手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科
書道の指導者をめざす大学生のために―
著者
松本 文子, 石井 清和, 筒井 茂徳
雑誌名
鶴見大学紀要. 第4部, 人文・社会・自然科学編
号
56
ページ
7-38
発行年
2019-03
URL
http://doi.org/10.24791/00000495
Creative Commons : 表示 http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 7 目次 〈1〉 「書道」教員免許状のための「書道史」 松本 〈2〉 鶴見大学文学部「書道史」シラバス(平成 30 年度) 石井 〈3〉 「中国書道史ノート」案 石井 〈4〉 國學院大學文學部「中國書道史」シラバス (平成 29 年度)とその解説 筒井 〈5〉 テキスト『新訂 書の歴史―中國篇』について 筒井 【資料】高等学校芸術科「書道」現行教科書の目次 松本 本稿では、高等学校芸術科「書道」の教員免許状取 得を希望する学生が履修する「書道史」の授業につい て、2 例を示す。本学文学部開講の「書道史」と、國 學院大学文学部の昨年度までの「中国書道史」である。 〈2〉・〈3〉では石井が、鶴見大学の「書道史」につ いて平成30 年度シラバスを示し、授業で配付するプ リントの案、「中国書道史ノート」を例示する。 〈4〉・〈5〉では筒井が、平成29 年度、國學院大學文 学部で担当した「中国書道史」のシラバスを示し、解 説を添える。 授業の方法、内容はそれぞれであるが、共通するの は、『新訂 書の歴史― 中国篇』(〈5〉参照)をテキ ストとすることと、講義中心の授業ではあるが、学生 が手で書く作業を通じてより能動的に学んで、力量を 高めるのを期待することである。 稿末には、大学での授業の参考として、高等学校の 現行教科書に掲載されている古典教材を知るための資 料を付す。 〈1〉 「書道」教員免許状のための「書道史」 1 これまでの「書道史」の内容 鶴見大学文学部日本文学科で、高等学校芸術科「書 道」の教員免許状取得を希望する学生は、「書道史」(通 年)の授業を受け、単位を修得する。文学部4 学科の、
手で書いて学ぶ「中国書道史」
―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために―
How to Study `Chinese History of Calligraphy` with 2 Styles of Worksheet Written by Hand
― For University Students Aiming to Become High School Teachaer of Calligraphy for Japanese Language Courses ―
松本文子・石井清和・筒井茂徳
Ayako MATSUMOTO・Kiyokazu ISHII・Shigenori TSUTSUI
「書道」教員免許状取得を考えていない学生も、この 授業を選択することができる。 鶴見大学図書館に残る、毎年の『文学部授業概要』(シ ラバス冊子)を調べたところ、平成8 年度分以後が保 存され、平成14 年度までは専任教員が「書道史」を 担当し、同じ授業の中で中国書道史と日本書道史とを 扱っていた。稿者松本が着任する年に非常勤講師によ る担当となり、以後、平成15・16 年度は日本書道史 のみ、平成17 年度は中国書道史のみ、平成 18 年度は 日本書道史のみ、平成19 年度以後は中国書道史のみ を扱って来た。 「書道史」で日本書道史のみを扱っていたのは、日 本文学科の学生が日本文化全般に対する関心を広げる 上ではふさわしい内容であったが、一面では、近い将 来、高等学校で「書道」を教えることを想定する場合 に、中国書道史を学ぶ時間が不足していた。 平成17 年度からは隔年で中国書道史と日本書道史 とを扱い、学生が3・4 年生で選択履修する機会を設け た。実際のところ学生は、時間割の同じコマに他にも 取りたい授業があるかどうかで、履修学年、すなわち 中国・日本、いずれの書道史を学ぶかを決めていたよ うで、改善が必要であった。 現在は毎年、中国書道史を中心とする内容を扱い、 その授業で、わずかに日本書道史にも触れている。 2 授業の目的と内容 この「書道史」の授業は、現在、石井が担当する。 授業の目的はおもに、漢字の五つの書体、書道史の 流れ、代表的古典や筆者についての基礎知識を得て、 書道史全般に親しむことにある。 おもな内容は以下である。 ・ 多くの高等学校で行われている「書道I」の授業 で教材とする古典、人物に関連すること ・ 鶴見大学の書道実技の授業で、4 年次だけに学ぶ、 「篆書」に関連すること ・ 人文学の基礎知識にあたる、漢字の五つの書体、
手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 8 書道史の流れ、文房具に関連すること ・ 日本の書道史が中国の影響を受けていること 高等学校の「書道Ⅱ」、「書道Ⅲ」で扱う内容や、通 史の内、宋・元・明・清の書に関しては、十分な時間 を割けていない。 これに対し、國學院大學の「中国書道史」(〈4〉参照) では各時代を扱っており、ほかに「日本書道史」の授 業も開講されている。 3 学生の状況への対応 松本は近年、鶴見大学の書道の授業で接する学生の 様子を見て、考えることがふたつある。 まずひとつは、携帯端末を日常的に使う者が多くな り、簡単に撮影して記録できるから、筆記具を使って 手でメモを取る機会が少なくなったようである。 日常生活がそうであっても、書道の時間中には区別 を求めている。書の古典はすべて古人が手で書いたも のなのだから、手書きをまったくしないで古典を学ぶ のでは何かが足りない。手書きの文字が、打たれたテ キストや記号と違う一面は、書き上げるまでに要した いくらかの時間の中に、点画が書かれた順序があり、 書き手が運筆の途中で小さな判断を重ねていることで ある。伝統的な美に学び、得心するには、古人と同じ く書いてみるのが本来であり、近道でもあるはずだ。 石井が担当する「書道史」では、これまでも、講義 によって知識の整理、定着をはかるばかりではなく、 授業中に古典を筆で書かせ、実技の経験を通じて漢字 の五体、書風などに関心をもたせて来た。それに加え て、本稿で試作するのが「中国書道史ノート」である。 次に二つ目は、学生が、説明を聞きながら要点をノー トにまとめる機会が減っており、その要領が覚束ない 者もいるようである。後からノートを開いて、授業内 容を反芻したり、展開を記述できるだろうか。教師が 要点のほとんどを書いたプリントを作成して配布する のも工夫ではあるが、学生が安心してしまって、努力 する機会を失うのをおそれる。 板書をより丁寧にして、書き写させるとしても、学 生が新しく知る用語が多ければ、それらを書き留める こと、読みを覚えること、講義を理解することなどを、 同時に早く行うのは簡単ではなく、整理したノートを 残すのは難しい。まず用語に慣れる必要がある。 本稿の「中国書道史ノート」では、授業が始まる前 の教室でできる簡単な予習として、漢字の書き取りを 課す。授業前にテキストの関連部分を開き、テキスト を斜め読みしながら、ノートに古典名・人名・地名を 漢字で正しく書き抜く。講義で同じ用語を聞くから、 ノートが取りやすくなり、予習で書いた漢字の答え合 わせもできる。覚えておきたい用語はチェックする。 復習、発展学習では、疑問点を探求したり、参考書を 探し、好きな古典に親しむことを期待する。 もちろん、各自が工夫してノートを取った方がよい。 次善の策ではあるが、「中国書道史ノート」を使うこ とによって、予習のきっかけを作る。テキストをみず から開き、必要なページを探す習慣がつけば、履修後 も折々に参照することであろう。 4 中国書道史のテキスト この授業のテキストは『新訂 書の歴史― 中国篇』 (伏見冲敬著・筒井茂徳補、二玄社)であり、初学者 が、数々の古典図版を見比べながら、中国書道史全般 を知ろうとするのに格好の基本文献である。1960 年 8 月の発行以来、半世紀以上に渡って版を重ね、著者逝 去後10 年の 2012 年 3 月には新訂版が発行された。こ の補訂にあたった筒井は、平成25・26 年度に本学で 「書道科教育法」を、國學院大學文学部では平成30 年 3 月の定年まで、「中国書道史」「書道科教育法」など を担当した。(〈5〉参照) 〈2〉 鶴見大学文学部「書道史」シラバス(平成 30 年度) このシラバスで平成30 年度の授業を実施しながら、 修正を加えている。後掲の「中国書道史ノート」案は、 未載の新しいシラバスに準拠する。 ○到達目標 漢字の書体、中国書道史の基礎知識を得る。古典を 鑑賞し、実技を経験して理解を深める。 ○目的・内容 日常生活ではあまり多く使われていない漢字の古い 書体に親しみ、中国書道史の基礎知識を得る。漢字 の五体(篆書・隷書・草書・行書・楷書)の発生・ 変遷を知り、代表的な古典を鑑賞する。講義内容の 実際的な理解のために、ほぼ毎時、筆で書いて、そ れぞれ異なる用筆法を経験する。 ○授業スケジュール 前期 第1 回:文房四宝(筆・墨・硯・紙)、1-303 教室 での学び方 第2 回:漢字の起源、書道に関する字典・辞典につ いて 第3 回:六書と五体 第4 回:筆写体と活字体 第5 回:甲骨文 第6 回:金文(殷) 第7 回:金文(周) 第8 回:石鼓文 第9 回:秦篆と文字統一
手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 9 第10 回:隷書・草書の発生 第11 回:木簡の発見、隷書(木簡) 第12 回:隷書(漢碑 1) 第13 回:隷書(漢碑 2、漢碑の篆額) 第14 回:隷書(後人の臨書) 第15 回:漢印と封泥 後期 第16 回:草書(王羲之の十七帖・喪乱帖) 第17 回:草書(孫過庭の書譜) 第18 回:「書譜」を読む 第19 回:行書(王羲之の集字聖教序) 第20 回:行書(王羲之の蘭亭序) 第21 回:「蘭亭序」を読む 第22 回:楷書(造像記) 第23 回:楷書(墓誌銘) 第24 回:楷書(唐の三大家、歐陽詢) 第25 回:楷書(唐の三大家、虞世南) 第26 回:楷書(唐の三大家、褚遂良) 第27 回:楷書(顔真卿) 第28 回:宋・元・明・清の書 第29 回:清人の篆刻 第30 回:法帖 ○準備学習 予習― 書道史では中国三千年以上の文字の変遷を 扱うので、授業に沿って時代背景を学んでおく。 復習― 授業では初めて聞く人名や用語がたくさん 出てくる。説明はその都度するが、更に詳しく知り たければ各自で調べる。調べ方が分からないことは、 授業で質問するようにする。 ○指導方法 講義と実技指導。 ○成績評価の方法 レポート(20%)。小試験 3 回(40%)。1 回目は授 業スケジュール1 ~ 8 に関すること、2 回目は 9 ~ 15、3 回目は 16 ~ 30。講義中のノートは見てもよ いこととする。参加意欲・毎回の清書(40%)。欠 席した回の清書については、採点対象としないこと がある。 ○備考 【重要】書道用具(筆と半紙)が必要。教室定員は 35 名。最初の授業を欠席しないように。 〈3〉 「中国書道史ノート」案 A4 判、横長、全 33 頁。ここには縮小して掲載。
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手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 26 〈4〉國學院大學文學部「中國書道史」シラバス (平成 29 年度)とその解説 (1)初めに 私は平成30 年 3 月末に國學院大學文學部日本文學 科の兼任講師を定年退職するまで、20 年近く「中國 書道史」を擔當した。私の授業はわりあひ一般的なも ので、特に取り上げるべきものでもあるまいと自分で は思つてゐるが、それでも多少の特色はあるかも知れ ない。そこで平成29 年度の私のシラバスをそのまま 掲載し、あはせて論題に沿ふ視點から短い解説を加へ よう。 ……… 國學院大學 平成29 年度 SYLLABUS 中國書道史(中國書道史1・中國書道史 2) 筒井茂德 免許・課程 教職課程 高校書道免許 講義概要 ○授業のテーマ 書體と書法の歴史的な變遷を理解する。 ○授業の内容 漢字の各書體の發生と完成、また各時代の名品の書 法の特質について理解する。講義は教科書及び毎時 間配布するプリントまた古碑帖圖版のコピーを用ゐ る。さらに指定した箇處を臨摸する宿題を毎週、課 し、書體・書法の特質を具體的に把握するやうに努 める。 ○到達目標 中國書道史の特質について基礎的な智識を得ること ができたか。 ○授業計画 前期 第1 回 工具書、書體の變遷など 第2 回 漢字の起源、筆寫體と活字體 第3 回 甲骨文 第4 回 金文(殷) 第5 回 金文(西周) 第6 回 石鼓文 第7 回 秦篆 第8 回 秦隸 第9 回 簡牘帛書と草書の發生 第10 回 前漢の碑 第11 回 後漢の碑 第12 回 三國時代の書 第13 回 行書楷書の發生 第14 回 東晉 王羲之、王獻之 第15 回 六朝書法〈碑〉 後期 第1 回 六朝書法〈造像〉 第2 回 六朝書法〈墓誌〉 第3 回 初唐の三大家 1 第4 回 初唐の三大家 2 第5 回 唐の皇帝の書 第6 回 初唐 孫過庭 第7 回 盛唐顏眞 第8 回 宋 蘇軾、米芾 第9 回 法帖 第10 回 元 趙孟頫、鮮于樞 第11 回 明文徴明、董其昌、王鐸 第12 回 清1 金農、劉墉、鄧石如 第13 回 清2 何紹基、呉讓之、趙之謙、呉昌碩 第14 回 篆刻 第15 回 授業時試驗 ○授業計画の説明 各回の授業内容は多少前後することがある。 ※履修している學生に對して事前に説明があつた上 で、變更される場合があります。 ○授業時間外の學習方法 ほぼ毎回、授業で扱つた古碑帖の部分摸寫を宿題と して課す(A4 トレイシングペイパー使用)。丁寧に、 精確に行ふことが肝要である。 ○受講に關するアドヴァイス ・ 毎時間プリントを配布するので、板書はほとんど しないが、講義内容について適宜ノウトを取り、 不明な點は質問すること。 ・ 中國史及び漢文の基礎智識を要する。 ○成績評價の方法・基準 評價方法 割合 評價基準 授業時試験 70% 中國書道史に關する廣い智識 を得ることができたか。 平常點 30% 各時代の名品の樣式を精確に 摸寫することができてゐる か。 ※すべての授業に出席することが原則であり、出席 自體は加點の對象になりません。 ※履修してゐる學生に對して事前に説明があつた上 で、變更される場合があります。 ○教科書・參考文獻等 教科書 ・ 伏見冲敬著『新訂 書の歴史 ― 中國篇』二玄社 ・ 毎時間配布するプリント及び古碑帖圖版のコピー 參考文獻 ・『書の文化史』上、中 西林昭一 二玄社 ・『 漢 字 の 文 化 史 』 阿 辻 哲 次 日 本 放 送 協 會 NHK ブックス 721
手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 27 ・『角川 新字源』 西田太一郞他 角川書店 參考文獻コメント 講義にはなるべくなら紙の漢和辭典を持參するこ と。もし所有してゐなければ、參考文獻に擧げた 『新字源』を推獎する。 參考になるウェブページ ・康熙字典網上版 http://www.kangxizidian.com/index2.php ・支那文を讀む爲の漢字典 http://www.seiwatei.net/chinakan/chinakan.cgi ・説文解字注 http://kanji-database.sourceforge.net/dict/swjz/v01.html ……… (2)學生時代に受講した中國書道史 私は昭和41 年(1966)に東京教育大學教育學部藝 術學科書専攻(今の筑波大學藝術專門學群美術專攻書 コース)に入學した。中國書道史を擔當してゐたのは 伏見冲敬(1917 ~ 2002)先生であつた。伏見先生は 中國書道史及び篆刻の專門家として聞えてゐたが、漢 字は篆隸楷行草の五體を自在に書くことができるだけ ではなく、假名は比田井小琴先生の受業生であつた。 伏見先生の授業の特色は毎時間、一作品を取り上げ、 その作品の文字を一字一字黑版に臨書してから説明に 移ることであつた。當時、たとへば甲骨文や金文など の圖録集は二玄社の「書蹟名品叢刊」シリーズに收め られてはゐたけれど、購入してゐる學生は少なく、ま たコピー機は大學の事務室などにはあつたものの、濕 式の靑寫眞のやうな鈍い畫を吐き出すものでしかなか つたから、書の作品を具體的に論じようとすると、板 書して見せるしかなかつたのであらう。 學生は當然その板書をノウトに取る。伏見先生の板 書は左手に持つた圖版に目を落としつつ無造作に書か れたものでありながら、さすがに作品の樣式を再現し てゐて、學生は作品を間接的に臨書することになつた。 この作業を通して、その作品の筆畫の用筆、一字の結 構、全體の章法をノウトに寫し取ることになつたので ある。 (3)私の授業の構造 シラバスでは授業時試驗を除く前期十四回、後期 十四回、計二十八回の授業で古代から近代に至る中國 書道全史を講ずるやうにしてあるが、これはあくまで 建前である。もしそんなことをしたら、指定した教科 書を讀んで多少の説明を加へる程度の、通り一遍のご く淺い授業にしかならないからである。 私は書道の古典の紹介と説明は殷代後期の甲骨文か ら始めて、せめて唐の顏眞 にまでは及びたいと考へ た。顏眞 までをカヴァーすれば、中國書道史の特に 主要な樣式を紹介できるからである。 限られた授業回数の中で、教へるべき事柄はあまり にも多い。授業時間を有效に使ふために、かなり綿密 なプリントを用意して毎時間配布し、教員の板書時間 及び學生のノウトを取る時間を節約するやうに圖つ た。その分、學生に詰込む時間を稼ぐためである。む ろん授業の展開の中で、必要に應じて最小限の板書を 行ふことはあるけれども。 教科書は『新訂 書の歴史 ― 中國篇』を使用するが、 A5 版の上段に掲載した圖版は雰圍氣を知ることはで きるが、相當に縮小してあるから書法をつぶさに觀察 するには不十分である。その缺を補ふために、授業時 間ごとに數枚の原寸大圖版コピー(必要に應じて擴大 コピーも)を『中國法書選』等から取り、配布した。 實際の授業は、上記のプリントを私が讀みながら説 明し、配布した圖版を參照させて解説を加へる形式で 進行する。 (4)古典圖版の訓讀と口語譯 授業で古典の圖版を紹介する際には、書法の樣式的 特徴を説明するとともに、その訓讀及び口語譯を教へ る(いづれもプリントに記してある)。甲骨文、金文 は定型的な文章の作例を取上げて、記されてゐる内容 はある程度、型があることを理解させる。碑や墓誌も 同樣であり、王羲之、王獻之の尺牘を扱ふ際は手紙の 文體の形式を説明する。 (5)主要な古典の摸寫を宿題として課す 毎時間、配布する圖版コピーは各時代、各書體の典 型的な作例である。授業で扱つた作例の一部を指定し、 圖版の上にA4 版のトレイシングペイパーを載せて鉛 筆で雙鉤を取らせ、小筆で塡墨させる。そして傍らに 釋文を書かせるのである(圖 1、圖 2 は學生による實 際の提出課題である)。丁寧に行つても半時間乃至一 時間程度でできる分量を課してゐた。 學生はこの宿題に取組むことによつて各作例の書法 (用筆、結構、章法)を具體的に知り、授業で讀んだ 文章を復習することになる。ある作品の點畫がどんな 角度で筆が入り、筆壓がどのやうに變化し、收筆の形 がどうなつてゐるかを、學生は鉛筆で點畫の輪廓をな ぞりながら、まざまざと知ることになるのである。 (6)提出と評價 宿題は授業時試驗の際に提出させる。時代順に重ね て表紙を附けて綴ぢ、表紙には學生の專攻、學籍番號、 姓名を記させる。
手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 28 評價は、試驗70 點、宿題 30 點、計 100 點とする。 宿題の採點規準は雙鉤塡墨がどの程度、丁寧に、精密 に行はれてゐるかによつて採點するが、私が要求した 條件(鉛筆で雙鉤し墨を塡め、傍らに釋文を記す)を 滿たしてゐれば最低點として10 點を與へる。そして 丁寧さ、精密さによつて加點する。 (7)雙鉤塡墨を課すことの意義 雙鉤塡墨は書を學ぶ方法の一つである。一般には忠 實な臨書が學書の王道であるが、臨書を精密に行ふこ とは實際にはかなり難しい。ややもすれば主觀的な、 腕の慣れによる、大雜把な練習に流れやすい。通俗の 教本は、たとへば起筆の角度を45 度と教へるものが 多い。横畫、縱畫、斜畫等、あらゆる筆畫の起筆の角 度を等しく45 度とするのである。もちろん、そんな ことはありえないのであり、時代や地域、作品や作家 によつてさまざまであるのが實際である。授業の中で さうした説明を行ふが、その智識を主要古碑帖の丁寧 で精密な雙鉤塡墨によつて實際の姿を確認させようと するのである。 圖 1 金文「 卣」 學生による提出課題の例 圖 2 行書「王獻之 廿九日帖」
手で書いて学ぶ「中国書道史」 ―高等学校芸術科書道の指導者をめざす大学生のために― 29 圖 3 『書の歴史―中國篇』舊版の函 圖 4 『書品』70(昭和 31 年 6 月) 〈5〉テキスト『新訂 書の歴史―中國篇』について 私は大學では漢字は上條信山先生、假名は森田竹華 先生、中國書道史は伏見冲敬先生、日本書道史は小 松茂美先生、書道科教育法は近藤攝南先生にお習ひ した。中國書道史のテキストは伏見先生が昭和35 年 (1960)に著した『書の歴史 ― 中國篇』(圖 3)であ つた。先生は大正6 年(1917)のお生まれだから、42 歳の時の著述である。 伏見先生のお考へは、中國書道史を學ぶには篆隸楷 行草の各書體が實際に書ける必要があるといふことで あつた。私は初め、その意味がよく分からなかつた。 もしさうなら、文學史を學ぶには小説や詩や戯曲など の文學作品が書けなければならないのか、音樂史を學 ぶには樂器が演奏できなければならないのか。 だんだん分つてきたことは、書道史は美術史の一 ジャンルであるから時代や作家、作品の樣式を具體的 に理解する必要がある、書道は他のジャンルの藝術と 比べ、筆と墨と紙さへあれば古典作品の追體驗が容易 であるから、精確な臨書を通して各書體が實際に書け るやうにトレーニングすることによつて、樣式の特質 を把握することができる、といふことであつた。 事實、先生は漢字の各書體を能くするだけでなく、 假名は比田井小琴から親しく手ほどきを受けたのが御 自慢であり、篆刻は先生のもう一つの本業でもあつた。 つまり篆書、隸書、楷書、行書、草書、假名、篆刻が 自家薬籠中の物になつてゐるのである。のみならず、 どんな字の篆書、草書、印篆も頭の中に入つてゐて、 そらですらすら書くことができた。 先生は長く研究誌『書品』(東洋書道協會、圖 4) の編輯に當たるとともに毎號のやうに古碑帖に關する 論考を發表し、また『書蹟名品叢刊』(二玄社)の多 くの解説を書いたが、執筆する前には扱ふ古典を一通 り臨書したり、整本(全拓)の縮臨圖を作つてゐた。 かうした地道な作業を通して、その作品の樣式を確認 してゐたのであらうといふことが、後にだんだん分つ てきたのである。伏見流の實證的な研究方法である。 『書の歴史― 中國篇』はかうした研究者によつて書 かれた。A5 版の一頁の上段に二點、または三點の古 典圖版を掲載し、その下に數行の簡明な解説を記した ものであるから、ごく重要な勘所をざつくりとおさへ るしかない。くだくだしく書くスペイスは無いから、 專門用語はひかへめにして要點のみを一般の讀者が分 るやうに書かれてゐる。しかしその叙述は著者ならで はの書法的な智慧に裏附けられてゐて、書道の練習を したことのない人にもそれなりに得心が行くのであら う。 そんなことで讀者に迎へられ、ロングセラーとなつ て毎年のやうに版を重ねて半世紀が經過した。二玄社 から多少改訂してさらに息長く出したいとの相談があ り、この間の新出土品の主要なものを補ひ、程度の惡 い圖版は差し替へ、誤植を正すとともに公的収蔵機關 のデータ等も更新した。また現在の若い讀者にも讀み やすいやうに難解な漢字は假名に開き、巻末の年表を 充實させるとともに歴史地圖を掲げるなどの工夫も行 つた。しかし伏見先生の息遣ひの聞こえるやうな獨得 の文章はできるだけそのまま殘すやうに努めた。 か う し て 私 が 多 少 補 筆 し た 改 訂 版 が 平 成24 年 (2012)に刊行された。もう 6 年前のことである。幸ひ、 大學などでテキストに採用されたりして増刷されてゐ るらしい。判型は小さいから、圖版資料はごく一部分 を眺めることしかできないけれども、あはせて『中國 法書選』(二玄社)や『シリーズ書の古典』(天來書院) を利用した原寸大コピー(場合によつては擴大コピー も)を配布することにより、學習の實を擧げるさまざ まな授業展開が行はれることを期待したい。
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