験 震 時 報 第46巻
(
1
9
8
2
)
7
-32
頁
7
1980
年
6
月
29
日伊豆半島東方沖の地震と
その前後の群発地震活動調査報告本
気 象 庁 地 震 課 ・ 三 島 測 候 所 村
~
1
概 要
1980年 6月 29日 1
6時 20分ごろ,伊豆半島,伊
豆大島を中心lrL,中部地方,関東地方の全般および
近畿地方,東北地方の一部で地震を感じた. この地
震の震源地は,伊豆半島東方沖で,全国気象官署の
観測結果から決定した震源要素および規模 (M) は
次のとおりである.
Or
i
g
i
n
Time: 6月2
9
日
1
6
時
20
介
0
7
.
5
秒士
0
.
2
秒
q
J
3
4
05
5
'士 0
1
'
N
え .
1
3
9
01
4
'士 0
1
'E
ん
10
K
m
M
6:7
この地震は,
1
9
8
0年 6月 2
4日から発生していた
群発地震活動のうちで最大規模の地震(以後,最大
地震と呼ぶ)であった.
群発地震活動は
6月 24日から始まり, 25日以降,
活動は次第
K活発化し
2
7日0
6時 06介および 28
日
1
2時 05介
K
は,いずれも
M
4.9の地震が発生し
た.その活動は,短時間
(1-
-2時間) lrL急激忙活
発化し,その後,数時間ないし半日程度静穏化する状
態を繰り返していた.
29日 1
6時 20分 Kは,最大地
震が発生したが
7月 K入ってからは,次第 K静 穏
期間が長くなり
8月以降その活動は,ほとんど終
,息している.
今回の群発地震の震源域は,伊豆半島東方沖(川
奈崎沖)の限られた地域 K発生したが(なお,最大
地震直後の数日間は南
K
拡大している),ほぼ,これ
*
Seismological Division
,
Japan Meteorological Agency and
Mishima Weather Station
Report o
n
t
h
e
Earthquake of East
off 1zu Peninsula
,
June 29
,
1980
,
and Some Related Problems
CReceived Nov. 1
,
1980).
林 地 震 謀 市 川 政 治 編 集
550.34.06
と同じ地域とする群発地震活動は,
1
9
7
8
年
1
1月か
ら
1
2月
,
1
9
7
9年 3月および 1
9
7
9年 5月 K も 発 生
して
ν
たが,今回の活動は,そのうち最大のもので
ある.
最大地震のメカニズムは,
P
波初動から
傾斜方向
傾斜角
節 面 A
N
4
0W
90
0節 面
B
N
94
0W
77
0方向
軸の傾き
主圧力軸
N
47
0W
7
8
0主張力軸
N
1
4
1
0W
78
0となる.
最大地震により,伊豆半島東岸の伊東市を中心 K
静岡県内および神奈川県内で負傷者
8
人,家屋の全
壊
1戸,家屋の一部破損 1
7戸,道路の破損 2
1ケ所
山崩れ
2
9ケ所等の被害が発生した(警察庁 7月 1日
調べ).
最大地震発生
1
0分後の 1
6時 30分lrL,気象庁は 7
区および 8区K津波注意報を発表した.この地震 K
よる小規模な津波が相模湾沿岸で観測され,最大は
伊 豆 大 島 の 岡 田 港 で
57cm (波高)であったが津波
による被害は報告されていない.なお,津波注意報
は
1
7時 30分解除された.
気象庁は群発地震のうち有感地震については,随
時地震情報を発表するとともlrL,地震活動が活発化
した
6月 2
7日 1
1時
30分および 6月 28日 1
3時 30
分には,
1
今後もしばらくこれまでと同じ程度の群
発地震活動が繰り返すものと思われるので,引き続
き活動の推移を見守る
d
との趣旨の群発地震情報第
1
号および第
2号を発表した.
また,最大地震が発生した翌日の
6月 30日 09時
45分 Kは 129日1
6時 20分で地震は,一連の群発
地震のうちで最も大きいものと思われるが,群発性
- 7
ー
8
験 震 時 報 第
46
巻 第
1- 2
号
の活動は今後もしばらく続くものと予想される
J
と
の趣旨の群発地震情報第
3号を発表している.
一方,地震予知連絡会は
7月 1BVC関東部会を
開催し,上記情報第
3号と同趣旨の統一見解を発表
し7
こ.
その後,群発地震活動は,上記情報,見解どおり
7月 K入 っ て か ら は , 時 々 , 突 発 的 K活発な活動は
あるものの静穏な期間が比較的長くなり
8月 Kは
,
ほぼ終息している.
g
2
.
観 測 資 料 お よ び 諸 調 査 *
2-1 震 度 分 布
6月 29日 1
6時 20分の最大地震 Kよ る 有 感 地 域
32
Fig. 1.震度分布
Tab.
1
.
6月 29
日
1
6
時
20
分の地震の各地の震度
震度│
観 測 地 点 名
V
I
網 代 , 大 島
N
I
三島,館山,横浜,東京,熊谷,新島,
皿
│石廊崎,秩父,河口湖,甲府,銚子,
宇都宮,三宅島,諏訪,千葉,日光
1
I
I
柿岡,静岡,八丈島,前橋,軽井沢,
水戸,松本,名古屋,岐阜,小名浜,
勝 浦 , 伊 良 湖
1
I
敦賀,白河,御前崎,浜松,飯田,長野
津 , 彦 根 , 福 島
*地震課データ処理係調査
は
,
Fig. 1
V
C示すよう K中部地方,関東地方の全般
および近畿地方,東北地方の一部であり,最大有感
距 離 は 福 島 の
334Kmであった.なお,各地の震度は
Tab.1のとおりである.
2-2 被害の概要
最大地震により,伊豆半島東岸の伊東市を中心忙
静岡県内および神奈川県内で負傷者
8
人 を 含 む 被 害
があった.
Tab.2は,警察庁が 7月 1日現在でまと
めた被害状況である.
Tab.2. 6月 2
9
日
1
6
時
20
分の地震による被害の状況
警察庁調ベベ
7月 1日現在)
E
万¥一一理
静 岡
神 奈 川
計
人;的
負 傷 者
7
名
1
名
8
被 害
家
全
壊
1
1
屋
一 部 破 損
17
17
被
害
カワラくづれ
505
7
512
ブ ロ ッ ク く ず れ
2
1
3
山
く
ず
れ
22
7
29
道
路
破
損
21
21
鉄 軌 道 損 壊
1
1
水
道
損
壊
5
6
・
11
ガ
ス
損
壊
6
6
自 動 車 被 害
3
3
2-3 震源要素
気象庁の地震観測官署における最大地震の観測結
果 を 付 表
1VC掲載した.同資料
K
より気象庁が求め
た震源要素および
M
は次のとおりである.
Origin Time: 6月29日1
6
時20
分
0
7
.
5
秒土
0
.
2
秒
c
p
34
05
5
'士
0
1
'N
え
1
3
9
01
4
'
土
0
1
'E
h
,
1
0
Km
M
6
.
7
付 表
2vcは
6月2
5日から 8月末日まで V
C,同地
域
K震源が求められた地震の震源要素を掲載した.
2-4 群発地震活動の推移
2-4-1 過去の群発地震活動
今回の群発地震活動
K
先行して,伊豆半島東方沖
(川奈崎沖)を中心とする群発地震活動は
1978年
1
1月以降,大きくみて 3回発生している.
-8
ー
1980年 6月29
日伊豆半島東方沖の地震とその前後の群発地震活動調査報告一気象庁地震課・三島測候所
9
KAMATA
1Q78 1979 1980F
i
g
.
2
.
鎌田の目別地震回数
F
i
g
.
4
ltL,気象庁が定常作業K より決定した 1978
年以降の伊豆半島東部周辺の震央分布を示している.
F
i
g
.
2からわかるようltL.,群発地震活動は大きく見
ると次のようltLI
-
-
-
皿期 K分けられる.また,
Fig.3
は,気象庁が伊東市鎌田
K
設置した高感度地震計
K
記録された
s-p:
6秒以内の地震の日別回数であ
る.
I期
1
9
7
8年
1
1月中句以降,川奈崎沖を中心と
する群発地震が発生した.その活動は1
1月下匂から
1
2月上匂 Kかけて最も活発化し, 1
2月3日22時 随
分には
M5.4のこの期間中の最大地震が発生した
が,その後次第 K沈静化した.
E期
1
9
7
9年 3月中匂ごろから 4月上句
Kかけて
I期とほぼ同じ地域を震源とする群発地震が発生し
た.最大地震は
3月 15日1
7時 30分の
M:
3
.
1
であ
っ7
こ.
皿期
1
9
7
9年 5月下句にも,群発地震活動があり
最大地震は
5月 20日 1
2時 1
7分の
M:
3
.
8
であった.
1
,
1I,皿期とも,群発地震活動は短時間活発化し
その後しばらく静穏化するといった状態を繰り返し,
次第
K
静穏期間が長くなりながら,群発地震活動は
終息している.
1
9
7
9年 6月以降は,まとまった地震活動はみられ
なかったが,
1980年 6月 24日から今回の群発地震
が始った.
2-4-2 1980年 6月 24日以降の群発地震活動
6月24日から,伊東市鎌田 K設置している高感度
地震計は微小地震が群発し始めたことを観測した.
翌
25日Kは
,
Fig.4は鎌田の毎時間の地震回数の
KAMATA
100 50 市~同相互豆I2Ji24i25126127128129i 3õ t31i 1 [ 2 i 3 i 4 j 5 16 i 718 I 9 110J
U
L
.
AUG
1
S30
F
i
g
.
3
.鎌田の時間別地震回数
変化を示すがこれからわかるように地震回数は次第
に増加し,有感地震と同じく,今回の活動も,短時
間
(1---2時間 )
v
t
突発的 K活動は活発化し,その
後数時間ないし半日程度静穏化すると
L
、う状態を繰
り返していたが
27日6時 6分および 28日12時 5
分 Kは
M:
4
.
9
の地震が発生した.
しかる
V
L,
2
9
日
1
6
時
20
分には ,
M;
6
.
7の地震が
発生した.最大地震が発生するまでの群発地震の震
源域は
F
i
g
.5
V
L示すように,伊豆半島沖(川奈崎沖)
の東西約
10Km,南北約 10Kmの地域医発生していたが
最大地震は,その中央部南縁で発生した.
最大地震直後は,
F
i
g
.
5
V
L示すように,震源域は
南
K拡大し,東西約 1
0Km,南北約 20Kmとなったが
その後
7月K入ってからは,群発地震の震源域は最
大地震発生前の地域K限られている.又,地震活動
も時々,突発的 K活発な地震活動を示すものの静穏
な期間も比較的長くなり
8月Kは,ほぼ活動は終
息した.このような傾向は,これまでのこの地域の
群発地震活動と同様である.
一方,伊豆半島東方沖の群発地震と相前後して,
-9-1
0
験 震 時 報 第
46
巻 第
1
~
2
号
1
9
7
8
NOV-1979 FEB
1
3
ヲ
E
O
1
9
7
9
MAY
O
。
1979 MAR-APR
o 0 ¥ . 0 0 8 0<90 b。
0・
1 0O
1
9
7
9
JUN-1980 MAY
口
O
,
.
F
i
g
.
4 1978
年
11月 以 降 の 震 央 分 布 図
-10
ー
ロ
口
1980
年 6
月
29
日伊豆半島東方沖の地震とその前後の群発地震活動調査報告一気象庁地震課・三島測候所
1
1
Fig.5
6
月25
日以降の震央分布図
~~
HACH凶 JI糊 JUN1980
O
Fig.6.
三宅島および八丈島近海の地震の地震回数
F
i
g
.
'
6
v
c
示すように八丈島近海および三宅島近海で
もそれぞれ群発地震活動が活発化した.特K八丈島
近海の群発地震では
6月 29日1
5時から 1
6時 Kかけ
て(つまり伊豆半島東方沖の最大地震発生直前),
震度皿
3回,震度 14回を含む多数の地震が発生し
ている.
最大地震の発生前後の群発地震の
M
と発生回数の
積算頻度分布を
F
i
g
.7
V
C
示した.
これらの図から,最大地震発生前後の各期間の
b
値はいずれも1.
1--1
.
2となり殆んど変化していな
L
、
.
19曲 A刑 ト 29百 な 1 " 浅 田JUN291θro"'-U4 19喝
o
JUL 5-12 即 』 札1:,
-31Fig.7.
M-
九 図
また,最大地震を本震とし,群発地震の震源域を
余震域と仮定し,余震面積AKm
2
と本震のマグニチュ
ード
M
。の関係を示す宇津・関の統計式 Kあてはめる
と
logA=
1
.
02Mo-4.0
から
Mo=6
.
7
として
Aを求めると 6
.
8
X
10
2
Km
2
となる.最大地震発生後の震源域を東西約 lOKm,南
北約
20Kmとすると 2X10
2
Km
2
であり,宇津・関の統
計式から予想されるものの 3分の 1程度忙しかなら
ない.本震と最大余震の規模の関係を示す宇津の式
.
Mo -M
1
=
4.9-0.47
M
。
を,適用すると
M
1=
4.95となり,観測された,
一連の群発地震の二番目の規模の地震
(M:
4.9)
とほぼ一致する.
一方,最大地震後の群発地震の 1日あたりの平均
発生回数をプロットしたのが
Fig.8である.最大地
震発生後も,群発地震活動を繰り返しながらも,次
N/OAY
1000
100
10
10
1000AY
Fig.8.
最大地震後の
1
日あたりの群発地震の減衰
-11
ー
12
験 震 時 報 第 46 巻 第 1- 2
号
第
K終息している.改良大森の式 p値を求めると
k
九(
t
)
=
(t+c)p
‘
1
.
2
8となる.
2-5 発震機構
2-5-1 最大地震の発震機構
気象庁,東京大学地震研究所,名古屋大学および
国立防災科学技術センターの地震観測網
K
よる
P
波
初動の観測結果 K基き,最大地震の発震機構を解析
した結果下記の解が得られた
. P
波初動分布は
F
i
g
.
9
v
c
示す.
傾斜方向
節 面
A
N
4
0W
節 面
B
N 94
0W
方向
主圧力軸
N 47
0W
主張力軸
N 141
0W
•
Fig.9.
初動分布図
傾 斜 角
90
9
77
0軸の傾き
o
0
・
C
78
078
0これらの節面のうち,最大地震後,南
K
拡大した
震源分布から節面
B
が断層面と考えられ,左横ずれ
断層 K よる地震と考えられる.
また,今回の最大地震の主圧力軸の方向は,過去
の伊豆半島周辺のものと矛盾するものではない.
なお,発震機構の解析
K
用いた観測点は伊豆半島
を中心忙中部地方,関東地方 K非常 K欄密 K分布し
ており,これら各地点の押し引き分布を矛盾なく説
明するため Kは,気象庁の通常震源決定作業 K よる
震源を幾分補正する必要があり,発震機構解析に用
いた震源要素は
34
05
8
'
N, 139
01
3
'
E,
,
h
=
7
K
m
で
、
ある.また,最大地震の走時曲線から転向円の半径
は
150Kmとなった.
2-6
有 感 地 震 回 数
6月25日から 7月末までの有感地震の時間別回数
を
T
a
b
.3
v
c
示す.また,大島および網代の日別有感
地震回数を
F
i
g
.10 V
C示 す . 最 大 地 震 の 発 生 前 3時
間ばかり有感地震が発生しておらず,地震活動は比
較的静穏であった.
なお
7
月
28
日以降
8
月末日まで有感地震は発生
していない.
Fett eart同一
f
Fig. 1
0
.
大島,網代の有感地震回数
2-7 埋 込 式 体 積 歪 計K よる歪変化事
1978
・
年
1月 1
4日の伊豆大島近海の地震の際忙は
石廊崎および網代で前兆と思われる現象が観測され
た が ( 気 象 庁 地 震 課
1978. 気 象 庁 地 震 課 1979)
今回の伊豆半島東方沖の地震では,明瞭な前兆現象
は見られなかった・石廊崎および網代の観測開始以
来の歪の変化状態を
F
i
g
.
l
lV
L示す。
網代では,図でわかるように,
1
9
7
7年 1
2月以来
激しい変動をくり返しながら縮みの万向
K
変化して
いたが,
1979年始めから膨張 K転じ,急激な変化も
少なくなってきた.さらに,伊豆半島東方沖の地震
以後は,
1980年 1
1月現在まで非常に安定している
よう
K
みえる(気象庁地震謀
1
9
8
1)
.
*地震諜解析係調査
-12
ー
1980年 6
月
29
日伊豆半島東方沖の地震とその前後の群発地震活動調査報告一気象庁地震課・三島測候所
1
3
Tab.3. 有感地震の時間別回数表
お
寸
と 。
112 314 516 718 9110 1
1
1
2
13 1
4
1
5
1
6
1
7
1
8
1
9
20 2
1
22 23 日
回数
月
I
j
積回数
算
6月25日
1
1
2
2
26
1
3
27
'
2
4 1
1
1
1
1
10
1
3
28
1
1
9 1
8
1
2
5 1 1
I
1
4
9
62
29
2 6
115
1
5
1
1
4 7
1
1 4 2 1 59
1
2
1
30
1 1 10
212 3
1
12 2
6 411
1 1 3
7
158
7月 1
415 1
1
1
2
1
3
1
7
1
2
2
1
3 174
3
1
1
1
3 177
4
1
1 178
5
1
711
9 187
6
1
1
1
-
1
2
199
7
3 116 2
1
2
211
8
1
1
2 213
9
。
213
10
1
1 214
1
1
1
1 215
1
2
1
1 216
1
3
1
111 1
4 220
1
4
。
220
1
5
。
220
1
6
。
220
1
7
。
220
1
8
.0
220
19
。
220
20
。
220
.
2
1
。
220
22
3
3 223
23
。
223
24
1
1
2 225
25
。
225
2
6
。
225
27
1 3 1
2
6 231
1976 1977 1978 19791980年 4月から蒲郡,天竜,川根,藤枝,清水,
富士,土肥,東伊豆の 8点で,新た K埋込式体積歪
計の観測を始めた.
Fig.12は,震央
K
最 も 近 い 東
伊豆の記録と網代の記録を比較したものである.た
だ し , 東 伊 豆 Kついては,モニター記録による結果
を示してある.東伊豆では,地震前の変化傾向が縮
みであったが,地震後は膨張 K変っている.また,
これら 2地点については,地震に伴なう記録のずれ
(
cose ismicなステップ)があった.その大きさは
P H 4 1 1 1980Fig. 1
1.石廊崎,網代の歪変化
-13
ー
1
4
鹸 震 時 報 第
46
巻 第
1- 2
号
¥Higashiizu /"'
~←
.
r
-
/
V
'
ヘ
ヘ
r
Apr May i Jun. Jui
:
-
-
-
-
-
-
'
-
Aug SeP1980
Fig. 1
2
.
東伊豆と網代の歪変化
80Y JUN. 290
l
oH
20
門
E OFF IZU PEN
よ
L - l - - - - 1 、
25
門3
0
円8
8
:
J
U
[
¥
!
.
:~90 1
oH
20~1 E DFF 1
ZU P
E
i
'
州
1
蜘
W
3
0
"
Fig.13.
歪計による最大地震の記録
東伊豆で
6
.
7
X
10-
7
,網代では
2.
4
X
10-
7
であった
が,センスはお互い K反対であった.
Fig.13は
,
各 地 の 歪 計Kよる最大地震の記録で
ある.
2-8 津 波
6月29日の最大地震により小規模な津波が発生し
たが,伊豆大島岡田港で最大波高(最大全振幅)は
57cm
程度で,津波
K よる被害はなかった.
2-9 地震記録本
1
倍強震計と
5
9型及び
6
1
型直視式電磁地震計の
記録を
F
i
g
.1
5
t
r
c掲載する.
各地震計の定数は次のとおりである.
(
1
)
1倍強震計
倍 率
1倍 , 固 有 周 期 水 平 6秒,上下 5秒
制 振 度
8
(
2
)
5
9型直視式電磁地震計
倍 率
1
0
0
倍,固有周期
5秒
,
減衰定数
0
.
5
(
3
)
6
1
型直視式電磁地震計
倍 率
200倍,固有周期
1
0秒
減衰定数
0.5
33
群発地震情報の発表
気象庁は
6
月2
5日以降有感地震に関する地震情報
を適時発表するととも t
r
c,活動が活発化しはじめた
27
日
1
1
時
30分には
「現在地震が群発している地域は,今迄何回か群
発地震の起ったところであり今回の活動もそのーっ
と考えられる.現在引き続き観測データを監視し,
推移を見守っているが,これまでの例からみて,こ
のような状態はいましばらく続くものと思われる」
との趣旨の群発地震活動 K関する情報(第 1号)を
発表した.
また,
2
8日1
3時 30分 Kは
「群発地震活動は引き続いて活発であるが,これ
ら地震の震源は
6月24日からほぼ同じ地域で起って
いるものである.今後もしばらくの間同じ程度の活
動が繰り返すものと思われ,引き続き活動の推移を
監視する.なお,今回の群発地震の発生域は昭和5
3
年の「伊豆大島近海の地震」の震源域と異り,その
*地震課現業班
-14
ー
1980年 6月29
日伊豆半島東方沖の地震とその前後の群発地震活動調査報告一気象庁地震課・三島測候所
1
5
北 方 K あた・り過去に大地震の発生した記録はない
J
と の 趣 旨 の 群 発 地 震 情 報 ( 第
2
号 ) を 発 表 し た .
6
月
29
日
1
6
時
20
分
I
;
[
M:
6.7
の地震が発生し,
今 後 更 に 規 模 の 大 き い 地 震 が 起 る の で は と の 住 民 の
不安が大きくなってきたため,
30
日
09
時
45
分 忙 は
「伊豆半島東方沖は群発地震の発生しやすい所で
現 在 地 震 の 起 っ て い る 地 域 は 昭 和
53
年
1
1
月以降既
1
;
[
3
回 の 群 発 地 震 活 動 が あ っ た . 今 回 の 地 震 は 一 連
の 群 発 地 震 の う ち で 最 も 大 き い 規 模 の も の と 思 わ れ
る が , 群 発 性 の 活 動 は 今 後 も し ば ら く 続 く も の と 予
想さ
h
る
J
と の 趣 旨 の 群 発 地 震 情 報 ( 第
3
号 ) を 発
表した.
一 方 , 地 震 予 知 連 絡 会 は
7
月
1
日臨時
K
関 東 部
会を開催し,
r
6
月
24
日から伊豆半島東方沖
K
群 発
地 震 が 集 中 し て い た が
29
日
1
6
時
20
分 こ ろ マ グ ニ
チ ュ ー ド
6
.7
の 大 き い 地 震 が 発 生 し 現 在 も 群 発 地 震
活 動 り 継 続 し て い る . こ の 地 震 は , こ の 群 発 地 震 の
集 中 域 か ら 南 方
K
伸 び た 左 横 ず れ 断 層 が 活 動 し た も
の で , 一 連 の 群 発 地 震 の 中 で 最 大 級 の も の と 思 わ れ
る . な お , こ の 群 発 地 震 活 動 は 海 域
L
てあったため,
地 殻 変 動 な ど 顕 著 な 前 兆 現 象 は 観 測 さ れ な か っ た .
現 在 , 群 発 地 震 活 動 は
29
日 の 大 き い 地 震 発 生 前 の 地
域 に 集 中 し て お り , 著 し い 変 化 が 認 め ら れ な い .
な お 今 後 こ の 地 震 活 動 の 時 間 的 経 緯 及 び 空 間 的 拡
がりの変化を監視し,その動向を見守る必要がある」
との統一見解を発表した.
~4. 現地被害調査報告本
今 回 の 群 発 地 震 の う ち
6
月
29
日
1
6
時
20
分 頃 托 発
生したものが規模・震度ともに最大のものであって,
震 源
K
近 い 伊 東 市 内 で は 所 々 に 被 害 が 発 生 し た . こ
の 地 震 の 発 生 前 後 , 網 代 測 候 所 で は 有 感 地 震 が 続 き
現 地 調 査 を 行 う 余 裕 が な い の で , 被 害 発 生 の 翌 朝 静
岡 地 方 気 象 台 か ら 三 島 測 候 所 が 現 地 調 査 を 実 施 す る
よ う 指 示 が あ り , 急 速 伊 東 市
K
出向いた次第である.
先 ず , 伊 東 市 土 木 課
K
行 き , 被 害 の 一 般 的 な 状 況
を 入 手 し た が , 被 害 個 所 は 南 北
1
8
K
m
1;[及ぶ細長い伊
東 市 管 内 の 各 所 に あ っ て , 市 役 所 か ら は か な り の 距
離 で あ り , ま た 被 災 の 翌 日 で あ る た め , 道 路 の 被 災
個 所 で は 交 通 規 制 が あ っ て 迂 固 ま た は 引 き 返 す と こ
本三島測候所田中政由調査
/
入、.、伊
1/
、
-r
/
丸、
、
・
』
・
-
;
;
/ L.
,
,
/
1
.
r
1
j1
/ 大室山
A
.1'f
、
/ ・ 』f ¥ .
Fig.14.
被 害 調 査 経 路
ハ i 秦~有
ろ も あ る の で , 伊 東 市 の 職 員
K
案 内 を し て も ら
L
コ
被 害 の 大 き そ う な 数 個 所 を 見 た だ け で , 多 く の 個 所
を調査することは不可能であった.
被害は道路関係が多く,次いで建物関係であり,
道 路 関 係 で は 地 震 発 生 か ら 約
1
8
時 間t
を 経 過 し て い た
の で , 路 上 に 落 下 し た 土 砂 な ど は か な り 片 付 け ら れ
復 旧 作 業 が 着 々 と 進 め ら れ て い た . 建 物 関 係 の 被 害
で は 富 戸 小 学 校 の 校 舎 で 壁 の き 裂 や 破 損 , 廊 下 床 の
せ り 上 り 等 が あ っ た と き い た が , 実 際
K
見
K
行くこ
とはできなかった.
以 下 調 査 し た 個 所
K
つ い て 被 害 状 況 の 概 要 を 述 べ
る
(Fig.14参照).
4-1
伊 東 市 字 松 原 の 石 積 崩 壊
伊 東
J駅 の 南 西
500
m
ぐらいの山腹
U
てある「蛇の目
ミシン寮
J
の 敷 地 と 道 路 の 境 界 に な っ て い る 高 さ 約
5 m
の石積擁壁が,長さ約
30m
1;[亘って崩壊してい
た
(Photo.1).
と の 崩 壊 は 伊 東 市 管 内 の 石 積 崩 壊
規 模 の 最 も 大 さ い も の で あ り , 写 真 で 見 ら れ る 崩 壊
部 分 の 左 右 の 石 積 に も 多 数 の き 裂 が 見 ら れ た . さ ら
にこの崩壊個所から
50m
程 離 れ た 所 で は , 道 路 端 の
ブロック塀がし、く分沈下して傾斜が生じ,
このため.
路肩側にはき裂も生じていた.
15
-1
6
験震時報第 46 巻第
1~
2 号
4 、.4;-. ・p
"
,
Ph
oto
.
1
.
伊東市松原の石積崩壊
(両側の石積にもき裂が
多
数入っている)
4-2 川奈の土砂崩壊
伊東から汐吹海岸の県道(伊東
・
川奈
・八
幡野線〉
をとおり川奈港まで行ったが,汐吹
墜道
の北方では
一方
が山,一方が
海
と
L
、う海
岸 沿
いの道路へ,高さ
10-15m,
幅
7-8m程度の土
砂崩壊が数
か所あ
り,路上にはかなりの土砂が
落下した模様
であった
が,調査に行ったとき
K
は
Photo.2
のよう
K
路面上
は清掃済みであった.
川
奈港で
は,北
K面した
急
傾斜の雑木林の中で
高
さ
20m幅 1
0mぐらいの土
砂崩
れが発生していたが,
土砂は雑木と共
K
人家の裏手で止っていて,大きな
被害には
至
らなかったようである.
警
句以
川、
哲
弘
、
手
晩 、と官
、
毎
Photo
.
2
.
汐 吹
トン
ネノ
レ
J
七
万の土砂崩壊
(
路
l
市は清掃済みであった)
Photo
.
3
.
)
1
1
奈
字 水 無 田 の 棟
瓦落
下
状況の
一例
川
奈字水無
田では
棟瓦
の
落
下した
住家を比較的多
数見
かけたが,被
害戸数は不明である
.
なお,棟瓦の
落
下は
市内
のところどころ
で見かけ
たが,案内の市職
員 K
よれば大
室
山の北
東
の
地域と
一碧湖付近でも棟瓦の落下が多く発生しているとの
ことであった
.
4-3
富戸
の
落石
,
道路
のき
裂 等
(
1
)
県
道
への
落石
富戸と富戸港
の中間では,
急傾斜の山が海岸 K
せ
まっているところを県道(伊東
・川
奈
・
八幡野線〉
がとおっているが,ここでは大規模な落石が発生し
ていた.
落石は県道沿
い
K約 3
0
0mの
区間
K亘
って
部分的
K高さ 3
0
-
40 mぐらいのところから
落
下し,
道路
の山側に
設
けられている鋼製の
落石防護柵
や防災網
を破って路上 K
落下し
,一部のものはさらに
道路
の
海岸
側 K
設
けられている
ガ
ードレーノレを破壊して
道
Photo
.
4
.
富戸の県道へ
の
落石
(
巨大な石
は
削与号
機
で害
IJって
い
る
〉
-16
ー
19
80
年 6月29
日伊豆半島東方沖の地震とその
前
後の群発地震活動調査報告一気象庁地震課
・
三島
測候所
1
7
Photo. 5
.
富戸の県道への落石
(落石防護柵,防災網の破損)
路下 K落ち,
コンクリート製
電
柱を倒していたもの
もあった.これらの状況は
P
h
o
t
o
.
4
,
5
のとおりであ
る
.
落石は
2
--3トン
ぐらいのものが多
く
,
30 -
-40
個はあったであろう
.なか
Kは
1
5-
-20トンぐらい
と思われる巨大な落石も
3--4個あった.調
査 K行
った
30日午後 Kは路上の落石はかなり片付けられて
いたが,巨大な石は路上から簡単には片付けられず
削岩機で割って片付けるための作業が進めら
れてい
た
.
なお,現地を案内してく
れ た 市 職
員に
よれば今回
落石のあ
った部分は,昭和
53年 1月の伊豆大島近海
地
震
の折にもかなりの落石があった所であるが,今
回の落石のほうが規模は大き
いとのことであった.
(
2
)
富戸字萩原
の
石 積 崩 壊
住宅敷地の市道
K
面した部分で
,
高
さ
3m
の石積
擁 壁 が 約20m!
t
Ll[って崩壊していた.崩壊部分と建
Photo.6.
富戸字萩原の石
積 崩 壊
P
h
oto.7
.
富 戸 字
梅 の 木
平
の市道のき裂
物との間隔は約
3m
ばかりであったので建物に
は 被
害は
なかった模様である
。
(Photo.6).
(
3
)
富戸字梅
の
木 平 市 道
き裂
梅 の 木
平
では約
50
m
!tL亘って路肩のコンク
リート
とアスファノレトとの間
K
き裂が発生し,
き裂幅は大
きいところで約
1
0
cm,また路肩コンクリート部分は
3--4cm沈下した
模 様
である.この路肩は下の地面
から1.
5m
ぐらいの
高
さの石積であったが,少しず
っていた感じがした
(Photo.7)
.
Pho
t
o
.
8
.
一碧
湖北東方の道路のき裂
(き裂
幅
6c
m
.
き
裂部分から右側が
7cm
沈下し
ている〉
-17
ー
18
験 震 時 報 第
46
巻 第
1- 2号
なお冒頭で述べたように富戸では小学校の被害も
あり,この地区は市内で災害の個所・種類共
K
多い
地域であった.
4-4 一碧湖附近の道路き裂
一碧湖の北東側では,路肩の石積K約40
~
l
f
[
亘
っ
てき裂が生じ,路肩のコンクリート部分とアスフア
ルトの間
K
もき裂が生じていた.
さらに,この部分の東方では
Photo.8のよう K路
肩は石積ではないが,路面の路肩側
K長さ 35
m
l
f
[
亘
って幅 6cmのき裂があり, き裂から路肩側は約 7
仰の沈下がみとめられた.
参 考 文 献
(
1
)
気象庁地震課地震予知情報室(1
978): 1
9
7
8
年
伊豆大島近海地震について,地震予知連絡会報
20
,
45--50.
(
2
)
気象庁地震課
(1979)
1978年 1
月 1
4日伊豆
大島近海の地震調査報告(補遺),
験震時報,
43
,
51--52.
(
3
)
気象庁地震課地震予知情報室(1
981
):関東・東
海地域忙おける歪観測結果
地震予地連絡会会
報
25; 46--48.
18
-1980
年
6
月
29
日伊豆半島東方沖の地震とモの前後の群発地震活動調査報告一気象庁地震課・三島測候所
1
9
付表1.
6月 29日 16時 20分 の 観 測
l
結 果
5El5MIC lNTEN51TY
“
M
1
CRON
0
5
OFF 5CAlE
誕誕MIll-KINE
OT= 2
9
1
6
20 7.5
+1・
0.2
(J5
T
)
l
Z
U
PEN REGION
lAT= 3
4
55φ/
ー
LONG= 139 1
4
+1
ー
H
= 1
0
MAG=6.7 CLA5S=F
5TATION 1
PHA5E
TIME
PHA5E
CJ5T)
T
I
門
E
(
J5
T
>
D15PlACEMENT
同AXIMUM A
阿PLITUDE
1
PERIOD
N
・
王
国
W .
T
U-D
蝿 輯0
5
16000 0.2
8000 0.2
05
,31000 5.0 13500 5.0
1
0
偽0
0 1
.
0
11800 2.2 4700 2.0
9600 6.0 11600 7.0 3800 6.0
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B5
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0
13.8
2
0
20.6
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6
8
5
5
7
5
6
向 H v n H V A H M A H V A H M A H V 内 H V ︽ H M m H v n u ν 内 H V 内 H V ︽ H V 内 H u -4 8 0 ' 3 ・ & L U 守 内 V A U 8 0 6 。 , ム ム 吟 ‘ A ム M -A U1
2
1
2
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