古代 カ ンボ ジアの王権 と
dr
o
血vr
ab
(
神 の区域
)
〔
Ⅰ
〕
石
沢
良
昭*
虫tudesd'Histoire Angkorienne(Ⅰ)
Lesrapportsconcretsentre Pura (domaine temporel)
etDroh Vratl(domaine du dieu) par
YoshiakilsHIZAWA
Cesontpourobjetla correlation historiquedu mondeavec le mondedivin, C'es
トa
Airel'6volution historiquedela coexistencede l'opposition parmilesrois, 1esvassauxetles religieux depuisle Pr6angkor jusqu'audebutangkoriend'apr色s l'6pigraphiecambodgienne(VIe-IXesi色cles).Lesroispr6angkoriensn'6taientquelesprotecteursdesvilles(Pura)queplus tard les souverains d'Angkor transformeronten unites administratives (Praman, Vi等aya),maisilsadmettaientledomainedivin(DrohVrall)commes6par6dudomaine temporel(Pura)etprescrivaientparleursordonnancesdefaireladistinctionentre lesbiensdu dieu etceux desPura. Ce sontlesreligieux (Pa叩nOS)quien ce domaineaccomplissaientleらsacrificesrituelsetqui,tantqueenchef,dirigeaientles affairesen disposantdesnombreusesdonationsfaitesaceteffetparleroietles particuliers. LesPa叩nOS,eXClusivementcler°s,n'avaientpasde titrenidemom propre,cequilesdiff6renciaitdesautresfonctionnairesreligieuxetdesbrahmanes. Lesorganisationsreligieusess'6tendaientaux villagesdudieu(SrukVralI)lesquels fournissaientles prestations au culte et jouissaientcertainement d'une autarcie 6conomiquesousl'autorit6desParpnos.
Ⅰ 問 題 点 と し て
6
世紀か ら7
世紀前半にかけて, メ コン河中流域 に興 った頁膿 (クメール)は,徐 々に南下して下流域 の扶 南を滅ぼ し, メ コン河か ら トンレ ・サ ップ湖にわた る広大 な肥地-進 出 して く る。1) 碑文史料 に よれば, 当時 の異腹 は地域単位 「pura」 を基盤 とした政治体制を持 っていた
*聖 マ リアンナ医科大学 (旧称東洋医科大学)
1)C(だd色S,G.1964.Les耳taisHindouise'sd,Zndochineeta,Zndone'sie.(nouvelleed.)Paris.pp.125 -133,137-144,16ト164,177-179.
東南 アジア研 究 10巻4号
浴,2) 王権 の消長に応 じて puraの動 向は従属的 または独立的 な傾 向を見せ ていた。つ ま り,
王権 の弱体 とそれに伴 う後者 の傾 向に よ り,8世紀 に国内は分裂 し,9世紀に な って再統一が な され た。 P.Dupont氏は,3' 次代 の Angkor期 と対比 して, この時代が, 「un amalgame
deterritoires(地域領地 の連合体)」 で あ った と述べ てい る。 この よ うな Pr6angkor期 は, 未成熟 ではあ るが,各分 野において特異 な史実 を醸 成 しなが ら,Angkor 期に 向け て数 々の原 初的 な骨組みを見せ てい る。 Pr6angkor期 の史料 は,4) 主 として古 クメ-ル語お よび発 語 の刻文であ る。 数 多 くの碑文 は, Va・ku以外 の諸 titreを保持 した特定 の個人が,それぞれ の神 (寺院 )に対 して行 な った篤 信行為 の事跡 であ り,信仰お よび寄 付に関す る伝達が 目的で作成 ・奉納 された文書 であ る。 棉 文 は,そ うした意味 で特殊 な事柄 の集積 で しか ないわ けであ るが,逆に宗教につ いての様 々な 記録に偏重 してい る碑文 の性 向を捉 えて,宗教 に携わ る人 たちが,一般 の人たち,特に王を頂 点 とす る世 俗 の人 たち と,政治 ・経 済 ・文化 の面で どの よ うな人的 ・物質的関係を持 っていた かを検討 してみた い。 宗教的 ・精 神的権威 の人た ちは, 当時 の社会 の宗教 ・文化 の担 い手 で あ り,生活規範 の制定 者 的立場 に あ ったが,王 をは じめ とす る諸 titre保持者たち (kaurpを除 く)か ら多大 の財貨 の施与を受け て宗教活動 を していた。王 お よび地域 の支配者 たちは, こ うした権 威者 を保護 ・ 援助 ・優 遇 していた。 これ に応 えて,宗教者 た ちは,寄 進行為 の正当性 を称 え,功徳 の裏付け を述べ ることに よって,世俗 の権 力者 の信仰的欲求を満 た していた。 こ うした r聖」と 「俗」の関係を分析 してい くと,当時 の政 治 的枠組 「pura」 の地 域に 「droh vrall (神 の区域)」 が併存 し, そ こは宗教者が活動す る神 ・aGrama の場 であ って,一般 の pura と異 な る特別 の区域 であ った ことが判 明す る。 本稿 において, こ うした聖域 と 王権 の構 造を考察 し,当時 の社会におけ る宗教権 威 の人 たちの特別 な地位 と身分・を捉 えて,神 ・aGrama の場 (寺院 ) の責任体制 を究 明す る。 神の場 (寺院 ) の存 立 の源 泉 とな る 財貨をめ ぐって, 2)金山好男,1965.「カンボデ ィア ・プレアンコール期の Puraに就いて」 『カソボデ ィア管見』東京, pp.3-26.
3)Dupont,P.1955.LaStatuairePrdangkorienne. Ascona(Suisse):P.Dupont氏は Angkor期の 政治形態を "unecentralisationprogressiveduroyaume''と述べている。pp.9-10,7ト112.(本書 を以下 "LaStatuaireHと略記する)
4)C(Ed色S,G.1937-1966.Inscriptions du Cambodge (Collection de textesetdedocumentssur l'tndochine,ⅠⅠⅠ),8vols.Hanoi-Paris.(本書を以下 "IC"と略記する) 「K. 」は G.C(Ed色S氏がカ
ンボジア碑文につけた記号であ り
,
「K.」のあとに記す数字は碑文番r73-である ;Barth,A.etBerga・ igne,A.1885-1889.InscriptionssanscritesdeCam♪deldu Cambodge.Paris.(本書を以1,-日ISCCH と略記する)I,最近で吏まC・Jacques氏が G・C(Edbs氏の亡きあと碑文研究を継承 している :Jacques, C.1971."Etudesd'FpigraphieCambodgienne,VI",Bulletin del'EcoleFranaised'Extrβme -Orient,Tom・LVIII,pp・163-176・(本誌を以 FHBEFEOHと略記する);また同誌には C.Jacques 氏により HZnscripiionsduCambodge"Tom.VIIIの迫補が載せ られているO そこには K.1006からK.1050までの新 しい碑文が登録 してある :Jacques,C.1971.HSupp16mentau TomeVIIIdes InscriptionsduCambodge",BEFEO,Tom.LVIII,pp.177-195.
r聖」 ・ l俗 」 a)トラブルは当時 の所 有の厳格 な考 え方の 一 端 を露呈す ると同時に,一般 の財 貨 と区別 され る神 の財貨お よび寺院 の経済特権がその背景に あ った ことを浮彫 りに してい る。 さ らに今 まで詳解 され ていない財貨 の寄進 もしくは存置形態を示す 「sarrlparibhoga」お よび 「pre siddhi」 を検討 ・分析 し, 寺院 の財貨 の在 り方 とそ の権 利関係を併せ て考察 し, 史料 の 矛盾を指摘す る。 本稿は,未 だ中央集権 までに至 らない地方の政治権 力者 ・世俗 の有力者 たち と, これを取 り ま く宗教権威 の人たち との間の相互依存お よび対 立関係を探 り,世俗 (非宗教) と宗教に関連 す る諸問題を と りあげ,未分化であ った 「教権
」
と 「俗権J
の動態を論 じ 古代 カンボジア史 解 明の鍵 の一つ としたい。I
Pura・Sru k・Acramaの区域Pr6angkor期は,「pura」(文語碑文 では nagara)が地域単位 として重要であ った。rpura」 とは もとは焚語 で 「城 ・都市 ・町
」
を意味す るが, 金山氏の分析に よれば,5)Pr占angkor期 の 碑文に書かれ てい る puraは, この意味 と異 な り, あ る一定 の額域を もった城市 とそ の周辺を 指す地方 の政治単位を意味 していた。puraは用語 としてそれ だけで も使われ てい るが,6) ここで扱 う多 くの puraは, 「地名 + pura」の形 の puraであ って,Angkor期 の地 名そ の もの として使われ てい る 「--pura」 と は意味が異な る。7)確かに こうした Pr6angkor期 の pura/nagaraは, fGanaVarmanを 「播 ぎな き tri(3)nagara(城市)の力強 き bhoktr(保護者
)
」
として挙げてい るごと く,8) ≡ の保護下にあ った重要 な政治拠 点 とい うことにな る。碑文には puraよ り小 さな単位 として,sruk(死語碑文では grえma)が あ り,9) 「村」 を意 味す る。 Angkor期では, visaya/praman(那) の下に この sruk/gr豆ma が存在す るが,10) Preangkor期では puraと sruk/gr豆maの上下関係を示す碑文が少ない。 だが, 西 Barayの
5)金山好男,『前掲書』pp.3-5;Mahendrevarmanの碑文には,「vijityanikhlandeE孟n(すべての国 〔-地方〕を征服 したのち)」とあるが,この de;a(
因
-地方)はここで扱 う Puraと同じ意味に考 えてよいだろう(K.377ⅠⅠ節 JCvol.Vpp.3,4)06)K.5319節 ZSCC(XZ)pp.68,71I,K.151V節 BEFEO,Tom.XLIII,pp,6,7/, K.81A8-9節 ZSCC(I),pp.13,17.
7)K.806ⅩⅤⅠⅠⅠ節 JCγol.Ip.108:Angkor期では 「YagOdharapura」を地名そのものとして使用 し ている。
8)汰.80ⅠⅠ節 JCγol.VIp.3;Bhattacharya,K.1964."LeVocabulairedesInscriptionsSanscrites du CambodgeH,BEFEO,Tom.LII,pp.53,54."bhojaka(218)"の項 目参照 (以 ド本稿を HLe Vocabulaire"と略記する)
9)K.904B13,17行 JCvol.IV,p.60:碑文の =jmabgisruktatTlぬ (Tarrl帖 の Sruk〔複数〕の名 前)の中に 「Devagr豆ma」の名前があげ られてお り,sruk-gr云maの証となる。
10)C(モd色S,G.etDupont,P.1943.…LesstblesdeSd8kK左k Tho印,PhnorpSandaketPrahViharH BEFEO,Tom.XLIIIp.104n.9(以 F本書を "Les stらles deSd占kK駄 ThorTl" と略記す
東南 アジア研 究 10巻4号
碑文には,
「
So
mya
pur
a
にあ るすべての神のs
r
uk」
とい う記載 もあ り,ll)また別の碑文にある
「
s
r
ukBha
va
pr
a(
Bhava
pur
a
のs
r
uk)
」
の記事か ら考 えて,12)pur
a
に属す るい くつかのs
r
uk
が在 った ことにな り,従属関係を示 してい ると思われ る。 それ らのs
r
uk
には持主があ った。 同 じく西
Bar
ay
の碑文中にあ る「
Mr
a
t
a負Dhanas
vani
のs
r
uk」
とい う例,
1
3
)Sa
mb6
r
Pr
e
iKdk
の碑文で「
Mr
at
a
氏 〔某〕 のs
r
uk」
があ り,14) 「神のs
r
uk」
な どか ら,
1
5
)s
r
uk
は 持つ ことがで きた し,同時にそれを神に寄進す ることがで きた。 このMr
a
t
a
負 のt
i
t
r
e
の保持者は,世俗 の諸権限を持 ち
,pur
a
な どの要職に就いてい る人であ るところか ら,間接的にpur
a
に従属す る
s
r
uk
とい うことにな るだろ う.さらに,
Adhya
pur
a
にVa
r
ada
gr
ama
が属 したか ど うか不明確であ るが,
1
6
'そのAdhya
pur
a
の統治を王か ら任 された人の別名を「
Var
ada
gr
a
ma
の主」 と書 いてあ り,pur
a
の長であ った と同時にgr
えma
の主で もあ った。以上 の ごとく,s
r
uk
はpur
a
に属 していた と考えて よいだろ うし,Angkor
期 と同様にPr
占angkor
期において も
pur
a-
s
r
uk
の上下関係があった もの と思われ る。pur
a
とs
r
uk
の場について考えてみ る。 Pr
6a
ngkor
期 のpur
a
は, 政治的に まとまった地域単位を指 し,碑文 の内容か らほ 自給 自足的な経済 の場が想定で きる。
Adhya
pur
a
の長Si
r
pha
dat
t
a
は,17)「〔
Sa
r
pha
dat
t
a
は〕そのpr
a
bhu
(主)であ ったのに,Kut
umbi
n
(家長たち) か らそのar
a
ma
(園地)のuc
i
t
a
(正当な)云k〔
a
〕
r
a
(賦租)のdana
(上納)を取 ることな く,それ に よ り 〔彼 らを〕par
°a
(満足な)状態においた。」と述べてい る
。 pur
a
にはar
えma
(園地 ・庭園)があ って,ar
ama
におけ る収穫物が課税の 対象 とな ってお り,Kut
umbi
n
(家長たち)がそのaka
r
a
(税) を免除 して もらった という 。別の碑文では,18) 文語文中の
「
k!
e
t
r
a
(土地)・ar
ama
(園地)
」
の ことを クメ-ル語文の中で
「
t
pal
」
と述べ, 砂糖 きびや郁子 ・碩榔樹な どの栽培地 ・樹林を指 してい ると思われ る。pr
as
atKbr
pp
o竹 の碑文には,19)「
Abha
ya
pur
a
の稲 田の産物 〔-所有物〕:ar
r
l
r
a
t
J(
k負ur
r
l長)9va,1
5ku,2
ame
,1
4kon
ku,s
l
a
(横榔)6
0
本,t
ont
e
r
m (郁子)1
4
0
本」とあ り
,pur
a
にはk丘uI
P の耕す稲 田があ り,楕榔 ・郁子 の樹林があ った とすれば,当然pur
a
ll)K.904B15-16行 ZC
v
o
l・IV p.60;K.582318行 ZCv
o
1.II,pp.200-201:「
豆
V
云
s
a
(任地)」はs
r
e
(田) と対置 されて書かれてい るか ら「
s
r
uk
(料)」の一部を構成 してい ると思われ る。 12)K.9397行 JCv
o
l.Ⅴ,p.56. 13)K.904A(ll-14)行 ∫cγ
o
l.ⅠⅤ,p.61. 14)K.43812行 JCv
o
l.ⅠV,p.27. 15)K.44ち ll-12行 JCγ
o
l.ⅠⅠ,p.12. 16)K.54,55ⅠⅠ(ⅩⅠⅤ節)JCv
o
l.ⅠⅠIpp.160,163. 17)K.5320節 ZSCC(ⅩⅠ),pp.67,71. 18)K.9 25,27-28.28-29行 JCγ
o
l.Ⅴ,pp・36-38;汰.571 JCv
o
l.Ⅰ,p.146礼 6参照。 19)K.3578-12行 ∫Cγ
o
l.VIpp.41,42.の城 市 内部に展 開 され る ものでは な く
,pur
a
の近 隣 に こ うした農村風景が あ った と考 え るほ う が 無理 が ない。 また,pur
a
の近隣 に は未 開地 もあ った.T緑 Kr
a
hの碑 文 の中に,20'
「野蛮人た ちの住 む場所 で, 恐 ろ しい森 に満 ちた
Dhr
uva
pur
a
」
とあ り,pur
a
の周辺 には こ うした 自 然 の ままの森林 が あ った こ とに な る。 また 同碑文 は,Dha
r
ma
pur
a
の内部 の様子 につ い て述 べ,「
Cr
i
ma
dAmr
畠t
ake
e
a
と呼ばれ る (秤 ),vi
pr
a
(バ ラモ ン)た ちのG
畠l
a
(囲い地 ),Sa
r
a
s
va
ti, 救 済院,池 ,澗」
な どが あ った。21)pur
a
には,pur
a
の長な どの支配者,Kut
umbi
n
を 中心とす る住 民, バ ラモ ン ・宗 教者 , 田地 を耕 す
臨 ur
p
な どが住み,ar
豆ma
(園地 )・s
r
e
(棉 田)・郁子 や横 榔樹 がそ の付 近 に あ り, 未 開 の森 もす ぐ側 に あ った ので あ る。 そ のpur
a
に は, い くつか のs
r
uk
が 付 属 して いた。s
r
uk
はpur
a
よ りも小 さな単位 で あ るが, そ の付近 はpur
a
と同様 の景 色が展 開 してい る。 Gi
t
i
kapt
he
G
Va
r
a
神 に捧 げ られ たs
r
uk
には,k氏ur
T
l
t
ar
pves
r
e
(稲 田を耕 すk汽um)
,c
mar
r
ldar
r
l
r
i
h(栽培場 の番 人),gval
(家畜 の番人),t
mur
(午),
kr
a
pi
(水牛),1
4
カ所 のs
r
e
(稲 田) な どが あ った.
2
2
) さ らには っ き りs
r
uk/
gr
畠ma
の ことを,「
bhr
t
ya
(奴隷 )・牛 ・水牛・畠r
急ma
(園地 )・k!
e
t
r
a
(田地 )に満 ちたG豆ka
t
i
r
t
ha
と い う名 のgr
ama
(村)
J
と述べ てい る碑文が あ る。23)また別 の碑文 には,24)「
Po魚Vi
na
yaki
r
t
i
か ら得 た 田」 お よび
k点ur
p を神 に施与 してい るが, そ のPo缶
は い ろい ろな と ころに 田を持 っていたが, そ の中に「
a
i s
r
uk s
anr
e
(村 に あ る〔田〕-・-s
a
nr
e
)
」
が あ った と書 い てい る。s
r
uk
に は 田地 だけで な く,「
a
is
r
uk
(村 には)機 榔 樹4
0
0
本 と郁子2
0
本」 が あ った と述 べ てい る。25)さ らにs
r
uk
には「
G
al
at
na
l
I
」
な る農牧地 らしき もの もあ った。
2
6
)
「
Kv豆ndha 〔
s
r
uk
の リス トあ り〕 ・.-・・(な どの)村 々(
s
r
uk)
に は錘l
at
na
1.1が あ り, ま たKa
mr
at
a氏Bha
gavatPal
a
の ;畠l
at
na
tl, それ にI
gana
pur
a
に も与えI
at
na
tlが あ るO(そ こに あ る)牛 ・水 牛 ・田 ・栽培 場 を
Mr
at
a氏Dur
ga
s
vami
が ・--」
とあ り,gal
a
は 「囲い地」
の意味 であ るが,t
na
7
.
1の意味 は不 明で あ る。27' t
na
Tl は, 他 の碑 文 に「
vn畠kt
na
tl(
Tna
ll の グル - プ)
」 とか,「
vr
a
11t
na
l
.
1(
t
na
1
.
1
の神)
」 と載 ってお り,28) 一定 の広 さを もった区域 や そ こに住む人 に 関係が あ りそ うであ る. だか ら,「
ぢaI
at
na7
1
」 が 家 畜 ・田地 ・栽培 場 な どの土 地 を示す よ うで あ り, これ がs
r
uk
やpur
a
に付 置 す る収穫 の場 とい 20)K.725ⅩⅠⅤ 節 JCγ
o
l.Ipp.7-12. 21)K.725VIIトⅠⅩ節 JCγ
o
l.I,pp.9,ll. 22)K.155ⅠⅠ(ト19)行 ZCv
o
l.V,pp.66-68;「
d
a
r
pr
i
血
」は 「耕地 ・栽培地」の意味であるが,それはd
r
i
h(現代 カンボジア語t
r
o
'
h)=「蔓の野菜のための竹製蔓棚」
か ら派生 した ものと思われ る(
Z
C
v
o
l.ⅠⅠⅠ,p.161, ∩.4.)。 23)K.604ⅩⅠ節 BEFEO Tom.XXVIII,p・44. 24)K.9101ト12行 JCγ
o
l.V p.40. 25)K.6 5-6行 BEFEOTom.XXXVI,p.6・ 26)K.4381ト16行 ∫Cγ
o
l.ⅠV,p.27. 27)JCγ
o
l.Ⅴ,p.15,∩.5;JCγ
o
l.ⅠⅤ,p.27,∩.1. 28)K.5114行 JCγ
o
l.V,p.15; K.562 1行 JCv
o
l.ⅠIpp・196,197・東南 アジア研 究 10巻4号
うことに な るだろ う。 以上 の ごと く
,pur
a
お よびs
r
uk
に は,s
r
e
(稲 田)・k!
et
r
a
(田地) の 耕地dar
pr
i
h (栽培場)・ar
えma
(園地)・;えI
a
(囲ト地) の農牧地があ り,家畜や樹林 もあ り,臨 u叩
たちが従事 していた。 厳密に言 うな らば,pur
a
に は地方 の一定 の支配地域 を指す政 治 単位 として広 い意味で のpur
a
と, 人 口の密集 した城市そ の ものを指す生活 の場 ・屠所 として のpur
a
とが あ った ことに な るか も しれ ない。 つ ま り,幾つか のs
r
uk
を含 めて広大 な耕地 ・農 牧地・k自ur
p・各種 の財貨,それ にか な りの人 口があ り,政治 ・経 済 ・社会 の点で ま とまった 地域単位 を意味す るのは,前者 のpur
a
であ る。 当然 の ことであ るが, そ こに は神 々を柁 る大 小 の寺院 ・両堂 ・僧房 な どが あ ったが,碑文 では これ ら宗教 関係 の区域 を「
dr
ohγr
a
b(神 の区 域)」 (死語 では「
de
va
(神) のbhdman
(区域)」) と言 って,29)pur
a
のそれ と区別 してい る。この
Pur
a
は後者 のpur
a
を指 してい る。 LohvE
k
の碑文 では,
3
0
) わ ざわ ざJ
ayavar
manI
の命令を もって
dr
o
h (区域) の ことに触れ てい る。「神 々は
Kamr
at
ahTe
r
nKr
o印
のdr
ohvr
a
h (神 の区域)をs
ar
ppar
i
bhoga
(共 同で使 用す る)が,Samudr
a
pur
a
のdr
ol
l(区域 ) とvo叩 S
ar
Tl(共 に使 うことはない)。
」
と述べ て
,γr
a
b (秤) の区域 とpur
a
のそれ とがは っき りと区別 され ていた ことを示 してい る。 同 じくJ
ayavar
man
Iの命令 を記載 したPr
ahKdhaLaol
lの碑文 では,31)神 の財貨(
bhdt
i
)
は
「
Gr
e
!
t
hagr
ama
にs
mar
P (併 せ),Dhanvi
pur
a
とvor
T
IS
ar
P (共 に使 わ ない)」 と書かれ ていて,dr
ohvr
a
b (神 の区域) と同様 に神 の財貨 も一般 のpur
a
のそれ と区別 され ていたの で あ った。Mr
at
急白 Mahe
gVar
aS
Vえmi
は,32)Bh1
-
me;Var
a
神にk氏ur
P (奴隷 )・dar
pi
l
l (栽培地)・c
par
(園地)・家畜 な どを施与 して, さ らに,「
bhdmivr
a
b (神 の土地):東 お よび東北 にはNaga
の給水 口,南にはgr
ama
pal
a
(村 の 守護者),西 お よび西 南にはc
r
i
-州
,西北 お よび北にはRevat
i(?)・・112-Gahg豆pur
a
の」 と記 して,神 の土地 の境 界を明示 し,秤- の帰 属を告示 してい る。 ただ神 の区域 の中にgr
ama-pal
a
(村 の守護者)が い るところか ら,
3
3
'神 の土地 の中に も神 のgr
ama
/s
r
uk
があ った と考 え 29)「
d
r
oh
J
はPr
6
a
ng
k
o
r
期にだけ見 られる語句であるが,G.C(
fd
ets氏は,タイ語(
k
r
a
s
uo
n
g
-綴字kr
a
hd
r
a
v
a
t
l
)
から類推 して, ある特定の区域 もしくは管轄される広 さを意味すると述べている(
Z
C
v
o
l・II,p
・117n
・9)。しかL
,同 じd
r
o
hでも, 単なる繋詞 または 「-と共に」の意味に用いられて いる場合がある (J
Cv
o
l・ⅠⅠIp
・161,∩.
3;JCγ
o
l.Ⅴ,p.
15,∩.
1;JCv
o
l.Ⅴ,
p
.
36,15行)07世 紀のVi
tp・
h
u
の碑文にはJ
a
ya
v
a
r
ma
n
Iのえ
j
舶
(命令)をもって「
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e
v
a
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yab
h
G
ma
p
d
a
l
e
s
v
(神の 領域の区域)」のことが述べ られている (K.3675節 BEFEO,Tom.IIpp
.
238,240)0 30)K.1373-4行 JCv
o
l.ⅠⅠ,p
p.
116-117. 31)K.44 B(2-4)行 ICv
o
l.II,p
p.
ll-12. 32)K.562 24-25行 JCγ
o
l.ⅠIp
,197. 33)「
gr
豆
ma
p豆
l
a
」の1
日例は,Pr
6
a
ngk
o
r
期の碑文の中でこの碑文 (K.562)のみに載 っている.An
gk
o
r
期では, 2個の碑文の中に見えるが,それはs
i
のt
i
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r
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を持つ奴隷のgr
云
ma
p
A
l
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(K.99S
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13行,No
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3行ZCv
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l.VIp
p
.
109,110)および他の役職者と並記されているg
r
え
ma
p
a
l
a
(K.7118,20行 ICγo
l.ⅠⅠ,pp
.
55-57)である。 566られ る。
D56の碑文では,34'Pa汽car豆 に在 る 「〔数 カ所 の〕aErama と同 じ drohvrahh (神 の区域
)
」
と述べ られ てお り, い くつか の aEramaと同 じく一定 の広 さを もった聖域 の ことを「神 の区域」 とい ってい る。 こ うした神 の領域や神 の土地には,「srevrab (柿 の田)
」
お よび 「srea妄rama(云Sramaの田
)
」
があ り,35)PrasatN孟kBuosの碑文には,「
V.
K.A.Cr
iCivapadaのための土地 (bhdmi)を囲 う王 の命令 (aj負えvrab)」36)があ って,境界 を挙げてい る。神 の土地 や神の区域 を確保 し,他 の土地 と明確に区別す るため, しば しば え錘avrah (王の命令)を もって告示 してい る。
Gr
iJayadeviは BhavegVara神に 銀壷 と同 じ値 の土地 を捧げたが,37)「その他に 〔Jayadeviは〕功徳 の多 きことを願 って川の北側 にあ る耕 して arama (園地) に した土地 (bh白mi)を神 に贈 った.」
とい う。 王は命令を布告 して.一般 のpura・sruk とは別に,一定 の広 さを もった 「神 の区域
」
を公認 していた。そ こは境 界が明示 され た 「神の土地
」
であ り,神・豆grama には っき り帰属 す る田地や ar五ma (園地)であ った。 碑文では こ うした神の区域 ・土地 の ことを 「karrllull kt対ya(〔神の〕境 内)
」
とも述べ て,38)世俗 の区域 とは異な る域 内であ ることを示 してい る。Samb6r-PreiKdk の遺跡は,Ⅰ錘navarmanI治下 の ISanapura であ った ことがそ こか ら
出た碑文に よ り確認で きたが,当時のIgえnapuraは住民の居住す る都城 と宗教区域 (石造寺院
群)か ら成 り立 っていた と思われ る。39) P.Dupont氏に よれば,扶南 の都 Ahgkor-B6rさi遺
跡 は,都城地であ って,そ の北数 キ ロの PhnorrlDaに寺院遺跡があ り,そ こが聖域であ った
という 。40) 王 の命令を もって pura と,神 ・豆grama の飽域 ・土地 ・財貨を区別 したのは,
Adhyapuraの長が 畠kara(賦租)を取 っていた例 の よ うに,41)puraの長の権限下にあ る pura
とは っき り引 き離 され て考 え られ ていた ことを意味 したのだろ う。神の区域 の規模は大小があ
り, そ こが経済 ・社会的にほか と区別 された特殊 な場所 を形成 していた と考 え られ る。
puraは地域 の政治単位 と しての意味に使われ てい るが,実際にそ こには puraの長が統轄す
る生 活 の場 と しての puraと,そ の pura と一体的にな りなが らも宗教 の場 としての聖域があ
った。 この時代においては, こうした生活区域 と神 の場が数多 く見 られた 。
次に問題 とな るのは,sruk と宗教区域 の関係であ る。 Prasえtl'r毎 Lr)vL^lh の碑文 では,42) 34)K.7282行 JCvol.Ⅴ,pp.83-84.
35)K.416行,10行 JCγol.ⅤⅠ,p.33.
36)汰.341Pi6droitNord1-2行 ZCvol.VI,pp.23-26. 37)K.904A VII節 JCγol.ⅠV,p.54. 38)K.7283行 ZCvol.V,pp.83-84;K.6 2行 BEFEOTom.XXXVIp.6. 39)Samb6r-PreiKuvkの碑文解説 ZCvol.ⅠⅤ,p.4. 40)Dupont,P."Lastatuaire",pp.22-25. 41)K.5320節 ZSCC(XI)pp.67,71. 42)K.6 5-6行 BEFEOTom.XXXVIp,6. 567
東南 アジア研究 10巻4早
Mr
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え凸 Cuc
i
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の 寄進 の中に,「
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0
本 のs
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(横榔樹 ) と2
0
本 のt
o
h (郁子),vr
a
h (神) の 〔土地 には〕 2
0
本 のt
OIl(郁子)
」
が あ った と述 べ てい る。 この碑文 内容 は,s
r
uk
とvr
a
b (柿) の土地 があ らか じめ区別 され て いて,それ ぞれに樹林 が与 え られ てい る。 前述 のpur
a
とs
r
uk
の関係か ら, このs
r
uk
はpur
a
に付 属す るものであ り, 当然kaur
rl・田地 ・家畜 ・各種 の樹林 が あ って, 生 産活動が行 なわれ ていた と思われ る。 しか し,前述 の西Bar
ay
の碑文 の「
s
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ukvr
a
bt
aa
is
omya
pur
a
(
Somya
pur
a
に あ るすべ ての神 の村)
」 の内容 は,43) pur
a
に付置 してい る一般 のs
r
uk
とは 異 な る「
s
r
ukγr
a
b (神 の村)
」 な る ものが あ った ことを示 してい る。 一 般 のs
r
uk
が持主か ら 神に献供 され て,寺院 (秤) のs
r
uk
とな ったのだろ う。 つ ま り,Gaka
t
i
r
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ha
とい う名称 のgr
豆ma
に は,bhr
t
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(奉仕者-k氏ur
P)
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O (午),ma
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(水牛),a
r
ama
(園地),k!
e
t
r
a
(田) な どがあ って,そ の
gr
ama
/s
r
uk
を創建者 が 神に寄 進 した とい う例が これで あ る。44)秤の
s
r
uk
が特に設け られ た理 由は,Phnor
r
lBa
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の碑文 の中でUt
pa
nne
gVa
r
a
神 とそ の寺 院 の外壁につ いて述べ た のち,45) 「この奥 の院 〔寺院〕 の維持 のために,Sat
r
a
gr
ama
がつ くられ, そ の境 界 とそ の・・・・-が与 え られ た。」 と記 し,s
r
uk/
gr
ama
は寺院 の宗教活動に必要 な物貨を供 す るために創設 され たのであ る。 具 体的に言 うな らば,祭紀に必要 な供 物 ・用具 お よび聖職者 ・祭式補助者 の食糧 ・生 活必需 品を 生産 ・提供す るために設け られた。 そ うしたs
r
uk
の機能につ いてPr
abK凸hえLaon
碑文 は,46)「神 のpt
i
j
a
(祭柁)を執 り行 な うためにs
r
ukvr
a
b (神 のs
r
uk)
- のpar
i
bhava
(供袷 )47) を司 る
a
nak
(人 た ち)
」
の ことを述 べ,神 のs
r
uk
は寺院 の祭式 を支障 な く行 な うために必要 な供 物 ・生活用 品 ・食糧 な ど各種 の物貨 を供 した ことに な る。
pur
a
には,世俗 の生活の場 であ った
pur
a
の領域 と,pur
a
と隣接 して神(
豆E
r
ama)
の区域 が存在 したが,それ ぞれ 両 区域 の下位単 位 と して一般 のs
r
uk
と神 のs
r
uk
が あ った ことに な る。889年,登位 の
Ya冒
OVa
r
man
Iは100あ ま りのaE
r
a
ma
を建設 し,命令(
9as
ana)
を添記 し てい るが,そ こは宗教 の場 で あ る と同時 に教育 の場 の役割 を果 た していた。48I 世俗 の区域 とは っき り弁別 され ていた神 の区域(
dr
ohvr
a
b)は, 王 の認許 を えて形成 され た宗教 の場 の ことであ ろ う。 そ こには神に帰 属す る土地 ・財貨が あ り, 日常 の宗教活動 の拠 点 であ った。 そ こはそ うした活動 を支 え るため 自給 自足 的な生産 ・収穫 の場 を形成 していた。 43)K.904B(15-16)行 ∫cv
o
l.ⅠV,p.60. 44)K.604ⅩⅠ節 BEFEO Tom.XXVIII,p
p
.
44-46. 45)汰.483XXVⅠ節 JCγ
o
l.I,pp.253,255. 46)K.44ち(10-12)JCγ
o
l.ⅠⅠ,pp.ll,13. 47)「
p
a
r
ib
h
a
v
a
」
は焚語「
p
a
r
i
b
h
G
」
の古い意味の 「供給を執 り行な う」
人々を指すのかもしれない (ZCv
o
l・IIp
・13,n・13)0 48)Cc
e
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占S,G.H
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.
208;K.279D6節 ZSCC(LVI)p
p
.
424,430. 568k負urp (4V
豆
・4ku)を配置す る碑文 では,数 カ所 の 畠Srama と vrab (秤)の寺院 の規模に 応 じて klab (何人かずつ)寄 進 してい るが, こ うした え妄ramaお よび vrab に関係す る宗教 の地域を まとめて,puraの世俗 の区域に対 して,秤 (急9rama)の区域 と呼ばれ てい る。49']Ⅰ 王 権 の 構 造
碑文には王 (権 ) について数多 くの記載があ る。 王は当時,「nagara(-pura) の力強 き
bhoktr(保護者
)
」
であ り,50) 同時に 「jagadrak!apadak!ipab (世界を守護す ることに長けてい る人
)
」 で,自
らを 「Sahasr畠k!a(Indra)」
と考 えていた。51)王を讃 え る頒文に よれば, 「大洋に囲 まれた大地 は王 GriJayavarmanに よ り統治 され」,52'王 は 「patirasinmahibhritam (大地 の保護者たちの主
)
」
であ り,53) 「勝利は この神 の化身にな った王 Jayavarmanに帰す」 と述べ てい る。54) 王 こそは 「vijitaratimaIJdalab (その敵たちの集 団に打 ち勝 った老)
」
であ ったが,55)そ の敵 (ari) とい うのは,Prorp PrabVihえrの碑文 の中に BhavavarmanI(も しくは ⅠⅠ)が,
5
6
)「vijityayakksitipatin (大地 の主た ちを打 ち破 ったのちに
)
」
並ぶ者 のないほ どの権限を与 え られた と
い
う 。 各地 の k!itipatin (大地 の主たち) が王 の敵であ った。 Bhavavarman 王は この敵 を征討 し,王権を よ り強 力な ものに したのであろ う。 Kdさi
A
h の碑文 では,57' 「tyasetanyabhdbhujah (大地 のほか の王たちを凌駕 した)
」
人が JayavarmanIであ った と書 いてい る。 そ して, 「(そ の王 の)Gasana (命令)は止む ことなく屈服 した nrpati(王たち)に よって遂行 され ていた」 と述べ てい るが, 碑文 の損壊 で命令
の詳細な内容は不 明であ る。58) これ とほぼ同 じ文面を載せ てい る Basetの碑文 では,59)Jaya・
varmanⅠの姿相を浮彫 りに して,
「そ の ari(敵 )を cas(懲罰す る)人で,mahi(大地)を mahibhrt(託 され た人) 〔王〕
は,先祖伝来 の土地を統治 し,他 の大地 の ji(征服)に よって大 き くな った。」 と記 してい る。 つ ま り,王は ari(敵)であ る各地 の大地 の主た ちお よび大地 の王たちを討 ち, 49)K.726(18-12)行 ∫cγol.Ⅴ,pp.78,80および同碑文 p.80∩.1;K.44B(2-4)行 ∫cγol.ⅠⅠ,pp. 11-13. 50)汰.80ⅠⅠ節 JCγol.ⅤⅠ,pp.4,5. 51)K.49II節 ZCvol.VI,pp.7-8;K.493II節 ZCvol.ⅠⅠ,pp.149,150:王が 「Pえka声sana(Indra)」の ようであると述べている。 52)K.134Ⅰ節 JCγol.ⅠⅠ,pp.92-93. 53)K.81A 2節 ZSCC(ⅩⅠ)pp.12,16. 54)K.725ⅠⅠⅠ節 ZCvol.Ⅰ,pp.8,10. 55)K.493ⅠⅠ節 JCγol.ⅠⅠ,pp.149,150. 56)K.733ⅠⅠ節 JCγol.Ⅰ,p.4. 57)K.54,55ⅩⅠ節 JCγol.ⅠⅠⅠ,pp.160,163. 58)K.134Ⅰ節 ZCvo1.II,pp.92,93. 59)K.447V節,ⅤⅠⅠ節 JCγol.ⅠⅠ,pp.194,195.
東南 アジア研究 10巻4号
それに屈服 した王たちほ
,J
a
yava
r
ma
n
IのG
畠s
a
na
(命令)を忠実に実行 していた ことにな るO 王は,大地をma
hi
bhr
t
(託 され た人)で, こ うしたj
i
(征服)に よって各地 の抗敵勢力を平定 し,徐 々に王 の権威を確立 してい ったのであ る。 また,王は この よ うな屈服 した王たちの王
で もあ り,諸王 の中の王
(
r
aj
e
ndr
a)
にほか な らなか った。
6
0
)王は,各地 の政治勢力(
pur
a)
を従 えていたが,「
Tamr
a
pur
iの卑 しい王」 を打 ち滅ぼ した ことがあ るごと く,61)時には服従 しないpur
a
を征討す ることもあ った よ うであ り,王権 は こ うした地域拠 点pur
a
の保護者 ・後見人的機能を持 っていた。それ は
pur
a
の支配者が,世襲お よび任命の場合 どち らも王 の同意 と承認 を必要 とした ことか らも明 らかであ る。62)
当時 の王 の居城お よび勢力範 囲な ど王 の権 力の さまざまな内実は, きわめて不 明確 な点が多 い。 前述 の ごと く 王
G
えnava
r
man
I は3
カ所 のna
ga
r
a-pur
a
のbho
kt
r
(保護者)であ っ た。63)しか し,「
Tえmr
a
pur
iの卑 しい王」 を討 った時 の武勲に よって新 しくTamr
a
pur
a
の長 とな った者 は,Ig
えna
va
r
ma
n
I の下ですでに三つ のpur
a
の長であ った とい う。64' これ はpur
a
自体 の大小に もよるが,王 は こうしたpur
a
の数 カ所 を支配す る強力なpur
a
の長 とい うことにな るか もしれ ない。 王 の実力は判 明 しづ らいが,王に関す る記録が
Pr
6
angko
r
期では 多 く死語 に よって書かれ, さ らに諸神 と併記 してあ ることか らも王権 が よ り神秘的な色彩を帯 びていた ことはい うまで もない。 また逆に,Angko
r
期 の よ うな大がか りな治水事業や都市 ・ 大伽藍 の造営が国家的規模で行なわれ ていなか った点を考 え ると,伯仲 した政治勢力が各地 に 分散 していた と思われ る。65)王権がpur
a
の保護者 ・後見人的な役割 を持 っていたのは,王 の こ うした政治的実力にその一因があ るよ うに思 え る。 王に関す る碑文か ら見 た当時 の政治は,pur
a
を核 とした地域 自営的な体制であ り, 王権 の強 くない威光に よるゆ るやか な横 のつなが りを持 った連合的な形 態であ った。 両Angkor
期を通 じて, 王お よび王族 の人たちの名前 は,語尾に「
va
r
ma
n」
の語句を付け てお り,一部 の碑文 では王の名前 を法名で記 してい る066) しか し,Pr
6
a
ngkor
期 では死語文 の 王 のt
i
t
r
e
は,たいていの場合「
r
えj
a G
r
i
j
a
yava
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mme
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i
(王Gr
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」 とか,また 「G
ric
anava
r
mmanr
pat
i(
Gr
i
‡q
anava
r
man
王)
」
と書いてあ り,
6
7
)その前後に仰 々しく讃 辞が記 され てい る。 さ らに,王 の名前に「
deva
」
の語句を付け加えて,68)聖 な る名前 と してい 60)K.603節 ZSCC (VI)pp.40-42. 61)K.60B節 ZSCC (VI)pp.41,43-44. 62)金山好男,『前掲書』p.16. 63)汰.80ⅠⅠ節 JC γol.VIp.3. 64)K.604節 ZSCC (VI)pp.41,42. 65)Dupont,P."Lastatuaire",pp.9.10.Dupont,P.1946."Etudessurl'Indochineancienne,II.Lesdebutsdelaroyauteangkorienne,=
BEFEO.Tom.XLVI,pp.172-173. 66)ibid.,p.168.
67)K.493ⅠⅠ節 JC γol.ⅠⅠ,pp.149,150.
たが,Angkor期にはそれが高位高官や バ ラモ ンに まで拡大 して適用 され た。69)
クメール語文 では,王には 「Vrab Kamratえh A汽」 の titreを前 置 してい る。 この titreは 神 々お よび高官 の人 たちのそれ と同 じで あ った。70)だが, こうした王 ・高官 と神 々の titre共
用は
1
0
世紀末 まで続 くが,921
年 の Kbh Ker の神 TribhuvaneGVaraの titreが 「Kamrated Jagat Ta R云jya」 といわれ る よ うに な ってか ら, 王 ・高官 と神 々の titreが分化 しは じめ た。71)さ らに Jayadeviの titreは, rdhdlijeh vrab kamrat細 a氏」とな ってい るが,72' これ
は
9
世紀後半 に は Indravarmanお よび Yacovarman の画王が 同 じ titreを使用 してい る.73)Angkor期 には, この titre と類似 した rdhdliγrab p豆dadhtilijeh γrab kamrateh a缶」 が王 の titre とな ってい る。74) この よ うに,王 の titre を見 てい くと, Pr6angkor 期か ら Angkor期初期 にかけ ての共 用 ・継 承 ・類似が 明 らかであ る。 碑文 用語 の点では,死 語は主 と して神 ・王 ・創建者 の祈願 ・讃辞 ・重要事項 の記載 ・呪姐 な ど宗 教 に 関 した高 尚な内容を伝 えてい る。古 クメール語は一部が死語 と重複す る ところ もあ るが,王 の命令 ・寄 進 ・財貨 ・境界 な どの具体 的 な数字や 内容を記 してい る。 しか し,古 クメール語 は 大部分が主文 の死 語文 の追記 の よ うな形 式で しか使 われ ていない。 これ は古 クメール語 が碑文 の第二 用語であ った証 にはか な らないが,
9
世紀 か ら1
0
世紀 にかけ て語免 や文構造 の飛躍 的 な 発展が見 られ,75)法律 と年代記 の分野 でそれが特に著 しい。Pr6angkor期に は,死語 の高度 な 記載 内容に対 して, クメ-ル語文 は王 の名前 も明記せずに, rajaa ∀ral.1kamratah a缶 (王 の 命令)」 が文頭 に書かれ,そ の命令 の詳細が以下に掲 げ られ てい るにす ぎない.78) この 「ajAa」 の語句は主 と して Pr6angkor 期 に用 い られ てい るが,1
1世 紀 に ま でそ の例が見 られ る。77)69)Angkor期では王のことを 「KambujabhGmideva」 とも呼んでいる (K.364Ⅰ節 BEFEOTom.XII p.9)IndravarmanIをクメール語文で 「Indravarmadeva」 (K.809 pi6droitnord 3行lCvol. Ⅰ,pp.41,46)および YaEOVarmanを 「Ya90Varmadeva」 (K.713 Bl行 ZCvol・Ⅰ,pp・22,28; K.164B 20-21行JCγol.ⅤⅠ,pp.97,98)と呼んでいる。
K.211Ⅰ節 ZCvol.ⅠⅠⅠ,p.27(-DevaCriYogi与VaraPaPdita)
70)例えば王 ・神 ・バラモンの 3着に 「Vrab Kamrat如 A五」の titreを使 っている_(K・904A(18,
19,28)行,B(13,26-28)行 pp.58-63)。また,BhavavarmanI,Mahendravarman,IE豆navarman Ⅰ の 3王にも同じ titreを使用している (K.1493-2行 ZCvol.IV,pp.28,30)。;「VrahKamratah A五」の titreは以 卜「V.K.A」と略記する0
71)K.184ICvol.I,p.48・,CfBEFEOTom.XXXIpp.12-18.
C(で(始S,G.1948.Pourmieuxcomprendred'Angkor,Hanoi,pp.49-50. 72)K.904 A(15,27)行 ∫c γol.ⅠV,pp.55-62.
73)Indravarmanについては K.809(2-3行 ノCγol.Ⅰ,pp.41,46)とK.923(JCvol.ⅠV,p.40)に載っ てお り,Y粥OVarmanIについては K.713(Bl行 ZCvol・I)に載っている。 ほかに YaEOVarman Iは 「dhhulivrabp豆da」だけの titreも持 っている (K.8781行 ZCvol.V.p.89)O
74)K.164A (2-3)行∫cγol.ⅤⅠ,pp.97,98などに見 られる。
75)Cced色S,G.etDupont,P.-LesstらlesdeSd8kK鮎 ThoI吋・pp.75-76.
76)石沢良昭,1971.「古代 カンボジア史研究 〔III〕- Pr6angkor期の Kaurrlについて-」 『帯広大 谷 短大紀 要』8片 p.56注22「王の命令」に関する碑文参照。
77)K.8786行 ICvol.V,p.89(896年);K.958Pi6droitSudXIX節 1Cvol.VII,pp.143,145(10世 紀);K.85 6行 JCγol.ⅤⅠⅠ,pp.28,29.
東南 アジア研究 10巻4号
Angkor期 では主に 「Vra
h
GaSana (王 の命令)」が使われ てい るが,Prgangkor期に も焚語 文 中にその用例があ る。78)こ うした王 の命令に関す る 「aj舶」・「G急sana」 の語句は Pr6angkor期か らAngkor期前半にわた って一つの継続 を示 してい る。
Dharma(法)の守護者であ る諸王は,79)特に Pr6angkorの王たちは 「ajぬ (命令)」を個
人や宗教機関に宛 てて 出 してい る。 そ の命令 は,寺院に pre Siddhi(専有す る権利) を認め る告示,80)寄進財貨を他の寺院 と共 同で使用す る(sa叩 paribhoga)こと,81)寺院が果たすべ き
任務お よび寺院 の規則,82)な どに関す る指示 であ った。寺院は,碑文に載 ってい る多大 の寄進 財貨 といろいろな人 の援助に よって,信仰 の護持,寺院そ の ものの維持 ・運営 ・供物や宗務お よびその関係者 の食糧 な どの確保がな され ていたわけであ る。 しか し,王 の命令は,神 の区域 ・財貨が puraのそれ と異な ることを記載 したが,83)それ は寺院お よびそ の聖域が, puraで実 施 してい る 云kara (現物 の賦課祖) な どの負担か ら免除 され るための措置ではなかろ うか。84) 王 の命令は puraの長な どの管轄地域か ら寺院を 引 き離 してい るとい う。85)それ は,寺院が財 政上の特別 な立場を享有 していた ことを示唆 してい るにはかな らない。 王は puraの保護者 ・後見人的役割を果た していたが,そ の権限 の詳細はは っき りしない。 しか し, ajBa γrab (王の命令) が神 の区域 に届 き, これに特殊 な社会的立場を与 えていた こ とは確かであ る。 す なわち,寺院 (神の区域)を一般 のpuraと別に取 り扱 った ことは, pura に諌せ られ てい る様 々な義務 (例 えば賦課祖 ・夫役 な ど)か らも区別 され ていた ことにな り, こ うした措 置は,当時 の王 の威光を のぞかせ てい る。 そ して,王 の titreは Pr6angkor か ら Angkor期初期- の連続性を示 してい る。
78)Mestier,H.1967.日AjaS,Pra;asta,ea-sana"JournalAsiaiiqueTom.CCLV pp.375-382(以下本 誌を=JAHと略記する);Lewitz,S.1971日RecherchessurlevocabulaireCambodgien (VII)",JA Tom.CCLIX,p.135.
Preangkor期の用例 :K.134Ⅰ節 ICvol.IIpp.92,93(781年);K.447V節 ZCvol.H p.194,195 79)Sahai,S.1970.Lesinstitutions politiquesetl'Organisationadministrativedu Cambodgeancien (Vlf'-ⅩIIIt'siとcles),Parispp.30-31(以下本書を =Lesinstitutions"と略記する);Mahendrava・ rmanはすべてのde;a(図-地方)を征服ののち,vrsabha(Nandin)の像を建立したが,Vrsabha 像はdharma(汰)の確立を意味するという。(K・377ⅠⅠ節 JCvol・V,pp・3,4;氏.440Nord・ⅩXXⅠⅤ 節 JCγol.ⅠⅤ,pp.8,ll)0
80)K.90Partiedroitedulinteau 1-4行 ZCvol.V,pp.26-27・,K.44 B(2-4)行 ICvol.ⅠIpp.ll-12; K.904B(13-27)行 ICvol.IV pp.60,62-63・,K.4913-15行 ICvol.VI,pp.7-9;K.66 A 8-9行
JCγol.ⅠⅠ,pp.52-53.
81)K.1373-4行 ICvol.ⅠⅠ,pp.115,117;K.4261-5行 ICvol.II, pp,121-122;K.563(7-8)行IC vol.ⅠⅠ,pp.198-199;K.561ⅠⅠ節 34-35行 fCγol.ⅠⅠ,pp.39-44.
82)K.3414-9行 1Cvol.VI,pp.24-25; K.44A (III-IV)節 ICvol.II,pp.ll-12. 83)K.1373-4行 JCγol.ⅠⅠ,pp.115-117; K.44B(2-4)行 ∫c γol.ⅠIpp.1ト12. 84)K.5320節 ISCC(ⅩⅠ)pp.67,71.
85)Lingat,R.1949."L'influencejuridiqucdel'IndeauCampaetauCambodged'apr色sl'6pigraphie,"
JATom.CCXXXVIIpp.286-287;Sahai,S."LesinstitutionsH,pp.147,148. 572
Ⅳ
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a(バ
ラモ ン)お よびpa
rPnos(僧)次に 「聖 」 と 「俗」 の関係 を当時 の社 会構造 の中で考 えてみ る。 摘記す るな らば, 王権 を直 接 支 えた
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(大臣) をは じめ とす る王室 の臣僚 た ち, 統 治に直接 ・間接 に関 与 したMr
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を持 った人 た ち,軍事を担 当す るSahas
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(千人 の軍士 の長) な どの関係者,経 済 の面か ら奉仕 した
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(穀物庫 の長) な どの 人 た ち,kul
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(家族 ) を中心 と した被 支配屑 の住民 た ち, 家産 と同 じに扱 われ たkBur
Tl(奴 蘇 ) の人た ち, それ に これ か ら問題 と して取 りあげ る宗教的 ・精 神的権 威 の人た ちが いた。
8
6
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カ ンボ ジアに対す るイ ン ドか らの知 的投影 は,そ の碑文 が文 語 で書 かれ てい ることだけを捉 えて も重層 ・定着ぶ りが うかがわれ るが, そ の中で特 にPr
6
angkor
期 は, イ ン ド的要素が濃 厚 であ った とい う。87) こ うした交流 の担 い手 の中核 は, 祭式執行 の特権 と知識 の独 占を もつ バラモ ンた ちであ った
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51
年 のAhSr
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の碑文 では,
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)死 語文 のdvi
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(バ ラモ ン) のAna
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が古 クメール語文 のMr
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に一致す る。また
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とい う名前 のDaks
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」 (文 語文) に対 して,「
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の寄進」
(古 クメール語文)とい う例 もあ る.89) それにJ
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の娘Cobh豆j
えya(-J
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i) と結婚 した イ ン ド人dvi
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の こと,90)Dha
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に住むバ ラモ ンDha
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の家系から
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(≡)に敬愛 され る数多 くのpur
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(誕生) した」 ことな ど,91) ≡ (族 ) との結びつ きが 中心 であ った。Mr
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は王が授 与 した世俗 の敬仰的 なt
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であ り,92) 王 は バ ラモ ンを侍f
封 こ任命 していた。 さ らに, バ ラモ ンた ち(
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畠hmana
)
が王 の 命令 に背 く者 を罰す ると述 べ, そ のバ ラモ ンには王 ・神 と同 じ「
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i A氏」
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が付け られ ていて,
9
3
)当時社会的地位がかな り高か った ことを示 してい る。 バ ラモ ンは, この よ うに世俗 の権 力機構 な る ものに加
担 していた。王 はバ ラモ ンの社会 的影 響力を政 治的に 利用 し,王権 体制 に組み込 んでい った と考 え られ る。これ とは別に,宗教儀 礼を本務 とす るバ ラモ ンた ちが いた。
Kur
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o氏 Vy豆dha
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が86)石沢良昭,前掲書 (K
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rl論文)p
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41-62;同 1971
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「カ ンボ ジ アPr
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期 の諸t
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について
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『東南 ア ジ ア研 究』9巻1号,p
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7-14,149-150;Bh
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,K.1961Les Religions brahma・niquesI,ancienCambodged78Pre'sl'Epigraphieetl'ZconograPhie.
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,169.(以 下本書を…
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と略記す る) 88)K.9102-3行 ∫Cγ
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l.Ⅴ,p
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39,40. 89)氏.438 ⅠⅠりⅤ節 11行 fCγ
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l.ⅠⅤ,p
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27. 90)K.904A(ⅠトⅠⅤ)節 A(16,18,20,28の各行),ち 12行JCγ
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l.ⅠⅤ,p
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58-62. 91)K.725ⅠⅩ節 JCγ
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9,ll. 92)K.1492-3行 /Cv
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l.ⅠV,pp
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28-30. 93)K.90428行 JCγ
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l.ⅠⅤ,p
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60,63.東南 アジア研 究 10巻4号
lihga を建 立 した とき, 「dvija (ノ ラモ ン)た ちがそれに
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udramahalaya とい う名前 をつ けた」 とあ り,94) 新 lihga の命名に関与 していた。前述 の Dharmasv豆min の家系 は,pura で崇め られ てい る AmratakeGa神 の hotar(祭司)職に就 いていた とい う。95) また627年 のSamb6r-Prei Kdk の碑文 では 「deva (秤) - の奉仕を王か ら指 名 され た PaGupata 派 の dvija(バ ラモ ン)は,末世 まで寺院 の収受 を得 るだろ う」と述べ て,96)宗務を司 るバ ラモ ンで も
王権 と結 びつ いてい る ことが分か る。 これ らのバ ラモ ンは,本来 的な職務 の祭把を もっぱ ら執 り行 な っていた のであ った。 このほかに,Vedaを熟知 した敬度 な dvija Nagaの彫像建立,97) vipra (バ ラモ ン)gridharasvami の神- の寄 進,98) dvija Vidyadivindvanta の gambhu
秤- の奉献,99)aga血tu (外 国人) の dvija の ことな どが碑文 に載 ってい る。100) しか し, これ らのいずれ の碑文 も部 分的であ るた めにバ ラモ ンの活動 内容は判 明 しないが, 神 ・祭儀 との繋 が りは切 り離 せ ない よ うであ る。 ノミラモ ソには,主 と して世俗社 会で政 治的活動 をす る者 と, 本来 的な祭式執行 に専 務す る者 と二 つ の グル -プが あ ったが, どち らも王権体制 にい ろい ろな 意味で結びつ く側 面を持 っていた。 これ は宗教 的 ・精神的権 威 とい うバ ラモ ンの社 会的属性に 起 因す るものであろ う。 バ ラモ ン以外 も,燈 明を掲 げて信仰生活を営 んでいた聖職者た ちが いた。そ の人達 は 「 deva-yえjaka (神 の供横着)」101)といわれ る 「pa叩nOS(僧)」 お よび 「tapasa (苦行僧)」103)な どで あ ったo「parpnos」は,Jayavarman I治下 よ り碑文に多 く現 われ て くる語 であ り,そ の活動ぶ りは,104)「pa叩nOSgi tatvepaia vrab kamrata缶 a汽 (秤- の信仰を強 くもつ僧)」 お よび 「parrlnOStaPOStagi nob vnarrlVrah kamratえ丘 a缶 (神 の寺院 で役務を行な う僧)」 とし て碑文 の中で述べ られ てい る。 また, 「parPnOSparPjuh vrab kamrata缶 a缶 (神 の parpjub
94)K.109 ⅠⅠトⅠⅤ節 JCvol.Ⅴ,pp.41-44. 95)K.725ⅠⅩ節 JCvol.Ⅰ,pp.9,ll.
96)K.604 ⅩⅠⅠ節 BEFEOTom.XXVIIIpp.45.46・,P孟9upata 派はカンボジア碑文に見える2大 シ ヴ ァ派の一つであ り,もう一派は eaiva派である (Battacharya,K."LesReligionsbrahmaniques" p.43)0
97)K.589Ⅰ節 JCγol.ⅠⅠⅠ,pp.129,130. 98)K.761Al節 JCvol,ⅤⅠIpp.102,103. 99)K.138節 ZSCC(V)pp.31138. 100)K.77ⅠⅠ節 JCγol.V,pp.47,48. 101)K.81A(32-33)節 ZSCCpp.8-21(I). 102)K.44B(8-9)行 IV節 JCvol.ⅠⅠ,pp.ll-13 Pra
bK
ahaLaollの碑文 (K.44)では tapasa(焚語 文)と pa叩nOS(古 クメール語文)が載っているが,両語は文脈上か ら,また前者が古 クメール語文 に載 っている碑文 〔K.689B3,5行 A8行 JCvol.ⅤⅠ,pp.47,48〕もあることから,別々に書き出 した。103)「Parpnos(僧)」は,「Pos(僧になる)」から派生 した語である。rPos」は Angkor期では rPvSias」, 現代 カンボジア語では 「Buos」に変化した :Notelinguistique, JCγol.ⅠⅠ,p.3etp.13∩.10; Guesdon,J.1930DiciionnaireCambodgien-Frangais,Parisp.1025.
104)K.44ち(8-9)行 ∫cγol.ⅠⅠ,pp.1ト13. 574
〔意味不明〕 の僧)」105) や 「parpnOStapjub (pjub 〔意味不 明〕 の僧)」106' もいた.ほかに
「parpjuh vrab (神の parTljub-僧 ?)」 とか,107' 「parpnvastapjub (pjub の僧)」108'な ど が いた。 さらに,「parTlnV畠sacas(老僧)」109)お よび 「pa叩nVえskulapati(高僧)」は110),守
院内の諸事を取締 る責任者であ り, 僧侶たちの指導者であ った ようであ る。 以上が parrlnOS (僧)階層であ って,彼 らは宗教上の理 由か らと思われ るが,個人名を持 っていない。 当時の社 会では,王 ・王の代行者 ・侍臣 ・軍人 ・司法関係者 ・社会経済的な要職に就いてい る人な どは 必ず身分 ・敬称 ・位階な どを 「titre+名前」 の形 で碑文に記 してい る。 また,pa叩nOS (僧) の下で諸労役をす る 始 urrl(奴隷)で も,Ⅴ急・kuの titreが付いた個人 名を持 ってい るが, この parnnosだけは名前 を持 っていない。111) titreは一つの社会集団におけ る秩序 の表現で あ り, 同時に社会組織の各部分の具体的な証であ るが,titre のない parrlnOSは, こうした titreの保持者 と区別 され る社会的特殊性を持 っていた ことを 考 え な い わ け に は い か な い。 titre保持者は,篤信の具現 として多大 の財貨を神に献納 したが,財貨を神に代わ って受領す る pa叩nOSは,寄進者の信仰的欲求を満た し,諸貨 の供奉を正当化 していた。その意味で施与は, 実質的に parpnosの宗教活動お よび生活基盤を支えていた。parTlnOSは,titreの点か ら考 え
て も, また 日常 の篤信に応 えて信教に専念す る特別な社会成層であ った ことがわか る。 しか し,
parrlnOSは寄進者の信仰を扱 うところか ら世俗 の諸権 とは無関係であ り得なか った。
ほかの宗教者お よびその関係者には,devapqja (神の祭儀)を掌 り,112)かつ Vipra (バ ラ
モ ン)か ら敬われ てい る 「yati(苦行僧)」,113)儀式をす る 「muni」,114) Naravaranagaraに
住み,王 の命令を伝達す る 「S畠dhu (尊者)」お よび2人 の 「bhiksu(仏教徒?)」115)な どが 焚語文に記載 され てお り,仏教 (小乗)の 「pu cab a氏 (「わが老師」 の意味)」,116)王族 出身 の仏教者 「rajavih豆ra」,117) 祭式補助者 の 「sabh豆」118)な どの ことが古 クメール語文に, また
105)K.1825行 JCγol.ⅠⅠ,pp.147,148;氏.154B7行 JCγolII,pp.124,125;K.12710行 JCγol.
ⅠⅠ,pp.89,90;「parPjub」の語は意味が不明である :JCvol.II,p.90n,2. 106)K.7283行 JCγo
l
.
Ⅴ,pp.83,84etp.84n,3.107)K.1454行 JCγol.VI,p.72.
108)K.124 19,21行 JCvol.ⅠⅠⅠ,pp.17ト174:「parpnvastap.;ub」は明らかに 「parpnospa叩jub」
と同じ意味の語句であ り,PrasatKbkPb碑文 (BEFEOTom.XXXVII,p.413)の「parpjub」に 一致する :1Cvol.ⅠII,p.173n.4;アンコ-ル期では「parTnV畠S」は giva派の僧に用いられた :
JCγol.ⅠIp.67m.5.
109)K.341Nord9行 JCγol.VIpp.25,26. 110)K.341Sud(4-5)行 ∫c γol.VI,pp.24,25. 111)石沢良昭,前掲書 (諸 titre論文)pp.89-90. 112)K.439Pi6droitNordVIII節 ZCvol.IVp.32. 113)K.981I節 1Cvol.VII,pp.155.160.
114)K.652Ⅰ節 JCγol.Vp.55;氏.22ⅠⅠⅠ節 JCγol.ⅠⅠIpp.144,145. 115)K.49VI,III,IV節 ZCvol.VI,pp.6-8.
116)K.163II3行 1Cvol.VIpp.1001101;K.49ll-12行 ZCvol.VIpp.ト9;同 p.9n.1. 117)K.389C 2,C ll行 JCγol.ⅤⅠ,pp.78,79.
東 南 アジア研究 10巻4号
王族 の 出家者
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119) が両語 で書かれ てい る。 これ らの宗教者 た ちは,祭儀 の執行 や各種 の宗教 活動を行な っていたが,それ は何 ん らの形 で王 お よびそ の代行者に結 びついてい た よ うで あ る。 彼 らはpa叩nO
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グル -プと異な り, 社 会 の公 的な活動 に も加わ ってお り, こ のyat
iな どの宗教者に は,dvi
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同様 に 「宗教 関係 のt
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名前」 が あ った。以上 の ごと く宗教者に は,主に神
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の場 で信仰生活 を営み,純 宗教的立場 にあ ったpa
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S グル ープと, それ よ りも政 治 ・社 会的側面を もって活動 していたdvi
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(バ ラモ ン) お よびyat
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な どの グル -プが あ った ことにな る。 次代 のAngko
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期では,前者 はそ の まま信 仰生活を継続す るが,後者 は王権 と結 んで「
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」 信仰とな ってい き,
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(祭 司) として宗務を独 占 ・継承 してい くのであ る。1乏0)当時 の宗教諸派 の教化 活動 は碑文 お よび彫像 な どか らそ の輪郭 を知 ることがで き るが,全期 を通 じて
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の信仰が盛 んで あ った。Har
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女神 の信仰が盛衰 し,Br
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信仰 もあ った。7世紀前 には大乗 が盛 況だ った よ うであ るが,小乗 もあ った.121)
Ⅴ
「神の場」の 構 造神 の区域
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b)が世俗 の生活区域 と区別 され て存立 していた ことは,す でに述べ た。D5
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の碑文 には,122)「
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に あ る 〔数 カ所の
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と同 じ神 の区域)
」
と書 いてあ り, 神 の区域 とag
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は 同 じ宗教 の場所 の こと であ り, どち らも神に関係 した 額域 で あ る ことは 自明の理 で あ る。 しか し, 別 の 碑文 では,「
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b (柿 の田)
」
と「
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の田)
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を弁別 して書 いてあ る。123'また,kr
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b (柿)
」
と「
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」
にな ってい るところか ら,124) あ る種 の区別 ・違 いが あ った と思われ る。 さ らに,前述 の
D5
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の碑文 では,神 の区域 に「
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(〔神 の〕境 内)
」 が あ った と記 され てい る。125) そ して,Co
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か ら出た碑文 には,136)
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神)
」 とあ り, この境 内に は も う一つ 別 の神が安置 してあ った。ag
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(導 き)人Vi
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を創建 した とき,127'「(4
カ所 の) 119)K.388A(1)節 A(9),C(15-16),d(3-4)の各行ZCvol.VI,p
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3 石沢良昭,1969,「
古代 カンボジア史研究〔
芯
〕-古代 カンボジアの権力構造試論-」 『帯広大谷短大 紀要』第7号,p
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210-212. 122)K.7282行 JC γol.Ⅴ,p
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83,84. 123)K.416,10'[=J-ZCvol.VI,p.32,33. 124)K.726C(8-12)行 ∫c γol.Vpp
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77,80. 125)K.7282行 JCγol
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Ⅴ,pp.83,84. 126)K.6ト3行BEFEOTo
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p.6. 127)K.80Ⅰ
Ⅴ 節 JCvol
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Ⅰ,p
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4-5.畠妄rama よ り優れ た僧たちが参集 した この (豆冒rama)」 と誇 らしげに語 -,てい る。 限 られ た史 料 の範 囲内でいえ ることは,畠gramaが幾 つ もあ った こと,神の区域には karrlluhk叫 ya(境
内)があ り, 神 々を併柁 していた。 史料では数 カ所 の aEramaについて述べ てい るが, 神 の
区域 (droh vrah)を複数で扱 っていない ことを考 え るな らば, 前者は寺院 ・両堂を 中心 とし
た信仰 の場だけを指 してい るよ うであ り,後者はえgramaを含めた社会 ・経済的な広が りを も
った神に所属す る地域を表わす もの と思われ る。 こ うした聖域 の ことを 「神・aErama の場」
と呼ぶ ことに したい。128)
えgramaの場 は,王 ・侍
臣
・諸 titre保持者 (V豆・ku を除 く) な どか ら不動産を含めて多 大 の財貨を受領 していたが,それは宗教的使命を容易に達成す るために世俗的な富財 を活用する ことが現実 に必要であ った ことを意味 してい る。 そ して, こうした供奉諸貨を実際 に収納 し
た parpnos(僧)たちは, これ を もって寺院 の維持 ・運営にあた っていた。 つ ま り,祭儀お よ
び 日常生活に必要 な ものは,そ の神の bhGmi(土地)か ら, また神の sruk (grama)か ら供 給 を受け ていた。129)611年 の AhgkorB6reiの碑文 で貴顕 Po凸Uy は,130'
「PoRUy は Kpo氏KamratahA氏 神に k汽urrl(4va・2ku・lkon),tmur(午)60頭, krapi(水牛) 2頭,vave(山羊)10頭,todtne叩 (郁子)40本,Arppoh にあ る sre(田) 2sanreな どを施与す る。」
と書いてあ り, これ ら財貨が神 (寺院 )のために使用 され たのであ る。 一 つの神の場 が どれ く
らいの家産を保有 していたかほ詳 しく分か らないが, しか し,寄進者はそ の功徳 を願 って当時
の社会 におけ る重要で,かつ価値 の高い物貨を施与 していた ことは確かであ る。 例 えば,Po汚
Vijrabhedaは,131)Ma壇 iva神に対 して生産活動に必要 な ghoda・kantai・ame (いずれ も
奴隷)48人お よび7カ所 の sre (田地),家畜が krapidne叩 (つがいの水牛)10組, 園樹が tollterri(郁子)lo奉,slate叩 (機榔樹)400本 な ど,多大 の財貨を寄進 してい る. また,敬
人が共 同で寄進 した もの と して,132) 碑文 の損壊 のため vrab (神) の名前は不 明であ るが, Mrat豆缶Carantaは 3V畠・5ku の k自u叩 (奴隷 )た ちを,Po自Aditが 1p畠da の広 さの sre(田地)を,133)Po汽Sudevaが 1pada の広 さの sre 2カ所,tmur (午)20頭, 1カ所 の krala (脱穀場 '.?),tohte叩 (郁子)10本な どを捧 げてい る。 この碑文 は,その数量 ・規模
128)G.C(モd色S氏は 「カンボジアの碑文では,≪和rama>,の語句はとても漠然とした意味を持 っている ようであ り,しばしば僧院もしくは庵以外のものを指すこともある」と述べている:Cced色S,G.1911.
…翫udesCambodgiennesIV-Des6diculesappe16S≪bibliothbque>,BEFEO,Tom.XI,p.406.
129)K.483ⅩⅩⅤⅠ節 JCγol.I,pp.253,255. 130)K.557,600Nord(1-2)行 ∫cγol.ⅠⅠ,pp.2ト23. 131)氏.560ト12行 JCγol.ⅠⅠ,pp.37,38. 132)K.73ト13行 JCγol.ⅤⅠ,p.37. 133) 「p真da」は兜語で 「足 ・物の4分の 1」の意味であるが, 古クメール語の 「jep」 と同じ意味であ り, sreの数量を示すのに使用された :JCγol.ⅤⅠ,p.37n.2. 577