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ボールズとギンタスの対応理論の発展過程(上)

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(1)Title. ボールズとギンタスの対応理論の発展過程(上). Author(s). 小内, 透. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 42(2): 31-46. Issue Date. 1992-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5193. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第42巻 第2号 i 獣iucat i t ty ofl onI C) VOI on(Sec lof Hokkaido Universi Jouma .42 ‐2 , No. 平成4年2月 Febma ly,1992. ボ ール ズ とギンタスの対 応理論の発展過程 (上). 小. 序. 章. 内. 透. 問題の所在. 第1章 対応理論の形成 第1節 対応理論の前史 第2節 IQ論争と対応理論の登場 第2章 対応理論の確立 第1節 学校・家族の社会関係と生産の社会関係の対応 第2節 教育の歴史と資本主義の発展過程の対応 以下, 次号 第3節 第3章. 対応理論における矛盾と展 望 新たな理論展開 と到達点. 終 章 対応理論の意義と問題点. 序 章 問題の所在 1 } ブル デュ ーの 「文化的再 ボールズとギンタスの対応理論は, バーンステイ ンの 「コード理論」( , 3 )とともに 近年の代表的な再生産論の一つ として位置づ 2 ) ウィ リスの 「労働者文化論」( 生産論」( , , けられる. その場合, 一般的には, 「対応理論の中心は, 望ましいとされるパ ーソナリティ 特性が, 職業的ハイアラーキーと学校教育ハイアラーキーと親の階層ハイ アラーキーの三つのハイ アラーキ 4 )とされる それは 広い意味で文化的再生産論の一つとし ( ー間で対応している, という点にある」 , . 5 ( ) て把握されることもあるし , 文化的再生産論を ブルデュ ーやバーンステイ ンらの考え方に限定し 6 ) しかし いずれにしても, 対 た上で, それと異なる社会的再生産論として理解されることもある( , ‐ 応理論は学校教育を介して展開される, 階級・階層の世代的再生産 の問題を把握する独自の理論的 立場であることに間違いはない. 一方, 対応理論は, マルクス 主義的教育社会学の画期をつくっ た業績としての位置を占めている. 力ラベルとハルゼーは対応理論を 「新マルクス主義の葛藤理論」 と名づけ, マルクス主義に基づく 7 ) また リストンは 「最近のマルクス主義的学 教育社会学研究の代表的なもの として論じている( , , . 校研究やその批判は, (注-対応理論がもっ とも体系的に展開された) ボールズとギンタスの 『アメ リカ資本主義と学校教育』 から始まっ た. その後の激 しい論争はボールズとギンタスの初期の再 生 8 }としている 産論への反応として形成され, 枠 づ けられた」( . しかし, 再生産論としても, マルクス主義的教育社会学研究としても, 重要な位置を占めている にもかかわらず, 対応理論は数多くの批判 を受けたことも事実である. その場合, マルクス主義的 9 } それら 立場そのものに対する批判 だけではなく,マルクス主義内部からの批判も 少なくなかった{ . 31.

(3) . 小 内. 透. 1 0 ) つ の批判の中で, もっ とも中心的なも のは, いわゆる 「機能主義」 的性格に関するものである( . まり, 対応理論でいう学校と生産 の社会的関係の対応によるヒエラルキー的階層秩序の再生産は, 資本主義の必然的な機能として展開されることに .なり, 変動の視点や矛盾の問題が軽視されている というものである‐ この点に関しては, ボールズとギンタス自身も後に自らの理論の弱点を認め, 新たな理論的展開 n } リストンはそこで示された新たな視点を 「場と実践のアプローチ」 と名づけ ギ を試みている( . , ロ ー, カ ー ノイ, レ ビ ン な どの 弁 証 法 的 ア プ ロ ー チ, ホ ー ガ ン, ウ ィ リ ス, ウ ェ ク ス ラ ー な どの 階. 級構造アプローチとならんで, 対応理論をめぐる議論を通じて生まれたマルクス主義の内部におけ 1 2 ) る, 3 つ の 潮 流 の 一 つ に 位 置 づ けて い る( .. こうして, ボールズとギンタスは独自の再生産論を対応理論としてマルクス主義的な立場から構 築し, さまざまな批判に応える形で, 対応理論を 「場と実践のアプローチ」 の導入により再編して いるといってもよい. したがって, そこでは, ボールズと ギンタスの再生産論としての対応理論を 十全に把握するためには, こう した対応理論の変化の過程を正確にふまえることが不可欠 に必要と ( 1 3 )で展開される対応理論とそれ以前およびそ なる. いいかえれば, 『アメリカ資本主義と学校教育』 れ以後のボールズとギンタス の理論的営為を一貫して検討するこ とが重 要であるということである. にもかかわらず, 従来の対応理論に対する 批判やボールズとギンタスの理論の紹介は,『アメリカ 資本主義と学校教育』 における対応理論に対するものが主流であり, 対応理論の発展過程を吟味し 1 4 } また それらの議論の中では 対応理論そのものが正確に把握され たものは必ずしも多くない( , . , 1 5 ) て い な い 傾 向 も 否 定 で き な い( .. そこで, 本稿では, 対応理論の発展過程を明らか にし, その上で, 彼らの理論的営為の意義と問 題点を明らかにする. その際, ボールズとギ ンタスの再生産論の理論的発展過程を,『アメリカ資本 主義と学校教育』 を中心にそれ以前とそれ以後の諸論文・著作を対象に対応理論の形成-展開-再 編過程として吟味していく.. 〔注〕 { 1 ) バーンステイ ン 『言語社会化論』 明治図書, 1 98 1年, バーンステイ ン 『教育伝達の社会学』 明治図書, 1 98 5年, および拙稿 「B. バーンステイ ンのコード理論の展開過程と問題点 (上) (下)」 『北海道教育大学紀要』 (第1部 C) 90年, 参照. , 第40巻・第2号, 第41巻・第1号, 19 ( 2 ) ブル デュ ー 『ディ スタ ンク シオ ン工』 新評 論, 1989 年, 『ディ ス タ ンク シオ ン1 1』 藤 原 書 店, 1990 年, ブル デ ュ. ー『再生産』藤原書店, 19 9 1年, および拙稿「P‐ ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題」『北海道教育大学 紀要』 (第1部C) 第4 1巻・第2号 1年, 「社会空間としての階級構造-ブルデューの階級論の理論的考察」 , , 199 『北海道教育大学紀要』 (第1部C) 第42巻・第1号 1 1年参照. , , 99 ( ) ウィリス 『 3 ノ・マータウンの野郎 ども』 筑摩書房, 1 9 85年参照. { ) 宮島橋・藤田英典編 『文化と社会』 有信堂, 1 4 99 1年, 14 5~1 4 6頁‐ ( 5 ) 同上, 11 1頁参照‐ 6 { ) 柴野昌山 『しつけの社会学』 世界思想社, 19 89年, 17~1 8頁参照‐ ( ) 力ラベル・ハルゼー 『教育と社会変動 上』 東京大学出版会, 1 7 9 80年, 4 1~5 0頁参照. C i l i h l L ( ) Liston,D- d h l 8 t tS C H l l 9 8 ( & 1 8 4 8 ) a a s c o o s o n o n a m a n a n c p p p , . . , , , ‐ ( 9 ) これらの批判を, 橋本健二は, マルクス主義的立場それ自体に対する批判, 学校内部の諸過程を無視しているこ とに対する批判, 「機能主義」 的性格に対する批判という形で整理している (橋本健二 「『マルクス主義教育社会学』 の展望」『教育社会学研究』 第3 9集, 19 84年, 128~1 29頁参照) . また, 現時点で改めて対応理論な い しボール ズ とギ ンタス の 理論的営為について吟味したCo i i i lmerpres l ( ) t )1988 sRev s ed e sandGint s e ed . . ,(TheFa ,Bowl ,M. には, マルクス主義的要素 (理論的レベル) と非マルクス主義的要素 (経済的=実証的なレベル) の混在について 32.

(4) . ポールズとギンタスの対応理論の発展過程 (上) l の 批判 (MacDona d l ) ) l ) の無視への批判 (Wo e r pe gende . , 人種問題の無視へ ,P , 女性問題 ( .A. M. ,App ,M‐ M R M i A l M ) 社会主義的展望ないし社会主義像に対する批判 ( の批判 ( G Jos t A‐ & r eph ; e o o r e p p . . ‐ ‐ ,F , , , , , o ,Sco Lauder ) 等々, 橋本健二の整理の枠におさまらないさまざまな批判が述べられている‐ r p ,H . . ,Sha ,R l i l ) こう した 批 判 につ いて は, Co Q o t e e ed) son .c . , M.( ,op ,の 中 でも, Col , M‐お よ び Car ,D-が 展 開 して いる. また,. 森重雄もギロー, カーノイの同様な主旨の批判を紹介している (森重雄 「マルクス 『主義』 教育社会学・批判」 『東 京大学教育学部紀要』 第2 4巻, 19 85年, 27頁) . ‘ ‘Cont l S i i i i ltheory’ i H B qD Gi t t ton i & w s r ad c onsandreproduc onineducat ona n Bar o e s nt ghan ,i , Me , , . ,L‐ , . l l l i T h F P R. & Wa S h i d d C l ( L l ) 9 0 1 8 d ) l ke S ( o o n e o o a n r e w e s e a r r s s c u r c u um me e r e s g を 評 ‐ , , , ,. 「 2 ) Li i Q t ton s .c . .52 .なお, 場 と実践 の ア プロ ー チ」 を採 用 する も の と して ボ ー ル ズ とギ ンタ ス 以 外 に ア ッ ,p ,Dりop. プルがあげられている. Q i i l i i i IReform andthe Cont i ionsof 3 } Bowl ta tAmer t es nt s ngi n Capi s ca: Educat ona rad c . & Gi ,S ,H‐ ,School 『アメリカ資本主義と学校教育1・1 B i Economi f ( N Y k 宇沢弘文訳 B k 1 1 岩波現代選 ) 9 7 6( a s c Li e e w o r c o o s 』 , , 書, 1986~1987 年).. 『早稲田大学大学院経済学研究年報』 第26号 1 i i 7年) はボー 側 田中敬文 「Bowl t e s=G n sの理論的発展過程」 ( , 98 ルズとギンタスの理論的発展過程を検討した数少ない論文の一つである‐ しかし, これは, ラディカル経済学者と してのボールズとギンタスの理論的営為を吟味したものであり, 必ずしも再生産論としての対応理論の形成-展 開-変質過程を検討したものではない‐ また, この論文では, 経済理論の発展過程の論理自体も十分に明らかにさ れて いる と思 え ない.. Q ) たとえば, 橋本健二はボールズとギンタスの理論を5点に要約しているが, それ自体, 必ずしも正確な要約にな 5 es と っ て いな い. この 点 につ いて は, 次 の よう に, 彼 自身 認 め て いる‐ 「一 読 す れ ば明 らか な こ と である が, Bowl. Gi i t n sの諸論文や著書は多様なテーマを含み, しかもやや内的一貫性に欠けるきらいがある‐ そのためこの要約に あたってはいくつかの補足や整備を加えており, 必ずしも彼らがこのとおりの記述を行っているわけではないこと 『 137 ) を断っておく」 (橋本健二, 前掲論文, p ‐ . これは, 橋本健二が, アメリカ資本主義と学校教育』 だけでなく, 内容に微妙な違いのある他のいくつかの論文を含めて要約しようとしていることにその原因の一端があると思われ る. 第1章 対応理論の形成 第1節 対応理論の前史 ボールズとギンタ スの対応理論は, 『アメリカ資本主義と学校教育』 ( 1976年) において確立 し た. しかし, 対応理論は, 当然のことながら, その前史をもっ ている. 対応理論にも他の理論の場 合と同様に, その形成過程が存在したということである. 対応理論の形成過程において, その出発点ともいうべき位置を占めているのが, ボールズの 「教 ( 1 ) 育の不平等と社会的分業の再生産」 ( 1971年)である. なぜなら, この論文は, 対応原理( cor r e s ‐ pon dencep i l i ) という概念を用いていないにもかかわらず, 後に展開される対応理論の中心的な r nc e p 論点の多くをすでに提示しているからであり, 対応理論のもっ とも基本的な問題意識を素朴な形で 表 現 して い る か ら で あ る.. ボールズは,-この論文の冒頭で, 基本的な問題意識を以下の如く 4 点 に わ た っ て 明 ら か に し て い る.. 「第一 に アメリカの学校は……規律正しい 高い技能を身につ けた労働力を求める資本家の要 , , 請に応え, ……政治的安定に必要な社会的統制のメカニズムを提供するために, つくられたもので ある. 第二に, ……教育システムにおける不平等は, 階級構造の世代的な再生産にとっても重要に なってきた. 第三に, アメリカの学校システムは階級的不平等に満ちており, その不平等はこの50 年間いっ こうに解消される気配がない. 第四に, ……不平等な教育の資源は……政治の領域をはな れて, 資本主義社会に固有の階級構造, さらには階級的な下位文化のなかに求められねばならない.. 33.

(5) . 小 内. 透. ……こうして教育の不平等は資本主義社会の有機的な一部をなし, 資本主義が存続する限り続くこ 2 ) と に な ろう.」{. .. ここには, 階級構造いいかえれ ば生産 の社会的関係と教育の関連, 学校の不平等の維持・再生産 機能, 資本主義社会における再生産機能の不可避性が問題意識として明らかにされている. これが, ボールズの初発の基本的な問題意識であり, これ以降の彼らの理論的営為の中に貫かれているもの で ある.. しかし, この論文では, これらの点に関する理論的説明を詳しく検討すると, その後の対応理論 の内容と異なる点 があることに気づく. 第一に, 教育の構造と社会的生産関係の関連の捉えかたに注意しなけれ ばならない. すでにみた ように, ボールズは学校教育は不平等を維持しており, それは階級構造に根 ざしていると述べてい 3 )という認識がその背 る. 資本主義社会においては, 「教育の構造は社会的生産関係の反映である」{ 後にある. これは, たしかに, 対応原理の萌芽であるとみなすこともできる. なぜなら, 反映とい う表現が対応という概念で置き換えられたと考えることができるからである. しかし, これは厳密 にいえ ば, のちに定式化される教育の構造と社会的生産関係の比較的対等な対応関係を示すもので なく, いわ ばマルクス主義の土台-上部構造論の端的な表現であると考える方がより妥当であろう. 教育構造分析への土台-上部構造論の単純な適用であるといってもよい. そのように考えると, 教 育の構造と社会的生産関係の間の関連は, 決して相互に対等な関係ではなく, 後者が前者を規定し 前者が後者に規定されてそれを反映したものという規定-被規定の関係になる. それは, 原因と結 果の関係といいかえてもよい. この点については, 対応理論に対する解釈や批判の中に, 対応理論 4 } 重要な点を含んで は原因の解明でなく現象の説明にすぎないとするものがあることを考える と( , いる. なぜなら, この段階では, ボールズは土台-上部構造論の機械 的な適用によって教育の構造 と社会的生産関係の関連を明らかに規定-被規定, 原因-結果の関係としてとらえているからであ る.. 第二に, これと関連して, この論文では, 階級的に不平等な教育の構造は, 資本主義社会である 限り消滅することはないという考え方がみられる. 逆にいえば, このことは,「教育の平等が学校教 育システムの改革だけでは達成しがたい」 という認識, あるいはこれまでの 「教育改革運動が失敗 したのは, これが資本主義の基本的諸制度に挑戦することなしに, 教育の不平等を取り除くことだ 5 ) したがっ て そこからは 教育の不 けをめざしてきたからに他ならない一という認識につながる( , , . 平等な構造を克服するには, 資本主義社会の枠組み自体を変革しなけれ ばならないという展望が必 然的に生まれざるを得ない. こう した考え方は, 一方で, 教育改革そのものに対するきわめて悲観 的な評価と, 資本主義社会を克服することによって不平等な教育の構造を解消できるというきわめ て楽観的な評価を含んでいる. しかし, こう した考え方は, その後, 次第に変わっていくことにな る.. 第三に, この論文では, 家族のあり方がきわめて重視されているということである. それは, 次 のように表現されている. 「私は次のように主張したい 生産の階級的構造に基礎をおく社会的分業は 明確な形で階級的 , . な下位文化を生み出す. そして各下位文化に特徴的な価値やパーソナリティ 特性, 期待は階級によ る家族内での社会化の違いを通じて, 世代から世代へと伝達される. さらにそうした出身階級の違 いに応じて子供たちが受ける学校教育の種類や年数の違いが, それを補完する役割をはたす. また, 学校教育にみられるこう した階級的差異は, 上流階級の人々 が学校財政, 生徒の評価, 教育目標な 6 ) どの基本的原則を支配する力を握っていることによって維持されているのだ, と.」( 34.

(6) . ボールズとギンタスの対応理論の発展過程 (上). つまり, 階級的に異なる家族内の下位文化 が, 階級的に異なる価値やパ ーソナリティ 特性, 期待 を世代的に再生産し, 階級的構造に基礎をおく社会的分業を支えていくということである. 家族内 の下位文化 が再生産のもっ とも重要な鍵を握っ ているというのである. 逆にいえば, そこでは, 学 校そのものは, 家族ほ ど重要な役割を果たすものとは考えられてはいない. それは,「学校教育全体 の効果としてつくられる 階級差は, ここでの解釈からすれ ば, 何よりも私が階級的下位文化と呼ん できたものの相違か ら生まれる. 教育システムは, 家庭内での一次的社会化の結果を変えるよりむ しろ, それを容認し, 成人の役割にみあうものへと移行させる役割をはたす. 家族の社会化と学校 のこう した相互補完的な関係は, 階級文化の諸形態を一つの世代 から次の世代へと伝え, 再生産す ( 7 )と い う 表 現 に 端 的 に 示 さ れ て い る した が っ て こ の 論 文 に お い て は 再 る 役 割 を はた して い る」 , , .. 生産にとって家族が第 一次的役割をもっており, 学校は補完的役割をもつにすぎないという 認識が 存在している. しかし, こう した認識もその後の理論的発展の過程で次第に変化していくのである. こう して, この論文においては, 対応理論の基本的な問題意識が読み取れると同 時に, その後の 理論的発展の中で次第にその捉え方 が変化する認識が存在していたことが明らかになる. だが, 対応理論が確立される以前において, さらに大きな問題として取り上 げなければならない こ と は, ボ ー ル ズ と ギ ンタ ス の 考 え 方 に は, か な り 隔 た り が あ っ た と い う こ と で あ る.. 第一に, 家族や学校がはたす役割についての認識 が異なっ ていた. すでにみたように, ボールズ は 「階級的に異なる価値やパ ーソナリティ 特性, 期待」 は第一次的に家族の中での社会化によっ て 形成され, 学校の中で補完されるという考え方をもっ ていた. しかし, ギンタスはそうした考え方 1972年)のなか をもっていなかっ た. それは, 経済学 プロ パーの論文, 「消費者行動と主権概念」 ( の次のような表現のなかに端 的に示されている. 「(注-ギンタスが属する) ラディ カル派は経済システムの外部に, だがそれとの関連で, (注- 消費行動の) もっ と基本的な起源 -- たとえば家族とか学校など -- を一貫して追求している. より深いレベルにまで掘り下げれば, 個人がその優先順位, 適性, 能力, パ ーソナリティ, 選好全 般を展開する方法を説明するのに, 社会化理論では不十分であると主張する. むしろ, 社会化機関 が特定の心理的諸パターンを吹き込むことができるのは, それらが, 人々の日常社会経験と矛盾せ 8 ) ず, ま た そ れ を 強 化 す る と き の み に か ぎ ら れる.」(. すなわち, ギンタスは消費行動の起源を問題にする場合にとどまらず, 個人の 「適性, 能力, パ ーソナリティ, 選好全般」 を問題にする場合にも, 家族や学校などの社会化機関を通した社会化理 論では説明できないとしている. これは, 明らかにすでにみた ボールズの考え方とは異なっ ている. 第二に, 再生産の構造を克服する展望に関する認識にも ボールズとギンタスの違いがみられる. 教育の不平等, あるいはそれを通した階級構造の再生産は, ボールズによれ ば, 資本主義社会が存 続する限り維持されるものであっ た. しかし, ギンタスはこの点 に関して, 異なる認識を有してい る. た と え ば, 彼 は 次 の よ う に 述 べ て い る.. 「これらのディ レンマ (注-社会変革をめざすマルクス主義者が資本主義社会の再生産のメカニ ズムを解明するという矛盾)は,<再生産の理論>は社会進化の全体的理論の -側面にすぎないとい うことをわれわれが受け入れるときにのみ, 処理できる. 再生産の理論は, 社会システムがうまく 働いているときに, それがどのように働くのかを説明するものである. マルクス主義者の社会変革 の理論に中心的役割を果た すのは, 再生産の過程そのもののなかで, 経済システムがそれ自身の再 生産の続行を脅かすような矛盾を, 規則的に作り出すということである. 弁証法的分析は, これら の矛盾の理論的展開を明らかにするた めに必要なものであって, 再生産 の理論はそのための単なる 9 ) 分 析 用 具 に す ぎな い.」( 35.

(7) . 小 内. 透. ここからは, 再生産の過程は永遠のものではなく, 社会システムがうまく働いているときにのみ 維持されるという認識がみてと .れる. いいかえれば, 資本主義社会においても, 再生産の過程がう まく機能しない場合が存在するということである. この認識は, 社会システムがうまく働かなくな る場合が明示されていないという弱点をもっ ているものの, ボールズの認識よりも現実的なもので あ る と い える.. こう して, 対応理論が形成される以前 においては, ボー ルズとギンタスの間に重要な認識の違い がみられた. しかし, 彼らの初めての本格的な共同論文 においては, こう した考え方の不統 一は解 消され, それが対応原理という概念を成立させた初めての論文になる のである.. 〔注〕 ” ( 1 ) Bowl IEducat i ionoftheSoc ia IDi i ionofLabo ,Rev t i es i I onandthe Reproduc v s ewpfRad ca . Unequa ,S Po l i i I t E l l t 1(早川操訳 「教育の不平等と社会的分業の再生産」 力ラベル・ハルゼー ca c onomi c s 3 Fa ‐Wi n e rl97. ,, 『教育と社会変動 上』 東京大学出版会 198 0年) , ( 2 ) 同上, 訳書, 1 61~16 2頁. ( 3 ) 同上, 1 2頁. 8 ( 4 ) たとえば, 次のような指摘がみられる. 「対応原理( i i l )自体は因果説明ではなく, むしろ e c one s nc pondencepr p 説明対象となるものである. 学校と資本主義との対応を構造的に規定する歴史社会的条件を探索すべきである」(田 中敬文 「Bowl i t 6号, 1 987年, 96頁) e s=Gi n sの理論的発展過程」 『早稲田大学大学院経済学研究年報』 第2 . ( 5 ) 前掲, ポールズ 「教育の不平等と社会的分業の再生産」 8 3頁. , 前掲訳書, 1 ( 6 ) 同上, 17 6頁. ( 7 ) 同上, 17 8頁‐ ” 「消費 ( ) Gint 8 i H iorandtheConceptofsovere i i i s can Economi 97 2( c Rev ewl gnty” , . ConsumerBehav ,Amer 『 者行動と主権概念・ 青木昌彦編著 ラディカル・エコノミックス』 中央公論社, 19 7 3年) 訳書, 84頁. ( 9 ) 同上, 訳書, 87~8 8頁.. IQ論争と対応理論の登場 1 ) (1972~1973 年) ボールズとギ ンタスの初めての共同論文 「アメリカ 階級構造におけるI Q」(. 第2節. は, 当時一世を風摩していたジェ ンセニズムやそれをめぐるIQ論争を批判するものとして執筆さ れた論文である. それゆえ, まず彼らがこの論文において, IQ論争に対していかなる立場をとっ たのかということを確認する必要がある.. 「 . それは, 本稿は, 最近復活したIQ論争の当事者双 方の前提となり, 議論の対象とされなかっ た仮定そのものを問題とする. すなわち, IQは経済的 { のという課題設定そのものの中にみてとれ 成功にとって基本的に重要である, という仮定をである」 る. つまり, 彼らはIQは遺伝によるものかそれとも環境 によるものかといった, IQ論争のいず れの立場の論者にも共通する 「IQは経済的成功にとっ て基本的に重要である, という仮定」 その ものが誤りであるという考え方をもっていたのである. それゆえ, この論文では, IQが経済的成 I Q論争に対する彼らの立場は明瞭である. 功にとって基本的に重要なものではないという点を既存のさまざまなデータを用 いて明らかにして いる. こ の よう に, I Qの経済的成功にとっ ての意義が否定された場合, 新たに次のような課題が必然 3 } つ ま り 「第 一 に も し IQによる区別のもつ社会的機能が 地位獲得もしくは 的 に生 じてく る( , , . ,. 地位伝達にないとすれば, その機能はどのようなものであろうか?……第二に, もしIQが社会階 級構造の主要決定因でないとすれば, それに当たるものは何か?」 ということである. 36.

(8) . ポールズとギンタスの対応理論の発展過程 (上). ボー ルズとギンタス はまず, 第一点について, 「経済的成功の基礎として知能を強調することは, 権威主義的, ヒエラルキー的, 階層的かつ不平等な生産システムを正統化し, かつ, 個人をこのシ ステムの内部でしめる客観的地位に甘んじさせることに役 立つ」 としている. IQの社会的機能は 階層的な不平等の正統化にあるということである‐ もちろん,「正統化が促進されるのは, 人々 がI Qを本質的に重要であると信じ込む場合だけである」 こと, その点で, 重要な役割を果たすのが学 校であることはいうまでもない. 学校では, 認識的特性=能力が経済的成功ないし身分形成の重要 な要因であるという認識を強化するからである. 一方, 第二の点に関しては, 経済的成功にとっ て基本的に重要なのはIQではなく, 性, 人種,. 年齢, 教育上の資格などから成る個人的属性の複合体や, 非認識的人格特性 (動機づけ, 権限に対 する順応, 自己規律, 労働規範の内部化) のパターンであるという考え方が示される. こうして, 階層的不平等に対する I Qの正統化機能と, 経済的成功の基本要因としてのIQ以外 の個人的属性や非認識的な人格特性 が明らかにされる. ボールズとギンタスは, さらに経済的成功の基本要因のうち, とくに動機づけ, 権限に対する順 応, 自己規律, 労働規範の内部化といった非認識的人格特性に注目し, その形成メカニズムを解明 しようとしている. そこには, これらが経済的成功の要因の中でももっ とも重要なものであるとい う認識が存在している. この点は, その後の対応理論の発展の中でも, 一貫している. そこで, こ の点を解明するために導入されたのが, 対応原理という考え方である. 対応原理という表現がここ に初めて登場したのである. ところで, 彼らが初めて提示した対応原理は, 二つの内容を含んでいた. 学校教育の社会関係と 4 } その場合 「<社会的 社会的生産関係の間の対応, 家庭生活と社会的生産関係の間の対応である( , . 生産関係>とは, 権利と責任, 義務と報酬の体系を意味するが, 組織的な生産活動 に従事している ( 5 } つ ま り ボ ー ル ズ と ギ ンタ ス に と っ す べ て の 個 々 人 の 相 互 関 係 は, こ れ に 支 配 さ れ る の で あ る」 , .. て,<社会的生産関係>とは, その背後に生産手段の所有-非所有という現実があるにしても, それ をただちに意味するものではなく, むしろ社会的分業のシステムのあり方を指していると考えた方 が よ い で あ ろう.. それでは, 社会的生産関係と学校教育の社会関係, 家庭生活の社会関係とが対応しているという の は, どの よう な こ と を 意 味 して い る の で あ ろ う か.. まず, 学校教育の社会関係と社会的生産関係の対応についてみてみよう. この点について, ボー ル ズ と ギ ンタ ス は次 の よ う に 述 べ て い る.. 「学校教育の社会関係は いくつかの重要な側面で 社会的生産関係と同じように構造づけられ , , ている. 学校というものは, 一つの官僚制的秩序であっ て, ヒエラルキー的権限, 規則指向, 年齢 (学年) と同時に<能力> (成績によるクラス分け) による階層化, 性別による役割差別 (体育, 家政学, 買物) , 労働領域における賃金と身分とよく似た外生的誘因の体系(点数, 進級の見込みと 落第の恐れ) を伴っ ている. こう して, 学校は, 職場で要求される特性と対応した特性を学生に植 6 } え 込 む 傾 向 が あ る.」(. つ まり, 学校と職場にはともにヒエラルキー的権限, 規則指向, 年齢と能力による階層化といっ た官僚制的秩序があり, 賃金・身分と点数等の学業成績の間に外生的誘因の体系という点で類似性 があるということである. これを学校教育と社会的生産関係の対応といっ ているのであり, その対 応性によって, 「学校は, 職場で要求される特性と対応した特性を学生に植え込む傾向」があるとさ れるのである. その意味で, 学校内部の社会関係の特質を職場の社会関係のあり方のアナロジーで 把握しようとするものであると考えてもよい. 37.

(9) . 小 内. 透. しかし, 学校の社会関係と社会的生産関係の対応は, こう した職場と学校内部の社会関係の対応 という点のみに限られるわけではない. ヒエラルキー的な学校体系, いいかえれ ば学校段階の相違 や学校の序列と社会的生産関係が対応しているという面も無視してはならない. 彼らは, この点に つ い て, 次 の よ う に 述 べ て い る.. 「ヒエラルキーの底辺にいる人々に対しては服従と規則を大いに強調する必要があり 上部にい , て自由裁量の余地 がかなり広い人々には, 十分に内生化された規範に基 づく意思決定の能力が一層 要求されるのである. 学校教育の社会関係ではこのパターンが忠実に模写される. 高等学校では権 威に対する服従と尊重が期待されるのに比較して, 大学生にはカリキュラム, 生活様式, 時間割な どの点で広い選択範囲が与えられていることが注目される. 差別化は, 学校教育の各レベルごとに 7 ) も 生 ず る.」(. こうして, 学校教育の社会的関係と社会的生産関係の対応は, 二重の意味で把握されていること が分かる. これに対し, 家庭生活の社会関係と社会的生産関係の対応は, 次のように説明されている. 「社会的生産関係と児童社会化の社会関係そのものとの対応は 学校教育だけに限られるもので , はない. 家庭生活の構造 にも同じような対応関係 がみられることを示す強力な証拠 がある. ……差別的な (注-階級的に異なる) 養育パターンは, 労働者の人格と野望に影響を与えるばか りではない. 彼または彼女の自己表現の様式 -- 階級的忠誠心のパターン, 話し方, 服装, 対人関 8 ) 係の行動様式 -- をも決定するものである.」( パ つまり, 階級的な相違をもつ養育の ターンが, 非認識的人格特性を形成するということが家庭 生活の社会関係と社会的生産関係の対応として描かれている. ただし, ここでは, メルヴィ ン・コ ーンの説明にほぼ全面的に依拠しており, その点で, 必ずしも彼ら自身の説明が十分でないところ がある. とくに, 養育のバターンとは具体的には何を指すのか, またそれが階級的に違うとはどう いうことかよくわからない. 階級的に異なる子育ての仕方というイメー ジはたいへん分かりやすい が, 科学的には厳密ではないといっ てもよい. さて, こうして, この論文ではじめて 「対応原理」 という概念とその考え方が提示されたが, そ こには, いくつかの点でそれ以前のボールズや ギンタスの考え方と異なる点がみられることに注意 する必要がある. 第一に, 学校のもつ意義がきわめて高く評価されるようになっ ているということである. すでに みたように, これ以前のギンタスの場合, 個人の 「適性, 能力, パ ーソナリティ, 選好全般」 を問 題にする際, 家族や学校な どの機関の社会化機能では説明できないとしていた. 一方, ボールズ は これと異なり, 家族や学校の社会化機能について重視 していた. しかし, その場合にも, 家族の社 会化機能を重視し, 学校の社会化機能は家族の補完としての位置 づけしか与えられていなかった. その意味で, ボールズにとってもギンタスにとっ ても, 学校は諸個人の社会化にとっ てそれほど重 要な意義をもつものではなかった. それに対して, ボールズとギンタスのこの共同論文では, 非認 識的人格特性の形成にあたっ て, むしろ学校が家庭と同等のあるいはそれ以上に重要な役割を果た すものとして位置づけられている. 事実, 学校と家庭の補完-被補完という位置づけは見られない し, 論述自体も学校と社会的生産関係の対応の方が家庭と社会的生産関係よりも詳しいものになっ ている. その意味で, 学校の非認識的人格特性の形成にあたっ てもつ意義, それゆえ学校の再生産 的な意義がかつてのボールズやギンタスの考え方より格段に高く位置づけられるようになり, 逆に 家族の位置が相対的に低くなっているといえる. 第二に, 対応原理の成立要因に関する検討がみられないということである. もちろん, これ以前 38.

(10) . ボールズとギンタスの対応 、理論の発展過程 (上). の論文では, .対応原理という概念自体が存在していない. しかし, すでにみた ボー ルズの論文にお いては, 教育や家族のあり方と社会的生産関係の関連についての考え方が示されていた. しかも, そこでは, 必ずしも十分な形ではないが, 教育の構造と社会的生産関係の関連は明らかに規定-被 規定, 原因-結果の関係としてとらえられていた. これに対して, この論文では, 学校や家庭と社 会的生産関係の関連が, 対応関係として把握されるようになっ ている. したがっ て, 学校や家庭と 社会的生産関係の関連はすでに規定-被規定, 原因-結果の関係としては把握できなくなっ ている. そこでは, 学校や家庭と社会的生産関係の対応原理の成立要因そのものが問われざるを得ない. に もかかわらず, この論文では, この点について述べることはなされていない. むしろ学校や家庭と 社会的生産関係の関連の仕方が, 対応関係として詳しく論じられているにすぎない. いいかえれば, この論文の場合, 対応関係そのものが, 非認識的人格特性の形成要因として位置づけられており, 対応関係の成立要因そのものについては議論されていないといっ てもよい. 第三に, 注意すべきことは, 再生産の構造を克服する展望が不十分な形ではあるが, それまでに なく詳しく論じられていることである. これ以前には, ボールズは再生産の構造を資本主義社会に おいては不可避なものであるという硬直した考え方しかもっ ていなかった. 再生産の矛盾について の認識をもっていたギンタスの場合にも, その内容は必ずしも明示されていなかった. しかし, こ の論文においては, 再生産の構造は資本主義社会において不可避なものという認識になっ ておらず, しかも資本主義社会における再生産に必然的に内包される矛盾が具体的に提示されている. たとえ ば, ボールズとギンタスは,「以上の分析は, 一つの本質的な点で不完全である. ……以上で取り扱 われたのは, アメリカの資本主義体制はどのように自らを再生産 しているかということだけであっ 9 { }とし 当時 て, 体制の成功によっ て不可避的に発生する諸矛盾については, 取り扱われなかった」 , 1 0 ) すなわ のアメリカ資本主義の再生産システムが抱えている矛盾を6点にわたっ て列挙している{ . ち, ①資本主義によっ ては生産 しえぬものに対する欲求の増大, ②プチブル層の凋落による, 資本 主義的秩序を本来的に擁護する者の減少, ③労働の無意味化, 抑圧化による資本主義体制に対する イ デオロギー的擁護の主要路線の浸食, ④資本の国際的拡大による貧困諸国におけるナショナリス. トと反資本主義運動の高揚, ⑤黒人運動の高揚, 婦人の経済的立場の急激な変化の予測に基づく政 治的不安, ⑥ホワイ トカラー労働者のプロレタリア化である. 具体的に, 再生産の矛盾が示されて い る の で ある. しか し, こ れ ら は あ く ま で も, 矛 盾 の リ ス ト と して あ げ ら れ て い る だ け で あ っ て,. 各々の矛盾の発生メカニズム, それぞれの矛盾の関連構造, そして何よりも, 再生産システムとの 関連いいかえれば対応原理との関連が明確 になっ ていない. その意味で, 資本主義社会における再 生産のシステムは不可避的に矛盾を内包し, それゆえに再生産システムは決して永遠ではないとい う認識が強化されたものの, それは明確に理論化されるには至っ ていないということができる. こうして, 対応理論は, 「アメリカ階級構造におけるIQ」の論文において形成されたが, それは 必ずしも体系的なものではなかっ た. これは, この論文が, あくまでも当時のIQ論争に一石を投 ずるために書かれたものであり, 対応理論を展開するため に書かれたものではなかっ たことにもと づいている. その意味で, この論文は対応理論にとってその生みの親であるが, それ以上のもので はなかったといえる. 対応理論がより体系化さ れたものとして確立されるのは,『アメリカ資本主義 と学校教育』 においてであっ た.. 〔注〕 “ i { 1 ) Bowles i i ture“ nt s as s St luc aIPol cy ,S. & Gi , H‐ IQ inthe U‐S. C1 ,Soc , NovemberDecemberl972 and 39.

(11) . 小 内. 透. January ‐Februaryl973 (「アメ リカ 階 級構 造 にお ける IQ」 青木昌彦編著 『ラディカル・エコノミックス』 中央公. 3年) 論社, 197 . 2頁. { 2 ) 同上, 訳書, 22 23~ 224頁参照. ( 3 ) 同上, 2 68頁. ( ) 同上, 2 4 ( 5 ) 同上, 2 42頁. 68~26 9頁. ( ) 同上, 2 6 69頁. ( 7 ) 同上, 2 2頁. 0~27 ( ) 同上, 27 8 ( 7頁. 9 ) 同上, 27 7~28 0頁. 回 り 同上, 27. 第2章 対応理論の確立 第1節 学校・家族の社会関係と生産の社会関係の対応 『アメリカ資本主義と学校教育』 ( 1976年)は, 対応理論をアメリカの資本主義と学校教育を題材 にして, 全面的に展開した書物として位置 づけることができる. 対応理論は 『アメリカ資本主義と 学校教育』 において, 確立されたといいかえてもよい. それゆえ, 多くの論者が対応理論や ボルー ズとギンタスの教育に関する理論を検討する場合, この著作を基本にしているのである. そこで, まず, 『アメリカ資本主義と学校教育』において確立された対 応理論についてその内実を みていこう. その際, とくにこれまでの ボールズとギンタスの理論的な考え方との相違を重要な視 点にすえてみていく. いいかえれ ば, 対応理論がどのように変化・発展したのかという点 を重視し て いく と い う こ と で あ る.. こうした観点で検討すると, なによりもまず, 対応理論の守備範囲が拡大されたという点に気 づ く. つまり, それまでの対応理論ないし対応理論的な考え方は, 力点のおき方に相違はあるものの 学校や家庭の社会関係と生産の社会的関係との間にある類似性を対応原理の内実としてとらえてい た. これに対して, 『アメリカ資本主義と学校 教育』では, それだけでなく教育の歴史と資本主義の 歴史のあり方との関連も, 基本的に対応原理によって説明できるものとされている. 現在の諸社会 関係間の構造だけでなく, 教育と資本主義の歴史的な動きまで相互に対応したものとして捉えてい 1 ) リストンも同様に「ボール るのである. 森重雄は前者を共時的対応, 後者を通時的対応と表現し( , ズとギンタスは, アメリカには歴史的に変動する階級構造と公的学校制度の間の対応と労働と教育 2 ) の社会的諸関係の間の対応が存在してきたと主張している」 と述べている( . このうち, 共時的対応ともいうべき, 現在の諸社会関係と社 会的生産関係との間の対応関係につ いては, すでに述べた対応原理の考え方を基本的に踏襲し, 学校およ び家族と生産の社会的関係の 対応のあり方をより整理した形で提示している. . すなわち, まず, 学校教育と生産の社会的関係の対応のありかたについて, ボー ルズとギンタス は, 第一に, 学校の内的社会的関係 -- 学校管理者と教師, 教師と学生, 学生と学生, 学生と職業 の間の関係 -- と, 労働のヒエラルキー的分業との対応 として把握する. それは, ①生産現場のヒ エラルキー的な関係と学校管理者から教師へ, さらに学生へという学校における 垂直的な権威の系 列の対応に現われ, ②労働疎外と学生が自分たちの教育をコントロールすることができないという ことの対応として示される. これは, 学生がカリキュラムの内容から疎外されていること, 単位や その他の外面的な評価の体系を通じて学習が動機づけられ, 学生が主体的に教育の 「生産過程」 の 過程 (学習) あるいは結果 (知識) に関わるものではないということ を指し示している. さらに, 40.

(12) . ポールズとギンタスの対応理論の発展過程 (上). ③労働の細分化と学生たちの間に, 一見能力主義的な成績順位と評価を通 ずる競争が制度化され, 3 } これらの多様な側 しばしば破壊的な形をとるということの間にも対応関係がみられるとされる{ . 面で, 学校の内的社会関係と生産の社会関係の対応原理が把握される. そこでは, これらを通した 生徒の行動規範の形成が, 正当化機能と並ぶ学校の主要な社会機能となる.. 第二に, 学校教育と社会的生産関係の対応は学校間の社会関係と社会的生産関係の対応という側. 4 } つまり 学校の各レベルで習得される行動規範(学校による学生の管理の仕 面からも捉えられる( , . 方とそれによっ て習得される学生の行動様式のタイ プ) とヒエラルキー的に位置づけられる企業組. 織の内部で求められる行動規範 が対応しているということである. いいかえれば, 異なっ たレベル の教育制度は, 職業構造の中で異なったレベルに労働者を送り込むということである. 具体的にい えば, 企業のヒエラルキーで最下位のレベルでは, 規則にしたがうということが強調されるが, 下 位のレベル (中学, 高校) では, これに対応して生徒の活動をき びしく制 限し, 方向づける傾向を もつ. 中位のレベルでは, 信頼性と, 直接的に, 絶えず監督されなくても働くことのできる能力が 重要視されるのに対応して, 教育体系の中で少し上級の師範カ レッ ジやコミュニティ ・カレッ ジに なると, もっ と学生の独立を認めるようになり, 全体的な監督が少なくなる. さらに, もっ と上位 のレベルでは, 企業の規範を内面化するということが強調されるが, 教育システムのもっ とも上位 のレベルには, 四年制のエリート・カレッ ジがあって, 生産のヒエラルキーのもっ と上位のレベル と調和するような社会的関係が強調される. ところが, 学校教育のヒエラルキーの どの段階まで到 達するかは, 家庭の社会経済的な背景によっ て異なっ ている. 教育年数や教育水準には階級・階層 差が存在しているといいかえてよい. したがって, このメカニズムを通して地位伝達の再生産が維 持されるのである. こう して, 学校の社会関係と生産の社会的関係の対応は, 「アメリカ階級構造における I Q」の中 で示された考え方をより精級にしたものとして受けとめることができる. これに対し, 家庭の社会関係と生産の社会的関係のあり方も, 基本的には対応しているものとし て把握されている. それは, 次の叙述からも明らかである. 「家族は 教育制度と同じように 青少年に経済的 社会的役割を果たす準備を与えるという点 , , , で, 重要な役割を果たす. したがっ てたとえば, 性別分業の再生産に家族が与える影響は, 教育制 度の影響よりもはるかに大きい. この, 意識の再生産は, 生産の社会的関係と家族生活の社会的関係の間の大ざっ ぱな対応関係に 5 ) よ っ て 促 進 さ れ る.」(. しかし, 同時に, 『アメリカ資本主義と学校教育』においては, それまでの対応理論の考え方とは 異なり, 次のように, 家族と社会的生産関係の対応しない部分も強調されており, この点で際だっ た特徴を示している. 「家族は本質的な点では 社会的生産関係とはまっ たく異なった社会的パターンを現わす 家族 , . 生活のもつ, 緊密な人間的, 感情的関係は, 賃労働制の非人間的な官僚主義とは縁遠いものである. じじつ, 家族はしばしば, 仕事の世界における疎外と精神的貧困からの避難地とされてきた. 学校 教育が, 若い人々 を賃労働制に統合するために必要な役割を果たしているというわれわれの分析は まさに, 家族構造と資本主義的生産関係が本質的な点で異なっ ているということにもとづいている 6 ) の であ る.」(. したがっ て, 家族生活は生産の社会的関係に基本的に対応しているが, 本質的な点で社会的生産 関係とは異なっていることが示されている. なぜなら, それは, 家族生活が生産関係とは異なり緊 密な人間的感情的関係をもっ ているからである. この点で, 家族生活は学校教育と異なっ ており, 41.

(13) . 小 内. 透. 家族でなしえない機能を学校が担っ ているのである. こうした見方は, これまでの論文にはほとん どみられないことである. その意味で, 対応理論の内実は 『アメリカ資本 主義と学校教育』 とそれ 以前の段階とでは, 異なっ ているといえる. こう して, 現在の学校や家族の社会関係と生産の社会的関係との間の対応関係が整理された形で 明 ら か にさ れ て い る の で あ る. と こ ろ が, こ れ ら の 考 え 方 に は, 二 つ の 点 で わ か り に く さ が み ら れ る.. 第一に, 現時点での学校や家族と生産の社会的関係の対応 が, 再生産機能を持つというメカニズ ムが明確ではないことである. なぜなら, 諸個人の教育年数や学歴水準が何によっ て決まるのかと いう点が, 必ずしも明確にされていないからである. つまり, 再生産の鍵を握るのは, ヒエラルキ ー的な生産の場で求められる行動規範のいくつかのタイ プが, 学校間のヒエラルキーに対応して形 成され, どの段階の学校へ進むのかが家族の社会的経済的背景によっ て異なるという論理である. そこでは, 家族の社会的経済的背景が学歴水準の規定要因であるということもできる. しかし, 家 族の社会的経済的背景の何がそれに当たるかという点は全く検討されていない. それゆえ, 家族の 社会的経済的背景が学歴水準の規定要因であるという, ここでの考え方は, むしろ, 認識的特性, いいかえれば学業成績は教育的達成にとっ て必ずしも決定的な意義をもっ ておらず, むしろ家族の 社会的経済的背景が決定的な要因であるということを示すものにすぎない. これは, すでにみたI Q論争の中で明確にされた認識的特性は経済的成功にあまり大きな意味をもっ ていないという考え 方と同様なものである. バーンステイ ンやブルデュ ーが家族の社会的経済的背景といっ た一般的な ことでなく, 家族の用いる言語や文化的要因に着目して学歴水準の階層差の原因を解明することか 7 ) ボールズとギンタスにとっ ては 教育 ら自らの再生産論を出発させたのときわめて対照的である( , . 8 )前提的な現実であり そ 達成の社会的経済的格差は, 「あまりに明白であっ て否定すべくもない」{ , の原因は解明すべきことがらではなかったといえる. ここに, 再生産論としての対応理論のわかり に く さ が あ る と い っ て よ い.. 第二に, しかも, この段階では, 家族のありかたには, 生産の社会的関係と対応している部分と そうでない部分があるという指摘がなされている点である. これは, 家族のあり方と生産の社会的 関係のほぼ全面的な対応関係というこれ以前の主張より現実的なものである. しかし, これらの点 に関する具体的な展開はここで述べた以上にはなされていない. 家族のあり方と生産の社会的関係 の対応している側面と対応していない側面の分かれ目はなににもと づいているのか, また, 両者の 区別と関連の論理はいかなるものなのかといった点は検討されていない. そのため, 家族生活と生 産の社会的関係との対応関係と家族生活の独自性とのかかわりが必ずしも十分に読み取れない. そ こでは, むしろ, 論理は単純であるが, これ以前の家族-学校-生産の対応という考え方の方がは るかに理解しやすい. したがっ て, ここで述べられた生産の社会的関係と家族の対応と非対応の関 係をより詳しく展開することは, 課題として残されたといえる.. 〔注〕 ( ) 1 2 { ) ( 3 ) ( ) 4 ( 5 ) ) ( 6 42. 9 85年, 2 森重雄 「マルクス 『主義』 教育社会学・批判」 『東京大学教育学部紀要』 第24巻, 1 5~26頁‐ l i Li l l l ton ta tSchoo )1988p s s s . .48 . ,Capi ,(London ,Chapman & Ha ,D. ,lnc. ボールズ・ギンタス 『アメリカ資本主義と学校教育1』 岩波現代選書, 1 986年, 2 23~2 24頁. 同上, 224~225頁. 同上, 24 2頁. 同上, 244頁..

(14) . ボールズとギンタスの対応理論の発展過程 (上) ( 7 ) この点にっていは, 拙稿 「B‐ バーンステインのコード理論の展開過程と問題点 (上)」 『北海道教育大学紀要』 0年, および拙稿「P‐ ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題』 『北海道 0巻・第2号, 199 (第1部C) , 第4 第4 1巻・第2号 91年参照. 教育大学紀要』 (第1部C) , , 19 ( 8 ) 前掲, ボールズ・ギンタス 『アメリカ資本主義と学校教育1』 , 57頁‐. 第2節 教育の歴史と資本主義の発展過程の対応 対応原理は現在の諸社会関係間のあり方を説明する だけではない. 教育の歴史と資本主義の発展 過程の関連をも説明しうるものとして提示されている. 森重雄のいう通時的対応に当たる部分であ り, リストンのいう 変動する階級構造と公的学校制度の間の対応に相当する側面である. ここに, 『アメリカ資本主義と学校 教育』 とそれ以前の考え方との間の大きな違いが見いだせる . しかし, その場合, 注意する必要があるのは, 対応関係が安定していた時期を取り上げ, その特 徴を説明することだけでは, 教育の歴史と資本主義の発展の対応関係を対応原理によっ て説明した ことにはならないということである. それは, 特定の時期に特定の対応関係をもっていた教育と生 産の社会的関係がやがてそれぞれの内実を変化させた上で, 再び対応した関係を作り上 げるという 歴史のメカニズムを明らかにすることによっ て初めて可能になるからである. したがっ て, ボールズとギンタスはこの問題を解明するにあたっ て, 教育と資本主義が安定して 9世紀半ば頃の公教育 いた時期ではなく, アメリカの教育の歴史の三つの歴史的転換点, すなわち1 960年代~現在を取り上 げそこに貫かれて 制度の成立期,1 8 90~193 0年の法人資本の拡大の時期,1 いる論理を明らかにするという形をとっ ている. いいかえれば, 安定した対応関係が崩れた時期か ら新たな安定的対応関係が生じてくるメカ ニズムを明らかにしようとしているということである. それゆえ,「学校教育と職業がうまく調和 しているか どうかという形で問題を提起するのはある意味 で, あまりにも問題を単純化しす ぎたものであると言わざるを得ない. 以下展開するアメリカの学 校教育制度の歴史的な変遷にかんする分析は, 教育制度が経済的条件の進化に対して必ずしも円滑 に対応せず, むしろ, その プロセスは, 矛盾と妥協との, みにくい, 利害対立のはげしいものであ 1 }と い う 指 摘 が なさ れ る の で あ る っ た こ と が わ か る で あ ろ う」 ( .. 9世紀半 ば頃の公的教育制度の成立の実状につい こう した観点から,まずボールズとギンタスは1 て検討する. そこではなぜ公的教育制度 (公立小学校) がこの時期に成立したのか, ということが 重要な論点になる. この点について, 彼らは次のように述べている. 「家族での養育は 新しい興りつつあっ た工業部門での労働に対する訓練という点では不十分で , あっ た. とくに184 0年代の終わり頃に, アイ ルランド系の労働者が大量に入ってくるようになって から, (注-マサチュ ウセッ ツ州ローウ ェ ルの)学校教育委員会は, 学校が家族に代わっ て部分的に 2 ) 代替の役割を果たすものと考えるようになった.」( つまり, 公教育が成立してくる時期は資本主義 が確立する過程でもあり, 資本主義の発展が求め る工業労働者を訓練する場として, 公的学校制度が生まれたということである. その場合, 重要な ことは, 「教育改革に対する刺激は不満を抱いている農民あるいは労働者からくることもあっ たが, 教育における革新の形態と方向に, 明白な刻印を刻みつけていった運動の指導力は例外なく, 経済 3 ( }ということである いいかえれば 公的教 の主導的な部門にいる専門職と資本家の人々 であっ た」 , . 育制度の確立・拡大は, 新たな経済のあり方に対応した教育を構築するための支配層の戦略である といってもよい. 歴史にみられる対応原理とはこの点を意味しているといえる. 890~19 30年の時期についてみると, それは法人資 つ づいて, 教育の歴史の第二の転換点である1 本の拡大の時期であり, それに合わせた教育のあり方が求められた時代であった. この時期に現わ 43.

(15) . 小 内. 透. れた進歩主義的教育改革は, まさにこの時代に見合ったものであるという認識を ボールズとギンタ ス は も っ て い る.. 「会社における分業の変化 企業内部と社会全体と両方における資本 と労働の対立, 職業構造の , 変化は, すべて, 教育制度に大きな影響を与えていっ た. 学校教育の拡大と進歩主義的教育改革の 4 } 実施はこのような発展の表現であった」( 法人資本主義の発展と労資の対立, テーラーシステムの 導入, 非肉体労働者の増加等々 が, この 時期の学校教育の拡大と進歩主義的教育改革の実施の原因であるという認識である. 「教育は『子 ど 5 ( )が 進歩 もの必要』に合わせておこなわなければならないというのが進歩主義者の主張であった」 , 主義教育の要求自体が法人企業的な分業の進展にともなっ てその意味を変質させてしまったという こ と であ る.. 6 } その意味で, 「進歩主義的教育の矛盾をはっ きりと現すもの」 が職業教育運動の歴史であった{ . な ぜなら, 職業教育自体はや がて労働者になっていく子 どもに必要なことであるにもかかわらず, 「職業教育運動は 急速に拡大されつつある法人部門が必要とする特定の職務の訓練に対する対応 , 策というよりも, むしろかつてのエリート教育機関であったハイスクールを階級構造の再生産とい う変化しつつある必要に応じて調整しようとするもの」になっ てしまったからである. 「この点にか んしてとくに重要なことは, 職業主義のイ デオロギーを使っ て青少年を大ざっ ぱに人種, 民族的出 目, 階級的背景にした がって, 差別し, 階層化するような進路振り分けの制度を正当化しようとす る 点 で あ っ た」 .. こうして, 進歩主義的教育の理念である 『子どもの必要』 に見合うものでもある職業教育運動は, 結局, 振り分けを正統化する客観テストの導入と職業の自発 的選択というシステムの定着という当 時の資本主義に見合う教育システムをつくり上 げることにつながっ たのである. 960年代~現在を教育構造の第 三の歴史的転換点と位置づける. さらに, ボールズとギンタスは1 この時期は, とくに学生運動の高揚に示されるように, 高等教育のあり方 が問われる時期であった. 第一の歴史的転換点が公的教育制度(公立小学校) , 第二の歴史的転換点 がハイスクールのあり方を 変化させたのに対し, この時期には, 高等教育のあり方が変化しているのである. 彼らによれば, 高等教育は資本主義の発展にともなっ て単なるエリート養成機関ではなくなり, 同年齢層の約半分が行く機関となっ た. 高等教育機関の大衆化が進んだといっ てもよい. それは, 別の角度からみれば, 今日の高等教育機関は 「高度に発達した資本主義における階級構造の再生産 7 }になったことをも意味している しかし, そのことは, 同時に「高等教育の社会 の過程の 一部分」( . 8 )を生みだすことにもなっ た 端的にいえ ば, 関係と新しく出現しつつある経済体制との間に矛盾」( . 「 それは, 高等教育の大衆化による 学歴イ ンフレ」 がもたらす矛盾といいかえてもよい. すなわち, 「まず第一に, ……(注-学生数の拡大によっ て)学生の多くは, 高等教育を受けるこ とによって得たいと望むものを, 十分に得ることができなくなってしまった. 第二に, アメリカ経済の急速な転換は, 中間階級が自らの労働者を管理する特権 を維持すること ができた企業家資本主義から, ホワイ トカラー労働者 がプロレタリア÷ ト化し, 官僚化してゆくよ うな法人資本主義への転換である. この転換によっ て, 比較的裕福な家族の子 どもたちは基本的に 9 } 非階級化される. -- 賃労働制に統合された新しい労働者の集団の一部としてである.」( こうして, 学生運動の高揚した時期は, 法人資本主義の発展にともなってホワイ トカラーが プロ レタリア化する時期にあたっ ており, そうした社会的現実が学生運動の高揚をもたらしたといえる. しかし,「一方では高等教育の構成と成長, 他方では法人資本の拡大との間の矛盾は, このようにさ まざまな不満を生みだしていったが, ごく少数の学生を除いては, 革命の意識を生みだすことはな 44.

(16) . ボールズとギンタスの対応理論の発展過程 (上). 1 0 ) つ まり 再び新たに教育と生産の社会関係が安定的に対応するようになったというこ かった」( , . とである. 以上のように, 彼らは, 資本主義の 三つの 歴史的転換点に焦点をあて, 教育と生産の社会的関係 の関連を検討している. その上で, これらの具体的な歴史に内在している論理をつ ぎのようにまと め て いる.. 「(注-以上の論述を通して)たんにそのとき どきの時点における 生産の社会的関係と教育の社会 的関係の対応を明らかにすることができただけでなく, 教育制度の変化が社会的な生産組織の変化 と歴史的に関わっ ているということを明らかにした. 生産構造の変化が, 同じような学校教育の 変 化に先行して 起こっ ていたという事実は, 経済構造が教育構造の 主要な決定要因として重要な役割 1 1 ) を果たすというこ とに対する有力な根拠を与えてくれる.」{ こうして, アメリカの教育の歴史を対応原理によって明らかにするということは, 教育と生産の 社会的関係の対応関係 が歴史の転換点で不整合的になるにもかかわらず, やがて新たな形で安 定的 な対応関係がつくられるという 歴史の繰り返しを解明する ということであっ た. その場合, 重要な ことは, つねに生産構造の変化が学校教育の変化に先行 していたということであり, その意味で, 経済構造が教育構造の 主要な決定要因として 重要な役割を果たしているということである. それゆ え, 今日の教育と生産の社会的関係の対応関係は経済構造のあり方に規定されながら歴史的に作り 上 げられてきたということにもなる. その意味では, 対応理論は対応関係の原因をまったく説明し ていないという批判は, 必ずしも妥当なものではないといえる. 少なくとも特定の時期の教育と生 産の社会的関係の対応関係は, その歴史的起源を確実に有していると考えられる. これはボールズ の初期の論文にあっ たきわめて単純な土台-上部構造論的発想とは確実に異なっ ているといえる. ここに, いわ ば通時的対応原理と呼 ばれる考え方の内実があっ たのである. しかし, これまでみてきた, ボールズとギンタスの教育と資本主義の歴史に関する対応原理は, きわめて一面的な側面を有しているこ とも事実である. つまり, それは, 教育のあり方は資本主義 の変動期には, 新しい安定的な対応関係 が構築されるが, 教育の新しい構造を作り出すのは農民や 労働者ではなく, 経済の主導的な部門にいる専門職 と資本家の人々 であるという考え方 があるから である. そこでは, 労働者階級や人民の運動 が教育改革において果た してきた役割が余りにも過小 に評価されているし, 今後の教育の展望も資本家たちの意図によっ て決定されることになっ てしま う. いいかえれ ば, 資本主義において は資本家の意図通りに教育改革 が進んでいき, その意味で資 本主義は永遠に資本家の思いの通りの社会として存続する ということになる. あまりにも単純で一 面的な議論であるこ とは否定できない. そこには, 対応理論の大きな弱点 があるといえる. それゆ 1 2 ) 「機能主義的」性格といっ た批判が生じてもやむを得 ないと え, 公教育制度に対する道具的把握( , い える.. 〔注〕 ( 1 ) ) ( 2 ( 3 ) 4 ( ) ( ) 5 ( ) 6 ( 7 ). 87年, 4頁‐ 1』 岩波現代選書, 19 ボールズ・ギンタス 『アメリカ資本主義と学校教育1 同上, 23頁. 同上, 55頁. 同上, 67頁. 同上, 7 7~7 8頁‐ 2頁. 同上, 8 4頁. 同上, 9 45.

(17) . 小 内 ( 8 ) { 9 ) Q o ) 側 餌 ). 透. 6頁. 同上, 9 9頁. 18~1 1 同上, 1 29頁. 同上, 1 同上, 1 34頁. 31頁参照. ’ 84年, 13 0~1 9集, 19 橋本健二 「『マルクス主義教育社会学』 の展望」 『教育社会学研究』 第3 (本 学助 教授. 46. 旭川 分 校).

(18)

参照

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