• 検索結果がありません。

家族主義イデオロギーと新しい家族の可能性 : 戦後民主主義論研究ノート・家族(戦前)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "家族主義イデオロギーと新しい家族の可能性 : 戦後民主主義論研究ノート・家族(戦前)"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 家族主義イデオロギーと新しい家族の可能性 : 戦後民主主義論研究ノー ト・家族(戦前). Author(s). 吉崎, 祥司. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 33(1): 41-54. Issue Date. 1982-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4448. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 家族主義イ デオロギーと新 しい家族 の可能性 -} 戦後民主主義論研究ノート・家族 (戦前) --. 吉. 崎. 祥. 司. は じめ に. 小稿は,「戦後民主主義」に関する比較的包括的な研究の一環として . 戦後民主主義における達成 ,) と課題という視点から日本の家族問題の総括的整理を試みようとするものである この作業は し . , たがっ て必ずしも独立した家族研究をめ ざすもの ではなく また大量に蓄積されてきている従来の , 家族研究に多少とも新知見を加えようとするものでもない しかし 民主主義論の見地においても , 。 , 家族をめぐる制度的, イ デオロギー的な, あるいは政策的な諸問題および実態の歴史と現状 そし , てそこからの今後の可能性についてひととおりの考察を加えることが不可欠である 。 そのさい, 現在の日本の 家族の問題が, あたかも歴史的過去における家族主義的価値と近い将来 にみとおされうべき家庭像との両極の間で振幅をくりかえしているかにみえることが 「家族主義イ , デオロギーと新しい家族の可能性」 という一見歴史的距離をもち 反対の方向をむいた視角 を設定 , させる. すなわち, 現在の日本の家族は, 昭和30年代(とくに後半) 以降のいわゆる高度経済成長 期を画期として近代家族の様相を濃厚にしながらも 一方 での旧来の家族主義的イ デオロギーの影 , , とりわけ政治過程の一部における家族主義的家族制度復活の強固な志向 (勿論そこで旧制度の全面 的復活が企図さ れているわけではないとしても その動きが家族政策を深く規制していることに注 , 目する必要がある) と, 他方における, 家族の次元に集積した諸困難と崩壊的諸現象とが新しい家 族像を模索させ ている状況 (この課題は 「共働き家族」 と 「老人問題」 に最も鋭くあらわれている) との矛盾的情況のもとにある. したがって, 戦後民主主義における家族問題は, 依然としてなお 明治期に作為さ れた家族主義 , 的イ デオロギーと制度, 戦後家族制度改革, 高度経済成長期における家族の変化 そして現代家族 , の矛盾とそこからの新生の可能性との4つを主標識とする歴史過程に おいて まず 捉えられなけ , , ればならないだろう. 註 1 ) 拙稿 「変革の課題と人権論」(共著 『現代のための哲学』 第2巻 『社会』 所収 青木書店) 「戦後日本社会と教 , , 育問題」(布施鉄治他編 『日本社会の社会学的分析』 所収, アカデミア出版会) 「民主主義と人格形成」(唯物論 , 研究協会 『唯物論研究』 第2号所収, 汐文社) , 「戦後民主主義の意識と思想」(札幌 『唯物論』 第27号所収) な どをさしあたり参照されたい, なお, 民主主義の理論的諸問題の考察と伴せて ひきつづき公共性(公と私)・共 , 同性, 欲望自然主義, 「経営家族主義」ないし「日本的集団主義」 , 高度経済成長期, 職業労働, ナショナリズム, 「日本文化論」 などの主題にもとづいて戦後民主主義を多角的に検討してみたい. 41.

(3) . 吉. 崎. 祥 司. 〔1〕 家族主義イ デオロギーの形成と展開 明治期における 「家」 の制度とイ デオロギーは, 天皇制国家支配体制を支える 包括的意義を担わ さ れることによ って, たんなる家族政策の範囲をはるかに超えた, 社会構造上の基底的位置を占め るべ きものとなった. いいかえれば, 家族は, 社会内の一つの集団レベ ルたるにとどまらず, 社会 の諸次元と諸側面, そして国家をも一 貫する論 理の始元たるべき 「家」 として作為された. つまり 「家」は, 天皇制支配のイ デオロギー的基礎にお ける中核的観念として支配の精神 的基盤を造成し, 人びとの内面的恭順 と能動的貢献を獲得すること, 治安対策, 社会政策をはじめとする行政一般の 基本単位として有効に機能すること, さらに, そのようなものとして社会諸集団の範型たるべきこ となどを明治国家から要求さ れ, 期待されたのである. そして, 家父長制的家族慣 行や祖先崇拝・ 民間信仰等の伝統的 観念によ って補強された 「家」 の制度とイ デオロギーは, 天皇制国家権力の確 立と安定化に大きく寄与した. ここ では, そうした過程を, 戸主制度・戸籍制度の制 定から, 旧民 法.民法典論争をへた明 治民法の公布・施行とそれ以後にいたる制度的秩序化と, 国家神道と天皇 制の体系化・組織化からはじまり, 公教育, 租先教などをつう じて浸透せ しめられ, やがて家族国 劃蒲・強化との 二つの側面から概観しつつ, 家観を成立せ しめるにいたる家族主義イ デオロギーの整 戦後へ連続する問題の性格を明らかにすることが必要であろう. 戦前期における 「家」 の制度・イ デオロギーの形成と展開の過程は, ほぼ4つの時期に画するこ とができると考えられる. すなわち, i) 戸籍法.戸籍制度を軸と しての 「家」 制度の形成期たたる明治初年~20年の時期. 0年代から明 劉蒲を実現していく明治2 i i) 明治国家が中央集権的権力をほぼ確立し, 制度的・法的整 治末年ま での時期 で, 民法典論争などを介在させながらも, 家族制度が完成 をみる. i i i ) 大正デモクラシー期をはさむ明治末年から昭和10年前後ま での時期 で,一方 での資本主義の高 度化にともなう家族変動や諸矛盾の家族への集中といっ た客観的過程の進行と, それらに由来する. 民衆の意識上思想上の変化, 他方における家族制 度とそのイ デオロギーの守護をめ ざす家族国家観 の展開・浸透とが, きわだっ た対比をみせる. i v) 日中戦争の開始から国家総動員体制の成立をへて 敗戦にいたる,昭和10年代を中心にした時期 で, 総力戦体制のもとで実質的に家族制度が崩壊の過 程をたどるが, それだけにかえっ て, ますま す国家的統合の核として の家族が権力によって要求さ れ, ファ シ ズム的家族国家が追求さ れる.. 1. 家族主義イデオロギー形成の前提 明治国家によって 「家」 イ デオロギーが作為されたというばあいにも, そこに, 伝統的な家父長 制的家族慣行や租先崇拝などの観念の現存という事 態が前提されていることはいうまでもない. そ もそも, そう した 「伝統」 の存在が 「家」 の着想を得させ, 「家」 制度の形成を可能ならしめ, 「家」 の意識の浸透を助長したのであり, この前提なしには, いかなる強権 をもってしても家族主義イ デ オロギーの成立は不可能であったろう(しかも, 少くとも明治10年代ま での新権力の 基盤は安定し 虚構された部面と伝統 たものでなかっ た) . それゆえ, 「家」 に関して, 明治国家によって作為され デオロギーは 「 ・家族主義イ 制度 家 」 につながるものとを弁別することが先決問題 である. つまり, 日本 「古来の醇風美俗」 であっ たのかどうか. 42.

(4) . 家族主義イ デオロギーと新しい家族の可能性. こ の 点も こつ き, 諸 家 の 研 究 に も と づ い て お よ そ 次 の よ う に いう こ と が で き よ う 。. ①中世武家社会から戦国期への歴史のなかで, 惣領制を軸とする 「家」 の形成が 武士家族にお , いてみられる (家父長的支配権, 直系単独相続 等)』 ②そして, 江戸期武士家族にこれが継承さ れ, さらに儒教主義的 家族イ デオロギーによって強化 された。 そのさい, 儒教の影響はともかく としても 2 ,)「家」 のしきたりや意識が有産階級として の 大商人や大地主にも浸透したとみなされる . ③しかし, 江戸期庶民 (農民, 商工民) 家族のばあい, i) 家父長制的な制度慣行と意識は 少 , くとも潜在的に存在してはいた (その成立根拠は, ( a )支配的イ デオロギーとしての武士階級の家族 主義の 「御定書百カ条」 や分地制限令等をつう じた規制力ということもあるが ( )なによりも 家父 ,b 長制的たらざるをえない近世日本の生産様式, 経済構造の特殊性に規定されたものであろう) 〉 。3 i i) だが, 生産と生活の条件が許すばあいには(たとえば新田開発による所有地の増大など) 分 , 割相続が少なからず広範におこなわれていたほか 末子相続等も必ずしも特殊例外的にすぎないも , のとはみられず, 長男子単独相続への傾斜はこの条件の消失によって支配的になったと考えられ } ,4 古来からの 「美俗」 としての認識によるも のではない . i i i ) その他, 労働力として自立しているばあいの女子の地位の相対的な 高さ および衣食住 家 , , 財管理等に関する主婦層の一種「絶対権」 (明治民法で法認されることのなかったこの権利を「主婦 権」 等と規定することが できるかどうかは別として) の存在 5 ,)そして武士階級に比しての家族の平 等的・親和的性格の存在などが, 上記の範囲内で確認される (とくに江戸期 では直系家族への経過 形態としての分 家等による夫婦家族がなかば以上を占めていたとみられ 直系家族的な観念が常時 , , 全面的に支配 していたとみるのは早計であろう) 。 ④なお, 生活共同 (とくに農繁期の共同労働や相互扶助) および相互規制 の必要から家族の周 囲 に組織された同族およ び親族集団における身分的関係 (本家-分家等) も 上層家族と庶民家族と , のばあい では, 上記に準じた相違が存在すると考えら れる . こう して, 成立期の明治国家の眼前にあっ た家族は, 武士のそれを中心と した一部上層家族と対 比的に, 大多数の庶民家族においては, 制度的にも観念的にも家父長制を顕在化・全面化させてい るものではなかった。 そこ ではただ, 伝統的な祖先 崇拝をもとにした家族秩序と それにむすびつ , くとともに家族生活の主宰者という地位から必然化さ れた家長への恭順 そしてそれらに加えて の , , 封建体制下で下降浸透したと思わ れる 「儒教的慣行」 としての 「孝」 や五倫八行な どが 家族のし , きたりと意識を規制していたにすぎなかった たしかにそれらは「家」イ デオロギーの作為を許し 。 , 作為された 「家」 イ デオロギーを受容し内在化せしめる契機 ではある しかし 江戸期から明治初 。 , 期にかけての大多数の家族状況がそれ以上のものでなかったことも間違いのな いところであろう 。. 2。. 家族主義イデオロギーの形成. 上記によって, それゆえ, 「家」 形成の手順もおのずから決定されてくる 。 それは, まず第一に, 「家」 に発した武士家族の規制力o秩序維持機能を範型として 庶民家族に , 内在していた「家」の慣行や観念をひきだして補強し 明確な形を与えること でなければならない , 。 第二に, 「家」が良俗として旧社会から自生するわけ でなく また庶民家族の慣行が必ずしも儒教 , 主義的 武士家族の 「家」 に多少とも全的に合致するわけのもの でないことに加えて 幕末維新期の , 家族秩序の混乱と明治初頭の欧化政策による近代的家族観の影 響などは 現実の家族をあるべき方 , 43.

(5) . 吉. 崎. 祥 司. 向にむけて強力に規制することを必要とするだろう. この規制は, 新しい権力がまた安定せず, 農 村から地租改正や徴兵, 学制に反対する一撲などが激発している 状況のもとでは, もとより観念的 劃菌を不可欠の 規範化の程度では 達せられないのであって, 現実的な強制力に 裏づけられた制 度的整 ものとする. 戸主制度以降の国家法による家族制 度規制は, 本質的にこう した要請にこたえるもの で あ る.. そのさい, 第三に, 伊勢詣り などの習俗と幕末期の神道の興隆などを背景に, 国家神道の体系化に よる天皇神格化を支配の基礎におこうとする権力にとって, 民間信仰とむすびついた租先崇拝の慣 行は, 家族を天皇に 直結させうる回路として, 特別の関心をかきたてるものであったろう. ) の戸籍法には じまる. す 1871 そして, これらの手順に したがう 「家」 形成の過程は明 治4年 ( 針薦し基礎づけたのは戸籍制度であり, これは戸籍 0年以降の 「制度としての家」を整 なわち, 明治2 ) 法によ っ て定立された. その法・制 度は, 次のような客観的意義をもったと考えられる.6 無産 「 脱籍 維新前後における まり して機能する つ ①この戸籍法は, まず治安政策と , , 浮浪 , . の徒」 や 「脱走潜行の徒」 を取締るという 当面の目的とともに, 戸主による家族統制をつうじて家 族秩序を確保 し, もって将来の 治安に備えようとする. ②しかしそればかりでなく, 戸籍法は, 戸主 に家族成員に対する扶養義務を負わせることで, 国 家の社会政策機能を家族に代替させることになり, 本来社会資本に充当されるべき財貸を資本蓄積 過程と軍備強化にふりむけることに資する.戸主を中心とする家族の相互扶助機能は,さらに同族・ 親族, 地縁の共同へと拡大され(家父長制的構造をもっ た共同体の積み 上げ) , そこでの規制力 も働 ) 18 74 くようになるが, いずれにせよ家族一親族のこの機能によって, 日本資本主義は明治7年 ( 定 一切の公的扶助制度を制 護法にいたるまで ) 制定8 ・年実施の救 1929 の他救規制以後, 昭和4年 ( せず, またその 必要を認めなかったの である. ③だが, 戸籍法・戸籍制度は, 家族統制と生活扶養の義務 づけによって治安政策と社会政策を代替 したばかり でなく, さらに, 権力の末端の行政機構として行政一般の遂行の媒体たるべき役割を家 族に強制 した. そして, 当初の抵抗にもかか わらず, 徴兵, 徴税, 教育, 衛生などの 行政目的がや がて戸籍制度をつう じて, 家族を単位と してとどこおりなく遂行さ れるようになる. そのとき, 明 治国家は 「家」 をつう じて国民全体 を把捉し (中央集権国家成立の前提) , 「家」 を支配の基礎とし て確立したと いえよう. ④ところで, 支配の論理が家族 内をも貫通すること を媒介するのが戸主権 (居所指定権, 養子縁 組等の身分上の行為の許諾権・復籍拒絶権など家族成員を支配統轄する権 限) であり, 国家におけ る支配権に類推された戸主権は, 血縁的生活共同体としての家族に 「権力の関係」 という性格を付 与する. すなわち, 戸主は, たんなる家父長に とどまらず, 行政権力の末端につ らなって国家を家 族に接合する 位置を占めるものであり,ここに家族を国家の論理に 包摂する突破ロが開かれる.「家」 は こ の 点 で, 旧 来 の 家 族 を は っ き り と 超 え て い る.. ⑤このことは, 私的領域への公 的関係の介入・浸透といいかえて もよいが, そのさい, 当初にお いては, 家族から国家へではなく, むしろ国家から家族へむかっての類推法が用いられたこ とを重 視する見解があり, 注目されてよい. つまり, まず君臣の関係が家長と家族員 との関係に擬せられ てこれら 二つの 関係の(支配の関係としての)類似性が証明さ れ, しかるのち家族か らの類推によっ て国家の和合的調和が帰結さ れるにいたるのであるが, この国家→家→国家という過程こそ,「『家』 というものの政治的・思想的意味」 であり, 「家」 の観念を媒介として権力団 体と親族団体との 「親 和・互換」 がはかられるのである.7 )のちの家族国家観は, その形成に あたってこのよう な論理を前 提としてもたなければならなかった. 44.

(6) . 家族主義イデオロギーと新しい家族の可能性. ⑥その意味 で, 戸籍法・戸籍制度は, 家族のありかた を方向づけ 「家」 創出の基礎固めをおこな , うとともに, 「天皇制国家がほかならぬ家族国 家として自己を表象するための .一つのステ プ」 ッ 7 , ) となるものであっ たが, しかし, この段階では現実の家族は なおそのまま では国家権力による国 , 家の全体的掌握の艇子たりえないものだっ た のみならず 徴税・徴兵などへの反対-撰 等はまさ . , しく生活共同 体としての家族における矛盾の噴出としてあらわれていた そうした現実の家族をあ . るべき 「家」 へと強行的に転換せしめ, また 「家」 の観念によっ て国民をイデオロギー的に統制す るための水路づけをおこなうことこそ戸籍法o戸籍制度に課せられた役割だったのである . 戸籍法と同 年に, 同じく太政官布告によっておこなわれた全国の神社の8段階への格づけは 皇 , 室神道, 諸派の神社神道, 民間信仰などを整備して国家神道の体系化・天皇の神格化をめ ざすもの であるが,8 )祖先崇拝を媒介として, やがて天皇制 と 「家」 との相互補強的接合の土台となるもの で あ る.. そして, 「家」観念の道徳的教化は, 明治初頭の啓蒙開化的教育への反動としての同12年 ( 1879 ) から1 4年へかけての教育政策の転換期に, 儒教主義的彩を濃厚にしながらあらわ れてくる ( 「教学 大旨」 , 教育令改正等) . こうして, 戸籍法・戸籍制度を軸に, 宗教や教育によるイ デオロギー的教化への志向を併せて , 明治前半期に 「家」 制度の輪郭が姿を見せている それはす でに 前時代の家父長制的家族慣行と 。 , 観念の枠を大きく破るもの であり, 本質的に新しいもの 作為されたもの である , .. 3。 家族主義イデオロギーの体系的成立 明治初年から, このように, 戸籍制度が政治的統治の有効な手段としてきわめて巧妙かつ多面的 に駆使されるのであるが, その過程で 「家」 制度が現実の家族生活に徐々に浸透せしめられ やが , て明治民法における法制的確立 を結果する. 明治2 5年の旧民法の破産と 民法典論争におけるいわゆる「民法出テテ忠孝亡フ」の論にもかかわ らず, 明治民法の制定施行 (明治31年, 189 ) は 「家」 制度の形成にあずかって決定的な力をもっ 8 た. 国家法による 「家」 制度の規定は, 現実の家族実態とくに一般の家族との垂離を少くしてはい なかっ たが, むしろそれゆえにこそあるべき家族を律する法的規範として強制力を発揮し (そのば あい問題なのは民法上の個々の規定いかんではなく たとえば異常なま でに肥大化さ れた戸主・家 , 長の権威・権力 がもつ社会的性格 である) 当面の国家体 制の確立整 封繭こ貢献した のである。 その意 , 味で, 民法制定は, 万国対崎の国 家政策遂行上障害となっていた外圧 への対応策としてばかり でな く, 内的必然性にも とづくものであり, 天皇制国家の基礎単位としての 「家」 の創出をひとまず完 結させたといわなければならない. しかし同時にまた, 現実の家族実態とも必ずしも一致しない民法上の 「家」 が国家法上の規範で あるという ことのみによって民衆意識に定着するわけのものでないことも自明である いいかえれ . ば, 家の世代的連続性, 成員に対する家長の優越, 家父長の尊重な どの伝統的・習俗的な慣行と観 念が民法という国 家法によって強化さ れ明確に規範化されたとしても しかし それだけでは「家」 , , 制度の完成は望めな い. それゆえ, 「家」の確立のためには, 制度的整備とともに いまや イ デオロギー的 教化こそが必 , , 要とされるであろう。 民法典論争における復古的保守派の 「比ノ上ノ・教育ノ方面テ仕末ラツケネハ ナラヌ」 の論は, ひとりかれらばかり でなく, 帝国憲法がただちに教育勅語を伴ったように すで , 45.

(7) . 吉. 崎. 祥 司. に権力中枢に おける統治の 基本命題であり, 明治後半期はこの面 での系統的施策を一大特徴とする 時期である, そして, この教化の手段とさ れたのは, とりわけ祖先崇拝と公教育, そして天皇制そ 祭政一致と のものである.9 )祖先崇拝は, つとに 天皇制の精神的 基盤の造出をめ ざしておこなわれた 国家神道形成 (神社の中央集権 的再編) の動きに 組みこまれ, 家族統合にも影響力を及ぼしてきた が, これに加えて, 公教育制度をつうずる忠孝一本の道徳教化が, 家族主義イ デオロギーの形成・ 浸透をめ ざして組織的にとりおこなわれるように なる. そのさい, いわば道徳実体として姿をあら わしてくるのが天皇 であり, こうして天皇制は政治的権力の枠を超えた独得 の性格を顕わにするよ うになる。 天皇制と祖先崇拝と公教育とは, やがて, 「家」を基底とする一大家族国家形成にあずか る, あたかも三位一体の論理である. o )繁栄という 観念を そこで, まず祖先崇拝についていえば, それは 「家」 の「永続性」「系譜性」 ,. して家族主義にむす 敬ないし恭順を媒介と 中軸に, 先祖の祭犯の中心的執行者としての家長への尊 びつくとともに, 祖先神の連なりからの現人神への信仰ないし忠誠を媒介として国家主義と結合す る. 正確にいえば, 家族主義および国家主義が, 民間の信仰, 習俗をそのように 方向づけ, 説教す る. すなわち, 家業,家産の創 設者または継承者とみなされる先祖は, 当代の生活基盤の 造成者お 巳をおこな よび霊的守護者として 自然的な信仰の対象 (祖先神) であった (家長が中心となって祭ボ い, 世代を超えた家の存続・繁栄を願うのは, 上層・庶民を問わず伝統的な 「底辺における家族主 ) が, この慣行は一方 で, 先祖の御恩の 現在の継承者であり家の成員の統 義」 (石田雄) であっ た, . ) 括者・扶助責任 者である家父長の権威を一種宗教的に強化し (ここに儒教主義的な孝が接合する余 ら氏神, さらに土産神へと拡大 して 地がある) , また同族・親族, ムラ共同体をつう じてウチガミか 点としての伊勢神 地縁的祖先崇拝がその頂 いく. 他方, ところが, 民間信仰としてのこの血縁的・ 宮 (天皇家の氏神) にまで展開さ れて, 国民全体の祖先神と しての天照大神 が定位される (天皇の 現人神=天皇の権威への恭順が, ) 正統性の基礎と しての 「皇祖皇宗」 . そして, その系譜に連なる 「家」 における家父長と他成員との権威一従属関係に 二重写しされるのである. 天皇は, いまや, 政治的権力の中 心であるばかりでなく, 「始祖を同うする」民族の首長, 大家長として宗教的信仰の 対象でもある. そして, 支配のこの精神的基盤を増強し安定化ならしめたのは いうま でもなく 教育とその制度で あった. 忠孝一致の国民道徳 を命令する教育勅 語と視学官, 国定教科書などの制度によって初等中 等教育に 深く浸透した家族主義イ デオロギーは, 天皇への道徳的 随順の安定再生産の根幹をなす. 太田尭氏は, わが国近代教育の基本性格について, パー トラン ド・ラッセルの 「感情の訓練を通 して国家のために 身を献げ, かつその獲得した知識によ って, 国家に役立つ臣 民を育成する」 とい う一節を紹介しながら, その教育 目的は (子どもの内発的成長をめ ざすのでなく) ひたすら国家の 強大化にあり, この目的にて らしての, 治者による人民教化 (道徳教育の重視による徹底した内面 政治的支配に抵触 しないかぎりでの) 近 からの専制 的抑圧) , 資本主義発展・生産力向上のための ( 代科学技術の受容, 官・産・軍に 必要な人材養成・分配機構としての学校制度などを特徴とするも の であ る と 記 し て い る.・ 2 ). 3年 0年代の儒教主義的復古的教育への転回をへての, 明治2 明治維新後の開 化啓蒙的教育と, 1 内外の危機を 1 0年代の たものであり ) の 『教育勅語』 は, 教育のこのような路線を敷設し ( 189 0 , 収束しつつ,,中央集権体制の確立を急ぐ支配層が支配のイ デオロギー的 基盤の確立をめざして作成 したもの(すなわち統治規範としての帝国憲法を補完する道徳規範としての勅語) であると同時に, 勅語という形式 (勅令主義) をとることによ って人心の収積を倫理的実体と しての天皇の名におい て果たそうと したものである. その内容は, 「封建的な儒 教道徳に則 った忠信孝悌の個人的道徳」と 46.

(8) . 家族主義イ デオロギーと新しい家族の可能性. 国家社会に尽す途の教化, 国家主義的心情への訴えによ って 「民衆の徳育を癌養」 することを企図 し鵡〉ナショナリズムの育成をめ ざそうとするものであるが そうした立論の根底には 「我力国体 , , ノ精華」「教育ノ淵源」としての忠孝が据 えられ 家族倫理の全体社会への拡大による忠孝の合一を , つう じて, 「一且緩急アレハ義勇公ニ奉シ, 天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という忠君愛国の精神が 帰結される. 教育勅語は, 天皇自らに基礎 をもつ倫理命令として 天皇崇拝の内面的強化 を成功さ , せていくが, その直接の浸透面 が忠孝を軸とする 家族道徳 (しかもいまだ 孝に大きく 比重のかか っ た) であったことによって, 「家」 の再編・形成のイ デオロギー教化にも決定的な影響を及ぼした . いいかえれば, 教育勅語の 狙いは, 親へのいわば報恩としての孝の実感を忠のレベ ルにおいて実現 し, かつ忠の優越における忠孝一致を教化することにあったにちがいないが 自然的孝を変形すべ , くその結節点に 導入された日本型儒教主義. 4 )が, 「家」形成の規制原理と して, 教育作用をつう じて きわめて有効 に機能したの である このように 「家」を形成したイ デオロギー的諸契機のなか でも . , , 公教育がもった役割はとりわけ 大きい 。 さて, すでに, 祖先崇拝や公教育と明治期 家族制度との関係を問うなかで 天皇制が担った意味 , が 浮か びあ が っ てき て い る 。. 天皇制におけるタテの論理 (権力の関係) の 家族共同体への注入については既述した 旧来の , . 家族の大半にお いて, たとえそこに家父長制的権威 関係が存しようとも それはいまだ権力 の関係 , でなく, また自生的に権力の関係 へ展開するものでもない そこにひとたび 君民関係を家族関係 . , に擬することが必要となるが,そのばあい棚上げされていた旧支配者たる天皇. の しかも多少とも 5 ), 神秘的で (民間信仰的に) 宗教的な存在は格好のもの であった そして 祖先教や国家神道 教育 。 , , において, 天皇 (制) は, たんに政治的統 治の主体たるにとどまらず 宗教的・道徳 的統治の主体 , としても登場し, その立場から 「家」 イ デオロギーを統制する 政治的統治の主体でありな がら同 . 時に「道徳的実体」 (松本三之介) でもあろうとする 近代国家に稀有な天皇制支配は 自らの存立 , , の基礎としての 「家」 を媒介することなしにはその確立もおぼつかないものであったが それゆえ , にこそ, 家族制度の法定はも とより, 宗教制度や教育制度な どのいっさいを集約せしめて 「家」 の 制度的・イデオロギー的形成をはかること を最重点の課題としたのである その点 で 天皇制は「家」 . , 創出の総括的な環をなす. 明治期の 「家」 は, こうして, 民法を中心とする制度的整 針蒲と上記の, 主要には三つの観念的契 機によって, 明治2 0年代から30年代初頭にかけてひとまず完成をみた その時点 であらためて . , 明治家族制度の性格 を概括してみよう すなわち, 明治政府はなにゆえに その特有の家族制度を公 . 権力をもって, 国民全体に 強制する必要があったのか . ①それは, まず経済的にみて, 急激な展開をとげようとする 後発資本主義国としての近代日本の 特殊性が必要とした 家族形態 であり, 低賃金労働力の確保と雇用調整をはかり 社会 資本投下を回 , 避し, 家族なかんずく主 婦従業者の無償労働を放置し 労務管理を有利にとりおこなう (従順な労 , 働者) などのうえ できわめて好都合なものであった . そのさい, とくに社会保 障制度の極度の貧弱さは 家族一同族・親族間における広範囲の扶養義 , 務の法定によっ て代替さ れるが, それは社会 資本の充実をネ グレクトしな がら資本の強行的高蓄積 と軍備増強をもく ろむという点 で, またこうした 矛盾の集積によって家族・親族の解体傾向 が深ま るという点 で, 注目すべきも のがある . ②政治的には, 「家」 を媒介として天皇と民衆の紐帯をつくりだし 家族と国家とを 「家」 という , 同一の原理と構造 で貫通 ( 「小ナル家力大ナル国家ノ為ノ土台」 ) して, 絶対主義的天皇制支配の安 定をめ ざすが, そのさいの眼目は, 強権的支配を情誼によって中和すること で強力な国家的統一の 47.

(9) . 吉. 崎. 祥 司. ための自発的献身をひきだすことにあった. 家族的統合の国家にま での拡大は, しばしば強制なき 合意を生みだし, 諸階級の単一体としての国家的統合をつくりだす 基盤となっ たのである. ③イ デオロギー的にみ れば, 制度的にばかりでなく, 正統的観念としても公権力によって強制注 入された 「家」 は, この道徳的正当化をつう じて分と和, 忠孝にもとづく秩序 原理の全社会化の母 胎となり, さらに日常的生活の道徳規準, 倫理の基本として機能した. ④そして, 社会的には, 資本主義的諸関係の発展そのものによる 家父長制的家族-親族集団の解 体, 労働者家族の 増加にともなう家族主義的イ デオロギーの影響力減少をくいとめる手段が構じら れなければならなかった. すなわち, 家族成員の離脱と解体を規制 し, 都市型労働者家族r 夫婦家 族の出現にともなう「個人主義・自由主義の風潮」の拡大を 防ぐことが, 国家法上の家族制 度と「家」 道徳の典範化とに期待さ れたのである. そればかりでなく, さらに, 「家」は社会内集団を規制するひな 型としてムラをは じめとする各種 の共同体に拡張さ れ (地方政治もまた 「家」 の論理を原型とする名 望家・有力者支配でなければな で浸透することになり, 社会のほぼ らなかっ た) , やがては経営家族主義として資本主義的経営にま 全域を貫流するのである. これらが, 殖産興業, 富国強兵, 万国対時という段階における中 央集権確立の基本条件とみなさ 到甫 れた家族制度の意義であり, ここに, 明治初年の戸籍制度いらいの狙い が全面化され, 体系的整 を え た の であ る.. 4. 家族主義イデオロ ギーの展開 (家族国家観) さて, こう して天皇制神 話と祖先崇拝, 教育 (公教育と後には社 会教育) などをつう じての教化 の作用が相 互浸透 しつつ, 一体となって形成したものが, 家族国家観である. 「家」(の制度と機能) を基礎に国家にま で拡大され, さらにフ ァ シ ズム期には 「八紘一宇」 という世界把握にま で膨張し た国家の家族擬制は, 国際的にみて, 近代日本に固有の現象であっ た. この家族国家観. 6 )は, 前節で触れたように, 『教育勅語』 (やその半公式的解説書としての井上哲 酌蒲期に, 「一国ノ、 0年代の国家的支配の整 次郎 『勅語街義』 など) を直接の典拠と して, 明治2 ÷3 一家ノ拡充セルモノ」 としてその思想的成立をみたもの であるが, しかし, 一つの政治的制度, 政 策的課題として明確化され, またその論理を完成させるのは, いわゆる国定第2期教科書(明43 , ) 以降であり, さらにファ シ ズム期に国定イ デオロ ギーの地位にま で上昇させられる (教科書 191 0 でいえば昭8, 1933の第4期およ び昭16の第5期国 定教科書). 7 ) . わが国固有のものといっても, 以前の時代から自 生的に成長成立したというようなものでなく, 明治末年にいたっていよいよ国家 的統合に不安 を覚えた国家権力によって, 濃厚な政治的役割を特徴として, 政策的に出現せしめら れ た も の で あ っ た.. 一例として, 松本三之介氏によれば, 臣民関係の親子関係への擬制 (家族国家説得の一原理) 自 体は必ずしも珍ら しいもの ではないが, たとえば中国においてはこの擬制は 「仁政」 という統治概 念と結合され, 治者に対する規制 としての意味をもっ ていた(治者にむけられた仁政原理) . それに 対し, 家族国家観は, そこから君民=親子の観念をう けつぎながらも, それを治者に対する道徳原 理とはみなさず, むしろ臣民の忠誠・服従のモラルを示 すものとして意味の転 換をはかった. その ために作為された ものが家族国家観 で ように して, もっ ぱら天皇に対 する国 民の 忠誠を調達する. あ っ た・ 8 ) . 48.

(10) . 家族主義イ デオロギーと新しい家族の可能性. すなわち, すでに触れたように, 天皇制国 家は, その支配の確立のために 政治的制度や機構の , 整備ばかりでなく, みずからを 「道徳的実体」 としてあらわすことに成功し その点に一大特質を , もつものであったが, 支配のそうしたイ デオロギーを集約するものこそ 家族国家観 であった そ , . のさい, 「家」 の観念と制度は, 上層家族・下層家族をとわず, 「家長が中心となって先祖の祭犯を 行ない, 家が世代を超えて存続・繁栄してゆくことを主眼としている」, 9に とによって, この国家観 ふ情的な 「 のノ 受容素地」 たりえた. しかもそこ では, 一方 で 「-且緩急アレハ」 とうたいつつ 他 , 方, 日常的には, 家族生活の守護と幸福と がそのまま国家利益になるという連続性を確保すること によって(後発資本主義の資本蓄積における特殊性) , 私的利益の追求と欲望自然主義2 。 )を能動的な 生産者エネルギーの発揮へと変容せしめるなど, 体制への依存を促進し 個 人や家族を国家・社会 , から背馳させないための諸施 策とイ デオロギーが 「大幅かつ巧妙」 に展開さ れた そして 家族国 . , 家観の形成にあたっ て何かしらの 「根拠」 を提供した 「文化的伝統」 は こんどは 家族国家観に , , よって変形され枠組まれそして脚 色さ れた形において, その「実在性」の主張を高めるようになる 。 しかし, この時期における 「家」 観念とそれを土台とする家族国家観の整 到庸と強化は, 一方 で, 資本主義の高度化による社会構造の変化にともなう 「家」 および親族関係の解体・崩壊 現象が進行 していること, 他方で, それの帰結としての 「個人主義・自由主義」 の風潮が 天皇制支配の基礎 , をゆるがしかねないという認識 を権力に抱かせた に の危機感は予想外に強いもの である) ことに 対 応 して い る.. 明治末期から家族や親族集団の解体作用が激化していく が, それは玉城肇氏によれば 次のごと , き も の であ る2 . ) .. 明治後半期における資本主義的商 品経済の発展は, 農村においては, 一 方において農業生産物の 相対的低下, 零細規模農業の限界, 寄生地主制による搾取の強化 公祖公課の過重 等によって農民 , 家族の経営と生活維持に困難をもたらすとともに, 他方, 副業や兼業の必要性と可能性 を生みだし , また比較的大規模な農民家族の分立と夫婦家族化をもたらすことによって(柳田国男によれば 「農 , 業の為にだけにはそう沢山の者が結合して居るには及ばぬという経験」 ) , 家族結合を弛緩・解体さ せ, したがって家長の地位を弱化させ る傾向を出現させる . 同様に, 中小工業経営にお いても, 他方に零細経営を残存せしめつつ 機械類の使用 の増加や中 , 小規模工業の経営形態の「近代マニファクチュア」ないし機械制工場への転化によって 「家内工業 , 者」の分解や経営と消費との分離が生みださ れ, 「全般的な傾向としては 家内工業と結びついての , 家族の形態は明治後期以来急速に解体の傾向をたどっ た」2 2 ) . 同じく, 小規模商業も明治末期から急速に変化するが, そこではデパートや 産業組合あるいは公 , 設・私設の市場等の設立と圧迫, さらには商品の多面化・多様化, 消費者の購入仕方の変化な どに ともなう経営あるいは販売方式変更の必要性が, 家族の構造や結合を変容せしめる . 他面で, 明治末期から急速に拡大しつつあった労働者や給与生活者の家族においても 「家」 が , , 生産労働単位 ではなくなり, 「家」の小分裂による固有の生活や多彩な職業にもとづくそれ ぞれの生 活の様式によって 「家」 的原理と構造が崩れていく (個 人主義・自由主義の浸透) とともに 分裂 , した家にかかっている家計圧迫に対し無力となりつつある同族・親族間の相互扶助・協力 関係など の諸困難が親族の杵をも断っ ていく. 生計の 「容易ならざる」 事態は明治末期以降ますます深刻化 し, しかもその事態に対処すべき社会保障的制度も依 然として整備されることがなく さいごには , 孤立した家族内における家計の別途収入獲得等自助努力ばかり が残されることになり これが 「個 , 人主義・自由主義」 を, 当然ながら, いっそう助長する . こうした家族の解体現象が支配層に危機感をもたらし, いまや 「形体のみで実体は殆どなくなっ 49.

(11) . 吉. 崎. 祥. 司. た」 家族制度の復興と家族主義イ デオロギーの再 建が高唱さ れる. 家族制度再 建の実体的基盤が存 在しないだけに, いっそう観念における強調がこととされる家族主義の鼓吹は, そして, 国民道徳 の建議や講習会開催, 著作の刊行などの流行にとどまらず, 地方改良運動(崩壊 しつつある名望家・ 有力者支配の再編・補強策) に,おける 「一村一家」 の観念の提唱など, 社会諸領域にわたる広範囲 なものであった.第2期国定の修身教科書もこうした背景において 成立したものであり,「祖先と家」 「皇室を中心とする日本の国体」「忠孝のモラル」「忠君愛国」 などを体系化したそこでの家族国家 観は, 天皇制国家の支配の 基盤 でありながら解体傾向にある家族制度を保守・強化し, 将来にわたっ て確保しようとするイ デオロギー的努力にほかならなかっ た. 明治末期からの 家族・親族集団の解 体傾向は, さらに, 第一次大戦期における日本資本主義の活 況期とその後の漫性的不況・ 恐慌期に, 急速に進行した. 第一次大戦を契機とする資本主義の急激な発展は, 都市における広範な労働市場の形成を軸と し て, 農村家族の分解・ 流出, 労働者家族の増大と小家族化, 都市人口の増加を帰結したが, 戦後恐 慌はそれら農村と都市の家族の 生活窮之をもたらし, 厳しい社会的諸矛盾と階級的対立を生みだし た. 米騒動にはじまる小作争議, 労働争議などの激発は農村や経営における共同体的秩序の崩壊 と, 社会の底辺にまでいたる体制の動揺をあからさまに示すものであった. かく して, 地域や経営など 社会の各レベ ルにおける共同 体的秩序の解体と, それを結果した 「家」 的結合の緩みは, 権力者に とってもはや放置 しえないものとなり, ようやく 組織的な対応が図られることに なる. この対応は, 利谷信義氏によれば, 以下の5点である. ①人口の流動化に対する国民把握の強化, とくに戸籍とは 爺離した現実の家族=世帯の把握と 直 接規制 (大9, 1920の国勢調 査実施, 大3, 1914の戸籍法改正や寄留 法制定等) . ) 44 1 2 8 一 19 昭3- 1 9 9 ( 適応としての民法改正作業 する社会関係への ②新しく展開 , , . 9の結核予 ③ 「家」 の社会保障代替機能の減退に対する施策としての社会立法の展開 (大8, 191 防法, 大12の健康保険法, 昭2, 1927の母子保護法, 昭4の救護法等) . ④家族制度破壊者をも適用対象とする過 激社会運動取締法等の治安立法の動き. ) ⑤「社会局」 (大9, 1920 , 「方面委員」の全国化等, 新しい国家機関の設立や名望家支配の回復 による家族掌握. 明治7年の他救規則い らいの社会立法は, 国民生活の窮乏や健康 破壊, 恐慌による失業者の増加 や家族生活の崩壊が, もはや 「家」 の負担によっては救済されず, また 「家」 の責に帰することの できるものではないことを物語っているし, 「古来ノ淳風美俗二副ハサルモノアリ」として大正6年 ) の臨時教育 会議によって建議され, 同8年の臨時法制審議会設置をへて着手された民法改 ( 1917 正は, 現実の実態との法制的適合を図りつつ, 淳風美俗の維持緬養に よって階級的調和と共同体的 融合の再構築をめ ざそうとするものであっ た (それゆえ, その作業方向は 必ずしも復古的保守派の 意向にしたがうもの でなく, 統治技術的に合理的な, 妥協的な性格をもつものであった) , なお加えて, 浸透しつつある 「個 人主義的・自由主義的風潮」 への対抗が, 主として法律外的な 道徳・心寸青の強調によ っておこなわれていたとすれば, この方策は法制度そのもののなかでも貫か )の家事審判 所, 同13年の小作調停法, 同15年の労働争議調停 1921 0年( れる. , すなわち, 大正1 法などは, ヴェ ールをはがれて権利問題として認識さ れるようになってきた小作・労使 (資) 関係 を 「情誼」 にもとづく 「調停」 (権利対立の法的処理の回避) の枠内に押しこめようとする反権利 思 想の具体化2 3 )であり, 家族主義イ デオロギーの法的次元への適用 である. また, 名望家支配の回復 を つう じる地域共同体規制の再編 などと併せて, 家族主義を社会過程の諸側面に拡大・ 定着させ, 体 920年代に, 退職金制 度の導入に 制の危機を防ぐ役割の 重要な一環を占めた経営家族 主義2 4 )が, 1 50.

(12) . 家族主義イ デオロギーと新しい家族の可能性. よって完成をみたとされるのも偶然ではない. もっ とも, これらの個別の対策が, 現実に進行する 「家」 の解体傾向を抑止するものとしてどれ だけの効果をもったかの判定は, 必ずしも容易 ではない むしろ,「家」観念がともかくも保守され . , 現実の規制力をなお才子使しえたことに寄与したも のは, 全社会的な共同体秩序の弛緩にもかかわら ず, いやそれゆえにこそ, 組織だてられ体系化をうけ, 精力的に流布せしめられた家族国家観の強 烈な教化力でこそあっただろう. 上記の対応策は, この脈絡の上 で効力をもったのであり そして , 家族国家観は, 観念によって現実的秩序を代 替することにその存在理由をも つものであった もと 。 より, この観念的教化力が, 究極的には, 変貌をとげつつあるが しかし日本資本主義によって依 , 然として残存・利用せしめられている農村の前近イゼ的構造に根処をもつものであることを忘れては ならないが. 5。 家族主義イデオロギーの解体 フ ァ シ ズ ム期 の 家 族 の 制 度 とイ デオ ロ ギー に つ い て は も は や 多く を 述 べ る ま でも な い , .. いわゆる満州事変から日中戦争への日本資本主義の侵略拡大にともなって 戦争への全面的な「国 , 家総動員」 体制が追求されるようになり, 社会の全過程, 全側面がこの体制に適合させられる 。 家族の次元においても, 総力戦体制という 「皇国の道」 への帰一をはかるためにこれま で以上に 「家」イ デオロギーが強調され, 個人主義を排した ( 「家庭ノー断面, 国家ノー断面トシテノ個 人」 ) 滅私奉公的献身と国 民的和合が求められるが, 他方で, 現実の家族の矛盾もまたいっそう拡大深化 して いく。. すなわち,再び利谷氏によれば2 5 ) ,人的資源とりわけ 軍事力と軍需関連工 業を中心とする労働力 を 確保するためには, 従来にも増して, 現実の動態に即して家族 (世帯) を把提し規制す ることや明 治末期いらい窮乏化 を深めている庶民家族を保護すること (社会立法の展開) が必要であっ た ま た, 戦争遂行に不安を抱かせる軍人遺家族の成員間の紛争を 「家族道徳」 の枠内で処理 (法と道徳 の融合による非常時超法規的立法としての人事調停法) したり, 家族制度維持の観点から家庭婦人 の労働力利用を抑制するなど, 総じて, 「家」制度に期待された生活保 障機能や治安維持機能(この ばあいはとくに生活苦にともなう国家政策への消極的態度が問題となろう) の低下にたいする適切 な施策がおこなわれなけ れば, 総動員体制への国民の内発的参加はおのずから限度をもた ざるをえ ないことになる だろう ,. これらの課題に対する制度的・法的対応とともに,その基礎として再確立さ れなければならなかっ たものの中心こそ, いまや家族国家観として完成している家族主義イ デオロギー であっ た それゆ 。 え, 天皇制イ デオロギーや教育の再構成 (それらは, 国体の明徴 祭6政o教の一体不可分と皇国 , 教学, 「国体ニ基ク修練ノ施設」としての学校, 等によ って特徴づけられる)とあわせて 昭和12年 , ( 1937 ) の 『国体の本義』 や同16年の 『臣民の道』 などにおいて 家族国家観はイ デオロギーとし , て再措定されるのである。 そして, 現実の家族 が窮乏し, 離散し, 本来期待さるべき 諸機能を果たすことが できなければで きないほど, 「自然の情」 や 「和と分」 にもとづけられた統合中心としての 「家」 が-君万民 忠孝 , 一本, 家族国家o家族制度, 大和魂等々 の観念とともに強調され 現実的規制力としてはたらかな , ければならなかっ た。現実と観念とのこの市離がこの時点 で決定的に石庇綻をきたさなかっ た理由は , すでにふれたところだが, おそらく, 明治いらいの巧みな人民教化の伝統と それの相対的に安定 , 51.

(13) . 吉. 崎. 祥 司. した受け皿としての農村家族 (それは, 最終的な段階にお いても農業生産の必要限度の確保という 水準で温存さ れた) に求められよう. しかしまた, 戦争遂行のための苦難と家族分裂, 人口の流動の経験は,「家」観念の高唱の 背後で, 確実に家族制度の 基礎を (したがってまた天皇制支配の 基盤を) 堀りくずすものでもあったろう. 以上が, 戦前家族制度のあらましである. 政治的・ 思想的過程を中心とするこの概観においては, じっさいの家族とくに一般の 「庶民」 家 族の変動の具体的で生きた姿の考察はなお不十分であるが, 戦後の家族改革に現前した旧制度の輪 郭がひとま ず明らかになったと思われる. 戦後の家族をめぐる問題状況の検討に移るまえに, しか し, この項のさいごに 「家」 の制度とイ デオロギーが造形した 「日本人の文化的特性」 に触れてお く必要があるだろう. 天皇制が, むきだしの強権的支配であるよりはむしろ権威として内面的に君臨 しようとする志向 をもっていたこと, つまり, たんなる 「腕力ノ関係」 としてだけでなく, 「保護ノカ」 でもある2 6に との認知を民衆において成立させることで, 支配への自発的で時には 内面的でさえある随順を獲得 し, 統治の基盤をうち固めようとしたことについては 既に述べた. そして, この, 権力的関係と親 和的関係という本来異質な原理の調和を可能にしたものが, 家父長を中心におく権威的和合の家族 主義論理であったことももはやくりかえすまでもない. そこ では, 家族成員の自 立とか個性的自己 の主張は, 全体の和と秩序を乱す, 分を越えた行為以外の何ものでもなかった. そこから, 家長の 権威に 随順し, その保護下に安住し, 独立を意欲しないノい性が形成さ れる. 権威に依存し, 独立を むしろ不安とし, 自立よりも保護の もとでの恩恵と安定を求めてやまない, いわゆる「甘えの構造」 がそれである. そして, このような性格を, 徳目の一方的強要とそれへの無批判な追従とに 一大特色をもつ公教 育の制度と内容が幼少期から育成し, さらに政治的・経済的 支配の全体が文化として社会的に定着 させる. かく して, この文化が, 天皇制を頂点とする社 会諸関係の全局面を (あるいは共同体規制 や地域支配において, あるいは経営内や軍隊内において等々) 貫流する. いいかえれば, 戦前の制 度とイ デオロギーの全体が権威と権力への 恭順という臣民的心性の造出のために 全精力を傾けたの であり, その努力のもとで日本 人の 「国民性」 なるものが鋳造されたのである. 無論, 「日本人論」もまた家族主義イ デオロギーと同様, 明治期に創成されたそれと伝統につなが る部分との弁別をは.じめとした一群の問題についての解明を必要とするものではある. また, 権威 への恭順とはいっても, そもそも全くの受動的な人間存在というこ とであれば国家形成力, あるい はす ぐれた生産力としては十分に機能しないのであるか ら, そこには支配の枠 内での能動的エネル ギーの発揮を導く水 路が開かれていなければならなかった (立身出世主義や欲望自然主義の肯定そ 多少ともたちいった 「日本文化論」2 の他) 7 }の吟 . それらの連関は必ずしも単純ではない. しかし, デオロギーが近代 「 の制度とイ 」 家 で 天皇制や教育と並ん 課題をなす ここでは 味はす でに別の , , . 日本の 「文化的特性」 をつくりだす母胎としても機能したという問題の所在 を指摘するにとどめ な ければならない.. 52.

(14) . 家族主義イ デオロギーと新しい家族の可能性. 註. 1) たとえば講座 『家族』(弘文堂) 第1巻 『家族の歴史』 のなかの第2章 「近代以前の家族」 における中世日本に ついての叙述部分 (宮川満氏の執筆になる) を参照. なお, 日本家族史の簡略な通史としての中村吉治 『家の歴 史』(農山漁村文化協会) のほか, 家永三郎 「日本における 『家』 観念の系譜」(上掲 『家族』 の第8巻 『家族観 の系請』 所収) や原宏 「婚姻と家族の歴史」(内藤莞爾他編 『日本社会の基礎構造』 アカデミア出版会 所収) , , なども参照. 2) 青山道夫 「日本の 『家』 の本質について」(福島正夫編 『家族 (政策と法)』(東京大学出版会) の第7巻 『日本 の家族』 4ページ参照. なおこの論文では, 「家」の永続性の観念が江戸期創成のものであるとする見解の検討 ,4 や, 川島武宜氏のいわゆる 「武士型家族」 と 「庶民型家族」 との区別と家父長権 (同 『日本社会の家族的構成』 , 日本評論社, 『イデオロギーとしての家族制度』 , 岩波書店)に関説しての諸見解の整理などもおこなわれている. 3) 玉城肇「明治明法制定以後の家族」(上掲『家族の歴史』所収) 31ページ以下, 山中永之佑「明治維新の変革 ,2 と家族」(同上所収) 3ページ以下などを参照. , 22 4) 同上所収の「近代以前の家族」における近世日本の叙述部分(大石慎三郎氏の執筆になる) 85ページ以下 『家 , , 族』 の第5巻 『相続と継承』 第4章の各論文, 洞富雄 『庶民家族の歴史像』(校倉書房) 2 , 3ページ以下などを参 . むしろ, たとえば度重なる分地制限令の制定は, 多少とも条件が許すばあいの分害 1 J相続の志向の反射として, 庶民家族の 「美俗」 のありようと自然的情愛の強さを示すものであろう . 5) 上掲玉城論文, 2 45ページなどを参照. 6) 以下は, 松本三之介 「家族国家観の構造と特質」(上掲 『家族観の系譜』 所収) 山中永之佑 「明治維新の変革 , と家族」(上掲 『家族の歴史』 所収) , 利谷信義 「戦後の家族政策と家族法」(上掲 『家族 (政策と法)』 の第1巻 『総論』 所収) などにもとづく. 7) 上掲松本論文, 6 5ページ. 8) 国家神道については, さしあたり村上重良 『国家神道』(岩波書店) , 安丸良夫 『神々の明治維新』 (岩波書店) を参照. 9) 有地享「近代日本における民衆の家族観」(上掲『近代日本の家族観』 所収) 5 , 5ページ, 同(明治民法と『家』 の再編成」(上掲 『家族観の系譜』 所収) ペー 2 5 ~ 5 3 ジなど参照 , . 1 0 ) 伊藤幹治「祖先崇拝と『家』」(上掲『家族観の系譜』所収) 5ページ. なお, 祖先崇拝については, 上掲の有 ,1 地 「近代日本における民衆の家族観」 や松本論文にもとづくところ多い . 1 1 ) 山村賢明 「学校教育の展開と 『家』 観念」(上掲 『家族観の系譜』 所収) 0ページ参照. ,8 1 2 ) 大田秦編著 『戦後日本教育史』(岩波書店) ペー 4~ 1 3 ジ参照 , . 1 3 ) 有地上掲 「明治民法と 『家』 の再編成」 , 52ページ. 1 4 ) 家族イデオロギーの中核におかれた儒教主義については, そこでの忠孝の位置づけと本来の儒教における孝の 絶対的性格とのちがいや, 伝統的家父長制における儒教の影響の実態などから 固有に日本的な性格をもつよう , に 思わ れ, こ こ では「日本型 儒 教主 義」と して み た なお こ の 点に つ いて は 山 村論文 の82~83 ペ ー ジ 青 山 , . , ,. 論文の44ページ, 4 9ページの註 ( 6 6 ) 9~61ページなどを参照. , 松本論文の5 15 ) このことを実証する格好のエピソー ドが上掲の有地「近代日本における民衆の家族観」 1 94 ) , 25ページの註( に 示さ れて いる.. 1 6 ) 以下, 家族国家観については, 上掲の家永論文, 伊藤論文, 松本論文 山村論文 および石田雄「『家』および , , 家庭の政治的機能」(上掲 『家族 (政策と法)』 の 『総論』 所収) , 浜田陽太郎「社会教育にあらわれた家族国家観 の教化」(上掲 『家族観の系譜』 所収) などによっている . 1 ) 国定教科書については, さしあたり上掲の山村論文を参照 7 . 1 ) 上掲松本論文, 59~61ページ参照. 8 1 9 ) 上掲山村論文, 80ページ. 2 0 ) 欲望自然主義の歴史的問題連関については, たとえば見田宗介 「『立身出世主義』 の構造」(同 『現代日本の心 情と論理』 所収, 筑摩書房) , 神島二郎 『近代日本の精神構造』 (岩波書店) などをさしあたり参照. 2 ) 以下, 上掲の玉城論文参照. 1 ) 同 上, 241 ペー ジ. 22. 2 ) 近代日本における反権利思想, なかんづく法・法制度そのものにおけるそれについては たとえば磯野誠一 3 , 53.

(15) . 吉. 崎. 祥. 司. 『科学と思想』 第7号所収, 新日本出版社) や川島武宜『日本人の 「『家』 をめぐるイデオロギーの過去と現在」( 法意識』(岩波書店) などを参照. ) 経営家族主義については別の機会に検討したいが, さしあたり間宏の 『日本労務管理史研究』(御茶の水書房) 24 ほか一連の著作を参照. なお, 佐々木武夫「日本的経営と企業社会」(鈴木広編『社会理論と社会体制』所収, ア カデミア出版会) は, 問題を簡潔に整理している. ) 上掲利谷論文参照. 2 5 2ページな 2ページ, 松本論文71~7 31~43 ) 穂積八束の権力関係と保護関係の連関については, 上掲磯野論文4 2 6 どを参照. 2 ) いわゆる 「日本文化論」 に関する文献は G丘年とくに) 多いが, それへの基本的な視角の設定にさいしては, 7 『科学と思想』 第38号, 所収) の吟味が有益であろう. 山口正之 「日本的共同体の崩壊と 『近代化』」(. 補. 記. 1) なお, 小稿執筆にさいして, 註記したもののほか次の諸労作から直接の教示をえたところがある. 藤田省三 『天皇制国家の支配原理』 (未来社) 石田雄 『明治政治思想史研究』(未来社) 1 1『社会学的現実分析』 所収, 法律文化社) 野久尾徳美 「家族」(講座現代の社会学1 福島正夫編 『《家》制度の研究』 資料篇二 (東京大学出版会) 竹内利美 『家族慣行と家制度』(厚生閣) 内藤莞爾 『末子相続の研究』 依田精一 「戦後家族制度改革の歴史的性格」(上掲 『家族 (政策と法)』 1 『総論』 所収) 『家族 (政策と法』 7 『近代日本の家族』 所収) 熊谷開作 「『家』 をめぐる法制史と教育史」( 玉城肇 『新版日本家族制度論』(法律文化社) 中村雄二郎 『近代日本における制度と思想』(未来社) 見田宗介 「明治維新の社会心理学」(講座今日の社会心理学第6巻 『変動期における社会心理学』 所収. 培風館) 川本彰 『家族の文化構造』 (講談社) 2) 小稿の準備にかかった段階で, 同僚の日本史研究者田端宏氏には, 近世・近代の政治史および生活史について の筆者の初歩的な質問に再三にわたってお答えいただいた. 筆者の浅薄な理解による誤用をおそれつつも, 記し て 謝 し たい.. 54. (本学助教授・岩見沢分校).

(16)

参照

関連したドキュメント

度の﹁士地勘 L

青年団は,日露戦後国家経営の一環として国家指導を受け始め,大正期にかけて国家を支える社会

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という

[r]

独立行政法人福祉医療機構助成事業の「学生による家庭育児支援・地域ネットワークモデ ル事業」として、

This paper is an interim report of our comparative and collaborative research on the rela- tionship between religion and family values in Japan and Germany. The report is based upon

 

海に携わる事業者の高齢化と一般家庭の核家族化の進行により、子育て世代との