日本構想フォーラムPart3
ゲノムで古代の人間の真相が続々と判明
2016/8/17
ゲノムに残る太古の痕跡
西川:今、歴史学がゲノム研究によって急激に進化しています。なぜゲノムか ら太古の人間が理解できるかというと、太古の1 回きりの交配でも、現在の人 間にまでそのゲノムの痕跡が残っているからです。 交雑で流入したゲノムが、代を重ねるにつれて薄まっていっても、数学的にち ゃんと計算すると、1 万年前でもいつ誰と交配があったのかがわかるのです。子 孫全体のゲノムを調べられたら、元のゲノムを再構成することも可能です。 この原理を歴史に応用すると、民族交流の歴史が説明できます。科学雑誌 『Science』に掲載されたある論文では、スコットランド人から日本人まで世界 中の人のゲノムを調べています。それによると、アジアからヨーロッパにかけてモンゴル人との交配がAD1000~1100 年の間に世界で広く行われていること がわかります。これは、もちろんチンギスハーンの大遠征の影響です。 また、古代から中世の700 年間くらいにわたって、アフリカ人のゲノムが中央 アジアに流れていることもわかります。この理由は、なんとアラブ人によるア フリカンブラックの奴隷貿易が行われていたからです。そういう歴史的な事実 がすべてわかってしまうのです。 実は、こういった交配が極めて少ない民族が2つあることもわかりました。そ れが日本人とスコットランド人です。ちょっと寂しい話ですが……。 また、ヨーロッパから中央アジアの新石器時代から青銅器時代の人骨のゲノム を解析した論文では、ヨーロッパ人は、ヨーロッパに言葉をもたらした中央ア ジアのヤムナ文化人との混血であることがわかります。もともとヨーロッパに いた人は完全に金髪碧眼(へきがん)ですが、ヤムナ人はけっこう黒髪で色が浅黒 い人です。 また、ドイツ・マックスプランク研究所のスベンテ・ペーボさんが書かれた 『Neanderthal Man』では、ネアンデルタール人とデニソーワ人の全ゲノムを 解析し、驚くべき事実を明らかにしています。 ネアンデルタール人とデニソーワ人は約100 万年前に分離し、また約 45 万年前 に現代人(ホモサピエンス)とネアンデルタール人が分離したということです。 しかし、現代人のゲノムにも1~1.5 %くらいネアンデルタール人の遺伝子が今 も残っています。残っているのは、ヨーロッパ人とアジア人で、アフリカ人に は残っていません。アフリカを出た現代人は、ネアンデルタール人と出会い、 交配をしたということです。 さらに、興味深いことに、ネアンデルタール人由来のゲノム断片が持続性うつ 病を引き起こす遺伝子であることもわかりました。
西川伸一(にしかわ・しんいち) NPO 法人オール・アバウト・サイエンス・ジャパン(AASJ) 代表。 1948 年生まれ。1973 年京都大学医学部卒、京都大学結核胸部疾患研究所にて研修医、医員、助手を経て、 1980 年から基礎医学に進み、毎日作られては壊される細胞の新陳代謝の根元を支えている「幹細胞」につ いて研究を続けている。ドイツ・ケルン大学遺伝学研究所に留学。帰国後、京都大学胸部疾患研究所にて 助手、助教授を務めた後、1987 年熊本大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授を歴任、2000 年 理化学研究所発生・再生総合科学研究センターの副センター長および幹細胞研究グループディレクターを 併任。2013 年、あらゆる公職を辞し、JT 生命誌研究館顧問及び、NPO 法人オール・アバウト・サイエン ス・ジャパン代表理事として新しく出発。 JT 生命誌研究館では、核酸という物質が、物質ではない情報 という性質をいかに発生させたのかを理論的に研究している
ネアンデルタール人は白人と類似
ネアンデルタール人は、ヨーロッパの博物館で、長らく色黒の原始人のような 風貌で描かれていました。しかし、現在では金髪碧眼に変わりました。ゲノム 解析の結果、ネアンデルタール人はメラニンが非常に少ないことがわかったか らです。歴史とは、もともと書く側に都合よく考えられてきています。このようなゲノ ムを中心とした出し手のない情報科学を、書き手のある情報と比べることは今 後の科学が取り組むべきテーマです。 そして、もっと重要なテーマが「生命はどうやってつくられるのか」です。ダ ーウィンは、それを『種の起源』の最後に赤字で次のように記しています。 「もともと生命は、諸々の力が、一握りの、ひょっとしたらたった一つの原型 に吹き込まれて始まり~」という含蓄のある言葉となっています。生命が生ま れる理由を「諸々の力」と説明しているから、要するに、「それ以前のことは わからない」という意味です。命はふっと吹き込まれる、とダーウィンは説明 した。 次に、いったん命が吹き込まれると、「地球が重力による回転を繰り返す間に、 単純な始まりから、最も美しくすばらしい果てない形態が進化し、また進化し 続けている」と記しています。すごいことに、物理学では「多様化」を説明で きないことをダーウィンはちゃんと書いているのです。 この「諸々の力」こそが、ダーウィンの残した課題です。結局、21 世紀科学の 課題とは、38 億年前に生まれた物理法則とは別のプラス α の正体を解明するこ とです。 では、このプラスα は、どうすれば解明できるのか。考え方として、次の 3 つ の条件を考えればいいのです。 第1 は、熱力学第二法則に逆らう、物質とエネルギーの生産を説明すること。 第2 は、物理学にはない複製能力をどう説明するか。第 3 は、進化可能な独立 した情報(ゲノム)はどう生まれるのか、です。
生命は無機物から簡単に生み出せる
結論的には、3 つともすべて可能です。たとえば、物理法則に逆らうエネルギー の産生を考えている研究者はたくさんおり、ユーリー・ミラーの実験では、真 空管の中に無機物を入れ、稲妻を光らせたら、アミノ酸などの有機物が実際に 産生されました。 また、驚くことに、脂肪酸膜小胞があると、DNA の複製が起きることも確認さ れています。ランダムに作られた有機物でも、僕らが考える以上にオーダー(秩 序)を生み出す力を持っているのです。 また、生命の誕生については、よくサーマルベント(海底にある熱水噴出孔) で生命が生まれたと言われますが、長らく実際に調べるのは困難でした。 しかし、今ではメタンやアセトンなどの無機物から生まれた有機物が存在する ことがわかっています。サーマルベントの中では、コンスタントに有機物の産 生が行われていると考えられます。また、サーマルベントでは、筋肉を動かす エネルギー源となるATP を持った脂肪胞の誕生も理論的には可能です。 化学の分野を見ると、コンビナトリアルケミストリー(組み合わせ化学)が重 要です。これはいろいろな物質をランダムに混ぜてビーカーで回すだけで、自 然に秩序が生まれることを調べる分野です。 ビーカーを回していると、あるとき突然、構造ができて成長していき、回転が きつくなると千切れ、そこからまた同じもの、すなわち複製ができるのです。 こうして生命や情報が存在しなくとも構造の複製がおこることはもう論文とし て報告されており、そんなに難しいことと考える必要はありません。 以上、ここまで21 世紀科学の課題として、出し手のない情報学(ゲノム、進化 研究)、無生物から生物の誕生(ゲノムの存在しない情報学)と追ってきまし たが、残る最後の課題が二元論の克服です。
神経科学が人の心を解き明かす
最後の課題は難関です。二元論は、心と体は別で、心はわからないから解明し なくてもいいという趣旨ですが、この考えが善悪、道徳、目的などの因果性を 科学から排除する基礎となったもので、デカルトの残した課題です。 この二元論の克服(心の部分の解明)ついては、僕もまだ構想は出せない状態 ですが、ヘーゲルの精神現象論的に言うと、自分が主観的にも客観的にも二面 的に自分を観れるようになることが一つのポイントではないかと思っています。 その先に善悪など、極めて高度な目に見えない因果性を科学にできるかどうか があると思います。 ヨーロッパでは、若手科学者を対象に、「宗教と無神論の神経科学」というセ ミナーが開催されています。この分野で素晴らしい業績がフランス・ドゥ・ヴ ァールという人が書いた『The Bonobo and the Atheist』という本です。ボノ ボ(類人猿)と無神論というタイトルですが、道徳や善悪の起源は、ボノボを 見て研究すればわかるようになるということが書かれています。 将来的には、人間を主観的に見た情報と客観的に見た情報を同時に観察すると いう状況をひょっとしたら作れるかもしれないという感じもします。もし各人 が主体でも客体でもあるネットワーク(新しい認知科学)を持てたら、いろい ろ新しい世界が実現していくでしょう。 主体と客体を同時に認知するとは、簡単にいうと、僕自身がどう思っているか ということと、他人や社会的にはどう感じられるかを同時に自分自身が認識で きることです。そうなれば、さまざまなことを他人と同時に認識したり、他人 とまったく同じ経験を持つことも可能になるでしょう。 これを実験にするのは難しいですが、それを目指したような実験をワシントン 大学のグループがやっています。たとえば、僕がボストンにいて、画面にある 色を感じた時の脳波計の情報をインドのバンガロールに送ります。インドで、 その脳波情報をインプットされた人が、同じ色を感じたか申告させる実験です。 結果はというと、統計的に優位さを持って当てることができたと書かれていま すが、正直かなりヤバイ実験ではないかなと思います(笑)。しかし、自分の
脳の中の活動を自分が見て、同時に他人も見るということは徐々に可能になり つつあります。 このような一見バカな実験を繰り返した、デカルトの二元論の克服、見えない 因果性の科学的解明も可能になるのではないかと思います。 これでキーノートスピーチは終わりとします。 *明日からの対談編に続きます。 (構成:栗原昇、撮影:大隅智洋)