シリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造について
中 川 素 子
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Analyzing various arts one can notice that there exists a typical structure of expression or representation in the base of any art. 1 consider that there are seven different structures of expression or representation which are common to any category of arts. depending on the way of recognizing space-time. on the way of recognizing the existence of things. and on the way of treating individual things Hereby 1 discuss the counterpoint which was originally a musical term as polyphony but came to be used commonly in other categories of arts as well. This musical terminology originally meant
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oteagainst note" which has been used. for example目inthe fugues of]. S. Bach'sSince this terminology expresses two things as“point against
point". it is often used to express a structure of work based on the contrapuntal concept.
Shirin Neshat. whom the present article is aiming to discuss. uses the counterpoint structure in order to express women versus men. She is an Iranian artist whose activity is known worldwide. by winning the Golden Lion Award of the 48-th Biennial of Venice in 1999. the Grand-Prix of the Kwangju Biennial in Korea in 2000. the 6-th Hiroshima Prize of ]apan in 2005. the Silver Lion Award for the best director at the 66-th Venice Film Festival of in 2009. and others.
Shirin Neshat shows pictures on two large screens installed in a wider space. which compose the counterpoint. In the case of the two channel video/audio installation such as "Turbulent" 01'"Rapture"
when the screens are installed on the facing walls. the audience would enter into the space created by the work. On the other hand the audience who cannot observe the two screens simultaneously have to think back and forth over the way of existence of contrapuntal things. such as women and men. In the case of the two channel video/audio installation such as "Fervor" when the two screens are installed side by side. the audience would understand that the taboo over the sexuality in the Islamic societies is imposed on both women and men.
Shirin Neshat argues:" Women who have tolerated the violent oppression of social. cultural and religious origins have a tendency of being resistive. irrational a.ggressive and bold. while men who have not experienced such direct oppression have a tendency of being rational. traditional and even obeisant." The fact that Shirin Neshat's works possess strength and high criticism lies not only in the proper choice of the q o F h d
文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 はじめに 諸芸術を分析してみると、どの分野であっても、その基底には表現構 造が存在している。しかし、たとえばドストエフスキーや宮沢賢治など の文学をポリフォニー構造と読み解くなど、個々の作家や作品について 論じたものはあっても、全体を僻服した論や諸芸術全体に通じるものと して、構造を分析している論はそれほど多くはない。 私は、拙著「絵本は小さな美術館
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(.il:l)や拙論「絵本の表現構造J
( 山 ) で絵本の構造分析をしている。また近年出版予定の中川素子監修「絵本 事典J
(朝倉書庖)に於いても、より詳細に構造分析を試みている。線 構造、円環構造、展開構造、点の並列構造、点の集合構造、対位法構造、 ポリフォニー構造の七つに分類したものである。ただこの構造分析は絵 本全体を七つに分けたのではない。線構造、円環構造、展開構造は時空 間に焦点をあて分類し、点の並列構造、点の集合構造は、事物の認識に より分類し、対位法構造、ポリフォニー構造は、作品の中での個々の事 物についての扱いとその表現に焦点をあてて分類している。たとえば線 構造でありながら、対位法構造をとる作品もあるといったように、重な り合うこともありうる構造論なのだ。 この論文では、シリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造につ いてとりあげるが、その理解を深めるため、他の構造を簡単に説明して みる。線構造は文学、映画などによくみられる。量としての時聞がどん なであれ、時間軸を線的移動するものである。西洋文化においてはキリ スト教の影響によるためか、限られた線分の中での動きと収数を見せる ものが多い。一方、アジアや非西洋文明地域では,永遠や循環など厚み をもったもの、拡散するもの、また線上をたどるものであっても、収縮 したり膨張したりと変幻自在なものが多い。 円環構造は、時空間を前に向いて進み、再び起点に戻るが、折り返し 日シリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造について て同一線上を戻るのでなく、違う道を進みながら起点に戻り、その起点 からまた最初と同じ道を辿る。動きが永遠に続いていくので螺旋構造と もいえる。 展開構造は時間軸を考えずに空間軸のみで思考し表現している作品で ある。 点の並列構造や点の集合構造は、時空間軸を重要視しない事物そのも のの認識といえる。たとえば、点の集合構造は一つ一つの事物を表し、 それら全てが集まって大きな事物になるというように、部分と全体とい う認識を強固に行おうとするものである。 ポリフォニー構造とは音楽用語のポリフォニー (polyphony)から考え られた構造である。複数の独立した声部が別のリズムをもちながら絡み 合い、ほほ同等の比重で一つの全体へと組み合わさっていく多声(部) 音楽を意味する。さまざまな芸術分野で、どんなに小さな存在でも、互 いに声を響かせている社会や人聞を表現するものにこの言葉が用いられ ている。蟻川幸雄が劇の演出において「ノイズ」という言葉をよく使っ ているのも、社会に溢れる不満や怒りをもらさずに表現するポリフォ ニー構造を意図してのことと思われる。 第一章対位法構造について さて、この論文で論じる対位法構造であるが、これもポリフォニー と同じように、音楽用語の対位法(counterpoint)を用いた言葉である。 作曲技法の一つであり、語源は、ラテン語の punctuscontra punctum (点対点)で、音符に対する音符を意味し、二声部以上の独立した旋律 が、バランスを保ちながら同時に鳴り響いて美しい状態を作り出す。代 表的なものにはバッハのフーガなどがある。作品解釈においては、ポリ フォニー構造と区別しづらい場合もあるが、ここでの対位法構造解釈は F h u F H U
文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 多くの事物でなく、二つの事物の声を響かせ合うものとする。音楽では 細かな定義がなされているようだが、美術や文学などでこの言葉が用い られる場合は、二つの事物が主人公と脇役といった関係でなく、独立し 個性を発揮しながら、それで、いて一つの世界を表している時などに使わ れる。この構造では、二つの事物の対比をはっきり示すことができるた め、主に対比をコンセプトとした作品に用いられることが多い。 古今東西の美術においては、対位法構造が少なからずみられる。たと えば中国で生まれた暗、柔、水、冬、夜、植物、女を<陰>とし、光、 明、剛、火、夏、昼、動物、男などを<陽>とする陰陽太極図。お寺や 神社の門で境内を守っている阿行と昨行の仁王像や狛犬。メデイチ家の 廟墓に置かれた「曙」と「夕暮れ」、「昼」と「夜」と対比を示したミ ケランジ、エロの彫刻。俵屋宗達の「風神雷神図扉風」に描かれた風神と 雷神、尾形光琳の「紅梅白梅図扉風」に描かれた紅梅と白梅などである。 これらは、二つの事物の意味性として対称になるだけでなく、平面作品 であれ、立体作品であれ、一つの空間を構成する二つの引き合う力とし て働いている。特に日本美術においては、そのように作品の形式として も対位法構造を意識したものが多い。たとえば、掛け軸の二点を一組と する双幅、厚手風の右隻、左隻をー揃いとして並べる一双、六曲一双形式 などである。同じ空間の中で引き合う表現をするからこそ、対比的な意 味が生きてくることが理解されていたに違いない。 第二章三つの対位法構造作品 さて、この構造を強く意識し表現している作家として、以前から興味 をもっているシリン・ネシャットの作品について述べてみたいが、その 前に対位法構造理解に役立つと思われる三人の作品をあげてみる。 まずーっ目は、
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年、茨城県守谷市のアーテイスト・イン・レジデ 戸 hU F h uシリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造について ンス・プログラム (ARCOS)に招聴されたフイリッピンのエルマー・ ボルロンガンの作品である。ボルロンガンが、日本に滞在している聞に 興味をもったものは交差点にあるカーブミラーだという。一本の柱の上 にやや角度をつけて設置された鏡は、交差するこつの道を同時に映し出 す。現在はどうか知らないが、彼が日本にきた
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年当時にフィリッピ ンの彼が育った地域ではカーブミラーがなかったのだろう。ボJレロンガ ンの作品は、カーブミラーのように、棒の上に二つの円形の画面をつけ、 その一つにはフイリッピン、もう一つには日本の姿が映し出されるよう に描いている。たとえば、作品 iNomad(遊牧民)Jでは、二階建ての 家が描かれているのが日本、亀の甲羅にテレビをのせているのがフイ リッピンである 1川、家がなくてもテレビをもつことカ宝フィリッピン人 の憧れだという。二階建ての家は、日本の一戸建ての家のイメージとは やや違うが、日本滞在中にボルロンガンさんが泊まっていた二階建ての アパートなのだろう。i
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では、たくさんの乗用 車が捨てられている日本の様子と大きな車の中で人聞が寝たり座ったり しているフイリッピンの様子とが描かれている(阿 車を住処にしてい るのであろうか。この作品では二つの事物に価値の上下をつけることな く、違いをみせている。実際にボルロンガンさんが体験し、その感覚が とらえたものだけに、二つの画面が揃うことによって、二つの国の在り ょうが鮮明になってくる。私たちは、他者を知ることにより、日本を知 ることができるのだ。 二つ目は郭徳俊(
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の「大統領と郭」シリーズであ る。 iTIMEJ誌の表紙の下半分に鏡を合わせ、掲載されている歴代の アメリカ大統領の顔写真上部と鏡に写った自分の顔の口辺を合成した肖 像である。鏡をもっ指と鏡に向かう郭の横顔も写っている。このシリー ズは、1
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年の「フォードと郭」に始まり、「カーターと郭J
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年)、 司 i F h u文教 )ç~~ H-~n と文化古\22 ひ 図1 エルマー・ポルロンガン fNomad(遊牧民)J 1996 写真提供 ア カス実行委員会 口 O E J
ンリン ネ ン ヤ ッ ト の 映 像作品 にLよる対位iLHI
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j;,!について 図2 エルマー・ ポルロンガン rShelter(シェルター)J 1996 写真提 供 アーカス実行委員会-59-文秋大学 fi.j.nと文化 首¥22サ
図3
「クリントンと郭jの前で作者と(光州ビエンナーレにて)
(口辺の光は、J面影時のものであり、作品にはないことをお断りする)
-シリン T、シャyトのl映像作品にはる対位法十tltjilについて 図4 郭徳俊「オパマと郭J2009 シルクスクリーン 写 真 提 供 足利市立美術館 可 E ム p h u
文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 「レーガンと郭
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年)、「プッシュと郭J
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年)I同ヘ「オパマと郭J
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年)I同.11など2
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年まで大統領 が変わるたびに新しく十作品を作っている。一枚の作品の上部と下部は 融合するのでなく、不協和音を奏でつつ主張している。一つの顔を作り 上げながら、上部と下部は独立し合い、対位法構造となっている。上部 と下部の組み合わせの意味が理解できた時に、面白さと共に、作者が何 を表現しようとしたかが推察され興味深い。 郭徳俊は、京都の伏見区に日本人として生まれたが、サンフランシ スコ講和条約を理由に、1
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年、日本国籍と権利を奪われたという削}。 外国人登録証をもたなければならない身分になったのである。しかし作 品の中で、世界ーの権力者アメリカ大統領と無力な非権力者のアーテイ ストは互角に顔を形作っている。郭徳俊は、2
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年1
月に国家と地球を 支配する根元のところで作品を展示したいと、ワシントンD
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C.のホワイ トハウスの周りの柵に作品を並ベたとのこと u山EιHd42 強力な自己意識でみせたわけだ。 三つ目は、アメリカのピル・ヴィオラのヴイデオ・インスタレーショ ン作品「天と地J
<1相}である。この作品では、二つのモニター画面が十 センチぐらいの間隔をとって向かい合うように設置されている。天であ る上側のモニターにはヴィオラの母親の死の床の姿が映し出され、地で ある下側のモニターには、ヴィオラの次男で生後二、三日後のアンドレ イが眠ったり口をあけたりしている様子が映し出されている。それぞれ 独立していながらお互いの姿をお互いの中に映し出しているのだ。ここ では二つの顔は響き合うというよりも、融合し一つのつながりとなって いる。さまざまな作品で音を効果的に使うヴィオラだが、この作品では まったくの無音が対位法構造を強めている。そして集中力と緊張感を もって作品を見る私たちは、自分たちもがこの融合の中にとけ込むのを-62-シリンーネシャッ トの映像作品に見る対位法構造について 図5 ビル・ヴィオラ「天と地j BillViola “Heaven and Earth" 1992 Video installation Photo : RobertKeziere 感じるのである。 第三章 シリン・ネシャットの対位法構造 1、シリン・ネシャッ卜について フイリ ッピンと日本、権力と非権力、生と死という三つの対位法構造 作品を見てきたが、シリン・ネシャッ トは、 女性と男性を考えるのに対 位法構造を用いている。そのことによりどのように表現力が増している かを見ていこうと思う。 q u F hU
文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 シリン・ネシャットは、イランのカズヴィーンで生まれ、当時のイラ ンが欧米化政策をとっていたため、十六歳の時にアメリカの高校に進学 した。カリフォルニア大学パークレイ校で美術を学び、その後、現在に 至るまでニューヨークを拠点としながらモロッコやメキシコなど世界各 地で制作し、その独特な風景を活かした作品作りをしている。イランで は
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年にわたる亡命生活から反体制聖職者ホメイニ師が帰郷し、 イスラム革命を行った。ネシャットは、革命から1
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年 ぶりに帰郷したが、そのカルチャーショックは相当なものだったようだ。 そして故郷を外側からの視線により見詰め直す作品を作り始めた。イラ ン女性は黒いチャドルで全身を隠すが、顔や手や足裏などほんの少しだ け覆われていない身体部分に、近代の女性詩人フォロウ・ファロクザッ ドなどの詩を手書きのペルシャ文字で描いた写真シリーズ「アラーの女 たち」などである。ペルシャ文字は装飾的で美しいが、肌一面に書かれ た文字は装飾性だけでない意味性を加えている。 写真だと一瞬の映像を固定してしまうので直接的で重すぎると、ネ シャットは動く映像であるヴイデオ・インスタレーションに、そして近 年は映画にと制作の場を移している。不思議な事だが、イランでは動画 は、絵画や彫刻などと違って偶像とは考えられていないようで、禁止事 項にはなっていなしミ。そのためイランには多くの優れた映像作家がいる。 ネシャットは、カンヌ国際映画際でパルムドール賞、ヴェネツイア映画 祭で審査員賞などを受賞したアッパス・キアロスタミに影響を受けたと いうが{山¥そういえば二人とも説明したり叙述したりしてしまわずに、 詩的な映像でイメージを喚起している。 先述の写真作品「アラーの女たち」も印象的だが、映像作品になって からのネシャットの作品は圧倒的な強さを見せるようになった。それら は第4
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回ヴ、ェネツイア・ビエンナーレ(
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年)で金獅子賞、韓国の光-64-シリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造について 州ビエンナーレ
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年)でグランプリ受賞、日本での第六回ヒロシマ 賞(
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年)、ヴェネツィア映画祭(
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年)で銀獅子賞を受賞してい る。私はそのうち光州ビエンナーレと広島市現代美術館での個展、そ れに金沢市民芸術村での金沢市21世紀美術館のプレ・イヴェント voL9 として行われたシリン・ネシャット展(
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年)、また個展ではないが、 作品を上映した水戸現代美術館での「人間の未来へ ダークサイドから の逃走J
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年)、また第2
回恵比寿映像祭(
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年)での「男のいな い女たちW
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現代イラン史をひもとく歌」などを 見ている。 ネシャットは広い空間に二枚の大きなスクリーンを設置して映像を流 すヴイデオ・インスタレーション方式をとっている。この二枚のスク リーンが、対位法構造を作り上げているのだ。ネシャットには「マッハ ドックト」など三枚のスクリーンを横並びに使う場合や、「パサージ、ュ」 や「愚かれて」など一枚のスクリーンのみの表現もある。特にヴイデ オ・インスタレーションから映画に軸足を移している現在は、一枚のス クリーンが多くなっているようだ。 さて、対位法構造であるが、二枚のスクリーンを用い、三部作として 制作されたヴイデオ・インスタレーション作品の「荒れ狂う」、「歓喜」、 「熱情」を見てみよう。「荒れ狂う」と「歓喜」はスクリーンを向かい合 わせて設置するが、「熱情j は二つのスクリーンを横に並べている。後 述するが、その並べ方の違いにもネシャットは意味をこめている。 スクリーンを向かい合う二つの壁に設置した場合は、観客は作品空間 の中に入り込むことになり、その空間内を自由に歩いたり、その立ち位 置の変化によって、頭を左右に振ったり振り返って見たりと、自分の身 体の動きと共に作品に向かうことになる。片方のスクリーンに映し出さ れた映像を見ている時は、もう片方の映像を見ることはできない。二つ-65-〉 4 〉 〈hミ 〉γ ‘T九、 σa
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-rr,円 〉斗 Cマ S E3 図6 シリン・ネシャッ卜「荒れ狂うJ
(1998)のヴィデオ ・インスタレーション風景い こ ﹂ ぃ 、 ベ' U J ・ e に 一' S = 三 時 4J-一 -J τ ? ト h v h 月 三 'f h ﹂ ' -一 竺 山 口 、
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、、1 シリン ・ネシャット「荒れ狂うJ
(1998)のヴィデオ ・インスタレ ション風景 図7文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 のスクリーンを同時に見ることのできない私たちは、女性と男性という 二項対比的な事物の在り方を行きつ戻りつしながら見ることになる。ま た、片方に映し出された人物が、もう片方に映し出された人物に投げる 問いかけの目に沿って、私たちもそれぞれの立場に思いをいたしたり、 自分自身の立場を顧みるのである。また片方しか見ていない場合でも、 もう片方の音を背中に浴びているので、完全に無視できるわけではない。
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、「荒れ狂うJ
について 「荒れ狂うJ
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年、白黒)では、白いシャツの男性歌手が、十三世 紀の著名な詩人、ジャラル・エッデイン・ルーミーのイスラム神秘主 義の恋愛詩を甘い声でまとわりつくように歌い酬の主.即、全員白いシャ ツをきた男性の聴衆により盛んな拍手を受ける。この男性歌手は、ネ シャットの公私にわたるパートナーである映画監督ショージャ・ユセ フイ・アザリが演じているが、実際の歌声はクルド系の人気歌手、シャ ラーム・ナゼーリである。 もう一つのスクリーンでは、黒いチャドルを頭からかぶって後ろ姿だ けを見せて立っていた女性t酬の白舶が、誰もいない座席に向かつて低い 声でうなるように歌いだす。歌っている女性は、元ベルギー王立バレー 団のダンサーで、ネシャットの映像作品でサンプリングした音などを イ吏って音楽を担当しているスッサン・デヒームである。イランでは女性 は人前では歌うことが許されていない。しかし、その意味のある言葉が 入ってはいないものの、さまざまな発声法を駆使した歌声は圧倒的であ る。周りの空間に切り込むような高い声、唇を使ったいくつもの破裂音、 体全体を発声器官として全存在をかけて歌う姿制7町酬は、男性歌手の まろやかな歌声を妙に薄っぺらなものに感じさせてしまう。男性歌手が 振り返り、女性の姿をとまどいの目でみつめている ([~7 叫ん側}。その目に-68-シリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造について 沿い、私たちも再び女性をみつめる。ネシャットは、はじめての写真シ リーズ作品「アラーの女たち
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により祖国への入国を禁じられ、その時 の怒りが「荒れ狂う」になったということだが、爆発的な歌には怒りを 超えた女性の強さが表れている。 二つのスクリーンには、はっきりした対比が示されている。男性の白 いシャツと女性の黒いチャドル、舞台をみつめるたくさんの聴衆と誰も 座っていない座席である。ネシャットは、「この空間の扱い方には、イ スラム文化が女性の身体を規制し定義してきた方法との聞に興味深い重 なり合いがあるのです。私は例えば『プライヴェート』が女性の空間 に、『パフやリック』が男性の空間として考えられてきたことにとても関 心を抱いたのです。さらに女性がパブリックな場所に出る時はヴェール によって存在を隠し、その存在感を中和しなければならない、といった ことにです。jと語っている{川}。 その他にも、男性側と女性側には多くの対比がある。意味のある言葉 による歌と言葉のない音、男性歌手を固定的に映しだすバストショッ トと、女性歌手の周りを動き回り、女性を全角度でみせるカメラの視点、 タイトルのエンデイングロールの文字の違いなどである。男性側は英文 字だが、女性側はベルシャ文字で書かれている。私はこの作品の視覚表 現と聴覚表現に圧倒されて、金沢市民芸術村では続けて六回も見たほど であった。 3、「歓喜J
について 映像作品「歓喜J
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年、白黒)は、モロッコで撮影し、二百人の エキストラを使った作品である。「荒れ狂う」と同じように二つのスク リーンが向かい合わせに設置され、その片方には大きな要塞が映ってい る。でもそこには兵士の服でなく白いシャツを着た男性たちが、礼拝し-69-〉 斗 -トゐミ守ア >r ・ ; 、 、h r半
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(1999)のヴィデオ ・インスタレーション風景山 、 “﹂い¥ u ず 山 ¥ 寸 に Tq ﹀ 一 宮 市 索 令 b h わ 戸 か 立 一 持 思 議 院 ↑
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ぺ -:) トー シリン・ネシャット「熱情J(2000)のヴィデオ ・インスタレーション風景 図9文 教 大 学 ドiJftと 文 化 首ii22り たり、格闘技を行ったり、砲塔に触ったりしている。相対するスクリー ンには、荒野から海に向かつて広がっている砂漠の中に黒いチャドルを きた百人ほどの女性たちが映っている。女性たちは、土の上に座って祈 りを繰り返したり、向かい合わせのスクリーンにいる男性たちゃ、作品 をみつめる人に向かっていっせいに手のひらを向ける。その手のひらに はペルシャ文字で「アール・イ・ガルク」という小説の一部が書かれて いるとのこと。ネシャットは「私の初期の写真作品<アラーの女たち> のように、体に書かれた文字は抑えられた声と化します。これは、女性 の凝視がかもしだす静寂を突き破るのに必要な次元を加えています。」 と語っている 1,,1:i I。文字が読めれば作品理解も深まったであろうが、残 念ながら私には読めない。ただベルシャ文字の美しさ、そしてそれが人 間の肌に書かれる不思議さに興味をもった。要塞の男性たちは、無言で 女性たちをじっとみつめているが、女性たちの手のひらには男性たちの 心を揺らす言葉があったのかもしれない。また、女性側のスクリーンに は、祝いの席などでアラブの女性たちが発する<ケル>という声と太鼓 の音が響いているが、その力強い音も要塞の上からみつめる男性たちに とまどいと不安を起こさせるものなのかもしれない。 終盤で素足の女性たちは、チャドルの裾が濡れるのも厭わずに、木の ボートを海まで押し出していく l刷川へそして数人の女性たちが船に のりこむと、波の荒い沖に向かつてこぎだしていく。どこへ向かってい くのだろう。男性たちがじっとみつめている Il'~l }¥r})/1附)。男性たちが、要 塞という定まった力の中に収まっている時に、女性たちは、見知らぬ世 界へと旅だっていくのだ。要塞も壁の一つだが、ネシャットは「壁も ヴェールも、男性の所有物を守るという意味があります。財産も女性も 男性の所有物として因われる。これに対し女性は文明、宗教、政権など から解き放たれ、都市から自然へ、生物的に繋がっていく姿を象徴的に つ 臼 円 , d
シリン・ネシャットの映像作品に見る対{立法構造について 描きました。」と語っている 1,11:;-;1。
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、「熱情」について 三部作の一つの映像作品「熱情J
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年、白黒)は、上記の二作と 違い、二枚のスクリーンを横に並べるインスタレーション作品である。 女性と男性という対比を示す対位法構造をとりながらも、横に並べてい るのは、イスラム社会におけるセクシュアリテイや愛に対するタブーが 男女双方に同じようにかかっていることを見せるためとのこと。後述す るように、男性を性欲やセクシュアリテイに向けるとして非難されるの は、もっぱら女性なのだが、心の中でタブーに縛られているのは、男性 とて同じである。そういった意味では完全に男性と女性を反対に位置 させるのでなく、近接させる時期がきているのではと隣においたとネ シャットは言苦っている',iE9i。 黒いチャドルをきた女性と白いシャツに黒っぽいスーツを着た男性が 田舎道の十字路で出会う。カメラは上から備隊し、アスフアルトではな く土が踏み固められたことによってできた道が、画面を美しく構成して いる。陽光をうけて長くのびた二人の影も印象的である(同九二人は一 瞬立ち止まり視線をかわすものの、言葉を掛け合うことなく行き違う。 次はイスラム教会の場面に変わる。再び二人は出会う。といっても教会 での男女の席は分けられ、白いシャツの男性たちが座る場所と黒いチャ ドルの女性たちが座る場所との聞には黒い布がカーテンのようにかけら れている。道でユ出会った男性と女性は、その幕の近くに座る。黒い幕は 織目がゆるいためか、遮断しつつも幕の向こう側をわずかにみせている。 男性は男らしい魅力的な顔立ちで、女性もほりの深い顔立ちと大きな目 が印象的である。男性と女性は遮断しているカーテンを突き抜けるよう な熱いまなざしをかわす。無言のままで、身体的触れ合いもないが、官 内 ︿ U 門 i文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 能性がきわだつ場面だ。 壇上では説教師が一枚の絵をみせながら話している。コーランに登場 する情熱に流された女性・ゾリカが男性・ユセフを誘惑しようとする物 語である。伝道師は強く女性を非難し、そうした誘惑を断じて許さない ことを激しい口調と身振りで訴えている。キリスト教の聖書のイブもそ うであるが、男を性欲へ駆り立てるとして非難されるのは常に女性なの だ。説教師の口調の激しさにいたたまれなくなったように、女性はただ 一人席をたち教会から出ていく。 場面は変わり、住宅街であろうか、誰もいない通りで二人は再び出会 う。でも二人はあの交わした視線のことなどまったく覚えていないかの ように、言葉も視線も交わすこともなくそのまま行き過ぎる。二人とも 覚えていないのでなく、心の奥深くにセクシュアリティを押し込めたの である。横並びさせたスクリーンでは、お互いを盗み見、お互いの体温 を感じてはいても、正面から見詰め合うことはできないのである。 まとめ 欧米が中心を占めていた二十世紀後半までの現代美術も、
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年以降 には、アジアやアフリカや南米などの文化が発言しはじめ、世界中が注 目するようになってきた。単一文化主義に戻る国もないではないが、多 文化主義が広まった現在、イスラム圏の文化も同じように興味をもたれ ている。 ネシャットの視覚言語と聴覚言語とは、二つの性差に対するフェミニ ズムのありふれた解釈にはおさまっていない。また文化的アイデンテイ ティといっても、イスラム風物のエキゾテイズムにおさまってもいない。 圧倒的なエネルギーに満ちた豊かな表現に昇華しているのだ。 ネシャットの作品では、乾燥したイランの強い光の下、黒いチャドル 4 A 庁 iシリン・ネシャットの映像作品に見る対位法構造について が印象的な形として目に入る。ネシャットがジ、エンダーの視点で表現し ているにもかかわらず、伝統的で古い体制を思い起こさせるチャドルを 何故着せるのかと疑問に感じる人もいるようだ。しかしイランでは、レ ザー・シャー王権の時代には政府の権力によりチャドルをはずされたこ ともあれば、イラン革命後には強制的に着用を命じられでもいる。その 時々の歴史の中で、矛盾した意味を与えられてきたために、とても複雑 な象徴となっているようだ。それに、フランスでは現在、イスラム女性 のチャドル使用が禁じられているが、欧米的な価値や習慣の押しつけに 反発し、文化のオリジナリティへの見直しをしようとする女性たちも現 れてきている。ネシャットは、「私の作品では、女性の日常生活におけ る現実感としてのヴェールがまずあります。イランでは毎日の生活の中 で着用されており、したがってアイデンテイテイを形作る不可欠な要素 になっているからです。つまり、実践的、感覚的、政治的な複合物なの です。」と語っている(,iI:!O)。 ネシャットはイスラムの文化的アイデンテイテイの見直しをしている わけだが、自分のクリティシズムは、テーマの選択自体に存在するとし 哨lい、「各作品では、男と女の対比を、音楽、神秘主義に対する考え方、 社会、伝統、共同体などと関係させ強調することを企画しています。そ のような手法によって、男性と女性が置かれた特殊な状況においてそれ ぞれの全く違った性質を目撃することになるのです。これは私の見解で すが、激しい社会や文化、宗教による重圧を耐えた女性は反抗的、非理 性的、攻撃的、大胆である傾向がある一方、直接的な圧迫を経験してい ない男性は理性的、伝統的で、むしろ服従的です。」と語っているU問。 「荒れ狂う」も「歓喜」も全くこの言葉どおりの作品といえよう。そし てそれぞれの作品において、何よりも対位法構造を用いることによって、 世界の有り様を表現する力が高められていることに注目したいと思う。 p h u 司 t
文 教 大 学 言 語 と 文 化 第22号 (尚、図
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より図9
までは、著作権使用依頼に対する返事がこなかった ため、写真として使用せず、写真を見ながら図として中川淳さんに描い てもらった。左右の図はカタログの中から、記憶に従い同じ時間帯と思 われる写真を選んだものであり、同時に流れている映像でないかもしれ ないことをお断りしておく。) 註1
中川素子「絵本は小さな美術館J
平凡社2
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3 P
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4
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註2
中川素子「絵本の表現構造J<
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絵本学2
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絵 本 学 会 平 成1
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年4
月2
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日)P
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郭 徳 俊 略 歴Jr
郭徳俊全版画展」 足利市立美術館2
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9 P
8
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註4 江民潔r
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無意味』という紐帯Jr
郭徳俊全版画展」 足利市立美 術館2
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0
9 PP8-9
註5
阿部あおみ「アートと女性と映像:グローカル・ウーマン」 彩 樹社、2
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金沢市現代美術館建設事務局2
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3 P7
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金沢市現代美術館建設事務局2
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3
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3 P9
註8
神谷幸江「シリン・ネシャット モノクロームで表現されたイス ラム社会Jr
美術手帖J2
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1
年5
月号P
1
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金沢市現代美術館建設事務局2
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金沢市現代美術館建設事務局2
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3 P6
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1
阿部あおみ「アートと女性と映像:グローカル・ウーマン」彩 樹社、2
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-76-シリン ネシャットの映像作品に見る対{立法構造について 参考文献 「シリン・ネシャット j金沢市現代美術館建設事務局発行 2001年 iShirin Neshat The 6th Hiroshima Art PrizeJ広島市現代美術館 2005 中川素子「シリン・ネシャット展J