,1日 一度 しか 食事を取らない。. 326∼ 327. ,. ギ ョーム. H世 紀. 肉体の快楽に耽ったので償い のため。. フランス. フーゴ司教. 1052. フランス メッシナ レオン州. 自発的に厳 しい断食をした. 教会のおきてを守らない多く 321∼ の信者の罪を償うため。 322. ロベル ト,ア ル ベ リコ,ス テフ ァノ修道院長. 1071. イギリス. 食器の数を減らした. 清貧の精神。. スタニスラオ司 教殉強者. 1079. ポーランド よく節食し,食 事の量を減ら 難苦欠乏に慣 らしていた。 348∼ カラカウ市 し, しばしば節食し3日 間断 貧者を助け清い生活をしてい 349. ノルベル ト司教. 1080. ドイツ グンネブ. ベ ルナル ド修 道院長教会博 士. 1091. トマス (ベ ケ ット)司 教殉 教者. ス ヨ ヽ ン ン ぃ. 毎日食事の時間になると貧者 献身的な人類愛。 や孤児を宮殿に招待して衣食 を与え,人 生に明るい希望を 持たせるように努めた。. J フ デ 士︲ I. 。マ ル ガ リ タ 1045 イギリス (ス コ ッ トラ ∼1093 ン ド)皇 后. イギリス ロンドン. 食した。. た。. 飲食を節制した. 苦行に励む。. いつも湯に浸 した少量の黒パ 常に厳格。 ンを食事 とした。 この両親は毎年成長して大き くなるトマスの体重を計って は同量のパンを貧しい人に贈 った^. 461∼. 462.
(4) 教会の聖人たちにみ られる食行動 タ. (マ. ). ル トガルデイス 修道女. 1160. 1182. 。エ リザ ベ ト 1207 ー (ハ ンガリ. ス コ ン 一. ヨハ ネ 司祭. ベルギー トングル. しばしば断食した. 救済事業。. 7年 間に断食を主から3度 命 最初の断食は当時流行してい. じられた。. ハ ンガリー 飢えた人には食べ物を与えて 貧 しい人のなかでキリスト │. 世話をした。. ). イ教 ウ 司. ルヘルモ大 12世 紀 フランス. 549. たアルビ派の異説 (霊 は善神 の,物 質は悪神の創造した物 と考 え肉体を悪 とみなす考 え)を 減ぼすために,次 は罪 、 のため,最 後は教会 人の改′ 亡 に対しての迫害を未然に防ぎ 止めるため。 470. 仕えた。. 会食の時,肉 を客に出すが決 して自分は口にしなかった。. ヽ フランス たびたび断食し断酒し,食 事 貧者の′ 亡 身の救いのために尽 ブルターニ は水とバンだけですませるこ くした。. イヴォ (弁 護士 の保護者 ). とも多かった。ある時は,貧 者に給仕しかれらの食べ残し だけを食べた。 あるとき l切 れのパンしかな いのに貧しい人に与えよと命 じた。自分は食べなかつた。 ノトブルガお 手伝い. ルケシオ夫妻. 1265. オース トリ ア ラッテンブ ルグ. イタリア 初め カジアニ. 13世 紀. 食べ物の残りを貧 しい人に与 幼い時,お 腹をすかした経験 があるので貧者の苦しみがわ えた。 説教の前には必ず断食 をし かった。 た。 ぶどう酒を貧者に与え自分は 貧者に食べ物を与えたので食 貧乏人のようにパンと水で煮 事をしようとすると台所は空 たホウレン草しか食べなかっ だった。 た。. 350∼ 353. 1280. イタリア ボザネロ. アン ドレ (コ ル シエ)司 教. 1302. イタリア 断食を した フィレンツ. 苦業を続け六. ユ リアナ修道女. 1341. イタリア 長年の断食。 フィレンツェ. 人のために捧げつ くした. フ ラ ンシス コ オラ)隠 世修 行者. 1416. イタリア. しば しば断食。食べ物 は山菜 自分の肉体をけっして甘やか 322∼ 323 に限 られていた。 さず鍛え上げた。. ペロニカ修道女. 1445. イタリア ミラノ. 粗食. オ 祭 チ 司. ある年飢饉があり多数の人々 貧しいものを慰めた が豪邸に食べ物をもらいに歩 いた。豪邸で働いていたおと めが穀物倉から食べ ものをだ して与えてやった。. ジタおとめ. 1491. スペ イン バスク. 食べ物 は人からもらうわずか あらゆる誘惑と試練 とに打ち なものと,時 には洞窟のそば 勝った。 にある野生のイチジクで飢え を満た し流れる泉でかわきを いや した。. (パ. 神 のみ栄のため。. 十1フ. グ ョ ロ イ <.
(5) 奥. 田 和. 子. スペイン わずかなパンとスープと野菜 「わたしのあとに従おうと思 375∼ アルカンタ だ け で 3日 に 1食 。牛 肉 うなら自分を捨て,自 分の十 376 ラ市 卵,ぶ どう酒などはいっさい 字架を担ってわた しに従え」. ペ トロ (ア ル カンタラ)司 祭. ,. 口にしなかった。. ピオ5世 教皇. フランシスコ (ザ ビエ ル 司教. 1506. イタリア ボスコ村. 断食をおこなった。 貧者に施しをした 簡素な食生活を捨てなか っ た。. スペ イン. 平戸から京都へ向かう旅を続 け,そ の途中の持ち物は炒米 を入れた小さな袋をもってい った。. ). パ ンプロナ 断食 市 スペ イン アビラ市. テレジア (ア ビラ)お とめ 教会博士 イ 外不 フ 司. リポ(ネ リ ). (マ タイ 16・ 24)各 人の体力 に応じた節欲はキリストに従 って完徳の道を歩み真の幸福 に至るための手段として是非 必要だからである。キリスト 精神を文字 どうり生涯に体現 した。これは 16世 紀の華や かな文芸復興における肉体礼 賛,あ くなき物欲,上 長への 反抗心に対する大きな教訓と なった。. 『主よ,死 かそれとも苦しみ のいずれかを。それ以外は何 もいりません』自伝40。 20. 1515. イタリア 食事はしばしばパンと水,ご 節欲の人であっ六 フィレンツ くわずかなオリーブだけで簡. 1526. イタリア 貧しい食事で満足した。 ウアレンス 断食をした。 ウエス トフ ァー レン州. 349. 単にすました。 ベネディクト修 道者. カロロ メオ. (ボ. ロ. ). 苦行に専念した つぐなうために. 326. イタリア ミラノ. 1片 のパンと一日のぶどう酒 が栄養の全てであり, しかも そのわずかのものすらあきら めねばならなかった。 食事は少量でしかもきわめて 質素なものであった。. 徒歩巡回するときにも断食 し 自分の楽 しみはなにも求めな 302∼ た。 かった。 303. 自分の全財産を町の病院に寄 付する一遺言書 修道者 は,常 に貧 しく生活 し,完 徳に励み,こ ころを高 尚に保ちながら諸徳を実践し 神の栄光を大衆の上に表すよ うに努めなさいと遺言した。. 423∼ 431. 1538. スペ イン. ヨセフ. 1556. イタリア 断食をした レオネッサ. 1572. フランス 日中貧者がもの乞いにくれば 聖なる喜びにあふれ隠れた善 547∼ デイジョン 麦粉などを施す ように命 じて 行を実行した。 548. フカ 月. ¨ 一 ” 際. トウリビオ (モ ングロベホ)司 教. 快楽よりも高い理想を揚げて 220 いた。. いた。 施しものを携えて貧者を訪問 したりした。. 知 課. ン ヽ ヽノ ン ス ゛ ン ラ 、 フ レ. フランス 粗食に甘んじた フォンター ヴェル ト. 自分に対 しては極めて厳格。.
(6) 教会の聖人たちにみ られる食行動 ベロニ カ ュ リアニ. (ジ. 1660. ). キリストの受難を黙想して キリストとともに「苦しみの さかずき」を飲んだ。. 衣食住を質素にした イタリア メルカテロ カナダ ケベ ノク バ レンヌ. 貧しい人たちに食べ物を持っ 貧しい人のなかで奉仕活動を てぃってやり自分で食べ られ した。 ない病人には自ら食べ させて ゃったc l日 2回 の食事をトウモロコ シと水ですませ貧しい人と病 人にパンを与えるようにシス ターに頼んだ。. イタリア バ ジリカタ 地方 ムロ町. 食事の時にはごちそうに手を つけなかったり,ご くわずか な水しか飲まなかった。 食べ物は少ししか取らず,そ れも普通は野菜と固いパンだ つた。コノクが気をきかせて おい しいものを勝手に一皿つ け足すと,い つもとっておい て貧 しい人にくれて しまっ た。 四旬節になると水にひたした パンだけを食べおいしい物が でるとそれに苦い草を入れて 食べていた。 食欲があっても少ししか食べ なかった。 1754∼ 1755の 冬 は寒 く食糧 不足になり,困 窮者が群がっ た。かれは食料を修道院中か ら集め惜しみなく貧者に与え た。. セラフイム (ロ シア)1参 道院長. ロシア クルスク. 小さな庭に野菜や草を育てて 精神と肉体の誘惑にたい して は厳しく戦った。 食としたc. 。フ ィ リ ピ ン (シ ュ ー ヌ 修道女. フランス 毎日の食べ物はおもに畑や牧 成功 も感謝 も期待せず働 く グルノーブ 場の労働によつて得たのでと 苦行。 ル市 きにはパンさえもなくなるこ. マルグリット (デ ュービル 1参 道女 ). 刀ェ 者 ェイ マ随 ジ<. 1726. ). 福者ナアナ イギ ). (タ. イタリア シエ ナ市. 上流社会と交流 していたにも 貧しい人や病人を世話し自分 関わらずアンナの家庭は飢え は日常の苦しみを捧げた。 に苦 しんだ。病床の時 も食事 は 1切 れの小 さな魚 とパ ン 果物 1個 。 ,. 83. 577∼ 583. 節食が肉欲に対する有力な武 395∼ 器であることを自覚し,死 の 399 まぎわまで厳しく味覚を抑え 口癖のように「お腹いっぱい では神の愛は入らない」 とい っていた。. とがあった。バターやチーズ はなく,悪 臭のある熊の油だ けだった。冬はミシシッピー 川が凍結して飲料水も不自由 になったc牛 乳はナイフで割 らねばならないほどであった。 食べ物は学院の生徒の残した パンくずをブリキの椀に集め てそれに水っぽいコーヒをか けて食べたc. 1769. 31. 494∼. 498.
(7) 奥 ヨハネ 。マリ ア・ビアン不 司祭. エ ウフラジア (ペ ル チ エ)修 道女. (ノ. 205. 子. 1786. 南フランス 月曜日には週 1回 の食事,お リヨン市 もにジャガイモを全部自分で 料理 し,毎 日それに,わ ずか のパ ンをそえるだけであ っ た。 いつ も同じ木のスープ皿や湯 のみを愛用していた。スカン ポ (草 )を 食べ ようとして試 していた。 いつ も同じ木のスープ皿や湯 のみを愛用していた。. 107. 1796. フランス 家具もなく時として食べ物も 畑には食べ物がなかった ヴァンデー なくわずかばかりあっても味. 379. のないまずいものであった。. 。ア ン トニオ・ マ リア (ク ラ レ)司 教. ヨハ ネ ン神父. 田 和. スペ イ ン 巡回説教で歩 き廻るときに 博愛 カタロニア も,1片 のパンと身の廻 りの 隣人愛「人を喜ばせる機会が. 品の他はいっさい受け取らず あったら決してそれをふいに しないように」 身につけなかった。. ボヘ ミア. イマ. 食事を控える。. 自分を鍛えるため。. 42. ). ン ム コ サ. 南 ドイツ 自分のたべ ものまで節約して 貧しい人には慈父のようであ ババ リア州 施しをした。 った。. ド (パ ル 修業者. 福者マ リー・テ レーズ (ス ビラ ン. 1834. 南フランス 水 とパンだけの朝食をした カステルノ ダリ. ラファエ ラ (マ リア・ポラス. 1850. スペイン 食器不足のために食事は交代 清貧のため。 ゴル ドバ市 でした。. 1859. イタリア 家から送られたナツメの実 1 バ ランッァ 箱を隣室の学生に「君ナツメ. ). ). コンタル ド・ フェリニ教授. ・ルポ. 貧しくなったキリス トともに 526 貧しくなる (聖 イグナチオの 霊操―理想)。. 388∼. 394. は好きかい ?好 きだったらあ げるよ」 といって配った. バレンチノ司教 ∼269 殉教者 頃. イタリア. 5世 紀 ツール市. 3日 間の断食をした. 祈りがかなえられたお礼とし て神への感謝の意味。. 週に2,3度 は断食をした。. 無視無欲 行為 と生活でその 手本を示した。. ロムアル ド修道 950頃 イタリア 好きな食べ物は何 1つ とらず 罪の償いのため。 ∼1027 ラヴェンナ これを貧者,病 人に与えた。 院長. ・ 印 は下巻. あ った (表. 2)。. 370. 順 を追 って見 て い くこ とにす る。. 1)断 食 食行動 の うち最 も多 いの が断食 で ,そ の期 間や動機 は聖 人で違 う。.
(8) 教会の聖人たちにみ られる食行動 表 2 特徴的な食行動. 断食 の期 間 は まち まちで ,キ リス トにな らい毎年 40日 間行 った聖 人. (シ. リアの シサ. 断食 粗食 ・質素 貧者 に食べ物 を与える 節食 飢 えた. ン 300年 ),長 年 (ユ リアナ 1341年 ), しば しば行 った聖 人. (ヨ. ハ ネ H60年 , トウリ ビ. オ 1538年 ,イ ヴ ォ 1253年 ,フ ラ ンシ ス コ. 1416年 ),3日 間行 っ た 聖 人. (ス. 回. (マ. (ウ. 20 17 14 1. 食器. タニ ラ オ. 給仕 を した 水 が ない. 1079年 ,バ レンチ ノ∼269年 頃没 ),と きど き行 った. 22. ダ ル リ コ 993年 ),7年 間 に 3. イ ンラー ド805年 ,ル トガルデ ィス H82年 ),1年 中行 った聖人 (ブ. ルー ノ lo32年 )あ るい は 自発的 に厳 しい断食 をした聖人 などが記述 されてい る。期間の記述がない聖人 として. (ア. (フ. ー ゴ 1052年. ン トニ オ 251年. ). ,. シメオ ン 390年 ,ピ オ 5世 1504年 ,テ レジア 1515年 ,ベ ネデ ィク ト1526 年 ,ヨ セフ 1556年 ,ア ン ドレ 1302年 )な どが いる。熱心 に した聖人 トベ ル ト713年 ),説 教 の前 に必ず断食 した聖人. (ノ. (ス. イ. トブルガ 1265年 )な ど. である。 断食 の理由はさまざまであ った。①修業 のため,② 祈 りと苦行 のため,③ 司教 の場合 には教会の掟 を守 らない多 くの信者 の罪 を償 うため,④ 難苦欠乏 に慣 れてお くため,⑤ 救済事業 のため,⑥ 貧者 の救済 ・人のために捧げた り 尽 くすため,⑦ 幼 い ときにお腹 をすか した経験 があるので貧者の苦 しみがわ かるためなどである。. 2)節 食 節食 とい うのは食欲 にまかせて食べ物 を腹一杯食べず に節制 し,少 量 で食 事 に終止符 をうつ ことと考 え られる。① よ く節食 した 年 ,ノ ルベ ル トlo91年 )② 食事 を控 えた 約 した. (コ. イリポ 1515年 )な どである。. (ジ. タニ ス ラオ 1079. ハ ネ 18H年 ),③ 食べ物 を節. ンラ ド1818年 )④ 水 とパ ンだけの朝食. 年)⑤ 食欲 があっても少 ししか食べ ない (フ. (ヨ. (ス. (マ. リー・テ レーズ 1834. ェラル ド1726年 ),⑥ 節欲 の人.
(9) 奥. 田 和. 子. この理由をジェラル ドは,節 食が肉欲 を制御す るための有力な武器である ことを自覚 し,死 に際 まで厳 しく味覚 を抑 え,口 癖 のように「お腹 いっぱい では神 の愛 は入 らない」 といっていたとい う。 さらに,か れは肉欲 を制御す るために,御 馳走 に手 をつけず,食 べ物 は少 ししか取 らない。 またおい しい ものがでると,そ れにわざわざ苦 い草 を入れて食べ た りした とい う"。 お い しい ものはついた くさん食べ た くな りがちなので,そ れを防 ぐためであろ う と推察 される。 アッシジのフランシス コは,ち ゃんと調理 した食べ物 を食べ ることは稀 で あ ったとい うの。たまたまちゃん とした料理 を食べ ることがあって も,灰 を まぶ した り,水 を加えて料理 の味 をな くして しまお うとしたとい う。なにし ろの どが渇 いてなにか飲みたい とい う強い欲望がお こった ときで も,水 す ら 十分 に飲 もうとは しなか った とい う。食欲 に迫 られて どうに もな らない と き,な にか食べ たい と強い欲望 に押 しや られたとき,は じめて食事 をとる気 になったとい う。食事 を楽 しむ ことをい ましめ,飽 食が 自分 の快楽 を満足 さ せるのを厳 しく避け,快 楽 よ り,高 い理想 を掲げていた9。. 3)粗 食 ・質素 ついで多 いの は粗食 ・質素 で ある。 1)と 2)で は食べ 物 の量的 な側面 を 述べ たが,こ こでは食べ物 の内容 をさす。①貧 しい食べ物 を食べ た. (パ. 347年 )② 洞窟のそばに立 っている 1本 のイチジクの実 だけを食べ た. ウラ. (パ. ウ. ロ 230年 )。 ③草 や野菜 を食べ 1度 もパ ンなどは食べ なかった. (テ. 422年 ,セ ラフイム 1759年 )④ 食べ物 は雑草や呆実であった. オナル ド559. 年),食 べ物 はお もに草 の根 と木 の皮 と水 であ った. (エ. (レ. オ ドシオ. ジデイオ 640年 )。 ⑤. 糠 で作 ったバ ンを食べ た。病気 の ときで も肉には手 をつ けず魚 も買わない。 物乞 いでえた卵 とチーズは 日曜 日と木曜 日に食べ ,火 曜 日と土曜 日には豆類 と雑草 を食 べ ,水 曜 日と金曜 日には水 とバ ンだ け で あ る (ブ ル ー ノ lo32 年)。 ⑥ 肉 を食 べ な い よ うに した (ギ ョーム 11世 紀 ,ウ イ ル ヘ ルモ 12世 紀),⑦ パ ン と水 で煮 たほ うれ ん草 しか食べ なか った. (ル. ケシオ夫妻 13世.
(10) 208. 教会 の聖人たちにみ られる食行動. 紀),③ 山菜に限 られていた (フ ランシスコ 1416年 )⑨ 粗食. (ペ. ロニカ 1445. 年),⑩ 食べ物がない,わ ずかばか りあって も味のない まずい もの (エ ウフ ラジア 1796年 ),① じやがい もとパ ン,ス カンポ (草 )(ヨ ハ ネ 。マ リア・. ビアンネ1786年 )⑫ 質素にした. (カ. り物 のパ ン くず と水 っぽい コー ヒ. (フ. ロロ1538年 ,ベ ロニカ 1660年 )⑬ 残 イリ ピンの シュ ー ヌ修道女 1769年 ),. バ ン とスー プ と野菜 で 3日 に 1回 位牛 肉 ,卵 を食べ ,ぶ ど う酒 は い っ さい 口 に しなか った (ペ トロ 1499年 ),⑭ 簡素 (ピ オ 5世 1504年 )⑮ パ ン と水 わずかな オ リー ブだけで 簡単 にす ませ た. (フ. ,. ィリポ 1515年 )な どで あ る。. 上述の節制 と同 じように さまざまな理 由が あげ られて い る。苦行 に専念す るためで あ り,罪 の 償 い の ため であ り,あ らゆ る誘 惑 に打 ち勝 つ ためで あ り,自 分 に厳格 を保 ち こころ を高 尚 に保 つ ためである。 さらに貧者 に施す た め に も自分 の 食 べ 物 を贅沢 にす るわけ には い か なか った。食 べ 物 が十分 にな か った とい う食糧事情 もあ ったので あろ う。 なぜ な ら畑 には食べ 物 が なか っ た (エ ウフラジア 1796年 )と い う。神 のみ 栄 えのためで あ る (ペ ロニ カ 1黎 5 年 )。. 4)飢 え 飢 えには ,個 人的 な場合 とそれが民族 ・社会全体 に広 が る場合 とがある。 個 人的 な場 合 で は,イ グナチ オ (1491年. )に み られ る よ う に食 べ 物 は野 生. のい ち じくで飢 えを満 た し,流 れ る泉 で 渇 きをい や した。 またア ンナ の家庭 で は ,夫 と子 どもが い たが 夫 の働 きが悪 い ため に家計 は貧 しく,飢 えに苦 し んだ。そ の ため に食事 は小 さな魚 とパ ン,果 物 1個 で あ った. (ア. ンナ 1769. 年 )。 地域社 会全体 に飢饉 が お よんだ場 合 と しては,あ る年 の こ と, ミラ ー 地方 は飢饉 に襲 われた。 ところがその とき,嵐 に遭 って エ ジプ トの ア レキサ ン ドリア港 か ら麦 を満載 した船が数そ う ミラー港 に避難 して きた。司教 (ニ コ ラオ 270年. )は そ の積 み荷 の麦 を貧 しい 人たちに分 け て もらい ,そ のおか. げで 2年 間食料 に困 る こ ともな く,畑 に植 える種 もで きた。 またあ る年 に飢 饉 が あ り,多 数 の 人 々が豪邸 に食べ 物 を もらうため に歩 い た。豪邸 で働 い て.
(11) 209. 奥 田 和 子. い たお とめが穀物倉 か ら食べ 物 を出 して与 えてや り,貧 しい 人 を慰 めた (ジ タお とめ 1280年 )。 1754∼ 1755の 冬 は 食 糧 不 足 とな り困 窮 者 が 群 が っ た (ジ. ェ ラル ド 1726年 )な どで あ る。. 5)貧 者 に与える 貧者 に自分 の食べ物 を分け与える聖人が多 かった。その与 え方は各聖人の おかれた状況でそれぞれ違 いがみ られる。毎 日自分が食事 をする前 に必ず 3,. 4名 の不幸 な人 に食べ物 を与 えてい た. (ア. ンスガ リオ 347年 )。 毎 日食事 の. 時間 になる と貧者や孤児 を宮殿 に招待 し食べ 物 を与 えてい た. (マ. ルガ リタ. 1045年 )。 困 った人をみるとす ぐ助けてや り泣 く人が い る と慰めて励 まし ,. 近所 の貧 しい 3人 娘 の家. (身 売 り直前 の)を. 助けたのは現在 サ ンタクロース. の名 で知 られるニコラオ (270年 )で ある。 トマス (H18年 )の 両親 は子 ど ものが毎年成長 して大 きくなると子 どもの体重 を測 ってはそれ と同量 のパ ン を貧 しい人 に贈 った。食べ物 の残 りを貧 しい人 に与 えた 年)。. も空 っぽだった (パ. (ノ. トブルガ 1265. 貧者 に食べ物 を与 えてやったので,食 事 を しようとすると台所 はいつ (ル. ケシオ夫妻 13世 紀始 め)。 貧 しい人 に食べ物 を与 えた. ウラ 347年 ,ピ オ 5世 1504年 )。 施 しものを携 えて貧者 を訪問 した. (ヨ. ハ ンナフラ ンシスカ 1572)。 1日 2回 の食事 を トウモロコシと水 です ませ貧 しい人や病人にパ ンを与 えるようにシス ター に頼 んだ 年)。 食料 を修道院中か ら集 め貧者 に与 えた 食べ物 まで節約 して施 しをした. (コ. (ジ. (マ. ル グリッ ト1701. ェ ラル ド1726年 )。 自分 の. ンラ ド1818年 )。 学生 で入寮時代 に家 か. ら贈 られて きたナツメの実 を隣室 の学 生 に配 つた. (コ. ンタル ド・ フェリニ. 1859年 )。 好 きな食べ物 はなに一つ とらず貧者 ,病 人 に与 えた. (ロ. ム アル ド. 修道院長 950な い しは 952年 頃)。 1切 れのパ ン しかないの に貧 しい人に与 えよと命令 した. (イ. ヴォ 1253年 )。 これ らの例が語 るように多 くは 自分 の食. べ物 をけず って貧者 に与 えた。 こうまで した行為 の背後 には,① 罪 の償 いの ため②隠れた善行③奉仕活動④献身的 な人類愛 などである。.
(12) 教会 の聖人 たちにみ られ る食行動. 210. 6)貧 者 に給仕す る 聖者 の 中 にはただ食べ 物 を与 えるだけで な く給仕 した り,日 元 まで与 えて や る聖人 もい た。貧者 を集 めてかれ らのため に食 卓 で給仕 した り (エ リジオ. 590年 ),貧 者 に 給 仕 し,か れ ら の 残 り物 だ け を食 べ た り. (イ. ヴ オ 1253. 年 ),貧 者 を集 めてかれ らのため に給仕 した (エ リジオ 590年 )。. 7)水 水 は 自然 の 泉 な どを利用 した り (パ ウ ロ 230年 ),流 れ る泉 で 渇 きを癒 や した りした. (イ. グナチ オ 1491年 )。 飲 み物 として水 は大切 であ つた こ とは. パ ン と水 です ませ た. (フ. ,. イリポ 1515年 ), トウモ ロコ シ と水 です ませ た (マ. ル グ リッ ト 1701年 )な どの記述 でわか る。. 8)聖 人 の食生活 の背景 聖 人 の食生活 を支 える食糧 は どの程度 であ ったか 。食糧不足 ・飢饉 が推測 され る。その内容 は図 1に 示す よ うに多 くの 要因が あ る。聖人 の生 きた時代 は さまざまな 自然的原 因 ,ま た人為的原 因 によ り食糧 の供給 が不十分 で あ っ た と推察 され る。 そ の 1つ にペ ス トな どの疫病 が あげ られ る。「ペ ス トは 6∼ 7世 紀 コンス タ ンテ イノ ー ブルで幾度 も発生 し人 々 を悩 ま し続 けた悪疫 で あ る。そ して 1337 年再 び コンス タ ンテ イノ ー ブ ルで発生 したペ ス トは翌 1348年 にはア ル プ ス を越 え,ま たた く間に ヨー ロ ツパ 全土 に拡大 し,人 々 を恐 怖 の どん底 に陥 い. 自然 的原 因 食糧不定飢饉 人為 的原 因. 図. 1. 地域 的 エ ゴ イズム (穀 留 め ,禁 輸 ) 失政 戦乱 疾病流行. 食糧不足 ・飢饉 を発生 させ る原 因. (内. 嶋善兵衛 ,1990).
(13) 奥. 田 和 子. れた゛。エ ジプ トで も 1403年 以来ペス トが流行 し,農 村 は荒廃 し,飢 餓が蔓 延 したつペス トの流行 には気候 の寒冷化 が深 く関わ り食糧 の不足が生 じた9。 聖人のなかには,さ まざまな食べ物 に関連す る苦難か ら人びとを守 る「守 護者」 が い る。 カタル ド 日,て んかん)」. (マ. ンス ター,7∼ 8世 紀)は 「干 ばつ. (麻. の聖者 とい われてい る。なぜ ならロ ッコナーマの村. 痺 ,盲 (イ. タ. リア南部)は 15世 紀 か らペ ス トやその他 の伝染病 の被害 がでてい ない とい う理由か ら「ペ ス トを防 ぐ聖者」 とい うことになった。 また 1483年 ,か れ は コラー トとい う村 も疫病か ら救 っている"。. 9)飢 餓 食糧不足 ,飢 饉 を招 く要因は異常気象,つ まり自然的原因の占める割合が 大 きく不作や凶作 をひきおこす0。 火山の大噴火 によつて も異常低温が発生 しカスケー ド的に関連す る。異常気象. (WMOの 定義)と. は,① 短期間の う. ちに社会や人命 に著 しい被害 をもた らす危険な気象現象 (大 雨,大 風 など) ② 天候が 1ケ 月以上 にわたって平均値 か ら著 しく片寄 った場合 (冷 夏,干 ば つ など)③ 何ケ月 も続 いて被害が生 じる場合 などである。. 375年 フンの西進 に圧迫 された ゴー ト族 が ドナウ南岸 の ローマ領 に入 る が,食 糧不足 などで暴徒化 したつ。 この ように食糧 がない ために人々がある ところへ 向けて民族移動 をした。 ヨーロ ッパ では,14世 紀以降荒天 が続 き 冬 の気温 が低下 した。 また 17世 紀 は第 1小 氷河期 と呼 ばれる気候寒冷化 の 極期 だった. H)。. (1841年. 異常気象 による麦類 の凶作 フ アイルラ ン ドの じゃが い も飢饉. )な どは有名 であるO。 ヨーロ ッパ でお こった飢饉 の一覧 をあげて. お く (表. 3)② 。. 天変地異が食糧不足 をもたらしたためにそれを守護す る聖人がいた。 ワル ブルガ. (ド. イッ,710年 )は 「飢饉」 か ら守 って くれる聖者 といわれる。 し. たがってシンボル として 3本 の とうもろこし,王 冠, しゃ く,油 の入 った瓶 を携 えてい る"。 グ レゴ リウス (小 アジアのポ ン トゥスタ213年 )は 「地震 の聖人」 といわれるの。ヤ ヌアー リウス (イ タリア,205年 没)は ベス ビオ.
(14) 212. 教会 の聖人たちにみ られる食行動 表 3 ヨーロツパの大規模飢饉 域. 地. 時. ウクライナ ギリシヤ ボルガ下流域 ウクライナ. 期. (×. 千人. 時. イ フ ク ウ 西 ア シ ロ 峡 ガ ル ボ ラ ル イ ア ア シ ロ ラ ン ア ト ル ラ ミ ツ イ 一 ヘ コ ア ポ ボ ス ラ グ ン イ ス ン ラ フ ラ ル イ ア ワ ク ス モ ラ グ ン イ ラ ル イ ア ラ グ ン イ ラ ル イ ア リ ガ ン ハ ラ グ ン イ ラ グ ン イ ラ グ ン イ リ ガ ン ハ ラ ル イ ア ラ ル イ ア ラ グ ン イ ラ ル イ ア ラ グ ン イ ラ ツ 一 7 グ ロ グ ン 一 ン イ ヨ イ. ト ツ コ ス. 区 平 ド ド ンド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ドド ド ド ド ン く P ラ ン ン ン ン ン ン 一ン ン ン 一ン ン ン ン ン ン パ ン ラ 地 ナ部 谷 ン ヽ. ル 一 Z ウ 東. 1314. 1183. 1437-39 1410 1392-93. イングラン ド・ ウェールズ イングランド アイルランド イングランド ロシア (ロ スターボリン地区 イングランド イングラン ド ロシア (ス ダール地区 イングランド イングランド ボロベ レグ イングランド・ウェールズ スコットラン ド スコットランド イングランド スコットランド スコットラン ド アイルランド. 1353. ローマ. 185. イタリア半島 イングランド. 79-88. 2,000. 400. 1932-34 1921-22. 5,000. 1911-12. 8,000. 3,000ま たは 9,000 (資 料. 2種 あ り. ). 1905-06 1897-98 1891-93 1845-50. 1,500. 1833-34. 期. 1302 1294 1257-59 1235. 1230-31 1227 1215. 1193-96. 1822 1770 1770. ド 1766. 1740-41 1661. 1650-51 1601-03. 500. 1124. lH6 1093. 1070-71. ). 1594-95 1588-89 1586. 1069 1042-48 1024. ). 1586 1549 1527 1521 1505 1497. 147. 1346-50. 40,000(大 部分 は栄. 養失調 による. ). 1341-42. ド. れ以前 は過剰死 亡記録なし (こ. ). 1004-05 976 971. 954-58 936-39 310 306 228 192. 54. ローマ. 23. ローマ. AD6. ローマ. 385 BC 436 BC. ローマ. イングラン ド. 域. 地. ). イングラン ド・ アイルラン ド イングランド・ アイルランド・スコ ソトラント イングランド イングランド イングラン ド ロシア アイルラン ド ロシア (ノ ホゴロ ド)地 区 イングランド・フランス. 1946-46 1941-43. 原. 過剰死亡. 1321. グρ bι s,1998よ り θ″ ″ルθ 出典 :Foster&Leathers,動 `″ “ `“ 丸井英二編 食の文化 フォーラム 17 p.230ド メス出版.
(15) 213. 奥 田 和 子. 火山の噴火か らナポ リの町を守 ったので「噴火 の聖人」 と言 われる。。 トウ ルマルティヌス. (パ. ノーニ ア・ハ ンガ リー,316年 )は 「貧困 を守護す る聖. 者」 と言 われる"。. め. 聖人たちは,欲 望 にまかせて食事 をせず ,断 食 ,粗 食 ・質素 ,節 食を心が けた。その理由は,① 信仰 の成就 ,神 へ の忠誠 ,こ ころの鍛錬 ,身 体 を鍛 え るためなど自分 自身のためであると同時に②他者へ の愛 と犠牲 の気持 ち③ 自 分 と共同体 の罪 の許 しを乞 うためな どで あ った。食事 とい う行為 の なかに 「神 聖」が秘め られ,他 者へ のお もいや り,「 博愛」「共存」「共同体 の平安」 など「精神性」 を重要視 してい る。おい しい ものを腹一杯食べ ないことに意 を注 いでいた。食事 は精神 と肉体 を鍛え,厳 しい修養 をするための機会であ り,食 べ ることが 目的ではなか った。 聖人の食行動 は,健 康や見 て くれ. (ス. タイルの うえでの美)の ためでは. な く,快 楽 のためで もない。食欲や欲望 の と りこになちがちな自己を引 きは なす ことが絶え間な く実践 されていた。 ここに述べ た聖人は 302人 の うち 66人 で約 5分 の 1に す ぎない。残 りの 聖人の食生活 には触 れ られてい ない。聖人伝 を読 むと聖人 とい う栄誉 にたど り着 くまでに,さ まざまな困難 と誘惑 に出会い なが ら,失 敗 を重ねている。 推察 の域 をでないが,聖 書 の基本原理である食行動 を貫 くことは難 しいこと か もしれない。 文. 献. 1)池 田敏雄 :教 会の聖人たち 上巻 中央出版 1992 2)池 田敏雄 :教 会の聖人たち 下巻 中央出版 1992 3)D.H.フ アーマー :オ ックスフォー ド聖書事典 1992 4)田 辺 保訳 :聖 フランシス コの小 さな花 p.288 教文館 1947 BUGHETTI,Benenuto: J Fjθ. ″ ″jご j Sα κ Fκ ακε `sε. ‐ θ εθκ ρ 《 QZjθ κι. `ん. θた ,Firenze,.
(16) 教会 の 聖人 た ちにみ られ る食行動. 214 1926. BASTIANI,Giovanni M。 ,jbjグ .,Assisi,1963. BONINO,Guido Davico,jbjグ .,Torino, 1974. ENGLEBFRT,Orrler: Las Fjθ rα′jグ ιSα jκ ′Frα 4fο jS,Paris,1994 ENGLEBERT,C)Iner:. 二′s JFjθ rι ″jグ. `Sα. fο JS,Paris,. jκ ′Frα κ. 1944. を訳 出 した もの. 5)J.ヨ 社. ル ゲ ンセ ン著 ,佐 藤 要 一 訳 :ア シジの聖 フ ラ ンシス コ. ドン・ボ ス コ. 1992. 6)安 田喜憲. :ペ ス ト大 流 行 (速 水 融 ,町 田洋 編 :文 明 と環境 所 収 )第 7巻. p.121 朝倉書店 1995. 7)歴 史学研 究会編. 8)安 田喜 憲. :世 界 史年表 p.136∼ 137 1995. :現 代 文明崩壊 の シナ リオ (速 水 融 ,町 田洋 編 :文 明 と環 境 所 収 ). 第 6巻 pp。. 247 朝倉書店 1995. 9)ELIZABETH HJlam著 ,鏡 リウウジ・宇佐 見和通訳. 聖者 の事典. 柏書房. 1996. 10)内 嶋善兵衛 :異 常気象 と文明 pp.42∼. 65. 朝倉書店. (速 水融 ,町 田洋編. :文 明 と環境 所収 )第 6巻. 1995. 11)安 田喜 憲 :歴 史 と気 候. (速 水 融 ,町 田洋 編. :文 明 と環 境 所 収 )第 7巻 p.. 121 朝倉書店 1995. 12)丸 井英 二 編 :飢 餓 を考 える p.221 飢餓 ―食 の文化 フ ォー ラム 17に 所収 ドメ ス出版 1998 13)山 本 茂 :栄 養学 的 にみ た飢餓 と飽 食 p.156-丸 井英 二 ,飢 餓 ―食 の 文化 フ ォー ラ ム 17に 所収 ドメス 出版 1998. 14)キ リス ト教 人名辞典 ,日 本 キ リス ト教 出版 局 1986.
(17)
図
関連したドキュメント
Ross, Barbara, (ed.), Accounts of the stewards of the Talbot household at Blakemere 1392-1425, translated and edited by Barbara Ross, Shropshire Record series, 7, (Keele, 2003).
Facsimile-edition of the Latin Charters prior to the ninth century, part XV, France III, Dietikon/ Zürich, 1986.. eds., Chartae
地区住民の健康増進のための運動施設 地区の集会施設 高齢者による生きがい活動のための施設 防災避難施設
補助 83 号線、補助 85 号線の整備を進めるとともに、沿道建築物の不燃化を促進
り、高さ3m以上の高木 1 本、高さ1m以上の中木2 本、低木 15
➢
一般法理学の分野ほどイングランドの学問的貢献がわずか
東京都北区地域防災計画においては、首都直下地震のうち北区で最大の被害が想定され