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一無散人『諸国奇談 東遊奇談』 : 翻刻と解説

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一無散人

﹃舗細東遊奇談﹄

1翻刻と解説1

山 本 和 明

 寛政十三年初春、京都の書騨魚屋儀兵衛他から﹃東遊奇談﹄ なる書が刊行された。序文を記した橘南黙の言をまつまでもな く、南難の﹁東西遊記﹂の人気に追随する存在であることは、 その題に明らかである。旅した順序にしたがって記すのではな く、短い話を退屈することのないよう、適当な変化をつけなが ら配列させる形式−1﹁東西遊記﹂に倣って、﹃東遊奇談﹄もそ の形式を踏襲している。  ﹁東遊﹂とはいい条、内容的には伊勢︵﹁鰹節の味噌漬﹂﹁鶴 沢市太郎妙絃﹂﹁婦女罵雷﹂︶、紀州︵﹁徳本仏相﹂︶、京都︵﹁西行 庵蛇﹂﹁花子の茶湯﹂︶を含むもので、言わば﹁皇都﹂を起点と した東遊であった。  中には、芭蕉堂高桑閲更にまつわるエピソード︵巻五﹁西行 庵蛇﹂︶なども掲載しており、興味深いものがあるが、とりわけ 巻 ﹁中村吉十郎幽霊﹂の話に論者は興味を覚える。  本話については既に佐藤深雪氏が指摘するところであるが2、 後年、山東京伝読本や南北劇に登場した﹁小幡小平次伝承﹂の 原型と目されるものである。今、試みに島伝﹃安積沼﹄から引 用する。その内容を比較していただきたい3。   かくて左九太郎江戸に帰り、たゴちに小平次が家に去、暗   に彼が妻お塚を露なき所に呼出して、旅中にてゆくりなく   雲平にめぐり合し事より、計をかへ、安積沼に於て小平次   を殺しおもひかけぬ金五両を得たるまで、始終をつばらに   説ければお塚認りていふ、﹁小平次は旅宿にて病を得たるが   少し快きにより人に先だちて帰来しとて、痩重て昨夜家に   帰り、いたく草臥れしとて其侭房間に入りて臥けるが、物   も食ずして今に起出ず﹂といふ。左九郎而て、﹁そは怪事な   り。彼所にゆきこ・ろむべし﹂とてお塚と︾もに房間に入   り、やをら屏風をひきあけんとす。時に裏より青くほそり   たる手くびをさし出し、屏風を押へてひらかしめず。猶し   ひてひらかんとせしに、裏より屏風の縁にかけたる五つの   指、はらくとこぼれ落ちて、屏風はおのつからひらけ、   裏には人影も見えず。ロハ臥具のうちより一団の陰火まろび

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一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 二   いで引窓を越て飛去りぬ。     ︵第八條 小平次冤寒苦姦夫淫婦事並五指五金終有報事︶  共通するのは旅芝居の役者の死と、それを知る者が、妻子の 元を尋ねるという設定、さらに、そこで妻子からその役者がす でに戻ってきていると聞き、急ぎその↓間を覗くと藻抜けの殻 であったという点であろう。典拠とするには躊躇されるものの、 同じようにこの話を伝える﹃海録﹄﹃同棲草﹄﹃耳袋﹄などの写 本に比して、こうした話が寛政十三年段階で刊本として流布し 得たことを裏付けてくれるのである。          ※      ※  作者=無散人﹂は、今日ほとんど知られていないが、近世 中興期に活躍した京都の俳人、岸丈左、一無庵とも号する人物 である。その主な編著書を掲げる。  ◇﹃奥のしほり﹄寛政五年 半一冊 丈左房一拳編   松露庵東海房月明序︵寛政三年︶鶴樂主思陽焔︵寛政五年︶   文鳥序︵寛政五年︶自序  ◇﹃狭名早立集﹄寛政六年 半一冊 一無庵丈左房編   随斎成美序・暦営営竹冠蹟︵寛政六年︶  ◇﹃墨譜八倦歌﹄寛政七年 大一冊 一無庵丈左降   自序︵寛政七年︶連桑庵律大仁︵寛政七年︶芭蕉堂閲更践   ︵寛政七年︶京都菊舎太兵衛  ◇﹃花むつひ﹄寛政八年半一冊 一無庵丈左編   自序︵寛政八年︶重厚践︵寛政八年︶ 京都菊舎太兵衛  ◇﹃な・もみち﹄寛政八年 半一冊 一無庵丈左編   自序︵寛政八年︶閲更践︵寛政八年︶ 京都菊舎太兵衛  ◇﹃発句島上集﹄寛政十一年中五冊 一望万丈左編   南陽等校・自序︵寛政十年︶ 大坂河内屋太助外四軒  ◇﹃高名題画﹄享和三年序践 大↓冊 一戸斎︵一無仙翁︶   編 生生白馬序・八千里雪︵享和三年︶ 京都身屋治兵衛 丸山一彦氏の紹介する書簡に従うならば︵﹁白雄・閾更及び丈左 書簡の紹介﹂国語国文 昭和二一二・六V、寛政の初め、陸奥へ下 向し、寛政五年七月までに帰洛している、。その旅の成果でもあ る﹃奥のしほり﹄の自序等に従い、その来歴をたどるならば、 初めは淡々門であったが︵﹁初め半時庵に属して学ひ﹂︶、宝暦十 一年 刈Oμの淡々没後、千載堂丈石門となり点者の列に連なるほ どであった︵﹁千載堂血石に道を習ひ武辺に点廓をつらぬき洛の 詞宗の列に入事二十余年﹂︶。安永八年一嘗刈㊤丈石滅後は﹁粟津義 仲寺に詣で蕉翁の杖下に随ん事を願ひ生涯蕉門の誓ひを告﹂た という。云うまでもなく寛政初年からの陸奥下向は、元禄二年、 芭蕉が﹁奥の細道﹂行脚に出立してから百年目にあたる。﹁翁世 になくなりて百年のとしにあたれるに、俳譜のほそ道たとりな れてまたそのむかしをしのへる人等おほき中に、洛の丈左ほふ し、翁の杖の跡をしたひ、奥羽の間にさまよひありきて﹂と夏 目成美の記す如く︵﹃狭田辺来集﹄序﹀、まさにその旅は芭蕉を

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慕うてのものであったと思しい。五年にも及ぶその旅の中で、 丈左は埋もれていたしのぶ文字摺の石を発見し、﹃狭名同等集﹄ はそれを記念して編まれた。文字置石のことは﹃東遊奇談﹄巻 四﹁信夫摺﹂でも繰り返し述べられている。参考までに﹃唱名 辺墳集﹄37丁表の文面を掲げておく。   文字搦石之図    臼芝山写意   丈さ法師かとみに見出せし古きしのふ摺の石を絹に   染ておくりける嬉しさに   名に旧りて聞しのみなるみちのくの    しのふ文字掛けふ着そゆらん    右関丈公  ところで、﹃奥のしほり﹄自序に﹁我やことなき卿に仕まつり 志を風流の為に官を辞して世をいとひしに﹂とある5。﹁おもひ かえてふた・ひ帰れ大内山花の都の花の春には﹂といった歌を 贈られていることからも、薙髪する前は宮中で仕えた人物と考 えらるが、詳しいことは残念ながら確認できていない。ともあ れ、その俳譜活動の中で成美、閑更︵丸山論文参照︶、松露庵鳥 明︵﹁東都に杖を入古き知己なる松露庵に杖を休め﹂︶、さらに鈴 木牧之や一茶などとも交流があったようで、中興期の俳壇情勢 を考える上で無視できない人物である。          ※      ※  版本上の相違について若干記す。﹃東遊奇談﹄は半紙本五巻五 冊からなる。﹃国書総目録﹄﹃古典籍総合目録﹄によれば、﹁国 会・東大・刈谷・高木・無窮神習・竜華・都立︵日比谷︶諸 家・茨城菅・金沢大﹂に所蔵されているとのことであるが、管 見に及んだのは﹁東大・竜谷・都立﹂と、架蔵本及び島根大堀 文庫本の五点である。島根大本を除き、刊記は次のように記さ れている。    寛政十三年歳次累石初春        八幡屋 金七

    皇都書林    

萬屋九兵衛

       秋田屋藤兵衛        著 屋儀兵衛 これが島根大学堀文庫本︵仮目録番号一八一︶では、    寛政十三年歳次無下初春     皇都書林         八幡屋 金七        萬 屋九兵衛        秋田屋藤兵衛        品 村太兵衛        著 屋儀兵衛 とある。しかも巻五・十六丁表の﹁花洛一無散人記﹂のみ油で 滲んだような印象を受ける。その他での相違点はない。  今回翻刻に付した底本は架蔵本によるが、虫損の激しい箇所 の判読のため、東大本・竜谷大本を参照させていただいた。ま 一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 三

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↓無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 四 たその内容において不適切と思われる表現なども、 作品の価値とにかんがみ、そのままとした。 時代背景と 辞関白、時に五十三歳。 正月八日莞。 寛政九年出家法名理延。文化十年 ︽注︾ 1 板坂耀子氏﹃江戸を歩く 近世紀行文の世界﹄︵葦書房︶一   九頁の指摘による。 2 佐藤深雪氏﹁近世都市と読本﹂︵﹃日本文学講座5﹄大修館   書店︶。 3 拙稿﹁京伝﹃復讐奇談安積沼﹄ノート﹂︵相愛国文第8号︶   がある。参照いただきたい。 4 書簡中の﹁奥のしをりと申編集上巻之方二御加へ申置候。   此集江都須原や茂兵エ店二商ひ申候﹂の一文をみて、丸山   氏は無事庵撰﹁おくの信折﹂の刊行年から寛政六年と推定   した。しかし同じ書名ながら、丈左房一無編﹃奥のしほり﹄   が存在し、寛政五年刊行と類推されている。よって帰洛の   年を改めた。 5  ﹁やことなき卿﹂とは前掲引用箇所にある﹁関丈公﹂のこ   とであろう。﹁丈﹂には年長といった意味があり、そのこと   から今のところ藤原︵鷹司︶輔平ではないかと想像してい   るが、後考を期したい。鷹司輔平基輝男。号後心空院。兼   香公養子となり相続。宝暦六年内大臣。同年九月二六日右   大臣。安永七年左大臣。天明七年関白。寛政三年八月廿日

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︻資料翻刻︼

※︿﹀内は割註

奇諸

談国

東遊奇談

東遊奇談序 おのれさきにものまなひのためにとて鳥かなく東の急くより 松浦かたはるけき波のさかゐまてことさりくらみ山の名ところ は更におほかたの世にしられさりけるかた山さとのことまてむ らきものこ︾ろのおよひつるかきりはものしたりしおりふしも 海士のかるてふめつらしとおもひつるくさく浜千鳥の記はか なくかみしるしつ\若干の巻なせりけるかこたひまた東遊奇談 てふ文なむそれか類にしてなにかしのものしたりしくまくお のかさきにものせさりしこと・ものかみつけたるを見ればまた はしめてそのさかみにしもいまきたらんこ・ちこそすれいにし へにいへらくあし引のみ山にとらされはあめの下のおほひなる はしられしなと侍るにもいよ・このふみにしてその大なるをお もひしりぬるになむふみ屋のおちかせちにこはる・まにくそ のよしをしるしてこの文の序とはなしぬ       南思子誌 東遊奇談巻二二   惣目録    巻之一 かしまのかなめいし  いきす  かめ 鹿嶋要石井生栖の瓶 ひたちのすなやま 常陸砂山 か ひ   のおとこ 甲斐の野男 いかほのをんせん 伊香保温泉 ゑとり   かうし 餌取の孝子 十八坂      ゆうれい 中村吉十郎幽霊    巻之二 だてのりやうぜん 伊達霊山 くりぱし  おとこだて 栗橋の任侠 きつねゆうじょにおぼる 狐溺二平家 くさかくれ  じゅつ 草隠の術 ひととりやぶ 人取薮    巻之三 つくば 筑波山 ひらかたのゆうり 平潟遊里  ぶち 花渕善兵衛 つるさわ      めうげん 鶴沢市太郎妙絃 く写り一    ﹂ をに  ほとけ 鬼と仏 てんぐのたき 天狗瀧 をちこち  みや 遠近の宮 かうつけ  おトかみ 上野の狼 かねなりのたまうち 金成玉妙 なきまつり 泣祭 うちうにぜにをうる 櫨中得レ銭 つばき 椿の大木 しもふさの  ぬま 下総大沼 りやうじやう  うなぎ  ほとトぎすのぞせい 梁上の戸井杜鵤蘇生 へび  だいり 蛇の内裏 めいば   つか 名馬の墳 かつをぶし みそずけ 鰹節の味噌漬 ぐんじやしきのぼたん 郡司屋敷牡丹 もかみかわ  はくろさん 最上川井羽黒山清火 ⋮無散人﹁諸国奇談東遊奇談﹄ 五

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一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ ノ、 きょじんのことば

漁人辞

   巻之四 するがの 駿河藤橋 しらとりじんじゃ 白鳥神社井化邪 りんとうにしべをしやうず

輪燈蕊生

  つか 錦木塚 わうじゃしろのきつねび 玉子社狐火 てんぐかりうどをしかる 天狗呵猟人. しのぶずり 信夫摺    巻之五 とうざんせいざん 東山西山 しとまへのせき 落前関 とくほんぶつそう 徳本里言 さいけうあん  へび 西行庵の蛇   惣目録粘 くわじゃくわんをおびやかす

   劫棺

東遊奇談巻之一    目録 かしまかなめ   いきす  かめ 鹿嶋要石井生栖聖母 ひたち 常陸砂山 か ひ 甲斐乃野円 い か ほをん せ ん 伊香保温泉 だてのすみぬり 伊達墨塗  まきのていふ 石巻貞婦 せいかう    まふで 清好七日詣 佐藤車早 れうこのくわいい 猟戸怪異 六百載の男 ふじよかみなりをのトしる

婦女罵雷

    レ こじき  ちゃのゆ 花子の茶湯 おに  ほとけ 鬼と仏 てんぐたき 天狗瀧 をちこち   みや 遠近の宮 ゑとり   かうし 餌取の孝子 十八坂      ゆうれい 中村吉十郎幽霊 かうづけ  おもかみ 上野の狼 かねなりのたまうち 金成玉打 東遊奇談巻之一    かしまかなめいし  いきす  かめ    鹿嶋要石井生栖乃瓶       かしま       せ  あられふる鹿嶋のおほん神はたちばなの小戸のしほ瀬にあら        かいもん はれ日のもとのひんがしにあとをたれたまひきとや階門いやた   りうじんしゅご        ぜんご       さく        かく龍神守護のすがた前後に立てよのつねの作ともおぼらず古   やしろみたらし       みづ  ゆくゑ ルの社御手洗むすび松すへなし川のすへなき水の行衛こそ ふ し ぎ       ね      うが       うむ 不思議なれまたかなめ石の根をお・なの穿ちけるにおのが産べ       むし       たね き子のかぎり虫いで・胤なき女の手にはかならずむしの出ざる      くし    はり       さいくう      み こ   しんしわかれ となりなげ櫛なげ針といふ事あり斎宮に立せ給ふ御子の親子別      ちすい にのぞみて池水をへだてくしをなげはりをなぐる事なり此地を       じ ひ       しんでん      ふち 神宮沢といふ神秘の所なりとそ神殿のかたはらにふるき藤あり かまたりこう       ふじ  をか     ふじはら 鎌足公のむかしょり今につ貸きて藤が丘といふ藤原の源とかや けいだい   つ へ じ 境内に鷺ありことぐく見あくるはかり大木のごとく成て花 さら      ひたちをび     さんいだいぐうじ  ちか     ころ 更に赫くたり常陸帯の事予三位大宮司に近よりし頃ひそかに       さぐ      じんひ 其ゆへよしを探るに世にいふどは事かはりたれど神秘なればあ       これ      じんじゃ らはしがたし是より一里ひんがしにあたりて生栖の神社あり前  と ね      みつがき    とうかいてうし  くち    しほ に利根の天川ながれてこれを瑞籠とす東海銚子の口より潮さし     りうすい       をかめめかめ        つぼ のぼりて流水をおしもどらすこ・に雄瓶雌瓶とて大なる壷皿ツ

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        よ 水中にありいつの代よりかくしづみけるにや其いにしへの事つ       モナ      さま まびらかならずかたちは生るがごとし其辺に樟さしてこれを見       み ればたちまち些しゴまりてうごくことあたはずいとおそれあり   はいふく    さ        みちしほ とて拝伏して去るされば満潮なんくたるときだにも此身のう    せいすい       まじ      し ぎ へのみ清水ながれてすこしも潮の交らざるはこれ不思議ならざ らんや    ひたちのすなやま    常陸砂山        さる    うみて      ひたち  生栖の神社を去事三里海手につゴきて名におふ常陸の砂山あ       とうかいさう       と ね りうしろには東海蒼くとして前には利根のながれなんくた  しらすなつ       さうもく       はくうんみね り白砂積んで山となりさらに一草木なしはるかに見る白雲峯を    に     かしつゑんてん      すぐ      あし       くびす なすに似たり夏日炎天に此ちまたを過るやいなや足をこがし踵  やか       しゅゆ へんくわ  じくこくくさら を焼んとす山のすがた須央に変化して時々刻々更にきはまりな  めいぐわ     むな   ふで なげ   ぜっけい   はくさう   はくじんを し名画たりとも空しく筆を投んの絶景なり白菊生じ白刃折る・ がんもん   ち    かんだん  さうい       ふうど に 鴉門の地とは寒暖の相違あれどもおのつから風土似たらんやと いとうたがはし    おに  ほとけ    鬼と仏 かしまにかいまち       をにとうじほとけろくへい 鹿嶋二階町とかやいへる所に鬼藤治仏六平とて二人の男ありつ        いせさんぐう        さいこくじゅんれい ねにむつまじきあまりかねては伊勢参宮と名づけ西国巡礼をか      けんふつ         やく       すぎ    きさらぎ      やど けて上之方見物にいでんと約しけるころは過にし如月ある日宿     あ は かとり         すぐ を立て先阿波香取にまふで直に江戸に出てこ︾かしこ見めぐる        で き うちたがひに何かはらあしき事の出来たりけん一ツふたついさ     ふなか       いせ    やきやまごへ かひて後不詳になりそれより江戸を立て伊勢より八鬼山越を くまの     かうやさんきみみでらこかわまき  を 熊野にいで高野山紀三井寺粉川槙の尾などまふでつ≧二十三箇       めいしょ     ぶっかく      をは 所はいふにおよばす見ぬ名所しらぬ仏閣くはしくめぐり終りて ほんこくかしま       いぬ 本国鹿嶋にかへりけるが江戸にてものいひたるま︾にて寝るに  をき       いちごん  いらへ      むごん    なが も起るにもすべて一言の応対なく百日あまりを無言にて長のた  ち び路を事なくかへりたるはおかしくもまた目出たけれさてかれ   みち      きく       ゆ らが道すがらの事をくはしく聞にけふは仏がさきだちて湯にい れば仏のあとはいまはしとてぶっくひとりごといひて入らす あくるひ 翌日は畳めにおくれたりとて鬼のあとはけがる・とやらいひて ゆ      むま      むま 湯に入らず鬼が馬をはしらせば仏も馬をいさめ仏がた貸ずめは   やす      ひるね      さき 鬼も休らふある時鬼昼寝しけるうちに匙先へゆきけるがやがて  さめ       と       ある 目覚て今のおのこはいつちへ行けるやとも間はざりければ主ジ        をのく いぶかしくおもひ各はいつれの国に人にやとたつぬれはわれは       かほ 鹿嶋の登記とこたへけるあるし大きにおどろき意うちまもりし       やど   つき      し となり心ある時期さきへ宿に着けるをほとけは知らず行過るに    こトろへ      つれ       たつ あるじ心得あれはお連にてはなきやと尋ねければされはこそ其 やう       とも 様なことにてもやとこたへたりしとなん其後友どちうちより なかなを 中直りをぞさせたりける︿挿絵﹀    か ひ   のおとこ    甲斐下野男  か ひ      ふ じ さん  甲斐乃国より冨士山をのぞむに四月中ごろより五月中ごろま        きえゆく      げ し いぜん でのあいだに山の半ふくの雪眠く消行にしたがひ夏至以前よ        のこ    かさ       みの  き    すき  かた り人のかたちに残りて笠をかふり蓑を着つ・鍬を肩にしてまさ  あゆ に歩みをはこぶさまありくとあらはれ出るなり此かたち見へ 一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 七

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一無散人﹁諸国奇談東遊奇談﹄ 八

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そむ      か ひ       つけ 計るよりさらば野鳥の出けるぞといひて甲斐の一国田のうへ付     しろ       なへ         ばんか をはじめ代をぬり苗をとりて三家一同に時をさだむ年くのこ      われ     ころ       つへ となりとそ吾その比三国に杖をひきこれを見るにまことにゑが    およ くとも及ぶべからず    てんぐのたき    天狗瀧  かうづけ   くさつ  をんせん  ゆか     しなの   をいわけ  ゑき   あさま  上野の国草津の温泉に行ばやと信濃の国追分の駅より浅間山      とを      す       のち のふもとを通るに先年もへ出数ヶ村ながれうせたる後わっかに     すぎ      くさつ       すなしょもく 五ヶ年を過ければ草津まで十里のあいだは砂諸木をうつんて草    いってう       ほのふもへ 木なし一鳥きこへすけふり吾うへになびきて旧く焔燃あるひ     おぼろよ      はんふく         ほそみち はきえて朧夜をあゆむがごとし山の半腹をのぼりて細道をゆく  ふき      くびす      あし      けふ に吹いだせし大石小石とも踵をこがすばかり足もとに煙りて水 いってき       こいゑ         がんぜき 一滴わきいつる所もなく小家にひとしき岩石ひゴきわれたるあ     くわゑん    かれき       やけ        つく いだより火炎出て枯木のもゆるがごとしこ・に焼石をもて造り         おやこ       すまい たる家あり見れば親子五人の住居なり吾つらく思ひけるは鳥       ひと   や         すみか もかよはぬ山中にとなりもなき三つ家をおのが栖としたまく ゆきかよ  たびびと  ちゃみつ  うり        いのち       すへ 行通ふ旅人に茶水を売わっかに命をつなぎ何をか子にゆづり末        すぎ のたのみやありつるはた此ほとりは過つる年おびた・しく くわせきとびをちくわすいつなみ       いまだわす 火石飛落火水津波のごとくわき出たる所なり其うれへ未忘れざ          すみか       つま るうちに又もやか・る栖をむすびて妻をもち子をやしなはんと        かに   のきば       す するこ・うまことにさ・蟹の軒端に糸をはり巣をくひてやがて やふ       に     ぜ ひ 破れんことをしらざるに似たり是非もなき世わたりやとひとり なみだ       くさつ   つく 泪をおとしほどなく草津に着さて此地はまことにたなご・ろを

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       をんせん  っぽ    いけ くぼめたるごとくあたりに山高ふして其中に温泉の壷あり池一 めん      けふ 面にわきいで・煙り天をくもらす方四町ばかりの大池なり其め      まき        をちく  たき       たき ぐりをとり巻て家居あり池より落来る瀧十三あり第一ばんの瀧  てんぐたき      はゴ       をと を天狗瀧となつくたかさ五官ばかり幅五尺にあまれり其音山も くづ        ゆ      ふせいすさま       ゆ      つぼ 崩る・ことく湯げふりたちて風情凄じかりき湯のわきいつる壷          わた       やは 八ヶ所ありなかんづく綿乃湯といへるは和らかなれど壮重のと    ゆかたてぬぐひ      くさ       なが ばしり浴衣手拭などのたぐひにか・ればやがて腐るといふ長く い      そうしん         とうもつ       さび 入る人は廿里た貸れ金銀置物のたぐひはすべて墨のごとく錆て        なんびやう       ち あやなく見ゆるなりされども名湯にして難病ことぐく治す又 ゆ         し      すつ     ちごくだに 湯にあたりて死したるものを去る所を地獄谷といふおそろしき        ぜんくはうじ       なんどう 所なりこれより善光寺へ七里のぬけ道ありきはめて長道なり    へんひ        このゑりやうざんこうくだ      こゑいか    しゅ か・る辺鄙へむかし近衛龍山公下りたまひて御詠歌十二首あり    たき     ひそう  やくしじ       じうもつ わきて瀧の御詠を秘蔵す薬師寺といふ所の什物なりされば十三    よは      う       つよ       しだい の瀧は弱きより打たれて強きにのぼるをほまれとし次第に大瀧       かよ へうつりうたる・なりある当夜く白日の瀧へ通ひてうたれけ   らうそう      あひ       ねっとう るに老僧一人これもおなじころにきたりて出会たがひに熱湯の 大瀧にうたる・あらゆる事など云あふていとねんごろになりけ       かしうかなさわ コ るが此おとこ加州金沢のものにてふるさとにこ・うが・りの事        とりつリりつ ひとつありこれ逗留のさはりなりよってひとまっかへるべきな どかたりければかの僧これを曾て此おのこの手をとりてはやく いそぎ給へといひつ・引立けるにいっちへかつれ行けんその夜          けらい      した    たつ は宿へもかへらざれば家来のおのこうへを下へと尋ねけるが夜          のきば たへずみい もいまだあけざるうち軒端にそ居るをかきこみ見ればものにさ          せうだい そはれたると見へて正体もなくうちたふれふしけるやうく          のちと      ほんこくかなさは こ・うた貸しう成て後来ひければかの僧瀧のもとより本国金沢 へつれゆきこ・うが・りの事とくと・のへてまたつれ帰りたり        はな   たか となりさてはその老僧こそ鼻の高き人なるべしときくひと皆お それて天狗瀧の名は高かりけり    いかほのをんせん    伊香保温泉 かうつけのくにはかな       い か ほ      をんせん    い か ほ   上野国榛名山の山つ☆きに伊香保といふ温泉あり伊香保の沼と         となり      はんふく     ゆ 歌にもよめる大池に企て山の半腹なり湯のわき出る事大川のこ       じんか  ゆふね       たき とし一里あまりふもとなる人家に湯船をしつらひ瀧をもふけ しょきやく      をんせん      にご 諸客をとゴめて世わたりとす此温泉いろはたゴ濁りにしてあぢ   せいすい       わうごん はひ清水のごとしにほひ少しもなくまさしく黄金湯なるべし湯  のう      きけつ       あしなへ の能あた・かふして気血をめぐらす適しる窒あり此湯に入てつ        こつじき ひにすごやかになるある時此地に一人の乞食ありてさきにはあ       すへ      ほん しなへなりしかど毎日此湯の末川につかりてすてに本ふくした       ふ し ぎ        に      かれ りまたこ・に不思議なるは煮へ湯のごとき中へ温しほれたる くさはな い        いき      さか   をひくつぼみ   は 草花を入る・にたちまち生かへりて花盛んなり追々苔ひらき葉  しやう    ね      をんせん を生じて根のあるがごとしいとめでたき温泉なりけり    をちこち  みや    遠近の貢 しんしうをいわけ  ゑき     すぎ 信州追分の駅を少し過て何とかやいへる一村ありこ︾にちかき ころ       みや      くわんじゃう    しゃとう       くわび 比おちこちの宮といへるを勧請して社頭きらびやかに花美をつ       ことはさ しん  せうごん         たふと       ねが くしたりされば諺に信は荘厳よりと人々尊みうやまひて願ひを 一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 九

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一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 一〇       りせう かくるにもろくの事ひとつとして利生なきはなしいよく しんとく       さんけいきせんくんじう      みやい         ゑにちさたま 神徳まさりて参詣貴賎群集をなし宮居市をなすの恵日定りけり        くわんせう      しなの     あさま そもく天神を勧請せるおこりをたつぬるにへ信濃なる浅間が だけ      うた  しんたい 嶽にたつけふりおちこち人のみやはとがめんといへる歌を神体         みや  とな  たてまつ      おも としておちこちの宮と唱へ奉るとなん予つらく思ふに此うた        ゆきき にいふおちこちのみやはやはといふてにはにておちこちに往来      けふり する人の此々を見たらばとがむるであらんいやとがめはせまじ       ゑい といふ事を見やはとがめんと標したるにてこそあれさるをおち    みや  こレろへ  くわんぜう       しん こちの宮と心得て勧請しけるが世はみなご・うからにて信あれ  またりゃく      おぼ ば亦利益もあるものぞとおもへはおかしくもありがたくこそ覚 ゆれ    ゑとり   カうし    餌取の孝子 しなの    ねづみがしゅく      となり  ちい      かうし 信濃の国頭宿といふ所に重て小さき]村の見へけるが孝子何が         みちばた       ふだ しと名をあらはし道端にちいさき札をたてければ見ぬ人のなつ    こへち          ぢやや      ゑた かしき心地して其わたりの茶屋に立よりたつぬるに餌取村の ひんじゃ       かん    げうじやう  きく  ちお  め 貧者なりと聞ていよく感じて行状を聞に父は目しいて七十に    むすめ      すぎ       あさゆふ ちかく娘ははたちに三ツばかりも過つらんとなり朝暮のけふり        ちも   せ    を       お   まち たえぐなれば日ごとに父を背に負ひつとに起き町にいで・人        う  ゆふべ       しば   か   こ の門くにたちてほどこしを受く夕には山に撃て柴を掻き木の   ひろ      ちを   を     たよ 葉を拾ふ此ときもまた父を負ふて便りよき所におろしこ・ろを     さむ      つまさき  おの  はだ      うちは なぐさむ寒き夜は爪先を己が肌へにあた・めあつき日は団をも   すズ      か つて涼しめ夜もすがら蚊をはらひようつにいたはりつかふまつ     たい    をと      をそ    やま        ほんばう  とき る中にも太鼓の音をいと恐る・病ひあれば本坊の時をうったび       をひゆき     うれへ      うへ ぐに他所に遠行てその愁をまぬがれしむかくておのれは飢を    ちへ      れうしゆ      たてふだ しのき父をあつくやしなひける尊意きこえて領主よりかの建札        いへ       かうし をたまはりけるとなりか・るいやしき家にうむれて孝子の名を あぐ       てん  みち 揚る・とはまことに天の道なるらんか    かうづけ おふかみ    上野の狼 かふつけ      たかひらなら 上野の国赤城山のあるかたに高平奈良なんどいへる山中ありゃ   しなのち         さかひ        はかしょひとざと がて信濃路にごへんとする境なり此わたりの墓所人里ちかしと     はくちう  をへかみ      くわん       とや いへども白昼に窪いて・うつみたる棺をうがちておのが塒へは        と   をおかみ ひき     こぶことありいかゴしてもて行にやと間へば狼二疋来りて土中     いだ  いつひき  くわん  せ      かしら      をけ  そこ   く よりほり出し一疋は棺を背にのせ頭をふり向て桶の底を喰はへ    よこ      せ        をけ       つきそ 一疋は横よりか・りて背にしたる桶のゆるまざるやうに附添ひ よこ       くは 横つらを喰へつ・こ\ろを合せてはしる事いとやすきしはざな    しびと       あし  つまさき りまた亡骸をもて行には足の爪先をくはへかしらのかたをおの  を      せ が尾のかたへなして背にふりのせはしる事中々人もおよばさる じざい 自在なりと所の人のかたりける    十八坂 かうづけ      ばんどうたらう       ぬまだ 上野の国十八坂ときこえしは坂東太郎のみなかみにして沼田へ こへ      なんどう      ぞく        よぶ 越ん大山なり十八の難道をこゆるゆへ俗に虚名を呼とかやい    くもきり  かく    りよじん      と ね     なが  うすめ た・き雲霧に隠れて旅人のあとをうつむ利根川の流れ薄るごと  がんか  のぞ      けんそ      はくちう    ぬすびめ く眼下に臨みてすさまじき険阻なり時々此わたりは白昼にも賊        くつけう   わか いで・人をおびやかすとなん予こ・を過るころ究立兄の若もの二

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   ほそみち  ね        わうらい         すへ 人かの細道に寝ふたがりて往来をさ・へたり進まんとするに道     き         かへ      とくじゃ なくもと来し方にや帰らんとよくくおもへばか・る毒蛇の口 にむかひて今はかへるともゆるすべからずさればとて道ふたが        うんすい   み りければいかんともすべきやうなしとまれかくまれ雲水の身の        いのち うしな      ぜ ひ       そく かれらがために命を失はんも是非なしとこ\ろをさだめかの賊       め どもがふしたるうへをエイといふてとびこへければ二人白眼を    われ       め ひらき吾を見てまたもとのごとくねふりけりあなおそろしき目        すぎ にあひけるよとやうくこ・を過て  つめたしや命のさきの秋の風  一無冠    かねなりたまうち    金成玉詞 をうしうせんだい       なんふかいどう       ゑき 奥州仙台より二十里奥南部街道に金成といふ駅ありむかし金売 きちぢすみ       かき       あらた 橘治住ける所なれば金生と書しを近き頃成の字に更めけるとそ    きちぢ       かや       ふでがき 此所に橘治︿挿絵﹀櫃とて大さ工房のごとくなるありこれ橘治  きよじやう  きうせき     ち       つち   こ   は   なりかい か居城の旧跡なり地をうがてはことぐく土に木の葉の形貝の      や  ねいし    いつ      しゃきんなが かたちあり矢の根石あまた出る此わたりの川今に砂金流れて水 中きらめきわたるなりさてこ・に春のはじめいぶかしきあそび       ゑんしやう        なげ あり何にてか玉のかたちをこしらへけん二三へ焔硝をしこみ投

    ひことん        そでつま

るときは火の粉飛で花火のごとしこれを人にうちかけて袖褄に        なを ひきか・るをふるへともはなれずして火は猶さかんにもへあか      てたて   てきみかた る是にも又手先あり敵味方と引わかれ一村くのぞなへをたて たうちせうぶ  けつ      いこん         ふ い 忽勝負を決するなりかねて遺恨あるものには不意をうちかけお       いりみだ       したい どうかしうちかけく入乱れ命もあやふき次第なりとそかの 禦棲’超ノ㌦遷.⋮.

、おr・﹂﹄論調﹂

’、邑一      電        ロち 一無散人﹁諸国奇談東遊奇談﹄

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一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 一二 いんぢうち  に  なを      こども 印地打に似て猶おそろしき事申も曰くおろかなり又幼児のた        かしなら はふれにかっくいといふ事あり樫楢の木のたぐひをほそくけつ       ち      あひさき  くひ  ころ りきっさきをとがらしてこれを地にうち蚕砂の杭を転ばしてお    くひ       かち  さだ       こ が のれが杭の地にたつるを勝と定めていどみけるまことに古雅に しておもしろきあそびなりき        ゆうれい    中村吉十郎幽霊          そめまつ     かぶきしばい 中村吉三郎はじめは染松七三郎とて歌舞妓芝居のやつしかたな       おなしとも り此もの七三郎といひしむかし同僚に中村半十郎といへる かたきやくしや      む に       ふたり      とし         いなか 敵役者ありて無二の中よしなり両人ともいまだ年若なれば田舎       ひんく わたらひしてたかひに貧苦をたすけ合しにある時吉十郎より さいし         かんをく        わかげ 妻子かもとへ金子十斤贈りけるを七三郎ことづかりけるが若気        いなかいうじよ       すご  なをざり  もど のいたりにふと田舎遊女につかひはたして年月を過し等閑に戻       あ き   ひろしまへん  しば       がり さゴるうちに吉十郎は安芸の広嶋辺の芝居にまかりて川狩に出          いのち      しこくへん   みやこ あやまちて水におぼれ命をうしなひける七三郎は四国辺より都    のほ  はりま  うらへ  やど      いそ ちかく上り播磨の浦辺に宿をとり磯山のけしき面白しなどいひ  めしつれ       しゅゑん  もよほ  よ      あそ て召連たる一人のおのこと酒宴を催し夜ふくるまて遊びけるが         ふし        しほかぜすト   しやうし おのこは次の間に臥ておのれは塩風涼しき障子あけなからひち      やす    を      うらなみ       をと       をき まくらして休らひ居りしが浦浪しきりに音してはるかの沖より

まうしうわかかたく 

めとち 妄執の火吾方ちかくより来るをこはおそろしと眼を閉てしきり  きやう      なみ         きえ に御経をとなへければやうく浪おさまり火消て何の音もせざ    やが      すがた        なんじ     ころ りしが躯て吾目のまへに吉十郎が姿あらはれ出面いつの比かわ       もど だかまれる金子何として戻さ・るやもしすみやかにもどさゴる       くも におひては立所にもうしうの雲にいざなふべし我あやまって水       きかつ におぼれ命をうしなひたり汝もし我妻子の飢渇を思はゴかへせ        こへ       ふし ゃくとせむる声に七三郎あっとひれ臥た・御経をとなへっ・ これかぎりなきあやまりなりいそぎ其金をもどすべしまた我命       る ら やつ のあらんかぎりは汝が妻子をやしなひかまへて流浪はさせまじ       しゅつりぼだい       とな きぞゆるせよや吉十郎うかめよや出離菩提とくりかへし唱ふる          きえうせ      ままち うちたちまちすがたは消失けるかくて明くる面輔かねはせのぼ り先妻子か方をたつねけるに吉十郎此比田舎よりかへりて大病         やす      きも   け なり一間にすやく休みけると聞てふた・び肝を消しかけ入て    やま    とこ      ぬけ     ねや 見れば病ふの床には人もなくたゴ抜がらの閨ばかりなり妻は大       かいはう    たっと きにおどろきて今までかたはらに介抱せし夫の行衛なくなりし        なげ        とひ    しじう はいかなる事やいぶかしと歎きになげきて間ければ始終の次第      かた       つい      もうれい こまやかに語りなぐさめ妻や子を終に家屋へ引取てかの亡霊か       あらた なきあとのまよひをはらさんためにそれより我名を改めしとわ れ陸奥水沢に杖をと☆めし時かれも同じく居り合ひそかに吾に かたりける 東遊奇談巻之壱 東遊奇談巻之二    目録 だてのりやうぜん 伊達霊山 なきまつり 泣祭

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くりばし  をとこだロて 栗橋の任侠 きつねゆうじょにおぼる 狐溺.遊女 くさかくれ じゅつ 草隠の術 ひととりやぶ 人取薮 うちうにぜにをうる 寒中得銭    レ つばき 椿の大木 しもふさのおトぬま 下総大沼 りやうしやう うなぎ  ほとエぎすそせい 梁上の鰻井杜鵤蘇生 東遊奇談巻之二    だてのりゃうぜん    伊達霊山 だ て  りやうぜん       ぶつちはうざ  くつけう      てんぢくしやらそうじゅ 伊達の霊山といふ大山あり仏地法座の究寛にして天竺娑羅双樹         むかしひじり       くわをり      ちまた にもことならずとて昔聖のかく名づけしとなり桑折福嶋の岐よ     くろくも       ばんじん        とが    つるぎ り東南に黒雲のごとく天にそばたち膨面ことぐ尖りて響う       たいら へたるごとしふもとよりのぼる事五十町にして平かなる所あり くさ        くわんをんさったやくし    じんせう  あんち      こんげん 草の一宇に観音薩唾薬師ナニ神将を安置しかたはらに山王権現 をまつる此所より二十町ばかりにしていまだ行先を見ず風は雲       うれ のごとくなびき浪のことくすさまじく吹で此愁へにあへるとき      こくう     とば        くわいほう   げうじや はたちまち虚空に身を飛し命をうしなふたまく廻章する行者  てんぐ      なん   あひ の天狗のためにさそはれしなどいへるも多くは此難に逢たるな       いわかげ  はらばひ るべし木の根岩陰に福豆してしばらく過れば此うれへをまぬが      らかんせき      ぼさつ るかしこに羅漢石といふあり大石ことぐく菩薩のかたちおの       くびす つからありて見あぐる事山のごとしこ・を過てやうく踵を入      くぼ   つた      けいこく       かぶ るばかりの窪みを伝ひてかたはらはあやふき渓谷なり木の株藤       さうま かづらなどをもてのぼれは南面に山なく相馬海上を眼下にのぞ  いっけつ       たにそこ    なは       はんふく む一穴あり前は谷底まて縄を引がごときおそろしき半腹なり上     おト       ごまだん  な   さら     わざ より大石覆ひか\りてほどよき護摩壇に作れり更に人力の業と         ちせう   こも         ごま  すみはい    のこ も覚えずいにしへ智謹大師籠り給ひしとて護摩の盛塩のあと遺      さり  あり      ゆうこく れりこ・を去て蟻のとわたりとて細道あり左右に幽谷のけはし     かうてい       たちまち きを見て行程壱丁斗随ふれば忽千丈の底に落ん難道なりやがて  たへ        はゴ  へだてじユ 道絶て少しき幅を隔獅とひ岩といふあり谷底よりたち上りたる         たなこもろ       ひら 大石なりいた努き掌をひらきたるばかりの平みありてこなた        デうご      エず よりかなたへとびこゆる行場なり其間の幅三尺にはみてずとい    じうじやく        きも   け       けんそ へども柔弱のものは肝を消したましみをうしなふ瞼岨なりされ       ついへ どももと来しちまたにかへれば五十丁ばかり山をめぐる費あり        ともな ご・をこゆればすみやかに本道うつれる事たよりよしとて伴へ       みお      ふし る僧はすでにとびわたりあっと耳をふたぎうつぶさまに伏たり        ふううん けりおのれものがれがたしと命を風雲にまかせやっと一こゑと        らいめい びけるにあやまたず僧がもとへたふれたり大石雷鳴して根より くづ        きも  めい      くわいほうげうじや 下る・かと肝を銘じ天地もくつがへるかと覚ゆ廻章行者の一難 所これなりとそ聞えける   なきまつり    泣祭 をうしうひらいつみ       とな    ひでひら  こせき    いつみの    にしきど 奥州平泉は衣川に隣りて秀衡の古跡なり泉三郎錦戸太郎が古城  あと    さんろう  ゑいよう       ほろ     やぶ   ほころ の祉あり三衡が栄耀たちまち亡びて川破れ山綻び今は名のみ残       ちんじゅふしゃうぐんもとひらのしつあべむねとうかむすめはか    こけ    ひ れりこ・に前鎮守府将軍基衡室安部宗任女墓とて苔むす碑あ       と       かぶ       をど り四月廿日里人これを訪ひて各白き衣を被り男女打むれて踊る    なきまつり       ら なり俗に泣祭といふ    くりぱし をとこだて    栗橋の任侠 一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 一三

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⋮無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 一四

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  かいどう      かど    なにがし     かど 日光街道くり橋といへる所に角屋の何某といふ角屋敷引まはし   たびびと       さいじょみめ       あいてう たる旅人の休み茶屋あり此家の妻女娼かたち人にすぐれて愛寵   き       にきは よく気さくなればことさらに名高く賑ひけりこ・に江戸本町何       ようねん    きうこう      しゅび    しゅじん 某の手代嘉蔵といへるもの幼年より旧功なして首尾よく主人の         しもつけかぬま いとまを乞ひ本国下野鹿沼といふ所へかへる道すじなれば角屋       ゑんしよく      こし に足を休めたべものなどと・のへっ・妻女が艶色に見とれて腰 をぬかしすでに時をうつしけるが妻女の手まへもきのどくと思        かさ      てうど      せなか ひきりしほく笠をかふり調度のものを背になして出てゆくは    せいざん      もうろう     ばんのう や日は西山にかたふきこ・ろ朦朧として煩悩のおもひますく       さかやき        かみさかやき さかんなり四五町ばかり過れば月代所ありこ\に入て髪月代な         げうじやう  きけ      ていじょ どしつ・かの女の行状を聞ばきはめて貞女なりといふさてこそ        くちきおおとこだてあるひ  わけ とおもひ此所に口利男達或は訳しりのたぐひなどありゃとたつ    くわんとう      とを      でいり        けんくわ ぬれは関東三五郎とて通りものありこ・の出入かしこの喧嘩な        か どはいふもさらなり何につけ角につけいかなるむつ︿挿絵﹀か       たれ しき事も此男をさへたのみてとりあっかへば誰にもあれいなと        すん いふものひとりもなく一寸もあとへ引ぬ人のよく知りたる男な       くわんとう りこれより二丁ばかり南に関東屋といふ宿屋なりとかたりけれ       たく      まつ ば嘉蔵よき事を聞たりとかの五郎が宅をたつね行先こ・に宿を      さけさかな      よん とる日暮て酒肴などとりと・のへあるしを呼でちかづきに成り   ニゑ       ようせう 其後声をひそめていふ我は江戸本町何某がもとに幼少より廿年  ほうこう      かく の奉公して此たび親里へかへるものなり何を隠さん角屋の妻女  ふ と        そめ を不仁おもひ初てまことに一命もくるしきほどなりさればとて

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    よこしま 人の妻女に邪のおもひをかけんことそらおそろしと我ながら心      ぶっしん をいましめ仏神にちかひをたて・ふっく思ひわすれんことを        れんぼ      や ねがふといへどもた・まぼろしに見へて恋慕のこ・ろを止みが        おや   あと たしこ\に主人何がしより金子百斤親の跡を託るためとてもら       ためおき ひ又外に年比溜置たる金子三十斤ありねがはくは此三十斤の金        ねん を彼女につかはし何とぞ一夜ひそかに吾嬬をはらさせ給はん手       きしつ     こ      あか だても有間敷やとそこの御ン気質を見込んでかく大事を明し申 なりあはれ御身よきにはからひたまはれかしとわりなく戯けれ    といき       くみ ば五郎吐息してかしらをかたぶけ手を組ていろくと思ひめぐ        いろ   まよ らすに世の中に色に迷ふといふも人の花にこ・ろをかくるもな       つる   あわ きならひにはあらねどいとけなきより鶴の粟をひろふごとくた        たの めたる金にかへてもとおもひつめわれを頼めるこ・ろざしおし        もよふ はかりおもはずかんるいを催せしなりまつこよひはまち給へあ       なんど すはいかにもすべきなどいひなくさめ納戸のかたへ出けるがま       こひち      こよひ ことに人の命をうしなふ事は恋路のならひなれば今宵のうちも きっか 気遣ひと思ひやかて角屋へはしりゆきあるじにまみへこの事を ひそかにかくと語りければあるじは思ひもぶけぬ三十金に心く れともかくもとうちうなづき妻をまねきいひ聞せばもっての外  ふくりう       はっか   なみだ に腹立しあるじをの・しり恥しめ涙ながらにあらそへばいろ    りかい とき       ぜひ     なく くと理解を説おとしすかしていひふけける是非なく妻女は泣       たく      すぐ     かい くも五郎が宅へ行けるに五郎足ばやに我家へかへり直に二階       しりそ       やも へともなひてかのまれびとに引合せおのれは一間へ退きけり良 ふけ      かい     を 更過るころかの女二階より下りて五郎をおこしければ何ごとか       いふ     こよひ はとおどろきて立出るに女しとやかに手をつかへて云御身今宵 なかだち       ゑん       をつと の媒にてはからぬ縁をむすびたり吾つらく思ふに夫何がしは        せ むまれっきいやしくかくまでもこ︾うつれなし二世かけてつれ そ       いな      さ 添ふ妻をだにかくのごとく人手にわたし否といは貸去るべしな       ばい     かう どいひてこ・うたけぐし今にも今宵の金に一倍して斯といふ        まれびと 人あらばそれにも心かたむくべしさるにてもかの客人はそれに       ついや       しんじつ 引かへそこばくの金を我為に費し身にあまれる真実をつくし給     てんちこくびゃく       をさ ふ心とは天地黒白のちがひなりされば人の一生は身を修むる外       みさほ      じつ なしとても女の操を立るならばか・る実ある人と夫婦に成には     をつと しかじ急ぎ夫のいとまをとりわがねがひをかなへてたべさもな     すつ       なみだ くば命を捨るともふた・び角屋へはかへるまじと泪ながらに申       とうり      なき ければ五郎は道理にかんじ入男泣にさしうつむいて居たりしが  もっとも げに尤と思ひつ・今はとゴむるともとゴまるまじされども心よ くいとまはいだすべからず革茸ふむねあれば夜あけぬうちに をちゆく      きっか 落行べしかまへて気遣ふ事なかれとやかて二人をおとしやり しじう  やうす          したあ 始終の様子こまハ\とかき認めて金子をつ・みのこし置終に五   はらきつ  しお   あっはれ   ひき 郎は腹切て死たり天晴男一疋とおしまぬものはなかりけり    うちうにぜにをうる    櫨中得レ銭 しもふさ      いちば        よこすか 下総の国八日市場のとなりに横須賀村といふあり此所の百姓       あま      らうば    つね

さ尾林兵衛がもとに年七+に馨る天の老母あり常ぐ

かうく      らうばいろり はいかき 孝行につかへけるがある時老婆居人並の灰掻といへるものにて 一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 一五

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一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 一六 うちう  ちり      はい 炉中の塵をはらひけるに何かは下より灰のかたまりて出し中を        みだれ       たれ かきさがし見れば乱れたる銭二百文ばかりあり誰かは取落しつ    ひろ  あっ      かく  つげ       さら らんと拾ひ集め家内のものに斯と告るれども更にうしなひたる       ふしぎ       らうば はいかき ものなしこは不思議なりといふに又老婆の灰掻を手なぐさみし       はい  そこ   おびたトしき て居りけるにごたひは灰の底より彩敷銭かたまり出て人々もお どろきながらもろともにさがし見るに老母がさがすかたよりは        いよもふ し ぎ いで・他の人のさがしけるには一銭も出ざりけり弥不思議とお     りんけうゑんり もふうち隣郷遠里よりも聞つけて是を見に来る人引きもきらず      ほり      たはら         おけ  おさ        おもむき 日々老女の掘出したる銭を俵に入あるは桶に納めやがて此趣を  きへ        のきつね     わざ     すておか 轟けれは古き野狐のなす業にやと捨置れけれどさのみはあやし        をひ       す   ひう き事にもあらで斎くにいつる所の銭数十俵をかさねたりされ    とみ ば其家富たらんとたつねければ其ころはさりともと見へけるか 老女身まかりて後はさのみにもなかりしと人のかたりける    きつねゆうじょにおぼる    狐溺二遊タ しもふさのくにまっきし         かしま       ふなぢ   へ   てうし 下総国松岸といへるは鹿嶋より七里あまりの船路を経て銚子に      ふなつき       はんじやう  と ち      たかさご  ほうらい となりたる舟着なりさるから繁昌の土地なれば高砂屋蓬莱屋と     しやうか    もと      まっきし       なづけ て大なる娼家あり元より蓬莱高砂の二つは松岸の名によりて号     うしろ       おび       ぜっけい  ろう たらんか後には山を帯前には海をのぞみて絶景の楼あり此つゴ         てうし     みなと   ばんかのき     むね き一里にしてかの銚子といへる湊あり万家軒をならべ棟をそろ   しやうか       きし         ことさら  はんくわ へて商家おびた・しく大船岸をふさぎて殊更に極致の所なりこ     ゆうじょかぶき   みぶり    ふへたいこ      をんきょくすべ  さんと  おと の松岸の遊女歌舞伎の身振よく笛太鼓つゴみ音曲都て三都に劣      ぶたい  しこみ      じん    さは       めん らず座敷に舞台を仕込すは大臣の大騒ぎといへる時は一面に取 はな         ゆうじょ      げい 放しあまたの遊女おのく出てもろくの芸をはじむるなりま       げいしゃ ことに名ある芸者も及ぶまじき上手あり中にも此さとに名にお  しま      ゆう     みめ ふ嶋之助といへる遊女は媚かたち人にすぐれこ・ろはなやかな     ふ し ぎ       きつね         ぼんぞく  すがた りこ・に不思議なる事あり年わかき狐の心をかけ凡俗の姿に身     つい      ちぎ        つゆ  なさけ  てんがんつう  かゴみ  くも をやつし終に浅からぬ契りと成て露の情に天眼通の鑑も曇り くわたく       ふじやう  まど       かけみ   そ  あいじゃく 火宅の戸をひらき不浄の窓をくゴりて遊女が影身に添ひ愛着の まよ       あめ 迷ひに忘れて雨の夜雪の夜もいとはず夜なくかよひけるが遊  つゆ       よる       けいちう 女君ばかりも夜のあるじといふことをしらすそもく閏中のは      くんふん         だっかい  ふか じめより心薫募として終に直感の深きにしづみ心ならずしてた    けいら   とか れにか閏羅を解んなど思ひつ☆けすでにれんりのかたらひをな       たかを         きょく し行水のあはでくるしきつれぐのあまりに高雄といへる曲を ひき      ふく 五目も合はで夜更るまでこしかたゆくすへの事など思ひつゴけ       をと     こひ けるにいつ地ともなくもの要して恋しきかげのありくとかし こにうつりければあはやとかけ出いだき尊いつものわかれまで ちぎ 契りてかへせしが其後いかにしてかおとつれもひさしかりしが       すご         れい けふはきのふとなりあすはけふとかはり日を過すうちに例のよ  きげん い機嫌にて入来れば遊女はからうして外の座敷をしのび出 かいらうとうけつ  まくら  なら      ゆめ      なんじ 面谷同穴の枕を並べとろくとねむりける夢心に我汝に思ひを       わす かけ三とせの月日もあだに写る・いとまもなし今は何をかつ・        まつざき  いなり       きつね むべき我は当国松崎の稲荷の神につかふまつる狐なりこたび江          しゅこ     ちお  めい 戸まつざきの神社を守護せよと父の命そむきがたしもとより一     あをが      もったい 社の神を仰る・身にてあいじゃくの道にけがれん事勿体なし今

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      なごり       さ よりはかよふまじ是までなりや名残ぞとかしこのかたへたち去       めさめ        まくら    のこ りしと思ふに目覚て見れば枕のみ残りてあとなし遊女かぎりな くおどろけどもまたかなしみのなみだせきあへずかれよこれよ とまどひあるきておろかなる事どもいひならべなげきければは       すがた るかにとをく一こゑきこえて姿は見せざりしと遊女が後のはな しなりける   つばき    椿の大木 かつさしもふさ さかい      つはき 上総下総の境にむかし大なる椿あり其もとをめぐるに時をうつ      こづ        ゑだは       こかげ すと南総の古言に見えたり枝葉さかへ根はびこりて其木陰南北       かみ  ふり      かつさ        ふり 壱里にみてり此枝葉の上へ振たる方を上総といひ下へ振たる方          およそ     いのち  かぎ を下総と名づくとかや凡もの・寿は限りあるものから終に其木  かれ       こすい も枯はてければ根をくつがへしうがちけるにあと大なる湖水と      つうせん      かいはつ    かうさく 成て南総の通船をきはむる事や・久しきを近年開発して耕作お      みんか    たち       つばきしんでん びた・しく民家あまた建ならぶ俗に椿新田といふされば其いに       とうかい  をきなか         ふうは しへうがちすてたる椿の木今に東海の沖中にたゴよひ風波大に あ         かならず     うか  つうせん 青る・ときは必海上に浮む通船の人足を見ればきはめてあやか      おちおそ しありとて催恐るΣとなり   くさがくれ じゅつ    草隠の術 ひたち   いたこ        せきさわ 常陸の国潮来のかたはらに近方といふ所ありこ・に関澤何がし        おひ       せうじき に仕ふまつる年老たるおのこありむまれっき正直なれば世のな  わざ  ゑおぽ    つゆ        やつこ     せうがい       たくは り業も得覚えず露の命を人の奴と成て生涯をくらし翌日の貯へ    つみ     いちゑ  かざる を思ふ罪もなく一衣を飾︿挿絵﹀気もなし只うかくと年をか 一無散人﹃諸国奇談東遊奇談﹄ 爵堵、踏, −﹁、ぐ腎・・ \・.ノニ ノ 1編 一七

参照

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