寛 年 延 喜 の 佛 教 五 二
寛
孕
延
喜
の
佛
教
大
屋
徳
城
一 寛 雫 は 宇 多 天 皇 の 年 號 で あ り 、 延 喜 は 醍 醐 天 皇 の 年 號 で あ る 。 尤 も 醍 醐 の 朝 に は 、 昌 泰 、 延 喜 、 延 長 の 三 號 が あ る が 、 そ の 中 心 を 爲 す も の は 延 喜 で あ る か ら、 延 喜 を 以 て 醍 醐 の 朝 を 代 表 さ せ た と て 、 異 論 も あ る ま い 。 宇 多 天 皇 の 時 代 の 佛 教 を 説 く に は 寛 卒 に 止 め て 、 延 喜 に 及 ぷ べ き 理 由 は な い が 、 宇 多 天 皇 の 信 仰 的 御 活 動 は 主 と し て 、 そ の 御 譲 位 後 、 帥 ち 法 皇 と し て の 御 事 で あ る か ら 、 朝 は 醍 醐 で あ る が 、 事 實 は 連 績 し た も の と 見 て 、 不 可 分 の 見 解 に 立 つ べ き で あ ら う 。 彷 て 、 此 に 寛 卒 、 延 喜 の 佛 漱 と し て 、 宇 多 、 醍 醐 の 二 朝 に 亙 り 、 當 時 佛 敢 の 大 勢 を 観 察 し て み よ う と 思 ふ 。 凡 そ 卒 安 朝 の 佛 敏 は 延 暦 、 弘 仁 を 創 始 期 と し 、 嘉 鮮 、 貞 観 を 綴 承 期 と し 、 此 の 雨 期 を 以 て 一 段 落 と す れ ば 、 創 始 期 に は 、 最 澄、 室 海 の 爾 雄 出 で 、 、 唐 朝 の 新 佛 教 を 輸 入 し 、 此 に 始 め て 本 邦 特 有 の 佛 数 が 展 開 さ れ る 事 と 爲 る 。 之 れ は 何 と い つ て も 、 日 本 の 佛 数 史 に 於 い て 室 前 の 盛 観 で あ る 。 寧 樂 朝 の 佛 数 は 非 常 に 昌 ん で あ る が 、 幾 何 の 創 作 性 を 有 す る か は 頗 る 疑 問 で あ る 。 寧 樂 朝 佛 激 の 系 統 を 引 く 余 の謂 は ゆ る 寧 樂 佛 敏 の 獲 展 は 寧 ろ 準 安 、 鎌 倉 の 雨 期 に 囑 す る 。 随 っ て 、 最 澄 の 唱 道 し た 圓 頓 大 戒 や 、 止 観 、 遮 那 の 爾 業 は 支 那 天 台 と も 範 疇 を 異 に す る も の で あ つ て 、 そ こ に 日 本 特 有 の 色 彩 が あ り 、 塞 海 の 案 出 し た 顯 密 二 教 の 激 判 や 、 十 住 心 の 判 繹 は 、 支 那 の 密 教 に 理 論 的 根 祇 を 與 へ た も の で 、 こ れ 亦 本 邦 特 有 の 佛 敏 で あ る 。 此 の 二 大 天 才 に 依 つ て 、 卒 安 佛 敏 の 礎 が 置 か れ た 。 廣 く い へ ば 、 日 本 の 文 化 が 大 陸 の 從 厨 的 地 位 か ら 開 放 さ れ 、 新 に 濁 立 を 確 保 し た 第 一 線 が 此 に 始 ま る 鐸 で あ る 。 帥 ち 日 本 文 化 創 立 の 黎 明 が 來 た わ け で あ る 。 之 れ に 綾 く 嘉 群 、 貞 観 の 時 代 は 、 右 の 萌 芽 を 生 長 せ し め た 綴 承 期 で あ る 。 最 も 東 密 の 方 は 室 海 の 比 較 的 長 壽 と 、 博 大 な 頭 騰 の 活 動 に 依 り 、 大 膿 の 事 業 は 殆 ん ど 完 成 の 形 と 爲 っ て 居 た 。 随 つ て 、 此 の 繊 承 期 は 全 く 文 字 通 り に 守 成 期 で あ つ て 、 謂 は ゆ る 十 大 弟 子 と 稽 せ ら る 、 人 々 が 、 能 く 其 の 遺 さ れ た 蹟 を 守 り つ 、 、 盆て 完 成 の 域 へ と 到 達 せ し め つ 、 あ つ た 。 之 に 反 し て 、 台 密 の 方 は 最 澄 の 比 較 的 短 命 と 、 萬 事 が 創 業 中 途 で あ つ た の で 、 遺 さ れ た 事 業 は 大 部 分 が 未 完 成 の 儘 で あ つ た 。 圓 頓 大 戒 は 寂 後 七 日 、 大 乗 戒 壇 の 勅 許 に 依 つ て 、 一 慮 の 結 論 に 達 し た の で あ る が 、 そ の 他 の 止 親 、 遮 那 の 完 成 は 前 途 遼 遠 で あ り 、 就 中 、 遮 那 業 の 方 面 に 於 い て 、 最 も 遺 憾 な 黙 が 多 か つ た 。 叉 そ の 薮 勢 か ら い つ て も 、 最 澄 寂 後 の 叡 山 は 最 も 落 莫 た る も の で あ つ て 、 義 眞 、 圓 澄 等 の 遺 弟 の 努 力 は 大 鍵 な も の で あ つ た 。 故 に 、 嘉 群 貞 観 の 糧 承 期 は 本 統 な 意 味 に 於 い て は 、 寧 ろ 創 始 期 の 延 長 と 観 る べ き も の で あ つ て 、 圓 仁 、 圓 珍 の 雨 寛 亭 延 喜 の 佛 教 五 三
寛 挙 博延 喜 の 佛 教 五 四 傑 は 此 の 一 大 危 機 に 當 つ て 、 よ く 最 澄 の 偉 業 を 繊 承 す る は 勿 論 、 そ の 創 作 的 方 面 の 一 部 を 分 憺 し た 形 と 爲 つ て 居 る 。 之 れ が 束 密 の 純 然 た る 縫 承 、 守 成 と 異 な つ た 意 義 を 有 す る 所 以 で 、 嚴 密 に い へ ば 、 台 密 は 未 だ 創 始 期 を 終 ら ざ る も の で あ る と 評 せ ざ る を 得 ぬ 。 否 、 否 、 台 密 の 完 成 は そ の 次 の 寛 卒 、 延 喜 時 代 に さ へ 及 ん で 居 る の で あ る 。 以 上 の 雨 期 を 受 け た 寛 準 、 延 喜 の 時 代 は 、 前 後 凡 そ 四 十 年 の 長 き に 亙 る が 、 此 に 台 密 は 愈 よ 激 理 上 の 完 成 期 に 入 り 、東 密 は 殆 ん ど 教 相 の 門 か ら 脱 し て 、事 相 專 門 の 新 路 を 開 く 。 帥 ち 台 密 は 園 仁 、 圓 珍 の 後 を 受 け て 、 五 大 院 の 安 然 出 で 、 四 明 峰 上 高 く 四 一 十 門 の 大 旛 を 押 立 てく 、 台 密 の 教 相 を 完 成 し 、 次 い で 來 る 良 源 (慈 慧 僧 正 ) の 活 動 を 促 す 根 祇 を 盤 石 の 上 に 築 く 事 と な る 。 市 し て 東 密 は 如 何 と い ふ に 、 十 大 弟 子 の 多 く は 既 に 寂 し て 、 聖 寳 、 盆 信 の 二 傑 出 で 小 野 、 廣 澤 の 二 流 を 開 き 、 事 相 の 門 戸 大 に 張 り 、 聖 寳 の 弟 子 に 槻 賢 を 出 し 、 槻 賢 の 下 に 淳 茄 を 出 し 、 聖 寳 は 醍 醐 寺 を 開 き 、 槻 賢 は 般 若 寺 に 、 淳 訪 は 石 山 に 擦 り 、 門 涙 漸 ぐ 近 畿 に 張 り 、 又 、 聖 寳 は 東 大 寺 に 東 南 院 を 建 て 、寧 樂 佛 敢 と の 聯 繋 愈く 固 く な り 、 三 論 、 法 相 も 東 密 の 潮 流 を 被 る こ と 愈 甚 し く 爲 る 基 を 開 く 。 盆 信 は 圓 城 寺 に 慷 り 、 宇 多 法 皇 の 御 館 依 を 得 て 、 そ の 師 と 爲 り 、 一 流 雛 興 し て 、 仁 和 寺 の 法 流 を 開 く 。 か く て 、 束 密 の 全 事 相 は 、 小 野 、 廣 澤 の 爾 流 を 以 て 、 一 大 縦 断 線 と 爲 し 、 聖 寳 の 流 に 仁 海 出 で 、 此 に 曼 茶 羅 寺 を 中 心 と す る 小 野 派 の 確 立 々 見 、 そ の 流 派 の 分 る 、 と こ ろ 、 成 鯨 を 経 、 範 俊 、 義 範 を 経 て 、 嚴 畳 の 下 よ り 拗 修 寺 、 随 心 院 、 安
鮮 寺の 三 流 、 勝 畳 の 下 よ り 三 寳 院 、 理 性 院 、 金 剛 王 院 の 三 流 を 出 し 、 又 中 院 流 を 分 つ 事 と 欝 り 、 盆 信 の 流 に 寛 朝 出 で 、 此 に 遍 照 寺 を 中 心 と す る 廣 澤 流 の 確 立 と 爲 り 、 そ の 流 涙 の 分 る 、 と こ ろ 、 大 御 室 の 性 信 を 経 て 、 寛 助 の 下 よ り 、 御 流 、 保 壽 院 、 西 院 、 華 藏 院 、 忍 辱 山 、 傳 法 院 、 持 明 院 等 の 諸 流 を 出 す 事 と な り 、 謂 は ゆ る 野 澤 十 二 流 、 三 十 六 派 の 分 派 を 爲 す 事 と 爲 っ た 。 固 よ り 如 上 の 分 出 は 頗 る 後 世 に 亙 り て の 出 來 事 で あ つ て 、 寛 李 、 延 喜 の 朝 に 突 如 と し て 起 つ た 繹 で は 無 い が 、 そ の 分 派 の 動 機 を 作 つ た も の は 、 實 に 寛 李 、 延 喜 の 朝 に 於 け る 聖 寳 と 釜 信 の 出 世 に 因 る の で あ る 。 果 し て 然 ら ば 、 寛 卒 、 延 喜 の 宇 多 、 醍 醐 の 雨 朝 は 李 安 朝 に 於 け る 密 教 事 相 の 根 源 を 爲 す 時 代 と い は ね ば な ら ぬ 。 而 し て 斯 る 密 教 隆 盛 の 原 因 を 爲 し た も の は 、 決 し て 一 二 英 哲 の 個 人 的 影 響 に 因 る 謬 で な く 、 大 勢 の 然 ら し む る と こ ろ た る は 勿 論 で あ る が 、 併 し 寛 不 法 皇 が 萬 乗 の 尊 を 以 て 、 親 し く 盆 信 に 蹄 依 し 給 ひ 、 自 ら 阿 閣 梨 位 に 登 り て 、 傳 法 の 血 脈 に 入 り 給 ふ た 事 も 塞 前 の 一 大 重 要 事 で あ つ た と い は ね ば な ら ぬ 。 二 斯 く の 如 く 、 李 安 初 期 に 於 け る 佛 激 興 隆 は 非 常 な 速 度 を 以 て 行 は れ た が 、 そ の 孚 面 に は 随 分 弊 害 も あ つ た の で あ る 。 そ の 弊 害 が 寛 李 、 延 喜 の 頃 に 至 り て 表 面 に 現 は れ て 來 た こ と は 、 三 善 清 行 の 封 事 に 依 つ て 之 れ を 明 か に す る 事 が 出 來 る 。 此 の 封 事 は 延 喜 十 四 年 に 上 つ た も の で あ る が 、 左 の 一 個 條 は 明 に 此 の 時 代 に 於 け る 佛 教 の 流 弊 を 痛 論 し て 居 る 。 寛 李 延 喜 の 佛 教 五 五
寛 亭 延 書 の 佛 教 五 六 一 請 レ禁 ニ諸 國 信 徒 濫 悪 及 宿 衛 含 人 之 凶 暴 ー事 、 右 臣 伏 見 、 去 延 喜 元 年 官 符 、 已 禁 権 貴 之 規 ニ鋼 山 川 一、 勢 家 之 侵 中奪 田 地 幽、 菱 二州 郡 之 枳 棘 一、 除 轟兆 庶 之 螢 賊 一、 吏 治 易 レ施 、 民 居 得 レ安 、 但 猶 兇 暴 邪 悪 者 、 悪 僧 與 二 宿 衛 一 也 、 伏 以 諸 寺 年 分 、 及 臨 時 得 度 者 、 一 年 之 内 、 或 及 二 二 三 百 人 一也 、 就 レ中 孚 分 以 上 皆 邪 濫 之 輩 也 、 又 諸 國 百 姓 逃 二課 役 一、 通二 租 調 一 者 、 私 自 落 レ髪 、 狸 著 二法 服 一、 如 レ此 之 輩 、 積 レ年 漸 多 、 天 下 人 民 、 三 分 之 二 、 皆 是 雰 首 者 也 、 此 皆 家 蓄 二 妻 子 一、 口 啖 二腱 謄 一、 形 似 二沙 門 一、 心 如 二屠 見 一、 況 其 尤 甚 者 、 聚 爲 二群 盗 一、 綱 鋳 二鏡 貨 一、 不 レ畏 ご 天 刑 一、 不 レ顧 轟佛 律 一、 若 國 司 依 レ法 勘 糺 、 則 霧 合 雲 集 、 競 爲 二暴 逆 一、 前 年 攻 二園 安 藝 守 藤 原 時 善 一、 劫 略 紀 伊 守 橘 公 廉 一 者 、 皆 是 濫 悪 之 信 、 爲 ご其 魁 帥 一也 、 縦 使 二官 符 逞 登 一、 朝 使 緩 行 者 、 時 善 公 廉 皆 爲 二魚 肉 一也 、 若 無 昌禁 懲 之 制 一、 恐 乖 防 衛 之 力 一、 伏 望 諸 僧 徒 有 二凶 濫 一者 、 登 時 追 補 、 少 レ返 二進 度 縁 戒 牒 一、 即 著 ご俗 服 一、 返 ご 附 本 役 一、 又 私 度 沙 彌 爲 ご其 凶 蕪 一者 、 帥 著 ご 鉗 欽 一、 駈 二役 其 身 一。 右 の 封 事 の 一 項 は 悪 僧 と 宿 衛 と を 併 せ 論 じ た も の で あ る が 、 宿 衛 の 事 は 別 の 問 題 で あ る か ら 、 此 に 除 外 し 、 信 徒 の 濫 悪 に 就 い て 述 べ る と 、 度 牒 の 制 度 が 緩 ん だ 爲 め に 、 毎 年 二 三 百 人 の 僧 を 造 り 、 随 つ て 質 を 問 ふ 隙 が な く な り 、 民 間 無 頼 の 徒 が 、 課 役 を 逃 れ 、 租 調 を 通 れ ん が 爲 に 、 合 法 的 制 度 に 擦 る こ と な く し て 、 私 に 剃 髪 し 、 法 衣 を 着 し て 、 激 團 に 侵 入 す る の で あ る か ら 、 そ の 弊 害 は 實 に 言 語 に 絶し 、 形 は 信 の 如 く で あ る が 、 心 は 全 く 屠 見 に 類 す る も の が 多 く 、 随 つ て 戒 律 を 持 つ 事 な く 、 皆 家 居 し て 出
家 の 生 活 を 爲 さ す 甑 妻 子 を 携 へ て 家 族 生 活 を 爲 し 、 口 に 脛 腔 を 啖 ひ 、 甚 し き も の は 相 傘 ゐ て 群 盗 を 爲 し 、 貨 幣 を 傭 造 す る な ど 、 言 語 道 断 の 振 舞 を 爲 し 、 之 れ を 制 止 し 、 糺 察 せ ん と 爲 る 時 は 、 忽 ち 集 團 を 爲 し て 、 國 司 、 國 守 に 反 抗 し 、 暴 動 を 企 て 、 官 権 の 力 を 以 て す る も 、 如 何 と も す る こ と 能 は ざ る も の が あ る と い ふ の で あ る 。 此 の 封 事 の 交 面 に は 大 分 誇 張 の 痕 が み え て ゐ る の で 、 實 際 上 偲 徒 の 濫 悪 が 斯 様 で あ つ た か ど う か は 幾 分 疑 問 の 鯨 地 が あ つ て 、 必 す し も 悉 く 信 す る 課 に は い か ぬ 。 ﹁ 天 下 人 民 、 三 分 之 二 、 皆 是 禿 首 者 也 ﹂ と い ふ の 類 は 大 分 誇 張 し た 言 ひ 方 で あ る 。 い か に 度 牒 の 制 が 緩 ん で 居 た と て 、 ま さ か 天 下 の 人 民 の 三 分 の 二 が 信 籍 を 冒 し た と は 考 へ ら れ 沁 。 併 し 又 清 行 の い ふ 事 は 全 然 虚 鶴 の 陳 述 で あ つ て 、 佛 敢 を 謳 ふ る も の で あ る と い ふ 事 は 出 來 ぬ 。 そ の 事 實 例 澄 は 少 か ら す あ る の で あ る 。 況 ん や 叉 善 行 自 身 は 決 し て 佛 教 に 封 し て 反 戚 を 持 ち 、 故 意 に 佛 激 を 中 傷 し 、 誕 趣 す る 意 志 を 有 す る 人 で は 無 い 。 一 例 を 墨 げ る な ら ば 、 清 行 は 智 謹 大 師 圓 珍 と 親 交 が あ つ た の で、 圓 珍 滅 後 、 遺 弟 た ち は 清 行 に 嘱 し て 圓 珍 の 傳 を 編 し て も ら つ て ゐ る の で 、 夫 れ が 現 に 傳 は つ て ゐ る 圓 珍 傳 の 最 古 な る も の で あ る 。 即 ち 天 台 宗 延 暦 寺 座 主 圓 珍 傳 の 終 に 、 左 の 一 節 が 附 記 し て あ つ て 、 そ の 事 情 を 明 か に し て 居る 。 此 の 一 飾 は 流 布 の 刊 本 に ば あ る が 、 石 山 寺 所 藏 の 古 爲 本 に は 存 ぜ ぬ か ら 附 記 で あ る と 余 ほ 考 へ る 。 件 家 傳 記 録 濫 膓 者 、 延 喜 二 年 秋 從 二綱 所 一 可 レ進 二和 尚 家 傳 一之 牒 到 來 寺 家 一、 々 々 記 録 可 レ進 二國 史 所 一 之 由 寛 亭 延 喜 の 佛 教 五 七
寛 平 延 喜 の 佛 教 五 八 牒二 山 王 院 一、 愛 和 尚 入 室 良 勇 十 灘 師 委 憶 ご和 尚 掌 生 始 終 之 事 一、 同 入 室 鴻 碁 大 法 師 引 二勘 和 術 手 中 遺 文 一、 兼 復 同 入 室 大 法 師 衆 口 討 論 、 乃 令 二最 後 入 室 毫 然 筆 校 略 記 一、 其 後 付 二善 學 士 一 令 レ撰 二定 之 一、 學 士 一 以 憶 在 二 尚 之 微 旨 一、 一 以 叶 二於 門 人 之 衷 誠 一、 奉 公 之 隙 、 撰 述 已 畢 。 之 れ で 撰 述 の 事 情 は 明 か で あ る が 、 右 傳 の 終 に 、 清 行 が 戚 慨 を 洩 し て 居 る 一 節 が あ つ て 、 清 行 自 ら 圓 珍 と 親 交 の あ つ た 事 を 述 べ て 、 左 の 如 く 傳 を 結 ん で 居 る 。 和 尚 晩 年 特 愛 遇 尚 書 左 丞 藤 佐 世 一、 起 居 帥 善 清 行 、 綱 纒 恩 好 如 レ有 ご 宿 世 之 契 一 焉 、 故 可 レ著 二 述 和 術 之 遺 美 一者 、 此 雨 人 當 レ任 也 、 (中 略 ) 今 年 和 尚 之 遺 弟 子 相 共 録 二 和 尚 平 生 行 事 一、 合 三余 撰 定 其 傳 一、 此 亦 和 尚 之 遺 志 也、 余 封 二此 聖 跡 一、 宛 如 二再 逢 一、 握 レ筆 流 レ涙 、 一 字 一 滴 、 願 我 頼 二今 日 之 實 録 一、 結 工他 生 之 冥 期 一、 延 喜 二 年 冬 十 月 二 十 日 、 翰 林 學 士 善 行 記 乏 。 事 頗 る 岐 路 に 亙 つ た が 、 右 の 文 に あ る や う に 、 善 行 は 圓 珍 と 親 交 が あ つ た の で 、 強 ち 佛 激 に 反 戚 を 有 つ て ゐ た と は 考 へ ら れ ぬ 。 随 つ て 右 の 封 事 の 呵 節 は 大 分 誇 張 の 言 は あ る け れ ど も 、 又 事 實 の 指 摘 す べ き も の は 充 分 に あ つ た と 考 へ な け れ ば な ら ぬ 。 帥 ち 清 行 の 封 事 は 當 時 隆 々 と し て 興 つ た ゐ る 佛 敏 界 の 裏 面 に 、 斯 る 一 大 陰 影 が 潜 ん で ゐ た も の と い は ね ば な ら ぬ 。 即 ち 寛 卒 、 延 喜 の 時 代 は 平 安 朝 に 於 け る 佛 激 界 の 頽 磨 的 氣 分 が 漸 く 表 面 に 現 は れ た 時 代 と 繕 す べ き で あ ら う 。 斯 る 私 度 、 濫 度 の 流 行 は 、 僧 徒 の 素 質 を 低 下 し 、 他 の 経 濟 的 關 係 と 相 結 ん で 、 漸 く 檜 兵 の 興 る 階 梯
を 爲 し た 事 は 、 余 が ﹁ 僧 兵 論 ﹂ に 於 い て 詳 述 し た 蓮 り で あ る 。 ﹁ 日 本 佛 教 史 の 研 究 ﹂ 第 二 巻 た 見 よ 。 三 以 上 、 平 安 朝 初 期 の 佛 教 を 叙 し て 、 寛 平 、 延 喜 の 時 代 に 及 び 、 宇 多 法 皇 御 在 世 中 の 佛 激 の 大 勢 を 述 べ た の で あ る が 、 之 れ よ り 、 そ の 内 容 に 立 入 り 、 台 密 、 東 密 興 隆 の 状 態 を 述 べ る で あ ら う 。 先 づ 台 密 の 方 か ら 槻 察 す る と 、 天 台 に 於 い て は 、 寛 平 二 年 元 慶 寺 遍 照 が 寂 し 、 同 じ く 三 年 に 園 城 寺 圓 珍 が 寂 し て 居 る 。 圓 珍 は 帥 ち 智 謹 大 師 で 、 寺 門 の 粗 で あ る 。 随 っ て 、 此 れ 等 の 人 々 は 前 時 代 に 囑 す る 人 々 で あ つ て 、 寛 平 、 延 喜 の 時 代 に は 關 係 が な い と し な け れ ば な ら ぬ 。 故 に 此 の 時 代 の 代 表 的 人 物 は 圓 仁 門 下 の 人 々 と 。 圓 珍 門 下 の 人 々 の 中 で 、 傑 出 し た 高 信 に 求 め ね ば な ら ぬ 。 今 圓 仁 門 下 を 見 渡 す と 、 恵 亮 、 安 然 、 長 意 、 相 慮 、 遍 照 、 安 慧 、 立 照 の 如 き 有 名 な 人 物 に 乏 し か ら ぬ が 、 就 中 、 漱 學 史 上 最 も 注 意 す べ き 人 物 は 何 と い つ て も 、 安 然 で あ ら ね ば な ら 漁 。 次 に 圓 珍 門 下 を 眺 め る と 、 良 勇 、 猷 憲 、 康 清 、 尊 意 、 玄 竪 、 京 意 、 悟 意 、 定 悪 、 粁 舞 、 増 命 、 増 飲 等 多 士 濟 々 の 観 が あ つ て 、 尊 意 の 下 に 飴 慶 出 つ る に 及 ん で 、 圓 珍 系 か ら 初 め て、 天 台 座 圭 に 補 任 せ ら れ 、 圓 仁 系 と の 一 大 衝 突 を 惹 起 し 、 謂 は ゆ る 永 酢 の 宣 命 事 件 と 爲 り 、 山 寺 二 門 の 分 裂 を 來 す 事 と 爲 る が 、 そ は 次 の 時 代 に 馬 し 、 寛 平 、 延 喜 の 時 代 に は 、 激 學 的 に 圓 仁 系 に 匹 敵 す る 程 の 人 物 は 見 當 ら ぬ や う で あ る 。 斯 く の 如 き 事 情 で あ る か ら 、 大 局 か ら 観 察 し て 、 寛 平 、 延 喜 の 時 代 を 代 表 す る 天 台 宗 側 の 寛 平 延 喜 の 佛 教 五 九
寛 平 延 喜 の 佛 教 六 ○ 人 物 は 、 ど う し て も 、 五 大 院 安 然 に 指 を 屈 せ ね ば な ら ぬ と 思 惟 す る 。 然 る に 、 此 に 一 つ の 疑 問 が あ る 。 夫 は 五 大 院 安 然 の 事 蹟 が 甚 だ 明 か な ら 漁 事 で あ る 。 併 し 近 時 橋 本
進
吉
君
の
安
然
研
究
が
史
學
雑
誌
第 二 十 九 編 第 八 號 安 然 和 尚 事 臓 考 に 現 は れ て 大 分 明 か に な つ た が 、 夫 れ に 擦 る と 、 元 慶 八 年 に 四 十 四 歳 (承 和 入 年 生 と 推 定 ) 夏 臓 二 十 六 、 寛 平 元 年 に 四 十 九 歳 、 臓 三 十 一 で 、 圓 仁 よ り は 四 十 七 歳 圓 珍 よ り は 二 十 七 歳 、 遍 照 よ り は 二 十 四 歳 、 盆 信 よ り は 十 四 歳 、 相 鷹 よ り は 十 歳 、 聖 寳 よ り は 九 歳 の 弟 で あ る と い ふ 事 で あ る か ら 、 圓 珍 、 遍 昭 よ り は 一 時 代 を 後 れ 、 盆 信 、 聖 寳 と 同 時 代 と 考 へ て も 、 決 し て 大 過 は あ る ま い 。 果 し て 然 ら ば 、 安 然 を 以 て 、 寛 平 、 延 喜 の 時 代 に 於 け る 台 密 の 教 學 を 代 表 す べ き 人 物 と 考 へ て も 、 そ の 傳 記 上 年 代 學 上 に 於 い て も 妥 當 を 鉄 く と い ふ 事 は あ る ま い 。 況 ん や 、 思 想 上 に 於 い て は 、 正 し く 圓 仁 、 圓 珍 を 受 け て 、 台 密 の 教 相 を 大 成 し た 入 物 た る に 於 い て は 、 尚 更 適 當 で あ る と 思 惟 す る の で あ る 。 安 然 の 著 述 は 澤 山 あ る が 、 台 密 の 教 學 史 上 最 も 代 表 的 な も の は 眞 言 宗 教 時 問 答 四 巻 で あ る 事 は 世 間 周 知 の 事 實 で あ る 。 安 然 は 斯 書 に 於 い て 、 一 佛 、 一 時 、 一 庭 、 一 教 の 四 一 と 、 説、 語 、 教 、 時 、 藏 、 分 、 部 、 法 、 制 、 開 の 十 門 を 建 立 し て 、 台 密 の 教 綱 を 更 張 し 、 一 佛 の 法 門 に 於 い て 、 大 日 一 佛 説 を 建 て 、 一 教 の 法 門 に 於 い て 、 眞 言 一 教 を 建 て 、 、 金 剛 乗 を 以 て 、 顯 蜜 の 諸 教 を 撮 鑑 し た 。 帥 ち 一 佛 即 一 切 佛 な れ ば 、 因 地 に あ り て は 、 前 佛 、 後 佛 、 三 身 、 四 身 の 別 あ れ ど も 、 果 地 は 一 膿 に 會 入 す 。 諸 佛 悉く 毘 盧 遮 那 の 分 身 な れ ば 、 大 日 一 佛 と い ふ も 不 可 あ る こ と な し と い ひ 、 一 教 帥 一 切 教 な れ ば 、 眞 言 一 教 は 遍 一 切 乗 自 心 成 佛 の 教 帥 ち 一 切 の 説 教 を 包 含 す る 教 で 、 大 日 一 教 を 以 て 、 十 方 三 世 諸 佛 所 説 の 顯 密 の 教 門 撮 盤 せ ざ る な し と 述 べ て 居 る 。 十 門 の 説 略 す 然 れ ば 、 安 然 の 説 く 庭 は 全 く 毘 盧 遮 那 一 佛 、 大 日 一 経 で あ る か ら 、 眞 言 宗 教 時 問 答 の 書 名 も 出 て 來 る 課 で あ る が 、 之 れ を 最 澄 が ﹁ 法 華 一 乗 ご 眞 言 一 乗ミ有二何 優 劣 一﹂ 爲 二 泰 範 一 答 二 叡 山 澄 利 尚 一啓 書 と 講 し て 、 叡 山 に 止 観 、 遮 那 の 雨 業 を 並 置 し た 根 本 思 想 に 謝 照 し 來 れ ば 、 頗 る 正 軌 を 逸 脱 し た 説 と い は ざ る を 得 澱 。 法 華 経 と 大 日 経 を 同 一 醍 醐 と 観 た 叡 山 の 思 想 は 寛 平 、 延 喜 に 至 つ て 一 大 回 輻 期 に 遭 遇 し た と い は ね ば な ら ぬ 。 圓 仁 、 圓 珍 以 來 、 理 密 、 事 密 の 目 を 立 て 、 理 同 事 勝 を 唱 道 し た 台 密 家 の 説 は 、 究 極 す る と こ ろ 此 に 到 ら ざ る を 得 ぬ 因 縁 は 夙 に 芽 を 出 し て 居 た の で あ る か ら 、 大 勢 の 赴 く と こ ろ 、寛 平 、 延 喜 の 時 代 に 、 偶 よ 其 の 表 現 を 得 た の で 、 強 ち 此 の 説 を 唱 導 し た 安 然 を 非 難 す る は 當 ら す 、 假 命 安 然 無 し と 錐 も 、 斯 る 流 の 出 づ べ き 契 機 は 傲 と し て 伏 在 し て 居 た の で あ る 。 か く て 台 蜜 の 教 格 は 此 に 完 成 を 親 た 。 さ り な が ら 、 之 れ を 他 面 か ら 観 る 時 は 、 法 華 一 乗 と 眞 言 一 乗 を 同 一 親 し 左 叡 山 の 傳 統 思 想 は 尚 其 の 籐 閃 を 留 め て 、 藏 、 通 、 別 、 圓 、 密 、 五 教 の 教 鋼 を 立 て 、 法 華 を 略 説 秘 密 、 眞 言 を 廣 説 秘 密 日と 幕 し つ 、 も 、 室 海 の 十 往 心 の 教 判 に 樹 し て は 極 力 反 封 し 、 五 失 ( ( 一 ) 大 日 経 及 義 繹 に 蓮 す る 失 、 ( 二 ) 金 剛 頂 経 に 違 す る 失 、 ( 三 ) 守 護 國 界 経 に 違 す る 失 、 (四 ) 菩 提 心 論 に 違 す る 失 、 (五 )衆 師 の 説 に 違 す る 失 ) を 暴 げ て 、 寛 平 延 喜暑 の 佛 教 六 一
寛 平 延 喜 の 佛 教 六 二 ル ヤ ヤ 今 眞 言 宗 此 十 住 心 次 第 用 否 、 答 有 二五 失 一、 故 不 レ用 二十 住 心 次 第 二。 と い ひ 、 ﹁ 如 實 知 自 心 、 名 二 切 種 智 ﹂ の 文 に 就 い て 、 佛 性 一 乗 と 如 來 秘 密 を 分 ち 、 前 者 に 法 華 (初 ) 浬 葉 (中 ) を 撮 し 、 後 者 に 眞 言 乗 (後 ) を 轟 し つ 、 も 、 初 、 中 、 後 を 同 一 視 せ ん と す る が 如 き 、 明 々 地 に 最 澄 の 法 孫 た る 面 目 を 露 呈 し て 居 る 。 こ ぱ 敢 て 安 然 の み で な く 、 圓 珍 既既 に 此此 の 説訊 か 喝 へ で 居 る。 眞 言 乗 を 最 上 乗 と す る 台 密 の 徒 と し て の 安 然 の 思 想 と 、 北 頼 と 罵 り 、 麓 食 者 と 弾 じ た 最 澄 の 法 孫 た る 安 然 の 威 情 と が 、 渾 然 融 和 し て 登 揮 さ れ た 一 段 は 、 菩 提 心 義 抄 卷 五 に 於 け る 徳 一 未 決 第 四 疑 を 難 す る 一 節 で 、 甚 だ 興 味 あ る も の で あ る か ら 、 左 に 引 用 し て 置 か う 。 問 北 轍 作 眞 言 宗 十 一 未 決 一、 第 四 疑 云 、 菩 提 心 論 云 、 東 方 阿 閥 佛 成 二大 圓 鏡 智 一、 乃 至 十 方 眈 盧 遮 那 佛 成 二法 界 智 二、 今 疑 此 有 二 二 失 一、 ] 諸 佛 智 不 平 等 失 、 二 鯨 佛 無 智 失 、 (中 略 ) 此 疑 未 レ決 文 此 二 未 決 如 何 蓮 レ之 、 答 今 眞 言 宗 一 切 佛 教 判 爲 工五 教 一、 一 藏 二 蓮 三 別 四 圓 五 密 、 而 四 天 台 大 師 所 立 、 (中 略 ) 蘇 悉 地 疏 理 秘 密 教 之 外 更 立 工事 理 倶 密 之 教 二故 、 前 四 外 更 加 二第 五 二故 、今 問 レ汝 、 汝 依 二我 教 何 門 一起 レ疑 . 若 約 二小 乗 二 汝 我 不 レ立 二五 佛 智 一 、 若 約 二通 教 一、 我 許 二 一 切 衆 生 無 始 本 有 一、 故 至 二佛 位 二 亦 成 一別 佛 二、 若 望 二此 佛 二 非 二眞 言 義 一二 、 若 約 工別 教 一、 我 許 二 一 切 衆 生 一 如 愛 作 一、 縁 起 以 後 各 性 不 同 赦 、 至 成 佛一 、 教 道 別 佛 謹 渣 一 佛 、 若 望 二此 佛 非 二眞 言 義 三 、 若 約 二圓 教 一、 我 許 二 一 切 衆 生 本 來 一 如一 、 故 凡 夫 一 念 即 與 二 十 方 三 世 生 佛 二 不 膿 不 二 、 況 至 二成 佛 一、 十 方 法 界 無 レ非 二 此 佛 依 正 、 何 佛 何 智 而 非 二 一 膿 、 然 未 三明 分 開 説 二 五 智 三 密 事 理 、
故 名 二理 秘 密 数 未 レ名 二事 理 倶 密 一、 若 望 二此 佛 一非 二眞 言 義 一四 、 若 約 二密 相 一、 我 立 三 一 切 衆 生 非 二 一 切 一 心 一、 是 一 心 一 心 故 至 二成 佛 一、 三 世 修 行 謹 有 二前 後 一、 及 二謹 悟 巳 一無 二去 來 今 一、 然 復 三 世 諸 佛 各 從 二 一 門 一 入 二心 本 源 故 、 從 二本 所 遍 門 一 出 二法 界 海 一、 一 一 諸 奪 皆 以 一二 切 如 來 一 爲 レ禮 、 故 此 教 中 動 云 二 一 切 如 來 一 帥 此 義 也 、 若 望 二此 佛 、 本 從 二五 智 門 一入 二心 本 源 一、 今 從 二五 智 門 一入 二法 界 海 一、 五 佛 一 一 皆 以 昌 一 切 如 來 一爲 レ禮 、 身 智 李 等 更 無 勝 劣 、 故 不 レ中 二汝 第 一 諸 佛 智 不 卒 等 失 一、 亦 適 二 偏 増 勝 劣 之 疑 一、 又 十 方 佛 皆 同 二此 義 一故 、 不 レ中 二汝 第 二 諸 佛 無 智 失 一、 而 汝 徒 以 二逼 教 之 義 一難 二我 密 敏 一、 豊 非 レ察 乎 云 々 四 麟 て 東 密 の 大 勢 は 如 何 と い ふ に 、 寛 卒 の 初 に は 仁 和 寺 成 り 、 金 剛 峰 寺 に 初 め て 座 主 を 置 き 、 壽 長 を 以 て 之 れ に 補 せ ら れ 、 寛 卒 三 年 に は 眞 然 寂 し 、 績 い て 東 寺 の 御 影 供 が 始 り 、 金 剛 峰 寺 を 以 て 東 寺 長 者 に 囑 せ し め ら る 、 事 が 起 り 、 三 十 帖 策 子 の 問 題 が 起 り 、 弘 法 大 師 の 詮 號 が ト り 、 寛 卒 法 皇 の 御 飾 依 が あ つ て 、 御 室 の 興 隆 と 爲 り 、 随 分 多 事 な 時 代 で あ る 。 夫 れ か ら 寺 の 建 立 か ら い へ ば 、 般 若 寺 が 建 ち 、 勘 修 寺 が 建 ち 、 醍 醐 寺 が 建 ち 、 之 れ 亦 随 分 盛 ん な 時 代 と い は ざ る を 得 澱 。 叡 山 や 奈 良 の 飴 り 昌 ん で な い の に 樹 照 し て 、 東 密 全 盛 の 戚 な き に 非 す 、 寛 卒 法 皇 の 御 蹄 依 は 何 と し て も 塞 前 の 出 來 事 と い は ね ば な ら ぬ 。 凡 そ 萬 乗 の 尊 を 以 て し て 、 篤 く 密 教 に 餅 依 せ ら れ た 方 は 嵯 峨 天 皇 を 始 め 奉 り 、 決 し て 少 し と し な い 。 眞 如 親 王 の 如 き 、 親 し く 出 家 し て 室 海 門 下 に 列 り 給 ふ た 程 で あ る 。 併 し な が ら 、 夫 れ 等 は 寛 寛 平 延 喜 の 佛 教 六 三
寛 亭 延 喜 の 佛 教 六 四 李 法 皇 の 場 合 と 同 日 に し て 論 す る 鐸 に は い か ぬ 。 寛 李 法 皇 は 親 し く 出 家 し 給 ふ た の み な ら す 、 御 躬 ら 傳 法 し 、 修 法 し 、 附 法 し 給 ひ 、 全 く 東 密 の 一 阿 闊 梨 の 生 活 を 遊 ば さ れ た の で あ る か ら 、 そ が 一 般 肚 會 特 に は 貴 族 肚 會 に 與 へ 給 ふ た 影 響 は 實 に 言 語 に 絶 す る も の が あ つ た の で あ る 。 謂 は ゆ る 門 跡 な る も の が 此 に 起 り 、 爾 來 、 束 密 は 申 す に 及 ば す 、 天 台 に 、 南 都 に 、 多 く の 門 跡 が 績 々 と し て 登 生 し た の で あ る 。 門 跡 の 興 隆 は 之 れ を 佛 教 の 方 面 か ら 観 察 す れ ば 、 萬 乗 高 貴 の 方 々 が 御 信 仰 の 熟 烈 な る 絵 り 、 御 蹄 依 の 結 果 、 俗 膿 に 甘 ん せ す 、 進 ん で 躬 ら 法 膿 と 爲 ら せ ら れ 、 信 侶 と 同 一 の 生 活 を 逡 ら れ る 事 と な る の で あ る か ら 、 佛 敏 を し て 九 呂 大 鼎 の 重 さ あ ち し め 、 僧 侶 を し て 至 貴 至 尊 の 地 位 に 迄 引 基 げ る も の で あ り 殊 に 專 制 政 治 時 代 の 現 象 で あ る か ら 、 夫 れ が 三 般 國 民 に 與 ふ る 印 象 も 、 影 響 も 絶 大 の も の が あ つ た に 相 違 な い 。 現 代 に 於 い て 、 天 皇 が 陸 海 軍 の 大 元 帥 で あ ら せ ら れ 、 皇 族 の 多 く が 、 陸 海 軍 の 軍 籍 に あ ら せ ら る 、 に 比 し て 、 猫 一 層 の 影 響 が あ つ た と 考 へ ね ば な ら 漁 。 而 し て ﹁ 法 ﹂ を し て 、 最 高 の 権 威 に 迄 引 揚 げ た の は 、 實 に 斯 る 皇 族 出 家 で あ つ た 。 上 の 好 む と こ ろ 下 之 れ に 微 ふ は 、 い か な る 時 代 に 於 い て も 免 る べ か ら ざ る 現 象 で あ る か ら 、 民 間 の 英 俊 が 競 ふ て 佛 門 に 集 つ た の も 固 よ り 無 理 か ら ぬ と こ ろ で 、 雫 安 朝 の 佛 激 興 隆 上 一 大 時 期 を 劃 し た の で あ る 。 併 し な が ら 、 之 を 他 面 よ り 観 察 し て 、 忌 憧 な ぐ 之 れ を 評 す る 事 を 許 さ る 、 な ら ば 、 斯 る 好 結 果 の 反
面 に は 、 非 常 に 憂 ふ べ き 陰 影 を 生 じ た の で あ る 。 帥 ち 從 來 の 教 團 の 自 由 な る 室 氣 に 、 一 黙 の 曇 り を 生 じ た 事 で あ る 。 即 ち 閥 を 生 じ だ 事 で あ る 、 今 迄 は 飽 く 迄 も 自 由 で あ り 、 寛 澗 で あ つ た 教 團 生 活 が 、 漸 次 に 階 級 的 と な り 、 門 閥 を 爾 ぷ と い ふ 傾 向 を 生 じ た 事 で あ る 。 帥 ち 出 身 に 依 つ て 、 教 團 に 於 け る 昇 進 が 決 定 せ ら れ 、 才 あ り と 難 も 用 ゐ ら れ す 、 徳 あ b と 雄 も 擢 ん で ら れ ざ る も の が 生 じ て 來 た 。 僧 綱 の 補 任 は 固 よ り 、 諸 大 寺 の 勅 會 に 於 け る 講 者 の 選 任 に も 、 出 自 が 物 を い ふ 世 と 爲 っ た 。 帥 ち 皇 族 は 申 す に 及 ば す 、 揺 關 公 卿 の 出 身 な ら ば 、 弱 年 と 雄 も 、 淺 萬 ど 錐 も 、 容 易 に 榮 職 を 辱 う す る を 得 た が 、 下 萬 か 庶 民 の 出 身 な ら ば 、 だ と へ 徳 は 高 く 、 萬 は 積 る と 雄 も 、 容 易 に 顯 榮 の 他 鷺 進 む 事 が 許 さ れ な く な つ た 。 之 れ や が て 敢 團 に 於 け る 俗 権 の 侵 入 で あ り 、 支 配 で あ る 。 出 家 と い ふ 別 天 地 が 崩 壊 し て 、 俗 生 活 の 延 長 と 爲 っ た の で あ る 。 此 に 於 い て か 、 高 材 逸 足 の 士 は 僧 界 を 隠 趣 す る と い ふ 奇 現 象 を 生 じ て 來 る 契 機 を 作 つ た 。 抑 よ 出 家 は 文 字 の 如 く 世 俗 生 活 の 欲 望 を 断 絶 若 く は 超 越 し た 別 世 界 で あ ら ね ば な ら ぬ 。無 所 有 の 世 界 で あ り 、 無 所 得 の 世 界 で あ り 、 解 脱 の 世 界 で あ り 、 清 浄 の 世 界 で あ る 。 随 つ て 、 出 家 し て 此 の 生 活 に 入 る も の は 、 無 欲 求 の 人 で あ り 、 無 欲 望 の 人 で な く て は な ら ぬ 。 然 る に 、 今 や 俗 権 の 襲 來 に 依 つ て 崩 壊 し 允 教 團 生 活 は 、 浴 構 生 活 と 異 る と こ ろ が 無 表 り つて あ る 。 解 脱 を 求 む る 沙 門 が 僧 位 僧 官 を 競 望 し 、 浬 薬 に 憬 る べ き 乞 士 が 紫 衣 や 牛 車 の 宣 下 を 仰 望 す る や う に 爲 つ て は 、 俗 界 を 遠 離 し た 激 團 生 活 の 意 義 は 何 慮 に 求 む べ き で あ ら う か 。 寛 平 、 延 喜 の 時 代 は 急 轄 直 下 斯 の 如 く な つ た と い ふ の で 寛 挙 延 喜 の 佛 教 、 六 五
寛 亭 延 喜 の 佛 教 六 六 は な い が 、 斯 く の 如 く な る の 門 戸 を 開 い た と は い へ よ う o 萬 乗 の 尊 や 、 皇 族 の 榮 を 以 て 、 信 仰 の 籐 り 佛 門 に 解 脱 を 求 め 給 う た 動 機 は 誠 に 恭 け な く 仰 ぐ べ き 限 り で あ る が 、 夫 れ に 績 く 方 々 が 果 し て 夫 れ 丈 の 純 眞 な 動 機 で ば か り あ つ た と は 断 じ 難 い で あ ら う 。 或 は 豊 富 な る 寺 院 生 活 に 割 込 ん が 爲 に 、 或 は 俗 権 の 上 に 俗 権 同 様 若 く は 以 上 の カ を 以 て 君 臨 す る 椹 威 を 求 め て 、 敢 團 に 投 じ た 法 親 王 や 、 撮 關 の 子 弟 が な か つ た と 何 人 が 断 言 し よ う 。 多 く の 門 跡 や 、 座 主 の 中 に は 、 確 に 左 様 な 傾 向 の 出 家 人 を 生 じ て 居 る の で あ る 。 俗 権 と 法 権 と が 匠 別 す る 事 能 は ざ る 如 き 現 象 を 呈 し て 來 た 準 安 中 期 以 後 の 敢 界 を 観 ば 、 思 ひ 雫 ば に 過 ぐ る で あ ら う 。 五 さ て 、 東 密 全 盛 を 馴 致 し た 動 機 は 李 安 初 期 以 來 の 激 界 の 大 勢 の 然 ら し む る と こ ろ で 、 敢 て 束 密 の み な ら す 天 台 が 急 速 の ス ピ ー ド を 以 て 、 謂 は ゆ る 台 密 へ と 一 大 回 輻 を 爲 し た の で あ る 。 而 し て 、 其 の 勢 ひ が 寛 雫 、 延 喜 の 黄 金 時 代 を 現 出 し 、 更 に 夫 れ に 績 く 次 の よ り 全 盛 時 代 を 出 現 し た の で あ る 。 即 ち 次 の 時 代 と は 、 台 密 で い へ ば 、 慈 慧 僧 正 良 源 の 天 台 座 主 時 代 、 延 い て は 恵 心 、 檀 那 の 激 學 全 盛 時 代 を い ひ 、 東 密 で い へ ば 、 野 澤 十 二 流 、 三 十 六 派 分 出 時 代 で あ る 。 而 し て 、 東 密 は 固 よ り 、 台 密 も 漸 く 教 相 か ら 遠 ざ か つ て 、 事 相 全 盛 の 時 代 へ と 憂 化 し て ゆ く の で あ る 。 尤 も 台 密 に は 前 に 塞 げ た 安 然 、 此 時 代 に 績 く 源 信 (恵 心 僧 都 ) の 如 き 激 相 家 、 東 密 に 於 い て も 、 般 若 寺 鋤 を 遺 し た 親 賢 ( の 山 面 ) の 如 き 人 も あ
る が 大 勢 は 沿 々 と し て 事 相 へ 事 相 へ と 傾 注 し た の で あ る 。 而 し て 、 寛 李 、 延 喜 の 時 代 は 正 し く 教 相 よ り 事 相 へ の 回 輻 機 で あ る 事 前 に 論 じ た 通 り で あ る 。 果 し て 然 ら ば 、 そ の 原 因 は 那 邊 に 存 す る で あ ら う か 。 寛 平 、 延 喜 時 代 の 東 密 を 代 表 す る 人 物 を 求 め る な ら ば 、 何 人 も 釜 信 、 聖 寳 、 槻 賢 の 三 師 に 指 を 屈 す る で あ ら う 。 盆 信 は 寛 不 法 皇 の 師 と し て 、 圓 城 寺 に 居 り 、 延 喜 六 年 に 寂 し 、 聖 寳 は 盆 信 と 並 ん だ 當 代 の 名 師 で 、 醍 醐 寺 を 開 き 、 東 大 寺 の 東 南 院 を 開 き 、 密 敢 と 三 論 を 兼 學 し た 名 匠 で あ る が 、 延 喜 九 年 に 寂 し 、 観 賢 は 聖 寳 門 下 の 逸 足 で 、 般 若 寺 を 開 き 、 盆 信 、 聖 寳 以 後 の 東 密 を 負 ふ て 立 つ た 高 僧 で あ る が 延 長 三 年 に 寂 し 、 其 の 下 に 石 山 寺 の 淳 肪 を 出 し て 居 る 。 盆 信 に せ よ 、 聖 寳 に せ よ 、 観 賢 に せ よ 、 教 相 事 相 何 れ か と い は い 、 何 人 も 事 相 の 大 家 と い ふ 事 に 一 致 す る で あ ら う 。 た と へ 、 若 干 教 相 に 關 す る も の が あ り と す る も 、 非 常 な 登 揮 が あ り . 新 説 を 唱 へ た と い ふ 事 を 聞 か ぬ 。 果 し て 然 ら ば 此 の 三 師 は 何 れ も 事 相 の 大 家 と い は ね ば な ら 漁 。 余 の 如 き は 事 相 に は 全 く 門 外 漢 で あ る か ら 、 此 れ 等 高 僧 の 事 相 に 於 け る 内 容 を 叙 述 し 、 評 論 す る 事 は 固 よ り そ の 分 齊 で な い が 、 履 歴 の 上 な り 、 傳 記 の 上 な り か ら 、 し か 判 断 し て も 、 決 し て 不 當 で は な い と 思 ふ 。 平 安 朝 の 密 教 が 何 故 に 教 相 か ら 離 れ て 漸 次 事 相 專 門 に 赴 く か に 就 い て は 、 雨 面 の 事 情 が あ る と 思 惟 す る。 そ の 一 は 國 外 的 原 因 で 、 そ の 二 は 國 内 的 原 因 で あ る 。 寛 亭 延 喜 の 佛 教 六 七
寛 平 延 喜 の 佛 教 六 八 國 外 的 原 因 と い ふ の は 、 支 那 大 陸 に 於 け る 密 敏 の 大 勢 で あ る 。 支 那 の 密 漱 は 玄 宗 頃 に 隆 盛 の 域 に 達 し 、 善 無 畏 、 金 剛 智 、 不 塞 の 三 師 と 、 一 行 阿 閣 梨 に 依 つ て 基 礎 を 置 か れ た が 、 そ の 後 、 中 唐 か ら 、 晩 唐 仁 か け て 、 随 分 名 匠 あ 輩 出 し て 居 る が 、 そ の 大 多 歎 は 教 相 で な く し て 、 事 相 の 高 僧 で あ る 。 元 來 支 那 の 密 教 は 前 述 の 如 く 、 激 相 の 方 面 は 鯨 り 昌 ん で な く 、 随 つ て 十 分 な 教 理 を 構 成 す る 事 な く し て 、 專 ら 事 相 に 傾 倒 し た 。 恵 果 阿 閣 梨 は 申 す に 及 ば す 、 全 雅 、 元 政 、 義 眞 、 法 全 等 、 多 く の 大 徳 た ち は 事 相 に 傑 出 し て ゐ る が 、 教 相 を 宣 揚 し た 人 は 無 い 。 随 つ て 、 我 が 入 唐 八 家 に し て も 、 経 軌 圖 像 の 將 來 は 相 踵 い で 居 る が 、 厳 相 方 面 に 於 い て 、 頻 々 た る 相 承 が あ つ た と い ふ 事 は 更 に 聞 か ざ る と こ ろ で あ る 。 當 時 支 那 を 以 て 先 進 國 と 爲 し 、 一 に そ の 風 を 模 倣 す る 事 に 努 め た 時 代 で あ る か ら 、 大 陸 に 於 け る 斯 る 風 潮 は 確 に 我 が 卒 安 初 期 の 密 漱 を し て 、 激 相 よ り 漸 次 に 事 相 に 向 は し む る に 十 分 で あ つ た と 思 は れ る 。 つ ま り 大 陸 に 於 け る 密 激 の 傾 向 に 順 癒 し た の で あ る 。 斯 る 観 察 が 正 し い と す れ ば 、 我 が 密 激 は 確 に 夫 れ に 歩 調 を 合 せ つり 、 叉 國 内 的 事 情 に 依 っ て も 、 同 じ 方 向 へ 歩 調 を 合 せ た の で あ る 。 國 内 的 事 情 と い ふ の は 、 國 内 に 於 け る 密 敢 へ の 要 求 で あ る 。 國 内 に 於 い て 、 密 激 卜 台 密 に せ よ 、 束 密 に せ よ-を 要 求 し 、 蹄 依 し た の は 支 配 階 級 で あ る 。 當 時 の 支 配 階 級 と い ふ の は 、 極 め て 少 数 の 皇 族 と 貴 族 で あ る つ 帥 ち 上 流 の 椹 力 者 で あ つ て 、 一 般 の 被 治 者 た る 庶 民 で は な か つ た 。 文 化 乏 い ふ や う な も の は 此 等 特 権 階 級 の 享 樂 す る も の で あ つ て 、 一 般 庶 民 は そ の 圏
外 に 置 か れ て 居 る 。 然 る に 、 貴 族 階 級 は 儀 式 、 儀 禮 を 愛 好 す る 性 情 を 有 す る 。 儀 式 、 儀 禮 と い ふ の は 秩 序 の 具 膿 化 で あ り 、 一 綜 観 れ ざ る 統 制 の 表 現 で あ り 、 傳 承 の 尊 重 で あ り 、 先 例 の 尊 重 で あ る 。 而 し て 、 佛 敢 に 於 け る 斯 る 方 面 を 代 表 す る も の は 法 會 で あ り 、 修 法 で あ る 。 随 っ て 、 彼 等 の 要 求 す る 佛 激 は 抽 象 的 な 高 遠 な る 理 論 で な く し て 、 荘 嚴 な る 密 壇 で あ り 、 華 麗 な る 行 道 で あ る 。 眼 に 見 る 曼 茶 羅 、 耳 に 聴 く 密 語 や 鈴 聲 、 鼻 に 嗅 ぐ 嶢 香 塗 香、 香 華 燈 燭 に 輝 ぐ 修 法 は 最 も そ の 欲 求 に 満 足 を 與 ふ る も の で あ る 。 随 つ て 、 神 秘 な る 事 相 に 心 を 牽 か る 、 は 固 よ り そ の と こ ろ で あ る 。 斯 る 雨 面 の 事 情 は 蕾 に 台 東 雨 密 日を 事 相 に 導 く の み な ら す 、 南 都 の 古 佛 教-三 論 、 法 相-を さ へ も 、 密 激 の 熔 燈 に 投 げ 込 ん だ め で あ る 。 卒 安 中 期 以 後 の 寧 樂 佛 敦 は 密 教 へ 、 密 敏 へ と そ の 色 彩 を 更 へ つ \ あ つ た の で あ る 。 六 寛 平 、 延 喜 の 時 代 に 於 け る 台 、 東 爾 密 を 観 察 し た 上 は 、 ど う し て も 南 都 佛 激 に 向 つ て 、 少 く と も 一 瞥 を 與 ふ る 義 務 が あ る 。 南 都 佛 激 に は 、 平 安 初 期 に 於 い て は 、 元 興 寺 の 護 命 等 を 始 め と し て 、 相 當 の 人 物 に 乏 し く な か つ た が 、 そ の 後 漸 く 凋 落 し 、 明 詮 、 道 詮 、 願 曉 の 如 き も 貞 観 中 に 寂 し 、 此 の 頃 に 及 ん で は 籐 り 大 し た 人 物 は な い の で あ る 。 強 て 墨 ぐ れ ば 、 三 修 、 恵 珍 、 延 賓 、基 綴 の 如 き 人 々 が い く ら か 優 れ て 居 る 。 叉 藥 師 寺 の 義 聖 の 如 き 華 嚴 の 學 僧 も あ る が 、 固 よ り 非 常 に 傑 出 し た 人 物 と は 稽 せ ら れ ぬ 。 そ の 他 、暴 げ 來 れ ば 、 寛 亭 延 喜 の 佛 教 六 九
寛 平 延 喜 の 佛 教 七 〇 若 干 の 人 物 は あ る け れ ど も 、 台 密 に 於 け る 安 然 や 、 相 鷹 の 如 き 、 束 密 に 於 け る 盆 信 、 聖 寳 、 観 賢 の 如 き 傑 出 し た 人 物 は 見 當 ら ぬ や う で あ る 。 次 の 時 代 に 及 ん で 、 松 室 の 仲 算 や 、 小 島 の 眞 興 の 出 世 を 待 つ て 、 始 め て 傑 出 し た 高 僧 を 見 る の で あ る 。 南 都 に 於 け る 佛 教 の 大 勢 は 、 三 論 も 、 法 相 も 、 華 嚴 も 、 律 も 籐 り 振 は な い 。 宮 中 の 御 齋 會 を 始 め 、 興 福 寺 の 維 摩 會 、 藥 師 寺 の 最 勝 會 の 如 き 、 法 會 に 出 仕 す る を 無 上 の 光 榮 と し て 居 た 時 代 で 、 新 興 佛 教 た る 台 東 爾 密 に 謝 抗 す べ く も な く 、 漸 次 北 京 に 於 け る 密 漱 の 潮 流 に 蹴 押 さ れ つく 、 夫 れ に 合 流 せ ん と す る 傾 向 が 動 き か け た 時 代 で あ る 。 殊 に 東 密 の 聖 寳 が 東 大 寺 の 中 に 東 南 院 を 設 け て か ら は 、 そ は 表 面 上 三 論 宗 の 院 家 と し て い は あ つ た け れ ど 、 そ の 實 は 密 教 と 三 論 と の 接 近 を 急 速 度 に 實 現 せ し め 、 東 大 醍 醐 の 合 流 を 促 進 し た の で あ る 。 尤 も 東 大 寺 に は 、 室 海 に 依 り て 建 て ら れ た 眞 言 院 が あ り 、 更 に 東 南 院 が 加 は つ た 事 に な る の で 、 斯 る 密 教 へ の 傾 向 が 一 段 と 促 進 さ れ た 課 で あ る 。 南 都 へ 向 つ て の 密 教 の 侵 潤 -殊 に 東 密 の-は 頗 る め ざ ま し い も の が あ つ た 。 此 の 時 代 に は ま だ 籐 り 表 面 に 現 は れ な い が 、 次 の 時 代 の 眞 興 の 如 き は 小 島 の 一 流-束 密 の -を さ へ 興 す に 至 つ た の で あ る 。 降 つ て 、 定 深 、 珍 海 、 實 範 の 如 き 人 物 を 輩 出 し た の も 決 し て 偶 然 で は 無 い 。 就 中 、 實 範 の 如 き は 、 十 住 心 の 教 判 に 就 い て は 、 そ の 著 大 経 要 義 鋤 に 於 い て 、 東 密 諸 家 と 歩 調 を 合 せ 、 敢 然 と し て 、 台 密 諸 家 を 評 破 し て 居 る の で あ る 。
七 以 上 、 天 台 (叉 は 台 密 ) 、 東 密 、 南 都 諸 宗 に 亙 り て 、 寛 李 、 延 喜 時 代 の 佛 教 の 大 勢 を 観 察 し た 。 固 よ り 概 説 の 概 説 に 過 ぎ ぬ の で 、 意 を 霊 さ ぬ と こ ろ が 少 く な か ら う と 思 は る 、 が 、 そ れ 等 の 詳 細 な 各 説 に 至 つ て は 、 別 に 述 べ る 人 が あ る と い ふ 事 で あ る か ら 、 余 は 極 め て 大 庭 高 慮 か ら 、 前 後 凡 そ 四 十 年 間 の 大 勢 の 赴 く と こ ろ を 観 察 し 、 論 評 し た に 過 ぎ ぬ 。 尚 、 聖 寳 と 修 験 道 と の 關 係 を も 説 く べ き で あ る が 、 今 は 鯨 儀 な く 省 略 に 附 す る 。 希 く は 讃 者 に 於 い て 其 の 意 を 諒 と せ ら れ ん 事 を 請 ふ 次 第 で あ る 。 (昭 和 六 年 四 月 十 三 日 稿 了 ) 寛 亭 延 喜 の 佛 教 七 一