• 検索結果がありません。

ロシア外交・試論:地政治・アイデンティティ・パワー

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ロシア外交・試論:地政治・アイデンティティ・パワー"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

【特集 共通論題論⽂】 ロシア・東欧研究 第49号 2020年 62

ロシア外交・試論:地政治

(1)

・アイデンティティ・パワー

岩 下 明 裕 (北海道⼤学スラブ・ユーラシア研究センター教授)

Reconsidering Soviet and Russian Foreign Policy:

Geo-politics, Identity and Power

IWASHITA, Akihiro

Professor, Slavic-Eurasian Research Center, Hokkaido University

Abstract

This essay sheds light on Soviet and Russian Foreign Policy through use of the “critical geopolitical” concept of the “geo-code.” A state’s “geo-code” refers to the construction of narratives regarding its own space and history over time. Borrowing from Klaus Dodd’s ideal-type categories, which he uses to explain geo-coded narratives of British policy (“little England,” “cosmopolitan,” “European” and “American”), this paper proposes to utilize combinations of four ideal-type categories, “Atlantic/European,” “ethnic Russian,” “Eurasian” and “super power,” in order to analyze and explain Soviet and Russian foreign policy.

The first section applies the metaphor of a photograph to the memoirs of several foreign policy leaders: Andrei Gromyko and Eduard Shevardnadze in the Soviet-era; and Andrei Kozyrev, Evgenii Primakov and Serghei Ivanov in contemporary Russia. The paper shows how the composite image of Russia held by these individuals shaped the state’s foreign policy. It also stresses that different concepts of sovereignty have been sustained or reconstructed within Soviet/Russian international law theories in dialogue with changes in images held by the foreign policy leader.

The latter half of the paper further develops this theory in order to apply it to Putin’s current Russian foreign policy perception of Northeast Asia, and particularly

(1) 地政治(geo-politics)とは,国家と地理を所与とする伝統的地政学の枠組みを超え,統治性の観点か ら,⽣-権⼒のアナロジーで地-権⼒(geo-power)の実践や表象を分析しようとする新しい考え⽅であ る(『現代地政学事典』丸善,2020 年,401 ⾴(北川眞也執筆など))。これは⼀般にエリートや国家 中⼼の視座にたち,地理の絶対性を強調しがちな伝統的地政学を脱構築しようとする批判地政学から ⽣まれた考え⽅である。筆者は本稿において,このアプローチを主として「外交エリート」に焦点を あてつつも,権⼒が地理を前提に可変的に構築されるものとして分析を⾏った。地政治については, 「地政学ルネサンスを超えて:地理学と政治学の対話」『境界研究』11 号,2021 年も参照。なお,本 稿は注記した⽅々以外に,⾦成浩・琉球⼤学教授,川久保⽂紀・中央学院⼤学教授及びロシア・東欧 学会の編集部からコメントを頂いた。併せてお礼申し上げたい。

Keywords: geo-politics, geo-code, variability of geographic configuration,

(2)

of China and Japan. From the late Soviet period under Gorbachev to the early Russian period of Yeltsin, Japan was considered as one of the “rising” powers able to aid Russia’s political and economic transition, and it was widely recognized that the relationship would be facilitated by a peace treaty resolving the territorial issue between the two countries. However, following reconciliation between Russia and China, China became the more important partner for Russia, not only in Northeast Asia but also throughout Eurasia.

Following its disengagement with the West after the Ukraine crisis in 2014, Russia’s image of itself as close to “Europe” slipped, while that of the state as “ethnic Russian” and “Eurasian” that must become a “great power” to oppose the US was emphasized. This has meant that Japan is no longer an essential partner from the viewpoint of Russia’s dominant foreign policy images. In turn, the significance of China has increased and developed for Russia beyond the two countries historical “love-hate” relationship. Not only policy makers but also ordinary people look to China as Russia’s “No.1” partner, while the United States is its indefatigable “enemy.” There is no room for Japan in this picture while Japan remains so dependent on the US for security matters.

In the conclusion, the paper debunks the myths associated with “classical geopolitics,” which associate foreign policy solely with perceptions of state power and geography. It shows that a “geo-politics” which links the positivist and constructive approaches, and which seeks to account for various analytical scales—from micro to macro, below/beyond the state—can analyze foreign policy change more effectively.

は じ め に ロシア外交なるものについては,しばしば⼒の相関に応じた「膨張」を強調する本質主 義的な⾒⽅と,安全保障に対するパラノイアを主たる理由におく認識主義的な⾒⽅が対⽴ 的に置かれてきたように思われる(2)。これと結びつきながらも,パラレルに展開される議 論が,ロシア外交の対欧州,あるいは欧⽶中⼼の指向性について,反転させれば,ネガに あたるアジアとの結びの濃淡についてのものである。論者の多くはロシアの政治家や論者 などを整理して,それぞれの指向スペクトラムを抽出し,誰それは欧州指向,誰それはア ジア・シフトを強調,誰それは欧州でもアジアでもないユーラシア主義を代表するといっ た選択的な枠組みを⽤いて,ロシア⼤統領や外交指導部の⾔説を読み解こうとする。もち ろん,軍事協⼒,モノと⼈の移動,エネルギー問題などに関わるデータから,各側⾯を実 証主義的に測定しようとする分析も少なくはない(3)。いささか紋切り型に⾔えば,ロシア (2) これに関しては,岩下明裕「ソ連/ロシアの対中・対⽇外交から学ぶべき教訓」『国際政治』第 201 号,2020 年を参照。 (3) ⽊村汎,伊東孝之,横⼿慎⼆,斎藤元秀,松井弘明,⼩澤治⼦,中野潤三,兵頭慎治,加藤美保⼦ら 先⼈から尊敬する同僚たちの⼿による著名な労作の数々をここでわざわざ⽰す必要もなかろう。なお, 軍事専⾨家ではあるが.ロシアの「地政学」と外交について筆者と通じる問題意識を共有するものと しては,⼩泉悠『「帝国ロシア」の地政学:「勢⼒圏」で読むユーラシア』東京堂出版,2019 年を参 照。

(3)

外交を語る際の物差しは,ある意味で,似た枠組の繰り返しであり,時代と指導者の交替 を変数として,分析を積み重ねてきたように筆者は感じる。 本稿は,旧来,あまり議論されなかった観点から,ロシア外交の構造とダイナミズムを 抽出し,そのなかで⽇本との関係も(少し)考えてみたいという問題意識に基づいている。 その意味で,本稿はあくまで様々な仮説を提⽰することで読者との議論を喚起する試論に 過ぎない。 さて本稿は,その⼿がかりのひとつとして,近年の政治地理学でよく議論される「地政 (的)コード(geopolitical code)」に焦点を当てたい。地政コードとは「⼀国の対外政策を ⽅向付ける規範のようなもの」とされ,国益に対する外部的脅威の認識とこれへの計画的 対応及びその正当化をするものとみなされる(4)。地政コードは,⼀⾒,地理的な環境に運 命づけられた不変的な前提のように⾒える。だが物理的な環境の変化もまた絶対ではない。 例えば,ソ連や⽇本,中国などの歴史を⾒ても,帝国の解体や再編は隣接環境を⼤きく変 え,これに伴い,地政治に関わる表象は変わるに違いない。だがたとえ既存の国家の物理 的な地理性が変わらない場合でも,⽣産⼒や交通の著しい発展は地理的近接性の意味を相 対化するし,国⼒の盛衰や相互依存のあり⽅,共有する国境(地域)の変容なども表象に 影響を与えよう。本稿は,かかる意味でいわゆる地政学がいう決定論的な⽴場をとらない。 本稿の⾔う,地政コードは可変性をもつ,⼀国の外交をめぐる事実や⾔説に埋め込まれた 空間と権⼒政治にまつわる指向の枠組みと整理したい(5) さて欧⽶の指導者の⾔説や外交ステイトメントをもとに,それぞれの国の地政コードを (フリント的な意味でだが)抽出する研究は少なくないが,ロシアに関する地政コードを 論じた先⾏研究,ましてや批判地政学を踏まえたものは政治地理学の分野でもあまり存在 しない。例外は,ジェラルド・トールの研究であり,彼は vision という表現で,ロシア外 交の⽅向性を,1. ⻄欧化するロシア 2. 帝国ロシア 3. 強いロシアといった整理をする (6)。これはウクライナとジョージアに対するロシアの⾔説や情念を拾いだそうとする興味 (4) 地政(的)コードについては,『現代地政学事典』丸善,2020 年,378‒279 ⾴(⾼⽊彰彦執筆),C. フリント(⾼⽊彰彦他訳)『現代地政学:グローバル時代の新しいアプローチ』原書房,2014 年など を参照。 (5) もちろん,あらゆる⼈間も共同体も,その⽣存する空間の特性から完全に免れることはできない。そ の意味で「⼈権」や「価値」を強調する国でも,やはりそれは地政に縛られている状況がしばしば散 ⾒されることを付⾔しておきたい。例えば,わが国で⼀時期,もてはやされた「⾃由と繁栄の弧」な ども兼原信克や⾕⼝智彦ら価値派(但し,兼原は外務省内でそう思われていたが,もともとパワー重 視派であり,当時,価値派を標榜しただけだと思われる)と地政学的な意味合いを意識した⾕内正太 郎らの合作であった。安倍政権の「地球儀を俯瞰する外交」は,これをもとに後者に特化するととも に,中国を念頭に置いたものへとつくりかえられたが,今井尚哉ら「経済⾄上主義者」によって⾻抜 きにされたといってよい。 なお,地政コードの可変性という仮説については,いくつか検討すべき課題がある。第 1 に,不顕 在の地政コードの意味についてである。ロシアで例にとれば,1990 年代のロシア,とくに極東では 「北東アジア」という⾔説が流⾏したが,現在は「グレーター・ユーラシア」に包摂されている。こ れはロシア外交における「アジア」の不存在を意味するのか?といった問いとなろう。いわば,地政 コードのメタレベルおける機能をどのように析出するかが答えへの⼿がかりになると思われるが,こ れは様々な国の地政コードの⽐較研究を前提とした次作のテーマとしたい。第 2 に,地政コードの可 変性をもたらすものはなにかという問いがあろう。とくに変化は国際関係によるのか,国内政治によ るのかが論議となろうが,答えにはイッシューごとのケーススタディーの蓄積が必要と思われる。併 せて今後の課題としたい。

(4)

深い研究ではあるが,整理がややシンプルで固定的なだけでなく,(私たちにとっては懐 古的にも響く)『近い外国』という本のタイトルと相まって,ロシアと上記 2 カ国との関 係に焦点が当てられているため,スケールとしてもスパンとしてもロシア外交の変化をう まくとらえきれているとは⾔い難い(但し,ウクライナとジョージアに関する表象分析は 秀逸である)。また本のつくりが,既存の地政学を批判することに主眼が置かれており, 国際政治の議論に馴れたものが読むと,道具⽴てと,各章の,それ⾃体は刺激的な分析の かみ合わせに違和感を持たざるを得ない。そこで筆者は,むしろ地政学を表象や社会構築 的な⾯に⼒点を置いてユニークな分析を展開するクラウス・ドッズの類型を援⽤すること にした。ドッズは英国の地政コードを分析する際,1. ⼩イングランド/ブリテン 2. コ スモポリタン・ブリテン 3. ヨーロッパ・プリテン 4. アメリカン・ブリテンといった 4 つの類型化を⾏っている(7) 筆者はこれを参考にロシアのコードを仮説的に考えてみた。ロシアの外交に関わる表象 はこの 4 つのイメージのどれかが強まる、、、、、、、,あるいは組み合わせで表現される、、、、、、、、、、、というものだ (ただし,必ずしも横軸は等値ではなく,枠組にはぶれや重層性があることを申し添えて おく。なお,それぞれのイメージが「ゼロサム」関係ではなく,複合されうるものとみな す点が本稿の特徴のひとつである)。 (国家イメージ) (表象) Ⅰ ⼤⻄洋国家 European Ⅱ ロシア連邦 Rossiiskii(国家・装置) Russkii(⺠族) Ⅲ ユーラシア国家 Eurasian Ⅳ 旧ソ連 Superpower *下がるほど revisionist となる 近年,ロシア外交は「地政学」という⾔葉によって論じられることが少なくない。しか しそのほとんどは,いわゆる「論壇地政学」であり,地政学に関する学問的蓄積をほとん ど踏まえることなく,アプリオリな説明原理として恣意的に,そして不変的な説明のため に使わられている(8)。次節では政治地理学のこれまでの論議を踏まえたうえで,ソ連時代 も想起しながら,ロシア外交にとっての地政コードの変化と重層性を析出してみたい。 地政コードからロシアの主権を考える 社会主義国,ソ連には「地政学」はない。これは当事者たちのみならず,少なからぬ観 察者たちにも共有された⼀種の神話である。ソ連時代の事典類で「地政学」を引いてみる と,⼤抵,これが「反動的ブルジョワ理論」であり,国家主権を否定する帝国主義イデオ Press, 2017.

(7) Klaus Dodds, Geopolitics: A Very Short Introduction, Oxford, 2007, p.47.

(8) 「論壇地政学」批判については,⾼⽊彰彦『⽇本における地政学の受容と展開』九州⼤学出版会,2020

(5)

ロギーの⽀配を理屈づけるものだとして描かれている(9) 階級や社会主義的な価値を軸に,⾰命後のロシア・ソ連外交は表向き⼀切の地政学的な 考え⽅を振り払ったかのように宣伝されてきた。もとより,(⻄側の)リアリストの観察 者たちは,彼らの⾔説を否定し,所詮,ソ連も国益,とくに「地政学」的な理由で動いて いるとみてきたことは⾔うまでもない。ケナンの封じ込め論をひくまでもなく,社会主義 体制やイデオロギーは地政を考慮して拡⼤してきたのである。 だがその表向きの「脱・地政」⾔説にもかかわらず,彼らの⾔説は地政コードで満ち溢 れている。そもそもヨーロッパ⾰命,とくにドイツへの期待は出発点からソ連が地政に縛 れていたことを⽰唆する(地政コード I)。そしてアジアの⾰命段階をヨーロッパと区別し つつ,アジアとヨーロッパを結ぶ存在として⾃らを位置づけたことなどは,社会主義とい うイデオロギーだけで説明がつくとも思えない(地政コード III)。⼀国社会主義の時代に ⼊り,周囲の国との合従連衡を繰り返したスターリン期の外交もまた,どうイデオロギー で繕っても,現実の様態が地政外交であることは論をまたないだろう(地政コード II,も しくは IV)(10) 第 2 次世界⼤戦を経て,ソ連が国際連合の安全保障理事国として主要なメンバーとなり, ⼀般国際法を受容し,また「平和共存」の名の下,階級闘争の⾔辞を相対化していくこと で,地政コードは変容する。ロシアの名での⺠族性をアピールするとともに,いわゆる「超 ⼤国」にかんするコード(IV)が強まっていく(11) ところで筆者は,若いころ,ソ連国際法の主権をめぐる議論を追っていたが,今回,改 めて国際法教科書における主権の位置づけを振り返ってみた。国際法の⽗,トゥンキンが 世界システムのなかで「共存する」⼆つのシステム(社会主義と資本主義)に関するコン セプトを打ち出し,これがフルシチョフからゴルバチョフ初期までにソ連の公式イデオロ ギーとして機能する。これそのものが地政コード IV を反映しているが,世界システムの なかでソ連が⾃らを国家主権擁護のチャンピオンとして位置付けることで,帝国主義や植 ⺠地⽀配と闘い,⼩国の「主権」を守るとともに,社会主義諸国の「主権」をブルジョワ 反動や外国⼲渉から守るという理屈付けがなされた。前者は「⾰命の輸出」,後者は「反 ⾰命の防⽌」であり,いわゆる「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ばれるものにつながる議 論となった(12) トゥンキン理論のもと,世界システムを前提に,国家主権と国際社会の関係を対⽴と競 争から,より協⼒的な側⾯で読み込もうとする議論が次第に強まっていく。このような枠 組を激変させたのが,ペレストロイカであった。ゴルバチョフの「新しい思考」がついに, (9) 例えば,Дипломатический словарь, Т.1, М., 1960, C. 359; Дипломатический словарь, Т.1, М., 1971, C. 377‒378; Дипломатический словарь, Т.1, М., 1984, C. 253. 但し,1984 年版では記述がわずか 26 ⾏に圧 縮されており,この時期にはすでに地政学への批判が薄まっているような印象がもたれる。 (10) もちろん,党レベルを価値外交,政府レベルを実利外交といった重構造でこれを整理することもでき よう。だが党レベルにおいても,対ユーゴスラビア,対中国,対東欧諸国(複数)などへの対応をみ れば,地政コードは容易に析出されよう。 (11) これら議論の詳細は,岩下明裕『「ソビエト外交パラダイム」の研究:社会主義・主権・国際法』国 際書院,1999 年;岩渕節雄「トゥンキン国際法理論の現代的意義」『北九州⼤学法政論集』第 14 巻 3 号,1986 年;ゲ・イ・トゥンキン(安井郁監修・岩渕節雄訳)『国際法理論』法政⼤学出版局,1973 年を参照。 (12) 岩下同上書,71–73,103–109,133–141 ⾴。

(6)

全⼈類的価値を階級の上においたことで,2 つのサブシステムは「共存」から「相互依存」, 場合によっては「統合」へと議論を⼀挙に進める。このさなか,主権や⼈権をめぐって国 際法学界では守旧派とゴルバチョフ⽀持派が⼤論争を⾏い,後者の成果が「ロシア国際法 教程」としてまとめられる。旗⼿の⼀⼈,ミュレルソン(のちに独⽴後にはエストニア外 務次官)(13)は国際⼈権 B 規約へのソ連参加も⽀持し,周囲を驚愕させた。とくに世界共同 体のもとで「主権制限」を主張する論者の声が⼤きく響いた。 ソ連解体後,ロシアになってからの国際法をめぐる議論は,ペレストロイカ期のラディ カルな熱気が冷め,⼆つの,お互いを排除しないが,いささか⼒点が違って⽴論に収れん したように思う。第 1 は,国際法の基本原則の筆頭,もしくは最上位の⼀つに主権を置く もの,つまり,国家主権の原則を国内問題不⼲渉原則などのコロラリーの基礎と位置付け たものがそれである。第 2 は,システム(の統合)を重視し,武⼒不⾏使や紛争の平和的 解決,諸国家の調整や協⼒を前⾯に置くものと整理出来よう。単純化すれば,国家と法研 究所や法律アカデミーが前者,外交アカデミーや MGIMO が後者の⽴場をとっているとみ なすこともできる(14) 毎年刊⾏される『ロシア国際法年鑑』(ソ連解体前は,『ソビエト国際法年鑑』)に収録 された論⽂や議論がここでは参考になる。筆者がトレースした範囲では,2013 年頃まで は国際法を上位におき,主権が制限されるという議論も⾒られる(15)。だがこれに対抗する ように,⽶国や NATO によるリビアやシリアへの恣意的な介⼊に反発し,彼らの主権侵害 を⽰唆する⽴論も増えていく(16) 画期となるのはウクライナ問題と「クリミア併合」後の 2014 年である。前年に続いて 登壇した外務省条約局⻑のゲヴォルギャンは「クリミア併合」を正当化すると,国際法違 反はロシアなのか,⻄側なのかと後者を糾弾し,他にも領⼟保全と⺠族⾃決の兼ね合いが 難しいと(⻄側の⼆重基準を批判する)論⽂が⽬につくようになる(17)。ついにトゥンキン (13) 彼は⾊丹・⻭舞の返還が 80 パーセントで⽇本が勝つ,択捉・国後はほぼロシアが勝つという国際法 廷のシミュレーションに関わったことでも知られている(『朝⽇新聞』2013 年 4 ⽉ 24 ⽇付の⼤野正 美の記事,⼤崎巌「ソ連から⾒た『北⽅領⼟問題』:『⽇本年鑑(ЯПОНИЯ ежегодник)』資料分析を 通して」『⽴命館国際研究』第 27 巻 3 号,2015 年など。筆者もこのシミュレーションについては 1990 年代にロシアの国際法学者たちから聞いたことがある)。См., Курс международного права. М.,Т. 1–7, 1989–1992. 岩下前掲書,203–209 ⾴も参照, (14) 前者としては,Тункин Г. И. Международное право, М., 1994; Лукашук И. И. Международное право, М., 1997; Бекяшева К. А. Международное право, М., 1998; Игнатенко Г. В., Тиунов О. И. Международное право, М., 1999; Бирюков П. Н. Международное право, М., 2000 など,後者は Колосов Ю. М., Кузнецов В. И. Международное право, М., 1995; Ю. М. Колосов, В. И. Кузнецов. Международное право, М., 1999; Колосов Ю. М., Кривчикова Э. С. Международное право, М., 1999 などを参照。 (15) Карташкин В. А. Верховенство международного права и государственный суверенитет // Российский ежегодник международного права 2013, СПб., 2014, С. 14–26. (16) Геворгян К. Г. Актуальные проблемы международного права и российская дипломатия // Российский ежегодник международного права 2012, СПб., 2013, С. 9–14; Котляр В. С. Теория, практика и перспективы концепции «ответственность по защите» в свете принципа верховенства международного права в международных отношениях // Российский ежегодник международного права 2013, СПб., 2014, С. 52–65. (17) Геворгян К. Г. Актуальные проблемы международного права и российская дипломатия // Российский ежегодник международного права 2014, СПб., 2015, С.11–15; Котляр В. С. Так кто же нарушает международное право в ХХI веке ― Россия или запад? // Российский ежегодник международного права 2017, СПб., 2018, С. 19–37; Матвеева Т. Д. Принципы территориальной целостности и права народов на самоопределение: взаимозависимость или несовместимость? // Российский ежегодник

(7)

国際法理論を持ち出し,「社会体制の如何を問わない平和共存」の定式にまで⾔及さる論 ⽂も現れた。これは冷戦を前提とした「協⼒」のコンセプトであるから,ロシアと⻄側は そこまで関係が先祖帰りしているとの認識に他ならない(18) ソ連期外相の地政コード:グロムイコとシェワルナゼ 外交の現場はどうだろう。地政コードはもちろん,そのスピーチのテキストなどを詳細 に分析することで析出できる。だが⻑い時代を扱うことを鑑み,ここでは表象分析の⼿法 を使ってみよう。素材となるのは,戦後歴代外交官の出版物である。超⼤国ソ連の外相と して⻑年にわたって活躍したグロムイコから,現在の外相ラブロフまでの回想録もしくは スピーチ集などを整理してみた(19)。普通,私たちは彼らの回想録のテキストを読み込み, 解釈する。だがしばしばその解釈は分かれる。また実際に彼らが本当のことを書いている かどうかもわからず,しばしば他の資料との突合せによる検証が⽋かせない。そこで本稿 では,疑いなく回想者の⼼証を表象している,写真を素材とする。ソ連,ロシアのエリー トたちの多くが回想録やスピーチ集を同じパターンで作っているからだ。それは,ハード カバーの本のなかに,写真をまとめて何回か挿⼊するというものである。 グロムイコ回想録は,読売新聞から翻訳も出ているが,ペレストロイカ期の 1988 年に 出版されたロシア語版は 2 冊本からなっている(20)。ここでは,ソ連の「平和共存」外交が 本格化する 1960 年代以降を扱った第 2 巻をとりあげたい。第 2 巻には写真がまとまって 4 ヵ所掲載されている(第 1 巻は 2 ヵ所)。最初の写真コーナーは⽶国のラスク国務⻑官 とジョンソン⼤統領だ。2 ⾴⽬がフランスのドゴール⼤統領とトルコの政治家と続く。欧 ⽶の要⼈とのショットや国連での集まりといった写真が中⼼で,時折,エジプトなどの中 東,チェコスロバキアなど東欧の⾸脳とのものが登場する。3 ⾴⽬に北東アジアが出るシ ーンが⽬をひく。若き⾦⽇成のモスクワ訪問の際に横に⽴つこれまた若きグロムイコの姿 がある。その上段に⽇本の写真。だがこの写真は京都の芸⼦に囲まれたもの。⽇本の要⼈ の姿がないのが興味深い。それでも三⽊武夫⾸相とのショットが 14 ⾴⽬に出てくること を付⾔して置こう(写真は全 16 ⾴)。 次の写真コーナーも全 16 ⾴だが,やはり⼀⾴⽬は欧⽶の要⼈だ。ただ 2 ⾴⽬にインド のインディラ・ガンディー⾸相が出てくる。5 ⾴⽬になってようやく中国の⻩華外相との 2 ショット,これは 1982 年にモスクワで撮影されたとある(ちなみに第 1 巻は,1956 年 международного права 2018, СПб., 2019, С. 105–116. (18) Ашавский Б. М. Взаимодействие внешней политики, дипломатии и международного права // Российский ежегодник международного права 2018, СПб., 2019, С. 95–105. (19) この分析への批判として,外相のみ(特にソ連期において)扱うのは説得的ではないというものがあ ろう。特にソ連時代は政治局の合議で外交政策を決定したことを思えば,書記⻑のみならず,党国際 部などの資料も扱うべきであろうし,ロシア期でも⼤統領にもっと焦点をあてるべきという議論は歴 史研究の⼿法としてはその通りである。リプライをしておけば,第 1 に本稿はそのような歴史研究を 前提としたうえで,旧来,取られなかった⼿法を⽤いて歴史研究との参照を⾏う作業を意図したもの であり,第 2 に例えば,ソ連期の外相とはいえ,グロムイコ回想録の表象には,しかるべき社会主義 運動や諸国との関係性が表れていることが指摘できる。むしろ,後者に関して補⾜すれば,これがペ レストロイカ期に刊⾏されたという同時代性であろう(グロムイコとゴルバチョフの関係については あえて指摘しない)。 (20) Aндрей Громыко. Памятное, М., Т. 1–2, 1988.

(8)

にスカルノ,1957 年にホーチミン,1959 年に周恩来と,1960 年にネルーとの写真がある)。 以下はやはり,ヨーロッパが多い(東欧を含む)。3 つ⽬のコーナーもやはり 16 ⾴。欧⽶ が多いが,ソ連の共産党要⼈とのショットが増える。ゴルバチョフの姿もよく⾒られる。 そして最終コーナー16 ⾴は家族写真を除けば,ほとんどが 80 年代の写真であり,カラー だ。1 ⾴⽬にはカストロの雄姿があるが,欧⽶中⼼の傾向はかわらない。特筆すべきは, ラジブ・ガンディー,サダム・フセイン,ベナンやアンゴラなどアフリカの⼤統領もお⽬ ⾒えすることだ。 「平和共存」外交以降のグロムイコの地政コードをどのように整理できるだろう。まず ⽶国との対等性へのこだわり,国連でのプレゼンスの⼤きさを⾒せたいという,超⼤国的 な指向が⾒て取れる(コード IV)。他⽅で,欧州の⼀員としての姿も⾒える(コード I)。 ユーラシア的指向は意外と引いて⾒える。アジアやいわゆる「第三世界」への視線は第 1 巻では多少⾒られたが,全体を通して強いとは⾔えない。しいて⾔えば,第 2 巻では中国 はほぼ蚊帳の外にあり,インドへの傾斜(と⽇本へのほのかな関⼼)が読み取れる。 ペレストロイカ外交の旗⼿,シェワルナゼはどうだろう。ドイツ語を底本に⽇本語でも 「希望」というタイトルで出版されたが,ロシア語版もやや遅れて 1991 年に刊⾏された(21) こちらも 97 ⾴からと 225 ⾴からの⼆か所にそれぞれ 16 ⾴にわたって写真が掲載されてい る。CSCE に出席する⾃分の写真から始まる最初のコーナーもまずは⽶国(ブッシュ⼤統 領及びベイカー国務⻑官)からミッテラン,サッチャーと欧⽶から始まる。⽬を引くのは 次の 4 ⾴⽬にカストロと鄧⼩平が続くことだろう。サウジアラビア外相やメキシコ訪問時 の写真とともにウラジオストクの会議やアルメニア地震を⽀援するショットもある。だが やはり欧⽶や国連の写真が主眼として選ばれているのに変わりはない。 後半はゴルバチョフとのツーショットから始まり,彼のソ連国内の活動シーンが多い。 なかほどはトビリシや家族の写真で彩られるが,最後はシュルツやゲンシャーなど欧⽶の 友⼈たちとの写真に戻る。⽇本はおろかインドに関する写真は⼀枚もない。整理すれば, 彼の回想録は地政コード I を軸に,いささか背伸びするかたちでコード IV が散⾒される。 そしてコード III は強くはなく,これもソ連内の⼀部に限定され,アジアはほぼない。 移行期ロシア外相の地政コード:コーズィレフからイワノフまで シェワルナゼの突然の辞任を受けて外相に就任したパンキンは短命であった(パンキン の回想録に写真はない)(22)。そして思いがけなく,ソ連を承継した国の外相となったが, ロシア外交コーズィレフであった。コーズィレフ外交についてはすでにわが国でも様々な 研究がある。⼀般的には初期の「⼤⻄洋主義」外交が国内で批判をされ,いわゆる「国益 外交」や「ユーラシア主義的なもの」に変わっていく評価がなされる(23)。コーズィレフ⾃ (21) Эдуард Шеварднадзе. Мой выбор в защиту демократии и свободы, М., 1991. (22) Борис Панкин. Сто оборванных дней, М., 1993. (23) コーズィレフ外交を単純に「⼤⻄洋主義」と論じえない多⾯性については,加藤美保⼦『アジア・太 平洋のロシア:冷戦後国際秩序の模索と多国間主義』北海道⼤学出版会,2014 年などを参照。なお, 「⼤⻄洋域」は EU,NATO への接近という⽂脈では「欧⽶」とひとくくりにできるが実際のロシア外 交の様態としては,ドイツ,イタリア,フランスなどを重視する局⾯も強く,対「欧⽶」への視座も 多層的といえる。

(9)

⾝が回想録で「初期」と「後期」を対⽴させようとする考え⽅に触れ,この評価を揶揄し ている(24) その回顧録であるが,中ほどに 8 ⾴の写真コーナーが⼀か所のみ作られている。最初の 写真が北⽅艦隊の軍艦に乗船した写真であること(1994 年),2 ⾴⽬がナゴルノ・カラバ フ訪問時の写真であること(1992 年)が異彩を放っている。3 ⾴⽬からはクリントン⼤統 領や国務⻑官,そして EU,ドイツと続く。アジア関係は 6 ⾴のみだが,インド⾸相との ⾯会シーンが⼀⾴を占める。冒頭にロシア国内,次に旧ソ連紛争地があり,欧⽶という⽬ 配りは,⼤⻄洋主義の地政コード I を軸にしながら,ロシア全体(コード II)や旧ソ連(コ ード IV)へ多少の関⼼を意味していよう。ただここに「超⼤国」ソ連への回帰やユーラ シア主義への志向を⾒出すことは難しい。 コーズィレフの後を追ったプリマコフは,しばしば前任者とコントラストもって語られ る。ユーラシア外交の主導者という⾒⽅もあれば,国益重視のテクノクラートであり,今 のプーチン外交の下敷きを作ったともみなしうるがバランス外交や実利主義者だという 評価もある。プリマコフは学者あがりということもあり,多くの著作を書いているが,こ こでは写真が掲載されている 1999 年(25)と 2001 年(26)に出版された回想録を取り上げたい。 1999 年の回想録だが,作りがいささか異なり,8 ⾴の写真コーナーがたくさん詰め込ま れている。中⾝は幼少時の写真から時代を追って綴じられている。冒頭は⺟親とのツーシ ョットであり,幼少時の家だ。家族の写真に続いて,北イラクで銃を持って勤務する姿が ⾒開きである。クルド⼈リーダー,エチオピアの⼀コマと続くシーンはアラブ学者として の彼の出⾃に対する誇りが伝わってくる。第 2 コーナーの 8 ⾴も異彩を放つ。⾃らの外交 チームを披露し,アリエフ,ルカシェンコ,クチマら旧ソ連のリーダーの⼀部とのツーシ ョット(ゴルバチョフとも),その間にいくつかブッシュら⽶国の要⼈との会談が⼊れ込 まれている。第 3 コーナーは宗教者や芸術家,第 4 コーナーからようやく外交シーンが中 ⼼となる。欧⽶の指導者ばかりだがイスラエル外相の顔もある。第 5 コーナーになると欧 ⽶を中⼼にしながらも,アラファトや国連事務総⻑も現れ,このコーナーの 6 ⾴⽬に橋本 ⿓太郎⾸相が登場する。第 6 コーナーではカストロ,カダフィ,ヨルダン国王,ベネズエ ラ⼤統領,シリア⼤統領と様々なリーダーとのツーショットと続き,第 7 コーナーで江沢 ⺠が登場する(但し,2 ⾴⾒開き)。そして最終コーナーでは再び家族に戻り,プライベ ートな姿が現れる。 2001 年の⽅では,16 ⾴スタイルとなり,コーナーは 2 か所である。こちらは冒頭で⾸ 相としてのシーンが強調されており,国内や CIS ⾸脳とのショットが散⾒されるが,これ まで常連だった欧⽶とのショットがほとんどない(例外はイタリア外相だが,旧友とある)。 主たる⾸脳とのツーショットが江沢⺠と⼩渕恵三から始まるのも⾯⽩く,これに国連やユ ネスコの事務総⻑,北欧,イスラエル,サウジアラビアと続き,ようやく第 1 コーナーの 最終⾴にイギリス外相が出てくる程度だ。第 2 コーナーはどちらかといえば,経済,⾦融 機関がらみの仕事が全⾯に置かれている。 プリマコフの回想録から読み取れるコードだが,少なくともそこには欧⽶と対等性を求 (24) Андрей Козырев. Преображение, М., 1995. (25) Евгений Примаков. Годы в большой политике, М., 1999. (26) Евгений Примаков. Восемь месяцев плюс…, М., 2001.

(10)

めようとする超⼤国的な志向は必ずしも読み取れない。またこれと重なるところもある欧 ⽶指向もほぼない。旧ソ連圏でロシアと組める相⼿への接近,アジアとの連携,そして何 よりもロシア国内を重視する姿勢が強く伝わってくる。あえて整理すれば,コード II と III が基調になっているとみなせよう。 筆者が使えたイワノフについての資料は,彼の論⽂と登壇を集めて 2004 年に刊⾏され たものである(27)。本書では 16 ⾴の写真コーナーが 4 か所挿⼊されている。イワノフの本 もまた CIS やロシア国内の要⼈との写真(プーチン,カシヤノフらを含む)から始まる。 外国要⼈としてはドイツとスイスの外相から始まるが,カダフィが続くのが興味深い。ア フガニスタンのカルザイ,北朝鮮の⾦正⽇,ASEAN 閣僚会議,国連という流れは,アジ ア重視,国際機構重視の活動が読み取れる。⽶国の姿は最終⾴にキッシンジャーのみであ る(しかも国連の場)。第 2 コーナーは韓国外相とブッシュ⼤統領だ。⽶国との会合の模 様はここから始まるが,フィリピン訪問,⼩泉純⼀郎との⾯談,欧州⾸脳などもあり,さ ほどアクセントはみられない。注⽬すべきは,中国のプレゼンスは第 3 コーナー,しかも 4 ⾴⽬からだという点だろう。李肇星外相とのツーショットがある。ただし,李外相は第 4 コーナーにもう⼀度,やや⼤き⽬な写真で登場する。インドのバジパイ⾸相がその 4 ⾴ 後に続く。 イワノフのコードは,⽶国離れという点はプリマコフと同様だが,ヨーロッパへのかか わりの強さは顕著だろう。そして「多極化」。プリマコフが中東やどちらかといえば,反 ⽶的な諸国へ傾斜しているのに対して,イワノフはアジアの多様なアクターや国際機構を 重視しているように思われる。そして特筆すべきは,中国とインドの存在の後退と,⽇本 の位置づけの変化はあまりなそうだが,韓国がフィーチャーされていること(同時に北朝 鮮も⾒ていることを忘れてはならない)にある。イワノフ外交なるものがあるとすればだ が,それは I,II,III をほどよくバランスした指向をみせていたいと⾔えよう。 プーチン外交を考える ウラジミル・プーチンが⼤統領に就任したのが 2000 年。メドベージェフに⼀時,その 地位を譲った時期を含めて 20 年に及んでロシアのリーダーを務めている。もちろん,就 任当初のプーチンは今のプーチンでもなく,外交路線も変化してきたといえる。プーチン のその登場はどちらかといえば,欧⽶を重視し,アジアとの関係に関わるリソースをその ために使おうという姿勢が強かったように思う。プーチンの外交デビューとなった,2000 年の G8 サミットでは,北朝鮮に寄り,⾦正⽇と衝撃的な抱擁を交わし,意気揚々と沖縄 に乗り込んできた。最初に訪問したのも英国であったし,2001 年の 9.11 では⽶国との緊 密な反テロ協⼒を表明した。プーチンは新たな「⼤⻄洋主義者」ではないかと⾒⽅もあっ た。明らかにコード I が先⾏しているように⾒えた。 だがだからといって他国との関係性や旧ソ連圏をないがしろにしたわけでもない。ある 意味でエリツィン外交を継承しており,イワノフがそのまま外相にとどまったのも理にか なう。そしてイワノフは,例えば,中国とのやり残した仕事,2001 年の善隣友好協⼒条 (27) Игорь Иванов. Россия в современном мире: ответы на вызовы XXI века, М., 2004.

(11)

約の締結,そして 2004 年 10 ⽉にプーチンと胡錦涛で突如,宣⾔された国境問題の完全解 決(ヘイシャーズ島およびアバガイト島の分割による)を完遂した(28) さてラブロフがイワノフの後任となったのは,この中露国境問題最終解決の約半年前, 2004 年 3 ⽉である。筆者は偶然ではあるが,彼が外相に就任した翌⽇にモスクワ国際関 係⼤学での彼の登壇を⾒る機会があった。誰もが新外相によるロシア外交の抱負を期待し たが,彼のスピーチはわずか 5 分で終わり,しかも全く新しい内容もインスパイヤ―され るものもなく,聴衆は驚愕した。国連など国際機関で⻑年,勤務したラブロフはまさに「能 吏」というイメージにふさわしく,プリマコフやイワノフなど⾃らの考えで対応してきた ⼤物とは異なる印象を得た。ここで⽴てられなければならないのは,なぜラブロフはあれ から 20 年間近く外交を務めることになったのか,ラブロフ⾃⾝による外交プランなどと いうものがそもそもあるのか,という問いであろう。 歴代外相の出版物と異なり,ラブロフのそれは彼の性格を反映しているのだろうか。彼 のスピーチや記者会⾒をまとめたもの(29)を⾒て驚いたのは写真が⼀切ないことである。イ ワノフのものと⽐較して,これはとても興味深い。もちろん,彼の発⾔から様々な地政コ ードを析出することはできるだろう。だが,写真を素材にこれを抽出することはできなか った。いささか深読みだが,これはある意味で彼がプーチン外交の単なるエージェントで あることを⽰唆しているのではないだろうか? これについては⽊村汎の労作が参考になる。⽊村は⼤著プーチン三部作のなかで外交も 正⾯から取り上げているが,ラブロフ外交など存在しない,すべてはプーチンとその取り 巻き数名で決めており,外務省が積極的に関われる余地はほぼないと断⾔している(30) ではプーチン外交の⽬標とは何か。⽊村によれば,次のような重層的な性格とされる。 第 1 に「主権⺠主主義」にみられるような独⾃性の主張,第 2 に(ジョージア,ウクライ ナなど)旧ソ連構成国に対する「特別権益地域」的な態度,第 3 に冷戦後世界に対するア ンビバレンツ(NATO 拡⼤への不満,⽶国に対する協⼒への⾒返りのなさに対する憤懣), 第 4 に⽶国の「⼀国主義」への対抗(G20,BRICS,ユーラシア連合,上海協⼒機構など の重視)である(31)。さてプーチンに関する著書は⼭のようにあるが,プーチン⾃⾝が著者 となっているものは少ない。2016 年に刊⾏された三冊本はその稀なものだが,第 1 巻が 議会向けの教書(2000 年から 2015 年まで),第 2 巻と第 3 巻が登壇,声明,インタビュ ー(2000 年から 2003 年まで)で構成されるものの,冒頭の本⼈のカラー写真以外はまっ たく写真がなく,表象分析の⼿がかりとならない(32)。ただ教書の変遷についてのスケッチ (28) 唐家璇の回想録をみれば,この交渉がエリツィン時代からのやりとりを経て,2001 年の善隣友好協 ⼒条約の締結を経て⼀挙に進んだことがわかる。唐家璇(加藤千洋訳)『唐家璇外交回顧録:勁⾬煦 ⾵』,岩波書店,2011 年などを参考。中国側からの聞き取りによれば,本当は両国ともこの条約締結 時に解決することを⽬指していたという。なお,この交渉を担ったイワノフ元外相はこれがとてもタ フなものであり,最後はロシアが譲ったと⽰唆している(イワノフからの聞き取り,モスクワ,2014 年 3 ⽉ 26 ⽇:東京財団と外交評議会の会議後の懇親会の席上の話しだが,パノフ⼤使らも同席し, 後⽇,同様のことを⽇本のメディアに語っている)。 (29) Сергей Лавров. Мы – вежливые люди!: размышления о внешней политике, М., 2017. (30) ⽊村汎『プーチン:外交的考察』藤原書店,2018 年,47‒68 ⾴など。 (31) ⽊村同上書,24‒25 ⾴。 (32) Владимир Путин. Прямая речь. Т.1‒3, М., 2016. 第 2 巻,第 3 巻の外国⾸脳との登壇や記者会⾒は 2000 年から 2003 年という時期を反映して,欧⽶,国際組織に関わるものが多く,次いで CIS 諸国が続き, 中国,北朝鮮,⽇本の北東アジアの⽂脈のものが続く。初期のプーチン外交の地政コードがみてとれ

(12)

はできる。当初は CIS(旧ソ連諸国)と⽶国(との協⼒の姿勢),NATO,国連への⾔及は ⾒られるものの国内向けのメッセージが多かったが,2006 年頃から最初の変化が⾒られ る。対外関係への⾔及が増え,EU や⽶国に続き,中国やインドの名前があげられ,アジ ア太平洋,ラテンアメリカ,アフリカとの協⼒が重視される。2007 年にはチェコとポー ランドに配備される NATO 迎撃システムへの批判,上海協⼒機構や BRICS への視線も⾒ える。2013 年になるとシベリア・極東の⽂脈でアジア太平洋との関係が強調される(ウ ラジオストクで開催された APEC が意識されている)。ユーラシア経済連合についての⾔ 及も増えてくる,中東及び北アフリカ,特にシリアについても焦点があてられる。 2014 年は⼤きな画期となっている。例年 12 ⽉に出される教書がこの年は 3 ⽉にも出さ れており,これはロシア連邦の新しい構成メンバー,つまりクリミアについてのものであ る。12 ⽉の教書もクリミアやウクライナから始まり,⻄と東のパートナーについて触れ ると,アジア太平洋地域やユーラシア連合を強調している。2015 年 12 ⽉にはシリア,ア フガニスタンを冒頭に置き,テロリズムの脅威に⾔及する。 2016 年から 2019 年までの教書はこの傾向をさらに強め,旧ソ連諸国との紐帯の協調, ⽶国に対する強硬な⽴場,欧州への微妙なニュアンス,中国を中⼼としたアジア太平洋へ の視座,中東などへのプレゼンスなどが⼀層,際⽴っていく。2014 年以後のロシアの地 政コードは明らかにそれ以前と⼀線を画している。要するに,コード I の⽅向性が完全に 後退し,II から IV のフェイズがそれぞれの局⾯で前⾯に出てくる。もちろんプーチンは ロシアが「超⼤国」になることはないと表向きは⾔っているが(33) アイデンティティとパワー さてここでロシアの⾃⼰認識を規定するある概念について考えてみたい。держава とい うタームがそれである。翻訳しづらい⾔葉だが,ロシア語の今の使われ⽅からすれば,⾃ 前の政策を誰にもはばかることなく独⽴して遂⾏できるまともな国家という含意が認め られよう(34)。これは国際政治で⾔う伝統的なパワーの原義と重なる(35)。パワーの⼤⼩に かかわらず(つまり,スモールパワーであろうが,ミドルパワーであろうが),少なくと も他者のパワーの⾔いなりにならないというニュアンスとも⾔える。要するに,グレート パワーに安全保障を依拠するにもかかわらず,ソフトパワーなどの議論をもとに,「ミド ルパワー」を⾃称する国は「まともな国」とみなされないということである。 ロシア(ソ連を含む)が⾃前の政策を誰はばかることなく独⽴して遂⾏できるまともな 国家であることを所与の前提であるとみなせば,それをクリティカルに疑うような議論は 少なくとも外交⾔説では皆無と考えるべきだろう。ソ連解体後の⼀時流⾏したザゴールス ると整理できる。 (33) Мысли о России: Президент о самом важном, М., 2016. С. 14. (34) держава とは何かに関わる問題については,⽊村崇・京⼤名誉教授からご⽰唆をいただいたことを記 しておく。 (35) 神⾕によれば,パワーとは,伝統的には「ある主体が,脅迫や報奨によって,他の主体に,そうでな ければしなかったであろうことをさせる能⼒」とする(神⾕万丈「ポスト 9・11 の国際政治における パワー:変容と持続」『国際問題』No. 586,31 ⾴。)

(13)

キー流の「⼤⻄洋主義」であっても(36),ロシアが держава であることを否定することはな い。むしろ,後進性の強いアジア部を切り離したことで,ロシアはより輝くのだという指 向が通底していた。⽊村汎の分析を借りれば,великая となるか,супер-となるかである(37) その意味で,地政コード I から III までは変わりはない。IV だけが後者である。 問題はその держава のレベルの実現性にあろう。アイデンティティとしての держава は 前提であっても,それをどのように描くか,どのレベルまでこれを⾼めることを可能とす るのかは,アイデンティティとパワーの⼤きさの問題となる。つまり,ここに状況に応じ たプラグマティズムが要因として加わることになる。こう考えると,冒頭で提⽰した 4 つ の地政コードをさらに 2 つのカテゴリーに分解する必要がある。 (国家イメージ) (アイデンティティとパワーの相関) Ⅰ ⼤⻄洋国家 欧州共同体 ― 欧⽶と世界を共同管理 Ⅱ ロシア連邦 ノーマルな国⺠国家 ― より純化されたロシア Ⅲ ユーラシア国家 内なるアジア性の探求 ― 東⽅シフト Ⅳ 旧ソ連 CIS(「近い外国」) ― 超⼤国回帰の夢 *後者ほどパワーレベルが上がる 同じ⼤⻄洋国家を標榜しても,欧州とより統合しようとする志向と,欧⽶との対等な⽴ 場をもとに世界に関わろうとする志向では具体的な外交は異なろう。多⺠族性を前提にし ながらもロシア(Rossiiskii)の旗の下に国際法を遵守し,現在の国際秩序を担おうとする 志向と,多様性よりもロシア(Russkii)の偉⼤さを標榜しようとする志向は違うのである。 同じユーラシアをスローガンにしても,単にロシアのなかのアジア性を意識する⽴場と, その名のもとに旧ソ連以外のアジア諸国との連携を強める⽴場にはずれがある。そして旧 ソ連をイメージしながらも,CIS など旧ソ連共和国との紐帯を再構築する次元とソ連とい うスーパーパワーに少しでも近づこうとする試みも異なる。概して,これら⼆分法におい て,後者はより強いパワーを必要としており,その要件をロシアが持ちうるかどうかに左 右される。 付⾔しておかねばならないのは,この種の議論は常に,構築が先か,現実が先かと⾔う, いわば卵と鶏の論争に陥ることであろう。筆者の⽴論の前提を⾔えば,すべての国家は, ⾃らの国益とパワーを⾼めることを指向している。パワーの変化によって認識は変わる。 パワーが変わればそれを実現できうるが,認識が先に変わってもパワーがなければそれは 夢に終わることを強調しておきたい。この意味で,国家はすべて⾃らのパワーを可能な局 ⾯において,最⼤化しようとする指向をもつとする仮説から筆者は出発する(38)。先に述べ (36) 岩下前掲書,233‒237 ⾴。ちなみにコーズィレフも「⼤国(великая держава)」について論じている (Козырев. Преображение, С. 51‒52)。 (37) ⽊村前掲書,60 ⾴など。 (38) もちろん,政治の⾔説で「理念」を重視したい学者たちは,このような⽴場に反論するであろう。こ れに対する直接の答えにはならないが,ここで添⾕芳秀のミドルパワー論を取り上げたい(添⾕芳秀 『⽇本の「ミドルパワー」外交:戦後⽇本の選択と構想』ちくま新書,2005 年)。しばしば左派の活 動家などはこの本に⾒られるキャッチの「ミドル」に関⼼を寄せるが,実際の添⾕の主張を聞いて失 望することが少なくない。添⾕はあくまでもパワー中⼼主義の⽴場に⽴ち,ミドルはあくまで選択に 過ぎないからだ。実際,外務省の戦略家たちは添⾕の主張のほとんどに賛同する(但し,「ミドル」

(14)

たプーチンの「超⼤国」を⽬指す外交の否定もその国⼒がないという冷徹な事実観察から スタートしていた。 緊張・対立と相互依存 前節までの分析を踏まえれば,プーチン外交とは I との決裂であり,II と III と IV のバ ランスのもと,⼆分法の後者にむけて可能な限りパワーを⾼めていくという⽅向性をもつ ものと整理できる。論点は II から IV までのどの地政コードをより指向するのかという点 だ。⽊村汎らが⾔うように,プーチンの外交が戦略をもたず,戦術的であるとするならば, これは外交の対象との相関によって決まるのではなかろうか。そこでロシアが外交を⾏う 対象をグローバル,近隣と分けて考えたい。そして最後に北東アジアと⽇本についても⾔ 及したい。 II から IV の後段に共通する第 1 の論点は,グローバル化された世界でこれをどのよう にパワーを⾼め,プレゼンスを⼤きくするかという課題であろう。だがパワーは経済⼒や 軍事⼒などを⾼めることを意味し,エネルギーなど資源輸出に依拠し,⾼度産業社会に国 全体を転換しえないロシアにとってこれは容易な達成課題ではない。しかも,このパワー を⾼める道は,リーマンショックとウクライナ危機後の「制裁」により,⽴ち⾏かなくな った。パワーをすぐに⾼めることができない現状で,プレゼンスと他者への影響⼒をどの ように⾼めるか,ここで戦術的な⽴ち回り,プラグマティックな対応が求められる。 エリツィン時代,そしてプーチン初期に追求してきた I の地政コードにもはや⽴ち得な い以上,⽶国との協働は不可視である。つまり,⽶国と対峙するという枠組のなかでこの 課題をどのように実現するかを考えなければならない。シンプルな解は第 1 に⽶国以外の グレートパワーと連携するとともに,欧州やアジアで⽶国の同盟国を分断し,⼀部をロシ アに引き寄せるというものだ。これらの表現がいわゆる,「多極化」への指向である。 第 2 の解は,世界中で関与可能な空間を⾒出し,そこに積極的に関わることである。こ の場合,シリアやトルコ,イランなどロシアの有する旧来の紐帯をもとにこれを利⽤する。 ベトナム,キューバなど南⽶,アジア,アフリカ各国あるいは地域全体への仕掛けをみる。 プーチンの⼀般教書や『ロシア政策動向』などを概観すれば,時々の⼤きな問題に焦点を むけつつ(2014 年のウクライナ,2015 年のシリア,2017 年の⽶国を意識した新型兵器へ の⾔及),多⾓的な外交を具体的に拾い出すことができよう。 他⽅でグローバルな外交と異なり,近隣との関係性は⼆律背反がある。もちろん,旧ソ 連諸国とそれ以外の諸国では関係性も異なっているが,対⽴的な関係をどのようにマネー ジするかは難問といえる。とくにウクライナ問題は近隣外交としても深刻だが,グローバ ルな外交にも⼤きな影響を与えている。要するに,ウクライナ問題はロシア外交の地政コ ード I の基盤のひとつを掘り崩したともいえる。これにより,ウクライナのユーラシアへ の回帰が絶望的になったということは,ロシアがよりヨーロッパから遠ざかったというこ という名前だけは除外して)。同様に⼩国論も,パワーがないことを前提に,あるいはパワーを追求 することが国益にならないことが前提として外交の選択を議論しているように筆者は思う。果たして, パワーがありながら⾃らの⼩ささを是とし,そこに国益を⾒出そうとする国など存在するのだろう か? 万が⼀,存在するとすれば,それは中国流の韜晦でしかなかろう。

(15)

とを意味し,ロシアのよってたつアイデンティティの選択が狭まったからだ。グローバル な⽅向性以外には,もはやユーラシアを強調するのか,ロシアそのものを強調するかしか ⾒えない。付⾔すれば,ユーラシア主義がもともと⼤⻄洋主義の対抗概念の意味あいをも たされていたことを思えば,⼆項対⽴の相対化は,ロシアへの指向をも強める要因の⼀つ となるのではなかろうか。つまり,コード I の⽋落(あるいは相対化)はコード III では なく,コード II,しかもその後者を強めかねない。 この⼀種の「孤⽴主義」とでも⾔える指向をどこまで抑えるかは,近隣との相互依存に 左右されよう。パイプラインなどはここで決定的な意味をもつ。旧ソ連諸国,とくに中央 アジアや中国との関係がここでクローズアップされてくる。これらの指向が語られるとき は,コード III が現出してくることになろう。 このように考えれば,現在のプーチン外交は次のように整理できる。すなわち,コード II を軸にコード III をアレンジし,場合によってはコード IV が顔を出すという枠組である。 北東アジアと中露関係をどう見るか ここまで考えてくると,北東アジアにおける中国の重要性が突出していることが明らか となる。グローバルな国際関係においても,近隣関係においても,中国のプレゼンスが圧 倒的だからだ。⽶国が主要な競争相⼿である限り,グローバルなレベルでも中国との連携 は不可⽋である。また近隣関係においても対⽴を回避し,依存をつくる相⼿としても中国 は必須である。つまり,ロシアの地政コードすべてが,中国なしでは考えられない構造と 化している。要するに,ロシアにとって(好き嫌いとか怖い怖くないを越えて)中国以外 の選択はもはやないのである。但し,ロシアと中国の関係は⽶国との関係の従属変数では 必ずしもない。国境問題の最終解決,相互依存の⾼まりなど「戦略的パートナーシップ」 の質的向上という⼟台があった上での「転換」といえる。 北東アジアという地域をみても中国との連携はロシアのプレゼンスを⼤きく⾒せる。北 朝鮮をめぐる事例がこれを如実に表している。キムジョンウンが⽶国と直接向き合うとき ロシアにやれることはなにもない。中国が前⾯にでるときも同様だ。だが⽶中関係の綱引 きから中国が動けないとき,ロシアは⽀援も含めて北朝鮮に関与できる。これは中国と北 朝鮮の隙間にロシアが⼊るというよりは,中国にのっかってロシアのプレゼンスを⽰すと いう⾵に考えた⽅がいい。 東⽅経済フォーラムでも同様だ。プーチンは習近平だけでは嫌だから他国のアジアのリ ーダーにも声をかけるという。だが習近平なしで,ウラジオストクの会合は盛り上がるだ ろうか。いや,中国との関係という前提があって,北東アジアのロシアは⼤きく⾒えるの だ。要するに,ロシアは中国をバンドワゴンとして使っている。 さてこれらの現象を「中国ファースト」と整理する論者が最近,増えている。これが果 たして「便宜上」のものかどうかが争点となろう。中露関係のこの性格を最も国際的にア ピールした先鞭は,恐らくボーボ・ローであろう(39)。彼の議論は当時,『フォーリン・ア

(16)

フェアーズ』誌でコトキンが絶賛するなど(40)ブームになったが,筆者は彼の議論には当初 から否定的であった。とくにその「戦略的緊張」の予⾒は完全に裏切られたと⾔ってよい。 ローの本が出た直後,フィオナ・ヒルとアンジェラ・ステントが主宰したクローズドのセ ミナーでこの点が激論となった。「戦略的緊張」論を真っ向から批判したのは私とギルバ ート・ロズマンであったが,(スティーヴン・ブランクなど)多くはローの議論にシンパ シーを感じていたようだ。もっともこれは⽶国流のすべてのシナリオを想定して,中露が 軍事衝突する可能性を議論しただけのようであるが(主宰者は⾃分たちも中露が本当に衝 突するとは思っていないと終了後に⾔っていた)。 だがいまでもロー的な考えに傾斜する論者は少なくない(とくに⽇本の外務省の⼀部)。 これにはロシア側の仕掛けもあるようだ。2008 年,⽇本外務省のイニシャティブで⽇本 国際問題研究所と CSIS,IMEMO の三者によるトラック II 会議が開かれたことがある。当 時,IMEMO でこれをけん引したのが,朝鮮半島問題に詳しいワシリー・ミヘーエフであ る。筆者の推測に間違いがなければ(あえてこう表現しておく),彼は秘密のペーパーを ⽇本側に渡し,ロシアにとっての「中国脅威」を吹聴していた。それを真に受けたのであ ろう。⽇本側の関係者は,ロシアは⼼のなかでは中国が怖がっている,それをもとに⽶国 を巻き込んで⽇本とロシアとより進んだ関係を作ろうと。だがロシア側は会議の席でも中 国の脅威に⾔及することは最後までなかった(41) 筆者はこの経緯を観察していて,⻑年,極東研究所で所⻑を務めたミハイル・チタレン コを思いだした。彼とはモスクワ,北京,ハルビン,東京,札幌などいろいろなところで 会う機会があったが,あるとき相⼿によって主張を変えていることに気が付いた。⽇本⼈ とだけ会うとき,彼は中国の悪⼝や脅威を⾔うが,中国⼈と会うときは⽇本の批判をする。 インドの研究者とこの話をしたとき,やはりインド⼈には中国の悪⼝をいうそうだ。そし て,中国⼈⾃⾝が,ペレストロイカ以前のチタレンコの中国への厳しい⾔葉を覚えており, 彼を信じていなかった。 ミヘーエフについても似た話がある。筆者が信頼する中国⼈研究者と話をしたとき,彼 のことが話題になった。ミヘーエフは⽇本⼈に向かって中国の批判ばかりすると。彼はす ぐにうなずいた。我々に会うと⽇本の悪⼝ばかりだと。どうやら⽬先の戦術ばかりをみて いるのはプーチンだけではなさそうだ。 このように考えると,これまでの議論がむしろ転倒していたのではないかと問いかけた くなる。1990 年代初頭及び 2000 年代初頭の⽶国との接近こそが,便宜上の関係ではなか ったのか。ロシアにとっての中国こそ地政的に⾃然で不可⽋なパートナーであり,⽶国こ そが⼀時的な便宜上のパートナーであった。 『ロシア政策動向』がまとめた各種世論調査(2017 年)も興味深い。軍事的脅威を⽶ 国とするものが 4 割に対して,中国とするものは 1 パーセント。中国を友好国とするもの (40) 2009 年,来札した Foreign Affairs の編集⻑に対して,コトキンのこの本に対する書評について筆者は ネガティブなコメントをしたことを覚えている。ローの著作の⽋陥はとくに中国⼈研究者や彼らの⽂ 献への⽬配りのなさ(おそらく中国語は読めない),地政学的な問題を⾔う割には国境地域の動静に ついてほぼ分析がないことである(これを聞いた編集⻑はとても嫌な顔をしていた)。See, Stephen Kotkin, “The Unbalanced Triangle; What Chinese-Russian Relations Mean for the United States,” Foreign

Affairs, September/October 200).

(17)

は 6 割を超えるが,⽶国は 2 パーセント。逆に最も⾮友好的な国の 67 パーセントが⽶国 (69 パーセントのウクライナに次ぐ)であるが,中国は 1 パーセントしかない。ロシアの 経済にとっての重要性も中国がトップの 48 パーセントで⽶国は 20 パーセントにとどまる。 極めつけはロシア国⺠との共通性が多く相互理解などが容易とする国に関する調査だろ う。ベラルーシが 64 パーセント,カザフスタンが 35 パーセントと順当だが,中国が 22 パーセントで 3 位に⼊る。⽶国はわずか 2 パーセントである(42) 中国とロシアの同盟関係については,軍事的には当てはまらないとし,経済的にもそれ ぞれの利益が中⼼とされつつも,政治的にはそうだとラブロフ外相も認めている。これら の前提を看過してロシアと⽇本の関係に希望を持ち続けるのはナイーブだろう(43) 最後に中国側の状況を整理しておく。⽯井明によれば,中国の「強国(qiangguo)」は держава に相当する。習近平の⾔う,「総合国⼒」という考え⽅はソフトパワーも包摂する ものだが,その考えは清朝時代の歴史的記憶にルーツをもつとする。同盟は頼りにならな い,⾃⼒で強国を作らねばならない,⼤国関係の安定的前進(バランスのとれた発展の枠 組をつくることで,⼤国間の衝突を避ける)というのがそれだ(44)。中国とロシアのパワー 観の近似が両者を結び付けていると思われる。 ロシアにとっての日本 (国家イメージ) (⽇本との関係) Ⅰ ⼤⻄洋国家 低い関⼼ ― ⾃然な同盟国 Ⅱ ロシア連邦 ⼀定の重視 ― 関⼼の低下 Ⅲ ユーラシア国家 協⼒とバランサー Ⅳ 旧ソ連 軽視 では最後にロシアからみた⽇本の問題を考えてみたい。「⽇本」「中国」という名前で, 国家を連続体として考え,歴史的考察をすることが学界では常套であるが,ロシアからみ た場合,第 2 次世界⼤戦の前と後ろの状況を単線的につなぐことに筆者は躊躇がある。外 交史研究者はよくスターリンが⽇本の脅威をアピールし,これが戦後の対⽇外交の出発点 であったという⽴論をする。資料的にも実態的にもその通りなのだろう。 しかしながら,地政の劇的な変化はこの⾒⽅が戦後直後はともかく,どの程度のスパン でロシアの対⽇外交を規定したかに疑いを持たせる。戦前の⽇本は,今の中国のようにす くなくともモンゴル以東から⽇本海に⾄るまでソ連と対峙していた。だが戦後の⽇本はサ ハリンを失い,クリルへの⾜場ももはやほぼもたず,主としてオホーツクの⼀部でロシア と近接したに過ぎないからだ。いわば,ソ連と⽇本の地政における結節は,対⽴しようが, (42) 『ロシア政策動向』ラヂオプレス社の 2019 年を参照。 (43) ⻑年,筆者も地政を静態的なものととらえており,国境問題を乗り越えた中国とロシアは「戦略的緊 張」はなくても,「同盟」関係には⾄らないと理解していた。近年は地政を変数や構築的にとらえる ⽴場から,「同盟」もありうるとの⽴場に傾斜しつつある。岩下明裕「中ロ接近が変える北東アジア の国際関係:⽶中ロ 3 ⾓形と⽇ロ関係への影響」伊集院敦編『変わる北東アジアの経済地図』⽂眞堂, 2017 年。 (44) ⽯井明・東⼤名誉教授からのコメント,2020 年 8 ⽉ 11 ⽇付。

参照

関連したドキュメント

通信の「メガ論争」、マウンテントップ方式vs低地方式

従事者 作付地 耕地 作付地 当たり 生産高.

2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017

2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014. 貨物船以外 特殊船

2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019

度が採用されている︒ の三都市は都市州である︒また︑ ロンドン及びパリも特別の制

2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020. (前)

2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 地点数.