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J. M. クッツェーと英語 クッツェーのオーストラリア作品の特徴 1 金内亮 序 J. M. J. M. Coetzee, Slow Man Diary of a Bad Year Paul Auster 100 David Attwell Wa

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(1)

J. M. クッツェーと英語

― クッツェーのオーストラリア作品の特徴1 南アフリカ出身の作家である

J. M.

クッツェー(

J. M. Coetzee, 1940-

)は、 1995年頃からオーストラリアで暮らすことを強く望んでいた2。そして2002年 にオーストラリアへ移住し、2006年3月にオーストラリアの市民権を得た。そ の後、彼はオーストラリアを舞台とした作品を書いた。独立した長編作品とし ては、『遅い男』(Slow Man(

2005

)、邦訳

2011

年)と『厄年日記』(Diary of a Bad

Year(

2007

))である3。クッツェーが南アフリカからオーストラリアへ移住し てから、移住後の作品の特徴を分析しようと試みる研究が増えてきている4 移住後のクッツェーの「晩年のスタイル」を捉えようと試みるとき、彼の移住 前と移住後の作風の変化が重要となる。2009年9月26日、クッツェーは芸術家 の人生についてポール・オースター(

Paul Auster

)に次の一節を含む手紙を送っ ている。 芸術家の人生を考えるとき、図式的には二段階、ないし三段階に分けて考 えることができる。第一段階では自分のための大きな問いを発見する、あ るいは立てる。第二段階ではその問いに答えを出すため奮闘努力する。 そして、十分長生きしたなら第三段階へいたり、そのときは先述の大きな 問いに飽き飽きし始めて、どこか他所に目をやりたくなるんだ。(『ヒア・ アンド・ナウ』

100

) デヴィッド・アトウェル(

David Attwell

)がクッツェーの草稿を調べ上げて

指摘しているように、上記の第二段階は『夷狄を待ちながら』(Waiting for the

Barbarians

1980

1991

))に始まり『恥辱』(Disgrace(

1999

2000

))に終わっ

ていると言える5。したがって、アトウェルが論じているように、クッツェーに

(2)

とっての第三段階とは『恥辱』よりも後の時期、すなわち彼が南アフリカから オーストラリアへ向かおうとする時期以降を指す(

Attwell, J. M. Coetzee and

the Life of Writing 234)。

ジュリアン・マーフェット(

Julian Murphet

)もまた、クッツェーの作品がし ばしば南アフリカと関連付けて読解されてきたこと、そしてそのような読解 が彼のオーストラリア移住後の作品においては無効化していることを指摘し ている(

“Coetzee’s Lateness” 3

)。この指摘は、上記の第二段階におけるクッ ツェーの作品と南アフリカの結びつきが強力であったことを意味する。アト ウェルは、南アフリカでの経験がクッツェーにとって「牡蠣の中の砂」であった と述べている(

“J. M. Coetzee and South Africa” 176

)。すなわち、クッツェー にとって南アフリカでの経験は苦悩に満ちたものであったが、彼の作品はその 経験やそこでの考察を抜きにしては現れ得ないものであったのだ。アトウェ ルは、オーストラリアはクッツェーにとってそのような場所とはなり得ないだ ろうと示唆している(

176

)。 このように、クッツェーの移住前の作品と移住後の作品との間には大きな違 いがあると指摘することができる。そのため、オーストラリア移住後のクッ ツェーの作品の特徴について考察することは、現在でも出版され続けている クッツェーの「第三段階」の作品について考察するためにも重要である。本論 は以下の点を明らかにすることを目標とする。クッツェーのオーストラリア 作品の特徴とは何か。そしてそのような特徴の中から特に移民としての感覚、 母語ではない言語としての英語の表象に着目し、その観点から『遅い男』を分析 する。その後、『遅い男』の分析をもとにして、英語を用いてはいるが英語を自 分のものであると感じることができないというクッツェーの英語に対する意 識について考察する。 第一節:クッツェーのオーストラリア作品 アトウェルは、クッツェーが南アフリカに対して示していたような態度 は、オーストラリア作品においては見られないと指摘している(

“Coetzee’s

Postcolonial Diaspora” 12

)。クッツェーのオーストラリア作品の特徴として、 メリンダ・ハーヴィー(

Melinda Harvey

)は、それらが読者にオーストラリア を感じさせないという点、作中の固有名詞が実在していてもいなくても同様 に「非

場所」(

“non-place”

)を志向しているように思われる点を挙げている (

Harvey 19-21

)。この指摘は次節で分析する『遅い男』にもあてはまる。本作

(3)

には実在する地名が多く書き込まれているのだが、情景描写はほとんど無い6 この点において、クッツェーのオーストラリア作品はポストコロニアリズムの 作品群と性質を異にしているのである(

Harvey 23

)。 このような指摘については、クッツェー自身が作中に書き込んでいる。『厄 年日記』において主人公

JC

は次のように書いている。「実を言うと、わたしは 目に見える世界に楽しみを覚えたことは決してないし、信念をもってその世界 を言葉で再現しようと思うことはないんだ」。もちろん、作中の登場人物の発 言を安易に作者自身の意見表明として捉えようとするのは早計である。しか し、ハーヴィーはこのような記述を、「最も用心深い読者でさえ著者自身にピ ン留めしたくなるような」ものであると述べている(

26

)。そして実際に、クッ ツェーはオースターにほとんど同様の主張が書かれた手紙を書いているので ある(『ヒア・アンド・ナウ』

86-87

)。クッツェーはオーストラリアにおいてオー ストラリアを舞台とした作品を描きながら、その創作態度としては現実のオー ストラリアを描くことに興味を抱いていないのだ。 このように、クッツェーの作品がオーストラリアを感じさせないという点 は注目に値する。このような特徴を指してマーフェットは、クッツェーの移 住後の作品を「観念の小説」であると述べている(

Murphet “Coetzee and Late

Style” 95

)。ならば、それらの作品において描かれている「観念」とはどのよう

なものだろうか。

彼のオーストラリア作品の特性について、ハーヴィーは「根を持たないこと」 (

“rootlessness”

)や「外国人であること」(

“foreignness”

)を挙げている(

Harvey

26-27

)。スー・コソー(

Sue Kossew

)は、これらの作品がテクストの権威を問 うているのに加えて、ある国に属するということのパラドックスや矛盾を探究 している点にその特徴を認めている(

Kossew 114

)。クッツェーは南アフリカ 時代から既にテクストの権威というものを問い続けていたことを想起すれば (例えば『敵あるいはフォー』等)、クッツェーのオーストラリア作品における特 徴の一部は根を持たないこと、外国人であること、ある国に属するということ のパラドックスを問うているという点にあると考えることができるのである。 そして、次節で明らかにするように、これらの特徴は『遅い男』における重要な 問いとなっている。本論は『遅い男』を分析する中で、英語という言語について の表象、登場人物が抱く外国人であるという意識に注目し、その上で本作にお いて描かれている英語に対する批判的な意識を浮かび上がらせる。 英語に対する意識について、クッツェーは移住前の作品群でも描いていた。

(4)

英語とアフリカーンス語に関する意識という点では、アフリカーンス語を多く

含む版と、そのほとんどが英語で置き換えられた版が存在する『石の女』(In the

Heart of the Country

1977

1997

))は重要な作品であるし、彼の自伝的三部 作の第一作である『少年時代』(Boyhood(

1997

1999

))では、主人公ジョンが アフリカーンス語と英語との間で揺れる心情が描かれている。英語という言 語への批判意識という点では、例えば『恥辱』において展開されている。南アフ リカで暮らす白人であるデヴィッドは、南アフリカで暮らす黒人であるペトラ スの身の上話を聞きたいと思うが、その時彼は次のように考える。 最近ますます実感してきたが、英語は南アフリカの現実をつたえる媒体と して適していない。酷使されてきた英語文法は、一文一文がつとに複雑化 しており、その明晰さ、その明晰性、その明晰であることを失っているので ある。恐竜のように絶滅して泥土に埋もれ、この言語は固くこわばってし まった。英語の鋳型に押しこんでしまっては、ペトラスの物語も関節炎を おこし、老化してしまうだろう。(『恥辱』

182

) また、ペトラスとのやり取りの最中彼は次のようにも考える。「彼が悠然と使っ ている英語という言語は−わかってもらえるなら−もはや疲弊して脆くなり、 内側からシロアリに食われているようなものなのだ」(

200

)。このように、『恥 辱』において英語は南アフリカに押し付けられた言語であるだけでなく、「固 くこわばってしまった」言語として描かれている。すなわち、ここで描かれて いる英語についての批判的な意識は、南アフリカと密接に結びついたものなの である。この点については、前節において彼の移住前の作品と南アフリカとの 結びつきを指摘した通りである。 しかし、『遅い男』においてクッツェーは、英語についての問題を自分自身に とっての根本的な問題として描き出している。アトウェルによるインタヴュー の中でクッツェーは、1979年よりも前からある言語の外部で思考することは 不可能ではないと考えていたと述べている(Doubling the Point 145)。この主 張はオースターへの手紙の中で、より具体的な意識となって再び取り上げられ ることになるが、それは本論の最終部で論じる。オーストラリア作品『遅い男』 においてクッツェーは、英語を用いながら英語の外部で思考するという試みを 追究しているのであり、それは英語を用いながらも英語という言語の中でアッ

(5)

第二節:『遅い男』における英語8 『遅い男』の舞台はオーストラリアである。主人公のポール・レマンは孤独 な人物である。家族は他界し、離婚したきり妻子もいない。彼はフランスに生 まれるが、六歳の頃に母親とオランダ人の義父に連れられて、姉とともにオー ストラリアに移住した(『遅い男』

52

)。 彼は本作の冒頭で事故に遭い、片脚を失う。その後、既婚で子どももいる介 護士マリアナ・ヨキッチに好意を寄せるようになる。彼女はクロアチア生ま れで、スラブ語の流音が混ざったオーストラリア英語を話し、しばしば表現を 間違える(

“flesh”

“flash”

(Slow Man 54)、

“food school”

“feeder school”

(Slow Man 90)、

“something little”

“a little something”

(Slow Man 94)、等々)。

彼女のこのような言語的特徴に、彼は好感を覚える(『遅い男』

33

)。 このように、本作における主要人物の多くは移民なのである9。ヨキッチ一 家について、ポールは次のように考える。「移民の多くがそうであるように、祖 国に対する彼らの感情というのは複雑だろう」(

79

)。この指摘はポール自身に もあてはまる。彼は先述のようにオーストラリアへ移住した後、一時期フラン スに戻り、そして再びオーストラリアへやって来る。その度に彼は次のように 自問する。「ここが真のわが家か?」(

236

)。彼は次のようにも述べる。「家と いうのは、きわめてイギリス的な概念だと、わたしは常々思ってきたんだ。家

庭という意味で、

hearth and home

というだろう、イギリス人は。彼らにとっ

て家というのは、暖炉に火が燃えている場所、温まりに帰る場所のことなんだ」 (

236

)。彼はそのような「家」の意識をオーストラリアにおいて感じることが できず、フランスでも「アット・ホーム」でいることができなかった(

237

)。「わ たしはだれにとっての『わたしたち』でもないんだ」というのが、ポールがエリ ザベスに打ち明ける弱音である(

237

)。彼はフランスに戻っていた頃、「イギ リス人」と呼ばれていたのだ(

240-41

)。前節で指摘したような「根を持たない」 という感覚を、彼は強く抱いているのである。 そのような感覚に由来すると判断できる描写を本作には複数見いだすこと ができる。ポールは採鉱小屋の初期の生活を撮った写真、彼によれば「第一世 代」の写真を大量に保管していて、それは「この国随一、ひょっとすると世界随 一」のコレクションである(

57

)。彼は疑念を抱きながらも、「これがわたした4 4 4 4 ちの4 4物語、わたしたちの4 4 4 4 4 4過去だ」と考えている(

62

、強調原文)。つまり、ポール はオーストラリアの歴史の中に自分を位置付けようと試みているのである。 彼はこの写真のコレクションをマリアナの長男ドラーゴに見せ、次のように言

(6)

う。「わたしが死んだら、この写真コレクションは寄贈するつもりだ。公共の 財産になるんだ。われわれの歴史的記録の一部として」(

216-17

)。この発言の 後、ポールは不意に涙を流しそうになる。彼はその理由を「われわれの」という 表現を用いたところにあるのではないかと考える(

217

)。彼は、自分の発言の 中で自身とドラーゴをオーストラリアの歴史に組み込んだ事で心を揺さぶら れたのである。このような彼の反応は、前段落で指摘したような意識に由来す る。 エリザベスによれば、ポールがマリアナに求めているのは相思相愛の関係と いうよりも、何か別のものである(

187

)。マリアナへの彼の好意は、上記の意識 にも由来しているのだ。エリザベスは、マリアナや子どもたちが持つ魅力の理 由について次のように説明していた。「愛されているから、この世で考えうる かぎり最高にたっぷりと愛されているから、はちきれんばかりになる。でも、 彼女の子どもたち、あの少年と女の子までが同じ印象を与えるのは、やはり溺 愛されて育ったからよ。この世界でのびのびと生きている」(

104

)。ポールは、 同じく移民であるヨキッチ一家がオーストラリアにおいてアットホームでい ることができているという点にも惹かれているのだ。始めは自分のそのよう な気持ちを否定していたが、ポールはマリアナの夫ミロスラヴに宛てた手紙の 中で(彼はそれを投函することを思いとどまるが)、ヨキッチ家に愛情を注ぎ、 ドラーゴの学費を貸す代わりに、ヨキッチ家のホームの中に自分の居場所を見 つけてはもらえないだろうかと書く(

273-74

)。彼は、マリアナやその家族と の関係において自身のホームを見出そうと試みるのである。 ポールの「根を持たないこと」や「外国人であること」という意識は、彼と英 語との関係においてより深く描かれている。彼にとって英語は第二言語であ り、英語を用いて生活している。彼は英語に堪能で、上述したマリアナの英語 の間違いを適切に正すことができ、流暢に話すこともできる。しかし、彼と英 語との関係は複雑である。次のエリザベスへの発言は注目に値する。 言語に関して言えば、わたしにとっての英語はあなたの場合とはどうし たって違う。流暢さとは関係がないんだ。お聞きのとおり、わたしの話す 英語は流暢このうえないだろう。しかし英語をものにするのが遅すぎた。 母さんの母乳のように自然なものではなかったからね。実をいうと、まっ たくなじんでないんだ。内心では、いつも腹話術師の人形みたいに感じて る。わたしが言葉をしゃべっているのではなく、あくまでわたしを通して

(7)

言葉が話されている、とね。英語はわたしの芯の部分、モン・クールから 出てきていない(

242-43

) このように、ポールは英語を十分に使いこなすことはできても、英語を自分の ものであると捉えることができないのである。そのため、彼は自分がその言語 を自然に話していると感じることができず、腹話術師が用いる人形のようであ ると感じ続けている。英語を日常的に使用してはいるものの、先の引用の中 にあるように、ポールにとってはイギリス的な、すなわち英語的な概念である ホームを感じることができない。英語と、第二言語としてそれを用いる者との 複雑な関係が描かれている。つまり、ポールは国からも言語からも疎外されて いる。彼自身強く意識しているように、ポールの特徴は何よりもまず「外国人」 であることなのである(

282

)。 ポールはマリアナと触れ合うことによって「 故 郷 のような安らぎ」を感じ 取ることができると夢想するが(

288

)、そのような夢も叶わない。ヨキッチ家 のホームに加わりたいという彼の願いも、マリアナ本人に否定される(

308

)。 ポールは、彼が望んでいた形では彼女の家庭に参入することを許されない。そ の様子はヨキッチ家の家族の会話という細部にも見て取ることができる。マ リアナとドラーゴがクロアチア語で電話をしているためにポールにはその内 容がわからない場面があり(

224

)、マリアナはミロスラヴにクロアチア語で親 しげに呼びかけ、二人のくつろいだ雰囲気からポールは夫婦の仲睦まじさを強 く意識する(

310-11

)。ヨキッチ家には、クロアチア語というホームがあるの である。このように見てくると、本作では国民意識においても言語との関係に おいてもアットホームでいられないポールが、せめてヨキッチ家との関係にお いてホームを得ようと繰り返し試みては失敗に終わる様子が描かれていると 言える。 以上のようなプロットについては次のように考えることができる。すなわ ち、『遅い男』においてポールが抱いている疎外感は、例えばヨキッチ家との関 わりの中で仮のホームを得るといった手段で癒されるような、そこにずらすこ とのできるようなものではない。そうではなく、ポール自身がそのような疎外 感を受け止めた上でいかにして生きるのかという問題なのである。本作にお いて、前節で指摘したような「根を持たないこと」や「外国人であること」の意 識はこのような形で描かれているのである。 しかし、ポールはヨキッチ家との関わりにおいてもホームを得られなかった

(8)

のだが、全くの孤独に陥るというのではない。本作の終盤において、エリザベ スがポールに生活を共にしないかと申し出るのである。エリザベスは次のよ うに述べていた。「わたしはあなたのそばにいると、わが家にいるようにくつ ろぐし、そばにいないと、家をなくしたよう」(

194

)。つまり、エリザベスにとっ てポールとの関係はホームを与えてくれるものなのだが、彼にとってはそうで はない。彼はエリザベスの提案を退け、「さよならだ」と告げる(

325

)。この 場面は、先に述べたように、ポールが誰との関係においてもホームを得られな い様子を表すものとして捉えられるだろう。しかし、エリザベスは以前に次の ようなことを述べていた。「もう一度言うけど、これはあなたの物語であって わたしの物語じゃない。あなたが自分の世話は自分ですると決めた瞬間、わた しはフェイドアウトする。あなたがもうこの女の話は聞かんと決意したら、わ たしなんか存在しなかったみたいに消えるのよ」(

121

)。すなわち、本作の結末 は、ホームを得られない「外国人」ポールが、自分なりの生き方を模索しようと していると捉えられるのである。ヨキッチ家を仮のホームとすることなく、外 国人であることにまつわる意識を受け止めた上で、彼自身の物語が始まる。本 作はそのスタートラインで幕を降ろしている。 第三節:クッツェーと英語 前節で確認したような移民と英語との複雑な関係を、クッツェー自身が強 く意識しているということが『ヒア・アンド・ナウ』(Here and Now(

2013

2014

))の出版以降広く知られることとなった。オースターへの手紙の中で、 彼はジャック・デリダ(

Jacques Derrida

)の『他者の単一言語使用』を愛読して いると伝える。フランス語は自分の母語ではないというデリダの主張を、クッ ツェーは自分と英語の関係に重ね合わせて読む(

74

)。そして彼は次のように 述べる。「デリダが述べるように、人はどのようにして、ある言語を自分のもの だと思うようになるのか?英語は最終的にはイングランドのイギリス人の所 有物ではないかもしれないが、もちろん僕の所有物でもない。言語とは常に他 者の言語だ。言語の内部を彷徨うことは常に不法侵入なんだ」(

76

)。 この記述には考察を要する。言語とは常に他者の言語であり、ある言語の内 へと入ることは常に不法侵入であるとはどのようなことなのか。簡単な説明 としては、第一言語にまつわる偶然性を挙げることができる。我々はある言語 を言わば強制的に押し付けられるのであって、我々が第一言語を選択するので はない。我々はある言語の内部に、したがってある言語が構成する体系の内部

(9)

に、偶然投げ込まれるのである(当然、そこには様々な社会的、歴史的、政治的要 因が関わることになる)。つまり、ある言語が自分のものであるという感覚を 得られないのは前提条件なのである。この点に関して、クッツェーが2009年5 月27日に書いている手紙も確認する。 人の 世 界 観 はその人がもっとも楽に話せて書ける言語、それである程度 まで考える言語によって形成されるということには賛成だ。しかし、その 形成の度合いは、人がその言語の外に立ってそれを批判的に精査できない ほど深くはない−とりわけもし別の言語を話せたり、ただ理解できるだけ でも、これはあてはまる。第一言語がありながら、それにもかかわらずそ の言語のなかでアットホームに感じないこともありうるというのは、そう いう理由からだ。それは言ってみれば、最初の言語ではあっても母語では ないんだ。(『ヒア・アンド・ナウ』

81

) 前節で分析した『遅い男』のポールが抱いていた意識について、この記述をもと にして述べるならば以下のようになるだろう。ポールは本作において英語を ネイティヴのように用いていた。その意味で彼の世界観は英語(とフランス語) で形成されていると言える。しかし、前節で述べたように、彼は英語という言 語においてアットホームに感じることができなかった。その意識から生じる 疎外感について論じたが、この手紙の主張を用いるならば、英語においてアッ トホームに感じることができなかったポールは、英語という言語の外から英語 で形成された世界観を批判することができる立場にいるということになる。 第一節末尾で触れた、ある言語の外部で思考することは可能であるというクッ ツェーの思考は、『遅い男』において具体的な形を得たのである。 クッツェーのこのような主張は、オーストラリアへ移住したことでさらに深 められることとなった。彼は同じ手紙の中で次のようにも書いている。 前に言ったよう僕はデリダを読んだあと母語というテーマについて考え 始めた。オーストラリアへ移住したあとは自分の状況をさらに痛切に感 じるようになった。オーストラリアは−その領域内で数多くのアボリジ ナル言語がいまも生き延びている事実があるにもかかわらず、一九四五年 以降、南部ヨーロッパやアジアからの大量移民を奨励してきた事実があ るにもかかわらず−僕が生まれた南アフリカよりはるかに「イングリッ

(10)

シュ」だ。オーストラリアでは公的生活はモノリンガルなんだ。さらに 重要なのは、現実との関わりが誰の目から見ても疑問の余地のないやり方 で、単一言語、つまり英語を仲立ちに成立している。(

82

) 以上のような発言は、『遅い男』のポールの主張と響きあう。複数の言語を扱 うことのできるクッツェーは、その世界観が英語によって形成されていると言 えるだろうが、英語という言語においてアットホームに感じることができな い。そして、クッツェーはオーストラリアにおける英語に目を向けている。『遅 い男』において描かれていたのと同様、オーストラリアの内部には複数の言語 が存在している。例えば、前節で触れたようにヨキッチ家ではクロアチア語が 用いられていた。しかし、人々の現実との関わりはほとんど英語を用いてなさ れている。このような、南アフリカよりも「イングリッシュ」であると述べる状 況において、クッツェーは英語によって形成されたアングロ的世界観に対する 懐疑的意識を育てたのである。このような懐疑的意識は2005年に発表された 『遅い男』の執筆を機に深められたと言える。英語を用いているがアットホー ムに感じることができず、英語に対して距離を取るポールの意識や、多言語的 ではあるが基本的に英語を用いて展開されている世界の描写でもって、いわゆ るアングロ的世界観の脱構築を試みていると捉えることは可能だろう。ここ において、「外国人であること」が、英語で形成された世界観に対する批判的意 識を深めることに寄与している。 ポールが最終的にオーストラリアで身の程に合った生活を模索するように なるという意味で『遅い男』が移住の物語を結末として描いていたとすれば、 現時点における最新作シリーズである『イエスの幼子時代』(The Childhood of

Jesus

2013

2016

))と『イエスの学校時代』(The Schooldays of Jesus(

2016

)) では、移住がその物語の始点として描かれている。このシリーズは架空の国を 舞台としているが、それは「非

場所」への志向を押し進めたものであると捉え ることができよう。さらに、その国ではスペイン語が用いられていて、新参者 である登場人物はスペイン語を学習する必要があるのだ。本論で指摘したよ うなオーストラリア作品の特徴、そして英語への批判的意識という観点から、 現在進行形で発表され続けているクッツェーの作品を読み解くことも可能で あるだろう。

(11)

注 1 本論は、2016年11月に開催されたオーストラリア・ニュージーランド文学会秋季 研究大会において「J. M. Coetzee、そのスタイルの変遷」として口頭発表したもの に、加筆修正を施したものである。 2 クッツェーがオーストラリアに移住したのは、『恥辱』が南アフリカにおいて否 定的に受け止められたからではない。アデレードに移住するという決定、そして 必要な手続きは『恥辱』の発表以前に済んでいた。この点については、例えばアト ウェルを参照(J. M. Coetzee and the Life of Writing 239)。

3 以下、邦訳のあるものについては、原書の出版年と邦訳の出版年を順に付す。

4 クリス・ダンタ(Chris Danta)らによる論集Strong Opinions(2011)や、Twentieth Century Literatureのvol. 57、no. 1(2011)等を参照。

5 本論では「大きな問い」について触れるスペースが無いが、第二段階のクッツェー の作品を扱った先行研究として、例えばデレク・アトリッジ(Derek Attridge)を 参照。 6 ポールのオーストラリアに対する意識は一面的なものである。指摘するにとどめ るが、彼はオーストラリアを「全人と全宗教が平等であるこの国」と形容している (『遅い男』51)。オーストラリアの情景描写がほとんど無いという点も重要だが、 登場人物の内面で描かれるオーストラリアに注目することも必要であるだろう。 7 この種の試みは『イエスの幼子時代』シリーズにおいて更に展開されている。 この点についての研究としては、レベッカ・ウォルコウィッツ(Rebecca L. Walkowitz)のBorn Translatedを参照(5)。

8 『遅い男』からの引用は鴻巣友季子訳に従う。引用中に付されたルビは、全て邦訳 に付されている。英語の方がわかりやすいと思われる場合のみ、原書から引用し、 その旨併記する。 9 彼が15章において肉体的接触を持つマリアンナは、オーストラリア人のものでも イギリス人のものでもないアクセントで話す(125)。また、本作の途中でエリザ ベス・コステロが登場するが、彼女はオーストラリア生まれである。彼女はクッ ツェーの以前の作品にも登場している。この意味で、クッツェーは自分の前作の 登場人物を自己引用しているのであり、そのような手法もまた「晩年のスタイル」 の現れであると言える。このような「晩年のスタイル」としての自己引用につい ては田尻芳樹を参照(Tajiri 80)。 Works Cited

Attridge, Derek. J. M. Coetzee and the Ethics of Reading: Literature in the Event. The University of Chicago Press, 2004.

(12)

vol. 57, no. 1, 2011, pp. 9-18.

---. “J. M. Coetzee and South Africa: Thoughts on the Social Life of Fiction.” J. M.

Coetzees Austerities, edited by Graham Bradshaw and Michael Neill, Ashgate,

2010, pp. 163-76.

---. J. M. Coetzee and the Life of Writing. Oxford University Press, 2015.

Auster, Paul, and J. M. Coetzee. Here and Now: Letters 2008-2011. Viking, 2013. Coetzee, J. M. Diary of a Bad Year. 2007. Vintage, 2008.

---. Disgrace. 1999. Vintage, 2000.

---. Doubling the Point: Essays and Interviews, edited by David Attwell, Harvard University Press, 1992.

---. Slow Man. Viking, 2005.

Harvey, Melinda. “‘In Australia you start zero’ – The Escape from Place in J. M. Coetzee’s Late Novels.” Strong Opinions: J. M. Coetzee and the Authority of

Contemporary Fiction, edited by Chris Danta, Sue Kossew, and Julian Murphet,

Continuum, 2011, pp. 19-34.

Kossew, Sue. “Literary Migration – Shifting Borders in Coetzee’s Australian Novels.” Strong Opinions: J. M. Coetzee and the Authority of Contemporary

Fiction, edited by Chris Danta, Sue Kossew, and Julian Murphet, Continuum,

2011, pp. 113-24.

Murphet, Julian. “Coetzee and Late Style: Exile within the Form.” Twentieth Century

Literature, vol. 57, no. 1, 2011, pp. 86-104.

---. “Coetzee’s Lateness and the Detours of Globalization.” Twentieth Century

Literature, vol. 57, no. 1, 2011, pp. 1-8.

Tajiri, Yoshiki. “Beyond the Literary Theme Park: J. M. Coetzee’s Late Style in The

Childhood of Jesus. Journal of Modern Literature, vol. 39, no. 2, 2016, pp.

72-88.

Walkowitz, Rebecca L. Born Translated: The Contemporary Novel in an Age of

World Literature. Columbia University Press, 2015.

J. M. クッツェー『遅い男』鴻巣友季子訳、早川書房、2011。 J. M. クッツェー『恥辱』鴻巣友季子訳、早川epi文庫、2007。 ポール・オースター、J. M. クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡 2008-2011』くぼたのぞみ、山崎暁子訳、岩波書店、2014。 (かなうち りょう:東京大学大学院) 【査読済2018年1月28日受理】

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