ヨーロッパ文学における
シャイロック的ユダヤ人像形成の前史(Ⅱ)
金 山 正 道*
序
中世のヨーロッパではいくつかの都市同盟が誕生した。ライン都市同盟、ロ ンバルディア都市同盟、シュバーベン都市同盟などがそれである。これら都市 同盟のなかで、ハンザ同盟は歴史上類をみない大都市同盟であった。加入都市 の数だけをみても、ハンザ同盟が200に達しているのに対し――いずれも最大 数を示すが――ライン都市同盟はおよそ70、ロンバルディア都市同盟は31、
シュバーベン都市同盟は32であり、ハンザ同盟は群を抜いている。より注目 すべきは、その存続期間の差である。ライン都市同盟は1254年から1257年ま で1)、ロンバルディア都市同盟は12世紀後半から13世紀前半まで、シュバー ベン都市同盟は1376年から1389年までであるのに対し、ハンザ同盟は13世 紀から17世紀末まで数百年にわたり存続した。
日本語では専門的研究、すなわち歴史学において、これらはいずれも「何々 同盟」と呼ばれ、表記される。原語でいえば、ライン都市同盟は
Rheinischer Städtebund
であり、シュバーベン都市同盟はSchwäbischer Städtebund
である。つまり、原語では「都市同盟」を意味する男性名詞
Städtebund
に、固有名詞Rhein
とSchwaben
から派生した形容詞rheinisch
(er)とschwäbisch
(er)がそ* 福岡大学人文学部教授
れぞれ付加されている2)。これに対し「ハンザ同盟」を原語で表すと
Hanse
の み、つまり単に「ハンザ」である。歴史学の書のなかには、この「ハンザ」という語について説明を加え、原語
でいえば
Hanse
であるが、この語は元来「団体」や同業者の「組合」を意味することばであったと説明しているものがある。ひとまず、この説明は正しい、
と述べておこう。しかしながら、より正確にいえば、Hanseまたは
Hansa
と いう語は、共通の目的のために結成された「団体」や「組合」だけでなく、共 通の目的のために結束したひとびとも意味した。加えてHanse
またはHansa
という語には成員ひとりを意味する用法もあった。さらに古い用例では、特定 の兵力・兵員数から成る「部隊」をHansa
は意味した。この用法はウルフィ ラやタティアノスに見出される3)。ドイツ語学文学を専門とする者には、今日 ゴート語をしるための貴重な資料であるゴート語訳聖書で知られる西ゴートの 司教ウルフィラであるが、「ハンザ」という語に関して、西洋史研究者一般に ここまでの説明を要求するのは酷であろう4)。以下、HanseまたはHansa、と
併記せず、「ハンザ同盟」の原語についてはHanse
のみを記す。要するに
Hanse
は、高地ドイツ語はもとより、古いゲルマン語の特徴がのこるゴート語においても普通名詞であった。しかしながらいくつかの都市同盟 が成立したなかで「ハンザ同盟」という特定の同盟をドイツ語では単に
Hanse
といったのである。Hanseという語に「どの」あるいは「いかなる」ハンザか ということを明示し限定することばは一切付加されていない。また、日本語で は「ハンザ同!盟!」というけれども、「同盟」ということばは原語にはない5)。歴 史学の研究成果によれば、ハンザ同盟の場合、この都市同盟に加入すべく正式 に盟約が結ばれたことは一度もない。にもかかわらず、歴史学というよりも現 実の歴史のなかで13世紀から17世紀まで存続し、この間常にリューベックを 盟主とした北ドイツ諸都市を中心とする大都市連合がHanse
の一語でもって 一!義!的!に!意!味!さ!れ!る!ことになったのである。ハンザ同盟は、本来は普通名詞であった「ハンザ」という語をいわば固有名詞化させたほどの存在であったとい うことができよう。
本稿で扱う問題との関連で最も重要なことは、ハンザ同盟の商活動による経 済的影響である。すなわち、ヨーロッパ中世の封建的経済的諸関係がこの都市 同盟の商活動により次第に変化していった。この点についてはのちに詳述する が、商館、ことに四大商館が置かれた都市に着目しても、西はロンドン、東は ロシアのノブゴロドに、北はノルウェーのベルゲンに商館がおかれた6)。北ド イツ諸都市を中心に、北方の海を舞台に展開された交易によって、旧来の中世 的封建的商活動は変化し、資本主義的様相を徐々にではあるが、帯びていく。
ところで、羅針盤が中国で発明され、ヨーロッパに伝わり改良される7)。改 良された羅針盤が、実用に供する航海の道具となっていくのは13世紀後半か らである。これは、ハンザ同盟が次第に拡大し発展していく時期とも重なる。
他方、15世紀末から17世紀中葉まではいわゆる大航海時代である。1492年の コロンブスによる新大陸への到達、バスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見
(1498年)といった15世紀末の「地理上の発見」によって、また改良され発 達した羅針盤のたすけにより、大航海時代の幕が開ける。17世紀半ば、海外 進出において二大強国となったイギリスとオランダの対立が本格化し、それを もって大航海時代は終焉を迎える。大航海時代に関する詳しい説明は歴史学に ゆずるが、大航海時代にはいると、必要とされる資金は一層大きなものとなり、
お金の貸借を扱う業種の必要性は、商人はもとより支配層にとっても否定しよ うのないものとなる。
すでにハンザ商人8)による交易がはじまった時代から、商活動の活発化にと もない、資金の貸付けを行う業種が必要であった。また実際、高利貸しはすで に存在していた。それが大航海時代にはいり、これまで以上に額とリスクの双 方においてより大きな資金に対する需要が高まっていく。換言すれば、他者に 高額の貸し付けを随時おこないうる者、すなわち金融業を営む者の存在は不可
欠となった。しかしながら、カトリック教会は依然、金銭貸借における利子徴 収(以下、徴利と記す)禁止の原則を堅持していた。カトリック教会が徴利禁 止の根拠としたのは、アリストテレスとアリストテレスに権威をおくスコラの 学ならびに聖書の律法であった。アリストテレスは利子について、また貨幣に ついてどのように考え、記しているのか、また、聖書には利子の取得について どう書かれているのか、ことに後者について本稿では、邦訳に参考として独訳 を添え引用し、具体的かつ慎重に考察する。ただし、はじめに述べておきたい ことがある。また、はじめに述べておかなければ、多くの引用の介在により、
論の本筋が見失われたり、筆者の謂わんとすることが誤解される恐れがあるか もしれないからである。
教会は果たして聖書のおしえをまもって、すなわちどこまでも宗教的敬虔の 精神から、徴利禁止の原則を堅持したのであろうか。つまり、ここで問うてい ることは、カトリック教会は、徴利禁止という近代的貨幣経済の成長・発展に とって桎梏となる原則を、アリストテレスとスコラの学および聖書がおしえる ところに忠実に従わなければならないという姿勢がはじめにあって堅持したの か、ということである。筆者(金山)自身がクリスチャンであるという事実に 免じ、次のように発言することをお許しいただきたい。答えは、おおむね否、
である。組織としての教会は必ずしも常に信仰的というわけではない。「秩序 の維持」という名分のもと奸知のかぎりをつくすことさえある。奸知というこ とばを使ったからといってそれが聖書のおしえに反するとは必ずしもいえな い。むしろ逆である。「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」これは、
イエスが十二弟子に対して言ったことばであり、「マタイによる福音書」第10 章16節に記されている。邪悪な存在のいる世界ではひとは「はと」のごとき 素直さと、悪魔と同一視される「へび」にも匹敵する賢さを併せ持つことが必 要であるとイエスは弟子たちに教えているのである。
宗教的のみならず、社会的政治的秩序の維持にとってふさわしくないと判断
されるものを、教会はさまざまな手を用い排除した歴史がある。詳細は割愛す るが、たとえば騎士団長であっても、教会が描くヴィジョンから逸脱すれば、
つまり一線を超えたと判断されれば、火刑に処された。ただし、お金の貸借、
それも「利子付きでの貸借」の問題はカトリック教会にとっても難題であっ た。時代の趨勢に逆らうことができないことを教会は理解していたのであろう。
その結果教会がとった手法には妙味もあるが、とにかく教会は公的には徴利禁 止の原則を堅持した。そのためには、その原理をささえる根拠、ひとびとに有 無をいわさぬ論拠が必要であった。その論拠となったのが、アリストテレスと スコラの学であり、聖書のおしえであった。つまり、はじめにおしえありき、
というよりも、はじめに教会のめざすところありき、であって、それをささえ た論拠がアリストテレスとスコラの学、そして聖書にもとめられたということ ができよう。
本稿ではまず第一に、旧約聖書に徴利についてどのように定められているか、
新約聖書でイエスが徴利についてどのように教えているかという点を明確にす る。ことに前者に関しては、聖書からの邦訳引用に際し、ルター訳にもとづく 独訳聖書からの引用を付すが、本稿「1.徴利に関する聖書の教え」における
「(1)旧約聖書の場合」のはじめに書いているように、それはひとつに、邦 訳の理解を深めるため、またもうひとつに、この研究が本来ファウスト文学研 究との関連におけるドイツ文学研究の一環としておこなわれていることによ る。旧約と新約における徴利に関する掟とおしえを詳細かつ正確に確認したの ち、中世スコラ学における「ウズラ(徴利禁止論)」の基盤となったアリスト テレスの思想に言及する。中世スコラ学における徴利の問題に関しては、13 世紀の盛期スコラ学から『神学大全』の著者であるトマス・アクイナスの見解 を中心に考察するが、トマス・アクイナスに関しては本稿の(Ⅲ)として稿を 改め考究する。聖書における徴利の問題に関しては文学研究のみならず、経済 学などいくつかの分野で扱われてきたが、旧約と新約の全体から具体的引用を
網羅し、かつアリストテレスからトマス・アクイナスに至る徴利に関する思想 を通時的に述べた研究は少ないのではないかとおもう。今日教養あるドイツ人 であっても定期的に教会に行かず、聖書を精読かつ通読していない者が増えた ようであるが、まして日本人の場合、個人差はあるけれども、おおよそヨーロッ パに係る分野の研究者であっても、聖書の精読・通読を繰り返してきた、また 繰り返しているひとはさほど多くはないのではないだろうか。ヨーロッパ・キ リスト教世界における徴利の問題の出発点にたつ旧約聖書から具体的に再考す ることは今日なお意義あることと確信する。
1.徴利に関する聖書の教え
(1)旧約聖書の場合
はじめに、徴利の問題が聖書に書かれているのであれば、金を貸与し、貸し た相手から利子を取ることについて聖書はどのようにおしえているのか、筆者 の解説ではなく、実際に聖書から引用し、この点をつまびらかにする。
そこで、旧約聖書、それもいわゆるモーセ五書のなかで徴利に関し、律法に よりどのように定められているかみておこう。引用に際しては、序で述べたよ うに、邦訳に加え、ドイツ語による訳文を付記する。聖書のドイツ語への本格 的な翻訳はルターに始まるが、旧約・新約の双方を収録したルターによる全訳 聖書は1534年ヴィテンべルクで、書肆ハンス・ルフトによって刊行された。爾 後、ルターの没年1546年まで全訳聖書についてはすべてルフトにより刊行さ れた9)。ルター聖書のドイツ語が初期新高ドイツ語――1350年から1650年ま でのドイツ語――であることに鑑み、ここでの引用は1912年版のルター聖書 に拠った。
マルチメディア時代とか
I T
時代などといわれる今日、ドイツでも辞書や事 典、「シュピーゲル」のような雑誌あるいは「ヴェルト」のような新聞、さら にはさまざまな資料がデジタル化されている。本稿では、注に挙げたCD−ROM
版のルター聖書(1912年版)10)を用いて引用をおこなった。著作権の問題に言 及しておくと、CD−ROM版自体にコピー機能がついており、営利目的を伴わ ない学術研究において使用することに問題はないものと判断できる。むしろ学 術研究において問題となるのは、ドイツ文学研究の底本に関して使用されるこ とばでいえば、このデジタル版のテキストが
Kritische Ausgabe
あるいはHi- storisch−kritische Ausgabe
といえるのかどうかという点である。そのため本 文での引用に際してはすべて注に、年代こそ異なるが、ルター全集(書籍)に 収録された1546年の全訳聖書11)から当該の箇所を参考として、また念のため に引用した。両者を比較対照すると、1912年版のルター聖書では、新高ドイ ツ語ではもはや使われなくなった語をより時代に即した語に置き換えることに よる改訂が中心である。表現自体は、表記だけを20世紀初頭の正書法にもと づき修正すれば一般に理解できるものは、そのまま使われていることがわかる。なお、引用箇所の意味内容の理解が正確におこなわれるよう、邦訳・独訳とも に当該箇所の前後も必要に応じ、最小限の範囲にとどめることを旨とし、引用 した。筆者の杞憂であると思うが、カトリック教会がなぜ徴利を禁止していた のかという問題を解明するため、聖書にはこの問題についてどのように書かれ ているか確認しようとしているわけだが、ここでプロテスタントのルターの名 を再三出したことによる違和感を論文読者のなかに感じている方がいらっしゃ るのではないかという思いが念頭をかすめる。しかし、本稿の読者諸賢にあっ て、そのようなことはないと確信する。むしろ、次の疑問のほうが大きいかも しれない。
新約聖書原典はギリシア語で書かれている。旧約はといえば、ヘブライ語(一 部アラム語)で書かれている。そうであれば、邦訳に添えるのはこれらの原語 によるテキストが妥当ではないかという疑問である。筆者の学生時代、古典語 は必修科目であった。独文学講座の助手を筆者が勤めていたとき、隣の言語学 研究室で、松田伊作教授が、ドイツの出版社から刊行されているドイツ語で書
かれたヘブライ語文法の書を使って演習を展開されていた。演習に参加こそし なかったものの、その書でヘブライ語を学び、自由に読めるというところまで は達していないが、引用には窮しない。この拙論を読んでくださっている諸賢 のなかにはこれらの原語に精通している方もいらっしゃるであろうが、多数派 ではないであろうと思う。また、本稿では徴利の問題に対する中世カトリック 教会の姿勢について検討するのであるが、カトリック教会ではギリシア語やヘ ブライ語の原典ではなく、一般にはラテン語訳聖書が使われていた。
このような事情を念頭に置けば、そもそもこの研究の目的がなんであるのか ということが、第一に想起されねばなるまい。本稿に先行する「ヨーロッパ文 学におけるシャイロック的ユダヤ人像形成の前史(Ⅰ)」の序で述べたように、
この研究の目的は、ヨーロッパ文学、ことにドイツ文学におけるユダヤ人像と ユダヤ人問題に関する考察・解明である。なかでもファウスト文学、それも刊 行された最初のファウス ト 作 品『ヨ ー ハ ン・フ ァ ウ ス ト ゥ ス 博 士 の 物 語』
(1587年)に登場するユダヤ人金貸しに対して、『ベニスの商人』(1597年頃)
におけるシャイロックに対しておこなわれた評価と同じ評価がなされている。
文学の世界でなぜそのようなユダヤ人像が形成されたのかということを、11 世紀末の第1回十字軍遠征から14世紀中葉の黒死病の流行を経て、ジュース・
オッペンハイマーに代表される宮廷ユダヤ人の登場(17世紀)に至る数世紀 に及ぶ期間を対象に、詳細かつ具体的な考察をとおし解明することである。
口語訳聖書からの引用に独訳を添えたのは、ひとつには、引用箇所のより深 い理解のためであるが、もうひとつには、この研究が飽くまでドイツ文学研究 の一環としておこなわれていることによる。さらに、もうひとつの「しかるべ き理由」を、旧約聖書から最初の引用をおこなったのち述べる。因みに、口語 訳聖書からの引用に際しては、新旧両派が合同しておこなった翻訳の成果であ る新共同訳12)も参照したことを付言しておきたい。
はじめに旧約聖書の最初の五つの書、いわゆるモーセ五書から当該の箇所を
引用する。
出エジプト記 第22章25節から27節
25あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸す時は、これに対し て金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない。
26もし隣人の上着を質に取るならば、日の入るまでにそれを返さなければ ならない。
27これは彼の身をおおう、ただ一つの物、彼の膚のための着物だからであ る。彼は何を着て寝ることができよう。彼がわたしにむかって叫ぶならば、
わたしはこれに聞くであろう。わたしはあわれみ深いからである。
25
Wenn du Geld leihst einem aus meinem Volk, der arm ist bei dir, sollst du ihn nicht zu Schaden bringen und keinen Wucher an ihm treiben.
26
Wenn du von deinem Nächsten ein Kleid zum Pfande nimmst, sollst du es ihm wiedergeben, ehe die Sonne untergeht ;
27
denn sein Kleid ist seine einzige Decke seiner Haut, darin er schläft.
Wird er aber zu mir schreien, so werde ich ihn erhören ; denn ich bin gnädig.
13)注目すべきは「わたしの民の貧しい者」と「隣人」ということばである。つ
びと
まり、同胞であるイスラエル人からは「利子を取ってはならない」と禁令とし て定められている。旧約聖書原典のヘブライ語で引用できれば最もよいのであ ろうが14)、ドイツ語を付記したことにはしかるべき理由がある。邦訳、つまり 口語訳聖書に「利子」と書かれていることばは、ルターによれば、Wucherす なわち「高利」であり、Zins(en)すなわちいわゆる「利子」ではない。つま
り、同胞から利子を取ることは、不当な利得、暴利を得ることに等しく、これ をおこなうことが禁じられていることがわかる。付言すれば、以下の引用箇所 全体から
Zins
(en)も同胞から取ることが禁止されていることがわかる。レビ記 第25章35節から37節、とくに36節および37節
35あなたの兄弟が落ちぶれ、暮して行けない時は、彼を助け、寄留者また は旅びとのようにして、あなたと共に生きながらえさせなければならない。
36彼から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を恐れ、あなたの兄 弟をあなたと共に生きながらえさせなければならない。
37あなたは利子を取って彼に金を貸してはならない。また利益をえるため に食物を貸してはならない。
35
Wenn dein Bruder verarmt und neben dir abnimmt, so sollst du ihn auf- nehmen als einen Fremdling oder Gast, daß er lebe neben dir,
36
und sollst nicht Zinsen von ihm nehmen noch Wucher, sondern sollst dich vor deinem Gott fürchten, auf daß dein Bruder neben dir leben könne.
37
Denn du sollst ihm dein Geld nicht auf Zinsen leihen noch deine Speise auf Wucher austun.
15)ここでも「利子も利息も取ってはならない」相手は「あなたの兄弟」すなわ ちイスラエル共同体の成員たる同胞である。「利子も利息も」は、ドイツ語で は
nicht Zinsen[...] noch Wucher
である。同胞からはそもそも不当な利得で ある「利子」はもとより、「利益をえるための」過剰な利得、すなわち「高利」はもってのほかであり、利子を取らずに貸すことを命じているのである16)。「利
子も利息も」という訳ではいまひとつ意味が十分伝わらないのではないかと個 人的には考える。
申命記 第23章19節から20節
19兄弟に利息を取って貸してはならない。金銭の利息、食物の利息などす べて貸して利息のつく物の利息を取ってはならない。
20外国人には利息を取って貸してもよい。ただ兄弟には利息を取って貸し てはならない。これはあなたが、はいって取る地で、あなたの神、主がす べてあなたのする事に祝福を与えられるためである。
19
Du sollst von deinem Bruder nicht Zinsen nehmen, weder Geld noch mit Speise noch mit allem, womit man wuchern kann.
20
Von den Fremden magst du Zinsen nehmen, aber nicht von deinem Bruder, auf daß dich der HERR, dein Gott, segne in allem, was du vornimmst in dem Lande, dahin du kommst, es einzunehmen.
17)出エジプト記・レビ記と同様に「兄弟」すなわち同胞たるイスラエル人から 利息を取ってはならないことが明記されているが、注目すべきは「外国人には 利息を取って貸してもよい」とされている点である。つまり、徴利禁止の対象 となるのは同胞たるイスラエル人である。したがって、ユダヤ人がキリスト教 徒を相手に金貸しの仕事をし、利息を取ったとしても、律法に背くものではな い。これに呼応して――ということができようか――同じく申命記であるが、
「1もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう命 じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろ の国民の上に立たせられるであろう。2もし、あなたがあなたの神、主の声に
聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう」
ではじまる第28章に次のことばが見出される。
申命記 第28章12節
12主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがっ てあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。
あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう。
12
Und der HERR wird dir seinen guten Schatz auftun, den Himmel, daß er deinem Land Regen gebe zu seiner Zeit und daß er segne alle Werke deiner Hände. Und du wirst vielen Völkern leihen ; du aber wirst von nie- mand borgen.
18)中世ヨーロッパにおけるユダヤ人高利貸しの誕生との関係で歴史的観点から いえば、数千年後のヨーロッパにおいてイスラエルの子孫たちが「多くの国民 に貸すようにな」る、すなわち金貸しの仕事に従事するようになることがすで に旧約聖書の時代から予言されていたことになる。尤もこの発言はさておき、
共同体の成員からは「利子も利息も」とることはかたく禁じられていたイスラ エル人が「外国人」には金を貸すことが許されていることが申命記から確認さ れる。外国人に利子を取って金を貸すことが許されていたことの証左として、
申命記 第23章 20節はしばしば引き合いに出されてきたが、第28章12節も 看過されてはならない箇所である。因みに、この二つを同時に引用した研究は、
宗教学は別として、歴史学・経済学・法学関係では少ない、またはほとんどな いかと思う。
以上がモーセ五書に見出される徴利に関するおきてであるが、さらに旧約聖
書全体に検証の目を向けてみる。
詩篇 第15篇1節から5節19)
ダビデの歌
1主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に 住むべき者はだれですか。
2直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、
3その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしり を取りあげず、
4その目は神に捨てられた者を卑しめ、主を恐れる者を尊び、誓った事は 自分の損害になっても変えることなく、
5利息をとって金銭を貸すことなく、まいないを取って罪のない者の不利 をはかることをしない人である。これらの事を行う者はとこしえに動かさ れることはない。
1
Ein Psalm Davids. HERR, wer wird wohnen in deiner Hütte? Wer wird bleiben auf deinem heiligen Berge?
2
Wer ohne Tadel einhergeht und recht tut und redet die Wahrheit von Herzen ;
3
wer mit seiner Zunge nicht verleumdet und seinen Nächstem kein Arges tut und seinen Nächsten nicht schmäht ;
4
wer die Gottlosen für nichts achtet, sondern ehrt die Gottesfürchtigen ; wer sich selbst zum Schaden schwört und hält es ;
5
wer sein Geld nicht auf Wucher gibt und nimmt nicht Geschenke gegen
den Unschuldigen : wer das tut, der wird wohl bleiben.
20)とくに5節が注目されるが、「利息をとって金銭を貸すこと」をしない相手 として3節の「その友」、「(その)隣り人」が明記されている。ルター訳聖書 ではどちらも、主格(1格)でいえば
sein Nächster、すなわち「おのが隣人」
である。
箴言 第28章6節から8節、とくに8節
6正しく歩む貧しい者は、曲った道を歩む富める者にまさる。
7律法を守る者は賢い子である、不品行な者と交わるものは、父をはずか しめる。
8利息と高利とによってその富をます者は、貧しい者を恵む者のために、そ れをたくわえる。
6
Es ist besser ein Armer, der in seiner Frommigkeit geht, denn ein Reicher, der in verkehrten Wegen geht.
7
Wer das Gesetz bewahrt, ist ein verständiges Kind ; wer aber der Schlemmer Geselle ist, schändet seinen Vater.
8
Wer sein Gut mehrt mit Wucher und Zins, der sammelt es für den, der sich der Armen erbarmt.
21)非キリスト者にはわかりにくいところ、ことに8節だけを引用したのでは理 解しにくいところがあるかもしれない。引用は必要最小限にとどめるという方 針により、「正しく歩む貧しい者」ということばが出てくる6節から引用した。
要するに、利息と高利によっておのが富を増やしている者は、自分のために金 銭をあつめたくわえているのではなく、「正しく歩む貧しい者」を恵むために たくわえているのだが、そのことをしらない、という意味である。注11に示
した1546年版の全訳聖書における当該箇所をみれば8節は、利子と高利によっ ておのが富を増している者は実は貧しき者のためにそれをたくわえている、と いう意味であることがより明確に表現されている。強調するつもりはないが、
ここで引用したドイツ語の聖書では、Wucherと
Zins
が使われているが、口 語訳聖書すなわち邦訳では「利息」と「高利」という語詞を使って訳されてお り、レビ記 第25章36節における「利子も利息も」との対比において面白い。次にネヘミヤ書から、幾分長くなるが、正確な理解のために必要なことであ るから、当該の箇所を引用する。
ネヘミヤ記 第5章1節から13節
1さて、ここに民がその妻と共に、その兄弟であるユダヤ人に向かって大 いに叫び訴えることがあった。
2すなわち、ある人々は言った、「われわれはむすこ娘と共に大ぜいです。
われわれは穀物を得て、食べて生きていかなければなりません」。
3またある人々は言った、「われわれは飢えのために、穀物を得ようと田畑 も、ぶどう畑も、家も抵当に入れています」。
4ある人々は言った、「われわれは王の税金のために、われわれの田畑およ びぶどう畑をもって金を借りました。
5現にわれわれの肉はわれわれの兄弟の肉に等しく、われわれの子供も彼 らの子供に等しいのに、見よ、われわれはむすこ娘を人の奴隷とするよう にしいられています。われわれの娘のうちには、すでに人の奴隷になった 者もありますが、われわれの田畑も、ぶどう畑も他人のものになっている ので、われわれにはどうする力もありません」。
6わたしは彼らの叫びと、これらの言葉を聞いて大いに怒った。
7わたしはみずから考えたすえ、尊い人々およびつかさたちを責めて言っ た、「あなたがたはめいめいその兄弟から利息をとっている」。そしてわた しは彼らの事について大会を開き、
8彼らに言った、「われわれは異邦人に売られたわれわれの兄弟ユダヤ人を、
われわれの力にしたがってあがなった。しかるにあなたがたは自分の兄弟 を売ろうとするのか。彼らはわれわれに売られるのか」。彼らは黙してひ と言もいわなかった。
9わたしはまた言った、「あなたがたのする事はよくない。あなたがたは、
われわれの敵である異邦人のそしりをやめさせるために、われわれの神を 恐れつつ事をなすべきではないか。
10わたしもわたしの兄弟たちも、わたしのしもべたちも同じく金と穀物と を貸しているが、われわれはこの利息をやめよう。
11
どうぞ、あなたがたは、きょうにも彼らの田畑、ぶどう畑、オリブ畑お よび家屋を彼らに返し、またあなたがたが彼らから取っていた金銭、穀物、
ぶどう酒、油などの百分の一を返しなさい」。
12すると彼らは「われわれはそれを返します。彼らから何をも要求しませ ん。あなたの言うようにします」と言った。そこでわたしは祭司たちを呼 び、彼らにこの言葉のとおりに行うという誓いを立てさせた。
13わたしはまたわたしのふところを打ち払って言った、「この約束を実行 しない者を、どうぞ神がこのように打ち払って、その家およびその仕事を 離れさせられるように。その人はこのように打ち払われてむなしくなるよ うに」。会衆はみな「アァメン」と言って、主をさんびした。そして民は この約束のとおりに行った。
1
Und es erhob sich ein großes Geschrei des Volkes und ihrer Weiber
wider ihre Brüder, die Juden.
2
Und waren etliche, die da sprachen : Unserer Söhne und Töchter sind viel ; laßt uns Getreide nehmen und essen, daß wir leben.
3
Aber etliche sprachen : Laßt uns unsre Äcker, Weinberge und Häuser versetzen und Getreide nehmen in der Teuerung.
4
Etliche aber sprachen : Wir habe Geld entlehnt zum Schoß für den König auf unsre Äcker und Weinberge ;
5
nun ist doch wie unsrer Brüder Leib auch unser Leib und wie ihre Kinder unsre Kinder, und siehe, wir müssen unsre Söhne und Töchter unterwer- fen dem Dienst, und sind schon unsrer Töchter etliche unterworfen, und ist kein Vermögen in unsern Händen, und unsre Äcker und Weinberge sind der andern geworden.
6
Da ich aber ihr Schreien und solche Worte hörte, ward ich sehr zornig.
7
Und mein Herz ward Rats mit mir, daß ich schalt die Ratsherren und die Obersten und sprach zu ihnen : Wollt ihr einer auf den andern Wucher treiben? Und ich brachte die Gemeinde wider sie zusammen
8
und sprach zu ihnen : Wir haben unsre Brüder, die Juden, erkauft die den Heiden verkauft waren, nach unserm Vermögen ; und ihr wollt auch eure Brüder verkaufen und sie sollen uns verkauft werden? Da schwiegen sie und fanden nichts zu antworten.
9
Und ich sprach : Es ist nicht gut, was ihr tut. Solltet ihr nicht in der Furcht Gottes wandeln um des Hohnes willen der Heiden, unsrer Feinde?
10
Ich und meine Brüder und meine Leute haben ihnen auch Geld geliehen und Getreide ; laßt uns doch diese Schuld erlassen.
11
So gebt ihnen nun heute wieder ihre Äcker, Weinberge, Ölgärten und
Häuser und den Hundertsten am Geld, am Getreide, am Most und am Öl,
den ihr von ihnen zu fordern habt.
12
Da sprachen sie : Wir wollen’s wiedergeben und wollen nichts von ihnen fordern und wollen tun wie du gesagt hast. Und ich rief die Priester und nahm einen Eid von ihnen, daß sie also tun sollten.
13
Auch schüttelte ich meinen Busen aus und sprach : Also schüttle Gott aus jedermann von seinem Hause und von seiner Arbeit, der dies Wort nicht handhabt, daß er sei ausgeschüttelt und leer. Und die ganze Ge- meinde sprach : Amen! und lobte den HERRN. Und das Volk tat also.
22)自明のことであるが、上の引用中における「わたし」はネヘミヤである。時 代は、アケメネス朝ペルシアの王アルタルセルクセス1世(在位 前465−前 424)の治世である。ネヘミヤはペルシアの高官であり、この書、第5章に「ま たわたしは、ユダの地の総督に任ぜられた時から、すなわちアルタシャスタ王 の第二十年から第三十二年まで、十二年の間、わたしもわたしの兄弟たちも、
総督としての手当を受けなかった」(14節)とある23)。ネヘミヤはエルサレム の荒廃をしり、王に請うてエルサレム滞在の許可を得、イスラエル共同体にお ける秩序の回復、生活の浄化を「律法」にもとづいておこない、共同体として のイスラエルの回復と再建に尽力した。したがって、時期はバビロン捕囚帰還 後になる。バビロニアの異郷にあり、かつ異教のなかでイスラエル人の腐敗は 生じたのであろうか。確かに、この捕囚により、換言すれば、敗戦と王国の滅 亡により24)、イスラエル人の「主」を志向する姿勢は弱まり、イスラエル人た ちの間に無秩序が広がる傾向が促進されたであろう。しかしそれとともに看過 してならない点は、次に引用するエゼキエル書に記されているように、バビロ ン捕囚前のイスラエル社会においても律法がまもられず、「主なる神」があが められていない状況がすでに生じていた。ネヘミヤがおこなったことは、腐敗 も極に達した感のある当時のユダヤ人共同体におけるいわば宗教改革である。
このことはネヘミヤ書全13章を精読すれば明らかである。
ネヘミヤによる7節の指摘「あなたがたはめいめいその兄弟から利息をとっ ている」から、すでにみたモーセ五書における徴利禁止の律法に反する行為が 当時のイスラエル人のあいだでおこなわれていたことがわかる。しかも、担保 として田畑や家屋をとり、返済不履行の場合には、同胞である「兄弟」の子供、
「むすこ娘」が「人の奴隷」にされていたことがわかる。「出エジプト記」第 22章26節によれば、服でさえ「質に取るならば、日の入るまでにそれを返さ なければならない」と定められていた次第である。因みにここで引用したネヘ ミヤ書における邦訳の「利息」は独訳では
Wucher
が使われている。1節およ び8節の「兄弟(である)ユダヤ人」という語はその違反をおこなっている主 体を表現したことばとして注目される。ユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては 常識的なことであろうが、「イスラエル人=ユダヤ人」もしくは「ユダヤ人の 祖先=イスラエル人」が明示された箇所でもあるが、ここではむしろ高利をむ さぼるイスラエル人を表現したものとして注目される。次にエゼキエル書から 引用する。エゼキエル書 第18章5節から13節
5人がもし正しくあって、公道と正義とを行い、
6山の上で食事をせず、また目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣 り人の妻を犯さず、汚れの時にある女に近づかず、
7だれをもしえたげず、質物を返し、決して奪わず、食物を飢えた者に与 え、裸の者に衣服を着せ、
8利息や高利をとって貸さず、手をひいて悪を行わず、人と人との間に真 実のさばきを行い、
9わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい 人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。
10しかし彼が子を生み、その子が荒い者で、人の血を流し、これらの義務 の一つをも行わず、
11かえって山の上で食事をし、隣り人の妻を犯し、
12乏しい者や貧しい者をしえたげ、物を奪い、質物を返さず、目をあげて 偶像を仰ぎ、憎むべき事をおこない、
13利息や高利をとって貸すならば、その子は生きるであろうか。彼は生き ることはできない。彼はこれらの憎むべき事をしたので、必ず死に、その 血は彼自身に帰する。
5
Wenn nun einer fromm ist, der recht und wohl tut,
6
der auf den Bergen nicht isset, der seine Augen nicht aufhebt zu den Götzen des Hauses Israel und seines Nächsten Weib nicht befleckt und liegt nicht bei der Frau in ihrer Krankheit,
7
der niemand beschädigt, der dem Schuldner sein Pfand wiedergibt, der niemand etwas mit Gewalt nimmt, der dem Hungrigen sein Brot mitteilt und den Nackten kleidet,
8
der nicht wuchert, der nicht Zins nimmt, der seine Hand vom Unrechten kehrt, der zwischen den Leuten recht urteilt,
9
der nach meinen Rechten wandelt und meine Gebote hält, daß er ernst- lich darnach tue : das ist ein frommer Mann, der soll das leben haben, spricht der HERR HERR.
10
Wenn er aber einen Sohn zeugt, und derselbe wird ein Mörder, der Blut vergießt oder dieser Stücke eins tut,
11
und der andern Stücke keins tut, sondern auf den Bergen isset und seines Nächsten Weib befleckt,
12
die Armen und Elenden beschädigt, mit Gewalt etwas nimmt, das Pfand
nicht wiedergibt, seine Augen zu den Götzen aufhebt und einen Greuel be- geht,
13
auf Wucher gibt, Zins nimmt : sollte der Leben? Er soll nicht leben, son- dern weil er solche Greuel alle getan hat, soll er des Todes sterben ; sein Blut soll auf ihm sein.
25)本稿での考察との関連で重要なことばは「人がもし正しくあって[中略]質物 を返し、決して奪わず[中略]利息や高利をとって貸さず[中略]わたしのおきて を忠実に守るならば、彼は正しい人である」およびこれに加え、「しかし彼が 子を生み、その子が[中略]これらの義務の一つをも行わず[中略]乏しい者や貧 しい者をしえたげ、物を奪い、質物を返さず[中略]利息や高利をとって貸すな らば[中略]彼は生きることはできない」である。「隣り人」すなわち同胞たる イスラエル共同体の成員から利子、高利をとってはならないことは義務であり おきてであり、同胞から高利をとることをかたく禁じている。加えて、これに 対する違反が死に値する罪であることが明記されている。中世カトリック教会 はその使命のひとつを貧者・弱者の保護にみていただけに、これまでおこなっ た引用、ことに「乏しい者や貧しい者」と明記された上のエゼキエル書の引用 をとおしても、徴利の禁止を堅持せざるをえなかった事由がある程度理解され よう。
同じくエゼキエル書、第18章の14節から18節で、上の5節から13節と同 様のことが、神の命に従わなかった「その子」の姿をみた「その子」の子の行 状から語り始め、父と子の生き方を5節から13節の場合とは逆転させ、守る べきおきてが繰り返し語られる。
14しかし彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て、恐れ、そ のようなことを行わず、
15山の上で食事せず、目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人 の妻を犯さず、
16だれをもしえたげず、質物をひき留めず、物を奪わず、かえって自分の 食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、
17その手をひいて悪を行わず、利息や高利をとらず、わたしのおきてを行 い、わたしの定めに歩むならば、彼はその父の悪のために死なず、必ず生 きる。
18しかしその父は人をかすめ、その兄弟の物を奪い、その民の中で良くな い事を行ったゆえ、見よ、彼はその悪のために死ぬ。
5節から13節、14節から18節両者におけることば、ことに徴利に関する表 現はほぼ同じであるから、ドイツ語による引用は略す。大切な点は同じ内容の おきてが同じ章で繰り返されていることである。子供が正しい生き方をするな らば、父親の罪がその子供に及ばず、おきてに対する違反とそれに伴う罰は、
エゼキエルによれば、当人に限られることがわかる。本稿における本来の論旨 が不明確にならぬよう深入りすることは避けるが、エゼキエル26)は、先祖の罪 が子孫に及ぶとする考え方を否定した預言者として注目され、上の引用はエゼ キエルのこの見方が明示された箇所のひとつでもある。
最後にもう一箇所同じくエゼキエル書から引用する。
エゼキエル書 第22章11節から13節、とくに12節から13節
11またあなたのうちに、その隣の妻と憎むべき事を行う者があり、淫行を もって、その嫁を汚す者があり、自分の父の娘である自分の姉妹を犯す者 があり、
12また血を流そうとして、あなたのうちで、まいないを取る者がある。あ
なたは利息と高利とを取り、しえたげによって、あなたの隣り人のものを かすめ、そしてわたしを忘れてしまったと、主なる神は言われる。
13それゆえ見よ、あなたが得た不正の利の事、およびあなたのうちにある 流血の事に対して、わたしは手を打ちならす。
11
und treiben untereinander, Freund mit Freundes Weibe, Greuel ; sie schänden ihre eigene Schwiegertochter mit allem Mutwillen ; sie notzüchtigen ihre eigenen Schwestern, ihres Vaters Töchter ;
12
sie nehmen Geschenke, auf daß sie Blut vergießen ; sie wuchern und nehmen Zins voneinander und treiben ihren Geiz wider ihren Nächsten und tun einander Gewalt und vergessen mein also, spricht der HERR HERR.
13
Siehe, ich schlage meine Hände zusammen über den Geiz, den du treibst, und über das Blut, so in dir vergossen ist.
27)この箇所は、北イスラエル王国と南ユダ王国のなかでおこなわれた主に対す る背信を示し、それに対する「主なる神」の審判が預言として語られた部分で ある。モーセ五書に明記された律法が遵守されず、それにより禁止されている
「利息と高利」すなわち「不正の利」を「隣り人」から取る者がいることが告 げられ、それに対して神が審判をくだすことが預言された個所である。要する に、ユダヤ教徒にとって、さらにいえば、旧約聖書も教典とするキリスト教徒 にとっても、「利息と高利」を同胞・同国人から取ることは律法を破り、「主な る神」を忘れることと合一である。
以上のように、旧約聖書ではイスラエル人すなわちユダヤ人が同胞から利子 を取ることがかたく禁じられている。しかしながら、申命記 第23章20節に 記されているように、外国人からは利子を取ることが許されている。それでは、
新約聖書、イエスの教えのなかで、つまりキリスト教では徴利の問題はどう説 かれているのであろうか。
(2)新約聖書の場合
本稿でおこなう研究は、ドイツ文学においてシャイロック的ユダヤ人像がど のようにして形成されていったかという問題に関する史的考察である。そこで 今この研究を抽象論でなく具体的に進めるための前提として、貨幣経済と商活 動が拡大し、これまで以上に大きな資本・信用貸付を必要とするに至ったヨー ロッパ世界でキリスト教会が徴利禁止を堅持するためどこに拠り所をもとめた のかという点をつまびらかにしている。本稿における考察・解明を経て、稿を 改め、いかにしてヨーロッパ・キリスト教世界で、教会と為政者たちがユダヤ 人に高利貸しの仕事をさせるに至ったかという問題の解明に及ぶという手順で 研究を進めていく。
キリスト教では旧約聖書だけでなく、新約聖書も教典であるから、新約聖書 のなかで、ことにイエスが徴利の問題についてどうおしえているかということ は重要である。そこで、四福音書に見出される金銭貸借にかかわる箇所、端的 にいえば、「利子」に関係する箇所を引用しながら徴利の問題について考察し たのち結論を述べる。
イエスはしばしば比喩を用いて自分のまわりに集まる民衆におしえを授けて いる。比喩すなわち「譬」を用いて語るイエスのことばはわかりやすいもので はあるが、それがイスラエル社会で当時おこなわれていた事実に立脚している ケースがあることを見逃すと、徴利の問題に関して誤解する可能性がある。な るべく新約聖書全体、少なくとも四福音書のうち「マタイによる福音書」、「マ ルコによる福音書」、「ルカによる福音書」を反芻して読み、イエスの謂わんと することをまず正しく把握することがこの問題を解明する際、判断のかなめと なる。最初に「マタイによる福音書」から引用する。
マタイによる福音書 第25章14節から30節28)
14また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産 を預けるようなものである。
15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者に は二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。
16五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに 五タラントをもうけた。
17二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。
18しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠し ておいた。
19だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算を しはじめた。
20すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出 して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりま したが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかな ものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜ん でくれ』。
22二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タ ラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをも うけました』。
23主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかな ものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜ん でくれ』。
24一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあな
たが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを 承知していました。
25そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠して おきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
26すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたし が、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
27それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、
わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろう に。
28さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている 者にやりなさい。
29おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持って いない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
30この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き 叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
さらに四福音書からもうひとつ引用しておこう。
ルカによる福音書 第19章11節から27節
11人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話 しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国 はたちまち現れると思っていたためである。
12それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるため に遠い所へ旅立つことになった。
13そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るま
で、これで商売をしなさい』。
14ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、
『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。
15さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたか を知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。
16最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをも うけました』。
17主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実で あったから、十の町を支配させる』。
18次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりま した』。
19そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言っ た。
20それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあ なたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておき ました。
21あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おま きにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。
22彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたを さばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかな かったものを刈る人間だと、知っているのか。
23では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたし が帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。
24そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十 ミナを持っている者に与えなさい』と言った。
25彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。