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(1). 親族の挨拶. 人の仕事にも触れることができて,思いがけず 多くのことに携わっていたことを感じました.. 金澤裕子. 前任地静岡大学よりこの横浜国立大学に移る際.  本日は主人金澤史男のためにお心のこもった. に,「ここに骨を埋めるつもりでがんばる」と. 「偲ぶ会」を開いていただき,またお忙しい中. 言っていたことを懐かしく思い出します.それ. このように多くの方がたにご参加いただき,心. から 19 年余り,こちらで充実したときを過ご. から感謝しております.. させていただいていた姿を思い起こすこともで.  金澤は,私たち家族にとりましては,本当に. きました.. やさしくて,二人の娘たちをこよなく愛しなが.  28 年前,私が初めて出会いました頃の主人. らも,距離の取り方に少し苦労している愛すべ. は,真面目で純粋,研究一筋で,当時の体型と. き父親でした.私たちは,困った事も,わから. 同様少し生硬なイメージの人でした.しかしそ. ない事も,いつでも最後は主人が解決してくれ. の後いろいろな方々と出会い,学生さんたちと. ると信じ,安心して暮らしてくることができま. 触れ合い,また子育てをしていく中で,近頃は. した.両親に心から愛され,信頼されて育った. 仕事で忙しい日々を過ごしながらも,サッカー. 人でしたので,私たち家族をも大きな愛で包ん. や,日本映画,コミックス,旅行,そして料理. でくれていたのだと思います.そんな主人が 6. など,研究以外の生活も楽しんでいたように思. 月 16 日にここ横浜国立大学で授業後倒れ,そ. います.しかしそのようなことに対しても「極. のまま逝ってしまいました.「さようなら」も,. めたい」と言って,実際努力しておりましたの. そして何より伝えたかった「ありがとう」も言. が主人らしいところでした.. うことができない本当に突然の別れでした..  研究・教育の面でも,プライベートでもま.  ただただ呆然としていた私たちを,多くの方. だまだやりたいこともあっただろうと思います. がたがお支え下さいました.病院からそのまま. と,55 歳という年齢で亡くなりましたことは,. 家までつきそってくださった,横浜国立大学経. 残念で悲しくてたまりませんが,皆様のおかげ. 済学部長であり,30 年来の友人でもありまし. でこれまでの人生を,主人は自分らしく,精いっ. た大門正克先生はじめ,経済学部,並びに地域. ぱい生き抜いたのではないかと今では思えるよ. 実践教育研究センターの諸先生方,大学職員の. うになりました.. 方々,神奈川県庁の方々,先輩方,友人の方々,.  これからは,残りました家族で力をあわせて,. ゼミの院生,学生の方々,そしていつも家族に. きっとどこかで見守ってくれている主人に恥じ. よりそって下さった秘書の武山直子さん.突然. ない生き方をしていきたいと思っております.. のことでいろいろとご迷惑をおかけしたにも関. どうぞ主人亡きあとも,引き続きご指導ご鞭撻. わらず,この 3 カ月,本当に多くの方にご厚情. を賜りますようお願い申し上げます.また,皆. を頂き,感謝の言葉もございません.. 様のお心のかたすみに金澤史男という研究者が.  おかげさまで無事主人を見送ることができ,. おりましたことを,これからも残していただけ. また後に残った様々なことも少しずつ進められ. れば,私たちにとりましては何よりの喜びでご. ております.研究室の片づけをさせて頂く中で,. ざいます.. いろいろお世話になった方々からお話をお聞き.  皆様,本日はまことに有難うございました.. する機会もあり,今まであまり知らなかった主.

(2) . 閉会の辞 高見沢実(横浜国立大学教授).  金澤先生から突然,地域実践教育研究セン ター長を引き継ぐことになりました高見沢と申 します.本日はさまざまな角度から貴重なお話 をいただき誠にありがとうございました.先生 には,今のセンターの前身となりました文部科 学省現代 GP プログラムへの応募と採択後の運 営依頼,さまざまな場面を通して,さまざまな ことを教えられました.これまで本当にありが とうございました.特に先生がセンター長に就. 任されたあと,これまであいまいだった一つ一 つの業務を明確にしながら進むべき方向付けを されたこと,いろいろな節目でしっかりとした けじめをつけ,成果を目に見えるかたちで一つ 一つ積み上げていかれたことは何にも変えがた い貴重な財産となるとともに,それらは先生の 純粋で前向きな姿勢と能力の高さを示していた のだと改めて感じております.  先生のご意志をこれからも引き継ぎ,まだ道 半ばの地域実践教育研究センターを残された仲 間と一緒に育てていきますことをここにお誓い 申し上げ, 閉会の辞に変えさせていただきます..

(3) . 弔 辞 2009 年 6 月 18 日(通夜). 初からかかわり,それが現在の地域実践教育研究セ ンター長の要職にもつながりました.. 鈴木邦雄(横浜国立大学長).  中国との国際交流についても大きな力を発揮さ.  金澤史男先生. れ,特に華東師範大学・北京師範大学との交流は,.  あまりにも突然の訃報に接しまして,私をはじめ. 本学における国際交流のモデルの一つになりまし. 横浜国立大学の教職員は深い悲しみに包まれており. た.また,中国から使節団が来訪した際には,意を. ます.教室で倒れられる直前まで,先生は地域実践. 尽くした準備をご自分でなさり,相手大学から強い. 教育研究センター長として,副専攻プログラムの実. 人間的信頼を得ておりました.. 質化や概算要求の作成に多大なご尽力をいただいて.  本学全体への寄与と並び,金澤先生は教育研究面. おりました.当然,今後も,本学の発展のために強. でも大きな貢献を果たされました.地方財政を専門. 力なリーダーシップを発揮していただけるものとば. とする金澤ゼミナールは,経済学部の人気ゼミの一. かり思っておりました.そんな矢先のあまりにも急. つであり,毎年開かれる OB 会には全国から多くの. な訃報にただただ驚き,残念な思いで一杯です.突. 卒業生が集まります.大学院生の指導でも類まれ. 然の訃報に接しられたご家族,ご遺族のご心中はい. な力量を発揮され,10 人におよぶ博士号取得者は,. かばかりかと,お察しするに余りあるものがあり,. 流通経済大学,山梨大学,日本大学,中部大学,中. お慰めする言葉もございません.. 国の華東師範大学など,各地の大学で活躍していま.  横浜国立大学の全教職員を代表し,ここに謹んで. す.また,院生たちとともに, 『現代の公共事業』 『公. 金澤先生に,お別れを申し上げます.. 私分担と公共政策』という 2 冊の共同研究をまと.  金澤先生は,東京大学大学院経済学研究科を終え. め,日本の財政問題や新自由主義的な政策に鋭いメ. て,学術振興会研究員,東京大学社会科学研究所助. スを入れました.日本財政学会の理事及び常任理事. 手,静岡大学人文学部助教授を経て平成 2 年に,本. を 10 年にわたって務められたように,金澤先生は. 学経済学部に助教授として赴任して下さり,平成 7. 財政学会を代表する日本の有数な研究者でした.. 年に教授に昇任されました.その後,評議員,経済.  法人化以降の国立大学は,多くの難しい課題に直. 学部長,国際社会科学研究科長にご就任され,現在. 面しています.このようなときに大学の運営に忙殺. は,地域実践教育研究センター長として,本学の発. されるだけでなく,筋を通した議論を積み重ね,運. 展に大きく貢献して下さりました.. 営と教育研究に全力で取り組み,多くのゼミ生や研.  20 年にわたりご在職いただいた間,金澤先生が. 究者を養成された金澤先生の足跡には,学ぶべき多. 本学に果たされた貢献は数え切れません.本学に赴. くのものが含まれております.. 任早々,社会科学系の初の大学院である国際開発研.  金澤先生.先生の大きなご功績に心より敬意と感. 究科の創設に尽力いただき,ついで,現在の国際社. 謝を表すとともに,深く哀悼の意を捧げ,金澤先生. 会科学研究科の創設に大きな力を発揮されました.. のご遺志に答えて横浜国立大学の一層の発展に尽く. 私は当時,経営学部の一人として金澤先生と協力し. すことをお約束して,お別れを申し上げます.. て国際社会科学研究科の設立を進めました..  どうか,安らかにお眠りください..  経済学部長になられたときには,国立大学法人化 松沢成文(神奈川県知事). に向け,法人化後の大学の組織運営面を中心に多大 な貢献をしてくださりました.国際社会科学研究科.  謹んで,横浜国立大学教授 故金澤史男先生のご. 長の際には,文部科学省の競争的資金である「魅. 逝去を悼み,哀悼の言葉を捧げます.. 力ある大学院教育」イニシアチブが採択され,実践.  金澤先生のご遺影を前にして,こうしてお別れの. 性・国際性を備えた研究者養成システムを国際社会. 言葉を申し上げなければならないことが,本当に残. 科学研究科に導入しました.平成 16 年度に採択さ. 念でなりません.. れた地域再生に関する文部科学省の現代 GP には当.  金澤先生に最後にお会いしたのは,先月 29 日に. 『エコノミア』第 61 巻第 1 号(2010 年 5 月),31 - 36 頁[Economia Vol. 61 No.1(May 2010),pp.31 - 36].

(4) . 開催された第二期「水源環境保全・再生かながわ県.  先生からのご提言は,「法人事業税における外形. 民会議」の諸会合の席上でありました.この日,県. 標準課税の導入」や 「 個人所得課税における国から. 民会議の座長に推挙された先生は,いつもの柔和な. 地方への税源移譲 」 など,地方税財政制度の改革と. 笑顔で私を迎え,委員の皆様に紹介してくださいま. して実現し,また,神奈川らしい税制づくりに関し. した.. ては,平成 13 年の 「 臨時特例企業税 」,平成 19 年.  今,こうしてご遺影を前にいたしますと,そのと. の 「 水源環境保全税 」 の創設として結実するなど,. きの先生の人を包み込むような温かいまなざしと,. 金澤先生が神奈川県の行財政運営に果たされたご功. 強い信念に満ちたお姿が鮮やかによみがえってまい. 績は,極めて大きなものがございます.. ります.あれからわずか半月余り,働き盛りの 55.  とりわけ,「 水源環境保全税 」 は,金澤先生の存. 歳という若さでの,あまりにも突然で早すぎるご逝. 在がなければ成就し得なかったと言っても過言では. 去は,いまだに信じがたく,まことに痛恨の極みで. ありません.この制度は,検討から実現に至るまで. あります.. 5 年もの歳月を要しましたが,先生は,生活環境税.  最愛の伴侶を失われた奥様,そして尊敬するお父. 制専門部会の部会長として,終始議論をリードし,. 上を亡くされたお嬢様をはじめ,ご遺族の深い悲し. 全国シンポジウムの開催にもご尽力いただくなど,. みを思いますと,お慰めの言葉もございません.. その実現に大きく寄与されました..  顧みますと,金澤先生は,昭和 57 年に東京大学.  また,制度導入後も,「 水源環境保全・再生かな. 大学院経済学研究科博士課程を修了され,以後,財. がわ県民会議 」 の座長として,施策の評価と県民の. 政学や地域経済の分野を中心に,学問の道を一途に. 皆様への情報提供に力を注いでいただき,この 3 月. 歩んでこられました.そして,平成 2 年からは横浜. には 「 点検結果報告書 」 を取りまとめ,私にご報. 国立大学で教鞭を執られ,平成 14 年には,伝統あ. 告いただいたところであります.そして,去る 5 月. る経済学部の学部長に就任されるなど,地元神奈川. 29 日には,第二期の県民会議の座長に就任され, 「か. を代表する,地方財政,地方自治の第一人者として. ながわ水源環境保全・再生実行 5 か年計画」の集大. 多大な功績を残されました.. 成として,今後 3 年間における施策の評価をお願い.  また,優れた教育者として,多くの有為な人材を. したところでありました.. 育成され先生の教えを受けた方々は,経済,行政,.  金澤先生には,こうした水源環境保全の取り組み. 学問などさまざまな分野で活躍されております.県. をはじめ,県政の発展のために,引き続きご活躍い. 行政におきましても,金澤門下の学生の皆様にご協. ただけるものと信じておりましただけに,あまりに. 力をいただいたこともございました.. も突然のご逝去は,本当に残念でなりません..  本日,先生との別れを惜しみ,このように多くの.  折しも,今年秋には,「地方分権改革推進委員会」. 方々がお集まりになっておられますのも,常に真摯. から,地方税財源の充実に向けた第三次勧告が示さ. な姿勢で,学問と教育に身をささげた金澤先生に寄. れる予定であり,地方分権改革はまさに,これから. せる深い感謝と敬慕の気持ちの表れと存じます.. 正念場を迎えようとしております.そうした中で,.  そして,金澤先生は,私ども神奈川県にとりまし. 先生の存在は,私ども神奈川県だけでなく,全国の. ても,かけがえのない大きな存在でありました.. 地方自治体にとりましても,大変大きなよりどころ.  私が知事に就任した平成 15 年には,「21 世紀の. でありました.. 県政を考える懇談会」 (経営戦略会議)の委員として,.  私どもは,地方自治と地域経済の発展に注がれた. 県政運営の基礎となるさまざまな取り組みについて. 先生の熱意とお志をしっかりと受け止め,「活力あ. 貴重なご意見を頂き,県政のあるべき姿についてご. る神奈川,暮らしやすい神奈川」を目指して,全力. 指導を賜りました.. を尽くしてまいることを,ここにお誓い申し上げま.  また,平成 10 年に設置した「神奈川県地方税制. す.. 等研究会」には,当初から参加していただき,地方.  悲しみに措辞ととのわず,意を尽くせませんが,. 税財政制度の改革や自治体による課税自主権の行使. お別れを申し上げなければなりません.. について, さまざまなご提言を頂いてまいりました..  金澤先生,本当にありがとうございました.どう.

(5) . か安らかにお眠りください.そして,天にあっても,. 2009 年 6 月 19 日(告別式). ご遺族の皆様の将来とともに,神奈川の発展を温か 林健久(恩師). く見守っていただきたいと存じます.  結びに,金澤先生のご功績に心から感謝を申し上. 金澤君. げますとともに,ご遺族の皆様のご多幸をお祈り申.  77 歳のわたしが,50 歳台半ばの教え子の君の野. し上げ,お別れの言葉といたします.. 辺の送りに連なり,告別の言葉を捧げねばならない とはなんという悲しみでしょう.教師のわたしでさ. 村上英吾(大学院ゼミ生代表). えそうなのですから,突然逆縁の別れをなされなけ.  金澤先生,大学院でのゼミ生を代表いたしまして,. ればならない金澤君や奥様のご両親のお嘆きは如何. 謹んでご逝去を悼み,生前の温かいご指導に対し,. ばかりか,また頼みとするご夫君父上をなくされた. 改めて感謝申し上げます.. ご家族の哀傷の上は如何ばかりかとお察しし,お慰.  ただ,あまりに突然のことに,どう受け止めれば. めの言葉もむなしくて憚られるほどであります.. いいのか,途方に暮れております..  金澤君とわたしは 30 年以上の付き合いですが,.  金澤ゼミには,私を含めて,先生のご専門である. あまり写真を一緒にとったことがなく,さがしてみ. 財政学を研究対象としていない大学院生が多数含ま. たら学部学生でわたしのセミナーにいたころのもの. れています.そうした学生に対しても,先生は「自. がでてきました.まだ少年の面影さえ残した初々し. 立しつつある研究者」と言って,本人の問題関心を. い顔立ちです.この写真を前に,あれからはるばる. 尊重してくださり,それをいかに伸ばしていくかと. きたものだという感懐と,あっという間だったとい. いうことに意を尽くしてくださいました.. う思いが交錯しますが,君を失ったいま,何をみて.  そうしたご指導を受けようと,大学院の研究会に. も考えても,まるで体の一部がもぎ取られてひりひ. は,大学の垣根を越えて,多くの若手研究者や大学. りするような痛みが強まるばかりです.. 院生が先生を慕って集まってきました.その成果は,.  わたしのセミナーと申しましたが,セミナーの語. 『現代の公共事業』それから『公私分担と公共政策』. 源は種を播く苗床だそうです.金澤君はわたしの苗. という 2 冊の学術論文集として出版されました.こ. 床で真っすぐに育ち,横浜という土地を得て深く根. の 2 つのプロジェクトを先生が企画してくださった. を張り枝を伸ばした大樹大木になりました.すで. おかげで,曲がりなりにも研究者の道を歩み始める. に多くの実をつけ,若木を育ててきたとはいえ,な. ことができた私たちとしては,この 2 冊の本で示さ. お今後無限の恵みを私どもにもたらしてくれるはず. れた到達点を乗り越える水準の論文集を,今度は私. だったのに大樹はなぜ突然倒れたか,運命は不公平. たちの手で作り上げることではないか,先生への感. だというほかありません.金澤君は学部のセミナー. 謝の気持ちをあらわすのにそれだけで足りるはずも. 時代から現在まで一貫して財政・財政学と日本経済. ありませんが,少なくともこのことだけはやり遂げ. ないし日本資本主義発達史の研究に従事し,高い水. て,先生にご報告することをお誓い申し上げたいと. 準の仕事をぞくぞく発表してきました.財政研究は. 思います.. 主としてわたしのセミナーで,資本主義発達史は東.  これまでの厳しくも温かいご指導に対し,心から. 大社会科学研究所の大石嘉一郎さんのもとで研鑽を. 感謝するとともに,安らかにご永眠されることをお. 積まれたと思います.そしてこのふたつの流れの合. 祈り申し上げます.. 流点に金澤君は自分独自の研究領域を開拓し,確立 しました.それが日本地方財政発達史研究です.そ れまでの地方財政研究が法律・制度の解説や理念的 な主張に偏ったものが多かったのにたいして,金澤 君は,資本主義の世界史的な発展のあり方と,その 中におかれた日本資本主義の特殊な位置と,その特 殊な位置にある日本資本主義の明治以来の発達の諸 段階を確定し,それが日本の地方財政をどう規定し.

(6) . 平井信之(学部生代表). たかと問題を立て,透徹した資料解析と緻密な実態 調査をふまえて解明してきたのです.最近は現代福.  金澤先生,学部生を代表して,謹んでご逝去を悼. 祉国家における地方財政研究へと議論の射程を伸ば. み,生前のお教えに対し,あらためて御礼申し上げ. し思索を深めています.それは,日本の地方財政の. ます.. 実態の解明であると同時に,科学としての地方財政.  先生の突然のご訃報に接し,僕たち一同,本当に. 学の方法の提示そのものでもあります.では,そう. 驚きました.. したものとして金澤君の学問は完成したのでしょう.  先週,ゼミナールをご指導くださっていた先生の. か.そうではありません.わたしのみるところ,こ. お姿が,今でも鮮明に浮かびます.. れまでの膨大な研究業績は,完成体を構成する部品.  あんなにお元気だった先生が,突然,帰らぬ人に. としておよそ 8 割がたできたところです.運命が,. なろうとは,いったい誰が想像できたでしょうか.. 天が,金澤君に藉すにあと 5 年の歳月をもってすれ.  僕はゼミナールに加入した当時,大きな期待を胸. ば,わたしたちは 8 合目でなく,四方を見渡せる頂. に抱き,小さな不安を抱えていました.歴史あるゼ. 上の高みに,すなわちたとえば日本地方財政研究と. ミナールでご教授いただけること,温かい雰囲気の. か日本地方財政発達史とタイトルが付された大著に. 中で活発な議論を行うことへ,憧れを覚えていまし. 導いてもらえたに違いないと信じます.惜しみても. た.一方,権威ある先生の下で学ぶことへ恐縮する. 余りある早すぎる他界だったのです.. 気持ちがありました.しかしその思いは,ゼミの歓.  最後にお礼とお詫びを申し述べたいと存じます.. 迎会ですぐに吹き飛びます.漫画やサッカー,お笑. 金澤君は日本財政学会や日本地方財政学会など全国. いのお話などを,嬉々として語る先生から,温かく. 的な財政学関係の学会の最高責任者として多大の貢. 親しみやすいお人柄を感じられたからです.ちょう. 献をし,学会員の敬愛の的でしたが,ここではもっ. どその日は,サッカー日本代表の試合があり,宴席. とスケールの小さな集まりのことにふれます.金澤. で勝利の知らせを耳にされた時の先生の嬉しそうな. 君の学年前後の大学院卒業生たちが,卒業後も引き. お顔は,昨日のことのように覚えています.. 続いて仲間として研究を続けようというので,指導.  ゼミナールでの先生は,漫画『スラムダンク』の. 教授だった加藤栄一さんとわたしも加わった研究会. 安西先生さながらに,温かく見守るかたちで,僕た. ができ,外からの人も交えて現在まで続いています.. ちをご指導くださいました.ゼミ生が自由に発言を. メンバーが外に発表した論文や著書の大部分はあら. できるようにと,席をはずされて,廊下でそっと議. かじめここで議論の材料となり,揉まれたもので,. 論を聞いてくださっていましたね.室内で様子を見. 金澤君の場合もそうです.十数人の小世帯ですが,. てくださるときも,一見,議論を聞いてないかの素. 大学院時代をそのままもちこんだ,学問の香に満ち. 振りを見せながらも,『さすが先生!』といった丁. 自由で明るく楽しい会です.はじめのうちは加藤さ. 寧で明晰なご講評をしてくださり,そのたびにゼミ. んやわたしがリードしていましたが,現在は金澤君. 生一同,感銘を受けていました.. の世代が担っています.そこでの研究討論では今や.  論文指導の際には,「事実なり,資料をもって,. 金澤君が最強の牽引車ですが,加えて会全体の方針. 語らせよ」など語感の良い表現を用いて,『論文の. 決定から日常雑事の処理の多くを金澤君が引き受け. いろは』を教えていただきました.. ており,その目配りや他人への配慮がこの居心地の.  先生は,「真実を語るのはいつも少数派だ」とよ. いい小宇宙の回転の動力・潤滑油でした.ただ金澤. くおっしゃっていましたね.この御言葉は,その先. 君の有能をいいことにそれに甘えて酷使し,疲労を. 見性で社会を見通す,先生の研究者としての矜持そ. 蓄積させ,今回のことにつながったとすれば,わた. のものだと感じました.. したちメンバーは取り返しのつかない過ちを冒した.  つい先日には,「これからの社会をつくっていく. ことになり,ご本人とご遺族にお詫びしなければな. のは君たちだ」とおっしゃって下さいましたね.こ. りません.. の御言葉は,これから社会に出て行く僕たちの,金.  もうお別れの時がきました.金澤君,君と一緒に. 澤ゼミナール卒業生としての矜持です.. 学問ができて楽しかったよ.さようなら..  金澤先生,今まで先生の語ってくださった,さり.

(7) . げない一言ひとこと,それが僕たちの力強い指針と. 賞」を受賞しました.. なります.ご指導ありがとうございました.どうか.  中国との国際交流でも金澤先生は大きな力を発揮. 安らかにお眠りください.. しました.全学の協力を得た模擬講義や院生交流な ど,教育研究の実質的交流を進めたプログラムは, 大門正克(経済学部長). 本学における国際交流のモデルの一つになりまし. 金澤史男先生. た.中国から使節団が来訪すれば,三渓園の桜や鎌.  1 年前に私が経済学部長に就任したとき,最初の. 倉など見学先の選定から昼食・バス・通訳の手配に. 誓いは,職員の人たちが働きやすい環境を心がける. 至るまで,意を尽くした準備を自分で進め,使節団. ことでした.法人化後の大学は大変に忙しく,職員. の人たちから強い信頼を得ました.今日,中国の華. の心身に多くの負担をかけていたからです.でも. 東師範大学から生花が届いているのは,金澤先生へ. その私の任期中に,教員が講義後の教室で倒れるこ. の国際的信頼の証です.. となど,想像もしていませんでした.金澤先生は本.  地方財政を学ぶ金澤ゼミナールは,経済学部の人. 学と経済学部にとってかけがえのない人でした.私. 気ゼミです.3 年生の終了時にゼミ独自の単位論文. は無念です.と同時に,学部長として,今回の件を. を課し,毎夏の調査合宿ではゼミ生が十分な準備を. 防げなかったことを強く反省させられています.と. 重ねる,金澤ゼミの幹事はとても忙しいけれど毎年. くにご家族のご心労を察すると,心より申し訳なく. 立候補者が出る,卒業時には 2 年・3 年生を含めて. 思っております.. 全員で 4 年生を送る,そんな金澤ゼミを手塩にかけ.  金澤先生,あなたは,類まれな大学人でした.ど. て育てました.研究でも,10 人におよぶ博士号取. んなに忙しいときでも,大学の組織運営と教育,研. 得者を育て,院生や若手研究者との共同研究の成果. 究のすべてに手を抜かず,全力で取り組んで駆け抜. を,『現代の公共事業』 『公私分担と公共政策』とい. けた 55 年の生涯でした.教室で倒れたことを知っ. う 2 冊の本にまとめました.この 2 冊は大学院金澤. た何人もの教員が,「金澤先生らしい」と言いまし. ゼミナールの金字塔です.. た.教育熱心なことをだれもがよく知っていたから.  金澤先生の訃報を知った多くの人が驚きの声をあ. です.. げ,先生の言葉を思い起こしています.ある教員は,.  ここ数年,金澤先生は本学の地域実践教育研究セ. 赴任当時に,「先生がいるから横浜国大で学びたい. ンター長の要職につき,中国の大学との国際交流に. と学生から言われるようになってほしい」と激励さ. 多くのエネルギーを費やしていました.神戸大学で. れたことを思い出し,外国にいる元教員は,金澤先. 地域センターを担う教職員の人たちは,本学の地域. 生から学んだことを FAX で綴ってきました.. 実践教育研究センターを視察後,地域実践教育研究.  ある学部では,先生の急死にショックを受けた教. センターを全国トップクラスと評価しました.地域. 員が多数いて,どこでもその話になったそうです.. に関するセンターをつくることはさほど難しくあり. 先生の交際関係の広さに改めて驚いたと,その学部. ません.しかし,それを学生の自主性の向上や,地. の教員がメールで知らせてきました.今日の葬儀に. 域の人びととの対等な交流に結びつけることは大変. も,教職員やゼミ生など大勢の人が, 「何でも手伝. に難しいことです.金澤先生は,全学の共同で成り. いますよ」「私にやらせてください」とたくさんの. 立つセンターをとても大事にし,予算の乏しいセン. 声を寄せてくれました.飲みにいけば注文を仕切る,. ターのために,毎年,文部科学省の予算獲得などに. いつもちょっと口うるさい,でも憎めないあの笑顔. 取り組んでいました.今年も亡くなる直前まで,土. が浮かんできます.一言多いけれど自らも絶対に手. 日返上で,センターの教員や自分の秘書の人たちと. を抜かない金澤先生は,教育と研究が本来持ってい. 一緒に予算書の修正を進めていました.交流や学際. る共同の側面をとても大事にし,大学は本来,共同. の形だけでなく,部局をこえた人間的信頼と教育研. の力を発揮できる場であることに深い確信をもって. 究の実質を重ねる,そのためには寸分の努力を惜し. いたのです.そのためには組織や運営の改革にも全. まなかったのです.その努力の結晶として, センター. 力でとりくむ,金澤先生はまさに本来の意味での大. の前身は,毎日新聞社の「神奈川イメージアップ大. 学人でした..

(8) .  金澤先生,いまあらためて先生を失ったことの大. 先生のような人が大学に必要だったと思うのです.. きさに茫然としています.教育研究について類稀な. 大学が大学らしくあるために,大学人金澤史男の存. アイデアとリーダーシップ,包容力をもっていた先. 在はかけがえのないものでした.. 生の大きさは,他にかえがたいものでした.今後の.  でも金澤先生,多忙を極める今の大学で,文字通. 本学と経済学部の教育研究運営にとっての損失はい. り心血を注いだ先生の努力は,最終的に先生の命を. かばかりかと思うのです.. 縮めることになってしまったのではないでしょう.  金澤先生,親しみをこめて金澤さん,もっと親愛. か.だとしたら先生の遺志を受け継ぐこととは,大. の情をこめて金澤.金澤さんと私は 20 代半ばに同. 学が大学らしくなることをおいてほかにないと思う. じ共同研究に属してから 30 年来の付き合いでした.. のです.見通しのよい議論と手間隙をかけた努力が. 同い年ということもあり,ほどなくお互いを「大門」. 実を結び,教育と研究における教職員,院生,学生. 「金澤」と呼び捨てにするようになります.呼び捨. の共同の力が生き生きと発揮できる環境をつくるこ. てはぼくらの友情の印です.今でも「大門なあ」と. とこそが,あなたの遺志を受け継ぐことなのだと思. いう声と笑顔が痛切に蘇ります.. うのです..  経済学部は筋を通す議論を尊重してきました.そ.  長年の友情と学恩に感謝するとともに,深く哀悼. の議論を代表する一人が金澤先生であり,教授会や. の意を捧げ,金澤先生の遺志に応えることを誓って,. 全学の評議会の場で,常々,筋を通し議論を積み重. お別れといたします.. ねる必要性を説きました.法人化後の大学は,多く.  金澤先生,親しみをこめて金澤さん,もっと親愛. の難しい課題に直面し,教職員は書類の作成や評価. の情をこめて金澤よ,どうか,安らかに眠ってくだ. に忙殺されています.そうしたときこそ,筋を通し. さい.. て共同の力を発揮できる環境づくりに腐心した金澤.

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