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弔辞(河野稔教授追悼号)

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Academic year: 2021

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86 彦根論叢 第233号

 滋賀大学経済学部を代表いたしまして,謹んで故河野稔教授の御霊前に告別の辞を申し 上げます。  滋賀大学経済学部が,河野先生および関西大学に御無理をお願い致しまして,当時関西 大学商学部教授であられた先生に本学部へお移りいただいたのは,今から16年前のことで ございました。それ以来先生は,本学部の「社会政策」講座担当の教授として,また昭和 49年に大学院経済学研究科が本学に設置されたことに伴いまして,修士課程「社会政策」 講座担当の教授として,研究と教育の両面で大いに活躍され,本学に対しても,学界に対 しても,貢献されるところが多大でありました。  また学部運営の面でも,先生は,昭和54年度の有田学部長の時期に学務委員として同学 部長を補佐され,カリキュラム検討委員会の委員長として活動されるなど,多くの功績を 残されました。  なお,評議員および学生部長としての,滋賀大学全体の運営に関する先生の御貢献につ きましては,後ほど森学長から述べられるはずでございます。  さて,先生は本年3月末で滋賀大学を定年御退官の予定でございまして,昭和59年度 は,滋賀大学におけ’る先生の最終の授業年度でありました。この年度に先生は,従来毎年 担当されてこられた「社会政策原論」のほかに,今年度にかぎって,一般教育の「社会思 想史」の講義をも引き受けられました。この「社会思想史」の講義には,先生はずいぶん 張切って,力を入れておられたと聞いております。その御講義は,只今学部葬を行なって おりますこの教室の,ちょうど真上の2階15番教室で行なわれました。受講を申請してい た学生の数は484名であります。また先生の「社会政策原論」の御講義は,今年度は5番 教室で,つまりこの教室のすぐ前の教室で行なわれました。受講を申請した学生の数は 232名でありました。先生の御入院後は,この二つの講義は,美崎教授および成瀬助教授 が担当して,無事講義を終了し,試験を実施いたしました。また,先生が今年度御担当の 専門演習に所属する4回生の学生11名もほぼ全員無事卒業の見込みでございます。  先生が今年3月末で退官されることは,かねてから私たちの悲しみとするところであり ましたが,すでに先生は或る大学に就職されることが決っておりましたし,お互いに命さ えあれば時折はお会いできることと思っておりました。そして滋賀大学経済学会は,すで に先生の御退官を記念する論文集を発行いたしました。この論文集は,滋賀大学内外の!9 名の学者がそれに寄稿されており,約350頁の質的にも量的にも立派なものでございまし て,巻頭には,先生の気品のある御容貌を写したお写真を掲載しております。この論交集 を,御入院中の先生のお手許にお届けできましたことは,私どものせめてもの慰めであり ます。また経済学部では,本年2月に先生に退宮記念講義を行なっていただく予定を立て ておりましたが,この計画も空しくなりました。

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87  昨年の三二までの先生は,お見受けしたところ,全くお元気そうで,先生が定年退官の 日を待たずしてお亡くなりになろうとは,あまりにも意外な,全くもって予想外のことで ございました。私ども一同にとりまして,痛恨の極みでございます。もはや先生の御温顔 を拝することも,御馨咳に接することも,かないません。まことに悲しいかぎりでござい ます。  滋賀大学経済学部は,先生の御遺志を受け継いで,「社会政策」講座およびその関連の 講座を,今後ともますます充実発展させるべく努力いたします。この固い決意を先生の御 霊前に誓い,先生の御冥福をお祈り致します。  これをもちましてお別れのことばと致します。    昭和60年3月16日

       滋賀大学経済学部長 水地宗明

 ここに謹んで,故滋賀大学教授 経済学博士河野稔先生の御霊前に,滋賀大学教職員一 同を代表して,弔辞をささげます。  かえりみますと,先生は,昭和44年4月に滋賀大学に赴任されて以来今日まで16年聞, 社会政策講座担当の教授として,専門領域での深い研究学生に対するあたたかい教育指 導,学内行政および社会における活動など,各方面での御活躍は目をみはるものがござい ました。  先生の御研究に対する基本態度は,学生部編集で,昨年7月1日に発行された「滋賀大 だより」第24号の巻頭論文に明記されております。その中でも,研究を常に学聞歴史の原 点に立ち返って練りあげるべきことを主張されている点,またあくまで謙虚に自戒して学 問を進めるべきことを述べておられる点など,およそ学問をする者の永久の典拠とすべき ものと考えます。今改めてこれを読み返してみましても,故先生の息吹が今さらのように ひしひしとせまり,学問をする者の情熱と厳しさが,電流のように伝わってくるのを覚え ます。  先生は,昭和54年5月から同56年5月目で滋賀大学評議員を勤められました。当時の滋 賀大学は例の昭和47年決定のあと一見平穏のように見えて,その実は飛躍的に大きい発展 計画の作成実施などが手づまり状態にあり,先生はその}1開の道を,三間発展を根底にお いた全学一体化に求めてひそかな情熱を燃やしておられたように見うけられます。先生の 大学運営の原点的御立場はここにあったようで,旧来の風習にとらわれず,思い切った進 展を求めてやまない生きかたに深く敬意を表したいと思います。  先生はまた,学生を暖かく愛されましたが,昭和56年7月から同58年7月にわたって勤 められた学生部長のお仕事は,その延長線上に発展させられたように見うけられます。厚

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