2000 年代日本資本主義の蓄積構造と 農業=土地所有問題
2 7
北 原 克 宣
1
. 問題意識と課題
かつて大塚久雄は,イギリス,フランス,アムステルダムにおいて
1720年に 発生したパプル(イギリスにおける「南洋の泡沫」,フランスにおける「ジョ
ン・ロ一体制の崩壊」,アムステルダムにおける「馬鹿」)の顛末について論じ た
.1そこで大塚は,このバプルの崩壊がイギリスでは産業衰本主義確立の最 終段階を準備する画期となったこと,フランスでは,イギリスほど急激ではな いにせよ,農村マニュファクチュアの発展にともないアンシャン・レジームの 矛盾を顕在化させていく契機となったこと,前期的資本の支配からイギリス産 業資本の利害の下に包摂されつつあったオランダでは,「ただ混乱と悲惨とを 巻き起こすに止まるほかはな」<釘前期的商業資本の息の根を止める方向に 向かわざるを得なかったことを指摘している.
ここで大塚が指摘する重要な論点は,以下の二点に要約できる.一つは,パ プル崩壊が体制転換の画期となったこと,二つめには,健全な「生産力」的甚 盤をもたない経済的繋栄は見せかけに過ぎぬということである.
翻って,われわれがいま直而しているのは,アメリカ住宅バプルの破綻が大 手証券会社リーマン・プラザーズの破綻,
AIGへの公的資金の注入など金融 危機へと波及し,その後,クライスラーおよぴ
G Mの破綻などヨーロッパや
H本など森本主義諸国の実体経済を巻き込んでいる状況である.この問題は,グ
1 大塚]l[ を参照.
2 大塚]l[ 221p.
2
8
立正大学経済学季報第
95 巻2号ローバル化した侶用取引がバプルを生み出したことに原因があり, もとよりア メリカー国内の問題として収束する性格のものではなかったが,この影響が金 融危機にとどまらず,実体経済にまで波及し飩界恐慌的様相を呈している点で
はまさに上述した大塚の指摘した状況に通ずるものがある.
こうした資本主義諸国をめぐる大変動の中で,日本資本主義も転機を迎えて いる.第二次世界大戦後,民主化を通じて新たに再構築された戦後日本資本主 義は,
0981年代後半のバプル形成,
0991年代の「失われた
01年 」 ,
0002年代小 泉構造改革という流れの中で,再生産=蓄積構造を大きく変化させてきたと思 われる.本稿の第一の課題は,
0020年代の今日において日本資本主義の再生 産=蓄積構造がどのように変化したのか,また日本資本主義がどこに向かおう
としているのかを検討することにある.
そして,本稿では,戦後
H本資本主義の再生産構造が大きく変化しつつある と捉えているが,この論拠の一つとしているのが,
8019年代後半以降の農業を めぐる改革の動きである.土地生産に基盤を置く農業部門は,従来より土地所 有との関連で資本主義の基本構造に関連する問題と位置づけられてきたが,ま
さに今日,土地所有問題の根幹に触れる改革が進められつつある.すなわち,
第二次世界大戦後,農地改革の成果を固定化する意味で制定された農地法は,
2 0 0
9
年
6月,改正案が国会を通過し,農地所有の自由化に向けて動き始めたの である.
同時に,
7091年代以降,継続されてきた「減反政策」の見直し論も
8002年末 以降に活発となり,農業部門そのものの位置づけが大きく変更されようとして いるように思われる.この一方で,非農業分野の民間企業への農業分野への参 人や若者の就農希望の高まりなどが雑誌等でも大きく取り上げられるなど,農 業プーム的な状況も生まれている支
いずれにせよ,こうした動きは,個別政策の改正ないし見直しの問題に止ま
3 例えば,「農業がニッポンを救う」 r(週刊ダイヤモンド』9002 年2月82 日号),「成功する 展業入門」 r(週刊ダイヤモン図9002 年8月1B号)などのほか,『WEDGE 』9002 年5
月号, r週刊エコノミスト』9002 年3月38 号などでは農政改革をめぐる議論が取り上げ られている.
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0
年代
H本資本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
92るものではな<, B 本資本主義の再生産構造における農業の位置づけが変わろ うとしていることを意味しており,逆に言えば, H 本資本主義の再生産構造が どのように編成替えされようとしているかを示すものと言える.
したがって,本稿の第二の課題は,日本資本主義の再生産構造における農業 の位置づけがどのように変わろうとしているのかについて,近年における農政 改革の動向を踏まえて明らかにすることである.
2
.
日本資本主義の構造変化
( 1
)
日本資本主義の変化に関する最近の論調
現在の日本資本主義の蓄積構造の変化について検討するに当たり,まず最近 における学界での議論を見ておこう.経済理論学会編『季刊経済理論』第
54巻第 3 号
8002(年1 0 月)では,「日本資本主義は変わったか」という特集が組
まれている.特集が企画された意図について,編集担当者の植村博恭氏は,
「
9119年から 0 年以上に及んだ日本経済の長期不況は, 1 しばしば『失われた1 0 年』と呼ばれている. しかし,それはたんなる空白の
01年だったのではなく,
日本資本主義を支える様々な制度が大きな変化にさらされた時期でもあっ
た…•では,全体として『 H 本資本主義は変わったのか』,これが本号の特集で考察したいテーマである」
)3.p(と説明している.さらに,「今日,日本資 本主義の新たな変化を正確に分析し,政策的な関与の可能性と限界性を冷静に 認識しつつ,そのうえで『
H本資本主義をいかに変えうるか』とあらためて問 うことは,決して無慈味なことではないように息う」
)3.p(と述べていること からすれば,明示はされていないが,企画者の意図の中には,サブプライム・
ショック後の世界同時不況の中で日本資本主義がどのような方向に進もうとし ているのかを正確に捉えておきたいとする問題意識があったものと思われる
(リーマン・ショック後の金融危機およぴその後の動向については,編集時期 の関係上,反映できていないのはやむを得ないが).
この特集テーマに答えるのが,磯谷明徳,石倉雅男,金澤史男,佐藤秀夫の
4氏の論文である.ここでは,各氏の論文の論点を追いながら,「
H本資本主
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立正大学経済学季報第5
9 巻2号
義は変わったか」という主題に対する現時点での到達点を確認しておこう.
まず磯谷論文(「日本型企業システムの変容と屈用ー収紋か拡散か,それと もハイプリッド化かー」は,「階層的市場ー企業ネクサス」論の視角から「
H本型企業システム」の変容とそれが雁用に与える影響について明らかにしよう としたものである.ここで言う「システム」とは,「様々な経済活動に関わる 諸制度とその下で実現される各経済主体の行動パターンの連関から構成される もの」と捉えられるものであり,この見地から「各国ごとに異なるシステムは,
特定の歴史的経路に沿って深化してきたということであり,それゆえ,特殊か 普遍かといった観点からではなく,それぞれは多様なものの
1つとして理解さ れねばならない」
)9.p(としている.
以上のような分析視角から,磯谷氏は,「
7199年
11月の金融危機を契機とし て ,
H本型企業システムを特徴づけてきたヒト,モノ,カネに関わる長期継続 的な取引関係のいずれもが大きな変化の圧力にさらされ,事実それらは大きく 変化した」
)31.p(として,
9971年を日本型企業システムの転換点ーと捉えてい る.具体的には,企業間の系列関係やメインバンク・システム,株式相互持ち 合い,長期雁用および年功的な貨金体系の変化を指している. しかし,こうし た変化が直ちにアメリカ型への移行を意味するのではなく,長期雇用維持と成 果主義導入の組み合わせによる「新しい
J型企業」と長期雇用放棄と成果主義 導入の組み合わせによる「
A型企業」
)81-71.pp(への分岐を生み出している ことを宮本光晴氏の成果を引用しつつ述べている.そのうえで,「新しい
J型 企業とその下で成立する雁用の新たなシステムは,新旧の巽質な要索を混成し
て形成されたハイプリッド型のシステムだということになるだろう」
)81.p(と指摘している.
以上のように,磯谷論文は,金融システムや企業組織の変化を通じて雇用制
度がどのように変化しているのかについて論述したものであるが,特集テーマ
である「 H 本資本主義は変わったか」との設問に対しては,「静止した資本主
義というのは形容矛盾である」とするシュンペーターを引用しつつ,「資本主
義が,すべてが静止することのできない動態的な世界にあるのを特徴とする限
り,本特集号・・・・に対する回答は自明であろう」として「日本経済はそれを取
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年代
H本資本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
13り巻く環境の変化に対応してこれまでにも変化をしてきたし,これからも変化 をする」
)9.p(としている. しかし,
H本企業の衰本調達方法や株式の持ち合 いの仕組み,組織形態や下請構造,雁用制度などが変化したとして, 日本賽本 主義に全体としてどのような変化があったのか否かという点については,明確
には述べられていない.
次いで,石倉論文「日本の金融システムの回顧と展望ー銀行部門の構造変化 を中心に一」では,
H本の資本市場の変化について,①
5791年からの国債発行 の増加,②
8091年代初めの円の国際化,③
0819年代後半以降における国内資本 市場の規制緩相の進展という三段階に分けて整理した上で,
7919年の橋本内閣 における「金融ビッグバン」以降の金融部門の再編について整理している.こ こでは,事実関係については丹念に整理されており,金融部門における変化が 規制緩和を通じて大きく変化してきたことはよく理解できるが,
H本資本主義 がどのように変化したのか, しなかったのかという点については,全く触れら れていない.
金澤論文「構造改革と
H本資本主義の変容」は,「近年における日本賽本主 義の変容について,
0819年代半ば以降の構造調整政策,
0991年代半ばにおける 構造改革政策への転換,
0002年代における構造改革政策の本格的具体化という 政策展開過程に注目して検討すること」
)43.p(を課題としている.その際の 分析視角について,「
2次の靴界大戦をへて形成された
02肌紀福祉国家が,ど のように変容したのかという視点から問題を検討していく」
)43.p(としてい
る .
氏によれば,
0891年代半ばにおける構造調整政策は,前川リポートに見られ る通り,「短期的には貿易黒字を急速に減らし,中長期的には内需主導型経済 に転換することが『国際協調型経済』,『国際国家
H本』を実現すること」が
「『グローパルな視点に立った施策』の内実とされた」
)43.p(のであり,この 段階では「グローバル化」ないし「グローバリゼーション」といった用語は登 場していない.
これを越える政策基調が形成されるのが
9391年
8月に成立した細川内閣であ
り,そこでは「従米比較的慎重だった社会的規制についても例外なく見直」す
3
2 立正大学経済学季報第59巻 2号
規制緩和政策が打ち出されることになったが,「こうした政策方向を練り上げ て体系化してい」 (5)-334.pp ったのが1996 年 1月に成立した橋本内閣である としている.この転換を,氏は「国家の正統:I生原理とも言うべき政策理念の転 換を伴っていた」として「自由と競争を通じて達成される効率こそが,生産性 の向上や経済成長の維持を可能にする『基本的正義』とされる」 ()73.p 価値 観への転換がなされたとみる.そして,この路線を本格的に具体化していった のが小泉内閣であったと捉えている.
このような政策的変化の背景にある経済的基礎構造の変化として,氏は,① 製造業の生産拠点の海外への移転,②就業構造におけるサービス就業者の増加,
③民間企業の資金需要の低下にともなう金融機関の資金運用問題などを挙げ,
「これらは,循環的な性格の変動ではなく,経済のグローバル化に否応なく巻 き込まれるという歴史的条件のもとで日本経済の成熟化と並行して顕在化して きたものであって,不可逆的な変化」 ()64.p であるとしている.
4論文の中では,この金澤論文が最も特集テーマに直接的に答えようとして いるように息われる. しかし, 1980 年代半ば以降の日本資本主義の変容に関す る状況把握としては概ね首肯し得るとしても,これを「20世紀福祉国家」とそ の変容として捉えようとする点については,やや一般論化し過ぎているきらい があり,日本資本主義の特徴の理解としては実態とかけ離れているように息わ れ,受け入れ難いと言わざるを得ない.
最後に,佐藤論文「交易損失と外需依存と低賃金指向型FDI ーグローバリ ゼーション下の日本経済ー」は,「グローバリゼーション下の日本経済に関し て,対外経済関係を中心にその特徴を明らかにすること」 ()94.p が課題であ るとして,マクロ経済データを用いた分析を行っている.その結果, H本は,
1 9 9
0 年代以降,「交易条件悪化に伴う交易損失が膨大な規模に達し,実質純輸
…•の は か てし ったので
あ」 ()05.p り,このことが2002 年から 2007 年にかけての「長期拡張期」を
「実感なき景気拡大」と言わしめた最も重要な理由であるとしている.
また,「90年代半ばから労働生産性上昇に見合った賃金率上昇が見られなく なり,単位労働コストが低下するようにな」った結果,「H本経済は・・・・賃金
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年代日本資本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
33が生産性上昇に見合って上昇しないので,内需としての国内消費が不足する.
このような中で生産を増やすには外需に頼るしかない.十分な外需を獲得する ためには価格を上げずに売りまくるしかない.価格を上げないしわ寄せは労働 者に向かう.生産性上昇に見合う賃金上昇を認めないので,国内消費需要は停 滞が続く」
)25.p(という悪循環に陥っていると指摘している.
さらに,「
09年代以降に
H本の製造業は国内での生産能力拡大を停滞した」
にもかかわらず,「労働生産
l生!ま上昇を続けたから国内の製造業雇用は減少」
し,反面で中国およぴ
ASEAN 4という低賃金地帯を中心として「日本企業 は国外で生産能力を拡大し続けた」というように,国際資本移動を通じて,
「日本企業の低賃金指向が国内ばかりでなく国外にも向けられている」
)85.p(ことを指摘している.
氏の論文は,事象の変化に関するデータ分析は緻密になされており,その範 圃での論述は明快であるが,では「日本資本主義は変わった」との設問にどの ように答えるかは明瞭ではない.また,変わったとすれば,いつを画期として 何がどう変化したのかということについても明確にはなっていない.
以上,
4論文について論点整理を試みたが,特集テーマに関する接近の仕方 には濃淡があるものの,個々の部門ごとの変化についての詳細な検討にとどま っており, H 本資本主義総体についての把捏はなされていない.この点は,編 集担当者の解題でも,「本特集号の寄稿された諸論文は,『日本資本主義は変わ ったか』という問いに直接答えるというよりも,丹念な分析を提示することで,
この問いに答えるための客観的事実と分析枠組みを示してくれているように息 われる」
)8.p(と指摘せざるを得ないことからも明らかである. しかし,困難 な課題であるとは言え,われわれに今求められているのは, 日本資本主義の全 体構造がどのように変容しつつあるのかを示すことであろう.
( 2
)
0 0 0 2 年代日本資本主義の世界史的段階
以上見たとおり,
H本査本主義の変化に関する最近の議論を見る限り,
H本
衰本主義そのものの変化をどのように捉えるかという視点,言い換えれば衰本
主義総体の変化を捉えようとする視点が欠けているように思われる.そこで,
3
4 立 正 大 学 経 済 学 季 報 第59 巻2号
本稿では資本主義を総体的に捉える視角を重視しているが,この場合,再生産 構造論的な視角が有効であろう.再生産構造論を用いた分析は,山田盛太郎が
『
H本資本主義分析』において戦前
H本資本主義の分析に具体化して確立され たが,理論的には,マルクスの再生産表式論を資本主義分析に具体化したとこ ろに特徴がある.その後,山田自身により戦後
H本資本主義の分析にも用いら れるが,「戦後版 H 本資本主義分析」として体系化されたものは残されていな い.そこに,戦前とは哭なる戦後日本資本主義の構造的特質があったと考えら れる.
すなわち,『日本資本主義分析』との繋がりで見ると,戦後日本資本主義は,
一国資本主義の枠組みが基本であり, したがって,外国貿易ないし植民地との 関連は一定程度あったとは言え,基本的には一国資本主義としての再生産構造 として捉えることが可能であった. したがって,戦前
H本資本主義についての 山田の理解は,資本については財閥,土地所有については地主制が支配し,そ の下に前者については「インド以下的」と規定される低賃金労働力,後者につ いては「高率現物小作料」に規定された小作農民が従属し,こうした階級構成 を絶対主義的天皇制で束ねるという構図で捉える.こうした構成を甚盤として,
急速な資本主義化, しかも単なる衰本主義化ではなく,重化学工業の確立と同 時に軍事的にも欧米諸国と対等な水準まで高めなければならないという事情を 抱えた中での発展を強いられた.このような怠速な発展を可能としたメカニズ ムこそ,封建的要索を完全に払拭せず,この要索を半ば残存させ内部化しなが ら近代的資本主義に移行していったことにあるのであり,そこに山田は「半封 建的 H 本資本主義」と規定される特質を見出したのである.
しかし,戦後分析については,戦前の分析をそのまま当てはめることはでき
なくなる.それは,
GHQによる占領政策のもとで財閥解体,農地改革,労働
改革が行われ,資本主義の構造を規定する基本変索である資本・土地所有・賃
労働に関する改革が実行されたからである.これをうけて,戦前日本資本主義
の衰本を代表した財閥は解体され,農地改革では地主制の解体と自作農の創出
が達成され,労働改革にともない労働者の権利が保障されることになり,戦前
日本資本主義は基本構造から解体された. したがって,戦後日本資本主義の基
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0
年代日本衰本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
53本構造は,戦後改革を通じて新たに形成されることになった.この構造をいか
に捉えるかが山田の戦後研究の出発点になっていく.そこで,農地改革の研究 に着手することになるが,そこでの結論は,農地改革は地主制を解体し生産力 を高めることに寄与したが,
Iha規模の分散的な土地利用を私的土地所有の 枠内に固定化し(雰細私的土地所有),その下での零細農耕制を温存させたこ とに限界を見出した. しかし,この限界は,農業発展という側面から見たとき には限界と捉えられるが,資本蓄積という観点から見れば,必ずしも限界では なかった. というのは,農業発展の限界性はやがて農業解体化へとつながり,
この結果,農外へと流出した農家労働力が高度経済成長を支える労働力となっ たからである.ここに,戦後
H木資本主義が農業解体を通じて資本蓄積を拡大
していくたらすという顛倒的再生産構造の特徴を見出すことができる.
そして,戦後
H本衰本主義の甚本構造を理解する上でもう一つ付け加えなけ ればならないのは,アメリカの存在である.戦後日本資本主義の再編は,アメ リカの戦後世界戦略に包摂され,アメリカの庇護の下で戦後再編を図ることに なったのであり,この点は,まがりなりにも一国資本主義として自立した形態 で資本主義としての発展を図ろうとした戦前とは大きな相違をなす. とりわけ,
米ソ冷戦への突入と中華人民共和国の成立,朝鮮半島での緊張の高まりなどの アジア情勢の変化は,
H本を「反共の堡塁」と位慨づけることになり,
H本の 重化学工業化を促す方向に占領政策を転換させることになった.こうして確立 する戦後段階の重化学工業は,再生産構造論的には,鉄鋼製品を輸出し食料を 輸入するというアメリカ森本主義との内的連関を強く持つ構造の確立を意味し,
一国資本主義の枠組みでの分析ではもはや不十分となっている. したがって,
戦後段階の分析においては,冷戦体制およぴアメリカ資本主義との関連を取り 入れた分析が不可欠なのである.
さて,以上のような分析視角に甚づいて
0002年代日本資本主義が直面してい る泄界史的段階について整理するとどのように捉えられるのであろうか.戦後 賽本主義の展開については,これまで大きく三つの画期があったと考えられる.
一つは,第二次世界大戦後から
0691年代までの「戦後段階確立期」,第二に,
1 9 7
0
年代初頭から
0891年代半ばまでの「戦後体制転換期」,第三に,
0891年代
3
6
立正大学経済学季報第5
9 巻2号後半から現在までの「グローバリゼーション展開期」である.
紙幅の関係から,ここでは第三の画期に焦点を当てることにするが,必要な 限りでこれ以前の画期についても触れておこう.まず第一の画期である戦後段 階確立期であるが,この時期で重要なのは,戦後日本資本主義の再生産構造が,
米ソ「冷戦」が明確になる中でアメリカ資本主義の再生産構造と強固な連携を もつかたちで形成された結果,一国資本主義として見ると,生産手段生産部門 中心の内部循環構造が形成され,重化学工業における高蓄積が進むのと対照に,
農業・軽工業などの消費資料生産部門は恙積が進まず解体化が進むという非応 答的で顛倒的な再生産構造が形成されたことである. したがって,再生産構造 としては,
II部門の不足をアメリカを中心とした海外からの輸入で均衡をとる かたちとなった.
そして,第二の画期である戦後体制転換期では,金・ドル交換停止とこれに ともなう変動相場制への移行による戦後資本主義国の資本循環構造を規定して きた
IMF=ドル体制の崩壊と,第一次石油危機を契機として経済成長の限界 が露呈し,世界的にも戦後資本主義体制の転換期に入ったことが今日の金融危 機を理解するうえでも重要である. とりわけ, ドルが金の足かせを外された変 動相場制に移行したことと,石油危機にともなう原油価格高騰が過剰ドルを生 み出していくことになった点は,今日のバプル形成および金融危機を理解する 上でも重要な点である.
また,こうした動きは,経済学の主流をケインズ学派からマネタリズム,サ プライサイダー,合理的期待形成学派など市場機能に全幅の信頼を置く「新し い古典派」への転換をもたらすが,これがグローバリゼーション(とりわけ資 本の)を推進するイデオロギーとして機能していくことにもつながっていった.
さらに,日本資本主義にとっても,
1970年代初頭の動きは高度経済成長の終
焉をもたらすことになったことは,大きな転換点となった.こうした中,
H本
において特徴的なのは,一つは,徹底した人員削減と
M E革命と言われる生産
過程の自動化を推し進めることで早い段階で, しかも生産力構造を一段高める
かたちで製造業の回復が図られたことである.ただし,市場はアメリカなど海
外市場に依存していたことは,貿易摩擦をもたらすことになる.そして,第二
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年代日本賽本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
73には,ケインズ理論への信頼が失墜し市場原理を重視する経済学への流れが出 来つつある中で,
H本列島改造論にもとづく公共事業の拡大,農業関連予算の 充実などケインズ的政策を駆使することで,地域経済を相対的に安定化させ,
日本資本主義全体としての安定(いわば「見せかけの均衡」)が図られたこと である.
しかし,
7091年代の転換期は,世界史的に見ればアメリカを中心とする資本 主義諸国間の蓄積構造が限界に達しつつあることを示すものであったのであり,
日本にとっては,そもそも顛倒的な形で形成された再生産構造の限界を意味す るものであった. したがって,この危機を乗り越えるには,本米であれば再生 産構造の編成替えが必要であるはずであるが,この段階では,ケインズ的政策 が延命処箇を図る格好となり,結果として問題の先送りをるかたちとなった.
第三の画期は,米ソ「冷戦」体制の解体,ディレギュレーションによるグロ ーバリゼーション(=アメリカ型資本主義)の全面的展開,さらに中国におけ る改革開放政策への転換をもって特徴づけられる.すなわち,戦後資本主義に ついてみれば,旧ソ連を項点とする対抗軸を失い,パックス・アメリカーナ下 において金融中心のアメリカ型資本主義が全面的展開をみせる一方,ヨーロッ パにおける統合への動き,中国など新興国の成長など多極化への移行が始まっ た .
アメリカ資本主義は,
0891年代前半に「双子の赤字」に転落するが,「小さ
な政府」,ディレギュレーションを掲げる「レーガノ・ミックス」のもとで金融
自由化を進め,高金利政策を通じてアメリカに資金が還流する仕組みを作り上
げることで,「双子の赤字」を抱えながらもドル体制を継続することを可能と
した. しかし,その背景に過剰ドルの存在があることは変わりなく,アメリカ
に還流したドルを再投資することが,製造業を失い金融中心型となったアメリ
カ資本主義の生き残る途となった. したがって,アメリカにとってみれば,匪
界的規模での金融自由化の進展が,アメリカの生き残りにとって不可欠な条件
となったばかりではなく,金融商品の多様化が必要とされたのであるが,これ
は同時に,金融市場の変動=不安定性のうえに成り立つものであった.こうし
て ,
8091年代後半以降, 日本のパプルを初め,束アジア通貨危機,アメリカに
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立正大学経済学季報第
95巻2号おける
ITバブル,住宅バプルなど,バプルが発生しては崩壊を繰り返すとい う循環が繰り返されることになった.
このことは,アメリカばかりではなく世界各国を巻き込んでいくことになる が,日本はまさにその渦中に見事にはまっていったのが
0002年代の特徴であっ たと言える.この間の変化について,国際収支を見ると,アメリカの経常収支 は一貫して赤字基調であり,
0702年度では
231,7億ドルの赤字となっており,
その
96%は貿易・サーピス収支が占めている. しかし,アメリカの強みはこの 経常収支を上回る資本収支があることであり,
0002年以降も増加を続け,
0702年では
267,7億ドルの黒字となっており,投資収支だけを見れば
5747,億円とな
っている(「その他資本収支」が赤字になっているため,投資収支との合計で ある資本収支の方が投資収支を下回る結果となっている).
これに対し,
H本は,
4020年までは経常収支が圧倒的に大きな黒字を形成し,
その内訳では,貿易・サービス収支が所得収支およぴ経常移転収支を上回り,
辛うじて「貿易立国」としての収支構造を維持している.具体的に
4002年につ いて見れば,経常収支
12,71億ドル,うち貿易・サーピス収支が
249億ドル,所 得収支が
758億ドルとなっている.そして,資本収支は,経常収支の
01分の
1程度であるとはいえ,黒字を維持している. しかし,
5002年以降,経常収支の うち,所得収支が貿易・サーピス収支を上回り,資本収支も大幅な赤字へと転 落するに至る.この結果,
0702年で見ると,経常収支
5012,億ドル,うち貿 易・サービス収支が
538億ドル,所得収支が
853,1億ドルと黒字になっているの に対し,資本収支は
291,1億ドルの赤字となっている.すなわち,
H本の資金 の多くが海外に流れているということであり,その流出先の大半がアメリカで あるとみて間違いないだろう.このように, もはや
H本は製造業に碁盤を置く
「貿易立国」とは言えないところまで米ているのである.
また,注目すべきは中国である.中国は,経常収支の黒字を
0302年
594億ド
ルから
7020年
18,73億ドルまで急激に増加させており,この
83% 7002(年)が
貿易・サーピス収支であり,さらに資本収支も
7002年で
537億ドルの黒字とな
っている.金融危機の影響を受ける以前の数値であるとはいえ,中国の製造業
の圧倒的優位
:I生を示すものであり,このことは,金融危機以降の恐慌的状況の
2 0 0
0
年代 ・ s 本賽本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
93インパクトが,アメリカや H 本とは明らかに奥なることを示している.
以上のように,
0198年代後半以降,金融中心のアメリカ型衰本主義が一見,
順調な回復を見せることになったが,これは過剰ドル,金融市場の不安定化と 裏腹の関係に成り立ってきたものであり,その行き詰まった結果が住宅バプル の崩壊, リーマンショック後の金融危機およぴその後の恐慌的状況として現れ ていると捉えられる. したがって,オパマ大統領がグリーン・ニューディール を掲げ,金融中心型構造からの編成替えを図ろうとしていることは当然の方向 性と言えよう. しかし,こうした状況の中にあって,日本はいまだ1
990年代以 降の市場原理的な方向性への執着と,
0197年代的なケインズ主義の反動との間 で揺れ動いているのが現状である.
3
. 日本資本主義における農業=土地問題の位置づけの変化
1)
戦後日本資本主義の再生産構造と農業
第二次世界大戦後の占領下における三大改革(財閥解体,農地改革,労働改 革)は
H本の民主化を進める甚盤を形成したが,このうち,農地改革において は,地主制下にあった農地をもとの小作人に配分することにより零細私的土地 所有を生み出し,
1戸当たり
1 ha規模のもとに新たな農業生産力構造が展開 されることになった.戦後農業技術の普及は,
1950年代後半の動力耕転機,動 力防除機に始まり,
6019年代後半には乗用型トラクター,
9701年代における動 力田植機,パインダーや自脱型コンバインなどの動力収穫機という順序で進ん だしこの結果,水稲の1
0アール当たり収鼠は,
9401年代後半326kg から
1960年代3
kg,96 9701年代には455kg に達し,
10アール当たり投下労働時間につい ては,
4019年代後半
3.091時間から
1970年代後半には7
8.1時間と半分以下にまで 減少している.
しかし,零細私的土地所有を経営甚盤とする零細農耕のもとでは,このよう な農業生産力構造の高度化がもたらす農業所得の増大効果は一時的なものに過
ぎず,農家経済における農業所得の位置づけを低くせざるを得なかった.この
・農林水産省農林水産技術会議ホ務局]6[ 93-73.pp
4
0
立正大学経済学季報第
95巻2号結果,農業所得による家計費充足率は,
1950-55年にかけては
78-85%の間で 推移するが,
1956-60年にかけて
72%から
60%まで低落し,その後,
7019年に は
50%を割る水準まで低落した.このような傾向を山田盛太郎およぴ保志向は
「農業解体」と表現した.農民層分解論をめぐる論争が盛んであった当時,農 業解体という用語の与えるインパクトも含め否定的な見解も多かったが,山田 が指摘したのは,
6019年代以降,巨大な独占衰本の蓄積力が農業内部の蓄積と 分解のメカニズムに強力に作用し, もはや「農業の内的独自性」によって農民 層分解が規定されているわけではないという戦後段階的な特徴であった.前述 の通り,
6019年代以降,農業所得による家計費充足率が急速に低下し続け,食 料自給率は
40%まで低下してきた現状を見る限り, もはや
H本農業の解体化は 否定すべくもない.戦後日本農業がこのように推移してきたことをみれば,
1 9 6
0
年代初頭の段階において「農民層分解の古典的解釈においては,下層農民 のプロレタリアヘの没落を規定し,そのプロレタリアヘの道は社会序列でいち だん上の地位からの顛落を意味し,農民層そのものは未顛落の,いちだん上に 位する形をとっていたものが,今や,プロレタリア化は,不断の,むしろ希望 すべき道とされるほどの,自らの地位低下に陥ってきていることを意味するの ではないか」
5と指摘していたことは卓見だったと言えよう.
ともあれ,資本一般における強蓄積構造への移行と農業における家計費充足 率の低下は,農家労働力を農外に向かわせることになり,
0961年代にはまず九 州畑作地帯の農家労働力が出稼ぎを余儀なくされ,
6019年代後半にはこの傾向 が東北水田地帯にも及ぴ,これらの労働力が戦後日本資本主義の高度経済成長 を支えていくことになった見かくして,零細私的土地所有を基盤とした
H本 農業は,一個の産業として確立して再生産構造の一粟を担うのではなく,農外 への低賃金労働力の供給基盤として「三層の格差構造」の底辺に位置づけられ,
工業部門の一方的拡大に貢献させられる立場に位置づけられたのである.
5 山田]8[ 982.p
6 出稼ぎ問題については,拙稿「出稼ぎ問題ー出稼ぎと農村社会の変貌ー」『戦後H本の食 料・農業・農村・第11巻ー農村社会史ー』(農林統計協会, 2005 年)713-2.24pp 所収を参 照.
2 0 0
0
年代日本衰本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
14しかし,農家経済の解体化がそのまま農業そのもの消滅や農家の生活の崩壊 をもたらすものではなかった.それは,高度経済成長にともなう労働力需要が 農家労働力を吸収するとともに,食糧管理法下における食管制度が稲作収入を 保証し,結果として農家経済の安定に寄与したからである.労働力需要につい ては,
9601年代においては東京オリンピックやベトナム戦争にともなう特需に 牽引された建設業や製造業において出稼ぎ労働力が大拭に吸収されるが,
1970年代以降は第一次オイルショックの影響により出稼ぎ労働力に対する需要は急 激に縮小した.しかし,「
H本列島改造論」のもとで展開された
H本各地域へ の高速交通網の整備とこれにともなう公共事業の拡大,「農村地域工業等導入 促進法」
7119(年)による農村地域への製造業の誘致が相まって,農家労働力 は出稼ぎから在宅兼業へと移行していくことになった.この結果,農家からの 出稼ぎ者数は
9731年のピーク時の3
0万人から
1980年には1
3万人まで減少してい るのに対し,第
2種兼業農家の比率は,
1960年の32% から
7019年には51% まで 増加し,
8019年には65% まで達することになった.
0197年代までの恒常的勤務 者数については把捏できないが,把捏可能な
1980年の段階ですでに第
2種兼業 農家のうち
52%が恒常的勤務となっていることをみると,在宅兼業の浸透によ
る農家経済の相対的安定化が図られたことを示している.
そして,農家経済の安定という側面においてもう一つの重要な機能を果たし たのが食管制度であった.
9019年を甚準年とした農産物価格指数で見ると,政 府米では,
9701年の
50から
7619年には
9901年と同水準になったあと, ピーク時 の1
980年代半ばには
131まで達しており,この間,一貫して米価が上昇してき たことがわかる.かくして,展外所得と水稲収入の合算所得によりようやく安 定が図られるという農家経済の構成が形成されたのである. したがって,
1970年代から
0198年代半ばにかけては,「公共事業・企業誘致・食管制度」の三点 セットが農家経済の安定化装置として機能することで,全体として経済的安定 が図られるとともに,混村が政権与党の集票甚盤となり戦後5
5年体制を安定的 に支える基盤になるという政治構造も成立させたのである.
ともあれ,こうしてマクロ的には零細私的土地所有と農業生産力構造との矛
盾が農業解体をもたらすことにより,高度経済成長期には三層の格差構造の底
4
2 立 正 大 学 経 済 学 季 報 第95 巻2号
辺としてもっぱら低賃金労働力の供給甚盤として機能し,
1970年代から
08年代 半ばにかけては,さらに政権与党の集票甚盤としての位箇づけも付与されなが ら相対的安定が図られてきたと言える.その結果,農業そのものの動向とは裏 腹に零細私的土地所有は解体されずに逆に固定化されることになり,資本と土 地所有の対抗関係(ただし,大土地所有としてのそれではなく,あくまでも零 細地片所有の限りでのことに過ぎない点は注意が必要だが)はこの段階ではな おそれなりの重要性を保持していたと言えよう
.7こうして,産業としての農 業の解体は容認しつつも,零細私的土地所有としては維持される政策を講ずる ことで総体として安定化が図られ,
H本農業の危機は隠蔽されることになった.
これが1
980年代半ばまでの推移であった.
2
) 0891
年代半ば以降における農業の位置づけの変化
アメリカの債務国転落を受けて開催された1
598年G 5 プラザ合意以降,世界 的再編過程の一貫として
H本資本主義の再生産構造も転換を始める.プラザ合 意の影響は,
1 ドル502円水準から
5年後には
501円までの急激な円高となって 現れた:この外部環境の変化は
0197年代の危機を
M E合理化と輸出依存型再生 産構造の強化により釆り切った構造に変化を迫るものとなった.これは,「前 川リポート」では「内需拡大」への転換として提言され,中曽根内閣下におい て「レーガノミクス」「サッチャリズム」とならぶ新自由主義的政策の導入と なって具体化されていった.
このような転換の中で,輸出企業にとっては,円高にともなう高コスト体質
(とりわけ労働力の)を国内において吸収することは困難となり,労働力を求
7 この点において,農業協同組合(以下,農協と略)の果たした役割は大きい. B 本の農 協は,第二次世界大戦後,①全戸加入,②ゾーニング,③事業の総合性,④行政補完な どを特徴としてきた.このため,農協は全農民を組織する経済事業体として巨大な経済 力を維持し,この経済力を背景として,農民の利益を代表する「圧力団体」としても機 能してきた.近年,後述するようなH 本農業解体の深化局面において,農協の経済力も 縮小し始めたことから大きな転機に立たされているが,様々な限界や問題を抱えてきた とはいえ,これまで全農民=零細私的土地所有の利害を代表する組織として資本に対峙 する機能を果たしてきた事実は忘れてはならないだろう.
2 0 0
0
年代
H本賽本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
34めて海外に生産拠点を移転する動きが活発化した.この動きは,当初,アジア
NICsから
NIEsへと推移し,
9901年代には中国,東欧へと変化しつつ,近年 では,ロシア,ベトナム,インドなどへと拡大してきている.こうした転換は,
アメリカ主導のグローパリゼーションに適合化していく過程であったことはす でにみた通りであるが, 日本資本主義における農業の位置づけも大きく変化さ せていくものであった.
グローバリゼーションの動きは,農業においては1
986年から
9419年にかけて のガット・ウルグアイラウンドにおいて具体化され始める.同交渉では,国境 措置削減,国内保護削減などが焦点となり,
H本では「最後の砦」と言われた 米の市場開放が求められた.米が「最後の砦」と言われたのは,一つには,日 本の農産物の市場開放が本格的に開始された1
960年代以降,農林水産物の輸人 制限品目は
103品目
296(1年)から
28品目
197(1年)へと甚本法農政期だけで 四分の一にまで減少し,その後,
1991年に牛肉,オレンジが輸入自由化された 時点では,輸入制限品目は
41品目が残されているに過ぎず,主要農産物に限っ てみればほぽ全面的に市場開放されている状況だったことによるものである.
そして,いま一つの理巾として,小麦や大豆に象徴的に見られるように,早い 段階から輸入を開始した農産物では自給率を大幅に低下させたことと
6019(年 度から
70年度の変化を見ると,小麦では39% から
9 %へ,大豆では28% から
4%へと急減している),バナナ
6319(年)やグレープフルーツ
7119(年)など 生鮮果実の自由化がリンゴやミカンなど国内果実の過剰を生み出すなど,輸入 自由化が国内生産の選択肢を狭めることになってきたことへの農民感情を反映 したものと言える.
こうして,米の市場開放を巡っては,学界においても多くの論争が展開され
たが,最終的には,
1993年1
2月に合慈に達し, H 本の米については,関税化を
猶予する代わりにミニマム・アクセス(当初,「輸入義務」と訳された)を受
け入れることになった.ここに,日本の農政は,グローパル化対応に向けて大
きく舵を切ることになったのであるが,これは同時に新たな矛盾を抱え込むこ
とをも意味した.すなわち,一方では7
1万ヘクタール
9319(年)の生産調整を
実施しているにもかかわらず,他方では,ミニマム・アクセスとして米の輸入
4
4
立正大学経済学季報第
95巻2号拭の拡大を約束することになり,従米の保護農政と新自由主義的農政との矛盾 を同時に抱え込むかたちとなったのである凡とはいえ,甚調としては新自由 主義的農政へと大きく転換したことは間違いな<'すでに形骸化しつつあった 食管法の廃止と食糧法への移行により,この流れは決定的となった,.こうし て ,
0891年代前半までの時期の安定化装置であった「三点セット」の基盤の一 つが消滅したのである.
食糧法
5991(年)は,完全自由化とはいかないまでも,計画外流通米を認め ることで農家による販売の自由度を高めると同時に,登録制の導入により集
• • の の た では,
①計画流通制度の廃止,②登録制から届出制への変更,③自主流通法人の廃止
(これにともない全農は集荷・販売業者となる),④米穀価格形成センターヘの 上場義務の廃止などを通じて,完全に自由化されることになった.この間にお ける米価水準の変化を価格形成センターにおける入札価格で見ると,
17,021円
(1 9 9
5
年度)から
990,16円
8002(年度)まで
60kg当たり
0005円程度下落してお り,集荷・販売の自由化が米価下落をもたらしたことは明らかである.
この結果,農業産出額で見ると,米は
3兆4928億円
4991(年)をピークに
1兆 81 4
6
億円
6002(年)まで半減し,
4002年以降は野菜が米を上回ることになり
(2 0 0
4
年では,米
1兆0199億円,野菜
2兆7214億円), もはや
H本農業の主体が米 であるとは言えなくなりつつある.また,米価の下落は,当然ながら農家経済 にも深刻な影響を与え,農業所得による家計費充足率も
21.9% 3002(年)に過
8 ミニマムアクセス米は, 1995 年度に46 万トン(玄米ベース)の輸入を開始したあと順.2 次拡大し, 9 年度の関税化への移行にともない2199 000 年度以降は77ガトンの輸入鼠とな っている. 08 年 9月,加工用米として卸売業者に販売されたはずの「事故米」が食用20 として流通し,老人ホームや幼稚園などの給食に出されていた事件は記億に新しいが,
この「事故米」の大半がミニマム・アクセス米であったことは,この問題が関連企業だ けに責任を押しつけて解決するものではなく,農政の抱える基本的な矛盾に根ざすもの であったことを示唆していると考えられる.
,食管制度の根幹が自主流通米制度の導入以来,すでに空洞化していたことについては,
田代] p7[ .178-188p を参照.
1
0 農業統計の統廃合にともない,農家経済に関する詳細な分析は2004 年以降はできなくな っている.
2 0 0
0
年代日本資本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
54ぎなくなっている凱
そして,農家経済の安定的甚盤における第二の変化は,農外所得におけるも のである.
1985年G 5 プラザ合意による急激な円高は,輸出依存型の製造業を 直撃し,低廉な労働力を求めて生産拠点を海外に移転する動きを加速させた.
これは,製造業にとってみると,兼業が一般化する中で,農家労働力はもはや 低賃金労働力の供給基盤たり得なくなったことを意味するものであった.この 動きを加速させたのが,
0199年代に入ってからのパプル崩壊とその後の長期不 況であった.
やや具体的に数字で示すと,自治体等の用意する工業団地内への工業立地件 数は,全業種で1
088件
8719(年 ) ,
2153件
88(19年 ) ,
1906件
998(1年)と推移 し,その後,減少に転じ,
371件
3919(年 ) ,
488件
899(1年 ) ,
375件
200(2年 ) となっている.このように,バプル崩壊後,急速に工場立地件数・面積とも減 少し,「失われた1
0年」と称される
2200年まで低調に推移していることがわか る.この間の海外における現地法人数は,
10,416社
995(1年度)から
016,37社
(2 0 0
6
年度)へと一貰して増加していることから明らかなように,国内におけ る工場立地の減少は企業の事業活動の縮小を意味するのではなく,事業基盤を 海外に移転しながら事業拡大を図っていることを示すものである
.11このような製造業における生産拠点の海外移転は,国内における工場立地の 減少を意味するだけではなく,下請関係にも変化をもたらした.すなわち,コ スト削減の強要とこれに応じられない場合の容赦ない受注削減である.こうし て,地域全体の労働力市場が縮小した結果,企業誘致とその波及効果により相 対的安定を図ってきた地域経済構造にもほころぴが生じ,ここに農家経済安定 化の第二の甚盤の崩壊が始まった.
さらに,先に挙げた三点セットのうち公共事業をめぐっても状況は大きく変 わる.バプル崩壊後,「総合経済対策」
299(1年
8月)による
01兆7
000億円にの ぽる財政支出が決定されて以来,数回にわたる財政支出を重ねた結果,公共事 業支出は大幅に増加し,
10兆円を超える規模で推移した. しかし,アメリカを
1
1
数値は,経済産業省「工場立地動向調査」および同「海外事業活動甚本調査」結果によ
る.4
6
立正大学経済学季報第
95 巻2号中心とする資本のグローバリゼーションの動きが鮮明になってくるとともに,
H 本の政策においても新自由主義的政策が前面に押し出されるようになってき た.こうして,かつて主流であったケインズ的有効需要政策は後景に退き,そ の代表格であった公共事業関連支出は,「小さな政府」論のもとで批判にさら されることになった.こうして,
01兆円規模まで膨らんだ公共事業関連支出が 批判されることになり,公共事業を含む「小さな政府」に向けての動きが本格 化する.ただし,
7919年1 1 月に成立する「財政構造改革法」は,北海逍拓殖銀 行や山一證券の破綻と重なり,金融危機とそれにともなう経済対策が喫緊の課 題として浮上したことから,公共事業関連投資も
21兆円規模まで増やさざるを 得なくなった.
しかし,
0120年
4月,小泉内閣の成立とともに「構造改革路線」が強力に推 し進められることになる.この結果,公共事業関連支出は
2002年度には
8兆
80 0
0
億円と対前年度比
1兆
0006億円の減少となり,
6002年度には
7兆
0002億円ま で減少している.さらに,この内訳についてみると,
1002年度から
6002年度に かけての減少率は,「下水道廃棄物処理等施設整備費」
,9%5.4「農業農村整備 事業費」
%,.040「道路整備事業費」
,4%.37「治山治水対策事業費」
33.1%と なっており,いずれも地方での需要の大きい予算が大きくカットされたことが わかる.この結果,「事業所・企業統計調査」(総務省)によれば,建設業は
20 0
1
年から
6002年にかけて
06万
0007事業所から
45万
0009事業所まで
9.6%減少 し,従業者数では,
494万
0040人から
343万人まで
16.2%減少している.こうし て,公共事業の減少とともに農家の兼業先としても重要な位岡にあった建設業 の破綻が広がるとともに,農家経済安定化装筐としての第三の基盤もここに崩 壊したのである.
以上を時系列的に整理しておくと,
G5プラザ合怠以降の急激な円高の中で,
製造業における生産拠点の海外移転が始まり,
0991年代にこれが本格化する中 で,企業誘致とその波及効果のもとで労働力市場の拡大および地域経済の活性 化を図ろうとしてきた
0791年代から
0819年代にかけての仕組みが成り立たなく
なったということである.こうして,
0971年代から
8091年代前半にかけて農家
経済を安定化させ,農村地域の見かけ上の安定を図ってきた「食管制度・誘致
2 0 0
0
年代日本資本主義の蓄積構造と農業=土地所有問題
74企業・公共事業」の三点セットは,
0991年代以降,その機能を失い始めたので ある.
4
.
戦後日本資本主義における農業解体の到達点と再編の展望 19 8
0
年代後半における以上のような変化が,農家経済にどのような変化をも たらしたかをまず確認しよう.農家経済における所得構成の変化を見ると,
1 9 8
5
年から
1991年にかけて
444万円から
175万円まで増加したあと減少に転じ,
2 0 0
3
年には
243万円まで減少している.この間,農業所得においても,先に見 た通り,食管法から食糧法への移行にともない減少に転じ,農家総所得は
909万円
4991(年)から
177万円
3002(年)まで減少している.農外所得において
は,世帯員一人当たり所得で見ても同様の傾向にあることから,農外所得の減 少が世帯員の流出によるものとは考えにくい.また,被雇用者の高齢化が考え られるとはいえ,中小企業の男性労働者の賃金水準は,中企業では
23万
0005円
(1 9 9
7
年)から
23万
0001円
7002(年),小企業では
03万
0002円
7991(年)から
92万
0050円
7002(年)へと減少傾向にあることから,農外所得の減少の一つの要 因は長期不況にともなう影評によるものと推測される. したがって,前節にお いて述べた「三点セット」の崩壊が農家経済にも影響しているものと言えよう.
以上見てきた通り,
0891年代後半から現在にかけての変化とそれが何をもた らしつつあるのかについて最後に考察してまとめとしたい.
第一に,現代
H本資本主義における農業の位置づけの変化は,農村部におい て零細私的土地所有の空洞化をもたらしつつあることである.先述したような 農家経済における変化は,農業労働力の担い手の高齢化,後継者不足等の深刻 化も加わり,条件不利地域の農地を中心に,所有者自身が所有権に固執しない にもかかわらず買い手も借り手も見つからない状況,すなわち零細私的土地所 有の空洞化となって現れてきている.この点は,「農業解体」と位四づけられ た
0691年代から
0981年代前半までとは典なるところである.
1 9 7
0