台湾をサイクル・パラダイスに -- 劉金標ジャイア
ント会長 (特集 経済・政治・社会の発展における
企業家・経営者の役割)
著者
佐藤 幸人
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
201
ページ
6-7
発行年
2012-06
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003946
劉金標が創立した世界的な自転 車メーカーのジャイアントは︵中 国語名は巨大機械工業︶ 、台湾企 業にとって理想的な発展パターン を実現した企業である。台湾企業 の際立った特徴は、OEMなどの 受託事業を得意としていることで ある。そして、受託事業を通して 能力を蓄積することによって、自 社ブランド事業への途が啓けるだ ろうという期待があった。 しかし、 その期待を現実のものとしたケー スは少ない。ジャイアントはその 数 少 な い 企 業 の ひ と つ で あ る 。 ジャイアントはさらに、Aチーム というコンソーシアムの設立や 、 台湾における自転車文化の普及と いった、台湾企業にとっては未踏 の課題に挑んだ。その過程で劉が 見せた姿勢は、きわめて包容力に 富んでいた。自社の利益を追求し ながら、ライバル企業を含む業界 全体の発展や、社会への貢献をも 包み込むように、課題の回答を見 出していったのである。本稿では 二〇一二年二月二七日に行ったイ ンタビューに基づきながら、ジャ イアントの発展とその背後にあっ た劉 の 思 考 に アプ ロ ー チ し て み た い。
●
OEM
から自社ブランドへ
の進化
ジャイアントはOEMからス タートし、その後、自社ブランド 事業に乗り出した。中国に進出す るとともに、台湾において製品の 高級化を進めた。 輸出が主体だが、 台湾における自転車の普及活動に も取り組んでいる。企業としてな すべきことをなしてきたプロセス にみえる。しかし、実際には一面 では状況に迫られ、一面では劉ら 経 営 者 の ビジ ョ ン に導かれ て い た。 劉は一九七二年、ジャイアント を設立した。ジャイアントが飛躍 のきっかけをつかんだのは、アメ リカのトップメーカーであった シュイン社からのOEMの受注で ある。間もなくシュイン社のアメ リカの自社工場は相次いで閉鎖さ れ、ジャイアントへの発注は増加 の一途をたどった。それはジャイ アントの成長をもたらしたが、同 時にシュイン社が発注先を変えた 場合、存亡の危機に陥るというリ スクを抱えていることを、劉らは 理解していた。劉らの懸念は不幸 にも的中した。シュイン社は香港 資本と組んで、中国で生産するこ とを計画したのである。この危機 への対応策のひとつが 、 自 社 ブ ラ ンド 路 線 だ っ た。 このように、ジャイアントの自 社ブランド事業への展開は、予め 十分な準備がなされていたわけで はなかった 。劉は ﹁後になって 、 あなた方ジャイアントはすごい 、 壮大な志と大きな戦略を持ってい たという人がいます。しかし、そ うではありません。そうせざるを 得なかったのです。ほかに進む途 がなかったのです﹂と説明してい る。実際、ジャイアントの自社ブ ランド事業は多くの困難に直面す ることになったが、徐々に軌道に 乗っていった。●
A
チームという革新
多くの台湾の産業と同様、自転 車産業でも一九八〇年代後半から 中国へのシフトが進行した。ジャ イアントも一九九二年に江蘇省昆 山に進出することを決定し、その 後 、中国の事業を拡大している 。 こうした結果、台湾の自転車産業 は空洞化の危機を迎えることに なった。 ジャイアントは製品のレベル アップによって危機を乗り越えよ うとした。しかも、劉は業界全体 として危機を克服しようとした 。 そのために組織されたコンソーシ アムがAチームである。メンバー はジャイアントおよびジャイアン トと並ぶ自転車メーカーのメリダ ︵美利達工業︶ 、そして志を同じく する部品メーカーである。はじめ に話し合ったことは、何を中国に 任せてしまうかだった。こうして 時間とリソースの余裕を生み出す と、それを使ってハイエンドの製 品をつくる能力を獲得していっ た。Aチーム結成前と比べて、現 在の台湾の自転車の輸出単価は四 倍になっている。ジャイアント自 身は、高級自転車のブランドとし て、世界的に知られている。 劉が業界全体としての高度化を 経 済・政 治・社 会 の 発 展 に お け る 企 業 家・経 営 者 の 役 割佐藤
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アジ研ワールド・トレンド No.201 (2012. 6)目指したのは、一面においてそれ が自社にとっても有利だったから である。劉が中国にはない台湾の 優位性として考えたのは豊富な人 材、国際的な取引のノウハウ、部 品産業の基盤、そして政府や銀行 のサポートだった。その多くは業 界に備わっている 。したがって 、 産業全体の生き残りを図ること は、ジャイアントの生き残りの手 段という側面を持っていた。 しかし、劉の構想において、台 湾 の 自 転 車 産 業 を 守 る こ と は 、 ジャイアントの存続と並ぶ重要な 目的だったとみるべきである。そ れゆえ、劉はAチームの成功のた めに、ジャイアントの持つ製造現 場のノウハウをメンバーに公開す ることも惜しまなかった 。﹁ ︵ A チームは︶ なぜうまくいったのか。 なぜほかの業界はうまくいかない のか 。⋮実のところ 、そのとき 、 わたしたちジャイアントの払った 犠牲はとても大きかったのです﹂ と劉はいう。なぜ、そうまでして 業界の存続を図ろうとしたのか 。 劉はトップメーカーとしての使命 感だという 。﹁この産業 、自転車 産業の盛衰をですね、その成功と 失敗をですね 、わたしたちが背 負ったのです 。︵台湾の自転車産 業を︶守る責任をわしたちの肩に 担いだんです﹂と。