︿論説﹀
宗教法人法の改正をめぐる問題点
宗教団体に対する管理の要素の導入の有無と是非
桐ケ谷章
目次
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二 三
はじめに
1問題の所在
2﹁改正﹂の是非をめぐる論議
3改正に反対する理由
宗教法人法の立法の経緯とその理念1明治憲法下における信教の自由
2﹁宗教団体法﹂の制定と国家の宗教管理
3日本国憲法と信教の自由
4﹁宗教法人法﹂の制定とその理念
宗教法人法﹁改正﹂の経過と内容
1改正の経過の概要
2改正内容の要点
3改正の具体的内容 四所轄庁の移管の問題点
1
2
3
4
5五提出義務の問題点
1
2
3
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6
改正の内容とその理由指導・監督強化のための改正
宗教法人法の所轄庁についての考え方
所轄庁を決定する基準の不明確性と政教分離原則違反
他の改正条項との関連
改正の内容とその理由
財務関係書類の性質
問題点
諸外国の例の援用の誤り
小規模法人の収支計算書作成免除の問題点
提出された書類の利・活用の問題点
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六開示義務の問題点
1
七
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改正の内容とその理由
宗教団体の自主的運営の自由
請求権者についての問題点アメリカ法との対比とその誤り
﹁正当な利益﹂﹁不当な目的﹂について
慎重な運営の必要性
報告徴収権・質問権の問題点
1改正の内容とその理由
2法案に至る経過
3報告徴収権・質問権の内実 八九 4宗教統制への萌芽改正の意図・目的に見る問題点
ーオウム問題は隠れみの
2性急な改正にこだわる理由改正の手続き・手順の問題点
1
432
宗教法人審議会の権限審議会の構成審議会の合意の形成の性急さ国会審議での問題点一〇結びにかえて
略語例
※本稿の記述においては︑原則として︑次の略語例による︒
法11宗教法人法旧法"平成七年法律第=二四号による改正前の宗教法人法
改正法11上記改正後の宗教法人法
報告書口宗教法人審議会の一九九五(平成七)年九月二九日付﹁宗教法人制度の改正につ
いて(報告とと題する報告書
はじめに
宗教 法 人 法 の改 正 をめ ぐる問 題 点
111問題の所在
一連のオウム真理教事件を契機に︑宗教法人法改正論議が活発になり︑改正案は︑一九九五(平成七)年=月一
三日衆議院で︑同年一二月八日参議院で︑各可決され︑同年秋の臨時国会で︑﹁宗教法人法の一部を改正する法律
(平成七年法律第=二四号)﹂として成立した︒そして︑﹁宗教法人法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令
(平成八年政令第二三九号)﹂が一九九六(平成八)年八月一二日に公布され︑改正法においてまだ施行になってい
なかった部分(所轄庁︑事務所備付け書類の見直しおよび所轄庁への提出︑信者その他の利害関係人の閲覧ならびに
所轄庁の報告徴収および質問等の改正規定)については︑同年九月一五日に全面施行された︒
しかしながら︑この改正法の内容には︑多くの問題点をはらんでいる︒のみならず︑改正の意図・目的︑手続き・
ユ 手順の点においてもきわめて問題が多い︒全面施行を機に︑問題点を整理しておきたいと思う︒
2﹁改正﹂の是非をめぐる論議
ハ まず今回の改正の内容をめぐる賛否の議論の大筋を鳥瞼しておく︒反対論の主な理由は次の点にある︒すなわち︑
宗教法人法は宗教団体の信教の自由(活動の自由)を保護するために制定された法律であるとの観点から︑今回の改
正は︑このような宗教法人法の基本的性格を変え︑宗教法人を管理・監督するための法律にしてしまうと言うのであ
る︒これに対して賛成論は︑この程度の改正は宗教法人法の基本的性格を何ら変えるものではないと考える︒さらに
徹した議論になると︑この程度の改正では生ぬるいので︑更なる改正を様々な角度から行っていくべきであるとさえ
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言う︒
両者の違いは︑宗教法人法の目的・理念をどのように考えるかそれに関連して︑同法の認める公権力の関与を
どのように考えるかーの違いに由来すると言える︒
性格を変えるから反対であるという見解は︑宗教法人法は︑信教の自由の保障・政教分離原則を基軸にして︑宗教
団体に権利能力を与え活動を円滑に行えるようにするために制定された法律であって︑決して宗教団体を管理したり
監督したり︑ましてや統制したりするための法律ではないという考え方が基本にある︒認証を受け宗教法人として活
動をしていくうえにおいて︑必要な限度での公権力(所轄庁)のかかわりあいは認めるが︑あくまでもそれは最小限
度にとどめるべきであって︑できることならばかかわりあいはない方が望ましい︑なかんずく﹁聖﹂なる部分に対し
ては公権力は一切関与しないように配慮すべきである︑という考え方である︒
これに対して︑この程度の改正は宗教法人法の基本的性格を変えるものではないという見解は︑同法が規定してい
る宗教法人に対する公権力の若干の関与を︑同法が宗教法人に対する公権力の規制を自認したものと考える︒そして︑
公権力による宗教法人に対する若干の管理は宗教法人法自体が受忍している︑したがってそれを少々強化しても性格
ヨ を変えるものではない︑とする︒この管理・規制の部分行政の責任と考える論者もいるがを少々膨らませて
も宗教法人法の基本的性格を変えるものではないのだから︑今回の程度の改正であったなら全く問題はないし︑さら
に管理・規制を強化することも可能である︑という考え方になるようである︒
3改正に反対する理由
私は結論的には前者を是とするものである︒この見解は︑
改正が憲法の精神に反するという考え方につながる︒ 単に法の性格が変わるから反対であるというだけでなく︑
宗 教法 人法 の改正 をめ ぐる問題 点 13
後述(二参照)のとおり︑日本国憲法における信教の自由・政教分離原則は︑戦前の国家神道との決別︑あるいは
戦前の宗教法制による宗教弾圧という苦い歴史等に対する厳しい反省から獲得されたものであり︑その根底には︑国
家は宗教には極力かかわりを持つべきではないという理念がある︒その理念のもとに︑宗教法人令を経て宗教法人法
が制定されたのである︒同法は宗教法人の設立について︑﹁認証制﹂を採用し国家の関与は極力少なくしようとする
方向性を示すとともに︑その運用についても︑例えば法一条二項︑八四条︑八五条等で︑信教の自由を尊重し︑国家
が宗教法人の特に宗教活動等の﹁聖﹂なる事項にかかわることを極力排すべきことを強調している︒更に法一八条の
六項等において︑宗教法人における﹁聖﹂と﹁俗﹂の権限・権能を完全に立て分けている︒
このように︑宗教法人法は憲法の精神に基づいて︑国家が宗教法人の活動等の哨聖﹂なる事項には関与してはなら
ないという思想のもとに制定されている︒今回の改正はそういう性格を根本的に変えるものであり︑本来信教の自由
を保障するという性格を持った宗教法人法が︑宗教に対する国家の管理のための法律にi換言するならば︑信教の
自由を制限する方向にー一歩踏み出したものと言うことができる︒このような改正は︑宗教法人法の基本的性格を
変えるばかりでなく︑憲法二〇条に違反するものであり︑許されない︒
改正賛成の論者がしばしば指摘するとおり︑改正前の宗教法人法に全く不備がないというわけではなく︑改正すべ
き点も確かにあろうかと思う︒私も宗教法人の解散命令の際の保全に関する問題等はその一つであろうと考えている︒
しかしながら︑宗教法人法が完壁でないからといって︑性格を変えて宗教管理法的な色彩の法律にしてしまってもよ
いということにはならない︒改正しなければならない部分があるということから︑改正は解禁されるとし︑そうであ
るなら法律の性格を若干変えて改正していっても構わないと言うのは︑議論のすりかえ以外の何ものでもない︒
次に賛成論者は︑宗教法人の自律性︑宗教界の自浄作用の必要性を説き︑それがきちんと行われていれば行政ない
し国家からの介入ということも極力少なくなるという︒確かに宗教界︑宗教団体の方で自浄努力をしていかなければ
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ならないことは当然である︒しかしながら︑それが現在行われていないからといって︑業を煮やして国家の方で法律
を作り︑強制的に一定の自浄作用をやらせるという発想は︑いかがなものであろうか︒辛抱強く宗教団体・宗教界の
側の自浄作用を待つということこそが︑憲法(信教の自由の保障)の精神なのではなかろうか︒
以上のような観点に立って︑今回の改正‑私に言わせれば﹁改悪﹂ということになるがーの問題点について何
点か考えてみたいと思う︒
二宗教法人法の立法の経緯とその理念
1明治憲法下における信教の自由
る ら まず︑宗教法人法がどのような経緯をたどり︑どのような理念のもとに制定されたものなのかを概観しておく︒
一八六八(明治元)年に設立された明治新政府は︑王政復古による強力な統一国家を作り上げることを目指し︑天
皇中心の国家体制の確立をもくろんで︑祭政一致の制度を復活させ︑神道の国教化政策を採用した︒すなわち︑天皇
家の氏神である伊勢神宮を全国の諸神社の頂点に置き︑そのもとで各地の神社を格付けし︑国家体制の一部に組み込
んだ︒そして︑これら神社神道を国教とし︑国民に崇敬を強いることで︑天皇の権威の絶対化を図ろうとした︒
しかし︑神仏判然令による排仏殿釈など性急な国教化政策に対する反発も強く︑一八七二(明治五)年には国教化
政策を放棄し︑﹁三条の教則﹂を根本に︑皇道思想の宣布を図ることとし︑神官・僧侶等を教導職に任命し︑神仏合
同布教による国民の教化へ政策を転じた︒
一方︑浦上事件を契機に︑一八七三(明治六)年にはキリスト教禁圧の高札を撤去せざるをえなくなり︑欧米から
帰朝した知識人からの激しい批判︑不平等条約撤廃を目指す立場から西欧諸国の信頼を得るための要請などもあり︑