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日本佛教學協會年報 第10号 003林屋友次郞「出家教理と在家教理との交渉」

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出家数理と在家数理との交渉

−|’特に在家数理の展開を中心として

il

七三

本研究は伸在世時代に於ける在家説法たりし施・戒・生天の三論が、大乗悌教の六波羅蜜及び十波羅蜜に護展 するに至った過程を跡付けんとしたものであって、最初執筆の営時には其程大部のものとなる議定でたかったが. 書上げて見ると緒論と共に全篇五章となり‘その紙敷も愛に護表したものの約五倍となった。今愛に護表すると とにしたものすら、許された紙数の殆ど五倍とたり、編輯者に非常な迷惑を掛けた共第であるから.その全部を 登表するととは、事賃上に不可能であった。何て愛ではその第一章だけを先づ護表し、その飴は何等か他の方法 に 依 て 八 公 表 す る と と に す る 。

第一章

在世に於ける出家教理と在家殺理との交渉

第一節 出家敬理と在家敬理とを分ためしる理由 ﹄山家数理主在家数理との交渉 九

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日 本 係 数 準 協 合 住 ・ 報 ハ 第 十 年 ︶ 九 2 悌教教理は.悌在世以来.出家に説くものと在家に説くものとを明かに直別して居った。との事賓は巴利中部 経一四三経教化給孤潤経︵

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芯一。乱含・君主釦︶等によく暗示されて居る。本経は給孤猫長者が重病に躍っ た際に、隼者会利弗を請じて其説法を求めしことを設けるものであって、合利弗は長者の矯に六根・六境・六識・ 六受・六界・五組及び五離の所依識・見閲覧識及びその所依識に受︵執着︶す可らざるととを説いたが、長者は との説法を聞いた時非常に感激した。そうして、舎利弗に向ひベ我は今迄久しく怖陀や意修習の諸比丘に親近し 種々たる説法を聴聞せしも、未だ曾て斯る微妙の説法を聞きしととなかりき。悌陀や諸比丘は今迄何故に我が銭 に斯る微妙の説法を設かれざりしゃ﹂と一去った。合利弗は之に封して、﹁長者よ、斯る詑法は出家のみの矯に説く ﹁ 註 一 ﹀ 説法にして.在家白衣者には之を設かれざるを常とす﹂と答へて居る。との説明に依るも.在家に興ふる設法と 出家に興ふる説法とには、砂くも原則的には明かた直別のあったととが解る c 質際に又‘斯る出家説法と在家説法との聞に存した相違は.阿合内の諸説法をば一し際之を出家を封象にせるも のと在家を封象にせるものとに分類し.その内容を比較して見ても、前什易に之 b f ⋮看取し得るととろであって、出 家を封象にせるものは.何れも戒定義の三島一ゐ国成を目標とたし‘敬設としては四諦十二因縁の如きものを詑き. Q M ニ ﹀ 叉その中の道諦を説くに営つ℃も・一二十七遺品等の極めて複雑難解たる遣法が設かれて居ったのに封して‘在家 を封象とせるものは、蹄依三賓に基く信力の掴養にその根本を置き‘その道法としても.施論・戒論・生天論の 如く、極めて簡草にして何人にも貰践の容易たるもののみしか設かれて居らなかった c 執れも等しく、悌陀に依て設かれた教法が、出家と在家とに依てどうして斯くも著しき相濯を生やるに至った ものであらうか。との賠を結論的に述べるならば、そとに二つの原因を認め得る。即ち与その一は外面的原因で

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あって‘出家と在家とは初めからその生活様式を異にせることに依るものであり.他の一つは内面的原因.印ち 出家と在家とが斯る異った生活様式を採らざる乞得ざりし原因に関するものであって.との雨者がみ﹄の修行に入 らんとした時に持って居ったその目的、惹いてその修行に臨んだ時に於ける熱意の相蓮に蹄せらるべきものであ p R

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ハ 一 一 ﹀ 外 面 的 原 因 先づ順序として外面的原因より之を述べる。凡そ出家たるものは‘本質的にはその名が既に示す如く、家も財 産もい竹悉く之を拾て、父母妻子品付属と別れ、樹下石上を宿とし.頭陀行を守る極めて枯淡たる生活に満足して. 世間の一切の繋縛を枕して金生活をその修行の矯に淡頭せしめて居るもの吃ある。従て‘斯る出家に封しては. 如何怠る徹底せる修行法でも・叉如何たる複雑な修行法でも.遠慮たく之を要求して差問へたかった。之に封し て、在家たるものは.皆それぞれに一定の稼業を有し‘それに依て妻子各国燭 b t 扶養し乍ら僻教を修行せんとする ものであったから、その修行に費される時聞にしても.非常た制限を受けで居った。従て、斯る在家に到しては‘ 出家に要求されて居るやうな専門家的修行法は‘仮令之を要求しても、彼等はそれに耐ふるだけの力と飴裕を有 ︹ 註 三 ︶ して居らなかった。それだけに在家に説く修行法は、後に詳説する如く.︵ A ︶彼等の修行目的に直接関係したい ものは出来るだけ之を省略し‘その修行をば極度に軽便ならしめ、どんた智慧の低い衆生にでも.容易に之を訴 し得るやうに方便されて居らたければたらなかったと共に、︵ B ︶その修行に充つべき時間が非常に制限されて居 3 ったから.たるべくその修行をぽ彼等の日常生活から離れた特別の修行としたいで‘日常生活共ものの上に之を 味はしむるやうに施設する必要があった。斯ういふととろに、金生活をその修行に捧げて居る出家とは、その敬 出家数理主在家数理との交渉 守L

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日 本 偽 数 民 平 協 合 年 報 ︵ 第 十 年 ﹀ 九 四 4 理 の 詑 一 不 様 式 を 根 本 的 に 費 へ て 設 く 必 要 が あ っ た 。 内 面 的 原 因 共に内面的原因に就て見るに、とれも今述べた外面的原因と関聯せしめて見るとその理解が早い。 と在家とが初めから同じ目的を以てその修行に入り‘同じ熱意を以てその修行に臨んで居ったものであれば.出 ︵一一︶ 一 睡 . 出 家 家がその修行の岱に金生活を犠牲とする決意を国めて居ったものであれば‘在家も亦そのふ一生活を修行の震に拾 てるだけの畳悟があってよかった。然るに、その賓際を見ると、 一方がその金生活を修行の筋に犠牲に供して居 るのに、他方はその生活の一部分しかそれに割いて居らたかったのである。との賠を見ても.との雨者聞に存し た修行の熱意に可たり相異ったものがあったととを認めなければならない。果して然らば H とうし℃斯る熱意の相 遣を生じたであらうか。さうたって来ると、勢ひ彼等がその修行に入る時に懐いて居った彼等の修行目的に湖つ て之を検討する必要を生ヒて来る。故に‘出家敬理と在家教理とがその説示形式に相還を生ぜしめた内面的原因 を知らんとする篇には‘結局曲家と在家とがその修行に入らんとした際に懐いて居った修行目的共ものに着眼し なければたらたいととになるのである o 陸一との教化給孤濁経の相嘗経には‘中阿含巻第二十入数化病経、増一阿含巻第五十一非常国同第八経等のものがある。 然し、共等には折慈し︿今引用した部分を依いてゐる。唯、雑阿含巻第三十七.一

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一 ニ 二 経 ︵ 大 正 第 二 巻 二 六 九 一 丸 C 以下︶には、前掲激化給孤濁絡程詳しくはないが﹁我白顧念・ム本側以来二十鈴年・米 ν 関 下 骨 骨 材 舎 利 弗 説 二 深 妙 法 4 如

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所開ね章者舎利弗告ニ長者二百羽我亦久来米下皆 H 崎 沖 4 E諸 E 記 者 − 説 中 如 是 法 山 長 者 白 ︼ 日 骨 骨 者 舎 利 弗 引 宥 一 居 家 白 衣 ↓ 有 ユ 時 間 信 勝 念勝幾ト不 ν 開 ニ 深 法 − 而 生 ユ 退 波 引 主 同 哉 章 者 会 利 弗 ‘ 岱 下 府 川 三 目 的 家 白 衣 一 設 中 深 妙 法 L ﹂として、大穂同構の ζ とを就いて居 る 。

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陸=出家の選法は、必ずしも三十七道目聞のみに限るものではない。例へば、長阿含衆集経、十上経.増一経.叉それに 相嘗する巴利長部経︵ m p D 開

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︶ ‘ 或 は 諸 問 諜 集 異 門 足 論 . 巴 利 法 集 論 ハ ︼ ︶

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目 E p p m Z C 等に集められて居る 違法中には‘三十七退問問中には未だ掻せられて居らない宇うなものも砂︿ない。従て.今愛にコ一十七道ロ聞を傘げたの は‘主ハ等を単に出家修行法の代表に挙げたに過ぎないものであって‘出家修行法即三十七道品として就いて居るもの ではない。又.との三十七道品もそれが三十七道日間主して組織されたのは.部源仰叙時代になってからのこ主であ る。然し‘入正道とか開念由胞とかいふ三十七道口問中の各科は既に在世から存して居ったものと考へてよいものである から.今愛に一五つては泊る三十七道目聞は‘会憾としての一一一+七遺品を云ふものでな︿、その内容をなして居るそれぞれ の科に就て一去って居るものと解して欲しい。 臣官一本来の出家が如斯‘世間の繋縛を脱した生活に服して‘一般在家と全然呉った環境に居づたものであることは、﹁経 集﹂ニニ

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偽 及 び 一 一 一 一 一 偽 に 於 て ハ ニ ニ

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﹀雨者はその生活も行処も異りて等しからず 在家は妻︹子︺を養び且.我意なく善徳あり 在家は他の生物 b L 答せざらんとの抑制なし 牟尼は抑制ありて常に生物を守護す 合コ二﹀陣冒へば空を飛ぶ青頚の孔雀は 白馬の漣カに決して及ばざるが知︿ 斯︿有家は比丘・牟尼の遠離し℃ 林中に締瓜する者に及ばず 左あるに依ても切かなこ主である。この黙は現在日本で山山家と一去はれて居るものの概念で見てはならない。 第=節 出家の修行目的に存するこ面 5 との意味に於て、出家の修行目的と在家の修行目的とを比較せんとする場合に於ても、その前に出家の修行目 出家教理と在家数理との交渉 九 五

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日 本 側 敢 拳 協 合 年 報 ︵ 第 十 年 ︶ 九 六 6 的共ものを一臨検討して置く必要がある。蓋し‘出家の目的には.︵一︶出家本来の目的即ち本質的目的しし.︵二︶ 後設的目的印ち波生的目的||印ち悌敬々閣がその敬圏内に斯る出家たるものを生じた後に.それに負はせたる 問的ーーとの二つがあって、車に出家の目的と云ふと、時にとのこつを並べ詑く場合もあれば‘叉その中の執れ か一つのみを川国・とし℃説く場合もあって.諌めとの雨目的聞の開係を明かにして世かないと.出家の修行目的 と作家の修行目的とを比較せんとする場合に.或はその荷明を混範せしむる場合を生じたいと限らないからでる る

如上の問自に依り‘出家の目的に就て論述せん’とする場合に於ても、その前に出家の種類に就て一顧して置く と と を 便 利 と す る 。 長 阿 合 の 遊 行 経 等 に は 、 沙 門 に 四 極 あ り と 一 五 ひ 、 ︵ 一 ︶ 勝 道 沙 門 、 ︵ 二 ︶ 示 道 沙 門 、 ︵ 三 ︶ 命 道 沙 門 誌 一 υ 門 、 ︵ 四 U 汚道沙門たるものを説いて居る。との中.前の勝道沙門及び示道沙門の二沙門は、純粋な出家に閲する ものでるるが、後の命活沙門及び汚道沙門は、出家の地位を飢用し、出家の本分を汚して居るものである。具酬阻 的事賓として、その時代の教圏内にどの種類の出家が最も多くあったであらうかといふととにたれば、或は後の 方が教的に多かったかも知れたい。然し、現在の場合に見る如く.純理的に出家の目的を闇明ぜんとする場合に は、山川家の地位左凱刑し・出家の目的 b k 汚して居った命道汚道の二沙門の如きものは、暫く之を除外して置いて 円 計 二 ぜ 土からう。さうたって来ると、出家の目的の研究上に問題となる同家たるものは‘結局勝道沙門と示遺沙門との ご沙門のみとなるのであって.加之.前者はハ一、出家本来の目的に印して沙門を説明し.後者はつ一、仮生的目的 に関してそれを述べて居るものである。 ︵ 一 ﹀ 出家本来の目的

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先づ順序として、出家本来の目的より之を検討するととにしたい。 一盟、悌数々闇はその嘗初より、比丘・比 丘尽の教聞と、優婆塞・優婆夷の敦圏との二重教圏組織に之を組立てて居った。従て、如何なる時代の教圏にも 出家なき敬圏、在家たき敦圏といふものはたく、両者は常に封立的地位に置かれ、互に同硯せられざるものにな って居った。然し、それにしても、生れ落ちた時からの出家と云ふものはたかった舎であって、如何なる出家も 品目ては皆在家であったのである。従て‘出家共ものの本質を知る場合にが、ても.矢張り彼等が合てその中に居つ た在家の特徴から之を明かにしてか﹄る必要がある。 一睡.在家なるものは‘現在の我々が矢張りさろであるやうに、世間的の欲望に肢惑され.名聞利養左迫うて、 解脱といふゃうた高速なる理想にまだ目醒めたいものをいふものである。然るに、斯る在家が一朝にして世間的 の欲望を悉く捨棄して‘出家せんとする迄の聞き決意を生じたといふととには、そとに何等か重大た原因の存在 を推測せざるを得たい。即ち.世間的の欲望を抱き名聞利養を求むることよりも、解股を求むるととがもっと大 切訟ととであって、斯る名聞利養の震に握慨するととが‘それ以上に大切た解脆に非常た障擬をたすととを痛切 に自覚されて来たととに依るものと見なければならたい。そうして、との自費が擁て彼等をして今迄捨て難かっ ハ 設 − 一 一 ﹀ た名利を捨てしめ、断ち難かった恩愛の紳までも断たしめたものである。との賠より一五ふたらば.員の出家たる ものは.解股の慣値を如賓に認識した結果として‘その解脆を得る箆に金生活迄も犠牲にする決意を−なしたもの を云ふものであって、純理的意味に於ける出家修行の目的たるものは解肱の目的の儒に解院を得んとして居った 円 註 四 U も の と 解 さ − な け れ ば な ら な い 。 7 ︵ 一 一 ︶ 後 護 的 目 的 出家教理主在家数理との交渉 九 七

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日 本 傍 数 拳 協 曾 年 報 ハ 第 十 年 ︶ 九 入 8 以上の説明に依て、出家本来の目的に関する大理の概念が得られたから.今度は附随的の目的に就て遮ペ怠け れ ば た ら た い 。 然 し ‘ との賠に就て越ペる場合にも.その前に一醸出家と在家との解脆に封する心構への相違を 一言して置く必要がある。査し、との雨者の心構への相違が自ら敬圏が出家に劃して負せた任務をその側面から 説明して央れるからである。 一盟、純粋の出家なるものは、前述の如︿、初めから解脆の震に解肱の修行に精進せんとして居ったものであ るが、との世の中に初めから斯る純粋た出家を志して出家せんとするものの如きはさう津山あるものではない。 現に今日の枇舎内の民衆一般を見渡しても、その多くは名聞利養を追うて他を顧みる飴地さへ持たない者か、爾 ら守んば酔生夢死の徒ばかりであって、解脆の意義を正しく認識してそれに精進せんとするが如き者は、定に暁 天の星と一再っても差問へたい。との離は在世の民衆の場合にも同様であった筈であって、彼等は現在の民衆と同 様に、現世の欲柴にその憂き身を饗して居ったばかりでたく、更に死後迄も諸天の世界に往生して.そとに於℃ 現世以上の欲柴を求めんとさへして居ったのである。斯る衆生の聞に於て、解脆の鏡の修行と云ふ如きものが初 めから問題にされやうがたかった。従て、悌陀自身が彼等に封して解股の必要を設くととを如何に痛感せられ、 叉それを如何に熱心に設かれたとしても、彼等がそれに耳傾くべき替がたかった。 乍併.一切衆生を悉く彼と同一なる解肱の境界に導き入れんととを以てその出世の本懐とされて居った悌陀自 身の理想から云ふと‘斯ういふ衆生とそ之を化導して担襲に趣向せしめなければたらたい責任のあるものであヲ ハ 註 五 ﹀ た。然し、悌陀がとの責任を自費せられ、その一生を此等衆生の敬化の矯に捧げんと決意された時に於ても.そ とに一つの重大た困難があった。それはとの一切衆生たるものが、教的に極めて無数たものであったととである。

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従て、その全部の救済は到底悌陀一人に依て能くせられる所では−なかった。故に、斯る無数た一切衆生を化導し てその本懐を建ぜられんとする震には.枇合全般の敦化を目的とする者が誰でも必やその方法に依る替の方法に ︿ 位 六 U 従て.大瞳二段の過程を践んでその理想を賓現されなければたら−なかった。帥ちその第一段に於ては、斯る無数 た在家を化導する矯の指導借圏の養成に先づ着手し、悌陀自身の本来の目的たる一切衆生の救済は、斯る指導借 門 註 七 ﹀ 聞の完成後その指導借圏の手に依て第二段に賓現されるやうにされる必要があった。 との意味から一切衆生の化導の震に指導借閤の充買を計られんとした場合に於ても、斯る指導借圏に撰ばるべ きものには

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イ︶彼等は彼等に依て指導さるべき在家から厚い信頼を得て居るもので友ければなら−なかったこと‘ ︵ロ︶彼等は指導される在家より一段高い境界に進んで居るものでたければたらたかったとと、及び︵ハ︶在家を佑 導する矯に必要た根操技術を単一脅する詩にそれに必要たる修養時聞を持って居るものでなければたらたかったと との三保件が具備されて居らたければ怒らたかった。然るに、斯る僚件に協ふものを求めるといふととにたって 来ると、全く出家以外にその遁任者を求めるととが出来たかった。此等の黙を今少し詳しく論守れば、 ︵

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︶出家者に非ざれば在家の信頼を博し得たかったとと。在家を指導する憎圏が在家の信頼を博し得るもので なければたらたかったととは‘今更愛に論十る迄もないととである。然るに斯る在家一般の信頼を博し得るもの といふことにたると、出家者以外に趨任者はたかった。一躍‘出家伝る制度は、悌敬々圏の成立以前より存し℃ 円 註 八 ︶ 居ったものであって、外遣の出家と悌教の出家との聞には、可成りその修行目的に異ったものがあったにしても. 出家と一五へば‘どの宗教に於ても、皆専門的修行者として在家の指導者たる資格を有するものと認められて居つ ハ 註 九 U たし、叉彼等 b L 供養するととが一般在家の任務として考へられて居った。梯教が斯る習俗を有して居った枇舎内 9 出家数理主在家数理主の交渉 え 丸

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日 本 併 勘 棋 風 中 協 舎 年 報 ︵ 第 十 年 ︶

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IO に護生した限り、併敢に於ける指導僧圏も矢張りとの習俗に従て出家せしめて置かたかったたらば、借圏は指導 門 誌 十 ﹀ 階級として在家一般の信を集め難かったのみならや、共等の借圏の生活も維持するととが出来たかった。 ︵ロ︶出家者は在家者に比して一般的にその境界が高かったとと。更に出家者の境界に就て見るに、出家は前十米 韓設せる如く.最初より解院の慣値を認識して、それを得る怨に金生活迄これを犠牲にして居ったものであった ︵ 註 十 一 ︶ から、彼等が得て居った境界も.一般的に在家より高いところにあった。との貼から見るも、出家は初めから在 家の化導者として最も遁任者と認められざるを得なかった。 ︵ハ︶出家に非ざれば指導者としての修養を積む時聞を有しなかったとと。更に指導者としての修養を積む時間 の賄から之友見ても・在家の指導者には出家を以て之に充つる他に道がなかった。蓋し、何人が在家化導の任に 嘗るにしても、在家を化導するにはその化導の話に必要たる化導の根操及び化導の技術に精通して居らたければ ペ 註 十 ニ ﹀ たらなかった。然し、斯る指導の根接、指導の技術たるものは、如何たる人にも始めから天分的に備って居るも のではたい。従て如何たる人がその任に営るにぜよ‘斯くその任に営るやうにたったその時から.之を製剤回しな ければならなかった。然るにとの指導の根操及び指導の技術の獲得には.人間の智時一一品の殻民過程に闘する深い知 ︵ 註 十 一 コ ︶ 識を必要とするものであって、その把握には可たり多くの時間が必要とされた。自然.一切衆生即ち在家の化導 に首らんとする者には、是非斯る指導の根操指導の技術を墜脅する震に充分た時聞を有するものでたければなら 一般の在家たるものは、元来が稼業の傍らにその修行に服しつつあるものであったから.本 な か っ た 。 然 る に 、 来の自利の修行にさへ充分の時間を有したいものであった c 従て.利他の話の修行に費さるる時間の如きは、初 めから全く之を有して居らないものであった。との附掛から見ても.利他の錫には、金生前をその修行に浪一蹴せし

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めて居る出家を用ふる他に詮がなかったのである。 その結果として.本来の出家は.彼等が出家した時に懐いて居った目的は、解脱といふこと以外に何物もたい ものであったにしても、彼等が一度出家して.出家借圏の一員とたってしまふと‘僧閤は彼等に封して一切衆生 ︿ 註 ! 1 四 ︶ の化導といふ重大任務を負捨せしむるに至る翁に、斯く借圏の一員となってしまった後に於ける彼等は、その時 より白利と利他との雨目的の修行を努めざるを得なくなって来た。そうして斯ういふ習慣が悌教の出家借圏内に 不文律として確立されると、出家は‘彼等自身が出家した時に懐いて居った目的が何であったに拘らみ 1 ・出家す 、 ハ 註 十 五 ﹀ れば人を指導する責任を持つものとして彼等自身も進んで利他行の根接技術の墜習に努力すれば、叉、衆生の側 門 誌 十 六 ν に於ても、その指導を求めんとする時.先づ出家に就て之を求めんとした。 如斯‘出家修行法には.自利の目的と利他の目的とのこつの目的が盛られて居った震に、出家の震に設かれた 修行法は.それが八正道でも.乃至四念慮でも‘皆一つの修行法が白利の修行法ともたれば、叉利他の修行法と もなるやうに工夫されて居った。尤も‘此等の修行法を設いた個々の説法を見ると、それが興へられた者の機根 ハ 註 十 七 ﹀ ペ 註 十 ヘ ゾ とその時の朕況とに依て、それを自利のみの修行法として設かれて居る場合もあれば‘叉利他だけの修行法、或 ︵ 註 十 九 ︶ は自利利他倶利の修行法として設かれて居った場合も砂くなかった。然し、斯く三十七遺品等の出家修行法を白 利のみの目的に説いて居る場合は‘それを聴く者の境界がその時に未だ利他を考慮する儀裕を有して居らたかっ た場合に限るものであって、若しその人がそれをその時には自利のみの修行法として精進して居ったとしても‘ それがその人に依て.熱心に賓践されて居れば.修行法共ものが初めから自利利他供利の修行法として方便施設 されて居ったものであったから.その自利の修行の完成上に自然に利他の基礎が把握されるやうになって居った ll 出家教理と在家数四一との交渉

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12 日 本 傍 骨 執 筆 協 合 年 報 ハ 第 十 年 ︾ の 丸 焼 − L 宇同様に利他の修行に精進し℃居っても‘熱心にそれに従て居ると‘自然にその利他行が自利行を完成 円 註 ニ + 乙 吃しむるやうにたって居ったのである。

要之.出家修行法の根本的た特徴は、その中に自利と利他とのこ目的を同時に完成し得るやうに方便工夫せら れ℃居ったところに存して居る。之に封して在家は初めから利他といふことを少しも念頭に置いて居ら訟いもの ︵ 註 ご 十 二 ﹀ であった。との事は在家共ものの性質から考へても極めて首然たととである。その結果として‘出家修行法と在 家修行法とを初めから無保件に之を比較しようとすると.そとに重大た錯誤に陥る倶れなしとしない。蓋し、出 家修行法は.前述の如く・自利の修行法と利他の修行法との二つの修行法が結び付いて一躍となって居るもので ある篤に、それを自利だけの目的で修行して居る場合に於てすら、利他の基礎を養ふに必要たものを不知不識の 裡に串習せしめられて居るのである。従て、同じ自利の修行法でも.自利の他には全然利他を考慮したい在家修 行法ど著しくその趣きに異ったものが存して居った。故に、出家修行法と在家修行法とを比較せんとする場合に は、乙の貼を常に考慮に入れて、出家修行法共ものの中から.たるべく純粋紅白利のみを抽出して、それを在家 修行法と比較し.然る後にそれに利他行が結び付くとどういふ形に蛸変化せしめられ−なければたら−ないかを理解し 得るやうに之を説明する必要がある。 陸−長阿含遊行経は沙門に同種あ P と 一 去 ひ ・ ハ 一 ︶ 行 進 殊 勝 .

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一 ︶ 善 試 道 義 、 三 一 ︶ 依 道 生 活 . ︵ 四 ﹀ 食 道 作 稼 の 四 種 類 の 沙 門を泰げたる後に.更にそれを細説して ハ一︶能度一車愛刺一人三浬繋↓無ν疑. ︵ ニ ︶ 普 解 ニ 第 一 義 一 説 ユ 選 無 垢 義 一 門 三 ︶ 善 敷 − L 漁 法 句 円 依 ν 以 自 生 、 超二越天人路引 慈仁決ニ衆疑一 迄望−無指場円 説 ニ 此 道 殊 勝 是居川ニ善試道 名ユ依ν道生活

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︵ 四 ﹀ 内 懐 私 h 一 好 卯 一 外 像 如 ユ 清 白 一 虚 誕 無 二 成 貨 一 比 屑 月 二 道 作 積 一 主云って居る︵大正第一巻一入頁 b ︶。この記事は巴利長部大般浬紫経中には看出さざるも.北方の諸論に等し︿引用 宮 れ て 居 る と こ ろ で あ づ て ‘ 有 部 毘 奈 耶 雑 事 典 世 第 三 十 七 に は ハ 一 ﹀ 勝 道 . つ 一 ﹀ 一 邪 道 ・ ︵ 一 一 一 ︶ 浮 遁 活 命 ・ ︵ 四 ︶ 汚 道 の 四 沙 門 を拳げ︵大正第二十七巻三九

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頁 b ﹀・婆沙論拳第六十六︵大正第二十七巻三四ご具 0 ︶及び倶合論港第十五︵大正第 ご 十 九 巻 七 九 一 良 G ︶ は ︵ 一 ﹀ 勝 進 沙 門 、 ハ ニ ︶ 一 市 議 沙 門 . ︵ = 一 ︶ 命 道 沙 門 ‘ ︵ 四 ︶ 汚 道 沙 門 の 四 を 説 昔 、 又 稔 伽 師 地 論 巻 第 二 十九ハ大正第三十巻四四六一只 0 ︶ は ハ 一 U 勝 道 沙 門 . 三 一 ﹀ 説 遁 沙 門 . ハ 三 ︶ 活 道 沙 門 . ︵ 凹 ﹀ 壊 道 沙 門 の 四 を 皐 げ て 居 る 。 盟二此等の命道.汚道の二沙門以外に於ても.律大口附戒健度五四,ニ等を始め諸の仰停等に記載されて居る羅阪羅の出 家 晶 γ 悌 本 行 集 経 品 位 第 五 十 六 ハ 大 正 第 一 一 一 窄 九 一 一 頁 b 以 下 ﹀ ・

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︵ 匂 ・ 唱 0 .共他の悌俸に説かれて居る難陀が 出家せしめられた場合に見る如︿.彼等を出家せしめられた悌陀自身の側には、彼等を出家せしめられた目的が存し て居っても、彼等自身の側に何等の目的も存して居らなかったやうな場合もある。斯る場令も前の命道汚道のニ沙門 主同様に純粋な出家の目的から除外して置いてよからう。 陸一−一既に解脱の償値を認識せる出家が容易に断ち切り得た世間の繋縛も.未だその債値を認識し得ない在家一一般に‘極 めて深い執着の種となって居ることに閲する寅例は経丈の随由胞に見るところであるけれども.試みにその一一一のもの を 例 示 す る な ら ば 、 中 阿 含 一 三 ニ 経 頼 陀 恕 羅 経 ︵ 大 正 第 一 品 智 大 二 一 一 一 一 具 b ︶に於いて.頼陀恕羅の出家後その失母や故 ご︵出家前の妻︶が彼を元の在家に引戻さんとしてなせる種々の努力に闘する記事ゃ‘叉中阿含二七経発志陀然経に 於て発志陀然が舎利弗より汝精進せず、禁戒を犯し、王に依誘して発志居士を欺誰し、発志居士に依誘して王を欺認 すと叱せられたる時に、﹁舎梨子嘗 ν 我 今 在 レ 家 以 − 一 家 業 一 銭 ν 。 我 臨 幅 下 白 安 曙 供 斗 養 尖 母 − 槍 斗 一 脱 妻 子 石 川 中 給 奴 抽 押 ら 旧 工 檎 ニ 宝 租 吋 澗 斗 一 服 諸 天 吋 祭 斗 優 先 組 寸 及 布 中 施 沙 門 焚 志 μ 魚 下 後 生 天 而 机 博 二 長 蕎 − 得 向 祭 果 報 上 故 。 合 梨 子 。 是 一 一 切 事 不 ν ν ν 一 向 従 ν 法 。 ﹂ ハ 大 正 第 一 巻 四 五 六 頁 O ︶と云って居る言葉等に依ても在家の気持といふものが略々諒解出来る筈である。 盟関純粋な出家の目的が.解脱の銭に解脆の修行に励しむものであったことは、前掲の遊行経が勝道沙門を説明するに 嘗 り ﹁ 龍 度 二 恩 愛 純 一 入 ユ 浬 紫 − 無 ν 疑﹂と一五りて目的るに依て見ても.又既に阿羅漢向の修行に臨んで居ワたやうな熱心 な修行者が‘傍陀や諸国長老に謝して、修行上の法要の紘一万を求めんとする場令に、常に彼等修行者が﹁善哉世章.居対 13 出家数理と在家教理との交渉

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日 本 悌 教 墜 世 間 舎 年 報 ハ 第 十 年 ﹀

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凶 14 ヨ リ = ν 我略説二法要一我開 ν法己、嘗 T 燭一静庭事橋忠同一惟.住ニ不放逸引所己円以善男子出家剃ニ除髪髪三身著ニ法服一信家非家 シ テ 出家準道・鎗ν究二党無上発行引現法身作設‘我生己輩、発行己立・所作己作.白知昭不ν受ニ後有こ正一去って信家より 非家に出家事遁せる目的が解股湿崎県を求めんとしつ L あづたものであることを常に明かにし℃居ったことに依ても明 かなことである。叉これは時代が少し後のものであるけれども.繍蘭陀閉経には﹁王は問へ

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軍師ナ 1 γ セ l ナ よ 、 意師等は何の目的にて出家せらるるや。叉意師等は何を第一義となす宇 0 ﹄長老日︿﹃そは大王ょ、﹁この苦は蛍に減す ペし。他の主口も醤に生起せざるペし﹂といふこの目的にて‘大王よ.我等は出家するな p 。また不生般浬柚掃をぽ我等 は第一義となす﹄と。﹃然らば尊師ナ l y セ l ナよ.一一切︹の出家︺がこの目的にて出家するや如何。﹄﹃大王よ・貨に 然らず o 或る者はこの︹減苦浬繋の︺目的にて出家し.或る者は王を怖れて出家し、或る者は賊を怖れて出家し、或 る者は責債︹を免れんが︺ために出家し、或る者は生活のために出家す。されど正し︿出家する者はこの︹減苦混換 の ︺ 目 的 に て 出 家 す る 者 な り 。 ﹄ ﹂ ハ 出 口 宮 山 守 宮 b r m v 匂 ・

23

と云へるに依ても明かなことであらう。 韓五悌陀自身の出家の動機は.初めには無論仰陀自身の解脱.即ち自利を目的ーとしたものであった筈であるけれども. 併陀が肢に覚られてから之を見られると‘同県貨なる氾撲の境田介は一切衆生を皆悉︿解脱せしめなければ.自分一人の 解股に依ては倒底その目的を達し得られないものであることが明かとなった。これ長阿含遊行経が併の本質を説明し て﹁悌免ニ海時師↓法橋渡ニ河津↓大衆道之輿‘一切渡ユ夫人一亦銭 ν白解 ν 結.渡 ν 得 一 一 昇 仙 叶 都 伎 ユ 諸 弟 子 . 縛 解 得 ユ 浬 奨 4 ﹂ ︵ 大 正 第 一 巻 一 一 一 頁 e 以下︶と説いて居る所、以である o 悌陀が樹下にその正島田を成ぜらるるて先づ第一に考 へられた問題は、如何にして一切衆生を悌陀主同一の境界に之を導き得るであらうかと一五ふこ主であった。然し.世 間の名問利養にその心を奪はれて居る衆生をして、其等の名問利養を捨て h 解脱に趣向せしめん在するには、そこに 非常なる困難がなければならなかった。この駄を警喰的に説明して居るものが巴利中部経第ご十六経邸一表経ハトュヨ E M M g

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るを始めとして、各種律蔵及びその以外の偽俸に出て来る焚天勧誘である。併俸に従へば、併陀は ζ の発天の勧誘に基き.その後猶数週間樹下に留まられて.一切衆生の教化の方法を工夫立案されたものであるかの やうに之を説いて居る。けれども、そこに思惟されたものが

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んなものであったかは具樟的に説明されて居らない。 然し.傍陀がその在世四十五年の問.資際に布激されたその管一績の上から見るならば.結局.乙の時に考へられた衆

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生機皮の手段なるものは‘比較的智慈のす同い出家を先づ済度し、然る後にその出家に依て一般民衆を方便済度せしめ んとすることにあづたものと推測しなければならない。 盟六枇合全般を教化する場令に‘必ず二段の過程を践まなければならないことは.明治教育奥を遁じて閥民教育が普及 せしめられた経過を眺めても明かなこ主である。明治政府が明治の初年に図民教育の普及を計らん L C した時も矢張り その第一歩にカを用ひたものは師範教育の充貨であった。そうして、この師範教育に依る教育者群の充貨に蓮れて初 めて一一般国民教育の普及が次第に賓現されて行ったのである。 盟七この説明は無論原則的な説切であって.必ずしも悌陀が出家数閣の光貨を完成される迄在家の化導を見令されて居 ったといふ意味ではない。悌陀は縁さへあれば在家も出家も同様に化導されて居ワたのであって、現にその成道後第 一に化導せられたものは帝梨富沙︵ロロ弓

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︶主政利迦︵出

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吋ろの爾優婆寒であった。然し.在家化導の徹底は 結局出家信闘の充貨に侠たなければならなかったからして、兵穂的に悌陀がその在世中に最もカを注がれたものは出 家信闇の養成であづた。然し.この事管一に舷惑されて.仰陀の化導の重黙が出家教理にあうたものと解する如きこと は僻事である。 睦八外遂の修行の針象は、阿羅叢仙人や欝頭廉仙人の如き可成り進んだものに於てすら、無所有良夫、非想非非想慮天 の如き無色昇天に生るることを以てその理想として居るものであった。自然.彼等の多︿はそれ以下の天への往生を 願ひ‘又その天に劃する祈祷或は紳遜の獲得の如きものを以て‘その修行目標として居るものに過ぎなかった。これ に謝して.傍数の出家は前述の如く‘天の如きものを超越した異貨なる解脆の銭に精進せんとするものであワた。 陸丸古代印度の枇合が、出家階級を以て指導階級として、叉被供養階級として之を認めて居ったことは‘四姓の中で婆 臨時門が最高の階級に置かれ、旦‘摩拳の法典の如きが婆羅門を以て他の三姓より供養を受︿る資柊あるものと説いて 居づたことに依ても明かなこ主である。叉併数に於ける詮果の最高を示した阿羅渓ハ

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ロ︶が賑供と謬せられ.又 阿羅漢のことが態献者︵

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︶又は際施者戸。与

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広告。リミろと説明されて居づたことに依ても明かな乙とであ ら う 。 要之.出家は在家の指導者として、在家の信仰を博しな仲りればならないものであづたから.斯る出家の選揮には‘ 25 出家数理E在家教理との交渉

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日 本 傍 敬 且 平 協 舎 年 報 ハ 第 十 年 ︶

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六 16 細心の注意が携はれて居った所であづて、現に品仲裁には在家の信を蒐め難いといふ黙から.出家に不遁賞なる者とし て.不具者.慈疾者.老弱者等の如き三十二種の人を出家せしむべからずと説いて居る︵大品.受戒健度︶。 睦十傍教に於ける在家出家の雨数回が相互扶助の関係に構成せられ、出家数圏が在家を教導する代償として.在家が出 家の生活を保詮する制度になづて居ったことは.中阿含一三玉.養生経︵大正第一巻六四一頁 O ︶に説︿出家の務と 在家の務とを比較し℃も明かなと主であらう。即ち善生経に依れば、在家は沙門発志に射して︵一︶不 ν ニ 制 門 入 二 ︶ 見 ν来讃 ν 三 一 ︶ 敷 ニ 設 床 − 待 ハ 四 ﹀ 施 与 眠 同 庁 美 墜 銭 飲 食 入 五 ︶ 擁 護 如 法 の 玉 事 を 以 て 寧 敬 供 養 す べ き で あ り ‘ ま た 沙 門 焚 志 は 在 家 に 謝 し て ハ 一 ︶ 数 ν 信行 ν 信食 ν 信 ハ ニ ︶ 数 ニ 禁 戒 入 一 三 教 ユ 博 間 入 四 ︶ 数 回 一 布 施 入 五 ︶ 教 ν 慧行 ν繋立 ν 慧の五法を以て教導す べきであるとして居る。 位十回在家が出家に比して比較的その境昇が低かづた黙は、雑阿含巻第二十一、五六六経乃至五七二経︵大正第二拳. 一四九頁以下︶に於ける賀多田職長者の出家に謝する態度の上に之を見ても明かなことであらう。彼は既に法眼浄を得 て、その境界も相常高く・傍在世に於ける在家信者の中では最も智慧の高い種類の人に属し‘在家や外道に謝しては 常に指導的態度を示して居ったものであるに拘らず、一度出家に劃すると、信圏の問では比較的境界の低いものと考 へらるる者よりすらその教へを受け.叉彼等に自己の考へを印可して貰ふやうな態度を採づて居うた。 睦+=この黙は、今日の教育者が‘彼等が験校で教授する皐諜に関して被教育者以上に豊富な知識を有しなければなら ないのみならず.それ以上に‘教育筆、数授法等に就て相蛍深い知識を準備すべ︿要求されて居ると同意義のもので あ る 。 盟十三この黙は第三掌に於て六波羅蜜と十波羅蜜の関係を述べる所に改めて詳説する。 盟十四悌陀が出家に謝して如何に衆生化導の責任を賃捲せしめんとして努力されて居ヲたかといふことは.律の大品交 戒篇第一の一一節に ﹁比丘等.遊行を行へ、衆人の利盆の震に.衆人の安極端の錫に世間の怒悲の震に、人夫の利金安楽の鎗に、二人同一 路を行︿なかれ‘比丘等、初め善︿.中善︿.終り普く、義理丈句具足せる法を説け.一切完備して、伊潔なる発行を 顕示せよ。世には心眼の商店撲に覆はるるこ主少きものあり。法を聞かざるが放にバ之より︺退堕す

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問かば︺法を了

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知せん。比丘等.我も亦優楼頒羅.軍邑に往かん、法を説かんがために。﹂ ム﹄あるに依℃も明かであり,又、雑阿含拳第五‘一

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入経︵大正第二巻. 2 三 一 頁 G 以下︶に於℃、両方の諸比丘が西 方に蹄らんとするに臨み・悌陀は彼等を舎利弗のところに遣はきれ・舎利弗をして、彼等が西方に障問りたる後.人々 より悌陀が如何なる説方をなされし宇を聞かれた際に‘如何に答ふべきかに関し・種々と数へしめられて居ることに 依ても遣問の消息を理解し得る答である。 猶.今迄の説明に於ては.出家の利他行の劉象は常に之を在家として説明して来たけれども・是れ今迄の説明が出 家を指導者とし・在家を被指導者としてこの爾者を野立的に述べて居ヴた関係から生じて居るものであって.具惚的 な問題としては.出家は在家の指導者ばかりでな︿.英等出家中に於ても.境界の高いものは境界の低いものに関し てその指導呑となって居った筈である。誤解を遜︿る鴛に一言附加して置︿。 陸十亙既に衆生数化のカを備へた出家が、衆生化導の任務に如何にその重大な責任を感じて居ったかといふことは.雑 阿含巻第ヤ三、三一一経︵大正第二巻‘入九頁︶に於て宮棲那が悌より六入に関する説法を磁きたる後、西方轍庵那 地方を布教せんとした際に、仰が輪慮那人の兇暴に劃して如何に嘉するかに就て彼が答へた答鶏に依℃もよ︿解ると こ ろ で あ る 。 睦十六出家が一切衆生の化導者として認められて居ったこ k は、経文の隆虞に現はれて居る所であるけれども、特に出 家でさへあればその指導の責任者として認めて差問へないといふことを具穏的に書いたものとしては.ギスツデイマ w y T 六二頁所設の如きが遁例であらう。試みにそれを引用すれば﹁一切頭陀支は.世尊の在世には世草の許にて受持 すベし。滅後にては大聾閣の許にて︹受持すべし︺。彼もあらざる時は漏護者の︹詐にて︺:::阿那含の︹許にて︺・::斯 陀 含 の ︹ 許 に て ︺ : ・ ・ : 須 陀 湿 の ︹ 許 に て ︺ ・ : : 一 一 一 歳 師 の ︹ 許 に て ︺ : : ・ ご 裁 師 の ︹ 許 に て ︺ : : : 一 歳 師 の ︹ 許 に て ︺ : : : 一 令 請︹尼何耶︺師の︹詐にて︺:::一阿含師の︹許にて︺:::義疏師の︹許にて受持すペし︺。彼もあらざる時は持頭陀支肴 の ︹ 許 に て 受 持 す ペ し ︺ 0 ﹂主説かれて居

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.叉同論九九真にもこれ主類似の説明がある。 陸十七この種の説法の例は.各種の道法の上に隠慮に存して居るけれども‘雑阿含巻第五、一

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三経︵大正第二巻ニ九 頁 e 以下︶に於ける例を始めとして、病苦の解脱の鴛に五指摘が観法せしめらる L 如きがその遁例である。然し・五議 17 出家紋理主在家数理との交渉

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日 本 悌 数 凪 平 協 合 年 報 ︵ 第 十 年 υ

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入 18 は病苦の解脱だけのものではなく・病苦の解脆を針象にその観法を進めて行けば、自然に一一切苔を解脱する某礎も得 らるれば.叉それに依て衆生を化導する基礎も把握し得らるるのである o 睦十八利他の資料として説かれたものとしては.前掲の雑阿含巻第五、一

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入緩や‘巻第十三・一二一一経ハ大正第二巻 入九頁︶の如きは何れも数あるものの中の一目別であり.叉之を中阿含の上で一五へば、阿難の魚に年少比丘に封する数 化法を設かれたその入六経の説虞経︵大正第一巻五六二頁以下可叉摩河周那の銭に在家が受︿る七種宛の世間‘出世 間の編の根擦を設かれたその第七経の世間一一経︵大正第一巻四二入頁︶の如きがその類である。 詰十九普通に就かれて居る一一一十七道日開の如きものは.総て白利利他倶利の修行法になって居ヴた。この黙に就ては最近 愛表する猿定になづて居る﹁現観的修行法主柑括的修行法﹂なる論文を参照されたい。 醤=十出家の修行が自利利他倶利のものでなければならなかワたことは.雑阿含第十四、コ一四入経.及び三四九経が ﹁ : ; ・ 大 義 満 足 。 得 ν成二第一教法之湯↓所講大師一面前。親承説法。寂滅浬奨。書提正向。益口逝正覚。是故比丘 υ 世 田 V 嗣 輔 自利利他自他倶別。精勤修準。我今出家。不愚不惑。有 ν 果有 ν 祭 。 諸 所 二 供 養 寸 衣 服 飲 食 臥 具 湯 薬 者 。 悉 得 ニ 大 果 大 一 一 大 刺 刊 官 二 如 ν 是 皐 刊 ﹂ ︵ 大 正 第 二 巻 九 入 一 良 a 以 下 ﹀ ﹁ 是 放 比 丘 。 蛍 = 知 ν 是接・↓向利利他白他倶利。如 ν 是出家。不愚不醍。有 ν 果有レ集。有ニ幾果報叩供養衣服飲食臥具湯 薬者。悉得ニ大果大一服大利一是放比丘。常二如 ν 是 準 叩 ﹂ パ 大 正 第 二 巻 九 入 頁 b ﹀ と一去って居るに依ても明かなことであらう。 話=+−自利と利他との相撮関係に就ては、雑阿含巻第八.ご

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経︵大正第二巻五一真︶の如きが最も遁切な例であ らう。同経は羅眼目継が併に説法を求めたことに関するものであって.仰は羅阪羅が未だ増上法を受︿るに耐へざるこ とを観察し給び‘先づ玉受陰を人に演説せしめ、−次に六人慮を演説せしめ.次に尼陀那法を演説せしめ.然る後に増 上法を説かれて居るのである。これに依て見るも自利行が利他行の基礎となり‘利他行が自利行の基礎となることが 解る筈である。 睦=十二大乗傍教が興起すると、大衆例数徒は小乗併殺徒を罵ワて.大乗は自利利他共利の教へであるに劃して、小乗 は自利のみの教へであると云ふことを盛んに吹聴して居った。然るに、大衆は在家数理を基調に溌達した教へである

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に費して.小乗は昔からの出家併教を其鐙維持して来たものであづた。この黙を皮相的に見る主・在家併数こそ自別 利他共利のもので、出家併教は却て自利のみの教へでなかづたかといふ様な疑ひを生じないとは限らないが.この黙 は第三章に入づて詳し︿之を述べる。 第三節 自利行としての出家修行法の目的と在家修行法の目的 先づ順序として.自利行としての出家修行法の目的と在 J涙修行法の目的との比較からその論旨を進めたい。 出家たるものの本来の目的が、解脆の完成にあったととは既に前に述べた如くである。然し.悌教々聞が護達 し、出家者の敢が増加し、出家者に封する在家者の蹄依が結くなり、出家借圏に封して在家の供養物が増加する に連れて‘未だ解院に封する自費を生じたい者までが.名聞利養の目的から出家せんとするものを多く生じて来 門 錠 一 ︶ た。遊行経が命道沙門や汚道沙門たるものを設いたのもとの意味のものである。而して、斯る命道沙門や汚道沙 門は出家本来の意義からは全く邪道に陥って居ったものと云は−なければたら・なかったけれども.その時代の怖敬 教圏内の貫情より之を一五ふと、斯る名聞利養を求めて出家した人々でも之を無下に排斥するととが出来なかっ

蓋し、僻陀が一切衆生を悉く済度ぜんとするその本懐に基き.出家借圏の充宜を計らんとせられた場合に於て も.その充賓の詰に貫に無数の出家が需要された。然るに、現賓の枇舎に於ては、初めから解院の債値を認識し て出家しようとして居ったものは.前にも述ペた如く.賓に暁天の星にも書ふべきものであった。従て.出家信 19 圏を遺る場合に.その僧闇を線て斯る純粋た意味の出家のみに依て充さんとするに於ては、そとに作られるもの は賓際の需要の高一の期待をも充し得ない小規模のものとたらざるを得なかった。斯る理想と現賓との不一致を 出家教理主在家教理との交渉

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日 本 併 叡 畢 協 合 年 報 ハ 第 十 年 ﹀ 一 一

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20 緩和する待には.そとに何等かの便宜的手段を講やる必要があった。それには、仮令その時代の出家の大多数が. 名聞利養の潟に出家したものであったとしても.暫くその出家の動機に劃しては目をっぷり、兎も角も出家の希 望を持つものは可能的にその出家を許し、斯くして彼等が出家したる後に於て、改めて彼等を正しき出家に善導 するといふととが時宜に誼して居った。斯う云ふ鮪から云へば、彼等が出家した時の最初の動機共ものは、本来 の出家の意味より反して居ったかも知れたいが.それにしても、彼等が何時迄も在家生活に執着して出家する集 持すら起さたかった場合よりはその指導が容易であった。との意味から悌陀は何人が出家せんとした場合に於て も、飴りその動機を詮索され−ないで.綿てとれを許容して居られたゃうである。 そうして、この種の出家は.その形とそ本来の出家と同様の形をして居ったとしても、その心境の黙に至ると ︵ 註 ニ ︶ 猶在家と何等異らないものがあった。自然彼等の需に設く説法に於ても.初めから解脆を目的に出家した出家者 に設くと同一−たものを設き得たかった場合が多く.その説法は何れかと一疋へば、在家向の設法と殆ど費らたいも のにたって居った。もっと之を具瞳的に一疋へば.在家修行法の特徴は、後に設く如く‘彼等が猶未だ解脱の慣値 を認識して居らたいものであった話に、そとに設かれて居る修行をば組て生天の目的に結び付けて説いて居った ものであるが、今述ペたゃうた名聞利養を求めて出家した沙門の場合に於ても、その出家の動機が解院にたかっ た結果として、彼等がその後の修行に依て解脆の債値が認識されて来る迄.矢張り在家と同様にその修行を生天 に結び付けて設かれざるを得なかった。 一口に出家説法と一五っても.その中には、初めから解脆の目的を以て出家した純粋の出家に設かれた ものもあれば.叉現在猶名聞利養の念宣拾て切らたいで居る出家を.純粋た出家に導かんとして設かれた過渡的 さ れ ば .

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或は議備的の説法もあった筈である。而してとの雨者共、それ等が等しく出家詮法であった限り、何れも戒定慧 の一二撃を園成せしむる如く設かれて居った鮎は同一であったが.前者の場合は、それを修するものに解院の慣値 が完全に認識されて居ったから、戒勝一・が修せらるる場合に於ても、定撃が修せらるる場合に於ても、慧壌が修せ らるる場合に於ても、共等を皆解院の震の修行法として之を設いて居った。之に封して.後者は猪名聞利養を埠 ラて、解耽の慎値を未だ認識し得たいものであったから‘それを認識し得るに至るまでの問、即ち戒皐の完成が 求め得らるる迄の聞は、猪方便的に生天の目的に印せしめて之を設かざるを得たいやろた場合が砂くなかった。 そうじてとの種の出家が、賓際問題として純粋た出家以上にその敷が多かった結果として‘問果の意味を説明し へ 註 三 ﹀ た一般的説明等を見ても.戒車一ゐ完成に依て得らるる須陀涯、斯陀含の二果の説明の如きには、それを生天に結 び付けて説いたものが甚だ多かった。それが惹いて須陀恒とは浬撰に至る迄に七返生を捜して居るものとか、斯 陀合とは現世に一度蹄って来て般浬壊するものとかいふゃうた設明が、須陀恒・斯陀含の説明上切離し得泣いも ︵ 註 回 U のであるかの如き誤解を生ぜしめて居るのである。 乍併‘須陀垣・斯陀合の二果を斯く生天に結び付けて設く説明を生中るに至ったのは‘前述の如くとの時代の 出家者中に命道・汚道の二沙門が教的に多数を占めて居ったといふ事買に反映されて居るものである。従て斯る 説明が一部に存するからと云って、戒感一・を完成するには必やそれを生天に結び付けて修行したければならないと いふととにはたらたい。否寧ろ.純粋た出家修行の立場から一五へば、戒忠一も定皐も慧撃も.皆初めから解脆の目 的の矯に修せらるべきものであった筈であって、それを生天に結び付付て戒皐を説くものがあったと一五ふことは‘ その時代の出家敬圏内の特殊事情に依たものと一試はたければたらゑい。現に漢語増一阿合の如きものを見ると. 21 出家教理と在家数理との交渉

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日 本 傍 敬 準 協 曾 年 報 ハ 第 十 年 ︶ 22 門 誌 五 ﹀ その中には出家に封して生天を説いた説法が可成り津山に記載されて居る。然し.此等は前来纏詑せる如く.命 道沙門及び汚道沙門を封象とする方便的説法に過ぎたいものであるから‘純粋な出家修行法といふ賠からは. 時之を除外して置くととを至官とする。従て純粋な意味に於ける出家修行の目的と云へば、解院の需に戒定慧の =一撃を賓践するもの以外に何ものもたかった筈である。 との意味 K 於ける出家修行法の目的を在家修行法の目的と封比する場合に於ても.在家修行法の側に矢張り同 様の問題がある。・在家設法も犬乗悌教迄下ると、その修行の目標をば成伸、印ち解脆浬壌に之を結び付けて説く に至るけれども.在家説法が斯る形式に設かるるに至る迄には‘その教理の設明に可成りの展開が行はれて来て 居るのであって、砂くも在世時代に於ける在家説法には、斯る成伸.或は解脱といふが如き高い理想は全然掲げ られて居らたかった。従て、後の時代の経典を見ると、解脆を目的として説く在家説法を屡々見るととろである けれ出的、其等は在世に於ける出家詑法と在家説法との比較上には・之を除外してか L ら − な け れ ば な ら な い 。 斯ういふ意味に於て、在世に於ける純粋た意味の出家修行法の目的と.在家修行法の目的とそ比較するときは. 結局.前者は解院の篤の修行法として設かれて居ったものであったに劃して、後者は生天の震の修行法として説 かれて居ったものであったといふととにたらたければゑらないのである。 乍併.との説明を翠にとれだけに止めて置くと、或は護者をして.在家修行法は生天のみを目的としたもので あって.解院に開係のたいものであったかの如き誤解に陥らしめたいと限らたい。然し.如何なる在家修行法と 雌も.共等が皆一切衆生を悉く悌陀と同一たる境地に歪らしめんとする悌陀の本誓から設かれたものであった限 り、その外形が椴令生天を目的として設かれて居ったとしても.その賓質迄解院に無関係のものでありゃうがな

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かった。それにも拘らや.在世時代の在家説法が砂くも外見的だけでも生天のみを目的とする説法の如く見えて 居ったといふととは、との時代の民衆が、前述の如く、現世の欲柴を容易に断ち切り得たかったのみたらや、長 い聞の偉統に葉剤目されて‘諸百人の存在を確信し、その死後まで斯る諸天に往生するととを以て畢生の願ひとして 居った乙とに依るものであって、悌陀の説法が斯る民衆意識を封象として設かれて居ったものであった限り、そ れを設かれた悌陀自身の目的が那謹に存して居ったとしても.砂くもその外形だけは之を生天の目的に結び付け て設かれて居ら・なかったならば‘到底彼等を惹きつける力を有し得−なかったととに依るものである。との意味か ら.解脆の道を解院の道として設かれたいで、之を方便的に生天への遣として設かれたものが即ち施・戒・生天 円許証七︶ の 三 詳 細 で あ る 。 愛に於て‘在世にが、ける在家説法の中心を恋した施・戒・生天の三論たるものに就て今少しく解説して置く必 一陣出家在家を聞はや、解院に趣向せんとするものがその第一歩に完成したければたらなかっ 要 が あ る と 思 ふ 。 たものは‘世間的の愛慾の繋縛から離れるといふととであった。出家がその修行に入ると同時に、彼等に封し℃ 家や財産を拾て.妻子容属の思愛を断ち切った滴住の生活が要求されて居ったと一五ふととも、畢克.との意味に 於て世間的の愛慾を遮断ぜしめんが銭に他たらたいものであった。従て.帥陀が在家を解股に趣向せしめんとせ られた場合に於ても.矢張り彼等に封して離懇の生活を強要されざるを得たかった。との意味に於て.悌陀が在 家に劃する離慾の生活として方便されたものが印ち布施と在家戒||部ち五戒八粛戒の如き!ーであった。布施 は今夏これを設明する迄もなく、他人の望むものは快くとれを施奥して惜しまない生活を云ふものであって‘乙 23 れを五戒八粛戒の如き在家戒に協力せしめて修して居ると、自然にその布施生活上に出家が出家の戒律に依て完 出家数理 ξ 在家数理との交渉

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日 本 悌 数 事 協 舎 年 報 ︵ 第 十 年 ︶ 一 一 四 24 門 能 A V 成すると同一た離慾の生活が完成し得らるるやうにたって居ったのである。 との意味に於て、悌陀は、在家を解脆に趣向せしむる需には、

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うしてもとの布施と在家戒だけは之を彼等に 守らしめたければたらたいと痛感せられた。然し.在家たるものは、前述の如く、未だ解脆の債値を認識して居 らたいものであったから、それを初めから解院の篤の修行法として設かれては‘彼等をしてそれに喰付かしめ得 怒いととが初めから解って居った。然し梯陀はこの時代の民衆が諸天の生活に心からたる憧れを持ち、叉との諸 突の生活たるものが、現世の生活より幾十倍か愉快なものであるととを信巴て疑はないで居ったととをよく知っ て居られた阿川、伸陀は巧みにとの黙を利用されて、﹁む前建は現在のやうた惨めた生活をして居っても仕方がな いではたいか。現世では現在以上の生活は容易に出来ないかも知れたいが、現世で布施と戒行を行やれば‘そり 功徳に依て来世には必や治前達が心から望んで居る天に生れて、そとで思ふ存分の賛揮をするととが出来る。だ から短いとの世を我欲一賠張りに渡って、僅かばかりの賛津をする震に施や戒に反した生活をするよりは、現世 の欲樹木の如きものは之を気前よく犠牲にして‘天に生れるととを考へるととが根本問題だ o ﹂といふ調子に‘生天 を餌にして彼等が拾て難がって居る利欲の生活を柴に之を捨てしめんとせられたのである。とれが即ち施・戒・ 門 註 十 ︶ 生 天 の 三 論 で あ る 。 如斯、施・戒・生天の三論怒るものは‘悌陀がとの時代の民衆の気持をよく掴んだ上に設かれた解脆の道であ ったから、との時代の民衆に解耽の道を設かれんとする場合は、賓際とれ以上に趨切たものが広かった。との意 味で‘悌陀が在家化導に臨まれた場合には.その初縛法輪の直後に耶舎の一門に封して先づとれを設かれたのを ハ 匙 十 ↓ u 始めとして.如何たる場合にも常に皆との施・戒・生天の三論で終始されて居った。現に、雑阿合内の諸説法を

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通観しても.悌陀が在家の凡夫に設かれた設法は約五十経存して居るが、共等は何れもとの三論を詑︿か.或は との三論の中の施や戒を常識的立場から解説して居るものでたいものはた恥侍だ。 要之.悌在世に於ける在家修行法の特徴は、解肱の修行法である施と戒をば、生天の篤の修行法であるかの如 ︿之を仮装して説いて居ったととろに存して居ったものである。故に、怖在世に於ける在家修行法の本質を理解 ぜんとする潟には‘斯る生天の震として設かれた居った施と戒たるものの内容を今少しく検討して置く必要があ る

陸自初期時代の出家が‘純粋の出家のみであづたととは、悶分律‘五分律等が戒律制度の悶縁を述べるに嘗 P 、 ﹁ 舎 利 弗 ・ 如 来 示 下 銭 ユ 諸 比 丘 − 結 成 凸 何 以 故 . 比 丘 中 米 ν 有 v 犯 ニ 有 漏 法 ﹁ 若 有 ν 犯 二 有 漏 法 − 者 ‘ 然 後 世 骨 帯 魚 コ 諸 比 丘 弘 和 戒.断ニ彼有漏法”故.舎利弗・比丘乃至未 ν ニ 利 養 − 故 . 米 ν生二有漏法門若得二一利養↓使生二有漏法﹁若有漏法生.世 骨 骨 乃 居 月 二 諸 比 丘 − 結 戒 . 欲 ν 使 ν 断 ニ 有 漏 法 − 故 ﹂ ︵ 四 分 律 1 1 大正第二十二品智正六九頁 0 ﹀主あづて.戒僚の制定前の十ニ 年間は出家に宥漏法がなかづたと云はれて居る。 五 分 律 の 相 骨 同 文 は 後 の 註 に 掲 出 す る 。 謹=彼等が如何に生天の目的を捨てて純粋なる解脆を求むる気持になり得なかったであらうかと一去ふことは.前掲の党 志陀然経の後半の記事を見ても明かである。同経に依ると・舎利弗が陀然を教化した後.陀然が重病に摺った際に‘ 舎刺弗は彼に拾心を教でこの拾心に依て発天に生るる道を就き.資質的に彼を解股せしめたのであるが. ζ の 事 あ ヲた後、傍陀が舎利弗に胤劃して﹁舎梨子。汝何以不ν数ユ発志陀然温発天法一若上化者。法知ν法知ν法。﹂と問ほれた時 に、舎利弗は﹁世章。彼諸発志長夜愛 4 著発天刊築二於焚天叩究ユ寛発天刊是尊二発天 4 韓 民 有 ユ 発 天 叫 銭 − − 我 発 天 4 是故世 骨 畢 我 如 ν是臆 0 ﹂正答へて居る。乙の説明などを見ても‘この時代の在家が天に針して懐いて居った愛著の一端を知る ととが出来るであらう。又、この時代の民衆が如何に天に劃して深い関心を持りて居づたかといふことは‘発志陀然 が舎利弗の関に答へて :2S 出家教理主在家教理との爽渉 日 一 五

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日本悌数隼協令年報︵第十年以 一 一 六 4!6 ﹃復問。陀然。人四王天何者銭 ν 勝。陀然答目。四玉天勝。復問。陀然。四玉天一一一十三天何者免 ν勝。陀然答目。三十 一 ニ 天 勝 。 復 問 陀 然 。 = 一 十 三 天 婿 摩 天 何 者 銭 ν勝。陀然答日。焔摩天勝。復問。陀然。娼摩天兜車中陀天何者匁 ν 勝。陀然 答日。兜傘陀天勝。復問。陀然。兜率陀天化繁天何者鴛 ν 勝。陀然答目。化祭天勝。復問。陀然。化幾天他化祭天何 者鴛〆勝。陀然答日。他化幡市天勝。復問。陀然。他化祭天発天何者食 ν 勝 。 陀 然 匁 回 目 。 発 天 最 時 間 焚 天 最 勝 。 ﹂ と一区づて居るに依ても明かである。 信三須陀沼、斯陀含のご巣が戒拳の完成に依て得らるべきものであることは.次の第四節及び第五節中に之を述べて居 る O

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四雑阿含港第二十九.入二二経及び入二三経に ︵ 須 陀 一 氾 ︶ 乃 至 受 4 4持戒撃↓彼如 ν 是知如 ν是見。断 4二 一 一 結 ∼ 謂 身 見 ・ 戎 取 ・ 疑 。 断 ニ 比 三 結 ↓ 得 二 一 須 陀 祖 ↓ 不 ν 盤 ニ 惑 抽 出 一 決 定正趣二三菩提刊七有天人往生。究 4 寛 苔 浦 港 ∼ ︵斯陀含︶乃至受 4 一 持 戒 態 ・ ↓ 如 ν 是知知 ν 是 見 。 断 二 三 結 ∼ 食 中 一 一 樹 脂 間 薄 。 得 二 一 積 一 子 道 叩 若 彼 地 未 等 質 者 。 得 ニ 斯 陀 含 ス 大 正 第 二 倉 一 一 一 一 一 A a . b ︶ ・ と あ る 如 き が そ れ で あ る 。 睦軍巴利増支部経は其程でもないが、漢謬増一一阿含を見ると.その中には生天を説いた出家説法が可成り津山にある。 故に、漢詩培一阿含だけを見て居ると.生天の功徳を説くことが出家に謝しても普遍的なものであづたかのやうに見 えるかも知れないが、乙の培一一附含はこれを増支部経と比較するに、その中に増支部経に存しないものを多分に減し その成立が増支部経に比して飴程後れて居るものと考へられるものである。従て.増一阿含に生天 L L 説︿出家説法が 甚だ多いからと一去って.それを以て直ちに在世に於て悌陀が設かれた出家説法迄品目斯の如きものであづたといふ断定 を下す議には行かないのである。放に、帯同謬増一阿含には天を説く出家説法の多いのは、斯る増一一附含を作った大衆 部内のある一波の部汲的特殊事情に依たものと解してよからう。 盟六大乗悌教に下ると.在家主で総て成仰を目的としてその数理を説︿に歪ワたといふことは、大乗経典が総て阿縛多 続=一貌三害援の完成を目的として就かれて居ったことに依ても明かなと主であって、阿縛多羅三続三菩提を成就する

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といふこ主は.結局成仰といふことと同意義でなければならない。 陸七湾、課増一阿合の如きものを見ると、併は施・戒・生天の三論以外に六波羅蜜をも在家修行法として説かれて居った やうに記載されて居る。乍併.他の三阿含及び巴利四部にはそれが存しないのみならず、彼の大般若すら巻第四十四、 部分響機口問第十一ノ四︵大正第五巻二五

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頁 a ︶の中に於て.他の反針部振の号一回として六波羅蜜非併説諭のありしこ とを述べて居る位であるから‘六波羅蜜は之を如何に早︿見るも部汲併数時代以前のものとは考へられない。巴利小 部の行蔵ハ

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宮 w a ︶中には十波羅蜜なるものを就いて居るけれども.この南方の十波羅蜜は北方の六波羅蜜及 び十波羅蜜と全然その系統を異にして居るものである o 此等の諸駄に就ては第二章に入って詳論する。 猶.拙著﹁般若心経講義﹂中には六波羅蜜を以て併陀以来の在家説法なるかの如︿に之を説いて居る。然し・之は 同講義が啓蒙的著書たるに鑑 U 0 .その説明を複雑ならしむることを倶れ・一時の方便上斯︿就いて置いたものに遜ぎ 沿いから.彼此混同しないやうにして貰ひたい。 睦八在家戒なるものは‘五戒入努戒の如き極めて簡潔なものである。 ζ の簡潔な在家戒がそれを布施と相関的に資践す ると.それに依て出家の二百五十戒の如きものを修行すると同一の数呆を掌げ得る主我︿ことは.一見不思議の感を 奥へるかも知れない。然し.賓際には同一の放果が拳げ得られたのである。その理由に就ては‘後の第四節に出家戒 と在家戒との比較を論ずる所に於て之を述べる。 話九施・戒・生天の三論なるものは.生天思想のみを背景として居るものではな︿‘その時代の社舎を風醸し℃居った 善事をなせば生天し・悪事をなせば悪趣に墜すといふ業報恩惣の全部を背景としたものであるけれども.施・戒・生 天の三論といふので・今は暫く生天のみの上に之を説いた。然し、生天の思想が認められる以上‘蛍然墜悪趣の思想 も認めなければならない。 語十偽教がその時代の民衆に生天を如何に巧みに利用されて居ったかの資例としては.増一阿含巻第九に於ける孫陀利 難陀の物語の如きによく現はれて居るところであるハ大正第二巻五九一一良 o 以下%との話は有名なものであるから諸 種の継に引かれて居るも.その煩を厭う℃一々列記せず。 註十目前俸律蔵大目聞受戒舵度︵七ノ五﹀中に 27 出家数週 h と在家数理との交渉 一 一 七

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日 本 併 殺 単 協 合 幅 十 報 ハ 第 十 年 υ 一 一 入 28 ﹁時に良家の子耶舎は.﹃之は苦しきこ主な︿、危きことなしといふ﹄とて.歎喜踊躍し.黄金の履を続して世尊の 居たまへる方に近づき‘世寧を鵡して一面に坐したり。一一聞に坐したる良家の子耶舎のために世撃は失第説話を談じ たまへり。共は即ち布施の話.︹持︺戒の話・︹生︺天の話、諸欲には過怠あること.立ハは階劣にして染穣なること. 及び出離の功徳あること等を説示したまへり。﹂ 主あり・又同ハ七ノ一

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︶には耶舎の尖に射して.又同︵入ノニ︶には耶舎の母左奮妻に針して.同様な説法がなさ れ て 居 る 。 盟十=拙稿﹁併教教理研究の方法論に劃する一示唆﹂︵雑誌﹁傍数研究﹂第一巻第三時制五六|五七頁︶参照。 第四節出家の戒墜と在家の戒皐 在家修行法の質躍は、前述の如く・布施と在家戒とに存するものである。そうして、就中その出費黙をなす布 施たるものは、悌敬徒がその生活の理想的目標として仰ぐ悌陀自身の生活たる蕗悲の生活を模倣せるものであっ

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一どを出家修行法中の代表的理法たる八正遣に配賞すれば‘正業と正命の一面を代表して居るものと一五ってよ い。従て‘在家修行法が生天の目的の需に修行せしむる布施と在家戒なるものは.畢寛‘雨者共に出家修行法の 戒感に関係して居るものであるととが解る o 故に.出家修行法と在家修行法との特徴を比較ぜんとする場合には 営然、との布施と在家戒をば出家の戒墜に比較することから始めらるべきである。 との意味に於て.布施と在家戒をぽ出家の戒態?に比較せんとする場合に於ても、その前に一一際戒と律との関係 を明かにし℃置く必要がある。蓋し、戒と律とは動もすると同一蹴され勝ちであるに拘らや、戒は律に比してよ り庚い概念を有し.律は畢’覚戒の一部分をたずに過ぎたいものであるからである。その結果として、戒共ものに 関する詑明は、殆ど律蔵中に存したいで・皆粧臓の陪蕗に散設さ

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参照

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