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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(2)

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」につ

いて(2)

著者

遠藤 和朗

雑誌名

東北学院大学論集. 経済学

93

ページ

1-21

発行年

1983-12-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1204/00024434/

(2)

アダム・スミスの「天文学史」と

「道徳哲学」について(Ⅱ)

遠藤和朗

目次 1. はじめに 2. 古代ギリシヤ哲学とスミス 3. 「天文学史」 (1)学問への動機 (2)学問体系の発展.."・以上(I) 4. 「天文学史」と「道徳哲学」 (1)機械論的アナロジー (2)社会的結合原理 (3)社会秩序の形成 (4) 自然的自由の体系 5. 結びにかえて..…・以上(Ⅱ)本号 4. 「天文学史」と「道徳哲学」 前稿で考察した「天文学史」におけるスミスの学問論が, 「道徳哲学」 においてはどのように適用されているのであろうか。 これが本稿の課題で ある。 (1)機械猫的アナロジー スミスはニュートン天文学思想の影響を受けて, 宇宙を巨大な機械 (immensemachine)として把握した。彼はこの機械論的アナロジーを人 間社会にも用いている。 「我々が人間社会をある種の抽象的な,哲学的な 観点から考察する場合には, それはあたかも規則正しい,調和のとれた運 動が無数の快適な結果を産単出すところの一種の広大無辺の機械のように 見えるものである'〕」と。機械はある目的を生魏だすために多くの部分か

(3)

アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) ら結合されている。そして, その機械がその目的に適合してい為ぱあい, その機械しこはある種の美しさが存在するという。換言すれば,人間社会と いう機械において,人間は個点の動機に基づいて行動するが, その個々人 の織り成す諸活動は快適な結果をもたらすというのである。個々人は意図 しない予期しない良い結果に貢献するわけである。このような思想ば,個 点人の利己的活動が社会全体の幸福をもたらすという 「見えざる手」に結 実する。 「通例かれは,公共の利益を促進しようと意図してもいないし, 自分が それをどれだけ促進しつつあるのかを知ってもいない。……かれは自分自 身の利得だけを意図しているわけなのであるが, しかもかれは, このぱあ いでも,その他の多くのぱあいと同じように,見えない手(aninvisible hand)に導かれ,自分が全然意図しても承なかった目的を促進するように なるのである2〕。」このように, スミスは「見えざる手」の思想のなかに個 々人の意図とはかかわりなく存在する客観的世界を発見したのであった。 しかし,彼にあってはニュートンと同様にこの体系的秩序の発見は我々の 日常生活における観察と経験から十分に認識されるものであった。 「宇宙のあらゆる方面に諦いて, われわれは手段が, その手段によって 産染出そうと目論まれている目的にぴったり合致するようにぎわぬて精巧 に仕組まれていることに気がついている。かくて,植物の機椴や動物の身 体の機構に輯いて,個体の維持と種の繁殖という自然の二大目的を進捗さ せるように万事がいかに巧妙に工夫されているかを見てわれれわれは感嘆 する。しかしながら, これらの事物ばかりでなく,他のすべてのそうした 対象物に猫いて,われわればなおそれらの対象物のそれぞれの運動や組織 1) A.Smith,TheTheoryofMoralSentiments,CIarendonPresS, 1976 (以下T.M.S. と略記する) p.316米林富男訳『道徳傭操論』未来社(下) 662頁。 2) A. SInith,AnlnquiryintotheNatureandCauSesof theWealthof Nations,ClarendonPresS, 1976Vol 1,p 456(以下,W.N、 と略記する) 大内兵衛・松川七郎訳『諸国民の富』(岩波文庫版) (3)56頁。Cf.T,M・S・pp、 184∼5邦訳(下) 394頁。

(4)

アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) における作用原因(efficientcause)と目的原因(final cause)とを区別 している3)。」 このように目的に対する手段の正確な調整は宇宙のあらゆる方面におい て観察されるものであった。そしてスミスによれば, このようなことは人 間社会においても同様であった。 「自然界におけるあらゆる他の部分の体 系と同様に,人間に溝ける性向の体系を工夫考案した叡知は,大人類社会 の利益は,各個人の主たる注意を,個人の諸才能ならびに個人の理解力の とどく範囲内に誘いて最大限を占めるところの大人類社会の特定部分に向 けさせ為ことによって,最もよくこれを促進することができると判断した もののように思われる4〕」と。 自然界に端いても人間社会においても作用因と目的因との区別は, 日常 の注意深い観察から十分に把握されるのであった。 目的に対する手段の正 確な調整は自然の摂理である。スミスはこのような自然の摂理に対する admirationとwonderの念から,有益な結果をもたらす社会的体系の結 合原理を求めようとしたのである5)。すなわち彼は,社会現象のなかに因 果的法則を求め快適な結果をもたらす社会的体系を発見するところに自然 の意図を見いだそうとしたのであった。 これがスミスの理神論的信仰と言 われるものに外ならない。 このような社会の把握の方法ば正にニュートン の力学の方法と相似している。ニュートンは経験に内在し, 自然界の諸現 象の事実のなかに普遍的秩序と法則性を見いだそうとして発見したその秩 序が, あまりに見事な規則正しい秩序で美しさがあったところからそこに 神的存在を見いだしたのであった。 『自然哲学の数学的諸原理』第二版に 付加された「一般的注解」において彼は次のように言う。 「この,太陽惑星, 彗星の壮麗きわまりない体系は, 至知至能の存在 3) T、M.S. p.87邦訳(上) 205頁。 4) T M.S. p.229邦訳(下)488頁。

5) Cf.T.D・ Campbell, 」IScientificExplanati・nandEthical Justification

intheMoralSentiments'',inEssaysonAdamSmithed,by,A.S Skinner andT.WilSOn,OxfOrd, 1975、

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ〕 の深慮と支配とによって生ぜられたのでなければほかにありえようがあり ません。 またもし恒星が他の同様な体系の中心であるとしたら, それらも 同じ至知の意図のもとに形づくられ,すべて唯一者の支配に服するもので なければなりません6〕」と。 このようにニュートン'は「自然哲学」の探究のなかに, この宇宙を創造 した神的存在を認識したのであった。 「…事物の現象するところより神に及ぶのはまさしく自然哲学に属する ことなのです7〕。」 もちろん, ここでスミスの理神論がニュートンに由来すると主張するも のではない。ただニュートンの自然哲学の方法が, スミスの学問の方法に 影響を与えているということだけである。スミスの蔵書目録のなかにニュ ートンの著書が見出される8)ことからしても, このことは推測できる。 スミスは以上のようなニュートンの自然哲学の方法を社会現象に適用し て, 「観察と経験」によって社会的結合原理を発見し, それに基づいて首 尾一貫した社会的体系を構築しようとしたものと思われる。そして, この 社会的体系には,すでに前稿で考察したように,首尾一貫性や単純性,少 数の結合原理,結合原理の馴染糸深さが要求されねばならない。 (2)社会的結合原理 ニュートンが自然現象の客観的な事実に関心を向け, そこから重力の原 理を発見し,それをもってこの宇宙を整然と統一した物理学体系として把 握したようiこ, スミスは「道徳哲学」の領域において,人間本性について の客観的な観察から, そのなかに社会的体系を形成する結合原理を発見し ようとした。デュガルド・ステュワート (DugaldStewart l753∼1828) は, そのスミメの功績を次のように述べている。 「“….この論文(『道徳情操論」−引用者)が独創性と公明正大と洞察力 6)河辺六男訳『自然哲学の数学的諸原理』中央公論社, 1979, 561頁。 7)河辺六男訳前掲害564頁。 8) J.Bonar,ACatalogueoftheLibraryofAdamSmith,Kelley'sReprint 1966,p. 122

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) が産んだすぐ・れた努力の結晶であり…・ ・重要真理の一大混合物であり.“・ ’・ 哲学者の注意を従来ほとんど無視されてきた人間の本性(humannature) の観察に向けた功績を持っていることは十分認めたい。……古今を過じて いかなる著作といえども,われわれの道徳的知覚に関する諸事実に対して, これほどまでに完全な意見を述べたものはいまだかってなかったと明言で きるし, しかもこのような事実からその一般的法則を見出すことがこの学 問分野の一大目的であ為……9)。」 換言すれば,人間本性の観察と経験のなかに人間と社会についての一般 的法則を発見しようとしたのが『道徳情操論』であ為というのである。そ して, その一般的法則を発見する方法には,すでに考察したニュートン的 方法が用いられるのであった。すなわち,人間社会は種々な本能に導ぴか れた個々人の生活の場であるが, この中に「少数の共通原理」に蕊づく結 合原理を発見し, それによって人間社会を統一あるかつ首尾一貫した社会 的体系として把握することが「道徳哲学」の課題なのであった。したがっ て,把握されるその社会的体系ば,すでに前稿で述べたような「想像上の 機械」としての,首尾一貫性,単純性,結合原理の爵││染魏深さは, 当然適 用されるものでなければならない。しかし, スミスによると「道徳哲学」 は我々の「諸欲求と諸意向の,われわれの明確な是認と明確な否認の感情 の起源」を説明するものであるから, 「自然哲学」以上に日常の人々の自 然的感情の観察に根拠をもつものでなければならないとも言う。 「自然哲学に関するある種の学説はきわめてもっともらしく見えるかも 知れず, 蚕た世間で長い期間にわたってきわめて一般的に受け容れられる かも知れないけれども, しかしそれは自然のうちに何らの基礎も持たなけ れば, あるいは真理に類する何らの性質も持ってい厳い。デカルトの渦巻 説はきわめて天才的な国民によって,約一世紀の問を通じて,天体の運行 に関する最も満足な説明と看なされた。しかしながら, そのような不思議 9) DugaldStewart,Account of theLifeandWritingsofAdamSmith, LL,D. inE.P.S.Pp.290∼1.

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) なる結果に対するかようなもっともらしい原因は現実に存在しないばかり でなく,存在することば全く不可能であり,かりにそのような原因が存在 するとしても, それらの原因のせいに帰せられているような諸結果は,何 らこれを産象出すことが出来ないものであるということが証明せられ,世 間のすべての人,々の確信となったのである。しかしながら,道徳哲学の諸 学説に関しては事情ば全く異なり,われわれの道徳情操の起源を説明した と自称する著者は,かくも大ざっぱにわれわれを欺くこともできず, ある いは真理に対するあらゆる点に満ける類似性からかくも著しく遠去かるこ ともできないのである'o)。」 このように「道徳哲学」ば「自然哲学」以上に我々の日常生活における 「自然のうちに」基礎を持たねばならないのである。 スミスが『道徳情操論』第7部で,古代ギリシャから彼の時代までの道徳 哲学の諸学説を検討するなかで,それらの諸学説を斥ける理由は, それら のいずれもが「自然に関する部分的な,不完全な見解にその根源を有す る」ものであったからである。人類にとって親し象のないような結合原理 では人々の信用は得られないのである。例えば, スミスによると,恩師ハ チスン(FrancisHutchesonl694-1746)のmoral senseなる語は, いまだに英語の一部をなすと考えることばできないというほど親し承がな かったのである。 かくして,我,々は,我々が日々生活している「家庭内の出来事」や「教 区の出来事」のようなきわめて身近な経験と観察のなかに, 「道徳哲学」 における「結合原理」を抽出し,それに基づいて社会秩序がいかに形成さ れるかを検討しなければならない。 それでは, スミスは人間本性をどのように把握したのであろうか。彼ば 言う。 「人間というものは, これをどんなに利己的なものと考えて拳ても, な おその性質の中には,他人の運命に気を配って,他人の幸福を見ることが 10) T・M・S. pp.313∼4邦訳(下) 652∼653頁。

(8)

アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅲ) 気持ちがいい, ということ以外になんら得るところ力'ないばあいでも, そ れらの人達の幸福が自分自身にとってなくてはならないもののように感じ させる何らかの原理が存在することはあきらかである。憐偶または同憂は, まさにこの種の原理に属し, それは他人の不幸を直接見たり, あるいば他 人の不幸について生冷しい話を聞かされたりすると, それらの人左の不幸 に対してただちに感ずる情緒である。他人が悲しんでいるのを見るとすぐ‐ に悲しくなるのは, なんら例証する必要のない自明の理である。なぜなら, この情操は,人間の本性における他のすべての本源的情感と同様に,徳の 高い人間とか慈悲深い人間ならばあるいは最も鋭く感ずるかも知れないが, しかし必ずしもこれらの人々だけがこれを持つとは限らない。極悪人や社 会の徒を破った最も因業な人間といえども,全くこの情操を持たないとは いえない'1)」と。 ここでスミスが言舞うとしていることは, 日常生活における人間を自然 にありのままに観察すれば, 本性は根源的には利己的であるが, どのよう な人間でも他人を気遣う憐燗や同情(pityorcompassion)のような感惰 も持っているというのである。スミスはこのような人間を社会形成の前提 にしている。そして彼は,憐偶や同情のような他人を気適う感情こそが自 己と他人とを結び,他人のL、だく心情の理解を可能にする基礎だと考える。 言わば社会形成の根源は感情にあるというのである。しかし,憐偶や同惰 のような相手に対する一方的な感情だけで相手の心情を理解することはで きなL、。想像作用による自己と他人との感情の一致があってはじいて相手 についての知識が形成される。知識の形成においてば想像力が重視される のである。スミスは拷問にかけられている例を示しながら次のように言う。 「想像のばたらきによって,われわれば自分自身を他人の立場に瞳き換 え, 自らすべての同じ拷問に耐え忍んでいるかの如<に考え, ↓、わぱ他人 の身体に移入して, ある程度までその人間と同じ人格になって, その上で その人間の感じに関する何らかの知識をえ,程度こそ幾分弱いが, その人 11) T.M.S, p.9邦訳(上)41頁。 −7−

(9)

アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) 間の感じた感覚と全く異っているとも思えないある種の感覚をすら感ずる ようになる'2)。」 このような「想像上の立場の交換」(imaginarychangeof situation) による自己と他人との感情の一致をスミスは「同感」sympathyと名づけ た。したがって, 同感は一方的な一つの感情でばない。感情と感情との一 致あるいは調和を意味する概念である。換言すれば,我々が現在の自分の 立場を他人の立場におきかえて我を自身を想像するとき,我点の内に生じ るところの感情が│司感的感情であり, それが他人の感情と一致したとき│可 感が成立するというのである。人間はさまざまな感情を持っている。スミ スは我々の日常生活において観察される具体的な感情の同感について数多 くの例を上げている。肉体的な痛歎などの身体に起源をもつ感情や恋愛の ような感惜,憎悪や報復感などの非社会的感情,人間愛,相互友情などの 社会的感情そして利己的感情などの我々の自然的感情についての同感であ る。スミスにあってば,人間は観念的に抽象的に把握されるのではなく, なによりもまずさまざまな感情・本能を持って社会生活を営んでいる人間 として掴まえられるのであった。 ヒューム(DavidHume l711∼76)が 経験と観察を軍視して「人生を慎重に観察して実験を収集しなければなら ない。しかもそのとき,人と交り業務に励象又は遊び職れる(各方面の) 人間の挙動を見て,人世の日常的経過に現れるままに実験を行わなければ ならない'3)」と主張したように, スミスにおいても日常生活における生の 人間がそのまま観察された。そして, そのような人間を前提としての社会 の調和・均衡が問題になるのであった。ニュートンが宇宙の調和・均衡・ 供序を馴染錐深い里力の法則によって脱明したように, スミスは社会の調 和・均衡・秩序を達成する原理を,我々に最も馴染Z』深い日常的な「同感」 現象に求めようとしたのである。 12) T.M.S. p.9邦訳(上) 42頁。

13) DavidHume,ATreatiseofHumanNature, edbyL.A Selby-Bigge,

OXfOrd, p@XXiii.

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アダム・スミスの「天文学史jと「道徳哲学」について(Ⅱ) 想像作用による同感は, 自己と他人との間のギャップに橋をかけ,相手 についての何らかの知融を形成することによって自己と他人との感情の一 致を行う能力でもある。感情の一致は相手を是認することであり,相手の 感情や行為が,それを引きおこした動機に適合していることである。こう して, 同感は道徳的判断能力として把握され, 自己と他人との感情が一致 するところに道徳的適正が成立するとされる。 「ある事柄の主たjる当事者の原本的な情感が観察者の│則感的情緒(sym-patheticemotion)と完全に一致する場合それらの原本的情感はこの観察 者にとって必然的に正当であり,適正であり, それらの情感の起こった動 機に適合しているものと考えられる。 これに反してその観察者に詳しい事 情がわかった結果, それらの情感がかれの感ずるところと一致しないとい うことがあきらかになると, それらの情感はその観察者にとって必然的に 不正であり道徳的に不適正であり,かような情感を起こした原因に適合し ていないものと考えられる'4)。」 かくして想像作用による同感は. スミスによって道徳的適正についての 因果的連関を説明する原理として確立される。各個人は, くり返される,想 像的同感の経験の基礎のもとに,感情の一致(同感)→適正の関連が自然 的なものとして感じるようになる。そして, この経験がすべての人々Iこ拡 がり共有されるとき, そのような関連は因果的必然と黙なきれる。 こうし て「天文学史」で考察された学問の方法,すなわち人点の観察と経験が甑 んじられ,想像力の作用によって自然の諸現象間に結合原理を発見し, そ れらの間に因果的法則を求めようとした試皐ば「道徳哲学」においても見 ることができるのである。 (3)社会秩序の形成 スミスば自己と他人との調和を図り,利己的個々人を社会へ統合す〕る原 理として, 同感を抽出した。彼は│司感を人間行為の道徳的判断をなす唯一 の能力としてさまざまな辿徳現象に適用して社会秩序を形成しようとして 14) T・M・S. p. 16邦訳(上) 57頁。 9

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅲ) いる。言わば, ニュートンの自然哲学の方法一先ず初めに,第一義的な原 理, あ為いは立証された原理をいくつか定あ, そこからそれぞれの現象を 説明して, それらの現象すべてを同一の鎖で結びつけることもできる'5〕− を道徳諸現象にも適用しようとしたのである。彼は道徳諸現象の原因であ る“力”を次のように表現している。 「…自然はこの場合においてもまた他のすべての場合に諦けると同様の 働きをし,股も厳重な節約のもとに唯一にして同一の原因から無数の結果 を産恐出しているもののようにかれらは想像する。すなわち常に注意をは らわれる力であり, あきらかに人間の心に与えられている同感(sympa・ thy)こそば,かような特殊の能力の作用に帰せられるすべての結果を説 明するに充分である'6)。」 このようにスミスの方法は最小の説明原理を用いてさまざな道徳現象を 説明するところにある。彼は同感の原理を①他人の行為の道徳的判断,② 自分自身の行為の道徳的判断,③道徳上の一般原則の形成,④正競に適用 して,社会秩序の形成を説明しようとしたのである。 まず,他人の行為と性格の判断をするぱあいに諸いて, スミスは利害や 立場を異にした観察者と行為者(主たる当事者)なる人物を登場させる。観 察者は自分自身を行為者の立場に想像することによって感じる同感的感情 と行為者の現実的感情とを比較することによって,行為者に同感しようと している人為である。行為者は,観察者から同感を得ようとして観察者が ついてこれる程度に自己のいだく感情を抑制しようとしている人々である。 この両者の努力において,つまり観察者と行為者の双方が歩象よって両者 の感情が一致するとき同感が成立し,観察者は行為者の感情や行為を是認 し,その感情や行為を「適正」であると判断する。観察者が社会性を有する 一 15) LecturesonRhetoricandBellesLettres,DeliveredintheUniversity

ofGlaggowbyAdamSmith,Reportedbyastudent inl762∼63, Edited

withanlntroductionandNotebyJ,M. Lothian,Edinburgh, 1963,p. 140 宇山直亮訳『アダム・スミス修辞学・文学講義』未来社, 286頁。

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(1) とき「公平な観察者(impartialspectatOr)」と呼ばれ,道徳的適正も社会 的なものとなる。 このようにして, スミスにおける人間行為の道徳的適正 の基準は, 「公平な観察者」と行為者との間に成立する「同感」に求あられ たのである。同感こそが自己と他人とを結ぶ結合原理であり,道徳的判断 能力であった'7)。そして道徳的適正において社会ば維持されるのであった。 「これら二つの情操が, 社会の調和を維持するに必要な程度に無いてお 互いに一致しうることはあきらである。たとえこの二つの情操は決して同 調ではないとしてもそれらの情操ほこれを協和させ為ことができ社会が必 要とし, あるいは要求するところはそれだけで十分なのである'8〕」と。 次にスミスは, このような同感の作用を他人の感情や行為の道徳的判断 だけでなく, 自分自身の感情や行為の道徳的判断にまで適用して「良心」 (conscienec)の起源を説明している。すなわち, 我々は社会の中でば行 為者であるとともに観察者でもありえるから,他人の感情や行為について の判断を自分自身の判断に適用することができるのである。 「われわれが自分自身の行為を自然に是認したりあるいは否認したりす る場合に採用する原理は,われわれが他の人々の行為に関して同様の判断 を働かせる場合に用いる原理と全く同一であるように思われる。……われ われが自分自身の行為を是認したり,否認したりするのは,われわれが自 分の立場を他人の立場に置き換えて,他人の眼をもってまた他人の立場か ら自分の行為を眺ぬるとき,われわれが自分の行為を支配した情操や動機 に全面的に移入し, 同感できるかどうかということによって決定せられ る'9〕。」 17) スミスば行為の動因としての感情を問題にするとき,感憎を二つの異なった 観点から考察している。感情を刺激し,ひきおこす原因主たは動機との関係に ついてば「適正感」(senseofpropriety)の観点を,感情がめざそうとする目 的またば結果との関係についてば「功繊感」(senseofmerit)および「罪過 感」(senseofdemerit)の観点である。 しかし, 行為の功罪に関しては結果 の象でなく動機も重要であぉから, 「適正感」の観点がより基本。 18) T.M.S. p.22邦訳(上) 68頁。 19) T.M.S. pp、109∼10邦訳(上) 253頁。

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) このように自分自身の行為についての道徳的判断においても同感の原理 が適用されるが, このぱあい自己は観察者と行為者に二分される。 「公平 な観察者」としての自分が内面化されて「良心」(conscience)になる。 ところでスミスによると, 「良心」の判断は「完全に称賛に価いすること に対する欲求と非難に価いすることに対する反感」に基づくゆえに, 「現 実の称賛に対する欲求と現実の非難に対する反感」に蛙づく現実の「公平 な観察者」の判断よりも優位な位置を占いているという。 他人と自分自身の道徳的判断を説明した後に, スミスは, その良心の漸 進的な作用を通じて市民社会における道徳上の一般原則(general rules) が形成されることを次のように示す。 「道徳の一般原則が形成せれるのは, このような方法で行なわれるので ある。それらの原則の形成は究極においてわれわれの道徳能力,すなわち 功績と道徳的適正とに関するわれわれの自然の感覚が, それぞれの特殊の 事例について是認したり, あるいば否認したりする経験にもとづいてい る20〕。」 このように道徳上の一般原則は,われわれの道徳能力に基づいて, 日常 生活の経験のなかに自然に形成されるのであった。スミスばこのような一 般原則を運動の法則にたとえて次のように言う。 「すべての一般的原則は通常法則(laws)と呼ばれている。かようにし て諸物体が一方から他方へ運動を伝えるときに守られる一般原則は,運動 の法則と呼ばれ為。しかしながら,われわれの道徳的能力が,その検討に 委池られたあらゆる情操もしくは行為を是詔したり非難したりするときに 守られる一般原則をこのような法則と呼ぶことは, それよりもはるかに正 しいであろう21)」と。 人間にとっては, このような一般原則を尊璽することが義務である。そ れは人間社会の道徳のよりどころであり,人間社会存立の基礎である。 「こ 20) T.M,S. p.159邦訳(上) 345頁。 21) T.M・S. p.165邦訳(上) 358頁。

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アダム.スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) れらの義務をかなりよく守ってゆくところに人間社会存立の基礎があり, もしも人類が一般にこのような重要な行動原則に対する強い尊重心をもた なくなれば,人間社会は鐙そらく雲散霧消してしまうであろう22〕。」 このようにしてスミスは, 同感の原理に基づく道徳秩序を明らかにした のである。 日常生活におけるありのままの人間を前提に, その個点人の道 徳情操のW稗かさねの発展が道徳法則を形成するのであった。 したがって 一般原則は庶民の経験に内在し庶民の本性にもとづいて把握された道徳秩 序である。われわれば一般原則を遵守すること挺よって社会を維持してい くことができる。しかし,社会秩序にとって最も重要なのは一般原則の中 でも特に「正義」(justice)の徳である。正義は, スミスによると,誰で も座ったままで守ることができるという消極的な徳であるから強制されね ばならない。しかし,強制力が伴うがゆえに,正義の根拠や基礎が何であ るかが問われればならない。悪法も法であるから。血をもって書きこまれ ている法体系,すなわち喧商主義を批判する拠り所が求められればならな い。そこで, スミスは正義の根拠を「社会全体に対する効用」に求めるヒ ュームに反対し,被害者の1賞慨(resentment)に対する観察者の同感に あることを強調する。 「公平無視なる観察者の眼から見るならば計画されたあるいは現実に遂 行せられた不正に対する道徳的に適正なる報復感(resentment)だけが, われわれの隣人の幸福を何らかの点においてわれわれが傷つけたり, ある いは乱したりすることを正当化することのできる唯一の動機である。それ 以外の動機にもとづいてそのような行為をなすことは,すべてそれ自体正 義の法則を冒涜するものであって, そのような正義の法則の力をかりてわ れわれはそのような行為を慎しませたり, あるいは罰したりしなければな らない23)。」 22) T M.S. p. 163邦訳(上) 354頁。 23) T.M.Sp.218邦訳(下) 465頁。 『グラスゴウ大学識義』においてもスミスは次のように述べている。 「侵害は当然,傍観者の憤りをよび起し,それ故に,犯罪者の処嗣は,公平な/

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」 iこついて(Ⅱ) こうして, スミスは社会の大黒柱である正義をも同感の原理によって基 礎づけたのである。同感ばすべての道徳諸現象の原因であり,その原因を もとにして社会秩序が形成されたのである。言わば喜怒哀楽を表現する日 常的な諸個人の中に一定の社会秩序を形成していく方法をスミスは認識し たのである。 これは, 自然界における諸現象の原因である力をまず見出し, 今度ばその力をもとにして, 自然現象を説明するというニュートン的方法 に外なら堆かつたのである。しかも同感は,重力と同様にすべての人々の 観察と経験のうちに把握される現象である。ニュートンが重力の原理で宇 宙の秩序を説明したように, スミスは同感の原理によって社会の秩序を説 明したのであった。 (4) 自然的自由の体系 個々人の利己的活動が社会全体の繁栄をもたらすという 「見えざる手」 の思想は,個為人の意図とは独立して存在する客観的世界の認識でもあっ た。そして, それ朧同時に快適な結果をもたらす“機械”としての人間社 会の把握でもあった。 この人間社会を動かしてい湯のは人間の最も根源的 な利己心である。スミスは利己心の作用する世界を「欲得ずくの交換」に もとづく経済社会として考察している。「社会は,あたかも異る商人達の間 に誌けるように,異る人々の間において,何ら相互的愛情とか愛着とかが なくとも,猫互いのもつ効用(utility)の感覚から存立することができる。 そしてその社会に住むものが誰一人として詰互いに何らの義務も感ぜず, /傍観者がそれに共感し得るかぎり正当である。これば処刑の自然の尺度であ る。 ここに注目すべきは,われわれが刑罰を是認する第一の根拠は,通常考え られているような公益(publiCUtility)の尊箪でばないということである。其 の原理は,被害者の憤りに対する我々の同感(sympathy)である。」 A.Smith,Lectures onJurisprudence,Reportedl776,ClarendonPress, 1978, p.475. 高島善戟・水田洋訳『グラスゴウ大学講義』286∼287頁。 な鮨, スミスの正義論についてば, 内田義彦『経済学の生誕』(増補昭和46年) 106∼117頁。参照 Cf.T,D.Campbell,AdamSmith'sScienceofMoral3,London1971,pp. 186∼204

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) あるいは諮互いに何ら感謝の気持ちで結ばれていないとしても, な端社会 は,合意的な価値評価にもとづくあいめいの尽力の欲得ずくの交換によっ てもこれを維持することができるのである24〕。」このように,スミスによる と,経済社会は利己的個々人の集合であるが,それ自体一定の秩序を保ち 自律しているというのである。ところで, スミスは人間本性を利己心と同 感に求め,その両者の作用において社会が成立すると考えたのであるが, すでに明らかなように『道徳情操論』では各人の利己心を前提に,同感の原 理に基づいて社会秩序がどのようにして形成されるかを考察したのである。 『国富論』でば『道徳情操論』に諦いて形成された社会を前提に,利己 心の作用する世界,すなわち「自己の状態を改善せんとする各個人の自然 な努力」が自然に形成する社会を「欲得ずくの交換」に基づく経済社会と して把握した。彼はその経済社会を「自明で単純な自然的自由の体系」 (obviousandsimplesystemofnatural liberty)と呼んで次のよう に言う。「それゆえ, 優先させたり, あるいは制限したりするいっさいの 体系力§以上のようにして完全に撤廃されれば, 自然的自由という自明で単 純な体系がおのずから確立される。あらゆる人は,正義の法を犯さぬかぎ り,各人各様の方法で自分の利益を追求し, 自分の勤労鈴よび資本の双方 を他のどの人または他のどの階級の人為のそれらと競争させようとも,完 全に自由に放任されるのである25〕。」 このように「自然的自由の体系」は 利己心に基づく競争の原理が作用する世界である。しかし, 同時に「見え ざる手」の思想に見るがごとく,社会の調和・均衡が達成されている快適 な社会的体系でもある。言わば,一切の国家的統制とは別に,独自の運動 法則で自ら社会的均衡を達成する世界であるといえる。われわれはこのよ うな競争と均衡の概念についての経済学固有の世界を「あらゆる商品価格 が継続的に引きつけられるところの中心価格である」とする自然価格の概 念,すなわち賃金・利潤・地代の自然率あるいは通常の水準を確立しよう 24) T.M・S. pp.85∼6邦訳(上)203∼204頁。 25)W.N.V●1.2, p.687邦訳(三)502頁。

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) とする競争的原理の支配する価格理論に見ることができる。この箇所ばシ ュンペーターが指摘しているようにスミスによってなされた経済学におけ 為岐大の頁献でもある26)。それでは, スミスの言う経済学固有の世界を具 体的に見てみよう。彼は「国富」を労働の生産物=生活必需品および便益 品として把握し, それらの増離の原因を分業と資本蓄積に求めた。そして 分業や資本蓄積を引き起こすのは交換本能や節約本能という人間本性にあ ると見ている。ここに,われわれはピン製造業の例や,人間と犬の違いの ような平明な日常的経験の事実のなかに生産力を増大し,一国を富裕にす る条件を求いていこうとするスミスの方法を見ることができる。しかし, 交換本能や節約本能を支える客観的な条件は,分業が発達し資本が投下さ れる場としての市場の存在である。市場の発達が分業や資本の蓄蔽を促進 する。しかも市場は年点生産された労働の生産物が交換・分配される場で もある。かくして, スミス経済学の核心は市場の分析にあることが明らか である。 彼はまず,投下労働量と支配労働趾とが等しい独立生産者の社会,すな わち「商業社会」(commercial society)の概念から出発して,三大階級 の発生(資本家・労働者・地主)する安本主義社会におけ』る経済市場を価 格のメカニズムが作用する世界として把握する。すなわち彼は,資本主義 社会におけ為商品の価格が利潤・賃金・地代より構成されることを考察し た後, その商品価格の決定とそれらの櫛成部分である要素価格の決定の問 題を取り_上げている。この分析ば次のような観察から出発している。 「あらゆる社会またはその近│弊には,労働や資財のさまざまの用途ごとに, 賃金と利潤との双方についての通常率または平均率(ordinaryoravera-gerate) (=自然率(natural rate)とも呼ばれる−引用者) というもの がある27〕。」

26) J.A・Schumpeter,HistoryofEconomicAnalysis,NewYork, 1954, pp 308∼9.東畑精一訳「経済分析の歴史」(2), 646∼648頁。

27)W.N.Vol、 1,p.72邦択(一) 201頁。

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) 「また同様に, あらゆる社会またはその近隣には, 地代の通常率または 平均率(=自然率とも呼ばれる−引用者) というものがある27)。」 「ある商品の価格が. それを産出し,調整し, またそれを市場へもたら すたぬに使用された{二地の地代と労働の賃金と,資財の利潤とを,それら の自然率にしたがって支払うのに十分で過不足がないぱあいには, このと きその商品は,その自然価絡(natural price)ともよばれるべきもので売 られるのである28>」と。 以上から明らかなように,商品の自然価格とは土地・労働・資本といっ た生産要素の価格が社会の通常率ないし平均率(=自然率) iこおいて安定 した場合の緬格である。これに対して,市場価格は「自然価格をうわまわ るか,それをしたまわるか, またはそれと正確に同一であるか,のいずれ かである29>」が, それは市場へ供給される商品の堂と有効需要(effectual demand)との関係によって決まる。 このぱあい, スミスが言う有効需要 とは「商品の自然価格をよろこんで支払う人々の需要2,〕」を意味している。 もし,商品の供給li:が有効需要を下回る時は市場価格は自然価格以上に騰 貴する。したがって要素価格もその自然率以上に上昇するから生産要素供 給者ばその供給仕をふやすことになる。かくて, その量は「まもなく有効 需要を充足するにたりるだけのものになるであろう。その価格のさまざま の構成部分のすべては, まもなくその自然率にさがり, また全価格もその 自然価格にさがるであろう30〕。」 また逆に, 商品の供給量が有効需要を超 過する場合には,市場価格は自然価格以下に下落する。 このぱあいには生 産要素供給者は,要素価格が自然率以下であるから,生産要素の一部分を 引きあげることになるであろう。したがって, まもなく要素価格も自然率 にまで上昇し,商品の市場価格も自然価格と一致するようになる。このよ うにして市場へもたらされる商品の供給量は, 自由競争のもとでは自然に 28) 29) 30) 訳 訳 訳 邦邦邦 2 3 5 7 7 7 p p p 画山室L○上 C O ○ 一 狼 狽 頑 7 0 0 0 1 2 2 2 l j j j 一 一 一 く く く N N N 4■■ WWW l l l o o O V V V

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) 有効需要と一致し, 自然価格を実現することiこなる。それゆえ自然価格と は「静止と持続の中心」であって, いわば, 「いっさいの商品の価格が不 断にそれにひきつけられている中心価格(central price)」であり,均衡 価格であるということができる。 ここでスミスの言う 「静止と持続の中 心」あるいは「中心価格」なる表現は, ニュートンの運動の法則を想起さ せる。以上のようにしてスミスは, 自然価格の概念に有効需要という概念 を導入することによって要素価格の決定と商品価格の決定とを同時に可能 にする一般均衡理論のプロセスを明らかにしたのであった31)。一般均衡理 論は市場におけるある時点での相互依存関係が調和し静止した状態を意味 する。 この状態は人為的に生欺だされるものでは欺く, 自然に達成される メカニズムを有していたのである。市場における自由競争こそが需要・供 給を調整し均衡状態を生巍だす要因であった。そして, この均衡状態,す なわち自然価格の実現は,生産要素の提供者である資本家・労働者・地主 を共に満足させ,商品の価格もまさにそうあるべき最低の価格になるので あった。 「独占価格はあらゆるぱあいに聾得しうる最高の価格である。 これに反 して, 自然価格または自由競争価格(priceoffreecompetition)は,あ らゆるぱあいというわけではないにしても,かなりの長期間にわたって取 得しうる最低の価格である。前者ば, あらゆるぱあいに買手からしぼりと 為ことのできる鰻高の価格,すなわち買手がそれをあたえることを承諾す るものと思われる最高の価格であり,後者は,売手がふつう取得しうると 同時ヤこ, その仕事をつづけうる岐低の価格である32)。」 こうして自然価格の実現によって,商品が低廉に供給され社会全体が調 31)小林昇『国富論体系の成立』 1973年, 第五章参照。 (小林昇「経済学史著作 集I」に所収) Cf.A.S.Skinner,ASystemofSocial Science,ClarendonPress, 1979, pp. 151∼183. 田中敏弘・橋本比登志・篠原久・井上琢智訳『アダム・スミスの社会科学体 系』第七章参照。 32)W.N.V01.1, pp.78∼9邦訳(一) 214頁。

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ〕 和的に発展するものと考えられたのである。スミスはこのような自然価格 の実現する経済社会を「自然的自由の体系」と呼んだのであり, また同時 にそれは, 「見えざる手」の思想Iこ見ることができる快適な結果をもたら す“機械” としての経済社会の把握であった。機械ば自動的に運動しなが ら社会全体の調和・繁栄という目的を実現するのであった。その機械の各 部分を結合している原理は, 同感と利己心である。両方とも社会のなかで の日常的な人間のなかに誰でも観察できる本能であった。この両本能に導 かれて経済社会は自律的に運行するのである。かくしてニュートンの力学 の世界は経済社会ヤこ諦いては,市場メカニズムを通じての均衡理論として 実現したのである。 5. 結びにかえて スミスの「天文学史」ば彼の学問の方法を検討する上で重要な資料となっ た。その論文は,われわれの自然の情操であるsurprise,wonder,admi-rationの諸感情の性質と諸原因の分析を通じて学問への動機と学問体系 がどのようにして形成されるかを示している。人間の観察と経験が重んじ られ,想像力の作用によって自然の諸現象間に結合原理を発見し, それに よって諸現象を首尾一貫した理論体系として把握することが学問の目的で あった。彼は学問体系を「想像上の機械」にたとえている。この根底には ニュートン天文学思想の影響がある。次にスミスは,学問体系が歴史的に いかに発展してわれわれの想像力を満足させてきたかという観点から,学 問体系の正当性の基準を少数の共通原理で説明できる単純性・一貫性に求 あ,かつその結合原理ばわれわれの日常生活に身近に存在する馴染象深い 原理でなければならないことを示唆した。 「天文学史」におけるニュート ン体系は, このようなすべての諸条件を満たして狩り, したがってスミス によって学問体系のモデルとして称賛された。 以上のような「天文学史」におけるスミスの学問論が「道徳哲学」にお いては,機賊論的アナロジーとしての社会の認識と社会把握の方法とにそ

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) の影響を見ることができる。 まずスミスは,人間社会を規則正しい調和あ る運動が無数の快適な結果を生糸だす機械にたとえているが, これは「見 えざる手」の思想に結実する体系的秩序の認識である。しかし, この体系 的秩序の発見はニュートンと同様にわれわれの日常生活における観察と経 験から十分に把握されるものであった。 目的因と作用因を区別せよという 主張がそうである。目的に対する手段の巧妙な調整は,われわれのadmi-ratio、やWonderの感情を刺激する。かくして,快適な結果をもたらす 社会的体系の結合原理を発見することが「道徳哲学」の課題となる。スミ スは従来無視されてきた人間本性についての客観的な観察と経験のなかに 社会的体系を形成する結合原理を求ぬた。利己心と同感である。ぎわぬて 日常的な生の人間の自然の感情のなかにそれらを求あたのである。彼は利 己心の作用する世界を『国富論』で考察し, 『道徳情操論』においては利 己的諸個人がどのようにして社会秩序を形成するかを問題にして, ニュ トンの重力に相当する同懸を中心に考察している。言わば自然の諸現象の 原因である力をまず見出して,今度は, その力をもとにして自然の諸現象 を説明するというニュートンの方法を社会の把握に用いたのである。すな わちスミスば, 同感を道徳諸現象の因果的関連を説明する唯一の能力とし て,①他人の行為の道徳的判断,②自分の行為の道徳的判断,③道徳上の 一般原則,③正義の説明に順次適用して,社会秩序が自然に日常的な庶民 のなかに形成される論理を把握したのである。同感の原理に基づく社会の 形成は個人と社会との調和・均衡の達成でもある。 この調和・均衡の概念 をスミスは重視した。われわれは利己的行勤が競争の原理によって自ら均 衡を達成する世界を「自然的自由の体系」のたかに見ることができる。 自 然価格の概念と有効需要によって導かれる均衡理論は機械論的アナロジー としての経済社会の認識でもあった。 以上のような考察からわれわれにとって, 「天文学史」に謂けるスミス の学問論は. そのまま「道徳哲学」においても適用されていることが明ら かになった。 (完)

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アダム・スミスの「天文学史」と「道徳哲学」について(Ⅱ) [穆考文献] ①H、J.Bittermann,"AdamSmith'sEmpiricismandtheLawofNaturel", Journal ofPoliticalEconomy,V01.48, 1940. ②H,F・Thomson, "AdamSmith'sPhilosophyofScience"QuarterlyJou-rnalcfEconomics,Vol.79, 1965. ③T.D. Campbell,AdamSmith'sScienceofMcrals,London, 1971. 。IScien-tificExplanationandEthical Justification intheMoralSentiments'', inEssaysonAdamSmithed. by,A.S. SkinnerandTWilson,OxfDrd,

1975. ④J.R.Lindgren,TheSocialPhilosophyofAdamSmith,Hague, 1973. ⑤A.D・Megill, ,:TheoryandExperienceinAdamSmith",Journalofthe Historyof theldeas,V01.36, 1975. ⑥D.A・Reisman,AdamSmith'sSociolcgicalEconomics,London, 1976. ⑦A,S, Skinner,ASystemofSocialScience,Oxfordl979・ 田中敏弘・楠 本比壷志・篠原久・井上琢智訳『アダム・スミスの社会科学体系』未来社 ⑧M,L.Myers, "AdamSmithascriticof ideas", Journal oftheHistory

of theldeas,VoL36, 1975

⑨W.P.D.Wightman, @1AdamSmithandtheHistoryofldeas'', inEssays onAdamSmith, ed.byA.S. SkinnerandT.Wilson,Oxford, 1975. ⑩出口勇蔵「アダ.ム・スミスの『哲学小論集』について」経済論篭108巻3 . 4号1972. ⑪岸畑豊「スミスの学問論」季刊社会思想3巻1号1973. ⑫天羽康夫「スミス『天文学史』についての一考察」高知大学学術研究報告25 巻社会科学7号, 1976. 「『道徳感燗論』の方法と原理」高知論叢8号1979. ⑬生越利昭「アダム・スミスにおける方法の問題」商大論集(神戸商大), 28 巻6号1977. ⑭只腰親和「『天文学史』におけるスミス科学観の特質」経済学研究(東大大 学院) 22号1979. 付記 本稿は,経済学史学会東北部会(6月18日・東北大学)に報告したものを加筆修 正したものである。

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