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日韓境域の現状 : 対馬を中心に 利用統計を見る

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日韓境域の現状 : 対馬を中心に

著者名(日)

井出 弘毅

雑誌名

白山人類学

14

ページ

247-252

発行年

2011-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002417/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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研究紹介

日韓境域の現状一対馬を中心に 井出弘毅* IDE Kohki* はじめに  これまで2008年から3年間にわたって 日韓境域を中心とした調査を行なってき た。この研究活動は,東洋大学アジア文 化研究所のトランスナショナル・コミュ ニティに関する研究プロジェクトの一環 として行なったものである。調査の主眼 は,東アジアと東南アジアのそれぞれの 境域における家族,民族,宗教共同体の3 つのレベルのトランスナショナル・コミ ュニティの生成・再編の歴史過程ならび にその制度的背景を,これらの地域にお いて国民国家の枠組みがほぼ現在のもの になった1960年代から現在までの50年 ほどの時間幅で比較考察することであり, 筆者は日韓境域を扱う役割の一部を担っ ている。この日韓境域を中心に扱うメン バーは,東洋大学アジア文化研究所研究 員の松本誠一氏,同客員研究員の金東光 氏,そして同客員研究員の私の3名であ る。  1年目は東洋大学アジア文化研究所プ ロジェクト「境域アジアのトランスナシ ョナル・コミュニティー地域間比較研究 の定礎に向けて」の計画による「日韓境 域」調査(2008年8月26・31日)を行な った。調査地は,釜山広域市と巨済(コ *東洋大学アジア文化研究所客員研究員; Visiting Scholar, Asian Cultures Research Institute, Toyo University,5−28・20, Hakusan, Bunkyo, Tokyo,112・8606/ kowkide@gmaiLcom ジェ)市である。日韓間に跨って生活し ている人々を対象とし,基礎資料の探索 及び収集と,聴き取りをすることである。 そこで調査対象として,国際フェリーで 日韓間を行き来して商売する「ポッタリ チャンサ」と呼ばれる人々と,国際的な 布教活動を行なうキリスト教会の牧師と その家族を設定した。基礎資料について は,釜山市内の様々な関連施設を訪問し て調査・収集を行なった。調査対象のう ち前者については,国際旅客ターミナル を中心に,その様子を観察した。またそ れに加えて,「ポッタリチャンサ」たちが 扱う商品が市場などにおいてどのように 流通しているのかについてもその一端を 観察した。後者については,当該キリス ト教会を訪問し,牧師及びその家族から その布教活動の実態と家族のトランスナ ショナルな状況についての聴き取り調査 を行なった。  2年目は,文部科学省科学研究費補助金 研究プロジェクト「トランスナショナ ル・コミュニティの地域間比較一境域ア ジアの移住と生活の動態研究」(代表:松 本誠一,基盤研究B)計画による「日韓境 域」調査(2009年8月25−30日)を行な った。調査地は1年目と同じである。日 韓間に跨って生活している人々を対象と し,その人々の生活のあり方について基 礎資料の収集と聴き取りをすることであ る。そこで調査対象として,日韓間を行 き来する商品をめぐる人々の動きと,国 際的な布教活動を行なうキリスト教会の 牧師とその家族を設定した。基礎資料に ついては,釜山市内の関連施設にて調 査・収集を行なった。調査対象のうち前 者については,国際市場などを中心にそ の様子を観察した。後者については,巨 済島にあるキリスト教会を訪問し,牧師

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白山人類学 14号 2011年3月 とその家族から,その布教活動の実態と 家族のトランスナショナルな状況につい ての聴き取り調査を行なった。  3年目は東洋大学アジア文化研究所プ ロジェクト「境域アジアのトランスナシ ョナル・コミュニティー地域間比較研究 の定礎に向けて」の計画による「日韓境 域」調査(2010年8月21・30日)を行な った。前からの調査地に加え,古くから 韓国との関係の深い福岡と対馬を追加し た。連絡船を使って,福岡一対馬一釜山 一巨済島を往復して調査を行なった。  釜山と巨済島については紙幅の関係で 本稿では割愛し,以上の調査を元に,対 馬を中心に研究の概要を紹介する。

1対馬の概要

 対馬は古くから朝鮮半島との関係が深 く,江戸時代には幕府と朝鮮王朝との間 を取り持っ役割を果たした。朝鮮通信使 の往来に代表されるこうした役割は,地 理的に朝鮮半島に近いだけではなく,日 本の周辺として外国である朝鮮に近接す ることから,政治的にも経済的にも社会 的にも文化的にも,多くの面で朝鮮の影 響を色濃く受けてきた場所である。  対馬と韓国の距離は49.5kmである。北 西部の「韓国展望所」あるいは「異国の 見える丘展望台」からは条件が良ければ 釜山の町並みを肉眼で見ることができる。 前回調査では,宿の主人からは季節的に 見ることは難しいと言われていたが,翌 朝,消防団の用事で海の近くまで出てい た主人から韓国が見えるとの連絡が入っ た。そこで「異国の見える丘展望台」に 向かったところ,うっすらながらも肉眼 で釜山の町並みを眺めることができた。 残念ながら一番近いはずの巨済島は島影 のみ確認することができたが,町並みま では見ることができなかった。これは町 の規模が釜山よりも圧倒的に小さいから だと思われる。逆に釜山港及び巨済島の 右岸に位置する長承浦(チャンスンポ) 港や玉浦(オッポ)港からも対馬が見え るかどうか試みたが,天候は良かったも のの全く見ることができなかった。そこ で巨済島内で最も対馬に近い外島(ウェ ド)への遊覧船からも確認したが,島影 すら見ることはできなかった。  釜山からの連絡船の港は北部の比田勝 と南部の厳原の2ヶ所である。厳原は対 馬の中心地であり,韓国との深い関係を 示す多くのスポットが点在している。李 氏朝鮮王家と旧対馬藩主の宗家との婚姻 を記念する李王家宗伯爵家結婚奉祝記念 碑,旧対馬藩主宗氏代々の墓所である万 松院(藩主死亡の際朝鮮国王から対馬宗 家に贈られた青銅製の三具足などがあ る),朝鮮との善隣外交に貢献した儒者で ある雨森芳洲の墓,朝鮮通信使の客館跡 である国分寺,朝鮮通信使一行と江戸ま で同行した陶山訥庵の墓のある修善寺, 遭難した漂流民を保護した漂流民屋跡, 通信使船着場,江戸時代の朝鮮外交の窓 口であった「以酊庵」跡である西山寺, 朝鮮通信使の詩碑,幕府使者の宿跡など 数多くある。また厳原以外にも,北部に は百済國王仁博士顕彰碑,対馬海峡遭難 者追悼碑,新羅國使の碑,朝鮮國訳官使 殉難之碑,海神神社の階段横の柱(植民 地時代に釜山に住んでいた日本人名が刻 まれている)など両国関係を示す歴史的 なスポットが数多く点在している。 II 対馬の韓国人観光客 長崎県の統計によると,対馬に多くの

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外国人観光客が来るようになったのはご く最近のことである。特徴的なのは,対 馬を訪れる外国人観光客のほとんどを韓 国人が占めていることである。1994年に は年間866人(宿泊客実数。以下同)で ありその後も1,000人程度で推移してい た韓国人観光客数は,日韓航路が開通し た翌年の2000年には約7倍の6,231人と 急増し,その後,多少の増減はあるもの の増加傾向を示してきた。2008年にはそ れまでで最高の50,254人を記録した。対 馬市オフィシャルホームページによると, 2010年12月末の人口は35,522人である ため,年間に島の人口を上回る韓国人観 光客が訪れていることになる。しかし 2009年は,円高ウォン安などの影響を受 けてか約半分に減少したものの1),増加傾 向は今後も続くのではないかと考えられ る2)。ちなみに韓国人以外の外国人は, 1994年には93人であったが,その後は 多くても50人程度であり,外国人観光客 数全体に占める割合を見ても,ここ10年 では1%以下である。  韓国人観光客が日本人観光客を含む全 体の観光客数に占める割合を見ると, 1999年まではおおむね1%前後であった が,2000年に52%と急増し,2009年に は28.3%と多くを占めるようになってき た。  消費については,長崎県対馬振興局が 1) 「経済情勢の悪化や高速道路料金割引の影 響による国内客の減少,円高ウォン安の進行に よる韓国人客の減少が重なった結果,日帰り客 数,宿泊客数ともに大きく減少し,観光客延べ 数は対前年13.2%減(▲105千人)となった。」 (長崎県観光振興推進本部ウェブサイト「平成 21年の観光統計にっいて(速報)」参照)。 2)2010年の1・6月では昨年比L5倍程度の韓 国人観光客の増加が確認されている(長崎県観 光振興推進本部ウェブサイト「「長崎県観光動 向調査」について」参照)。 推計した2007年の韓国人観光客の島内消 費総額が公表されている。これは約3000 人の韓国人観光客へのアンケートと事業 者の聞き取り調査を元に推計したもので ある。それによるとこの年の韓国人観光 客は約65,500人で年間の島内消費総額は 約21.6億円(全体比19.8%)であり,1 人当たり約33,000円(全体比Ll%)を 使った計算になる。内訳は,土産品約8.2 億円(全体比65.8°/・),飲食約6.8億円(全 体比25.1%),宿泊約4.9億円(全体比 5.9%)である3)。 III 対馬と韓国の行き来について  先述のスポットを訪れる中で出会った 人々から,現場における生の声を多数聴 くことができた。ある神社の駐車場の管 理人の女性からは,彼女の娘さんが近く 釜LLIの大学に留学することを教えて頂き, 韓国との民間交流の様子について詳しく 知ることができた。また宿泊した厳原の 宿の主人からは,10年位前から急増して きた韓国人観光客について,旅館業者か ら見た実像をかなり詳しく伺うことがで きた。この約10年間にはマナーの違いに よる様々なトラブルや誤解などがあった が,最近は双方が理解を深め合うことで, そうしたトラブルをかなりの部分回避で きるようになってきたということである。 確かに島内の至る所で多くの韓国人観光 客の姿を見ることができた。厳原町の中 心に位置する対馬市交流センターTIARA では,自転車持参で船で来て対馬内をサ 3)韓国人観光客については『西日本新聞』 2009年4月29日の記事「韓国人観光客の対馬 市来訪 経済効果21億6000万円 07年,長 崎県推計」,全体については長崎県観光振興推 進本部ウェブサイト「長崎県観光統計 平成 19年資料篇」から。

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白山人類学14号2011年3月 イクリングする元気なおばさんたちや家 族連れなどで賑わっていた。看板もハン グルが併記されているものが多い。  県立対馬歴史民俗資料館では,宗家文 書のうちいくつかのものが展示されてい た。前に釜山を訪れた際に気になったこ とであったが,釜山の国際旅客ターミナ ルから出て税関を超えた辺りの左側の壁 画に朝鮮通信使が描かれている。その中 で朝鮮側の人物は皆履物を履いているの に対し,日本側の人物はあまり履いてお らずほとんどが裸足であるように描かれ ていた。これが単純な間違いによるもの なのか定かではなかったが,資料館で壁 画の原画を見たところ,これが間違いで はなかったことが確認できた。  観光案内所では,韓国人観光客のため の韓国語のサポートをしている女性と出 会い,現在の韓国人観光客の実態につい て,かなり詳しくお話を聴くことができ た。彼女は独学で韓国語をマスターした とのことである。留学はもちろん語学講 座にも参加はしたことはなく,対馬に来 る韓国人観光客をつかまえて,無理やり 話しているうちに身についたとのことで ある。そうした中で友人になった韓国人 を訪ねて釜山に数回行ったことがあるそ うだ。そのためか彼女の話す韓国語は慶 尚南道の方言であり,ソウルから来た韓 国人観光客に「あなたは慶尚道の人か?」 と尋ねられたそうである。そこで最近は, 韓流ドラマを見て標準語を学んでいると

ころだと言う。対馬市交流センター

TIARAには,韓国語支援センターがあり, 彼女は主にここを拠点に韓国人観光客へ のサポートをしている。ここには彼女の 携帯電話番号が書かれており,何かトラ ブルや分からないことがあれば,すぐに 対応できるようにしている。島内の観光 案内所には韓国人スタッフが数人配置さ れており,増加する韓国人観光客への配 慮が見られる。  対馬新聞社では,編集長から話を聴く ことができた。訪れた当初は,「何の目的 でここに来たのですか」など非常に警戒 された。その後,こちらの調査目的など について説明したところ,次第に打ち解 けることができ,その理由が分かった。 それは数年前から対馬にやって来ては, 韓国人を排斥せよという主張をする人々 がおり,我々もそうした類の人間ではな いかとの誤解からであった。事実そうし た主張の看板を街中で見ることができた。 看板には次のように書かれていた。原文 は日本語の下にハングルを併記している。     日韓親善を大切に  対馬島民は日韓親善を大切にする   韓国人を歓迎します。 日本固有の領土対馬は,歴史と観光      の島です。     対馬防衛隊  編集長は,「対馬は観光で成り立ってい るのに,島の外から関係のない人たちが やって来て反韓デモをやられては大変迷 惑だ」と語り,一部の日本人によるナシ ョナリスティックな動向にっいて伺うこ とができた。こうした動向は対馬内に留 まらず,マスコミやインターネット上な ど様々な場においても展開されており, 現地の事情とは無関係に,交流という側 面と,排斥という側面とのせめぎあいが 繰り返されている。  対馬新聞社では縮刷版を作ってはいな かったが,初代編集長であった斉藤隼人 著の『戦後対馬三十年史』を入手するこ とができた。これは日々の記事を元に短

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い文章で綴られた覚書であり,日韓間の 貿易や交流などについても詳細に記載さ れており,貴重な資料である。  また北部の漁村で出会った初老の漁師 は,昔老人から聞いた話をしてくれた。 大潮の夕方に韓国に向けて「朝鮮潮(ち ょうせんじお)」という強い流れが生じ, それに乗れば楽に早く韓国に行けたとの ことである。こうした口伝も当時の状況 を理解する上で非常に重要である。 おわりに  まとめとして,昔の行き来と現在の行 き来について時期を区切って考えてみた いD  昔の行き来については,(1)江戸時代 の限られた行き来(釜山の倭館,巨済島 の日本人居留地,朝鮮通信使など),(2) 近代国民国家成立後の行き来,(3)植民 地支配下の大日本帝国「国内」としての 行き来,(4)敗戦後から国交正常化まで の非公式な行き来(いわゆる密輸・密航), (5)1964年の日本の海外旅行自由化に 伴う訪韓日本人の増加と,1989年の韓国 の海外旅行自由化に伴う来日韓国人の増 加,に分けることができよう。そして(6) 現在の行き来である。  国家間関係により,移動の形態,規模 は異なるが,完全に断絶していたのでは なく,少ないながらも,また非公式なが らも行き来は継続して行なわれてきた。  今後の課題としては,上記(3)にっい ては語り手の高齢化が進んでいるため, できるだけ早急な聴き取り調査の必要性 があげられる。前回の調査では当時の事 情を知っている方々に出会うことはでき なかったが,その方々から話を聞いたと いう語りは収集した。現実問題として急 務であろう。また(4)についてのより詳 細な把握が必要であろう。非合法な動向 であるため,密輸や密航について公に語 る人は大変少ない。しかしできるだけ詳 細な個人史と社会史との絡みの中で,「国 境貿易(transnational trade)」などとし て捉え直していくことが重要であると考 える。  (6)については,円高ウォン安,連絡 船運航会社の採算事情による運航停止の 可能性,時事問題に起因する反日感情な どが韓国人観光客の来日に与える影響な どいろいろと考えられるが,今後の動向 を把握していくことが重要である。 参 考 文 献 斉藤隼人  1983 『戦後対馬三十年史』長崎:対     馬新聞社. 【資料】 西日本新聞  「韓国人観光客の対馬市来訪 経済効  果21億6000万円 07年,長崎県推計」  2009年4月29日. 【ウェブサイト】 対馬市オフィシャルホームページ  http:〃www.city.tsushima.nagasaki・jp  /index.html(最終アクセス2011年1  月10日). 長崎県統計課統計資料班  統計データベースながさき「市町村別  観光客数」  http:〃www.pref.nagasaki.jp/toukeidb  /jyouhou_koukai/top_frame(最終アク  セス2011年1月10日). 長崎県観光振興推進本部

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      白LI」人類学 14号 2011年3月 2008 「長崎県観光統計平成19年資    料編」    http:〃www.nagasaki’tabinet.co    m/public/statistics/data/01/h19    /all.pdf(最終アクセス2011年1    A10日). 2010 「平成21年の観光統計について    (速報)」    http:〃www.nagasaki−tabinet.co    m/public/statistics/data/01/h21    /report.pdf(最終アクセス2011    年1月10日). 2010 『「長崎県観光動向調査」にっい    て』    http:〃www.nagasaki・tabinet.co    m/public/statistics/data/02/h22    _02.pdf(最終アクセス2011年1    月10日).

参照

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