J.デューイの「教育の自由」論について
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(2) . 北海道学芸大学紀 要 (第一部増補). 第8 巻 第 1号. 2年 7 月 昭和3. J . デューイ の 「教育の 自由」 論につ いて 宅. 信. 北海道学芸大学釧路分校教育学研究室. i NIIYAKB: Sini t. ’ i f Education ” on Dewey cal “ Freedom o s Theoret. 「デュ ーイ の教育学及び哲学の諸原理に忠誠 を宣言する大多 数の諸賢は、 何故に プューイ の教育学及 び 哲学の諸原 理が 窮極において 到達した経済及 び 政治の論 に言及しないの か。 ………教育学界の デュ ーイ 専門家た ちの中で、 デューイ の金 融資本主義・貨幣文化 あるいは 生産手段の私的支配に対する 反対に 言及する も のは殆どいない」 こ れ は、 1951 年 か ら 54 年 ま で 広 島 大 学 の 招 購 教 授 で あ っ た V. C, カ ー ル ス ン. l が、 日本教育学会編 「教育学研究」 Vo .1に 寄せた 「デュ ーイ 批判 党書 .23 , No き」 の一節である。 この指摘をふみ台に して私は、 この小塙 でデューイ の 「教育 の自由」 論を検討 したいと考えている。 1 問. 題. 提. 起. 1930年代の教育の危機に直面したデューイ は、 「教育の自由を否定することは、 民主主義に対す 1 ( )「自由はもはや単なる観念 ではなく、 抽象的な原理で もない。 それ る犯罪である」 と宣言 した。 は、 あることをなすための実さい的な力である」⑦ と考 える デューイ は、 教師が教育の中立性とい る ことばに惑わされることなく自らの態度 を定め、権力に対抗して教師の団体 組織を強化するよう に、 と 強 調 して い るo. 8 ( )「教育は室虚の中ではなくて、 人間によって営 まれる機能なの だから、 教 プユーイ によれば、 育の自由は、 実さいには生徒と教師の自由で あり」 さらに具体的には 「学ぶこと と教えることの自 由」 である。 教師と生徒がかかわりあう関係、 つまり教育過程に おける具体的な 人間関係に基いて 教育とその自由を問題にするデューイ のとらえ方は、 すく れている。 と こ ろ が、 彼 は 「も し、 こ の 一 つ の 自 由 を わ け る こ と が で き る な ら ば … … … 〈教 師 の . 教 授 の 自. ’学習の自由〉のための必要条件である」 と述 べて、 教育の自由の力点を生 徒と学 由〉 は、く生徒の・ i indoct inat on) r 習 の 側 に 移 しか え る。 さ らに す す ん で彼 は、 「学 習 の 自 由」 の た めに 注 入 の 教 育 (. を排撃し、 「知 性の教育」 の重要性を強調する。 こう して最後には「教師の・教授の自由」は どこへ と も な く 姿 を 消 して し ま う の で あ る。. この小稿では、 「教育の自由」という問題を 「生徒の・学習の自由」 から 「教育の方法の自由」 に 移 しかえ、「教師の・教授の自由」をふりおとしていくデュ ←ィ の論理のず じみちを考察することに した。. まずは じめに、 デューイ が ことさらに教育の自由を擁護しな ければならな かった 読物”疑似、 つ ま り、 1930 年 代 の ア メ リ カ 教 育 の 事 情 を 概 観 して お こ う。. - 16 -.
(3) . J , デューイ の 「教育の自由」 論 に つ い て 1 ) J ( , Dewey:. The Teacher and Hi l d s Wo r , 小稿での主要な考察の対象となるのはこの論女で.あ ,1935 り、 しば しば引 用 す る こと に な るの で、 以 下 “Theacher“ と略記する。 筒、 この論文は、 他の3 0の論文 l と 共 に、論文 集 ”Prob emsof Men” 1946 に お さ め られ た もの で ある。 以 下、この 論文 集 は ”Probl ems” と 略 記 す る。 2 in ”Prob l ) 丁 ( ) 】 s“ P.111 en , Dewey: Liberty and SociaIControl ,1935 ( 3 ) J ( , P,76 この 論文 は 4 章 か ら成 って い る が、.デュ ーイ は、 1か ら W ま で 見 出 しを つ け , Dewey: Teacher ずに書き下している。 各章の論点は、 教育の中立性・教師の団体・教育の自由・i t i i t ndoc r na on に っし・て. である。 小稿で問題になるのは、 特に皿で論じられている 「教育の自由」 である。 11. 背. 景. いうまでもないことだが、 教育の自由を特 に擁護しなければならない時代には、 教育の不自由を 30年代のアメリカ社会の政治的・経済 ぅみだす危機的な状況がつみ重ねられて いる。 ここでは、19 的情勢を一べつした上で、 当時の教育事情をかんたんにとらえておくことに しよう。 「1929 年10月24日 の 朝、 ア メ リ カ の 繁 栄 と い う 巨 大 な 建 築 物 に 大 き な ひ び が は い っ て し ま っ た」①. 1 930年から32年 までのあの恐 しい不況の時期に、 世界で一番金持だった国は ミすっ かりたたき 「 、 2 ( )の で あ る 1932 年 11 月 の 大 統 領 選 挙 か ら 1933 年 3 月 に ル ー の めさ れ た 国ミ に な っ て しま っ た」 。. ズヴェル トが大統領に就任するまでの時期には、 恐慌がますます深刻になっていった。 「ルーズヴ ェ ル トの = ユ ー プィ ー ル は 革 命 と よ ば れ た。 だ が そ れ は、 革 命 で も あ り、 ま た 革 命 で も な か っ た。. それは、 観念の上では革命であったが、 済経 の上では革命でなかつ先」⑨ ニューディ ールは、 過去 1年にか の繁栄を十分 にとり戻 しはしなかった。 「過去の繁栄が戻ってきたのは、 1940年から194 J ( ) けて国防費が急速に上昇した時になってからであった」 Z プ ユーイ に い わ せ る と、 そ れ は、 ま さ に 狂 え る 時 代 あ っ た。 (T卿 ”加βs q“ ‘川Z qfブメ〃 )① こ のような情勢を背景にもつ教育の事情はまた、 極 めて深刻なものであった。 E , W. ナイ トによれ I G ) ば、 当時の教育が当面していた 財政的な危機 は、 次のようなものであった。 アメリカ教育は、1929年に は じまる 恐慌に よって、 第一次世界大戦の時よりも 一層 はげしくゆ さぶられた。 重くはげしい力が学校その他の教育と文化の機関を抑圧し、 教師と学校管理者は混乱 と動揺の波にまきこまれて、 一時は何 を為すべきかについての確信を少しももつことができな かっ た。 教育予算は削減され、 教師の俸給は二分の一から三分の一に切り下げられ、 多くの教師たちが 僅かの退職金をあてがわれた上で首切られた。 教育の 危機は、 一ヶ学級収容生徒数の増加・学期の 短縮・ 授業計画の縮小やた なあげ等にあらわれ、 遂には、 学校財政の縮減のために学校を閉鎖して しまうよう な事態までひき起された。 アメリカの教師たちを困惑させたのは、 財政的な危機ばかりではなかった。 それよりも重大であ ったのは、 教師の自由に対 する抑圧とくに教師に対する忠誠 宣誓 (oa f loyalty to th o. the Con‐. i ion Loyal tut ty oa st th) の 強 制 で あ っ た。 ,. 学校で社会経済問題を論議したり、 支配階級の意志や信念に従わない教師たちに 「ポリシ ェ ヴィ 7 ( ) が あ っ た。 こ の ーク と か 赤 と か い う レッ テ ル を は り つ け よ う と し て い る 金 特 に 支 援 さ れた 運 動」. よう な教師たちは、 実さいに学校から追放された。 「Red scαγe ‘増g oγ Red 圧” ’”」 等 と , Red pz 934 よばれたこの反動的な運動は、1 ,年から35年,に かけて最も執勘に展開された。 教育の自由に対 する独占資本と国家権力の挑戦は、 第一次世界大戦後の 「Red 圧蹴り 時代よりもはげしかった。 それと並行 して、 教師の忠誠宣誓に関する立法化がすすめられた。 これは、 国家や州の権力によ る教育統 制の具体的なあらわれであった。 「アメリカの教師にとっては格 別に珍しいことではない のだが、20世紀の前半は、 忠誠宣誓に関 する法律の制定によって教師を忠誠な愛国者にするた めに - 17 -.
(4) . 三. 宅. 信. S 5年 まで 30年から3 ( ) のである。 この法律の制定が特に目立 つのは、 19 大へんな努力 が払 われた」 ・ 2州に達 した。 法は、 一般的に憲法の 尊重・国 の恐慌期であり、 この期間に宣誓規定を定めた州は 2 旗に対する敬礼あるいはアメリヵ的伝統の 尊重等を規定しているに過ぎないが、 実質 的には、 教師 か ら批判の自由をうぽいとり彼の思想と 行動とを一定の枠にはめこむ役わりを果した。 それは まさ ( のであった。 に 「生徒や教師の心や口や耳を閉 じさせようとする試 み」 933年大会では、 「教師は 教師たちも、 だまっていたわけではない。 NEA (全国教育 協会) の 1 適当な, 俸給の支払 と不当に解雇されないことを 保証されるべきであること」「過重な労働 と 煩雑な l o ( )等 制約を少くするために、 学級の生徒定員と教師の自由に ついての合理的な基準を設けること」 を決議 している。 また、 教員組合は、 労働組合との提携を緊密に しながら、,教育の自由と公教育制 度の擁護のた めに闘っていたのである。 以上のような事情が、 デューイ の 「教育の自由」 論の背景であった。 (1 ) 2 ) ( 3 ( ) 4 ( ) 5 ) ( ) (6. F ,121 , , し アレン著 佐藤・平松訳 20世紀アメリカ社会史 P し ヒューバーマン著 小林・雪山訳 アメリカ人民の歴史 (下) P , ,128 同. P,151 ,. 上. F ,126 , .L , アレン著 前掲書 P D T h P j e : e a c e r e w y , ,71 , , i i E, W. Knight: Fi f ty Years of Amer on l90 1950 can Educat , ′ Z er T 〆 6 7 / 7 ′ T 考 に ′ 湧 参 した。 こ れ は、 乙qy” を z ′ 特 に、 Chapt y o”“ α 擢 m c m け s 増 , Red 亙〃〃Z を め ぐる , 、るo 社会的諸勢力の動向を新聞社説、 公式報告書などを資料に しながら客観的・系統的に整饗 してし i in ”Educat i on Today“ P,307) 7 c ( ) J ,1935 ( , Dewey: The Teacher and The Publ t ) E, W, Knight: op,ci (8 . P,260 , 9 ( ) J , , P,77 , Dewey: Teacher. i in “Educat )に i on Today” P,321 ・ c Freedon こ れ は、 The Soc aISi gni6cance of Academi ,1936 ( も、 述 べ ら れ て い る。 t 1 0 ( ) E, W, Knight: op,ci , P,392 ,. 111 考. 察. 「教育の自由を 否定することは 民主主義に対する犯罪である」 と 積極 的に 主張 してい る デューイ は、 どのように して、 また何故に 「教師の・教授の自由」 を軽視するのだろうか。 これが、 考察の 主題である。 「どのように」というのは、 論理の 展開のしかたの問題であり、「何故に」 というのは、 世界観 ・知識観・教師観の問題である。 1 ), 三段構えの論 法 (. ”Teacherand 年 プ ュ ーィ の 論 法 の き わ だ っ た 特 徴 は、こ れ ま で に し ば し ば 引 用 した 1935 ・ の論文 ld” に よ く あ ら わ れ て い る。 そ の 所 論 の 構 想 を 敢 え て 図 式 化 す る な ら ば、 そ れ は 次 の よ Hi s Wor. うな三段構えに なっている。 //→ 教 師 ・ 教 授 の 自 由. ”} /. 1そ う 教育『危機- - →教育の自由 \ ⑩ \\\ = \→ 生 徒 学 の 自 由. その政治的. ,. 習. 経済的条件 段階--教育の危機と教育の 自由 (イ) 第一, 「教師はその時代の先頭にた つべきか、または、その背後にかくれるべ きであるのか」という間に対 ) g籾のれβ して「おそらくある教師たちは、それに答えることを拒否 してもっと別のあれかこれか(のZ 1 ( ) と デ ュ ←イ は 判 断 す る the even‐ が あ る と 主 張 す る に ち が い な い」 、 。 さ らに 彼 は、 「公 正 中 立(. - 18 -.
(5) . J . デューイの 「教育の自由」 論について the’middl ness)」「中 立 の 道 ( e cot l rse)」 を 口 に し て 「時 流 に 流 さ れ る こ と は、 実 に 臆 病 な 選 択 方 法 2 ( ) で あ る」 と 強 く 非 難 す る。 デ ユ イ によれば、 「公教育の制 度が発達しないことによって、 高校・. 大学の卒業生の数は、 30年ほどの間にほ ぼ5~6倍に達したが、 彼らは学校でうけた教育を実地に 活用する機 会をもち得 ず、 しごとにつくことさ えできない」 という状態を目前に したと き 「教師は そこから 逃避することが できないのは 勿論、 すすんで それを正常に ひきもどす 責任を もってい I )の で あ る。 る」C. 教師は、 はげしく対立する諸矛盾とその傾向に対す る 選択を余儀なくされて いた。 「対立 は厳存 しているのだから、 当然教師は、 こちらの一連の力を助長 しているかあるいはあちらの一連の力を 助長しているかのどちらかである。 問題はただ、 教師が臆病に ・そう しているか、 あるいはまた知的 」 ) こ こ で デ ュ ←イ は 教 師 に 対 す る 政 治 の 干 渉 と 圧 に 勇 敢 に そう して い る か、 と い う こ と で あ る」( 、. 力を防衛し、 専門的な教育活動をすすめ、 また教師の地位を実質的に高めるためには、 教師の団体 の組織化を強力にすすめな ければならないし、 教師の 団体は、 富裕な階級とではなくて 「労働者と 5 )を結 びあわねばならな い と主張す る 何故ならば 「歴 史的事実として 自由 ( の公 然たる 同盟」 。 、 、 、 な公教育の発 展は労 働者の要求に基いている」 のだし、 「自分の子どもを公立学校に入れるか、 そ うでなければ学校に入れないかのどちらかである」◎ 労働者は、 公教育が危機にさ らされるといつ でも真剣にそれを支えて く れるからである。 デュ「ィ は、 教育の危機が教師の自由への脅威であることをはっきりと見 ぬいていた。 だから、 彼は、 教師の自由で積極的な活動を鼓舞するばかりでなく、 はげしい論調で 「教師の自由の否定」 を非難していた。 それは、 デューイ の忠誠宣誓批判によくあらわされている。 「憲法はやっかいな 手続きをとってではある けれども改正することができるし、 国民の諸権利は保障されて いるし、 ま た、 事 態 が 全 く 許 す こ と の で き な い も の に な っ た 時 に は ジ ェ フ ァ ー ス ン や リ ン カ ー ン が い っ た よ. うな革命の権利も留保されているのだから、 教師は、 憲法に忠誠を誓うことに良心的なため らいを 感じる必要はない」 のであるが、 と前提して デユーイ は、「しかし、宣誓しなけ ればならぬある特別 な階級と して教師が選ばれるということは、 非常に深刻な社会的問題であ る」 と訴え る。 何故なら ば、 忠誠宣誓は 「政治的経済的条件や政策と関 連 して教育の自由を妨 げるた めに行われている一連 ヮ ( )か ら で あ る の 運 動 の 一 局 面 で あ る」 。. このように、 デューイ は、 彼の所論の第一段階で 「教師の自由」 の否定を攻撃し非難する。 この, ばあい、 彼ははっきりと 「教師の自由」 の擁護者となる。 (口). 第二段階 -- 「教育の自由」 の内容. すでに、 1問題提起のところであげておいたように、 デューイ は、 教育の自由を 「教師・教授の 自由」 と 「生徒・学習の自由」 の二面にわけている。 教育を抽象的な概念と してではなく具体的な人間の関与 する社会的行為と してとらえることは、 きわめて重要なことである。 一般に 「教育」 とか 「教育の自由」 という ことばが粗雑につかわれて い るの に 対 して、 デ ュ ーイ の と ら え 方 は す ぐ れ て い る。 しか し、 デ ュ ーイ の こ の 考 え 方 を そ の ま ま. 全面的に肯定することはできない。 教育の自由を二つの側面にわけることは認めるけれども、 「も S ( )と し二つの自由 をわけることができるならば………教師の自由は生徒の自由の必要条件 である」 述べている点には問題がある。 問題になるのは、 デューイ が 「教師の自由を生徒の自由の必要条件と する」 ことによって、 結果 と しては 「教師の自由」 をおおいかくした りふるい落 したりすることにな るのではないかという点 で あ る。. - 19 -.
(6) . 三. 宅. 信. 教師の自由は、 社会の政治的経済的条件とからみあう問題であった。 それは、 忠誠宣誓のばあい にそうであったように権力と対決 する政治的問題であった。 それはまた、 教師の団体 が労働者の組 織と同盟す る という時、 すぐれて階級的な問題であった。 ところが、 これらの問題は、 教育の自由 が二分されることによって、 論点 ,が 「生徒の自由」 の側に移 されていくときに分 断され、 一切の関 連がた ちきられるのである。 2 )で考案するので、 ここでは、 デューイ 所論の第二段 階が論点を第三段階に この 点,にっV ・ては( 移すための便宜的で予備的な論理的操作の段階に しか過 ぎなかった、 ということだけを指摘 してお く。. 第三, 段階-- 「生徒・学習の 自由」 と失弾性 第 三の、 つまりさい ごの段階で問題にされるのは、 生徒・学習の自由であり、 それは矢俳性の教育. (ハ). によって保証されるのだという結論に導 かれる。 プユーイ は、 数多くの一連の著作で、 古い時代につくりだされた伝 統的で煩頃な教授や訓育の方 法 が 「生 徒 ・ 学 習 の 自 由」 を 制 限 して い る こ と を 批 判 して い る。 と こ ろ が、 戦 争 と フ ァ ッ シ ズ ム ヘ. の 危機が切迫 していた 1930年代には、 もっと深刻な問題に当面せざるを得なかつた。 問題は、 デューイ にとっては次のようなものであった。 「巨大な機械と大工場に基礎をおく産業 制度と社会的知性の価値をひき 下げつ づけてきた学校教育制度」 のおかげで 「あ らゆる機会をうば われて自分の欲求をみたすことのできない青年たちは、 社会を民主的な方法では なく暴力的な方法 9 ) と ア メ リ カ の 若 い 世 代 は 「自 分 を 支 え る に た ろ矢晋性の 足 を も た ず、 で 変 革 し よ う と して い る」( 。. 自分がどこにいるかを見通すことができず、 経済的社会的崩壊の諸原因 を洞察 してどのような態度 ) 1 { ( )ままにされて いたのである。 をとったらよいのか--それについては何 一つ教えられていない」 プユーイ が教えようとするものは、 何であろうか。 それは、 「偉大な社会の建設において、 青年が その役割を果すことができるような洞察と理解を与 えることであり、 理解と洞察を最も効果的にす .心.・...・0O0●. 参. (n)で あ る ・こ れ が デ ュ ←イ に よ っ て 「知 性」 と 名 づ け る 行 為 の 態 度 と 習 慣 を 彼 ら に 与 え る こ と」 。 、 ら れ る も の で あ る。 い い か え れ ば、 そ れ は、 あ る 目 的 に 対 して 有 効 な (と い う の は 正 しい と い う こ. とと同義である) 手段を選ぶことである。 プユ←イ 教 育論は、 その中心に 「知性」 をすえる。 矢陣注の以上のよ うな性質から、 失挫性の教育過 程は、 有効な手段を選びとることを導きだすこととな る。 「知性」 は教師から生徒に与えられるも のではな くて、 生徒が学習の過程で選びとってい くものである。 こう して、 「生徒・学習の自由」. が 保 証 さ れ る。. 1 2 ( ) i i l or i a entat on) を も た ね ば な ら ぬ」 デ ュ ーイ が 「学 校 は 社 会 的 方 向 づ け (Soc. と述 べて いるか らといって、 それは、 教師が社会的方向 づけに必要な科学的知識を与えることと同 じではないのであ る。 彼にとっては 「学校が社会 的方向づけをもたねばならないという認識は、 そ 1 3 ( )ので れによって 新秩序をもた らすような方法の問題は提起するがこれを解決するもの ではない」 i indoct inat r on) は 教 育 で は な い」(M)の で あ る。 あ り、 「知 識 を 教 え こ む こ と (. このように して、 第三の段階で デューイ は、 教師の自由の拠点である 「教授」 の問題 を 完 全 に 「生徒・学習」 の問題に溶きかえ、 そうすることに よって 「教師の自由」を脅か した社会的危機の正 体 に ヴ ェ ー ル を か け て し ま う の で あ る。 1 ) ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ( ) 5 ) (. ・ Teache l .70 , , P, i d, P,70~71 ib . i b i d , P.71 , i b id . P.71 , d ib i . , P.75. j , Dewey:. - 20 -.
(7) . J . デューイ の 「教育の自由」 論について . ib i d (6) , P.75 . i d, P,77 (7) ib , i d, P.76 (8 J ib , b id (9) i , P,78 , ’ P9 10 i ( ) J i on l935 ( n “Probl ems・ ) . Dewey: The Needfor orientat ,0 1 i i (1 ) J f on and Soc i I Front i aIChange ( rom The Soc a ) er , Dewey: Educat , May l937 1 2 ( ) J . Dewey: Teacher . , P,80 13 ( ) ibid. p,81. 1 4 on Today i ) J ( 357 . Dewey: Educat , P,356÷ ,. ( 2 ) 教 師 の 自 由 さて次に問題 になるのは、 何故に デュ←イ は 「教師の自由」 についての論究 を深めようとはしな かったのか、 という点である。 この問題は、 教師と階級闘争ひいてはマルクス主義 知識と失廿操 、 、 及び教師と生徒の地位についての彼の基本的な見解を検討することによつて明かに なるだろう 。. (イ) 教師と階級闘争 すでに述べたように、 デューイ は、 「教師と労働者 の公然たる同盟の強化」 を実にはっきりと主 張していた。 また 彼は、 学校が経済的特権階級に支配されている現在 教師はすべての労働者と共 、 通の運命をもって結びつき 「その共通の敵であ る特権階級に対 して味方と同 盟 し 民主的社会体制 、 1 ( )と くり返 し強調 した の実現に必要な性格・技能・失廿性を発展させよ」 、 。 このような主張をみ ると、 デューイ は、 教師が労働者階級の側にたって特権階級に対す る闘いを 挑むことを方向づけていたのだ、 というように思 われるかも知れな い ところが実は そう ではな 。 、 934年に発刊された So メメ 躍如;妨げ 誌が 「教師は労働者 であり かれら自身の階級的利 かった。 1 c 、 益は同志労働者と共にある。 ………教 師は、 現に進行 しつつあ る闘争において労働者 階級の側にた つ」 とか 「教師 は、 知的指導者 であり実践の原動力と しての階級であ る」 という主張を掲げている 2 のに対 して、 デユーイ は、 同誌の誌上で 当惑の意を表明 している ( ) 。 「現に進行 しつつあ る闘争」 「教師 が原動力となる実践」 というの は 階級闘争のことであ る デューイの当惑は 教師と労働 、 。 、 者の提携は認めるけ れども、 教師 が階級意識に目ざめて級 階闘争に参 加することを認 める わけに は い か な か っ た こ と に 根 ざ して い る よ う で あ る。. プユーイ は 「人間の 過去の歴史が、 抑圧された 階級の勝利とその 階級への権力の移行に終る諸階 CD ことを認め 現実に進行 しつつあ る階級闘争を経験的事実と して は認め 級の闘争の記録 である」 、 てい る。 けれども、 デュ←イ にとって、 経験的事実と しての階級識争を認めることは それをどう 、 するかということとは無関係である。 彼の 「実験的方法」 によれば、「経験的事実の認識は 一つの 、 条件であるに しか過 ぎない」@) 「もし、 観念・意味・概念・想念・学説・体系というもの が 与え 、 られた環境を能動的に組識するのに、 また何かあ・る特殊の困惑や当惑をとり除くために 道具にな 、 る も の で あ る、 と い う な ら、 そ れ ら の 正 しさ と 価 値の 検 証 は こ の し ごと を な しと げ る こ と に あ る」①. つまり、 思想や学説 は道具であり、 もしそれがあ る しごとに成功 したならば それは真である と 、 、 いうことになる。 このような考え方にたつ限り、 「階級闘争の思想は教師に (現状の変革 に……筆 者註) 必要な知的実際的方向を与え る」 という説明は、 きわめて不合理な推論 “タmi Z f ‐ s z gg” “〆’ で ある。 階級闘争によって社会の変革が遂行されたの は過去のことであって、 現在では それが唯一 、 の方法ではな いからである。 デューイ の方法は 「排他的な階級的見地のかわりに社会的見地をうけ いれ」 階 級的利 益に おいてではなくて 「包括的な社会的利益と いう観点から………教 育活動を指導 heframe of reference) で あ り 源 泉 で あ る 民 主 主 義 的 観 念 を う け い れ る」( t 7 する視角座標 ( )と い う社 会 協 調 主 義 で あ る。 そ こ で、 よ く 知 ら れ て い る よ う に デ ュ ーイ は 1939 年 の 論 文 “Freedom 、. - 21 -.
(8) . 三. 宅. 信. l t and Cu ur e” でマルクス主義をはげしく攻撃 し、 階 級闘争の理論と実践は、 科学と民主主義に反 するものだ、 と非難する。 こういうわ けで、 デュ ーイ は、 教師が階級闘争の理論=マルクス主義を身に つけその実践活動に 挺 身 する自由を許すわけにはいかな かった。 デューイ が 「教師の自由」 を積極的にとりあ げず、 か えってそれを枠づけようと した第一の 理由は、 これである。 (口) 知 識 と 知 性 教師にとって最も主要な自由は、 教授することの自由であろう。 それは、 すでに科学 的に立証き れている知識 を生徒に与えることの自 由を意味 している。 ところが デューイ は、 知識の教育を否定 し、 それば かり でなく、 知識そのものに 特別な定義を下 ltheory oftruth) に よ t a ns rument している。 彼の 道具主義的知識観 (あるいは 真理道具観--i い う命題は誤 れば、 「認識の真の対 象・正当な対象は 認識の作用に先 行 し 独立 したものであ る」 と・ d h l l ty) は、 そ れ に 探 究 の 結 果 が an arc etypa antece ent reai っており 「原型と して先行する実在 ( S ( ) のである。 彼にと っては、 認識の対象と しての客観的実在 一致 しなけれ ばならぬ範型ではない」 は存在 しない し、 従ってまた、 それの発展の合法則性な どは問題にならないのである。 デユーイ の 「知 識」 は、 それでは一体何であろうか。「もし、 それら (観念・学説・知識等) があ る役目にうま , く成功 したな らば、 それらは信頼さ るべ きであり、 健全であり、 妥当であり、 善であり、 真である。 ・らば、 また もし、 混乱や不 もしそ れらが、 その混乱をはらいのけて欠 点を除き去るのに失敗するな ・ ・ やまりである 確 信 確証 証明は 安や悪を増すならば、 その時それらはあ 、 そのはた らきの中に、 。 ミ ( リいいかえると、「知識・思想・観 念・理論は、 目標を達成するのに じやまに その結 果の中にある」 な るものを克服する道具的なもの である。 知識や理論は、 もし有効にはた らくならば、 つまり、 も o l ( し目 標 に 導 く な ら ば 真 理 で あ り、 も しそ う で な い な ら ば 偽 で あ る」 )デ ュ ーイ に と っ て 重 要 な の は、. 法則と して定立された知識ではなくて、 道具と しての矢幅識をうまく運用することである。 つまり、 ある目的に対 して有効な結果を導きだすことの できるような手段を正 しく選ぶことが、 主要な関 心 事である。 それには、 知識ではない何ものかが必要である。 それが 「知性」 である。 デユ←ィ は、 i 1 ( )に臭仲性という名前を与え ‐ 「新 しい 目的のために しくまれるという様式で 利用 され る経 験的暗示」 て い る。. ・. このような知識観の立場にたつ デューィ は、 知識の 教授を否定 して知性の教育を主張する。 とこ ろが他方では、 マルク ス主義の 認識論・教育論を基礎にする教師たちが、 自然や社会に ついての・ その発展についての法則性を知識と して教授する方法の 重要性を指摘 していた。 このような事情の 下では、 デューイ が 「教授の自由」 を深くぼり下げなか ったのは当然のことだ、 といわねばな るま さなかったのであ い。 知識の教授を否定す るデューイ は、 教育の方法の自由な選択を許すことがで・ る。 これが、 第二の理由である。 ) 教師と生徒の地位 ( ′、 さい ごに、 第三の最も根本的な理由は、 デューイ が 一貫 して児童中心主義の立場 を堅持 していた こ と に よ つ て い る。. 929年には じまる恐慌を契機と デューイ の教育 思想、 ひいてはアメリカの進歩主義教育運動は、1 1 2 ( )この して自己批判をせまられ、 児童中心主義から社会中心 主義へと転回 した、 といわれている。 ような見解は、 かなり広く支持 されているようである。 た しかに彼 らは、 激動する社会に当面した ことがないと察知 した し、 社会の改 造を指向 して学校 時、 それまでの学 校教育では充分に対応す る・ と教育の理論に若 干の修正 を試 みは した。 けれども、 最後には子どもた ちの 所にまい戻り、 そこま - 22 -.
(9) . J . デューイ の 「教育の自由」 論について. できた時には、 社会とかその改造といつた指標は、 すでに影をひそめるのである。 これは、 前述 し. inat i た “indoct r on” 論 に 典 型 的 に 示 さ れ て い る。 ま た、 デ ュ ーイ に よ れ ば 「民 主 主 義 と は 他 人 、. との自由な交際に基く自発的な選択を意味 している。 それは、 力の代 りに相 互的で自由な協議によ る方式、 また粗暴な闘争の代 りに協同が生活の法則となっているような共同に生活する方法を意味 1 8 ( )の である デューイ が再建 しようとする社会は 個人の自発的な選択と彼らの協同に している」 。 、 よると いうわけ である。 デユーイ の民主主義がそのようなもの である限り 彼の教育理論もま ・た、 、 個人 (生徒) がその出発点でありr同時に帰着点であったことは否定 し得な い。、 「デューイ 教育思想 における児童の地 位」について綿密な考察を試みている中島氏 は、 その結論と して「彼は 18 99年の 早きにおいて児童を天体の太陽にたとえ中心であると断じた が、 彼の教育思想においてその中心を 1 1 ‘ 占 め る地 位 は、 1952 年 の 死 に 至 る ま で 動 ず る こ と が な か っ た、 と い う こ と が で き る」( )と い っ て い る。. それでは、そのような学校における教師の地位と役割はどうなつているのか。「教師は、子 どもの 自然的な衝動と本能を しっかりとつかみ、 その子どもがより高い水準の知覚と判断化し÷ より有効 1 5 ( )教師 な習慣を身につけるように育て るために、 それらの衝動と本能を利用 しなければならない」 は、 学 習 のイ コ シ ァ テ ィ ブ を と っ て は な ら な い の で あ る。 こ の 主 張 は、 少 く と も 1938 年 ま で ず っ. と固持されていた。 教師の しごとは 「生徒に いやな思いをさせず む しろ 彼の活動を 鼓吹す るよう な、 しかも、 それにも拘らず直接的に快適であるという以上に生徒 をはげま して望ま しい将来の経 1のである そこでは 教師の自由な ( 験に進ま しめるような、 そういう経験のために配備すること」 。 、 教授 活動 は十分に保証されていないのであ る。 教師の自由が生徒の自由の必要条件であり、 結局、 前者が後者に従属させられた第三の理由は 、 以上のような根拠 に よ ってい るo (1) J . Dewey:. Educat i on Today . , P,330 ’ Educatorsandthe C1 l iaIFront ass Strugg e i rom ” TheSoc er’ ,(以 下 Bducators と 略 記)f ’ ’ ” ” ’ May 1936 ( 6 9 R 7 i t R i l J l l i h a ner ) , atner の d l n e gence n t e Modern Wor p nt --J , ,Deweys ’ Ph i l i l osophy か ら引用。 Ratner は、 240 頁 に わ た る 論交 ‘ nt roduct on to John Dewey s Phi osophy”. 2 ) J ( , Dewey:. のあとに、 その資料と して必要な文献を集録 している。 ここに引用 した論文は、 そのうちの一つであり、 t 論文の主題は、 Ra ne r に よ っ て つ け ら れ た もの で ある。 以 下、 Ratner の著作から引用することが多い. の で、 その ば ぁし・に は in ”Ratner” と 略 記す る。 The C1 bera1 i i i t in ”Ratner“ P,44り ass st rugg1 e ron I Li 1 s n and Soc a1 Ac on ,f ,1935 ( “ “ D E d i : R P 9 8 6 t t (4) J u a ( e w e c o r s a ) e n n r y , . i i l 5 onin Ph )J osophy ( , Dewey: Reconstruct , P,156 , ,1920 ”Ra ” P 697 D B d t i t 6 : u a e w e c o r s ( n e r ) ( ) J n y . , 7) i bi d ( , P,P,701~702 ,. 3 ) J ( ‐ Dewey:. 8 ) ( 9 ) ( 1 0 ) ( 1 1 ) ( 1 2 ) ( 13 ( ). J , Dewey:. The Ques inty tfor Cer ta . P.P,196~197 ,1929 . i i 1 ヱ truc t onin Ph osophy , Dewey: ReCons . , P,89 日. K, We 1 1 i ヱ i i s; Pragmat sm-Phi osophy of工mper a. snも 1954 , P,147 , i l J onin Phi osophy , Dewey: Reconstruct . , P.89. 宮原誠一; 進歩的教育--アメリカ教育学の自己批判、「デューイ研究」 春秋社刊、 P,77 . i i IChange J onand Soc i i a rom ”the soc in ”Educat aーFront i err May ・ Dewey: Educat onり ,f .1937 ( P,358 ). 1 4 ) 中嶋 博: ( ~38 , 1 5 J ( ) . Dewey:. 1 6 ( ) J , Dewey:. デューイ教育思想における児童の地位、「教育学研究」(日本教育学会編)VOL2 2 7 ,6 ,P .P ,No ,3 The Schoo land Soc i ety , P,123 ,1900 , Exper i d 938 i ence an Edu t 7 ca on ) ,(原田実訳、 春秋社版、 P ,1 ,1. 一 23 -.
(10) . ー. 宅. IV. 信. 結. 語. プユ←イ は、 「教育の自由」 についての所論を展開するにあたって、 まずは じめに、 それを教育 の危機という現実においてとらえ、 そこで 「教師・教授の自由」 が独占資本と権力にょつて否定さ れようと していることを攻撃 し非難する。 次に、 それを 「生徒・学習の自由」 と対応させること に よって、 前者を後者に従属させる。最後には結局、「教師・教授の自由」 の否定への道を開く。 第二 段 階での論理は、 第一段階では否定 しようと したそのものを第三段階では肯定するための 一つの操 作に しか過ぎない。 これが、 デユーイ の三段構え論法の基本的特徴である。 この点については、 H, K, ウ ェルズのすぐれた研究がある。の 次に、 デューイ は、 何故に 「教師・教 授の自 由」 に制約を加えたりそれの否定への道を開こうと するの だろうか。それは、 彼の説く 「教師の自由」 についての理論が有効性を保証されるた めには、 その方が都合がよかったからであつたにちがいない。 何故ならば、「全体と しての社会的見地」から みると、 階級闘争とその理論の基礎を教育の過程にもちこむことは、 独占 資本と権力の怒りにふれ ることだから、「教師・教授の自由」は「生徒・学習の自由」 に従属させておかなければな らなかっ 2 ( )と た の で あ る。 こ の あ た り に、 デ ュ ーイ の ・「プ ラ グ マ テ ィ ズム の 哲 学 は 帝 国 主 義 の 哲 学 で あ る」. いわれる理由がある。 それがまた、「学校の歴史は、 教師の役割が デュ←イ の教育学でとり 扱 わ れ 3 ( ) といわれるような デューイ の教師観の欠陥となっ ているほどに蔑められた例を他には知 らない」 て い る。. 私にとって重要な問題は、 教師の自由と生徒の自由、 教授の自由と学習の自由をいかに して統一 するかということである。 一方を他方の必要条件とするだけではなくて、 教育過程の条件を十分に 充たすためには、 特に教師の権 威と指導性を問題に しなければならない。 教育の過程は、 生徒の学 習のた めに 「必要に して且つ十分な条件」 を満足させることによっては じめて成立する。 この問題は、 日本教師が当面 している一つの現代的課題であるともいえるのではないだろうか。 i l i i l i l l osoPhy oflmPer a sm, P,P,138~144 sm‐Ph (1 ) 日, K. We s: Pragmat , l l t We )は 次の よ うな 特 徴 を も っ て い る。 ep Argument s によれば、 デューイの三段階論(DeweゾsThrees 「第一段階--すべての形而上学に対する攻撃という みせかけの下に、 科学と物質的世界に対 して攻撃を 加える。 第ニ段階--.手段と目的の便利さという実用的な、 すなわち道具的方法をもって科学の真の方法. にかえる。 第三段階--第一段階で表むきには斥けられて しまったもの、 つまり科学と宗教の融和を元通 りに復活する」 このような形式は、 本稿でとりあげた所論の展開過程にもそのままあらわれている。 しか し、 内 容 は、 少 しば か り 異 って い る。 l i 2 t ) 上に掲げ た Wel s: Pagma ( sm は、 副題が示すように 「プラグマティ ズムはアメリカ帝国主義の哲学で あり、 それは資本家階級の世界観であり、 理論であり、 方法である」 ことを証明 したものである。 この他 i i i i f i t l th: ln De sn l に、 1 ・at sn l and Pragn ence of Phi osophy--aga nstPos v , . Cornfor ,1950 1 ikanski iPragmat i 955 954 t; An er ngar ・ zm, Moscow l , Li ,等 , 隙元雌: プラ グマティ ズム批判、1. ・る。 々が、 「プラマグテイ ズムの本質は帝国主義の哲学である」 と批判 してし 3 ) W,S,Schewkin: Die padagogik J, Deweys ( ,60 . , p. あ. と. が. き. 1 ( ) この小稿で試みた考察のねらいは、 最後に述べた 問題を追求するための 手がかりを得ること にあった。 しか し、 取扱った資料は著作の一部に限られているので、 不充分な点やあやまりにつ いては厳正な御批判をおねがい したい。 2 ( ) この小稿は、 北海道学芸大学佐々木秀一教授と 岩手大学学芸学部駒林邦男講師の御教示に負 4- -2.
(11) . J ・て , デューイの 「教育の自由」 論につV. っている所が大きい。 特に、 佐々 木教授からは貴重な文献を提供していただいた。 ここに記 して 195 7 ( ) ,28 .4. 深 く 謝 意 を 表 しま す。. - 25・一.
(12)
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