古文字における﹁羊﹂系字の憂遷
高 久 由 美 On t he V ar ia ti on s of A rc ha ic F or m of C ha ra ct er s Co nt at in in g
"
羊"
Appeared in the Unearthed Materials
Yumi Takaku
はじめに
﹃説文解字﹄︵接漠許懐撰︑以下﹃説文﹄︶には︑﹁幸﹂に相督する小
宴が︑細字︑㈲李の二手存在する︒このうち細字については︑段
玉裁が㈲卒に改めるべきであるとの見解を提示しており︑これを加
えた三幸の小宴について︑﹃説文﹄説解には各字の形音義を記して次の
ようにある︒
細字所以常人也︒瓜大仙羊︒一日大官也︒凡牢之属皆瓜牢︒
一日謙若軌︒一日俗語以盗不止盛挙︒学説若膏︒尼枇切︵10
下︶鋸牢所以驚人也︒肌大仙半︒︹以下︑旭と同文︺
ヽ■一′他事吉而免凶也︒肌中仙天︒天死之事︒故死謂之不菅︒胡耽
切︵10下天部︶㈲辛の字形は﹁大﹂と﹁羊﹂からなる合意字で︑﹃説文﹄部首の一
でもある︒この部首に属す文字には︑他に墨T幸︶︑輔門︵執︶︑園︵園﹁
事一基︶︑額︵聾︑籍轟︶の大字がある︒なお︑垂Tの下半の構
成要
素﹁
羊﹂
は︑
﹃説
文﹄
干部
に属
す文
字で
‡ 徹也︒瓜干︐入一烏干︐入二鳥羊︒諌若能書稗甚也︒知事
切
︵3
上︶
とあり︑同部に属す﹁干﹂︵犯す︶や﹁中﹂︵したがわない︶と関連する文字と思われるが︑文敲資料にも出土文字資料にも殆どその用例を見ない稀見事である︒垂→の字音は︑謙若による﹁瓢﹂﹁脊﹂二昔と反切による﹁尼枇切﹂などから上古昔の泥母菓部に属す︒字義は人を驚かすとあるが︑別義として︑大声︑盗みが止まないこと︑ともある︒段玉裁の㈲説は︑このうちの字形の分析に異議を唱えたもので︑構成
要素を﹁大﹂と﹁半﹂芋の本望からなる合意字と改めた︒段氏の判
断の
根城
は︑
①﹃
五経
文字
﹄に
﹁説
文︑
瓜大
仙早
︑音
干﹂
とあ
るこ
と︑
②漠石控︵素平石控︶中に﹁執﹂字の左半を李と作る字形があること︑③﹁犯す﹂という意味の﹁早﹂の方が﹁羊﹂より合意字の構成要素として妥曹であることである︒
ヽl′由李の字形は﹁天﹂と﹁中﹂からなる合意字で︑字義は書にして
凶を免れるとある︒字音は上古昔の匝母耕部に属しており︑これが﹁幸﹂
字の字音を反映している︒ ﹁幸﹂﹁執﹂﹁團﹂字などの諸字を古文字資料中に検討してみると︑
甲骨文中に杢︑勲︑團図などの字形で現れている︒西周から春秋戦國時代の文字の形成過程から︑これらと字形的連績性をもつのは﹃説
文﹄小築のωゑ〒である︒段玉裁のω説は︑一見妥當だが︑やはり古文字資料とは合致しないし︑⑧季も古文字資料にはない︒ 以上から﹁幸﹂は︑字形的には小蒙ω李と︑字音的には小蒙㈹季
との連績性をもつと言える︒以下では︑股周時代の出土文字資料中における﹁李﹂系字について字形と用法の観鮎からその婆遷を検討して
みたい︒
甲骨文における﹁李﹂系字の分類と分析
甲骨文中に習見する﹁李﹂字は︑♂Y︑△喜の如く作り︑
としては︑第一期から第四期にわたって現れる︒ 濁膿字
1
皿
W
甲二八〇九\合五〇一葦 乙七〇四〇\合六五六前四・三二・五\合五八五六侠八六五\合三〇二五六 垂拾一〇・一五\合三三〇=後二・二六・=二\合三三〇九一
郭沫若は當初杢を﹁工﹂と﹁壬﹂に比定し︑﹁攻﹂の初文としたが司︑ 孫海波は釜が刑具を表わしており罪人の丙手を楷する道具であると述べ﹁李﹂に比定した曜︒また︑商承詐は垂を含む合髄字韓等について︑﹁執﹂の小築朝と比較すると︑甲骨文杢と小蒙ゑ〒とが字形が頗る近く︑刑具の形を表しているとし︑韓は罪があった者を捕捉するものとした喝︒甲骨文垂と小築杢→との字形的連績性を初めて指摘した説である︒垂を人を捕捉する道具と捉えることは誤りないが︑孫氏や商氏の言うように﹁刑具﹂とする説には賛同しがたい︒股代社會に﹁法﹂﹁刑﹂という概念が存在したとは考えられず︑したがって﹁刑具﹂も
また存在しえないからである︒謬黄器口の言うように日餌昌mgo°︒︵川
手かせ︶︑すなわち拘束道具とだけするのが妥當である輔︒かつて︑加藤常賢は甲骨文釜を﹃國語﹄魯語などの文獣に記載される﹁五刑﹂の
一﹁竪﹂に比定した巧︒﹃尚書﹄呂刑にも﹁五刑﹂が記される︒しかし︑般代の實社會に照せば︑杢は奴隷を捕縛する行爲であり︑法刑制度とは匠別せねばならない︒劃︵酎ー鼻を切り落とす︶や則︵殻ー鋸で
片足を切り落とす︶のように︑職争による捕虜に施された身髄殿損行
爲の一種で︑その目的は相手の自由を奪うことにあったと言えよう喝︒
甲骨文の垂に封磨すると思われる道具に拘束された奴隷を窩した陶製の桶像が︑一九三七年の股櫨の第一五次鰻掘で︑安陽の小屯三五八號灰坑から出土している︵圖一︶︒左の女性桶は高一六・四センチ︑丙手を前に緊縛された姿に封磨するのが︑甲骨文の韓である︒右の男性
桶は高一五・ニセンチ︑後手に丙手を緊縛されているようである︒下の頭部が残峡した桶像は︑上の二髄よりも拘束具の形がはっきりと見
て取れ︑垂形の手枷に奴隷の丙手を交叉させて入れて拘束していたこ
とがわかる可︒
考古資料から検詮すれば釜及び韓が奴隷の拘束に關連する文字であるということは明らかである︒以下では︑・これらの文字の特徴的な
用例について検討を試みる︒
ω貞:我弗其垂舌方? ︵遺一七一\合六三一二四正︶
②口辰卜︐賓貞:方杢井方? ︵契六一西\合六七九六︶
県立新潟女子短期大学研究紀要 第4工号 2004
圖一(ア)
㈲ロロト︐般貞:訂垂完?王固日:有⁝︵京人三一二七a\合四八九正︶ ラ ω己巳貞:鼻井方?弗垂? ︵粋二六三\合三三〇四四︶これらはいずれも第一期のト辟で︑ωは﹁貞う︒我︑それ舌方を垂せざらんか?﹂と讃め︑垂は動詞として用いられている︒﹁舌方﹂の
他﹁井方﹂﹁莞﹂等の語が目的語としてとられていることから︑異族の捕縛に類する行爲ではないかと推測される︒般代にあっては異族の捕
縛は︑奴隷を確保することでもあった︒㈲は第四期のト辞であるが︑﹁井方を勲せんか?垂せざらんか?﹂という封貞の命辟から︑動詞釜と轍が互用されていることがわかる︒第四期には︑捕縛された異族を
表す名詞としても用いられる︒
⑤丙子貞:令衆禦召方︸‡? ︵合三一九七八︶ ⑥丙子卜:今日殺召方垂? ︵合三三〇二六︶﹁衆をして召方の垂を禦さんか?﹂や﹁今日召方の︸‡を殺さんか?﹂
圖一(イ)
汽
町
の文脈から︑垂は捕えた召方の捕虜を指すことがわかる︒
このように︑卜僻の杢︑勲は多くは異族奴隷など人を捕獲封象とした場合に用いられている︒この他︑例外的に︑狩狙の獲物を封象と
して用いられる場合があることも指摘されている岨︒
ω庚辰卜︐王弗垂其家?允弗杢︒ ︵書博二九︾
⑧庚辰卜︐王⁝弗鼻其家?允弗韓⁝ ︵遺四一九\合︶
㈲鼻兜︒ ︵粋九四一\合︶これらの文脈の→‡︑韓は︑隻︑禽︑羅などの本來動物の捕獲に封し
て用いられる動詞の代りに用いられているものだが︑何らかの特定の
狩狼手段の含意がある可能性も指摘されている岨︒
次に︑狸腔字公▽Y︑ム喜に何らかの構成要素をともなった合濁字を検討する︒
甲骨文中の﹁卒﹂系宇中︑最もヴァリエーションに富むのは︑垂
一3− (258)
と蕩︵丙手を捕縛された人の坐す姿の側視形︶が結合した韓で︑從來執に繹され︑第一期を中心に第五期まで全期にわたり出現する︒
1
皿
皿
W
V
翁前五・三六・四澤前六二七・四 侠六人一
存上一六四八前六・一七・三 ●績三・三六・二撮二・=二〇甲三八〇五俄=ハ・二 亀 梓二六三郷三下・三六二〇
南師二二〇八
第四期には︑人の頭部を表すAに杁い︑硲とも作る︒膝を伸ばして直立する輪も一期から四期に亙り用いられる︒尋・に杁い範と作る字形に鉗して︑趙錫元は︑Uは人の手と頭部が樫桔で械められてい る象形とするが明︑干省吾は甲骨文に7︑τ等の關連字があるこ
とから︑頭部を籠の中に拘束する象形としている明︒
執宇の右傍にはいくつかのヴァリエーションがある︒このうち︑人の頭部にミが添加された硲については︑頭部のミが何であるかに
ついて︑縄索で緊縛された上に枷をはめられた人であるとか囎︑辮髪の
異族に械を加えた形輔︑縄索を以って人の頸を縛すの象形といった解羅
があったが剛︑近年出土した考古遺物によってその賞態が明らかになつた︒二〇〇一年二月に四川省成都市から髄掘された金沙遺跡は︑三星
堆にやや晩れて股周期の成都地匠を代表する重要遺壮とされるが嚇︑このとき出土した石製の彫人像は︑安陽出土の陶桶との著しい共通性を
示している︵圖二︶︒彫人像はいずれも脆居して丙手を後ろ手に捕縛さ れているが︑その際︑後頭部から背中下に垂れた編下げ髪を縄索替りに利用して︑丙手を縛っている︒様々な異説のあった甲骨文魯・の字繹だったが︑實際の出土遺物から︑蟹は長く垂らした辮髪を利用して丙手を縛したことの象形であったことが明らかになった︒ この他︑虎に杁い鱈と作る字形が︑第三期以降に現れている︒範にさらに構成要素が加わったものに︑黛︑償がある︒このうち聲は捕縛された人を後ろから手で抑えつけている形であるとされる囑︒ 峯︑峯は︑第一期に現れる合髄字で︑﹈∪︵口︑ここでは頭部︶︑げ︵足︶をともなっている︒葉玉森は呈¥が首を繁ぐの象形︑釜が足を械めるの象形であることを指摘し︑墨を﹁楚﹂と繹すが︑丙字が同字か否かは疑問であるとしている唖︒魯寅先は丙・字とも李の繁文であるとしている.︒また︑茎はぴ︵足︶を構成要素とすることから︑李亜農は達.捷と繹し︑胡厚宣が逃亡の意味であるとする︑など移動に關する動詞としての字繹が畢げられる剛︒この他︑第一期には姿と益に杁う黍もあり︑構成要素からすればやはり移動に關する語と思われる︒ 團田︑圖uは︑第一期に現れる合饅字で︑峯︑睾の周りを∩︶が園んでおり︑園に繹され︑﹇∪が囹圖を表しているとされる㎝︒この他︑nUに杁う第一期の合膿字は︑麻團︑隔図があり︑園に繹されるが︑m国︑傭園との關係については検討を必要とする︒また︑︹∪のかわりに∩に杁う㊥︑愈・も同じく第一期に現れ︑罪人が屋下に拘束されると解され團に繹されるが喫︑いずれも断片的なト辞であるため︑用例から字繹を検誰することはできない︒﹁李﹂系の合饅字の中でも︑第一期に現れる尋・︑峯と︑同じく第一
期に現れるm国︑信團は︑次に示すように︑同版上での特徴的な用法が
あ泌︒ oゆ甲戌︹卜︺︐貞:峯自川儲團︐昇?︹貞︐不︺其得?
︶ ︵庫二七六\英藏五四〇︶
伽秋窃王←自交尋・六人︒. ︵契一二四\合一三九正︶
県立新潟女子短期大学研究紀要 第41号 2004
したが︑捕捉できるかどうかトしているのだろう︒ゆの﹁自川図﹂と は川地にある奴隷の居所を表すもので︑命僻は︑川の地の奴隷が逃亡 り︑奴隷が手枷をしたまま逃亡したことを意味する動詞であろう︒厘囹 とあり︑峯︑倫團が二字一緒に用いられる︒峯は垂︑韓とは異な Gゆノは﹁甲戌︹の日に︺トす︒貞う︒川図より峯するに︑得するか?﹂
く侮﹁自交峯﹂を比較すると国巴と峯が場所を表す語として互用され
ていることがわかる︒
廟は第一期に歴倒的に多く現れ︑角︵丙手︶に手楷を加せられた人と解され︑拳や執に繹される︒僅かだが︑第三期︑第四期︑第五期
の用例もあり︑各期の字形を比較すると︑
1
皿
W
V
働前七・欄五・三急後下一二二〇 え 南輔==
詠タ郷三下四〇・六 京三一四二傘前二・二一二二
となり︑時期別の有意差は認められない︒女字を構成要素に加え磁と
作る字形も第一期甲骨に一片だけある︒
偏團は韓の周團を﹇﹇が園む形である︒垂︑韓と同じく異族﹁莞﹂を目的語とするが︑用法はこれらとは異なる︒ 伽癸亥卜︐孚貞:旬無田?王固日:有崇︒五日丁未︐在皇偏團莞︒
︵前七.一九.二+契一二四反\合=二九反︶卜僻は﹁癸亥︹の日に︺トす︒孚貞う︒旬︑田無きや?王固いて曰く・
崇りあるべし︒五日︹目の︺丁未︹の日に︺︐稟に在りて完を偏團せり﹂と讃める︒このうち︑命僻の﹁むこう十日間でわざわいがあるだろう か?﹂に封して︑王は﹁たたりがあるだろう﹂と予言し︑験辞﹁章の地で莞を圓せり﹂に五日目に起こった凶事が記される︒胡厚宣は逃臣を捕獲ルて丙手を刑具の中に執し︑囚室に拘束するものとし哩︑齊文心もほぼ同じく︑圓は圖uと同じく捕獲した莞奴を稟地の監獄に囚禁することと解し・ている喫︒白川静は麻国は勲と同じで︑﹁圓莞﹂はたたりを防ぐ意味だというが︑これは逆である㎎︒蘇僻に﹁崇りあるべし﹂とある以上︑禰︸は文脈上は︑莞奴の逃亡や大量死︑奪回など王室にとっての凶事を意味するはずだが︑逃亡に封しては峯の動詞がある︒甲骨文の葬字は︑長方形の墓穴に葬られた亡骸を表して︹圃と作るが︑このことからすれば︑伽國は丙手を拘束されたまま長方形の墓穴に葬られた奴隷を表しているともとれる︒であれば︑麻團莞は先奴を死なせてしまった︑という王室にとつての凶事を表しているとも推測できよう︒ 最後に畢げる義は︑唱見すると範に類似した字形だが︑右傍は均ではなくlRであることから︑
たと見る説がある喫︒ 偽鋤以稠干鞍? 侮戊午卜︐賓貞︐翌乙丑敦不? 価戊子卜︐内貞︐翌己丑雨?己鞍︒卜辞の用例から︑ー くある︒15は く験辟である︒ これが演婆して鞭捷の捷となっ
13の鞍は地名または族名であるが︑﹁翌己丑の日に雨が降るだろうか﹂
二 西周以降における﹁李﹂系字 ︵存一・七一九\合一〇四︶︵前六・十二・一\合五九九二︶︵合一二三五七︶
14︑15は動詞で く く という命辞に封しての
西周金文における﹁李﹂系字は︑大きく二つに分けられる︒圖象銘中の﹁李﹂系字と成文銘中の﹁李﹂系字である︒
圖象銘中の﹁李﹂系宇は︑段金文.と西周早期金文のみに見られる︒
一5 (256)
ムv何爵 西周早期
冒爵 西周早期 ﹃集成﹄八一五二
﹃集成﹄七七〇九
甲骨文の♂Y︑△慧や§との字形的連績性が看取できるが︑
圖四
距
いずれも圖象銘であり︑言葉としてどのように機能しているのかを測ることはできない︒また︑このような用例は︑股末周初の金文にしか現れず︑甲骨文との字形的連績性を示す五Vや写はこれ以降見られ
なくなる︒
これにかわって︑成文銘中に初めて﹁李﹂系字が現れるのは︑西周初期の燕國青銅器に現れる人名である︒一九七五年︑北京市房山縣琉璃河黄坂二三五號墓より︑作器者として回圏の名を帯びる團方鼎︵圖三︶︑團段︑團甑︑團由という一群の青銅器が出土した怨また︑一九
人二年に北京市順義縣で出土した西周初期の青銅鼎には︑作器者名に毒とある︵圖四︶︒該器には琉璃河出土青銅器と同じ族徽﹁亜異奨﹂も署されており︑關連が指摘される怨 16休朕公君医︵燕︶侯賜園貝︐用乍︵作︶寳眸葬︒
團方鼎﹃集成﹄二五〇五 留美V乍︵作︶比︵批︶辛陣葬︒亜異昊︒ 畢鼎﹃集成﹄二一二七四 佃の作器者は燕侯から貝を下賜された團という人物で︑口と畢に杁い 回巴と作り︑ここでは固有名詞である︒17畢鼎も︑批辛を祀るために 畢という人物が作った器である︒毒はロと李からなる合腔字で︑
冥▽から字形が婆化したものであろう︒甲骨文と決定的に異なるのは︑器の下部を事と作り︑圏象銘にあった盆¥の如き猫髄字ではなくなっている鮎である︒﹃説文﹄小蒙で﹁大﹂と﹁羊﹂に分析される字形
の原形は西周早期に始まっていたのである︒
これら股末周初の青銅器との關連は不明だが︑人名に團字を用いる例は文獣資料にも頻見する︒例えば︑﹃史記﹄股本紀には契の四世後︑股の五代目に曹團という人物がおり︑また︑周本紀には古公宜父の祖
父として亜園︑曾祖父として高園の名が見える︒
甲骨文では猫艘字﹁李﹂は異族の捕縛と關わる動詞として用いられていたが︑西周金文では李と口に杁う零をはじめとして︑翁¶︵分甲
盤︶︑③︸︵史糖盤︶︑蓼︵史頒毅︶︑籍︵令段︶など︑﹁李﹂合髄字の
県立新潟女子短期大学研究紀要 第41号 2004
構成要素としてしか現れなくなる︒
西周前期西周中期西周後期
團
㊧︶史纏
執曾箪盤郭.護動員方鼎
蓋 夢旅鼎
三式痩鐘拙史纏 舗護蓄史頒段鮎史頒鼎
報郭五翁生段輸令段
佃日古文王︐初鼓︵盤︶飯干政⁝魍團武王︐這征四方︒
史臆盤﹃銘文選﹄二二五西周中期の史蹄盤には︑﹁李﹂を構成要素とする﹁鞍﹂﹁園﹂が同銘中
に現れる︒このうち︑園字を含む箇所は武王に封する頒辟で︑﹁潜にして團なる武王︐四方を這征す﹂の如く讃める︒唐蘭︑装錫圭は園を強園︑つまりつよくかたいの意に解し︑武王の修飾語としている響鼓字は︑玄に杁う李と支とからなるが︑該器と同じく陳西省扶風縣荘白村害蔵から出土した痩鐘では︑同じ文脈で皿に杁う盤宇が用いられている留また︑師旬段にも藍撃政﹂の語があることが宋代著録によ .厭民を以いて︑先王の宗室を再蓋せん﹂
意味は未詳である︒ 伽執嬰︵酋︶一人隻︵獲︶職百世七賊 23分甲杁王︐折首執訊︒ メ 24執訊五十︒
25王獣︵狩︶干眠敵︐王令員執犬︐休善︒ く右は西周金文における執字の用例である︒ って傳えられている弩墓本なので字を誤って螢に作っており字形の用例にはならないが︑語句の類例と訟ろう︒西周金文には︑鼓字と盤字の通用以外に︑これらと關連する盤字が旅鼎︑猷毅︑史頒段などに見える︒ q9公才︵在︶盤自︵師︶︒ 旅鼎﹃銘文選﹄七四 伽双︵友︶.里君・百生︵姓︶︐帥朝盤干成周︒史頒段﹃銘文選﹄四三〇 伽余目餓士.献民︐再蓋先王宗室︒ 歓段﹃銘文選﹄四〇四
字を比較すると は器蓋飼銘の段が四セットと鼎がニセット世に傳わるため︑各器の盤 くq9フ盤自は召公爽が東夷征伐の師旅をおいた地の固有名詞である︒鋤
@ 史墾鮎墨鼎
となり︑これら二字は同じ文脈で互用されている︒史臆盤と痩鐘における鼓字と盤字の互用とパラレルな關係である︒史頒段銘及び史頒鼎銘は︑﹁敦︵盤この後に﹁干成周﹂とあることから︑前後から判断して︑人々が輻︵ともがら︶を率いて成周の地に達した︑あるいは戻ったことを意味するものであろう︒移動を表す動詞である︒⑳は︑﹁余蝕士 く の如く讃めるが︑具腔的な
小孟鼎﹃銘文選﹄六四
分甲盤﹃銘文選﹄四三七號季子白盤﹃銘文選﹄四四〇
員方鼎﹃銘文選﹄一一一執字は小孟鼎では﹁酋一人を執する﹂とあり︑鬼方の領袖を拘束したことを記している︒分甲盤
や號季子白盤のように﹁執訊﹂の語で用いられることも多く︑これは戦争の捕虜に封する捕縛行爲であるごとから︑甲骨文における爪◇Y︑
動からの連績性を示す用法といえる︒これに封して西周昭王期の作とされる員方鼎には︑王が眠敵の地で狩猟したとき︑﹁王︑員をして犬
一7− (254)
を執らしむ﹂とあり︑執字が犬を目的語とした動詞として用いられる︒ 26令敢揚皇王窟︐丁公文報︐用稽後人享︐佐丁公報︒ ︵ 令段﹃銘文選﹄九四 27余恵子君氏大章︵璋︶︐報婦氏畠束︑瑛︒ ︵ 五年凋生段﹃銘文選﹄二八九 報は令毅銘中に﹁丁公の文報﹂や﹁これ丁公の報﹂と用いられてい
る︒﹃禮記﹄郊特牲に﹁祭に祈り有らば︑報有らん﹂とあることや︑﹃國語﹄魯語の﹁有虞氏の報﹂に封する章昭注に﹁報︑徳に報いるなり︑
祭りを謂うなり﹂とあることから︑父に封する祭名と考えられている︒五年凋生段﹁婦氏に常束︑瑛を報ず﹂では︑恩人である婦氏に畠束︑
瑛の二品をおくったときの動詞として用いられる︒六年珊生毅にも﹁白氏則ち壁を報ず﹂とあり︑やはり動詞である︒
なお︑周原甲骨中に﹁執﹂字を載せる甲骨片が一片あるとされ︑徐錫盛や陳全方が﹁執﹂と繹し︑﹁率領﹂の意味の動詞としているが昭︑
實物の甲骨片は粉化してしまい現在は存していない㎎︒唯二枚残る︑徐氏と陳氏の棊本を比較してみると︑ともに碁本の字形のくずれがはなはだしく︑﹁執﹂とは認めがたいので︑ここでは検討の封象からはずし
た︒ 東周以降の古文字資料も︑大凡西周期の古文字資料との連績性を示す︒西周時代にはなかった獅膿字﹁李﹂が︑中山王墓出土の壼銘と燕
國兵器銘中に見える︒ i芋中皇響方壺﹃銘文選﹄人ム
燕王戎人矛 ﹃三代﹄二〇・三七・
字形的には︑西周金文に見える曾の一部と同じ構成要素と言ってよい
であろう︒王響壺銘文には﹁身に李冑を蒙う﹂とあり︑甲︵よろい︶の
意味で用いられている︒
次に︑東周文字中の﹁李﹂に杁う合饅字は︑秦︑楚︑音などの地域 に見え︑各地域で用いられた﹁執﹂字は︑
秦圏石鼓・田車
^鯵包山三四
O音鱒侯馬盟書
の如く作り︑構成要素﹁李﹂についていえば︑西周金文からの連績性
を示している︒前漢にはいってからも︑馬王堆吊書老子に見える﹁執﹂
や﹁国﹂などの構成要素は︑売﹂→と作り︑西周時代とほぼ同じである︒
@ リ老子甲二六 ㊧老子墨九三
これが﹃説文﹄小蒙まで連績する字形であり西周以降全ての時期を通じて同構の宇形が用いられてきたといってよい︒なお︑馬王堆畠書老
子と同時期の出土文字資料であるに武威漢簡中に
@ ノ威・有司四 銀武威・服傳
の如く︑左傍﹁李﹂が羊に杁い圭丁と作る異腔字の出現もはじまって
いることを指摘しておきたい︒
おわりに 以上の検討から︑股から秦漢にかけての﹁李﹂宇と︑﹁執﹂﹁園﹂など﹁李﹂を構成要素とし︑なおかつ各時期を通して用いられている文
字を中心として︑字形の婁遷を整理すると︑左表のように示すことができる︒﹁李﹂系字のヴァリエーションが最も多様なのが股代の甲骨文字であるが︑ゑ︑玲︑償などはおそらく動として収敏されていったであろうことが推測される︒段代には多様な結構の文字が存在し
たが︑時代が下るにしたがって収敷されていくのが﹁李﹂系字の饗遷
県立新潟女子短期大学研究紀要 第41号 20
過程であった︒特に大きな轄換鮎といえるのは︑股周の間である︒甲骨文に績く西周金文では︑早期の圖象銘を除くと︑濁髄字﹁李﹂は消失してしまって用例がない︒このぐる環境に何らかの墾化があった
注
ことは︑股周の間に︑奴隷捕縛をめ
ことを示唆するものかもしれない︒
甲骨文西周早期西周中後期東周文字小筆
李
§傘卑 亭季ラ李圏輯
§圏冒零図④㊧㊧
勃 キ凄舗囲塑
畳− 郭沫若﹁稗工﹂及び﹁稗干支﹂﹃甲骨文字研究﹄大安出版社︵上海︶︑一
九三一年︒尚︑該書が一九五二年に北京人民出版社より重刊された際には︑
﹁稗工﹂を含む九篇の論文が郭氏本人によって削除されている︒該字は﹁李﹂
に比定されるべきことに郭氏も異存なかったものと思われる︒
管2 孫海波﹃甲骨文編﹄巻十・第一四葉︑一九三四年︒
畳3 商承柞﹃般櫨書契待問編﹄巻四・六葉︑一九二三年︒ 釜4切︒彗冨鼠国9︒門曹︒昌り窺誌厳臼恥爵婁切邑①彗︒=冨ヌ器窪目゜窩碧 守9>暮凶ρ鼠島$ Z9旨魎HOき婦冨島 ︵寄胃ぎ$山 ξ O電oお廼雪 勺=げぎ三昌σqOoヨ弓95ざ弓9︒言o譜μOO①︶
管5 加藤常賢﹁︸‡字について﹂﹃甲骨學﹄四・五合併號︑ゴ九五六年︑三頁︒
畳6 松丸道雄﹁股﹂﹃中國史1﹄︵松丸道雄他編︶山川出版社︑二〇〇三年︑
一四二頁︒
斎7 杜正勝主編﹃來自碧落與黄泉﹄中央研究院歴史語言研究所︑一九九八年︑
一五七頁︒
管8 陳偉湛﹁甲骨文同義詞研究﹂﹃古文字學論集初編﹄一九八三年︑一四一〜
一四二頁︒
斎9 挑孝遂﹁甲骨刻辞狩猟考﹂﹃古文宇研究﹄第六輯︑一九八一年︑四八頁︒
管10 趙錫元﹁關干般代的奴隷﹂﹃史學集刊﹄一九五七年第一期︑三七頁︒
菅11 干省吾﹁稗李︑執﹂﹃甲骨文字稗林﹄中華書局︑一九七九年︑二九六頁︒
菅12 趙錫元︑注10前掲論文︑三六頁︒
畳13 白川静﹁莞族考﹂﹃甲骨金文學論叢﹄九集︑一九五八年︑六〇〜六一頁︒
菅14 干省吾︑注11前掲論文︑二九六頁︒
菅15 黄創華﹃古蜀金沙﹄巴蜀書社︑二〇〇三年︑三一頁︒
管16 孫海波︑注2前掲書︑巻十二第四葉︒
菅17 葉玉森﹃股虚書契前編集稗﹄一九三四年︑巻四・四六葉及び巻五・三五
葉︒管18 魯賓先﹁股契新詮之四﹂﹃幼獅學誌﹄一巻二号︑一九六二年︵李孝定﹃甲
骨文宇集稗﹄二巻六二九頁所収︶︒
斎19 李亜農﹁股契雑稗﹂﹃考古學報﹄第五珊︑一九五一年︑二一二四〜二三五頁︒
胡厚宣﹁甲骨文所見般代奴隷的反歴迫闘孚﹂﹃考古學報﹄一九七六年第一期︑
五頁︒畳20 孫海波︑注2前掲書︑巻十第一五葉︒
菅21 李孝定﹃甲骨文字集稗﹄中央研究院歴史語言研究所︑一九六五年︑七巻
二四七七頁︒
菅22 胡厚宣︑注19前掲論文︑五頁︒
一9− (252)
畳23 齊文心﹁股代的奴隷監獄和奴隷暴動﹂﹃中國史研究﹄一九七九年第一期︑
六六頁︒
砦24 白川静︑注13前掲論文︑三二頁︒
畳25 張亜初﹁甲骨金文零稗﹂﹃古文字研究﹄第六輯︑一九八一年︑=ハ○〜一
六一頁︒
管26 北京市文物研究所﹃琉璃河西周燕國墓地﹄文物出版社︑一九九五年︒
斎27 程長新﹁北京市順義縣牛﹃文物﹄一九八三年第十一期︑六五頁︒
骨28 唐蘭﹁略論西周微史家族害蔵銅器準的重要意義−陵西扶風新出膳盤銘文
解粋﹂﹃文物﹄一九七八年第三期二三頁︒襲錫圭﹁史臆盤銘解繹﹂﹃文物﹄
一九七八年第三期二六頁︒
管29 陳西省周原考古隊﹁陳西扶風荘白剛號西周青銅器審藏襲掘簡報﹂﹃文物﹄
一九七八年第三期︑一二頁︒
菅30 歴代巻一四︵=二七頁︶︒
管31 徐錫甕﹃周原甲骨文綜述﹄三秦出版社︑一九八七年︑一=〜一=二頁︒ 陳全方﹃周原與周文化﹄上海人民出版社︑一九人八年︑圖版六三頁︑本文
一〇九頁︒
畳32 曹現﹃周原甲骨文﹄世界圖書出版公司︑二〇〇二年︒︵器一卜︒︶
引用甲骨文・金文關係著録略號表
︿甲骨文﹀
庫侠契拾俄後前
郷三下黄溶﹃郷中片羽三集・下﹄
甲 羅振玉﹃般虚書契﹄一九一一年︒羅振玉﹃股虚書契後編﹄一九一六年︒王國維﹃俄壽堂所藏股虚文字﹄一九一七年︒葉玉森﹃鐵雲藏覇拾遺﹄一九二五年︒容庚・星潤繕﹃股契卜辟﹄一九三三年︒商承詐﹃股契侠存﹄一九三三年︒方法飲・白瑞華﹃庫方二氏蔵甲骨卜辞﹄一九三五年︒ 一九四二年︒
董作賓﹃小屯・般虚文字甲編﹄一九四八年︒ 乙 董作賓﹃小屯・股慮文字乙編﹄一九四八年〜五三年︒南胡厚宣﹃戦後南北所見甲骨録﹄一九五一年︒京 胡厚宣﹃戦後京津新獲甲骨集﹄一九五四年︒書博 青木木菟哉﹃書道博物館藏甲骨文字﹄︵﹃甲骨學﹄第六〜一〇號所収︶ 一九五八〜六四年︒京人 貝塚茂樹﹃京都大學人文科學研究所藏甲骨文字﹄一九五九年︒合 中國社會科學院歴史研究所編﹃甲骨文合集﹄一九七八〜八二年︒英藏 李學勤﹃英國所藏甲骨集﹄一九人六年︒
︵金文V
歴代 醇尚功﹃歴代鐘鼎弊器款識法帖﹄二〇巻︑=四四年︒
三代 羅振玉﹃三代吉金文存﹄二〇巻︑一九三六年︵序︶︒
集成 中國社會科學院考古研究所編﹃股周金文集成﹄一九八四年〜九四年︒
銘文選上海博物館編商周青銅器銘文選編爲組編﹃商周青銅器銘文選﹄一九
八六〜一九九〇年︒
挿圏出虜一覧
圖一 ﹃來自碧落與黄泉﹄三六頁
田二 ﹃古蜀金沙﹄六七頁
圏三 ﹃股周金文集成﹄巻四ー二五〇五
囮四 ﹃股周金文集成﹄巻四−二三七四