釈
雲
照
と
教
育
斎
藤
昭
俊
釈 雲照 と教育 (斉藤) 一 、 は じ め に 二 、 雲 照 と 十 善 会 三、 目 白 僧 園 四 、 国 民 教 育 一は じ め に 釈 雲 照 は 一 入 二 七
年
(文
政 十年
) に出
雲 市 に 生 れ る 。 大覚
寺
塔
頭 不懐
化身
院
住 職 に な る前
ま で ( 一 八 六 七 年 、慶
応
三 年 ) を修
業
時 代 と し 、大
覚
寺
塔
頭住
職 に な っ た 一 入 六 入年
( 明治
元 年 ) か ら、 一 入 入 四 年 ( 明 治 十 七 年 ) ま で を京
都
・高
野時
代
と す れ ば 、 一 入 入 五年
( 明 治 十 入 年 ) 以降
が 目 白時
代
と な る 。 第 一期
は島
根
県 を 根拠
と し て各
地 に修
業
に い っ て い る時
代 で あ る 。=
ハ才
四 度 加 行 一 七
才
加
行 成 満 、 園山
作 助 に 詩経
井
上 団弥
に 論 語 ・易
経
を 学 ぶ 一 入才
高
野 山 で 伝 法 灌 頂 入 坦 ( 観 音寺
住
職 と な る ) 一1
一智山学報第十六輯 一 九
才
二 〇才
二 一才
二 二才
一 一 三才
二 四才
二 五才
二 六才
二 七才
二 八才
二 九才
三 〇才
三 一 才 三 二才
三 三才
三 四才
阿
遮 羅 明 王 秘 伝 三 千 座修
法
三 宝院
流報
恩
院方
伝
授 を う く 高 野 山実
賢 か ら 結 縁 灌頂
・ 理 趣経
の 講 伝 を う く ( 普 賢院
住職
と な る )高
野 山 普 賢 院 衆 徒 と な る 智 光 よ り 菩提
心 論等
受
講、 大 阪 ・ 三 津寺
で 理 趣経
講 伝 を う く、隆
鎮 よ り 秘 蔵 記 受 講 、 大 日経
講 伝 を う く、 大阪
持 明 院 で 天台
学 受 講冒 智 光 よ り 大 日 経 講 伝 、
徳
島 で 大 日 経 住 心 品 講 伝 を う く、奥
之 院 で求
聞持
法
修
行 高 野 山隆
鎮 よ り 安祥
院
流 許 可、 大 日 経 奥 疏 の 講 伝 を う く 、普
賢 院 に 帰 坊 求 聞 持 法 を 修 す 岩 屋 寺 に 求 聞持
堂 建 立 、 即 身 成 仏 義 を 講 ず 智 積 院 で 唯 識 論 述 記 を き く 、 大阪
持
明 院 で 天 台 学 研 究、 高 野 山真
別 処 に て求
聞持
法 修行
高 野 山東
南 院密
賢 よ り 天 台 学 受 講、奥
之 院 で求
聞持
法
修
行
高 野 山 ・ 比 叡 山 に て 止 観 ・梵
網 経 の 研究
、 兵庫
県 清 澄寺
で求
聞持
法 修行
、 高 野 山 真 別 処 で 求 聞持
法 修 行、 慈 雲 尊者
廟 に 詣 る 高 井 田 長 栄寺
端
堂 よ り雲
伝 神 道 を う く、 高 貴寺
で求
聞 持 法修
行
奥
之 院 に 求 聞持
堂 建 立奥
之 院 で 入 ○ ○ ○ 枚 護摩
供 二 回 修 行 、 高 貴寺
で 法 同沙
弥
戒
を う く 観 音 寺 で 入OOO
枚 護摩
供
修 行 、 岩 屋 寺 を 律寺
と す る− 岩 屋 寺 で 入 ○ ○ ○ 枚 護
摩
供 修 行 、高
野 山 で 求 聞 持法
、 八 〇 〇 〇枚
護摩
供 修 行 、 高 貴寺
で 端 堂 よ り 具 足 戒 を う く,京
都 三宮
寺 で律
部 行 事 抄 を う く 一2
一釈 雲照と教 育 (斉藤) 三 五
才
三 六才
三 七才
三 入才
三 九才
四 〇才
高 野 山真
別 処 で 栄 厳 よ り 具 足 戒 を う く 呉 庫 城崎
地方
へ 巡化
、 第 一 回 の警
薩
戒 の授
戒
会 を 行 う 高 野 山栄
厳 の も と で 伝 授、 練 行 修法
〃 こ の間
、求
聞
持 法 回、沙
弥
戒
一 回 を う け て い る が 、修
め て い る 。 わ れ て い る こ と が 雲 照 の 保 守 性 と 反 動姓
を培
っ た も の と 思 わ れ る。 二 つ の 流 れ 、教
を求
め て 、戒
経 」 を も っ て い た と い う し、 対 す る 気持
を も っ て い た と察
せ ら れ る し、 れ る 。 明泊
の 活 動 期 の 後 期 つ ま り 、 け れ ば 仏} 果 は な い し 、 異 な る こ と な し、ざ
れ ば葱
眼
暗
冥 な り 、 〃 五条
市 吉 祥 院 で 三 千 箇座
護 摩 供 修 行(
草
繋 全宜
、 雲 照 大 和 上 伝 よ り ) ( 百 臼 又 は 五 十 日 〉 を 修 す る こ と 派穣
と同
様
八 回 、 求 聞持
堂 建 立 二 回 . 護 摩 供 五 回 、 呉足
戒 を 二 主 と し て 高 野 山 を 中 心 と し て 高 貴 寺、 智積
院
、 比 叡 由 、 大 阪 で 宗 学 及 び 天 台 学 を こ の 聞 ほ ぼ 四 十 年 、得
度
し て 三 十 年 を 殆 ん ど 宗 学、 修 法 に費
や し て い る 。 こ の勉
学 期 は徳
川 末 期 に 行 雲 照 の 活 動 期 は 明 治 期 に あ る け れ ど も 、 仏 教 の 一 つ は 表 面 的 な 形 式 的 仏教
、 も う 一 つ は 仏 教 本来
の姿
に も ど ろ う と す る 「律
」 の 仏 教 、 こ の 後者
の 仏 そ れ を 伝 え よ う と し た 。 こ の考
え方
が 何時
頃
か ら 出 て き た か 明 確 で は な い が 、 十 五 才 頃 か ら 「沙
弥 十 二 十 入才
で高
貴
寺
の慈
雲尊
者 廟 に ま い っ て い る の で. こ の 頃 は か な り強
く 「 律 」 に 三 十 三才
の と き 、 岩 齷寺
の 寺法
を 改 め て律
寺
と し て い る 事 か ら も考
え ら 目 白 時 代 が最
も活
溌 で あ る が、 そ の と き 「 律 教 再 興 主 意書
」 を 出 し て 、戒
が な戒
が 十盤
の も と と な る こ と を説
き 、「
末
を摂
し て 本 に帰
す れ ば 心 を 塞 と す、 一 心 の 仏性
と 我 心 と 衆 生 の 心 と 仏 の 心 と 三差
別
な し、 此 心 に住
す れ ば 即是
れ 仏 道 を 修 す る な り 、 諸戒
を具
足 せ 脅 命 を捨
つ と も是
戒 を犯
す る こ と莫
れ 、著
し故
ら に 犯 す潜
は 仏 弟 子 に あ ら ず ご と の べ 、 中 一3
一智獻学報第十 六輯 世 は 種 々 の 悪 行 を 行 い、 聖 慮 を 悩 ま し た こ と が 多 か っ た と い う 。 中 世 の
悪
行 は 僧 兵 の横
暴
等
で あ ろ う し 、徳
… 川 期 の 僧 侶 は 「唯
肉
食妻
帯
を 禁 止 す る の み に し て 、 五 戒 だ に護
持
す る 者 な き に 至 る 、 た ま た ま有
志 の 僧 出 で て 、 徒 弟 を引
率 し て律
僧 と 称 し 、 仏戒
を 堅持
し て僅
か に 正法
の 命 脈 を保
て り 」 と い っ て い る 。維
新
に 至 り 、 こ れ ら 律 僧 も 皆 無 に 至 ら う と し て い る の で、 律 教 を 再興
せ ん と欲
す
と い う 。 あ ま り に 世俗
内 化 に 走 る こ と に 対 す る 反撥
で も あ っ た 。徳
川
期
の律
僧 、 つ ま り 雲 照 が 律 師 と 呼 ん で い る 入 達 は高
雄 山 高 野 山 円 通 寺 河 内 野申
寺
深 草 安楽
院 〃 一 瓢井
寺
で あ っ て、沙
弥 +戒
比 丘 具 足 戒菩
薩
…一 一聚
浄
戒
明 忍 律 師良
永 律 師 慈 忍 律 師 元 政 律 師 妙 立律
師 霊 空 律 師宜
随 律 師 (豪
亘
(真
言 ) (真
言 ) ( 日 蓮 ) ( 天 台 ) ( 天 台 ) ( 天 台 ) 霊 雲寺
獅 子 ケ谷
高貴
寺
高 野 山 芸 州福
王寺
浄
厳律
師 忍 徹律
師 面 上 豬尚
慈 雲律
師密
門
律
師 学 如 律師
A A A A 真 真真
曹浄
真 言 言 言 洞 土 雷 ) ) ) ) ) )真
言 宗 が多
い が 、 真 言律
宗 と 呼 ば れ る 恵 の も そ の 中 に含
ま れ て い る 。薦
来 真 言 宗 で は、 先 づ ( 二 百 五 十滅
、 (摂
律
儀戒
、真
言 不 共 三摩
耶
戒
の戒
を順
に 従 っ て う け 灌 頂 五 篇 七 聚 )摂
善法
戒
、饒
益有
憐
戒
) 一4
一釈雲照 と教育 (斉 藤) そ し て 阿
闍
梨 位 に の ぼ る の が、 常 道 と さ れ て い た 。 こ の よ う に 雲 照 の 学 業時
代 が 徳 川 期 で あ っ た こ と、 し か も、 仏教
の 内 面 的 運 動 で あ る 律 運 動 の 根拠
地 に 近 く 学 ん だ こ と、 先 輩 諸 師 が 何 ら か の 形 で 律 僧 に つ な が り を持
っ て い た の で は な い か と い う こ と 、 こ れ ら の 諸条
件
か ら 雲 照 の 修 業 期 が 、将
来 の律
僧 を 形 成 さ せ て い っ た と 思 わ れ る 。第
二 期 は 明 治 元年
か ら 十 七 年 ま で の 高 野 山 ・ 京 都時
代
で、活
動 第 一 期 に 入 る 。年
は 四 十 二 才、 時 期 は神
仏 分 離 、癈
仏 毀 釈 の 時 で あ り、 こ の方
面 で の活
躍 が 目 立 つ 。14111098765432
元 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 A @A A A @A55
52
51
50
49
48
47
46
45
44
43
42 _ _ _ _ _ _ __
_
_ ま 廃 仏に
対 し 太 政 官 に 建 白 ( 大 覚 寺 塔 頭 不懐
化 身 院 住と
な る) 東 上 し 、邪
教 拒 絶 の 願書
( 高野
山 福 寿 院 住 職 とな
る ) ( 広 島県
福 王 寺 で入
○○
○ 枚 摩 供 修行
) ( 王 寺 で修
禅 ) ( 福 王寺
で
八
〇〇 〇 枚 護 摩 供 修 、律
部
を 講 ず ) ( 徳島
県 荘 厳 院 に て 宗 部 律 部 を講
じ 僧律
の 改 正 を 主 張 (高
野
山
で 律 部 を 講 ず 、 修寺
で
律
部 を 講 ず ) ( 勧修
寺 住 職 と な る ) (大
教 院 にて
真 言 宗 大 綱を
講 ず ) ( 島 宝 島 寺 住 職 と な)
大 教 院 講 師 と る 布 教禁
止問
題 で 京 ( 勧修
寺 住 職 を 辞退 ) 高 野 山大
学林
学 頭 と な 、 真 言 宗大
成会
議
委員
長 と な る ^ 言 宗智 山学報第十六輯
15
年
(56
) 御 修
法
再 興 運 動 を お こ す ( 再 興 勅許
)16
年
(57
) 京 都 に 十 善 会 を お こ す、
霊
雲 寺 で 十善
会発
会 式17
年
(58
)
京 都 十 善 会 発 会 式 以 上 で、 み ら れ る よ う に 、 真 言 宗 を 代 表 し て 、
廃
仏 に 対 す る 建 白 ( 十 通 に 及 ぶ ) 、布
教禁
止 に つ い て の 交渉
、纏
修
法
再
興 運 動 、真
言察
大
破 会議
委
員
長 を つ と め、 更 に 学 的方
面 で は 、律
部
を 福 王寺
、 荘 厳院
、高
野 山 、勧
修
寺
で講
じ 、 僧 律 の 改 革 を叫
ん で お り 、 大 教院
で真
言 宗 大 綱 を講
じ 、 大 教院
講
師 と な 藝 、高
野 由 大 学林
学 頭 と な っ て い る 。 こ の 第 二期
は宗
派 の 教 相 部 門 で 第 一線
の 活 躍 を す る と同
時
に 、 仏教
界
の代
表 者 と も な っ て い る 。 「 再 部 習合
弁
」 「迹
弁
し 「国
本
論
」 「神
仏 名 分論
」 「鎮
道 論 」 は 、敗
府
当 局 の 仏教
に対
す る 誤 り を 正 し 、歴
代
天皇
の 勅 額 や 展筆
な ど に非
礼 の あ っ た 事 実 な ど を あ げ て 反省
を 促 す努
力 の あ ら わ れ で あ っ た し 、 諸宗
同
徳
会 盟 の計
画
等
に も 参画
し た 。建
白書
の中
に 明 ら か な よ う に、 僧 尼 令 等 に よ っ て、僧
侶 を 陶汰
し て 、 大 い に戒
師
を 加 え 、従
来
の よ う に 玉体
安穏
、鎮
護国
家 の 加持
祈祷
を す る こ と だ と信
じ、 こ れ を 建 白 、 そ れ に は 僧 侶 の 粛 正 こ そ第
一 で あ り 、僧
尼 の 行持
を滴
浄
に し な け れ ば な ら な い 。 従 っ て や む を得
ぬ も の は淘
汰
し て 立 派 な 出 家 の み に し な け れ ば 危難
は解
決
で き な い と考
え て い た 。 高 野 山女
人禁
制 開禁
に も 一 人決
然 と 反 対 を な し て い た 。 叉 、 島根
県 で 須弥
山
説 と地
動
説
の 論 争 の 際 も 、須
弥
山説
を 固持
し て譲
ら ず 県庁
で 坐 り 込 み 主 張 し て布
教禁
止 に な っ た ( 明 治 入 年 ) と い う 事実
は 、 仏教
を 固 守 す る こ と 、 仏説
釈 義 の み の 仏 教 を受
け つ い で い る こ と を 示 す も の で あ る が 、大
成 会議
で は真
言 宗 を統
一 し 、管
長
( 三 条 西 乗 禅 ) を 定 め 、宗
麟
を定
め て 、 学 階 を改
正 し、宗
規
を 厳粛
に し た 。 し か し 、 宗 内 に は 戒 律厳
守
に対
す る 反 対勢
力 が 明 濡 十 六 年 頃 よ り強
く な り、 十 入 年 の真
言 宗 宗 制 会議
( 霊 雲 寺 ) で は 、 十 二年
の 大 成 会議
で の戒
律
中 心 主 義 が 、 全 く 教 学 中 心 主義
に移
っ て し ま っ た。律
運
動者
の 主 唱 す る 宗 教 は 、 こ こ で も 学 問 的宗
教
に 圧倒
さ れ て 、 そ れ は 十 四 年 に つ く ら れ た 総黌
が廃
止 さ れ て 、 十 九年
に新
義 派 大 学林
、 古 義派
大 学林
が つ く ら れ る 経過
と な つ て あ ら わ れ る 。6
二
雲
照
と十
善
会
徳
川 期 の 律 運 動 が、 仏教
の 主 流 と は な り得
な か っ た よ う に、 明 治 初 期 の 真 言 宗 に お い て も 、 十 二年
の 大 成 会議
の 律中
心 か ら、 十 八 年 の 宗制
会議
の教
学 中 心 ま で、僅
か 六 年 に し て 変 ら ざ る を 得 な か っ た 。 こ う し た状
況
で律
運 動 は 全真
二 . 冂 宗 を 母 体 と す る こ と を あ き ら め な け れ ば な ら な か っ た 。 こ う し て 十 善戒
を守
る こ と を 主 眼 と し た 十 善 会 に 集 ま っ た 人達
は 、 法 竜 、 智 満、行
智
、雲
照 、 旭 雅 、 栄 厳、 乗 禅 、 青 木貞
三 、 多 田 好間
、 山 本 正 義、 山岡
鉄太
郎、 久 邇宮
朝 彦、 小 松宜
彰 仁 で あ っ た が 、 こ れ は 真 言 宗 が 明 治 十 五 年宮
中 御 七 日 御 修法
再 興 運 動 を始
め た と き、 そ れ ぞ れ請
願書
を提
出 し た 関係
で あ る 。 長 者 三条
西 乗 禅 は 三 条 太 政 大 臣 を 訪 れ 、 大原
醍 醐寺
座
主 は 岩倉
右 大 臣 を、 土 宜 法 竜僧
正 は 太 政 官 権少
書
記官
青
木
貞
三 を、 雲 照 は官
内省
出 仕 山岡
鉄 太 郎 を 訪 問 し て い る 。 勿論
こ れ ら の 人 達 は 或 程度
仏教
色 の あ っ た 人達
で あ る 。 当 時 は維
新 改 革時
代
( 明 治 元 年 か ら 五 年 ) 、 文 明 開化
時
代
( 六 年 か ら 十 五 年 ) 、欧
化
主 義 時代
( 十 六 年 か ら 二 十 三 年 ) 、 国 粋 主 義時
代 ( 二 十 四 年 以 降 )の 明 治 期 前 半 は 文 明 開 化 か ら 欧 化 主 義 時 代 、 つ ま り 鹿
鳴
館時
代 に 入 っ て い く 。 こ の時
代 は 政 府 の キ リ ス ト 教 に 対 す る 態 度 が 変 っ て き て、 外 務 大 臣 の 井 上 が 宣 教 師 を 招待
し た り、 十 七 年 に は 福沢
諭 吉 も 反 キ リ ス ト 教 的 態 度 を捨
て て、 キ ーー ス ト教
た る こ と に 釈雲照 と教育 (斉藤 ) 第1
表 キ リス ト教 信 者増加表1
教会 数1
信徒数 明 治・81 ・681
・・・… 19 ・931 ・3・… ・・1
・・61
・・・…23
1300
3
,000
賛
成 し 、 加 藤 弘 之 も キ リ ス ト 教 を推
奨 し た り、帝
大教
授 和 田 垣 謙 三 、 子爵
岡
部 長 職 、 大審
院 判 事 三好
退蔵
、 大 山、桂
公 爵 夫 人 が 信者
に な り、岩
崎弥
之 助 宅 で キ リ ス ト 教 研 ( 1 )究
会 を定
期 的 に開
い た り し て い る 。 こ の よ う に し て 、 キ リ ス ト 教 信者
は 十 七 年 か ら 二 十 三年
ま で急
激 に 増 加 を み せ て い る 。 一 入 五 九年
( 安 政 六 年 ) リ ギ ソ ス 、 ウ イ リ ア ム ス が 長崎
に 宣教
師
と 来 日 し て か ら 明 治 五 年 ま で の 信者
数 が 外国
宣 教 師 数 を 下 廻 わ る 十 一 名 に す ぎ な か っ た が、 十年
に は 司 教 二 、 宣教
師
十 六 、 伝 道師
一 六 六 、聖
堂
及 び礼
拝
7
智山 学報第 十六輯 へ 2 ) 堂 二 七 、
神
学 校 一 ( 生 徒 二 〇 ) 、 小 学 校 六 ( 生 徒 二 七 五 ) 、 信 徒 一 五 三 入 七 名 に な っ て い る 。こ の 中 に は 浦 上 の 隠 れ キ リ ス タ ソ が 約 三 〇 〇 〇
含
ま れ て い る が 、 そ れ に し て も 宣 教 師 、伝
道 師 の 積 極 的 な 伝 道 の 結 果 に よ る も の と 思 わ れ る 。 い ず れ に し て も 十 入 年 の 約 三倍
の信
徒 と な る が 、 こ の あ と 国 粋 主 義 時 代 に 入 っ て キ リ ス ト教
信 徒 の 数 は 伸 び て い な い 。 こ の キ リ ス ト 教 の 関 係 と も う 一 つ 考 え な け れ ば な ら な い の は 思 想 的推
移 で あ る 。 西洋
文 明 の 異 状 な ま で の 移 入 期、 つ ま り 文 明 開化
の 時 代 は 、 は っ き り と 十 五 年 で終
っ て い る わ け で は な い 。 文 明開
化 を 代 表 す る の は 明 六 社 の 人達
、 森 有 礼 、 西村
茂 樹 、 福 沢 諭 吉 、 中 村 正 直、 西 周、津
田真
道、 加 藤弘
之 、 杉 亨 二、 箕作
秋 坪 、 箕作
麟 祥 の 十 人 を 中 心 と し た グ ル ー プ で 、 そ の機
関 誌 「 明 六 雑 誌 」 ( 部数
三 〇 〇 〇 ) を 発 行 し た 。彼
等 は儒
教 的 な 訓 練 を 受 け た 上 に 、蘭
学 を 学 び 、 イ ギ リ ス 、 ド イ ツ 、 フ ラ ソ ス の 学 問 を 、 特 に哲
学、 政治
、 経済
、 宗 教、道
徳
を 紹 介 し た 。 従 っ て 、 そ こ で は 教養
と し て の儒
教 と、 外来
の キ リ ス ト 教 と の 対 決 が な さ れ る の は 当 然 と 思 わ れ る 。 福 沢 は儒
教 的 な も の を除
去 し よ う と し 、 西村
は儒
者 に愛
着
し 、 西 は 中 間 的 立場
を と っ た 。 明 治 五 年 の 学制
で は 「 詞 章 記 誦 ノ 末 二趨
り、 空 理虚
談 ノ 途 二陥
リ 」 と い う こ と で 、 儒 教 的 色 彩 を 一掃
し よ う と し た が、 自・ 由 民 権 運 動 の拡
ま り、官
僚 体 制 の 上 に 必要
欠
く べ か ら ざ る も の と の 認 識 が で て き て 、 明 治 十 四 年 の 、 教 学 大 旨 L の 中 で は国
民教
育
の 中 に儒
教 主義
を 復 活 し て い っ た 。政
府
内 部 に は 開 化 派 、保
守 派 が い て 相 互 に鎬
を 削 っ て い た 。 キ リ ス ト教
は 正統
的 イ デ オ ロ ギ ー に は な れ な か っ た し 、神
道
に も 求 め ら れ な か っ た か ら 、 仏 教 と儒
教 の 利 用 と い う こ と に な る が 、 そ の い ず れ か 一方
を 弾 圧 す る こ と は 出来
な い 。 し か し 、今
迄 の ま ま で 利 用 す る に は 体 制 上 か ら も 不都
合 だ し 、 仏 教 ・ 儒 教 自 体 も説
得
力 を な く し て い た から
、 こ れ を 再 製 し直
さ ね ば な ら な い 。 仏 教 は廃
仏毀
釈 で 痛 め つ け ら れ 底 辺 に あ つ て常
に 上昇
の 機 会 を う か が っ て い た か ら、 政府
の き ら い な キ リ ス ト 教 を 批 判 す る こ と に よ つ て 上 昇 し よ う と し た し、儒
教 は開
化 派官
僚 の文
教
政 策 に 反対
し て 、 そ の勢
力
の拡
大 を 図 っ て い た が 、 西 欧 の 諸 観 念論
的 イ デ オ ロ ギ ー は 矢 張 り 断 片 的 で あ っ た の で 、 儒 教 が絶
対 主 義、 国 粋 主義
の 正 統 イ デ オ ロ ギ ー の 主要
な も の と し て 上昇
し、 仏 教 は 従 属 的 な も の と し て 一8
一釈 雲照と教育 (斉藤) 9 の 位
置
に と ど ま ざ る を 得 な か っ た 。 西 村 茂 樹 の 「 日本
道徳
論 」 で は 仏 教 を 儒教
主 義 か ら 批判
、 福 沢 諭吉
は 「徳
育余
論
」 で 、 下 流 の も の に 仏法
を 信 ず る 者 が 多 く 、 民 間 の 道 徳 は 全 く 仏法
よ り 生 じ た も の で 、 上 流 の も の に徳
を 教 え る も の で は な い が 、 下 流 の徳
心 が 集 っ て 公 議 与論
を作
れ ば 無 限 の 勢 力 を 有 す る と述
べ て い る 。 開 化 派 は伊
藤
博
文 を 中 心 と し 、保
守 派 は 元 田永
孚
を 巾 心 と す る が、盛
り 上 っ て き た 自 由 民 権 運 動 に 対 す る 文 教 政策
の 主導
権 を め ぐ り 、封
建 的専
制 主 義 の 権 力支
配
と ブ ル ジ ョ ア 的 開 化 政 策 と の 矛 盾 と い う 形 が 、 エ ネ ル ギ ー と な っ て い た 。伊
藤
博
文 の 「 教育
議 」 明 治 十 二 年 の 中 で 、 道徳
が く ず れ て い る こ と、 自由
民権
運 動 が 学 校 教育
の な か に 入 り 込 ん で い る こ と を 指摘
し、 こ れ に は 文 教 政 策 の 確 立 が 肝 要 で あ る と 主 張、道
徳 の く ず れ は 外 国 と の自
由 な 交 際 、 身 分 制 度 の 整 理 、 維 新 が 武 力 革 命 で あ っ た こ と ( 士 族 が 産 を 失 い、 不 満 の と こ ろ ヘ ヨ ー 口 ・ パ の 革 命 思 想 ) を指
摘
し て い る 。伊
藤
博
文 の 開 化 主 義 、 欧 化 主 義 は 自 由 主義
に も と つ く も の で は な く、 内 面 的 必 然性
に よ る 政 教 の 分 離 、 近 代 的 自 由 の 主 張 で は な か っ た か ら 、 元 田永
孚
の 「 教育
議附
議
」 で 儒教
主義
に よ る 天 皇 制 の 利 用 に よ る 絶 対 主 義 イ デ ナ ロ ギ ー の前
に は 口 を 〔 3 ) つ ぐ ん で し ま う 結果
と な っ た 。 こ う い う状
況 に あ っ て、 仏 教 思 想 は 儒 教 主義
に と っ て は敵
対 的 イ デ オ ロ ギ ー で あ っ た か ら弾
圧 を さ れ る が、 仏 教 は こ れ に 対 し て 反抗
を せ ず、 天皇
制 支持
の 側 に 立 つ よ う に 努 め た の で あ る が 、 正 統 イ デ オ ロ ギ ー と し て は 儒 教 、 政 教 合 一 の 内 容 か ら神
道
を と っ て い っ た が、 福 沢 諭吉
の い っ て い る よ う に 、 下層
部 信 徒 を 天皇
制 へ 善 導 す る と い う従
属
的役
割 を 果 し 、忠
誠
心 を あ ら わ す た め に 、 天皇
制 が 「 恐 れ 」 を 抱 い て い た キ リ ス ト教
を 批 判 し た の で あ る 。 こ う し た 思想
の 政 策 的 推 移 に あ き た ら な い 人 達、 そ れ は 仏 教 主義
者 で あ り 、神
仏習
合 主 義者
達
で あ っ た 。 真 言 宗 で は 釈 雲 照 、 佐 伯 旭 雅 、 別 処栄
厳 と い う戒
律
主 義 を奉
ず る 人 達 で、 真 言 宗 の 大 勢 に あ き た ら な い 。 政 府 部 内 で は青
木
貞
三 、 山岡
鉄 太 郎、 三 浦悟
楼
、 沢 柳政
太 郎 達 で あ っ た 。 か く て、 明治
十 六 年 十 二 月 十 六 日 十 善 会 は霊
雲 寺 で 発 会 式 を行
い、 翌 十 七 年 一 月 十 五 日 に は 京 都 で 挙 行 し た 。 久 邇 宮朝
彦
、 小松
宮
彰 仁親
王 が 上 首 、 法 竜、 智満
、 行智
( 十 七 年 没 ) 、 雲 照 、 旭 雅 、栄
厳
、 乗 禅、 青木
貞
三 、多
田 好9
智 山学報第十 六輯 間 、
山
本 正 義 、 山岡
鉄
太 郎 ら で あ っ た 。 十 七 年 の 真 言 宗宗
制 会議
に 雲 照 が 「 御 遺告
」 「 三学
録
」 に よ っ て 一 宗 を律
す る こ と を 主 張 し た が 入 れ ら れ ず 、青
木
貞
三 よ り 宗 団 の 革 新 は 難 か し い か ら 、 仏 教 の 四 恩 十善
を根
本 と し て 民 衆 教 化 に 当 っ て く れ る よ う勧
め ら れ東
上 、 こ れ よ り 東 京 で の活
動 が 始 ま る 。 十 入 年 入 月 二 十 四 日 に は 久 邇宮
、青
木、 山 岡 が協
議 し 、 目 白新
長 谷 寺 を中
心 と し て 十 善 会 を 運 営 す る こ と と な っ た 。 十 善 会 は十 善 会 設 立 の 趣
旨
戒
な く し て 効 果 を求
め ん と 欲 す る も、 亦 復是
の 如 し、 戒 と は 即 十 善 戒法
な り 、 此 十善
戒
法 は 天 然 の性
格
に し て 一 切 世 間 出 世 間 の善
法
の 本 源 な り 、是
に 由 て 、此
戒
世 間 に 在 て は 世 間 を利
益 し 、 種 々 の 福 禄 を 開 し 、 出 世 間 に あ っ て は 出 世 間 を 利益
し 、 菩薩
声 聞 の 無 漏 善 根 は徳
を 成 就 す の も と に 、 雲 照 の律
、真
言 宗 内 の事
情
、 社 会 状 勢 、 外 護者
の 集 り に よ っ て 、更
に 二 十 任 に は [ 日 白 に戒
律 学校
を 開 き 二 +余
名
を 集 め て い る 。 こ の 学 校 は青
木
貞
三 の 死 ( 二 十 二 年 二 月 六 日 ) に よ っ て、 沢 柳政
太
郎 に バ ト ソ が 渡 る 。 そ し て 十善
会 は 規 則 を つ く り、 会 報 ( 十善
宝 窟 ) を出
し、 全 国 に支
会 ( 二 十 ) を つ く る と い う 組 織 的 活 動 期 に 入 る 。 次 に規
則 に よ っ て 具 体 的 活 動 を み る こ と に す る 。十 善 会 規 則
第
一 章総
則 第
一
条
本
会 は 十 善 会 と称
す 第二
条
本
会 の目
的 は 十 善 を拡
張
し、 如 法 の 学徒
を 養 成 し 仏 教 を振
興 す る に在
り 第三
条
本 会 は
本
部 を 目 白 新長
谷
寺
に 置 き 漸 次 各 地 に支
会 を 設 く る も の と す 第 四条
本
会 は 雲 照 律 師 其 他持
戒
清
浄
の 高 僧 を 迎 え て 伝戒
師
と す 一10
一釈雲照 と教 育 (斉藤 ) 第 二 立 早 く 宏 口 貝 第 五 条 何 人 を 閙 は ず
本
会 の 目 的 に賛
成 す る も の は 会員
と す 第 六 条 入 会 を 望 む も の は 本 会事
務 所 に申
込 む べ し 第 七条
持
戒清
浄
の 僧 侶 を 以 て伝
戒 師 と す第
入 条 学 力卓
越 雄 弁 の 人 を 以 て 講 師 と す第
九 条 会
員
中皇
族 を推
選 し て 上 首 と す第
十
条
会
員
に し て本
会 の 目 的 に 反 す る の 所 業 あ る も の は 評 議委
員
会 の 議 決 を経
て除
名 す べ し第
三 葦会 費 第 十 一
条
本 会 は 会 員 其 他
有
志 者 よ り 薯 捨 す る浄
財 を 以 て 一 切 の費
用 を支
弁 す る も の と す第
十 二 条 会員
は 毎 月 三銭
以 上 三 十 銭 以 下 の 会費
を 喜捨
す る 者 と す、 但 一時
金 十 円 以 上 を 喜捨
す る も の は 繭後
会費
を 喜 捨 す る を 要 せ す第
十 三条
会費
は 隔 月 之 を集
む る も の と す 但 一 年 一 次 或 は 両 度 に 納 む る も 妨 な し第
十 四条
布
教 其 他 臨 時支
出 を 要 す る と き は 会 員 及有
志 者 よ り 特 に喜
捨
を 請 ふ こ と あ る べ し 第 十 五条
本 会
費
金 の 収支
は毎
年 二 回 会員
に 報 告 す る も の と す第
四 章 会合
第
十 六 条 大 会 は 五 月 十 月 の 両 度 開 会 す る も の と す第
十 七条
左 の 事 項 は 大 会 に於
て 議決
す る も の と す 一 、 菩薩
戒
授
与
式 一 、 会 則 の 改 正 一11
智山学報第 十六輯
一 、
本
会 の 消 長 興 廃 に 関 す る 事 件一 、 布 教 の 方 法
第
+ 入条
評
議
員
会 は 臨 時 之 を開
く も の と す、 其 他 の 委員
会 は 便 宜 之 を開
く も の と す 第 十 九条
毎
月 一 回 講 師若
く は 名 士 を 請 し て 説 教演
説
会 を 開 く も の と す 会 場 は 便宜
之 を 定 む 第 二 十条
時
々 十 善 戒 に関
す る 講筵
を開
く も の と す 第 二 十 一条
臨 時 須 要 の
事
件
起 り 定 期 大 会 を持
つ こ と能
は ざ る と き は 臨 時 大 会 を 開 く事
あ る べ し第
五 章役
員
第
二 十 二条
本
会 に 左 の 名誉
役
員
を 置 く 第 二 十 三 条 第 二 十 四条
第 二 十 五条
第
二 十 六条
評 議 委 口 貝 長 一 名 評 議 委員
若 干 名教
務 委 員 若 干 名 出 版 委 員 十 名 △ 四計
委 口 貝 二 名一 庶 務 委 員 若 干名
斡
旋員
若
干 名 評議
委
員 長 及 評議
委
員
は 全 員 よ り撰
挙 し、委
員
の 請 求 に よ り 本 会 に 関す
る 重 大 の 事 件 を 評 議 処 理 す 教務
委
員
は 緇 素若
干名
を 撰 挙 し 十 善戒
及 其 他教
義
儀
式 等 に関
す る 一 切 の事
務
を 処 理 す 出 版 委員
は 緇素
若 干名
を 撰 挙 し出
版 に 関 す る事
項 を 討議
処 理 す 会 計 委 員 は 会 員 中 資 産 に 富 む 者 の中
よ り 之 を 撰 挙 し、 会 計事
務
を 処 理 す12
一釈 雲照と教育 (斉藤) 卍
第
二 十 七条
庶 務委
員
は 会 員 の 入 退 、 仏書
の印
刷 、 会 場 の整
理, 其 他 一 切 の雑
務 を 処 理 す第
二 十 八条
斡 旋員
は委
員
の 嘱托
に よ り 本 会 の 事務
を 斡旋
す第
二 +九
条
各 委員
の 任 期 は 三個
年
と す 第 六章
雑
則 第 三 十
条
会員
に は 十 善 宝窟
を寄
贈
す 第 三 十 一条
会
員
は本
会 の 説教
演
説 及講
筵
等 に其
親 戚 朋 友 を誘
伴 す る こ と を得
第 三 十 二 条 会員
は 因果
応 報 仏 教 の 真 理 に於
て 通解
せ ざ る と き戒
師 又 は 講 師 に就
て 質 問 す る こ と を得
第
三 十 三条
会員
は 仏 書 に 付 き本
会 戒 師 講 師 等 に質
問 を為
し 其弁
解 を 求 む る こ と を得
第
三 十 四 条 会燮
は戒
師 に就
て 各 自 所得
の 安 心 を 呈 し て 、其
正 否 を匡
し 印 可 を受
く る こ と を得
第
三 十 五条
会
員
は戒
師 を 請 し て 法 会 を開
き 臨 時 説教
等
を 聴間
す る こ と を 得 第 三 十 六 条支
会 其 他 細 則 に 関 す る 定規
は 別 に 之 を定
む本
会 評議
員
岩
崎
半 右 衛 門伊
藤
高 城 松村
菊 地 で あ っ た 。武
由・義
可夫
長海
宗 三 阿 高 石 僻 浦南
橋jli
藤 橿健
幹
楼 尚 三巌
一 そ の 目 的 に も あ る よ う に 、稲
生正
道
鳥
尾 小 弥 太 長 瀬 時 衡 桜 井能 監 ・ 島 田
蕃
根
一 、 す る こ と で あ っ た 。 こ の 昌 的 を 遂 行 す る た め に、 市村
,藤
吉 何礼
之 中村
亀
太郎
沢 柳 政 太郎
臼 原実
乗
隼長
坂
前
高
稲 瀬P
田志
村
義 道 、正 大 英 幹 基 一 了睡
十 善 を拡
張
す る こ と 。 如法
の 学 徒 を 養 成 す る こ と 。 三、 仏教
を振
興 「 十 善 宝 窟 」 を 発 行 し て 、 十 善 を拡
張 し、 仏教
を振
興 す る 。 学 徒 一13
智虚学報第十六輯
養
成
の 機 関 を 設 け る 。戒
律
学 校 を 改 め て潮
白 僧 園 と し た も の で あ る 。 一 般 学校
は 遂 に実
環 を み な か っ た 。更
に仏
教
を振
興 す る た め に毎
月、布
薩
会 並 十 善法
語 講 義 弘 法 大 師 御 影供
本 尊 護 摩 供 土 砂 加持
会 法 話 各 季 に 授 菩薩
戒
を 行 い 、 更 に夫
人摂
受
正法
会 を 設 立 し て 、 十 善 の 正 法 に よ っ て 、 婦 人 の 美 徳 を 養 成 し 、特
殊 の貞
操
を 生育
し て 、 以 て 四恩
に報
い ん た め と さ れ る 。 発 起 入 と し て 毛利
安 子 ハ 公爵
) 、 蜂 須 賀 随 子 ( 候爵
) 、 井 上武
子 ( 伯 爵 ) 、大
張
綾
子 ( 伯 ) 、 山 田 竜 子 ( 伯 ) 、 秋 元 宗 子 ( 子 ) 、 武 者 小 路 種 子 ( 子 ) 、 谷 玖 満 子 ( 子 ) 、 鳥 尾泰
子 ( 子 ) 、 三 浦 愛 子 ( 子 ) 、 田 中伊
与
子 ( 子 ) 、 池 闘 甲 子 、 海 江 田 愛 子 ( 子 ) 、 森 村 菊 子 、森
永 毒 代 子 ら で あ る 。機
関
誌 と し て 「法
の 母 」 を 発行
す る に い た る 。 以 上 の こ と で み ら れ る よ う に 、 十 善 会 は 明 確 な 規 則 の 上 に組
識 立 て を行
っ て い る 。 約 二 〇 〇 〇名
の 会 員 を短
時
日 の 中 に 得 て い る の は 組 織 機構
を し っ か り 組 み 立 て て い る か ら で あ る 。 会 の指
導
者 と し て の戒
師 、 講師
、 会 の 運営
者 と し て の各
委 員 、 会 の 拡 張 の た め の 斡 旋員
を お い て い る 。戒
師
釈 雲 照 講
師
上 野
相
憲
、 金 剛宥
控 、 高 岡増
隆 、 高 野 山 隆 応 、高
志 大 了 、 土 宜法
竜 、 田 下憲
尊
、阿
州薬
王 寺知
息
、神
光 院智
満教
務 委 員大 乗 法 禅、 石 橋 智 満 、
貴
沢 慈 光、 新 弘 謙 (播
磨
) 、 ° 荒 井 興 厳 、 伊 達 隆 弁、 丸 山法
果
、 宅 見 忍 光 一14
一釈 霽照 と教育 (斉藤)
会 欝
委
員
゜森
満
右
蕊 門 、沢
柳政
太郎
轂
旋
員
松
本
四 郎 兵衛
( 兵庫
) 、 大 川繁
雄
( 下 野 ) 、吉
田 窺 兵衛
( 摂 津 ) 、柴
困儀
三 郎 (摂
津
) 、 蜜 居弘
敝
、萩
原
信 有 (武
蔵
〉 、 須 脚 濤雄
(武
蔵
) 、 小 池 甲 子 次郎
(武
蔵
) 以 上 の よ う に 、他
方 と の 連絡
を 密 に し て 、 委 員 が 実 行機
関 と し て、 評議
委
員
会
が議
決 機 関 と し て の形
体 を備
え て い る 。会
員
の指
導
は 十 善 宝 窟 を 通 し て 行 い 、 宝 窟 を拝
見 す る と き 、 又 は 朝暮
、仕
事
の 始 ま り に は 次 の 如 く と な え る 。十
善
戒
自
受
法先
懺
悔
向
仏前
焼 香 三 拝我
讐
殀 造 諸 悪業
皆 由無
始
食
靉 痴従
身
語 意 之 所生
一 切
我
今
皆懺
悔
次 三
帰
弟 子
某
甲尽
未
来 際帰
依
仏 帰 依法
帰 依 僧 ( 三 説 )・
.
弟
子某
甲尽
未
来 際帰
依
仏竟
帰 依法
竟
帰
依僧
竟
( 三 説 )次 十
善
戒
弟
子某
甲廟
瞼 夜 尽 私 訛 日 鯨 未 剰 瞞 申 不 殺 生不 愉 盗
不 邪 婬
不
妄
語不
綺
語不 悪 口
不 両
舌
不 慳
貪
不 瞋 恚
不 邪
艮
雅 )願 以 此
功
徳
普
及 於 一切
哉
等 毒衆
生皆 共
成
仏道
( 齢 ) 忙 し い と き は 何菓
今 臼 中 帰依
三 宝 受 孛善
萩
と いう
だ け で ょ い 之 し て い る 。 こ れ は沙
弥
+戒
法 並威
儀経
か ら と っ て い 一15
一智 山学報第 十六輯 る 。 次 に 十 善 宝 窟 の 内 容 は 講
話
、 と 次 の 如 く で あ る 。 第 一 輯 ( 明 治 二 十 三 年 四 月 ) 十 善 大 意 仏 戒 世 間 戒 対 辨 十 善 法 話 第 二 輯 ( 明 治 二 十 三 年 五 月 ) 十 善 大 意 弘 法 大 師 御 遺 誡 の 文 説 戒 会 示 衆 道 徳 の 話 十 善 法 話 第 三 輯 ( 明 治 二 十 三 年 六 月 ) 十 善 大 意 三 帰 の 説 受 菩 薩 戒 の 大 意 第 四 輯 ( 明 治 二 十 三 年 七 月 ) 十 善 大 意 十 善 四 恩 略 説 縁 起 十 善 略 説 四 恩 略 説 雨 安 居 教 誡 詞 仏 獄 喜 日 垂 示 法 話 、 巻末
は雑
録 で、 大部
分 が 講話
、 法 話 に な っ て い る 。 そ の 題 を 列 記 し て み る 十 善 会 発 行 弟 子 述 雲 照 校 訂 慈 雲 尊 者 雲 照 律 師 つ づ き 慈 雲 尊 者 雲 照 律 師 雲 照 律 師 つ づ き 慈 雲 尊 者 雲 照 和 上 つ づ き 雲 照 和 上 慈 雲 尊 者 雲 照 律 師 慈 帚 云 尊 者 垂 示 皇 家 奉 仏 の 事 蹟 第 五 輯 ( 明 治 二 十 三 年 八 月 ) 人 と な る 道 略 語 随 行 記 五 戒 略 説 無 常 の 法 話 第 六 輯 ( 明 治 二 十 三 年 九 月 ) 十 善 戒 和 讃 弘 法 大 師 遺 誡 の 文 十 善 戒 和 讃 法 話 録 十 善 学 童 日 用 行 法 略 軌 指 示 第 七 輯 ( 明 治 二 十 三 年 十 月 ) 十 善 戒 弁 疑 八 斉 戒 略 説 受 戒 法 要 行 基 菩 薩 誠 誡 の 文 , 十 善 戒 和 讃 の 講 話 第 八 輯 ( 明 治 二 十 三 年 十 一 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 沙 弥 + 戒 略 説 形 同 沙 戒 垂 示 仏 教 大 意 問 答 雲 照 和 上 慈 雲 尊者
弟 子 記 雲 照 訂 正 雲 照 律 師 雲 照 律 師 雲 照 律 師 雲 照 和 上 雲 照 律 師 雲 照 律 師 恵 澄 和 尚 雲 照 律 師 つ づ き 雲 照 律 師 慈 雲 和 上 相 憲 僧 正 一16
一釈雲照 と教育 (斉藤) 雪 窓 問 答 第 九 輯 ( 明 治 二 十 三 年 十 二 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 沙 弥 尼 十 戒 略 説 飲 光 尊 者 略 法 語 十 善 の 法 話 一 則 仏 教 大 意 問 答 第 十 輯 ( 明 治 二 十 四 年 } 月 ) 三 綱 領 略 解 興 正 菩 薩 教 誡 詞 十 善 戒 和 讃 略 解 第 十 一 輯 ( 明 治 二 十 四 年 二 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 飲 光 尊 者 の 法 話 律 教 再 興 主 意 書 興 正 菩 薩 御 教 誡 仏 教 大 意 問 答 熱 海 法 話 第 十 二 輯 ( 明 治 二 十 四 年 三 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 孝 道 の 話 興 正 菩 薩 御 教 誡 病 中 用 心 鈔 大 日 経 住 心 品 疏 開 講 縁 起 行 誠 上 人 説 示 つ づ き 雲 照 律 師 雲 照 律 師 つ づ き 雲 照 律 師 興 正 菩 薩 つ づ き 雲 照 律 師 飲 光 尊 者 つ づ き つ づ き 雲 照 律 師 雲 照 律 師 飲 光 尊 者 智 道 上 人 雲 照 律 師 / ・ 第 十 三 輯 ( 明 治 二 十 四 年 四 月 ) 上 座 咒 願 文 丼 略 解 十 善 戒 和 讃 略 解 孝 道 の 話 興 正 菩 薩 御 教 誠 病 中 用 心 鈔 仏 教 大 意 問 答 真 言 律 宗 第 十 四 輯 ( 明 治 二 十 四 年 五 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 興 正 菩 薩 御 教 誠 病 中 用 心 鈔 頁 言 律 宗 第 十 六 輯 ( 明 治 二 十 四 年 七 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 興 正 菩 薩 御 教 誠 出 家 大 綱 叙 諸 法 実 相 の 法 語 仏 教 大 原 則 第 十 七 輯 ( 明 治 二 十 四 年 八 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 興 正 菩 薩 御 教 誡 出 家 大 綱 仏 教 大 原 則 雲 照 律 師 雲 照 律 師 飲 光 尊 者 智 道 上 人 つ づ き 浄 厳 律 師 雲 照 律 師 智 道 上 人 浄 厳 律 師 雲 照 律 師 栄 西 禅 師 慈 雲 尊 者 雲 照 律 師 雲 照 律 師 栄 西 禅 師 雲 照 律 師 一 ム1
智山学報第十六輯 第 十 八 輯 ( 明 治 二 十 四 年 九 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 受 戒 法 語 出 家 大 綱 信 施 論 勧 発 往 生 の 法 語 第 十 九 輯 ( 明 治 二 十 四 年 十 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 禅 経 の 話 興 正 菩 薩 御 教 誡 出 家 大 綱 第 二 十 輯 ( 明 治 二 十 四 年 十 一 月 ) 十 善 戒 和 讃 略 解 如 実 知 自 心 垂 示 興 正 菩 薩 御 教 誠 大 比 丘 二 百 五 十 戒 略 説 仏 教 大 意 玄 談 第 二 + 一 輯 十 善 戒 法 易 行 弁 十 善 戒 略 語 三 帰 垂 示 大 比 丘 二 百 五 十 戒 略 説 第 二 十 二 輯 十 善 戒 法 易 行 弁 ( 明 治 二 十 四 年 十 二 月 ) ( 明 治 二 十 五 年 一 月 ) 雲 照 律 師 慈 雲 尊 者 栄 西 禅 師 面 山 和 尚
任
遍 僧 都 雲 照 律 師 慈 雲 尊 者 栄 西 禅 師 雲 照 律 師 慈 雲 尊 者 雲 照 律 師 雲 照 律 師 雲 照 律 師 慈 雲 尊 者 慈 雲 尊 者 雲 照 律 師 雲 照 律 師 三 帰 法 語 慈 雲 尊 者 興 正 菩 薩 御 教 誡 大 比 丘 二 百 五 十 戒 略 説 雲 照 律 師 両 部 神 道 大 意 雲 照 律 師 第 二 十 三 輯 ( 明 治 二 十 五 年 二 月 ) 十 善 玄 理 慈 雲 尊 者 興 正 菩 薩 御 教 誠 大 比 丘 二 百 五 十 戒 略 説 雲 照 律 師 両 部 神 道 大 意 雲 照 律 師 第 二 十 四 輯 ( 明 治 二 十 五 年 三 月 ) 以 下 目 白 僧 園 発 行 十 善 玄 理 戒 学 要 語 受 戒 或 問 両 部 神 道 大 意 後 世 路 の 枝 折 第 二 + 五 輯 十 善 玄 理 梵 網 経 分 受 学 海 興 正 菩 薩 御 教 誡 明 恵 上 人 遺 訓 受 戒 或 問 両 部 神 道 大 意 第 二 + 六 輯 十 善 戒 略 釈 ( 明 治 二 十 五 年 四 月 ) 慈 雲 尊 者 慈 雲 尊 者 釈 雲 照 釈 雲 照 恵 澄 和 尚 慈 雲 尊 者 学 如 律 師 雲 照 律 師 雲 照 律 師 ( 明 治 二 十 五 年 五 月 ) 雲 照 律 師18
釈 雲照と教育 (斉藤) 明 恵 上 人 遺 訓 分 受 学 海 学 如 律 師 受 戒 或 問 蛋 云 昭 … 律 師 誕 生 会 法 話 雲 照 律 師 第 二 十 七 輯 ( 明 治 二 十 五 年 六 月 ) 編 輯 福 田 慈 海 十 善 戒 略 釈 雲 照 律 師 興 正 菩 薩 御 教 誡 戒 学 要 語 . 慈 雲 尊 者 分 受 学 海 学 如 律 師 第 二 十 入 輯 ( 明 治 二 十 五 年 七 月 ) 十 善 戒 略 釈 雲 照 律 師 戒 法 随 身 記 浄 慧 律 師 ‘ 分 受 学 海 学 如 律 師 大 人 語 并 小 人 行 慈 雲 尊 者 明 恵 上 人 遺 訓 第 二 十 九 輯 ( 明 治 二 十 五 年 八 月 ) 仏 教 入 門 の 初 歩 雲 照 律 師 戒 法 随 身 記 ‘ 浄 慧 律 師 梵 網 経 分 受 学 海 学 如 律 師 甚 深 法 性 、 慈 雲 尊 者 第 三 十 輯 ( 明 治 二 十 五 年 九 月 ) 仏 教 入 門 の 初 歩 つ づ き 甚 深 法 性 慈 雲 尊 者 戒 法 随 身 記 浄 慧 律 師 梵 網 経 分 受 学 海 学 如 律 師 以 上 三 十 冊 に つ い て み て も 、 十 善 と
戒
律 に つ い て、 雲 照 が毎
号執
筆
し、律
の 諸 先 輩 (特
に 慈 雲 の も の が 多 い ) の 文 を の せ て い る 。 こ れ ら の事
か ら 雲 照 は組
織 の 運 営 の 面 に は タ ッ チ し な い で 、専
ら 仏教
指
導 を自
分 の信
念 に 基 づ い て 行 っ て い る こ と が 分 る 。 こ の 十 善 会 は極
め て 近 代 的 な 形 態 を と っ て い て 、 雲 照 と 十善
会 と の 関 係 は 、仏
教
及 び指
導
に関
し て は 雲 照、 会 の 運 営 に つ い て は 委員
達
で あ っ た 。 十 善 会 の も う 一 つ の事
業
は 、 イ ソ ド と の 連 絡 を保
っ た こ と で あ る 。 釈 興 然 が 二 十 三年
以 来 イ ン ド に あ っ て 、 釈雲
照 あ て 通信
を し て き た 事 に始
ま る 。興
然 が ブ ツ ダ ガ ヤ に 止 住 し て 正 法 を 再 起 せ ん と の誓
願
を 土宜
法
竜 、 釈 雲照
に送
っ て き た 。 興 然 は 大 菩提
協
会 の 設 立者
ダ ン マ パ ー ラ と 一 緒 に 、 ブ ツ ダ ガ ヤ に 至 り 、 大塔
を拝
し て 、 一 人 の 仏弟
子 も 居 ら な い で 、 ヒ ン ド ウ 教 徒 に よ っ て 守 ら れ て い る こ と を慨
歎
し て 、 こ こ に 止 住 し よ う と 決 心 し た 。 こ の 地 を 五 〇 〇19
一智 山学報第十六 輯 ○ 凹 に て、 マ ハ ラ … ジ ヤ か ら 買 う こ と が で き る と し て、 ダ ン マ パ ー ラ は セ イ 群 ン に 、 興 然 は 日
本
に 伝 丸、 そ し て 実. 地見
聞 を勧
告 し て き た 。 セ イ ロ ソ留
学 僧 善 連 法彦
、 佐 藤某
は ブ ツ ダ ガ ヤ に 参拝
し た 小 泉 了諦
を 通 じ て 伝 え て き 、 セ イ 獰 ン に興
然 、 ダ ン マ パ ! ラ達
が ブ ツ ダ ガ ヤ再
興
会 を作
り、 日本
で は 、 十善
会 に献
納
金 が 集 ま っ て き た 。 十善
会
で は戒
師 雲 照律
師 の 代 り に 、東
京
四谷
の愛
染
院前
住
の阿
刀宥
乗律
師
が ガ ヤ に赴
い た 。 興然
か ら の 連絡
に よ る と 、第
一 、現
前
僧 宝 酥 住 処 之 事、乾
院
を 以 て充
つ べ し 、 所属
建 物新
築 炊 屋 二 便 所 墻 防熱
防
風
之 為 め 、 値木
凡 五 百 円を
供 す べ し第
二 、 必 編 之 地 面 買 取 之事
、 伽 藍 現 境 内 、 凡 三 ビ ガi
之 地 面 を除
き て 、 西南
北 之高
阜乾
院
現 境 内 、 並 新 築場
用 地 也 、 凡 十 ビ ガ ー ( 一 万 二 干 百歩
) 千 五 百 円 程 な り 第 三 、 旨 本院
建 築 之事
、 凡 二 千 円 を 供 す べ し第
四 、 現 前僧
宝 食 費等
之 事 、 五 名 に付
月 並 廿 五 円年
計 三 百 円但
し向
一 ケ年
・
第
五、 現 前 僧 宝永
遠 資本
之事
、低
度 五 千 円 也 、 歳 生 之利
子 三 百 円 之 見 積 也第
六 、 組織
創
業 諸雑
費 之事
、 凡 七 百 円 〔 4 ) と書
き 送 つ て き て い る 。 ( 高 野 山観
喜 院 法 主 宛 ) ダ ル マ パ … ラ の 目 記 に 「 泓 が額
を 金 剛座
に つ け る や 否 や 、急
激 な衡
動 が 私 の 心 に お こ っ た 。 そ れ は 私 を し て こ こ に壷
ま れ 、 そ し て こ の 聖 地 −ー
あ ま り に も 聚 な る故
に 、 こ の 世界
で 何 も の も サ キ ヤ ・ シ ン ハ 太 子 が 菩 提 樹 の 下 で 悟 り を得
た こ の 地 に 匹敵
す る と こ ろ は な いii
の 世 話 を せ よ と 私 を促
し た 。 … … 突 然 の 衝 動 が 私 に お こ っ た時
に、私
は 興 然師
に 彼 が 私 と 止 ま る か ど う か を 訊 ね た 。彼
は 嬉 し げ に岡
意 し た 。 そ れ の み な ら ず 彼 も肩
じ こ と を 考 え て い た の だ っ た 。 わ れ わ れ 両 人 は、幾
人 か の 仏 教 の 僧 が こ の 場 所 を管
理 す る た め に や っ て 来 る ま で 、 こ こ に 止 ま ろ う と 厳粛
に 約束
し た 」 と あ る 。 こ う し た 十善
会 の 活 動 に 対 し て 、 川合
清
丸
へ 5 ) は 「 印 度 仏 蹟 興復
会 に 賛 成 を 請 ふ書
」 を か い て い る 。 「 本 邦 の 真実
に 仏 恩 を 思 い 仏徳
を 慕 ふ 仏 弟 子 輩 は 大 い に 興然
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一釈雲照 と教育 (斉藤) 師 の 発