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教育農場論序説

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教育農場論序説

技術科研究室 石 原  秀 志

(1970年10月31日受理)

1 問題の提起

教育は,もと社会の価値の伝植あるいは文化遺産の伝達の過程であるがL2,同時に,あ る意味では,未来社会の先取りであるとも考えられよう3。我々の知る限りにおいても,

社会や国家あるいは民族の理想の実現のために,更には全人類の新しい時代の出現への待 望の上に立って,さまざまな教育理念が構想され,また教育計画の展開が試みられてき た。ことに歴史的な危機の時代に,幾度となくそのような主張と試みとが積極的に打ち出 されたことは,教育史的な事実である。たとえば,近世に限って言えば,ルター,ルソー,

フィヒテ,ペスタロッチ等が,宗教改革の進行するドイツ4,革命前夜のフランス,ナポ レオンへの屈服下のプロシヤ,産業革命の勃興期にあったスイス,という特定の状況の中 で,次の世代を育成すぺき新しい教育のためのプログラムを,自らのおかれている夫々の 社会や国民の現実に対する嘆きや憤りと,それらを超えての同胞への愛と熱心とに燃えて 提起しあるいは実践したのであった。また,近代日本の夜明けを前にして,松下村塾や威 宜園等の私塾,ならびに幾多の藩校においても,新しい日本の指導者たるぺき人物の育成 に,並々ならぬ努力が払われたことは明らかであって,明治前期の教育にもそのような努 力はさまざまなかたちで展開されるに至った。我々の知りうる点は限られてはいるが,最 近の出来事としての中国における文化大革命もまた,一つの歴史的な教育改革の展開とい

う側面をもっているように思われる5。

一・

チの時代が,一つの社会や民族が,ことに危機に際して,それを乗り越えて飛躍的な 発展をとげるために,すぐれた教育的な配慮と努力とが傾注された事実に我々は洗目をし

た。

それでは,我々は,今,どのような時代に立っているのか。二つの世界戦争が戦われた あと,4分の1世紀を経ている現在,ほとんど休むことなしに続いてきた地球上のさまざ まな地域における動乱や戦乱は,平和を妨げる数々の要因が,今もなお,強く存在してい ることを示していると共に,それと並んで,世界のあらゆる地域で,社会組織を含めて生 産と生活様式の急速な変動が拡大しつつあり,ボールディングのいう〈文明後社会〉に向 けての「偉大なる転換」が進行しつつあるように思われる6。

この変動を最も強く受けてきた国の一つとして,技術革新の進展に支えられて経済の高

度成長を達成することのできた日本は,反面,社会的にもさまざまなアンバランスを生み

出し,公害問題を含めて幾多の解決を迫られた政治的課題を抱え込むに至った。一しか

し,それらは,正に,日本社会それ白体の,進行しつつある病患の部分的症状に過ぎない

のではないたろうか。

(2)

もしも教育が,未来の先取りであるという機能をもっていることを容認するならば,今 我々は教育の中で,新しい時代を担うべきこの国の若き世代,こども達に,どのような人 間形成を期待することができるのであろうか7。未来は正しく新しい時代であらねばなら ない一一しかし新しい時代とは,ほんとうに人間が人間として尊重される時代一一それこ そ平和の原理である一 ,我々の生活や労働が尊重され,我々の生存の場であるこの国土 や,大気や,川や海が,そしてこの地球のもつ自然の調和ある循環が十分に尊重される時 代ではないか。

倫理的ということは,もと人と人との間のことがらとされる。しかし,今や我々にとっ て倫理的ということは,もっと広汎な意味をもつに至ったのではないか。我々は,我々が そこに生きている生存の場に対して,我々を取り巻く生活の場に対して,倫理的な対応を 求められているのではないか。シュヴァイツアーのく生への畏敬>Veneratio vitae 8と いう主張は,今こそ我々の深い考慮が払われてよい問いではないか。

これらの点を考えるとき,次代の社会を担うぺき若き世代のために,どのような教育を 構想し,配慮していくぺきかということを,我々の重大な責任として受けとめねばならな い9・10。そのような課題の中で,〈教育農場〉の存在と機能とがどのような意味をもちう るかを考察していきたいと考える。

(注)〈教育農場〉ということばは,〈学校農場〉のように一般化された用語ではないが,この 表題をとり上げるに至った理由は,主として次の報告を読んで受けたものによっている。

留岡清男,1964,教育農場五十年(岩波)

皿 教育農場の概念

教育の場における農場とはどのようなことを意昧するのであろうか。

凡そ農場というとき,それは単に農業的作業が行なわれる場というに止まらず・そこに はONE SETとしての土地  圃場や林地・付属地などと,それに付随する施設と,動 物や植物と,耕作や育成の手段としての機械器具等を具備した生産の場という性格が認め

られる11。更に言えば,しばしば生産物は一次的あるいは二次的加工を与えられ,外部に 供給又は販売されると共に,進んで農場内の人々による消費にまで向けられる。

そのような性質を考慮するとき,農場とはそれ自体総体的一全一体であると考えられ

る。

(注)経営体としての効率からいえば,かっての自給的,内部循環的農場は企業的農場にとって 替えられつつあるが,教育の場における農場はなおそのような性格を強く残存否保持すること が可能である。さまざまなレベルでの<retired farm>や<week−end farm>一日本でもこ の種の農場むしろ農園は都市周辺では急速に増大している一は類似の性格をもつものと考えら 一   れる。

ここで,教育の理想を,新しい時代を創造しうる全人の実現一人間性の完成に向って の努力であるとするならば,教育史的に見て,人間の全…的活動を最高度に発展せしめよ

う.とする教育の展開のあり方としての労作教育Arbeit Erziehung 12のもつ意義を無視で

きないであろう。我々は今,全一体としての農場こそは,労作教育実践の場としても,極

めてすぐれた独自の機能をもった存在であることを指摘しなければならない。

(3)

石 原:教育農場論序説      45

ケルシェンスタイナーによれば,陶冶はく状態としての陶冶〉とく処理としての陶冶〉

とに分けられる13が,教育の場における全…体としての農場こそは,正に状態としてもつ 機能と,処理=実践的体験の過程としてもつ機能と,二つの機能を備えた陶冶財であるこ

とに注意したい。

ここに,陶冶とは「文化財によって喚起され,個人的に組織される価値的意味である」14 が,しかし「最も重要なことは,この価値感覚は文化財を通して生産されなければならな いことである」。15そして,全一体としての農場こそは,人類の文化の基本的なものを高 度に内包している文化財=陶冶材なのである。

さて,我々は,〈教育農場〉を次のように理解しよう。〈教育農場〉とは,全一体とし ての農場を,何らかの意味における教育財として,さまざまな立場におかれている青少年 の教育16のための手段一陶冶財として,創設し,運営し,利用していく方式の全体であ る。そしそ,その最も中心的,基本的な目標は,義務教育一国民教育としての最も基本 的な人間形成の組織一の段階を含めて,人間教育一・般におかれる。〈教育農場〉の創設,

運営,利用というそれぞれの過程も,青少年が,どのようにしてそのことに参加するかと いうことによって,より積極的な作用を果たしうるであろう。

皿 教育農場の意義

それでは,より具体的に,教育農場は教育の場においてどのような意義乃至は役割をも っことができるか。

このことの考察に入る前に,一般教育と職業教育との問題に多少鰯れておかねばならな い。シュプランガーに従って言えば,「より高い一般陶冶への道は,職業を超えて,また 職業を超えてのみ通じている」17のであるが,ここでは,むしろ彼の言う基礎陶冶=一般 陶冶の第一の形式18を職業教育と対比させるとすれば,我々がさきに定義したく教育農 場〉は,本質的には基礎陶冶の領域に求められるべきであろう・

勿論,職業教育の場における教育農場の存在とその機瀧とを正当に評価することは重要 である。職業教育それ自体は,勿論単なる技能や知識伝達のための組職ではなく,「自分 の職業をより偉大な文化連関の中で把握し,従って精神的に職業によって呑み込まれるこ となく,職業を超えて立つことを学び知る」19ことが必要であるが,その限りにおいて,

教育農場は職業的陶冶の重要な場となりうる。

しかし,今我々が重大な関心を向けるのは,言うまでもなく基礎陶冶=一一般陶冶の領域 における教育農場の意義である。

基礎的な意味で,人間形成の場として機能しうる教育農場の役割を,我々は次の三つ

(の原理)に分けて考察してみようと思う。

第1.生産と生活との統一の場

生産は生産,生活は生活というようにこの人間存在の基本型の遊離状態が甚だしく進 行してしまっている現代に,教育の原点がともすれば見失われようとする状況の中にあ って,教育農場こそは,生産の教育と生活の教育とをそこにおいてすぐれて統一的に実 現しうる場である。

第2.技術と経済と自然との統合の場

技術は経済の目を必要とし,経済は自然を生かす目を必要とする・技術と経済と自然

(4)

とが,バラバラにではなく,相互に深く結びつき合いながら,最もバランスのとれた状 態に機能するとき,教育農場の効果は高度に発揮されるであろう。

第3.人間と自然との接点

凡そ技術も,経済も,主体としての人間を離れては無意味である。しかも,技術と経 済とがしばしば人間を離れて独走するに至った結果,人間性の尊厳が忘れられ,無視さ れ,脅かされることの甚だしくなったこの時代に,このことを反省し,再び回復しよう とするために,教育農場の存在は重大な寄与をなしうるのではないか。HOMO FABER

=生産人としての人間,HOMO OECONOMICUS=経済人としての人間が,人として の原存在である自然一大地に自らの足でふれることによって,HOMO TOTUS・=全 人であることを回復すべきではないか20。

lV 生産と生活との統一の場としての教育農場

〈生産と生活との統一〉ということは,近代教育一般における生産の場や生活の場から の隔絶の中での展開の結果生起する人聞の社会的存在からの遊離を認め,そのことを如何 に克服し,回復しうるかという課題に外ならない。そして,教育農場こそはそのような遊 離からの回復を実現しうる場として十分に機能しうるであろう。

近代教育殊に主として公教育としての学校教育の発展は,かっては僧院や職場=徒弟制 や家庭=家内生産と生活との未分離というかたちで進められてきた教育から脱出して,制 度的近代化の方向を実現したものであった。しかし,教育がく人間の教育〉であらねばな らぬという原点への反省に立つとき,近代教育の進行の中での上に述ぺたようなく遊離〉

は,多くの教育思想家や改革者たちによってするどい批判を投げかけられ,さまざまな改 革の提起や実践がなされてきた。

周知のように,ルソー,ペスタロッチ,フレーベル,デューイ2122等によって代表され るその分野における活動は,〈教育における生産と生活の統一〉について大きな影響を及 ぼした。オーエンによる生産労働の知育,体育との結合という先駆的な試みが,やがてマ ルクスとその流れをひく人々によっても継承発展させられていったことも広く知られると ころである23。

これらの動きは,近代日本の教育にも大きな影響を与え,ことに大正期以後の近代教育 思想の洗礼の中で展開された新教育運動や八大教育思想というかたちでの活動は,さまざ

まな教育上の革新的な試みとなって結実し,具体的には,成城,玉川,明星,自由学園等 の私学教育の創設によって,生産学校や生活学校への傾斜という方向における実践の場を 与えられ,夫々の学校の指導者を中心として多くの成果が見られるに至った24・25・26・勿論

これらの学校は,その後時代と共に一特に教育統制の次第に強化される流れの中にあっ て一いろいろの屈折を経験し,また,このようなく新教育〉の実践に対する積極的評価 の反面,そのような試みは,都市の小ブル階層への特殊な適応においてのみ成立ちうるに 過ぎず,結局は体制順応的な人間の形成にしか役立たないという痛烈な批判をも与えられ

た27・28。

労作Arbeitは勿論手によるもののみではなく,精神の働きをも含んだ概念であるが29,

〈労作教育〉乃至く労作学校〉という考えはペスタロッチ以来,人間性の陶冶における重

要な方式として考慮され,実践されてきた歴史をもっている。フレーベルによれば,人間

(5)

石 原:教育農場論序説       47

の三つの創造的活動としてのくなすこと,感ずること,考えること〉に相応する 仕事へ の衝動によって,全人間が,同時に児童のうちに存する全人間性が,そして生活そのもの が把握される 3°のであって,ここで生産的活動としての労作や仕事は,生活そのものと の結合にまで導かれる。

シュプランガーは更に具体的な提案く学校改革の三つのモティーフ〉の中で, 本質的 な学校組織に関する結論は,学校を教授=学習共同社会から全青年生活を包括する生活共 同社会へ転化し,そこから一単に労作学校のみでなく  真の生活学校を作り出すこと にある 31・32としたが,ここには労作=生産と生活との統一としての生活学校が構想され ていると考えたい。

それでは,一体,教育農場はどのような意味で,そのような課題一…生産と生活との統 一一… ノ答えることが可能であるか。

皿で述ぺたように,凡そ本来的な意味で農場とはONE SETの設備を具有した生産の 場あるいは生産の組織を意味する。勿論それが動かされるためにはく人間〉が必要であ る。完全にオートメーション化した農場というようなものは,実現可能ではあるが,ここ では問題とするわけにはいかない。農場で栽培,飼育される作物や家畜は生きた存在であ

るが,それらのコントロールを含めて,人間がそこで,何等かの意図(それは少くとも

〈生産〉を前提とする)をもって管理し運営するとき,農場は全一体として活きた状態を 与えられるのである。

教育農場もまた,青少年やこども達が,そこに,その活動の中に参加する33ことによっ て,それは全一体として活きた状態が与えられると共に,そこでの労作=生産を通して,

土地も,施設も,機械も,植物コ作物や動物=家畜も,農場をとりまく自然の働きを受け とめながら,活かされて参加するものとの共働を実現するのである。

その限りにおいて,人は教育農場において活きた生産の場に参加しているという自覚を 強くもつことができると共に,人がそのような人間存在の最も基本的な生産の場に参加す るという教育体験を通して,人問の生存を最も根底的な関係において支える事物の結合と 発展との中にある自分自身を発見することができる。そのようにして,〈参加する〉こと

を通して生産と生活との基本的な統一の世界を現出することができる。フレーベルによれ ば,〃なすことから考えることヘーこれが人間進歩の順序である・各個人は・この人類 の過去における発展と形成との全過程を自ら繰返さなければならない・そうしなければ過 去をも現在をも理解することはできない のであるが,34そのような考え方の中にも・教 育農場へのく参加〉のもつ教育的意味を見出しうるのであり,〈生活が陶冶する〉 Das Leben bildet と叫んだペスタロッチの考え方  技術や書物よりも,学校の社会生活そ のものが教授の基礎である  という理解のうちにも35,教育農場へのく参加〉を・より すぐれた社会生活的体験としてとり上げることの意義を認めうるであろう。

近代学校教育制度の発展の中で見失われてしまった,この〈生産と生活との統一〉とい うことを回復すること  もしもそれが逆行と呼ばれなければならないとするならば,い わゆる〈原点に立ち帰る〉という考え方すべてが問題にされるべきであって,ひいては一 体く進歩〉とは何であるかと言わねばならないであろう  のために,上述したような意 味での〈教育農場〉のもつ機能を,敢えて今の学校教育体系の中で,我々は十分に考慮し

てよいのではないだろうか,

(6)

V 技術と経済と自然との統合の場としての教育農場

自然のもつ生産力を,人間は技術によってより高く,より安定したものとすることがで きる。技術は,本来自然の理法一一一一科学的原理をば,入間の諸活動の領域に実践的な展開 を試みていくことと理解したい36。・ここで,我々が自然というとき,それはく状態として の自然〉とく過程としての自然〉一一一一ケルシェンスタイナーにならって言えば一 とに分 けられるであろう。

技術によって人は自然を変昂:一一一改造,破壊ならびに再生一一一することが可能であるが それは主としてく状態としての自然〉についてである。〈過程としての自然〉は,多く自 然現象として人問やその他の状態的自然…一生物やその他の自然の集団一一に対して働ら きかけるが,人間は,このく過程としての自然〉をも利用一一一阻止あるいは促進一一する 技術を持ち,それによって,今まで生産と生活とに有用な人間ゐ文化を高めるための努力

をしてきた。

技術の進歩は基本的には生産力の増大を齎らし,その結果として人間の経済を豊かなも のにしていく力をもっている。技術進歩と経済の発展とは,従って,本来的に結合・対応 関係をもつものと考えることができる。

一船的にはそうであるが,しかし,しばしば技術の進歩が正しい経済の目を失うときに どんな結末がやってくるかを無視してはなるまい。そのことはいわゆる軍事的技術一一そ の頂点に立つものは言うまでもなく原爆や水爆であり,あるいは高度に発達したB・C兵 器や電波兵器などと呼ばれるものであろう一一一一について極めてよくあてはまることではあ

るが37,軍事的以外の分野においても,結果的には人間の生活を撹き乱し,破壊にまで導 くようなもろもろの技術的開発は決して少くはない38。

企業的な利益に極度に傾斜した技術のシステムによる生産活動が惹き起すさまざまな

〈外部不経済〉つまりは第三者=・一般社会に対する各種の侵害(自然の破壊を含めて)す なわちいわゆるく公害〉こそは,まさに,しばしばく経済的〉であり過ぎるために起され た禍害=加害であり,時には犯罪ですらある。

農業もまた企業として,ことに生産第…主義に傾くときに,知らずして,或は知りなが ら,生産活動の中にさまざまな公害要因をもち込んできた。ことにそれが,当の農民をも 含めて,直接国民の健康に関わるものである時に,影響や反応は甚だしいと言わねばなる

まい。

〈教育農場〉の全一体としての活動や機能の中に,そのような傾斜や危険がもち込まれ てはならないし,またそれは厳重に避けられねばならない。

むしろ,上に述べたような技術と経済とそして自然とのアンバランスや相互の正しい対

応関係の喪失の危機の中で,それらを克服する教育の場としてのく教育農場〉を考えてみ

たい。教育農場こそは,全一・体として,人間の自然への合理的な働きかけとしての技術と

技術的活動の結果として実現する経済価値とが正しく捉えられ,かくして技術・経済・自

然の三者が,自然を媒介として正しいバランスを保持して統合されることの可能な場とな

りうるであろう39。そして,それらを統合するものは,陶冶材乃至は形成力としての教育

艮場のもつ全一体的統一性であり,またそのような基本的な原理を常に保持していこうと

する倫理性であって,そこにこそ,教育農場が人間のそのような主体的存在形式の陶冶の

(7)

石 原:教育農場論序説      49

場としてもつ特殊な意義を見出すことができる。

実際には,教育農場のもつさまざまなレベルの差一一規模,位置ならびに立地条件,設 備=物的構成,人的構成,教育段階など一一一の故に,決して技術も経済も一様ではあり得 ない。しかし,そのような差異の存在にも拘らず,まさに教育農場としての全…性を保持 していくために,そのレベルに最も適合した技術と,経済とが選びとられることによって 農場のもつ自然性を十分に尊重しつつ,農場の具体的活動それ自体を通して,すぐれた陶 冶機能を実現することができるであろう。

W 人間と自然との接点としての教育農場

〈教育農場〉を規定する基本的原理の第三としてく人間と自然との接点〉という問題を 取り上げよう。

工業化社会或いは技術時代に生きている人間の大多数は,今や,好むと好まざるとにか かわらず都市的な環境によってその生活をも規制されるに至った。ことに工業化(Industri・

zation)の急速な進行と共に,生産年令層の都市圏に集中する傾向の,そして同時にその 反対現象としての過疎化の傾向の,著しい日本において,教育対象たる青少年入口も,そ の大多数が都市圏に含まれるに至った4°。

さまざまな情報源と生活手段や教育組織網の高度に発達した都市の青少年層は,一面に       ・ おいて極めて恵まれた教育環境に取り囲まれているかの如くであるが,他面,緑野的自然

から甚だしく疎外されて,人工的なあまりに人工的な生活を余儀なくされているばかりで はなく,高度成長の第二段階とも言うべき60年代の後半に入って激化するに至ったく公 害〉的環境の犠牲者一 末だ社会的生産に参加していないにもかかわらず一一でもあり,

ことに身心の発達段階にある年令層への影響という点で,重大な関心が向けられねばなら ない。もしも,目に見えないところで,そのような健康の侵害と精神発達の不調和乃至は 歪みが進行しているとすれば,さきに東京都公害研究所長の発言にもあったように41,教 育のあり方を根本的に考え直す必要に迫られていると言うべきであろう。

そのような状況の中で,文部省が検討を始めているとされるく緑の学校〉方式の如き は42・55,ただ単に大気汚染対策という見地からだけではなく,〈緑の環境〉を喪失した状 況の中での青少年の教育ということに対するきびしい反省を求めているものと言うことが できよう43。

〈教育農場〉は,老のような状況下にあって危機に瀕しつつある教育を,否さまざまな 意味において蝕まれつつある人間を,回復するための場としての機能をもつことができ

るのではないか44。技術時代の中で急速に失われつつある価値あるものの)ち,<母なる 大地との接触〉こそ,人間陶冶のために欠くぺからざる働き・=過程であることを,あらた めて認識すべきではないか45。それは既にルソーの指摘したところではある,そしてシュ プランガーによっても。しかし,ルソーの時代から・200年を経たこの1970年代に彼が現れ たなら,もっと徹底して,はげしい言葉をもって自然への回帰を主張するのではないだろ

うか。否,技術時代の人間の甚だしい驕りは,彼らの征服したという自然によって正に手 痛い反撃を受けつつあるのではないか46。21世紀をバラ色に描く前に,人類は地球全体の        o 復を受けるかもしれないことを,専門家ことに生態学者たちは警告しているのである47。

〈自然への回帰〉というとき,それは勿論原始的な自然人に掃れということではない。

(8)

シュプランガーも言うように,「彼は結局なんら逆行を望んだのではなくて,文化の健金 化と若返りを望み,すでに耐え難いものとなっていた束縛から本源的な人間を解放しよう

と望んでいたのである」。48しかし,ルソーから影響を受けたとされるゲーテは,その

〈教育郷〉の中で,自然を友とし,農業的,手工的労作をあらゆる教育の基礎たらしめよ うとしたと言われるが,同時に彼は,美しい自然との接触,労作外の自由な遊戯や娯楽,

芸術特に音楽等が生徒の畏敬の念を養成するすぐれた働きを認めていたのであった49。

農場は勿論原生的自然そのものではない5°。純然たる自然は,恐らくこの広くはない日 本では,一部の奥まった山地の自然林や高地の自然草地あるいは火山噴出の影響をうけた 荒廃地等を除いて多く求めることはできないであろう。資源の乏しいことが声を大にして 叫ばれるこの日本では,狭い国土を如何に効果的に,自然との調和を十分に考慮しながら 利用するかは,むしろこの我々の国土を積極的に護るためにも必要な課題でなければなら ない。そのような意味では,〈新産業都市計画〉を始めとする工業的開発やその他の開発 の,地域との調和を無視した乱暴な進行に対して,自然保護の立場からも,また緑野地域 の保全の立場からも,明白に国土破壊の危険と責任とを指摘し阻止することが時に必要で あるのみならず,場合によっては積極的に第二の自然とも言うべきく緑林と緑野〉という 緑の地域を再建・拡大していくことが,正しい意味で我々のふるさとでもある国土を美し

く開発・保全することではないか。次の時代に,我々の受けついだそれよりもより美し い国土を継承していくこと,それは国民に課せられた光栄ある重大な任務ではないか51。

〈教育農場〉は,正にそのような国土利用の構想の要請に対しても,人間と自然との触 れ合いの場を積極的に建設活用していくことを通して,多大の教育的効果を生み出すこと ができるであろう。そしてそれは,就中心身の大切な発達段階にあるこどもたち=青少年 にとって,大人のスポーツの場としてのゴルフ場でさえ52,莫大な投資のもとに,あのよ

うな勢いをもって,こども達の場合とは比較にならない広大な規模をもったものが続々と 造成,利用されていることを考えるとき,ゴルフ場等とは比較すべくもない程重要な意義

をもった施設であることを,更めて,声を大にして指摘すぺきであると考える。

青少年の,そして社会人である大人たちのためにも,スポーツ施設は,一般には甚だ不 充分かつ不足の状態にあり,それらの拡充整備は勿論重要な国民教育=社会教育的課題で あることは否定できないが53,それと共に,〈教育農場〉方式による若き世代のための自 然との触れ合いの場の設定と充実とは54・56,〈人間の回復〉という原点に立つ限りにおい て,前者に劣らない重要性をもっている。

VI[お わ り に

本稿では,未だ試論の域を脱しないし検討も不充分ではあるが,教育農場の成立の根拠 として三つの原理を設定し,労作教育の思想に触発されながら,全一体としての農場とい う発想を手がかりとしてく教育農場〉の理念や機能に関して重要と思われる点について,

さまざまな角度からの考察と問題の指摘を行った。

予定された項目のうち,教育農場の展開のためのプログラムについては,紙数の制約も あって触れることができなかったが,本稿の不備の補足を含めて,次の機会に譲りたい。

なお,展開を含めての概要は日本農業教育学会誌第4巻1号に報告してある。

(9)

石 原:教育農場論序説      51

注 及 び 文 献       ,

1・教育は,社会に即して言えば,社会の根本機能の一つ,時間的価値,継続的自己更新などの見 方があり,文化に即して言えば,一つの文化過程とされる。

田花為雄,教育原論 1967,P・11〜

2. 「教育には,より基本的には,文化遺産の伝達という任務があることは承認されねばならな

い。」

篠原助市,教育学 !939,P・36〜

3. 「一国の教育は,経済的,社会的観点から見れば,国民がもっているいろいろな価値や技術を 伝えると共に,進歩に必要な変革に備えるための主要な手段である。」

UNESCO, Economic&Social aspects of Educational planning 1964(木田訳 1966)

4.R. Ulich, History of Educational Thoughtユ950(松浦訳 P.154〜)

5.斉藤秋男,中国教育革命の現段階70.10.7(朝日),同10。12(同)

6.K・Boulding, The Meaning of the Twentieth Century 1964(清水訳)

なお,ドラッガーも連続性の終焉と近代産業の衰退,新しい産業の誕生の中にこの問題を取上げ ている。(林訳,断絶の時代 1969)

7.教育基本法によれば,「個人の尊厳を重んじ」,また「個人の価値をたつとぶ」ことであるが そのことはどれだけ尊重されてきたであろうか。

8.彼によれば,文化とは「個人及び社会の倫理的完成」であって,その実現は世界及び人類の倫 理的肯定を前提とする。そして倫理的ということは〈生への畏敬〉の体験に求められる。倫理と は人と人との関係にのみ止まるぺきでなく,生きとし生けるすべての生への意志に関わるもので

ある。次を参照。

石原兵永,シュバイツェルの文化哲学(鈴木編世紀の人シュバイツェル 1948)「真の哲学は 最も直接で,最も包括的な意識の事実から出発しなければならぬ。すなわちく私は生きんとする 生命にとりかこまれた生きんとする生命である〉という事実である…一」

A.Schweizer, Kultur und Ethik 1923(氷上訳 P.312)

9・例えば,次を参照。

梅根悟,閑暇のための教育(藤吉編,現代の分析と教育0)未来展望)1967

10. 「大学以下の小,中,高の学校教育の普及において・日本は世界にぬきんでている。しかし日 本の小中高の学校にあるのは, 教育 よりも 受験準備 である」

永井道雄,近代化と教育 1970,P・192

11,Farmという語は,農地・農場・農園の外飼養場,また農場家屋等をも意味する。日本の大部 分の農業経営は農場としての独自性に乏しく,「農地もまた草地,防風林等を欠き,圃場も分散

していて,〈有機的なものとしての農場〉とはなっていなかった」岩片磯雄,農業経営学 1954 p.205

12.小林澄兄,労作教育思想史(1948)は労作という語のもつ意味についての歴史的な変遷を追い ながら,狭義には,身体的活動(技術上の仕事と自然を扱う仕事)を教科万至は教授原理として 取上げること,広義には,身体的精神的自己活動による自立性への教育を労作教育と理解する。

13.G・Kerschensteiner, Theorie der Buildung 1926(小林,ケルシェンシュタイナーの略伝と 思想(労作学校の概念)1965,p.31

14. G.Kerschensteiner, Begriff der Arbeitsschule 1955(11B)

(東岸訳,労作学校の概念 1965,p.32)

15. 同  上 P.112

(10)

16.一般的な義務教育のほかに,幾つかの特定な教育組織,即ち特殊な境遇にある青少年の保護教 育施設や,農業ならびに農村後継者養成を主任務とする教育機関,各種の養護学校教育が含めら

  、

黷謔ツ。

17.E・Spranger, Kultur ulld Erziehul191928(村井訳 P・234)

18. 同  上 P.234,P.250 19. 同  上 P.240

20. 「今後の教育を〈生涯教育〉と呼ぶぺきであろう。この点で,デューイやクルプスカヤの思想 が,イデオロギーを異にしながらも,生活・労働・教育を,総合的にとらえていたのは深い洞察 であった。自然から断ち切られた人間は弱々しい。人間は自然との関係を復活することによって たくましさを取り戻さなければならない…

生活・労働・自然・教育という四要素をふまえて,考えながら生き,人間の内と外にある自然を 尊重して働き,社会をつくることを学ぶ生涯教育こそ,今後の教育の基本的な性格でなければな

らない」永井,前掲P.213

21. 「労働を通しての,および労働における学習・すなわち生活を通しての,および生活からの学 習こそ何ものにもまして遙かに力強い学習であり・最も力強い学習であって,それ自身において

も,またそれを受けるものにとってもますます生き生きと発展し続ける学習であるが,それにも かかわらず,子供たちないし人間は,形づくられないものや形をもたないものについては,現に 多すぎるほど,いや雑多すぎるほど,学習もし,勉強もしているが,労働については,それがほ

とんど見られないのである」

F.Fr6bel, Die Menschenerziehung 1826(荒井訳P・55)

22.生活圏としての学校一Gaudigは学校をAnstaltと考える代わりに,生徒の生活圏と見倣す べきであると主張して,一生活学校一文化学校と発展させた。田花,前掲 P.84

23. この点にウェイトをおいて論じたものとしては次に詳しい。柳久雄,生活と労働の教育思想史 1962

24. その立場での先取的な試みとしては,「帝国主義的構想」との見方があるが,日本最初のく田 園教育舎〉を目指した今井1亘郎のLJ本済美学校(1907)があり,自然的生活環境や寮生活による 24時間教育ならびに園芸等の教科外活動の重視等特色ある教育活動が行なわれたし,また野口援 太郎の姫路帥範の教育は口本最初のドモラン型新学校との評を受けた。

中野光,大正期の白由教育 1968 P・83〜

25.1917に発足した成城小学校は個性尊重,自然と親しむ,心情,科学的研究を希望・理想として 掲げているが,特にNature Study自然科を課程に加え,自然の中で,自然を相手とする教育

を目指した。中野,前掲 p.128〜

26. この時期には,〈成膜実務学校(1912),口本女子大盟明小(1914),成城小(1917),明星 学園(1924),児童の村G924)など…いずれも,児童中心的で,自由,個性,学習意欲が尊重

■   ●

され,クラス編成が少人数主義で,自然の中で作業を重視しての教育〉がく自由学園も〉(1921)

含めて開始されている。武田清子,日本プロテスタント人間形成論 1969P・22 27.小川太郎,教育科学研究入ll『 1965P・25

28.持田栄一,現代社会における学校と学校運営 1961,現代教育学 17P・23 29.ペスタロッチによれば外的労作と内的労作とに分けられる。(小林による)

30. 小林,労作教育思想史P・179 31. Spranger,前掲 P・196

32.彼は特定な改革グループによるく平板化された生産学校の計画〉を批判する。更に,経済的労

働(農耕,工場生産)によって生活を維持するという方式をも批判し,また原始的なものへの逆

(11)

石 原:教育農場論序説      53

行の教育の危険を指摘する。SPranger,前掲 P・198         、

33. このことは,ケルシェンスタイナーに従って,労作共同体そのものへの直接的参加あるいは 文化財の精神構造の中に入りこむことによる完成価値の体験といってもよいであろう。

Kerschellsteiner,前掲 P・117及び130〜

34.Fr6bel(小林,前掲 P・180)

35. Pestalozzi(小林,前掲 P・150)

36. 技術論に深く立入ることはできないが,フォーブスによれば,自然の理解と生活の科学とが人 間の行動を形づくってきたのであり,応用科学的知識(=技術的知識と言ってもよい)の増大は 人間の自然に対する支配を強めた。

R.Forbes, Man the Maker 1950(田甲訳,技術の歴史 P・2)

37.戦争は投術を飛躍的に進歩させたこと,現在のアメリカにおける科学研究の進歩がどれだけ軍 事的研究の体制の下でなされたかは周知のことである。しかし,このことは・結局はペイしない ことをボールディングも指摘する。

38,フォーブスも,科学(技術)の任務をく自然の征服〉への途と理解しながら,なお次のような 反省を忘れない。

「恐らく,技術の勝利は・他の物質的・精神的進歩を犠牲にして,技術をつり合いのとれない程 早く発達させているのかもしれない」また「我々は・科学的技術的発展が我々の社会的,精神的 進歩をおきざりにしてつっ走る危険性を,今ようやく自覚したようである」

Forbes,前掲 P.341及び343

39.技術と経済と自然とがバラバラにではなく,一つの統合された価値として把握されること,あ たかも教科の夫々の学習が統合される教育という考え方に立って。

40. この問題は,基本的には教育環:境学の領域でより積極的に取組み,ひいては教育行政に反映さ れねばならない。参照,山下俊郎,教育的環境学 1937,p.6

41.東京都における光化学スモッグ問題に関連して,教育権の一部の地方自治体への移譲というこ とをも含めて,公害問題に対する抜本的対策の必要性と共に,「東京の小中学生には,文部省の 全国画一化された教育とは別に東京の生活に即応した大都市生活のモラルを盛込んだ独自の教育 が必要」であると指摘されている。(70・7・25朝LD

42.文部省は,大気汚染対策として,来年度取組みをめざして,校舎移転・児童疎開(緑の学校=

セヵンド・スクールの設置)について来年度からの取組みをめざして検討を開始しているとい う。(70。7.22朝日)

43.公害問題ということを離れても,口本の義務教育学校のキャンパスは一般に極めて狭隆であり 建物と運動場以外に殆んど余裕をもたず,学校建築計画(国際公教育会議1953)の五原則,こ

とにその第四項く野外の学校教育を可能ならしめ,学校庭園と充分な運動場を設定すぺきであ る〉から程遠い。

緒形昭義,学校施設改善の現実的視点 1961,現代教育学 17 p.174

44. ヒルティは,レッシングのくすぺての教育は,個々の人間に生起する啓示である〉という考え を展開すぺきなかだちの場として・家庭と学校と自己との三つを挙げる。

K.HiLy,人間の教育(高橋訳)P・13

45. 「最も精神的なものも大地に結びついていなければならないという思想と労働のエトスについ ての偉大な福音とは,依然として健全なモティーフである」Spranger,前掲 P・198〜

46. 自然の征服=技術という考え方は普遍的でさえあるが・今や,そのような姿勢が問題にされよ

うとしているのではないか。「自然の征服は人類全体の事業てある」及び「人聞の自然征服はた

えまない上昇であった」Forbes,前掲 序及びP・3

(12)

ブロンスキーも,自然を征服するように教育することを労作(労働)教育であるとした。

小西重直,労作教育 1930,P.111

47・例えば・宮地・宮脇による「人間この生物の一民」という討議は,このことの一つの指摘であ る。展望 1970.10

48.SPranger,前掲 P・56 49・小林,前掲 第14章

50・農業もまた自然破壊ではないかという見方が生態学者の一部にはある。厳密に言えば,自然そ のままの保護ではあり得ないが,アメリカやソ連における土壌保全の思想の技術化は1930年前後 にスタートしており,広大な国土の農業的利用についてもできるだけ自然のもつ復原力を尊重し ながら,無定見な開発による国土破壊阻止のキャンペンが進められてきたのであった。日本での この問題への取り組みは略20年のおくれを見せている。なお,金子にょれば,よく管理された田 畑,ことに山間傾斜地域の段畑や棚田は大きな調節機能をもっているが,過疎化の結果,今まで 維持されてきたそれらの耕地,宅地,道路などが放置されると,数年のうちに加速的侵食や土地 の破壊にまで進むおそれがある。金子良,農山村の過疎化と自然の破壊,科学 1970・11 51. ヨーロッパことにスイスの国土保全は,気候や植生条件の差を別にして言えばドーつの可能性

を示しているものではないか。

52.厚生省調査によれば既に500に近いゴルフ場が設置されており,総面積は50,000haに達して いるが,それがどれだけスポーツ振興の意義をもつかは別である。

53.文部省は社会体育充実のために,全国の中学校を単位としてクラブ・ハウスを設えた体育施設 の設置を打出している。(7α9.22 朝日)

54.大学における教養課程の改革のために,学外に自由な一般教育センター=セミナー。ハウスを 過疎地帯に数多く作ることによって,日本の美しい自然を守る国土計画ともなり,すぐれた教育 環境としての自然の中で,人間と人間との接触が重んじられる教育が可能であるという構想と主 張は,教育農場の考え方といくつかの点で共鳴点を見出す。(70.9.20朝日,論説)

55. セカンド・スクールの意義については,

下河辺淳,教育と自然環境 1970,総合教育技術 70・9

56.愛知県教委では,公害防止を含めて,県下の全高校の緑化計画を「教育の一つとして」推進す ることになったと報じられている。 (70.9.23 朝日)

Abstract

Preliminary Report on Educational Farm Hideshi Ishihara

The meaning and the rδle of the farm in the行eld of education should be pursued

Acknowledging the purpose of education as the perfection of humanity, the meaning of so−called Labor Education(Arbeiterziehung)should be highly appreciated, and so far as the matter concerns, the Educational Farm, having the fundamental character of unlty,

can be the fiela exceedingly effective for the practice of Labor Education. And then we mention three characteristics as the fundamental principles of Educational Farm.

1. The unity in production and living.

2. The unification of technology, economy and nature.

3. The junction of rnan and nature.

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