マスメディアの心理社会学的研究1
一長崎幼児誘拐殺害事件に関する新聞・週刊誌報道の分析一 高 橋 啓 介
APsycho−Sociological Study of the Mass−Media I.
一An analysis of the news in papers and weekly magazines about the Nagasaki Infant Kidnap Murder.一
TAKAHASHI Keisuke
◆ 問 題
2003年7月に長崎において発生した4歳児誘拐殺害事件は,12歳の中学1年男子による犯 行であることが明らかとなって,日本社会に強い衝撃を与えた。それは,子どもが子どもを 殺すという悲惨さだけではなく,そこに,社会の側が合理的に了解し難いものを感じ取った からであり,そのことで,1997年5月に発生した,いわゆる「酒鬼薔薇聖斗事件」を連想し たからである。さらに「酒鬼薔薇聖斗事件」を契機に,少年犯罪抑止のために社会が取った 防衛措置である少年法の改正が,ほとんど効果をもたないことが露呈した事件でもあったか
らである。
1988年〜1989年のいわゆる「宮崎勤事件」以来,青少年の犯す凶悪犯罪は社会の側に了解 不能の印象を与えるような病理的側面をもっており,そのたびにメディア批判や教育批判,
家庭環境,特に,母親の養育のあり方の問題などが論じられてきた。さらに,そこに心理学 ブームという社会現象が加わって,犯罪青少年の「心の闇」の解明が流行し,その情況は今 も続いている。しかしこうした反応は,高橋(2000)が指摘するように,青少年の犯罪を,
単にその犯行主体個人の病理に帰属させることで,犯罪の背景となっている社会の問題に対 する真に重要な議論を回避する態度であると言わざるをえない。つまり,少年の「心の闇」
論は一種の「安心理論」の役割を果たしているのである。そしてこうした社会の反応は,多 くの場合,マスメディア報道によって助長される傾向にある。宮崎勤や酒鬼薔薇聖斗に対処 不可能な怪物というイメージを貼り付けてしまったのは,マスメディアに他ならない。しか
し,彼らが本当に対処不可能な怪物であるのならば,我々は,彼らの存在を,そして彼らの 犯した犯罪を甘んじて受け入れなければならないだろう。しかし,果たして彼らは対処不可 能な怪物なのだろうか。また,宮崎・藤井(2001)が詳細に検討しているように,凶悪少年 犯罪が事実に反して増加しているとの印象を流布し,少年犯罪に対する過剰な危機意識を形 成したのも,主にマスメディアの役割であった。確かに,凶悪少年犯罪は社会的にもっとも 悲惨な悲劇の1つであり,社会がその対処について真剣に取り組まなければならない問題の
1つである。そこでは,マスメディアの情報は重要な資源である。また,犯罪主体の個人的 病理の分析や動機の詮索も,上述の社会的取り組みにとっては,重要な情報を得るための1 つの方策である。しかしながら,今日のマスメディア報道は,少なくとも,青少年犯罪につ いては心理学主義に偏りがちであり,そのことが却って犯罪の了解不能性を助長してしまう という状況に陥っている。こうした状況を改めるためのアプローチとしては,2つの側面を 考慮する必要があるだろう。
1点目はメディア報道の社会科学的な分析を通して,その機能や情報内容について検討し,
マスメディアの問題点やその改善方策,あるいはマスメディアが社会に対して担うべき機能 とその限界などを明確にすることである。こうした試みは,近年,メディア・リテラシー研 究の分野において,ようやく優れた知見が蓄積されつつある(たとえば,小中,2001;宮崎,
1997;菅谷,2000;鈴木,1997など)。
2点目は,個人の病理や社会病理の分析と,それをどのように社会システムに還元してゆ くのかという視点からの研究である。上述の通り,この分野は通常,精神医学,臨床心理学 がその役割を担ってきた。しかし,高橋(2000)が指摘する通り,これらの学問は現状の社 会システムを所与のものとし,それへの個人的適応の問題を扱う分野であるため,その分析 が社会化され難いし,この分野の専門家にも,その分析をどのように現実の社会システムに 還元すべきかという視点が希薄である。こうした点については,宮台がその言論活動の初期 から指摘している点であり,そうした批判から宮台を筆頭とする社会学者らがこうした問題 群に積極的に関与している。犯罪の分析を通してそれを社会化することで,犯罪抑止力を高 めるという点で,彼らの果たす役割は大きい。しかしながら,社会学の視点は一般に,個人 の精神病理に対する認識が大雑把な類型になりがちである。例えば,2001年に愛知県豊川市 で発生した17歳少年による主婦殺害事件は,「人を殺してみたかった」という衝撃的な供述で 社会を震憾とさせ,「実験殺人」なる言葉が一人歩きをした。その少年の「心の闇」の深さに 社会は対処不能な不安を抱え込んだ。しかし,この少年は精神鑑定の結果,高機能広汎性発 達障害(アスペルガー症候群)であることが判明し,それが事件の背景要因として重要であ ることが示された。この事件とアスペルガー症候群の問題については,藤井(2001)の報告 に詳しいが,少年犯罪の背景にこうした発達障害が関与する可能性が示唆された場合,社会 的に取るべき対応は,従来の議論の範囲に納まらない事態となる。すなわち,適切な更生教 育プログラムの策定,発達障害に対する社会的認知の成熟,同様の障害をもつ人々の人権の 擁護など,多くの点で議論すべき問題が生じる。しかしながら,宮台らの言説には,こうし た病理に対する理解が不足している。
社会的に了解不能性をもった少年犯罪にアプローチする場合,社会学的視点と心理学的な 視点との両方が必要である。すなわち,個人の病理の理解と社会システムとをどのように繋 ぎ合わせていくのかという視点,つまり「心理社会学」的視点が重要である。そこで本研究 では,心理社会学的視点の有効性を実験的に検討するために,2003年7月に発生した長崎幼
児誘拐殺害事件の報道を心理社会学的視点から分析し,事件の社会化に対する今日のマスメ ディアの有効性と問題点とを明らかにすることを主たる目的とする。さらにそこに,本事件 の犯罪主体である12歳少年の精神鑑定報告に基づきつつ,個人の病理の理解をどのように社 会に還元してゆくことができるのかについて若干の検討を加える。
◆ 分析対象
分析対象としたメディアは,事件直後の7月2日から少年の処遇が決定した直後の10月9 日の間に発行・発刊された新聞3紙と週刊誌12誌19冊であった。詳細は下記の通り。
1 新聞
分析対象とした新聞は『Y紙』,『A紙』,『M紙』の3紙とし,事件発生直後,すなわち,
行方不明の4歳児が遺体で発見された2003年7月2日から少年の処遇決定が報道された2003 年10月1日までの記事,特集記事を分析対象とした。ただし,本事件に関する各紙の社説に ついては分析対象から除外した。これは,本事件に関する新聞報道のあり方について検討す ることを目的とする本研究においては,新聞各社の本事件に対する評価が前面に表れる社説 は対象外とすることが適切であると判断したためである。
なお,各紙の記事内容は,各社の開設しているInternet Home Pageに掲載されているもの を活用した。
2 週刊誌
分析対象とした週刊誌は事件発生直後から少年の処遇決定直後の間に発刊された週刊誌の 内,本事件に関する特集を組んだ12誌19冊を対象とした。最初期の号は2003年7月17日号で,
最終号は2003年10月9日号であった。
◆分析結果 1 事件の概要
表1に,新聞報道に基づきながら,事件の経過を時系列的にまとめた。表1によって本事 件の概要を要約すると以下の通りである。
7月1日午後7時過ぎ,長崎市内の会社員の長男の幼稚園男児(4歳)が,家族3人で自 宅近所の大型家電量販店で買い物の最中,「ゲームコーナーに行く」と言い残したまま行方不 明となる。翌2日早朝,家電量販店から4キロ離れた市内中心街にある7階建ての立体駐車 場の下で男児の全裸遺体が発見された。捜査本部では屋上から突き落とされ,殺害されたと
して,180人態勢で捜査を開始。現場近くの商店街アーケードに設置された防犯ビデオの映 像に4歳児の手を引く制服姿の若者が映っていることをつかむ。制服が市内の公立中学校の
ものと酷似,さらには,駐車場屋上に残された犯人のものらしき靴跡が,この中学校の指定 の運動靴であったことから捜査は急展開する。
7月9日午前8時過ぎ,この中学校1年生の12歳少年を補導。少年は児童相談所に通告の
上,長崎家庭裁判所に送致された。10日からは,少年鑑別所に収監され,事件に関する詳し い聴取を受けた。
少年の供述から,路面電車で移動,幼稚園児に抵抗されたため殺害に及んだこと,いたず らの際にハサミを使用していたことが明らかとなった。
長崎家庭裁判所は,7月23日に第1回少年審判を実施し,7月24日〜9月19日まで少年の精 神鑑定を実施するための鑑定留置を決定。
2003年9月19日に提出された精神鑑定書を参考に,長崎家庭裁判所は2003年9月29日,少 年の児童自立支援施設送致の保護処分を決定。強制措置を1年とし,継続収容の必要性と強 制措置の期間を1年後に再審査することとした。
表1 長崎幼児誘拐殺害事件の経過
7月10日 7月16日 7月23日 7月24日 7月28日
8月25日 9月19日 9月22日 9月24日 9月29日
午後7時ごろ,4歳児が家族と長崎市三芳町の大型電気店に来店。午後8時14 分,父親が「子どもがいなくなった」と110番通報。
午前9時45分,電気店から約4キロ南の同市万才町の立体駐車場で4歳児の遺 体が見つかる。
遺体発見現場近くの防犯カメラに4歳児と若い男が一緒に映っていたことが判
明。
午後4時,長崎県警は4歳児を誘拐,殺害したとして,市内中学1年生を補導。
長崎県中央児童相談所に通告。
長崎県中央児童相談所が少年を長崎家庭裁判所に送致。家庭裁判所は2週間の 観護措置を決め,少年を長崎少年鑑別所に収容。
長崎家庭裁判所が少年の処遇を決める少年審判開始を決定。
第1回少年審判。少年の精神鑑定実施を決定。
長崎家庭裁判所が長崎少年鑑別所で同日から9月19日までの鑑定留置を決定。
遺族が長崎家庭裁判所に,少年の非行事実に関する記録の閲覧,複写を申請。
家庭裁判所は許可。
遺族が少年の非行事実に関する記録を閲覧した感想を弁護士を通じて手記で発
表。
精神鑑定留置期限。精神鑑定書が長崎家庭裁判所に提出される。
遺族が長崎家庭裁判所で少年の精神鑑定書の一部を閲覧。
遺族が長崎家庭裁判所で意見陳述。
第2回少年審判。少年を児童自立支援施設送致の保護処分を決定。
2新聞報道の分析
表2に,対象新聞の社説を除くすべての記事について,本事件に関わる記事,特集記事の 掲載数を各月ごとにまとめた。さらに表3には,分析対象記事の内の特集記事の掲載数を各
月ごとにまとめた。
表2によると,各紙とも事件発生直後から,少年の補導,家庭裁判所による少年審判の開 始と精神鑑定実施の決定までの時期に記事が集中している。全体的には『Y紙』の記事数が 相対的に少なくなっているが,本事件に関する事実関係の報道については,各紙とも,その 情報量,内容ともに大きな格差は認められなかった。事実関係の報道については,各紙とも 独自取材に基づくものはなく,多くの場合,警察や家庭裁判所,あるいは,少年の弁護士,
被害者弁護士によるリーク情報に基づくものであった。ただ,『Y紙』に較べ,他2紙,特に
『A紙』は,最終的な少年の処遇決定までの間,継続的に本事件に関する記事を掲載してお り,この点で,本事件に対する社会的関心に対する各紙の認識に若干の差異があることが伺 われる。
表2 対象各新聞における各月ごとの事件記事掲載数
Y紙 A紙 M紙
7月 8月 9月 10月(1日まで)
0り009
5 6 7726 61
S121
合計 61 80 78
表3によると,本事件に関する各紙の独自取材に基づく特集記事の量は,3紙間で顕著な差 は認められなかった。特集記事においても通常の記事と同様,事件発生直後に集中して組ま れる傾向が認められる。その内容も各紙で大差はなく,①少年の周辺人物や担当弁護人のイ ンタビューを通して,少年の過去やこれまでの生育状況,さらに,現在の少年像を浮き彫り にしようとするものが主であり,そこに,②本事件を今後の同種事件の再発防止を含め,
我々の社会がどのように教訓化し,受容すべきであるかということに関する特集が加えられ ている(資料1参照)。
ただし,『M紙』では比較的コンスタントに特集を組んでおり,特に少年の精神鑑定実施 決定から精神鑑定書提出までの,事件の展開がない期間に,本事件を振り返る特集を組んで いる点に特徴が認められた。
表3 対象各新聞における各月ごとの事件関係特集記事掲載数
Y紙 A紙 M紙
7月 8月 9月 10月(1日まで)
0∩︶01
1 CUつ011
6141
合計 11 11 12
次に,新聞報道の特徴を検討するために,特に,各記事で引用されている有識者コメント の量とその内容について分析した。各紙とも必要に応じて,氏名の公表,非公表にかかわら ず有識者のコメントを引用しているが,ここでは,コメンテーターの氏名が明記されている
もののみを分析の対象とした。
表4に,対象新聞各紙に引用された有識者のコメント数をまとめた。
表4によると,全体的には,有識者コメントの引用数に各紙間で顕著な差異は認められず,
各紙とも,掲載記事数に対して15%〜25%の割合で有識者コメントを引用している。最も引 用が多いのが『Y紙』で最も少ないのが『A紙』であった。また,有識者コメントの引用の しかたについて検討してみると,3紙間に傾向の差が認められる。すなわち,『A紙』は一般 記事においてはまったく有識者コメントを引用しておらず,特集記事でのみ引用を行ってい る。これに対し,『M紙』では一般記事での有識者コメントの引用数が多く,特集記事での 引用は少ない。『Y紙』は,一般記事,特集記事のいずれにおいても必要に応じて有識者コメ ントを引用しており,有識者コメントに対する態度は,『A紙』と『M紙』の中間であると 見なすことができる。
表4 対象各新聞における氏名掲載有識者コメント引用数
Y紙 A紙 M紙
一般記事 特集記事 一般記事 特集記事 一般記事 特集記事 7月
8月 9月 10月(1日まで)
509●0 OOOOO 0000 3630 10O20 9ム000
小計 7 9 0 12 12 2
合計 16 12 14
こうした,有識者コメントの引用のしかたの相違は,記事と特集記事との意味づけが各紙 で異なっていることを示唆している。すなわち,『A紙』は,一般記事を事実関係の報道に限 定しており,事件に関する背景情報は特集記事で行おうとする傾向がうかがわれる。これに 対し『M紙』は,事実関係に対する読者の理解をサポートするために有識者コメントを活用
し,特集記事は,独自取材を優先的に掲載していると考えられる。
有識者コメントの活用方法の各紙の相違をさらに詳細に検討するために,各紙が引用して いる有識者コメントの内容を,①「犯罪を犯した少年の異常性やその動機についての心理分 析に焦点を当てたもの」,②「少年犯にしばしば認められる,動物虐待や発達上の問題などの,
いわゆる『前兆行動』に関するもの」,③「事件の背景となる教育・家族・地域の問題や,犯 罪防止策に関するもの」,④「事件の背景となる社会病理に関するもの」,⑤「本事件をどの ようにとらえるのか,そして,それを今後の社会にどのように教訓化するのかという,事件
の社会的受容について議論したもの」,⑥「少年法の問題点について論じたもの」,⑦「家庭 裁判所の少年審判制度についての解説や,その制度のあり方の問題点や少年の処遇のありか たについて論じたもの」の7カテゴリに分類し,各紙が引用している有識者コメントが上記 のどのカテゴリに分類できるのか整理し,表5にまとめた。その際,1回の引用の中で2つ以 上のカテゴリに属するコメントがなされている場合は,各々をカウントした。
表5によると,『Y紙』は①「犯罪少年の異常性・動機の心理分析」と③「教育・家族・地 域問題」での引用が主であると見なせる。『A紙』は,③「教育・家族・地域問題」に集中し ており,犯罪少年の心理分析に関するコメントはまったく引用していない。また,『M紙』
は,他2紙と異なり,⑤「事件の社会的受容」に関するコメントの引用に重点を置いている。
各紙とも,少年審判の仕組みや2003年9月29日に決定された少年の処遇に関する法律の専門 家によるコメントは同様に引用している。
表5 対象各新聞に引用された有識者コメント内容のカテゴリ分類
Y紙 A紙 M紙 合計
犯罪少年の異常性,動機の心理分析 5 0 1 6
前兆行動 2 0 0 2
教育・家族・地域問題 6 5 1 12
社会病理 0 1 0 1
社会的受容 1 2 5 8
少年法 2 0 1 3
家庭裁判所の審判・措置 2 3 4 9
合計 18 11 11
新聞は原則的に,中立・公正な立場から事実に関する報道を行うことが重要な社会的役割 であると考えると,その点では,3紙ともに新聞本来の社会的役割の範囲を超える記事はなく,
その点ではきわめて良識的なメディアとしての役割を果たしていると考えられる。しかし,
捜査当局およびその周辺のリーク情報のみを独自取材による検証もなしに報道する姿勢は,
少年法の精神を尊重するという点を考慮したとしても,たとえば,「松本サリン事件」におけ る冤罪の教訓が活かされていないのではないかという疑問を抱かせる。また,『A紙』を除く
2紙,特に『Y紙』において,少年の心理分析に関するコメントが多く引用される傾向が認 められたが,本事件の場合,犯罪少年の異常性やその動機を探るための心理分析的な有識者
コメントを引用することにどれほどの意味があるだろうか。こうした犯罪を犯した少年の心 理分析は,適切な更生・教育方法の決定などの具体的かつ実際的な問題を検討する上では有 効であると考えられるが,了解不可能な事件の原因を犯罪を犯した個人の心理的病理に帰属 させる,あるいは,そのような評価に情報の受け手を誘導する可能性のあるコメントは,結 果的には,この事件の社会的受容を遅らせることになるのではないだろうか。ましてや,精
神鑑定の担当者ではない精神医学者や臨床心理学者のコメントは,著しい情報不足のもとで なされるものであり,その情報価値には問題がある。新聞におけるこの種のコメントの引用 は,本事件に関しては上記のような危険性を強く疑わせるものではなく,いずれも一般論の 範囲を守っているが,少年犯罪に限らず,了解不能な犯罪が生じた際にその犯人の心理分析 を行うことは,事件の社会的受容を阻害する可能性があることにもマスメディアは十分自覚 的である必要があるだろう。この点については後にさらに詳しく考察を加える。
3週刊誌記事の分析
表6 対象各週刊誌における各月ごとの特集記事掲載数
週刊文春 週刊新潮 週刊ポスト 女性セブン
FRIDAY
AERASPA!
週刊朝日 週刊現代 女性自身
FLASH
週刊アサヒ芸能
表6に2003年7月17日号〜2003年10月9日号の期間に発刊された週刊誌のうち,本事件に 関する特集を組んだ週刊誌の誌数を7月〜10月の各月ごとにまとめた。これによると,この 期間に本事件に関する特集を組んだ週刊誌は12誌であり,事件発生直後にその内の11誌が特 集を組んでいる。その中で,『週刊文春』,『週刊新潮』,『女性セブン』が7月中に続報の特集 を組んでいる。分析対象期間を通して,『週刊文春』,『週刊新潮』が各3回,『週刊ポスト』,
『女性セブン』,『FRIDAY』が各2回の特集を組んでおり,他誌はそれぞれ1回のみであっ た。『週刊文春』と『週刊新潮』が本事件に対する強い関心を持って取材を行ったと見ること ができる。週刊誌の中でもこの2誌は売り上げが高いことから,その特集記事の社会的な訴 求力は他誌に較べて高いと見なすことができ,その2誌が本事件に強い関心を示し,複数回 特集を組んでいることは,この2誌が本事件の社会的意味を重く捉えていることを示唆して
いる。
次に,各誌の特集の内容を詳細に検討するために,まず,各誌特集の見出しタイトルに着
目した。表7に分析対象とした全週刊誌の特集記事のタイトルを週刊誌ごとに抽出し,時系 列的にまとめた。同一週刊誌の同一号に特集が2本以上組まれてる場合は,それぞれについ て記事タイトルを抽出した。これによると,事件後もっとも早く特集を組んだ『週刊文春』
と『週刊新潮』では,まず事件の詳細について少年周辺のインタビュー取材によって伝える 特集を組んでいる(いずれも2003年7月17日号)。それ以外については,ほぼどの週刊誌も,
少年の犯罪を異常な犯罪,すなわち,性倒錯者によるサディズティックな犯罪として捉え,
そうした少年の「心の闇」を何とか合理化して捉えようとする内容をうかがわせるタイトル が多く,新聞報道に較べ,読者の好奇心を煽るセンセーショナルなタイトルが多い。各記事 を通読すると,内容的にも多くの特集が少年の異常性の分析を中心として,そこに家族問題 や教育問題を絡めて論じるものが多かった。しかし,こうした少年の異常性に関する分析も,
少年との直接的な面接に基づくものでは当然なく,断片的な周辺情報を集めることによって,
不確かな推論を展開しているに過ぎない。各誌の中でこの傾向がもっとも顕著なのは『週刊 新潮』である。『週刊新潮』は,2003年8月14・21日号において,少年と長崎県警の係官との 聴取時のやり取りの詳細を独占入手記事として報じており,その内容は少年の異常性や少年 の家族関係の深刻な病理を示唆するものであった。しかし,この報道については,その信退 性に対して多くの疑問が寄せられており,情報内容に問題がある。
本事件に対する週刊誌の一般的な態度の中で,『SPA!』のみが独自の立場を示している。そ れは,少年の動機や心理分析による少年の人格特性などに関する記事は一切なく,この事件 を契機に少年法や少年犯罪の社会的な扱いの問題点や,こうした事件を今後の社会にどのよ うに教訓化し,受容してゆくのかという議論の特集となっており,他誌と大きく異なってい
る。
各週刊誌の報道内容をさらに詳細に検討するために,新聞と同様,各誌で引用されている 有識者コメントの量とその内容について分析した。各誌とも,氏名の公表,非公表にかかわ らず取材の補足として有識者コメントを引用しているが,ここでは,コメンテーターの氏名 が明記されているもののみを分析の対象とした。
表8に対象各週刊誌に引用された有識者コメントの内容を,新聞における分析と同様,①
「犯罪を犯した少年の異常性やその動機についての心理分析に焦点を当てたもの」,②「少年 犯にしばしば認められる,動物虐待や発達上の問題などの,いわゆる『前兆行動』に関する
もの」,③「事件の背景となる教育・家族・地域の問題や,犯罪防止策に関するもの」,④
「事件の背景となる社会病理に関するもの」,⑤「本事件をどのようにとらえるのか,そして,
それを今後の社会にどのように教訓化するのかという,事件の社会的受容について議論した もの」,⑥「少年法の問題点について論じたもの」,⑦「家庭裁判所の少年審判制度について の解説や,その制度のあり方の問題点や少年の処遇のありかたについて論じたもの」の7カ テゴリに分類し,各誌が引用している有識者コメントが上記のどのカテゴリに分類できるか を整理した。その際,1回の引用の中で2つ以上のカテゴリに属するコメントがなされてい
表7 対象各週刊誌における特集記事のタイトルー覧
誌 名 号 記 事 タ イ ト ル
週刊文春 2003.7.17 総力取材 長崎 種元駿ちゃん投げ捨て殺害 疑惑の「中学生」の「風評」
週刊新潮 20037.17 犯人は「地元の中学生」!? 長崎幼児殺害は「第2の酒鬼薔薇」事件か
長崎12歳生徒 衝動の闇
AERA 2003.7.21 性の成長の「歪み」をいかに防ぐか 幼児抱える親たちの不安
勝谷誠彦のニュースバカー代Vo1047長崎幼児殺害事件一あえて提案する。
Y事罰を問えない子供の責任は「親の連座制」にせよ
今週の提言 長崎幼児殺害事件 少年犯罪の連鎖を断ち切れるのか? 今,
サの岐路に立たされている
SPA! 2003.7.22 神足裕司のニュースコラム 少年の蛮行の責任は素行から目を背けた全ての 蜷lにある
ニュースコンビニエント 宮崎哲弥 薄々予感していたが,恐ろしい結末と ネった長崎男児殺害事件
十二歳の殺人犯 週刊文春 2003.7.24
駿ちゃんにハサミで加えた「性的虐待」
現場 長崎・駿ちゃん殺害事件
週刊新潮 20037.24 新聞では読めない「殺す12歳」惨劇の深淵
特別寄稿 柳田邦男 我らの内なる「少年犯罪」 長崎12歳少年の「殺人と更 カ」を私はこう考える
長崎幼児誘拐殺害「駿ちゃん惨殺犯は中学生1」 緊迫の捜査情報の核心 女性セブン 2003.7.24 長崎・種元駿ちゃん誘拐殺害事件 小さな棺から無言の告発一1年前から類
落膜盾ェ頻発していたのに…
現地発緊急リポート 長崎「幼児全裸殺人事件」
週刊ポスト 2003.7.25
12歳少年A おぞましき「性的サディズム」
週刊朝日 徹底追跡 長崎幼児殺害事件 常に寄り添う母親の影 12歳中学生の「実像」
2003.7.25
専門家らが緊急分析 幼い男児への性的関心がなぜ殺人に至ったか
週刊現代 2003,726 総力取材 肉声を独占入手 「長崎少年A事件」恐るべき12歳の性衝動
12歳やり切れない沈黙 長崎・男児誘拐殺人事件衝撃の現場
女性自身 2003,729 総力特集①長崎4歳男児殺害事件 「12歳少年」を育てた知られざる家庭生
FLASH 2003.7.29 長崎「駿ちゃん」誘拐殺人PART 1 異常な執着を…12歳秀才少年の歪んだ u幼児性愛」一突き落とす直前,体の一部をハサミで傷つけていた…両親溺愛 ウれた一人息子がなぜ凶行に
週刊アサヒ芸能 2003.7.31 深層スクープ 長崎「局部切り少年」を生んだ暴走「性教育」
「駿ちゃん,こわかったよね」
女性セプン 2003.7.31 総力取材 長崎男児(駿ちゃん)殺害事件の深層を挟る 12才少年「倒錯の V畳間」 これが猟奇殺人を生んだ 開かずの自室
週刊ポスト 20038.1 「ハサミ魔」と化した12歳少年Aの「性的殺人」
長崎「少年A」笑顔&自画像
FRIDAY 2003.&1 総力スクープ スナップ写真,直筆作文……「幼児惨殺事件」の 深層 が ゥえた
週刊新潮 2003.8.14・21 戦傑の供述! 「心の闇」を明かした長崎「12歳少年」
ワイド特集「狂った日本人」性欲暴走!凶悪事件ファイル
FRIDAY 2003.9.1 長崎 駿ちゃん殺害後も平然と登校 「第2の酒鬼薔薇」12歳少年の本能分析 週刊文春 2003.10.9 長崎・種元駿ちゃん殺害 12歳少年はたった1年で更生できるのか1
る場合は,各々をカウントした(資料2参照)。
表8によると,有識者コメントの引用は,『週刊新潮』,『週刊ポスト』で,他誌に較べて明 らかに多かった。他方,コメント内容では,①「犯罪少年の異常性,動機の心理分析」が最 も多く,次いで③「教育・家族・地域問題」と⑥「少年法」が多かった。
①「犯罪少年の異常性,動機の心理分析」の引用は12誌中9誌で行われており,週刊誌で はこの問題が記事構成上重要なトピックスと捉えられていることが示唆された。また,この カテゴリの引用が多かったのは,『週刊新潮』で,他誌に較べて少年の心理分析への着目度の 高いことを示している。③「教育・家族・地域問題」については,12誌中4誌が引用を行っ ており,4誌間では顕著な差異は認められない。また,⑥「少年法」の引用も12誌中4誌であっ たが,このカテゴリでは『週刊ポスト』での引用が他誌に較べて多かった。
①の「犯罪少年の異常性・動機の心理分析」についてのコメントは精神医学の専門家らに よってなされており,中でも小田晋(帝塚山学院大学教授)が7回,町沢静夫(立教大学教 授)が4回引用されている。他のカテゴリも含め,同一の有識者のコメントが引用されてい る事例は,少年法や少年審判の一般的解説とその問題点を刑法学の立場からコメントしてい る土本武司(筑波大学名誉教授)の3回と,少年法の犯罪被害者人権への配慮の欠陥や犯罪 抑止のために機能すべき地域社会の問題点を指摘する有田芳生,藤井誠二(いずれもフリー・
ジャーナリスト)の各2回である。このことから,特に小田晋の引用数が顕著に多いことが 認められる。
表8 対象各週刊誌に引用された有識者コメント内容のカテゴリ分類
週刊文春 週刊新潮 週刊ポスト女性セブン FRIDAY A E R A 犯罪少年の異常{生勘機の心理分析
O兆行動
ウ育・家族・地域問題 ミ会病理
ミ会的受容 ュ年法
ニ庭裁判所の審判・措置
2 7 P 1 O 3 O 2 O 0 O 2 P 2
1 1 P 0 Q 3 Q 0 P 0 T 1 O 0
1 0 O 0 O 0 O 0 O 0 O 0 O 0
合 計 4 17 12 5 1 0
SPAl 週刊朝日 週刊現代 女性自身 FLASH週間アサヒ芸能 合計 犯罪少年の異常性働機の心理分析
O兆行動
ウ育・家族・地域問題 ミ会病理
ミ会的受容 ュ年法
ニ庭裁判所の審判・措置
0 0 O 0 O 0 O 0 P 0 Q 0 O 0
1 2 O 0
O 1、
O 0 O 0 O 0 O 1
1 1 O 0 O 1 O 0 O 0 O 0 O 0
17R1042104
合 計 3 0 1 4 1 2
背景に人格的な病理の存在が推測される犯罪が発生したときに,その病理や一般的には了 解し難い動機について,精神医学や臨床心理学の専門家の分析を求めるということには理解 できる面もあるし,やむをえない側面もあるだろう。さらに,小田晋のように犯罪心理学の 分野で高名な専門家であれば,その傾向はさらに助長されるであろうことも理解できる。し かしながら少年犯罪のように,時代,社会,地域,家族,教育といった多様な要因が複雑に 作用しあって生じる犯罪に対して,個人の精神病理を解明するアプローチの専門家のコメン
トが,どれほど有効性を持つものであるかは再検討を要する問題であろう。
本事件報道において,週刊誌に引用された精神医学の専門家のコメントの多くは,少年を 性倒錯者,幼児性愛者,サディスティック人格障害者というレッテルを浸透させることに結 果的には貢献してしまっている。しかし,幼児性愛傾向もサディスティック傾向も,本来,
健常な人格の中にもごく当然に含まれている側面に過ぎず,その突出したケースにラベルづ けをすることが,犯罪少年の心理分析として適確なものであるかについては疑問がある。さ らに本事件の場合,少年の人格上の重大な背景として精神鑑定書に明記されたように高機能 広汎性発達障害(いわゆるアスペルが一症候群)があると考えられるとすると,上記の幼児 性愛者,サディスティック人格障害者というレッテルは,この少年の問題についてミスリー ドを促す役割を果たしてしまっていると言わざるをえないだろう。この点については,新聞 に較べゴシップ性の許容される範囲が広い週刊誌にあっても,ジャーナリズムの社会的機能 という観点から自己点検する必要があるのではないだろうか。
◆ 討 論
上記の分析から,本事件のように社会的関心度が高く,また,社会システムの再考を強い る事件に対して,新聞報道は,基本的に客観的で公正な立場から事実関係の報道を最優先し ており,その点では報道メディアとしての社会的機能を果たしていると評価できる。その一 方で,捜査当局およびその周辺がリークする情報を独自取材によって検証することなく報道 する傾向があり,報道対象によっては,こうした態度がマスメディアによる2次被害を生む 危険性が指摘できる。本事件のように少年法による報道制限があるケースでは,新聞はリー
ク情報に頼らざるをえない側面があるが,犯罪少年は少年法によって守られていることに よって,犯罪事実やその背景が密室化する傾向にある。このことは,犯罪少年の人権への配 慮という点ではやむを得ない面もあるが,事件の教訓を社会システムに還元するという面で は問題がある。この点については,社会的議論が必要ではあるが,そうした社会的議論を促 すためにも,そして,少年犯罪が密室化することによって生じる冤罪などの危険性を回避す るためにも,新聞はリーク情報を裏づけするような独自取材を積極的に行う必要があるだろ
う。
新聞報道に対して週刊誌報道は,事実関係の報道については新聞を追従する形となってお り,新聞によってもたらされる情報以上の有益な情報はきわめて少ないとみなすことができ
る。各誌の本事件に対する態度は一部の週刊誌を除いて,その異常性,了解不能性を強調し,
社会的不安を煽る方向で一致する傾向がある。こうした傾向は,ゴシップ性が許される週刊 誌の態度としては社会的な許容範囲であるかもしれないが,本事件のように,社会システム の根幹を揺るがしかねない事件の報道のあり方としては,再度検討する必要があるのではな いだろうか。『SPA!』『週刊文春』を除く各週刊誌は,本事件を犯した少年の異常性の分析や 動機の分析に重点を置いた報道を行っているが,少なくともそれらの報道からは,新聞報道 以上の少年の実像は浮かび上がっては来ないというのが現実である。むしろ,少年を了解不 能な怪物的存在として印象づけてしまう傾向が強い。先にも述べたが,少年犯罪の犯罪主体 を了解不能な怪物として認めるということは,こうした事件を今後の社会システムの改善の ための教訓として社会化することを拒否する態度であり,こうした態度からは何ら有効な示 唆は得られない。むしろ,犯罪少年や被害者遺族の人権を損なう危険性のみが高くなるだけ である。こうした点で,週刊誌の社会的メディアとしての成熟が必要ではないだろうか。さ らに言えば,精神医学や臨床心理学の専門家は,犯罪の病理や動機の解明に関わる場面に遭 遇する可能性や,また,専門家としてのコメントをマスメディアから求められる可能性があ るが,その際に,自らの言説が社会的にいかなる効果をもち,それが社会システムのなかで どのように装置化されるのかについて,常に自覚的でなければならないだろう。
最後に,犯罪における心理分析とその社会化の問題について論じておこう。
犯罪は通常,様々な社会的要因と犯罪主体の人格特性との相互作用の結果として生じる。
つまり,人格的な歪みが単独で作用することで成立する犯罪は想定することが難しい。経済 的に高度化する以前の社会にあっては,犯罪の主たる要因として,たとえば貧困などの社会 が了解しやすい社会的要因が強く影響しており,その場合は,犯罪行為が主体的な自己決定 の末になされたのか否か,すなわち,精神病などによる自己決定の主体性が疑われるのか否 かが問題となり,その際に精神鑑定の必要性が生じる。さらに未成年者の場合は,そもそも 自己決定能力が未熟であるという人間観に基づき,成人とは異なる再教育プログラムを主体 とする措置が制度化されている。こうした人間観がはたして今日の社会情況に適応している か否かについては議論の余地があるだろうが,この点については別の機会に譲りたい。
ところが,成熟社会の到来により,犯罪の成立に関与する社会的要因が多様化し,不透明 化することによって,犯罪に対する社会的了解が成立し難くなってきている。このことが,
犯罪者の人格特性の分析やその病理のラベルづけで,犯罪の成立要因を特定できたことにす るという社会的心性を生み出している。もちろん,こうした傾向は事件を受容する一般社会 に認められる傾向であり,司法の場では安易な心理学主義に陥っているわけではないだろう。
しかし,こうした一般社会の犯罪規定因に対する心理学主義は,結果的に犯罪に対して無防 備な社会システムを放置することにつながっている。というのは,犯罪の動機などは,本来 きわめて個人的,主観的なものに過ぎず,そもそも社会的了解が成立することが期待できな いからであり,たとえそれを分析するのが,精神医学や心理学の専門家であっても,人間の
精神世界が極めて主観的なものであることを考えると,類型化は可能であっても,犯罪を成 立させた決定的要因となる人格特性を解明することは不可能だと考えられる。換言すれば,
精神医学や臨床心理学は元来,対症療法的に機能するものであって,人間精神の全体的解明 に対しては,哲学的議論の域を出ないものであり,現実的・実際的社会システムに寄与する 分析が可能であることは望めないと考えられる。
したがって,重要なことは,犯罪主体の人格特性の類型を明らかにした上で,そうした人 格特性がどのような社会的関係性の中で犯罪の背景となったのかを詳細に分析し,その上で,
社会的関係性に対して必要な調整を加えていくことである。こうした視点からすると,少年 犯罪審判の密室性は重大な社会システム上の欠陥を内包していると見なすことができるし,
犯罪少年を異常人格者として怪物化するマスメディア報道のあり方も,まさに犯罪的である と言わざるを得ない。
議論を明確にするために具体的なケースについて論じておこう。1997年の酒鬼薔薇聖斗,
2001年の愛知県豊川市主婦殺害事件の少年,そして2003年の長崎幼児誘拐殺害事件の少年に 共通した人格特性として,高機能広汎性発達障害,いわゆるアスペルガー症候群が指摘され ている。アスペルガー症候群については,杉山・辻井(1999)に詳しいが,きわめて簡潔に要 約すると,高度な知的能力を保った自閉症ということになる。自閉症の病因は未だ同定され ていないが,先天的な脳機能の障害と考えられており,近年では遺伝子レベルで病因を探る 研究が展開されている。高機能自閉症の特徴は,その高い知性にも関わらず他者との共感性 の発達に異常があり,そのために対人関係上の多くのトラブルを生じる点にある。通常,自 閉症者は犯罪被害者やいじめの被害者になることは多くても,加害者になるケースは考えら れないとされてきたが,1980年代以降,海外ではアスペルガー症候群が犯罪の背景となるリ スクを負っていることが報告されるようになり,殺人のケースも報告されている(例えば,
Wing,1981;Mawson, et・al.,1985)。日本でもアスペルガー症候群の人が触法行為を犯すケー スにつての報告がなされるようになってきている(藤川,2002;藤川ら,2002;杉山,2003)。
アスペルガー症候群の人は,社会的関係を構築する適切なスキル習得の訓練を受けたり,同 じ発達障害をもつ人たちとの自助的なサークルに参加することにより,健常者と変わらぬ社 会生活を送ることが可能であるし,場合によっては,健常者以上の高い能力を発揮し,社会 貢献するケースも稀ではない。しかしその一方で,彼らの対人関係調整能力の成熟は健常者 と同様の共感性の成熟に基づくものではなく,むしろ,知的推論によって他者の心理を読む 能力を高める,あるいは,様々な社会的場面での適切な行動様式をスキルとして習得すると いう,人格上の成熟の問題がある。したがって,アスペルガー症候群を背景とした犯罪者の 矯正プログラムや犯罪少年の更生教育プログラムは,従来の他者との共感性の成熟,いわゆ る「心の教育」によってはほとんど効果を上げないことが容易に予測できる(藤川,2002)。
彼らが健全に社会で生活するために必要なのは,社会的に適切な対人スキルを習得する場と 機会,そして,その障害が原因となる社会的困難に直面したときに被る心理的不安を和らげ
るようなサポー1体制である。そしてこれは単に犯罪者の更生プログラムに限った問題では なく,より広く,こうした発達障害を抱える人々の一般的な教育プログラムにおいて配慮さ れる必要のあることであろう。しかしながら,アスペルガー症候群者に対する社会システム の構築のためには,アスペルガー症候群に対する社会的理解が日本においてほとんど形成さ れていないこと,有効な教育プログラム策定のための基礎研究データの蓄積が十分ではない こと,さらに,精神医学の教育プログラムにおいて,児童青年精神医学講座が医学部に皆無 であり,この分野の専門家の養成が大きく立ち遅れていること(杉山,2003)など,多くの 社会環境に関する問題がある。しかし,これらの問題は解決可能な問題群でもある。そのた めにマスメディアや専門家,言論人の果たすべき役割は大きいのではないだろうか。そして,
アスペルガー症候群のケースできわめて重要なことは,2003年度に文部科学省が実施した悉 皆調査の結果,通常クラスの0.8%の生徒がアスペルガー症候群者であることが明らかにさ れているにもかかわらず,彼らの多くが未診断,未治療のまま放置されるということである。
ここにも社会環境の問題がある。しかし,安易にアスペルガー症候群のスクリーニング診断 を行い,早期治療に当るという議論は,現時点では,アスペルガー症候群者を犯罪予備軍と いう誤ったレッテルの中に封じ込め,その人権を著しく阻害する危険性がある。特定の先天 性発達障害を抱える人々に対して適切な対処を社会が取るためには,偏見や誤解,それらに 基づく差別を抑制しつつ,その障害に対する社会的理解や認知を高め,広めていくことが必 要であり,そうした社会的認知を背景にして,初めて教育プログラムの制度化や彼らが触法 行為を犯した場合の矯正プログラムのなどの制度化や法の整備が可能となる。そしてこうし た社会環境を整えるためにこそ,専門家はその言説を戦略的に構築しなければならないし,
そこにマスメディアが果たすべき役割も大きいと考えられる。さらに言えば,こうした問題 は,アスペルガー症候群に限ったことではなく,心理上,発達上の障害をもった人々を取り 巻く社会環境全般に指摘できることである。
◆引用文献
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宮崎寿子 1997 メディアは現実をどう構成するか 一阪神大震災テレビ報道の〈今日の一日のドキユメン ト〉分析(FCT報告から)一 鈴木みどり(編)1997 メディァ・リテラシーを学ぶ人のために 世界思 想社,58−80.
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鈴木みどり(編)
◆参考資料
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