印度學佛教學研 究第
62
巻第2
号 平 成26
年3
月 (201
)タ
イ
に
伝
わ
る
{
加
傭
5
α一吻
の
ノαと
『
仏
頂 尊 勝 陀 羅尼 経 』
畝 部 俊
也
1
.は じめ
にタ イ 王 国 (旧名シ ャ ム 王国 ) に は
20
世 紀 は じめ の頃 まで ,美麗
な絵画
装飾
をほ どこ し, 読 誦 儀 礼 用の 数種 の テ キス トを コ ム 文字
(い わゆ る ク メ ール文字)で記し た大 型の 紙 折 写 本を作 成 する伝 統が存 在 して い た . こ の よう
な 写本は, コ ーイ紙 (桑科の植 物 か ら作 っ た厚 手の紙)で作
成 され た た め , サム ッ ト ・コ ー イと呼ば れる が, その美 術 的 な価 値の 高さ か ら, 現在
は欧米
の 図書
館等
に多
く保 管さ れて い る. この 種の写 本の 美術 面 は以前よ り注 目さ れてお り,本稿筆者
もオ ッ クス フ ォ ー ド 大 学ボー ド リ ア ン図書館所蔵
の18
世紀
の写本 BODL
・MS
.Pali
a.27
(R) を紹介 する
Appleton
,Shaw
andUnebe
(2013
)にお い て, その 図像
につ い て解 説 して お い た .しか し, サ ム ッ ト ・コ ー イに含 ま れ る文
献
につ い て の 研 究は未だ充 分 行われ てお らず, ロ ーマ 字 転 写お よ び翻 訳 を ま と まっ て提
示し た 田 辺 (2013
)に よ り , 研 究 は ようや く緒に就い た ば か りと言えるで あろう
.18
世 紀のサム ッ ト ・コ ー イ に は , 一 般 にパ ー リ三蔵の 要 約に加 え, 読 誦 用の 蔵 外パ ー リ語 文献 数種
が書
写さ れ る. そのう
ちの 主た るもの は , Mahabuddhagt {rpa
(『偉 大 なる仏 徳 』)で あ る が, こ の ボ ー ド リア ン 図書 館 蔵 写 本 の場 合は その他 にSahassanaya
と呼ば れ る瞑 想 に関 する文献
, そ し て, 本 稿で取 り上 げるUnhissa
− v抛y
α (r
仏頂 尊 勝』) が含
まれ て い る .19
世 紀に なっ て , 主 たる テ キス トがPhra
Malai
(r
マ ーライ尊者の 物 語』) という
タ イ語
の 文 献 D に交代 するまで の サ ム ッ ト・ コ ーイ は, この 写 本の よ うにMahabuddhagu
”a を中心 とす るの が標 準
的な構 成で あっ た2 ) とひ とまず 考 えて も良
い と思わ れる.本 稿で はこ の
う
ち, 北伝の仏 教 に おい て も広 く信 仰さ れ ,仏教 文化 史上 重 要な 役 割 を果た して きた『
仏 頂 尊 勝陀羅尼』 (碓廊 α一吻の σ一dhara4i
), お よ び その因縁 譚
や効 能 を物 語る『
仏 頂尊勝陀羅
尼経』
と関連 するU4hissa
一吻砂 α を取
り上げ
, その 内 容を紹介 するこ と と したい .(
202
) タ イ に 伝 わ る {鋤 ‘∬ α一呵砂α と 『仏頂 尊勝 陀羅尼経』 (畝 部)2
. 〜勿
配 55α一ッ〃
型 σ の諸資料
タイの
U4hissa
一吻岬 α は, パ ー リ語の韻 文テ キス トで あ り, 分量 と して は ほ ぼ77
偈 (154
行 ) よ りなる3)。 写 本 上, タイ トル として は “Uiphisa
−” , “ 晦肋 ∬ α一 ” , “一 吻鰐 σ ” など とい っ た形で別様
に綴
られ るこ ともある が , 一見して わかる通り
, この 題 名はサ ン ス ク リッ ト語の こ切 碑 一v顔y
α (仏 頂 尊勝 )に相 当 する もの で ある, 「仏 頂 」 の廊 α とは, 仏の 三十二相
の 一 つ で仏の肉
髻 (頭 頂 部 にある 盛 り上 が り) の こ とで あ り, 北伝の 仏 教で はこれ を神格化
して 「仏 頂尊
」と しており
, そ れを象徴
する『
仏 頂尊
勝 陀羅 尼』
の信仰
が広く行
わ れ た . 日本に伝わる有 名 な法 隆寺 貝 葉で『
般 若 心経』
と と もに書写
さ れて い る のが こ の陀羅
尼で あ り, オ ッ クスフ ォ ー ド大で は
M
.ミ ュ ラー が南 条 文 雄 と ともに これ をMUIIer
andNanjio
(1884
)と して
編集
・出版 してい る . この 北伝系
の の廊 α一吻の α は, 陀羅尼 として だ けで な く, それ が説
か れ る よう
に なっ た因縁 譚を伴 う
『
仏 頂 尊 勝 陀羅尼 経』
(仏 陀波利 訳 Tn ・.967
他漢 訳多数 )の 形で も伝
えら れてい る .パ ー リ語 版の
U4hissa
一吻の α は ,パ ー リ の三蔵に は含 まれない 蔵 外 仏 典で あ る . バ ン コ クの ワ ッ ト・ボー寺
院の テ ィ ア ブ ・マ ライ長老
に よ れ ば ,バ ンコ クの よう な大都 市 部の 寺 院におい て は, 現 在で は僧侶
に よっ て 読 誦さ れ る こ とはない との こ とで あるが, これ はお そ ら くその た めであろう
4) . た だ し, 厄除 け ・寿 命 増 大 など, 日本の『
仏 頂 尊 勝 陀 羅尼』
とよく
似た効 能
のある もの として , 現 在で も地 方に よっ て は読 誦 さ れてい る し, 民 間信仰
的に も よ く機 能 しそ
い る よう
である . マ ライ長 老 自身
か らも , 出家 前
の ま だ子 どもの時分 に, 「不 慮の 事 故にあっ て命
を落 とすこ との ない よう
に こ れ を覚
えてお きな さい 」と, 母 親か らこのU4hissa
一 吻副 α を習 っ た こ とが ある, と伺っ てい る . こ の場合 のUrphissa
一吻砂α と は, 写本類
に見
られ る長い テ キス トで は な く, 役 割的 に は 北 伝の 陀羅尼本 文に相 当 する5
偈
分のみの 護 呪 的 な もの で ある . タイの写 本 類 に見
ら れ るUrphissa
一吻の α に は , 長さの異なる 数種 類のバ ー ジ ョ ンが存 在 して い るこ とが わ か っ て い る5).タ イに は, 紙 折 写 本 以 外 に貝 葉 写 本の 伝 統 もあ り,
U4hissa
一吻砂 α 単独 でニ ッ サヤ (タイ語訳註)を付 した 貝 葉 写本
も存在
してい る. タ イ に伝承
されるUrphissa
一吻
卯α の全 体 像 を把 握 する た め に は , パ ー リ語以外の地 方語で の 伝承
を含
め た包括
的 な文献
調 査が必 要である6>.タイに伝わる
Urphissa
一吻昭α と 『仏頂 尊勝陀 羅尼 経』(畝部) (
203
)3
.Ugehissa
一吻
妙α と『
仏 頂
尊 勝
陀
羅
尼
経』
こ こ で北
伝
の『
仏 頂尊
勝 陀 羅尼 経 』に 目 を転 じてみ よう
.『仏頂尊
勝 陀羅 尼』
に は, 既にMUIIer
andNanjio
(1884
,33
−
34
)に紹介
さ れてい たよう
に , その因縁譚
と して帝釈
天の依頼
を受
けた釈 尊
が善住
(Supratisthita
)という名
の 天子
に陀羅
尼 を 教 示 する タ イ プ と,観自
在 菩 薩の 求め に応 じて無
量寿如
来が 陀羅 尼 を説
くタイ プ という
2
種
類が あ るこ とが古
くか らわ か っ てい る .近年
『仏 頂 尊 勝 陀 羅尼 』 につ い て包
括 的な研究
を進
めてい る佐
々木
(2009
,214
−216
) に よれば , 原 本の年
代とし て前者
の タ イ プ は7
世紀
,後者
の タ イ プ は10
世 紀 まで をその 成 立の 最下限と考 える こ とがで き る . イ ン ド, ネパ ール で従来収集
さ れたサ ン ス ク リッ ト写 本に見 ら れ る因縁譚
は全て後者
の タ イ プ, チベ ッ ト語
も9
世紀
頃 訳 出の 一本 を除い て ,10
世 紀 以 降 に 翻 訳 さ れ た で あ ろう
もの は ほ ぼ後 者の タ イ プで ある た め, 善 住 天 子 を主 人公 とす
る因縁譚
は10
世紀
頃 まで に は大 乗 的 色 彩の 強い 後 者の タイ プに 取 っ て代
わ られ,前者
の タ イ プの サ ン ス ク リッ ト語
原典
は失わ れ て しまっ た よう
に思わ れ て きた . とこ ろが , ギル ギ ッ ト ・バ ー ミヤ ン か らの 写 本一本
樋 称 LA Manuscript)に,『
仏頂尊
勝 陀羅尼 経』相 当
の物語
が含
まれ, そ こ にこ の前者
の タ イプの 因縁 譚が語 ら れて い るこ とが し ば らく前
に報告
さ れ た7). そ して, 近年
に なっ て ,Melzer
(2007
) に よ る 写本 転写 と暫 定 的なエ デ ィ シ ョ ン が公 表さ れてい る . この 写 本は文 字 か ら見てお そ ら く7
〜8
世 紀に遡る もの と考 え られてい る .タイの
18
世紀
の サム ッ ト・コ ーイ写 本に収め られ た働 乃f
∬ α一吻o脚 の 因縁 譚は, この 二 つ の タ イ プのう
ちの 前者
の タイプ, つ ま り, 善住 (Sup・t・tth
・t・)とい う名の 天子に対
して,帝釈
天 の求
めに応じて釈尊
が説 く
という
タ イプの もの になっ てい る . イ ン ド圏で は10
世紀
に姿
を消 して し まっ たであろう物語
が 空 間的
に も時
間 的に も は るかに 隔 た る タ イの写 本に現れ て い るの で あ る .以 下に サ ン ス ク リッ ト
語 版
(お よび その漢 訳 ,チ ベ ッ ト訳)の 伝 える内容8>と, パ ー リ語版
の内容
と を比較
して, 一致す
る点
,相
違す
る点
を指
摘 してお こう
.両
者
が お お む ね一致
して伝
える内容
は, 以 下の 通り
で ある . a . 三十
三 天 に善住
という名
の 天子
が い たが, ある とき, これか ら七 日目に命 終する とい
う
予 言 を受
ける .予言は, 天界か らの 死没後
につ い て,7
種の よ くない 境 涯に生 まれ た り, 地獄の
苦
しみ を経
験す
る と も告 げて い た .b
.善 住天子は 三 十三天の主た る帝釈
天 に救
い を求
め るが,帝
釈 天 は 自分で はなく釈 尊に
救
い を求め るべ き と述べ る .(
204
) タイに伝わる ひ納廓 α一吻のo と 『仏頂尊勝 陀羅尼経』(畝部) c .釈 尊 を訪れ た帝 釈天 に対 し, 釈 尊は 「仏 頂
尊
勝 」を説 き示 す.d
.「仏 頂 尊 勝 」の 用 法, およ びその 功 徳 を説 明する. e .善住
は 「仏 頂 尊勝 」 を修 することに よっ て寿 命 を延 長す る.こ の よ
う
な 共 通 す るス トー リーを伝 える 両者で あ る が, 次に 示すよう
に, サ ン ス ク リッ ト語版
とパ ー リ語版
の間
に は興味深
い相
違点
が多
々存在
して い る .ま
ず
は, 上記 a の セ ク シ ョ ン が始
ま る前
に, 『仏 頂尊
勝 陀羅
尼 経』
という
タイ トル を持つ 漢 訳 版に は ,「如
是 我 聞」
か ら始 ま るい わ ゆ る経 典
の 通序
に あ た るセ ク シ ョ ンが付 されてお り, こ の経 典が説か れ たのが舎衛
城の祗
園精舎
で ある こ と が 明示さ れ て い る . (た だ し, こ の 一節は漢 訳の 際に, 通常の 「経 典」の形 式に整 える た め に文 言が補嗔さ れ た 可能性 もある.)これ に
対
し, パ ー リ語版
の方
に は経典
形 式の 通序
は見 られ ない が, 本 文 中にこ の説法
の会処
が三十三天であ り, ま た時
と して は釈 尊
自身
が釈 尊
を 出産 した 七 日後
に 天界に 生 まれ変
わっ た母マ ー ヤ ー夫
人 にア ビ ダ ンマ を説 くた め に滞在
して い た時
であ
っ た と説明
してい る .つ まり 「
如是我 聞」
はない ものの , 北伝
の もの と は異な る形で場所
・時
な どの 情報
が示さ れてい るの であ る.な お, タ イ仏 教 に お け る三 十三 天説 法の モ チ ー フ の 重 要 性 を考 えた場 合 , 「仏
頂 尊勝 」
の説 法
の会処
が 三十
三 天に設 定
さ れて い る こ とは興味深
い . ボー ドリァ ン 図書館 蔵
の 写 本のU4hissa
一吻砂 σ の テ キス トが開 始 さ れ るペ ー ジに は釈尊
が 三 十三 天に おい て説 法 する場 面が描か れてお り, そこ だけが唯一,文献
の内
容と 装 飾絵
画の内
容とが一致
して い る こ とに も注
目すべ きで あろう
9).次に
善住
天 子 が受け る予 言の 内容で ある が, パ ー リ語 版は7
日 目 に 天界
か ら没 する と, 阿鼻
地 獄 に堕 ち, その 後合計
7
種
の よくない 生ま れ を経
験す
る, つ ま り,5
種 の 畜 生 (鳥類, 動 物)に生 まれ変 わっ たあ と, さ らに 目の 見 え ない 者, 耳の 聞 こえ ない 者と して生 まれ変わる, と さ れてい る. こ れ に対 し て , サ ン ス ク リッ ト 語版
で は,7
種
の 畜 生に生 まれ変わっ たあと, 地 獄 に堕 ち, その 後た とえ人 間に 生 まれ変
わっ た として も,貧
しく
目の見
えない者
になる として い る .次
のb
の箇所
で は, パ ー リ語 版の み に,「
天 人五 衰 」の 現れ た善住
天 子の懊
悩 が詳
しく描
写さ れてい る .c の
箇所
の相違点
として, サ ン ス ク リッ ト語版
は帝釈
天 が独 り
で舎衛城
にい る釈尊
を訪ね るこ とに なっ てい るの で あ る が, パ ー リ語 版で は帝 釈天 は善 住天 子を 伴っ て三 十 三 天 に滞 在 して い る釈 尊を 訪 ね るこ と に なっ てい る点が まず挙げ られ る .先に見 た説 法の 会 処の 差異 に相 応 した もの と言 えるであろう
.タ イ に伝 わる
Urphissa
一吻岬 α と 『仏頂尊勝 陀羅尼経』 (畝部) (
205
)また, 善
住
天 子を救 済 する手
だて と して「
仏頂尊
勝」
を説 示 する にあた っ て, サ ン ス ク リッ ト語 版は前 置 きと して その功 徳につ い て説明 して い る が, パ ー リ語 版は その代わ りに悪 趣へ の 再 生の 由縁 となる業 報を具体
的に説
明してい る .続 い て,
善住
の命終
と悪 趣へ の再生 を妨 げる もの と して, サ ン ス ク リッ ト語 版 で は 陀 羅 尼, タ イ写 本に おい て は以 下の5
つ の 偈 文が説か れ る が , これ ら は内容 的に は お 互い 連 関して い ない ようで ある,パ ー リ語版
に関して は厳密
にテキス ト校
訂 を終 えてい ない 段 階で は あ るが ,参
考 まで に試訳 を提 示 して お こ うゆ. 仏 頂尊 勝とい う世 間に おける 最 上の 法が ある.一 切 衆生 の利 益の た めに,天 人 よ,汝 は それ を護持 し な さい .(1
) [こ の仏頂 尊勝に よっ て]王 に よ る懲罰 や, 人間ならざる もの に よる火炎を避け ら れる だろ う.虎, 蛇, 毒, 幽鬼 を, 時ならぬ 死を 避 けら れ ない こ と が あろ うか. (2
> 時宜を得て死ぬ以外, い かなる死か ら も自由になる.ま さ に その 力 に よ り, 常に幸せ な 天 人 で あ れ.(3
) 清 浄な戒 を受持 し, 善 行の 法 を実 践 しな さい .ま さ に その力に よ り, 常に幸せ な 天人で あ れ.(4
) 書か れた もの で あれ, 思 念さ れ た もの であ れ, 供 養 と して であれ, 記憶さ れ た もの であ れ, 口 に出さ れ た もの であれ, 尊重す べ き もの と して, 他の人 々 の た め [その]教え を 聞い たなら,その 人の 寿命は増大するの です . (5
)Skilling
(2009
,34
)も指 摘 する よう
に, こ こ に は「
仏頂尊
勝という
世 間にお ける最 上 の法
がある」 と は説か れ る もの の, その法
が何で あ る か は説 明されな い . し た が っ て, 北 伝の 陀 羅 尼の ようなテキス トが も と も と別に存在
し てい た 可能 性 もあ る が, 現在
の タ イで陀羅 尼に相 当する護 呪 と して, あ るい は「
仏 頂 尊 勝 」 本 文 と して機
能 して い るの は, 上記の ような内容の5
つ の 偈で あ る .続 く
d
の セ クシ ョ ン は, 全 体 と しては 「仏 頂尊
勝」
の 用 法と効 能 とを説 明する もの で あるが, サ ン ス ク リ ッ ト語 版 とパ ー リ語 版の 展開はかな り異 なっ て い る. サ ン ス ク リ ッ ト語 版で は陀 羅 尼の 用法
と功 徳が説
か れた後 ID , ヤマ 王 が登 場 し, そ れを受 持 する 人を地 獄へ 堕ち ない よう
に守護す
るこ とを述べ , 次に, 続 けて登 場 する 四 天 王 の 求め に応 じて陀 羅尼読
誦の方法
が詳説
され る .さ らに続 け
て,印
契
や作 壇法
へ の言及
も含 む 「陀 羅 尼成就
の儀
軌 」 (dhalrailisEdhakavi
(ihi
)が 説か れ る が, こ の箇所
は チベ ッ ト訳に は存 在 してい ない . 一方
のパ ー リ語 版は, 上記「
仏 頂 尊勝 」が説か れ た直
後に, 続 けて仏 ・法
・僧
の三宝 を薬 , 治 療 と見 なすこ とが 説か れ,帝釈
天 は仏より
1
〜7
日に渡っ て人 々 の苦
が滅 する まで こ の治 療 を行 う
ように, という
委嘱 を受ける. そ し て こ の治 療tlivadana
, 文 字通 りには 「命の 布施 」)(
206
) タ イ に伝わ るU4hissa
−vi ’aya と 『仏頂尊勝 陀羅尼 経』 (畝部) を行 う人の 得る功徳が続 けて説 明さ れて い る.
最 後 に, e の セ ク シ ョ ン で, こ の
「
仏頂尊
勝 」の法に よ っ て, 善 住天子の 寿命
が延 長 さ れ るの であ
る が, サ ンス ク リッ ト語 版で は, 帝釈天 が まず善住
へ「
仏頂
尊
勝」
を伝
え, そ れ を 六 日六晩修
し た善住
の寿命
が延 長さ れ る とい う次 第 が説 明 される.一方の パ ー リ語 版で は善住 も帝 釈天 と ともに釈尊
の元で法を聞
い てい た た め,詳
しい 次 第は説明 さ れ ない . サ ンス ク リッ ト語 版には, さ らに最後 に,帝
釈
天 と善
住天子とが 釈 尊 を再 訪 したという
一節
が存在
して い る .4
.ま とめ と
今後
の課題
以 上, パ ーリ語 版 , サ ン ス ク リッ ト
語 版
という
二 つ の 「仏 頂 尊勝 」U4hissa
一吻硼α/ の御 α一吻の α の 内 容を概 観 した . この 両者
は内容
に相 当の差が あ り , 文体
も異
に してい るこ とか ら, どち らか が どちらかの翻
訳, という
よう
な 関係 にある もので は ない .内 容の面で 二 つ を比較
して み ると,大筋
と してはよ く相 応 した物 語 を伝
えつ つ も,伝 承 さ れ た地域の 仏教の かた ち を反映 した異なっ た特 徴 を持っ て い る こ とが わ かる. 三蔵 を構 成 す るニ カーヤ/アー ガマ 中の対 応 する経 典の多
くが, 基 本的 に ほ ぼ同じ教 説や ス トー リー を伝
えつ つ も ,多
くの 相 違 点を有 して い るの と状 況は似 通っ てい る と言 えよう
. し か し, 三蔵
に含
ま れ る経 典の 場 合 ,共
通 ソ ー ス と して の 釈 尊の 直説
(仏説 )の存 在
は自
明の もの と して不 問に付 さ れ て き た が, こ のパ ー リ語のU4hissa
一吻岬 α という文献
の場合
は, い っ たい どの ように考
えれ ば よい の で あろ うか .U4hissa
一吻硼 α はパ ー リ三蔵外
の , 今の とこ ろ写本 と しては18
世 紀 まで に し か 遡れ ない 仏典
で ある . しか も, 現 在の大乗
仏教 圏
, ネパ ール では善住
天 子 が 登 場 する因縁 譚 を伝える梵 文 写 本は見つ かっ て お らず
, 無量寿
如 来 を教主 とする因縁譚
に置 き換
わっ てい る こ とか ら,10
世紀
以 降の イ ン ド圏にパ ー リ語 版の ソ ース を求める ことは で きない よう
に も思 わ れ る .する と, 現在
の パ ー リ語テキス トの 元に なる もの は ,10
世 紀 よ り前の もの で あっ た こ と に な る が , そ の よ うなソ ー スが存在
した と して, そ れ はい っ たい どの よう
に して タ イに伝え られ, 現 在 まで 伝 承さ れて きたの だ ろう
か .例え ばシュ リー ヴィ ジ ャ ヤなどの 大乗
仏教
を奉
じて い た と さ れ る東南
ア ジア の古の 国々 と何 らか の 関係が あ るの で あろう
か .一
方
で,Skilling
(2009
)も
強 調 する よ うに, この よう
な ‘quest
for
origins ’が有 意
な成
果を導
くと は必 ず しも限 らない . この種
の文献
の東南
アジ アへ の受
容 はタ イに伝わる
U4hissa
−vi’aya と 『仏 頂尊勝 陀羅尼 経』 (畝 部) (207
) あろうし, 単なるイ ン ド仏教 文 化の 輸入 という
よ り, む しろ タ イ に お ける語 り直
し と見 るよう
な従 来 とは異なっ た観
点か らも, 仏 教文献
の 受容
史を構 築
して いく
必 要 もあるで あろう
.この よう な問題 は, 文献 学 的研 究の み に よっ て 解
答
を与 えるこ と はで きない も の で ,今後
歴史
学な ど 隣接
分 野との共 同研 究が 望 ま れ る. まず
は 仏教 文献
研究
の 立場
か らテキス ト校訂
,訳 出
を行
い , 現在
の タイ に残
る蔵外
パ ー リ語 仏典
とそれ に 関連 する読誦儀
礼な ど仏 教 文化
全般 の 研 究へ の 基礎 資料
を提供
すること を, さ しあ たっ ての 目標と してお くこ と と し たい .1
)こ の 『プラ ・マ ーライ』につ い て は畝 部 ・山本 (2008
), 佐 久 間 (2008
) 参照 .2
) Mahdibuddhaguua 以外の蔵 外テ キス トに は出入 りもある.な お, 本研 究の 基礎 資料 た る 写 本デ ータの多 く はJacqueline
Filliozat女 史 よ り提 供い た だい た もの (EFEO DArAFilliozat cD −RoM )で ある. こ こに記 して 謝 意を表す もので あ る.
3
)テ キス ト が未だ確 定で きて い ない た め, これは暫 定 的 な目安で ある.4
)蔵 外 仏 典の読誦 や そ れ を 用い た儀 式な ど は,お そ ら く19
世紀の ラーマ4
世 に よ る宗教 改革 (タマ ユ ッ ト 運動)以降, 都 市 部で は次 第に実 践 さ れ な くなっ た よ うで ある.5
)EFEO DATA ・Filliozatを参照する 限 り , パ リッ タ (護呪)類 を集成し た写 本に含ま れる場合は, 長い バ ージ ョ ン の 後 半30
偈程 度の み が収録 さ れ る.Skilling(2009
,4245
)に 長 中短の3
種の 長さの刊 本 所 収テ キス ト につ いての 報 告が あ る.6
)筆 者の 調査 し た範囲 は, アユ タヤ期 末 期以降の 中央タイの紙写本のみ に限 ら れる.U4hissa一吻岬σ は 北 タイの 写 本カ タロ グ に も多数 記録さ れてお り, こ ちらも専門 研究 者に よ る調査が望 まれ る.7
)こ の写 本その もの につ い て は Batton (2000
)に詳 しく報告 さ れて い る.8
) 梵本 は Melzer (2007
,112
−116
)の Provisional Editionを使用 し た. (資料を ご 恵贈下 さった 佛 教 大学松田和信 先生に感 謝 申し 上げます.)チベ ッ ト訳との対応 も そこ に示さ れて い る.他の一次文献の情報につ いて は,佐々木 (
2009
,213
)に見ら れ る一覧表を参照い た だ き たい .以 下,漢 訳 と して はこ の一覧表 中の 仏 陀波利 訳 (大 正No967 )と 比較 し て い る.ま た, チベ ッ ト訳 は ジ ナ ミ トラ ・イェ シ ェ ーデ等 共訳 (東北 No .597
)と 比較 してお り,以 下 の本文 中 「チベ ッ ト訳に存 在 して い ない」 と してい る箇 所は この訳 に欠 けて い る とい うこ とで あ り,Melzer
(2007
,fhs
.33
,38
)が示 すように,儀 軌の箇 所な ど (東北 NQ .598
)中に対応する文がある.9
)こ の 場面の重要性に関して は田辺 (2009
,83
−91
) 参照.田 辺 (2009
,88
−89
)が 述べ てい る 「三十三 天 説 法の 文 」 とい うの は,ま さ にこの 砺傭 3α一吻卿 の 冒 頭 部 分の こ と で あ る. ま た, 三 十三 天 説 法 が, タ イの布薩 堂の 壁 全 面 を使 っ て 描か れ る仏 伝図の中心で あ り , 全体と して の 堂 宇荘 厳プ ラン の基礎と なっ て い る可能性につ い て は,
Appleton
,Shaw
andUnebe
(2013
,57
−58
;91
;106
−107
)参照.
10
)以下暫 定的 なテ キ ス トを挙 げてお く:atthi uabissavijayodhammo
loke anuttaro ! sabbasattahitatthaya ta叩 tvalp gaψ巨hi
devate11
/pariva
茸e両adapde amanussehipavake
!byagghe
(
208
) タイに伝わるurki
∬ a一曜妙α と 『仏頂尊勝 陀羅尼 経』 (畝部)
dnubhtivena
hotu
devo
sukhi sada13 !suddhasilarp sarnEd5yadhammam
sucaritarp care1 tass’ eva跏ubh 百vena
hotu
devo
sukhi sad巨!4
!likkhitalp
cintita叩pUja
叩dhE
]raparロv巨canagarurp
!paresa
叩desariam
sutvE tassa ayu pavaddhati ti/51
なお, こ の5
偈は流布版として多くの 読誦本に含ま れて お り, イン ター ネッ ト上で 実 際の 読誦の様 子 も見る こ と がで きる.ま た, 古 くラ オス の 仏 典 を 研究 し たFinot (
1917
,75
−76
)は , 全8
偈よ りなるバ ージ ョ ン を仏 訳と とも に収載 し てい る が,そこにも最初の5
偈 と し て含ま れ てい る.11
)梵 本には こ の 箇所に一部 漢 訳な ど と対 応 しない 箇 所があるが, し ば ら く後の似たよ うな語句が使わ れ る一節 まで の脱 落で ある こ と か ら, 単なる ア イ ・ス キ ッ プ (写本 筆 写者の 読み飛ば し に よ る転 写ミ ス)の可 能性が高い . 内容は相 当する漢 訳と蔵訳か ら 回収可能であ る. 〈文 献 〉 畝 部俊 也 ・山本聡 子2008
「タイ仏教写本 『プ ラ ・マ ーラ イ』につ い て」『ア ジア民族 造 形 誌』8
:87
−98
. 佐 久 間留理子2008
「タイ仏教の蔵外 経 典 『プラ ・マ ーライ』の 写 本研 究」『ア ジア民 族 造形 誌』8
:99
−117
. 佐々 木大樹2009
「仏頂尊勝陀 羅尼 概 観 」 『現 代 密教』20
:211
−234
. 田辺和 子2009
「アユ タヤー期後 期か らバ ン コ ク期 初期に書か れ た絵 入 り折 本紙 写本の 解読」 『パ ーリ学仏 教 文 化学会』23;73
−92
. 田 辺和子 (編)2013
『タ イ伝承 写 本 に見 ら れ る 「マ ハ ーブ ッダ グ ナ」(偉 大な る仏徳)」 の研 究』. 松田和 信 (編 )2007
『平 山郁 夫 コ レ ク シ ョ ンの ア フ ガニ ス タ ン ・パ キ ス タ ン出土仏 教 写 本 研 究』.Appleton
,Naomi
,S
訂ahShaw
, andToshiya
Unebe
2013
,Jliuminating
the Lillfe〔of the Buddha :オη 〃観 rα’εゴ(rhanting Book .firom
Eighteenth−centUi :V Siam ,Oxford
:BodleianLibrary
.Batton
,
Susan
Sayre
2000
,“
Separation
Anxiety
:The
Conservation
of a5th
CentUry
Buddhist
,Gandharan
Manuscript
”
(
http
:〃asianart .com !articles /batton
/index
.htm1
). Finot,Louis
1917
,“
Recherches
surla
litt6rature
laotienne
,
”
Bulletin
de
l
’Ecole
franCaise
d
’ Extr彡me −Orient
17
:1
−218
.Melzer
,
Gudrun
2007
,“
The
Gilgit
manuscript ofthe
Sarvagatipari
自odhama −uSptSavij ay2kept
in
theMiho
Museum
,”in
松田 (2007
,107
−116
).Mtiller
, F . Max and Bunyiu Nanjio1884
, The Ancient Palm −Leaves : Containing the Pragfiti−P6
尸α〃3’読一Hridaya −Sfitra
and the 阨 乃η£∫ぬα一Vigaya−Dha”
rant , Oxfbrd ;Clarendon Press.
Skilling
, Peter2009
(2005
), “Pieces in the Puzzle:Sansknt Literature in Pre−modem Sia叫
” in Buddhism and Buddhist Literature of
South
−EastAsia
, ed .
C
.Cicuzza
,Bangkok
andLumbini
:Fragile
Palm
Leaves
,27
−
45
.(平 成
24
〜26
年度科学研究 費補 助金 基 盤研 究C
「タ イの装 飾写 本 等に基づ くパ ー リ語 蔵外仏 典の研 究」に よ る研 究成 果の 一部 )
〈キーワー ド〉 サム ッ ト ・コ ー イ, 蔵 外パ ーリ語仏 典 ,ギルギッ ト ・バ ーミ ヤ ン写本 (名古屋 大学 准教授, 博士 (文学))