• 検索結果がありません。

美的教育のための音楽の一考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "美的教育のための音楽の一考察"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 美的教育のための音楽の一考察. Author(s). 広川, 正治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 25(2): 1-11. Issue Date. 1975-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4681. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 広川正治:美的教育のための音楽の一考察. 美的教育のための音楽の-考察 広. 川. 正. 目. 治. 次 歌 音 組 成) ) 歌音組成. ま えがき. 1 音楽教育の目的 立 音楽教育の内容と方法 1 . 二本建て指導方式 (子どもの意欲・. 3 . 歌唱指導の問題 4 器楽指導の問題と指導の集団化 . 器楽指導の問題と指 5 . 鑑賞と創作の問題 6 . 音楽教材選択の問題. 感動と教師の技術指導) 2 . 音楽における民族性の問題 (わらべ. ま. え. が. き. 敗戦後、 戦前の軍国主義・国家主義の教育に反対して、 とにもかくにも教育民主化の方向で歩み 出したのもつかの間、 とくに朝鮮戦争を契機と して、 わが国の文教政策はアメリカ帝国主義の要請 に従いながら、 再び廻れ右をはじめ、 何よりも差別と 選別の教育を強化してきた。 昭和3 3年の学習 指導 要 領 の 国家 基 準 と して の 改 訂は ま さ に分 裂カ リキ ュ ラ ム で あ っ た し、 昭 和43、 44年 の 改 訂は 、. 分 裂カ リ キ ュ ラ ム の修 正 を 意 図 しつつ、 ま た して も、 か っ て の よ う に、 「西 の科 学」 に対 す る 「東 の 精神」 の 方 向でそ れ を な しと げ よう と して きてい る のであ る。 そ の橋渡 し を してい る も のが昭 和. 4 1年1 0月の 「中教審」 答申 「後期中等教育の拡充整備 について:別記、 期待される人間像」 であっ た。. われわれはすでに本紀要前号におい て、 それまで考察してきた美的教育のあり方にもと づきなが ら、 義務教育学校における美術の教科の指導のあり方を検討してみた。 それは非科学的で一貫性を 欠く学習指導要領にもとづく教育課程のなかにあって、 とくに人格の統一にとって大きな役割をも っと予想される芸術教科の正しいあり方を求めてであ った。. 今回はその同じ方向で、 音楽教育のあり方を考察してみたいと思う。 わが国の国家権力はこれまでつねにそうであったように、 「富国強兵」 的な資本主義国家の国是 に従って、 「西の科学」 の強化に伴う資本主義的矛盾を、 あいもかわらず 「東の精神」 によって克 服しようと無駄な努力をしてきている。 最近も文教政策の責任者たちが一方で革新技術を強調しな. がら、 他方では 「知恵ぶとり、 徳やせ」 とかいって、 科学とは矛盾 する神道的道徳を国民に押しつ け、 みずからの政治責任を国民の道徳心に転嫁しようとしているのもその大きな現われである。 か ってもそうであったように、 芸術教育 し音楽教育はそう した人づくりを感情的側面からバ・ ソク・ア ッ プしよ う と する。 池 田・口 パ ー トソ ン 会 談 にお ける い わ ゆ る 「愛 国心 と自 衛 の た め の 自 発 的 精 神 が成 長す る よう な空 気」 づく り が、 学 校教 育 を はじめ、 マ ス ・ コ ミ を通 じ て 行 なわ れて き てい る 。. その 「空気」 づくりに、 いわゆる音楽が大きな位置を占めていることは、 あらためて指摘するまで もあ るまい。 そ う し た なか にあ っ て、 人格 の 全面 的発 達 を め ざす 教育 の なか で 音 楽は ど のよ うな 、. 役割を果たさねばならないのであろうか。 前回の 「美術・図工」 の場合と同様、 われわれは日教組.

(3) . 広川正治:美的教育のための音楽の 一考察. の教研集会で展開された民主的教師たちによる実践的研究の成果をたよりに‐ わが国の国民教育の な か で、 音楽 教 育は い か にあ る べ きな のか を 考察 してみ たいと 思 う。. 1 音楽教育の目的 戦前、 わが国の学校の音楽教育を支配したいわゆる 「学校唱歌」 は、 「五倫五常の歌」 に代表さ れるように、 露骨に特定の思想・ 主張を教化するためのものであっ た。 特に日清戦争を前にしてか ら、 中国を仮想敵国として 敵傷心をあおる唱歌が、 戦争中は 「大捷軍歌」 に代表される軍歌が、 文 部省検定済として学校で使用 されたのである。 これらはいずれも極端な国家主義・軍国主義をうた っ た も ので あ り、 明 ら かに 芸 術教 育の ため と い う よ う な もの で はな く、 ま さ に 「東 の 精神」 と し て. の修身教育の手段にすぎなかっ たであろう1) 。 日露戦争を通ってますます軍国主義を強化しながら、 は 6年の国民学校から、 教科名が 「唱歌」 から 「音楽」 ついに敗戦に至った戦前の音楽教育 、 昭和1 にかかわりたと しても、 総 じて 「唱歌」 教育であった。 その特質は 「芸術教育ではなくて、 教化の 手 段 に重 点 がおか れた こと で あ る。 音 楽 に よ っ て 人間 性 を 育 てる のでなく て、 歌 詞 の なか か ら徳 目. をひきだして子どもを教化する修身教育の手段であ った。 これは、 唱歌教育即修身教育であっ て、 歌曲の音楽的体得そのものよりも、 歌詞そのものが 『徳性の酒義』 『情操陶冶』 という修身教育の 目標に従属させられてしまったのである。 ……音楽教育の目的は 『情操教育』 だとし、 しかもそれ. が忠君愛国精神の培養手段として、 修身教科とともにひじように重要な役割をはたしたということ ② である。 」 戦後は、 戦前の手段としての音楽を否定して、 それ自体に目的をおく 考えに立つたと しても、 す ③ でに美術教育で検討したように 、 音楽もまた 「情操教育」 としてとらえられ、 「音楽教育が情操. 教育であるという意味は、 音楽即情操教育ということで、 音楽美の理解.感得が直ちに美的情操の 6年度改 2年度 「小学校学習指導要領」) という理解であっ た。 昭和2 養成となる」 (文部省、 昭和2 」 責任を分担する教科である 訂版でも、 「音楽は、 主として児童・生徒の情操方面の発達について と規定され、 「各種の音楽活動 (歌唱・楽器の演湊・鑑賞・創 造的表現・音楽に関する知的理解) などの経験を通じて児童・生徒の創造的な自己表現や音楽に対する愛好心の向上をはかるとともに、 児童・生徒の日常生活にうるおいと豊かさや、 楽しさと明るさなどをもたらすようにしなければな. らない。 」 といわれる。 つまり、 音楽教育を情操教育と し、 情操のうるおいと豊かさ、 「創造的な ⑧ 自己表現」 が強調されている。 この点はすでに 「新教育」 の美術.図工科について検討した批判 が、 音 楽 に つい て も同 様 に 向 け られ な け れ ば なら な い。. ミみであり、 生産労働の手 そもそも原始音楽は何よりもまずリズム音楽であった。・その音は 「足ろ ④ 動作はすべて音で認識され 拍きであり、 声である。 」 あらゆる律動的な 、 音で表現できる。 それ は直接に行動を媒介し、 指導することに役立った。 共同労働において、 各自の動作を厳密に 協調す る合図と して役立った。 このように共同動作を統 一し、 指導する必要から、 このような行動の媒介 と して 生 じた 動 作 の 音 に よ る 認 識か ら、 リ ズム 音 楽 が 発 生 し て来 た のであ る。. ⑤こ. こ に 音 楽 の 生産. 労働や社会生活との関連の基礎がある。 社会的価値を生産する労働によ って人間はその人格を形成 ・発達させて来た。 文化は、 そして芸術は、 その生産労働の発展過程から分化 して発達して来た。 した が っ て、 そ の 一 領域 と し て の 音楽 は、 人 間形 成 とい う 教育 全体 の なか に 位置 づ け られて い な け. れ ば な ら な い。・現代 のわ が 国 の問 題と し ては、 主 権 の 存 す る 国 民の 育成 と い う 大きな 目 的 に 向 っ て. 音楽教育が自覚的に位置づけられていなければならない。 ところが戦後の音楽 教育は、 かって の手 段としての教科から、 「主と して創造的表現活動を発達させる 教科として、 芸術自体が目的とされ た点では画期的なものであ・ っ たに もかかわらず、 文部省の 「学習指導要領」 に従って、 「音楽美の 2.

(4) . 広川正治;美的教育のための音楽の一考察. 理解・感得が直ちに美的情操の養成と なる」 とされ、 音楽美の理解・感得は、 音楽を知的に理解し、 技術を注入することだけが音楽教育の目的であるかのよ うに受けとられる危検性をもっていた。 こ. こから、 音楽教育を音楽の技術を教えることに限定して、 教育全体の一環と してとらえる視野を欠 いた技能注入主義の傾向を生むにいたっ たのである。 ⑥ 昭和3 3年 改訂においては⑦、 人間形成という教育全体の仕事のなかで音楽教育を考えていこうと. する立場は全く放置され、 「音楽経験を豊かにし、 音楽的感覚の発達を図るとともに、 美的情操を 養う」 (リ ・学校) と、 人間の情操の一側面である 「美的情操」 だけが目標と してとらえられている。 さらに 「音楽の表現や鑑賞を通して美的感覚を洗練し、 情操を高め、 豊かな人間性を養う」 ● (中学 校) とされ、 また器楽教育の強化にみられるように、 感覚的訓練が重視されていることが改訂指導 要 領 の特 徴 で ある。 こ う した傾 向 は昭 和43 、 44年 改 訂 版 にも 同 様 に ひき つ が れてい る。. 学校教育は子どもたちの現実生活から遊離したところで行なわれてはならない。 これは歴史的教 3年版学習指導要領におい ても、,「音楽経験を通して、 日常生活 訓である。 たしかに文部省の昭和3 ′ にうるおいや豊かさをもたらす態度や習慣を養う」 ( j 、学校) 「音楽を生活に生めn/、 生活を豊か. にする態度や習慣を育てる」 (中学校) といっている。 しかし 「音楽の生活 化」 とは どういうこと で あ り、 ま た な け れ ばな らない の であ ろ う か。. 音楽は人間生活に基本的なものであり、 生産労働と直結するものである。 ところが子どもの生活. をとりま く 現 実社会 には、 池 田・ ロバ ー トソ ン 会談 で の要求 に 従 い、 額廃 的 ・娯 楽 的マ ス・ コミ 文. 化 が氾 濫 し て い る。 こ のこと を 考慮 し な が ら音 楽 の生 活 化 のため には、 ど の・よ う な 生活 を し て い る. 子どもがどのような音楽を好きなのか、 きらいなのか、 まず子どもたちとその生活を知る必要があ る。 「日本人の生活 には歌がないから、 生 活のなかに歌をもちこもう」 とい う主張が行なわれると き、 必ら ず対 比 される のは、 ヨ ーロ ッ パ な ど の 伝 統で あ る が、 そ の結果 は、 たと え た だ ち に卒 業 式. には 「君が代」 や 「仰げば尊し」 ということにはならないとしても、 朝には朝の歌を、 春には 春の 歌 をうた わ せ ると い う だけの 実 践 に終 っ て しま う。 「生 活 に 歌 を」 とい っ で も、 そ こ で は、 音 楽そ のも の、 お よび子 ども そ のも の へ の 接 近 の 努 力 が欠 けて い る のであ る。 音 楽 の生活 化と い っ て も、. 戦時中、 国民精神総動員の手段として積極的に利用されたことに対する反省がなければならないだ ろう。 「音楽を生活に生かし、 生活を豊かにする」 といっ ても、 せいぜい生活のなかに音楽をとり 入 れてう る おい をも た せるとか、 余暇 を 善用 する と か、 と い う程 度 の意 味に しか 理 解さ れ てい ない. 場合が多い。 芸術と しての音楽が、 真に人間の思想を清め、 魂を向上させ、 生活に必要な生命力を 強 め てく れ る よ うなエ ネル ギ ーと して、 す な わち、 人 間 の あ らゆ る生命 力 の 根源 に 培う も のと して. 存在する以上、 生活そのものが、 音楽の美しさにみたされることがより根本的な問題と して把握さ れな けれ ばな ら ない。 音楽 の美 に よ っ て 子 ども た ち の 心 に よ びお こ さ れ る感 動 が、 そ のま ま 子 ども. たちの心の働きに力強い生 命を与えていくものにすること、 ここに芸術教育として の音楽教育がめ ざすべき基本的なもの があるであろう⑧。 しかしわが国の音楽文化の発展の歴史からして、 明治に おける国民教育の音楽教材作成の方法は、 まずメ ーンンと伊沢とが協力してアメリカの教材から適 当な曲をえ らび、 これに主として国文学者が、 原詞の意味とはほとんど関係なしに作詞するという. 順 序 であ っ た。 曲の 選択 に あた っ て、 伊沢 が 基 礎 と した 理 論 は、 「彼等ノ 音 律異 ナラ ザル」 こ と を、 日本 の 呂・ 律と ヨー ロ ッ パ の 自然 長・ 短音 階 と の同一 視 によ っ て 確 立さ れた も の で あ っ た。 ここ で. は日本の民衆の生活のなかでうたわれた音楽にひそむ力動的なリズム は無視され、 形式的な和洋折 衷がおこなわれたにすぎなかった。 ここに独特な唱歌詞といわれる教育音楽成立の理論的根拠があ り、 また大衆にとって、 唱歌以外は広い意味での俗曲だけとなり、 芸術音楽は大衆の手のとどかな い と と る に お か れるこ と にな っ たの で ある ⑨。 ここか ら わ が国 の 音楽 文 化に おい ては 学校 で 与え 、.

(5) . 広川正治:.美的教育のための音楽の一考察. られた音楽とそれによる教育の成果が社会に移透せず、 したがって音楽 文化の発展にとっ て音楽教 育は無力であった。 明治以来言いふるされたこと ばを使えば 「学校唱歌校門を出ず」 である。 「音 楽 の 生 活 化」 はこ の よ う な 状況 の 克 服 の た めに 主 張さ れ て い る ので あ る ⑲。 と す れ ば、 わ れわ れの. 音楽教育の 目的は何か。. 音楽教育をわれわれは美的教育としてとらえるかぎり、 すでに論じた通り③、 その任務は美 術教 育と同様に考えられるであろう。 あえてその要 点を確認すれば、.主権の存する国民としての人格の 全面的発達へと、 総合的・統一的に媒介する働きに、 美的教育としての音楽の任務がある。. 音 楽 は 「魂 の直 接 の こと ば」 (ア ・ エ ヌ ・ セロ フ) と い わ れる よ うに、 (音 楽 的 形 象 は 他 の芸 術. の諸形象よりもい っそう抽象的な、 それと同時にいっ そう直接的な情緒的性格をもっている⑪」 こ とから、 とくに音楽教育と しては他の芸術よ りはいっそう人間の内面的心情の育成にかかわるので. ある。 音楽は現実社会の動きと人間の個人的情念の動きの弁証法的関係を音楽的形象によって反映. す る。 自 然、 社 会、 人間 の理解 に しても、 た だ概 念 によ る 認識 だ けで は決 して充 分 では ない。 こ こ. に芸術的形象による認識、 とくに人間の内面的心情に直接的にかかわる音楽的形象による認識が、 人格形成に不可欠であるゆえんである。 古来、 音楽による精神の教育という思想の真の意義はここ にあったであろう。 そうした性格をもつあらゆる音楽文化を享受 し、 音楽による深い感動の経験の なかで、 一人 ひとりの子どもの音楽的能力を育ててゆく こと、 音楽という芸術的形象を通して、 子 どもの集団を高め、 個性を豊かにすること、 そしてやがて自己の感情・思想を音楽活動によって表 現できる力をもっ た国民、 日本の音楽文化のにない手に育てなければならない ⑫。 それが音楽教育 の目 的で あ る。. n 1. 音楽教育の内容と方法. 二本建て指導方式 (子 どもの意欲・感動と教師の技術指導). 戦後の民主教育を指向するなかで、 子どもを戦前的抑圧から解放し、 自由に感動を表現させるこ との重要性を主張する傾向と、 それに対し、 綿密 な指導計画のもとに適切な技術指導なしには真の 創造性も養いえないとする主張とが対立した。 自由主義的 「新教育」 のなかでは学校教育一般の傾 向 と し て、 抑 圧か ら の解 放、 個 性 の 伸 長 と い う こ と が強 調 さ れた ので あ る が、 こ と音 楽に おい ては. ‘練がより日常的であり、 具体的であり、 そう単純にはいかなかっ た。 音楽は他の芸術より も技術調- また技術理論の面の修得の必要が、 教師に非常に大きな制約を与えていたのである⑭。 この考えに J ・学校の教育現場では、 音楽を教 拍車をかけたのは、 大学で音楽を習得して 来なかった教師でさえも′ えねばな らないという現実であっ た。 ところがまた反対に、 技術を持っている教師が 「技術第一主 . 義と個別指導」 の失敗を自己批判して、 貧村での経験を語り、 「感動を通して技術指導をすること」 の 必 要 性 を 説く ので あ っ た ⑭。 と は い え、 1950 年 代で は い ま だ一 般 的に は 「技 術よりも 何 よ りも、. まず子どもを音楽の楽 しさに導くことが大切だ⑮」 とい う理解であったし、 その辺が音楽の場合、 教育研究の出発点であった。 そ して6 0年代 に入る頃から 「楽しい音楽であるためには、 ただしく音. 楽をとらえなければならない。 ただしく音楽をとらえ表現するためには、 技術が必要になってくる ⑯」 と い う 理 解 に発 展 し ていく。. 音楽には 技術が必要だからとい って、 どういう人間を育てるのかという人間教育全体から切り離 したところで音楽技術の指導が行なわれるところに技術偏重という技術注入主義の誤りがある。 と 同 時 に ま た、 音楽 に 感動 で きる子 ども をつく り 出す こと が本質 だ、 抑 圧 か ら の解 放こ そ と い っ て、. ただ楽しく歌いさえすれば、 どんな歌でもよいとか、 音楽活動が楽しければ技術などおのずから身 に つ い てく る と い う わけ に は い か ない で あ ろ う。 た しか に、 民主 的・ 自 治 的 な学 級 集団 がで き てい 4.

(6) . 広川正治:美的教育のための音楽の一考察. て、 教師の示唆が正 しければ 「うたいたいという意欲をおこさせた努力は、 子どもたちにもっ と美 しく う た い たい とい う 気持 を おこ さ せ、 そ こ か ら子 ど も た ち は姿勢、 呼 吸一 口 の形 な どい ろい ろの. 角度から考えたり工夫 したり して、 自らの力で質を高 めていこうとする働きを力強く身につけてい く ⑰」 ということもあるでもあろう。 わが国の現実は、 「愛国心と自衛のための自発的精神が成長 するような空気」 が政治の面で意図的にかもし出されていることを考慮しておかねばならない。 そ の音 楽の何 に こ そ 感動 す る のか、 どこ に発 表 する ため に、 何 か ら 解 放す るの か が自 覚さ れ て い な け. ればならないだろう。 この自覚のないところに感動主義・解放主義の誤りがある。. 「音楽 には 自 己の 悲 しみ も喜 びも 単に一 人 だ けで な く、 た くさ ん の仲間 と い っ しよ に なっ て よろ こびあい 慰 め 合 い力 づ け合 い は げま し合 う ため に こそ 存在 の 価値 があ る の であ っ て、 人 間 を 不 正 な. 戦争にかり出す為のもの (「君 が代」 はそうであった) であるなら、 人民にとっ て何の必要があろ うか⑱」 という主張は重要であり、 傾聴しなければならない。 しかしだからとてまた、 シラー的方 法による音楽への政治的思想の持ち込みは性急な政治主義として批判されなければならない。 それ は戦前の手段的音楽教育の裏がえしにすぎないからである。 第1 2次教研集会で⑲、 山形が 「折鶴胸 に」 をうたっ て平和行進をした実践の報告 で、 そのことにより 「平和」 「社会の動き」 などに対す る積極的な考え方が生まれてきたという主張に対 して、 音楽にこのような効果を期待することは、 はた し て 妥 当 か、 と い うこ と が 問 題に な っ た。 社 会の 動き や 平和 の問 題 を 正 しく 把 握す る に は、 や. はり他の教科で社会科学をしっかり学習す ることであり、 音楽教科の他の教科との一貫した関連性. が必要なのである。 また全面発達をめ ざす教育のなかでの音楽の役割から、 労働の歌をとりあげる. べ きで は ない かと い う 大阪 の強 調 に対 して、 三 重 が 「音楽 でも っ て 何か を 指導 し よう とす ること は、. かって戦争に音楽が利用されたような非常に悲しい過去を思い浮べることによって も、 やめなけれ ばい けない ので は な かろ う か」 とい っ た 批判 は 正 しい。 「子 ど もたち は 生 ま れ て か ら学 校 へ 入 る ま で のあい だに、 自分 のまわ りで、 な りひ び く音楽 をき. き、 それを自分の声で 再現する能力をある程度まで獲得することができる。 これは、 いわば自然成 長的である。 学校の音楽教育はこれをそのまま延長させればいいかというとそうではない。 無意識. のうちに獲得してきた能力をさらに発達させ、 音楽により深く感動する能力 を獲得させるには、 系 統的な指導が必要と なってくる。 」 それには 「第一と して、 子どもの音楽活 動をゆたかにしていく ために、 子どもの潜在的能力を十分にひきだして、 歌唱・器楽・鑑賞などの指導をすすめる。 第二 として、 音楽活動をおこなうための基礎能力を子どもの発達に即 して系統的に指導する」 のでなけ ればな らない ⑳。 ま た 他面 で は、 子 ども た ち が親 しみ か つ身 近 か に感 じてい る マ ス ・コ ミ 音 楽 をも. 教師は暖かく見つめ大切にしてやる姿勢で、 何よりも彼らが本当に生命を燃焼させて歌える教材を 選び与えることこそ、 教師に課せられた重要な課題である⑪。 すなわち、 一面では子どものうたう. 意欲をもりあげるための 「歌の本」 としての歌曲集的教科書が、 他面では、 音をしっ かりと身につ けさせるための教則 本的教科書が必要となるのであろう⑫。 環境にもと づく子どもたちの音楽に対するおのずからなる感動とそれを質的に高めるための系統 的技術指導とは、 それ ぞれ独自のものでありながら、 音楽教育の目的に向っ て弁証法的に媒介され な ければ なら ないで あ ろう。. 2. 音楽における民族性の問題 (わ らべうた音組成). 1960 年に入った段階で、 日本の伝統音楽=古典音楽をどう考えるかが問題になり出している。. た だ古く から あ る も の を、 歌 唱 教 材 に して みたり、 .鑑 賞 教 材 に してい るだけ で、 こ れを 科 学 的 に考. 察し、 分解して、 音楽教育の実際のなかにどう生かしていくかということ、 単に音楽の技術をやさ しく身につける方法と してだけ考え出したのでなく、 将来の日本音楽の樹立の基礎にもなるものと に リ.

(7) . 広川正治:美的教育のための音楽の一考察 ⑳ して、 伝 統 音 楽 が問題 にな う て い る 。 子 ども の 歌 は、 「日 本 語 か らは じ まる、 日本 語 のく ち ず さみ か ら は じ まる。 」 こ のこ と は き わめ. て 重要 で あ る。 わ が 国 の 「わ らべ う た」 ・は ま さ に そう い う ものと し て 伝 承 さ れ てき た も の で あ る。. ど の 国 の子 ど も の 歌 も そ う であ る よ うに、 そ れ ぞ れの国 語の、 民族 語の もつ 語 感、 そ のリ ズ ム、 さ. ら にイ ン トネ ーシ ョ ンな どが、 独特 の 民族 旋法、 音階 を 基 礎と し て 生ま れ た もの で あ る。 こ れ を音. 楽 教 育の 基 礎に しよ う と 主 張さ れ る よう に な っ た。 そ の こ と に よ っ て、 子 ど も は 非 常に やさ しく、. 「日本的」 というような漠然 しかも楽しく音 を身につけること ができ、 日本の音楽の特性を、 単に●. と した 情緒 的 な意 味 で なく、.具 体 的に、 科学 的 に 身に つ けていく。 そ れ を 基礎 に して だん だ ん と 洋 楽 の 音楽 系 には い っ て いく べ きだ▲ と いう こ と で あ っ た⑳。 現 代 の子 ども たち は、 種 々 雑多 な 音楽 (明 治 唱歌 の 五音 階、 ヨ ーロ ッ パ の 七音 階、 ジャ ズ 系 音 楽、 多 種 多 様 な コ マ ーシ ャル 音楽) に 取 り ま か れ、 しか もそ れに 打ち 勝 っ た り、 打 ち 負か され たり し て い る が、 そ の 雑多 な 音 楽 の渦 巻 き を、 彼ら の 生命 の 原 動 力 と して 生 き て いる の で あ る。 こ の生 き た. 現代を無視しては正しい教育はできない⑳。 明治以来戦前の音楽教育では、 和洋両楽を折衷したい. わ ゆ る 「ヨ ナ 抜 き 五 音 音 階」 を日 本 の 国 楽 の 基礎 音階 と し、 さ ら に ヨ ーロ ッ パ の七 音 音 階 が入 う て、. つい に 日 本 人 に対 す る 日 本 音楽 の 教育 と い う も のは なく なっ て しま っ た。 また 学校 唱 歌 を 子 ども た ちに い ろ い ろ 工夫 し て 一 生 懸 命 に 教 え て み ても、 なか な かうた い た がら ないと い う 多 く の教 室に あ. る事実をどう考えるか。 子どもたちが共感することなしには心からうたうということはありえない。 もまた質を高めるためには技術指導は不可欠であるd それに比較音楽の研究により、 日本の伝 しか- 統 の音 楽 の 構造 が明 ら かに され て き たとい う こと もあ い ま っ て‐ 「わ らべ う た」 に 着 眼 す る よ う に. なっ た⑳。 伝統を大事にするということは、 こう した現状を克服して一 あくまでも現代を創造する ため で なけ れば な らな い。 そ のた め には ま た当 然、 音 楽 教 育 の 目的 に照 して、 現 実 をき び しく み つ. めると同時に、 伝統音楽に対 してもきびしい批判的選択が必要になるであろう。 こうした要求から、 さきほどの二本建て指導を 「わらべうた」 によっ て統一的に媒介しようとした試みが 「わらべう .た 音組成」 であった。. 「子 ど もは、 リ ズ ム に の っ て進 ん で いる。 リ ズ ム を意 識 してい る のでは な ,く、 本 来 子 ど も の なか. に リ ズ ム が 潜在 してい る の で ある。 身体 の動 きを 通 して、 表 現 さ れ、 遊 び の歌 に伴 っ て反 応 してい る。 こ の 遊 び のな か には、 日本 古 来 の わ ら べ 歌 が非常 に多 い ⑳」 と いう よ うに、 子 どもの 遊 び に 着. 眼する。 「友だちをよぶ時になにげなく口に出る言葉、 また算数の時に、 かけ 算の九・九をと なえ る場合、 そろばんのよみあげ算等⑩」 これらに は日本人独特の音感があらわ れていることに気づく。 こ の こと は 日本 人 の音 楽 を 考 え る場 合 に は み の がす こと ので き な い 重要 な点 で ある。 文学 が文 字 か. ら 文 学 へ の う つ り の 底 に、 流 れ動 き 脈う つ 芸 術性 を 湛え て い る よう に、 音楽 で は、 ど のよう に音 の. ・か、 つ ま り 日 本語 に 伴う 音 か ら音 流 れそ の も のの生 命 が 語 る日 本 ら しい もの に 成 熟さ せ られて いく へ の 流 れが つ く り 出 す もの に、 ど の よ う に 日 本 ら しさ が表 現さ れる か が 問 わ れ なけ れ ば な らな い ⑳。. 子どものもっとも自然な音楽的表現は、 その子どもが習得する言語の音楽性に強く規制され、 しか. も 彼ら のは や しこ と ばや よ び か け の こと ば な どの も っ て い る 旋 律的 構造、 こ の日 本 語 のも っ て い る リ ズ ム、 イ ン トネ ーシ ョ ンに 全く 一 致 して い る の が 「わ らべ う た」 で あ る。. 歌 に は 音 程と リ ズム が 基 本的 に あ る。 そ れには こ と ばが つ い て い る。 歌は こ と ば と 旋 律 と が密 着 して い る と こ ろ に 歌 と して の 存在 価 値 があ る と い っ て よ い。 しか し 旋律 を音 と して 確認す る と き に. は、 こ と ば と切 り離 し ては じめ て、 音 と して 認 識さ れ や すく なり、 こ と ば を伴 っ てい る場 合に は、 音と し て の 認識 が 瞬 昧に な っ て く る。 子 ども た ちは、 ソル フ ェ ー ジ の中 の二 音 旋律の 典 型 で あ る 除こ こ たこ あ が れ」 ,を 何 回 うた っ ても、 そ れ が 「ラ ン ラン ラ ラ ラ」 と な っ て い るこ と に 気 づ か な い場 合 6.

(8) . 広川正治:美的教育のための音楽の-考察 が多 い。 わ らべ う た の場合、 こ と ばと 旋 律 と が密 着 しす ぎ てい る た め に、 音 と・して の 確 認 がで きに. く い の であ る。 だか ら 「ラン ラン ラ ラ ラ」 の よう に、 音 そ のも の と して 出さ れ ると、 子 ども た ちは‐ どこ かで 聞い たよ う な旋律 だと い う こ と に は なる が、 そ れ が 「たこ たこ あ が れ」 だと は 気 づか ない. こと が多 い。 歌 の旋 律 から↓ 歌 の もっ てい るイ メ ー ジ そ のも の を 階名と して 歌 う こ と はで きる。 し か し それは 階名 と い う こと ばを つけ た歌 と な っ てう た わ れ る 場合 が 多い。 そ こ で、 こと ば と旋 律と. を分離すr ることから出発することが、 音を確立する第一歩となる。 現行教科書では、 歌曲のなかか. ら一 つ の パ タ ー ンを と り 出 して、 そ れ を ドリル して‐ 音 を身 に つ け させ よ う と し て い る。 こ れ では、. あく ま で 歌 曲の 一部 分 と し て のイ メ ージか らぬ け だす こ と が でき な い。 そ こ で、 日 本 の子 ども た ち に 音 を し っ か り身 に つ けさ せ る た め に、 わ らべ 歌 そ の も の と は切 り 離 して、 しか しわ らべ 歌 の 音組 成にも と づい た ソル フ ェ ー ジ を つく ると い う こ と な の で あ る。 こ れ が 「わ らべ う た 音 組 成」 である⑳。 「わ ら べ う た 音 組 成 によ る ソル フ・ ェ ー ジ化」 の 重要 性 は、 第 一 に、 音楽 と こと ば の結 びつ きと い う 音楽 にと っ て 根 源 的 な力 に 支 え られ て ,い る こ とで あ り、 第 二 に、 子ど も生 活 に根 ざし た 遊び. う. たうこと、 そして聞くこと を中心においた豊かな民族の音楽的追体験の蓄積が必要であるというこ とで あ る。. わらべうたを音楽教育の出発点とするということは、 「日本の子 どものも っている潜在的な音楽. 能力」 を 認 め、 自覚 さ せ、 そ れ を 可能 なか ぎり の ば し て い こ う● と い う こと で あ り、 こ の よう な 実 践. こそが 「民族のす ぐれた遺産」 をうけつぎ、 「日本の音楽文化をもっとも基礎のところから充実さ. せ‐」 新しい民族音楽を創造す るという点に重点がある のであって、 決して単にわらべ歌から入れ ′容易に音楽が身につき、 音楽の授業が生き生きしてくるから、 という安易な便宜主義からではな ば いこ と を注 意 しな け れ ばな ら な い ⑳。. 日本 音 楽 のと らえ 方 に関す る 討論 の な か で 確認さ れ た基 本 点は、 第 一 に、 日 本 の子 ど も た ちは、. そして教える側の教師自身も、 伝統をもった自然な音楽環境によって無意識のうちにわらべ歌一 ま. たは わ らべ 歌的 な音 楽 感覚 を身 につ け て 育 っ てき てい るこ と、 第 二 に、 明 治 以来 の 音楽 教 育 の 致命 的な 誤り は、 そ れを 無 視 し て西 洋 音楽 的 なも の を押 し つ けたこ と で あ・っ て、 新 しい 音楽 教 育は、 ま. ずその伝統的な感覚を自覚化することから始めねばならないこと、 第三に、 日本の伝統音楽は、 音 階・ リ ズム ・旋 律法 な ど各 要素 の も っと も基 本 的な部 分 に おい ては 一定 の性質 をも っ てき た が、 一. 方、 過去においても、 外来の音楽文化からさまざまな要素を摂取し、 それらを日本化して定着させ 豊か に し て き たこ と、 第四 に、 こ う した こ とか らも 裏 づ け ら れる よ う に、 こ れ ら の 音 楽 教育 はわ ら. べ歌から出発し、 その伝統的な音楽感覚を芸術的に洗練していくと同時に、 民謡や民俗芸能の音楽 などをはじめとする伝統音楽の他のジャンルや、 他のさまざまな 民族音楽や西洋音 楽なども倉欲に、. しか し系 統 的に 豊か に して い く 必要 があ るこ と、 第 五 に‐ そ う した 結果と して、 ま たそ の過 程 で、 伝 統 の発 展と して の 新 しい 民族 的な音 楽 が創 造さ れ てい か ね ばな ら な いと い うこ と、 な どで あ っ た ⑩. 3 歌唱指導の問題. 音楽の中核は歌うことである。 音楽活動の中心は歌 唱教育である⑫。 歌は人類の原始から今日に. いた る ま で、 人間 の 音 楽表 現 の 基盤 で あり、 ま たも,っ と も 一 般 的 な ものと して 伝わ っ て き て い るか らで あ る。 「音 楽は 特 殊 な 話 語 で あ る」 (ロ シア の作 曲家 ァ .エヌ .セ ロ フ ⑳) と い い、 「声 楽は、 旋 律 を発 声す る の で は なく、 言 葉 を語 る かわ りに 歌う の であ る。 話 の生命 が伝 わ ら ぬ声 楽は、 どん なに美 しく 歌 わ れ て も それ は 芸 術で は なく て技 術 であ る」 (フ ラ ンス の 作 曲家 シャル ル ・ ケク ラ ン. ⑭) といわれる 子 どもの成長過程のなかでの歌唱の位置も同様である ⑮ 「わらべ歌や民謡は 。 。 、 日本民族の生命力をもっとも深く内包 している点でも、 教材と して十分に活用される質をもってい る の であ る ⑳。 」. ヮ f.

(9) . 広川正治:美的教育のための音楽の一考察. すでにみたように、 日本の音楽文化が、 日本の伝統の正しい継承の上にのみその健全な発展を保 障されるとすれば、 それを担うべき子 どもたちには、 何よりもまず、 日本民族の生活から生まれた 民謡や、 日本の子ども たちの生活の中に歌われているわらべ歌を豊かに追体験させる必要がある。 しかるに現行教科書の歌唱教材では、.日本民謡は′ J ・・中学校とも1 0%未満 であり、 西洋・アメ リカ などの民謡 が小学校で2 8%、 中学校では3 7%以上を占めている。 民族の真の独立が国民的課題とな っ て いる 今 日、 こ のよ う な 傾 向は 音楽 文 化 の 無国 籍化 と して 批判 さ れな け れば な ら ない ⑰。 西 へ の. み偏向してきた過去1 0年の西洋偏向に対 して、 もちろん排外主義によるのでは なく、 大きな反省を する こ とが 必要 で は な い だ ろ う か。 子 ども の 音 楽 教育 に おい て、 日 本人 が 心 情 の内側 に伝 え 育て 、. て き た も の、 しかも と かく 忘 れ去 り、 棄 て 去 り がち なも の を考 え な おして み る こ とが、 西 洋 の文 化. を 吸 収 す る た めに も、 はた し て妨 げに なる で あ ろう か。 正し く 民族 的 であ る とい う こ とは 決 し て 、. 国際性を否定すること にならないのはいうまでもない⑩。 民謡は本来芸術音楽の母体である 子ど 。 もたちのわらべ歌をも含めて、 民謡は田や畑での労働、 山や海での労働から生 まれた。 生産労働の なか から、 祝 い 事 や 遊 び から、 働 く 民 衆に よ っ て歌 が 生 み出 され た ので あ る ⑳ に も かか わ らず 。 、. 現行教科書には日本および外国の民謡ともに、 この面が軽視されていて、 労働の歌、 生活の苦しみ. や 悲 しみ、 喜びを う た っ たも の が 少い ⑰。 そ の 点 で、 1950 年以 後発 達 し てき た わ が国 の 「う た ご. え運動」 に期待するところ大であるが、 しかし現在ま ではその音楽性は必ずしも高いとはいえない. よ う で ある。 「そ の革 新 性 は 歌詞 の内容 だ けで あ っ て、 新 しい 音 楽 を 作り 出 し てい ない ばかり か 、. うた ごえ運動が流行歌を批判しながら発展した一面があるため、 流行歌と対立する唱歌調 に近い感 じを与えるものすらある⑲」 といわれるように、 「音楽上の革新性」 というか‐ 「音楽そのものの 革新性」 が乏しい。 この点は今後に期待されなけ ればならない。 子どもの歌う意欲をよび起し、 子 ども の音楽的可能性をひき出すものは・ 教師の技術であるよりは教材の質である。 子どもたちをそ の曲に引きずり込むよ うな 「曲のきびしさ」 をもつもの、 芸術的な形象の豊かな教 材を選択する必 要 があ り、 また こ れ か ら、 そ う し た 教材 を創 造 し てい か ね ばな ら ない だ ろう。. 4. 器楽指導の問題と指導の集 団化. 器楽は 「歌唱の発展のための芸術教育」 である。 「歌唱教育を充実しないで、 よい器楽演奏がな. い」 とい わ れ、 専 門家 の器 楽 演奏 に さえ、. 「あの 人 は よく う た う」 と か、 「あ の人 の演奏 に 歌 がな. い」 などといわれるよ うに⑪、 とく に音楽教育と しては、 歌唱指導の発展と して器楽指導 があり、 歌唱指導から遊離した器楽指導は、 いわゆる技術主義 に堕する危険性をもつであろう。 その点でい わゆる 「音楽教師」 とりわけ専科の教師はなまじ専門的知識・技術をもっているところから、 逆に 自信過剰とな● っ て非教育的な実践をする結果になることが少くない。 たと えば、 器楽に親しませる ためにできるかぎり機会を利用 して演奏するとして、 朝礼の国旗掲揚のさいに 「君が代」 を演奏さ せたり、 またクラブ活動と しておこなわれている吹奏楽部が皇太子御成婚祝賀パ レー ドや国民体育 大会開会式に参加し たりするのである⑲。. 器楽教育は歌唱教育を中心と しつつ、 より広い音の世界 に子 どもを導くために必要なの である。 だから歌唱と器楽は同 じ平面の上に並列されるものでは なく、 歌唱を中軸としての器楽教育の意義. が考えられなけ ればならないのである。 学校の音楽教育 では、 何よりもまず、 歌唱教育を基本的な ものと して充実させることが大切 であろう⑮。 第1 0次教研集会で、 旋律楽器と してのハーモニカ の使用が問題になった。 演奏の操作が簡単であ る こと、 値 段 も安い こと で 使用 す るこ と に賛 成 のむ きも ない わ けで は な か っ た が、 一 般 的 な意 見と. して は、 音 質が 悪く、 不 協 和 音 に な り が ちで あ る こと で、 全体 と しては、 使う こ とに 反対 であ っ た が、 使 うと して も あく ま でも 導入 的な 意 味 で、 ほ ん の一 時期 に かぎ る べき であ ると い う こと であ っ 8.

(10) . 広川正治:美的教育のための音楽の一考察. た◎。 第1 8次教研集会で、 青森は 器楽指導の構想を、( 1 )単純から複雑へ、{ 2 }歌から器楽へ、{ 3 )ひびきの ⑭ という指導の実践を報告してい 「ひびきの自覚化 「 自覚化、 る 。 」 というのは、 和声学の学習を . 要求することではなく、 旋律を支え‐ 旋律に一定の表情を与える、 つまり音楽の表情を自覚的にと らえる、 そうした子どもを育てること」 を意味する。 こ れは器楽指導の系統的指導の手がかりを与 えるものであると同時に、 この方向は、 合唱指導の系統的な指導にも役立つであろう。 単純な和声. か ら豊 か な 和声 に 変化す るこ とで、 音楽 の 内 容や 質 の違い がわ かる よ うに発 展さ せる べき であ ろ う。. 人格の全面的発達をめざす教育はすべてそうであるけれども、 音楽教育においても、 音楽的表現 の質を高めるためには、 指導を集団的に組織化することが大切である。 それが合唱指導であり、 合 奏指導である。 「合唱こそ音楽教育の根幹である⑮」 といわれるのはそのためである。 授業で学級. 集団を組織して指導することによっ て、 その集団がさらに民主的・自治的に組織されることによっ て、 単に曲’を仕上げるため 根 気 づよく な り、 訓 練を積むだけでは ない。 集団的な相互援助、 相互. 批判が働いて、 音楽に立ち向う意欲をわきあがらせ、 音楽する力を倍加するのである。 民主的・自 治的学級集団のなかでは、 集団討議と相互啓発によって、 技術的に未 熟なものも、 その能力差を克. 服し、 一人 の脱落者もなく成長していく のである。 これはまた偏っ た技術主義の誤りをも克服する 力となるであろう⑲。. 5. 鑑賞と創作の問題. 音楽で は、 絵 の場 合 の ように、 子 どもの 心 のな かのイ メ ー ジをそ のま ま 創 作と して表 現 す る面 は. 少ないし、 また子どもの認識対象がいついかなるときも、 子どもの周辺に自然の具体物と して存在. し てい る わ け で は ない。 つ まり、 技 術 性・ 法則 性 をも っ た音 楽 を 外 部か ら与 え ら れ るこ と に よ っ て. 認識の対象が与えられることが多いのである⑰。 ここに教育における鑑賞の重要性がある。 鑑賞する には、 創作者の立場に立ってみることができなければな らない。 芸術的表現である作品 を自分に翻訳して理解することができなければならない。 音楽作品を翻訳して理解することができ るためには、 子どもたちに音楽を芸術として理解させる教育技術が不可欠である。 他の教科に比べ. て芸術、 とくに音楽には自ら感じとらねばならない分野が多いのであるが、 だからこそ音楽的に優 れた教材を意図的に与えていくことが必要である。 この点でも音楽活動の中心である歌唱教育が重 視されなければならないだろう⑳。 鑑賞といえども、 創作者の立場に立っ てみる積極的な自発性なし には成り立たない。 子 どもの音 楽へ の反 応 は、 自分 を表出す るこ と によ っ て 成 立す る の であ る。 鑑 賞 は創 作へ と媒介さ れる。 そ こ. に美的教育がある。 したがって創作のためにも、 子どもたちのうちに感動をよびさますようなすぐ れた音楽を与え、 豊かな音を追体験さ せ、 それを蓄積させねばなら ない。 文部省の 「学習指導要領」 では創 作の領域があるが、 そこで要求されている 内容は実際には 空文. 化 し て いる。 こ れ まで の 教研集 会 のな か で も 「創作」 に たい し ては ほと ん どと りあ げら れて い ない。. 創作を義務教育のなかで指導すること 自体無理なのでは ないか。 わずか一週間二時間の授業で生徒. にそ んな力 がつく わけ が ない し、 創 作 の ため に は そ れに 何百 倍 す る蓄 積 が必要 なの であ る。 だか ら、 創 作 に到 達 でき な いで、 結 局は 視 唱力 や 記 譜力 の訓練 の 段 階に と どま っ て いる とい っ て よい ⑳。. 義務教育 において大切ばと とは、 上手に作曲すること にあるのではなく、 それに必要な基礎的技 術の習得に ある。 すなわち、 視唱力、 フ レーズ感‐ 和音感、 それに習得した歌 唱、 器楽、 鑑賞の諸 能力を消化 して、 それを再構成する能力とそれを記譜する力である。 そのなかで創造的意欲の芽を こ そ大 切に し、 の ばす こ と であ る。 美 しいメ ロ ディ ーを 生み だ す 根 源は 歌 唱 や 器楽や 鑑賞 にお け る. 音楽的追体験の蓄積である⑳。. 9.

(11) . 広川正治:美的教育のための音楽の-考察. 6 音楽教材選択の問題 第19次教 研 集 会 で、 山 梨 の と り あ げた ハ レル ヤ は、 第18次で 「子 ども が ひ らけて いく 展 望 のあ る. 曲」 と して、 群 馬 が 選 択 して い る 曲 の一 つ で あ っ たが、 芸 術性 の 高 いも の を歌い終 え た 感 動 を 重視. す る の は、 「よ り 高 い 感動、 困 難を のり こ え て こ そ、 子 ども が変 わ り、 つ ぎに はさら に高 い も のを. 求 め てく る」 と い っ た 群馬 の主 張 を 実践 したも の であ っ た。 そ こ で 第18次に お ける 「教 材 の質 が子. ども の質 よ り高く な け れ ば な らな い。 子 どもと 教 材は 密 着 し ては い け ない。 ひ ら きがな け れば い け ない。 す ぐ れた 授業 は、 接点 をつく り だ し、 接 点 を のり こ えよ うと する と き、 子 ども たち は ひ らか れて ゆく」 と い う と き の群 馬 の 提 示す る 「のり こ え る べ き ひらき」 が問 題 に なっ た。 つ まり‐ この 「ひ ら き」 は文 部 省 の と り あ げ る 曲と 子 どもと の 距離と どう違う の か、 と いう 点 が 問わ れ てい る の. である。 詳しく論ずる余裕がないが、 結論的にいえば、 文部省の 「距離」 は本質的には子 どもを国. の主 人 に育 て る教育 と 臣 民 に 育 て る 教育 と の 距離 で あ る。 そ れ に対 して、 群 馬 の主 張す る 「ひ ら き」. は、 いわば集団主義教育の 「危険負担」 であろう。 子どもの学習上の努力目標は当然のことながら 子 ども の 成 長 の科学 的・ 自主 的路 線 上 で の 一 歩 前 で な けれ ば な らない の であ っ て、 子 ども べ っ たり. き」 が な けれ で あ っ て は ならない。 よ り 価 値的 な 努力 目 標と して、 子 ども の現 実 段階 か らは 「ひ ら・. ばならないのである。 子どもたちが主権者と して幸福に成長していく方向での子どもの気持ちや心. の、 さ ら に は思 想の、 よ り 高い、 より 価値 的 な表 現 であ ればこ そ、 そ れ を努 力 して歌 うこ とに よ っ て、 子 どもた ち の 心 や 思想 が さ ら に 高く 洗 練 さ れ ていく の で あ る。 民 主的 に組 織さ れた 集 団 が、 真 にそ の 心 を高 く 歌 い あ げる に 耐 え る 歌を、 子 ども たち の 心 の奥 底 を ゆさぶ り、 深くく い こ ん で いく よう な歌 を、 厳 選 し て 教 え なけ れ ばな らな いと 考え る⑲。. 教研集会で確認されてきた教材選択の具体的視点を併列すれば. イ、 日 本語 の美 しさ を生 か し た 歌 ロ、 メ ロ デ ィ ーと 語感 と がと げあ っ た 歌 ハ、 子 ども の好 む 曲 で あ る こ と ニ、 詩 の ある 歌 詞 で あ る こと ホ、 い つ も 新 しい 音 の 世界 を 感 じさ せ る よ う な 曲で あ る こと. へ、 芸術的な表現技術を要求する曲であること. ト‐ 集団 で 歌 う に 耐 え る 曲 であ るこ と チ、 新 しい 生活 へ の意 欲 を感 じさ せる よ う な 曲で あ る こ と. り、 感動的な曲. ヌ、 男 子も エネ ル ギ ー のわ い てく る 曲. ル、 子どもたちの生活感情と密着した曲 な どで あ る ⑱。 参 考 と すべ き であ ろう。. (註) 1 , 「現代教育学」 , 「芸術と教育」 岩波書店, 19 60,35~37ペー ジ参照 2 , 同 上, 2 2 7, 2 2 8 ペ ー ジ C 3 5巻1 号の拙稿参照 , 本紀要, 第一部, , 第2 北条元一著 4 「 」 1 70ページ参照 芸術とは何か , 5 , 同上, 1 7 3, 1 7 4ページ参照 6 , 「現代教育学」 8, 「芸術と 教育」 28 8, 2 89ペー ジ参 照 7 5巻1号の拙稿参照 , 昭和33年版学習指導要領の性格については、 本紀要, 第一部, C, 第2 3 ペ 8 「日本 第9集 184 ージ参照 」 国土社 日教組編 18 の教育 . 以下 「日本の教育」 の場合は集 , , , , のみを示す。 9 0ペー ジ参照。 , 「現代教育学」 8, 「芸術と 教育」3 10.

(12) . 広川正治:美的教育のための音楽の一考察 1 0, 第13集, 164ページ参 照 1 1, 「マルクス・ レーニン主義美学の基礎」 ソ連邦科学アカデミャ哲学研究所・ せ術史研究所編, 196 0, c t p. 5 0 3, 12, 第1 3集, 165ページ, 第15集, 161ペー ジ, 第1 6集, 165ページ参照 3, 第6集, 2 9 9ページ参照, 1 1 4, 同上, 301ペー ジ参照 15 , 同上, 299 ペ ー ジ 1 6, 第1 1集, 16 3 ペ ー ジ 17, 第9 集, 186ページ参照 1 8, 同上, 1 8 7 ペ ー ジ 19, 第1 2集, 155ページ参照 2 4集, 15 0, 15 1 ペ ー ジ, 第16集, 1 57ページ, 第1 0, 第1 3集, 1 66 ページ参 照 2 4集, 152ページ参照 1, 第1 22, 第1 1集, 17 1, 1 7 2ページ参照 2 3, 同上, 165ペー ジ参照 塾, 同上, 166ペー ジ参照 2 5, 同上, 168ページ参照 26 4集, 150ページ参照 , 第1 27, 第12集, 15 9 ペー ジ 2 8, 「文化評論」′ 7 4年7月 号,7 5ページ, 小宮多美江論文参照 2 9, 第12集, 160, 161ページ参照 30, 第16集, 162ページ, 第17集, 169ペー ジ参照 31, 第17集, 17 0ページ参照 32, 第15集, 156ページ参照 33 。 , 「マルクス・ レーニン主義美学の基礎」 Ctp.502 3 4, 第7集, 23 9 ペ ー ジ 35 0集, 213ページ参照 , 第1 3 6, 「現代教育学」 8, 「芸術と教育」 2 5 2 ペ ー ジ 37 , 第15集, 151ペー ジ参照 3 8, 第6集, 30 2, 30 3ページ参照 39, 江口亨著 「世界の音楽史」 159, 160ページ参照 40, 第1 5集, 15 3 ペ ー ジ 4 1, 「現代教育学」 8, 「芸術と教育」 2 6 0 ペ ー ジ 42 , 第9集, 188ページ参照 43 , 第10集, 209ページ参照 8集, 196ページ参照 44, 第1 45 第 1 , 6集, 16 3 ペ ー ジ 4 6, 第1 5集, 163 ページ, 第1 6集, 165ペー ジ参 照 47 , 「現代教育学」 8, 「芸術と教育」 241ペー ジ参照 4 7集, 177ページ, 第1 8, 第1 8集, 199ペー ジ参照 4 9, 第1 4集, 162ページ, 第17集, 178ペー ジ参照 0, 第1 5 9集, 206~ 209ページ参照 5 1, 同上, 209ペー ジ参 照. (本学教授. 函館分校). 1 1.

(13)

参照

関連したドキュメント

状態を指しているが、本来の意味を知り、それを重ね合わせる事に依って痛さの質が具体的に実感として理解できるのである。また、他動詞との使い方の区別を一応明確にした上で、その意味「悪事や欠点などを

状態を指しているが、本来の意味を知り、それを重ね合わせる事に依って痛さの質が具体的に実感として理解できるのである。また、他動詞との使い方の区別を一応明確にした上で、その意味「悪事や欠点などを

歌雄は、 等曲を国民に普及させるため、 1908年にヴァイオリン合奏用の 箪曲五線譜を刊行し、 自らが役員を務める「当道音楽会」において、

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

などに名を残す数学者であるが、「ガロア理論 (Galois theory)」の教科書を

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

 ライフ・プランニング・センターは「真の健康とは何