• 検索結果がありません。

訓令12号の思想と現実(2)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "訓令12号の思想と現実(2)"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)令12. 訓. 号 久. The. 12th. lnstruction. Its ldeas,. Bases,. 思. の. 木. 想 幸. of. Ministery. and. Effects. Yukio. 現. と. 実(2). 男 of upon. Education. in 1899:. Education. (2). HISAKI*. Ⅳ. 訓令12号がその後間もなく出会わなければならなかった,実質的部分修正の運命を予 言した『万朝報』ほ,後述のごとく,やがて訓令の法的無効論を強力に展開して,. 「運命+. 実現に一層の力を貸すことになるのであるが,この『万朝報』と『時事新報』1)などを除 くジャーナリズムの論調ほ,一般に訓令に対して好意的であった。. 『東京日日新聞』が「文. 相の訓令と宗教問題+と題して,文部当局の意向を次のように忠実に伝えているごときほ, その一例である。 該訓令は,文部大臣が学政上最必要と認めて,. 「般に国家の目的とする教育を施すベき学校に対 してのみ発せられたるものにして,特に私立学校に対して発せられたるには非ず. ・・-只私立学校 が,其の自由意志を以て,文部大臣の規定せる小学校・中学校・高等女学校等,法令に規定ある学 科課程に準拠し,其の監督の下に立たんことを出願せる場合に於て,初めて共通用を見るのみ.訓 令の適用を厭はゞ自ら来りて法令規定の下に立たざるに如く莫きなり。. --又該訓令は,私立学校 をして徴兵猶予,文官任用の特権を有すること能はぎらしむと難ずる者あれども,訓令の規定と是 等の特権とは何等の関係を有すること莫く,全く別種の問題に属せり。. -・・左れば外国伝道会社の 資本を以て設けたる所謂ミッショソ・スクールの如きも,一概に此訓令の為に寓束せらるゝにあら ずして,却て文部大臣が適当と認めたる時ほ,徴兵猶予の特権を与ふる訳なるを以て,実際頗る寛 容主義を取りたることゝ知るべし2).. 教育ジャ-ナリズムの場合は,さらに積極的に賛意を示したものが多い。 は,. 『教育実験界』. 「国家の梅内にあ+る「国民教育+に「混ずるに宗教を以てすること,我国現時の状. 態に於て,弊害決して砂少ならざる可きを信ずるものなり8)+と論じて訓令を支持し, 育時論』も,宗教教育禁止粂環が私立学校令から削除されたことを遺憾としながらち,訓 令忙対してほ,. 「実に吾等の心を得たるもの4)+と,積極的に賛意を表明している。また. 『教育公報』ほ, 「宗教と教育との関係は,寧ろ私立学校のみに関するものにあらざるを以 て,之を該令より削除したるは寧ろ当然なりら)+と述べて,宗教教育禁止規定が私立学校 令から訓令に移されたことにまで賛成している6). *教育学教室(°ept.. of. Education). 『教.

(2) 35. 訓令12号の思想と現実(2). これに対して,訓令反対をとくに声高かに叫んだのほ,いうまでもなくキリスト教関係 者であった。その-,二の例をあげれば,まず『基督教新聞』は,宗教が教育に及ぼす影 響を恐れて宗教教育を禁止するのは「教育界の迷信+にすぎないという立場から,. 「教育. にして宗教と借なることなからんか,英数育や,無気力・無精神なるものにて,智徳兼備 の君子を養ふを得ず。 ・-今日の官公立学校の学校教育の,徳育の効力少きほ,何人も之 を慨嘆せぎるはなし。而して其徳育の効力少きほ,全く宗教と分離せるが故と為さざる可 らず。宗教を教育より分離せしめんとするの結果,信仰あり主義あり節操ある人士の,教 「文部当局者+の「反省+を求めているア)。また 育界に居るを喜ばぎるに至る+と論じて, チニテリアソ系の『六合雑誌』も,前者と同じく「民間の宗教学校が自由なる宗教的教育 「宗教学 を行ふほ,国民の精神的教育に貢献する所説に多+いことを指摘するとともに, 校も,表面には宗教上の儀式・教育を廃すと唱-て,其実,学校内の教会堂若しくほ礼拝 堂を独立の教会となし,教師生徒倶に毎日躍若くほ毎朝,之に参集して宗教上の儀式を行 ふに至らん。若し然らば,当局者ほ之を奈何ともする能ほざるべく,表面に宗教教育を廃 したるが如く見-て,内実は之を行-ること前日と異なるなし8)+と,訓令慣守の困難な いしその実際上の無効果を予想している。 『基督教新聞』や『六合雑誌』の訓令反対主張の根 訓令順守困難論はともかくとして, 拠が,宗教の徳育ないし精神教育-の貢献度の強調にあったことほ明らかであろう。しか しこれが,第3回高等教育会議の際の江原素六の意見や,この年末から翌年にかけての 「第2次教育と宗教の衝突事件+を惹起した井上哲次郎の主張○)と同質のものであるか否か, つまり宗教教育の天皇制教育補完棟能を強調するものであるかどうかは,簡単に断定し難 8月以降年末まで い。ほぼ断言できるのは,これらキリスト教ジャーナリズムの主張と, 展開される,キリスト教学校関係者による訓令適用除外ないし適用延期陳情運動10)におけ る主張との問に,若干の相違点があることであろう。後者の主衷ほ,キリスト教関係の6 学校代表が, 8月16日,協議してまとめた「開書+に明らかである。広くキリスト教語 学校に呼びかけたこの「開書+の内容は,先行研究の多くがすでに紹介している11)ところ (1) なのでここでは詳ノしく述べないが,その要点ほおよそ次の三点につきるようである。 「帝国憲法の精神に反戻 訓令は「子弟の教育を撰定する父兄の自由を検束するもの+で, する+0 ある。. (2)公立校ほともかく,私立校における宗教教育まで禁じるのほ「不当の至り+で 「政府の認可と之に附随する種々の特権を得 (3)訓令は,キリスト教学校をして,. る能ほざらしむるもの+だが,キリスト教学校数職員が「確然不抜の態度を取り,政府の 特権を得る為め,或は之を維持する為め,竜も基督教主義を譲与せざらんことを+切望す る1幻。. 一見明らかなごとく「開書+の訓令批判は,上記『基督教新聞』や『六合発誌』とほま ったくその論拠を異にLている。すなわち,訓令にほ信教自由に閲し憲法違反の疑いがあ り,父母の教育(選択)権を不当に制限するものだとするのであるが,しかしこの点を挺 子にして訓令の癒回を「開書+がとくに主菜しようとしているわけではない。「特権+?維 持や獲得と引きかえに, 「基督教主義を譲与+することを戒めているにすぎない。つまり,.

(3) 36. 久. 木. 幸. 男. (a)徴兵猶予や卒業生の上級学校進学資格などの「特権+を維持したままでキリスト教主 義を貫くことを最善の途,. (也) 「特権+を放棄してでも宗教教育をつづけることを次善の. 策と, 「開書+ほ考えているのであり,事実,その後の運動ほ,ほぼこの方針に沿って進 められている。. キリスト教学校側と文部省との当時の力関係を考慮に入れれば,この方針ほきわめて現 実的なものだったといえるかもしれない。訓令反対や撤回を叫んでも,それを貫徹し得る 力量を欠いていたキリスト教学校が上記(a)の実現を目指して,訓令の適用除外ないし適 用延期を要求する運動を展開していったのほ,確かに着実なやり方であったように見える。 しかしこの着実な運動さえも,実はただちに十分な成果をあげるにほ至っていないのであ る。. 運動の経過についてほ,当事者の運動総括書ともいうべき『一般の教育に関する文部省 訓令第十二号に対する運動顛末及意見』や18),メソジスト派機関誌『護教』14),明治学院 井深梶之助の「日記+などを史料とし{1さ),かなり綿密な紹介が今までになされているの で詳述をさけるが,この運動経過を概観してとくに目につくことは,運動の具体的方針 (ないし要求事頚)がかなりひんばんに変っていること,キリスト教語学校の間に足なみ の不一致が見られること,そしてその当然の帰結として,運動がたいした効果をあげてい ないこと,あるいは別の言い方をすれば,訓令の実質上の部分修正をかちとるのに運動が あまり役立っていないことなどであろう。 キリスト教学校代表が10月2. 日,樺山文相に行なった陳情の趣旨ほ,訓令ほ「信教. の自由を奪ふ者なれば-. -基督教主義の学校は除外例として,私立学校の外に置かれんこ 「基督教主義の学校には除外例を設けて,暫く訓令 とを希望す16)+というにあったとも,. の施行を延期17'+せ、よというにあったとも報じられている.この施行延期というのは無期 延期を意味するようであるが,これとほ別に井深梶之助は9月5日,東京府に対して,盟 年4月までの訓令の適用延期を陳情しており18),. 、また青山学院も井深とは別に同じ趣旨の. 陳情を東京府宛に行なっている19)。ところが10月6日の奥田文部次官との会見の際に キ1)スト教学校側は, 「中学校ノ名称ナシニ同一ノ待遇ヲ受ケンコトヲ請求20)+している。 少なくとも外形に現われた要求事項ほ,二転,三転しているといわざるを待ない。 その上キリスト教諸学校の足なみほ最初からあまりそろっていなかった。このことは上 述のように東京府に対する陳情を,明治学院と青山学院が別箇に行なっていることからも. うかがえるが,さらに第3表に明らかなごとく,各校の方針ほまったく区々であった。そ れぞれの学校の設立母体たる教派や伝道会社の訓令対処方針の差がこのような違いを生み 出したのであろうが,それにしてもこうした足なみ不そろいのままでほ,対文部省交渉は きわめてカ弱いものとならざるを得ない。また明治学院が,一方では普通学部(各種学校) への改組,つまり訓令非適用校となる方針を実行に移しながら,訓令適用除外を陳情した のも矛盾した行動であって,交渉力を弱めこそすれ決して強化することにはならなかった と思われる。. しかも「開書+を発し文部省への陳情運動を行なったのほ,・キリスト教学校の中でも男.

(4) 訓令12号の思想と現実(2) 第3表 山. 青. 学. 院[麻生. キリスト教中学校の訓令対処方針. 中 学i同志社中学. 9. 1 (基新) 中学廃校. 明. 学. 治. 院. 立. 教. 中. 8.. 30. (井深). 9.. 9. (東日). 学. 品等表謂?ia 中学継続. 9. 6 (井深) 本年限り中学継続 9. 8(基新) 1年間中学継続. 37. 9.. 6(井深). 中学継続 9. 8 (基新) 中学継続. 9.. 同. 1. (基新) 上. 9. 8 (基新) 未定,文部省と折 衝 9. 24 (報知) 翌年8月普通学部 に改組. 中学継続 10. 6 (井深) 普通学部設置顧提. 出. 1 (基新)は9月1日付『基督教新聞』に当 (注)数字ほ月日, ( )内は典拠を示す。例えば9. 該記事のあることを示す。なおその他の典拠中,井深は「井深梶之助日記+,東日は『東京日日 新聞』,報知は『報知新聞』の略。. 子中学校のみで,キリスト教女学校や小学校ほ,運動に加っていない。当時のキリスト教 女学校は高等女学校令に準拠しない各種学校であり,徴兵猶予や上級学校進学資格などの 「特権+ともむろん無関係であったから,訓令を対岸の火災祝したのであろうか。しかし 訓令が既述のごとく,キリスト教を始めとする諸宗教に対する,天皇制教育-の全面屈服 要求に発するものであったかぎり,訓令に対する明確な態度をとらなかったキリスト教女 学校ほ,のちに高等女学校への「昇格+が問題になる時点で,宗教教育の放棄を一応余儀 なくされることになる。この意味で,訓令を当面無関係のこととして見送ったキリスト教 女学校の態度ほ,結局訓令への屈服を「予約+するものだったともいえよう乞1)。むろん, この間に訓令の実質的部分修正があり,この屈服は複軌こ屈折したものとなるのでほある が-0. 当時キ7)スト教学校は,男女中等学校・小学校を合計して,. 27道府県にわたり127校 あったといわれている皇幻oもしこれらの学校が結束して運動を展開しておれば,かなり強 力なものになり得たと考えられるが,上述の如く女学校の参加ほなかった。小学校の場合 は,女学校と違って訓令適用校であったから,訓令を見送ることほできず,とるべき方法 としては次の4つがあった。 (1)訓令撤回またほ適用除外を強力に主張し,その実現に努 めるo. (2)訓令適用外の各種学校となるo. (8)廃校する。. (4)宗教教育を放棄する.この. うち多くのキリスト教小学校が実際に選んだのほ(3)と(4)であった。東京府下のキリ スト教小学校についていえば,品川の知本小学校や麹町の桜井小学校,神田の駿台英和女 学校附属小学校などが(3)を選び,京橋の若京小学校乞3)を始め, (4)の途をとるものも 少なくなかった紬。前者の例として,桜井小学校の廃校届を掲げておこう. 私立桜井小学校廃業御届 麹町区上二番町三十三番地 私立桜井小学校 右-去ル明治九年十月御允可ヲ蒙り設立罷在侯処本校設立者矢島梼基督教信徒ナルヲ以テ規定ノ.

(5) 38. 久. 木. 竿. 男. 教授時間外ニ宗教ノ礼式等常ニ執行仕侯事ニ有之就テ-今般文部大臣ノ私立学校訓令ニ違反スルノ 慮リ有之侯ニ付謹テ本月ヨリ廃校仕俵此段及御届侯也 〔但シ学校- -勅語謄本及文部大臣訓示御下附無之此段御届侯也〕 ・ 東京市麹町区上二番町三十三番地 束京府平民 私立桜井小学校設立者. 欠島輯. ⑳. 明治三十二年九月九日 東京府知事男爵千家尊福殿25). 上記引用中, 〔 〕内は抹消した上-さらに白紙を貼付した部分であるが,. おそらく届. け出を受けた麹町区またほ東京府が,この部分に挑戦的なものを感じて,抹消. ・貼紙させ. 「謹テ たものであろう。確かに,教育勅語謄本交付をうけていないことをとくに付記し, 「信仰を介して剛腹さを身につけていた28)+とい 今月ヨ.)廃校+と書いているあたりに, ●. ●. われる矢島輯の,訓令-の抵抗姿勢を読みとることほ可能であろう。しかしこのこと以上 に注目しなければならないのほ,桜井小学校を含むキリスト教小学校の廃校届が比較的早 期に出されていることであろう。とくに知本小学校が廃校届を出したのは,前記キリスト 教6学校協議会が開かれた翌8月17日のことであり2T),キ1)スト教諸学校,とくにキ 1)スト教小学校相互に連絡をとってのことでほなかったようである.このようにキリスト 教小学校もまた,それぞれ個別に訓令-の対処方針をきめており,キリスト教中学校・女 学校との連携も,キリスト教小学校相互の連絡もないままに,それぞれの方針に従って廃 校または宗教教育放棄の途を歩んでいった。まして9月以降活発化するところの,一般の 私立学校の運動と連帯するようなこともまったくなかったのである。 キリスト教語学校のこうした足なみ不揃いの結果,運動は一部キリスト教中学校のみの 「井深日記+によると, 陳情運動に終始し,きわめて力弱いものとならざるを得なかった。 陳情は10月から11月にかけて繰り返し行なわれているが,事態の進展は見られず,よ うやく11月17日,上級学校進学資格については「自分モ同意見ナレバ,日下詮議中28)+ との解答を,文相から得ているにすぎない。しかし,本節の初めに引いた『東京日日新聞』 の記事に明らかなように,訓令と特権とは「別種の問題+だというのが,当初からの文部 省の方針であり,文相解答はこの方針を再確認したものにすぎない。しかも後述のごとく 文部省ほ,すでに10月中旬に,いくつかの点で訓令の実質的部分修正を認めているが, それはむろんキリスト教学校の運動によってもたらされたものでほなかった。結局3か月 にわたって続けられたキリスト教学校の運動ほ,見るベき成果を何ひとつ収めることもな く, 12月末,パンフレット『運動顛末及意見』の発表をもって終息を告げるに至ってい る。. 事実はともかく,訓令によって「直接の迷惑を感ずるものは耶蘇教諸学校29)+といわれ, 「此訓令ほ基督教学校に直接の影響を釆たすもが0)+と一般に考えられていたにもかかわ らず,キリスト教学校の運動に余り盛り上りが見られなかったのは,むろん各学校が個別 の対応を試みて共同歩調をとらなかったことに直接起因しているが,より根本的にほ,. 「教.

(6) 訓令12号の思想と現実(2). 39. 育と宗教の衝突+事件以降キリスト教側に著しい,天皇制教育-の妥協姿勢の結果であろ う。むろん訓令反対意見は,キリスト教教育界に広く見出されるがsl),それらほ概ね言論 に止まって運動化せず,あるいは上記矢島輯の場合のような消極的抵抗に終って,私立学 校令および訓令によってかえって顕在化することになった天皇制教育の矛盾を鋭く衝くに は至らなかった。訓令が実質的部分修正を加えられるに至るのはこの矛盾のためであった が,それほキリスト教学校の運動とはまったく無関係に,文部省自身が修正にふみきると いう形でなされたのである。 注. 1). 2 8 4 5 6. 7 8 9. 『時事新報』(明治32年8月10日)は,その社説「文部省の方針+において,訓令は「社 会の大勢に逆行+するものと断じ,訓令の励行ほ「忽ち衝突の勢を激して,世間に文部省無用 の声を高めしめ+るであろう,と警告している。 『東京日日新聞』明治32年8月9日。 月, p. 38ぽ.) 32年8 吉野琴南「教育と宗教+ (『教育実験界』第4巻,第3号,明治 8月15 日, p. 1f.) 「私立学校令の公布+ (社説) (『教育時論』516号,明治32年 月, p.2 1) 玉里散史「教育時事短評+ (『教育公報』227号,明治32年9 訓令公布直後にほ,賛成論が多いが,のちにほ『教育学術界』 (第1巻, 第3号,明治33年 1月,付録p. 2)のような反対論も現われている。 『基督教新聞』明治32年8月11日。 p. 63f.) 「文部省訓令と宗教学校+ (『六合雑誌』225号,明治32年9月, 拙稿「二○世紀前夜の教育状況-第三次小学校令と第二次教育と宗教衝突事件-+ (拙編 著『二○世紀日本の教育』所収)参照。. 10). この運動は,これまで往々にして「猛烈な反対運動+と考えられがちであったが(石田加郁雄 「明治三十二年文部省訓令十二号,宗教教育禁止の指令について+ 『清泉女子大紀要』8, p. 42) 実ほ当初から,訓令の撤回を目ざした反対運動でほなかった。 (『西南女学院短大研究紀 ll)市丸成人「文部省訓令第十二号(明治≡十二年)の告示とその影響+ 7, p. 要』 51),石田加都雄「明治三十二年文部省訓令十二号,宗教教育禁止の指令について+ (『清泉女子大紀要』8, p. 48),工藤英一「日本近代化の過程におけるキリスト教学校教育の 問題一文部省訓令第一二号をめぐって-J (『明治学院大キ1)スト教研究所紀要』1, p. 102), 松川成夫「明治期における教育と宗教の分離問題+ (『東京女子大付属比較文化研究所紀要』80, 12 13 14. 15) 16 17 18 19 20 21 22 23. p.33) 「私立学校令発布に閲し六私立学校代表者の開書+ (『基督教新聞』明治32年9月1日) 平塚益徳『日本基督教主義教育文化史』 p. 1530 石田加都雄「明治三十二年文部省訓令十二号,宗教教育禁止の指令について+ (『清泉女子大紀 要』8, p. 45) 工藤英一「文部省訓令第十二号とキリスト教学校,井深梶之助の『日記』を中心として+ (「井 p. 476ir.) 深梶之助とその時代+刊行委員会編『井深梶之助とその時代』第2巻, 『読売新聞』明治32年10月1日。『教育時論』522号(明治32年10月15日) p.190 『読売新聞』明治32年10月3日。 「井深梶之助日記+ (「井深梶之助とその時代+刊行委員会編『井深梶之助とその時代』第2巻, p.466) 同上(同上, p. 468) 同上(同上, p. 469) この点ほ,各種学校が多かった仏教系中等学校の場合も同様である。 『時事新報』明治32年8月12日。 東京都『続東京の初等教育』 (都史紀要20) p. 810.

(7) 久. 40. 24) 25 26 27 28. 29 30 31. 『教育時論』(541号,明治33年4月25日,. 木. 幸. 男 p.. 14)紘,東京市内において教校の旧キ1)ス. ト教小学校が「公然設立の手続を経て開設+されたと報じている。 2巻, 45。 『東京府文書窺纂』(明治82年)学事,私立小学校, p. 930 渋川久子『近代日本女性史1,教育』 「知本小学校廃校届+ (『東京府文書類纂』明治32年,学事,私立小学校, 1巻, 79) 「井深梶之助日記+ (「井深梶之助とその時代+刊行会編『井深梶之助とその時代』 第2巻, p. 472) p. 90) 「昨年の宗教界+ (『中央公論』第15巻,第1号,明治33年1月, 「時評+ (『社会』第2巻,第10号,明治33年1月, p.77) 吉岡 剛「キリスト教界の教育世論+ (本山幸彦編『明治教育世論の研究』上, p.243, p.271). 文部省を訓令の実質的部分修正にふみきらせる上で何ほどかの力を発揮したのほ,一つ ほ『万朝報』が提起した,訓令の法的無効論であり,いま一つは東京府の対私立小学校方 針でほなかったと思われる。後者が訓令の実質的修正に及ぼした影響はとくに大きいと考 えられるが,前者にもまた無視できなノいものがある。 『万朝報』ほ9月4日の「言論欄+に, 久津見蕨村「文部省訓令の無効(宗教的小中学校の存立)+と題する論説をかかげて1),荏 来の訓令論評とはまったく異なる視角からの訓令批判の口火を切るとともに,文部省当局 への質疑を繰り返して訓令の法的無効を確認させ,あるいはその実質的部分修正の言質を 得ようと努めており,小規模ながら訓令無効キャソぺ-ソを展開した形になっている. このキャンペーンのきっかけになった久津見論説は,まず訓令によって「宗教学校の恐 憧を惹起し来れる+現状を指摘したのち,ひるがえってそのような「恐憧+ほすべて「無 用+だと断定している。なぜなら,宗教教育・宗教儀式を行なう私立学校をこの訓令によ 「経営者が共処分に対抗し,敢て共悪法,法律,勅令の禁止す って処分しようとしても, る所に非ざるを主張せば,監督官庁は之を如何に処理せんとするや+。命令違反だとして 「教育上有害なりと認められる 閉校を命じ得るのは,私立学校令第9条に規定するごとく,. 場合+に限るが,宗教教育禁止ほ訓令中にいうごとく,文部大臣が「学政上長必要と認め たるが故+にすぎない。したがって,宗教教育を行なうことは「最不必要たるに止まり+, 「有害+でほない。それゆえ訓令違反校を私立学校令第9条・第10粂によって処分する ことは不可能である。. -このように主張して,訓令が法的拘束力をもち得ないことを論 証した久津見は,さらに鋒先を転じて,訓令は私立学校令に抵触する違法のものだと論じ ている。すなわち,訓令は地方庁・直轄学校宛のもので,. 「法律,勅令の所定以外,即ち. 其沈黙せる条件を禁止し得ベき権能あるものに非ざる也+。私立学校令が宗教教育を禁じ ていないということほ,それが「公然許可せられたる事+を意味し,勅令が認めているも のを訓令をもって禁止することはできない。 「是故に,此訓令ほ明に私立学校令に抵触し+ 「一般の教育の総てに宗 ている,というのがこの論説の結論であるが,久津見ほさらに, 教の教育と儀式とを入れよ+というのではないが, 「私人の設立する学校ほ,何種のもの と柾も,之に宗教を入るゝほ固より其自由に任すベし+と付け加えている。. 私立学校令制定過程で,宗教教育禁止条項が訓令に移された結果,その法的な効力占ミ変.

(8) 訓令12号の思想と現実(2). 41. ったのは当然であるが,ふしぎにもこのことほ,訓令公布以来看過されてきている。この 意味で久津見の論説ほ,これまでの訓令論評(賛成論,反対論を含めて)の盲点をつくも のであったとともに,内容的にもきわめて説得性のあるものであり,それへの有効な反論 はおそらく成り立ち得ないと考えられる。しかも『万朝報』は前述のように,こうした論 説をかかげて訓令の無効を主張するのみでなく,さらに反論困難な久津見論説に対する文 部当局の意見を質して,結局訓令の無効をほぼ東認させ,訓令は「違反して可なるもの+ とのコメントを付して,それを次のごとく大々的に報道している。 文部当局者の意見を聞くに左の如し。 △勅令と訓令. -・(訓令は)元来法令の施行に際し,下僚に主務大臣の発するものなれば,固. より以て法令に背馳すべからぎるは勿論,法令の代用をなすベき筈ほなし. △私立学校令と訓令 私立学校令には,教育,宗教を区分したる成文なし。文部省訓令第十二号 にほ,是れが区分を命じたり.而も文部大臣は,一般の法令内に於て,教育の監督者たる職務上必 要の訓令を発し得るを以て, -私立学校令ケこ規定なき規定を訓令にて命じたりして,直に法令外の 規定を訓令に依て命じたりとは断言し難しo随って第十二号訓令は,法令を代用したるものにて' 廃止の上之に代る法令の出づべき筈のものなりや否やほ問題なりo △訓令の制裁. 併し訓令には成文の制裁なし?教育者が訓令第十二号に違背し,教育と宗教とを. 混同したりとて,文部大臣は直轄学校ならば校長を罷免し,私立学校ならば,監督者の意志に背く 罪を徳義上に校長に薫むる外,固より以て私立学校令に明記したる処罰を課すベき筈なしo私立学 校令には,教育に害あるものの処罰を規定するのみにて,教宗の混同ほ,文部大臣が有害とまでほ 認め居らざればなり。 当局者の意見右の如くなれば,訓令第十二号の法令の範囲外に亘るか香かほ,教育者に講究の余 地を存し,教宗の混同に対し若し文部大臣が私立学校令の処罰を適用することあらば,裁判に訴ても,必ず勝訴教育者に在るベく,叉自己り良Lhにだに背かずば,訓令第十二号はドシドシ違反し て可なるものなり乞)o. 一読明らかなごとく「文部当局者+ほ,久拝見指摘のとおり,訓令に拘束力(制裁カ) のないこと,訓令が一般に法令に代るものでないことを認めさせられており,訓令が私立 学校令違反だという点のみは, 「問題なり+として逃げている形である。訓令が「私立学 「文部当局者+の容 校令に抵触することを認めることほ,当然訓令の撤回に連なるから, 易に東認し難いところだったと考えられる。 もっとも,このように訓令の無効をはぼ認めさせられた形の文部省は,訓令違反ほ処罰 対象になるとの,次のような見解を流して,一応まきかえしをはかっているが,訓令違反 をそのまま法令違反とするのほひじょうに無理な解釈であり,あまり説得性ほなカiったも のと思われる。. 若し此訓令を遵奉せず,勝手に宗教上の儀式又は教育を行ひたるときは,如何なる処分を受くべ、 きやに就き,世上疑を抱くものあり。文部当局者の語る所によれば,此場合は私立学校令第十条に ょり,法令の規定に違反したるものと認定せられ,監督官庁より該当校の閉鎮を命ずべきものにし て,尚此処分に対しては,訴願法により訴験することを得る旨も,同じく私立学校令に規定しあれ ども,之に判決を与ふるほ文部大臣なれば,結局其訴蘇も敗訴む羊帰すベきほ勿論なるベしと云ふ8)..

(9) 42. 久. なおこの「文部当局者+と,. 木. 幸. 男. 『万朝報』紙上で,訓令は「法令の代用をなすべき筈ほな. し+と語らされた「文部当局者+とが,同一人物であるか否かほ不明であるが,既述のよ うに文部省内にほ,宗教教育禁止についてニュアンスの異なる意見がかねてあったから, 同一人物でない可能性が大きい.少なくとも9月上旬の時点でほ,文部省にまだ訓令の実 質的部分修正にふみきる用意がなく,あるいはそれについての確たる意思統一がなかった ものと思われる。それゆえ訓令無効論へのまきかえしが,省内の一部で試みられることに もなったのであろう。. 『万朝報』紙上に,久 このまきかえしが功を奏したとはとうてい見られないが,他方, 津見がさらに「積極的道徳(宗教教育者の党醍)+と題する論説を発表して繋けた追い討 ちも,あまり有効であったとは思われない。久津見ほこの論説で,●積瞳的道徳,つまり 「不道理に対して飽く迄も抵抗せんとする元気精神+が教育社会に欠如しているが,これ なくしてほ「其国の教育は己に死せりと云ふ+べきだとし,さらに, 当無効の着たること明な+訓令12号は「不当の訓令+. 「勅令に抵触せる不. 「悪の訓令+であるから,. 「悪に対. いて戦はぎる可らざる,善の勇士たるべき教育者,殊には直接の利害の関係ある宗教的教 育家等ほ,須く速に積極的道徳の欠く可らざるを覚醒し,善軍の先鋒となりて,大に柄暁 の声を掲くtl可し4)+と,教育家が訓令反対に立ち上がるよう呼びかけたのであるが,むろ んこれに応じる教育家がいたわけではなかった。 このように久拝見の追い討ちも文部省のまきかえしも,ともに不発に終ったのであるが, 『万朝報』はさらに岡田参与官と一問-答を試みて,岡田から訓令の実質的部分修正を示 唆する解答を引き出し,それを次のごとく報じている。 社員,岡田文部参与官と語る。社員日く,学校が生徒を強制して宗教の教義を授くるほ不可なる べきも,教員生徒各人各個の信教心が一致したる場合に,校舎を借りて宗教の儀式を行ひ,若くは 宗教教育の研究をなす事は差問なからん,如何。 参与日く,然り。然れども衆生徒中若し之に異なりたる宗教を倍ずる二三の生徒ありて,同様の 事をなさんとする場合ありとも,学校は之を拒むこと能はず。訓令の精神は,教育によって布教を 常助するを許さざると同時に,又布教を妨害することをも許さざるにあればなり。従来小学校教師 などの中には,教投の際に基督教を誹話する等のことも随分有勝なりしが,是等も無論訓令の精神 (ママ). に戻りたる所為なれば,向後は厳重に取締るべき方針なり。 社員白く,学校に於ける倫理教育の基礎は,教育勅語に拠るべき√こと勿論なるが,この勅語を解 釈するに当りて,伐りに聖書中の格言を引用すること如何. 参与日く,敢て差支なし。然れども,若しその理由を解して,これ神の命なり,神の命に従ふな ′ママ). りといはば,明に訓令の精神に戻るものなり。 社員日く,文部省ほ如何にしてこれを取締らんとするか。人の精神を監督するは,到底出来得べ からざる事ならずや。 参与日く,随分困難なるべし。然れども困難なりとて故地すること能ほず)0. いうまでもなく「社員+の第1問に対する岡田の答えほ,訓令の実質上の部分修正を示 唆したものである。また第2問・第3問ほ,第3回高等教育会議における伊沢修二と岡田 との質疑応答の繰り返しに近いが,第2問に対する岡田の答弁には,高等教育会議の場合.

(10) 43. 訓令12号の思想と現実(2). とは若干のニュアンスの差が感じられる。既述のごとく高等教育会議では岡田は,. 「其根. 拠ヲ宗教ニ取来リマシテ,勅語ヲ説明スルヤウノコトデアリマシタラ,矢張是-宗教上ノ 教育ヲ施スモノト認メテ差支ナイ+と述べているが,ここでは神の名を出すことは不可だ としながら聖書の引用は「敢て差支なし+と,一歩後退している感がある。半年前の第3 回高等教育会議当時にくらベて,宗教教育禁止条項が私立学校令から訓令に移された上に, その訓令についても,久拝見の論説や『万朝報』記者に対する前引「文部当局者+談話に ょって,その法的無効がほぼ明らかにされていただ桝こ,岡田の姿勢はかなり低くなって いたといえよう。そして,費員・生徒有志主催というたてまえの宗教儀式・宗教教育を認 めるという形で,訓令に事実上の部分修正を加えることを示唆し,訓令無効論の追撃をか わそうとしたのが,第1問に対する岡田の解答の真意であろう。 しかもこれが岡田個人の考えにとどまらなかったことは,既述の10月2日のキリス. ト教学校代表者との会見の席上,樺山文相が「一個人としては彼の訓令の如き,毒も発布 の必要を認めず6)+と述べたと伝えられていることからも明らかであろう。もっとも岡田 は,教育の宗教的中立性を強調して,小学校教師のキリスト教誹讃を「厳重取締るベき方 針+だとも語っているが,福島県の小学校教師が,家族とともにキリスト教教会に行った 児童を処罰した事件が,その後間もなく起っていることからうかがわれるように7',. 「厳重. に取締るベき方針+は必らずしも厳重に実行されてほいない。しかし岡田としては,訓令 がキリスト教のみを抑圧するものだという印象を薄めて批判・攻撃をかわしつつ,実質上 の部分修正による収拾をほかったのであろう。 この一見柔軟に見える岡田の態度は,彼がキリスト教学校代表の陳情に対してとったと いわれる強硬な姿勢8)とは矛盾するかのようである。たしかに10月25日,青山学院の 「中々剛情ニシテ容 本多庸一,同志社の西原清東とともに岡田に陳情した井深梶之助も, 易ニ屈服セズo要領ヲ得ズシテ帰ル9)+とその「日記+に書きしるしており,岡田は強硬. に陳情をはねつけている。しかしこの10月25日の時点でほ,後述のごとく訓令の実質 的部分修正の方針が,文部省普通・専門両学務局共同通牒の形ですでに確定・発表されて おり,キリスト教学校の一部もそれを受けいれていた。岡田が「中々剛情+であったのは, この修正を受けいれず訓令の適用除外を要求しつづけた青山・同志社・明学の代表に対し てであったが,それは「訓令-二号の完全実施に山県内閣が強硬な態度をとった10)+ため でもなければ,また「当局の方針ほ断乎として変ることな11)+かったのでもない。訓令の 実質的部分修正の方針は,岡田が『万朝報』記者の質疑に答えた9月半ば頃にはほぼ囲って いたのであり,岡田はこの方針のもとに『万朝報』記者や井深たちに対応したのであろう。 ところでこの訓令の実質的部分修正が正式になされたのは,私立学校令,同施行規則, および訓令12号の解釈や運用について「頃日釆府県ヨリノ照会ニ対シ,本省ヨリ回答シ 10月12日付で出された合計21L項目の普通・専門両学務局共同過 タルモノ+として, 牒においてであった。むろんこの21項全部が訓令の部分修正に関するものセはなく,そ れに多少ともかかわるのほ4=境目のみであるが,. ,それらの照会文(地方庁)と回答(文部 2は直接訓令に, 省)とを次に掲げておこう。ただし番号は便宜付したもので,その1,. 3,.

(11) 44. 久. 木. 幸. 男. 4は直接にほ私立学校令に(間接にほ訓令に)関するものである。 1学校職員生徒ノ全部叉-ー部ノ団体,校舎内二於テ学校ノ事業トセスシテ,宗教上ノ幕話, 儀式ヲ行フ-差支ナキカ。 (回答)事実学校ノ事業二非スト認ムへキモノ-見解ノ通。但小学校令第十八粂ノ如ク特別ノ規 定アルモノ-此限エアラス。 2. 学校ノ事業トセスシテ職員生徒ノ全部又-ー部ノ団体,校舎内二於テ宗教上ノ講話,儀式ヲ. ナス-,小学生ノ如ク其意思二依ルト認ル能-サル者モ差支ナキカ。 (回答)見解ノ通。 3. 尋常小学校ノ衣料ノ外二宗教ノー科目ヲ加へタル各種学校ヲ認可シ然ル可キカo. (回答)見解ノ通。 4. 上記各種学校-ノ入学ヲ,小学校令第二十二条二依り,市町村長二於テ許可ヲ与-然ル可キ. カ。. (回答)尋常小学校ノ教科ヲ教授スト認ムルトキ-見解ノ通12)0 このうち1ほ,. 『万朝報』記者の第1問に対する岡田の解答と同内容であり,. 2は1が. 小学校にも適用されることを明示したものである。一応訓令の解釈という形をとってほい るが,訓令の実質上の修正であることほ明らかであろう。訓怜が「課程外タリトモ+ フコトヲ許ササル-シ+とした宗教儀式・宗教教育を,. 「行. 「学校ノ事業トセスシテ+. 「校舎内. 二於テ+行なうことが認められたのであるから,実質的にほ「課程外+の宗教教育が認容 されたのに等しい。 「職員生徒ノ全部+が参加するのであれば, 「学校ノ事業トセス+とい うのはまったく形の上だけのことにとどまり,課外活動と異なるところがないからである。 この実質上の修正によって,. 「課程トシテ+の宗教儀式・宗教教育のみが禁じられること. になり,私立学校令第1次案第17粂以降の宗教教育禁止粂萌に比較して,かなり緩和さ れていることほ確かである(第4表)0 共同通牒によって訓令を実質に修正した文部省ほ,キリスト教学校がこれに応じること を期待したようである。キリスト教学校側でも,各種学校となる途を選ばず中学校存続方 針をとった立教や麻生は,共同通牒の線にそって,事実上の課外としての宗教教育を継続 している。麻生中学でほ,. 「毎朝授業開始前十五分,バイブルの講義をなして篤志著に聴. かしめ1S)+たといわれ,立教中学については, (訓令ほ)只表面上禁止した而己にて内々儀式を行ふは差支なしと云ふ意見に(文部省が)なった. 第4表. 禁. 止. 範. 宗教教育禁止条項適用校・禁止範囲の変遷. 私立学校令第1 次案・第17条. 私立学校令第2 次菓・第10条. 校. 小学校・中学校・ 高女,政府の特権 を得たる学校. 小学校・中学校・ 高女,政府の特権 を得たる学校. 小学校・中学校・ 高女. 小学校・中学校・ 高女. 囲. 宗教儀式・宗教教 育(課程内外につ いては定めなし). 課程内外の宗教儀 式,課程内の宗教. 課程内外の宗教儀 式,課程内外の宗 教教育. 課程内の宗教儀. 教育. 訓. 令12. 号. 10. 共. 月 同. 12. 日. 通. 牒. 式,課程内の宗教 教育.

(12) 訓令12号の思想と現実(2). 45. (ママ). とほ,何が何だか一切別らず。因って聖公会派に属する監督及び常置委員等は,此機を外さず協議 を凝らし,筑地の立教中学,奈良中学等には,中学認可の返却を見合ほさしめ,軽業時間外に宗教 儀式を応用し,ドシ々々耶蘇教育を実行すべきことに決したり14)0. と報じられているが,立教が中学存続を決めたのは8月末であり(第3表参照),寄宿舎 9月中旬頃にほ文部省から得ていたと. において宗教教育を行なうことについての了解を,. いわれている16).各種学校となる方針を決めたキ1)スト教学校に対しても,文部省ほ共同 通牒に従がうよう働きかけており, 「何とか(訓令の)都合書き解釈をなしてほ如何とて, 陰然取消を為したるが如き姿18)+だと報道されている。また樺山文相が「表面に現はして 私立学校内に宗教の儀式を行ふことを許さぎるも,其裏面に於て執行することほ差支な し+と語ったことを報じた,訓令賛成派の『教育時論』ほ,. 「鳴呼,十二号訓令は今猶そ. の名目を存すといへども,優に残骸を保てるのみ+と,訓令の実質上の修正を慨嘆してい る1ア)0. 既述のごとく私立学校令制定過程で宗教教育禁止条項に固執し,ようやく訓令の発布に こぎつけた文部省が,その後しばらくの間にその実質上の修正にふみきったのは,確かに 朝令暮改のそしりを免れ難いであろうが,むろんそれほ,かなり複雑な事情や背景があっ てのことであろうと思われる。前記『万朝報』の訓令無効キャンペーンがこの間に一定の 役割を果したと考えられるが,私立学校令によってひき起され,訓令によって深刻化する ことになった私立小学校廃校問題の影響も,また見のがすことができない。上記共同通牒 4ほ,多数の私立小学校の廃校という事態をのりきるための,私立学校令・訓令の事. 3,. 実上の部分修正措置なのである。 私立学校令はその第8条において,代用指定をうけない私立小学校が義務教育年令の児 童を入学させることを禁じたが,そのため非代用私立小学校は当然廃校の危機に陥った。 私立への依存度がとくに高かった東京市では(第5表),私立小学校の危機ほそのまま初 等教育の危横でもあった。もっともこのことは,すでに私立学校令第1次案発表当時から 予想されていたところであって,一貫して私立学校令支持の立場をとっていた『教育時論』 ち, 5月上旬の時点で次のような警告を発していた。 私立学校令発布の暁には,代用私立小学校の外,他の私立小学校は一切義務教育年令の児童を収 容すること得ぎるに至るo東京市内無数の私立小学校果して如何ん。蓋し必ず紛擾を生ずるならんo 此の際文部省ほ,叉彼の授業料制限令の如き不体裁を演ずることなかれ18)0. ・「授業料潮限令の如き不体裁+とほ,明治30年11月,公立小学校の授業料を1月30 第5表. 公私立小学校数・同児童数(明治32年12月1日現在). 公立小学校数 東. 京. 市. 内. 77. 東. 京. 府. 下. 355. 全. (注). 国. 26. ,370. 同. 児. 童 47. 数. ,005. 54 662 ,. 4. ,000,973. 『文部省第26年報』 (明治32年度)第3篇による。. 私立小学校数 279 32 454. 同. 児 40. 童 ,294. 3,731 61. ,445. 数.

(13) 46. 久. 木. 幸. 男. 銭以下と定める勅令を公布しながら,猛烈な反対をうけてその施行を無期延期したこと19) を指す。私立学校令第8粂も,これとあまり違わない程度の不体裁さで,事実上の修正 (「但し書き+を活用して, 「本則+を骨抜きにする)をうけるのであるが,それは文部省. や当面の責任者たる東京市が,予想された危磯に対し,何の事前措置も講じなかムたため であった。文部省ほ後述のごとく東京府の突き上げをうけるまで手を洪いており,東京市 もかねての計画たる公立小学校若干の増設(いわゆる「十年計画+)20)のほか具体策をもち あわせていなかった。そして,私立学校令・訓令の公布によって多数の一般私立小学校が 廃校に追いこまれ,とくにキリスト教小学校は訓令の趣旨からいって,代用小学校として ち,小学校類似の各種小学校としても存続困簸で21),自然閉校に至ることが確実視される 『時事新報』 段階乞2)になっても,東京市がほとんど施すべき策をもっていなかったことほ, が次のごとく伝えていることからも明らかである。 東京市の如きほ困難を感ずるは必定にて,宗教主義の小学校の閉校と同時に,他㌢こ直に該小学校 の生徒数千を収容すべき教育所を設置せざるべからず。当局者中には矢張り然るべき寺院及び民家 を以て之に充つべき考案なる由なるが,兎に角に例の十年計画さ-実行覚束なく,寺院及び民家な (ママ). どを仮校舎に転用する義もある折柄,宗教主義小学校の閉校を見るに至らば,彼走れ不便少なから ざるべしと云ふ23)0. 私立学校令・訓令公布以降,廃校する私立小学校が増加したことほ第6表から知られる とおりであるが,. -これにほ「当局者も-・・大に困却+せざるを得なかった24).こうした状 「従来代用小学校なるを許さざりし私立小学校ま 況下で東京市が最後に打ち出したのは, でをも,代用小学校として採用+するという方針であった。私立学校令第8条本則にあく まで忠実であろうとしつつ,一般私立小学校の廃校をできるだけくいとめようとしたわけ であるが,それは「随分思い切りたる乱暴の沙汰にして,東京市の教育事業ほ愈々出でて 愈々拙なり+との批評を蒙らねばならぬようなものでしかなかった26).ただし代用指定校 増加要求ほ,一般私立小学校側にもあった。東京市内私立小学校主の団体である私立小学 「-,私立小学校に入学を願出でたる学令児童に対し; 校協和会は, 9月16日の総会で, 許可の手続を可成的簡便にする事。二,私立小学校長又は教員たらんと欲する者に対し,. 認可の標準を寛大にする事。三,私立小学校を尽く代用となすべき事+の8萌を決議し, 「其筋に建議+している26)。もっとも「其筋の意向+としてほ,これらはことごとく拒否 されるだろうと伝えられている27)。協和会はその後,私立小学校教員認可について「可成 的寛大ノ方針+をもってするよう東京府に「建議+しており乏8),またもう一つの私立小学 第6表 明治29年 廃校数. 明治30年 17. 東京市内私立小学校廃校数 明治31年 14. 明 治 32年 8月3日以前 ll. 明 治32年. 8月4日以後 8. 明治33年 16. 「市内私立小学校増源調+ (『東京府文書類纂』明治32年,学事, (注)明治29-31年廃校教ほ, (同上,明治32, 私立小学校, 2巻, 52)に,明治32-33年分は,各年度「廃校届+ 33年, 学事,私立学校)による。.

(14) 訓令12号の思想と現実(2). 校主団体たる私立小学校同志会も,. 47. 10月10日,全私立小学校の代用指定と禰助金交付. 杏,東京市に陳情している29). これに対して,代用小学校の指定権30)をもつ東京府ほ,代用私立小学校を増加すること にほ否定的で,私立小学校廃校問題に対してほ,私立学校令第8条の本則無視,但し書き 活用の方針を,少なくとも8月下旬には確立していた。このことほ,非代用私立小学校を 「如何二御処分相成居御方針二侯哉+を尋ねた新潟県知事の照会に対し,東京府が次の回 答をしていることからも明らかである。 私立学校令施行方針間合二付回答(秦). 明治32年8月28日. 私立学校令発布二付代用ニアラサル私立小学校二対スル処分御照会ノ趣了東。右二就テ-目下府 下二於テ-公立小学校ノ設備未夕治ク学令児童ヲ収容スルニ足ラサルヲ以テ先般来専ラカヲ虫二注 キ居り此経営予期ノ如ク相運ヒ侯時期マテ-代用ニアラサル私立小学校二就学スルモノ-従前ノ通 小学校令第二十二条ノ手続二依ラシムルコト、シ此際殊更二格段ノ処分二及-サル見込二有之侯。 此段及御回答俵也。 年′. 月. 日. 東京府知事. 新潟県知事殿81) そして,. 「此際殊更ニ格段ノ処分ニ及-サル見込+という東京府の方針は,非代用私立. 小学校だけでなく,キリスト教小学校に対する方針でもあったが,この点でも東京府と東 京市の方針にほ対立があった。両者の意見対立についてほ,次のような報道がある。 各市町村長は,如何に設備完全なるも宗教主義の小学校には,義務教育未了の児童を入学せしめ ぎる様取計ふベく,現に東京市教育係の如きも同上の意見を有し居る由なるが,今,岡東京府視学 官の意見を聞くに,同氏ほ,宗教主義の小学校と錐も,其教師の資格十分にして設備完全なる英一 方に,市立又は代用小学校の数少なくして,十分に学令就学児童を収容する能はぎる場合にほ,如 何に文部省の訓令あるとも,市町村長は児童の右宗教主義小学校に入学するを禁ずる能ほざるベし 云々と語れり。市役所の意見と岡視学官の意見と此の如く相違するは学事上不都合の次第にして, 宗教主義小学校も多少進退に迷惑を感ずるなるベしと云ふ82)o. しかし両者の対立は永くはつづかず,東京府は文部省と折衝して,. 9月下旬,結局前引. の共同通牒3, 4に当る内容を文部省に認めさせることに成功しているo私立学校令・訓 令発布以前から予想された初等教育の危機に対して,予め有効な対応策を講じなかった文 部省は, 「府下普通教育の浮沈+を主張する東京府におしきられた感がある。この間の事 情を『万朝報』ほ次のように報じて,さらに訓令の撤回をも要求している。 最も多数の宗教小学校を有する東京府の如きほ,府下普通教育の浮沈にも関係することゝて,此 間に処する文部省との交捗にほ,随分努むる所ありしと聞きしが, r此程に至りて文部省は東京府知 事を経て,市町村長が義務教育を授くるに於て適当なりと認めたる小学校ならば,例令其小学校が 宗教主義の小学校たるにもせよ,小学校に類する各種学校として,一般非代用学校の取扱方に準じ 適宜認可するも差支なからんとの内意を市長に伝-たりo. されば目下その存亡を危みつゝある二十. 余の宗教主義小学校は,更に小学校に類する各種学校設立の手続を履みて,遠島ゝらず従来の如く授 業を再興することとなるベしと聞くo. さるにても文部省ほ,何の為に彼の訓令を発したるにや.今. 更趣意の立たぎる位のものならば,寧ろ男らしく根本より之を取消すこと,然るべきにあらずや88)o.

(15) 48. 久. 木. 雫. 男. また『教育時論』も,文部省が「宗教主義の小学校+を「小学校に類似する各種学校と 「十二号訓令の運命は,或ほ告 して過宜認可+することを認めるに至ったことを述べて, 朔の舘羊となり了らんとす84)+と嘆いた。もっとも,訓令が「今更趣意の立たぎる+もの となり, 「告朔の舘羊+と化したか否かについては,議論の別れるところであって8b),さ らに別の考察が必要であろう。 しかし,その意味や影響をどのように評価するにせよ,訓令が実質上の部分修正を受け たことは明らかであり,この修正を正式に認知・公表した前記共同通牒の1が主として宗 教主義中学校に対する, 2-4が宗教主義小学校に対する,訓令の規制力をそれぞれ減殺 するものであったことも,改めていうまでもないところである。また,訓令自体の矛盾お よび宗教教育禁止条項が訓令に移されたことによって生じたその弱みを衝いた訓令無効キ ャンペーンや,私立小学校に依存するところの少なくない初等教育体制と私立学校令・訓 令との問の矛盾を暴露することになった私立小学校廃校問題の発生をきっかけにして,訓 令の実質的部分修正が行なわれるに至ったことも,上乗概観してきたとおりである。しか し果してこれらのできごとだけが,文部省を訓令の事実上の修正にふみきらせた原因であ ったのかどうかについて,疑問が残らないわけではない6訓令公布以降のできごとを追っ て行くかぎりでは,文部省ほそれらに追い立てられて修正にまで追いこまれていったよう に見えるが,果Lてそう考えてよいのかどうかo前に少しふれたように,文部省が共同通 牒1の線をキリスト教学校に押しつけようとしていることほ(結局は成功しなかったが), 修正が単なる受身の立場からのみなされたのではないことを暗示しているようである。あ る意味では修正の意義や評価にも連なると思われるこの問題は,例えば当時の思想状況や 山県内閣の宗教政策などを含む,もう少し広い角度からの吟味を要求しているのではない (未完). かと考えられるのである。 注 1 2 3 4 5 6. 日。 『万朝報』明治32年9月4 『万朝報』明治32年9月6日。 『時事新報』明治32年9月7日。 6 日。 『万朝報』明治32年9月 『万朝報』明治82年9月16日。 『教師之友』14号(明治32年10月). p.. 1040. 『教育時論』552号(明治32年10月15日). p.370. 7) 8) 9) 10) ll) 12). p. 1490 『教師之友』15号(明治32年11月) 松川成夫「明治期における教育と宗教の分離問題+ (『東京女子大付属比較文化研究所紀要』30, p. 35) 『明治学院90年史』 p. 108。 p・ 「井深梶之助日記+ (「井深梶之助とその時代+刊行会編『井深梶之助とその時代』第2巻, 470) 工藤英一「日本近代化の過程におけるキリスト教学校教育の問題-文部省訓令第一二号をめ (oって-+ (『明治学院大キリスト教研究紀要』1, p. 103) 平家益徳『日本基督教主義教育文化史』 p. 153. p. 36f.)。なお1にいう小学校令 「文部省伺指令+ (『教育公報』 229号,明治36年11月, 第18粂は,小学校施設の目的外使用の特例忙関する, 4の小学校令第22粂ほ,公立小学校・.

(16) 49. 訓令12号の思想と現実(2). 18) 14) 15) 16) 17) 18) 19) 20) 21) 22) 23) 24) 25) 26) 27) 28) 29) 30) 31) 32) 33) 34) 85). 代用私立小学校以外の場所における就学の特例に関する規定であるo 江原先生伝編纂委員会窮『江原素六先生伝』 p・ 311o p・ 51。 『教育公論』24号(明治33年1月) 石田加都雄「明治三十二年文部省訓令十二号,宗教教育禁止の指令について+ 要』 8, p. 62) 『読売新聞』明治32年10月16日o p・ 30. 『教育時論』532号(明治33年1月25日) p・ 37o 『教育時論』506号(明治32年5月5日) p・ 19f・ 『明治以降・教育制度発達史』第4巻, p・ lワo 『教育時論』510号(明治32年6月15日) 『時事新報』明治32年8月12日o 『時事新報』明治32年8月24日o 『時事新報』明治32年8月25日。 『報知新聞』明治32年9月8日。 『時事新報』明治32年8月27日o 『万朝報』明治32年9月18日. 『報知新聞』明治32年9月21日. 「教員認可ニ関スル建議+ (『東京府文書類纂』明治32年,学事,学務雑件, p. 108f. 『教師之友』14号(明治32年10月) 「私立小学校代用規則+ (『明治以降・教育潮度発達史』第き巻, p・ 82) 1巻, 82。 『東京府文書類纂』(明治32年)学事,私立小学校, 『教師之友』13号(明治32■年9月) 『時事新報』明治32年9月21日.. (『清泉女子大紀. 2巻, 10). p・. 56o. 『万朝報』明治32年9月29日. p・36. 『教育時論』522号(明治32年10月15日) 各種学校の途を歩んだキ.)スト教学校が,明治88年以降徴兵猶予や上級校進学資格などの 「特権+を漸次回復した点を重視して,訓令は「全く骨抜き+になったとする見解(青山学院 編『本多庸一伝』 p. 196)と,訓令は依然としてキリスト教学校を「日蔭者+たらしめつづけ たと見る説(工藤英一「日本近代化の過程におけるキ1)スト教学校教育の問題一文部省訓令 『明治学院大キリスト教研究所紀要』 1, p・ 111)とがあるo 第一二号をめ(oって-J.

(17)

参照

関連したドキュメント

2.1で指摘した通り、過去形の導入に当たって は「過去の出来事」における「過去」の概念は

また、2020 年度第 3 次補正予算に係るものの一部が 2022 年度に出来高として実現すると想定したほ

関係委員会のお力で次第に盛り上がりを見せ ているが,その時だけのお祭りで終わらせて

サビーヌはアストンがレオンとの日課の訓練に注意を払うとは思わなかったし,アストンが何か技を身に

LLVM から Haskell への変換は、各 LLVM 命令をそれと 同等な処理を行う Haskell のプログラムに変換することに より、実現される。

児童生徒の長期的な体力低下が指摘されてから 久しい。 文部科学省の調査結果からも 1985 年前 後の体力ピーク時から

の原文は“ Intellectual and religious ”となっており、キリスト教に基づく 高邁な全人教育の理想が読みとれます。.

右の実方説では︑相互拘束と共同認識がカルテルの実態上の問題として区別されているのであるが︑相互拘束によ