• 検索結果がありません。

<4D F736F F D E63789F191BA8FE38F748EF79AA08DDB9B7B8F708CA493A298F098F08B63985F95B68F57288CF68A4A94C E646F6378>

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "<4D F736F F D E63789F191BA8FE38F748EF79AA08DDB9B7B8F708CA493A298F098F08B63985F95B68F57288CF68A4A94C E646F6378>"

Copied!
359
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

i

2018 年第7回村上春樹国際シンポジウム

国 際 会 議 予 稿 集

(公開版)

主 催:淡江大学村上春樹研究センター・淡江大学日本語文学科

助 成:行政院科技部

後 援:日本台湾交流協会・淡江大学出版センター・

後 援:

台湾日本語文学会・台湾日語教育学会・

後 援:

日本比較文化学会・瑞蘭国際出版・

後 援:

淡江大学日本語学科 OB 会

場 所:淡江大学守謙国際会議センター

(新北市淡水區英專路 151 号)

時 間:2018 年 5 月 26 日-28 日(3 日間)

(2)
(3)

i

目 次

一、プログラム... v 二、会議內容... xi 三、会議規則... xiii 四、基調講演... 1 01 「壁」は越えられるか ─村上春樹の文学における〈共鳴〉─ 中村 三春 3 02 『騎士団長殺し』騎士団長の「あらない」再考 金水 敏 11 03 村上春樹文学における共鳴・『騎士団長殺し』と 神聖な「旅」 Matthew Strecher 16 五、ポスター発表... 25 01 村上春樹文学における「共鳴」 ─「かえるくん、東京を救う」を中心に─ 王 薇婷 27 02 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の一考察 童 曼禎 35 03 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 における音楽との「共鳴」 盧 亞屏 41 04 『騎士団長殺し』における暴力 ──『白いスバル・フォレスターの男』から考えて── 陳 琬渝 49 六、パネルディスカッション... 57 01 〈接続する〉物語 ─『騎士団長殺し』をめぐって─ 中村 三春 59 02 『騎士団長殺し』の物語としての構造を検討する 金水 敏 60 03 パネル・ディスカッション Matthew Strecher 61

(4)

ii 04 メディアに描かれる読みの風景 髙橋 龍夫 63 05 『騎士団長殺し』のパネル Anna Zielinska-Elliott 65 06 『騎士団長殺し』をめぐる読み・翻訳の事情 Mette Holm 67 07 村上春樹の歌を聴け 賴 明珠 68 08 韓国における『騎士団長殺し』の発行及び受容状況 盧 明姬 70 09 『騎士団長殺し』はマレーシアではどう読まれているか 葉 蕙 71 七、口頭発表論文... 73 01 紀行文から見た村上春樹の旅先での共鳴 ─『ラオスにいったい何があるというんですか』を中心に─ 賴 錦雀 75 02 長編小説の語りにおける村上春樹作品の共鳴 落合 由治 83 03 翻訳に現れる「僕」と「鼠」の物語─英訳 Pinball, 1973─ 大村 梓 91 04 村上春樹「アンダーグラウンド」の〈共鳴〉 ─地下鉄サリン事件被害者をめぐる文学─ 山根 由美恵 99 05 村上春樹の歴史認識 趙 柱喜 107 06 危機的状況と〈共鳴〉 ─村上春樹「恋するザムザ」とプラハの春─ 平野 葵 115 07 魂の共鳴 ─村上春樹作品 における〈生き霊〉をめぐって─ 小島 基洋 120 08 「中国行きのスロウ・ボート」論 ─その共鳴と変化をめぐって─ 李 娟 126 09 村上春樹『風の歌を聴け』における語りの空白 ─シンパシーを引き起こす「翻訳」の痕跡─ 王 佑心 134 10 村上春樹世界における共鳴-空間表象をめぐって─ 袁 嘉孜 142 11 『騎士団長殺し』における絵画への「共鳴」 ─小田原滞在中に創作した 4 枚の絵を中心に─ 曾 秋桂 150 12 『トニー滝谷』に於けるアウトサイダーの行方 —時代との共鳴と拒否— 鄒 波 158

(5)

iii 13 偶然の共鳴─『ノルウェイの森』と『万葉集』─ 齋藤 正志 166 14 『騎士団長殺し』論 ─20 世紀の歴史を継承する 21 世紀の物語─ 髙橋 龍夫 172 15 音楽を奏でる者たち ─『ノルウェイの森』における「共鳴」─ 阿部 翔太 180 16 『ノルウェイの森』における共鳴 野田 晃生 188 17 『羊をめぐる冒険』における喪失の共鳴 -母と成熟の拒否をめぐって- 三宅 香帆 196 18 〈見せかけ〉の世界との交錯 ─『1Q84』『騎士団長殺し』における認知症の表象─ 米村 みゆき 204 19 The Spatial Narrative in Norwegian Wood:

Sexuality, Body and Mutual Sympathy of Subjectivity 許 哲瑋 212 20 “It Is My Turn to Weave Dreams for Others”:

Hajime’s Sympathy, Nostalgia, and Existential Transformation in South of the Border, West of the Sun

余 盛延 220 21 村上春樹作品における共鳴─ハツミ、ユズを中心に─ 山﨑 眞紀子 228 22 村上春樹『騎士団長殺し』における従順さ ─物語(シナリオ)を書くということ─ 堀口 真利子 236 23 『海辺のカフカ』における〈暴力〉と〈癒し〉 ─カフカ・プラトン・漱石との〈共鳴〉にふれて─ 大岡 愛梨沙 244 24 村上作品における性的マイノリティについての意識 ─『スプートニクの恋人』を中心に─ 王 嘉臨 252 25 村上春樹『海辺のカフカ』における日本古典文学との共鳴─『源 氏物語』と『雨月物語』─ 荻原 桂子 260 26 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』論 ─「巡礼者」としての多崎つくる─ 飯干 大嵩 266 27 『神の子どもたちはみな踊る』試論 ─主人公たちの共鳴の有り方─ 范 淑文 274 28 『1Q84』と死海文書の連関から辿る共鳴の誕生 星野 智之 282 29 テクストに共鳴─『騎士団長殺し』─ Anna Zielinska-Elliott 290 30 共鳴する村上春樹文学 ─シャーマニズムとハンガリー民話の世界─ Dalmi Katalin 298

(6)

iv 31 「独立器官」と『騎士団長殺し』 ―ホロコーストとの響き合い─ 奥田 浩司 305 32 『騎士団長殺し』─「山上の家」における魂と魂の共振─ 浅利 文子 313 33 村上春樹『騎士団長殺し』における地震と人間との間 葉 夌 321 八、講演者・発表者のプロフィール... 329 九、司会・司会兼コメンテーターのプロフィール... 331 十、準備委員会... 十一、スタッフ... 332 333 2019 年度「第 8 屆村上春樹國際學術研討會」徵稿事宜... 334 2019 年度「第 8 回村上春樹国際学術研討会」発表者募集のお知らせ... 335 『村上春樹研究叢書』第 6 輯刊登論文徵稿(中文版)... 336 『村上春樹研究叢書』第 6 輯刊登掲載論文募集(日本語版)... 337 『村上春樹研究叢書』投稿書式見本... 338

(7)

v

「2018 年第 7 回村上春樹国際シンポジウム」プログラム

テーマ 村上春樹文学における「共鳴」(sympathy) 期 日:2018 年 5 月 26 日-28 日(3 日間) 場 所:淡江大学守謙国際会議センター(新北市淡水区英専路 151 号)

一日目 2018 年 5 月 26 日(土曜日)

0840-0900 受付 0900-0920 開幕式(有蓮庁) 司会者 小林 由紀(東呉大学兼任助理教授) 陳 小雀(淡江大学教授兼学部長) 曾 秋桂(淡江大学教授兼学科主任・村上春樹研究センター主任・ 台湾日本語教育学会理事長) 松原 一樹(日本台湾交流協会台北事務所広報文化部長) 賴 振南(輔仁大学教授兼外国語学部学部長・台湾日本語文学会理事長) 0920-1010 基調講演 1(有蓮庁) 司会者 賴 振南(輔仁大学教授兼外国語学部学部長・台湾日本語文学会理事長) 演講者 中村 三春(北海道大学教授) 講 題 「壁」は越えられるか―村上春樹の文学における〈共鳴〉― 1010-1025 ティータイム 1025-1115 基調講演 2(有蓮庁) 司会者 賴 錦雀(東呉大学教授・台湾日本語教育学会理事) 演講者 金水 敏(大阪大学教授) 講 題 『騎士団長殺し』騎士団長の「あらない」再考 1115-1205 基調講演 3(有蓮庁) 司会者 落合 由治(淡江大学教授兼村上春樹研究センター副主任) 演講者 Matthew Strecher(上智大学教授) 講 題 村上春樹文学における共鳴・『騎士団長殺し』と神聖な「旅」 1205-1300 昼食・ポスター論文発表 1210-1300 論文ポスター発表(黃憲堂老師紀念廳 HC107) コメンテーター 楊 琇媚(南台科技大学副教授) 発表者①:王 薇婷(広島大学博士) 題 目:村上春樹文学における「共鳴」─「かえるくん、東京を救う」を中心に─ 発表者②︰童 曼禎(淡江大学修士課程) 題 目:「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の一考察 発表者③︰盧 亞屏(淡江大学修士課程) 題 目:『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』における音楽との「共鳴」 発表者④︰陳 琬渝(台湾大学修士課程) 題 目:『騎士団長殺し』における暴力─『白いスバル・フォレスターの男』から考えて─

(8)

vi 1310-1420 アジア初村上春樹映画鑑賞会(有蓮庁) 司会者 Anna Zielinska-Elliott (ボストン大学上級講師) 発表者 Mette Holm(デンマーク著名村上春樹文学翻訳者) 映画名 村上春樹の夢( Dreaming Murakami) 1420-1430 ティータイム 1430-1630 パネルデイスカッション(有蓮庁) テーマ 『騎士団長殺し』をめぐる読み・翻訳の事情 パネリスト兼司会者 曾 秋桂(淡江大学教授兼日本語学科主任、村上春樹研究センター主任、 台湾日本語教育学会理事長) パネリスト① 中村 三春(北海道大学教授) パネリスト② 金水 敏(大阪大学教授) パネリスト③ Matthew Strecher(上智大学教授) パネリスト④ 髙橋 龍夫(専修大学教授) パネリスト⑤ Anna Zielinska-Elliott (アメリカ・ボストン大学上級講師、ポーランド語版 村上春樹著名翻訳者) パネリスト⑥ Mette Holm(デンマーク著名村上春樹文学翻訳者) パネリスト➆ 賴 明珠(華語繁体版台湾著名村上春樹文学翻訳者) パネリスト⑧ 盧 明姬(韓国・東国大学校教授) パネリスト⑨ 葉 蕙(マレーシア著名村上春樹文学翻訳者) 1700-1830 懇親会(台湾伝統テーブル料理、大腳印複合餐廳・新北市淡水區學府路 68 號)

二日目 2018 年 5 月 27 日(日曜日)

論文口頭発表(1) 0930-1035 第 1 セッション 第 2 セッション 第 3 セッション 第 4 セッション 0930-0935 HC305 HC306 HC307 HC303 コメンテーター コメンテーター コメンテーター コメンテーター 盧 明姬 韓国東国大学校 教授 王 佑心 銘伝大学 副教授 內田 康 淡江大学 副教授 髙橋 龍夫 専修大学 教授 0935-0955 発表者 1 発表者 3 発表者 5 発表者 7 賴 錦雀 東呉大学 教授 大村 梓 山梨県立大学 講師 趙 柱喜 瑞逸大学 兼任教授 小島 基洋 京都大学 准教授 テーマ テーマ テーマ テーマ 紀行文から見た村上春 樹の旅先での共鳴─『ラ オスにいったい何があ るというんですか』を中 心に─ 翻訳に現れる「僕」と 「 鼠 」 の 物 語 ─ 英 訳 Pinball,1973─ 村上春樹の歴史認識 魂の共鳴─村上春樹作品 における〈生き霊〉をめ ぐって─ 0955-1005 質疑応答

(9)

vii 1005-1025 発表者 2 発表者 4 発表者 6 発表者 8 落合 由治 淡江大学 教授 山根 由美恵 広島国際大学 非常勤講師 平野 葵 北海道大学 博士後期課程3 年 李 娟 立命館大学 博士後期課程 テーマ テーマ テーマ テーマ 長編小説の語りにおけ る村上春樹作品の共鳴 村上春樹「アンダーグ ラウンド」の〈共鳴〉 ─地下鉄サリン事件被 害者をめぐる文学─ 危機的状況と〈共鳴〉 ─村上春樹「恋するザム ザ」とプラハの春─ 「中国行きのスロウ・ボ ート」論─その共鳴と変 化をめぐって─ 1025-1035 質疑応答 1035-1045 ティータイム 論文口頭発表(2) 1045-1150 第 5 セッション 第 6 セッション 第 7 セッション 第 8 セッション 1045-1050 HC305 HC306 HC307 HC303 コメンテーター コメンテーター コメンテーター コメンテーター 邱 若山 静宜大学 教授 范 淑文 台湾大学 教授 黃 翠娥 輔仁大学 教授 周 玉慧 中央研究員 研究員 1050-1110 発表者 9 発表者 11 発表者 13 発表者 15 王 佑心 銘伝大学 副教授 曾 秋桂 淡江大学 教授 齋藤 正志 中国文化大学 副教授 阿部 翔太 広島大学 博士課程前期 テーマ テーマ テーマ テーマ 村上春樹『風の歌を聴 け』における語りの空白 ─シンパシーを引き起 こす「翻訳」の痕跡─ 『騎士団長殺し』にお ける絵画への「共鳴」 ─小田原滞在中に創作 した 4 枚の絵を中心に─ 偶然の共鳴─『ノルウェ イの森』と『万葉集』─ 音楽を奏でる者たち ─『ノルウェイの森』に おける「共鳴」─ 1110-1120 質疑応答 1120-1140 発表者 10 発表者 12 発表者 14 発表者 16 袁 嘉孜 北海道大学 修士課程二年 鄒 波 復旦大学 副教授 髙橋 龍夫 専修大学 教授 野田 晃生 筑波大学大学院 テーマ テーマ テーマ テーマ 村上春樹世界における共 鳴-空間表象をめぐって─ 『トニー滝谷』に於ける アウトサイダーの行方 —時代との共鳴と拒否 — 『騎士団長殺し』論 ─20 世紀の歴史を継承 する 21 世紀の物語─ 『ノルウェイの森』にお ける共鳴 1140-1150 質疑応答

(10)

viii 1150-1300 昼食 論文口頭発表(3) 1300-1405 第 9 セッション 第 10 セッション 第 11 セッション 第 12 セッション 1300-1305 HC305 HC306 HC307 HC303 コメンテーター コメンテーター コメンテーター コメンテーター 鄒 波 復旦大学 副教授 小澤 自然 淡江大学 副教授 齋藤 正志 中国文化大学 副教授 賴 雲莊 東吳大学 副教授 1305-1325 発表者 17 発表者 19 発表者 21 発表者 23 三宅 香帆 京都大学 博士課程後期 許 哲瑋 University of Jyväskylä Master's Student 山﨑 眞紀子 日本大学 教授 大岡 愛梨沙 ノートルダム清心大学 修士課程一年生 テーマ テーマ テーマ テーマ 『羊をめぐる冒険』にお ける喪失の共鳴-母と 成熟の拒否をめぐって -

The Spatial Narrative in Norwegian Wood: Sexuality, Body and Mutual

Sympathy of Subjectivity 村上春樹作品における 共鳴─ハツミ、ユズを中 心に─ 『海辺のカフカ』におけ る〈暴力〉と〈癒し〉 ─カフカ・プラトン・漱 石との〈共鳴〉にふれて ─ 1325-1335 質疑応答 1335-1355 発表者 18 発表者 20 発表者 22 発表者 24 米村 みゆき 専修大学 教授 余 盛延 台北科技大学 教授 堀口 真利子 長岡工業高等専門学校 王 嘉臨 淡江大学 副教授 テーマ テーマ テーマ テーマ 〈見せかけ〉の世界との 交錯─『1Q84』『騎士団 長殺し』における認知症 の表象─

“It Is My Turn to Weave Dreams for Others”: Hajime’s Sympathy, Nostalgia, and Existential Transformation in South of the Border, West of the Sun

村上春樹『騎士団長殺 し』における従順さ─物 語(シナリオ)を書くと いうこと─ 村上作品における性的マ イノリティについての意 識 ─『スプートニクの恋 人』を中心に─ 1355-1405 質疑応答 1405-1415 ティータイム 論文口頭発表(4) 1415-1520 第 13 セッション 第 14 セッション 第 15 セッション 第 16 セッション 1415-1420 HC305 HC306 HC307 HC303 コメンテーター コメンテーター コメンテーター コメンテーター

(11)

ix 黃 如萍 高雄餐旅大学 副教授 米村 みゆき 専修大学 教授 小林 由紀 東呉大学 兼任助理教授 廖 秀娟 元智大學 副教授 1420-1440 発表者 25 発表者 27 発表者 29 発表者 31 荻原 桂子 九州女子大学 教授 范 淑文 台湾大学 教授 Anna Zielinska-Elliott ボストン大学 上級講師 奥田 浩司 愛知教育大学 准教授 テーマ テーマ テーマ テーマ 村上春樹『海辺のカフ カ』における日本古典文 学との共鳴─『源氏物 語』と『雨月物語』─ 『神の子どもたちはみ な踊る』試論─主人公た ちの共鳴の有り方─ テクストに共鳴─『騎士 団長殺し』─ 「独立器官」と『騎士団 長殺し』─ホロコースト との響き合い─ 1440-1450 質疑応答 1450-1510 発表者 26 発表者 28 発表者 30 発表者 32 飯干 大嵩 専修大学大学院 修士二年 星野 智之 (株)青い星通信社 專職作家 Dalmi Katalin 広島大学 職員 浅利 文子 法政大学 兼任講師 テーマ テーマ テーマ テーマ 『色彩を持たない多崎 つくると、彼の巡礼の 年』論─「巡礼者」とし ての多崎つくる─ 『1Q84』と死海文書の連 関から辿る共鳴の誕生 共鳴する村上春樹文学 ─シャーマニズムとハ ンガリー民話の世界─ 『騎士団長殺し』─「山 上の家」における魂と魂 の共振─ 1510-1520 質疑応答 1520-1530 ティータイム 論文口頭発表(5) 1530-1605 第 17 セッション 1530-1535 HC305 コメンテーター 李 偉煌 靜宜大学 副教授兼主任 1535-1555 発表者 33 葉 夌 淡江大学 助理教授 テーマ 村上春樹『騎士団長殺 し』における地震と人間

(12)

x との間 1555-1605 質疑応答 1605-1615 ティータイム 1615-1625 お知らせ(HC305) 司会者 曾 秋桂(淡江大学教授・村上春樹研究センター主任) 1.「2019 年第 8 回村上春樹シンポジウム」の開催日と開催地の紹介 2.「2019 年第 8 回村上春樹シンポジウム」メインテーマの説明 1625-1635 閉幕式 (HC305) 曾 秋桂(淡江大学教授・村上春樹研究中心主任) 1635-1800 晩餐会(バイキング方式) 0900-1700

三日目 2018 年 5 月 28 日(月曜日)

淡水風土と文学見学

主催者 淡江大学村上春樹研究センター・淡江大学日本語学科 助成者 行政院科技部 後援者 日本台湾交流協会・淡江大学出版センター・台湾日本語文学会・ 台湾日語教育学会・日本比較文化学会・瑞蘭国際出版・ 淡江大学日本語学科 OB 会

(13)

xi 二、会議内容 主 題:村上春樹文学における「共鳴」(sympathy) 目 標:日本の作家・村上春樹(1949-)は現在、ノーベル賞候補として最有力視されて いる、日本の現代を代表する世界的な作家である。2014 年は台湾のメディア、 広告、ビジネス界で村上春樹が造語した漢語「小確幸」の使用がブームにな り、ことばの流行と共に「村上春樹現象」が台湾社会に再来し、2017 年には 新作長編『騎士団長殺し』も出された。「村上春樹現象」は海を越え、言語、 国境、種族、文化の壁、異文化の差異を越えて今や世界に広がっている。全 世界の共通現象となっている「村上春樹現象」は、ただ語学、文学、文化、 翻訳の角度から捉えられるにとどまらず、日本語教育学、経済学、マーケテ ィング、心理学、歴史学、社会学等の様々な社会の次元からの観点を取り入 れることで、「村上春樹学」とも言うべき広大な研究空間を産み出そうとして いる。本研究センターは、「村上春樹学」を台湾で開拓し、ひいてはそれを世 界に広げることを目標としている。 起 源:淡江大学張家宜学長の指示による「特色ある学科形成計画」に基づく教育方 針に従い、2011 年 8 月 1 日に「村上春樹研究室」(責任者 曾秋桂教授) が 成立し、村上春樹研究成推進を淡江大学日本語文学科の特色教育の一つにす ることが決まったときが発端である。慣例として一年に一度「村上春樹国際 学術研討会」(累計 4 回)を開催し、村上春樹関係のワークショップを設け、 同時に村上春樹文学作品研究を「村上春樹学研究(一)」、「村上春樹学研究 (二)」として日本語文学科修士クラス二年生のカリキュラムに導入し、曾秋 桂教授が担当してきた。また、2016 年 11 月末から「非常村上春樹」を名前 にした MOOCs(オンライン授業)を開講し、さらに 2017 年春に再開講した。受 講完了人数は、登録者の 30 パーセントに達し、成功した例と言えよう。こう した学習課程により、村上春樹学研究を志す多くの日本語人材の若者たちが 育ってきている。さらに、淡江大学虞国興前学術副学長が「村上春樹研究室」 の今までの活動を評価し、村上春樹研究の成果を拡大するように指示した。 淡江大学張家宜学長の同意を得て、103 学年度(2014 年 8 月 1 日)に世界初の 「村上春樹研究センター」(Center for Murakami Haruki Studies)が正式に 開設され、曾秋桂教授がセンター長に任命され、継続して村上春樹研究を深 めていく運びとなった。淡江大学外国語文学部 FL619 に「村上春樹研究セン ター」を設置し、それを拠点に「村上春樹学」の構築を目指し、その成果を 世界へと発信している。本大会も淡江大学張家宜学長をはじめ、葛煥昭学術 副学長、戴万欽国際交流副学長、胡仁宜行政副学長の全面的サポートを得て、

(14)

xii ようやく実現できたものである。 内 容 紹 介:本国際学術会議は、基調講演(キーノート・スピーチ)、ポスター口論文 発表、村上春樹映画発表、パネルディスカッション、論文口頭発表に分け て進行する。キーノートスピーカーは北海道大学中村三春教授、大阪大学 金水敏教授、上智大学 Matthew Strecher 教授にご担当いただく。17 セッシ ョンを設け、33 名の論文口頭発表者と 4 名の論文ポスター発表者に発表し ていただく。司会兼コメンテーターを、各分野において優れた業績を残し た専門家に担当していただく。パネルディスカッションでは、テーマ「『騎 士団長殺し』をめぐる読み・翻訳の事情」について、意見発表と総合討論 の 2 部に分けて、進めることにする。今回の参加者を国別に見ると、主催 国・台湾はもちろん、日本、中国大陸、韓国、マレーシア、アメリカ、ハ ンガリー、デンマーク、ポーランド、フィンランド等になる。豊かな経験 を積んできた指導的研究者はもちろん、第一線で活躍している現役の熟 年、壮年の研究者以外に、勉学に勤めている修士・博士課程に在籍してい る若手など、各年齢層にわたり、多くの参加者が大変積極的に関与してく れている。このように、本大会は学問を切磋琢磨する場というだけではな く、研究経験を伝承し、また新たに発展させる試行の場の意味も含まれて いる、村上春樹研究の先端を走る大集会だと言える。

(15)

xiii 三、会議規則 一、携帯電話 本会議の各部、各セッションの開始に先立ち、携帯電話の電源をお切りいただくか、マ ナーモードにご設定いただくようにお願いいたします。 二、各部・セッションの時間配分 論文口頭発表、基調講演、パネルディスカッションの部の時間配分は以下のとおりです。 (1)司会者:基調講演の場合は、講演者の紹介を 3 分。論文口頭発表の場合は、発表者 2 名 の紹介を全部で5 分 (2)基調講演:各講演者 50 分 (3)論文口頭発表:一人につき、発表時間 20 分、質疑応答 10 分 (4)ポスター発表:発表時間 60 分 (5)パネルディスカッション:各パネリスト 8 分の発言、総合討論 30 分 三、タイムキーパーを司会兼コメンテーターにご担当いただきます。また、会場では会場 係が制限時間を掲示でお教えします。 四、発言原則 大会の使用言語は、原則、共通語として日本語をお使いいただくようにお願いいたしま す。会場によっては英語、中国語も可能となる場合がございます。 質問者は、まずご所属、お名前を言って頂いてから、1 分以内で簡潔にご質問いただく ようにお願いいたします。

(16)

3

調

(17)
(18)

3 四、基調講演 01

「壁」は越えられるか

―村上春樹の文学における〈共鳴〉―

北海道大学大学院文学研究科 中村 三春 (2019 年の『村上春樹研究叢書』で出版致します)

(19)
(20)
(21)
(22)
(23)
(24)
(25)
(26)

11

四、基調講演 02

『騎士団長殺し』騎士団長の「あらない」再考

大阪大学大学院文学研究科 金水 敏

(27)
(28)
(29)
(30)
(31)

16

四、基調講演 03

村上春樹文学における共鳴・『騎士団長殺し』と神聖な「旅」

上智大学・国際教養学部 マシュー・ストレッカー

(32)
(33)
(34)
(35)
(36)
(37)
(38)
(39)
(40)
(41)
(42)

27

ポスター

発表

(43)
(44)

27 五、ポスター発表 01

村上春樹文学における「共鳴」

―「かえるくん、東京を救う」を中心に

広島大学大学院総合科学研究科 王 薇婷 (公開同意未確認)

(45)
(46)
(47)
(48)
(49)
(50)
(51)
(52)
(53)

35 五、ポスター発表 02

「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の一考察

淡江大学修士課程 童 曼禎 一、 はじめに 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」という短編は、「僕」がある火曜日一日の出来事を語る という物語である。失業中の「僕」が台所に立ってスパゲティーを茹ででいるとき、知ら ない女からの電話をもらい、「僕」と分かり合うことを求めていた。そして、今度は妻から の電話があり、失業中の「僕」に詩を書く仕事を紹介し、「路地」にいなくなった猫を探す ことも頼まれた。この後、知らない女がもう一度電話をかけて来て性的な誘惑をした。「僕」 は電話を切った後、「路地」へ猫を探しに行き、ある娘に出会い、一緒に彼女の庭で猫を待 っていたが、結局見つからなかった。猫を探せなかったことを妻に伝えると、「きっともう 猫は死んじゃったのよ」「あなたが猫を見殺したのよ」と返事した。 この短編は、猫を探すことを主として、「僕」と女たちをめぐる物語である。ただし、単 に猫を探すことではなく、その「猫を探すこと」自体は、夫婦の間にある程度の連結があ り、また電話をかけて来る女もある程度の繋がりもあると推測する。本稿では、電話をか けて来る女の正体を解明したい、さらに猫という存在と夫婦関係を明らかにしたいと思う。 二、 女の正体 物語の最初、登場した人物の一人であり、「僕」に電話がかかってきた女、その女の声は まったく聞き覚えがなく、そして「僕」はその女の声、またその女のことを全然知らない と確信した。しかし、本当に聞いたことはない声であったか、むしろ声の変化の故に、聞 いたことない勘違いをするか、これについて、以下の場面が見られる。 「変にしろ変じゃないにしろ、あなたには関係ない」と僕は言った。「朝食を殆ど食べ なかったんで、今頃になって腹が減ってきたんです。僕が自分で作って食べるんだ。 何時に何を食べようがそれは僕のじゃないですか?」 「ええ、いいわよ、それは。じゃあ、まあ切るわね」と女は油を流したようなのっぺり とした声で言った。不思議な声だ。ちょっとした感情の変化で、まるでスイッチで周 波数を切りかえるみたいに声のトーンががらりと変わるのだ。(PP158-159) 同じことは女からの電話だけでなく、路地に娘と話すときも発生した。「変だな、と僕は 思った。目を開いて聞いているときの娘の声と目を閉じて聞いているときの娘の声は、ま るで違って聞こえるのだ。」(P194) 上記のことから、声で人を判別することは疑いがあり、電話がかかってきた声を聞いた

(54)

36 ことない女について、本当に「僕」が知らない女なのかと筆者はそれに関する疑問を持っ ている。鈴木智之(2009)は『「声」を通じて他者の「同一性」を判定する感覚の危うさ、あ るいは「声の同一性」の不確かさであり、それは相同的な形で、冒頭の「電話の女」のエピ ソード――それによって投げかけられる問い――に通じている』と述べている。1 そして、声さえ聴いたことはない女は、「僕」のことを知っていると言うだけではなく、 「僕」の年、ほかには「あなたの頭の中に致命的な死角があるとは思わないの?そうじゃ なければあなたは今頃少しまともな人間になっていると思わない?」(P153)と指摘するこ とができ、これは「僕」も考えたことであり、「かつては―と僕は思った―僕も希望に燃え たまともな、、、、人間だった。(中略)それがどこかで狂ってしまったのだ。」(P166)(傍点原著)。 また、女は昔「僕」のことが好きだったとも言った。上記から、女はたしかに「僕」のこと を知り、あるいはかつては知り合いの可能性もあると思う。 しかしながら、妻も「僕」のことすごくわかっており、「僕」が混乱するとアイロンかけ をするということをちゃんと知っている。声を知らない、女のことを知らないという「僕」 の語りに対して、筆者は疑いを持っている。何かというと、下記の引用文において、「妻」 と「女」との入れ替わりが可能だからである。 「二十代後半、大学卒、東京生まれ、子供のころの生活環境は中の上」と僕は言った。 「驚いたわね」と女は言って、受話器のそばでライターを擦って煙草に火をつけた。 カルチェの音だ。「もっとやってみてよ」 「かなりの美人だね。少なくとも自分ではそう思っている。でもコンプレックスはあ る。背が低いとか、乳房が小さいとか、そんなところだ。」 「結婚してる。でもしっくりといっていない。問題がある。問題がない女は自分の名 前を名乗らずに男に電話をかけたりはしないからね。でも僕は君を知らない。少なく ともしゃべったことはない。これだけ想像してもどうしても君の姿が頭に浮かんでこ ないものね」(PP171-172) 以上のような、「僕」が「女」についての想像は「妻」に当てはまるものであり、「妻」 に対する陳述と見ても差し支えない。しかし、再び女からの電話を受けた時、女はまるで 「僕」を誘っているかなりセクシュアルな話をしていた。それに比べると、妻の電話は、 仕事に関する、まじめな話である。もし、「妻」と「女」との入れ替わりが可能であった ら、「女」は僕が知らない「妻」の側面であると推論する。 1 鈴木智之(2009)『村上春樹と物語の条件』青弓社 p.151

(55)

37 三、猫という存在 猫の名前はワタナベ・ノボルであり、四日前からなくなってしまい、妻は猫がたぶん「路 地」の奥の空き家の庭にいると言い、「僕」に猫を探すことを頼んだ。猫は自分で家に戻っ てこない、「いったいどうして僕がわざわざ猫を探しにいかなくちゃならないんだ」(P166) 「やれやれ、と僕は思った。まったくやれやれ、、、、だ。猫なんて好きなところに行って好きに 暮らしていればいいじゃないか。」(P166)と「僕」はそう思う。上述から見ると、「僕」は 猫のことにあまり関心を持っていなさそうだ。 前述のとおり、「僕」が猫のことを別に関心を持っていななさそうであり、一方、妻は なるべく早く猫を見つけたいと書かれている。「僕」と話すとき、よく「猫は?」と訊 く。しかし、結局「僕」は猫が見つからなかった、こういうことを妻に伝えたシーンの引 用部分は以下のように示す。 「猫は?」 「みつからない」 「そう」と妻は言った。 (中略) 「今度は違うのよ。私にはわかるのよ。猫は死んじゃって、どこかの草むらの中で腐 ってるのよ。空き家の庭の草むら探してくれた?」 「あい、よせよ。いくら空き家だって他人の家だぜ、そんなの勝手に入れるわけない じゃないか」 「あなたが殺したのよ」と妻言った。 僕は溜め息をついてもう一度バスタオルで頭を拭った。 「あなたが猫を見殺しにしたのよ」と暗闇の中で彼女はくりかえした。(PP200-201) 上記によると、妻は猫の消失が「僕」とは何のかかわりがあると書かれる。路地に猫を 探すのは「僕」であり、猫を探さなかったのも「僕」であり、そして猫を殺したと疑わせ るのも「僕」であり、すなわち「猫」の「存在」は決定的に「僕」によることであり、そ して筆者は「猫」が「僕」と妻の間の「何か」であり、夫婦関係に影響を与える「何か」 と推測する。 四、夫婦関係 「僕」が路地で猫を探している途中、そこにいる娘と一緒に猫の通り姿を待っていた。 娘は想像しながら待ってくださいと「僕」に言うけど、「僕」は猫の姿をうまく思い出せ ない。「特徴だけは似ているのだが、肝心な部分がすっぽりと欠落している。彼がどのよ うな歩き方をしたのかさえ、僕にはもう思いだせないのだ。」(PP196-197) 飼っている猫の姿さえ思い出せない、ずっと自分と暮らしている家族(猫)の模様を思

(56)

38 い浮かべられない、すなわち、自分の身近い物事に関心を持ってない、間接的に第二節の 「女」は僕が知らない「妻」の側面という推論を立てられる。こうして、どうして「女」 は「僕」と分かり合いたいのかも理解できる。 また、仮に第三節の通り、「猫」が「僕」と妻の間の「何か」であったら、前にも一度 猫が消えることがあり、これと電話をかけて来る女が「僕」のこと好きだったことに繋が ると思われ、その上物語最後の部分も結びつけられる。猫が見つからない「僕」と、猫の 消失に絶望を感じた「妻」に関する叙述は次のように示している。 食事のあと風呂から出てくると、妻は電灯を消した居間の暗闇の中にひとりでぽつ んと座っていた。グレーのシャツを着て暗闇の中にじっとうずくまっていると、彼女 はまるで置き去りにされ荷物のように見えた。僕は彼女がひどく気の毒に思えた。彼 女は間違った場所に置き去りにされたのだ。もっとべつの場所にいれば、あるいは彼 女はもっと幸せになれたかもしれないのだ。(P200)(下線は筆者による。) 上記によると、「置き去りにされた荷物」という比喩は、「僕」の家族への無関心を再び 感ずる。しかしながら、下線の部分によると、「僕」も自分の行為を意識したはずである。 「猫は自分でいなくなったんだ。僕のせいなんかじゃない。それくらいのことは君に だって分かるだろ?」 「あなた、猫のことなんてべつに好きじゃなかったんでしょ?」 「そりゃそうかもしれない」と僕は認めた。「少なくとも君ほどは、、、、あの猫のこと好きじ ゃなかったかもしれない。でも僕はあの猫をいじめたこともないし、毎日ちゃんと飯 をやってた。僕が、、飯をやってたんだよ。とくに好きじゃないからって、僕が猫を殺し たことにはならない。そんなことを言いだしたら、世界の大部分の人間は僕が殺した ことになる。」 「あなたってそういう人なのよ」と妻は言った。「いつもいつもそうよ。自分で手を下 さずにいろんなものを殺していくのよ」(P201) 上述から見ると、「僕」は本当に猫のことを好きではない、妻は「僕」が猫を殺したの を確信している。ここで、妻の話から、ほかに「僕」が自分で手を下さずに殺したものは 何なのかについて、筆者は「夫婦関係」であろうと推測する。家族への無関心、猫のこと をすっかり忘れていたことし、泣いている妻に声をかけるつもりもなかったし、故に筆者 は「僕」が自分で手を下さずに殺したのは「夫婦関係」と推測する。

(57)

39 五、おわりに 本稿では、猫という存在と電話をかけてきた女を通して、夫婦間の不仲も少し窺えた。 登場人物関係を分かりやすくするために、関係図を作った。 図 1:登場人物関係図 図 1 によって、女と妻の関係は双方向的であり、その原因は、女は妻の別の側面を示し ていて、女と妻は一人の人物のそれぞれ別な面を示しているからである。「僕」は女は知ら ない人として認識しているが、それは「僕」が妻の一部しか理解していなかったため、違 う側面を受け入れられなかったとも言える。 また、妻に対しては、「置き去りにされた荷物」のように、家族なのに殆ど関心は持って いない。 そして、猫は「僕」と妻の間にいる存在、つまり「僕」と妻の関係を繋ぐ役割をしてい る。しかし、「僕」は妻の一面しか知らないように、猫についても殆ど関心は持っていない。 猫は「僕」にとって、どうでもいい存在である。 つまり、以上が示していることは、「僕」の家族への無関心であると言える。その結果、 「僕」が相手の意志や要求に対して、正面から考えずにいつも回避して答えないままにな っている。以上は作品全体の中で、「僕」の存在に大きな問題があることを意味している。 「僕」の無関心が家族関係を崩すもとになっている。 今後は今回考察した結果を踏まえ、路地の娘という存在と「僕」の関係を解明したいと 思う。ところで、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は、ほかの作品と多少繋がっているとこ ろがあり、ほかの作品との関係も解きたいと思う。

(58)

40 テキスト 村上春樹(1986)『パン屋再襲撃』文芸春秋 参考文献 石倉美智子(1998)『村上春樹サーカス団の行方』専修大学出版局 村上春樹研究会(2007)『村上春樹研究事典』鼎書房 鈴木智之(2009)『村上春樹と物語の条件』青弓社 芳川泰久・西脇雅彦(2013)『村上春樹 読める比喩事典』ミネルヴァ書房

(59)

41 五、ポスター発表 03

『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』における

音楽との「共鳴」

淡江大学修士課程 盧 亞屏 1.はじめに 1997 年村上春樹と陽子夫人の二人はプライベートでアイルランドに旅行するつもりであ った。そこに丁度ウィスキーについて文章を書く仕事の要請が来た。それで村上春樹はウ ィスキーをテーマにしてスコットランドのアイラ島とアイルランドの旅をすることにした。 アイラ島に行って各地の蒸留所を訪れ、そこで見た風景、そこで出会った人々について綴 った紀行文となった。それは、その名高いシングル・モルトウィスキーを心ゆくまで賞味 した聖地巡礼の旅になった。 日本に帰り、村上は二つの文章を書いて陽子夫人の写した写真とともに雑誌1に発表した。 その後、村上は「…文章に手を入れ、少し書き足して、写真と一緒に、独立した一冊の『ウ ィスキーの匂いのする小さな旅の本』を作ってみることにした。」(P.11)として記し 1999 年に平凡社より『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を出版した2 本の中で、村上は次のように述べている。 もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったは ずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだ けですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕 らはことばがことばでありことばでしかない世界に住んでいる。でも例外的に、ほんのわずか な幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある(P.11、下線は筆者、 以下同様) 以上の引用文にある「もし〜」、「しかし〜」、「でも〜」と示したように三転折が見られ る。ことばを文字でしか伝えることのできない我々人間の持つ限界に村上は心を砕いてい る。その心境を村上は「僕が旅先で味わったそれぞれに個性的なウィスキーの風味と、手 応えのあるアフター・テイストと、そこで知り合った『ウィスキーのしみこんだ』人々の 印象的な姿を、そのままうまく文章のかたちに移し変えてみようと、僕なりに努力した」 と説明している。 1「サントリークォータリー」第 55 号(1997 年 9 月 30 日)、第 56 号(同年 12 月 15 日) 2 1999 年 12 月 15 日初版第 1 刷発行。

(60)

42 その一つはウィスキーの味に対する説明を音楽で表現することである。これはことばが ウィスキーであったとしたらという題名ならではの魔法である。村上は音楽の素養が広く て深い。作品中でも、よく場面や気持ちを音楽を使って魔法的に表現することが多く見ら れる。例えば『1973 年のピンボール』中の「第三機動隊が九号館に突入した時にはヴィヴ ァルディの『調和の幻想』がフル・ボリュームで流れていたということだが、真偽のほど はわからない。」3( P.7)と他に全 21 箇所で音楽が出でくる。また、発行数が 1000 万部 を超える『ノルウェイの森』4の中にも、小説の冒頭、主人公のワタナベは旅客機でドイツ の空港に着陸する。そして、着陸とともに機内に流れるのが、ビートルズの「ノルウェイ の森」である。小説の中の音楽はビートルズからバッハまでバラエティに富んでいる。音 楽は周知のように村上春樹の著作で重要な役割を担っている。 本発表はこの作品の中でウィスキーの味を音楽で比喩している所を整理し、その音楽を 通して表現したアイラウィスキーとの「共感」と「共鳴」を明らかにする。 2. ウィスキーから音楽へ、音楽からウィスキーへ 2.1 音楽と味蕾 以下は、ウイスキーの味や香りを音楽で比喩している部分である。 表 1 ウィスキーを音楽で比喩している所 アイラ島の各 ウィスキー 描写 音楽 音楽への解釈 ○1 冬にアイラ島 に旅行にくる 英国人的な人 生の楽しみ方 誰に邪魔されることも なくしずか本を読む。 上等なウィスキーとグ ラスをひとつテーブル の上に載せ、電話の線 を抜いてしまう。…」 (P.21) 暖炉によい香りのす る泥炭鉱(ピート) をくべ、小さな音で ヴィヴァルディーの テープをかける。 (P.21) 「顔をあげて、暗い 窓の外の、波や雨や 風の音に耳を澄ませ る。」「悪い季節をそ のまま受け入れて楽 しんでしまう。」 (P.21) ○2 各ウィスキー 「くささ」こそがアイ ラのウィスキーの基調 になる (P.40) バロック音楽でいう 通奏低音である (P.48) その上に、様々な楽 器の音色とメロディ ーがかぶせられてい く (P.48) ○3 アードベッグ いちばんワイルドなア ードベッグはいかにも グレン・グールドの 「ゴルトベルク変奏 魂の筋の一つ一つま でを鮮やかに克明に 3 村上春樹, 1980 『1973 年のピンボール』講談社 7 頁 4 村上春樹, 2012『ノルウェイの森』講談社文庫

(61)

43 20 年 個性的で魅力的だが、 (P.40) 曲」 (P.40) 浮かび上がらせてい く (P.40) ○4 ブナハーブン 12 年 穏やかな宵にはかすか なブーケの香りうブナ ハーブン (P.40) ピーター・ゼルキン の「ゴルトベルク変 奏曲」 (P.40) 淡い闇の光の隙間を 細く繊細な指先でた どる。 (P.40) ○5 ボウモア 15 年 人の手の温かもりが感 じられる。「俺が俺 が」という、直接的な 差し出がましさはそこ にはない。 (P.57) シューベルトの長い 室内音楽を聴くとき のように (P.57) 暖炉の前にで、古く 懐かしい手紙を読ん でいる時のような静 かな優しさ、懐かし さが潜んでいる. (P.57) ○6 ラフロイグ 10 年 文章といえばアーネス ト・ヘミングウェイの 初期の作品に見られる よう、切れ込みのある 文体だ。 (PP.64-65) ジョニー・グリフィ ンの入ったセロニア ス・モンクのカルテ ット (P.65) 10 年ものには 10 年 ものの頑固な味があ り、…個性的でおも ねったところはない (P.64) ○7 ラフロイグ 15 年 文章といえばアーネス ト・ヘミングウェイの 初期の作品に見られる ような、切れ込みのあ る文体だ。 (PP.64-65) ジョン・コルトレー ンの入ったセロニア ス・モンクのカルテ ット (P.65) 15 年ものには 15 年 ものの頑固な味があ った。…個性的でお もねったところはな い (P.64) 村上は地元の小さなパブのカウンターで島の七つ蒸溜所で生産したウィスキーを飲み比 べてみた。「でもどれだけ味わいがライトになってもソフトになっても『アイラ臭さ』は刻 印のようにちゃんとそこに残っている。」(P.37)と村上は述べている。その共通の「アイ ラ臭さ」と味わった七つのアイラウィスキー中の五つについて音楽で比喩した。 ○1スコットランドの西海岸には、島嶼がちりばめられている。アイラ島もそのうちのひ とつである。夏の数ヶ月を除く冬は雪はないものの、よく雨が降り風も強く気候は魅力的 とは言えない。人口もわずかな数で、観光客もそれほど多くない。「しかしながら、そんな 悪い季節にも足を運んでくる人々は少なからず存在する。」(PP.20-21)一人でコテージを 借り、悪い季節にやってきた旅行者に対して外の波や雨や風は関係なくヴィヴァルディー の音楽を聞きながらウィスキーを飲みながら暗い冬も楽しんでいる 。

(62)

44 ウィスキーとヴィヴァルディーの音楽との「共鳴」は悪い季節であってもアイラ島での ひとつの楽しみ方である。 ○2アイラ臭さはアイラウィスキーの基調になる点を村上はバロック音楽でいう通奏低音 で比喩している。「島で生産しているそれぞれのシングル・モルトウィスキーに、その上に 様々な楽器の音色とメロディーが被せられていくように」と書いた。バロック音楽を三省 堂の大辞林で引くと「一六世紀末から一八世紀半ばに栄えた音楽の様式。互いに独立した 複数声部の対立と,それを支える和声的低音の組み合わせがつくる強い緊張感,激しい情 緒表現などを特徴とする」とバロック音楽の基本的特徴を説明している。そして、通奏低 音に対して解釈は「与えられた数字付きの低音の上に即興で和音を補いながら伴奏声部を 完成させる技法。ヨーロッパの一七、八世紀(バロック時代)に広く用いられた。」となっ ている。直接の定義以外に、比喩的な意味もあり、「表面にはあらわれないが一貫してその 物事に影響を及ぼし続けている要素。」となる。 通奏低音は伴奏声部であるが、なくてはならない部分でもある。通奏低音がないとバロ ック音楽は構成できない。アイラ独特なくささはまさにバロック音楽の低音通奏のように、 アイラウィスキーのなくてはならない基調となり、その上に各蒸留所の味と人間が加わっ てそれぞれのパーソナリティーが出てくる。 ○34村上が飲み比べたアイラウィスキーで味に一番「癖のある」のが強いのと少ないの はアードベッグ 20 年とブナハーブン 12 年であった。アードベッグ 20 年は「いかにも土臭 く、荒々しく…」と書かれている。村上はバッハの大曲のゴルトベルク変奏曲でこの二つ のウィスキーを比喩している。ゴルトベルク変奏曲は、「演奏するのに最高難度の技巧が要 求される大曲である。20 世紀初頭まではあまり演奏されることがなかったこの難曲を、世 に広く知らしめたのは、カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドであった。」5と三宅義 和が述べている。 村上はいちばんワイルドなアードベッグをピアニスト、グレン・グールドが演奏したゴ ルトベルク変奏曲だと比喩している。日本におけるグールド研究の専門家で、グールドに 関する著訳書で知られる音楽評論家の宮澤淳一によると「クラシック音楽とは作曲家の個 性の実現が基本であり、演奏家の個性は、作曲家への共感に基づき、その意図を最良に伝 える限りにおいて発揮される。ところがグールドの場合、自分の個性が作曲家の個性を凌 駕する。」6と評論している。癖が強いアードベッグと自分の個性を強調するグレン・グール ドのゴルトベルク変奏曲は異曲同工である。 一方、一番「癖」が少ないソフトなブナハーブンを飲む気分を「すべての声がそれぞれ 5 三宅義和 「ゴルトベルク変奏曲アリアのグレン・グールドの演奏解釈についての音楽療法的考察」 神戸 国際大学紀要 第 82 号 6 「グレン・グールドはクラシックの音楽家ではない」『考える人』 第 21 号 2007 年夏号,新潮社,2007 年 8 月 45 頁 http://www.walkingtune.com/gg_07_kangaeruhito.html 宮澤純一の公式サイト (2018 年 4 月 28 閲覧)

(63)

45 に、自由に、軽やかに歌って調和している」7と評論し、ピーター・ゼルキンのゴルトベル ク変奏曲になぞらえている。場所も伝統が息づく豪華絢爛な歌劇場や華やかで優雅な雰囲 気が漂う音楽ホールではなく「穏やかな宵」、「ひとり静かに」傾けたい。酒と相応してい る音楽があり、音楽とリンクするシーンもある。 ○5「実際に飲んでみると、ボウモアのウィスキーにはやはり人の手の温もりが感じられ る。」 (P.57)と記述された。そのまろやかで香りがやさしいボアモアウィスキーとシュー ベルトの長い室内楽の共通点は味の深さである。「シューベルトの長い室内楽を聴くときの ように、目を閉じて息を長くとって味わったほうが味の底が一枚と二枚も深くなる。」、「一 人で穏やかに飲みたい酒だ。その方が味がずっと生きてくる。」(P.57) ○67ラフロイグ蒸留所は村上が訪ねた蒸留所である。革新的なやり方を持ち込む一方で、 頑固なマネージャーと頑固な樽職人たちがウィスキーの味を守り続けている。そのラフロ イグ 10 年と 15 年の味に対して村上はジャズの気分を与えた。ジョニー・グリフィンが入 ったセロニアス・モンクのカルテットやジョン・コルトレーンが入ったセロニアス・モン クのカルテットにとってどちらもベースはセロニアス・モンクである。 村上が編・訳し た『セロニアス・モンクのいた風景』という本では「モンクの音楽は頑固で優しく…(中 略)僕らの心のある部分を強く励まし根源的に説得した。」8(P.10)と書いた。 年数の違うラフロイグと演奏者の違うモンクのカルテットに対しての共通点は頑固さで ある。頑固な音楽と頑固な味は「どちらもうまい」、「どっちも捨てがたく素敵だ。そのと きどきの気持ちで好みがわかれるだけだ。」(P.65)と村上が言った。 2.2 音楽と「共鳴」の空間 村上はアイラにいてアイラウィスキーの吟味と魅力を音楽に通して仲間や読者に紹介し ている。本書の紹介する音楽はクラシックとジャズである。それに詳しくない読者がいる かもしれない。ここで、村上は音楽での紹介以外に、三つのウィスキーに対して時間、場 面、場所までも詳しい描写をすることで全体の雰囲気を表わした。読者は心の中にそのウ ィスキー、その音楽とそのシーンの情景を織り交ぜて想像することができる。 以下に、音楽とリンクするシーンを整理する。村上の心中の音楽との共鳴がどのような 風景であるかを明示する。 表 2 心の中のウィスキーと音楽の共鳴の情景 音楽と場面 (時間、場所、音楽、雰囲気) 7《ゴルトベルク変奏曲》2017 ピーター・ゼルキン|片桐文子 http://mercuredesarts.com/2017/09/14 /goldberg_var-serkin-katagiri/ (2018 年 4 月 21 日閲覧) ピーター・ゼルキンは「10 代の頃から大胆で自己主張の強い演奏で注目されただが、柔軟さと円熟味が加った 現在、世界で最思慮深く、個性的な音楽家」と評判されている。 http://www.kajimotomusic.com/jp/artists/k=77/ (2018 年 4 月 30 日)閲覧 8 「セロニアス・モンクのいた風景」村上春樹, 2014, 『セロニアス・モンクのいた風景』P.10

(64)

46 冬の島に旅行に くる人の楽しみ、 上等なウィスキ ーとグラス  悪い季節に、一人で島にやってきて何週間か島の小さなコテージ を借り、誰に邪魔されることもなくしずか本を読む  小さな音でヴィヴァルディーのテープをかける  文字を追うのに疲れると、ときおり本を閉じて膝に置き、顔をあげ て、暗い窓の外の、波や雨や風の音に耳を澄ませる  暖炉によい香りのする泥炭鉱(ピート)をくべ、上等なウィスキー とグラスをひとつテーブルの上に載せ (P.21) ブナハーブン 12 年  穏やかな宵  ピーター・ゼルキンのゴルドベルク変奏曲を聞きたくなる  曲は淡い闇の光の隙間を細く繊細な指先でたどる。  ひとり静かに傾けたいところである。 (P.40) ボウモア 15 年  馴染んだ部屋で、馴染んだグラスで  シューベルトの長い室内音楽を聴くときのように目を閉じて息を 長くとって味わった…  暖炉の前にで、古く懐かしい手紙を読んでいる時のような静かな 優しさ、懐かしさが潜んでいる  一人で穏やかに飲みたい酒だ (P.57) 村上が編・訳の『セロニアス・モンクのいた風景』の中に「本当に大事なものを、本当に 深いものを誰かと共有するには言葉はむしろ余計なものになってしまう。」9(P.14)と記述 した。表 2 のリストした共通点はもちろん酒と音楽であるがもう一つの共通の元素はひと りであることである。ひとりでいると言葉は余計なものになってしまう。時間、場面、場 所を加えてことばはウィスキーになって音楽と「共鳴」する空間が立体化になる。ウィス キーは音楽へ、音楽はウィスキーの感覚を実現してお互いに豊富にしてくれる。 3.音楽以外の女優、楽劇、小説 音楽によるウィスキーの比喩以外に、作品の中には女優、楽劇や有名な小説で比喩して いるところも整理した。また牡蠣を食べる時やアイルランドのビールとアイリッシュウィ スキーを飲み楽しんでいる場面でも文学の作品や映画のシーンと女優などで比喩している。 表 3 音楽以外の女優、楽劇、小説などでの描写 項目 比喩 比喩に対して描写 グラスゴー空港か 「マクベス卿の暗い心のよ プロペラ機がぐらぐらと揺れる 9 同注 7。 P.14

(65)

47 ら出る双発のプロ ペラ機 うに」 (P.20) (P.20) アイラでシングル. モルトを牡蠣にか けて食べる 「まるで伝説のトリスタン とイゾルデのように」 (P.50) 「牡蠣のくささとウィスキーの海 霧のような煙っぽさを口の中でと ろりと和合する」 (P.50) アイラウィスキー のラフロイグ (10 年と 15 年) 「アーネスト・ヘミングウェ イの初期の作品に見られる ような、切れ込みのある文 体」 (P.65) 「華麗な文体ではないし、むずかし い言葉も使っていないが、真実の一 つの側面を確実に切り取っている」 (P.65) アイルランドの 風景 「アイルランドを舞台した ジョン・フォードの映画『静 かなる男』」 (P.83) どこに行っても『静かなる男』みた いな美しいのんびりした風景、なか なか心愉しかったです (P.83) スタウトの味 (アイルランドの黒 ビール) イングリッド・ハーグマンの 微笑みのようにそっとクリ ーミー モーリン・オハラの唇のよう にハードに引き締まったり ローレン・バコールの瞳の ように捉えどころのないク ールさを浮かべたり (P.94) サーブされる温度が違う、注ぎ方が 違う、グラスが違う、泡のかたちが 違う、それらの違いの集積によって 同じ味のするビールなんてひとつ もない。 (P.94) パブというのは なかなか奥が深い ところだ 『ユリシーズ』的に奥が深い (P.97) 比喩的に、寓話的に、フラグメンタ ルに、総合的に、逆説的に、呼応的 に総合参照的に、ケルティックに、 ユニバーサルに奥が深い (P.97) 我々はことばしかない世界に住んでいる。でも、村上は音楽から映画、女優、楽劇と有 名な小説までも、何かべつの局面の表現に置き換えて語っていた。いろいろな幸福な瞬間 をウィスキーに関する言葉で綴る努力をしていた。 例えば、村上はアイルランドの風景について「どこに行っても『静かなる男』みたいな 美しいのんびりした風景、なかなか心愉しかったです。」(P.83)と簡潔な描写だけれども映 画はジョン・フォード監督が両親の故郷アイルランドで撮影を行なった作品である。中に

(66)

48 は美しい自然の風景と、人間味溢れる登場人物たち、随所で流れるアイルランド民謡があ る。 4.島の人のことばがウィスキーであった アイラ島の樽職人ジムはウィスキー造りを本質的にロマンチックな仕事であると言って いる。職人たち作ったウィスキーは 10 年や 15 年の長い歳月をかけて熟成する。そして、 長い年月ウィスキーを作り続けている。自分で今作っているウィスキーが世の中に出てい く時、自分はもうこの世にはいないかもしれない。しかし、それは自分が造ったものであ る。 「俺たちは葬式にもウィスキーを飲む」と島の人は言う。「墓地での埋葬が終わると、みん なにグラスが配られ、土地のウィスキーがなみなみと注がれる。みんなはそれをぐいと空け る。墓地から家までの寒い道、からだを温めるためだ。飲み終わると、みんなはグラスを石に たたきつけて割る。ウィスキーの瓶も割ってしまう。何も後に残さない。それが決まりなん だ。」P.54 「子供が生まれると、人々はウィスキーで祝杯をあげる。人が死ぬと人々は黙してウィスキ ーのグラスを空ける。それがアイラ島である。」P.54 それは、島の人とウィスキーの死生の絆である。ウィスキーは、島の暮らしの中に隙間 なく入り込んでいる。彼らのことばが本当にウィスキーであった。 「とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。」P.11 5.おわりに 村上は「僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる」と言った がことばの代わりに音楽で酒と繋がる人の心に近接している。 この作品は、アイラウィスキーを軸とするその土地の文化や風土を独特の言い回しで伝 えた紀行書である。ベースとなったのは今から 20 年前のサントリー社によるステマであっ たが、今読んでもウィスキーの旅に出てみたり、言及した音楽を聴いてみたり、また酒を 飲むたびに本書に登場するスコットランドとアイラ島の風景や「樽の音聴き」一筋の職人 を思い浮かべる旅に出られる。淡々と書いたページ数の多くない旅行記であるが音楽の要 素やその他の作品を比喩として用いることで「ウィスキーと音楽の共鳴」、「文学と酒の 共鳴」もしっかり楽しむことができた。 最後に村上はアイラウィスキーに対する音楽の比喩で、なぜクラシックとジャズを使う のか。他の作品にもウィスキーが出るシーンが多い。例えば 『色彩を持たない多崎つく ると、彼の巡礼の年』中に出ているカティサーク、『1Q84』のフォアローゼズと『騎士団 長殺し』のジュラウィスキーなどがある。今後は、それらと音楽や他の共感覚表現との関 連性を探求してみたい。

(67)

49 五、ポスター発表 04

『騎士団長殺し』における暴力

――『白いスバル・フォレスターの男』から考えて――

台湾大学修士課程 陳 琬渝 1. はじめに 『騎士団長殺し』において、暴力に関する描写は散在している。雨田具彦の絵画や雨田 継彦の経歴など、戦争で何か残虐行為に対する描写があるが、主人公の「私」については、 それほど暴力を振う人間とは描写されていないといえよう。しかし、妻に別れを告げられ てから、実際に明らかにされていない怒り1が、一種の暴力2をもって「私」の中に、抑圧さ れているのではないだろうか。それを示すのが、妻と別れた「私」が『白いスバル・フォレ スターの男』という絵画を完成したことである。以下のような絵画に対する評価がある。 「そしてこの男は――男だよね――何かを怒っているのだろう? 何を非難しているのだろう?」 (第 1 部 P336) 「ここには深い怒りと悲しみがある。でも彼はそれを吐き出すことができない。怒りが身体の内側 で渦まいている」(第 1 部 P336) 絵画の『白いスバル・フォレスターの男』を手がかりとして、『騎士団長殺し』における 暴力についての考察を進めて行きたい。なお、本稿でいう暴力は単なる肉体への暴行でな く、「人間の心の奥底にある根源的ななにかを、容赦なく暴きだす力をもっている3」ものな のである。本稿では『白いスバル・フォレスターの男』をめぐる描写を考察対象とし、『騎 士団長殺し』に織り込まれた暴力にアプローチすることを試みる。 2. 『白いスバル・フォレスターの男』をめぐる暴力 妻と別れ、自宅を離れた「私」は東北・北海道を転々とした後、友人の所有する小田原 の山荘で一人暮らしをするようになった。一人暮らしの約九ヶ月の期間、「私」は四つの絵 1 妻に別れを告げられたとしても、「私」は妻へ不満や怒りのような気持ちを出すことがない。「私」自身も 「そこには怒りはない(と思う)」(第一部 P472)と語っている。しかし、彼が描いた絵画(たとえば、『白 いスバル・フォレスターの男』)から怒りといった感情が伝わってきた。 2 怒りと暴力の関連については、ジェイムズ・ホリス(James Hollis、米国、1940 年-)という心理学分析家は 「怒りも性欲も、特に刺激的であることは疑いようもない。なぜなら、両者とも無秩序な部分を秘めており、 桁外れに自律的な力を潜ませているからだ。だから、憤怒は七つの大罪のひとつなのである。確かに怒りは破 壊的になりうるし、家庭での虐待や戦争にも見いだされる。不機嫌で冷たい憤怒は、現代社会の水面下で脈打 っている」と語っている。(ジェイムズ・ホリス(James Hollis)著、神谷正光・青木聡 訳(2009)『「影」 の心理学――なぜ善人が悪事を為すのか』コスモス・ライブラリー) 本稿ではジェイムズ・ホリスの指摘に 沿って、怒りは暴力の性質を有していると認める。 3 土居豊(2014)『いま、村上春樹を読むこと』P59

参照

関連したドキュメント

主食については戦後の農地解放まで大きな変化はなかったが、戦時中は農民や地主な

○ 4番 垰田英伸議員 分かりました。.

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

海なし県なので海の仕事についてよく知らなかったけど、この体験を通して海で楽しむ人のかげで、海を

「海にまつわる思い出」「森と海にはどんな関係があるのか」を切り口に

氷川丸は 1930 年にシアトル航路用に造船された貨客船です。戦時中は海軍特設病院船となり、終戦

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場