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中央学術研究所紀要 第15号 L77深田伊佐夫「わが国における田園都市の特質と展開-東京城南地区での事例を中心とした考察-」

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Academic year: 2021

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(1)

わが国における田園都市の特質と展開

わ が 国 に お け る 田 園 都 市 の 特 質 と 展 開

− 東 京 城 南 地 区 で の 事 例 を 中 心 と し た 考 察 一 1 は じ め に 1 は じ め に 2 束 京 城 南 地 区 の 田 園 都 市 建 設 の 経 緯 3EbnezerHowardの田園都市理論 4 わ が 国 に お け る 田 園 都 市 の 特 質 と 展 開 5 む す び

深 田 伊 佐 夫

東 京 の 城 南 地 区 、 と く に 田 園 調 布 を 中 心 と し た 世 田 谷 区 . 大 田 区 の 諸 地 域は、わが国でも有数の良い環境をもつ住宅地として知られている。同地 域は1920年代に、渋沢栄一らによって建設されたわが国初の「田園都市」 として位置づけられている。 本 報 で は 、 同 地 域 の 開 発 の 経 緯 。 現 状 の 把 握 と 「 田 園 都 市 理 論 」 を 提 唱 したイギリスのEbnezerHowardのもつ田園都市に対する理想像との比 較を通して、わが国における田園都市の特質と展開の一例について考察し たい。同時に現代の都市社会の開発に田園都「│丁の建設がどのような意義を r ワ ワ 、 、 1 1 ノ

(2)

もつかについても併せて考察するものである。 2 東 京 城 南 地 区 の 田 園 都 市 建 設 の 経 緯 (1)渋沢栄一の田園都市開発事業 本報でとりあげる東京城南地区の田園都市が建設された当時の時代背景 をのべることにする。 1910年代の半ばに、わが国は日清・日露の両戦争の終結に続く、諸産業 の興隆の時期を迎えていた。これにともない、商工業は急速な発達をみて= その発展に比例して、東京をはじめとする大都市への人口の集中化が進行 し つ つ あ っ た 。 と く に 、 首 都 の 東 京 で は 、 旧 市 内 ( 現 . 国 鉄 山 手 線 円 内 ) の人口密集と、住宅不足、隣接する郡部(荏原・豊島・豊多摩等)への人 口の流出による無秩序な市街地の拡大という現象が発生していた。 この時期に、渋沢栄一(1840∼1931)は、数次にわたる欧米視察の結果、 欧 米 諸 国 に み ら れ た 新 し い 形 式 の 地 域 計 画 の ひ と つ で あ る 田 園 都 市 の 建 設 の必要性を主張しはじめていた。’) 田園都市の理論については後述するが、その基本的な考え方は、大都市 周辺の地域計画の上で、田園(農村)と都市(都会)のそれぞれがもつ長 所を計画的に調和させて秩序ある土地利用を促進するものであった。 そのころ、1915年前後に、東京市内からの人口の流出と、それにともな う無秩序な市街地拡大の問題に直面した荏原郡(現在の東京城南地区)の 有志数名が、将来の地域計画の希望を渋沢栄一のもとに提示し、それが契 機となって、この地域の計画が欧米諸国にみられる田園都市の建設を指標 として着手された。 具体的な地域計画の実施は、1918年に渋沢栄一らにより田園都市株式会 社が設立され、1920年までの間に、荏原郡の諸地域である、玉川(世田谷)≦ 調布・馬込・池上(大田)、平塚(品川)、碑文谷(目黒)に、およそ160ヘ クタールの計画地域を設定して、田園都市と名づけ、都市開発を展開した。 (78)

(3)

わが国における田園都市の特質と展開 ①昭f││初期の田園調布(渋沢秀雄著『わが街』1972.沿線新聞社刊より} ②田園調布付近の景観(1986大田区〉 ③玉川全円耕地整理事業の成果(1986.世田谷区? r7ql 、 0 レ グ ゾ

(4)

さらに、その計画の一環として鉄道2線が建設され、目黒∼蒲田.大井町 ∼二子玉川間(現・東京急行電鉄目蒲線.大井町線)にそれぞれ路線を開 通させた。 田園都市株式会社の手による田園都市の建設は以上のような背景と経緯 のもとに行われ、また開発手法としては、田園都市自体の周辺に農地を保 存し、田園都市自体は公共施設としての道路●上下水道・公園等の整備を 配慮した都市開発を目標に耕地整理と区画整理を進めていった。 (2)田園都市開発の波及効果 一方、1923年には、こうした田園都市建設の動向に影響を受けた玉川村 (世田谷)の各地区でも、村長の豊田正治('883∼1948)を中心に、玉j,蒼 全円耕地整理事業が開始され、同様の理念で田園都市建設が試みられ、1954 年までかけて、およそ’'017ヘクタールの耕地整理と都市開発が展開され た。2) しかし9月1日には関東大地震が発生し、この際東京市内は、殆んどか 崩壊状態となり、多くの構築物の焼失と多数の人命が失われたが、渋沢栄 一らによって建設された田園都市は、殆んど被害を受けなかった。このた め市内に居住していた市民の郊外居住の傾向は進行して田園都市の開発も 一層促進されていった。当時、田園都市株式会社も「今回の地震により田 園 都 市 の 安 全 性 が 証 明 さ れ た 。 仕 事 は 都 心 で 、 住 ま い は 田 園 都 市 へ 」 と の スローガンを掲げ、事業を拡大した。 し か し 、 こ の こ ろ か ら 田 園 都 市 の 建 設 に 際 し て 周 辺 に 農 地 を 保 存 す る こ とが困難となった。その原因は、同地域が東京都心から比較的近距離にあっ たことや、人口増加が急速であったことがあげられる。このため田園都市 の建設の目標も、おのずから、公共施設の整備と緑地を内在させた郊外住 宅地という性格をもつようになってきた。このようにして、同地域は現在 でも有数の良い環境をもつ住宅地として存在している。 さらに、田園都市株式会社は、何度かの変遷を経て地域の民間鉄道会社 (80)

(5)

わ が 国 に お け る 田 園 都 市 の 特 質 と 展 開 として存在し、1953年より神奈川県東部地域を中心に、総開発面積5000ヘ

クタール、計画収容人口40万人という民間施工では、世界最大規模のニュー

タウン「多摩田園都市」の建設を推進していると同時に、その中で都市近 郊農業の保存が試みられている。 3EbnezerHowardの田園都市理論 (1)EbnezerHowardの着目点

田園都市の建設の基本的な理論は、EbnezerHowardによって提唱され

た田園都市理論がその中心になっている。ここでEbnezerHowardの田園 都市理論についてのくることにする。 EbnezerHoward(1850∼1928)は、イギリス・ロンドンに生まれ育ち、

種々の職業を経験している間に、当時のイギリス産業革命後のロンドンの

市街の拡大や、それにともなう公害の発生・ロンドン周辺地域の農村地帯

の環境の変化に対して関心をもつようになった。その中で彼は、ロンドン

市街とその周辺農業地帯の両者の調和をはかるべく地域計画を実施してい

くことが、当時発生していた地域の問題の解消策につながるという結論を もつに至った。3)

具体的には、ロンドン市街が、周辺地域に無秩序に拡大することを防止

するために、近郊の農業地帯の中に計画的に衛星都市を配置し、かつ、そ の都市自体が周辺の農業地帯と物質的にも精神的にも調和していくことの 重要性も主張した。 (2)「都市・農村磁石」 EbnezerHowardは、さきにのべたような自己の問題意識の理論化をは かるために「都市・農村磁石」の有用性という型で独自の理論を展開して

いる。それは「図−1」に示すようなものであり、①都市②農村③都市・

農村(田園都市)という3つの社会を、それぞれ「磁石」に例えて、それ らのもつ長所も短所も含めた特色に対して「鉄」に例えられた人民は、ど (8正

(6)

三 つ の 磁 石

『くかれらはどこへ行くか?

都 市 ・ 農 村 一 一 ↑ ︽ . ケ

j

>

8

.

'

E・Horward著「│リ旧の│川刺都市』長素連訳より (82)

(7)

わ が 国 に お け る 田 園 都 市 の 特 質 と 展 開 の磁石にすいよせられるかという想定で説明されている。さらにEbnezer Howardは「しばしば思われているように都市生活と農村生活の二者択一 があるのではなく、じっさいは第3の選択…すなわちきわめて精力的で活

動的な都市生活のあらゆる利点と農村のすべての美しさと楽しさが完全に

融合した・・・が存在する」と表現し「都市・農村=田園都市」の位置づけを 行っている。4) これをまとめれば「都市のもつ長所としての社会性や機能性と、農村の もつ長所としての豊かな自然環境や農業生産性」などを、計画化をともな

う地域開発行為のもとに調和させていくことになる。これを、実際の計画

実施の段階にあてはめれば、緑地帯や公園等をふんだんにとりいれ、かつ、

日常生活に関連した市場や公共施設の完備された住宅地を、生産機能を十

分にもつ農村地帯の中に建設することを通して、大都市周辺地域と大都市

内にて発生する諸問題の解消につなげていくことになると考えている。 EbnezerHowardのこのような理論は、一市民の立場から述べられてい るところに意義が認められる。 そしてEbnezerHowardの理論は、ロンドン郊外の2つの衛星都市Let‐

chworthとWelwynの建設という型で具現化し、それぞれ1900年代初期に

田園都市として位置づけられた。その後、EbnezerHowardは、田園都市 理論と2つの衛星都市の事例をもとにして"GardenCitiesofTomorrow” という書物を著わし、イギリス田園都市協会々長にも就任、イギリスをは じめ、世界各地での田園都市の建設に関与した。このため彼の田園都市理 論は、世界各国の衛星都市をはじめ、現代のニュータウンの建設に至るま で、少なからず影響を与えたと考えられる。 4 わ が 国 に お け る 田 園 都 市 の 特 質 と 展 開 (1)東京城南地区での事例による考察 l∼3章では、①わが国における田園都市の建設の経緯を、東京城南地 (83)

(8)

区で行われてきた地域計画の事例を通して考察し、②田園都市理論の提唱

者のEbnezerHowardの同理論の把握を行った。これまでの考察より、わ

が国の田園都市の特質と展開をのべれば、つぎの2点があげられる。

①東京城南地区の田園都市の計画段階では、EbnerHowardの田園都

市理論の特徴の1つを前提としていた。すなわち「都市と農村の調和」

「緑地帯や公園等をふんだんにとりいれ、かつ公共施設の完備した住宅

地」の建設ということである。しかし、実施段階では「田園」の位置づ

けが、農村や生産緑地としての田園よりも、住宅都市内の緑地帯や公園

等を示す傾向が強くなっていった。

②東京城南地区の田園都市の建設を通して、わが国の住宅開発産業(民

間ディベロッパー)の原型がつくられた。 このようにわが国の田園都市の1つの特質は、EbnezerHowardの田園 都市理論の一部を、住宅都市開発の建設手法としてとりいれていることか

指摘できる。そしてEbnezerHowardの「都市・農村磁石」によってあら

わされる田園都市の理想像とは異なった独自な展開を示している。

その原因として考えられることは、①わが国の国土条件や産業構造(大

都市への資本と産業の集中化)等が、大都市周辺地域での農村・農地の保

存を困難にしていること、および②住宅開発産業へと移行していった事業

者の性質等があげられる。 (2)現代都市社会と田園都市の関連性 ここで、これまでの考察を通じ、現代の都市社会にみる諸問題への対応 として田園都市理論そのものおよび田園都市の建設がどのような有用性を もつかについて考察してみたい。

現在の東京首都圏をみたとき、年を市街地が拡大し、その大半は無秩序

に拡大するスプロール化現象の発生しているのが実'情である。このことは、

(84)

(9)

わが国における田園都市の特質と展開

さきにのべた渋沢栄一やEbnezerHowardが問題意識をもった当時の大

都市や、その周辺で発生していた諸問題と同様の性質のものであると考え

られる。ここで求められるものは、市街地の無秩序な拡大を防止するため

に、計画化をともなう衛星都市を配置して、居住空間を整備すると同時に、

優良な農地や山林を、生産緑地や環境保全の手段として確保しておくこと

である。この要件をみたす意味で、田園都市の建設を行うことは有効であ

ると考える。

つぎに、田園都市の建設によってもたらされる効果をあげてみる。

①大都市周辺地域における無秩序な市街地の拡大やスプロール化現象

の緩和の可能性。

②計画化をともなう衛星都市の建設による大都市とその周辺地域の人

口調整機能の充実化がはかれる。

③大都市周辺の農業生産の向上と市場確保の可能性。

の3点である。①と②については、これまでにもある程度はとりくまれ

てきているものであるが、③については、今後とくに意識して促進される

べき項目である。これは、これまでのわが国の田園都市建設パターンでは

あまりみられなかったものであるが、EbnezerHowardの提唱した田園都

市の理想像にもあらわれており、新しい型の近郊農業の展開の基礎となる

条件である。

現在、建設中のわが国の2つのニュータウンである「多摩田園都市」と

「港北ニュータウン/」(共に神奈川県)では、「都市農業」という表現で農

地の保存が試みられ、かつ両者の建設理念として「田園都市」の建設とい

うことが提示されている。しかし、両者とも建設に着手されてからの年数

(85:

(10)

も浅く、その成果を評価する段階には達していない

5 む す び

本報ではいくつかの角度からわが国における田園都市のもつ特質や展

開・現代都市社会において田園都市理論や田園都市の建設のもつ有用性に

ついて考察してきた。そして、その中心の課題は、人間の居住基盤として

の国土、とりわけ「土地」の有効的で秩序ある利用法を確立していくこと

があげられる。さらにそれを集約すれば「都市と農村」「過密と過疎」とい

う問題を解消していくことになる。このときの手法の1つに「田園都市理

論」と「田園都市建設」が位置づけられる。また、本報の考察の事例地域

として選定した東京城南地域の田園都市は、EbnezerHowardの提唱した

田園都市の理想像とは異なった独自の展開をしていることをのべたが、そ

れは否定的にとらえられるものではないことをつけ加えたい。その理由は、

一都市や一地域の国士条件や産業構造、時代背景に大きく左右されるから

である。これらの種々の条件に適合した型の田園都市が建設されるところ

に、その価値もあらわれると考える。

さらに考慮すべき条件として、地域開発のための基本的な姿勢について

ものべておく。

それは、いかなる規模の地域開発も、その計画の段階で、該当する地域

住民の意志と主体性を基本にすすめていくことが必須条件となることであ

る。さらに、具体的にこれを示せば、①計画の決定.②計画案の作成。③

計画内容.④資金.⑤計画理論・等の条件を整え、実施段階への移行にあ

たっては、該当地域の諸環境条件(自然的・社会的.人間的)の充分な調

査による把握をして基本計画・実施計画を作成することが重要である。5)

限られた国土条件を利用していく上で、田園都市理論は有効的なものの

1つであることをあらためて認識したい。

なお、本報の作成にあたり、終始ご指導賜わった日本大学農獣医学部教

(86)

(11)

わが国における田園都市の特質と展開

授井東澄雄先生、各種資料を提出して下さった、東京都世田谷区役所およ

び東京急行電鉄株式会社の方々に、厚く御礼申しのべる。

文 献 東京急行電鉄50年史編さん委員会(1972):東京急行電鉄50 45∼60 東京都世田谷区(1976):世田谷区近・現代史PP,749∼788 EbnezerHoward“GardenCitiesOfTomorrow”長素連訳 明日の田園都市:鹿島出版会PP,26∼29 前掲害PP、75∼97 室島鐸一郎(1973):地域計画手法の学習:地球社PP、7 東京急行電鉄5()年史 l、: P P 、/臼qJ (1968> 44坐RJ ①昭和初期の田園調布(渋沢秀雄著『わが街」1972.沿線新聞社刊より> ②田園調布付近の景観(1986.大田区) ③玉川全円耕地整理事業の成果(1986.世田谷区) (87)

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