• 検索結果がありません。

陸羯南論 : そのナショナリズムの論理

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "陸羯南論 : そのナショナリズムの論理"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 陸羯南論 : そのナショナリズムの論理. Author(s). 広田, 昌希. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 17(1): 31-45. Issue Date. 1966-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4322. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第1 7巻. 昭和41年6月. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 第 1号. 陸. 掲. 南. 一「 そのナショナリ ズムの論理. ひ ろ. 論. --. た ・ ま さ き. 北海道教育大学岩見沢分校社会科日本史研究室. i HiRoFA ; Kuga一Katsunan, M asal (. は. じ. め. に. 明治20年代にあらわれたナショナリ ズムのあらたな動向と して, 一般に二つの新思潮が指摘さ れる, 平民主義と国粋主義である. 前者はいうまでもなく徳富蘇峰に代表され雑誌 「国民之友」 で活躍 した人々の思潮であり, 後者は新聞 「日本」 雑誌 「日本人」 によ ってその言論を展開 した 志賀重昂・三宅雪嶺 らの主張である. 陸掲南はこの国粋主義 の主唱者の一人だった, こ れ らの思 潮 のう ち 平 民 主 義 に つ い て は,. 「ブル ジ ョ ア 的 発 展 を 反 映 す る 若 々 しい ブ ル ジ ョ ア. ) 民主主 義 の主張1 」 という評価がほぼ定説の観がある. しかし 自由民権思想との関連はどうか, また平民主義が明治20年代後半になって 急激に天皇制イ デオロギーにまきこまれ転身 してい った 秘密はなにか, という問題はまだ充分に解明されていない. ところで, ここでとりあげよ うとす る国粋主義に ついては, 古くか ら二つ の評価が対立 しあって依然結着をみていない, この一つの 対立する 評価は, 平野義太郎氏と丸山真男氏のそれに源流をもとめること のできるものである. 平野氏によれば 「国粋主 義はまさに 生成途上にある資本主義を保護・育成・奨励する官僚的原理 )」 のだ が で あ っ た2 , 丸 山氏 は 「ナ シ ョ ナ リ ズ ムと デ モ ク ラ シー の 綜 合 を 意 図 し, … … 日 本 の 近. )」 をも ったものだと高く 評価している, 大まかにい 代化 の方向に対する基本的に正 しい見通 し3 )にもこの一つ の評価はそれぞれにうけつがれ, 新しい視点からの再評価 の って, その後の研究4 試みは充分になされていない, こうした対立する評価がなぜ生まれたかということについては, 別に研究史的に検討されね ば ならぬ基本的な諸問題があるのだが, ここでは陸掲南の国粋主義を分析する方法の提示というか ぎりで, そのてんにふれておきたい, 平野氏も丸山氏も, この明治20年代の国粋主 義が, のちの 天皇制国家主 義とは ちが った性格をも っているというてんでは同 じなのだが, 平野氏は明治30年 代以降に展開する天皇制国家主義思想は どこにその源流を求めることができるかという問題関心 ) 」 とみるのだが, 丸山氏は逆に, から, 「その萌芽的特徴が, 明治20年代に現れたものである5 天皇制国家主義思想が, 支配的になる以前に, 「後の時代とは区別するところの, 健康さ, 健全 ) さ6 」 があったのでないかという関心から問題をたてている. そのさい, 平野氏の方法は 「経済 )」 国粋主 義とどう関係するかということを中心に, そ 的な利益が, すなわち資本主義の発展が7 の階級的性格の規定に最大の力 点がおかれているのに対 し, 丸山氏は, 「国民を国民と して内面 -3 1-.

(3) . ひ ろ た・ま さ き. )」 たところ の思想を発堀することに努 から把握するところ の思想」 「個人的内面性に媒介され8 力の中心をおき, その政治的な側面を問題と している, むろん, 両者 の方法の問題は, 講座派と 近代政治学のちがいをは じめ, もっと根本的に検討さるべき性質 のものだが, すくなくとも, 上 に指摘 した両者のちがいは, も っと包括的な観点から問題にで, きるものと思われる. そうした方 ) の で, こ こ で は あ らた め て 説 か な い こ 法 の提 示 と して 私 は か っ て 問 題 提 起 を した こ と が ある9 ,. こでは, その私のか っての提案をふまえつつ, 平野・丸山両氏 の上にふれた観点を包括する方向 で, 睦掲南の国粋主義の分析を試みたい. すなわち, 陸掲南は, 経済 の問題つ まり資本主義に ど のように対応 したかという観点と, 政 治の問題つまり民主主義の発達という問題にどう対応した かという観点をすえて, その両者 の有機的な関連性を明 らかにする プロセスで陸掲南の本質に接 近したい, 対象は20年代前半に限定する. <註> 1) 遠山茂樹・山崎正一・大井正編 「近代日本思想史」 第2巻27 7頁. 丸山真男氏も 「蘇峰の平民主義という ものがそういうデモクラシー運動であったということは, 容易に理解され」 るとしている, 「明治国家の 思想」(「日本社会の史的究明」 所収20 5頁,) 2) 平野義太郎 「ブルジョア民主主義革命」30 8頁. 3) 丸山真男 「睦掲南と国民主義」(「民権論からナショナリズムへ」 所収20 9頁. ) 4) 平野・丸山両氏の典型的な見解の他に主な説を紹介すると, 「当年の国粋主義, 日本主義は, その保守反 動的本質にかかわらず, 一応欧化主義と保守主義との折衷中庸的立場を標梯してもおり, また資本主義の 官僚的保護育成の見地からする積極性や, その限りでの労働者・農民への社会政策的配慮にもおよぶ前進 性を示した. 6頁, 」(『民法典論争の政治史的考察』 「民権論からナショナリズムへ」 所収27 ) という遠山茂 樹氏や, 「国家主義が本質的に官僚的原理たることを免かれることは出来ない.」(『明治中期のナショナリ ズム』 「日本のナショナリズム」 所収9 8頁.) とする前島省三氏の所説に, 平野氏の評価のうけつぎがみ られ る,. これらに対する丸山説のうけつぎとしては, 家永三郎氏の 「明治20年代の平民主義と国粋主義とは, 端 閥政府による絶対主義体制強化政策に対するブル ジョア民主主義の神尾の活動であった」(「民権論からナ ショナリズムへ」 解説28頁. ) とする評価, あるいは, 「彼らの言論活動は, その国粋主義の近代性の強調 と共に始まった」( 『明治20年代の政論にあらわれたナショナリズム』 「明治前期のナショナリズム」 所収 4 7頁.) とする本山幸彦氏, 「そこには帝国主義に対する抵抗の姿がある」(『日本の知識人』 近代日本思想 史講座第4巻3 5頁,)と高く評価する松田道雄氏の所説があげられる. これら諸説については行諭中に検討 を加えてゆくはずである, なお, 「明治10年代のナショナリズムが, こうして2 0年代の国粋主義, 平民主義の媒介をへて, 天皇制 権力の 『国家主義』 のなかに吸収されていった一ステップと見ることができないだろうか. 0年代 」(『明治2 の文化』 岩波 「日本歴史」 近代4, 3 1 1頁.) という色川大吉氏の提言は示唆にとむ観点を含んでいると思 われる, 5) 平野前掲書 299頁, 6) 丸山 「明治国家の思想」2 29頁. 7) 平野前掲書 303頁. 8 ) 丸山前掲書 219頁. 9 ) 拙稿 「日本啓蒙思想の特質」(「日本史研究」5 8号) 参照,. 平民主義も国粋主義も, 当時の藩閥専制政府による政商保護 ・欧化政策に対する激 しい批判 を 媒介と して自己主張を定立したと いえよう, ところで, 藩閥専制政府 の政策を批判 して彼らがそ れ に 対 置 した も の, 日 本 の現 状 認 識 と 将 来 の ヴィ ジ ョ ンは, い っ た い ど う だ っ た ろ ぅか,. 平民主義者徳富蘇峰は, 「生産主義」 と いう主張でも ってその ヴィ ジョ ンをかかげた. 蘇蜂は 明治19年秋, 自費出版 した大論 文 「将来之日本」 において, コ ブデ ンやミルな どマ ンチ ェスタ【 学派の理論を採用 しつつかく 主張する. 「凡ソ経済世界自然分配ノ法則に従ヘ バ, 全国社会人民 ヲ 挙 テ 皆 一ノ 生 産 者 トナ シ, 消 費 者 トナ シ, 何 人 ニ テ モ 生 産 者 タ ル モ ノ ハ, 必 ズ亦 タ 消 費 者 タ ル 2- -3.

(4) . 陸. 掲. 南. 論. 可シ. 」 「人為分配ノ法則」 は封建的なものであって, 富の偏重をまねき, さ らには戦争となる, 政府 の政商保護はこうした富の偏重をつく っている, これは打破すべきだ, 社会の全構成員が生 産者=消費者となり, 富 の分配が労働量に比例してなされるのが 「自然分配ノ法則」 であって, これを主張する のが 「生産主義」 だ. 世界はいまやこの 「生産主義」 が勝利せんとする大勢にあ る, 我日本が欧米の侵略に抗 して独立を期さんとするならば 「生産国トナル可シ」, そうすれば, ) o 独立は保たれ, 平和で平民主 義 の社会となろうl , こうした独立小生産者の社会を想定した資本 主義についての底ぬけ の楽観が, 平民主義者蘇峰の信念を支えていた. 国粋主義者志賀重昂も, 財力・権力の偏重が 「最大数の民人」 を苦 しめており, 現在の欧化政 策が民間産業の犠牲によ ってすすめられていることを激しく批判, 民間産業 の発展こそ日本の資 1 )ことでは蘇峰とあまり 本主義化の保障であり, 生糸・茶・雑貨などをさかんにすべ しと説いた1 ちが は ない, 下か らの資本主 義化の志向を示したものだった, だが, 蘇峰よりも対外的危機感を )は, 蘇峰のよ うに 「生産」 に批例 して富が得られるという楽観ですまされず, 2 強く も った重昂1 「最少の勤労を以て最大の利益を博」 すことを問題とせざるをえなかった. そうした効率を考え ると 「各自が最特に長ぜる処のもの」 を専 らにする方法が最も有効であり, 「邦国個々が長処と 『国粋保存』 は 即ち経済的真理」 と主張する のである. し は如何, 日く国粋是れなり」 すなわち「 たが って重昂の 「国粋」 観念には 国際間分業の経済 理論によ って基礎 づけ られた要素が中心的に ある. だが, こうして経済的裏付けをもった 「国粋」 観念は, かえって当時の生糸・茶・雑貨な どの産業を特殊永久化するとともに, たんに産業 のみならず 「美術的の観念」 や 「遺伝 し来るも の」 も, 日本国民のエネル ギーを有効に発揮する要素と して 「経済的真理」 の確信のもとに 包括 3 ) す る こと に な る1 .. 以上, 明治20年前後の蘇蜂と重昂の, 資本主義化のヴィジョ ンを要約 したわけだが, これ らと 比べて陸掲南は どうだったろ うか, 掲南は, 新聞 「日本」 を創刊する1年前, 明治21年4月, 新聞 「東京電報」 社長に就任 して, ジ ャ ー ナ リ ス トと して の 活 動 に 入 っ た. 新 聞 「日 本」 発 刊 以 降 は, 国 粋 主 義 の ス ロ ー ガ ンを 正 面. て, 掲南の議論には政論的色彩が 一層濃厚になるが, 「東京電報」 社長時 に掲げた事情も作用 し - 代には, 経済問題についての評論も多い, 農業・実業・取引所・関税・人口・殖民などの諸問題 がとりあげられている. 以下, その特徴的なものをとり あげて検討 しよう, 4 )で掲南は, 日本農民の現況に対 して深い憂慮を示 している, 「日本農民の将来」 という論説i 「其生産 (農業--筆者) の労銀は一日 金十六銭の概算なり, 一日金十六銀の雇銀は下等労働 者が受くる所に して, 我が農民は大概此労銀の額よりするも・……”富の分配上最下等の地位に立 つものと言は ざるを得ざるなり」 農民の状態はいまや窮乏の極に ある, この ま では破滅しかな い, こうした窮乏の原因は, 地租が高すぎることふ, 農民自身が経済上の理にうといこと に よ る, 掲南は政府に地租軽減を要求するとともに, 農民に経済的認識を深めるよう説く のである. 「蓋し経済上の進歩は資本増加の結果に外な らず, 資本増加の原則は 其得る所は其費す所より 」 この経済上の理を知るべき 多かるべくu 其費す所の時間は其再造する所の時間より長かるべし, である. ここには, 経済的発展を資本・利潤の 関係でと らえている掲南の素朴な表現をみること ができる. 蘇峰もまた 「富ハ突ニ第十九世紀ノ ー大運動力ナリ」 とみるが, 「其ノ消費スル額ノ 5 ) 」 すると, 労働力と賃銀 (または資本) の等価交換を資本主 義 ・必 ズ其生産ノ多少二平均1 多少ノ の本質とみなし, 「勤勉」 の量が それと等しい富を生むという楽観をもっていたのだが, 掲南は すでに剰余価値に資本蓄積の源泉をみているてんで, 掲南のほう が鋭 い認識をもっていた. -3 3-.

(5) . ひ ろ た・ま さ き. 「吾輩は人民の多数なる農業者を して資本増殖の域に赴かしむるは, 今日 の急務なるを知る . 而 して之が負担を軽く して生計に余裕あらしむるは資ネゞ増殖の道を計るの最急務1 6 ) 」 つまり, 農 業 の資本主義化÷→資本蓄積÷→ 地租軽減, 下からの資本主義化の要求をみることが できよう . 掲 南 は 実 業に つ いて も, た と えを 「紡績業に当る人々は 内国産のみにて到底其器械力を全用す る能」 はぬから, 輸入実綿は必要であり, 綿花輸入税を軽減すべしと要求している1 ) 7 . そして彼 はいうのである. 「我国従来の政論 は実際農工商一般人民の代表には非ずして, 先進論者か救世 の議論なり.」 しかるに 「地租の重きを知 覚し居る者は農民より明かなるは なかるべし, 商工業の 権力の一種の人々に附着 し居ることを知覚 し居る者は 商工人民より明かなるものなかる べ し」 す 8 ) べか らく 「実業家の政治思想 を発揮1 」 するために努力すべきである. これ は壮士の使命を 説い た文脈のものだが, 以上みてきた掲南の主張は, 下か らの資本主義化の担い手としての農商工の 中小 ブル ジョ ア ジ←層を代弁しようとしたものであり, そのてんで蘇蜂や重昂と殆ん ど同 じ性格 を 有 して いる と い え よ う.. だが掲南は, 蕨峰の 「生産主義」 や重野 Jの 「経済的真理」 のよ うな ヴィ ジョ ンを設立する経済 理論を展開しえなか った. 掲南は, 資本主義のも つ解決 しようもない矛盾的性格を認識していた か らである. 「交通の便は文明進歩の良友なり, ・……・ ・然れ ども去りて他の一方より之を棚 きれば 富力智力運動を して非常に急激な らしめ, ………貧は 益々貧, 富は益々富な らしめ大いに富力上 智力上に社会の不平均を来たすへし, …・ ・ ・然り而して此町村の貧民が都府に転する の禍……地方 幾分の田地は……荒草冷畑の境」 と指摘する掲南の眼に は, 松方デフレによる急激な農民層分解 と農村荒廃が映 じている, 揚南は この現実を, 肯定すべき 「文明進歩」 =資本主義化が農村を荒 廃 さ せ て いる と こ ろ の 矛 盾 と し て 把 握 す る. だ か ら次 の よ う な 疑 問 に つ き あ た る こ と も で てく る. のだ った. すなわち, 「貧富の隔絶は資本の集合に して, 民富進歩の本なりとも言へば, 我国の 如き小資本家の多きは, 之を貧富平均と して質すべきや否, 是れ固より経済上の一疑問に届すべ 9 ) し1 」 資本主義の発達は農業と工業との不均衡発展をす める, 農村と都市の格差は拡大する, 0 )」 ……これ らは, 地租軽減・関税引下の民力休養を期しても 「雇主と被雇者の利害, 相異なる2 資本主義化をおしすふめるかぎり出てくる矛盾 である, この問題をなんと か解決せねばな らぬ. 粥南はいう 「吾輩は実業家多数の利益を論基とするものなるが故に, 都市実業者の期望と=塙寸実 1 ) 業者の期望とは努めて調和せんと欲す2 」 すなわち掲南は, これ らの矛盾を, むろん 「実業家多 数の利益を諭基」 と してではあるが, 一方をとり他方を棄てるのではなく, 矛盾を 「調和」 させ ることによ って解決 しようと したのである, 高島炭坑虐待事件に際 して, 錫南が提示 した解決策 ) 2 「坑夫使役法の制定2 」 も, 基本的には 「実業家」 の立場に立ち つ も, 決 して資本家による合 理化と して出したのでなく, 「雇主と被雇者との利害, 相異なる」 矛盾の 「調和」 的機能を期待 ) 3 してのものだった2 , だ が, こうした資本主義の矛盾を認 識し, それを 「調和」 させることに潟 南が情熱をかけよ うとする場合, 蘇峰の 「生産主義」 や重野 ーの 「経済的真理」 という経済理 論で の ヴィ ジョ ンを描く ことはきわめて困難な, 資本主義化の促進を期するかぎり不可能なことであ ったといえよう. 新聞 「日本」 創刊とともに, 自らの主義を 「国民主義」 と宣言して, そのため の活動を展開してゆく掲南が, その発言を政治・道徳の次元に ますます集中してゆく ことになる 理由も, そうした事情と深く か わ っ て いる よ うに 思 わ れ る, 「『日本』 は外部に向て 国民精神を発揚すると同時に 内部に向ては国民団結の輩固を勉むべ し 故に 『日本』 は国家善美の淵源たる 皇室と社会利益の基礎たる平民との間を近密な らしめ, 貴膜 貧富及都郡の間に甚しき隔絶なか らしめ, 国民の間に, 権利及幸福の偏頗なからしめんことを望 -3 4-.

(6) . 陸. 掲. 南. 論. 4 )」 対外独立.国内団結 のためには 「貴騰貧富及都勘の間」 の 「隔絶」 「偏頗」 をなく さねば む2 ならぬ. 掲南のこの言葉は 「調和」 せねばな らぬと解してよ い, 「君臣の間は論なし, 官民の間も, 貴賎の間も都榔の間も, 成るべく徳義を以て相接するを勉 べ む し, 吾輩は日本国民の内ほど人情徳性の発達し易きも のなかるべしと思ふなり 吾輩は何事 , にも此のノミ情徳性を本とせんことを==・ ・期望するものなり, 万世一系の帝統は少く も日本国民が 5 ) 其君臣間の徳性を証明すべ し, ……漸く徳義の世界た らしめん……2 」 上の引用か ら, 掲南が, 矛盾の 「調和」 剤と して, 「徳義」 「ノゞ階徳性」 をもちだ し そのシ , ンボルと して 「万世ー系の帝統」 をかかげていることを知るだろう. ではこの 「徳義」 の内容と はなにか, 「時流論者の常に安那主義と して横斥する所なれ ども, 文明政道の要は固より斯の如 6 ) きに過ぎざるなり2 」 ここにいう 「支那主義」 つまり儒教道徳が 「徳義」 の内容なのである2 ) 7 , もちろ ん掲南は, 封建的儒教道徳のそのま. の復権を要求 しているのでは ない, 資本主義化を志 向 し, その進行が生みだす矛盾を 「調和」 するための 「徳義」 であり, 一定の法律の存在を是認 し, 利潤の法則を前提と して, 法律万能・利潤万能か ら来る不均衡・不調和を解決するため のも のだ, だが資本主義化が農村共同体や家族を破壊 してゆく現実を 「父子の関係, 兄弟の関係 夫 , 婦の関係, 主従の関係は尽く 破れ ……其の社会の体面を乱る殆んど観るに忍ばざるものあり2 ) 8 」 )」 と認識 した掲南が それを 「徳義」 で解決 しよう 9 「兄弟妻子離散して都府を指 して馳せ集る2 , とすれば, どうしても家父長的家族道徳によ って秩序回復をは かること な っ た, 松本三之介氏は, 「掲南の道徳論は立憲政体を運用するところの人, すなわち政治家の道徳論 0 ).」 と ひ じょ う に 限 定 さ れ た も の に と り あ つ か て いる が た と え 政 治 家 が 「徳 義」 を で あ っ た3 っ ,. 心得ても国民がそれを身につけなければ資本主義の矛盾による 貧困の増大と家庭の破壊を防 ぐ力 になりそうもないことは, 掲南自身の心得えたところ であ ったろう, 掲南が 「国民主義」 を‘ 唱え 「国民論派」 と称 して, 国民の統一を呼びかけるさいの, 摺南の統一のシンボルは 「万世一系の 帝統」 であり, そのシンボルを源泉とする 「徳義」 , 「何事にも人情徳性を本」 とするその 「徳 義」 こそが, 国内の諸矛盾を 「調和」 する基本 的な媒体であったのだ, 掲南の 資本主義化に対 , 応する, 蘇峰とも重昂ともことなる解決策は, まさにこの 「徳義」 主義だった, <註> 10 ) 蕨峰 「将来之日本」 明治19年1 1月 開板, (以下, 係 刻ま筆者による, ) 11) 重昂 「日本生産略」(『日本人』 明治2 1年7月, ) 12) 飯沼二郎氏は, 重昂が 「軍事費と内務省費の削減を強く要求」 し「『政商」育成といったような性急な政策」 を否定したから 「彼は, 当時の国際的環境を, 日本にとって, さほ ど差し迫って危険なものと意識」 しな かったという.(「明治20年代の経済思想」 『明治前半期のナショナリズム』 所収23 2頁) これは, 対外的 危機感の強い者ほど軍事費強大・政商保護を支持し, 明治政府を支持するという論理である こうした飯 , 沼氏の主張は論理的にまちがっているのみならず, 次の重昂の警鐘を軽視または無視している, 「欧州殖 民政略が東漸するの速力は愈々増進し………我日本の前途も亦遂に如何なるや………亡国の階梯を築造」 (「日本前途の二大党派」 『日本人』 第6号, 明治2 1年6月. ) 13) 重昂 「日本前途の国是は 『国粋保存旨義』 に撰定せざるべからず」 『日本人』 第3号 . 14) 「東京電報」 明治21年7月 3 日, 15) 前掲 「将来之日本」 16) 「日本農民の将来」 17) 「実業社会将に多事からんとす」 『東京電報』 明治2 1年10月3 1日, 18) 「壮士の方向如何」 『東京電報』 明治2 1年5月2 9日. 19) 「国の富力, 人民の所得高」 『東京電報』 明治2 1年6月2 2日. 20) 「来路を顧みて前程を 卜す」 隊〔京電報』 明治22年1月1 1日, 2 1) 「市部と町村の関係」 『東京電報』 明治2 1年5月11日, 22) 「来路を顧みて前程を 卜ず」 一3 5-.

(7) . ひ ろ た・ま さ. き. 23 ) 高島炭抗虐待事件についてのプ レス・キャ ンペーンは雑誌 「日本人」 によってはじめられたが, こ の 「日 本人」 グループのなかにも, 今外三郷らの企業合理主義の立場から非難するものと, 三宅雄二郎らの人道 主義的義憤から非難するものと, 二つの傾向があった. 粥南 はこの後者の方に属するといえよう, 1日. 2年2月1 24 ) 「日本」 『日本』 創刊号, 明治2 4日, 2年2月1 25) 「不祥を禎ふべ し」 『日本』 明治2 2 6) 「近時憲法考」 『日本』 明治22年3月30日. 2 7) 明治の人物評論家鳥谷部春汀は次のように評している, 「掲南の思想は, 支那の儒教を基礎として, 独逸 の国家主義を造作としたろが如し」(「三新聞記者」 『春汀全集』 第2巻) 1年9月2 6日. 28) 「家族的生活及び政治的生活」 『東京電報』 明治2 2年1月10日. 29 ) 「鉄道の延長より生ずる貧民」 『東京電報』 明治2 2月日62頁. 956年1 30 ) 「明治前期保守主義思想の一断面」 『思想』 1 1 I. 陸潟南は, その有名な論文 「近時政論考」 に おいて目か らを国民論派と称 し, 「国民」 そのも のの観念で, 国民的統一をよびかけた. 「国民的政治とは, 外に対して国民の特立を意味し, 而 して内に於ては国民の統一を意味す, ナシヨナハ・ ポリチツク. 国民の統 一とは凡そ本来に於て国民全体に属す べき者 は, 必ず之を国民的にするの謂なり.」 「国民」 の観念は, 日本の社会構 成員全てを包括するものだ った. 平民主義を国民統一のスロ 1 )」 と言い, 貴族に対する平民とい ーガンと した徳富蘇峰が 「国民ナル者ハ茅 屋ノ中二存 ツ……3 う点に国民の主体をみいだしたこと 比 べ る と 大 き な ち が い で ある. 次 の引 用 は, こ のこ と を さ らに明確に語 ってく れる, 「近世国家の基礎 は, 単に 貴族の上に もあらず, 単に各人の上に も在らず, 叉単に君権の上に ) 2 」 丸山真男氏は, この点 も置かず, 而 して目か ら君民の合同を意味 する 『国民』 の上に坐する3 超歴史性 ゆく とこの国民観念の を指摘 して, 掲南にみ られる 「あらゆる混乱と妥協はつきつめて 3 )」 由来すると説明 している. 掲南を近代的な性格にウェイ トをおいて評価する丸山氏によれ に3 ば, こうした 「国民観念の超歴史性」 は, 掲南の本質によるものでなくて, 「不徹底性」 なので ある, つまり, 「単なる封建的伝統を国民的特性の名において温存する役割を 果すような幾多の 4 )」 だ と さ れ る. 果 して そ うだ ろ う か. す で に み た よ うに, 掲 南 の 「憲義」 主義十一資本 爽 雑 物3 主 義化 の推進を 要求 しなが ら, それがもつ 矛盾を, 封建的要素によ って 「調和」 させようとする 「徳義」 主義の論理が, まさに国民観念に 「超歴史性」 を附与するものであったという関係をみ なければなるまい. 「近世に於ける自由主義は, 昔時の性法主 義に あらず, 故に抽象的自由を希望するものにあら ) 5 」 ざる なり, 叉昔時 の革命 の儀に あらず, 故に破壊的改革を企謀するものに あらざるなり3 . た自然法 自由民権思想の根幹にあ っ 粥南が意味あるものと認めようとする自由主義は, 啓蒙・ 的思想 (性法主 義) や, その革命の主張を まったく 否定するものだった, 掲南は, 啓蒙・民権期 の自然法思想は, 特殊条件を考えず現実的 でない抽象的な理論であって, 現実に対する有効性を 6 ) なんらもちえない, それどころか階級間の対立を激 しく するに役立つばかりだ3 , と批判するの である, そして, それ らに対する本来の自由主 義を説く, 「自由主義は固より国家に 付きて起る も の な れを , ……其 の主張する所の自由は, 無限の自由に あらずして, 国家の権威に制限せらる ) 7 」 自由主 義のいう個人の自由とは, 「国情」 に適合 した形態で るもの即ち有限の自由なる べ し3 国家と 個人の間の調和が破壊されない限りで許されるもの, 国家は, 「必然」 であり, その 「必 然」 のなかで個人は 自由をもてるわけだ, 丸山氏は, この掲南の主張について, 「掲南は日本国家を 遠心的要素 (個人的自由) と求心的 6- -3.

(8) . 陸. 掲. 南. 論. 要素 (国家権力) と の正 しい均衡の上に発展させよ うと した」 そこには, 民党にく らべると, 藩 )」 と, き わ め て 高 い 評 価 を 与 え て い る, 8 閥 政府 に 対 して 「は る か に 一 貫 した も のを も っ て い た3. 丸山氏のいう 「正 しい均衡」 がなにを基点と してのものか不明瞭であるが, 掲南が 「均衡」 -- 「調和」 を求めたことはた しかだった, だが, それは, 明治国家が立憲政体となったことへ の幻 想にひきずられなが ら, それゆえに明治国家の存在理由を問わないで, 「国家の権威に制限せ ら る 」 個人的自由の是認と しての 「調和」 を意味したのである. 掲南にあっては, 「国情」 に応 じて個人的自由と国家権力との 「均衡」 は変わるのであって, これだけは絶対に保障さる べきだ という基本的人権の裏ずけは, 粥南 の個人的自由の主張に はない, それはまさに, 国家と個人の 「調和」 という観点が堀南の中心的な関心であったからだと思われる, したがって, 掲南にと っ ては, 自由主義は社会関係を律するための基本原理にならない, すなわちいう, 「自由主義は吾 輩の単一なる神にあらざるなり, 吾輩は或る点に付て自由主義を取るものなり, 故に吾輩は自由 主義固より之に 味方す べし, 然れども吾輩 の眼中には干渉主義もあり, 叉進歩主義もあり, 保守 9 ) 」 主義もあり, ……各々其 適当の点に据置きて, 吾輩は社交及び政治の問題を裁断すべ し3 . 彼の論理の どいろいろの対立概念が つまり, 自由--干渉, 進歩 --保守, 平民--貴族な , なかに同時存在しうるのである. そうした対立概 念の関係をどのように 「裁断」 するかという根 本の基準となるものは, 「適当の点」 であり, それは 「調和」 でおきかえられる, 掲南は, 「近時政論考」 で儒教的な国家主義やショーヴィニズムと 自分のとる立場とはちがう のだ と, それ らか ら自 己 を 峻 別 す る と こ ろ か ら議 論 を は じめ て いる, こ のこ と を も っ て, 掲 南 に 0 ) は シ ョ ー ヴィ ニ ズ ム の要 素 が な いと 丸 山 氏 は 主 張 す る のだ が4 , そ れ は, あ え て い うな ら, 丸 山. 氏ににつかわしくない, 思想家の言葉をそのま. 事実とみなす誤 まりを, 犯 しているように思わ. れ る,. 掲南はた しかに 「夫の博愛主義に近き所あるも, 反りて固順徒の抱懐する排外的思想には 遠ざ 1 ) かる4 」 と, 自己 の立場を鮮明化 しようとした. しか し, 彼の論理の基本に 「調和」 へ の衝動が あるか らには, 排外主義のみを自己にとり入れることができぬかわりに, 排外主義から, 「遠ざ か」 りえても, それを全否定することはできぬだろう. 他の諸思想, 諸対立概念の同位共存を是 認する彼の論理に, 排外主義だけを排除する理論的根拠ずけはないか らである. したが って, 状 況に応 じて 「適当なる点」 が移動変化すれば, 排クト主義が肯定的な意味を与え・られる可能性は, この堀南の論理に潜在している, 日清戦争勃発の前年2 6年, 対外硬の主張が高まったとき, 堀南 も対外硬の主要な論客となって政府を攻撃する のだが, その際の議論のすふめかたは, 上のてん で, 注 目 に 価す る,. 「排他自衛は必ずしも博愛主義と矛盾するに非ず・ ・…・此の相ひ矛盾するが如き二義の或る点に )」 こそ知るべきである まさ しく 「調和」 の論理が排外主義の肯定をもた 2 於て調和すべき所以4 , らしている, しか し, 「調和」 の論理がたゞそれだけで機能するなら, 粥南は自己の主 義をもっ ていることにはな らないだろう. そのことか ら, 小松茂夫氏のように, 掲南は自分自身の主 義を 3 ) もたないで 「結果的には, あらゆるイ ズムにひきずりまわされる4 」 という観察もでてくるわけ だが, はた して粥南の基本と した原理はそれで片附けられるだろう か, 「国民論派は既に国民的特性 即ち歴史上より縁起する所の其の能力及勢力の保存発達を大旨と )」 4 す4. 渦南 の 「徳 義」 主義 の論理は, 「徳義」 を国民的特 生の中に導入し, それを国民主 義の支柱と なすところのものだ った, つまり, 「調和」 機能を果すべき 「徳義」 は国民的特性をその座標軸 - 37 一.

(9) . ひ ろ た・ま さ き. にもっている, そしてこの国民的特性 のシンボルと して 「万世一糸の帝ブ 統」 がある, 「調和」 の 座標軸の中心に皇室がある. 「日本国民の発達光栄は有形無形共に帝室を以て其の淵源と為す」 「古来の歴史 を通観するに 帝室の式徹 して大権の下に移り国内臣民の帰向分裂せる 時は不公平不 5 ) 道徳の分子必ず国内に延蔓す」 るのである4 . 蘇蜂が, 封建貴族に対立する 平民を 主体と したナショナリ ズムを主張したに 比べて 粥南は , , 日本の全ての階層を 「調和」 的に統一すると いうナ ショ ナリ ズムを唱えた 帝室は 「調和」 の中 . 点となった. この掲南の論理 は, 「あらゆるイ ズムにふり まわされる」 ものと して解すべきでな く, あらゆるイ ズムをその中点に組織 してゆくと いう方向性をもったものと して理解すべ きであ ろ う,. 平民主義者蘇峰も天皇制のワク内での主張であったことに変 わりはなく, 彼もまた 「皇室の尊 栄」 をいう. しか し, 蕨峰は責任内閣制と いう制度に平民の意志決定がか わることを問題とし た の で あり, こ の 制 度 に 平 民 の 結 集 点 を, ナ シ ョ ナ リ ズ ム の シ ン ボ ル を み た 蘇 蜂 と 掲 南 の ナ シ . ョ ナ リ ズ ム の 相 異 は こ こに ある,. 「国民全体を して国民的任務を分掌せ しめんことは, 国民論派の内治に於ける第一の要旨なり とす, 此理由によりて 国民論派は, 立憲君主政体の善政体 なることを確認す ……其善政体たる . 6 ) 所以は, 全く国民的統一を為す の便法たるを以てなり4 」 掲南のこう した立憲君主政体論は, 蘇 峰のような輿論の結集点, 輿論による政治の決定という意味あいよりも, 「国民的統一」 の 「便 法」 と いう意味の方が強い, 「専制の要素は国家の綜収及び活動に 必要なり, 故に国民論派は天 皇の大権を固くせんことを期す, 共和の要素は権力の濫用を防 ぐに必要なり, 故に国民論派は内 7 ) 閣の責任を明にせんこと を期す4 .」権力の濫用 を防くための責任内閣制 (責任内閣制度を彼は主 張 している のでないが) という意味ずけは, 国家 「綜収」 のための天皇大権を一方におくとき , きわめて受身的な 性格とならざるを えないし, こ でもまた 「権力の濫用」 をどう判断 し規定す るかというてんでの掲南の論理はすっ ぽりぬけおちて いるものだから, 天皇の大権に対 して無力 に な っ て し ま う,. 掲南の国民主義は, 国民的特性の発揚を目 的と し, それを中核とする国民的統一を目指す もの . だか ら, その 「便法」 と しての立憲政体 も日本的特性が与えられること になる 彼は イ ギリス , , でも ドイ ツでもない日本だけの政体と して天皇制を問題とする のである , 「日本の立憲政体 は, 夫の欧州諸国と異りて, 元と貴族と平民との争闘より起り しものにあら ず……建設の功 は全く 一視同仁を旨とする天皇に在る. 」 「天皇の大権は 最上無二の権力なり, 天 皇は元首にして国民を統御する に此の大権を用ひ給ふなり4 ) 8 」ただ し, 立憲政体であるか らは, , 天皇の大権も 「憲 法の条規に依」 って制限される, だがこれは国民か らの規制ではなくて, 天皇 目からが 「皇祖皇宗の霊に誓告」 してなしたところの制限 (欽定憲法) なのであって したが っ , て天皇大権は 「臣民に向て無限」 である. かく して, 掲南によれば, 天皇の権威は絶対化され神 聖化されて しまうの である, 重昂がその 「国粋」 内容を, 「経済 的真理」 など実証的な方法で正 当化 しようと した にく らべると, 掲南のその方法は 「万世一糸」 とか 「皇祖皇宗の霊」 などのき わめて神秘的非合理的な根拠をも って天皇絶対化をはかったわけだ , だが天皇をたん に絶対化 して しまうだけ では, 掲南の 「調和」 の論理 は不要であろう . 「天皇の統治権 は其本体 に於ては最上なり其作用 に於ては執中なり……立法権 行法権 司法 , , 権の上 に超然表出して, 一方 には此三権交互の関係を調寂 し, 他の一方には此の三権 (即ち国家 9 ) 権力) と臣民権利との関係を調滅するものなり4 」つまり, 天皇の絶対性は, 権力内の 「調裁」 . -3 8÷.

(10) . 陸. 拐. 南. 論. 権力と民衆との 「調裁」 のためのなくてはならぬものなのだ, 「相調和せしむるもの……此の執 中の職を司るは常に万世ー系の天皇なりとす, ……此の要素をして充実の実効を現はさ しめん に は, 独り当路者の責任のみ にあらずして, 吾人臣民挙りて之れが責任に任ぜざるを得 ず5 0 ) 」 かく . して, 天皇は, 「徳義」 -- r日本的特性の価値の源泉であるだけでなく 諸矛盾を 「調和」 する , 絶対的性格をもった政治的機能 「執中」 を果たすものとして 位置ずけ られる そして 国民は 自 , , 主的にこれら 「徳義」 を身につけて, 天皇に奉仕するわけである . 丸山氏は, 「かれは代議制, 責任内閣制, 選挙権拡張等の政治制度の近代化 に対 して積極 的な 熱意を示すこと において民権論者と全く一致する5 1 ) 」 と主張するのだが, それは鋸南の 「調和」 の論理を, 「均衡」 の論理と誤解し, その近代的主張の側面のみ を問題とするところからきてい ると思われる, 掲南は 「国民論派 は衆議院の完全なる機制及び選挙権の拡張を期す」 と言うのだ が, そのすく前で 「貴族主義は国家の秩序を保つ に必要なり 故に国民論派は華族及貴族院の存 , 2 ) 立に異議を抱かず5 」 といっているのである. 掲南の国民観念が 「超歴史性」 をもつのは決 して 「不徹底」 のゆえでなく, その 「調和」 の論理から必然的に生みだされるものであること を あ , らためて確認することが できよう. <註> 3 1 ) 「将来之日本」 もちろん, この表現に虚偽意識のあることはまた別の問題になる , 3 2 ) 「国民の観念」 『日本』 明治22年2月12日 , 33 ) 丸山真男 「陸指南と国民主義」 前掲20 5頁, 3 4 ) 同上, 3 5) 「自由主義如何」 『日本』 明治23年1月15~20日 . 3 6 ) 「自由主義の独 房重行せし述を見よ, ……其の結果として忽ち社会に新階級を生じ 新貴族を生じ 新富 , , 豪を生じ, 新特権を種々の姿にて生ぜしむ」(「自由主義如何」) 3 7 ) 同上, 38 ) 「陸掲南と国民主義」19 7頁. 3 9) 「自由主義如何」 40 ) 「拐南がまず第一になしたことは, かれの立場を反動的なショーヴィニズムから峻別することであった . かれは後進民族の近代化運動が外国勢力に対する国民的独立と内における国民的自由の確立という二重の 課題を負うことによって, デモクラシ【とナショナリズムの結合を必然ならしめる歴史的論理を正確に把 握していた」(「陸掲南と国民主義」19 5頁, ) 4 1) 「近時政論考」 42 ) 「国際論補遺」 『日本』 明治26年10月28日~1 1月 6 日. 43 ) 小松茂夫 「近代日本における 『伝統』 主義」 『近代日本思想講座』 第7巻1 72頁. 44) 「近時政論考」 45 ) 「日本国民の基礎固まる」 『日本』 明治2 2年2月13日. 46 ) 「近時政論考」 4 7) 同上, 48) 「近時憲法考」 49) 同上, 50 ) 同上, 5 1) 丸山 「陸掲南と国民主義」 5 2) 「近時政論考」. 明治20年代前半における陸掲南の基本的な論理はすでに素描した, つぎに問題になるのは, そ うした論理が具体的な状況に対応 して, どのよ うな展開様相をみせるか, どのような機能, 役害 1 1 を 果 た す こと になる か, と い うて ん で ある, こ. で は, 明 治20年 代 前 半 期 に あ っ て, ナ シ ョ ナ リ. ズムの基本的な要求である国民的統一と独立という課題にと ってもっとも 重要かつ切実な問題と -3 9-.

(11) . ひ ろ た・ま さ き. 掲南の態度との関係をみた い. すなわち, 憲法発布・国会開設をめ ぐる問題, 条約改正の問題に 焦点をあてて, それらに掲南が どのように対応 したかを, 基本的な特徴を指摘 しうる程度にかぎ っ て 検 討 して ゆ く こ と に す る,. (A) ところで, 帝国憲法の発布された明治22年2月11日, 新聞 「日本」 が創刊された, 掲南は, こ の創刊号で, 憲法条文の検討を経なし ・で, ただ憲法発布を祝賀し, それ に強い支持を表現 したの ヒの発布の憲 だ った, 「君民情和の間に憲法の発布あるは, 『日本国民の特性』 なりとすれば, 止 」 民権期の政論家は 法を国民情薬の間に遵守すること は, 貴に亦日本国民の特性たらざらんや“) 「只だ冷淡なる法律を以て処理すべ し」 といって 「国約憲法」 なる 「避説」 を主張したが, 「今 や天皇陛下は 祖宗の遣護を遵容せられ, ……愈ょ大憲を制定発布せられたり, ……此の大憲法の 4 ) 発布は日本国民の基礎を確定」 したものであると絶讃するのである5 , B再読一遍唯だ苦笑する耳」 と した中江兆民のような存在は稀れであって, 当時の思想家の多 くは明治憲法を肯定 し, 歓迎 したのではあるが, 同 じく肯定するにしても, 平民主義者蘇峰が, 5 )と堀南のそれを比べるならば 「思ひ しよりも善美なるもの」 であって 「望外の賜」 とした態度5 そこに大きなニ ュア ンスの相異をみることができよう, 掲南の場合には 「国約憲法」 説を批判し て欽定憲法である こと自体を支持の根拠と している意味あいが強 いのに対 して, 蘇峰にあっては 憲法作成過程の秘密主 義に対する 批判的視点が 「思ひしよりも」 という表現とな って現われてい る, したが って, 両者はともに明治憲法を肯定するが, 憲法の内容のどのてんに支持のウェイ ト を かけ て い る か と い う こ と で, 当 然 ち が い が で てく る.. 蕨峰は 「我が陛下 は臨機の非常権を有し給ふに拘らず, 臨機に出たろ勅令は次の会期に於て帝 ・ ・凡そ国民として有すへ き権利, 其他, 帝国 国議会に提出し, 議会の承諾を経ることふな し, …・ 5 6 ) と, そ こに国 議会に関する権利の如き等悉皆憲法の中に赫々たる明 文を以て確定せられたり」 民の基本的権利, 議会の権利などの保証を読みとることによ って 「望外の賜」 とうけとったのだ った. だから, 蘇峰は, つ づいて, 集会条例・新聞条例が憲法違反である という, 憲法を楯にと ) 7 . っての民権拡大要求の言論を展開することもできたので ある5 編南もまた国民 の権利について盲目だ った のではない. 「憲法を改正するの必要なる時なしと 8 ) 謂ふ べからず5 」 という表現をとりだせば, 掲南は明治憲法を完全なものと してみていたのでな い らしいと推定される し, 「将来我国民が進歩 して幼稚の境を脱するに至 らば弾効権をも予 へ ら (与). る. 9 )」 と い う個 所 か らは, 国 民 の権 利 に つ い て の関 心 の あ り よ うが み て 時 な しと い ふ べ か ら ず5. とれよ う. しかし, 蘇峰が直ちに憲法条文を民権拡大の楯にせんと したに比べると, 潟南の 「な しといふべか らず」 の表現はいかにも弱々しく, 問題を先に のばした観をまぬかれがたい. しか も 「然れ ども吾輩が所謂憲法改正といふ意 義は憲法内部組織の発達進化といふに 止まり, 決 して 憲法の根本基礎を動揺するの意義に あらず」 「皇室の統治権の如 き万世不易の者」 なのだという 0 ) のである6 , 掲南が, 憲法発布の3日後に 「日本国民 の基礎定まる」 と題 した論文で, 天皇の神 聖不可侵性と統治権を規定した条文のみをとりあげて, それを礼讃するに終っている事実からも 彼が憲法を積極的に支持 したポイ ントは, 欽定憲法という性格と天皇大権というてんだ ったとい える だ ろ う.. 当時の国粋主義者た ちが弾劾権の要求を したことをも って, 国粋主 義のデモクラティ ックな性 格 の証左とされがちである60. 国粋主義グルー プは憲法発布の前年に, 弾劾権要請 の言論を盛ん に発表 した. 重昂もその一人だ ったが, 重昂によれば 「弾劾の権利を国会に附与する の利益を略 - 40 -.

(12) . )」 2 言すれ ば……, 王家の安全なる事, 一, 国民の平和なる事, 一, 執政者 の責任を全ふする事6 な のだ が, そ の本 意 は, 第 一 の 「王 家 の 安全」 に か ふ っ てし・た. す な わ ち, 国民 の 「不 平」 「糠. 概」等々「之れが蔓延を予防する の方策…… 弾劾の権利を国会に附与するにある哉, 行政海の進退 3 ) とし 6 ・う意図に 処置は該当内閣員の一切責任をなし帝室王室を して風波外に卓立せ しむるもの」 あった. だから, 憲法発布で天皇の神聖不可侵の位置を確認すると, 弾劾権の要求を全く しなく なる のである. そして, 同 じ国粋主義グルー プにありなが ら, 糊南は, 上 のような重昂 らの弾劾 権要請について冷淡であったことは注目されるのである. たとえ重昂の意図の中心に天皇大事が あったに しろ, 客観的には, 旧自由党系民権論者との統 一戦線の一翼を担いえたというてんで, 掲南より進歩的な役割を果したものと評価できるか らであり, 掲南と重昂のこのちがいは先に指 摘した国粋観念の正当化のしかた のちがい, 「経済的真理」 と 「徳義」 主義 のちがいに求めるこ と が で きる の で ない か と 思 わ れ る,. (B) 井上案の敗退のあと, 大隈重信がかわって条約改正に のりだ し, 大隈も秘密外交で着々とその 準備をす めた. その矢先, 明治22年5月21日, 掲南の主宰する新聞 「日本」 は, 「ロ ンドン・ 4 ) タイムス」 に報ぜ られた大隈案を転載 して, 条約改正反対の世論に火をつけたのだ った6 . それ まで国民は, ツ ンポ桟敷におかれ, 大隈派の 「報知新聞」 の宣伝を信 じる しかなかった. 掲 南も 「余輩は大隈閣下の通才なるに服す, 余輩は閣下が帝国 の為に力を外交に致 して頗る其道を得た 5 )」 と い っ て い た, ろ を 謝 す6. 大隈案の内容を 知 って反対の急先鋒に転 じた掲南は, 大隈案弁護の 「報知新聞」 と論争を開始 した,. 「一国の政治は 一・二渥権家の専制に委すべからず, 一国の政 治は其の国の君臣に於て之を施 行すべし, ……此の政道を法律に 顕は して国内に公に し, 以て其 の遵奉を窓らざ らんことを期す ) 6 るは, 是れ立憲政体なり, 立憲政体は外部に対 して一国の自治制なり6 .」こうした独立国たる日 本が, 外人裁判官を任用 し, 「泰西主義に基く」 法典編纂を約束するような改正案は, 欧米列強 の, 「内治干渉」 を許すものであり, 「日本を して主権国家以外の列に沈没せ しむるもの」 であ る, これは 「其 の国理に反 し, 憲法に反すること昭々と して火を視るより明かなり」 このような ) 7 改正案を擁護する報知記者は 「売国的論者」 というべきである6 , こ こ に, 掲 南 の強 烈 な ナ シ ョ ナ リ ズム を み て と る こ と は た やす い, そ れ は また, 大 隈 改 正 案 に. 危機感をも った当時の与論の心情を代弁 したものということもできる. 独立国たる根拠を 「立憲 政体」 におき, 大隈改正案が 「憲法に反する」 という, 掲南の立論のしかたも充分注意されてよ い, だ が, こ う した 掲 南 のナ シ ョ ナ リ ズ ム が 果 して, 丸 山 氏 のい う 如 く デ モ ク ラ シー と 結 合 して. 発揮されたものか どうかこそなにより問題とせねばならない, 本山幸彦氏は, 綿南が大隈案反対の論調に, 憲法擁護・国際法是認をその立論の根拠と してい る と み な し, 「一 国 の歴 史 的 な ナ シ ョ ナ リ テ ィ ー に 根 差 す 憲 法 へ の信 頼 は, さ きに の べ た 彼 の ナ. ショ ナリ ズムの性格から, 当然, 各民族のナ ショナリィ ーの相互尊重を法的に表現 した国際法 へ ) 8 の信頼とな ってもあらわれる6 」 と, これ以上もち上げきれないほ どに高く評価 している. しか しこ れ は, 掲 南 の言 葉 を そ のコ ンテ キ ス トか ら切 りは な して, 評 価 す る あ や まり を 犯 して いる と. いえよう, なぜならば, 「国際公法 の制限を受けざるべか らず」 と した掲南のその同 じ論文で, 「大国が小国に対するには, 必ず第一に力を此の科目に尽 し, 以て其の国勢を発揚せんことを欲 9 ) と い う認 識 が 示 さ れ て いる の で あ る. す」6. - 41 -.

(13) . ひ ろ. た・ま さ. き. む しろ, 国際社会が弱肉強食の世界であるという認識は, 当時一般的なも のであり, 国際法は たんなる, 各目 的な存在にすぎぬと認識 したか らこそ, 独立の危機を一層強く 感知 した掲南だ っ た. その危機感は, 蘇峰が外人裁判官任用 の件には反対 しなが ら, その他の部分では, 内地雑居 0 )に は かえって外国 の資本が入 ってきて日本産業の発達に有利だと して, 大隈案を支持 した態度7 比 較 す る と, ず っ と 強 烈 だ っ た こ と が わ か る. 掲 南 に と っ て は, 外 国 資 本 の 入 っ てく る こ と は,. 日本の国民的特性と しての日本的産業の滅亡 の危機を意味 した, それは重昂も同 じである, とも あれ, 国際社会の帝国主義的性格を, 蘇蜂よりも現実的に認識 していた掲南は, それゆえに 「小 国」 が独立を主張するタテマエと して国際法をもちだ した のであって, 国際法 の名目的な性格を よく知 って いたと いうべ きだろう, したが って, 掲南が憲法擁護をいう論理と国際法をもちだす 論理とは, 本山氏 のいう如き同 じものでは なく, 逆 であった, 「日本は東洋諸国の師表たる べき任務あり. 故に内治干 渉を受けて自 ら独立主権の作用を拘束 ・ ・嶋呼建国以来未 曽の干渉を外国より受け 独立完全の は 外政の目的に反するものなり …・ 1 ) 主権者たる天皇陛下を して最下等国の君主た らしめんとするは不正の論にあらず して何ぞ7 」 つ せ らる. まり, 掲南の 「憲法に反す」 の憲法の実質は 「独立完全の主権者たる天皇陛下」 だった, 天皇の 統治権 (憲法) が 「内治干渉」 で侵害されることは 「外政 の目的」 -- 「東洋諸国の師表たるべ き任務」 をも失わせる, この「東洋諸国の師表」 という不気味な言葉はなになのか, 「数年前日本 政府が朝鮮に向 って取りたる政策も, 亦其の一例にあらずや, 我国既に之を用 ゐたることあらば )」 このように掲南は日本の朝鮮政策を批 2 他邦の之を用ゐる所以の深意固より察せざる べからず? 判 しないから, 他国の 「内治干渉」 を一般的に否定することもできない, 「正当なる内治干渉は 博愛主義に基く ものに して ……世界に対 して至高の義務を負ふ所の独立主権国は, 此の正当な内 治干渉を行ふに充分の権利あり …… (しか し) 凡そ欧州諸強国が内治干渉を行はんと欲するは未 3 ) だ必ずしも博愛主義に基く ものにあらず……侵略政策の異様と看徴して可なり7 」 内治干渉には 侵略的なものと博愛的なものとがあって, 欧米諸国によるそれは前者であり, 「世界に対 して至 高 の義務を負ふ」 国家すなわち天皇の日本は 後者となるというわけだ, これはなんと独善的な議 論であろうか. こ の独善的論理に侵略主義・国家膨張主義の要素がある のは, もは や明 らかであ る, 「東洋諸国の師表たるべき日本の任務」を粥南が説くと き, それは福沢諭吉の「東洋政略策」 と 同 じ内 容 を, 福 沢 の冷 徹 な 論理 に く らべ て,いさ ふ か フ ァ ナ テ ィ ッ ク に 語 っ て いる と み て よ い.. 福沢は, 日本をイ ギリスのような帝国主義国に成長させ, 「東洋政略」 せんと したのだが,ヲ 褐南 は, 日本のみを特残 化し, 「世界に対 して至高の義務」 と いう無前提の神秘的な観念をより どこ ろに, 日本 の正当性を主張 しようと したのであり, これは 後年の 「六合を兼ね八紘を掩ふ」 とい う と こ ろ まで ゆ き つく の で ある,. ともあれ, この期の掲南は, こうした侵略主義の論理を潜在させつ も, 欧米列強に対する国 権回復を第一義的な課題と したために, 大同倶楽部・大同協和会など旧民権派と の統一戦線をく ん で, 大 多 数 の国 民 の 気 持 を代 弁 す る こ と が で き た と い える の で は あ る ま いか. そ の こ と は また. 藩閥政府の専制性を相対的 にチェ ック し, 客観的 には, 日本の独立を欧米の圧力から守るという 方 向 に お いて, 効 果 を あ げ た と い う こ と で も あ る, しか し, こ の 統 一 戦 線 が, 国 粋 主 義 のイ ニ シ ャ テ ィ ヴの もと に 行 わ れ た こ と は, 旧 民 権 派 の 国 権 主 義 化 の 過 程 と 照 応 して, 日 本 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 方向 を, ショ ー ヴ ィ ニ ズ ム に 指 向 さ せ て ゆ く, 下 か らの 運 動 の 一 ス テ ッ プ で も あ っ た と こ ろ. に, 考えるべき問題があると思われる. 大隈条約改正案は, 反対運動の盛りあがりと, 政府内部 の分裂と反対派の増大, そして最後には国粋主義者のテロルで, 中止された. - 42 -.

(14) . 陸. 湘. 南. 論. <註> 53) 「日本国民の新特性」 『日本』 創刊号. 54) 「日本国民の基礎定まる」 『日本』 明治2 2年2月1 3日, 55) 「帝国憲法を拝読す」 『国民之友』 明治2 2年2月22日. 42号. 56) 同上. 57) 「憲法第2 9条と集会新聞の2条例」 『国民之友』43号. 明治2 2年3月 2 日, 8) 「憲法発布後に於ける日本国民の覚悟」 『日本』 明治2 5 2年2月15日. 59) 同上. 60) 同上, 1) 本山幸彦 「明治20年代の政論にあらわれたナショナリズム」 (前出) では, 重昂の弾劾権要請について, 6 「こ }し こも蘇峰政党論との類似がみられよう」 として, 「勃興期の日本にふさわしく, 花々しいナショナ 6頁. リズムであった」 ことの根拠としている. 同書5 6 2) 「弾劾の権利を国会に附与するは些害なくして巨益あり」 『日本人』1 8号, 明治2 1年1 2月18日. 63) 同上. なお他に, 三宅雪嶺 「帝室安泰の為め」 『日本人』1 6号にも同じ主張がみえる, 4) ロンドン・タイムスの記事をいちはやく知りえたのは, 当時外務省翻訳局長で国権主義者である小村寿太 6 郎による教示のためだといわれる. (井上清 「条約 改正」)揺南がこれら官僚と通じていたことは充分考え られる, 彼も以前は官報局の官吏だった. しかし, それでもって直ちに掲南の思想を 「官僚的原理」 と規 定することには飛躍があろう, 2年4月1日, 65) 「日本外政論」 『日本』 明治2 6) 「外人任用を論じて報知新聞は決答を望む」 『日本』 明治2 2年10月 4 日. 6 2年8月22日~9月 5 日. 67) 「内治干渉論」 『日本』 明治2 6 8) 本山前掲74頁. 6 9) 「内治干渉論」 0) 「外人に土地所有権を与ゆるを難ずる説を離す」 『国民之友』6 1号. 「非条約改正派に二種の区別あり」 7 『国民之友』61号. 明治22年9月 2 日. 1・72・73) 「内治干渉論」 7 お. わ. り. に. 陸掲南がその立場を代弁せんとした 「実業家」 の概念には, 多様な広 い範囲にわたるものが包 括されていたと考え られる, そこには, すでにみた 「多数なる農業者」 (地主層から自作農 にい たる) か ら, 「商工人民」 あるいは 「紡績業」 にいたるものが含意されて いた, そこにおける農 商工の中小 ブルジョ ア層こそが, 日本の自生的な資本主義化の担い手と してみ られ, 掲南の中心 的な関心にあったこと はもは や明らかだろ う, したが って平野氏のいうように 「資本主義を保護 ・育成・奨励」 することが粥南の論理の中核にあったことはたしかである. だがそれは 「官僚的 原理」 と してでなく, むしろ官僚的な上か らの資本主義化 (欧化政策) を激 しく批判 して, 民間 の, 掲南が含意する 「実業家」 の育成をこそ期待 したのだった, このてんをふまえぬかぎり, 当 4 )) 時の国粋主 義の改良的発言も 「自由民権運動の影響があった余勢に強いられて いた」(平野氏7 とするだけで, それの本質的な論理との関係を見失わしめることになると思 われる, だ が, その こと が 直 ち に, デ モ ク ラ シー の 擁 護 者 と な さ しめ る も の で は な か っ た て ん に, 問 題. を解く 際のひとつの困難があるように思われる, 丸山氏は 「ナ ショ ナリ ズムとデモクラシーの綜合を意図した」 と高く評価しなが らも, チ 最南の 「国民」 観の 「超歴史性」 に 「混乱」 の源泉をみている, また岩井忠熊氏もそこに掲南 (国粋主 5 ) 義) の 「弱点」 があったとする7 , 現象的には まさにそのとおりだろうが, 問題は, なぜ掲南の 「国民」 観念が 「超歴史性」 をもたざるをえなか ったかであり, なぜ掲南の 「意図」 に反 して天 皇制国家主義の論理を構築してゆく努力に, しかも政府批判の立場から, いそしむことにな った のかというてんにこそあろう. そして, これは, 掲南の含意 した 「実業家」 概念の広義さと, そ の 「実業家」 の利害を代弁 して 下からの資本主義化を擁進しよ うとする際に, 資本主義そのもの - 43 -.

(15) . ひ ろ. た・ ま き. き. のもつ矛盾性を 早く も認識 したその認識の仕方との関係で解かれると いうのが, これまでみてき たところか ら示されるだろ う, 掲南は 藩閥専制政府の欧化政策を批判 した, 政府の欧化政策は, 民間諸産業の犠牲のもと政商 め られたからである. したがって, 民間諸産業 (農工商) の民力休養の要. 保護によ っておしす. 求というてんでは, 対極的な平民主 義ともその方向を同 じぅした, だが, 掲南は, 蕨峰のような 楽観に反して, 民間諸産業の発展が, 政府の抑圧さえとりのぞけば, その ま ス ム ー ス に 成 長 し 欧米と対抗 しうる力を畜えるに至るとは認識しなか った し, その発展が国民的統一の強化となる との楽観も, もちえなかった, そうした掲南の認識には, 欧米資本主義の矛盾激化の先例に学ん だてんもあるが, 当時の日本の, 産業革命期を直前にひかえ, 松方デフ レによる階層分化 が急激 に進展する現実のなかで, 一方では上 昇 しよ うとする ブルジョ ア的欲望と, 他方ではつねに没落 の深淵をかい間みている不安との, 両者の相旭が映しだされて いるといえるのではあるまいか. そのことは, 掲南の代弁せんと した 「実業家」 の範囲が多様 な性格 (農業と工業の矛盾・地方産 業と都市との矛盾等々) を内包 しているために, ますますきびしい相池と して提起されてくるの である. 掲南の 「調和」 主 義は, そうした相池を解決せんと してだされたものだ った. 政府の欧 化政策は, その相克 りを激化させるものだから, 掲南の激 しい批判は 「調和」 主義によ ってなされ る, だが, そうした相克 =のどちらかをとるとか, 経済的なパースペク ティ ブのもと に解決方策を みいだ しえなかった擢南は, 「調和」 の核を 「徳義」 に もとめたのだ った. 同 じく国粋主義者であ る重昂は, 経済理論あるいは地理学を中心と した自然科学的学識によ って 「国粋」 を合理化した ために, むしろ資本主義の恐慌 (明治23年) や産業革命の進行とともに その 「国粋」 観念を支え た経済理論等は力を失い, 初期のよ うな国粋主義の主張を持続しえなくなり, マルサス論に移 っ ていっ た, 掲南の 「国粋」 観念の核とな った 「徳義」 は, 一方においては世界観・社会観へのひ ろがりをもち, 他方では, 経済的な生活の破壊から身を守るための個人の精神力 (自己規律力) の源泉と いう性格ももちえた, 社会の諸矛盾を 「調和」 させることで民衆の生活 (主と して実業 家 の 生 活) を 守 り, か つ また, 日 本 国 民 統 一 の た め の エ ネ ル ギ ー (ナ シ ョ ナ リ ズ ム) を も 組 織 し. うるものとして, 「万世ー系の皇室」 を中核と し, その源泉と した 「徳義」 が掲げられたのであ る. 堀南の 「国民」 観念は, その 「不徹底性」 のゆえでもたんなる 「弱点」 でもなく, 掲南の資 本主 義化の認識の本質的な特徴から必然的に出てきたものだ ったと言わねばな らぬだろう. 平民主義も国粋主 義も, 農工商を含む自生的な中小 ブルジョ ア層の意識の, それぞれの側面を ) 6 代弁 したイ デオロギーであった7 , そして, 国粋主 義者である渇南の場合には, そうした中小 ブ ルジョア的階層の利害を守ろ うとすることによ って, 天皇制国家主 義を下から支える論理を構築 して い っ た の で あ っ た. 以上, こ では, 陸掲南の, 明 治2 0年代前半の基本的な論理の特質の解明だけに努力が払われ た, こ で提起された問題は, 他の諸問題と重要なか わ り を も つ も の で あ り, また 私 が か っ て. )とも関連するものだが, それ らの問題の解明の第一歩 7 平民主 義と国粋主義についてふれた問題7 にしかすぎないのであって, それ以上ではない, 今後を期したい. <註> 09頁. 74) 平野前掲書3 75) 岩井忠熊氏は, 「『国民的観念』 の支柱となっ たのは 『万世ー系の皇室』 であった」ことに問題をみとめ, それが 「弱点」 であり, 「天 皇に対する批判・対抗の余地を失」 わめした原因であるとしている, 「日本 39頁. 近代思想の成立」1 76) 色川大吉前掲書 (註4)参) では, 平民主義と国粋主義の相異を, 前者は 「明確に農村ブルジョアジー」 後 8頁.) とする, これは, その担い 者は 「漠然とした地方商工ブルジョアジー」 に担い手をおいていた (30. - 44 -.

(16) . 睦. 堀. 南. 請 け. 手の重点がどこにあったかをみるのに一定の意味をもっているが, そのことを直ちに国粋主義の論理を規 定する要素としてとりあげることは問題があると思う. 5号) でも, 岩井氏前掲書の書評 (「日本史研 77) かって私は, 色川氏 「明治精神史」 の書評 (「日本史研究」7 究」42号) でも, それらの国粋主義研究の方法につ いて批判したことがある, それに対する私の実証と方 法が, こ で充分になされたとは思っていない. なによりも, 平民主義との関連, 国粋主義全体の動向に ついて殆んど不足しているし, 民権思想との関連もふれられなかった, また前掲の私の書評で, 「民衆意 識との関連でみなければ解きえない問題」 だとしたことは, こふでは果されなかった,. - 45 -.

(17)

参照

関連したドキュメント

なお︑この論文では︑市民権︵Ω欝窪昌眞Ω8器暮o叡︶との用語が国籍を意味する場合には︑便宜的に﹁国籍﹂

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

そのような発話を整合的に理解し、受け入れようとするなら、そこに何ら

G,FそれぞれVlのシフティングの目的には

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

C. 

この大会は、我が国の大切な文化財である民俗芸能の保存振興と後継者育成の一助となることを目的として開催してまい

市民的その他のあらゆる分野において、他の 者との平等を基礎として全ての人権及び基本