※ 典 拠 資 料 の 略 称 ﹃ 定 親 全 ﹄︵ ﹃ 定 本 親 鸞 聖 人 全 集 ﹄︶ ・﹃ 真 聖 全 ﹄︵ ﹃真宗聖教全書﹄ ︶ 註 ︵ 1︶ 読みやすさを考慮して、原文にある漢字の読み仮名は 除き、ひらがなをカタカナに変更した。 ︵本学講師 真宗学︶ ︿キーワード﹀ ﹁賢者の信﹂と﹁愚禿が心﹂ 、 ﹃選択本願念仏集﹄ 、﹃観経疏﹄ ﹁至誠心釈﹂
世界史における東アジアとアフリカ
︱
いくつかの事例から考える︱
古
川
哲
史
本研究は筆者が現在まで取り組んできた︿日本︱アフ リカ関係史﹀の研究を出発点に、対象地域を東アジアに 広 げ て、 近 現 代 ︵ と り わ け 19世 紀 後 半 か ら 20世 紀 ︶ に お け る東アジアとアフリカとの関係を、世界史的な視点から 明らかにすることを目的とする。従来、世界史あるいは アジア史やアフリカ史において、個別に扱われてきた諸 相を繋ぐ接続性を見出す作業であり、その関係性につい て歴史学および歴史哲学的考察を試みる。 今 回 の 発 表 で は 、 第 二 次 世 界 大 戦 期 以 降 の 日 本 、 大 韓 民 国 ︵ 以 下 、 韓 国 ︶ 、 中 華 人 民 共 和 国 ︵ 以 下 、 中 国 ︶ と エ チ オ ピ ア と の 関 係 の 事 例 を 、 関 連 の 地 図 や 写 真 ︵ 絵 葉 書 や 記 念 切 手 な ど も 含 む ︶ と と も に い く つ か 示 し た 。 そ し(古川) 48 て 、 本 研 究 テ ー マ の 学 術 的 意 義 や 教 育 的・ 社 会 的 意 義 などにも言及した。 日 本 と エ チ オ ピ ア は、 一 九 二 〇 年 代 以 降 に、 ア ジ ア・ アフリカにおける数少ない独立国として外交関係を築き 始めた。当時、日本側のエチオピア市場への経済的関心 や、エチオピア知識人の近代化モデルとしての日本への 注目もあった。一九三一年、エチオピアのハイレ・セラ シエ一世皇帝 ︵在位 一九三〇年︱七四年︶ は外務大臣ヘル イ・ウォルデ=セラシエ率いる使節団を日本に送ってい る。この使節団の目的は、両国の関係強化とともに、日 本がいかに近代化を到達させたかを実際に各所で視察す るというものであった。こうした一九三〇年代半ばまで の 関 係 も あ り、 第 二 次 イ タ リ ア = エ チ オ ピ ア 戦 争 ︵ 一 九 三 五 年 ︱ 三 六 年 ︶ 時 に は、 日 本 で は 人 種 的 要 因 も 強 調 さ れ な が ら、 ﹁ ア ジ ア 主 義 ﹂ 団 体 を 中 心 に 日 本 人 に よ るエチオピア支援運動が盛り上がっている。 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 一 九 五 六 年 一 一 月 に は、 ハ イ レ・ セラシエ皇帝が初めて来日した。独立を回復した戦後日 本 を 訪 れ た 最 初 の 国 家 元 首 で あ り 、 昭 和 天 皇 が 羽 田 空 港 で 出 迎 え て い る。 一 九 六 〇 年 に は 日 本 の 皇 太 子 夫 妻 ︵ 現 在 の 天 皇・ 皇 后 ︶ が エ チ オ ピ ア を 訪 問 し て い る。 一九六四年の東京オリンピックでは、マラソン優勝者の アベベ・ビキラが話題となった。おそらく、戦後の日本 で最も人口に膾炙したエチオピア人という点では、アベ ベが一番であろう。一九七〇年の大阪で開催された万国 博覧会には、ハイレ・セラシエが再来日した。 近 年 で は 、 日 本 政 府 が 主 導 し て 一 九 九 三 年 に 東 京 で 開 催 さ れ た ア フ リ カ 開 発 会 議 ︵ TICAD: T okyo International Conference on African Development ︶ に、 エ チ オ ピ ア か ら メ レス・ゼナウィ首相が参加している。二〇〇六年四月に は当時の小泉純一郎首相がエチオピアを訪れた。日本の 首相の初めての同国公式訪問であった。アフリカ開発会 議 は、 そ の 後、 第 二 回 ︵ 一 九 九 八 年 ︶ 、 第 三 回 ︵ 二 〇 〇 三 年 ︶ 、 第 四 回 ︵ 二 〇 〇 八 年 ︶ 、 第 五 回 ︵ 二 〇 一 三 年 ︶ と 開 催 されている。この会議は、日本政府がアフリカ大陸での 政治的、経済的存在を高めようとするアフリカ政策の重
要なものである。国際連合といった国際舞台でのアフリ カ諸国のもつ票数や影響力も、日本政府にとっては無視 できない。その一方で、アフリカは﹁世界で最後に残さ れた新興市場﹂とマスコミで取り上げられるように、中 国の急速なアフリカ市場進出や資源確保政策、韓国のア フリカへの経済関係強化政策など、現在の日本のアフリ カへの関わりは東アジア諸国による市場・資源獲得競争 に大きく影響されている。日本︱アフリカ関係は、こう した東アジアの動向にも注視して考察する必要がある。 第二次世界大戦後の朝鮮半島とエチオピアの関わりで は、 朝 鮮 戦 争 ︵ 一 九 五 〇 年 ︱ 五 三 年 ︶ を 挙 げ る こ と が で き る。当時、親米路線にあったエチオピアは、アメリカ主 導の国連軍に加わり、一九五一年より六〇〇〇人以上の 兵士を朝鮮半島に送っている。一九六三年には大韓民国 ︵ 韓 国 ︶ と エ チ オ ピ ア は 国 交 を 樹 立 し、 一 九 六 八 年 五 月 に ハ イ レ・ セ ラ シ エ 皇 帝 が 韓 国 を 訪 問 し た。 ︵ 韓 国 で は そ の 来 訪 を 記 念 し た 朴 パク ・ 正 チ ョ ン ヒ 煕 大 統 領 と ハ イ レ・ セ ラ シ エ の 図 柄 の 切 手 が 発 行 さ れ て い る。 ︶ エ チ オ ピ ア 皇 帝 の 韓 国 滞 在 中 に は、 朝鮮戦争の激戦地であった 春 チュンチョン 川 でエチオピア軍﹁参戦記 念碑﹂の除幕式も執り行われた。そうした歴史的経緯ゆ え、現在、春川はアディス・アベバの友好都市となって いる。 一九七四年にエチオピアで軍事革命が起きハイレ・セ ラシエ政権が倒されると、韓国はそのソビエト連邦寄り の 軍 事・ 共 産 主 義 政 権 と は 距 離 を 置 く こ と に な る。 ︵ 一 方、 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 は 一 九 七 五 年 に エ チ オ ピ ア と 国 交 を 結 び、 軍 事 や 技 術 援 助 で の 関 係 を 深 め た。 ︶ 一 九 九 一 年、 冷戦後のソ連の支援を失った軍事・共産主義政権が崩壊 し、メレス・ゼナウィ率いるエチオピアの新政権が誕生 した後、韓国とエチオピアは再び接近する。韓国はアフ リ カ 各 国 と の 経 済 関 係 の 構 築、 市 場 開 発 を 本 格 化 さ せ、 二〇〇六年には第一回﹁韓国︱アフリカフォーラム﹂を ソ ウ ル で 開 催 し た。 そ の 後、 同 フ ォ ー ラ ム は 第 二 回 ︵ 二 〇 〇 九 年 ︶ 、 第 三 回 ︵ 二 〇 一 二 年 ︶ と 開 か れ て い る。 二 〇 一 一 年 七 月 に は、 李 イ・ 明 ミ ョ ン バ ク 博 大 統 領 が 韓 国 の 元 首 と し て初めてエチオピアを訪問し、メレス首相と開発政策や
(古川) 50 経済協力、韓国型発展モデルなどを議論し、朝鮮戦争に 従軍したエチオピア兵とも会っている。 中国とエチオピアの関係については、ハイレ・セラシ エ皇帝の帝政末期までは、とりわけ外交面では消極的な ものであった。中国では 毛 マオ ・ ツォートン 沢東 などの指導者が、第二次 イタリア=エチオピア戦争でエチオピアがイタリアに敗 北 し た 原 因 を 共 産 主 義 運 動 の 欠 如 と 論 じ て い た こ と や、 皇帝を頂点とした封建主義体制とはイデオロギー的に相 い れ な い と い っ た 要 因 が 指 摘 さ れ て い る。 し た が っ て、 一九四九年に毛沢東が率いる中華人民共和国が誕生した が、冷戦体制の中で﹁西側﹂陣営に属するエチオピアと の国交樹立はなかった。中国政府はエチオピアからの独 立を目指すエリトリア解放戦線に武器援助やゲリラ戦の 訓 練 の 機 会 を 提 供 し て い た。 後 に エ チ オ ピ ア か ら 独 立 ︵ 一 九 九 三 年 ︶ し て エ リ ト リ ア の 初 代 大 統 領 と な る イ サ イ アス・アフェウェルキも、中国で政治思想を学び軍事訓 練を受けた一人である。 中国政府とエチオピア政府が国交を結ぶのは一九七〇 年である。前者はエリトリアをエチオピアの領土、後者 は台湾を中国の一部と認めるなど、現実主義的な外交や 政治政策の結果とも言える。一九七一年一〇月にはハイ レ・ セ ラ シ エ が 中 国 を 公 式 訪 問 し、 毛 沢 東 と 会 っ て い る。 中 国 の 国 家 主 席 が 初 め て エ チ オ ピ ア を 訪 れ る の は、 ソビエト寄りのエチオピアの軍事政権が倒れた後であっ た。一九九六年、中国とアフリカの外交や経済関係強化 の た め、 江 チャン ・ ツォーミン 沢 民 主 席 が エ チ オ ピ ア を 含 む ア フ リ カ 六 か 国を訪れた際となった。二〇〇〇年には第一回﹁中国︱ アフリカ協力フォーラム﹂が北京で開催され、二〇〇三 年に第二回フォーラムがアディス・アベバで開かれてい る。二〇〇六年には中国政府はアフリカとの関係を﹁戦 略的パートナーシップ﹂と位置づけている。その後、現 在 ま で 続 く ア フ リ カ 市 場 開 拓 や 資 源 や エ ネ ル ギ ー 確 保 を 中 心 と し た 中 国 の 積 極 的 な ア フ リ カ 外 交 ・ 経 済 政 策 は 、 エ チ オ ピ ア な ど ア フ リ カ で 働 く 中 国 人 労 働 者 を 増 加 さ せた。 本発表では、第二次世界大戦後の日本や韓国、中国と
エチオピアとの関わりの事例をいくつか取り上げた。そ れ ら の 事 例 だ け で も、 そ う し た 関 係 の 背 後 に 政 治・ 経 済・文化などの分野で学術的かつ学際的に明らかにすべ きテーマを見出せるであろう。日本あるいは東アジアに 住 む 多 く の 人 に と っ て は、 物 理 的 に も 心 理 的 に も﹁ 遠 い﹂と認識されがちなアフリカではあるが、その歴史的 関係においては、東アジアの要因、東アジア史や世界史 の枠組みをより考慮して明確にすべき点も多いと思われ る。 そ の 一 方 で、 本 研 究 は 実 証 面 で の 課 題 ︵ 資 料・ 情 報 収 集、 口 承 資 料 の 扱 い、 他 ︶ 、 理 論 面 で の 課 題 ︵ 研 究 対 象 の 時 代 区 分 や 地 域 設 定、 ﹁ 東 ア ジ ア ﹂﹁ ア フ リ カ ﹂ な ど の 扱 い、 関 係 史 の テ ー マ で は﹁ 陸・ 海・ 空 か ら 見 た 歴 史 ﹂ に 加 え て、 現 在 で は﹁ 仮 想 空 間 に お け る 接 続 性、 関 係 性 ﹂ の 視 点 も 必 要 か、 他︶ が多々考えられる。 世界はもともと地球規模で、グローバルに繋がってき た と 言 え る が、 二 一 世 紀 の 現 在 は 世 界 の 諸 地 域 の 人 や 物、資金、情報や思想、技術や社会制度などの接点ある い は ネ ッ ト ワ ー ク が 急 速 に 増 加 ︵ あ る い は 消 滅 ︶ す る 時 代でもある。現在を生きる私たちにふさわしい歴史認識 や 世 界 観 が 必 要 と さ れ て い よ う。 そ れ ゆ え、 本 研 究 は、 世 界 に お け る 他 者 理 解 や 相 互 理 解 ︵ ひ い て は 自 己 理 解 ︶ に 有益となる知識や視座を、学界だけでなく、広く教育現 場や社会に還元・提供できる可能性を持つものである。 ︵本学教授 歴史学、比較文化・社会論︶ ︿キーワード﹀関係史、歴史認識、世界観 〔編集委員会付記〕 この他の発表者及び発表題目は次のとおりである。 片仮名本﹃因果物語﹄の姿勢 ︱一向宗関係因果譚を手がかりとして︱ 本学講師 中川眞二 関連性理論による子どものことば︵発言︶の分析 本学教授 下道省三 以 上 の 発 表 内 容 は 次 号 以 降 の﹃ 大 谷 学 報 ﹄ に 論 文 と し て 掲 載予定である。