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小 井 戸 光 彦

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(1)

LθsBf/oκκ加df5 ア6 5論(V)

小 井 戸 光 彦

では20世紀に入ると,L8sBゴノo雛勿〃s6ア8 3への評価はどう変るのであろ

うか。

A・Gide(1869−1951)は1924年にそのノoκ7ηα1(Vence,28 mars)のなかで

J achさte en gare de Carnoules 165 Bゴノoπκ加4ゴ3cア6 5 que je Iis avec  ● uavlsseme

と記している。彼が劫sBゴノo雛を面白くて夢中で読んだらしいことは分か る。だが記述はこれだけだから,一体彼がどんな風に面白いと感じたのか,な ぜLθ8捌ノo雛より16cg瑠3の方を好むのかについては知りようがない。

そこで次に,1930年代の批評に当つてみることにしよう。30年代に入って Diderotにかんする批評が真にその面目を一一新したことは前々回以来われわ        2)

黷フ繰り返し述べてきたところである。

最初に取り上げたいのは1.KLuppol(1896−?)のD 4θ70 ,36sゴ466∫

ρ捌osoρ吻瑠3である。これはソ連の学者の手になる哲学史関係の書物のう ち初めてフランスで出版されたものである。なぜこれを最初に取り上げるのか

といえば,この本がフランス語に訳出刊行されたのは1936年であるが,ロシア 語の原版が出たのは1924年と非常に早いからである。3)これは哲学者としての Diderotにたいしマルクス主義の立場から批判を試みた著作であるが,ここに おいてもL6sβ加礁加4ゴε67認5への言及がなされている。ではその評価と はどのようなものであろうか。LuppolはL65βf/oπxについて先づこう述

べている。

…L6s疏ノo礁加漉sc7召 3…ne sont nullement caract6ristiques et n,an一

n°ncent ni「i駐ltiateur d・〈d・am・b…g・・i・〉・ni 1aut…d・ノπ・郷1θFα π〃sθ.

(2)

この五θsB加雛評は,これまでに紹介した批評のうちでも最も厳しい部 類に属すると言わねばならない。LessingからDucrosまで幾人もの批評家 が,後のDiderotの演劇理論の萌芽として,この小説中のフランス演劇批判の

くだり

条に注目したことは既に見てきたが,Luppo1はこの点まで否定しているので ある。何故否定するのかは記されていないので分からない。ただ後で又触れる

ことであるが,Venturiによれば,当時この種の小説中で演劇論や文学論をや       5)

驍フはむしろ一般的だったということであり,LupPo1もDlderotはその伝 統に従ったまでだと言いたいのかもしれない。だがそれにしても,厳しい評価 であることに変りはあるまい。そしてこの手の艶笑小説が18世紀には大流行だ

ったとしながらも,Luppolは

       4)

kεsβゴノoκκ ゴη4∫3 76 ssont une nouvelle assez scabreuse.

とやはりこの小説の狸雑さを非難した後,更に次のように続けている。

EIIe(=cette nouvelle scabreuse)choque Ies milieux puritains de la        4)soci6t6 frangaise.

ここには,彼と思想的立場を異にするP.Gaxotte(1895−1982)の

Certes, il a exist6 au澗e siさcle, une soci6t6 parisienne de moeurs rel含chεes, Mais pour quelques conteurs licencieux, faut−il oublier les

vertus silencieuses des milliers et des milliers de familles oむpersonne      6)

氏fajamais lu L63 B加雛∫π4ゴsc76 3, ni LθSoρ加?

という言葉とどこかで共鳴し合うものがあるように思われ,Luppolの謹厳家 ぶりが窺われようというものである。

A.Billy(1882−1971)のDiderotにかんする伝記的研究は600頁に余る大 著である。その中でBillyは, Diderotが当時の情人Mmθde Puisieuxに唆さ

れて彼女に金をみつぐためにL6sBゴノ侃κを執筆,刊行する羽目になる経緯      7)

数頁にわたって記している。しかしそこには,演劇批判の条などにかんする

言及が見られはするものの,この小説を積極的に評価しようという姿勢はつい

(3)

小井戸:LθsB ノoπκ π4∫sc惣 s論(V)        59

に認められないのである。時代はこれより少し下るが,A. Cressonの<Lεε      8)B加雛加4 sc76s qui font de largent et du scandale> という指摘や,

又逆にBlllyより若干古いAlph. S6ch6&J. BertautのD∫4θγo における

Les B加嫉初漉sCア6 S eurent pour Origine une gageure:sa maitresse

avait d6fi6 Diderot de produire un roman dans le genre de Cr6bi110n.      9)

dt ce furent encore mille francs pour les toilettes de Mme de Puisieux.

といった評言が,文字どおり歯牙の間に置くにも足らぬ代物であることは今更 断るまでもない。だがBillyの立場も結局のところは,これらの説と根本的に 変るものでないように思われるのである。20世紀に入ったとはいえ,1930年代 はおろか世紀半ばに至っても,この小説にたいする識者一般の認識はこの程度 のものだったどいうことなのであろう。

ところでJean Thomasの五θsβゴノoκκ初漉sc7θ sにたいするアプローチ は,これまで見てきたどの批評家のそれとも異なって独特のものである。

Diderot a compris de bonne heure combien le dialogue convenait a ses besoins. D6s la Pプo〃2θπα4召4 πηsc61漉gπθ, il lui a fait une place ho一

10)

norable, qu,il 61argit dans les・βガoκκ魏漉5c76 3.

つまりThomasによれば, Diderotは自分の思想を展開するのに最もふさわ しい形式が対話だと観じてそれをP70耀πα虚伽scψ癩鰐において試みた が,その試みを一層おしすすめたいという文体上の欲求から次にLθsβ加κκ

という小説を書くに到ったのである。こうした視点からこの小説に迫る行き方 はThornas以後にも多くは見られないが,全く例がない訳ではない。例えば Charly Guyotのつぎの一節はThomasの上の指摘と完全に軌を一にするも ので,それを敷術した見解とみて差し支えあるまい。

… il fallut, pour atteindre a ce style souverain, oh 1 abstractiQn philo一

sophique se fond dans la r6alit61a plus imm6diate de la vie, que Diderot

s exerGat溢1a technique du roman. Il s y essaye, dさs 1747, dans la

Pアo耀肥46伽sc6ρ吻鰐:la, dans l All6e des Marronniers, c,est un

(4)

v6ritable dialogue qui s institue entre Ath60s et le chr6tien;c・est a une conversation anim6e que se livrent ensuite Ath60s, Ariste, Oribaze et Philox6ne. Et les personnages de I All6e des Fleurs donnent註1 6crト valn un pr6texte pour esquisser Ies th6mes de ltrois ou quatre petites n・uvelles sur<1僻翻6伽翻・κアs>et<1αsゴ〃c吻磁46s。纏諺s>.

L ann6e sui・ant・pa・ai鈴・nt L,、βゴ加泌、。。。,,ヨ1

これは誠に興味深い主張で,現在のわれわれがこの小説に取り組む際にも一つ の重要な示唆を与えてくれる意見だといえよう。

Diderotと同じLangres出身のHubert Gillotも優に300頁を越えるDiderot 論をものしてはいるが,彼の」乙召3B加雛魏4ゴsごプ6∫sにたいする評価は詰る 所〈1es fades polissonneries desβ加雛魏4ゴscプθ ε〉謬一言に集約されるよ

うに思われる。勿論彼も」Lθs疏ノoκκ中の,Lu11iとRameauの比較を試み

たと思われる箇所と噺聯争を念頭において書レ・たと思われる箇所とに註の中ではあるが言及しており,少くともこれらの章節に限ってはこれを重視

し・一応評価しているのであろう。しかしこの小説を総体として極めて低く見 ていることは間違いなく,これだけではやはり陳腐にして凡庸な見方だと断ぜ ざるをえまい。

Pierre T・ahardのLεs蜘6 ・・s 4・1・3θ〃・酬≠6∫。π。⑫3θ砺Xy皿・

s 2c18(4vola)の第2巻は,その題名にもかかわらず,ほとんどの頁がDiderot にあてられているから,一巻のDiderot論をなしていると見て差し支えない。

Trahardの立場は<sensibilit6>のうちにDiderotの主要な資質をみようと するものであり,彼はすべての考察をその観点から展開している。ではそこに おいてLθ5疏ノo雛痂4ゴsc78 3はどのような評価を受けているのであろう か。 Trahardはまつ

Il semble en effet que rinfluence du romancier anglais(=Richardson)

explique la diff6rence qui existe entre les romans de Diderot ant6rieurs

、a1760 et les romans qui suivent. Des premiers la passion est absente;

       13)

Pa passion envahit les seconds.

 一 ニ言う。この判断によれば,DiderotがRichardsonの影響を受ける以前に書

(5)

小井戸:Lθ3Bゴノo銘κ伽4∫∫c紹 s言命(V)         61 かれたLθs疏ブoκκ加読εc紹 sレこは,<volupt6>への傾斜は見られてもくsen一 slbilit6>の重視は見られないことになり,勢いこの小説への評価もL・α58ακ わ10 cの場合同様に低いものとならざるをえない。ところでTrahardのこの 見方は,彼以後のDiderot研究家たちに大きな影響を及ぼすこととなったよ

うに思われる。というのも,Diderotの小説類を1760年を境にしてその前後に 分ち,60年以後の作品群を重視する余り,それ以前の作品をいとも安易に否定

し去る評者が20世紀の後半期に至ってもなお跡を絶たない有様だからである。

例えば小場瀬卓三氏(1906−77)は1960年にこう記している。

『不謹慎な宝石』 (1748)はモンテスキュー流の「思想小説」であって,

しかもそれほどすぐれたものではないから,いまとくに取り上げる必要はな い。1760年頃から,ディドロはリチャードソンの影響のもとに,それとはま        且4)

チたく性質の違った小説を書き始める。

元よりわれわれも1760年という日付のもつ特異な意味を認めることに決して吝 かではない。しかしそれはDiderotの小説群をこの日付の前後に分断して,60年 以後の作品だけ問題にすればよレ・ということを意味するものではなレll)6眸 以前の小説もまさしく彼の作品なのであり,これと60年以後の小説との間に何 の関係も存在しないなどとは到底考えられないからである。従って,Diderot

の小説的作品群を全体としてより正当に評価したいと願うわれわれにとって        、  、  、  、  、

は,先づ以て60年以前の作品に十分なる光を当てること,次いで60年という日 付の重要性には留意しながらも,この日付のく壁〉を前後に貫いて現われ出で た文学的特質を探ることこそが緊要なのである。もっとも,TrahardのL63 B加礁加4ゴsc雇5評は上に紹介した一文のみに終っている訳ではない。その 後には次のような一節が続いている。

…mais il ne faut pas que la peinture de ramour physique et de Ia ten一 tation, que les<autels>de ces dames,1e caquet de leurs<bijoux>, la nuit de noce de Haria,1es lits de repos,1es alc6ves a glac白s, les sofas mollets,1e cabinet de liqueurs ambr6es propicesき1a d6bauche des s6一 nateurs…,fassent oublier Ies parties s6rieuses, scientifiques et philoso一        13>

垂?奄曹浮?刀@du livre qui rattachent celui−ci au syst6me g6n6ral de Diderot.*

(6)

しかもこの本文には,アステリスクを打った箇所について以下のような脚注が 施されている。

       

魔bf. L召s B ブoκκ 勿4ゴs6プθ 8 ((E吻763 co〃ψ12 6s de Diderot, EdiL エ Ass6zat. Paris, Garnier,20vo1. in−8,1875, t. W), P.162 (systさmes

de Descartes et de Newton),−174(musique),−179(gouverne一 ment),−180,190,193,197(religion),−243,249(satire des sys一 t6mes philosophiques),−257(les hypothさses et l exp6rience),一 280〜5 (th6鉦re franCais),−296(querelle des Anciens et des Moder一

13)

nes).

これでお判りのように,彼はこの小説を全体的には低く評価しながらも,その 中の重要と思われる章節については,これを実に丹念に拾い出している。とく にD1derotの演劇批判の条は重視しているらしく,別の箇所でも更に詳しく

19)

触れている。しかし重要な箇所をいかに念入りに拾い出してみても,それはや はり自分に都合のよい処だけに限ってこの小説を部分的に評価するという,18 世紀のLessing以来19世紀にもしばしば見られた伝統的な捉え方であること に変りはなく,新味に乏しいのである。とは云えこの種のL6s助o雛評 は,前述の小場瀬説の如く,その後も現在に至るまで枚挙にいとまのない程例 が見られるから,Trahardを余り厳しく責めるのは酷かもしれない。

最後にFranco Venturi(1914−  )のL6sβ加礁伽4ゴsc7召fs評とはど のようなものであろうか。彼もこの小説を基本的にはCr6billon風の艶笑諏と 捉えているが,その面からだけではこれを律し切れぬと考える。

C est en devenant plus ouvertement grossier que le roman de Diderot se diff6rencie de tant de romans semblables et acquiert une certaine

15)

originalit6.

つまりVenturiは, Diderotの小説が単にCr6billon流の軽妙な艶笑小説の 伝統に従っているだけではなく,より直接的な狼褻i性を売りものにする「ポル

ノグラフィックな」文学潮流との類縁関係をも持っていると見るのである。

(7)

小井戸:LθsB∫ノo嫉伽面so78 3論(V)         63

Les<β加雛ゴπ4∫sc76 s>se situent entre les romans orientaux註Ia mode a ce moment−la, et cette litt6rature souterra1ne. Le style se res一 sent de ces deux sources:il est tour a tour artificiel comme celui

15)

des romans orientaux et cru comme celui de ces autres romans.

L6sB∫ノoπκとポルノグラフィーとの関係については,われわれもこの小説を

16)

取り巻く文学史的事情を紹介した第一稿以来指摘しているが、1930年代にVen一 turiがこの点をはっきり認識していたというのは注目に価しよう。又これは 前に一寸触れたことだが,他の批評家たちがこの小説中の演劇批判の条などに 注目して,これを部分的に評価してきた行き方についても,Venturiは異を唱 えている。

Meme les parties de ce roman que Ies contemporains ou les critiques ont voulu sauver d une condamnation globale, a les consid6rer de plus Prさs nbnt, en g6n6ral, pas grande valeur.

Une tradition qu on observait 6tait d introduire dans les r6cits de ce genre des discussions sur le th6atre ou sur les Iettres…Diderot, en consacrant quelques chapitres au sujet de POP6ra, ne fait autre chose

15)

que suivre la mode.

当時この種の小説に演劇論や文学論は付き物だったからといって,Lθsβム ブo嫉加4ゴscアθお中の演劇論や文学論に「さしたる価値がない」と極め付ける

のは必らずしも当らないように思うが,一応心に留めてもよい指摘ではあろう。

しかしVenturiが多くの批評家たちの行き方に異を挾んだからといって,で は彼が部分的な評価の立場を捨てて,この小説を全体的に高く買っているかと いえば,そうではない。

Les seules parties du roman vraiment notables restent celles oh les

id6es philosophiques de Diderot font leur apparition. Sa po16mique con一

tre la conception abstraite de l ame humaine, quelques observations

sur l amour platonique,1 610ge de rexp6rience et les id6es deI,6cri一

(8)

valn sur les r6ves sont des pages oU s exprime la partie la meilleure de Diderot. Ce sont quatre vifs petits essais de<m6taphysique exp6一

15)

rlmentale>,d aprさs sa propre expression.

要するに,彼もこの小説を部分的にしか評価していないのであり,ただ評価す る箇所が他の批評家たちの場合とは若干異なるという訳なのである。

* *

 以上1930年代の批評を中心に,20世紀半ばまでのL65 Bゴブo雛加4ゴsc7θs評       『気の主なものを一通り見てきた。だが20世紀半ばまでとはいっても,今回取り上

げたL65 B∫ノo砿評はみな30年代のそれを越えるような域には達していなか ったと言える。ではこれ以後の時代についてはどうか。確かにDiderotにかん する研究一般は大いに盛んとなり,とくに現在のそれが目を見張らせる勢いを 示していることは周知の通りである。しかしL6sβ加雛魏 scプθおの評価       17)

フ問題に限ると,二三の注目すべき論考を除いては,最近に至るまで基本的に は30年代までの事情とあまり変るところがなかったように思われる。従って20 世紀半ば以降のLθsβ加πκ評については,これ以上検討を重ねる必要はな いと判断される。

18)

われわれは第二稿以来, 「面倒な作業」となるのを承知の上で,LθSβ∫一 ノo雛加漉scγ6おが「これまで批評家たちからどのように読まれてきたか」を探 り続けてきた。敢えてそうしたのは,たとえそれが「どんなに一面的な批判」

であれ,それら批判の「一つぴとつを具体的に吟味検討してゆけば,そこから は自らこの小説の真価をさぐり当てるための貴重な手掛りがえられるだろう」

と考えたからである。つまりわれわれは五6sβ加鰐にかんする謂わば批評の 前史のうちに,この作品に真にふさわしい評価に到達するのに有益な幾つかの 教訓を探ろうとしたのである。これまでの検討を踏まえて,われわれはその前 史を一応1930年代までとする。いずれも偏頗な一面観ながら,伝統的なLεs

・助o微評のあらゆる型がこの時期までに出尽しているからである。いまや本 稿の最後の課題として残されているのは,それらの内からどんな教訓を引き出 すかである。

18世紀の批評家たちのLθsβ加砿初4ゴ∫cアθ∫sにかんする見解のうち,ま

(9)

小井戸:Lθ3捌ノoκκ伽漉5076 ε論(V)         65 づDiderotにたいする党派的な敵意からこの小説を非難したもの(Palissot,

La Harpe)については,論外の批判として斥けてよいであろう。またDide一

「otは哲学者であって小説家としての資質には欠けるとした説(Fr6ron, Ray_

na1)も・現在のわれわれには問題とするに価せぬもののように思われる。そ して専らCr6billon風のコントをモデルにしてL6sβ加κκをその狼雑と冗 長のゆえに失敗作とする説(Voisenon, Raynalら)も,この作品の本質を解 せざる謬見としていまや拒否せざるをえない。五6sβ加κκが「たんにCr6一 billon流の模倣としては律し切れぬ,様ざまの特質からなる複合体」であるこ

とは・われわれの既睨たとおりだカ・らであぎ1かくして,これら三種の批判 はわれわれの全く首肯しえぬものである。また同様のことは,19世紀以降の諸 説についても指摘されなければなるまい。というのもCarlyleとBarbey

d Aurevillyの説をはじめとして, Villemain, Genin, Faguet, Le Bretonから,

更には20世紀のLupPo1, Gaxotteに至るまでの諸説は,悉く上でみた18世紀 諸家の説と異曲同工の感を禁じ得ぬものばかりだからである。なおDiderotは Mme de Puisieuxに唆されて金のためだけにこのCr6billon風艶笑讃を書いた

とする古来言い旧された説を,20世紀に入ってなおも繰り返すだけのBiUyや Cresson・S6ch6&Bertautらの場合も,これまでの諸説と同レベルに属する

ものと断じて差し支えあるまい。

もっとも夙に18世紀から,L6sβ加κκ加読scプ6 sにく哲学〉小説として の面を認める説もあった。只これらの説は,そう認めた上でこの小説を失敗作 として否定するもの(Rayna1, Cl6ment)と,ある章節に限定して部分的に評 価するもの(Naigeon, Charpentier, Lessing)と二つに分かれる。第一の行 き方がわれわれに齎すものに欠けるのは,すでに触れた諸説の場合と同様であ る。他方第二の部分的に評価する説は,19世紀以後も類似の例を数多見出すご とになる。RosenkranzやPisarevをはじめ, M6ziもres, Ass6zat, Ducros から今世紀のGillot, Trahard,小場瀬, Venturiまでの諸説は,皆この型の 批判に属するとみてよい。従ってこの部分的評価の説こそは,五θ5B加雛 勿4∫SO/6お評の前史において最も主要な位置を占めているものなのである。

L6s捌ノoπκにかんする様ざまなタイプの批判を整理すると,概略以上のよ うになろう。さてそこでわれわれはこれら伝統的な批判から,逆説的にどんな 教訓を導き出せばよいのであろうか。まつ第一に言えることは,「様ざまの特 質からなる」この小説を一つの「複合体」として全体的に捉えよということで

、  、  、

(10)

ある。〈哲学的〉な側面だけから迫っても,またCr6billon流の枠に無理矢理 閉じ込めようとしても,おかしくなる。どんな主要特質も切り捨てずに,ポル

ノグラフィックな特質まで含めて全体としてL6sβ加雄を評価しなければ . ならないのである。

第二はこの作品とそれを書いた当時の作者の内奥との関連に留意せよという ことである。伝統的批判のうちにも,この小説のある箇所をDiderotの後の思 想への萌芽として捉える主張は見られたが,L63β加雛が書かれた当時の 他の著作とこの小説との必然的な結び付きに注目した批判はほとんど見当らな かった。その意味で,作者の対話形式への欲求という視点からPプo耀πα46 伽5c6ρ ∫昭6とL6s B加縦を関係付けたThomasとGuyotの試みは示

唆に富むものであったと言える。

そして最後にもっとも意を注がねばならぬのが,この小説についてほぼ全員 の批評家が非難してきた狽雑さの問題である。これが恐らくこの作品のもつ諸

もろの謎のうちでも最大の謎であろうし,伝統的批評家の悉くを誤らせた濱き

 もとフ因なのではなかろうか。L6s研ノo鰐訪4∫sc7θおに冠せられてきたくうす汚い       、  、  、  、

小説〉という評言から不当なエピテートを放逐して,これを本来のく小説〉へ と蘇生させるためには,是非ともこの難問を解決しなければならないのである。

だがDiderotのエロチスムにかんする探究が深まりを見せている現代でな ら,それも不可能ではあるまい。そしてこの点が克服でぎれば,上の二つの問 題への解答にも見通しが立とうというものである。

(1985年10月)

1)10π7紹 (1889−1939),Paris, Gallimard,<P16iade>,1951,P.783.

2)拙稿『Lθ3捌ノo砿伽漉scノθ飴論(皿)』 (茨城大学人文学部紀要「人文学科論 集」第16号,1983年3月)22頁,および『同(w)』(「同」第18号,1985年3月)

2頁,参照。

3)ソ連では24年版が3,000部刷られ,10年後の34年には10,000部が再版されている。

36年のフランス語版はこの34年版からの翻訳である。

4)D 4召70 ,sθs∫466s助〃osoρ雇gκθs. Traduit du russe par V. et Y. Feldman.

Paris, Editions sociales internationales,1936, p.67.

5)16π θ3s64θDf4θ70 (1713−1753)。 Traduit de l italien par J. Bertrand. Paris,

Skira,1939, p.126.

6)丑∫ε o〃θ4θsF7α 卿s, Paris, Flammarion,1972(初版,1951),chap. X皿,

p.522.

      

V)1万4〃of, Paris, Les Editions de France,1932,P.114 sq..

(11)

小井戸:五θ5β∫ブo嫉魏面sc7θ s言命(V)        67

8)1万4870f, sα擁θ, soπα…1吻76,3σρ痂10sψ雇θ, Paris, P。 U. F.,1949, P.9.

g)1万4θ70 ,Parls, Louis−Michaud,1909, p.34.

10)L Z∫π初α師s駕θ4θD 4θ70 ,deuxiさme 6dition revue et augment6e, Paris,

     

roci6t6 d Edition Les Belles Lettres, 1938(初版,1932),p.45.

ユ1)、Dゴ4θアo 、ραア1π∫一〃z6〃昭, Paris,亘ditions du Seuil, <亘crivains de toujours>,

1953,pp.67−68.

12)1)θ痂s1)ゴ4θノoち」 乃o翅翅θ,εθ3ゴ466sρん〃030ρ痂9κθε,召s飾6 ゴσπ63,〃膨紹」7θs,

Paris・Librairie Georges Courville,1937, P.294, P.228, n.ω,P.232, n.ω.

13)乙θ3Mα6〃θ34θ1σsθπsfゐゴ1彰加 ⑫38α%測π・s∫2c θ(1715−1789),t・me H,Genさve, Slatkine Reprints,1967〔R6impression de r 6dition de Paris,1932〕,

p。161,p.162, pp.186−188, notes.

14)『モンテスキュー・ヴォルテール・ディドロ』筑摩書房(世界文学大系16),昭 35,「解説」442−443頁。

もっとも小場瀬氏も,後に「ディドロの小説および小説論」にかんする研究書を公 刊するに際しては『不謹慎な宝石』と『白い鳥』にも一章を割き,十数頁にわたり

「初期の小説」について論評している。ただしその『不謹慎な宝石』評は,幾つかの 章節に限ってこれを評価しつつも,小説全体については相変らず非常に低い価値しか 認めていない(『ディドロ研究』中巻,白水社,1972,14−29頁,参照)。

15) (〜ρ. c舜., p.124,p.126, p.128.

16)拙稿『Les・Bi/oux indiscrets論(1)』 (茨城大学人文学部紀要「人文学科論集」

第14号,1981年3月)22−23頁,参照。

17)真に注目すべきLθ5.研ノo雛評の最初のものとしては,Pierre MesnardのL6 Cos・酬4870 (Paris,1952)中の所説を挙げたい。しかしこれを含めた若干のすぐれ た論考にかんする考察は次回に廻さざるをえない。

18)拙稿『Les Bi/oux indiscret£論([)』 (茨:城大学人文学部紀要「人文学科論

集」第15号,1982年3月)6頁,9頁,参照。

参照

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