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ヒッチコックの映画『鳥』を再考する A.Hitchcock “ The Birds” − New aspects of analysis

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⒈ はじめに

 サスペンスの巨匠といわれるアルフレッド・ヒッチコックの映画の分析は、すでに過去のもの になった観がある。最近では、映像と音の関係を扱ったものがあるが(アルフレッド・ヒッチコッ ク『鳥』における「サイレント」と「音」<碓井みちこ/映画学叢書・映画とテクノロジー所収、

2015.4. ミネルヴァ書房>)、過去の理論家による映像分析は、制作者の思惑とは違った視点で書か れるものが多く、研究者間では評価が高くとも一般には理解されにくいものが多いとされる。

 リチャード・アレン著「映画を見ること」"Looking at Motion Pictures" の書評で、石田は映画理 論の現状について批判している。

脱構築系の批評家・理論家たちは、自身の理論を強化したいがために、「実例」(映画学の場 合は当然、映画作品)を引き合いにだす。たとえばヒッチコック監督『鳥』(1963)をショッ ト分析し、被害妄想、恐れ、攻撃性などが現れていると結論づける。しかし被害妄想、恐れ、

攻撃性はもともと『鳥』の明らかに意図された主題である。そのような分析は分析者自身の 理論を正当化するために、行なわれているものであり、決して映画テクストの脱構築に成功 しているわけではない。また『鳥』一作品だけを実例に挙げても、到底論者の理論を支え る説得力を持ち得ない。だが、論者はいともたやすく『鳥』という一本のフィルムから「ヒッ チコックの映画は…」や「古典的ハリウッド映画とは…」などと結論づけをしてしまう。こ こでは、分析という行為の目的と結果が転倒してしまっている。こうした事態は、『実例の 虚偽(The Fallacy of Exemplification)』と呼ばざるを得ない。

『リチャード・アレン、マレイ・スミス共編『映画理論と哲学』R.  Allen, M.Smith, Film  Theory  and Philosophy (Oxford:  Oxford U.P.,1997=1999) に 収 録 』 一 分 析 哲 学が映画学にできること、または分析哲学の挑戦 一)石田美紀)http://www.cmn.

hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN5/ishida.html

 理論や分析の独善性や曖昧さをみごとに表現している。一方で映画作品の分析は、製作者の意図 から外れた偏った分析に陥りやすい面もあり、それ故に製作者(通常は監督)から解説ともいえる 言葉が発せられた場合に、それに忠実に従った解釈や分析が生まれ、あらかじめ意図され、その発

ヒッチコックの映画『鳥』を再考する

A.Hitchcock “ The Birds” − New aspects of analysis

大 西   誠 Makoto ONISHI

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言に導かれた結論が出され、定着することも多い。

『鳥』に関しても「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」(1990 フランソワ トリュフォー ) の記述を元に議論が終わってしまう傾向がある。実際、本学でも講義科目「メディア文化論Ⅶ『映 像記号』」でも筆者自身、これに基づいた解説を行って来た。

 しかし、何かが欠けていると数年来、気になっていたことが、2014 年 10 月 25 日発行の「Film  Analysis  映画分析入門」(マイケル・ライアン、メリッサ・レノス著/田畑暁生訳)で解き明かさ れる結果となった。詳細は、後述するが、問題は、ヒッチコックという、監督を職業とする人物を 中心に製作者サイドの目で映画を見ていたため、1960 年代初めの作品が製作された時代背景や社 会情勢に目を向けていなかった。そのことが原因で、映画の隠された意味を発見する目を曇らせて いたことに気づいた。また同時に観客の視点から、映画をどう解釈しているのかにも関心があった。

ここでは、解釈に関して歴史的事実や社会的背景と現在の状況の比較を念頭におきながら、現段階 での研究結果を報告したい。 

⒉ 問題の所在 〜一般的な解釈と隠された意味〜

 映画『鳥』は、「鳥が人々を襲い破滅に導く」という物語である。ヒッチコックは、なぜ鳥が人々 を襲うのか、合理的な説明の一切を省いている。従って、一般的に解釈となる基本情報は、「定本  映画術 ヒッチコック・トリュフォー」が元になっている。ヒッチコックとトリュフォーとのやりと りの中では以下の部分が重要である。

T:1945 年以来、終末論といえば原子爆弾の恐怖であったわけですが、原子爆弾のかわりに 鳥の大群が世界の終わりを招くという発想は、意外や意外、まさに不意打ちでした。(T:トリュ フォー)

H:まさか鳥類が人類を攻撃して滅ぼしてしまうなんてことは誰も考えない。終末論のそういっ た常識というか、保守的な考えを、映画に出てくる鳥類学者の老婦人が代表しているわけだ。

彼女は、言うなれば保守反動の人間であり、世界にとってそんな重大な事柄が、たかが鳥のた めに起こるわけがないという通念に凝り固まっている。(H:ヒッチコック)

「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」p.293-294)

 つまり、ヒッチコックはこの映画でそれとなく映画で触れている終末論(おふざけで「世界の終 わりだぜ!」と叫ぶ陽気な酔っぱらいのセリフなど)を隠し球として示したかったように思われる。

ヒッチコック自身は、「お客は映画のうたい文句や批評や口コミに影響されるからね。そうやって 鳥がそのうちに襲ってくるぞという恐怖をちょっとずつでもほのめかして見せる必要があったんだ よ。」(p.295)と語っているように「理想の観客」作りを意図していて、本音は見せようとはしてい ない。その結果、下記のような一般的な見方が定着することになる。

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 ここに地元名古屋に 2012 年まで中村区太閤通りに存在した名古屋ゴールド劇場が主催した映画 講座の記録がある。「菊川亨の映画講座【名古屋ゴールド劇場】(1994.8. 風媒社)には、10 本の 映画作品について行われた映画トーキングが収録されている。その2本目が『鳥』であった。この シリーズは新作映画を見る講座だったが、ヒッチコック特選と題して劇場で連続上映することから 例外的に取り上げられたとされている。

 鑑賞後の話し合いを進行した菊川は、やはり「なぜ鳥が人間を襲うのか?」を「重要な核心だ」

としてこの映画を見ることを薦めている。従って、観客は、その方向でコメントすることになる。

そのすべてを記述するわけには行かないが、一般的な見方・解釈は、他の場に置ける鑑賞会や合評 会でも同じようなことだろうと推測できるので、典型的な事例として紹介したい。

男性 A:「…これは人間同士の企みじゃなくて、自然の企みから事件が起きる。多くをみて いるわけじゃないけれど、ほかの作品は、なんら原因があって、スリルやサスペンスが次々 と起きるわけだが、これはそうじゃない。「菊川亨の映画講座 [ 名古屋ゴールド劇場 ]」p.23)

 これを受けて菊川は、「なぜ自然が企んだのでしょうか。」と問うた後、原作(『鳥』― デュ・モー リア傑作集 (創元推理文庫) 文庫 2000/11)に触れてから、ヒッチコック自身が映画に登場するシー ンについて面白い意見を述べている(ヒッチコックは自分の映画のどこかに必ず登場している)。映 画の解説にもなっているので参加者とのやりとりを紹介する。

菊川:「ヒッチコック自身がどこで登場したか、皆さんおわかりでしたね(ほとんどの方が、

小鳥屋 * から、子犬を連れたヒッチコックが道路に出てきた場面に気づいていた)。彼の作 品の中では、一番発見しやすい登場の仕方です。あれは、いつものヒッチコックと違って、

観客に対する挨拶じゃないかと、私はかねがね思っています。なぜかといえば、登場の仕方 が非常にわかりやすい。『さあ皆さん、これから怖いお話が始まりますよ』そういう挨拶で はないかと。そして彼は子犬を連れていますが、店の中には小鳥がいっぱい飼われている。

それが一つのヒントとなって、ストーリーが展開する。登場人物には、それこそ変な企みを もつ人は誰一人いないのに、次々に鳥に襲われはじめる。

男性 B:「そうすると、人間は鳥を鳥かごに入れてかわいがること、またそれを商品として 扱うことが原因で、鳥に襲われるということなんですか。

菊川:「もちろんすべてではありませんが、重要なヒントだと、私は思っているんです。(同 p.23-24)

* 実際は小鳥屋ではなく、画面にもペットショップと出ている。2 階がバードコーナー。

 少々引用が長くなったが、このあと、菊川は、「本来鳥は空を飛べるように、造物主に造られ」ており、

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ペットとして飼うのは「人間側の論理で、鳥の側に立った論理ではないというふうに考えたらどう でしょう。」と発言し、男性 B も「自然の側からの、人間への反撃」「自由解放運動のいっせい蜂起?

(笑声)」と続く。

 確かに断言できないが、菊川が言うようにヒッチコック自身が「自然は復讐する」と「定本 映画 術 ヒッチコック・トリュフォー」の中でも発言している。それ以上は、内容についてヒッチコック は語らず、観客の想像に任せている。とはいえ、やはりエンディング(ラスト・シーン)の演出が、

全体のテーマとして自然と人間の戦いのように読み取らせようという意図と構成になっているのも 事実である。

 またこの作品は、本学講義【メディア文化論Ⅶ(映像記号)】の中でも取り上げており、学生がど んな理解の仕方をしているか、視聴後にコメントシートに書かせてみた。

 その中には、「鳥の襲撃が戦争の空襲のような感じがした」「鳥が何か兵器のような感じ」で怖かっ たとか、「戦争がテーマになっていると感じた」「何の罪もない人々が大勢死んでしまったり、正当 な理由もなく傷つけられてしまう戦争と『鳥』と重なり合う」「核や戦争を暗示しているのかなと思っ た。」と終末論を読み解く学生がいる一方で、「自然からの報復」を見る学生もいた。

 しかし、筆者自身は、こうした解釈は、ヒッチコック自身の言葉に誘導され誤摩化されてきたの ではないかという疑問も否定できない。ヒッチコックのインタビュー映像を見ても、真面目に答え ているかに見えて、人を喰ったような何か悪ふざけをして喜んでいるかのような印象が抜けきらな い。あるいは噂に過ぎないかもしれないが、ヒロインのティッピ・ヘドレンに対する「セクハラ」

行為や「金髪好き」という性癖も同じようにヒッチコックの性格によるところが大きいと思われるが、

ここでは触れないでおく。鳥が人間を襲うという終末を描いたところに目を向けさせることによっ て、本当は違う意味を隠しているのではないか?あまりにあからさまな鳥の人間への復讐劇で、隠 したものは何かを見いだすことは可能なのだろうか?また学生たちの中に「家族と愛」を見いだす 者や、人間関係に関心を持った者もいた。このように色々な解釈が可能だが、どのような分析や理 解が真実に近いのか?この映画と少し距離をおいて、1960 年代の社会と映画の関係を見て行きた い。

⒊ 映画学的な解釈 〜社会的背景を考える〜

⒊− 1 ヒッチコック自身に囚われない解釈

「Film Analysis 映画分析入門」には、序章から従来の『鳥』の解釈とは、およそかけ離れた「映 画における意味」をほとんどエキセントリックとも言える表現で記述している。

たとえば、ヒッチコックが『鳥』(1963)を制作した際、「自立した女性」を罰し、彼女た ちを伝統的、受動的、従属的な女性にしようと意識していたわけではない。単にホラー映画

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を作ろうと考えていただけだということが、ヒッチコック自身のコメントから明らかである。

しかし、ヒッチコックが育った保守的なカトリック文化では、性的に独立した女性は罰せら れた。『鳥』においては、そうした女性が文明にとって危険な存在として描かれている。ヒッ チコックは無意識のうちに、映画の中に彼の価値観や想定を持ち込んだのである。物事はこ うであり、またこうあるべきだという思考方法で映画を作っただけなのだ。男性が支配者で あるというのも、ヒッチコックが自明視していた事柄である。

Fig6 『鳥』−  独立した女性的役割を受け入れるべきだと主張するために、ヒッチコックは、

男性の領分を侵すことで危機をもたらす女性を描いた。「Film Analysis 映画分析入門」p.9)

あらゆる映画は、こうした歴史的、政治的、文化的、心理的、社会的、経済的な意味を含ん でいる。映画は、それが造られた世界を多様な方法で示しているのである。(同 p.11)

 ここでは、『鳥』は文化的、社会的な文脈の中で、従来の女性と違った価値観を持った者は保守 側から攻撃を受けるということを示唆しているという。確かに 1960 年代初期は、そういう面もあっ たろうが、そうした女性が「罰せられる」という状況があったかどうかは疑わしい。映画では、ヒ ロインのメラニーだけが攻撃されるのではないからである。同じく共演者のスザンヌ・プレッシェッ ドが演ずる女教師アニーは、自分が好きになったミッチとの関係を恋人でなく、そばにいるだけの 暮らしでいいと保守に回帰したのにも関わらず、鳥に殺されてしまう。当時、スザンヌ・プレッシェッ ドは、すでに人気女優であったにもかかわらず。

 学生の中には、「ジェンダー」視点で解釈する者もいた。「Film Analysis 映画分析入門」に近い以 下のような意見である。

「最終的に女性主人公は、自由奔放だったが、男のものとなり、鳥かごの中のモノになったという 感じ」がしたという。また別の学生は、8 回目の家への攻撃に「男性だけが戦って、女性は、ただ おびえていました。これは当時のアメリカの家族の役割をジェンダー的に表現していたのだと考え ます。その後、メラニーが一人で襲われた場面は、そのジェンダー的性差をくつがえすのかと思い ましたが、鳥に負け、男に救われたので、女性と男性の力関係を表現していたのではないかと考え ます。」と言い切る。また「最終的に女性主人公は、自由奔放だったが、男のものとなり鳥かごの中 のものとなった感じ」がしたという学生もいた。こうした解釈が、ヒッチコックの潜在的意志とも 合致した見方のように思える。

 さらに研究者は、「Film Analysis 映画分析入門」で、ショットの切換えについての解説で以下の ような社会状況を述べている。

メラニー・ダニエルズが気になる男性ミッチ・ブレナーの家に「ラブバード」を届けに行く。

メラニーは独立心旺盛な「プレイガール」であり、1960 年代初期、ヒッチコックのような ローマ・カトリック教会に属する保守派は、メラニーのような女性に対して眉を顰めていた。

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ヒッチコックの思う「女性の自然な役割」に逆らったために、自然が彼女に復讐したのである。

鳥とは、人類に特定の性役割を守らせる、自然界の力のメタファーなのである。これは道を 外れた人類を疫病で罰するという、聖書の考え方を想起させる。「Film  Analysis  映画分析 入門」p.68)

 長くなるが、映画表現ではどのような意味を描くのかが分かるので、さらに引用を続ける。

このシークエンスでは、当時の女性が恋愛で想定されていた受動的な役割を、積極的に破る。

男ではなく彼女の方から「追いかける」のである。メラニーはボートを借り、湾を一人で渡 り、ミッチの家に鳥を置いてゆく。ヒッチコックの世界観では、恋愛では男性が「追うもの」 女性が「追われるもの」であって、そうした伝統的な役割を逆転するのは「自然の秩序」へ の冒涜であり、規範を破った以上罰せられねばならないのだ。メラニーが波止場へ戻り、待っ ていたミッチを婉曲に誘惑すると、鳥に襲われて負傷する。鳥はさらに町を破壊し、人々の 命まで奪う。(同 p.68)

 このシークエンスにおけるショットの切換えについての見方は、「断片のシステム」で有名なレイ モン・ベルールのテクスト分析が、『鳥』研究の出発点となっている。ベルールは、『鳥』のシーク エンスの構造を明らかにすることで、テクスト的システムの中で意味がどのように生成され、記号 表現がそのように意味作用して行くかを示そうとショットを分析した。斎藤綾子による解題によれ ば「『韻を踏む』効果として ①『近い/遠い』という画面内のフレーミング ②『固定/運動』と いうカメラの動き ③『見る/見られる』という視点という3つの小さなシステムに置けるいくつ かの二項対立的な交代から生まれている」『見る/見られる』という視線の二項対立は、女性が主 体から客体に対象化することでシステムとしてのバランスを保っていることが見事に示唆される」

「しかし、ベルールの分析においてはこのような『性差』がイデオロギー的、政治的な問題として捉 えられることはなかった。だが、かえって、その不在ゆえに浮き彫りにされたのは、ベルールの分 析が示した映画的テクストにおける性差の重大さであり、そのためにフェミニスト批評に大きな啓 示を与えることになった」「映画理論集成」TEXT の項 p.253)

 一方、「Film Analysis 映画分析入門」ではベルールとは違った見方を示している。

鳥を運ぶシーンでヒッチコックがショットを何度も切り替えるのは、メラニーを、自分が自 然の秩序や伝統的な性役割を破って積極的に恋愛することで、いったい世界に何をもたらそ うとしているのか。自分では十分に認識していない人物として描いているためである。メラ ニーのミディアム・クローズショットは、彼女が状況を支配して見える際に使われ(FIG.2.7) ロングショットは、メラニーのボートを極めて小さく、危なっかしいものと見せるために使

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われている(FIG.2.8)。この時空間の中でボートがかように危なくみえることには、何らか の不安な予感がただよう。ひとたび自然界が力を振るうと、メラニーは鳥に突かれてほぼ 昏睡状態に陥り、すべての力は奪われ、最終的にはミッチによって運ばれてゆく。「Film  Analysis 映画分析入門」p.69)

 写真の FIG.2.7 と FIG.2.8 について「クローズアップでメラニーは自立してみえるが、同じシーク エンス内のロングショットは、自然の方がメラニーよりも強力」という説明がある。

 こうした解釈は、以下の「⒊ -2 60 年代初頭のアメリカ社会」の項目で述べるように当時の文化、

社会状況を振り返る際に多いに刺激を受け、解釈の妥当性が増してくると考える。また映画の中で メラニーもアニーも共にタバコを吸うシーンが多くある。女性の独立した姿であるが、両者ともに 罰を受ける。一方は、死であり、他方は大けがして “ 鳥 ” がトラウマになる。女性の喫煙については、

禁煙が常態となっている現在では、少し抵抗があるかもしれないが、当時は、それが一般的な風潮 であり、当たり前だったのだろう。当然、自立した女性の象徴としての記号だったかもしれない。

⒊− 2  60 年代初頭のアメリカ社会

 アメリカ黄金の時代と言われた 50 年代が終わり、60 年代は、社会全体が冷戦の時代に入ったこ とを実感する事態になり、不安定さが増している。

 60 年 2 月、ノースカロライナ州の黒人拒否の食堂で学生が座り込みを始める。いわゆるシット・

イン(座り込み)である。このことから南部全体に人種差別撤廃に向けた座り込みが広がり、アメ リカ国内の人種差別の根深さを国民に気付かせることとなった。また 5 月には経口避妊薬「ピル」

が解禁され女性解放が一層進む。政治では、アイゼンハワーが引退し、11 月に民主党の若いジョン・

F. ケネディが共和党のリチャード・ニクソンを破り大統領に当選した。

 国際情勢では、5 月 1 日ソ連上空でアメリカの偵察機 U2 が撃墜された(この事件については S. ス ピルバーグ監督が映画『ブリッジ・オブ・スパイ』でこの事件とスパイの交換を描いている)や 12 月に南ベトナム民族解放戦線が結成されている。ベトナム戦争への道が始まった年でもある。

 翌 61 年 1 月 3 日、アメリカはキューバと国交を断絶する。1959 年にカストロ兄弟による革命 で米国との関係は冷却し、アイゼンハワー米国大統領がキューバとの国交を断絶したのである。ケ ネディの大統領就任は、その 2 週を過ぎてからであった。そしてオバマ大統領のもと、ようやく 2015 年7月 20 日に米国とキューバは国交を回復し、ワシントンとハバナで両国の大使館が再開さ れた。断絶から 54 年が経過しての国交回復であった。またこの年は、6月以降、南ベトナムへの 介入が活発化する。

 62 年 2 月には、ケネディは、対キューバ全面禁輸を指令し、10 月には、いわゆるキューバ危機 を招いている。この間、6 月にはアメリカ人科学者 722 人が大統領に核実験停止を呼びかける勧告 をしている。

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 また同じ頃、環境破壊についてレーチェル・カーソンが「沈黙の春」の抜粋を「ニューヨーカー」

誌に掲載するなど自然環境への警鐘も鳴り始めていた。

『みんな、催眠術にかけられているのか。よくないものも、有害なものも、仕方ないと受け 入れてしまう。よいものを要求する意志も、目も失ってしまったのか』

(「沈黙の春」より・青樹簗一訳・新潮文庫)

 学生の解釈の中には、「自然の脅威」「自然からの報復」「自然が明確な意志を持って敵対した場 合は、ひとたまりもない。鳥のように人間全体が一致団結できるわけでもない」「自然を恐ろしいも のであると見せたいと感じた」「自然を破壊しつくし住む場所がなくなったことを伝えている」「食 物連鎖も意図している」など自然環境への配慮から深読みする意見も数多く見られた。これも現実 の世界と照らし合わせることから生まれているのだが、あながち否定はできないだろう。

 63 年 1 月ベティ・フリーダンが「新しい女性の創造」を刊行、女性解放を主張した。彼女は、

第二次世界大戦後のアメリカのフェミニズム運動「第二の波」の草分け的な存在である。また 4 月 にはキング牧師が指導した人種差別反対デモが 4 月にアラバマ州バーミングハムで始まった。いわ ゆるバーミングハム運動である。当時、ここは最も人種分離の激しい都市のひとつで、黒人市民ら は暴力による報復と同様に、法的および経済的な格差に直面していたのである。これを受ける形で、

ケネディは 6 月に人種差別撤廃をもとめる特別教書を提出している。8 月 28 日には、人種差別撤 廃と雇用拡大を求めるデモ「ワシントン大行進」に 20 万人が参加している。これには、映画界か らもポール・ニューマン、マーロン・ブランド、バート・ランカスターらも参加している。マイノリティ が立ち上がったのである。キング牧師はここで有名なスピーチを行った。

『私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとか つての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。』

(I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice,  sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.)

 こうした時代の変化の中で、11 月 22 日、ケネディ大統領は、テキサス州ダラスでリムジンによ るパレード中に兇弾に撃たれて暗殺される。46 歳の若さであった。このように 60 年代の初めは、

冷戦と人種差別、女性解放、環境問題など様々な問題が浮かび上がって来た時代であった。余談で はあるが、62 年 8 月 5 日、マリリン・モンローが自殺している。

⒊− 3  60 年代初頭のアメリカ映画

「60 年代アメリカ映画 100」(渡部幻・石澤治信編、2014.9. 芸術新聞社)で、評論家の川本三郎 は、「ケネディの登場によってアメリカ映画が変わりはじめた」という。アメリカ映画の 60 年代

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は、「ヒッチコックの『サイコ』(60)で始まり、ペキンパーの『ワイルドバンチ』(69)で終わる」

とした。いずれもアメリカ映画にはなかった暴力描写で映画史に残る作品となった。また 60 年代 の映画は、50 年代の平穏な映画と違って、「伝説の 60 年代」と言われるように異質な要素が混在 しており、しかもモノクロームからカラーへの移行時期にも当たっていた。その中で 60 年代前半 は、世の中の動きとして上述のような政治社会状況の影響を受けていた。60 年代後半のアメリカン ニューシネマの登場など激変への前触れの時期だった。ケネディ政権下、ハリウッドでもリベラル 派が巻き返していった時期ともいえる。一方、西部劇も終焉に近づいており、マッチョな男性主人 公から普通の男性、あるいは、一見、弱々しい男性も主人公になる。

 こうしたなかで 60 年の映画の興行収入でヒッチコックの『サイコ』は 1730 万ドルの『ベンハー』

についで 850 万ドルで 2 位に輝いている(のちに 3600 万ドルの興収になったことが明らかになる、

製作費は 80 万ドルだったとヒッチコックはトリュフォーに語っていた)。川本は「『サイコ』はアメ リカ映画を変えた。『明るく楽しい』と形容されることの多い、これまでのハリウッド映画の中の異 物、モンスターだった。しかも、これを作ったのがこれまで『めまい』(58)『北北西に進路を取れ』

(59)などで洗練されたサスペンスを作って来たヒッチコックであり、製作し配給した会社は都会 的な、洗練された作品を作ってきたパラマウントだった。かつてなら考えられないことだった。そ れが観客に受け入れられた。」と振り返る

 映画・DVD『ヒッチコック』(20 世紀フォックス  ホームエンターテイメント  ジャパン . 2013)

でも『サイコ』は隠された製作の裏の実話ドラマで、アメリカ映画製作者配給者協会(MPPDA、後 MPAA)の下部組織映画製作倫理規定管理局(PCA)に検閲を受けるシーンがある。プロダクション・

コードである。『サイコ』における有名なシャワールームの惨殺シーンが検閲でカットを要求される 一方、冒頭のヒロインの下着姿が許されたりした。新しい時代に取り組むことにヒッチコックは躍 起になっていた。毎年、映画を製作してきたヒッチコックが『鳥』まで2年のブランクがあったことは、

こうした時代にふさわしい映画を模索していたことが伺える。

⒊− 4  当時の日本の状況

 ここでは直接、『鳥』とのつながりはないが、アメリカを初め、様々な外国の影響を受けていた日 本の社会状況と映画について述べておこう。

 1959 年 4 月は、皇太子ご成婚がテレビ中継され、1年前 91 万台だったテレビ保有台数は 200 万台を超えた。60 年には 5 月 20 日に自民党が新安保条約を単独強行採決したことから6月 15 日、

安保改定阻止行動で全国 580 万人が参加、全学連が警官隊と衝突し、樺美智子さんが死亡している。

さらに 10 月 12 日に浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年に刺殺されている。翌 61 年も右翼少年が 中央公論社社長邸を襲い、夫人と家政婦を殺傷 (嶋中事件)や右翼・旧軍人の要人暗殺計画の発 覚(三無事件)などテロが起きた。

 62 年には、初の国産旅客機 YS11 の試験飛行が行われた。また東京・三河島駅で列車が三重衝突し、

死者 160 人にのぼった。63 年は坂本九の『スキヤキ』(日本名『上を向いて歩こう』が全米ヒット

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チャートで1位を獲得。野球の ON の活躍等があった一方、11 月9日福岡・三井三池炭鉱で爆発事 故があり、死者 458 人の戦後最大の炭鉱事故があった。

 映画界では、大島渚の『青春残酷物語』が 60 年 6 月に公開、若者のギリギリの性と敗北を社会 的な視点から描いたと注目された。フランスのトリュフォーの『大人は判ってくれない』やゴダー ルの『勝手にしやがれ』などと通じると日本のヌーベルバーグと呼ばれた。監督 27 歳の作品である。

また黒澤明の『用心棒』もこの年の作品である。

⒋ 映画の記号的解釈 〜ヒッチコックのインタビューと発言〜

 前述した通り、一般的な解釈である<鳥 VS 人間>は、ヒッチコックが言及したこと、あるいは 示唆したものが、その根拠となっている事例が多い。一方で、直接、言及せずにそれとなく描いて いるシーンもあるので、ヒッチコックが無意識的に現わしたものとして発見出来るものもある。以 下は、授業で説明した演出の解釈である。作品の冒頭から主だったものを見て行こう。

 まず冒頭から、鳥が空を舞っている。鳥の行動が、普段とは違うことを示唆している。その後、

すべての鳥の襲撃のシーン前に前兆の場面が描かれている。空を舞うカモメやドアにぶつかって落 ちているカモメ等。実は、これはすべてヒッチコックが示唆したシーンであり、繰り返し、反復の テクニックのひとつでもある。

以下に先行研究でも指摘されている場面をいくつか紹介する。

(1)ヒッチコックの登場シーン…鳥かごでなく、犬を 2 匹つれてペットショップから出て来る意味 は、同じペットでもかごに閉じ込めるのか、自由な従順さを求めるのかを問いかけている。いずれ も人間と動物の力関係を示唆しているといえる。またメラニーが九官鳥を注文していたのは、言葉 の上でも自分に忠実なペットとの関係を築こうとしていたことを示唆する。

(2)メラニーがボデガ湾にオープンカーでラブバードを乗せて向かうシーン…俯瞰ショットは、現 実としての高い位置ではなく、後方から撮影した感じだが、車を追っているとも見えなくはない。

つまり、鳥の目の視点で追いかけている。俯瞰の映像は、鳥の目を意識している。ガソリンスタン ドの場面で窃視は最高潮に達し、映画の視点は、さらに高見にあがって「鳥瞰」の視点に浮上して いる。通常は神の視点と言われるが。

(3)メラニーが訪ねる雑貨店のシーン…郵便局も兼ねているので店の中に檻のような囲いがある。

鳥かごの象徴。いざという時の避難の場所であると同時に閉じ込められる場所でもある。

(4)暖炉からベニスズメの大群が襲って来るシーン…強そうに見えるメラニーだが、距離をとって みせる。または後ずさりするだけで本能的にいつも何ものから身を引こうとしている。本当は、怖

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がり屋ではない。だから最後に自分から襲われに行く?

(5)農家のダンの死体発見のシーン…この撮影をヒッチコックは即興だったという。母親リディア

(ジェシカ・タンディ)が農夫の家のドアを開け、名前を呼ぶが出て来ないので、奥へ入って、めちゃ めちゃに荒らされた寝室に目玉をえぐられた農夫の死体を発見する−では「無理がある」=不自然 である。なぜなら勝手口から台所へ行き、名前を呼んでも出て来なければ、普通は、ずかずか奥へ 入らないだろう。そこでふと見ると棚の食器かけに5個のティーカップが割れていて柄だけ残って ぶら下がっているというアイデアをひねり出した。なぜなら、彼女は前夜に自分で床から食器のか けらを片付けていたから。というようにヒッチコックは、必ずどこかに既視感と一体になった伏線 を用意している。

(6)レストランでのやりとりのシーン…「世界の終りだぜ!」を叫ぶ酔っぱらいは、ショーン・オ ケイシーの芝居 「ジュノーと孔雀」(ʻ24)がモデルとか。当時は 1945 年以来、終末論は原子爆弾 の恐怖だった。爆弾の代わりの鳥の群れが世界の終りを招くという発想には、不意打ちで、映画は 悪夢を見せることができるとヒッチコックは考えていた。鳥類学者もどきの老婦人もおふざけだと している。保守の代表として「鳥は人間を襲うことはない」という常識を振りかざす。保守反動と は、世界にとって重大な事柄が、たかが鳥のために起こるわけがないという通念に凝り固まっている。

一方、もっともらしい理由づけを行わなかったことが、映画の成功だという。

(7)電話ボックスにメラニーが閉じ込められるシーン…閉所に閉じ込められてヒロインを外から怪 物が襲ってくる恐怖映画のパターン。 小さな鳥かごの中に閉じ込められた鳥のようだが、金ぴかで はなく、苦難の鳥かごか。人間が鳥かごに閉じ込められ、鳥が外を自由に飛び回るという隠喩(メ タファー)。真上からのショットがあり、初めの頃に出会ったミッチの「金ぴかの籠に戻りなさい」

という台詞は映画全体に関わっていた。この場面の「極端なアングルは、しばしば極端な意味を作る。

最終的には男性による保護が必要な弱さを持った女性として描いている。誤った方向へ向かう人類 を疫病で罰するという聖書のテーマが隠されており、ヒッチコックはこうした『神の配材』を喚起 するため、時に極端なハイアングル・ショットを使っているようだ。」(「Film Analysis 映画分析入門」

P.71-72)とも解釈できる。

(8)ラブバード(ボタンインコ)…アイロニーにあふれている。愛(ラブ)は、あらゆる試練を乗 り越えて生き延びるものとしてエンディングシーンへつながる。ラブバードの話が出てくるシーン は、いつも決まって愛に関わるシーンでの象徴である。それはミッチとメラニーの関係ととも母親 との関係や女教師との関係に及ぶ。メラニーがボデガ湾に向かってドライブしている時にカーブで つがいのインコがハンドルに合わせて左右に身体を傾けるシーンは笑い(ユーモア)を誘うが、エ ンディングでは、お互いそっぽを向いている。最後は、籠にカバーがかかっているので様子は分か

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らないが、鳴き声もなく行く末を案じるが、解釈では幸せにつながっているのだろう。雲間から見 える一筋の光とともに希望として見ることも可能。

⒌ 『サイコ』(1960)とのつながり、または事件は繰り返す

 この研究は、本来、『サイコ』と『鳥』の比較研究に絞った方が良かったかもしれないが、時間的 な制約から多く比較できなかった。そこで双方の映画に関連づけられるものを取り上げて紹介する。

⒌− 1 鳥の描き方

『サイコ』では、鳥が登場するのは、ベイツモーテルの部屋である。沢山の剝製の鳥が壁一面に 飾られている。ヒッチコックは、鳥の表現についてこう語っている。

「あれは一種のシンボルとして使ってみた。アンソニー・パーキンス(ベイツ役の俳優)が 剝製に興味を持っているのは明らかだ。自分の母親を剝製にしたくらいだからね。しかし、

さらにもうひとつのかくれた意味がある。たとえばふくろうの剝製だ。ふくろうというのは 夜行性の鳥だ。夜の闇の世界の住人だ。夜の監視人だ。「彼(アンソニー・パーキンス)は 夜の世界の鳥たちをよく知っており、鳥たちがいつも、まばたきもせずに、彼を監視してい ることを知っている。彼を監視している鳥たちの目に彼自身の罪がすべて映っていることを 知っている。「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」P.288)

 映画をみれば、ヒッチコックの説明を聞くまでもなく、容易に読み取れるシーンだ。しかし、『鳥』

と関連づけてみるとまた『サイコ』に出てきた剝製の鳥たちが伏線になって、人間に復讐すると読 み解けないわけではない。映画のつながりでみれば、複製の鳥からペットショップの鳥(ベニスズメ) ラブバード(ボタンインコ)、カモメ、カラスと次第に広がって行き、カメラの俯瞰、監視、攻撃と つながっていることが理解できるだろう。一方で、エンディングでペットのラブバードと野生の鳥 たちを分けているのは、すべての鳥が攻撃しているわけではない、とのメッセージを受け取ること もできる。鳥類学者もどきの女性が、鳥の種類の多さ、その数をあげたのは、人間の行動と同様に 鳥のすべてが同じではないということを示している。

⒌− 2  二つの死、あるいは4人の死

 『サイコ』では、前半の終わりに突然、ヒロインのマリオン(ジャネット・リー)が殺される。殺 害はシャワールームで行われる。理由は最後まで語られない。その後、探偵のアーボガストも殺さ れて、モーテルの裏の沼に沈められる。

『鳥』では、農夫のダンがカラスに目をえぐられて死んでいるのが発見され、アニーもキャシーを 守ろうとして殺されている。

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 記号的に見れば、前者が女性−男性、後者が男性−女性と順番が違うのと前者では主人公、探偵 とも殺されるシーンをみせているが、後者は、殺された結果を見せている。しかも後者ではアニーは、

映像では本人かどうかもわからない描き方である。それぞれ演出上、意図した殺人なのか、偶然な のかわからないが、何か因縁じみて見えるのは、思い過ごしだろうか。

 実は、『鳥』のシナリオの第1項では、「彼女はミッチの家にみんなと一緒に閉じ込もって、最後 まで生き残ることになっていた。屋根裏部屋にのぼって行って、最後のすさまじい鳥の襲撃をうけ て傷だらけになるのは彼女のほうだった。しかし、わたしはそれをしりぞけた」(「定本 映画術 ヒッ チコック・トリュフォー」p.306)とヒッチコックは語っている。

『サイコ』でも探偵のアーボガストの死をのぞいて、理由がはっきりしない。ヒッチコックは 2 作 品に共通する死については、『サイコ』のシャワールームの殺人についての発言に解答がある。「シャ ワーを浴びていた女が突然惨殺されるというその唐突さだ。これだけで映画化に踏み切った。まっ たく強烈で、思いがけない、だしぬけの、すごいショックだからね。」(「定本 映画術 ヒッチコック・

トリュフォー」p.277)

 つまり、映画の中で起きる事件は、突然、理由もなく唐突にしかも理不尽に起きるものなのだと いうのが、本来のサスペンスだとヒッチコックは繰り返し主張していることを思い出させる発言で ある。評論家がしたり顔でつける理由はすべて跡づけに過ぎない。とはいえ、『サイコ』は『鳥』の 前振りになっていたことは明らかである。

⒌− 3『鳥』におけるヒロインの惨劇

 上映後、1時間 47 分になってなぜ最後の襲撃といえる 2 階にあるキャシーのベッドルーム(屋 根裏部屋)のシーンが用意されたのだろう。ヒッチコックは、「この映画をひとつの体験として行き てきた主役はティッピ・ヘドレン扮するメラニー・ダニエルズなのだから、当然、最後の試練も彼 女が受けるべきだと私は考えたのだ。」(「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」p.306)と語る。

 映画を見て気づいた学生が指摘するように、なぜ一人で危険な場所である 2 階に向かったのか。

前の場面では、天井を見上げるショットが何度も出て来ているし、“ 上は危ない ” というメッセー ジが溢れているのに。しかもドアのノブに手をかけて、中の様子を懐中電灯で照らしてから入るこ と自体、おかしいではないか。何度も危ない目にあってきたというのに、バカではないかと思うの も道理である。さらに入った後、ドアを閉めてしまうのである。偶然であるかのようにも見えるが、

ドアは開けておくのが常識だろう。にもかかわらず、部屋の中に入って、天井が空いて部屋中に鳥 が溢れているのに驚いても声を上げない。声も出ないくらい驚いたとも思えないが。これは、前の 場面が、電子音による鳥の攻撃音だけで構成し、サイレント映画のように描いてきた状況の延長に あるからに他ならない。音の処理が優先されている。メラニーの見た目・視線から捉えた鳥たちと その攻撃。次第に傷つき、服はちぎれ、血だらけになっていく残酷な場面が 2 分余り続く。しかし、

死には至らない。

 シナリオが手に入らないため、DVD を再生しながら、カット(ショット)をチェックしてみた。

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全部で 83 カットに及び、1 カット 1 秒に満たないショットも多く、つなぎ目が分からなく正確かど うか迷う場面もあった。全カットについては、末尾に記述する(補足参照)。ここでもトリュフォー がいう最小から最大の原理が働いている。つまり、本当の恐怖は最後に待っているのである。

 この場面は、『サイコ』のシャワールームの惨劇のシーンと対をなす。ヒッチコックは、『サイコ』

のモノクロ映像について「カラーにすると残酷すぎるから」と述べているが、『鳥』では、カラーで 描いているが、残酷ではないのか?見方によっては残酷すぎるともいえるが。何も答えは用意され ていなかった。『サイコ』を見た人は、慣れもあるのか、死ぬと思った観客はいないのではないか。

だから意外と話題にならないシーンとなった。ヒッチコックにとっては、演出上の実験のような気 がする。カットの長さや編集の仕方が物語っているが、観客には気づかされない。

また、後半の攻撃は、同じアングル、サイズの切り返しが増えている。このことは、攻撃が終盤に 差し掛かっていることをほのめかす。しかし、あくまで感覚的なものだが、シーンとして長い気は するが、冗長になりかけた時にミッチが助けにくるタイミングは絶妙である。それこそこの救出劇 の部分は職人の芸(アルチザン)である。

⒌− 4 エンディングについて

 最後にエンディングについて多少触れておく。ミッチたちが、家を出て車に乗って去って行くシー ンである。遠景で鳥たちは何もせず、静かな中を車がサンフランシスコに向かって動き出す。ラス トカットで空に現れた一筋の光が見える。これが行く末の希望を象徴しているというのは、一般的 解釈として理解できるが、ラジオ放送で、どこも助かっていないと伝えているのを思い出せば、儚 い期待に過ぎないことは判る。とはいえ、シナリオの第一稿では、被害にあった街を通り過ぎて、

鳥たちから逃れるとしていたことから、結末は、観客の想像にまかせるという意味では、良いシー ンでないかと思われる。学生たちには、「あっけない終わり方」だと不評ではあったが。

⒍ 理論より記号の分析

 今回の『鳥』の解釈については、従来の見方も含めて、多岐にわたっており、多義性が浮かび上がっ てきた。映画の多義性については、筆者が黒澤明の『八月の狂詩曲(ラプソディ)』のイベント「黒 澤監督と話す」で「この映画のメッセージは反核ですか?」と会場の若者の発言に黒澤が激昂して

「そんなものではない」と一蹴したのを思い出す。もちろん、反原爆は要素としてあるが、家族のき ずなや愛も含まれていたのだ。映画の特徴は、そうした様々な意味やメッセージを観客が受けとめ て想像することができることなのだ。『鳥』については、監督の意図や歴史的社会的状況からまとめ ると以下のような解釈が見いだされるだろう。すべては、記号によるものであり、頭でっかちな理 論によるものではない。その場での思いつきも記号と言えば良い。新たな解釈と言うものではなかっ たが、まだまだ記号から見いだすものはありそうな気がする。

(15)

 ① 終末論

 ② 自然からの報復

 ③  マイノリティ・弱いものの反撃  ④  家族愛・恋愛

 ⑤ 保守から伝統的秩序の維持の重要性  ⑥ フェミニズム・ジェンダー論の存在  ⑦ 不条理な恐怖

 以上は、既に説明したことの繰り返しになるので、学生のコメントから③の補足をしておこう。

これは、学生たちの一部に見られるもので、鳥を弱いものと見ていることから生まれている。「一羽 であれば、対処が容易だが、数が多いと対処しきれない」「小さな脅威がどんどん大きくなる」「ちっ ぽけな存在かもしれない鳥が、大勢集まり団結すれば、人間すらちっぽけな存在になる」と鳥以外 にも小さな弱い存在への目がある。

 また⑦では、「予想外のことが突然起こりうる」「意味のない暴力とは本当におそろしい」「絶望」

「ゾンビが意味もなく人を襲うように、鳥もまた」意味もない不条理な行動をとる。つまり、パニッ ク映画なのだと、素直な楽しみ方(?)もある。ヒッチコックは、元々は、映画で観客を驚かせた いと語っていた。

 いずれの見方も強弱はあれ、否定できない解釈といえる。『鳥』はこうして、いろいろな見方が可 能だからこそ見る人を刺激するのだ。

⒎  まとめ

 映画関係の授業では、感覚的印象だけで映画を見てはいけないと指示している。映画言語を学修 した学生は、単に娯楽としてではなく、映画を鑑賞できるようになってきた。解説も様々な知見を 元に広がってきた。筆者と共通する見方、異なった見方など様々に展開する。これまで紹介してき たように、この映画の魅力と面白さは、様々な見方ができる名作の名にふさわしい要素を備えてい るところである。監督の意図した通りに観客は見るわけではないし、観客や研究者が勝手にねじ曲 げて解釈するものでもない。『鳥』の面白さの源泉は、こうした多義性にあるのだろう。今回は、こ れまで映画の演出や記号に目を向けていたところから、映画が製作された当時の時代背景、社会的 背景に意味を求めたところから、改めて視点を広げることで発見したことが多かった。社会派とは 呼ばれないヒッチコック映画だが、監督の意識しなかった無意識の面が、時間を経て見ることで発 見できる楽しさも味わった。今後もヒッチコック映画を見直していこうと思う。

謝辞:本研究に当たり、調査に協力していただいた本学メディアプロデュース学部の教員、学生な

(16)

らびに関係各位に深く感謝したい。

( 補足 )『鳥』の最後の襲撃のシーンのカットのメモ

 メラニーがドアを開けて入る前のカットから記述する。部屋の中に入るところから、ナンバリン グする。全部で 83 カットにのぼる。以下のトータルは 88 カット。

・   ドアノブに手がかかりそうになる

・   メラニー BS 怪訝そうな迷った顔、目線は周囲に向けられる

・   ドアノブに手がかかる

・   メラニー顔 UP 目線は正面

・   ドアノブを開ける

1 .  ドアを開けて中に入るメラニー 壁に鳥が舞っているいるような絵がかかっている 中に入っ て見上げるメラニー

2 .  天井に穴が空いていて、梁も無惨に壊れている 空が暗い見える 3 .  メラニー BS 入って思わず「あー」と声を出す 驚きの表情 4 .  懐中電灯を反対に向ける(ここからカットは短くなる)

5 .  カモメやカラスが壊れた家具に止まっている やがて動き出す そのままカモメたちが攻撃し て来る レンズにぶつかる

6 .  メラニー UP に黒い影が当たる 右にのけぞり左手で額を覆う と同時に右からカモメがフ レームイン(FI)して当たる 過ぎ去ってメラニーが左向く 次に左から大きなカモメが FI して通り過ぎる メラニーは女を瞑って左右にぶれる

7 .  5 と同じ家具のショットで、白いカモメが正面から一杯左右に分かれてレンズにぶつかって来 る 中央には白いものの動きから何度もカメラにぶつかる全画面を覆う 黒い部分が現れ右 奥から小さなカモメが向かって来て正面中央へ

8 .  メラニーがフレームから半分見えないが 左下手から左腕で顔をおおいながら逃げようとする  画面いっぱいに黒い影 右手の懐中電灯は上向きの姿 見えると右から黒い鳥(合成ミス でメラニーの後ろ) 懐中電灯を振り回す

9 .  メラニーの足下に二羽のカモメの大きな影 下の鳥は足を突く 上の鳥はぶつかる 10.  再び家具の見える部屋 空も見える 中央から黒い鳥の影が近づく 同時にカモメも 11.  メラニーの UP 左手で額の前を払いのける 黒い影は正面の半分に手のひら 左から黒い影 12.  メラニーの顔 UP 右側から血のり 目をぱちぱちする

13.  足下 左側2ヶ所 右側 2 ヶ所に血が出ている 白い影と黒い影がよぎる 14.  天井 白いカモメが下中央から近づいて UP 羽ばたいて 開けて正面全体に

15.  メラニー BS 右手の懐中電灯を上に向け 左手は胸元交差 右からカモメが攻撃     

(17)

メラニー思わず後ろ向き 頭にカモメが乗る

16.  同 UP カモメの頭 メラニーの首を襲っている 振り向いて懐中電灯を振り回す カモメが 離れて メラニーの頭のみ

17.  ドアノブ メラニーが左手の後ろ手で探そうとするが カモメがぶつかって来る

18.  俯瞰ショット 左に壁の絵が見えて 右手に懐中電灯を振り回しているところに       白い影 黒い影 カラスがぶつかって正面から懐中電灯が見えなくなる

19.  ドアノブに手がかかって 回そうとするので正面左に移動 黒い影も重なる

20.  天井からカモメが二羽襲いかかる 黒い影も重なり合う 破れたところから空も見える    カラス数羽が奥に止まっている

21.  俯瞰ショット メラニーが頭をカバーしている懐中電灯に黒い影 続いてカラスがぶつかる  懐中電灯にからんでいる 振り回そうとする 右に振り払って見える 再びカラスが正面から 頭をねらう 懐中電灯の灯が、カメラ方向に向けられるが、メラニーが崩れてフェードアウト 22.  正面から画面一杯のカモメ 下からあおりでメラニーの足下 右 6 ヶ所 左 3 ヶ所が血だら

け 左にカラスの影

23.  メラニーの UP 顔の前に左手の手のひら 目がうつろ カラスが腕に乗る その爪で血筋が 2つ出る

24.  懐中電灯と手の俯瞰ショット 壁の絵も見える 正面下へ左から白い影が当たって来る その まま FO 白い影と黒い影に懐中電灯を振り回す 灯は左向きに

25.  部屋中央ボックス 左に棚、周辺からカラスが画面中央に突進、左からカモメもカメラへ 26.  メラニー BS 上向き 額と頬に血 右から黒い影が鋭く横切る 手折れ込むメラニー 左の

二の腕に血筋 再び右上方向から黒い影 左向くと白い影がぶつかる 右に倒れ込もうとする とカモメが左から襲う 懐中電灯を振り上げようとすると白い影が2つ襲う 右からカモメが 襲う 羽だけ見えてメラニーは画面から下へ FO もう一羽のカモメが右から        メラニー左へ倒れ FO

27.  俯瞰 壁左下絵 右にドアが少し見える 懐中電灯が足下を照らしたあと左から右へ 懐中 電灯上方の右へ 白い影が左から当たる 懐中電灯が右から左に振られる

28.  部屋奥 左に鏡台 奥に絵 黒いカラスの固まりの中から 中央カモメがカメラに向かって アップでぶつかりながら左全面に

29.  メラニーの右手二筋に血 ドアのところで中央から左へ 右からカモメ UP 黄色いくちばしで 突く 落ちる メラニーの手 FO して振り上げる途中

30.  メラニーの足下 UP 左血だらけ 両足の間にカラス UP で少し入り込んでくちばしで突く 31.  メラニー UP 左向きでうつろ 目を瞑ったところに右からカモメが首 左からカモメ襲撃 32.  クロース UP ほぼ顔半分はカモメが突いている メラニー驚愕の目

33.  懐中電灯 天井に向けられていたのが上方から右へ倒れる 34.  32 と同じ UP 懐中電灯を影がたたき落とす

(18)

35.  部屋中央 家具の上に無数の鳥 右に白いランプ カメラに向かってカモメのシルエットが何 重にも重なって画面が白濁 後に離れる

36.  メラニー BS 左に絵 ドアバックで両手を上げている 黒いカラスがカメラ前から顔へ攻撃 37.  同 UP 右向きカラスがアップで顔を突く メラニー左から右へ顔向きを変える 目をつむる 38.  カラスの後ろ姿 UP 向いにメラニー 動きに合わせて倒れる 懐中電灯は右手で上向きへ 39.  部屋中央 家具鏡台側から左右二羽のカモメカメラに向かって来て 画面白濁 通り過ぎて

奥に絵が見える

40.  俯瞰 左上に灯 メラニーの頭の上白い影 懐中電灯振り下ろす 上からカモメが当たる  左からカモメ横切る カラス頭に当たる 懐中電灯を上向きに振っているメラニー 下ろすと 右からカモメ 左からカラス

41.  逆光のメラニー UP 左手で額をカバー 左へ倒れ込みそう 後ろにカモメ頭へ 頭の上にカ モメ・カラスがぶつかる 左へカモメ FO メラニー逆光

42.  ワイプで懐中電灯の UP 左右に動かす 右からカモメぶつかる 左からカモメとカラス   灯が揺れる右手の UP

43.  左手 UP 上下へ振るところへカラスの影 右からカモメが手のひらにぶつかる 振り払う 44.  懐中電灯と手 UP 上向き 中央黒い影がぶつかって下向きから上向き 白い影 UP

45.  左手に右からカモメが襲う ドアが見える 左手が下に振り下ろされる 再び上へ 46.  右手 UP 黒い影がぶつかる

47.  部屋窓 天蓋に密集しているカラス 左からカモメがカメラにぶつかって来る 白い影の UP  黒いカラスも暴れている

48.  メラニー壁を背に右向きで右手上 左右からカモメが襲う 左からカモメのくちばし 49.  メラニーの左手 UP ドアに当たる カモメ UP で手のひらを襲う 二羽のカモメ UP 50.  灯 UP 俯瞰気味 カモメが当たって左へ FO

51.  48 と同じ メラニー壁を背に右向きに白い影 カモメが襲っている 右手振り下ろして、振 り上げる

52.  47 と同じ 部屋窓 天蓋にカラスが騒いでいる 画面一杯に黒い影

53.  カラスの後ろ姿 UP で影 左向きのメラニーがほぼ後ろを襲われる UP 倒れ込みながら右手 で懐中電灯が逆光になる 腕元クロスで倒れかける黒い影

54.  左手 UP にカモメ襲う二羽 手のひらにくちばし

55.  天蓋 上空が見える 右手に白い影 奥にカモメ見えるが カラスが大量に動いてカメラへ 白い影と黒い影が入り乱れる

56.  ドアを背にしたメラニー右向き 懐中電灯を頭の上で振っているが上からカモメが襲う右へ  カラスが右から来てメラニー左向きへ 正面からカモメ襲う右下へ メラニードアを開けよう とするが 上からカモメ右からも黄色い鳥が襲って仰け反る 上からカモメが襲って ドアし まる メラニー崩れかける

参照

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