王様の耳は驢馬の耳
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(2) (32) 王様 の耳は駐馬の耳. る確実 な証拠 とす べきも のはな い。 されば、 これ に反対 する学者 も妙 くな いし、津 田左右吉博士 の様 に、﹃天狗 の内. 裏﹄ に於け る ﹃イ ニード﹄、﹁天稚 彦物語﹄ に於け る エロスとサイキ ー の関係 は、仏典を介し てと いふ枠附きながら ⑥. 認 めるも のの、﹃オデ ッシー﹄ には、﹁百合若﹄ に見 え る兄弟 の裏 切り や愛鳥 の文使 ひの両件を欠く ことを挙げ て、. ⑦. そ の関 係 を 否 定 す る人 も あ る。 巨 視 的 に言 へば 、 国 文 学 者 や民 俗 学 乃 至 は民 族 学 の立 場 に立 つ人 から は余 り 顧慮 さ. 好 意 を 以 て迎 へよう と す る人 が多 いか と 思 ふ。 現 に、 東 西 文 化 交 流 に関 心 を 懐 く 人 や海 外 の学 者 か ら は、 れ な いが 、. 0∽いお きお し の作 者 と し て知 ら れ るポ ルトガ ルの詩 人 カ モ エン ス 新 村 出 博 士 の如 き 、 いち は や く ﹃ルシ アダ ス﹂ ︵. ′ 0”ヨo ︵ 8 ︶ が 、 嘗 て澳 門 に流 寓 し た こと があ る こと を指 摘 さ れ 、 南 蛮 貿易 に従 事 し 、澳 門 にも 出 入 し た邦 人 の船. カ モ エ ン スはヴ ァージ ルに私 淑 し 、 ﹃ルシ アダ ス﹄ も と 何 等 か の接 触 が あ った らう こと は容 易 に想 像 さ れ る こと、 ③. ユリ シーズ の そ の詩 体 に則 った 作 品 であ る こと を 併 論 さ れ 、 こ の こと から推 せば 、 彼 がオ デ ッセイーー す な はち 、. 物 語 を 、 邦 人 の水 夫 達 に語り 聞 か せ た と し ても 不 思 議 ではな いと 、 説 か れて ゐ る の であ る。 新 村 博 士 の着 想 は、 当 ◎. 南 蛮 文 字 ﹂ を ペ ルシヤ文 字 で書 か 時 、 而 立 にも 満 た な い青 年 学 究 であ った羽 田亨 博 士 が、 山 田永 年 翁 の珍 蔵 す る ﹁. 南 蛮文 稗 益 さ れ たも のであ る こと は 明 ら か であ る。 謂 ふと ころ の ﹁ れ た詩 句 と 解 読 し て学 界 を驚 か せ た こと に、. 栂 尾 の 中 国 に留 学 し てゐ た慶 政 上 人 が福 建 省 の泉 州 で巡 り あ った南 蛮 人 に書 か せ 、 馬 葛 ︶、 字 ﹂ と は 、建 保 五 年 ︵. 明 恵 上 人 の許 に贈 ったも の で、 永 く 高 山 寺 に伝 襲 さ れ てゐ た が、 明 治 維 新 の際 流 出 し て山 田家 の蔵 と な り 、 国 の重 要 文 化 財 と し て今 に伝 存 す るも の であ る。. 空 想 ﹂ と され た が 、 爾 後 領 域 を広 め、学 界 未 知 見 の事 実 を指 摘 し 閑 話休 題 、 当 時 、 新 村 博 士 は謙 遜 し て、自 ら ﹁. 〓買 ︶ 天 草 学 林 か ら つ つ、各 方 面 か ら 南 蛮 文 化 の影 響 の可 能 性 を 追 求 さ れ た。 そ の要 を 採 って言 へば 、文 禄 三年 ︵. 上 梓 さ れ た ア ルヴ ァレー ス式 ﹃拉 丁 文 典 ﹂ には、 シ セ ロ ・ヴ ァージ ル 。セネ カ ・ホ ー レ スの他 、 ク ヰン チ リ ア ンや. リ ヴ ィの諸 篇 か ら の断 片 零 語 が 見 え る。 就 中 、 ﹃天 狗 の内 裏 ﹂ と の関 係 から 注 目 さ れ るヴ ァージ ルか ら の引 用 語句.
(3) 地産篇﹂ から の引用もある。 同様 な例は、慶長八 例 に就 いて見れば、﹃エイネ アス﹄ ﹁イ ニードし はもとより、 ﹁. き電 きヽ ど き ミヽ 年 含8じ 長崎刊 の ﹃日旬辞書﹄ ︵ざ ヽ Ssミ︶・同九年 貧8じ 刊 ロドリゲ スの ﹃日本文典﹄ 電ヽ さ ﹂. ゝヽ 〓8︶ 長崎刊 の耶蘇会士 エ マヌエル ・バ レト撰 の ﹃聖教精華﹄ ヽ ︵ ヽき 蒙ヽ 電ヽき ヽき ヽミ︶ や、 慶長十 五年 ︵. さミ 膠 ∽ ロヨヨ”コ●2 ω鶴おざ 一コο ヽ じ 以下 の書物 に ついても検証し得 ると ころ で、 ヽ ︵ ヽ ミヽ ミ ざ ヽ ヽ ヽミミヽ ∽ r ヽR ゝ ︺ ヽおじ ・ユーリピデ スの戯曲 ﹃ヘラクリーデ アリ ストート ルの ﹃エーテ ィカ﹄ ︵ 他 にもギ リ シヤ 古典 とし ては、. ミき こ が、 ラテ ン古典とし ては、 雄将 シーザ ーの ﹃ガリヤ戦記﹄ ︵3ミミミヽ ー﹄ 含ざミヽ ミじ oシセ ロの ﹃論集﹄・. か そ の他 ホー マー ・プ ラト ン ・ヘロドタ ス ・ゼ ノフォン等 々の名 が見える ことを指摘 され、 書翰集﹄、 セネ カ の ﹃. 夜 、宗教劇とし て、豊後府内 の教会 に於 て上演 された ことが、当時 の耶蘇会士 の通信 によ って知られる云 々。. 38︶ 頃から、降誕祭 の 永禄 三年 ︵ 人 の 出埃及記 ・ノアの洪水 ・ヨセフの 一生 ・サ ムソンとデリ ラの 話など が、. 創生記﹂ のアダ ムとイブ の堕落 と贖罪 の物 語 ・ロトの話 ・イ スラ エル 又、﹁聖書﹄ に基 く幾 つか の話︱︱ 例 へば 、﹁. 左近物語﹄・﹃ 加津佐物語﹄等 々、十余種 の古伏 キリ シタ ン小説 の存在 が確認 され、 教化物 語﹄・﹃ ﹃モルテ物 語﹄・﹃. 現存 の ﹃伴天連記﹂ に収 めるも のの他 、 伴天連 ヘルナ ンドと乳母 サビイナ の物語﹂ など、 は、 ﹁ルシャ姫 の話﹂・﹁. て文 語訳された ﹃平家物 語﹂ や ﹃伊曽保物 語﹄ の広本 が存在 した可能性 があ ると いふ。 これと並 んで興味 を惹く の. 最初 の西洋文学書 とし て記憶 さる べきも のであるが、如上 の諸書 に引用され た詞句 から想像すると、 これ に先立 っ. 世 話 に和らげ﹂られたも ので、 前者 は西欧 に紹介 された最初 の日本文学書 、 後者 は邦訳 され た ロー マ字化 され、﹁. 天草本﹂ の名を冠して呼ばれ る これら の二書 は、 当然 のことながら 覇8︶ には ﹁伊曽保物 語﹂を上梓した。 ﹁ 年 ︵. 、文禄元年 ︵ 覇露︶ には ﹃平家物語﹂を、翌 二 耶蘇会士達 は、又、﹁日本 の歴史を習 ひ知らんと欲す る人 の為 に﹂. の融 訳 はとも かく、翻刻 なら長崎 の学林 ででも出来 た筈 である。. 各地 の学林 や修書所 では拉丁語 の学習 に於 て、 ﹃イ ニード﹄ の 章句 にも触れる ことがあ ったらう。 そ たがた当時 ﹁ 中 村 忠 行. (33).
(4) 新 村 博 士 の所 説 は、 勿 論 、 我 々が当 面 の課 題 と し て論 ふ問 題 に、直 接 答 へる べく 用意 さ れ たも の ではな い。 日本. 吉 利 支 丹 文 化 史 研 究 の立 場 か ら 、 当 代 に於 け る文 化 交 流 の実 態 を探 らう と試 みら れ た余 滴 で、 偶 々筆 が ﹃百 合 若 大. 臣 ﹂ や ﹃天 狗 の内 裏 ﹄ に及 ん だ ま で のも の、 そ の源泉 が ﹁オ デ ッシイ﹄ や ﹃イ ニー ド﹄ にあ ると か、 それ ぞれ の伝 説 の転 訛 であ ると か断 ず るも の では な い こと は、博 士 自 ら も 言 は れ るが如 く であ る。. だ が 、 そ の可 能 性 は 全 く な いも の であ ら う か。 暫 く如 上 の問 題 を離 れ 、説 話文 学 の世 界 から 、 問 題 の背 景 とも な る べき 東 西 文 化 交 流 の跡 を探 って見 よう 。. ﹃近古史談﹄ に見え る この毛利元就 の遺訓諄は、も と湯湊元禎 の ﹃ 常山紀談﹄ 四編巻 一醗敗酬肇 の ﹁ 小早川隆景. 固。言終而卒。是典藝侯事太相類。 蓋暗合也。記以資博雅 。 ︵ 大槻磐漢 ﹁近古史談﹄巻 一︶. 隻箭折之。又 日、汝取十九雙箭折之 、延不能折也。柴 日、汝曹知軍者易折、衆則難催。数力 一心、然後社稜可. 又 日、桂鴻 ﹃西秦 録﹄ 云、吐谷渾阿柴 、臨卒呼子弟、謂 日、汝等各奉我 一隻箭。俄而命母弟慕延 日、取汝 一. 中 略︶ ︵. 子 隆 景 進 国、夫 兄 弟 之 争 、 必 起 於 欲 、 棄 欲 思義 、 何 不 和 之 有 。 元 就 悦 以為 然 、 顧餘 子 日、宜 徒仲 兄之 言 。. 能 断 也 。 軍 抽 其 一條 、 随 折 随 断 。 因 戒 日、 兄 弟 猶 此 箭 也 。 和 則相 依 済事 、 不 和 則 各 人各 敗 、 汝 等 銘 心勿 忘 。 次. 元 亀 二年 六 月 、 藝 侯 元 就 病 特 死 。 致 諸 子於 前 、 呼 取 箭 数 條 。 一如 其 子之 数 、 乃手自 糾 為 一東 、極 力折 之 、 不. 藝 侯戒 諸 子. り ﹂ 寓 話 を も 含 め て︱ ︱ の伝 流 があ る。 以 下 、具 体 的 な 一二 の例 を挙 げ て、如 上 の問 題 を考 究 す る よす がと す る。. 東 西 文 学 の交 流 に関 心 を 寄 せ る者 にと って、 興 味 深 い課 題 を 提 供 す るも の に、 ﹁イ ソ ップ物 語﹂ ︱︱ ﹁ 伊曽 保 ぶ. (=■ ). (34) 王様 の耳は腫馬の耳.
(5) 中 村 忠 行. (35). 遺 訓 ノ事 ﹂ に拠 るも の で、 元 就 自 筆 の ﹁ 遺 誠 状 ﹂ 始 め信 ず べき 記 録 にも 見 え ず 、 後 代 の附 会 であ る こと に つい て. は、 既 に先 学 に説 があ る。 而 し て、 そ の来 源 に ついては、 これ を ﹁イ ソ ップ 物 語﹄ の ﹁ ∧ 兄弟 喧嘩 を す る∨ 百 姓 の. 息 子 た ち﹂ の転 訛 と 見 る説 と 、 イ ソ ップ 寓 話 と の関 係 を否 定 し、 別 の類 話 を 想 定 す る説 と が並存 す る こと も 、 遍 く ⑪ 知 ら れ る と ころ であ る。 それ ぞれ の論 拠 を 窺 ふ に、 ま づ、前 者 に立 つ人 は次 の様 に考 へる。 山 口は、 原来 、 フラ ン シ ス コ ・ザ ビ エ ルが 、 大 内 義 隆 か ら領 内 で の布 教 の允 許 を得 て、 日本 最初 の天 主堂 た る ﹁ 大 道 寺 ﹂ を 建 立 霰跛廿ご し た故 地 であ る。 元 就 は、 弘 治 元 年 ︵ 〓Ы ︶、 義 隆 を 拭 し た陶晴 賢 を厳 島 に破 り 、 同 三 年 大 内 義 長 を伐 って周 防 ・長 門 に君臨 す る が 、 天 主 教 に対 し ては寛 大 であ った。 孫 輝 元 の室 に、 キ リ シタ ン大 名 と し て著 名 な 大 友 宗 麟 の女 を 迎 へても ゐ る。 イ ソ ップ 寓 話 が、 耶蘇 会 士 の説法 の引 合 ひ に用 ゐら れ たり 、各 地 の学 林 や修 書 所 で教 材 に用 ゐ ら れ た こと は、疑 へぬと ころ であ ら う が、 元 就 は そ の原 点 近 く に在 った人物 の 一人 と言 ふ べ き であ る。 現 に、 件 の話 は 、 文 禄 旧訳 の耶 蘇 会 版 ﹃伊 曽 保 物 語﹂ に ﹁ 百 姓 と 子 供 の事 ﹂ と 題 し て之 を収 め る。 も し 、 新 村 出 ・土 井 忠 生 雨 博 士 の所説 の如 く 、 これ に先 立 って文 語 体 和 訳 の祖 本 ︵ 広 本 ︶ が存 在 し たと考 へら れ るな. ら尚 更 の こと 、 こ の寓 話 は 早 く から人 口 に謄 久 さ れ 、 元 就 の遺 訓 諄 に転 ず る可 能 性 が強 いの ではあ るま いか。文 献. に記 さ れ る こと は な か った にし ても、説 話 の成 立 は意 外 に早 い に違 ひな いと 。 これ に対 し 、 反 対 を 唱 へる人 は、次 の様 な 問 題 の捉 へ方 を す る。 贅 す るま でも な く 、藩 祖 の遺 誠 な るも のは、 代 々 の藩 主 及 び世 臣 にと って は、 重 要な意 義 を 有 つ。 元 就 は、 戦 国 武 将 であ り 英 雄 な の であ る から 、 そ の遺 誠 の範 を 、 田夫 野 人 の翁 の諷喩 に借 り るとは、 ま づ考 へら れ ぬ。 し かも 、 そ の説 話 の成 立 が 、先 学 の指 摘 す る様 に江 戸 中 期 を 遡 ら ぬも の であ るな ら ば 、士 ・農 ・工 ・商 の分 際 は厳 と し て確 立 さ れ て ゐ た 筈 であ るし 、第 一、 耶 蘇 会 版 に見 え る こ の話 が 、 国字 本 ﹃伊 曽 保 物 五置 には見 え ず 、 果 し て人 口 に檜 久 し てゐ た か 否 か の点 も 問 題 と な る。 加之 、 元 就 の遺 訓 諄 では 子供 達 に矢 を 折 ら せる の であ って、 イ ソ ップ 寓 話 の如 く 、薪 乃 至 は ﹁ 樹 の楚﹂ を折 ら せ る の では な.
(6) (36) 王様 の耳は腫馬の耳. い。 こ の相 違 は 、軽 々に見 通 し て は なら ぬ。. 矢 ︶ は、 王者 の権威 、 そ の命 令 の伝 達 者 と し て の使 節 の不 由来 、 遊 牧 ・狩 猟 を 主 と し た古 代 社会 にあ って、 箭 ︵. 可 侵性 、 部 族 間 の平 和 ・統 一と 社 会 的誓 約 な ど 、 種 々 の権 威 の シ ンボ ルとし て用 ゐ ら れ たも の で、 そ の片 鱗 は記紀 ⑫. 誓 ﹂ と同義 に用 ゐ ら れ てゐ る ことも 、 これ に関 矢 ﹂ に、 ﹁ち か ひ﹂ の訓 が あ り 、 ﹁ の神 話 にも 認 め ら れ る。 漢 字 の ﹁. 係 があ ら う 。 後 述 す る様 に、 元 就 の遺 訓 謂 と 同 種 の類 話 は、 西 北 方 アジ アの遊 牧 民 族 間 に広 く流 布 す るも のであ る. そ の統 治権 を が、 か か る 見 地 よ り す れ ば 、 諸 子 に矢 を 一本 づ つ与 へる こと は 、 ﹁それ ぞれ に そ の統 治 領 を設定 し 、. 承 認す る と いふ狩 猟 ・牧 畜 社 会 の慣 習 を踏 ま へて ゐ る﹂ と 見 る べく 、 矢 を折 る こと は 、 チ ンギ スカ ン蒙 古 でも 行 は. れ た そ れ の如 く 、 ﹁ 諸 子 の ﹃誓 ひ﹄ の儀式 ﹂ の反 映 と も 、解 釈 さ れ る の であ る。 これ を 要 す る に、 元 就 の遺 訓諄 は 、. 阿 材 ︶ の話 、 乃 至 は そ の系 列 に立 つ イ ソ ップ 寓 話 に は遠 く 、 大 槻 磐 漢 が いち は や く指 摘 し た様 に、 吐 谷 渾 の阿柴 ︵ 説 話 に近 いと 考 へら れ る。. ﹃太 平 御 覧 ﹄ 巻 三四九 、 因 み に、 大 槻 博 士 が 、 ﹁桂 鴻 の ﹃西秦 録﹄ に云 ふ﹂ と し て件 の話 を 引 く のは、 正 確 に は ﹁. ﹁ 矢部 ・箭 上 ﹂ に引 く 桂 鴻 が ﹃西 秦 録﹄ に云 ふ﹂ と 記 す べき も の であ ら う。 蓋 し 、﹁西 秦 録﹄ は 、﹃十 六 国 春 秋﹄ 中. 宋 代 には既 に 亡 供 し たら し 経 籍 志 ﹂ に百 巻 、 ﹁新 唐 書 ﹄ の ﹁ 藝 文 志 ﹂ に百 廿巻と あ る が 、 の 一書 で、 ﹁隋 書 ﹄ の ﹁. く 、﹃崇 文 総 目﹂ や ﹃文 献 通 考 ﹂ に は之 を 著 録 し な い。 現存 通 行 の百 巻本 は、 明 の屠 喬村 ・項 林 の彙 輯 す ると ころ. で、﹃漢 魏 叢 書 ﹄ 所 収 の本 も 、 同 類 の本 と 見 ら れ て ゐ る。従 って、 現存 の ﹃西秦 録﹄ に件 の話 が 見 え な いと し ても 、. 何 等怪 じ む に足 り な い。 そ の原 撰 本 には確 か に記 載 さ れ てゐ た に違 ひな いこと は、 右 の ﹃太 平 御 覧 ﹄ の所 引文 に徴. 北 史 ﹄ 稀じ 巻 九 六 ・ ﹁列侍﹂ 八 し ても 明 ら か であ るし 、﹃魏 書 ﹄ 範 Ё 巻 一〇 一 ・﹁列 博 ﹂ 八 九 ﹁ 吐 谷 渾﹂ の条 や ﹃. 吐 谷 渾 ﹂ の条 に見 え る 記 載 な ど も 、 恐 ら く は ﹃西 秦 録﹄ のそ れ を踏 ま へて のも のと 見 ら れ る から であ る。 四 ﹁. 或 いは 人 あ って、 これ ら の文 献 が容 易 に披 見 し 得 ぬも の であ った ことを挙 げ て、 疑 間 を挟 む かも 知 れ ぬ。事 実 そ.
(7) の通り であらうが、阿柴 の話 そ のも のは、江戸中期 とも なれば、かなり人 口に謄久 され る様 にな ってゐた。天和 三. 折箭喩兄弟﹂ には、 ﹃集事淵海﹄ に拠 るとし て、 〓S︶ の刊記 を有 つ浅井了意 の ﹃新語園﹄ 巻 一第 四十 一話 ﹁ 年 ︵. 束 矢 折 箭 ﹂ の喩言 と な り 、 西 し て農 耕 民 族 間 に流 布 し ては、 ﹁イ ソ ップ 寓 話 ﹂ と し て語 ら れ る 田 野 翁 の 以下 の ﹁. 少 し く翁 の所 説 を付 度 す れば 、 も とも と印 度 に発 生 し た寓 話 が 、東 し て遊 牧 民 族 間 に流 伝 し ては、 吐 谷 渾 の阿柴. の話 を も つと も 古 く載 せ たも のか と惟 ふ。. 一巻 二七 六 頁 ︶、 これ ら 佛 経 の方 が こ ﹁大 英 百 科 全 書 ﹄ 一 一版 、 キ シ ム ・プ ラ ヌデ スが編 ん だ も のと いふか ら ︵. と し、 と載 す 。今 の ﹃イ ソ ップ物 語﹄ は、 西 暦 紀 元 前 六 、七 世 紀 の人 イ ソ ップ の名 を 借 り て、十 四世 紀 の僧 マ. と へば 一糸 の象 を係 るあ た はざ るご とし 、 多 く 諸 糸 を集 む れ ば 絶 つあ た はず 、 兄弟 並 び立 つはま た糸 多 き がご. 随 う た が 、 父 の亡 後 、弟 の妻 の勧 め で兄弟 分 居 し た、 と あ り 。 同 じ元 魏 朝 の詳 ﹃雑 宝 蔵 経﹄ 五 にも あ って、 た. し 、 た と へば 一葦 のひと り 燃 ゆ るあ た はざ るご と し 、合 は せ て 一把 を捉 らば 火 滅 す べか ら ず と訓 へ、 二子命 に. と いふ。 然 る 所 以 のも のは、 たと へば 一糸 の象 を 繋 ぐ に任 へぬご と し、多 く糸 を集 む れ ば す な はち象 を制 す べ. 元魏 の沙 門 慧 覺 詳 ﹃賢 愚 因 縁経﹄ 一二 に、 波 羅 奈 国 の富 人 三子 あ り 、父 滅 す る に臨 み 、汝 ら分 居 す るな か れ 、. 南 方 熊楠 翁 は 、 如 上 の遺 訓 諄 の原話 と覚 し き も のが 、 仏典 中 に見 え る こと を指 摘 し て、 次 の如 く説 か れ る。. 〇. 三. かに考 へる者 であ る。. う﹂ とされ てゐ る のは、傾聴 に値 する。とは い へ、筆者 は、尚文献 以前 に之を伝 へた者 があ るであらう ことを、秘. 寧 ろ書 物 の上 より得 た のであら る可能性もあ る ので、 その意味 で、 新村博士 が、﹁口碑 で伝 は った のではなく て、. 天中記﹄ に拠 るも のと孜証され てゐる。かうした次元 の低 い類書 から搬入され 之 を掲げ るが、実 は明 の陳耀文編 ﹃. 中 村 忠 行. (37).
(8) (38) 王様 の耳は腱馬の耳. ﹁ 東 薪 折 梢﹂ の喩 言 と な ったと い ふ にあ る であ ら う 。. ﹃賢 愚組﹄ は 、 アヴ ァダ ー ナ ︵ >く”Q”●じ に属 す る 経 典 で、 賢者 愚者 の讐 喩諄 を集 め たも の、 伝 によ れば 、 五世 紀 の初 、 コー タ ン ︵干 間 ︶ に赴 いた慧 覺 等 が聞 いた話 を 訳 し て、 北 魏 太 武 帝 の 太 平 員 君 六 年 ︵ ミ 3 に纏 め たも の と い ふ。 チ ベ ット や 蒙 古 にも 、 漢 訳 か ら 重 訳 さ れ て流 布 し た こと が知 ら れ て居 り 、 現 に シ ュミ ット の ド イ ツ語 訳 貧 ﹁ ∽oゴヨ︼ 一υミ ミヽ おヽミsヽ き ヽ ミ︺ ο か あお ︶ は チ ベ ット文 に拠 ってゐ る。 吐 谷 渾 は、 中 国 の青 海 省 地 方 に , 起 った国 で、 五 胡 十 六 国 の乱 に西 方 の 一勢 力 と な り 、 南 は蜀 漢 に通 じ 北 は河 西 の涼 国 と 交 った が、 五世 紀 の初 め に は 西 方 に進 出 、 六 世 紀 の中 頃 ︵つま り 、 阿柴 の出 た頃 ︶ には 、東 は西 海 から 西 は且末 に、 北 は祁 連 山 か ら南 は雪山 に及 ぶ広 大 な 領 域 を 占 め る に至 った。 そ の王族 慕 容 氏 は鮮 卑 族 の出 であ った が、 民衆 の多 く は チ ベ ット族 であ り、. や が て吐 蕃 の勃 興 と 共 に滅 ぼさ れ た 。 か うし た興 亡 の跡 を 垣 間 見 るだ け でも 、古 く コー タ ン地 方 に流 布 し てゐ た で. あ ら う件 の讐 喩 諄 が 、 或 いは ﹁賢 愚 経﹂ を介 し て、 吐 谷 渾 の阿 柴 の逸 事 に附 会 され て行 った と 見 る こと は、 不 可能 で は な い。. 又 、 ﹁雑 宝 蔵 組 ﹄ は 、 同 じ く 元 魏 の吉 迦 耶 ︵ パ︼ ヨF”てくP パ一 ヨF帥長 じ と曇 曜 の共 訳 、 や はり 大 小 乗 混合 のも の ・ ・ であ る が、 紀 元 前 二世 紀 中 葉 西 北 イ ンド にゐ たギ リ シ ヤ系 の メナ ンド ロス ︵ 〓①●”コ08 9 ∽ド 〓 一 ︼ ︼ ●0じ 王 と比 丘 ナ ーガ セー ナ ︵ Z帥”器 ①●” 那 先 ︶ と の対 論 の こと や 、 カ ニシカ ︵ パ”ユo Fじ 王と馬 鳴 ︵ >? ”mr8 じ 、大 臣 マー タ 〓帥 鶴 じ o医 師 チ ャラ カ ︵ ラ ︵ 0”S Fじ と が親 友 であ った こと な ど 記 し て ゐ る点 か ら 見 て、 西 北 イ ンド で三 ・四. , 世紀頃 に 成 立 し た も のと考 へら れ て ゐ る。 こ の こと は 、 如 上 の讐 喩 諄 と古代 ギ リ シヤ の讐 喩 諄 、更 にし て は イ ソ ッ プ 寓 話 と の関 係 を 示 唆 す るも の で、 か た が た高 楠 説 を 裏 書 き す るも のと な ら う か。. ﹁ 東 矢 折 箭 ﹂ の喩言 は、 又 、 蒙 古 人 間 にも 伝 誦 さ れ 、 む し ろ こ の方 が著名 とな った観 が あ る。 そ の先 樅 を な すも.
(9) 中 村 忠 行. のは、﹁元 朝 秘史﹄ に伝 へる阿 関 の話 であ ら う。 ドブ ン oメ ルゲ ン ︵ アラ ン ・コア ︵ 阿 関 媛 ︶ は、 架 奔 篤児干 ︶ に. 嫁 い で、 ベ ルグ ヌテ イ ︵別勒 古 訥 台 ︶ と ブ グ ヌテイ ︵ 不 古 訥 台 ︶ と 二人 の子 供 を産 む 。夫 の死 後 、 彼 女 は こ の二人. の子 供 と 、 夫 が生 前 に貰 って来 た バヤ ウ ト ︵ 伯 岳吾︶ 族 の マアリ ク ︵ 馬 阿 里 黒 ︶ と共 に住 ん でゐ る裡 に、 日月 の神. の精 を享 け て受 胎 し 、 ブ グ ウ oカ タギ ︵ 不忽 合 塔吉 ︶、 ブ カ ト ウ oサ ルジ ︵ 不 合 禿 撒勒 只︶、 ボ ド ンチ ャ ル ・ム ンカ. 学 端 察 児 蒙 古 黒 ︶ の二 人 を産 む。 それ を怪 んだ兄 の二人 は 、 これ ら 二 人 の子 は マアリ ク の胤 に違 ひな いと 噂 す ク ︵. る。 これ を 聞 いた アラ ンは、 あ る春 の 一日、 ﹁ 乾 し た羊 肉 を 煮 て﹂、 五 人 の子 供 に東 ね た矢 を 折 ら せ てお 互 の融 和 を. 説 き 、 三 人 の子供 は 日月 の精 霊 を享 け た神 の ﹁ 中 し子﹂ であ る こと を告 げ 、 間 も な く歿 す る。. こ の説 話 は、 ﹁ 精 霊 受 胎 ﹂ と いふ新 な要 素 を含 む点 で、 阿 柴 の話 と は大 き く相 違 し、 又、 父 親 と 母 親 、 廿 人 の子. 供 と 五 人 の子供 と い った小 異 も 見 ら れ る が、 諷 喩 の趣 旨 は同 じ であ り 、 それ が そ の儘 遺言 と な って ゐ る点 でも 一致. す る か ら 、 や はり類 話 の 一に挙 げ てよ い。 注 目す べき は、 アラ ンが子供 を 諭 す条 り に、 あ る春 の 一日、 ﹁ 乾 し た羊. 肉 を 煮 て﹂ と 語 ら れ る点 であ る。 ポ タ ー ニン ︵ ρ Z・﹃o一 ”ユ oこ あ雷 占 8 じ が指 摘 す る様 に、 蒙 古 人 は生 煮 え の肉 ① を 喰 べる が、 キ ルギ ス人 の様 に燻製 にし て保 存 す る習 俗 は な く 、 そ の方 法 も 知 ら な いとす る な ら ば 、 こ の説 話 は西. 方 か ら 入 って来 た要 素 を 含 む も のであ ら う か。 端 的 に言 って、 それ は既 に中 央 アジ アに 流 伝 し つ つあ った イ ソ ッ. プ 寓 話 であ る に違 ひな い 。 ﹁ボ ド ンチ ャ ル ・ム ンカ ク﹂ と は ﹁愚 か者 のボ ド ンチ ャ ル﹂ の意 で、 ア ラ ン の歿 後 兄弟. か ら も 見 捨 てら れ 、 単 身 オ ノ ン河 畔 の牧 地 にさ迷 ひ、 南 下 し て来 た ウ リ ヤ ン ハイ族 の者 に乞 食 す る が、 そ の辺 り. に、イ ソップ寓話で百姓 の子供達が、﹁ 仲が悪 い﹂とか ﹁ 愚か者ばかりで﹂とか語られることの反映が見られるし、. ﹁ 精霊受胎﹂ の話も、世界 の各民族間に種 々伝 へられるも のとは言 へ、ポ ッデォ ・ブラ ッチ ォリー ニの ﹃ 笑話集﹄ ”ommざ ω88︼ ︵ 一 ュ ¨コミヽ シ ュタイン ヘーヴ ェル ︵ きこ にも見え、 目のゴ︻ 一 o︼ o 9①一 ●す0l①じ 本 ﹃イソップ物語﹄ , 第 一五八話 ﹁ 夫 の留守 に神様 の子を産んだ妻﹂︵ ∪①くL一 ご 2く一 ュomS一 ざ ”σ8ユのし loocRcヨ o鶴一 ① ●P ヨ鶴一 (39).
(10) (40) 王様 の耳は腱馬の耳. の話 と な って ゐ る こと は 、 注 目 さ れ てよ い。. ボ ド ンチ ャ ル ・ム ンカ ク は、 ボ ルジ ギ ン氏 集 団 の祖 と さ れ 、 そ の八代 の孫 カブ ル oカ ンは岐 れ て キ ャト氏 集 団 の. 祖 と な る。 テ ムジ ン ︵チ ンギ ス ・カ ン︶ は 、 カブ ル ・カ ン の曽 孫 に当 る が、 こ の集 団 では、何 時 よ り の こと か 、 こ. 東 矢 折 箭 ﹂´の遺 訓 が 、 チ ンギ ス ・カ ンにま つは る話 と し て伝 誦 さ れ てゐ た。 チ ンギ ス ・カ ンが 、 臨 終 の床 辺 に の ﹁. 皇 子 ウゲ デ イ と ト ウ ルイ を 呼 ん で、 広 大 な 領 土 を保 全 す る為 には 一族 の協 力 ・和 合 が必要 であ ると 説 いた こと は、. ○. 十 分 考 へら れ る こと であ る か ら 、 それ にか こ つけ て附 会 さ れ る に至 ったも のか。 既 に、 イ スラ ム の史 家 アラー ・ウ ^ ッ ・デ ィー ン ・ジ ュワ ィ ニー ︵ そ の著 ﹃世 界 征 服者 の歴 史﹄ 寿ふ ︺“■”一 >蒟︰ 〓”︼ Qゴ ^ ュ ↓占 器 じ は、 >︼ 帥りL︲. ⑬. 、 、 ↓”ゴ F亨 ︻︺” 帥●︲ ︵ ∞●∽r帥じ に それ を 録 し イ ル ・カ ン国 の医 師 ・宰 相 で歴史 家 であ り ﹁年 代 記 集 ﹄ ε帥ヨ■ ”τ , ∪”1ご >σ● 2o 嵐ゴ ﹃”2 ≧ ︼ 力器 日03 帥r ダ H ヨ帥O L︲ ”︼ Sl畔 升 こ の著 者 でも あ る ラ シー ド ・ウ ッ oデ ィー ン ︵. バr”〓 口”ヨ”Q帥●デ 冒 P 馬ミ ム 〓 昌 ︶も 、 又 これ を継 承 す る と い ふから 、 そ の説 話 と し て の成 立 は 早 い。 し か も 、. そ れ が チ ンギ ス ・カ ンの 一族 の間 から 出 て ゐ る であ ら う こと は 、 護 氏 の詳 論 され る蒙 古 人間 の習 俗 か ら 推 し て、 当. 口① cヨ ﹁盟ヨ︼ 然 予 想 さ れ る と ころ であ る が 、 さ し づ め、 これ が ヘト ウ ム ・パ ト ミ チ ュ ︵ orcP 〓 8 即 ち ヘイ ト , 0ヽ きヽこ 熙∽ ヽお お き 膠 ヽ ン ロ”︼ き 0ヽヽ ヽ ミ ヽ、 ざ● R 目①稗oこ の ﹃東 洋 史 の精 華 ﹄ ︵ も ヽ ヽ潔 ヽミ いヽ コミ お おヽ s ミヽ. こ こでは チ ンギ ス ・カ ン の子 息 が 十 二人 と さ そ の証 左 の 一と な す べき も のか。 も っと も 、 にも 見 ら れ る こと は、. お 互 が強 く結 ば れ てゐ る限 り は﹂ と 語 ら れ る点 で、 多 愛 情 と信 義 と協 調 で、 矢 を 結 ぶ紐 も 三本 ︱︱ つま り 、 ﹁ れ、. キ リ キ ヤ ︵ 小 ア ルメ ニア︶ のタ ル ス地 方 西南 に位 少 粉 飾 の跡 が窺 へるけ れ ど も 。 著 者 ヘト ウ ム ・パ ト ミ チ ュは、. 三 二〇 五年 公 国 を ヘト ウ ムニ世 に還附 し 、プ レ モ ント レ修 道 会 の修 道 士 と 置 す る公 国 ゴ リゴ スの君 主 であ った が、. な って キ プ ロス島 に渡 り 、 つい で ロー マに移 り 、 フラ ン スに転 じ 、 ポ アテ ィ エ ︵フラ ン ス︶ に在 って、 教 皇 ク レ メ.
(11) ン ス五 世 の教 命 により該書 を 撰 し た。 初 め古 フラ ン ス語 で書 か れ た が、 幾 許 も な く し て ラ テ ン語 ・イ タ リ ア語 。ア. 元 ・太 四 四年 ウゲ デ イ oカ ン ︵ 〓 一 ルメ ニア語 の訳 本 が 出来 た と い ふ。 彼 の叔 父 ア ルメ ニア王 ヘト ウ ム 一世 は、. 。 っ て ゐ る 東 矢 折 箭 ﹂の喩言 を も 、 百 姓 と 子 供 た ち﹂ の他 に、蒙 古 系 の ﹁ か く て、 これ ら の国 々にお い ては、 イ ソ ップ 寓 話 ﹁ 、 併 有 す る こと と な った。 就 中 、 イギ リ スでは、 いち は やく南 方 翁 が指 摘 さ れ た様 に ジ ェイ ムズ ニ世 に対 す るケネ. ↓①凛 ︶ は、 エプ リ マンズ叢 書 にも 収 めら れ、 広 く大 衆 の読 物 と な Oo一 け o●︰ 種 、 そ の代 表 的 な コ ット ン ・テキ スト ︵. 〓N ︶ と 、各 国 語 に訳 さ れ 、 英 訳本 も 数 お じ ・ スペ イ ン ︵ 〓8 ︶ ・ド イ ツ ︵ド ら 、 オ ラ ンダ ︵ 〓ざ ︶ ・イ タ リ ア ︵. 、 。 き は、 殆 んど ﹃東 洋 の精 華 ﹄ か ら の借 用 であ る点 で、筆 者 に は興 味 を 惹 く のであ る し かも本 書 は 東 洋 の未 知 な 、 。 ィ 国 々 の風 土 、 珍 奇 な習 俗 を欧 洲 人 に語 り伝 へた点 でも 、格 別 な意 味 を有 つも のであ った マンデヴ ルが ロ マン 、 っ 、 ス語 で本 書 を 綴 った のは 、 お 8 年 代 の後 半 で あ ったと みら れ る が 一世 紀 を 経 て 大 航 海 時 代 も 迫 て来 る頃 か. も 、 全 く無 価 値 な俗書 に過 ぎ な いが、 蒙 古 に関 す る大 部 分 の記 述. 、 ごミヽ 、 じ s ︵ ミミ︶ 等 々 の資 料 を縦横 に駆使 し て 編 纂 し たも ので 旅 行 記 と し ても 地 理書 と し て ミ ざ 0ミ ミヽ ヽぉミミ ヽ ヽ ヽ ∽ 、殊 に ﹁ 東 矢 折 箭﹂ の教 訓 を綴 る第 二十 四章 の如. ﹃﹃ ︼ き ヽミ︶ やポ ルデ ノネ の修 道 士 オ ド リ コ ︵ ミ 00R お R ﹁R O①●o●3 の ﹃東 洋 紀 行 ﹄ ﹃世 界 の鐘﹄ 公せヽ Rやミ ゝ. の であ った に違 ひな い。 ∽〓 ぢ ゴ● ング ラ ンド の旅 行 家 マンデヴ ィ ル ︵ イ と ころ で、 ﹁東 洋 史 の精 華 ﹄ に伝 へる チ ンギ ス ・カ ンの物 語 は、 ⑩ そ の ﹃東 方 旅 行 記﹄ 含ぎヽ ざ ヽ ヽ ヽヽヽ 早 S S や いち は やく欧 洲 に紹 介 され た。 熟 鶏 も によ って、 く ”●O①く〓p P ド X じ の有 名 な くす8 ユ o出 ”①”嘔く”● 0・σ①ざお ド ξ 峙おじ は、 ポ ヴ ェのヴ ァンサ ン ︵ お ﹄ ヽ ミ 徴ヽ さ ゛ヽ Rき S e. 憲 宗 ︶ の宮 廷 に赴 い て朝 貢 し て ゐ る位 であ る から、 そ の記 録 す ると ころ は、伝 聞 であ る にし ても 根 拠 あ るも カン ︵. 五 四年 に は自 ら も モ ンケ ・ 〓 一 定 宗 ︶ 即位 の時 は弟 セ ンパ ドを 派 し て賀 意 を表 し 、 宗 ︶ に臣 従 し 、 グ ユク ・カ ン ︵. 中 村 忠 行. (41).
(12) (42) 王様の耳は駐馬の耳. デ ィ僧 正 ︵ パのココa F σ一 ユ >コQお 〓∽し の諷喩 諄 の如 き も のを生 んだ 。そ の次 第 は、ジ ェイ ムズ ニ世 が のrou R ∽”一. ダ グ ラ ス伯 ︵ U”ユ R Uocm︼ ”じ を 惨 殺 し た こと か ら 内 乱 が起 る が 、 時 に僧 正 は 王 に 一束 の箭 を示 し 、 衆 ま れば. 折 り 難 く 、之 を 分 つ時 は折 り 易 い こと を 語 り 、敵 を 分 断 し て各 個 撃 破 す べき 策 を進 め たと いふ。 こ の逸 事 は、 パ ッ. くor F uフ 葛Y 葛ωし に拠 ってゐ る。 協 力 を 説 く 通行 の喩言 の逆 を行 く も のであ る が、. ク ルの ﹃英 国 文 明 史 ﹄︵ 口①●﹃て ↓ぎ ヨお ”口oFげ 一ミ ∽ ヽ ざぐ oヽ Qヽ ヽ ヽ ヽ LF Oゴ”p 目 耀 ︶に ミヽ ミ き ヽヽ いやヽヽ くo︼ o , 見 え て著 名 な 話 と な ってゐ る が 、 パ ック ルは これ を 、 リ ンジ ー の ﹃ス コ ット ラ ンド史﹄ ︵ r ●計 ”Ч R ”一 ” 円 o二 ①︶ 貿 oN ミ やさ∽ へ きヽ ヽ やs ヽ. 類 話 であ る こと に は異, 論 がな い。 し かも 、 そ の説 話 の成 立 が、 ﹃東 方 旅 行 記 ﹄ の流 行 し た十 五世 紀 の中 頃 と 、余 り 隔 ら ぬ頃 と 見 ら れ る こと が、 如 何 にも 面白 い。. 鮮 卑 乃至 は 蒙 古 民 族 間 に 伝 誦 さ れ た ﹁ 東 矢 折 箭 ﹂ の喩言 は、 イ スラ ム 第 ニ カ リ フ帝 国 ︵ウ マイ ア朝 、 8 ドー ﹃8 ︶ に入 って、 名 将 ム ハ ッラ ム の話 を 生 み、 一方 、 イ ソ ップ 寓 話 は ロシ アに入 って、 ﹁ 七 本 の 小 枝 ﹂ の民 話 り①﹃ 〓 o刀口∽F くF ∽ ﹃︶ と な る。 くo︼ ︵ o ∽ ”く” 刀oo が 、 そ の辺 ま で触 れ る必要 は今 はあ るま い。 要 は、 こ の教 訓 諄 ︰ が 、 遊 牧 民 族 ・農 耕 民族 何 れ の社 会 に於 ても 受 容 れ ら れ易 い要 素 ︱︱ こ の説 話 の有 つ伝 播 性 を指 摘 し て置 け ば よ い の であ る。 海 を 隔 て てゐ ると は言 へ、 日本 民 族 が独 り 孤 立 し てゐ る と は、 ス コ ット ラ ンド の例 に徴 し ても 、 考 へら. れ ま い。 文 永 ・弘 安 年 間 の蒙 古 襲 来 が 、 ﹃増 鏡 ﹄ や ﹃太 平 記﹂ に見 え る こと は当 然 の こと とし ても 、 そ の餘 波 は お. 伽 草 子 の ﹃御 曹 司 島 渡 り﹂ や ﹃百 合 若 大 臣﹂ に及 び 、 ﹁む くり ︵ 蒙 古 と の名 は、怖 る べき 国 と し て庶 民 の耳 架 に染. み つい てゐ た であ ら う。 ま し て や 、 一方 に五山 の詩 僧 の往来 が あ り 、 交 易 船 の出 入 も かな り あ った の であ る か ら 、. 縦 令 、 文 献 に徴 す るを得 な い に し ても 、 日碑 と し て伝 へら れ る可 能 性 は あ る と、言 はねば なら ぬ。.
(13) 認 し 得 ら れ る﹂。 か う 紹 介 され た上 で、 博 士 は、 原 文 の音 訳 と邦 語 の対 訳 と を 示 され 、 更 に文書 裏 面 記載 の讐 喩 談. 鳴 ヽあ か ヽる ざ ヽこ る ヽと 所 ヽは 以 ヽ疑 を ヽな イ ヽい ソヽ力S ツヽ ` プ ヽ言 が ヽひ 説 ヽ表 明 ヽは す ヽし る ヽ方. ↓ro ﹁R FR ”●0 ① ∽FR oし の話 であ る こと を指 摘 され 、 日鶴 ●8 一刀rくり の ヽヽ 豚 と 羊﹂ ︵ が ﹁ S げ 、ざ き ∽ , , に よ って本 文 を対 比 し つ つ、次 の様 な 疑 問 も 提 示 さ れ た。. に. ヽ. 雨者 を対 比 し て見 ると 、 断 片 に見 え る虎 が此 の話 の 一. マr、 lc. m びo 8 =>8oり の対 比 に つい ては 、 此 の ヨシパ スと イ ソ ップ 、 即 ち く8 一 が 記 さ れ てゐ る。 ル ・コ ック氏 は 、﹁ oあ = , ブ レ スラ ウ の リ ュッケ ル教 授 に 負 ふ処 を 謝 す と前 序 に記 し 、 内 容 に つい ては F”コ計 σR”R ¨さ き き さ ∽セ R s , 内 容 と相 考 へてイ ソ ップ 物 語 の断 片 であ る こと は、誰 にも 承 い 鵠 p 口 馬 F Z﹃oo9 を参 照 せ よと記 し て居 る が﹂、 ﹁. 裏 面 同位 置 にも 同 じ く 赤 色 で ﹁ シ パ スの﹂ と 記 し 、 善 き美 し き ︵ 本 と と あ り 、 本 文 中 にも 三個 所 に ヨシ パ スの名. そ の表 面 の本 文 第 一列 の上 方 に赤 色 で ﹁︵ 字 で、 表 裏 と も 僅 か に九 行 づ つの断片 であ ると い ふ。 而 し て、 賢 き︶ ヨ. き さ はN “ ×葛 目 、 欧 洲 風 の大 型 本 の 一葉 中 そ の上 部 に当 る部 分 で、 下 部 は 欠 損 し て居 り 、本 文 は所謂 ウ イグ ル文. ざ ・H F ︶ と し て公 にされ た 四十 四種 の文書 中 、 Rヽ おざ やヽ ヽあ ヽ 第 十 四文書 と し て 収 め る断簡 は、 正 に ﹁イ s い ヽ ④ , ソ ップ 寓 話﹂ に関 係 あ るも のであ った。 羽 田博 士 の紹 介 によ ると、 こ の文 書 は高 昌 の遺 址 で採 集 され たも の で、 大. で得 ら れ た各 種 の言 語 ・文 字 に よ る摩 尼教 関 係 の文書 を公 刊 され た が、 お圏 年 春 、 ﹃摩 尼 教 遺 文﹄ 巻 三 ︵いヾ 熟 おき ヽ. >ごq一くo● F①OOP “8 占 8 3 は、 ト ルフ ァン ・ハミ ・カ ラ シ ャー ル ・ク チ ャ方 面 お お年来 、 ル ・コ ック氏 ︵. し く そ の問 題 に触 れ る。. 論 は岐 路 に入 る。 前 節 で、 ﹃元 朝 秘 史 ﹄ 所 伝 の阿 関 媛 の遺 訓 諄 には、 西 方 か ら の影 響 が あ ら う と説 いた から 、少. (口Ц). 居 る。 殊 に第 二行 に ﹁イ ソ ップ か く云 へり ﹂ と 記 し て、. な ヽ異. に. 中 村 忠 行. (43). 羊 ヽ節 α)ヽ ¬ ご. こ ヽは と ヽ大.
(14) (44) 王様 の耳は聴馬の耳. 註、 今 考 へ得 な い。著者 ︵ 居 る のは 、 著 し く 目立 つ相 違 であ る。 表 面 の文 句 は 現存 讐 喩 談 の何 れ に比 す べき か 、. ル ・コ ック氏 ︶ は た ゞ参 照 と し て前 記 の書 名 と 頁 と を 拳 げ て居 る丈 であ る が、 ま さ か此 の表 面 の文句 も 、裏 面. のと 同 一の話 の中 に存 す ると い ふ の で は あ るま い。 す べて此 等 の点 に つい て は、博 雅 の君 子 の教 に倹 つこと に 括 弧内 の註 及 び 傍 点 筆 者 ︶ す る 。︵. 羽 田博 士 の こ の紹 介 は 、 新 村 博 士 を は じ め ﹃イ ソ ップ 物 語 ﹄ に関 心 を 懐 く人 々を非 常 に喜 ば せ たも のであ る が、 右 に引 い た博 士 の疑 問 点 に ついては 、 若 干 補 正 を 必 要 と す る。. 按 ず る に、 イ ソ ップ が 寓 話 中 に登場 す る のは、 これ が ﹁イ ソ ップ 伝 ﹂ とし て語 ら れ てゐ る こと を示 す。 類 例 を他. 見 つか った財 産 に就 て の判 決 ﹂ の 一則 が、 シ ュタイ ン ヘーヴ ェル本 では独 立 し た に求 め る な ら ば 、 以 下 で触 れ る ﹁. 国字本 ﹃伊曽 保 物 語﹄ では伊 曽 保 の頓 智 を 一寓 話 と し て、 ﹁ア ル フ ォ ン ス ス寓 話 抄 ﹂ の 一群 中 に見 え る の に対 し 、. 商 人 か ね を お と す 公 事 の事 し に収 めら れ てゐ る。 同様 な 例 は、 示 す 一挿 話 と し て、 ﹁侍 ﹂ の部 ︵ 上 巻 、 第 十 三話 ﹁. 他 にも 尚 幾 つか指 摘 出 来 る が、 イ ソ ップ 寓 話 の幾 つか は、 か う し た形 で でも 語 り 継 がれ た の であ る。 さ う考 へて誤. 註 、 ﹁イ ソ ツプ の﹂ であ らう ︶ 言 葉 二、 又 、 スベ テ彼 等 ハ笑 ヒテ り のな い こと は、件 の断 簡 の表 の文 面 に ﹁ 此ノ ︵ ・ イ ソ ップ の頓 智 を相 イ ソ ップ と 複 数 の人 々と の対 談 であ るら し い こと 、 ・﹁我 等 ノ智 恵 ハ﹂ と い った文 字 が見 え 、. 手 が 賞 め てゐ る趣 き であ る こと 、 又 そ の 一節 は続 く裏 面 の ﹁豚 と羊﹂ の話 の直 前 にあ る こと な ど が窺 は れ る か ら で. く一 小堀氏 の これ を シ ュタ イ ン ヘーヴ ェル本 巻 頭 の ﹁イ ソ ップ 伝 ﹂ ︵ ご U8 oし に徴 す る に、 正 し く第 九章 ︵ あ る。. 区 分 に よ る︶ の末 に見 出 し 得 る のであ る。 す な は ち 、 学 者 仲 間 の招 宴 に赴 いた ク サ ント スは、料 理 の中 の珍 味 を 取. 我 家 の気 立 てよ き 人 の許 に届 け て よ﹂ と 、 イ ソ ップ に命 ず る。 か ね て ク サ ント スの妻 に侮 辱 さ り 分 け て、 これ を ﹁. れ 、 復 讐 の機 会 を 狙 って ゐ た イ ソ ップ は 、 そ の料 理を 持 帰 り 、 女 主 人 の眼前 で大 に喰 は せ る。 勿 論 、 ク サ ント スは. そ れ を 知 る よ し も な い。 宴 席 に戻 った イ ソ ップ は、 そし ら ぬ顔 でク サ ント スに復 命 す る。 そ の機 会 を捉 へた学 者 達.
(15) 豚 は何故 騒 ぎ立 て 屠 所 に引 かれ行 く羊 は お と な し い の に、 そし て、 ﹁ は、 イ ソ ップ に質 問 を 発 し 、 頓 智 を試 み る。. 湮 賢者 アヒカ ルの物 語 ﹂ ︵ それ に は既 に ﹁ 遡れば そ の辺 ま で辿 り着 く訣 であ るが、 伝﹂ も 、 る。 プ ラ ヌー デ スの ﹁ 、 伝 ﹂ の前 半 では反 抗 的 な 奴隷 であ る イ ソ ップ が、 後 半 で 範 滅 ︶ を 混 へるも のと な って ゐ 。遠 田 勝 氏 に従 へば ﹁ 、 。 は俄 か に バビ ロ ニヤ王 の忠 臣 になり変 は る のは、 そ の名 残 り を止 め るも のと い ふ 紀 元 前 五 ・六 世 紀 頃 古 代 アラ. 、 も ほ ぼ 同 じ 頃 か 、 今 少 し く 遅 れ て成 ったも の で 恐 ら く は ア レキ サ ンド リ ア 辺 り で書 か れ たも のと 想 像 され てゐ. ﹃F”①Q︻ 人 フ ァイ ド ル ス︵ “3 が、 デ メト リ ォ ス のそれ な ど を基 に編 輯 し た短 長 律 寓 話 集 の系 統 を 引 く と いふ. 一世 紀 頃 、ギ リ シヤ系 ロー マ ミ でぁ る が湮滅 し 、 現存 す るも のは、 ヽ ● ミ ミ によ って結 集 さ れ た いヽ 電 噴 電 ヽ 、おSヽ 。﹁ 伝﹂. 寓 話 集 ﹂ と を 一括 し た ﹁イ ソ ップ 物 語 ﹄ の伝 本 が皆 無 であ ったと は考 へ 伝﹂ と ﹁ あ る。 勿 論 、 彼 以前 に於 ても 、 ﹁ 。 い 、多 の場 合 、 両 者 それぞれ 別 個 の書 物 と し て、伝 写 さ れ流 布 し て ゐ た ので はな か ら う か ら な が く れ 、 ァ 、 ” ∪①ヨ①一 q8 ︶ ﹃ 8 ”r”︼ イ ソ ップ の名 を 冠 し た最 初 の寓 話集 は 紀 元 前 三世 紀 頃 デ メトリ ォ ス .フ レ ル ス ︵. ソ ップ 伝 を 冒 頭 に置 く 寓 話 集 の型 を定着 さ せ 、 それ を コン スタ ンチ ノープ ルか ら イ タリ アに齋 し た人 と説 く先 学 も. 、 伝﹂ く ”独B8 ”︼ ”●●08 ︶ のそれ であ ら う 。 プ ラ スー デ スは 古 く から ﹁ ンで書 か れ た マク シ ム ・プ ラ ヌーデ ス ︵ 、 、 の作者 と さ れ てき た が、 信 ず べくもな い。 中 世 の数 あ る イ ソ ップ 寓 話集 の編 纂 者 の 一人 で 十 四世 紀 の前 半 に イ. ラ テ ン語 に翻 訳 さ れ 、 聖 ク リ ソゴ ヌス枢 機 卿 司 祭 の称 号 を有 す る尊 き神 父 様 ア ント ニウ ス殿 に献 げ ら れ た る高 名 な ” ︼ご0 本 は 〓N 年 ミ ラ ノ刊 、イ ソ ップ o ① ヨ 寓 話 作 者 イ ソポ の生 涯 の物 語﹂ と いふ副 題 が付 いて ゐ る 。レミキ ウ ス ︵ 、 、 伝 の後 に百 篇 のギ リ シヤ散 文 寓 話 のラテ ン訳 を 収 め る集 であ る が 伝 の部 の基 と な った のは 十 四世 紀 にビザ ンチ. シ ュタ イ ン ヘーヴ ェル本 の巻 頭 に置 か れ た こ のイ ソ ップ の伝 に ついて は、 ﹁レミキ ウ スにより て ギ リ シヤ語 より. イ ソ ップ が答 へると い ふ話 が続 く。 r”●お びRmR 本 も 又 シ ュタ イ ン ヘーヴ ェル本 の流 れ る のか﹂ と い ふ質 問 に、 。 、 を汲 む 一本 と推 測 さ れ る が 、 ル ・コック氏 が指 摘 さ れ る のは こ の部 分 であ る に違 ひな い. 中 村 忠 行. (45).
(16) (46) 王様 の耳 は度馬の耳. ム語 で書 か れ た ア ヒカ ル ︵ >0 寿鶴 ︶ の言葉 乃 至 は伝 は、 いち は や く シリ ア語 や ア ルメ ニア語 o古 代 ト ル コ語 な ど , に訳 さ れ 、 アラブ 語 を介 し て ﹃千 夜 一夜 物 語﹂ に馴 を 落 す が、 一方 でギ リ シ ア語 訳 を 経 て、 イ ソ ップ 伝 にも融合 し たも のと 見 ら れ る。. 閑 話 休 題 。 ウ イグ ル人 が漠 北 を去 って高 昌 に移 った のは、 唐 の認 宗 の成通 九 年 ︵ S e の こと であ るから 、 如 上. の文書 が そ れ 以後 のも の であ る こと は、ま づ想 定 し て誤 り あ るま い。 では、 そ の下 限 は如 何 と い ふ に、 沢 ル ・コ ッ. ク氏 は︶ 一言 も 説 き居 ら ぬ か ら 、 勿 論 、其 の意 のあ る所 は知 り 難 い﹂。 しかし 、 ﹁ 僅 少 な る用 語 の上 か ら考 へると 、. 遅 くも 唐 の中 葉 に当 るも のと 断 ず る こと を憚 ら ぬ ト ル コ語 = 特 に ト ル コ語と称 し て ウ イグ ル語 の名 称 を 避 け る= 仏. 典 に見 ゆ るも のと 同 一の語 法 が 現 はれ 、単 語 に つい ても 特 異 のも の はな い。 要 す る に唐 宋 時 代 のも のと いふより外 ズ 致 し方 あ る ま い﹂ と 、 羽 田博 士 は説 かれ 、 更 に、 ル oコ ック氏 は ﹁ 東 西文明相 互 の伝 播 融 合 上 に於 て、 混 丼 犯 た る摩 尼 教 の働 き を 重 く 見 る 人 ﹂ で、 該書 の前 序 にも 、 ﹁ 印 度 の仏 教 の伝 説 を西 方 に、 希 臆 や、 メ ソポ タ ミヤ や、 イ ラ ン の思 想 を極 東 に齊 し たも のは、東 方 の基 督 教 で は な く し て摩 尼教 であ った﹂と 記 し てゐ る位 であ るから 、﹁ 此 の断 片 が吐 魯 番 に於 け る摩 尼 教 徒 な る ウ イグ ル人 の間 に、 イ ソ ップ 物 語 の存 在 し た こと を 示 す のは、 何 等驚 く に当. ら ぬと 見 た﹂ こと は明 ら か であ ると 、附 言 し て居 ら れ る。 これ を 要 す る に、 イ ソ ップ 寓 話 の幾 つか が、 九 世 紀 の中 葉 に は中 国 の辺境 に入 って ゐ た こと は確 実 であ り 、 し か も そ の可 能 性 は更 に 一世 紀 を 遡 って、中 国本 土 に於 ても と想 定 す る ことも、 あ な が ち 不自 然 では な い。蓋 し、摩 尼 教 が中 国 に伝 へら れ た のは 、 唐 の則 天 武 后 の時 代 であ り ︵﹃佛 祖 統 記 ﹄ 巻 三十 九 ︶、 一時 禁 圧 ︵ 認 N年 ︶ され た が復 活 し て、 長 安 そ の他 の地 に は寺 院 が建 立 さ れ た程 であ るし 、 蒙 古 の遊牧 ウイグ ル間 に摩 尼教 が広 ま った のも 、 唐を 経 由 す るも の であ った こと は 、 著 聞 す ると ころ であ る か ら であ る。 既 にし て 一方 に は 、 ウ グ ルの政 治 ・文 化 イ の指.
(17) 中 村 忠 行. (47). 導 者 と なり 、 イ ラ ン的 ソグ ド文 化 を齋 し 、摩 尼教 の普 及 や ウ イグ ル文 字 の発 明 にも 一役 を 買 った ソグ ド ︵ 栗特 ︶ 人. の活 躍 があ り 、 活 溌 な国 際 的 通 商 に従 事 し 、東 西 文 化 の交 流 にも 大 き な役 割 を果 し た突 豚 の勃 興 が見 ら れ 、 又 、 ネ. 景 教 ︶ の伝 流 ︵ 8 3 ︶ が あ って、 訳 経 や寺 院 の建 立 も あ った こと 唐 ・太 宗 貞 観 九 年 ︹ スト リ ウ ス派 のキ リ スト教 ︵ な ど を併 せ考 へる な ら ば 、 そ の可 能性 は、益 々強 いも のと な る であ らう 。. 此 事 惟 ノ證抜 ナ ケ レバ判 ジ ガ タ シ。 但 ト モ ニ正 ノ物 卜見 テ、 彼 主 不 実 ノ事 惟 ナリ ケ レバ、 國 ノ主 ノ判 二云 、 ﹁. ︵者 ︶. ケ レバ、 彼 妻 ヲ召 テ、 別 ノ所 ニシ テ、事 ノ子 細 ヲ尋 ル ニ、夫 ガ 申 状 ニス コシ モタガ ワズ 。 此 ノ妻 ハ極 タ ル正直. ︵ハ︶. テ、 是 レ ヲ コト ワラ シ ム。 國 ノ守 、 眼賢 ク シ テ、 此 ノ主 ハ不 実 モノ、此 男 ハ正直 ノ物 卜見 ナガ ラ、 猶 不 審 ナリ. ︵者 ︶. レ。 一ヲ バ カ ク サ レタ ル ニヤ﹂ 卜云 。﹁サ ル事 ナ シ。 モト ヨリ六 ナ リ﹂ 卜論 ズ ル程 二、 省 アハ國 ノ守 ノ許 ニシ. 奉 ラ ン﹂ 卜云 テ、 既 二分 ベ カ リケ ル時 、思 カ ヘシ テ、 煩 ヲ出 サ ン篤 二、 ﹁ 七 コソ アリ シ ニ、 六 ア ル コソ不 審 ナ. 返 シ給 へ﹂ 卜云 ケ レ バ、 ﹁ 実 二﹂ ト テ、普 ク フ レケ ル ニ、 主 卜云 物 出 来 テ、 是 ヲ得 テ ア マリ ニ嬉 ク テ、 ヨ 一 ヲバ. ︵ 者︶. 欲 ナキ 者 ニテ、 ﹁ 我 等 ハアキ ナ フテ スグ レバ事 モカ ケズ 。 此 主 イ カ バカ リ歎 求 ムラ ム。 絲 惜 事 ナ リ。 主 ヲ尋 テ. 餅 ヲ賣 ケ ル ニ、 人 ノ袋 ヲ落 シタリ ケ ルヲ取 テ見 レ バ、 銀 ノ軟 挺 六 アリ ケ リ。家 ニモチ テ婦 リ ヌ。 妻 心 スナ ヲ ニ. 近年 ノ婦 朝 ノ僧 ノ説 ト テ、 或 人 ノ語 リ シ ハ、 唐 二賤 キ夫 婦 アリ。餅 ヲ賣 テ世 ヲ渡 ケ リ。 夫 卜、 道 ノ頭 ニシテ. 正 直 ニシ テ賓 ヲ得 タ ル事. と が出来 る。. し た例 が見 ら れ る様 にな る。 さ う し た 一例 と し て、無 住 の ﹃沙 石 集 ﹄ 巻 九 第 二話 に収 め る次 の 一話 を 、指 摘 す る こ. か く て、 唐 ・宋 以後 の中 国 の民 間説 話 には西 方 か ら の影 響 を受 け たも のが あ り 、 それ が更 に転 じ て、 日本 に伝来. (I).
(18) (48) 王様 の耳は腫馬の耳. ´工 ︶. 直 ノ者 卜見 ヘタ リ。夫 妻 又詞 タガ ハズ。 主 ノ詞 モ正直 ニキ コ ユレ バ、七 アラ ム軟 挺 ヲ得 テ ト ルベ シ。 是 ハ六 ア. レ バ、 別 ノ人 ノ ニ コソ﹂ ト テ、 六 ナガ ラ夫 妻 ニタ ビ ケ リ。 宋 朝 ノ人 、 イ ミジ キ成 敗 トゾ 、普 ク ホ メ 旬 ヶ ル。. 自 ラ天 ノ興 テ宝 ヲ エタリ。 心 マガ レ ル ハ、 心直 ケ レ バ、 冥 トガ メ テ財 ヲ失 フ。 此 理 リ ス コシ モタガ フベカ ラ ズ 。 返 々 モ心 ハ清 スナ ホ ナ ルベキ 者 ナリ。. こ の説 話 に つい て は、 既 に先 学 に説 が あ り 、 ﹁お そ ら く は イ ンド か ら 起 り、 東 にも 西 にも 広 が った、 いはば 世 界. 的 の民 話﹂ の 一つであ る こと が 明 ら か にさ れ てゐ て、 更 に蛇 足 を加 へる必要 が な い。 が 、 当 面 の課 題 か ら 、見 遁 せ ぬ問 題 点 も見 出 さ れ る の で、少 し く 跡 を辿 って置 か ね ば な ら ぬ。. ま づ、 これ に説 を なす者 は南 方 熊 楠 翁 で、 覇翁 年 ロンド ン刊 の ﹃笑 諄 捷答 ﹄ CS ヽ ゛∽ ヽヽヽ oミヽ 懇 翁 は 、 こ ピ・. ゝ磯 Sヽ お︶ の第 十 六 章 に類 話 が見 え る こと を指 摘 し 、 類 話 は欧 洲 に色 々とあ るが、 そ の原 話 は仏典 にあ ると し て、 ④. 劉 宋 の仏陀什 等 訳 ﹃弥 沙 塞 部 五 分 律 ﹄ 巻 九 綸F諭漱概生 じ に見 え る波 斯 匿 王と 一外 道 の話 を 挙 げ 、 同 じ 話 は 銚 秦 訳. ﹃四 分 律﹄ 巻 十 八 にも 見 え ると 説 か れ た。 翁 の指 摘 は 、 恐 ら く 肯 繁 に当 るも のであ ら う が 、 ﹁ 裁 判官 、 佛法 嫌 ひ で. 金 を 拾 得 し た︶ 比 丘 を 四辻 へ出 し 、 非 理 に決 断 し 、 ︵ 死 刑 にせ ん﹂ と し たり 、 誤 審 の訂 正 を 王 に需 めら れ た裁 判 官. 外 道 は死 刑 、 財 産 は官 に没収﹂ と裁 決 す る が、 比 丘 の救 命 によ が 、 ﹁かく 面 り 王 を 欺 く 者﹂ と し て、 証告 し た ﹁. って、死 刑 は 免 れ た と い った要 素 は 、他 の類 話 に は見 ら れ な い。 拾 得 金 の処 置 に つい ても 、 結 論 的 なも のは語 ら れ ぬと 説 く 。. これ と は全 く 別 の観 点 か ら 始 め ら れ たも の で、 ﹁ 金 関丈 夫 博 士 の説 は 、 近年 婦 朝 ノ僧 ノ説 ﹂ と し て語 ら れ る件 の. ま る。. 説 話 が、 陶 宗 儀 の ﹃南 村 鞍 耕 録﹄ 含〓 o年 成 ︶ 巻 十 一の ﹁ 賢 母 辞 拾 遺 紗 ﹂ に符 合 す るも の で あ る こと の 指 摘 に始 ②. 轟 以道 宰 江 右 一邑 、 日有 村 人 早 出 賣 菜 、 拾 得 至 元 紗 十 五 錠 、 掃 以 奉母 。 母 怒 日、 得 非 盗 来 而 欺 我 乎 。 縦 有 遺.
(19) 失 、亦 不 過 三 雨張 耳 、寧有 一東之 理。 況我 家 未 嘗 有 此 、立 富 禍 至 、可 急 速 送 還 、 景 累我 篤 也 。 言 之 再 、 子 弗 従。. 母 日必如 是 、我 須 訴 之 官 。 子 日、拾 得 之 物 送還 何 人 。 母 日、 但於 原 拾 虎 侯 候 、定 有 失 主 末 夫 。 子 遂 依 命 携 往。. 錠 ︶、 頃 間 果 見 尋紗 者 。 村 人本 朴 質 、寛 不詰 其 数 、便 以付 還 。傍 観 之 人皆 令 分 取 篤 賞 。失 主 斬 日、 我 原 二十 定 ︵. 方 綾 一半 、安 可 賞 之 。 争 問 不 己、相 持 至 鷹事 下。 最 推 問 村 人 、 其 辞 賞 。 又密 喚 其 母審 之 合 。 乃倅 二人各 具 、失. 者 責 二十 定 ︵ 錠 ︶、文 状在 官 後 、却 謂 失 者 日、 此 非 汝砂 、 必天 賜賢 母 、 以 養 老 者 。 若 二十 錠 ︶、 得 者賞 十 五定 ︵ 定 ︵ 錠 ︶、 則汝 妙 也 、 可自 別 尋去 。 遂給 付 母 子c 聞 者 稽 快 。. や や簡 至 正廿 年 成 。 〓8 ︶ や 明 の馬 夢 龍 の ﹃古 今 諄 概﹄ 顔 甲 部 第 十 八 にも 、 こ の物 語 は、 楊 璃 の ﹃山 居 新 語﹄ ︵. 忠. 行. し て み ると 、﹃沙 石 集 ﹄ の成 った弘安 六 年 ︵ 恐 ら く は宋 馬” ︶ の頃 、 彼 は ま だ十 歳 前 後 の少 年 であ った に過 ぎ ず 、. ﹃新 元 史 ﹄二 循 吏 博 し。 伝 へら れ る 。そ の生 歿 は詳 ら か でな いが、天 暦 三年 以後 数 年 し て齢 六 十 一で歿 し たら し い ︵. 武 昌 は訟 獄 繁 し 、 以 道 に非 ず んば 治 む る能 はず ﹂ と 聴 さ な か ったと 武 昌 の推 官 に左 遷 し よ う と 図 った が、 文 宗 は ﹁. 轟 以 道 は、 元初 に実 在 し た人物 で、 文 宗 の天 暦 二年 ︵〓器 ︶ 江華 縣 夕 と な った時 、参 政 の阿 榮 な る者 が悪 ん で、. 略 な形 で記 され てゐ る が 、内 容 には変 はり が な い。. 村. 望 ︼ 日roヨフ oコ一 そ の後 、博 士 は上 記 し た南 方 翁 の文 章 に気 付 かれ 、 ト ンプ ソ ンの ﹃説 話 文 學 モチ ー フ索 引﹄ ︵ ,. あ った。. さ な 一の民 話 も 、 背 景 と な ってゐ るも のを分 析 す れば 、 楼 々と し て興味 尽 き な いも のがあ る こと を 説 か れ たも ので. かう し た小 南 廷 o南 僚 ︶ な ど と 呼 ば れ てゐ た こと を指 摘 さ れ、 南挺 ﹂ ︵ 用 し 、 日明 貿易 にも 用 ゐ ら れ 、 我 国 では ﹁. 軟 挺 ﹂ の こと に及 び 、分 銅 形 を し た元初 の銀 錠 が明 代 にも 通 博 士 の所 論 は、 転 じ て ﹃沙 石 集﹄ の文 中 に見 え る ﹁. な く 、 日本 の文 献 によ って証 明 され ると ころ が面白 い。. 代 に流 行 し てゐ た名 裁 判 官 の物 語 が、最 以道 に附会 さ れ て語 り 継 が れ たも のと見 ら れ る。 そ れ が、 中 国 の文 献 では. 中. (49).
(20) (50) 王様 の耳は駐馬の耳. ≧S ヽ きさ ヽ ミご ゞ濠﹄ やヽ アラブ ・ド イ ツ oイギ リ ス ・スペイ ン ・ 88 ︶ によ って、 七 つの類 語 が、 ミヽ ミP お , これ と は別 に、 ヘー ベ ルの ﹃ライ ン家 友 の玉手 箱 ﹄ Cor”●● ﹁①一 イ タ リ ア の各 地 に遍 在 す る こと を確 めら れ 、 R. 目①σ2 ¨ ざ ヽ 単 おヽ おき さ ∽ ヽ卜ヽ おミ ヽ やぶヽ ミ ヽお し 第 二十 話 に ﹁ きンヽ 賢 明 な裁 判 官 ﹂ と い ふ類 話 が あ り 、 そ の冒 頭 , に ﹁ 東 方 の國 々 ︵ 〓R ”①ュ”コ03 に起 った こと でも 、 み な が み な詳 のわ から ぬ話 でも な い﹂ と言 って ゐ る のは 、 西. 欧 に流 布 し た 以上 の説 話 が 、 東 方 から伝 へら れ た こと を暗 示 す る。 そ の西 漸 は、 ト ンプ ソ ンの前 掲 書 に挙 げ る リ ュ. ー ベ ック地 方 の民 話 ︵ 懇 ド ミ p 〓ゴ Z9 お3 の〓ぶ 年 以前 にあ ると 考 ヘ ︺or”●●8 0oσ〓 V ︰・ゃ ヽき や ヽ いま ヽ ら れ る。. 一方 、 中 国 では、前 に最 以 道 の話 と し て これ を 伝 へた 潟 夢 龍 が 、﹁古 今 小 説 ﹄ 巻 二 に収 め る ﹁ 陳 御 史 巧 勘 金 銀 鋼﹂. の枕 に これ を 用 ゐ て、 縣 ヂ相 公陳 御 史 の話 と し て語 り 、 抱 甕 老 人 の ﹃今 古 奇 観﹄ 巻 二十 四 に は、件 の小 説 が そ の儘. に収 め ら れ てゐ るし 、清 の朱 燿 清 の ﹃埋 憂 集 ﹄ ︵ 諮 判﹂ と 題 す る類 話 が あ る。類 話 は 同治 十 二年 自 序 ︶ 巻 六 にも 、 ﹁. 朝 鮮 にも あ って、国目邸 野 談 ﹄ 巻 二 に見 え る が 、 こ の話 では 、 拾 得 者 ︵ 僧 ︶ が与 へら れ た 二十 両 を 、 遺 失 者 ︵ 牛商 ︶ に返 す と い ふ美 談 が加 は って ゐ て、他 と は少 し く異 ってゐ る こと など を、補 説 され た。. 金 関 博 士 の最初 の論 文 は、 実 は筆 者 が編 輯 し てゐ た雑 誌 ﹃新 中 国﹄ 第 二号 に掲 げ ら れ たも の で、 当 時 、 先 生 は既. に イ ソ ップ 寓 話 と の関 係 に関 心 を有 たれ てゐ た こと を記 憶 す る が、補 説 され た論 文 にも それ に触 れ ら れ てゐ な い の は、今 以 て腑 に落 ち な い。. と ころ で、 国字 本 ﹃伊 曽 保 物 語﹂ 上 巻 第 十 三 話 ﹁ 商 人 か ね を お と す 公事 の事 ﹂ が、如 上 一連 の説 話 の類 話 であ る. こと は、 既 に気 付 か れ て ゐ る人 も 妙 く な い であ ら う。 既 述 の如 く 、 同本 では、 これ を伊曽 保 の逸 事 と いふ体 裁 で、. ﹁ 伊 曽 保 の生 涯﹂ の部 分 に組 み込 ん でゐ る が 、 シ ュタイ ン ヘープ ェル本 では、 第 一四 五話 ﹁見 つか った財 産 に就 て. の判 決 ﹂ 余ピユ ①ユ ご O① o8 c●ご ヨくのュ じ と 題 し 、独 立 し た 一話 と し て扱 ってゐ る。 国字 本 上 巻 第 十 五 話 ﹁ 長者.
(21) 中 村 忠 行. (51). と 他 国 の商 人 の事 ﹂・同第 十 六 話 ﹁イ ソポ と 二人 の侍 夢物 語 の事 ﹂ も 同 断 で、 前 者 は シ ュタイ ン ヘーヴ ェル本 第 一. 四 三話 ﹁ ∪① ”02 0oヨ中 信 義 深 き 金 の預 り 手 ﹂ ︵ じ 、 後 者 は第 一四六 話 ﹁パ ンの権 利 を 争 ふ二 人 の道 連 8 o8 ●コ︼ ∽ ④. ∪o ﹁O① 言ご ヨ ∽ れ﹂ ︵ ユ ご∽ 守”“O① o””F ︶ に相 当 し 、 何 れも ﹁ペト ルス ・ア ル フ ォ ン ス ス抄 ﹂ R cヨ ”二 ち 8一. の部 の中 に見出 されると、小堀 桂 一郎氏 は指摘す る。 これを受 け て、中 直 一氏 は、 アルフォンススの ﹃妾 心教訓. 集﹄ ︵ ”①一 きヽ きヽシ じ第十七話 ﹁ 黄金 の蛇﹂ がイ ソ ップ寓話第 一四五話 の原拠 であ る こ 日 ∽>ぼro●∽ きき ヽヽ c貿 υンヽ. ④. とを指摘 し、 これら 一連 の説 話を 二分し て、判決 が王 ︵ 国 の守︶自 ら によるも のか、賢者 ︵ 伊曽保︶ の献策 を容 れ. るも のであるか、遺失金が拾得者 に与 へられ るか、元 の主 に返却 され るかなど の点 で区別されるとし た。. ﹃衰心教訓集﹄ は、 十 二世紀 の初頭、〓8年頃 に成 ったも の。﹁ 中 世 ラテ ン世界 で最も古 い小話集 で、 主部 は三. 十 四篇 の逸話 や コントから成 る。 アラビ アの賢人 ルキ アーナが、 そ の息 子 に語 ってきかせる処世術的教訓と いふ体. 裁 の枠物 語 にな ってゐる。 オリ エント世界 の讐 喩や 説話を中世西欧 世界 に 移入す る上 に果した 役割 は大 きく、か ②. の ﹃バ ルラー ムと ヨアーサ フ﹄ の中 の讐 喩諄と共通 の説話が いく つかあり、 それ にはまた ﹃ゲ スタ 。ロマノ ルム﹄. や ジ ャ ック ・ド ・ヴ ィトリ の ﹃エク セ ンプ ラ﹂ と も 共 通 であ る﹂ と い ふ。 し てみ ると 、件 の寓 話 は、十 一世 紀 の ア. ラブ 世 界 に既 に弘 布 し、十 二世 紀 の初 頭 には西欧 のラ テ ン世 界 にも 紹 介 され た説 話 で、中 国 には恐 ら く は波 斯 人 乃. 至 は大 食 人 に よ って搬 入 さ れ て民 話 と なり 、 更 に東 漸 し て弘安 六 年 ︵馬曽 ︶ を遡 る何 年 か前 ︵ せ いぜ い十 年 ほど で. あ ら う︶ に、 日本 に伝 へら れ 、 無 住 の ﹃沙 石 集 ﹄ に記 録 され る に至 った と いふ こと にな る。 こ の様 に、 説 話 の伝 流 し た時 点 が明 示 さ れ 得 る のは 、 正 に稀有 の事 象 と言 っても 過言 で は な い。. ヽ). 中 東 乃 至 は 西欧 の諸 民族 間 に、 神 話 乃至 は民 話 と し て語 り伝 へら れ て ゐ たも ので、鎌 倉 時 代 以前 に既 に 日本 にも. (プ.
(22) (52) 王様 の耳は聴馬 の耳. そ の 一例 であ ら 他 にも あ る 。 ﹁ 帥 馬 の耳﹂ で知 ら れ る ミダ ス王 の話 の如 きも 、 伝 へら れ て ゐ た痕 跡 を示 す も のは 、 う。 ﹃大 鏡 ﹂ の冒 頭 部 に、次 の 一節 が あ る。. さ い つ頃 、 雲 林 院 の菩 提 講 に詣 で て侍 り し かば 、 例 の人 よ り は こよなう年 老 い、 う た てげ な る翁 二人 、 姫 と. いき あ ひ て、 同 じ 所 にゐ ぬめ り 。 ⋮ ⋮ ︵ 中 略 ︶ ⋮ ⋮ ﹁⋮あ は れ に嬉 しく も 會 ひま う し た るかな。 今 ぞ 心安 く 黄. 泉 路 も ま か る べき 。 お ぼし き こと いは ぬは 、 げ に ぞ腹 ふく る る 心 地 しけ る。 か か れば こそ、昔 の人 は も の言 は. ま ほし く な れ ば 、 穴 を掘 り て は い ひ入 れ は べり け め と お ぼえ侍 り 。 か へす が へす う れ し く 封面 し た る か な。 さ ても いく つに か な り給 ひ ぬ る﹂ と い へば ⋮ ⋮. 傍 線 部 の ﹁お ぼ し き こと い は ぬ は 、 げ に ぞ腹 ふく る る 心地 し け る﹂ と いふ言 葉 は、類 似 の語 が ﹃徒 然 草 ﹄ にも 見. 片 の人 は云 々﹂ の旬 と 明 み合 せ て考 へるならば 、 踏 ま へる故 事 え て、 始 ん ど諺 語 と な ってゐ る観 が あ る が 、続 く ﹁. 馬8 1 馬S ︶ の撰 ﹃三 国 遺 事 ﹄ 巻 二 ・第 四 十 八 ﹁ 景 が あ る こと は明 ら か であ る。 そ の故 事 と し て、 高 麗 の僧 一然 ︵ 文 大 王﹂ の条 に見 え る. 王 耳 忽 長 如 瞭 耳 c 王后 及 宮 人 皆 未 知 c 唯 僕 頭 匠 一人 知之 。 然 生 平 不向 人説 。 其 人 絡 死 、入 道 林 寺 竹 林 中 、無. ④. Э 王 悪之 、 乃伐 竹 而植 山 栞 英 。 風 吹 則 但 君 耳 如 髄 耳 ﹂。 其 後 風 吹 則竹 書 云 、 ヨ ロ 人 虎向 竹 唱云 、 ヨ ロ 君 耳如 瞭 耳 ﹂ 聾 云 、 ヨ ロ淋 耳 長 ﹂ 建絲樹畔在o の 一条 が注 日 さ れ る様 にな った のは、 比較 的 新 し い こと の様 であ る。. も っと も 、 こ の話 は、明治 中 期 か ら 人 々 の関 心を 惹 いたも ので、 そ のき っかけ は、 明 治 三十 二年 、 帝 国 文 学 会 第. 朝 鮮 の神 話 ﹂ であ ったら う。 博 士 は、講 演 と いふ こと も あ 四 回 講 演 会 の席 上 、 坪 井 九 馬 三博 士 が試 み ら れ た講 演 ﹁. って出 処 を 明 示 さ れ な か った し 、 ﹁ 植 物 に托 し て作 った話 ﹂ と考 へて居 ら れ た から 、﹃大 鏡 ﹄ の右 の文 には言 及 さ れ.
(23) 中 村 忠 行. な か った。 これ に対 し 、 高 木 敏雄 氏 は、 これ がギ リ シ ア神 話 に伝 へる ミダ ス王 の耳 の話 と 同 一のも のであ る こと を ④. 指 摘 し、﹁ 西 洋 の古 代 の説 話 界 と朝 鮮 の説 話 界 と の間 に、或 は東 西両 洋 の説 話 文 学 間 に、直 接 若 く は間接 に何 か の交. と あ って、 す ぐ に上 掲 し た長 耳 の話 に続 く 。 こ の唐 突 さ は、件 の長 耳 の話 が 、他 か ら の借 用 であ る こと を物 語 る。. 禁 。毎 寝 吐 舌 満 胸 。 鋪 之 乃 登 位 。. 王崩 、 謡 日景 文 。 王之 寝 殿 、 毎 日暮 無 数 衆 地 倶 集 、 宮 人驚 怖 。 特 駆 遣之 。 王 日、 寡 人若無 地 不得 安 寝 宜 無. し かも ﹃三 国 遺 事 ﹄ では 、前 文 に、. と な った 理由 に つい て、コ 一 国遺 事 ﹂ に は語 る こと が な いが 、そ の他 の点 で は 、説 話 の要 素 は殆 んど 一致 し てゐ る。. 景 文 大 王 の話 が、 こ のミダ ス王 の話 を 換 骨 奪 胎 し たも のであ る こと は、 何 人 の眼 にも 明 ら か であ ら う。 王 が長 耳. に広 ま ってし ま った。. や が て其 処 から 一本 の葦 が生 え、 風 に戦 い で ﹁王様 の耳 は瞭 馬 の耳﹂ と囁 く様 にな った の で、 王 の秘密 は忽 ち に世. り 、 ﹁王様 の耳 は瞭 馬 の耳 ﹂ 貧〓︼ Qお ゴ器 ”∽ ∽v ∽①鶴 乳 じ と囁 き 、 そ の跡 に土 を か け て気 を休 め てゐ た。 し か る に、. 日外 す る こと は厳 禁 さ れ てゐ たか ら 苦 し く てたま らず 、 誰 にも 知 ら れ ぬ様 に、 が、 人 里離 れ た所 に秘 か に穴 を 掘. ど う し ても 隠す こと が出来 な か った。 王 の理髪 師 にだ け は、 と も す れ ば 王 の秘密 を 洩 し さう にな った 理髪 師 は、. き へす る厄 介 な代 物 であ った。 これを愧 じ た王 は、 フリジ ャ帽 ︵ ﹁r︻く∞一 ”● o”じ を被 って人 目を 避 け てゐ た が、. 定 し た ので、 アポ ロは軽 蔑 の意味 で彼 に瞭 馬 の耳 を与 へた。 長 いば か り でな く 、 薄 い毛 が生 え てゐ て、前 後 に動 き. >oo︼ ︼ ﹁”じ が音 楽 の技 競 べを し た。審 判 を求 め ら れ た ミダ ス王 ︵ アポ ロ ︵ 3 とパン ︵ 〓一 Qお ︶ は、 パ ン の勝 と判. の ﹃メタ モ ルフ ォー セ ス﹄ Qざ ヽ そ の概 要 は次 の如 く であ る。︱︱ あ る時 、 Sざ ∽ ヽミs ヽ ∽じ 第 十 一章 に見 え る話 で、. 謂 ふと ころ のミダ ス王 の耳 の話 と は、 も と も と オ ビデ ィウ ス ︵ ”匡σ︻ Qご∽ Z器 p お ω・0 ︲↓ 葛 >・∪し ご∽〇く一. 渉 接 触 のあ った こと だ け は、推 定 す る事 が でき る﹂ と され た が、氏 も 又 ﹃大 鏡 ﹄ の冒 頭 文 には想 ひ到 ってゐ な い。. (53).
(24) (54) 王様 の耳は腱馬 の耳. 換 言 す れ ば 、 ギ リ シ ア神 話 の方 が源 泉 であ って、景 文 大 王 の話 は そ の末 流 に連 るも のな の であ ら う 。. 坪 井 九 馬 三博 士 によ って紹 介 され た景 文 大 王 の話 が 、 コ 一 国 遺 事﹄ に拠 るも の であ る こと を 、 高 木 敏 雄 氏 が突 止. め ら れ た か否 か は詳 ら か でな い。 が 、 氏 は 、 そ の後 も 類 話 の蒐 集 に努 め ら れ てゐ た。南 方 翁 は、 かう 記 す 。. 高 木 敏 雄 君 ま た前 年 こ の諄 の類 話 を求 めら れ た時 、 予 が答 へた 二三 の話 を 拳 げ ると 、 ま づ蒙 古 の諄 にあ る王. の耳 金 色 で腫 耳 のご と く長 き を 世 間 へ知 れ ぬやう に腐 心 し 、毎 夜 一青 年 にそ の頭 を 杭 ら し め、終 ってす な は. ち 殺 し た。 そ の番 に中 った賢 い若 者 が 王 の理髪 に上 る時 、 母 の乳 と 夢粉 で作 った餅 を 貰 って持 ち行 き 王 に 献. る。 王試 み食 ら う と 旨 か った か ら 、 こ の青 年 に限 って 理髪 が済 ん で殺 さず 。 ただ し 、 王 の耳 に つい ては母 にす. ら 語 る な か ら し め た。 青 年 慣 ん で 口 を 守 れば 守 る ほど 言 ひ たく な り 、 これ を洩 ら さず ば 身 が 裂 か る べく 覺 え. た 。 母 教 へて、 廣 野 にゆ き て木 か土 の割 れ ロ ヘ囁 け と 言 う た。青 年 は野 に出 で て栗 鼠 の穴 に 口富 て、 わ が王 は. 駐 耳 を持 つと 囁 く を 聞 いた。 そ の こ ろ の動 物 は人言 を 解 し たゆ ゑ人 に話 し 、 人 侍 へて王 の耳 に入 り 、 王 瞑 って. 夕、 れ ⑩. 彼 を 殺 さ んと し た が 、 仔 細 を聞 い て感 悟 し 、彼 を首 相 に任 じ た。青 年 首相 と な って 一番 に駐 耳 形 の帽 を 創 製 し. て王 の耳 を 隠 し た の で、 王 も 異 様 の耳 を 見 ら る る虞 な く 大 い に安 楽 にな った と いふ。. >コm①ざ O① の“σR コ”” ヽ ″ 卜 ミ させヽ ざ︲ 文 中 の蒙 古 の話 と は、 グ ベ ルナ チ ス ︵ 賀 ? お〓 ︶ の ﹃動 物 諄 原﹄ 像ざs ヽ 最ヽ. ①. き 、 蒙古 話 第 二十 五 ︵ 同書 三 一九 頁 ︶ であ る こと は、 さ理 ヽミ ヽ ミヽお いくo︼ ro●Oo● あ記 ︶ 巻 一、 こミぷ ミ ヽヽヽ , 金 の櫛 ﹂ と 語 ら れ 、 翁 の他 の文 に徴 し て明 ら か であ る。 こ の方 で は、 王 の耳 は ﹁ 黄 金 の瞭 の耳 ﹂、 用 ゐら れ る櫛 も ﹁ 触 れ る物 が悉 く金 と化 し た と いふ ミダ ス王 の別 の伝 説 の混 入 の跡 が窺 は れ る。. 又 、 こ の蒙 古 の話 と よ く 似 た民 話 を 、 鳥 居 き み子女 史 が満 蒙 ボ ロホ ト ンで採 集 し て居 ら れ る。 ボ ロホ ト ンは遼 の. 上 京 の宮 殿 の在 った と ころ で、 そ の故 地 に現存 す る唯 一の石 人 にま つは る話 と し て伝 へら れ るも のと い ふ。 こ の石. 人 は高 さ 一丈 五 尺 五 寸 の巨 像 で、左 手 に桃 状 の物 を 戴 せ、 右 手 で これ を 支 へる姿 勢 を と ってゐ る が、実 は ウ ルジ ク.
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