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智山學報 第60 - 008三好 英樹「中世後期根来寺内における修験道」

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(1)

NII-Electronic Library Service

 

 

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

中世後期根 来寺内に お け る修験 道 (三好 )   本 稿 で は 、

世 後 期 の

来 寺 内 に お け る 山 伏 の 在 り

や 修

道 の 位 置 を

察 す る 。   一 六 世 紀 、

国 根 来 寺 ( を 中 心 と す る 根 来 の 地 ) は イ エ ズ ス 会 宣 教 師 ル イ ス ・ フ ロ イ ス に よ っ て 「 大 い な る 共 和       ( ↓                                                                                   互 国

」           と

述 さ れ る ほ ど 、                             ま た 同

期 に ヨ ー ロ ッ パ で

行 さ れ た 「 メ ル カ ト ル 世 界 図 」 中 の 日 本 列 島 に 「

P8 」 ( 都 ) と 並 ん で 「

Z

Φ ゆq

」 ( 根 来 ) と

さ れ る ほ ど 、 西 洋 に も

ら れ た 「 地 域 」 、 そ し て 「 都 市 」 で あ っ た 。 中

、 地

の 顕

寺 院 は い か に し て

辺 地 域 の 人 々 を 惹 き つ け 、 人 々 の 集 ま る 「 都

」 や 「 地 域 社

」 を 形

し え た の か 。  

来 寺 は

後 期 に

鑁 が 高 野 山 上 に

建 し た 伝 法 院 ( 大 伝 法 院 ) に 起 源 を 持 つ 真 言

院 で あ る 。 鎌

期 か ら 南 北

期 に か け て 大 伝

は 高 野 山 上 か ら 根 来 の 地 へ 離 山 を し 、 一 五 世

初 頭 に は 根 来 に お い て 大 伝 法 院 を

心 と

る 仏 ( 本 尊 ・ 堂 舎 ) ・ 法 〔 仏 事 ・ 法 会 ) ・ 僧 ( 僧 団 組 織 ) の 三 宝 が そ ろ っ た 伽 藍 と 膝 下 庄 園 を 中 心 と す る 経 済 基 盤 を

                            ( 3 ) き あ げ 中 世

来 寺 は 「 成 立 」 し た 。 そ の 後 、 室 町 幕 府 の 保

が 無 く な り 、 庄 園 制 も 変 容 し て い

中 、 一 五 世

75

(2)

NII-Electronic Library Service 智山 学報第六十輯

 

 

                                         

 

 

 

 

      ( 4 ) 半 か ら

ハ 世

に か け て

域 は 最

と な

最 盛

を 迎 え る と さ れ て い る 。

来 寺 が こ の

に 「

市 」 と し て の 隆 盛 を 極 め え た 要 因 と し て 、 先 学 に よ り

の こ と が 明 ら か と な っ て い る 。 そ れ は 、

伊 国 北

泉 国

地 域 の 土

・ 百 姓 の

弟 ら が 氏 人 と な り 、

へ 行 人

と し て 入

を 次 々

立 し た こ と 、 行 人

と な っ た

ら が 庄 園 の 代

負 や 高 利

し 活 動 ・ 加 地 子

分 の 集 積 を 行 い

に 富 を

し た こ と そ の

益 や 富 を

得 ・

障 す る た め の

力 な 軍 事

を 根 来

が 、

に 行 人 方 が 保 有 し て い た こ と 、 で

る 。 ま た 、 こ の よ

な 当

の 根 来

一 山 の 運 営 実

も 、 行 人

に よ っ て 握 ら れ て い た と さ れ て い る 。 そ し て 、

国 北 部 ・

泉 国 さ ら に は 河 内 国 に わ た る 根 来 寺 を 中 心 と し た 「 地 域

」 の

成 に つ い て も 、 国 や 庄 園 の 枠 を

え て

が 築 い た 流 通 ・

圏 、 そ れ ら を

る こ と の で き た 武 力 の

、 が 重 視 さ れ て い る 。 こ の よ

に 、 中

に お け る 根 来 寺 の 発 展 は 、 行 人 方 の 活 躍 に よ る と こ ろ が 大 き い と さ れ て い る 。

 

 

                  冖 5 }

 

で は 、 「 地 域 的 な 一 揆

」 と も 評

さ れ る

に 、 周 辺 地 域 の 人 々 が 氏 人 と な り 行 人

と し て

す る 根 源 的 な 理 由 は 何 だ っ た の で あ ろ

か 。

か に 行 人 方 に よ る

会 経

活 動 や

力 の 存 在 が 大 き な 要 因 で

っ た こ と は

で あ り 、 流 通 ・ 経 済

動 に よ る 「 地 域

会 」 が 生 ま れ そ の

益 を 護

う る 軍

す る

に 周 辺 地 域 の 土

層 が 入 寺 す る こ と も あ っ た で あ ろ

。 し か し こ の よ

点 の み で は 、

来 寺 が 強 大 な 暴

る た め に

辺 地 域 社 会 の 人 々 か ら 、 特 に そ の

動 を 担 う 土

か ら 求 め ら れ た と い

こ と に な っ て し ま

士 や 公

で は な

院 が 膝 下 所 領 に と ど ま ら ず

泉 山 地 を 越

国 や

内 国 な ど 広

囲 に お い て 人 々 を

と な し え た 理

ら か に す る 際 、

院 の 寺 院 た る 所 以 で あ る

教 や

仰 に 基 づ く 視

も 重 要 と 考 え る 。

 

稿 で は 、 地 方 の 顕 密

院 が 核 と な り 生 ま れ る 「 都

」 や 「 地 域

」 の 成 立 要 因

考 察 す る た め 、 素

と し て

 

 

                                         

 

 

 

 

              冖 6 >

寺 を 取 り 上 げ 広 範 に 人 々 を 惹 き つ け え た 理 由 を 宗 教

な 側 面 か ら 考 え た い 。 た だ

稿

に お い て 根 来 寺 を 中 心 と し た 都

や 地 域 社

論 を 展

す る 準 備 は 、 ま だ 無 い 。 こ こ で は 根 来 寺 が 広 範 囲 に わ た っ て 人 々 を 惹 き つ け 一

76

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(3)

NII-Electronic Library Service 中世後期 根 来寺 内に お け る験 道 三好) え た 理

を 、 根 来

内 に お け る 修 験 道 や 山 伏 に 注 目 し

討 し て い き た い 。

 

  一 四

紀 後 半 か ら 一 六 世

に か け て 、 畿 内 近 国 の

寺 院 で は 、

人 方 ( 禅 徒 方 ・ 下 僧 ・ 西 座 衆 と も 。 本 稿 で は 行 人              

 

 

 

 

                                         

 

ヱ                           ( 8 ) 方 と 表 記 。 ) の 山 伏 化 が 学

に と っ て 大 き な 問 題 と な っ て い た 。 山 城 国 醍 醐 寺 や 河 内 国

寺 ・ 金 剛

な ど で は 、

に よ っ て

人 方 の 入 峯 な ど 修 験 道

行 が

止 さ れ て お り 、 山 伏 は 寺

に お い て 抑 制

べ き

在 で あ っ た 。 ま た 一 五 世

以 降 、 紀 伊 国

野 山 や 河 内 国 観 心

・ 金

な ど

数 の 寺 院 で 学

方 と 行 人 方 の 対 立 が 表 面 化 し 、              

 

 

 

 

            す 〕

「 禅 学 相 論 」 が 頻 発

る よ う に な る 。 特 に 大 和 国 興 福

院 末

で は 、

正 二

( 一 四 六 一 ) の 三 輪 山 平 等 寺 や

武 峰 同 五

の 菩 提 山 正 暦 寺 、 文 明 六

( } 四 七 四 ) の 信

山 、 同 八 年 の 成 身

、 文 亀 三 年 ( 一 五 〇 三 ) の 安 位 寺 、 そ の ほ か 永 久

・ 法 隆 寺 な ど

多 の

院 に て 対 立 が 惹 起 し て お

、 学 衆

と 行 人

の 長

に わ た る 衝 突 が 『 大 乗 院 寺 社

事 記 』 に 記 さ れ て い る 。 中 世 後 期 、 地 方 の 顕

寺 院 に は 寺 院 周 辺 の 土

層 や

姓 層 を 出 自 と す る 人 々 が 行 人 方 と し て 入

そ の

人 が 山 伏 と な り 周 辺 村

の 祭 祀 を 担

と と も に 、 応 永

間 以 降 組 織

を 整 備 し

              ( 10 〕 た 本 山 派 の 聖

院 を 本

と す る な ど 行 人 方 は 独

教 体

や 宗 教 行

を 構

す る こ と に よ っ て 学

方 の 宗 教 的              

 

 

 

 

                            ( 11 ) 権 威 を 奪 い 、 寺 院 は 「 民

す る と の 評 価 が な さ れ て い る 。 ま た 、 行 人 方 の 山 伏 化 に よ る 寺 内 で の

頭 と 禅 学

論 発 生 の 関 連 が

摘 さ れ る と と も に 地 域 住 民 へ

が 浸 透

る こ と と 、 そ の

院 へ

辺 地 域 の 人 々 が 「

加 」 し              

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                        〔 12 } 入

す る こ と が 「 ク ル マ の 両 輪 」 の ご と く 進 行 し 、

院 を 核 と す る 「 地 域 社

」 が

立 ・ 発 展 す る と さ れ て い る 。              

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

  〔 13 >   こ の よ

に 中 世 後 期 の

院 史 研 究 や 地 域 社 会 論 で は 行 人

に よ る 修 験 道 が 注 目 さ れ 、

衆 方 と の 対 立 の 中 で

が 修 験 道 を 通 じ て

的 な

動 を

る と と も に

内 で

頭 し 、 彼 ら が 担 い 手 と な っ て 「 地 域 社

」 を 形 成 す る 一

77

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(4)

NII-Electronic Library Service 智山学報 第六十輯 と 理 解 さ れ て い る 。 そ こ で は

に よ る 修 験 道 の

圧 や

方 と 行 人 方 の 対 立 と い う 側 面 が 強 調 さ れ 、

内 に お け る 学 衆

の 、

験 道 上 で の

や 存 在 感 は 薄 い 。              

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                      ( 14 }  

来 寺 の 山

に つ い て は 、

・ 西 二 つ の 組 織 が 一 五 世 紀 半 ば に 成 立 し て い た こ と が 明 ら か に さ れ る と と も に 、 当 時 根 来

寺 の 例 に 漏 れ

行 人

の 山

が 進 展 し

は 聖 護 院 の 下 方 ( 本 山 派 ) と な り 独 自 に 活 動 、 学

方 と              

 

 

 

 

            ( 15 〕                                   ( 16 ) 行 人 方 と の

立 も 起 き て い た と さ れ て い る 。 そ し て 大 永 期 ま で に 「 当 山 」

へ 所 属 す る よ

に な り 、 一 六 世 紀

半              

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

    ( 17 ) に は 逆

を 四

遂 げ た 者 に

え ら れ る

の 人 数 が 「 当 山 」 方 中 最 大 規

で あ っ た と い

。   し か し こ の

寺 山 伏 の 規 模 拡 大 や

を 、 学

方 と 対 立 す る 中 で の

長 や 行 人 方 の

的 活

に よ る

道 の 展 開 、 と い

視 点 の み で

え て 良 い の で あ ろ

か 。

章 で は 、

氏 以 来 注 目 さ れ て い る

来 寺 の 衆

方 ( 学 衆 樋 ) と 行 人 方 ・ 山

の 関 係 を 記 述 し た 『 大

院 寺 社

記 』 明 応 元

( 一 四 九 二 ) 八 月 二 二 日 条 を 再

る こ と で 、

来 寺 山 伏 の 寺

に お け る

り 方 に つ い て 、

と の 関 係 か ら 考 え た い 。 一

78

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

 

紀 州

比 山

別 当 三 宝 院 也 、 東

、 然

山 伏 共 聖

院 之 下 方 也 、

綾 ケ サ 可 レ

之 旨 、

徒 方 支

也 、

此 子 細 ヲ 申 コ 上 京 都 → 来 月

六 日 法

レ 之 、

砌 一 珍

可 二 出 来 一 歟 云 々 、

一 乗 山

語 云 々 、

 

方 上 百 人 号 二 学 侶 → 此 末 衆 為 二

一 召 ゴ

山 伏 方 一 云 々 、

 

為 一 一

実 一 者 、 引 懸 諸 山

也 、 聖

殿

成 敗 不 レ 可 レ

事 也  

こ の 記 述 か ら 根 来 寺 山 伏

に よ る 「 綾 ケ サ 」

用 の 申 請 ・ 支

に 対 し て

徒 方 が 反

し 京

へ 子 細 を

し 上 げ た 、 と

ま れ 、

方 ・

が 聖 護 院 と

び つ き 独 自 の

教 秩 序 を

築 、 衆

と の 間 に 対 立 が

こ っ て い た 、 と 解 釈 さ れ て き た 。 し か し 、 は た し て そ

で あ ろ う か 。

(5)

NII-Electronic Library Service 中世後期根 来寺内に おける修験 道 (三好)   ま

寺 は 別 当 が 三 宝 院 で

寺 の 末

で あ る が し か し 山

方 は 聖 護 院 の 下

で あ る こ と が 記 さ れ て い る 。 続 い て

方 が 聖 護 院 に

し て い る 「 綾 ケ サ 」 ( 綾 袈 裟 ) を

け る べ き 旨 、 行 人 方 ( 禅 徒 方 ) が 支 度 し て お

、 衆 徒 方 が こ の 子 細 を

都 に 申 し 上 げ た と す る 。

六 日 に 法 会 が あ り 、 そ の 砌 に こ の よ う な ( 山 伏 方 の 「 綾 ケ サ 」 着 用 と い う ) 珍

が 出 来 す る で あ ろ

か 、 と 根

師 が 語 っ た と い

( 傍 線 部   ) 。 さ ら に 法 師 は 、 衆 徒 方 の 上 一 〇 〇 人 は 学 侶 と 号 し 、 そ の

が 大 将 分 と な

山 伏 方 を 召 し

え て い る と 言 っ た と

る ( 傍 線 部   ) 。 そ の こ と を 聞 い た 尋 尊 は 、 こ の 「

ケ サ 」 着 用

実 で あ る な ら ば 、 山

方 が 「 綾 ケ サ 」 を 引 き 懸 け る の は 諸 山 寺 の 「

事 」 で あ る 、 聖

院 殿 の 成 敗 は ふ さ わ し く な い 、 と し て

の 「 綾 ケ サ 」

用 に 難 色 を 示 し て い る ( 傍 線 部   ) 。   こ の 「

ケ サ 」 が ど の よ

衣 か は 判 明 し な い が

通 り 綾 織 り の 袈 裟 で あ る な ら ば 、

分 を あ ら わ

最 も 重 要 な 指

で あ る 衣 服 に お い て 、 山 伏 ら が

裟 を

る こ と は

徒 方 か ら の 大 き な 反 発 を 招 い て

お か し く は な い 。 た と え ば 、

享 九

( 一 四 三 七 ) に 醍 醐

で 出 さ れ た 禁 制 に は 、 「 一

 

山 上 六 時 僧

裟 衣 色

衣 長 鮒 飾 黝 蠕 榔 轢 ノ 法

状 追 加 之

於 二

山 之 下

制 之 処 ( 後 囀 ) L と あ

ま た 同 時

禅 学 相 論 に

し て 双                                                                         〔 20 〕 方 が 取

交 わ し た 条

に は 、 三 輪 山 平

で は

 

禅 徒 絹 帽 子 於 二 寺 中 一 者 停 止

」 、 菩 提 山 正 暦

に お い て は                               〔 遡 =

 

禅 徒 直 綴 著 用 事 、

レ 可 レ 然 云 々 」 と あ る な ど 、 行 人

の 衣 服 を め

る 厳 し い 規 制 や

い が

っ た 。

が 「 聖 護 院 殿 成 敗 不 レ 可 レ

也 」 と す る の も

会 に 際 し て 山 伏 に

上 と も い え る 衣 服 を 聖 護 院 殿 が 許 可 し た

に よ る の で あ ろ

。   以 上 の よ

に 見 る と 、

か に

寺 の 山

・ 行 人 方 と 衆

方 は 「 綾 ケ サ 」 着 用 を め ぐ り

立 し て い る か の よ う に

け 取 る こ と が で き る 。 し か し 本 稿 で は 、 「 学

方 上 百 人 号 二 学 侶 一 、 此 末 衆 為 二 大 将 分 一 召 コ 仕 山 伏 方 一 云 々 」 ( 傍 線 部   ) 、 と の 記 述 を 重

し た い 。 学 侶 は

来 寺 内 組 織 の 上

一 〇 〇 人 と い

中 心 的 存 在 で あ り 、 そ の

の 末 衆 の 統

下 に 山 伏 方 は あ っ た の で あ る 。 こ の 記 載 を 踏 ま え る な ら ば 、 「 学 衆 方 此 子 細 ヲ

訓 上

一 」 ( 傍 線 部

 

) と の 記 一

79

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(6)

NII-Electronic Library Service 智 山学報 第六十輯 述 は 、 山

・ 行 人 方 に よ る 「 綾 ケ サ 」 着 用

度 に

発 し て の 行 動 で は な く 、

支 配 下 に あ る 山 伏

の 「

ケ サ 」 着 用 許 可 を 求 め て 衆 徒 方 が 「

」 へ 「

上 」 げ た と 読 め る の で は な か ろ う か 。 衆 徒 方 と 、

の 統

下 に あ る 山 伏 方 と 行 人 方 は 対 立 す る こ と な く 互 い に 協

調 し

動 し て い た と

え る 。 そ し て 、

が 子 細 を

し 上 げ た 「 京 都 」 と は 、 「 聖

院 殿 成 敗 不 レ 可 レ 然

也 」 ( 傍 線 部   ) と あ る よ

「 成 敗 」 を 下 し て い る 聖 護 院 だ っ た の で は な か ろ

か 。   延 徳 三

( 一 四 九 一 ) 、 和

国 守 護

上 郷 と 九 条 家

日 根 野 庄 と の 堺 相 論 に 際 し 、

「 大

御 中 」 「 大

法 院

中 」 宛 の 室 町 幕 府 奉 行 人 連 署

書 や 、

寺 で

る 醍 醐 寺 か ら 「 大 伝 法

三 綱 御

」 宛 の 醍 醐

山 下 奉                         ( 翆

某 経

な ど が 出 さ れ た 。 と と も に 、 聖

院 か ら も 「

法 院 三

中 」 へ と 聖

院 権 大

施 行 状 が

さ   ( 23 } れ た 。 こ れ は 聖 護 院 が 根 来

に 対 し て 影 響 を

る か ら 出 さ れ た の で あ ろ

。 聖

院 が 影

え う る

、 そ れ は 山

っ た と 考 え る 。 こ の 聖 護 院 か ら の 文

人 方 の み に

て ら れ た も の で は な

三 綱 に 出 さ れ て い る こ と か ら 、

来 寺 の 山 伏 が 衆 徒 方 ・ 行 人 方

わ ず

在 し て い た こ と が

え よ う 。 こ の 事 例 か ら も 、 大 将 分 と な る 学

末 衆 を は じ め と す る 山 伏

は 、 聖 護 院 の

響 を

け る 立

に あ っ た と 考 え る 。

聖 護 院 門 跡 は 熊 野 三 山

校 職                                         ( 24 ) に あ り 、

道 界 唯 一 の 権

と し て 君 臨 し て い た 。 山 伏 と し て 広 範 囲 に 活 動 す る 上 で 、 根 来

の 山 伏 方 が そ の

下 に あ っ た と し て も 不 思 議 で は な い で あ ろ

。   一 五

ば 、 根 来

内 で は 、 僧 団 組 織 の 中 心 的 存

と い え る 学 侶 の 末 衆 が 山

の 大 将

と な る 寺 内 秩 序 が

し 、

し て い た 。 山 伏

の 「

ケ サ 」 着 用 に 関 し て も 、 対 立 で は な く 衆 徒

と 山 伏 方 ・ 行 人 方 の

力 関 係 が

え る 。

寺 の 山 伏

に お い て は 、 聖 護 院 の 下 方 に

る こ と を も っ て 行 人

・ 山

方 が

と 対 立 し 、

内 秩

を 乱

自 の 活 動 を 行 っ て い た と 断 ず る こ と は 出 来 な い と 考 え る 。 ま た

の 寺

に お け る 地 位 が 確 立 し て い た か ら こ そ 、 「 綾 ケ サ 」 着 用 問 題 が 起 こ っ た 法 会 に 山 伏

は 出

す る こ と が 出 来 た の で あ ろ

に お い て 、 一

80

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(7)

NII-Electronic Library Service 山 伏

か ら 排

さ れ る よ

な 存

で は

か っ た の で あ る 。

え て 、 こ の 時 期 の 根 来

で は 、 三 宝 院 を 別 当 と

末 関 係 と 聖 護

を 頂 点 と

る 山

の 結 び つ き が 抵

し て い た と 考 え ら れ る 。   で は 一 六 世

以 降 、 聖 護

( 本 山 派 ) か ら 離 れ た 根 来 寺 の 山

が 「 当 山 」 方 に 所 属 し

め る こ と は 、 山 伏

に よ る 独

の 活 動 と 評 価 す る こ と が で き る の で あ ろ う か 。 次

で は 根 来

学 僧 と 修 験 道 の

係 の 具

例 を

認 し

で 一 六 世 紀 の

一 山 に お け る

の 位 置 を

し て い き た い 。

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

 

中 世後期根来寺内における修験道 (三好〉   本

で は 、 根 来

の 学 僧 と 修 験 道 の 関 係 に つ い て

る 。 一 六 世 紀

半 に 根 来 寺 に お い て 修 学 ・ 研 鑽 を し て い た 学

で あ

・ 例 に 見 て い き た 幡 ゲ

 

 

 

 

 

 

 

 

晋   弘

は 、 「 紀 州

寺 於 二

学 頭 迎

一 一 書

、 是

先 師

盛 仏 果 追 善 也 、 于 レ 時

二 年 紀 五 月 廿 一 日        

 

 

 

 

        〔 26 ) 右 筆 金 剛 仏 子

、 再 三 校 了 」 と 奥

よ う に 、 亮 盛 の

子 で あ っ た 。

盛 は 「 文

廿 七 日 於 二 根 来        

 

 

 

 

  ( 辺                                           壅 寺 十 輪 院 一 書 写 畢   亮 盛 」 や 「

亀 二 年  

寺 十 輪 院  

盛 」 と の 奥 書 を

こ と か ら 、

来 寺 十 輪 院 に も 住 し        

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                        〔 根 来 寺 ) て い た 学

で あ る こ と が 判 明 す る 。 十

は 、 根 来

の 初 代

で あ る 道 瑜 が 出 た 院 と し て 知 ら れ 、 「 か の

の 十        

 

 

 

 

                              冖 29 ) 輪 院 と い ふ は 、 当

一 山 の 学 頭 、

学 の

と な む 」 と 三 条 西 実 隆 も 記 す ほ ど 、

に お け る 教 学 研

の 一        

 

 

 

 

                                         

 

 

 

 

                      〔 30 ) 中 心 と な る 子 院 で あ っ た 。 ま た

盛 は 、 明

九 年 ( 一 五 〇 〇 ) に

か ら 『 臨 終 大

』 を

授 さ れ て い る 。

授 を し た 成 純 は 、 「

十 二

庚 子 十 月 十 三 日

 

瑜 山

、 文 明 十 七

月 三 日 於 二 和 泉

大 鳥 郡 塩

中 條 石 津 庄 新

山 成        

 

 

 

 

                                ( 31 )                                                   ( 32 ) 覚 寺 → 従 =

来 寺 十 輪 院 一 賜 二 御 草 本 一 書 ゴ 写 之 一 末 資

」 と の

る こ と や 、 『 四

』 の 「 伝 授 次        

 

( 覚 鑁 ) 第 」 に 、

院 本 願 − 頼 瑜 ー 頼

道 瑜

と 連 な っ て い る こ と か ら 、 十 輪 院 道 瑜 と 師

係 に あ る 学

で あ

(8)

NII-Electronic Library Service 智山学 報第六十輯 っ た 。 ・ の

・ 弘 賢 は ・ 智

院 智 山

庫 蔵 『 金 剛

加 行

鰤 舗

に ・     御

云     弘 長 元 年 九 月 十 五 日 於 二 酉 酉

報 恩 院 一     御 本

写 畢     僧 正

房 仰 云 、 是 為 二 初 心 人 一 勘 略 故 僧 正        

 

 

 

 

                        ( 瑜 V     御 房

レ 記 本 也

 

 

 

 

 

 

 

 

    正 応 五

正 月 廿 一 日 於 二 根 来

五 坊 禅 室 一 書        

 

 

 

 

                        ( 殿 )     写

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    元 徳 三

二 月 七 日 於 二

来 寺 石 曳 草 庵 一        

 

 

 

 

                        ( 喜 )     以 二 師 主 御 本 一 書 写 了  

 

 

 

 

 

 

 

    文 明 五

喉 三 月 十 三 日 於 二 根 来 寺 十 輪 院 一     奉 レ 伝 ゴ 受 金 界 一 之 次 、

写 了

 

 

 

 

 

    永 正

七 年 五 月 十 九 日 以 二 御 本 一 書 写 了

 

聖 盛     享 禄 二

紀 十 一 月 六 日 子 剋 書 写 了

 

 

 

と 記 さ れ て い る 。 聖 盛 に つ い て は 現 在 の と こ ろ 明 ら か に し え な い が 、 頼 瑜 − 良 殿

喜 と

え ら れ そ の

に よ っ て 十

院 に て 伝 授 の 際 に 書 写 さ れ た

の 、 成 純 − 聖 盛

弘 賢 へ と 継 承 さ れ る 聖

の 書 写 過 程 か ら 、

ら の

問 一

82

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(9)

NII-Electronic Library Service 中世後期 根 来寺 内に おける修験 道 (三 好) 的 な

が り

関 係 を 窺

こ と が で き る 。 こ れ ら の こ と か ら 、

純 ・ 亮 盛 ・ 弘

ら は 十 輪 院 を 中 心 と し た 学 問 環 境 下 に あ っ た と 考 え ら れ る 。 以 上 を

認 し た 上 で ・ 弘

に 注 目 し た い ・ 弘 賢 は ・ 「

+ 九 日 夜 半

写 了 大

院 学 侶 弘 艷 」 と 記 し て お り 、 天 文 三

( 一 五 三 四 ) 時 点 で 根 来

大 伝

の 学 侶 で あ っ た 。 前 述 の よ

に 、 大 伝 法 院 の 学 侶 と は 衆                 〔 35 } 徒 の 上 座 百 人 を

。 弘 賢 は

衆 徒 の 中 心 的 位 置 に い た と 言

よ う 。                       ( 鍾   そ の 弘 賢 が 、 『

験 道 私 記 』 と の 外 題 を 持 つ 「 私 記 」 を

し て い る 。 弘 賢 の 活 動

期 か ら 見 て 一 六 世 紀 半 ば

に 記 し た も の で

ろ う 。 「

記 」 で あ る か ら 、

賢 が 私 に 記

し た も の で

り 、

入 な ど に 際 し 筆 記 し た 可 能 性 や 、 修 験

に つ い て

し て い た 可 能 性 が あ る 。 加 え て

で 見 た 『

乗 院 寺

記 』 の 記 事 に あ る 「 学 衆

上 百 人 号 二 学 侶 → 此

衆 為 二 大 将 分 一 召 ゴ

方 一 云 々 」 を 思 い

こ す な ら 、 弘

が こ の 『

験 道 私 記 』 を

記 し た 時 も

侶 の 地 位 に い た な ら ば 、 山

方 の

将 分 と な る 学 侶

で あ っ た の で は な か ろ

か 。 学

末 衆 は た だ 単 に 大 将

と な り 山 伏 方 を 召

っ て い た の で は な く 、

ら も 修 験 道 に 関 わ

が あ っ た と

え ら れ る 。   ま た 、 こ の 『 修

道 私 記 』 に は 、 「

州 家 原

満 蔵

 

弘 賢 」 と の 識 語 も

る 。 弘

は 、 「

三 年 顛 二 月 六                                                     〔 37 〕 日 於 二 泉 州 家 原

満 蔵 院 「 書 了

 

賢 、 為 二 亮 盛

菩 提 一 也 」 と 他 書 の 奥

に 記 し ま た

で あ る

盛 も 「

於 二 家 原 寺 満 蔵 院

写 了 亠 冗 塵 」 と 記 す よ う に ・

弟 と も 泉 州 家 原 寺 ( 和 泉 国 大 鳥

縁 の あ る 僧 で あ っ た 。 家 原

は 、

( 一 四 四 四 ) の 東

修 造 に 際 し て 奉 加 に 応 じ た 和 泉 国 中 の

き 上 げ た

泉 国

修 理

人 交

の 中 に 「 安 国 寺 家 原 五 + 五 人

貫 九 佰

劇 」 ・ あ ・ ・ と よ

                                            ( 40 ) 当 時 和

国 の 安 国

で あ っ た 可

摘 さ れ て い る 。 そ の 文 書

原 寺 は 、

も 高 額 の 五

九 〇 〇

を 寄 進 し て い る と と も に 、

加 に 応 じ た 人

も 最 大 の 五 五 人 で あ る こ と か ら 、 規

な 寺 院 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 こ                                       〔 41 > の 奉

寺 門 徒 ・ 末

に 求 め ら れ て い る た め 、 こ こ に 列

さ れ て い る

院 は 、 そ れ ぞ れ が

の 末 寺 ・ 門 徒 と

83

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(10)

NII-Electronic Library Service 智山学報第六 十輯

す る

院 ・

侶 で

。 こ の よ う に 、 一 五 世 紀 中

の 家 原 寺 は

寺 の 末 寺 と 認 識 す る 、 和

国 安 国

え ら れ る

寺 院 で あ り 、

ハ 世

に は

験 道 を 行

根 来 寺

侶 が 子 院 に

す る

院 で あ っ た 。 中

期 の 家 原

は 律 院                                        

 

 

 

 

              〔 42 ) と し て の 側 面 が 明 ら か に さ れ て い る が 、 中 世

期 の 姿 は 未 だ 不 明

で あ る 。 こ の

例 か ら 真

院 と し て の

姿

え よ

。 ま た 家 原

と し た 根 来

と 「 都 市 」

と の

が り や 、

周 辺 に お け る 修 験 を

し た 地

社 会 へ の

も 想 定 で き よ う 。 加 え て 弘 賢 は 「 大 永 二 二 年 弐 月 五 日

尅 於 二

寺 地 蔵 院 一

写 一 畢

 

執 筆 弘 〔 43 >

」 と の

書 を

こ と よ り 深 井 ( 現 堺 市 ) の 極

地 蔵 院 に て

写 活 動 を し て い る こ と が 判 明 し 成 純 も 前 述 の よ

に 大

塩 穴 中

石 津 庄 ( 現 堺 市 ) の 新 堂 山 成 覚

に て 聖 教 を

写 し て い る こ と か ら

の ご く 周 辺 に 根 来

学 僧                             ( 44 ) の 修 学 拠 点 が い く つ か 存

し て い た こ と が わ か る 。

院 を 介 し た

周 辺 へ の 根

寺 の 影

、 堺 か ら 根

寺 へ の 文

の 流 入 な ど も 推 測 で き よ

。   以 上 本 章 で は 、 一 六 世

教 学 の 中 心 と も い え る 十 輪 院 で 修 学 し

院 の 学 侶 と し て 根 来

の 中 心 と な る 僧 侶 が

道 の

行 や

っ て い た 可 能 性 を

摘 し た 。 山

方 に は

験 道 を

学 僧 も

ま れ て お り 、

衆 が 大 将 分 と な り 山 伏

を 率 い て い た と 考 え る 。 そ し て

山 伏 の

拠 点 は 、 堺 に ま で 広 が っ て い た と 推

す る 。 一

84

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

 

  で は 、 前 章 で

た よ

な 弘

と 修 験 道 と の 関 わ り は 、

の 、 ま た は 少 数 の

ら の 個

や 個 人 的 な 信 仰 心 ・ 仏 道 修 行 に の み 還 元 で き る の で あ ろ

か 。 本

で は 】 六 世 紀 の 根 来

衆 徒 内 、 ひ い て は 根 来

一 山 内 に お け る

験 道 の 位 置 を 考 察 し た い 。 そ の 中 で 、 「 当 山 」 方 と し て 活 動 す る 山

方 の

内 で の 立 場 を 考 え た い 。

(11)

NII-Electronic Library Service   天 正 十 三 年 の 根 来

亡 直 前 ま で

来 寺 に て 修 学 し て い た 肥 後 国 人 吉 願

の 僧 勢 辰 が

え た 聖 教 の 中 に 、                               〔 45 ) 作 法 」 と 外 題 を も つ 聖 教 が

る 。 そ の 『 祈 作

』 の

書 に は 、

の よ

に 記 さ れ て い る 。 於 二 円 明

応 不 動

祈 之 時 発 願 也 、 「 祈

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

中世後期 根来寺 内におる修 験 道 (三好 ) 于 レ 時 永

二 二

十 二

於 二 阿 州 出 帳 之 時 →

山 殿

惣 分 軍 兵

利 → 祈 訓

之 ハ

冖 俄 書 レ 之 、

 

 

     

提 谷 七 番

 

 

               

快 伝 天 正 八 年 嚴 六 月 一 日

一 写 レ 之 、

 

 

 

 

        勢 辰   永 禄 四 年 ( 一 五 六 こ 十 二

の 阿 州 出 帳 に 際 し 、 畠 山 殿 な ら び に 根 来 寺

の 軍 兵

を す る と と も に 、 そ の

を 根 来

提 谷 七

池 坊

伝 が

写 し た こ と が わ か る 。                                    

 

 

 

 

              ( 46 〕   永

一 二

の 阿 州 出 張 と は 『 細 川 両

記 』 永 禄 四 年 七 月

に 「 然 に 又 南 方

へ は

衆 ・ 畠 山 高 一

85

(12)

NII-Electronic Library Service 智山学報 第六 十輯 政 ・

見 方 一 味 し て

和 田

へ 陣 取 也 。 是

十 河 民 部 大 夫 殿 死 去 に よ り 出 張 由 候 也 。 ( 中 略 ) 和

へ は 阿 州 三

実 休 為 二

将 → 安 宅

津 守 ・ 三 好 山 城 守 ・ 三 好 下 野 守 ・ 三 好 備 中 守 ・

原 右 京 亮 ・ 吉 成

介 、 此 他

谷 の 城 の 阿 州 衆

出 、 泉 州 表 へ 陣 取 。 敵 味 方 の 間 五 町 三 町 に は 過 ぎ ざ り け り 。 兎

し て

候 也 。 」 や 、 『

内 兵 乱                         〔 47 〕 記 』 永 禄 四 年 十 一 月 廿 四 日 条 に 「 同 日

; 泉 州 一

山 殿 ・

守 ・

来 衆 、

三 二 好 豊 前 入 道 実 休 ・ 四 国

一 合 戦 、 四 国 衆 随 分

死 。 」 な ど と 記 さ れ る よ

に 、

禄 三

に 三 好 氏 に よ っ て 河 内 国 を 追 わ れ 紀 州 に 退 い て い た

政 が 、 永 禄 四

七 月 、 河 内 国

回 の た め

ら と と も に 和 泉 国

和 田 へ と 出 陣 、 こ れ に

し 河 内 国 高 屋 城 に い た 阿 州 三 好 鶏 憾 が 挙 丘 へ 合 戦 が 繰 り 広

ら れ て い た 事 態 を 指 し て い よ 麺 。 こ の よ

な 状

、 畠 山 高 政 と 根 来 寺 惣 分 の 「 軍 兵 勝 利 」 祈 願 が 、 根 来 寺 円 明

の 相 応 不 動 御

に て 修 さ れ た の で

る 。   こ の

書 で ま

注 目 し た い の が 、 勝 利 を

願 す る 本

が 円 明

の 相 応 不 動 と い

こ と で あ る 。 円 明

相 応 不 動 と                                     ( 49 ) は 慶 安 三

( 一 六 五 〇 ) の 『 根 来 寺 堂

上 』 に 「 円 明

、 一

 

覚 鑁 堂 、

勝 仏 ・

不 動 ・

鑁 仏 ノ 御 長 三 尺 壱

五 分

 

仏 」 や 、 『

伊 名 所 図 会 』 に 「 御 影 堂   面 十 七 間

 

妻 九 間 、 中 尊 覚 鑁 御

 

上 人 自

 

 

長 三 尺 一                                                           ( 50 )

、 左 脇 相 応 不

、 右 脇

勝 仏 頂 、 ( 中 略 ) 、

円 明

境 内 に あ

」 と 記 さ れ る 、 円 明 寺 覚 鑁 堂 ( 御 影 堂 ) に 安 置 さ れ て い た 相 応 不 動 の こ と で あ ろ う 。 で は 、 こ の 相 応 不 動 と は ど の よ う な 像 で あ っ た の か 。 中 世

の 根 来

に お け ・ 論

そ の 作 法 な ど を 記 し た 『 塵 麺 』 に は 、 「

二 覚 ・

八 講 鋤 弸 鯏

鎖 雌 咋 酖 跡 慟 黶 牒 地 御 豼 跡 騰 鵡

蠍 黼 除 」 と の 記 述 が あ る 。

星 院 に お い て 行 わ れ る 相

は 山 門 の 相 応 和 尚

作 の 不 動 の 法

で あ り 、 本 尊 で あ る 不 動 は 怨

消 除 を 祈 る 像 で あ る と い

。 こ の 近

院 慈 福 門 院 の

で あ る

星 院 と は 、

法 院 が 根 来 の 地 へ 移

し て く る 以 前 、 高 野 山 上 に 大 伝 法 院 の 別 院 と し て 鳥 羽 上 皇 や

門 院 ・ 近 衛 院 の

願 寺 と し て 建 て ら れ た 覚 皇 院 の こ と で あ ろ う 。 根 来 へ の 移 転 に と も な い 、 高 野 山 上 の 覚 皇 院 で

せ ら れ て                                                                 龕 ) い た 主 要 仏 事 で あ る

正 会 や 曼 荼 羅 供 は 円 明

で 行 わ れ る こ と に な る も の の 、 そ の 後 、

院 が 円 明

内 に 建 立 一

86

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(13)

NII-Electronic Library Service 中 世後 期根 来寺内におる修験 道 (三好)                                                             〔 53 ) さ れ た の か 、 あ る い は

来 の 地 の ど こ か に

て ら れ た の か 確 認 で き な い 。 し か し 、 三 好

休 出 張 に 際 し て の 「 軍 兵 勝 利 」

願 が 「 怨

消 除 」 に 通

る こ と や 、 ま た こ の 相

と と も に 、 円 明 寺

鑁 堂 で は 上 人

の 木 ( 土 ) 像 で                                                             ( 覚 鑁 )                                   ( 掣 あ る

鑁 御 影 が 安

さ れ 、 同

星 院 相 応 八 講 を 行

に も 西 庇 に 責 上 人 土 作 の 御 影 が 置 か れ る こ と か ら 、 円 明

相 応 不 動 と は 覚 皇 院 相 応 八

尊 と な る 、 相 応 和 尚

作 の 怨 敵 消 除 を 祈 る 不 動 と 同 ] 像 と 考 え る 。

を 作 し た と さ れ る 相 応 和 尚 ( 八 三 一 〜 九 一 八 ) は 平 安 前

の 天

僧 で 、 比 叡 山 に 無 動 寺 を

立 し 北 嶺 回

し た と

わ る 人 物 で あ る 。 北

の 祖 で あ る

応 に よ っ て

ら れ た と さ れ る 不

明 王 を 本

と す る 勝 利 祈 願 や 相 応 八

が 、 根 来 寺 に て 行 わ れ て い た の で あ る 。   そ し て こ の 相 応 不 動 が 安 置 さ れ て い た 円 明 寺 と は 、

が 根 来 の 地 へ と 離 山 し て き た

に 建 立 し 、 西

に て 往 生 し た 根 来 寺 の 根 本 堂

で あ る 。 そ の よ

な 円 明

内 の

像 や

像 を 祀 る 堂 に 、

応 不 動 は 安 置 さ れ て い た 。

来 寺 内 に お け る 相 応 不 動 の 重

性 が

え よ う 。   次 に

L

た い の が 、 永 禄 四

に 勝 利 の 祈 願 を し 、 『 祈

』 を 書 い た 小 池 坊 定

伝 で あ る 。 小 池 坊 と は 根 来

焼 亡 の の ち 長 谷 寺 へ 移 っ た 学 僧 小 池

( の ち 豊 山 派 祖 ) が 居 住 し た 坊 で 、

と は 妙 音 院 頼

の こ と で あ る 。 頼 玄 は 専

や 祐 宜 の ち 洛 東 智 積 院 第 二 代 能 化 ) の 師 に あ た り 、 根 来 寺 一 山 に お け る

上 の 指

で あ る 能 化 職                                           ( 55 ) に も つ い た

来 寺 を

す る 学 僧 で あ っ た 。

寺 の

本 堂 舎 た る 円 明

に お い て 、 相 応 不 動 を

尊 と し た 勝 利 祈 願 の 修

が 、 根 来

の 有 力 な 学 僧 に よ っ て 執

さ れ て い た の で あ る 。 ま た 前 述 の 相 応 八 講 は 、 二

報 恩 講                                                                             ( 56 ) 論

や 春 秋 二 季

会 な ど と 同 じ く 根 来 一 山 に お け る 年 中

事 法 要 と し て 組 み 込 ま れ て い た 。 修 験 的 要 素 を

分 に

ん だ 相 応 不 動 を

尊 と す る 「 軍 兵 勝 利 」 祈 願 や 相 応 八

の 、

内 に お け る 重

性 が 窺 え よ

。   こ の よ

来 寺

の 主 要 仏

で あ る 相 応 八 講 は 、 正 応 元 年 ( 一 二 八 八 ) ま で に 成 立 し た 『 根 来 要

』 や 南 北

期 の 学

に よ っ て 書 か れ た 『 束 草 集 』 に

認 で き な い こ と か ら 、 一 四 世 紀

期 以 降 に

立 し た 仏 事 と

え る 。 ま 一

87

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(14)

NII-Electronic Library Service 智山学 報第六十輯 た 『 根 来 要 書 』 に 収 め ら れ て い る

皇 院

願 文 案 や

皇 院 供

諷 誦

案 に よ る と 高 野 山 上 に

建 さ れ た

皇 院 の 本 尊 は

日 如 来 一

で あ る こ と か ら

不 動 は 高 野 山 上

皇 院 か ら

ち 来 た っ た 像 で は な く 、 根 来 の 地 に て 新 た に

置 さ れ た 像 で あ ろ

。 真

寺 院 で あ る

徒 が 行 う

要 の

に 、 様 々 な

を 伝 え る 高 僧 と は い え 天

僧 の

が 、 そ し て

験 道 の 要

が 強 く 入 り 込 ん で い る 理 由 に つ い て は 、

の 山

ら が 一 時 天

宗 寺 門 派 聖 護 院 門 跡 の 配 下 に あ っ た こ と も あ ろ

が 、 そ れ よ り も 、 根 来

山 伏 が 「 当 山 」 方 と し て

動 す る 中 で 、 そ の 繋 が り や 交 流 に よ っ て 山 門 の

の 要

を 取 り 込 ん だ た め と

え た い 。                                                     〔 57 〕   一 六 世 紀 、 和 泉 国 日 根 野 庄

山 田 村 と

山 七 宝 瀧 寺 の 関 係 の よ

に 山 伏 に よ っ て 村

の 祭 祀 が 担 わ れ て い る が 、 そ こ に は 行 人 方 の 山 伏 が 行 え る 村 落 レ ベ ル の

「 軍 兵 勝 利 」

願 や 相 応 八 講 の よ う に 衆 徒

で な け れ ば 行 え な い 根 来

一 山 と し て の 修

・ 法

が あ り 宗 教 的 な 階 層 ・ 秩

が あ る と 考 え る 。 一 五 世 紀 半 ば 根 来 寺 の 山 伏 方 は 聖 護 院 の

下 ( 本 山 派 ) に て 活 動 し 一 六 世

に は 「 当 山 」 方 に 所 属 し

動 を す る 。 し か し そ れ は 、 根 来

の 山 伏 方 が 独 自 の 宗 教 秩 序 を 構

し た の で は な く

秩 序 に 包

さ れ て い る

動 で

っ た と 考 え る 。   以 上 の こ と か ら 、 一 六 世 紀

ば ま で に は 、 根

寺 衆 徒

を 含 む 根

寺 一 山 の 中 に 修 験

素 が 深 く 入

こ ん で い た と 考 え ら れ る 。 前

で 見 た 弘

験 道 と の 関 わ り の 要 因 は 、 一 部 の 学

ら の 個 性 に

め る の で は な

来 寺 一 山 と し て

験 道 を 許 容 し 必 要 と し て い た た め と い

よ う 。 許 容 の 理 由 に つ い て は い

つ か 推 察 で き る が 、 こ こ                                                                                       58 〕 で は 鎌

期 以 来 、

行 者 所 縁 の 寺 で あ り

の 行 場 と さ れ て い る 豊 福

を あ

て お き た い 。 豊 福 寺 は 覚 鑁 の

時 よ り 境 内 に

し 、 頼 瑜 ・ 聖 憲 期 に お け る

野 山 下 山 ・

立 後 に お い て も 大 伝 法 院 ・ 密 厳 院 ・ 円 明 寺 と と も に 根 来 寺 の 中 心 的 堂

で あ っ た 。 そ の た め

験 道 が 重 要

さ れ た と 考 え る 。 一

88

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(15)

NII-Electronic Library Service 中世後期 根来 寺内に お け る修 験 道 (三好)

  一 四 世 紀

半 か ら 一 六 世 紀 に か け て 畿 内 近 国 の 諸 山

で は 行 人 方 の 山 伏

が 進 展 し て い た 。 一 寺 院 内 に は と ど ま ら な い

道 を

し た 諸 寺 院 間 と の 独

な 結 び つ き が

来 の

内 秩 序 を

と と も に 、

人 方 の 勢

伸 長 を も た ら し 学 衆

と の

立 を 深 め る と さ れ る 中 、 根 来 寺 で も 他

と 同

、 行 人 方 の 山 伏 化 が 進 展 し 、 行 人 方 が 寺 内 で

き な 勢 力 と な っ て い た 。 し か し

来 寺 で は 、 他 寺 で

え る よ

験 道 の 禁 止 や 、

人 方 と

徒 方 と の 目 立 っ た 対 立 は

認 で き な い 。 む し ろ 一 五 世 紀 半 ば 、

会 に お け る 山

の 「

ケ サ 」 着 用 に 関 し て 衆 徒

力 的 で 、 衆 徒 方 と 行 人

. 山 伏

が 争

こ と な

し て い た 。 「 学

上 百 人 号 二 学 侶 → 此 末 衆

将 分 一

山 伏 方 一 」 と い

、 学 侶 末

が 山

方 の

将 分 と な る よ

な 寺 内

分 秩 序 が 存 在 し 、 機 能 し て い た の で あ る 。

で は 、 衆 徒 方 と の 対 立 の 中 で の

・ 山

の 勢

伸 長 と は 言 え ず 、 山 伏 を

容 す る 秩

が 、 山

大 要 因 で あ っ た と 考 え る 。   ま た 、 学

験 道 を

っ て お り 一 六 世 紀 半 ば ま で に

来 寺 の 中 で

験 道 は 重 要 な 位 置 を 占 め て い た 。

の 山 伏 が 行 え る

落 レ ベ ル で の

法 と 衆 徒 方 で な

れ ば

え な い 根 来 寺 一 山 や 広

な 「 地 域 社

」 レ ベ ル で の

. 法 要 が あ り 、 宗 教

に も 階 層 ・ 秩 序 が 存 在 し た 。 確 か に 、 行 人 方 山 伏 の 人 数 は

方 の 修 験

よ り も 圧

か っ た で あ ろ

し 、 聖

院 や 「 当 山 」

山 伏

と の

験 道 上 に お け る 繋 が

は あ っ た 。 し か し 、

内 に お け る 身 分 や 宗 教 の 秩 序 は 維 持 さ れ て い た と

え る 。 根 来

山 伏 方 の 場 合 、 聖

院 や 「 当 山 」 方 と 結 び つ

を し て い た が 、 根 来

内 の

序 を 乱 す よ う な

を 行 っ て い た と の 評 価 は あ た ら な い と

え る 。

に よ る

験 道 を 、 衆 徒 方 の 宗 教 的 権

を 奪 い 新 た な 宗 教

す る も の と 認 識 し て 禁 止 す る の で は な く 、

89

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(16)

NII-Electronic Library Service 智 山学報 第六十輯

に 包 摂 す る こ と で 、 行 人 方 の

に 対 す る

教 的 願

を 満 た す と と も に 衆 徒 方 と 行 人

と の

立 を

こ と な く

し え た の で あ ろ

。 修 験

認 が あ っ た れ ば こ そ

山 」

達 衆 の

で 根 来 寺 山 伏 が 一

を 築 く こ と が で き た の で は な か ろ う か 。 行 人

の 勢 力 伸 長 も 、 衆 徒

と の 諸 活 動 に お け る

. 補

と い

が あ っ た か ら こ そ と 考 え る 。 以 上 、 推 測 を 重 ね た と こ ろ も あ る が 、 根 来 寺 に お い て は 、 他 寺 と は

修 験 道 や 山

を 許 容 し て い た こ と が 、 広 範 な 地 域 の 人 々 を

的 に 引 き つ け 、 氏 人 と な し え 、 行 人 方 と し て 入

さ せ え た 要 因 の 一 つ で あ っ た と 考 え る 。   一 六 世 紀 根 来 寺 は 人 々 の 集 ま る 「 都 市 」 で あ り ま た 庄 園 や 国 境 を 越 え 、 和 泉 国 ・ 河 内 国 へ も

を 与 え う る 「 地 域 社 会 」 を 形 成 し て い た 。 そ の 形

に お い て 、 こ れ ま で に 明 ら か に さ れ て き た 行 人

に よ る

動 や 軍 事 活 動 に 加 え 、 修 験 道 や 山 伏 ら の 活

を 媒 介 と し た 周 辺 地 域 と の 繋 が り も

き か っ た と 考 え る 。

に 近 い 大 鳥 郡

原 寺 に は 根 来

の 学 僧 や

験 を 行 う 学

が 住 し て い た 可

性 が

り 、 同 郡 深 井 極 楽

や 石

に て も 学 僧 が 活 動 し て い た 。 堺 近 辺 に

す る 家 原

な ど を 介 し 、 堺 周 辺 地 域 へ も 及 ぶ

来 寺 の 信 仰 そ し て

と し た 影

が あ っ た と

測 す る 。 今

は 、 流 通 圏 や

済 圏 に 加 え 信 仰 圏 も

野 に い れ つ つ 、 「 地 域

会 」 に お け る 山 伏 ら の

や 果 た し た

、 そ の 影

な ど に つ い て 明 ら か に す る こ と で 、 「 都 市 」 根 来 や 「 地 域 社 会 」 の 形 成 に つ い て

し て い き た い 。 ま た 学 侶 が 山 伏 方 を

い て い た の で あ れ ば 、 中 世 後 期 の

一 山 の 運 営 実 権 が 行 人 方 に よ っ て

ら れ て い た と い う 現 在 の

像 に も 一 考 の

地 が 生 ま れ よ

。 課 題 と し た い 。 一

90

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

【 附 記 】 本 稿 脱 稿

智 山 年 表 近 世 編 編 纂

な ら び に 新 文 庫 の 科 研 調 査 過 程 に て 、 本 稿

二 章 で

り 上 げ た 『

験 道 私

』 や

に つ い て 、

料 調 査 の 機 会 を 得 た 。   そ の 結 果 弘 賢 の 記 し た 『 修 験

記 』 は 修

道 に つ い て の

々 な

き と い え 、 そ こ に は 、 「 天 文 廿 二

参照

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